2011年02月10日

●和文解釈入門 第1回

題名を和文露訳としなかったのは、露文和訳と露文解釈の違いを当てはめてみたかったからである。露文解釈というのはロシア語の勉強を始めたその瞬間から始まり、プロであろうと素人であれやっていることだが、露文和訳は文学であれ、技術であれプロでしかやれない。正しい日本語が文字に現れるプロの職業である。和文解釈ならみな頭の中でやっているわけで、厳密な、そして美しいロシア語でなくとも、文法的に正しいロシア語であればよいと考えてこういう題名にした。頭の中のロシア語ではテレパシーができるわけではなく誰にも分からないので、プリントアウトのような形になってしまうのはやむを得ない。形式はいつものように雑文と今年の自分のテーマでもあるロシア語や日本語の類語(類義語)のあとに和文解釈の設問を入れ、読者の回答があれば、回答に私のコメントと答えを書くし、読者の応募がなければ、次回回答を紹介すると言う形にしたい。和文解釈はロシア語の日常会話でも必要だし、プロを目指す初級(年齢を問わず)の方にも必要だと思う。まあしばらくは続けてみよう。
「古語の謎」(白石良夫、中公新書、2010年)の中に、古文辞学の荻生徂徠の主張として「古語の語義・用法を知っただけでは、ほんとうの古語の理解とはいえない。古語を使って詩や文章が書けてはじめて古語が理解できたと言えるのであり、また古人の心を知ったといえるのである」とあり、さらに「英文学者が英語の文章を書けなければおかしいように、漢文を書くことは儒者なら当然のこととされる」という文章が続く。英文学者をロシア語研究者と読み替えても何らおかしくはない。ロシア語の研究をしていてロシア語の文章が書けず、会話ができない人がいれば、それは常識的におかしいと言わざるを得ない。何も通訳やガイドのまねをしろといっているのではない。自分の研究分野、たとえばドストエーフスキーの研究をしているなら、ドストエーフスキーに関してロシア人の研究者とロシア語でやりあえるくらいの語学力がなければ、また実際にそういうやり取りをしなければその研究も進んでいかないのではないかと考えるからである。実際のところはどうなのだろう。ロシア語の研究者は少なくとも自分の研究分野はロシア語で書いたり話したりできるのだろうか。技術通訳を長年した経験から言えばシンポジウムでの発表をロシア語ですることはそんなに難しいことではない。前もって準備できるからだ。難しいのは質疑応答である。その場でのロシア語の質疑応答が自分の得意分野でこなせるかどうかということである。
「長い」を日本語に訳せと言われても、ロシア語では物体の長さについてか、時間の長さかによって訳が違う。使い分けは物体の長さならдлинныйを、時間の長さならдолгийが一般的で、долгийの類語としてдлительный やпродолжительный は書き言葉や演説に、またこの二つは動名詞(хранение, изучение)などとの語結合が多い。длинныйは時間的なものにも使えるが、длинный разговор(長い話)というようなニュアンスである。долгий разговорといえば(話せば長くなるが)と言う意味になる。直接時間の単位に関係したものならдолгие минуты, долгие неделиなどといい、продолжительныйとдлительныйの違いは、それぞれの固有の語結合があるものでしか区別できないが、продолжительныйは音に関してпродолжительные аплодисменты(長く続く拍手)のように用いられ、またпродолжительна болезнь(長患い)も決まった言い方である。длительныйは時間的に長いということでдлительное воздействие(長期にわたる作用)などという。
設問)「イワノフさんがいらっしゃっています」をロシア語にせよ。

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2011年02月11日

●和文解釈入門 第2回

金兎金というのは貴金属店のようだが、この看板を見て金鍍金とひらめいた。鍍金はメッキだから本物の金とメッキの金を見分けると言う意味でいいのではないかと思った次第。
「統一する」というのはобъединить Японию(日本を統一する)のようにобъединитьを普通使うが、内装や色調を統一するという場合はвыдержатьを使う。多くは被動形で使われる場合が多い。例えば、Интерьер выдержан в классическом японском стиле.(内装はクラシック的な日本調で統一されている)とかКабинет, выдержанный в белых тонах(白いトーンで統一した書斎)などと使う。また案というのも契約案というような草案という言う意味ではпроект で、проект контракта(契約案)とかпроект соглашения(協定案)などというが、いくつかある案の中の一つというのであればвариантを使い、компромиссный вариант(妥協案)などとする。промышленностьというのは工業と鉱業を含めたもので、тяжёлая промышленность (= тяжёлая индустрия) 重工業、лёгкая промышленность (= лёгкая индустрия) 軽工業、というが、その同意語のиндустрияのほうがより意味が広く産業と訳して問題ない。индустрия развлечения 娯楽産業、индустрия информации 情報産業、информационно-телекоммуникационная индустрия (ИТИ) IT産業、индустрия туризма 観光産業、спортивная индустрия スポーツ産業、индустрия азарта 賭博産業などと使う。
設問)下の二つの文をロシア語にせよ。
「このバッグを買ったのよ」
「どこで買ったの?」

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2011年02月14日

●和文解釈入門 第3回

和文解釈で一番難しいのは基本的な類語(類義語)や体(完了体と不完了体)の使い分けである。長く露文解釈をやって体の用法が分かったつもりでいても、実際に和文解釈で使ってみて正しくどちらの体を使うのか分からなければ、それは理解したことにはならない。そこでしばらくは体の用法で設問を組み立ててみる。
 あるとき韓国系の商社に誘われて商談の後昼食を先方が用意してくれた。私と一緒に行った部長はそれを後でのお返しが大変であると断った。それはまずいでしょうと一応部長を説得したが聞かない。先方はわが社の飯が食えないのかということで(当時韓国には日本に対する劣等感のようなものがあった)、当然その後のビジネスの話はなくなった。部長も悪気がなく、英語も社内一できる人で対外関係が分からないわけではなかったのだが、韓国風の(東洋風な)義理ということが、日本風の義理と合わなかったのだろう。そのとき最初のモスクワ駐在を終えてすぐだったので、両方の反応がなんとも不思議な気がしたのを覚えている。生まれつきとか、育った環境もあるのだろうが、こういう義理というのが好きではない。
 観光ガイドで身代わりのお札амулет-двойникの説明をすることがある。ご参考まで。成田山の身代わり札の由来は、天保2年大工の辰五郎が仁王門の上棟式で5~6丈の高さの足場から落ちたが怪我一つせず、門鑑が二つに割れていた。旅順攻撃で有名な荘司大尉の身代わり札も真二つに割れていた。だからこのお札が身代わりとなるのですよというとフーンというぐらいで興味を示さないロシア人がほとんどだ。
「どんなスポーツが好きですか?」をКакой спорт вы любите?とすると間違いで、Какой вид спорта вы любите?となる。スポーツの種目を聞いているからである。このほかにвид транспорта(交通機関の種類)などもそうである。抽象名詞だけではなく、два вида крестьянских преступлений(2種類の農民の犯罪)などとも使える。種類という意味ではродも使われる。три рода темы(3種類のテーマ)。родの複数はроды"だが("は力点を示す)、軍関係の兵科という意味では複数はрода"となる。все рода" войск(すべての兵科の部隊)などである。無論、出産という意味では複数形のみのро"дыである。タイプはтипでдва типа любви(二つのタイプの愛)やモデルを使って、две модели развития стран(国の発展の二つのモデル)なども使える。
設問)「1875年彼はウラジオストークに着いた」をロシア語にせよ。

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2011年02月15日

●和文解釈入門 第4回

ドストエーフスキーの「罪と罰」の主人公ラスコーリニコフのモデルと言われ、プーシキンの「スペードの女王」の主人公ゲルマンの雰囲気を漂わせたと言われたのは、工兵大隊所属近衛兵准尉カルル・ランズベルクК. Х. Ландсбергだった。なかなかのハンサムだったが、顔は笑っても目は冷たいままだったとジャーナリストのドロシェービチは書いている。ランズベルクは1879年65歳の金貸しウラーソフおよびその下女(料理女)セミニードヴァ殺害の件で15年のサハリン流刑を申し渡された。当時の権力者トテリェーベン伯爵令嬢との婚約も決まったときに、借りた金の返済をしつこく迫ったウラーソフ(7等官)を殺したわけである。ランズベルクは1875年~76年のコーカンド汗の反乱鎮圧にも参加し、人を支配する側と支配される側に分け、自分は前者に属し、人を殺すことを別に何とも思っていなかったようである。流刑地のサハリンでも成功し、支配者としての生活を送った。
 ベッドにはкровать とпостельがあるが、кроватьはベッドそのもので、постельは寝具спальные принадлежностиも含めての寝床である。ゆえにлежать в постели(ベッドで横になっている)とか、Вам кофе в постель?(コーヒーをベッドまでお持ちしましょうか?)という文では前置詞はвを取る(ただ病人が「床上げする」はподняться (встать) с постелиで、これは動詞の格支配が強いからだろう)。そしてОн умер на своей кровати.(かれは自分のベッドで死んだ)ではнаを取ることが理解されるだろう。
糞も日本語同様いろいろ使い分けがある。排泄物はиспряжнения, экскременты(ともに複数形で用いる)であり、(大)便はкалであり、какаはウンチ(幼児語)、鳥の糞はпомёт、犬などの(道にある)落し物はкучки, кучаで、牛の落し物はблины, лепёшкиという。語結合で見てみると、человеческий кал 人糞、лошадиный кал (испряжнения) 馬糞、собачий кал 犬の糞、птичий кал 鳥の糞、куриный помёт ニワトリの糞、голубиный помёт 鳩の糞、воробьиный помёт 雀の糞、коровий помёт 牛の糞、конский помёт馬の糞、свиные испряжнения 豚の排泄物、собачьи кучки 犬の落し物、котяхи 乾いた糞、коровьи лепёшки(кал) 牛などの落し物、аргал, кизяк 乾いた燃料用の糞、навоз 厩肥、стул 便通、「クソ(ッ)」という卑語ならговно, дерьмоなどである。また便の硬さはконсистенция калаで、下痢便はдрисня(卑語)。
設問)「明日モスクワに出張なんだ」をロシア語にせよ。

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2011年02月16日

●和文解釈入門 第5回

この和文解釈入門を始めたのは、会話で和文をロシア語にするときに、特に時制(現在、過去、未来)などを考えるときに、何かサインとなるものを提示できないものかと考えたからである。このサイン(合図でも目印)があれば、完了体を使うとかという意味である。一通り文法をやってから和露辞典で単語を拾っても、よほど辞典にある例文がぴったりでない限りそれだけではロシア人に通じる文にはならないのが普通である。ロシア語作文でよく使われる現在形の文の動詞に過去なら-л/-лаなどや、未来ならбытьの未来形をつければよいという単純なのではない。かといって我々多くのプロがやっているような何万もの言い回しを、たとえば会話集の語彙などを、書かれているがままに(文法的には疑問に思っても、ロシア語ではそういうのだからと自分を納得させて)、場面ごとにひたすら暗記するというのは、二十歳を過ぎた人の学習法ではないと思う。そこでできるだけ文法に即して(できるだけ理屈抜きに暗記すると言うのは避けるという方法で)、合理的に理詰めに続けてみたい。少しでも和文解釈の参考になれば幸いであるし、これでсухая грамматикаが少しでも興味が持てるようになってもらえればなおさらうれしい。
2001年頃モスクワの地下鉄内で物乞いする人が結構いた。ロシア人は物乞いに寛容で、お金をあげる人も結構いた。あるとき、中年の男の乞食が車内で物乞いを始めた。若い女性が小銭を渡したところ、その金を放り投げて、「こんなカペイカじゃ何も買えない。くれるならもっとましな額をよこせ」とどなった。その女性は真っ赤になって、次の駅で降りた。こういう乞食もいる。ロシアの乞食はほとんどプロと考えてよい。ショ場代をやくざに払って営業しているわけだ。松葉杖をついて物乞いしていた傷痍軍人が時間になると、松葉杖を脇に抱えてスタスタ歩きだしたというのも見た頃がある。営業時間が過ぎたからだろう乞食は売春婦とならんで世界一古い職業だそうだが、ザベーリンによればロシア語の乞食という言葉には、17世紀初め宮廷付きの乞食(歌手)という職業の意味があるという。宗教詩を、節回しをつけて歌いながら喜捨を乞うていた。
地図はкартаだが、市内案内図という意味ではплан городаを使う。地図ではないが地下鉄の路線図などはсхема линий московского метрополитена(モスクワ地下鉄路線図)のようにсхемаを使う。コテはмастерокとкельмаがあり、мастерокはサイドが丸いレンガ積みやモルタル塗用であり、кельмаはサイドが二等辺三角形のようになっているものを指す。
設問)「よくお休みになれましたか?」をロシア語にせよ。

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●和文解釈入門 第6回

19世紀中ごろ日本の開国直後の外国人訪日記を読むと、必ず混浴について書かれており、日本人は裸に羞恥心を覚えないとある。いずれも非常に客観的な書き方であり、だから日本人は野蛮だというのではなく、文化の違いによるのだとしている。シドモア女史の「シドモア日本紀行」では、じろじろ裸を見る異人を日本人は軽蔑するというような記述がある。現代でも人前でじろじろ見つめられれば、見つめる人が無作法だと思うのと同じ感覚であろう。しかし、現代のロシアでもサウナにおいて年配の人達の男女混浴はよく見られるということをロシア人から聞くし、その写真を見せられたこともある。これは本当に心から見たくはなかった。「シベリアと流刑」(ジョージ・ケナンがシベリア流刑の政治囚について調査する前に精読し、非常に役に立ったと述べている)を書いた旅行家で民族学者のセルゲイ・マクシーモフは1861年に今の函館に10日間滞在して、日本人とロシア人の違いについて述べているが、混浴についても当時のロシアでは、モスクワやペテルブルグではないが、田舎に行けばサウナでの混浴は普通に見られる現象で驚くには値しないと述べている。
 「次の」はследующийだが、Свечу переносилив в очередной дом.(ロウソクは次の家にもって行った)というようにочереднойも用いられる。очередная задача = ближайщая задача(緊急課題、喫緊の課題)なども覚えておくとよい。
 ガイドをしていると歩道のデコボコは何のためかよく聞かれる。「目の不自由な人」ためだと言おうとして、ロシア語で何と言うのかしばらく調べていたことがある。слепойというのはロシア人でもやや失礼な感じがあるらしい。どうやらслабовидящие и незрячиеでいいという事が分かった。案外露訳しにくい「目明き」はзрячийである。
設問)次のやり取りをロシア語にせよ。
「だれか助けて」
「今行くぞ」

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2011年02月18日

●和文解釈入門 第7回

発音やイントネーションを除いて、ロシア語をロシア人に習うのはどうかということを書いたが、習ってもいいロシア人がいる。それは日本でガイド試験に受かったロシア人である。今まで私の知るところ3人(女性一人、男性2人)の若いロシア人が合格しているし、今後少しずつ増えて行くだろう。一人についてはたまに電話やメールをもらうが立派な日本語である。こういう人たちは自分たちが日本語で苦労しているから、ロシア語の初級者についても和文解釈の分かりにくいところを日本語で分かりやすい説明してくれる可能性が多いと思う。一方日本の大学でも何人かのロシア人の先生がロシア語を教えているが、それが和文露訳となれば、和文露訳の授業をする上でのロシア語の日常会話の説明(こう言うんですとか、類似表現)はこなせても、ロシア語のニュアンスの差を日本語で説明できるレベルの日本語が出来る人はどのくらいいるのだろうか?和文露訳でこういう先生について学習効果があるのは、自由にロシア語で質問が出来、その解説をロシア語で理解できるロシア語の上級者にならないと無理だろう。
東京遷都について、1868年大久保利通は大阪遷都を提議したが、前島密がひそかに東京に遷都すべきという内容の書簡を大久保に遣わしたと「前島密自叙伝」(日本図書センター、1997年)にある。その主張は、
・蝦夷地開拓を考えると日本の中央に位置する東京が管理面で便利であること。
・大阪は小船用であり、修理の設備も近くにない。東京は大艦巨舶も受け入れ可能であるし、修理のために近くに横須賀がある。
・大阪は道路が狭いが、東京は広い。
・大阪の道を広げるためには巨費を要する。
・大阪に移せば、官邸、学校など新築せざるを得ず、金がかかる。東京であれば、江戸城を活用できるので国費の無駄もない。
・大阪は首都にならなくても衰微しないが、東京は首都にならなければ、人々が離散して寂びれる。
1895年オープンしたレストラン「ノーヴィ・エルミターシュНовый Эрмитаж」のメニューにотец с сыном = холодный поросёнок с ветчиной(父子〔ハム付冷製子豚〕とある。ロシア版親子丼だ。
庭はсадと訳すと思われるか知れないが、садは樹木も生えた道もある、いわゆる庭園である。日本語の庭には広辞苑によれば6つの語義があり、現代で通用するものは庭園と「家の出入口や台所の土間」であり、我々庶民の家の庭と言えば、後者の玄関周りの空間で、植木鉢を置いたり、ちょっと草花でも植えたりしている場所ということになろう。家の周囲にある庭ならдворикであろうし、玄関前ということになればпалисадникが適当という事になる。我が家にсадがあるとロシア人にいえば、どんな豪邸に住んでいるのだろうと思われる可能性が大きい。
設問)「追剥が通行人に「背広を脱げ」と言いました」をロシア語にせよ。

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2011年02月19日

●和文解釈入門 第8回

この和文解釈入門の対象者は、ロシア語を6カ月から8カ月ぐらいまじめに勉強した人(NHKのラジオ講座を最低半年くらいまじめに勉強した人)のレベルからそれ以上を考えている。中級者にとっても復習になるように配慮しているつもりである。一見文法関係の専門用語があるとびっくりする人がいるかもしれないが、一応内容については説明しているし、なにせ日本語である。説明が分かりにくければ具体的にその旨ご指摘いただければ、別途詳しく説明してもよい。
現世の御利益という観点で、仏教とキリスト教などを見てみると、庶民と聖職者など専門家の間には信仰の理解に大きな差があることが分かる。片方は現世利益であり、これには試験に合格するようにとか、安産、厄除けが含まれる。一方仏教やキリスト教の宗旨を見れば、お釈迦様は死や病気の恐怖から解脱する方法を、キリストは天国に至る道を述べているのであり、どうみても現世の御利益とは関係ないようである。ところがお寺で売っているお守りを見るまでもなく、神道・仏教とも庶民にとっては現世利益のみであり、そうでない寺は経営状態が悪くなって寂びれる。またキリスト教でもマリア信仰(ルールド)や、聖ニコラ(革命前のロシア正教など)などの聖人信仰も庶民にとっては現世の御利益を願ってであろう。宗旨に沿ってその宗教を究めようとする専門家は少数派のようである。キリスト教徒で作家の曽根綾子も旧約聖書は勧善懲悪だが、新約聖書は現世の御利益を一切拒否する思想であると述べている。キリスト教は永久の命を約束する宗教であるという。イスラム教は違うのだろうか?
若いころпо болезни とかпо причинеという言い回しを入れた文はなぜかロシア人に見せると直された。理由を尋ねてもこうは言わないというだけである。今にして思えば、これらは文法的には正しいが官僚的で硬い感じがするから、ビジネスレターとか演説などでないとロシア語では使わないのだという事が分かるが、ロシア人にロシア語ではこうは言わないと言われても初級者は困ってしまう。それ以降ロシア人の言う事はあくまでもインフォーマントの意見として自分で露露辞典や参考書なりで調べることにした。素人のロシア人でなぜ使えないのかその理由を文法学者のように説明できる人はいない。いたとしても自分の憶測や思い込みを言ってしまう可能性がある。ロシア人がこう言ったと錦の御旗のように振り回すのではなく、専門家(文法学者)の書いた参考書で勉強することを勧める。
恩赦という意味ではамнистияとпомилованиеがあるが、амнистияは時の最高権力によって発せられたもので、大赦とか特赦とするのがより正しい。「前払い」をавансと訳しても間違いではないが、若干ニュアンスの差が出る。авансはもともと「仮払い」のことであり、ビジネスの前払いは普通предварительная оплатаであり、長いのでпредоплатаとする。厳密に言えばавансというのは契約金額の100%前払いではなく、30%とか一部の前払いであり、契約直後30%前払いで、残りは船積後などという場合の前払いで使われる。
設問)「今御社に向かっているところです」をロシア語にせよ。

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2011年02月20日

●和文解釈入門 第9回

 チェーホフの短編「はねっかえり」Попрыгунья(1892年初出)の主人公のモデルについては、ラーザレフ・グルジーンスキーЛазарев-Грузинскийの書いたものの中に、ソーフィヤ・ペトローヴナ・クフシーンスカヤСофья Петровна Кувшинскаяとある。小説の方の主人公はスラム街の治療に尽くす医者の若奥さん(20歳)で、風景画家リャボーフスキーРябовскийと不倫するというテーマである。この画家がチェーホフの友人の画家レヴィタンと噂されたのでチェーホフも困ってしまった。クフシーンスカヤは当時40位で美人でもなく、かなり変わった人だったという。ワシーリエヴァという女性がクフシーンスカヤと最初に会った時のことをラーザレフ・グルジンスキーにこう述べている。馬に乗ったアマゾンという感じで裸体に部屋着をはおっただけで疾走し去ったという。クフシーンスカヤの夫は警察医で、スラムを担当していた。おかげで1年から1年半ほどレヴィタンはチェーホフに腹を立てていたという。クフシーンスカヤもチェーホフに腹を立てたという。ただ夫婦間に波風は立たなかったようである。クフシーンスカヤはぱっとしない画家だったが、死後彼女の絵の展覧会が行われたが、やありぱっとしなかったようである。クフシーンスカヤは夫やレヴィタンやチェーホフより長生きして、モスクワ郊外の別荘である伝染病患者の世話をして伝染病に感染して亡くなったという。
機能動詞というのは日本語の「する」と同様、目的語の名詞の意味の動作を行うという意味になる動詞である。делать, проводить, производить, выполнять, осуществлять, совершатьがそうであると拙著「アネクドートに学ぶ実践ロシア語文法」(48~53ページ)に書いたことがあるが、他の動詞でもそのような働きをする場合もあるので、何回かに分けて書いておく。
- войти/входить в + 対格 -(~になる)
входить в действие (силу)(実施される), в доверие (милость) к + 与格(信頼を得る), в известность(有名になる), в моду(流行となる), в поговорку (пословицу)(語り草となる), в привычку (обычай)(習慣となる), в славу(有名になる), в соглашение(協定を結ぶ), в употребление(使われるようになる)
- дать/давать -
давать веру(信じる), жизнь(息を吹き込む), задание(課題を与える), занавес(幕を引く), звонок(ベルを鳴らす), имя (название, прозвище)(名づける), нагоняй (взвучку, головомойку)(お目玉をくらわす), обет(誓う), обещание(約束する), ответ(答える), отпор(反撃する), отставку(引退する), пас(パスする、トスする на удар), промах(へまする), разрешение(許可する), распоряжение(指示する), слово(約束する、言質を与える), согласие(同意する), телеграмму(電報を打つ), толчок(刺激を与える)。
- пойти/идти на + 対格 (быть готовым, способным, решаться, соглашаться ~に応じる用意がある) –
идти на верную гибель(決死の思いでゆく), на войну(戦争に行く), на всё(どんなことでもやりかねない), на опасность(危険に赴く), на посадку(着陸する), на признание(認める用意がある), на риск(リスクを覚悟する), на уговоры(説得される用意がある), на уступки(譲歩の用意がある)。
- иметь -
иметь влияние(影響する), намерение(意図する), понятие(理解する), соприкосновение(接触する)がある。
設問)「お飲みものは何になさいますか?」をロシア語にせよ。

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2011年02月22日

●和文解釈入門 第10回

ここに載せた体の用法の表は改訂の上第150回に載せたので、そちらを参照願う。
設問)「何かあったら、いつでもお手伝いしますよ」をロシア語にせよ。

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2011年02月23日

●和文解釈入門 第11回

ここで和文解釈(会話で使う和文露訳)について書いているが、それは自分の経験から来ていて、これからロシア語を深く学びたいと言う人に、ロシア語本来の面白さを伝えたいと言う事と、そういう人たちのために機械的暗記をできるだけ少なくできないかと考えたからでもある。ロシア語をプロとしてやる以上いつかは覚えなければならないのだから、盲目的にあらゆる表現を暗記してゆこうと思い、また効率的に覚えるために自らの批判を封じ、ロシア人がこう言った、こう書いたという事を確認できなければ、類推可能でも新たな表現を使えないという心理に陥ったことが多々あるからだ。ロシア語の表現を何万でも暗記すれば(20年以上ロシア語をやっていればその可能性はある)、帰納的に知らない表現でもこうなるのではないかと類推できるようになるはずだが、自ら心理的にそれを拒否してしまうようになってしまうかもしれない。それを防ぐためと、学習期間の短縮のために中級や上級の文法は存在するのだと私は思っているし、文法のおかげでロシア人に頼らなくてもロシア語をやっていける自信ができてきたように思う。
(機能動詞その2)
- оказать/оказывать -
 оказывать влияние(影響する), внимание(配慮する), гостеприимство(歓待する), давление(圧力をかける), действие(作用する), поддержку(支持する), помощь(援助する)で、принимать ванну(風呂に入る), меры(措置を取る), присягу(誓う), распоряжение(指示する), решение(決定する), смерть(死ぬ), согласие(同意する), сопротивление(抵抗する), сторону(~の側に立つ), тёплый приём(歓迎する), услугу(世話をする), участие(参加する), экзамен(試験する)。
- пользоваться –
пользоваться авторитетом(権威がある), доверием(信頼されている),праом(権利がある), преимуществом(利点がある)、популярностью(人気がある), репутацией(評判がいい), свободой(自由を享受する), успехом(成功する), уважением(尊敬されている)もある。
- поставить/ставить –
ставить диагноз(診断する), оперу(オペラを上演する), опыты(実験する), рекорд(記録を打ち立てる), термометр (градусник)(温度計を脇の下に挟む), фильм(映画を作る)。 - представлять/представить –
представлять ценность(価値がある), секрет(秘密である), трудности(困難である)
設問)「1985年からこの工場で働いています」をロシア語にせよ。

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2011年02月24日

●和文解釈入門 第12回

ソ連時代はすべての公団や企業、ロシアになってからは大きい会社やカザフからの出張者は、командировочное удостоверение(出張証明書)を持っていて、これに日本側の受け入れ先にスタンプと到着日、出発日を書いてもらうことになっている。官僚主義といえばそうだが、日本の会社によっては対外的な社印は部長の許可がいるとか、なかなか押してくれないことがある。そうなるとロシア側としては大いに困る。この出張証明書に日本側のスタンプがないと出張と認められないため、出張費が出ないことになりおおごとである。ところが日本の会社ではそういう慣習がないので(一部の公務員にはあると聞いたが詳しくは知らない)、ピンとこない。そこでホテルのフロントに泣きついてホテルの日本語(日本語だと何が書いてあるかわからないので非常に便利)のスタンプを押してもらったことが何度かある。宿泊したのは間違いないし、到着日と出発日だって確認せよといえば嫌とはいえない。嘘ではないからだ。
復習のために否定の話をしてみよう。存在の否定には生格が来る(Места нет.〔空きなし〕というのは知っていると思う。補語(目的語)を取る動詞で、желатьも補語として基本的には生格を取ると言うのも抽象的なものは生格という考え方がロシア語にはあるからだ。Удачи!〔うまく行くといいですね、Good luck〕、Спокойной ночи!と生格になるのはЖелаю/Желаемが省略されていると考えるとよい。無論желатьでは稀だが、具体的な補語を取る時は(Что вы желаете?ぐらいか)対格を取る。「求める」という意味のпроситьでは30年ぐらい前の参考書では具体的な補語を取る時は対格を、抽象的な補語のときは生格をと書いてあったが、いまはみな対格で統一されつつあるらしい。このようなロシア語の発想を覚えておくとよい。
 現在の動作の否定はというと、個人的な考えだが、新規なものを否定するということで不完了体現在形を使うのが普通である。「分かりません」はЯ не понимаю.という。ところが一歩進めて、不可能の場合はというとЯ не пойму.と完了体未来形が出て来る。これは前回の例示的用法の発想だろう。可能・不可能についてはмочь, смочь, уметьで表すのが普通だろうが、この違いについては別に書くこともあろうし、初級文法書でもある程度は説明しているだろう。Я не пойму.は未来の完了の否定ではなく、「(現在)理解できない」とか、今風に言えば「わけわかんない」ということであり、Я не понимаю.よりは意味が強い。
別の例で示せば、「駅の行き方を教えてください」という場合、新しい事柄だから、Скажите, пожалуйста, как пройти на станцию.と完了体の命令形が出て来る。これをやや丁寧にすると(否定疑問文にすると日本語でも「~していただけないでしょうか」とより丁寧になるのはロシア語と似ている)、Не скажете ли вы, как пройти на станцию?となり、これはНе можете ли вы сказать, как пройти на станцию?と同じ意味である。このことから可能・不可能というのに完了体が関わってくることが分かる。ちなみにНе могли бы вы сказать ~?と仮定法を使えばさらに丁寧な言い方になるが、仮定法についてはいずれ取り上げることがあるかもしれない。
設問)「とうとうズィミナーさんはいらっしゃいませんでしたね」をロシア語にせよ。

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2011年02月25日

●和文解釈入門 第13回

革命前のロシアの作家の稿料(文筆料)というのは低く(20枚で200~300ルーブル)、それも雑誌や新聞が主な収入源であり、本ではなかった。15枚5000部で500ルーブルももらえれば御の字だった。1905年の第一次革命の後、実質的検閲がなくなって、それから何千もの出版社が現れ、本の出版が本格的になり、それからである。チェーホフもこれには間に合わなかった。無論ドストエーフスキーもガルシンもナトソーンも死ぬ時は金に困っていた。子供向けのものは読者の年齢が小さいという事で稿料が最も安く、支払われた版権は50~70ルーブルだった。
この頃本が売れずに出版社も困っているらしい。ただ本の需要はあるわけで、今後は電子書籍に移ってゆくのは当然の成り行きと思われる。それゆえ編集者や出版社の役割はこれまで通り必要だとは思うが、出版所はなくなってゆくだろう。当方も「和露技術用語千」や「和露観光用語集」など出版したいのだが、読者の対象が非常に限られているので売れ行きが芳しくないというのは分かっている。ブログやホームページを使ってタダで紹介すればいいようなものだが、当方は定職があるわけでもないし、家族ともども食っていかなければならないし、それなりに苦労したものをタダでというのにも抵抗がある。予約販売でもいいが、それだと常識的に500部か1000部ぐらい予約注文(前払い)を読者からもらう必要がある。これも難しい。それならシェアウェアとなるが、コピーをどう防ぐか、暗証をどうするかなど難しい。これが簡単にキンドルなどで利用してもらえるようになれば、本の出版も増えて行くと思うのだが。
「人は木から落ちても人だが、議員はサル(去る)」。こういうのはロシア語にならないなとは思いつつも、閑な時たまに露訳を考えることはある。Человек остаётся человеком, если он упадёт с дерева. А депутат, если он провалится на выборах, то останется с носом.まだまだ改良の余地はある。
形容詞の長語尾と短語尾の違いというのは、一般的に長語尾の方が永続的で、短語尾は書き言葉的で、かつその時点ではというニュアンスがあるが、長語尾と短語尾では意味がやや異なる場合もある。Он болен.(彼は病気だ).と Он больной.(彼は病気がちだ「больнойを名詞と理解すると(彼は病人だ)で、いずれも永続的ニュアンスである」のほかに、Он жив.(彼は生きている)とОн живой.(彼は生き生きしている)がある。живойは「生きている」という意味では、名詞の修飾はできるが、述語として単独では使えない。сохранить (оставлять)в живых(生かしておく), остаться (оставлен, оказаться) в живых(生きている), застать отца в живых(父の死に目に間に合う、生きている父に会う)、как живые (живой)(生きているかのように)となる。мёртвыйも「死んだ」という意味では短語尾であり、Он мёртв.(彼は死んだ)となる
 Он погиб от случайной взрыва. を「彼は偶発的な爆発で死んだ」と訳してもよいが、少し考えて、「彼は爆発事故で死んだ」のほうが日本語らしい。
設問)「お帰りになる時は明りを消して下さい」をロシア語にせよ。

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2011年02月26日

●和文解釈入門 第14回

第10回で書いた和文解釈(会話での和文露訳)用の表をもっと使いやすいように訂正したので、興味がある人は参照願う。
今年の自分のテーマは類語(類義語семантически близкие слова)の使い分けだが、ここで紹介している類義語の使い分けで用いている辞書はСловарь синонимов русского языка(ロシア語シノニム辞典), Наука, 1971(2巻)、ロシア基本語活用辞典、現代ロシア語社、1979年、それに4巻本の露露辞典や、最近で初めて13巻まで出版されたアカデミー版露露辞典、Новый объяснительный словарь синонимов русского языка(新釈ロシア語シノニム辞典、3巻), Апресян他, Школа «Языки русской культуры, 1999 – 2003)である。
ソ連が国際単位系(SI、ロシア語ではСИ)を承認したのは、GOST9867-61でだが、実際に広範囲に使用されるようになったのは1970年半ば以降である。そのためロシア語略語辞典(Русский язык, 1983、第3版)の前書きにあるように、初版(1963年)に比べて、第2版(1977年)ではボルト、アンペア、ヘルツ、ワットなどの単位が国際単位系に準じたものに変更されている。つまり従来小文字の斜体で書かれていた単位が、それぞれВ, А, Гц, Вт(それぞれV, A, Hz, W)と書かれるようになったわけである。そのため1970年代初め以前の技術文献では古い書き方の単位があるということを頭に入れておいてほしい。
ロシア語では同じ文や段落では同じ語の繰り返しを避けるのが普通だが、同じ語が一つの文で2回出てくる例を見つけたので紹介する。Японец пользуется свободой настолько, насколько она не стесняет свободы других. Сознавая своё собственное достоинство, он уважает достоинтсво и в других.(日本人は自由が人の自由を束縛しない程度に自由を享受する。自分自身の誇りを意識しながら、人の誇りも尊重する)。свободой... она...свободы, достинство...достоинствоという風に、中に人称代名詞を使ってくどさを避けているののもあるのが分かる。
リストはсписок, перечень, ведомостьを使うが、списокとпереченьは同義と考えてよい。ведомостьはリストの中に説明が詳しく入っているもので、船舶の修理リストなどがそうである。最近使われるものでワインリストがあるが、これはвинная карта (= карта вин)という。これから派生してか、レストランによってはкофейная карта(コーヒーセレクション)、чайная карта(ティーセレクション)、коктейльная карта(カクテルリスト)と乱発気味である。長さはдлинаであるが、くねくねした線(海岸線など)や湖の周囲という意味ではпротяжённостьを使う。Это озеро с протяжённостью береговой линии около 150 км.(これは周囲およそ150 kmの湖である)
設問)「トルストイの〔戦争と平和〕を読んだことがありますか?」をロシア語にせよ。

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●和文解釈入門 第15回

接頭辞по-のついた完了体の動詞で、これまで始発の意味のものを紹介してきたが、по-という接頭辞のついた動詞全部がこの意味だという誤解を持つ人もいるかもしれないので、代表的なものを書いておく。пойти/поехатьは始発で、一つの方向を意味し、行き先が明記されるのが普通である。(始発の意味にはза-という接頭辞をつけたзаходитьのような完了体もあるがзаходить по комнате〔部屋の中を行ったり来たりし出す〕のようにいろいろな方向に使う)。もう一つはпоходить по комнате(ちょっとの時間部屋をうろうろする)で、あと一つは意味的ニュアンスは特になく、体の用法の違いを出すために不完了体(不完了体の方がより多く使われる)から作られたのではないかとしか思えないようなпозвонитьの類である。これら3つは用法も違うということを理解してほしい。
今はコンピューターで楽にできるが、昔愛用していた持ち運び可能なヘルメスの露文タイプでローマ数字を打つ時は、Ⅰ, Ⅱ, Ⅲ, Ⅳ, Ⅴ, Ⅹはそれぞれ1, П, Ш, 1У, У, Хと打ったものだ。この点では英語はIとVとXを組み合わせればよいから英語のタイプライターの方がはるかに楽だった。露文をタイプで清書するときはわざとそのローマ数字の部分だけあけておいて、手間ではあるが英語のタイプで後から打ったこともある。訂正も大変で、ポストイットみたい形をしたチョークが片側に塗ってある紙片があって、打ち間違った字を、タイプの上に手でその紙片を置いて打ち間違った字を打ってそのチョークで埋めるとかしたものだ。昔和文露訳や英文露訳のアルバイトをしたころは、コピー用紙にタイプすると打ち間違えたときに直すのが大変なので、トレーシングペーパーに打ってゆく。これだとタイプを打った直後だと消しゴムで訂正できた。今はそういう事も考えずに済むから楽だ。その代わり和文露訳や英文露訳の仕事は壊滅状態になったけど。肝心の訳文が決まらないのは一緒だが、技術の翻訳の仕事も露文和訳だけになってきたのはさみしい。まあ和文露訳は日本人のロシア語よりもロシア人で日本語に堪能な人に訳させた方が間違いは少ないという事なのだろう。そういう意味で露文和訳の仕事は細々とあるのはありがたい話だが、これもだんだんなくなってゆくのかもしれない。
「違う~(もの)」(間違いの)というのはдругойだと考えていると、ロシア人から変な顔をされるかもしれない。例文で示すと、Я разбила чашку, придётся купить другую.(茶碗を割ってしまったわ。別のを買わないと)ならいいが、Простите, я ошибся, дал вам не тот номер телефона.(ごめんなさい、間違いました。別の電話番号を渡してしまいました)にあるこの「間違いの」というのはロシア語でне тотである。つまりне та запись(違う録音)となる。ちなみに電話番号は、日本語同様телефонでもよい。
爆弾漁業(ドン)は夢野久作の爆弾太平記に戦前日本に併合された朝鮮沿岸で組織的に行われていたことが描かれている。
日本語のウを英語のu、またはロシア語のуでどう表記するかについては、2008年ノーベル物理学賞受賞者の益川氏を2008年10月20日付のタイムでは、TOSHIHIDE MASKAWAと表記している。wiをうぃだけではなく、ヰやゐと書くのも面白い。
設問)「カラマーゾフの兄弟を書いたのはドストエーフスキーです」をロシア語にせよ。

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2011年03月01日

●和文解釈入門 第16回

露文解釈ばかりやっていると、長文でも頭ごなし訳(「私は~と思う」というのを「私が思うには~」というようにできるだけ後戻りしないように訳してゆく訳の仕方)ができ、部分部分を瞬間的に理解できるようになる。そうなるとロシア語の短文からの発想で、こんな短文が和文であっても、これまた瞬間的に露訳できるという錯覚が無意識の出るようになる。ところが実際はそうはいかないのである。長文は短文から成っており、短文がすぐロシア語にならないようでは長文の露訳はできない。和文解釈入門の設問は無論ロシア語をまじめに勉強して半年以上になる初級者も対象にしているが、そのほかにも露文解釈ばかりでできて、ロシア人と会話のできない人も対象である。
第10回の和文解釈(会話における和文露訳)をする上での体の用法の表に命令法や不定法を追加した。今後さらに追加・訂正する可能性がある。
ノーソフНосов のНезнайка на Луне(月の物知らず、1964~65)という児童向けの本にчтобы их не кусали мухи(彼らをハエが刺さないように)という一文がある。蚊や蜂はともかくロシアのハエは刺すのか(何でもありの国だからな)、日本とロシアのハエは違うのかと驚かれる方も多いであろう。мухаというのはハエやハエに似たものを指すのであり、筆者も一度モスクワの植物園で слепень бычий(ウシアブ)に腕を刺され、腫れが一週間ひかなかったことがある。ウシアブというのはイエバエを一回り大きくしたような感じで、目が海老茶色だったことを覚えている。こういうのを言っているのであろう。
「注文する」というのも、状況によりいろいろである。заказать (сделать заказ) のほかに、レストランではспросить ликёр(リキュールを注文する(頼む)とも言えるし、выписать журнал(雑誌を(書面で、メールで、インターネットで)注文する)、予約購読ならподписаться на полное собрание(全集を予約購読する)となる。
設問)出迎えのときに相手に「どうでした空の旅は?」と尋ねるときに、カッコ内の部分をロシア語にせよ。

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2011年03月02日

●和文解釈入門 第17回

гидравлическийというのは訳しにくい形容詞で、まずは「油圧の」と訳せば間違いないのだが、「水圧の」という場合もたまにある。現場での技術通訳では本当は「液圧の」と訳したいのだが、そういう日本語はないから「ハイドロの」する場合もある。例えば次の文はロシア語ではどうってことのない文だが、和訳してみるとちょっと困る。Контроль гидравлическим давлением следует производиться водой.「水圧試験(テスト)は水で行うこと」と訳しても「油圧試験(テスト)を水で行うこと」と訳してもなんかおかしい。仕方がないから「この耐圧試験(テスト)は水で行うこと」と訳したことがある。гидравликаというのは「油圧(水圧)システム、油圧(水圧)装置」と言う意味であり、普通は総称名詞のように単数で使うのが普通である。
(機能動詞その3 「受身的な意味をもつもの」)
- класть/положить -
кластьはНа табак не кладут запрещения.(タバコは禁止されていない)のほかに、вину на + 対格(~に罪を負わす), заплатки (латки)(つぎを当てる、繕う), крест(十字を切る), начало + 与格(始める), конец + 与格(終わらせる), основание(基礎を築く), поклон(頭を下げる), преграду(阻む), фундамент(基礎を築く)などである。
- найти/находить -
находить (своё) выражение(表される), отражение(反映される), подтверждение(確認される)применение(用いられる), поддержку(支持される) сбыт(販売される), удовольствие(満足する), утешение(慰められる)。
- повергнуть/повергать в + 対格 - (受け身の意味の機能動詞)
повергнуть в отчаяние(絶望させる), тревогу(不安にする), в уныние(意気消沈させる)
- подвергнуть/подвергать + 対格 + 与格 –
подвергнуть доклад резкой критике(報告を厳しく批判する)などで、与格のところに、анализу(分析する), действию света(光線に当てる)、наказанию(処罰する), обсуждению(審議に付す)、переработке(書きなおす), операции(手術する),насмешке(笑い物にする), опасности(危険にさらす), сомнению(疑う), штрафу(罰金を科す)。
- подвергнуться/подвергаться + 与格 –
критикеは(批判を受ける)と受け身になる。
- получить/получать -
получить воспитание(しつけを受ける), впечатление(印象を受ける), всеобщее признание(広く認められるようになる), задание(課題を受ける), заказ(注文を受ける), законную силу(法的効力を得る), замечание(叱責を受ける), знания(知識を授かる), известие(知らせを受ける), инфортмацию(情報を受ける), насморк(鼻風邪をひく), образование(教育を受ける), огласку(公表する), ответ(答えてもらう), применение(用いる), повреждение(破損する), поздравления(祝電を受け取る), приказ(命令を受ける), разрешение(許可を受ける), распоряжение(指示を受ける), сведения(知らせを受ける), согласие(同意を受ける), сообщение(知らせを受ける), специальность(専門を身につける), удовольствие(満足する)などである。
- поступить/поступать в + 対格 –
поступить в обработку(加工される), в продажу(販売される), в производство(生産される)
- потепеть/терпеть – (= сталкиваться, испытывать) 「不愉快な事を経験する」
терпеть изменение(変更を被る), крах(破産する、破綻する), крушение(列車事故に遭う), неудачу(失敗する), поражение (敗北する、жестокое поражение大敗する), убытки(損をする), урон(損をする)
設問)「もう6時だ。おいとましないと」をロシア語にせよ。

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2011年03月03日

●和文解釈入門 第18回

「ロシア語基本熟語500」という本を2009年に出したが、出してからこういうことを言うのはどうかとは思うけれども、こういう熟語集は体の用法を理解していないと使いこなせないものである。かといってまえがきに体の用法を簡単に書くという訳にはいかない。そこで遅ればせながら会話で使う簡単な和文露訳についてこの和文解釈入門というコーナーを設けたという次第である。しかしこのコーナーを開設した直接のきっかけは別にある。それまでは体の用法というのはロシア語をやりだしてから3~4年しないと理解が難しいのではないかと自分の経験から考えていた。そうなると興味を持つ人も限られてくるし、文法を敬遠する人が多いというのも承知している。ただ簡単な会話の和文露訳をするにしてもどちらの体を使うかの基準がわかっていないと、文をいくつも理屈抜きで丸暗記せざるを得ず、二十歳を過ぎた人には、仕事でロシア語を使うとかの刺激や動機がない限りロシア語の勉強が続けるのが難しかろうとも感じていた。
比較的最近メーカーのモスクワ駐在員候補生にビジネスロシア語を教える機会があった。若い人で、英語はできるようだったが、ロシア語をやったことがなく、社命で2ヶ月間日本で日本人教師からロシア語のイロハを習い、そのあとモスクワの外国人専門のロシア語学校で6カ月間語学研修を受けたという。モスクワの先生は英語はできず、ロシア漬けの毎日だったとも聞く。こういう風に金槌の人がいきなりプールに突き落とされと、そのまま沈んでしまうか、なんとか泳げるようになるかどちらかだが、その人は優秀な成績で帰国した。その会社では現地社員のロシア人を除けば社内でロシア語のできる人はいないため、ビジネスロシア語を1日5時間11日間教えるように頼まれたわけである。カスタムメイド(そのメーカーの製品を中心にした語彙構成)のビジネス会話を教えるにあたって、子供相手ではないので、ビジネス会話を効率的に覚えてもらうため、体の用法を試しに教えてみたところ、理詰めと言う事もあってよく理解してくれた。ロシア語での自社の製品紹介、商談で使う言い回し、会話以外にも、和文解釈ではない、ビジネスメールでの和文露訳(クレームレターの処理まで)も教えたが、手応えは十分にあったと感じている。また教えた語彙はエクセルにして和露でコーパス(文例を入れた語彙集)を作って、赴任まで復習しますと言っていた。
 こういう例があるので、まじめに半年か8カ月ロシア語をやれば、体の用法を日本語でも理詰めに説明すれば、理屈抜きで暗記するというよりは会話の上達に効果があるのではないかと考え、このコーナーを立ち上げたわけである。そうすれば当初考えていたより関心を持ってくれる方々もより広範囲になり、このコーナーによってロシア語の文法に興味を持ってくれる人も増えるだろうという期待もある。これまで何人かの方々からの反響もあり、それには本当に感謝しているが、反響がなくなった時点でやめればいいという気持ちもある。自分で設問を出して解答を示すという一人相撲をする意味はないし、必要とされないものを続けていくつもりもないので、どこまで続くか取り敢えずやってみようと思う。
 ちなみにまじめに半年か8カ月ロシア語をやるというのは、例えばNHKのラジオ講座のテキストを暗記し、1/3ぐらいでも頭に残っているということである。丸暗記するなと言っておいて、暗記させるのかと言う人もいるかもしれないが、体の用法も含めてロシア語に疑問を持つためには、そして説明を理解するためにもロシア語に関して頭が空っぽでは困るのであって、ベースになる用例をある程度覚えていないと体の用法どころではないという事はご理解いただけるだろう。英語だって中学校の教科書ぐらいを暗記していれば、日常会話で困ることはないというではないか。ロシア語も同じである。ただそれ以上にロシア語の力をつけたいと考えるなら、なぜそうなるのかということを突き詰めて考える必要がある、つまりそのためには文法をしっかりやる必要があるのだと私は思う。
設問)「猛犬注意、立ち入るべからず」をロシア語にせよ。

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2011年03月04日

●和文解釈入門 第19回

さとう市販されているロシア語の文法書というのは主として露文解釈用のような気がする。まんべんなくロシア語について説明しているのは当然だが、和文解釈(会話のための和文露訳)という観点で見てみると、ロシア語と日本語は全く違う言語だとはいえ、似ている点もあるし(他動詞が補語〔対格~を〕を取るとか)、会話ではあまり使わない文法事項(形動詞、副動詞などは使用がかなり限られている)というのも載せてある。だから和文解釈で文法をというと、その内容の膨大さから時間の無駄ですぐに役(訳)に立たないからと嫌がる学習者が多いのも理解できる。無論名詞・形容詞・代名詞の格変化や動詞の活用は理屈抜きに丸暗記するというのは論をまたない。しかし、会話用の和文露訳用にやるなら、必要な文法事項を優先的にメリハリをつけてやればいいのである。一通り文法事項(初級文法書に載っている程度)をこなした後、数量表現、運動の動詞(定動詞不定動詞、接頭辞のついた運動の動詞)、体の用法、類語の使い分けを徹底的にやって理解しないと、なんでこうなるのか分からず何かすっきりしないという感じがいつまでも残るものである。集中的にやる気なら今はいい参考書(お薦めの参考書については別のコーナー「間違いやすいロシア語の最終回〔23〕や露学階梯の最初のほうに書いた)もあるから1~2年でものになるだろう。私がこれらに取り組んだ70年代中ごろでも、探せば、「ロシア語動詞の体の用法」(Рассудова、磯谷孝訳編、吾妻書房、1975年)やVerbs of motion in Russian> Muravyova, Русский язык, 1975などがあったし、何度も読まないと理解できなかったとはいえ、これらなどで勉強したものだ。そのあとで形動詞や副動詞などをやればよい。
ビジネスで通訳をしているとロシア側から日本のことをСтрана восходящего солнца(日出ずる国)という表現をしてくる人がいる。これは聖徳太子の有名な言葉だが、西洋には多分ペリー提督の日本遠征記にあるland of the rising sunから広く知られるようになったと思われる。しかし最近ではСтрана корня солнца(日の本)という表現も見るようになった。これは作家ピリニャークПильнякが1926年訪日した時の印象記の題名が由来のようである。これを「太陽の根の国」と訳すと、古事記や日本書紀では根の国と言うのは地下の国とか死者の国と言う意味なので、お日さまと対蹠的でまずかろうと思う。
設問)「ショッピングセンターの行き方(車での)を教えてください」を、動詞を変えて3つの文にしてロシア語で作れ。

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2011年03月09日

●和文解釈入門 第20回

これまで紹介した類語の使い分けというのは、思い出した時点で書いているようなもので、その中に基本語は含まれていない。和文解釈(会話での和文露訳)には体の用法や運動の動詞だけでなく、基本語の類語の使い分けも重要だと述べたが、ピンとこない方もいると思う。そこで試しにлежать, класть/положить, ставить/поставитьという基本語の使い分けについて書いて見よう。лежатьは何かの表面に水平方向にあるという意味だが、そのほかにも(~の中にある)находиться внутри чего-либоという意味もある。露文解釈ではどうってことはないが、和文露訳ではこの点をよく理解していないと、単純な文で躓く。「ノートは引き出しに入っている」というのは、Тетради лежат в ящике письменного стола.となる。лежатьなど知らなくてもбытьで十分という人もいるかもしれないが、この点が分かっていないと、「小銭を機械的にポケットに入れた」が訳せなくなる。これはЯ машинально положил мелочь в карман.であり、класть/положить には помещать внутри чего-либоという意味があるからである。
「置く」は垂直方向であればставить/поставитьで、水平方向であればкласть/положитьとなると初級で習うはずだ。それでは「皿を置く」はどうなるのだろう?ставить тарелкуが正解である。「靴を靴箱に入れる」は当然ставить/поставить обувь в обувной шкафだが、класть/положить обувьというのも例は少ないがあることはある。ロシア人も迷うのだろう。我々のような古い世代は皿は例外だとか、皿もよく考えれば垂直におかれるものだと屁理屈をこねて覚えたものだが、こういう風に例外や無理やりの暗記を続けると我々古い世代の通訳のように何十万もの文例をその場面その場面で覚えなくてはならなくなる。そういう手間を省くのが文法であり、参考書のはずだ。中級者や上級者にとっても文法や参考書を馬鹿にせず精進し続けることが結局はロシア語上達への早道であることが分かる。ставить/поставитьというのは、底がある物体や支持面積、支持する点がある物体のときに用いられる。
もうひとつ、「目覚まし時計を枕の下に置く」はどうなるだろう?これはкласть будильник под подушкуという。класть/положитьはこのように普通に置く状態でないように置くときにも使われるし、紙や布のように形を変えるものにも使える。класть пальто на стул(オーバーをイスにかける)。無論垂直方向ставить/поставитьや水平方向にкласть/положить置くというのは基本的な理解としては正しい。Не надо класть велосипед на землю, поставь его у крыльца. (自転車を地面に(横に)置いてはいけない。玄関脇に立てかけろ)とか、Положи цветы на стол, я сейчас поставлю их в воду.(花をテーブルに置いて。すぐに水に挿すから)など違いが分かりやすい。
設問)「ご担当は何ですか?」をロシア語にせよ。

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2011年04月28日

●和文解釈入門 第21回

「~するつもりです、~します」と言う構文をロシア語にする場合、この構文の日本語には、願望(~したいхотеть, хотеться сделать нечто)、決意(決心быть готовым прилагать усилия чтобы сделать это)、意図(予定намерение)が、バラバラか、あるいはこれらの意味が混じり合っていると思われる。第10回に挙げた表では分かりにくいと思うので、どういう動詞が使えるか、どのようなロシア語の用法の選択肢があるか試しに書いて見よう。
1) 確実な予想
 普通「これから~します」という意味(願望の意味がないとき)では、完了体未来形を使うのが普通である。これは確実な予想や意志を意味する。また確実な予想というのは話者がそう考えているだけで、主観的なものだということを覚えておけばよい。「このようなアドバイスをあなたにいたします」は、Я дам вам такой совет.であって、Я буду давать вам такой совет.とは言わない。даватьのように不完了体動詞であっても過程(進行形)の意味では使えないというものは完了体を使うしかない。
 この時気をつけないといけない用法がある。現在から未来への移行を示すような意味合いの動詞である。例えばビジネスレターで多用される「~をご案内〔連絡〕申し上げます」をロシア語にするときに、Сообщим (Сообщу) Вам, чтоと完了体の未来形を用いがちであるが、これは間違いであり、一人称現在形を使う。「約束する」、「連絡する」という(заклинаю, запрещаю, каюсь, молю, назначаю, обвиняю, обещаю, освобождаю, предлагаю, предписываю, признаюсь, приказываю, провозглашаю, прошу, прощаю, радуюсь, рекомендую, советую, ставлю~を人に据える, умоляю)のように、後に続く文の示す行為の遂行となる動詞を遂行的動詞(перформативные глаголы)といい、「~ということを遂行する」という意味である。つまりこの動詞の現在形一人称は「約束しつつある」とか、「知らせつつある」という経過(過程)を示しているわけではなく、続く内容について約束する(約束を破ればそれなりの罰を受ける)とか「~という内容をお知らせする」と言う意味であり、「2012年展示会に参加することをご案内申し上げます」Сообщаем Вам, что мы будем участвовать в выставке в 2012 г.は、まさにこの言葉によって連絡(他の動詞なら約束、命令などの)行為を遂行することを意味する。だから、この完了体未来形は「追って連絡申し上げます」Об этом сообщим дополнительно.など、今ではなく後で連絡する(未来に行為を行う)という意味でしか使えない。この他にも「伝える」という意味のシノニム(同義語を含む類義語)のうちоповещать, осведомлятьを除く、информирую, извещаю, уведомляю, докладываю, доношу, заявляю, объявляю, предупеждаюにもこの用法がある。
2) 予定
 願望の意味ではないときに、ビジネスなどで特に自分の意思に関係するかどうかは別にしての予定という場合は、30ぐらいある動詞(運動の動詞が多い。精しくは第10回の表を参照)の現在形を使う。一種の時制の転用である。この動詞を暗記しておけば、「~するつもりです」という文が出てきたときに、この動詞が使えれば使うし、使えないのなら、他を当たるのが効率的である。完了体未来形に比べれば、この用法はスケジュールに載っているという感じなので実現の確度はより高いと言える。
「明日歴史の試験を受けるんです」Завтра я сдаю экзамен по истории.(力点はю)
 過程の意味で使える不完了体の動詞は、潜在的にこの用法があると思える。かなり使う場面が限定されるが、はっきりとこの用法が使える動詞もある。
「ワインは何になさいますか?」Какое вино вы пьёте?
〔レストランなどで酒を勧められたときに、この答えは「恐れ入りますが、私は酒をたしなみませんので」Спасибо, я не пью.など〕
「女性の皆さんのために乾杯」Я пью за вас, женщин!
「〔アナウンスなどで〕本列車は2分停車いたします」Поезд стоит две минуты!
(このстоятьはбыть на ногах в вертикадбном положении, не двигаясь с места〔立っている〕という状態の意味ではなくて、не двигаться〔動かない〕という動作を示している)
「両親がびっくり仰天したことに、彼は大学をやめると宣言した」К ужасу родителй он заявил, что бросает институт.
3) буду, будетなどのбытьの未来形 + 不完了体
 相手の意向を聞く疑問文や、~しないという決意表明(否定的意図)の意味の否定文なら、この構文を考えるべきだ。この構文は口語用法だが、和文解釈(会話における和文露訳)は標準語と口語が主体であるゆえ、大いに使えるので覚えておくとよい。この構文で使える動詞は無接頭辞の単純動詞(пить, строитьなど)や接頭辞のついた運動の動詞が主体だと思えばよい)
「今晩何をなさるおつもりですか?」Что вы будете делать сегодня вечером?
「何をお召し上がりになりますか?」Что вы будете есть?
「何をお飲みなりますか?」Что вы будете пить?
〔この返事は省略しないで言うと、Я выпью пива./Я выпью рюмку вина.と完了体выпить + 部分生格(+ 対格〔容器〕)が出てくるのが普通〕
「お座りになりますか?〔電車、バスの中で〕」Вы будете садиться?
「何をご注文になさいますか?」Что вы хотите заказать?
「何をお飲みになりますか?」Что вы хотите выпить?
 このような用法では一般的にхотеть + 完了体不定形が文体的にニュートラルとされ、бытьの未来形 + 不完了体は口語的とされる。またサービス業の人が客に対しては、желать + 完了体不定形を使うのが一般的で、これは商人的文体とされる。
「お昼をお部屋のほうに注文なさいますか?」Желаете ли вы заказать обед в номер?
「ご朝食には何をお召し上がりになりますか?」Что вы желаете на завтрак?
「許して下さい、二度としませんから」Простите (Извините) меня, я никогда больше не буду так делать.〔もっと簡単に「もうしませんから」ならБольше не буду.〕
「奴を背負う〔手で運ぶ〕のはごめんこうむる」Я его нести не буду.
 このほかに「(もし)~するなら」とか「~するとき」という場合にも使え、бытьの未来形 + 定動詞も使用可能である。
a)「出かけるときは、ガスを消して下さい」Когда вы будете уходить, выключите газ.
b)「左に曲がれば、駅が見えますよ」Если вы повернёте налево, то увидите станцию.
c) 「貯水池のそばを車で通る時に、一休みするのに素晴らしい場所を教えてあげますよ」Когда мы будем ехать мимо водохранилища, я покажу вам прекрасное место для отдыха.
 a)は同時性の構文とか条件提示の不完了体とかいわれるもので、同時性と言っても、主節(上の文ではвыключитеがそうである)の動作まで従属節(この場合はкогда, если以下)は、動作を待っている、待たされる、ないしはいつ動作が起こるか不明なわけである。二つの動作の間に間が空くか、次の動作がいつか不確定な状況であれば過程を示す不完了体が出てくるのは自然である。こういう不確定な状況でкогдаやеслиの後に完了体を使うと、完了体は動作を完結させようとするために、ポンポンと間をおかないような(これからすぐガスを消して、家を出るというような)動作となる感じがして、この和文とは意味が違って来る。この構文の主節にтоが来ないことに注意。ただb)のように主節と従属節との間に明確な前後関係(従属節の動作の後に主節の動作が来る)があれば、если + 完了体, то + 完了体を使う。この構文については第13回の設問の回答でも説明したのでそれも併せて参照願う。
 平叙文で使う場合は、この構文は経過、過程、継続や着手の不完了体動詞だが、運動の動詞、動作が一気に終わる動詞を使うような文ではこの構文は避ける。
「止まれ、撃つぞ」Стой! Стрелять буду!
〔будуがあるので動作まである程度間があることが分かる〕
 しかし、「明日家に手紙を書きます」というのを、
Завтра я буду писать письмо домой.(書くつもりです)
Завтора я напишу письмо домой.(書きます)
と日本語で訳し分けたにしろ、言っている意味は同じだということがわかるだろう。このように動作が開始して終わるという意味を持つ動詞はどちらの体を使ってもいい場合が多い。「彼に電話します」Я ему позвоню.と Я буду ему звонить.の差は後者が口語的というくらいである。
4) собираться, намереваться, намерен, думать, планироватьという類義語を使う場合。
 この類義語は後に不定形を取るので、具体的1回の行為には完了体を、繰り返しには不完了体を使うと覚えておけばよい。この中ではсобиратьсяが使える範囲が広いので、この動詞を使う事を勧める。намеренとнамереватьсяは同義語だが、намеренは現在形でよく使われ、намереватьсяは過去形で使われる場合が多いようだ。これはнамеренだとбытьの過去形を付け加えるのが面倒だという事があるのかもしれない。намереватьсяはнамеравал(а,и)ся(сь)とすればいいだけで楽だからだろう。намерен/намереватьсяはсобиратьсяと違って、重要な決定を下す場面で使われ(留学するつもりだなど)、「散歩するつもりだ」などというどうでもいい場合には使われない。думатьは自発的な個人の決定に使われ、主語は機関ではなく、人間(個人)である。「そこに行くつもりだが、行けるかどうか分からない」Думаю поехать туда, но не знаю, получится ли.という文のように、думатьは最終的に決定が下されないときにでも使える。намерен/намереватьсяはこの意味では使えない。それゆえдуматьはこの意味(意向)では否定文と相性がよくない。дажеやиなど強調の意味の助詞と一緒に使うなどの強意の否定文で使えるのみである。планироватьは長期にわたる予定に使われ、計画に関係する。「休暇は冬に行くつもりです」Я планирую уйти в отпуск зимой.この他に同じ意味でнамылиться(俗語的用法)やрасполагаться(廃用、つまり19世紀の小説を読むには理解しておいた方がよいという事)がある。
 完了体のсобратьсяはсобиратьсяと違いニュアンスが出てきて、「前は~するつもりはなかったが、今は~するつもりである」という意味と、「長い事~するつもりだったが、ついにした」という意味がある。前者の例は、Реветь, что ли, собралась!(わんわん泣くつもりかい)というのは「それまで泣くつもりがなかったのに、急に泣く気になる」というニュアンスである。А я как раз собрался (собирался) вам звонить!(ちょうどお電話差し上げようと思っていました)は両方の体が使えるが、それでもニュアンスの差はある。 後者の意味の例文は、Извиинте, что только сейчас собрался вам позвонить, был очень занят.(申し訳ありません。ようやく今お電話できました。忙しかったので)」だが、否定の»не собрался (не собралась, не собралось, не собрались)»では「~しようとしていたが、しなかった」という意味である。Он так и не собрался купить новый телевизор.(彼は新しいテレビを買おうとしていたが、結局買わなかった)であり、完了体未来形を否定するとНикак не соберусь пришить пуговицу – уже неделю собираюсь.(もう1週間ボタンを縫い付けようとしているんだけど、だめだ〔できない〕)と不可能の意味が出る。また、намереваться に対応する完了体ではないが、意味が近い完了体であるвознамериться + 不定形は = начать иметь намерение「~する気になり始める」という意味で、ニュアンスが入る。
 上記についても含めて、この「和文解釈入門」は現代ロシア語を対象にしており、19世紀や20世紀初め以前の文学などの文例については対象としていないので悪しからず。
設問「象は鼻が長い」をロシア語にせよ。

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2011年05月01日

●和文解釈入門 第22回

 善(よいこと)という日本語は、広辞苑を引くと、絶対的な善と、相対的な具体的状況による善という意味があり、倫理や道徳的なものは前者であり、善は急げなどは後者に当たる。現代ロシア語のдоброは前者であり、благо, добрые делаは後者である。ゆえに「彼にとって善」をдобро для негоとは言えず、благо для негоとなるし、В этом случае благо будет мешьшее зло.(この場合はより少ない悪が善である)となる。モスクワの監獄医でヒューマニストであるガースФ.П. Гааз(1780~1853)のモットーはСпешите делать добро.だったが、これは文字通り「絶対的善をなすのを躊躇するな」ということであって、日本語の「善は急げ」は多くの場合Куй железо, пока горячо.でいいはず。またпосвятить добрым делам(よいことに捧げる)とも言える。зло(悪)にはこのような区別はない。ちなみにблагаと複数形で用いられるとблага цивилизации(文明の恵み)のように、「恵み」という意味になる。善悪を人間の性質という風にとらえると、善はблагодетельであり、Добродетель торжествует, а порок наказан.(善は勝ち、悪は罰せられる)となる。このдобродетель = положительное нравственное качествоであり、その反対はпорогである。なたдобродетельにはчеловека; высокая нравственность, моральная чистотаという意味もあり、これは徳、品性と訳される。
духとдушаの区別も難しい。духは精神や士気という意味であり、個人的な感情とは直接かかわりがない。ただподъём духа(士気の高揚)に若干個人的な色どりが見られるだけである。душаは心や魂という風に覚えておけばよい。つまりдушаはより個人的なものと理解すべきだ。Душа болит за него.(彼のために心が痛む)とかДуша отлетела от тела.(魂が肉体を抜け出た)などと使う。力(気力)がみなぎるという意味ではС утра полон сил, а к вечеру еле ноги таскаешь.(朝は力がみなぎっているが、夕方にはようやく足を引きずるぐらいだ)というようにсилыと複数形を用いる。肉体的な力физические силыや精神的な力душевные силыもそうである。また心にはдушаとсердцеがあるが、前者は個性であり、内なる我、生死にかかわるような重要な本質的部分で、もともとある感情であり、肉体телоと対峙する。だから「本当のところは眠りたかった」をВ душе он хотел спать.とするのは、в душеには「表面上はともかく本当の気持ちは」という意味であるが、眠りたいと言う気持ちが心の本質(内なる我)のようになってしまいおかしいとされる。またдушаはнаを取るのが普通でна душеとなるが、この文ではна самом делеとでもするしかない。一方сердцеはハートであり、対人関係において感情という意味合いをもち、特に愛情と結びつき、голова, ум(理性)と対峙する。だからНа сердце было полно сомнений.という文は成り立たないことになる。сомнения(疑い、疑念)は感情ではないからである。同様にпонимание(理解)などとも一緒に使えない。これにはна душеを用いる必要がある。Седрце болит за него.(彼の事で心(ハート)が痛む)とも言えるが、この場合はдушаと違い、愛情が絡んでくるからである。
設問)「ムラヴィヨーヴァさんは東京でガイド通訳をしています」をロシア語にせよ。

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2011年05月02日

●和文解釈入門 第23回

причинаには「原因」と「理由」という二つ意味がある。「原因」の場合は後に生格がついて、例えばпричина пожара(火事の原因)となり、「理由」の場合は для + 生格、ないしは不定形で、причина для сомнений(疑う理由)、Есть причина отказаться.(断る理由があるんだ)などという。ただпо причинеは例外で、すぐ後に生格がついて「~の理由で」という意味になる。по причине плохой погоды(悪天候で)。причинаとповодは「理由」という意味では、似てはいても非なる言葉である。причинаは本質的な理由を指すが、поводは外面的な、間接的な理由(表向きの理由)であり、おおむね「きっかけ、口実」などという風に訳せる。「まあ例えば、第一次世界大戦のきっかけとなったのはサラエボでのオーストリア大公の殺害である。しかしその原因はその殺害ではなく、帝国主義大国の先鋭化した競争だったのである」Так например, повод к первой мировой войне явилось убийство австрийского эрцгерцог в Сараево. Но известно, что причиной её было не это убийство, а обострившееся соперничество империалистических держав.
 口実には他にпредлогも使うが、これは口実подводと嘘の口実вымшленная причинаという意味がある。отговоркаは断る口実で、嘘の口実でもある。また根拠はоснование, резонで веская причинаという意味である。このように類語(シノニム)を調べると、その単語に対する理解が深まることが分かる。
「イワノフさんがいらっしゃっています」と「イワノフさんがお見えになりました」はロシア語で同じ文Господин Иванов приехал.と訳せる。「イワノフさんがいらしてました」はГосподин Иванов приезжал.となり、Господин Иванов приехал и уехал.と同義である。ちなみにприехал и уехалは完了体過去の順次的用法(アオリストの典型的用法とされる) + 結果の存続(去って、ここにはいない)である。ただこのような完了体過去形と不完了体過去形の意味の違いがみられる動詞と言うのは、反意語のある動詞群открыть/закрыть, поднять/опустить, встать/сесть, войти/выйти, взять/вернуть, дать/забрать, включить/выключить, терять/найти, принести/унести, прийти/уйтиなどで、これもおおむねこのような用法があるということで、文脈によって意味が違ってくる場合もあるという事を頭に入れておこう。言葉は生き物なのだから。ただ通訳した経験で言えば、このような体の用法の違いは反意語のある動詞群では確率的に非常に高いと言える。体の用法でまず覚えなければならないのは、完了体と不完了体の基本的使い方の違いである。完了体は新しいことや、具体的1回の動作を示し、不完了体は繰り返しや刺身のつまのような添え物のような動作を示すと取りあえず覚えよう。
設問)「あの人もう着いてるといいけど」をロシア語にせよ。(これは設問としてもかなり難しい部類だと思う)

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2011年05月03日

●和文解釈入門 第24回

ロシアでは方言が日本同様テレビの発達のおかげで消えつつある。ウラジオですら、少なくとも我々外国人にはモスクワと同じように聞こえる。私が両都市の言葉の違いで気がついたのは、Ага!(そう)はモスクワではアハー(このハーはхаではなくбухгалтерのхгаの音)と発音されるが、ウラジオではアガーагаと言っていたぐらいか。オデッサはウクライナにあるとはいうものの、そして街にはウクライナ語の看板があふれているとはいえ、昔からロシア全体の笑いの都であり、使われている言葉はロシア語である。ただ独特の方言があるという。ドロシェーヴィチВлас Дорошевичという19世紀末から20世紀初めの有名なジャーナリストがこれについて書いたものがあり、動詞には何でも иметь をつけ (Я имею гулять.)、つかないのはденьги だけだ (В Одессе все «имеют», кроме денег.)とか、格変化、動詞の変化も無視。Туда и сюда なぞと言った日には馬鹿にされ、тудою и сюдоюというんだとかとある。その当時のオデッサ語と言われるのは、
за = о, по, чем(Расскажите за него. 彼の事を話して下さい)
иметь счастье = иметь возможность
один в Одессе = оригинальный, лучший
где = куда Где он уехал?(彼はどこに去ったのか?)
設問)「荷物の一部は全部自分で持っていかなくてもいいように(宅配で)送ってもよい」をロシア語にせよ。これは観光ガイドでよく使われる表現でもある。

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2011年05月04日

●和文解釈入門 第25回

工場には前置詞としてнаがつくのは、17世紀や18世紀の頃の工場は回りになにもない開けた場所で作業したからだ聞いたことがある。旅行家で作家でもあったセルゲイ・マクシーモフの19世紀半ばに出版された「シベリアと流刑」の中で、東シベリアの工場について同じページにна заводе とв заводеが入り混じって出て来るし、в плавильную фабрикуという表現にも出くわす。これから考えると19世紀ごろまでвもнаも工場という単語にはどちらでもよかったということになる。無論現在ではнаを使わないと間違いとなるのは言うまでもない。
фабрикаというのはダーリДальによれば、Фабриками зовут такие заводы, где огонь (накалка, плавка, варка) не занимает первое место.(加熱、溶解、溶接など火を使うのがメインではない工場)ということになる。
2010年の「ユーラシア研究」11月号に技術ロシア語の類語の使い分けについてエッセー「一つが二つ、二つが一つ」を書いたのだが、紙面の関係上「工場」について露文を載せることが出来なかった。そこで、ここに参考のため書いておく。
(завод)
авиасборочный завод航空機組立工場、авиационный завод航空機工場、авиационный и танкостроительный завод航空機および戦車製造工場、автомобильный завод (= автозавод)自動車工場、авторемонтный завод自動車修理工場、автосборочные заводы自動車組立工場、алюминиевый заводアルミ工場、артиллерийский завод工廠、вагоностроительный завод車両製造工場、весовой завод秤工場、винокуренный завод酒造工場(蒸留酒の)、водочный заводウオッカ酒造、военной завод軍需工場、газовый заводガス工場、гвоздильный завод製造工場、завод автотракторного оборудованияトラクター機器工場、завод для рафинирования цинка亜鉛精製工場、завод по переработке птицы на мясокомбинате肉コンビナート鶏肉加工工場、завод по обогащению уранаウラン濃縮工場、завод по регенерации ядерного горючего核燃料再利用工場、завод мотоциклов (= мотоциклетный завод)オートバイ工場、завод с полным металлургическим циклом (доменное, стале-плавильное и прокатное производство)高炉一貫工場(高炉生産、製鋼および圧延)、завод электроаппаратуры電気製品工場、кирпичный заводレンガ工場、конксохимический заводコークス化学工場、комбикормовый завод 配合飼料工場компрессорный заводコンプレッサー工場、коньячый заводブランディー酒造、кроватный заводベッド工場、ледоделательный завод製氷工場、лесопильный завод製材工場、ликёрный заводリキュール酒造、ликёроводочный заводリキュールウオッカ酒造、литейный завод鋳物工場、маргариновый заводマーガリン工場、машиностроительный завод機械製造工場、медноплавильный завод銅精錬工場、металлургический завод冶金工場、моторный заводモーター工場、мыловаренный завод石鹸工場、оборонный завод国防関係の工場、опытный завод для производства углеродных нанотрубок диаметром до 10 нанометров с производительностью 1 т/год年産1トンの径10ナノメートル以下の炭素ナノチューブ製造実験プラント、оружейный завод武器工場、паровозовагоноремонтный завод機関車車両修理工場、патронно-дроболитейный завод弾薬工場、пивоваренный заводビール工場、пороховой завод火薬工場、приблорный завод計器工場、сахарный завод製糖工場、сборочный завод組立工場、смоляно-дегтярный завод樹脂タール工場、солеваренный завод製塩工場、стеклянный заводガラス工場、судостроительный завод造船所、телевизионный заводテレビ工場、тепловозостроительный завод気動車製造工場、тракторный заводトラクター工場、трубочный завод製管工場、турбинный заводタービン工場、фордовский заводフォードの工場、шинный заводタイヤ工場、шпалопропиточный завод枕木防腐処理工場、электроаппаратный завод電気機器工場、электромашиностроительный завод電機機械製造工場、электролизный завод電解工場
設問)「明日発つのとリェーナは電話した」をロシア語にせよ。

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2011年05月05日

●和文解釈入門 第26回

体当たりというと日本の神風特攻隊が有名だが、第一次世界大戦中の「1914年航空史上初めて体当たりを敢行したのは有名なロシア人飛行士ピョートル・ニェースチェロフだった」В 1914 году впервые в истории авиации применил таран знаменитый русский летчик Петр Нестеров.とある。ロシア語で飛行機の体あたりはвоздушный таранと言い、プロペラ又は翼で敵機を攻撃するというもので、第二次世界大戦の体あたり一番乗りはピョートル・ハリトーノフで1941年6月27日レニングラード近郊だったという。ソ連航空機の体当たりは日本と違い命令されてではなく、パラシュートで脱出できるとふんで敢行するか、あるいはただ撃墜されるよりは、それこそ祖国のためということでパイロット自身が判断して敢行した。日露戦争に従軍した一般庶民の茂沢祐作(1881~1949年)の従軍日記(「ある歩兵の日露戦争従軍日記」、草思社、2005年)に、ロシア人の中にもズボンと長靴のみの裸で、爆裂弾を抱いて突っ込んだものがあり、すぐ突き殺されたがその勇敢さには驚いたとある。また日本人でも大岡昇平の「レイテ戦記」(大岡昇平全集第8巻、中央公論社、1973年)の中に、特攻を命じられても敵艦に爆弾を落とし、ゆうゆうと基地に何度か帰還した日本兵のことが書いてある。上官は何も言えなかったろう。ただ神風特攻隊のように100%死ねということを上司として命じるのは人間のすることではない。
(фабрика)
брикетная фабрикаブリケット工場、валенковаляная фабрикаフェルト工場、игрушечная фабрика玩具工場、ковровая фабрика絨毯工場、колбасная фабрикаソーセージ工場、кондитерская фабрика菓子工場、консервная фабрика缶詰工場、мебельная фабрика家具工場、мукомольная фабрика製粉工場、ножевая фабрикаナイフ工場、обогатительная фабрика選鉱工場、обойная фабрика壁紙工場、обувная фабрика製靴工場、папиросная фабрика口付きタバコ工場、парфюмерная фабрика香水工場、писчебумажная фабрика筆記用紙工場、пробковая фабрикаコルク工場、прядильная фабрика紡績工場、прядильно-ткацкая фабрика紡績織物工場、расфасовочная фабрика計量・包装工場、сахарная и ромокуренная фабрика製糖工場およびラム酒酒造、спичечная фабрикаマッチ工場、суконная фабрикаラシャ工場、суконно-валяльная фабрикаラシャ・フェルト工場、табачная фабрикаタバコ工場、ткацкая фабрика織物工場、трикотажно-платочная фабрикаメリヤス・ハンカチーフ工場、фабрика кожанных изделий皮革製品工場、фабрика-кухня調理工場、фабрика по производству чулочно-носочных изделийストッキング・靴下製造工場。
設問)「時間があったら今日家に寄ってくださいね」をロシア語にせよ。

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2011年05月07日

●和文解釈入門 第27回

露文解釈はその名の通り、まず露文ありきで、ある程度文脈に応じて和文の時制をつけてゆけばよいが、和文解釈となると、それほど簡単ではない。「彼は来たОн приехал」、「彼は来て(い)たОн приезжал」、「彼は来ているОн приехал」、「彼は車で移動中だ(移動している)Он едет на машине」、「彼は座っているон сидит」などある。この中で最後の二つの過程と状態を示すものが、日本語でも現在形、ロシア語で不完了体現在形を使うから、似ていると思うが、ロシア語では案外過程(進行形)で使えない動詞がある。「誤解ですВы заблужадетесь.」や「勘違いされていますよВы ошибаетесь.」は過程を示しているのではなく、前者 (обманыватьсяも同様である)は状態を、後者は現在形なのに結果の現存という機能を持つ。どうしてロシア語で誤解が状態かと言うと、заблуждение(誤解)は何度も繰り返されるものではなく、一度起こればそれが長く続くという考え方かららしい。ошибатьсяは不完了体現在形でВы ошибаетесь (поступаете неправильно, клевещете на меня).〔違います(間違った行動をされています、私の事を中傷しておられます〕と、不完了体であるのに〔すでに考えの間違いは犯された、間違った行動はなされている、すでに中傷という事実はある〕という完了体の結果の存続の機能があるのである。そのためこの動詞については完了体と不完了体は互換性があるといえる。Вы ошибаетесь.もВы ошиблись.も意味的には同じということになり、ошибиться/ошибатьсяが不定形で用いられた場合も同じである。ただ現実的には完了体はВы ошиблись номером (дверью)〔番号(ドア)をお間違えです〕と言う風に使うのが多いようだ。こう言う動詞群を仮に評価伝達の動詞интерпретационные глаголыとでもいおうか、そういうグループの動詞がある。この動詞自体は具体的な動作の意味はないが、他の具体的な動作の評価を伝達する性質がある。この動詞群は過程(進行形)の意味では用いない。поступать правильно (неправильно), мешать, содействовать, выручать, потворствовать, попустительствовать, терять лицо, ронять достоинтсво, нарушать правила, преступать закон, совершать преступление, грешить, искупать, соблазнять, ошибаться, заблуждаться, преувеличивать, преуменьшать, выигрывать, проигрывать, оплошать, сплоховать, опростоволоситься, обманывать, врать, клеветать, кривить душой, лишать, угрожать.これらの動詞は否定文でもよく使われるという特徴を持つ。いわゆる評価伝達の動詞は、日本語でも現在形で書かれるので、よほど深読みする傾向がない限り、不完了体現在形で露訳すると思うが、念のため書いておく。
техникаとтехнологияは似ているところもあるが、違う面もある。техникаは道具や生産手段や、技術の総称であり、一般的な技術という意味で、技術史история техникиとか先端技術передовая техникаなどという。そのほかに工学という学問も意味し、ロケット工学реактивная техникаなどそうである。そのほかに機器類(военная техника軍事機器)という機械の総称でもあるし、テクニック(совокурность профессиональных приёмов)という意味もある。технологияは製造工程における加工の総称であり、технология судостроения造船技術などそうであるし、そのほかにも工程や製法способ изготовленияという意味もある。例えば日本語の個々の具体的な技術はтехнологияで通用する。
設問)「会議は2011年8月20日から8月13日になった」をロシア語にせよ。

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2011年05月09日

●和文解釈入門 第28回

勘違いしている人がいるかもしれないので投稿について書いておく。回答は点数をつけるものではなく、その結果学習者のロシア語がよくなればよいわけで、回答は、自分の頭だけでも、辞書を引いても、ネットを利用しても、ロシア人に聞いたって構わないのである。実際の通訳やガイドでも、どうしてもわからない語彙はロシア人にその内容を説明して聞くこともあるし、翻訳に至っては言わずもがなである。何らかの回答を出すのに全力を尽くすという姿勢が大事なのである。初級者だって和露辞典を使って回答を投稿してくれてもかまわないし、かえってそういう意欲のある人を歓迎するし、そういう人は伸びる。また回答でなくとも、設問に関係するか否かは別にしてロシア語に関する質問でも構わないのである。
この和文解釈入門は初心者で半年ぐらいまじめにロシア語を勉強した人以上の人を対象にしているが、個人的には一度ロシア語勉強して、何らかの原因で挫折してロシア人と会話できるまでに至らなかった人たちを何とかしたいというのがこれを立ち上げた趣旨である。常識的にそういうたちの数の方が、これからロシア語を始めようとする人より数ははるかに多いはずである。そうすることで不人気と言われるロシア語の人気を少しでも回復させたいというのが私の真意でもある。語学は暗記というけれど、無論これを否定はしないが、年も重ねて来ると丸暗記というのは非常につらいし、ほぼ不可能である。そのときにできるだけ理屈で会話用の和文露訳と言う意味で和文解釈入門を立ち上げたわけである。学習者と一対一で向き合って、学習者のレべルに合わせて教えることができれば、それに越したことはないが、不特定多数の人に対してはそうもいかない。数少ない回答者の投稿から判断して、後もう少しで会話が出来るとか、会話はできるが、自信がないか、あるいはかなりの上級者ではないかという比較的高レベルの方が投稿されているという現実は否めない。しかしそういう人たちだけを対象にしているわけではけっしてない。一人でもこのコーナーがきっかけとなって挨拶程度ではなく、ロシア人と実のある会話が出来るようになればと願っている。
ドストエーフスキーは「悪霊Бесы」で革命家を揶揄しているとしてソ連時代出版が奨励されなかった。ソ連時代に出た完全版全集(全30巻35冊)でも第25巻だけ部数が異様に少ないということもある。そのため私はこの第25巻をそろえるために、不要な残りの巻を10冊ぐらいよけいに古本屋で買った思い出がある。買う時に躊躇したのはお金ではなくて、何冊もと言うと本が重いのでどうしようかと考えたのを覚えている。これは90年代初めの話で、当時モスクワでは文芸書の古本は1冊100円くらいだったから、私がお金持ちだったと言う事ではない。90年代は古本が安かった時代で、その時に買いあさったおかげで、今ロシア語の本を辞書も含めて1700冊ぐらい持っている。その頃は1回の出張で多い時は50~60冊買って、超過料金はカレンダーをアエロフロートのお姉さんに渡して勘弁してもらったのを思い出す。いつか(何十年後かはべつにして)読むかもしれないと思っていたがようやく700冊を読んだばかり道遠しである。これは1日多くても70ページくらいしか読めないからであり、通訳やガイドで使えるような語彙や表現を見つけたらエクセルで和露語彙集にインプットしたりするから時間がかかるということもある。このコーナーやこれまでの著書に用いた例文はこの語彙集のおかげでもある。項目は7万を超えた。一つの項目に単語一つというのもあるが、いくつも例文がある項目もある。毎日少しずつ増えているし、見直してよくないものは削っている。10万項目になったら整理しようと思っている。後10年くらいでできるだろうか?
話がそれたが、買うので精力を使い果たしたのか、その第25巻目以降はまだ読んでいない。もっとも主な著作は24巻までにほとんど載っているけれど。ロシア語でドストエーフスキーを読んだ感じでは推理小説を読むようで内容を追うだけなら読みにくいとは思わない。かえってロシア的雰囲気の濃厚なブーニンなどのほうが外国人には理解が難しいと思う。ただドストエーフスキーにロシア的がものが少ないという事は、人間とは何かという普遍的な主題が多いという事で日本にもファンが多いのはうなづける。
設問)「アリョーシャ、映画に行こうよ」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 06:24 | Comments [4]

●和文解釈入門 第29回

あるとき温泉の注意書きの「入浴の前に、かかり湯(かけ湯)をしてください」をПеред купанием сначала подмойтесь.と訳したら、20年くらい日本に住んでいるロシア人女性から、подмойтесьをпомойтесьに直された。помытьсяはвымытьсяと同義語で、вымыть себя, очиститься мытьём от грязи, пыли и т. п.ということで「全身を洗う」と言う意味になる。無論全身を前もって洗ってから入浴した方がいいのかもしれないが、それでは注意書きとは意味が違うし、熱い湯に入る前に身体を湯に慣らすことで、身体の負担を減らして身体の具合が悪くなるのを防ぐ意味もあると指摘したら、びっくりしていた。подмытьсяはподмыть себе нижние части тела (промежность, ягодицы и т. п.(下半身〔股間、お尻ほか〕を洗う)であり、全く正しいし、この意味でピリニャークも使っていたはずだ。ところが女性に対してこの語を使うと「ビデを使う」と言う意味と誤解されやすいという事も分かった。それで、後から考えてПеред купанием сначала плесните на себя тёплой водой.としたらどうかと考える次第。無論温泉などの現場で訳す時はпомытьсяと訳してもいいかもしれない。
ロシア人に露訳した文をチェックさせると、日本語で難しい本も読める、パソコンの漢字入力も楽々できるというような人(そういうロシア人はほとんどいないだろう)は別にして、ロシア語やロシア文化との整合性ばかり見ていて、肝心の日本語や日本(大衆)文化との整合性は分からないから無視してしまう。ただ大半はスペルや文法、語彙の選択のミスなどの指摘で、なるほどと中級者でもロシア人のいうことをそのまま信じてしまう。ロシア人にロシア語をチェックしてもらう時は、和文解釈ではあくまで和文がメインなので、何年日本に住もうと日本の習慣や日本語に通じていないロシア人に対しては、あくまでもインフォーマントとして接するという考え方も頭の片隅に置いてもよいかもしれない。
初心者にロシア語を教えるときにはアーカニエаканьеという言葉を使うかどうかは別にして、力点のないоはаに近く発音すると教える。коронаなどはカローナと発音される。これは英語にもあることだからそれほど驚くことではないのに、これでやる気をなくす人もいる。身近な例を挙げれば、車のカローラなどもそうである。これはCorolla(花冠)と英語では書く。
家電はэлектробытовая техникаでこの場合のтехникаは機械の総称で「機械類」という意味である。では白物家電(家事家電、生活家電)は何というかと言うと、бытовые (электро)приборыで、含むのはутюг, холодильник, пылесос, полотёр〔電気床磨き機〕, стиральная машина で、テレビは含まない。テレビを含むものはオーディオ家電(カラーテレビ、ラジオ、テープレコーダー、ステレオ、ウォーキートーキー (цветные телевизоры, радиоприемники, магнитофоны, стереофонические установки, портативные приемопередатчики)といい、これはбытовые радиоэлектронные приборыである。
設問)「こんな巨大な蚊は一度も見たことがない」をロシア語にせよ。

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2011年05月28日

●和文解釈入門(お詫び)

どうも回答が来ないと思っていたら、当方で第29回に設問を入れるのを忘れていたのに今気がつきました。ご容赦ください。回答をお待ちします。

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2011年05月30日

●和文解釈入門 第30回

今回は不完了体の特徴が特によくあらわれるとされている過去に的を絞って体の用法を整理してみた。通訳するときに一見簡単な表現ほど訳しにくい場合も多い。日本語の「~していました(~していた)」は状態、過程、繰り返し・反復の意味だから、不完了体の過去形を使うのだというのは分かるだろう。しかし会話で日本語の文末に多いのは「~しました(~した)」であり、これがすべて不完了体過去形で済むなら通訳も楽だが、そうはいかない。いくら動詞の意味を覚えても、体の用法が分かっていないと使えないというのはそこのところである。「~しました」はもちろんロシア語には訳せるが、すべて文脈によるのであり、通訳するときには瞬時にその文脈を読み取ってどちらの体を使うかを決めなければならない。「~しました」でも、動作の完了(たった今終了した)やアオリスト(現在とは直接関係のない出来事を示す。分かりやすく言えば、過去の目印〔昨日、1990年とか、3年前とか〕があるときや、〔~してから~した〕と過去の動作が連続するときで、これらを順次的用法と言う)は完了体過去形を使う。
その他の「~しました」では不完了体の過去形を使うのだが、これが案外分かりにくい。この用法はロシア語の文法用語では、「事実(動作)の名指しобщефактическое (обобщённо-фактическое) значение」と呼ばれ、これはいわば過去の出来事の有無の確認であり、その中には経験(第29回の回答参照)という用法も含まれている。これは1回(一度もないなら、精確にいえば0回)の経験と何回もの経験の用法に分かれる。前者はОн читал «Братья Карамазовы» ещё в молодости.(若いころにもうカラマーゾフの兄弟を彼は読んだ〔ことがある〕)で、後者はОн читал этот рассказ много раз.(かれはこの短編小説を何度も読んだ〔ことがある〕)などと使う。前者には「若いころに」という過去の目印らしきものがあるが、漠然としており、この程度なら不完了体を使えるという事である。
事実の名指しという用法は全部で3つあり、他の二つは、それこそ「過去の出来事の有無」を示す用法で、На стене справа когда-то висела картина.(壁の右側にはかつて絵がかかっていた)〔発話の時点では絵はかかっていない〕とНа стене справа висела картина.(壁の右側に絵がかかっていた)〔発話の時点では絵はかっていたかも知れないし、かかっていなかったかもしれない〕という過去にはあった(否定文なら過去にはなかった)という用法であり、もう一つは、第23回本文で紹介した反意語のある動詞群で、Кто открывал окно?(だれが窓を開けてたの?)〔発話の時点では窓は閉まっている〕で、ちなみに同じ動詞群の完了体過去形では、Кто открыл окно?(誰が窓を開けたの?)〔発話の時点では窓は開いている〕がある。
前に出題した「書いた」は、動作だけの記述(確認)だけなら不完了体を、書いた内容まで踏み込むなら完了体をという考え方もできる。過去における体の用法は、不完了体が確認的であり、完了体は告知的・物語的と覚えるようにしよう。そうすれば体の用法で迷った時にどちらを選べばよいかが分かりやすい。会社や工場見学でロシア人がよく聞く「彼ら〔前のグループなど〕は来ましたか?」という文はОни посещал?と不完了体過去形を使う。これは事実の確認をしているということになる。前に説明したГосподин Иванов приезжал.(イワノフさんが来ていた)は Господин Иванов приехал и уехал.と同じことで、приехал и уехалは完了体過去形の順次的用法であり、これはアオリストの典型でもある。アオリストも現在とは無関係の過去の出来事を扱うから、不完了体過去形の事実の確認とどう区別すればよいかという疑問もわくだろう。不完了体過去形は事実の確認という事で、主語と動詞しかないことが多いし、具体的な過去を示す目印もないのが普通である。要するに動作があったかどうかが重要だという事であり、アオリストでは具体的な過去を示す目印(昨日とか、1850年とかの年号、1週間前など)がついて具体性を示すような文言がついてくるのが普通で、不完了体にはこの具体的な過去の印というのはつかないと覚えよう。
通訳する日本語の内容が瞬時に人の姿でイメージできるように訓練をしておけば、上記のうちいずれかの体を選べるようになれるはずである。ロシア語ならともかく、日本語を聞いてイメージするのはそれほど難しくはないはずである。少しはお役に立てただろうか?第10回の表や第21回の本文も若干手直ししたので興味ある方は見てほしい。今後も手を入れるつもりである。
もっともどちらの体を使ってもあまり意味もニュアンスも変わらないものも少しはある。また間違っても確率5割だから、運を天に任せてと言う考え方もできるが、それだと一生外国人のロシア語から抜け出せないし、ロシア人がロシア語を使うときのニュアンスの違いも分からないままで一生終わってしまう事になる。せっかくかなりのところまでロシア語をやってきたのなら、それほど難しくはない体の用法をマスターしないのはもったいない話であると思う。
設問)「僕は彼女の手を握った」をロシア語にせよ。

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2011年06月05日

●和文解釈入門 第31回

時事ロシア語の語彙は露和辞典や和露辞典に載っていないことがおおい。しかし、グローバル化、またテレビやインターネットのおかげで世界が狭くなり、どんな事柄かが写真や動画ですぐに見ることが出来るため語義も明確になりやすく、共通の考え方(英語中心と言えるかもしれないが)が広まっている現在、直訳できるものや、英語を崩したりすることで比較的簡単に訳が見つかる場合が多い。しかし、美しい、賢い、重要なというような基本単語は、その民族の文化的根幹に関わるゆえに、各民族の間で内容にぶれがあることがある。красивый, умный, важныйという形容詞は少なめの程度を示す副詞「ちょっと、ほんの少し、やや」немного, слегка, чуть-чуть, несколько, отчастиとはいっしょに使えない。日本語ではやや美しい(重要な、賢い)と使えるが、なぜロシア語では使えないのだろう。これは日本語のこれらの形容詞が美しいを例にとれば、容器のようなもので、否定を別にすれば中に10%から50%、100%まで容れることができるが、ロシア語のこれらの形容詞は、初めから容器の50%以上が満たされているからだとシノニムの辞典は説明している。だからнемного красивый (важный, умный)はロシア語としておかしいとされる。весьмаやоченьはочень красивый, весьма важныйと語結合することができるのはこれらをつけることによって容器の90%ぐらいを示すことになるからである。日本語のやや美しいを示すには、не очень (красивый)を使うか、他の形容詞милый, привлекательный, симпатичныйなどを使えということなのだろう。動詞でもраспоясаться(手がつけられなくなる)などもсовсем, вовсе, окончательно, совершенно, уж, очень, такとは自由に結びつくが、немногоとは一緒に使えないというのは上記と同じ理由によるからだろう。
この点プロも含めて学習者は常に初心に立ち返って、基本的語の語義を確認するようにしないと、その理解に致命的な誤りが生じる場合がないとも言えない。こういうのは露文解釈だけやっていては理解できないであろう。露文解釈では基本的に語結合を組み立てる必要はない。解釈しようとするロシア語はすでに(書いたものや音という形で)出来上がっているからである。私が大学ではロシア語を習ったときは、このようなことは教わった記憶がないが、日進月歩の世の中だし、それ以降30年以上も経っているのだから、ロシア語の専門の大学や語学校では常識として教えているのかもしれない。独学の方用に一応書いておく。
「(人が)やせている」のはどう訳すのだろう。ニュートラルなのはхудойでОн худой некрасивый мужчина.(彼はやせた醜男だ)ともОна худая красивая девушка.(彼女はやせた美しい娘だ)とも言えるからである。悪い意味で「やせている」は、тощие женщины(やせぎすの〔やせこけた〕女たち)でтощийにはзлой(意地悪な)というニュアンスが含まれている。この他にもマイナスのイメージがあるものにはисхудальная мать(やせ衰えた母)、костлявый старик(骨ばった老人)、сухой старик(ひからびた老人)などがある。тонкая брюнетка(やせた髪の黒い女性)というのは骨が細いというニュアンスがあり、тонкие пальцы (руки)(やせた指(手)という風にも使える。いい意味で「やせている」には、худощавый человек(スマートな、ほっそりした人)、поджарые загорелые ребята(引き締まった日に焼けた子供たち)でподжарыйは普通女性には使わない。こう言う類語の違いを間違って使うと非常に失礼な場合になることもある(外国人だから許されるという事もあるだろうけど)ということはお分かりだろう。
ではその反対の「(人が)太っている」にもいくつかシノニム(同義語を含む類義語)があり、толстыйはややマイナスイメージで、日本語の「太っている」に相当する。полныйは女性に対してよく使われ、イメージ的にはニュートラルであり、強いて訳せば日本語の「ふくよかな、太めの」に相当しполная дама(ふくよかな〔太め〕の御婦人)、пухлыйは赤ちゃんによく使う形容詞でпухлый младенец(丸々とした、ふっくらした赤ん坊)、тучныйはマイナスイメージで、メタボ、つまり「でぶった、でぶでぶの」тучный господин(メタボの(でぶった)お方)、жирныеはさらに進んで、「ぶくぶくした、ぶよぶよの」жирные руки(ブヨブヨの手)という感じである。
設問)「どうして砂浜に行かないのですか?」をロシア語にせよ。

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2011年06月07日

●和文解釈入門 第32回

このコーナーを定期的に閲覧している人が日本全国に何人もいるとは思えないが、その数人の人に対して、あるいは偶然見てくれた人でロシア語の関心のある人に一言申し上げたい。ひょっとしてその中には設問に対して100%正解であるという自信がなければ恥をかくのが嫌だから投稿しないという人もいるかもしれない。そうだとすればとても奇妙な考え方である。なにも本名での投稿をお願いしているわけではない。自信がなくとも気楽に投稿してもらえれば、自分の弱点が分かり、答えが間違ったものほど、また他の人の目に触れたものほど次は間違えなくなる。ようは正解を覚えてしまえばいいわけで、丸暗記より、理詰めの方が覚えやすいというだけである。投稿する際に第1回からさかのぼって読み通す必要もない。とりあえずまだ回答のないもの(最新の設問)からやって見た方が面白いと思う。投稿がだれかに先を越されても、どしどし投稿してほしい。正答は一つではないし、私の回答自体納得のいかない場合もあるかもしれない。回答の投稿を一つに制限しているわけではないし、第1回や第2回分についてだって自分なりの回答があるなら出してもらえれば、正しいかどうかチェックする。バンドルネームだって、自信があるときはAで、あやふやなときはBと使い分けてもらってもかまわない。他の人の使ったバンドルネームだけ避けてもらえればいいのである。
こう書いたのは、設問を出題するのも学習者のためというよりは、自分のためである。いろいろな回答が寄せられれば自分の回答を見つめ直すよい機会になるからである。それに人には変な事を教えられないから自分のロシア語の知識を整理して、典拠もはっきりさせてから書くことにしているので自分にとっても非常にいい勉強になっているし、自分のロシア語の勉強の励みになっているので、気がねなく投稿してほしい。別に人助けのためにやっているわけではないし、自分のロシア語がそういうレベルでもないことは理解している。出題はいきあたりばったりのように見えるかもしれないが、一応は第10回に書いた表に沿ってはいる。この表は未完成なので、今のところ頻繁に訂正しているし、設問の回答との関連付けも出題後書き加えるようにしている。表に沿っていないものは、一見簡単そうだが通訳するときに悩んだものや使えそうなものを書いている。その出題の順番がアトランダムなのは、当初から出題はある程度気が向いたもの、その時点で面白いと思ったもの、学習効果が出そうなものを優先している。またよく市販の参考書で、練習問題をその項目毎、例えば名詞の格変化(単数)、完了体(過去)など分けて説明したすぐ後に出題しているのを見るが、そうなると学習者はその範囲だけに回答のテーマを絞ることができる。これはいい面と悪い面があり、復習するにはいいのだろうが、実際の通訳、ガイドでは文法事項の何が出てくるのか分からないのがあたりまえである。それで私の出題も、実戦に合わせて行き当たりばったり方式にした。趣旨を御了解願う。
хотетьとхотетьсяはどう違うかと聞かれれば、хотетьсяの方がやや丁寧な感じがするとずっと思ってきた。シノニムの辞典で調べると、「彼は絵画を習いたかった」と言う文をОн хотел учиться живописи. とЕму хотелось учиться живописи.と訳した場合、хотетьの場合は現実的に絵を学びたいという希望に焦点があり、それを実現しようという意志も感じられる。一方хотетьсяは、そういう希望が感じられるが、だれの(何の)影響でそういう希望が出てきたのかが分からない。つまり本人の意志かどうかが分からないということである。できれば希望はひとりでに実現してくれたらいいなという感じであり、それゆえこの希望が現実的なものか、あるいはそれを実現するために続けて行こうという本人の意志があるとは思えないということになる。хотетьсяのほうには意味上の主語が主格ではなく与格で出てくるのも、主体性が感じられないという気がする。また意志がはっきり出ないということから、遠慮しているというニュアンスが出て、これが丁寧さにつながっているのだろうと考える。この系列の動詞работаться, спаться, думатьсяなども同様である。
ついでにхотетьсяの特殊な用法について知らない人も多いと思うので書いておく。それは方向の副詞(куда, к кому) と共に使われた時は必ずпо-という接頭辞のある運動の動詞を用いるという事である。つまりМне хочется пойти в кино.(映画に行きたいのです)となり、そうでないкакに対応する場合はМне хочется идти пешком.(歩いていきたいのです)のようにидтиになるということである。またхотетьсяは直接補語を取ることもできる。補語に行き先が来た場合、例えばЕму хотелось домой.(彼は家に帰りたかった)やМне хотелось на воздух.(外に出たかった)という場合はхотеться = хотеть попасть куда-либо(行きたい)であり、具象名詞が来れば、Ей хотелось конфетку (сладкого, пива, чаю с вареньем)〔彼女はチョコ菓子(甘いもの、ビール、ジャムのついた紅茶)が食べたかった〕では、хотеться = хотеть использовать объект, съесть или выпить(ものを利用したい、食べたい、ないしは飲みたい)となり、具象名詞は対格か部分生格となる。補語が抽象名詞なら生格を取り、Актёрам хотелось большей свободы.(役者たちはもっと自由が欲しかった)〔большейはоに力点〕とかМне хочется мира в семье.(家庭の平和が欲しい)というようにхотеться = хотеть приобрести или иметь объект(ものを得たい、ないしは持ちたい)という意味になる。無論Хочу домой.(家に帰りたい)というのも可能である。
設問)(目の前にある神社の説明で)「この神社の創建は400年前です」をロシア語にせよ。

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2011年06月08日

●和文解釈入門 第33回

いくら語彙を増やしても、基本的な体の用法や被動形過去短語尾の使い方が分からないと、いつまでも挨拶程度のロシア語のままであり、実用的な会話ができない。前回は工場案内や観光案内でもよく使われる被動形過去短語尾の結果の存続について出題した。これに関連して、被動形動詞過去の短語尾と完了体過去形の違いについて書いたものを見つけたので紹介しよう。РозентальはСпоравочник по русскому языку Практическая стилистика, ОНИКС, 2008(ロシア語参考書実用文体論)の中で、「私は指示を与えた」の二つの文Мною дано указание.とЯ дал указание.を挙げて、Я дал указание.に比べてМною дано указание.は文学や実務的発話で用いられ、断定を避け、より表現を和らげる形であると書いている。
またニュースなどでよく目にするМною был подписан указ.と過去形のбылを入れれば、動作が発話以前に終了したことを意味するだけで、実際はともかく、話者の意識の上では「たった今~した」という意味はなくなり、たんに「私が政令に署名した」ということになる。被動形過去短語尾については5月に出た「ユーラシア研究」第44号に「観光ロシア語」と題して観光でよく使われる表現を2ページほどのエッセーに書いたので、ご興味のある向きはご一読を。
「模様」には普通はузорを使うが、これは細い線、滑らかなラインの繰り返し、調和が取れており、表面全体に及ぶ、ロシア文化的なものを指す。узор на крыльях бабочки(蝶の翅の模様)、русские узоры(ロシア的模様)で、ガラスについた霜はморозный орнамент (узоры) на стекле(ガラスの霜模様)とорнаментも使える。орнаментは幾何学的、動植物のパターン化・繰り返し、くっきりとしたリズムのある、または各民族の文化による模様で、ロシア的な模様はузорである。греческий (египетский) орнамент(ギリシャ的(エジプト的)模様)、растительный (животный) орнамент(植物(動物)的模様)、лепной орнамент(塑像の模様)。常に複数形で使われるразводыは大きめの模様で、境目がはっきりしない模様で、черный с лиловыми разводами(紫の模様が入った黒の)などと使う。рисунокはузорの同義語で、рисунок концентрических кругов(同心円の模様)といい、他にгеометрические фигуры(幾何学模様)、唐草模様はарабескиといい、手の込んだ模様は口語でвычурыという。
果物はфруктыだが、これは木になる(低木性のキイチゴも含めて)もので、ягодаはイチゴ類であり(キイチゴなどの低木性や草本性のも含む)、厳密に言えば両者は意味が重なる。日本語の液果(漿果)は、ナッツ類と対応するもので、木本性や草本性を問わない。英語のberryにはイチゴ類という意味と液果という意味がある。イチゴ、バナナ、トマト、ブドウはみなberryである。ягодаには総称的な意味もあるが、通常はягодыと複数形で使い、イチゴなどの実が複数あることを示す。лестницаには「階段」と「梯子」という意味がある。ставить лестницу к стенке(梯子を壁に立てかける)やкласть лестницу на землю(梯子を地面に置く)、спускаться по леснице(階段を下りる)である。この頃テレビや動物園でも人気のヘビクイワシを訳すと一見орёл-змееядとなりそうだが、正しくは(птица-)секретарьであり、орёл-змееяд (= карачун) ハラジロワシである。これなど学名を調べれば分かる。
設問)「どうしてそれを知っているのですか?」をロシア語にせよ。

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●和文解釈入門 第34回

初めて書いたロシア語の参考書は「アネクドートに学ぶ実践ロシア語会話」であり、思いのほか売れたらしく、出版社では第2版を出すことにしたが、お客様からの要望という事で、力点を打つことになった。それまでは打っていなかったわけである。別に力点を打つぐらいは何でもないのでオーケーして、それ以後の参考書や会話集にも力点を入れているが、馬鹿げた話である。力点を入れて少しでも得をするのは読者ではなく、著者なのである。校正もいれたら4、5回原稿を読み直すことになるので、忘れかけた力点の復習になるからだ。ネットなどでも「アネクドートに学ぶ実践ロシア語会話」の初版に力点が打っていないのはとんでもないと書いた人がいたが、趣味でロシア語をやるならともかく、プロを目指すなら、力点ぐらい辞書を引いて自分でコツコツ入れて、単語のスペルと力点を覚えるようにしないと、せっかく語彙を覚えるチャンスを失うばかりだ。いかに楽に(効率的にと読み替えてほしい)勉強するかというのは決して悪いことではないが、語学をやる上で重要なのはいかに多く、深くかつ広範囲に語彙を覚えるかであり、そのために辞書を引くのが役立つはずである。特にやる必要もない著者だけが力点の復習をして何になるというのだろう?力点が打ってあれば、力点が何度も目に入り自動的に覚えられるというならそれでいいが、分かるまで何度も辞書を引いた方が覚える確率が高いと思うがどうだろう。上級を目指すなら露露辞典を引けるように勉強すべきだし、それならなおさら露和辞典を引く練習を積み重ねるべきである。語学に王道なしである。そうはいうものの力点付けに加担した身にとっては、世の中の流れに抗すべきもない。露文の振り仮名付けについては中級ぐらいの学習者から読みにくいという声も聞くが、力点を外せという声は聞こえてこない。それで一応ここで問題提起をしておく。
старый другとстарший другの違いは、前者は古くからの友人で、後者は年上の友人。твёрдый сплавをлёгкий сплав(軽合金)から判断して勝手に硬合金と訳すと笑われる。これは超硬合金と訳す。плоскостьは平面という意味ならпрямая на плоскости(平面上の直線)のように前置詞はнаを取るが、точка зрения, сфераという意味なら、вを取る。искать всё-таки в иных плоскостях(それでも別な考え方を探す)。ちなみに複数形では生格以降語尾に力点が来る。前置格ではя。
設問)「ここは滑りやすいから、転ばないように注意してください」をロシア語にせよ。

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2011年06月09日

●和訳解釈入門 第35回

ロシア語の勉強が挨拶程度で終わってしまって続かない大きな理由は、暗記の比重が高いことである。当初から名詞・形容詞・代名詞の格変化、動詞の活用と絶対に暗記しなければならないものが続き、文法も初級程度でやめてしまうから、プロになっているような人は暗記の能力が高いか、根気が続くか、はたまたロシア人のいる環境におかれて嫌でもやらざるを得ない状況に追い込まれて生き残った人たちである。そういう人たちは少数派だ。多くは脱落してしまう。話は飛ぶが、今子供の間で将棋がブームであり、中国でも日本の将棋が学校の成績(特に数学)がよくなると取り入れているところが出てきたという。一方ゲームセンターには若者の姿は見ずに年寄りばかりだという。これは簡単なように見えても奥が深いもの(チェスは指し手の変化が10の120乗だが、将棋は相手から取った駒が使えるので10の220乗になるという)に若い人でもあこがれる事を示していて、ゲームは飽きるのが早いのだろう。ロシア語も奥が深いが、上達への道筋はあるのである。それが文法であり、その面白さを少しでも紹介したいと思ってこのコーナーを立ち上げたわけである。だからロシア語を勉強する若い人も丸暗記ばかりではなく、文法の面白さを感じてもらえればロシア語学習者の数も少しは増えるのではと考えた次第である。
 大学の先生などは初級や中級の下ぐらいの参考書を書く人は多いが、中級の上や上級の下クラスの、実際の通訳やガイドなどプロが使えるものを書いた先生は、磯谷孝、城田俊、原求作、中沢敦夫の各先生方など数えるほどである。それも例文から判断して和文解釈ではなく露文解釈中心のようである。ロシア語の参考書を書いて金儲けをしようとする人は皆無だろうし、また売れないから出版社が参考書の出版について二の足を踏むというのも分かる。それならインターネットの時代だから、ブログやサイトで書いてくれればいいと思うのだが、多分日本の大学の先生と言うのは、教えること以外の雑務が非常に多いのだろうと思う。それで人を当てにしてはいけないと思い、恥ずかしながら自分でやって見ることにした。重要なのは書いたものに対する責任の所在だと思っているので、本名で書いている。さとうと平仮名にしているのは、佐藤好明で検索すると、海洋大学の元教授だとか、それ以外にも同姓同名однофамильцы и тёзкиが結構いることで、そういう人たちに迷惑をかけてはいけないと思い平仮名にしたわけである。佐藤は日本で一番多い姓なので、姓の役割を果たしていない。そういう事なのでご理解願いたい。間違いもあると思うが、納得のゆく説明が得られれば、お詫びして訂正するつもりであり、誤記や分かりにくいと後で分かったものは、その都度訂正している。
ロシア語のконцертにはコンサートという意味のほかに、バレー、演芸(つまり落語、漫才、ショー)の公演という意味がある。Я зарабатываю концертами.と言えば必ずしも音楽家ばかりとは限らず、「私は舞台で稼ぐ」と訳しても文脈から正しいことだってありうる。資産も固定資産などはнедивижимое имуществоのようにимуществоが普通だが、海外資産はавуарыで、個人資産はличное состояние, личные средтсваなどという。「疑う」という動詞も和露辞典ではсомневатьсяとподозреватьが挙げられているが、この二つはロシア語では同義語ではない。用法が違うのである。сомневатьсяは「自信がない」というのが根底にあり、Она сомневается, что ее знаний достаточно, чтобы говорить на русском языке.(ロシア語で話すには自分の知識が十分か彼女は自信がない〔疑わしい〕)ということであり、подозреватьは「有罪であると考える」ということで、Его подозревают, что он заказал убийцу.(彼が殺し屋を雇ったと疑われている)ということである。「計算」もвычисления(複数)が一般的で、その同義語はрасчётだが、数学的、技術的計算という意味合いである。выкладки(複数形)も同義語である。подсчёты(複数)は合計(総計)という意味である。
設問)「ある若者、後に死体で発見されるのだが、彼は殺人をしたことを1年半前に自白している」をロシア語にせよ。これは今までの出題の中では一番難しいと思う。

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●和文解釈入門 第36回

ロシア語をやって数年たってロシア人との意思疎通も問題なくなった頃、日常会話でちょっとした疑問が浮かんだ。毎日お客さんに言っている「おかけくださいСадитесь!」がどうして不完了体を使うのだろうということである。参考書では不完了体の命令法の用法で着手は不完了体を使うとあった。しかし動作は完了を意味している。これは体の用法の例外かとも思ったが、それでは例外だらけだ。このようにして場面場面に応じて、日本語やこれまで一通り習った文法と発想が違うなと思ったものは丸暗記するようにした。動詞の活用や名詞の格変化、慣用句や諺などそのまま丸暗記しなければならないのは分かるにせよ、迂遠な方法である。なんとか合理的に覚える近道はないかと考え、時に触れていろいろな文法に関する参考書を読み、自分でも考えてなんとか体の用法については自分にとってそれなりに結論が出たと思う。この40年間で半分くらいは丸暗記で覚えたが、残りは文法中心にしたので、少しは暗記の負担が減ったろうと思う。丸暗記が悪いわけではないが、それだけでは続かないだろうし、ロシア語のやる気を継続するためには、実用志向(ロシア人と実用的な会話が出来るようなという意味で)の教え方を工夫すべきと考え、それをたたき台としてこのコーナーで紹介しているわけである。
数量というのはколичествоだがчислоも使える。同じように使われる場合も多いのだが、違いは、前者ははっきりと数値に表しにくいものも来るということである。количество энергии (информации, знаний) エネルギー量(情報量、知識量)などで、一方後者はчисло оборотов(回転数)のように精確な数量といった意味合いが強い。ただчисло (количество) пассажиров(旅客数)などのように同じように使われる場合もある。количествоの方が数えられる数量という意味では(この意味では両者とも単数のみで使われる)使われる頻度がこの意味では多いようである。
設問)「紅茶のお代わりいたしましょうか?」をロシア語にせよ。

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●和文解釈入門 第37回

もしこの和文解釈入門がロシア語の初学者(年齢を問わず)が、ロシア人とロシア語を書いたり話したりしようという気持ちに少しでもなり、ロシア語の勉強を続けていこうという意欲が少しでも湧けば、このコーナーの目的は達せられたことになる。本来ならばNHKのテキストの和訳をロシア語にするという勉強をすれば一番ロシア語がうまくなるはずだが、それではテキストのロシア語と違った訳が出てきた場合(往々にしてそうだろうが)、無理やりテキストの答えを丸暗記となる。無論正しいのだが、勉強というのはなぜ違うのかというのが分からないと、丸暗記だけで続けるのは二十歳を過ぎた大人にはしんどいし、本来の勉強とは呼べない。和文露訳に回答が一つだけというのはあり得ないからである。また違った訳について解説をしてくれる人がそばにいなければやる気が続かないだろう。仮に親切なロシア人がいたとして、言語学の素人であれば、どうしてそれではだめなのか、文法的、あるいは類語の使い分けなど説明できるような人はいないだろうし、いたとしても、ロシア語に対する意見と知識を混同してしまわないかその危惧がある。仮にロシア語の言語学を修めた人だとしてその説明をロシア語で聞き取れる人は上級者であって、初級者には無理だ。これは日本語についての違いをロシア人に説明するという事を考えれば分かるだろう。
 この和文解釈入門もロシア語文法の専門家からみれば、随分トンチンカンだなと思う説明もあると思う。批判やコメントを寄せていただければ、前向きに対処するつもりだが、ただ目的とするところは、露文解釈における文法の説明ではなく、如何に会話で和文をロシア語にするとき、どの単語を選べばよいのか単語の選択の幅を提示する試みであるという事をご理解願いたい。体系的に書ければいいのだが、なにせ初めての試みなのでそうはなっていない。逆に読者のみなさまの回答が大いに勉強になっているし、励みにもなっている。
 「操縦」という意味の「運転」は車の場合вождение машиныだが、飛行機や宇宙船はуправление самолётомやуправление космическим кораблёмとなる。「機械の運転」だとэксплуатация, работаとなる。よい文章を見つけたので前回のコンサートを補足する。концертと言えば無論「コンサート」と訳すが、このロシア語の意味はこればかりではない。バレーの公演という意味もあるし、寄席などの公演もそうだ、例えば、Они просметрели шесть концертов Вольфа Григорьевича Мессинга.(彼らはメッシングの6つの公演を見た)という文もある。このメッシングというのはソ連で最初に有名になったテレパシー演者телепатで、最初の頃はソ連政府も反宗教運動に利用したが、大衆の間にメッシングの人気が高まると、彼以外のいわゆる霊能者に対しては公演を許さないようになった。これが変わったのは1980年大中ごろのゴルバチョフ以降で、カシュピローフスキーКашпировскийがテレビを通じてお茶の間の視聴者に催眠術をかけて大いに問題になった。
設問)「ご予定は?」をロシア語にせよ。

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2011年06月13日

●和文解釈入門 第38回

「あなた」という言葉は愛妻が御亭主を呼ぶ時以外は、何か女学校の女の先生が生徒に対して使っているような、外人の日本語のような感じがして個人的には大いに耳ざわりである。谷崎潤一郎の「文章読本」に「敬語の動詞や助動詞があるときは、それらを受ける主格は略したほうがよい、否、略すための敬語である」と述べ、これは「元来主格たるべき御方の御名を口にするのが勿体ないところから起こったとも思える」と書いている。だから主格、所有格、目的格の名詞、代名詞を省くのだと言う。だから「ご質問についてお答え申し上げます」というのが自然で、「私はあなたの質問に答える」というのは外人の日本語だが、受験英語ばかりやっていると外人のみならず、このような日本語を書く日本人もいるだろう。ここまで極端でなくとも、通訳していて我ながら変な日本語だなと思うこともしばしばあるから、自戒せねばと思うこのごろである。
日本語でごく簡単に書かれている事柄をロシア語にするのは案外難しい。動詞の体と類語の使い分けが出来ていないと、つまり基本が出来ていないと無理な話だ。それができれば時事ロシア語などは、インターネットがある現在、単語を探すのは似たような出来事の記事を探せばよいから楽だと言える。ある程度文法は学んだとはいえ、ロシア語をやり始めてから40年、今も勉強を続け、場合場合の表現をそれこそ何万通りも覚えてきたわけで、それでプロとしてやっているわけである。
こんな赤ちゃんが言葉を覚えるような迂遠なやり方ではなく、赤ちゃんのような柔軟で吸収力の強い脳を持っているなら別だが、成人になったぐらいから(あるいはそれ以降)ロシア語をマスターするにはもっと効率のいい方法があるはずだとずっと考えてきた。私は大学でロシア語を専攻した後、在学中から慣用句(これは理屈もほとんどないので覚えざるを得ない)とか諺を中心に10年ほど勉強した。かたわら小さなソ連中国貿易の専門商社に入ったので、仕事上船舶や鉄鋼、機械の専門用語も英語、日本語、ロシア語と覚えなくてはならなかった。卒業して5年ぐらい経ってから体の用法の重要性を認識し、参考書を読んできたが、仕事上ロシア語で困ることはないものの、ロシア人の使うロシア語と自分のでは随分違うなと感じてきた。ロシア人がこちらに合わせて分かりやすいロシア語で話してくれるのが分かるのである。一方ロシア人同士の会話は口語や俗語を使っていることもあり、こちらには分からない。それでアネクドート(小話)の勉強を始めた次第である。これはロシア人との宴会で通訳させられてオチがなかなか分からなかったからでもある。
当時ソ連ではアネクドートの出版など思いもよらないときで、日本にいるときに東京のナウカでニューヨークやテルアビブで出版されたものを売っていたのを買って使った。地下鉄の構内で半ば違法でアネクドートを売り出したのが80年代後半ぐらいだったと思う。こういうアネクドートの勉強を15年くらい続けたのだが、今振り返って見ると時間はかかったが非常に効果があったなと思う。口語辞典や俗語辞典がなかったので最初は手探りだったが、この10年前ぐらいからそういう辞書も手に入るようになったので意味もだいぶ分かるようになったからである。生きたロシア語を学ぶには非常によい教材だと思うし、今ならインターネットで簡単に、しかも大量に知ることができるからトライする価値はあると思う。
設問)「たった今彼と電話で話したばかりだ」をロシア語にせよ。

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2011年06月14日

●和文解釈入門 第39回

最近は投稿が増えてきたので出題のペースが上がってきており、非常に結構なことだと思う。やる気というのは出題者も投稿者も長くは続かないと思うからだ。できるときに集中的にやっておけばよいし、例文というのはまとめてできるだけ多く紹介してもらえれば、コピーしておいて、後で読者が時間のあるときに(仮に1年後でも5年後でも、10年後でも)、やればいいと思う。私は例文を小出しにするつもりはない。それなら設問も10ぐらいまとめて出せばいいじゃないかと思う人もいるかもしれないが、それでは投稿者も出題者(回答者)も設問に集中できないと思う。設問には一応出題のポイントがあり、それをばらばらのテーマで説明されても、読む方も出題する方も頭が混乱するばかりである。1回に一つなら区切りがついて覚えやすいだろう。百回は続けたいし、ネタは200回分はある。設問を作るのは投稿者が回答するよりは簡単である。早ければ2分ぐらいでできる。ただある程度の種類の回答を予測して解説を書かねばならないので、これに少し時間がかかる。しかしこれが私にとって自分のロシア語の知識を整理する上で非常によい勉強になっている。誰でも恥はかきたくない。特に出題者は。このコーナーの例文をロシア人が見ようと、ロシア語の専門家が見ようと間違いを書くわけにはいかないからだ。そうはいっても出題者の特典はある。自分の自信がないのは出さないという特典である。前にも書いたが、出題するよりは投稿(回答)するのが大変だと思うのはその点である。ただ、回答したり、質問したりするのは今がいいと思う。私も若くはないし、やる気がどこまで続くか分からないからだ。ロシアンぴろしきは不滅であっても、半年後、1年後にこの和文解釈入門というコーナーがあるという保証はない。
革命前はロシアの上流社会には動詞にも敬語にあたるものがあった。жаловать(下しおかれる)、изволить(かたじけなくも~される、もったいなくも~される〔命令形で使う〕)、очастливить(~してくださる)、почивать(お休みになる〔眠る〕)、сметь (Не смею и думать этого.〔滅相もございません〕)、соблаговодить(~なさる)、удостоить(なさる)、удостоиться(光栄に浴す)で、かろうじて残っているのはдать себе труда, желать, кушать/скушать, трудить/утрудить себяぐらいであろう。Кушайте!(お召し上がりください)は不完了体命令法の着手の用法で、この動詞は一人称では普通使わない。子供に対して使えばКушай(те)!「召し上がれ」といった感じで、使う人の愛想のよさが感じられる。
 скоростнойと言う形容詞は「高速の」という意味だが、少し変わっている。陸海空のエンジンのある乗り物に使うのだが、短語尾はないし、比較級はない、しかもоченьと一緒に使わないという制約がある。ксероксというのはコピー(機)の事で、ペルシャの王様クセルクセス大王Ксерксとはなんの関係ない(Кирはキュロス)。これは英語のゼロックスXeroxを、字面の通り発音したからだと言われている。ほかにコピーそのものをксерокопияというロシア人もいる。
設問)「車の運転が出来ますか?」をロシア語にせよ。

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2011年06月15日

●和文解釈入門 第40回

ロシア語の文を見て、正しいかどうかとか、ロシア語では普通はこうは言わないと述べるのは、ロシア語の会話がかなりできる日本人(ないしはロシア人)にとってはやさしいことである。しかし学習者が今後誤りをしないために、なぜそうは言わないのかという問いに答えられないのなら、いくらロシア語のうまい日本人であっても、学習者にとってはロシア語のインフォーマントに過ぎないことになる。無論初級の段階では名詞の格変化とか、動詞の活用など丸暗記しなければならないものもあるし、それに半年ぐらいかかるのは理解できる。ただその後も語彙や例文の丸暗記を続けて行くのかという事である。二十歳を過ぎた学習者でそういう事を続けられる人は限られるだろう。私のように仕事で技術ロシア語を覚えざるを得ない職場にいたというのは例外の部類だと思う。だから初級者は露露辞典を使えるレベル(私のいう中級レベル)にできるだけ早く達するように語彙を増やすことが先決である。露露辞典は国語辞典と同様、説明に使われている語彙は基本語彙である。そのため説明が隔靴掻痒になることもあるが、記載の例文なども露和辞典と組み合わせて使えば、ロシア語で考える力がつき、これが露文解釈の力をアップさせる原動力となる。通訳やガイドといってもロシア語で話しているばかりではない。ロシア語を聴き取る力も重要であり、聞き取りの練習のほかに語彙の豊富さが重要であるのは論をまたない。
ロシア語の出題をするときには設問には、できるだけ文法的な理詰めの回答が必要であると考えている。できるだけこれは例外だから(丸暗記せよ)というのを限りなく少なくしたいものである。完了体と不完了体の用法の区別にせよ、こうは言わないという答えでは学習者は納得しないし、またそこで納得したらロシア語の学習力も伸びないという事はおわかりだろう。
Я прошу (Мы просим)とЯ попрошу (Мы попросим)の違いを、後者は未来時制で使うので、日常会話では使わないと考える人がいるかもしれない。попроситьはПопросите, пожалуйста, г-жу Максимову.(マクシーモヴァさんをお願いします)と電話や受付で使うぐらいと思っている人もいるだろう。例文を挙げるとЯ прошу вас помочь мне подготовиться к экзаменам.(試験の準備をするので助けてください)とか、Я попрошу вас действовать строго по инструкции.(指示に厳密に従って行動するようお願いします)があるが、前者はお願いベースであり、後者は丁寧であっても命令である。日常でпопроситьをよく使うのは、警察官がПопрошу документы.(身分証を拝見)や駅員がПопрошу билеты.(切符を拝見)で、これらの場合はпоказать, предъявитьが省略されているとはいえ、お願いではなく、見せなかった場合は署や、駅の事務所に任意かどうかは別にして同行を求められるという意味で命令である。一方Прошу!は部屋などに案内される場合に使われるが、あくまでお願いベースであり、行かなくてもかまわない。предложитьも文脈で判断しなければならないことがある。Пассажирам предлагается покинуть самолёт.というのは「乗客に提案している」わけではない。「乗客に飛行機から離れるよう指示が出た」という意味で命令である。
設問)「間違っているかもしれないが、家畜の中で鶏より愚かなものはない」をロシア語にせよ。

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●和文解釈入門 第41回

ТРКИというロシア語の能力をロシア側がチェックしてくれる試験があると聞く。この試験は受けたこともないし、詳しくはないが、試験問題を見た感じで言うと、できるだけロシア人になりきって、ロシア語そのものをロシア人のように自然に使えると言う事を目指しているようだ。つまりロシア人の発想をロシア語を通じてものにせよというのが究極の目的ではないかと思う。ロシア語を学習する上で、こういう試験というのは非常に励みになるのだろうが、我々の母語は日本語であり、常にロシア語と日本語、ロシア文化(特に大衆文化)と日本文化の違いが何であるかというのが頭になければならない。ТРКИでは日本語の重要性がスポンと抜け落ちているような気がする。ロシア語の発想というと聞こえはいいが、通訳をしないで済む人、ロシア人との意思疎通だけに専念すればいい人はこれでいいだろう。細かい日本語の訳語の吟味は不要で、ある程度感覚だけでやりとりすればいいからだ。勉強の負担も半分くらい減る。
ただ、通訳やガイドを目指すためにロシア語を勉強するというのは、ある意味でロシアと日本の文化の違いを学ぶのだという事を忘れてはならない。つまり、ロシア語を勉強してロシア人になるのを目指している訳ではないからだ。ロシア語と日本語は文化の違いもあって、訳がぴったりと合わないことも多い。通訳やガイドはこの違いをできるだけ埋めるように努力し、両民族の架け橋になるのだという意識が重要である。たとえば、「正座する」をロシア語でопуститься на пяткиと訳しても、どういう文化的背景からこの言葉が来ているのまでは分からない。常に日露の言葉と文化、習慣の違いを頭に入れておく必要があるし、日本人だから日本の文化に精通しているわけではないので、ロシア人と接するのであれば日露の文化(特に大衆文化)、習慣について学ぶという不断の努力が必要である。
設問)「お宅のお子さんたち部屋中駆け回っていますよ」をロシア語にせよ。

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2011年06月17日

●和文解釈入門 第42回

形容詞の最上級で語幹に-ейший-, -айший-のつくものは最上級の強意であるという参考書の説明もあるが、これらの訳について、中級者でも誤解をしている向きがありそうなので書いておく。силиьнейший шахматист в миреは「世界最強のチェス選手」となり、これが本来の意味での最上級суперлативである。これ以上強い選手は世界にいないからだ。しかし、сильнейший ход、строжайший запрет、глупейшая историяはどうだろう。これは仮に名付けて強意最上級элатив (элятив)という非常に強いレベルだが、最高級ではないという意味である。だから、сильнейший ход = исключительно сильный ходということであり、訳はそれぞれ「強力な一手」、「厳格極まりない(甚だしく厳格な)禁止」、「おろか極まりない(甚だしく愚かな)出来事」となる。ちなみに日本語の「極まりない、きわめて、この上なく」は最上級のようだが、「甚だしい」であり、偶然だと思うが意味が似ている。もう一つは、これも仮に名付けて比較最上級компаративといい、他の何かと比較が考慮されている場合である。Он бывал и в худшем состоянии.(彼はもっと悪い気分のときもあった)。これらの二つの用法はどんな形容詞でも現れるわけではなく、上記の他に程度を示すвысокий, длинный, богатый, лёгкийなどの形容詞に見られる。見分け方は簡単で、богатейший человек мира(世界一の金持ち〔最上級〕)とбогатейший человек(甚だしいお金持ち〔強意最上級〕のように、真の最上級は世界のとか、日本のとか限定詞があることが分かる。口語では誇張の表現にこのような最上級が出やすい。これを訳すときに自動的に「世界一」、とか「一番~である」と安易に訳しては誤訳になる可能性もあるという事を知っておいてほしい。
ロシア語もある意味で厳密な言語で、最上級を用いるのは地球でとか、世界でとか、日本でとつけても、本当に世界一、日本一かどうかは調べるのが簡単ではない。記録はすぐ破られるからだ。それでодин (одна, одно) из + 最上級というような表現をよく見ることになる。この訳し方だが、одна из крупнейших городских сетейを「市内最大のチェーンの一つ」と訳しても悪くはないが、「市内最大級のチェーン」とした方がすっきりすると思う。みんながみんな「~級」と訳せるわけではないが、こういう訳もできるという参考に書いておく。この他に「市内有数のチェーン」とも訳せる。通訳の現場では訳は時間の制約もあって自動的にせざるを得ないが、閑な時に他の日本語では他に適訳はないのか、露和辞典の訳に拘束されず、露露辞典の定義から文脈に応じた自然な訳を考えてみるのも私など年寄りのボケ防止になるのではないかと考える今日この頃である。
設問)「一カ月にわたって委員会は事故の原因を調べた」をロシア語にせよ。

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2011年06月18日

●和文解釈入門 第43回

これまで銀閣寺は名ばかりで銀はなく、これは当時の幕府にとっては金がかかり過ぎるからとか、銀箔はすぐに空気中の硫黄と化合(硫化)して黒ずむというのを昔の人も知っていたはずだから、銀箔を貼るというのは初めから考えていなかったはずだとかという説を読んだことがある。ところがテレビでNHKを見ていたら、銀閣は黒漆に白土を塗り、その上にミョウバンквасцыを塗ってキラキラさせたいたのではないかという仮説に関する番組が放映されていた。このように定説というのは変わる可能性があるので、日本のできごとについては、新聞やテレビでよく注意を払っておく必要が通訳やガイド志望者には必要である。
 ロシア語の授業でロシア人のインフォーマントと日本人講師の組み合わせがベストだと思っている人がいるかもしれない。ロシア人に適切な例文を提供してもらう事を期待するわけだ。ただ講師がどういう例文を欲しているかについて互いの意思疎通が完璧に近くうまくいかないと、ロシア人を発音やイントネーションだけに使うというもったいないことになってしまう。100%意志疎通が出来る程度のロシア語の語学力を持つ人なら、敢えてロシア人のインフォーマントを使う必要はないのではないかという理屈も出てくる。意志疎通が95%でも、プロとして必要に迫られて会話の和文露訳をした事がない人は、あらゆるとまでは言わないまでも、多くの事例についてロシア語が出てこない。授業で使うべき会話で使える例文のストックが貧弱だからだ。ロシア留学も1~2年程度なら自分の言いたい事(用足し)をする程度である。通訳志望なら普通もう2~3年は通訳の修行する必要がある。まして人に教えるには類語の使い分けや体の用法など理論面で完全に理解していなければならず、会話面での切磋琢磨もまた必要となるからそう簡単ではない。
 それにいくらロシア人でも適切な例文というのがすぐ頭に浮かぶというとは思えない。そういう例文というのは結構探すのが難しいというのは骨身にしみついて知っている。いろいろな分野の本や雑誌などを読んでも、いい例文は1年や2年ではそんなに集まらない。有名作家の文は著者特有の文体が多く、実はありふれているようで、外国人が会話で役に立ちそうという文が一番見つけるのが難しい。日本同様ロシアでも文章にはできるだけ個性を出せということが作文でも言われているからで、逆に素人でもジャーナリストでも変に格言などをひねったりして気取った文章を書くことが多いので、それらはほぼ使えないのが現状である。いい例文というのはその語義の意味を適切に示すのはもちろん、標準用法で使えるぎりぎりの線まで示すことが出来る例文である。
アキレス腱は医学用語ではахилловое сухожилиеだが、強者の弱点という意味では、ахилессова пятаという。「行列」は並ぶものはочередьだが、祭礼などの移動する行列はшествие. процессия, ход (крестный ход 正教の十字架行進)という。また縦列はколоннаで、横列はшеренга, рядでその場を動かないものである。Я велел колонне остановиться, а сам скорым шагом, почти бегом , направился по середине улицы к шеренге солдат.(私は縦隊に止まれと命令して、自分が早足で、ほとんど駆けて、通りの中央の兵士の横隊に向かった)などという。шпалерыは道の両サイドの木立とか人の列を指す。ガイドはэкскурсовод は博物館や展示会ので、гидは観光案内のを指す。牙はклыки, бивни(ともに2本が普通なので複数形で使うのが多い)があるが、клыкはもともと犬歯と牙という二つの意味があり、猪、象、セイウチの牙を指す。бивеньは犬歯と門歯резецが前に発達した牙で、猪、象、セイウチ、マンモスのを指す。
設問)「仕事を時々家に持ち帰るんです」をロシア語にせよ。

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2011年06月19日

●和文解釈入門 第44回

「サクラが咲いている」ほどではないにしろ、ロシア語の作文で不完了体現在形の状態、繰り返し、習慣を使って作れるものというのは、初級者でも語彙さえ分かれば作れるのだから、あまり出題する意味はないように思う。それで少しでも実戦で使えるようなものをいろいろなバリエーションで出題するように心がけている次第である。
コントロールをконтрольと訳すのは、必ずしも適切でない場合もある。管理や点検という意味ならいいが、例えば「外国演奏家の入国管理」はконтроль над въездом в страну инстранных исполнителейとなるし、「品質管理」はконтроль качества (за качеством)となる。контрольというのは監視してのチェック(何か異常が起きないか管理・点検し、起きたら正常に戻す)、モニタリングмониторинг(状態のチェック)、ないしは同じ制御でも抑制という意味の制御なので、正否(順調かどうか)のチェックという意味ではпроверка(点検、チェック)に近い。ただпроверкаには監視して(つまり長期にわたって)という意味はない。だからпроверка контрольрых работは筆記試験の採点(添削)となり、これにконтрольは使えない。また操作を含む制御という意味ならуправление + 造格を使う必要がある。управление автомобилем(自動車の操縦)でも分かるようにуправлениеは意のままにするという意味のコントロールで、дистанционное управление(遠隔操作)、управление системойシステムのコントロール(制御)などである。ただこの頃は英語の影響かконтроль системыというのもビジネス(金融)用語では見る。この場合モニタリングという意味でのコントロールの意味合いが強いのだと理解している。
「犠牲にする」という意味ではжертвовать/пожертвовать + 造格とпоступиться/поступаться + 造格があるが、жертвоватьの方が大切なものを犠牲にするという意味合いが強い。Я всем пожертвовал ради тебя.(お前のためにすべてを俺は犠牲にしたのだ)などと使う。骨はкостьだが、傘の骨はзонт со сломанной спицей(骨が壊れた傘)のようにспицаを使う。
設問)「研究所は地下鉄で1時間のところにある」をロシア語にせよ。

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2011年06月21日

●和文解釈入門 第45回

 実際のプロになるには諺пословицы и поговоркиや故事成句(名言)крылатые словаもある程度押さえておいた方がよい。実際に通訳の現場で自分が使う諺は10もないと思うが、聞いて分かるのは多いに越したことはない。露和辞典にも解説はあるが、ロシア語の諺に相当するような日本語のことわざを付している例は少ない。ないのならよく使うものは自分なりに訳をつけておく必要がある。諺に関しては「諺で読み解くロシアの人と社会」(栗原成朗、ユーラシアブックレット、東洋書店)が手頃だが、標題の通り、外国由来の諺(健全な精神は健全なる身体に宿るВ здоровом теле - здоровый дух.など)は入っていない。通訳やガイドはロシア本来の諺しか使いませんというわけにはいかないのだから、個人的にはСловарь русских пословиц и поговорок(ロシア諺辞典), В. П. Жуков, Русский язык, 1991 を勧める。これは収録してある諺の項目が1200で、ロシア語の日常で使われる諺を収めたものでは一番詳しいと思う。一通り目を通し、「故事・俗信」ことわざ大辞典」(尚学図書編集、小学館、1982年、約43,000項目)を使って自分で訳語をつけ、自分の和露の語彙集(コーパス)に入れてある。故事成句(名言)についてはКрылатые слова(故事成句), Н.С. и М.Г. Ашукины, Художественная литература, 1987(1500項目)がよいと思う。これも自分なりの訳をつけてコーパスに入れてあるから、何かあれば取り出せる。
 ロシア人も日本人も同じ人間とは言え、ロシア語の諺の意味は分かるのに、対応する日本語の諺がない場合がいくつかあることに気がついた。露和辞典で和訳ではなく解説してあるというのも、全部が全部でないにしろ理由がうなづける。例えばЖенский ум лучше всяких дум.である。日本では「女の浅知恵」の類の諺はたくさんあるが、女性の賢さを誉める諺は見当たらない。これも御先祖さまの民族性の違いからだろう。
ロシアも日本も使う数字はアラビア数字だが、筆記体では少し違うものもある。7では縦の線に横棒が入るし、4では右側の横の線が縦の線から右に出ない。ロシア人に知り合いがいたら書いてもらうとよい。
助数詞はロシア語では日本語ほど使わないが、крыло(飛行機の機), машина(飛行機の機), сабля(騎), хвост(魚の尾), штука(個、匹), штык(兵)は本でもよく見る。例を挙げると、16 боевых крыльев(戦闘機16機)、с двумя эскадрильями (8 машин)〔二つの飛行大隊(8機)とともに〕、Были выдвинуты казачьи корпуса общей численностью в 14 400 штыков, 10 600 сабель, при 53 орудиях(総数兵14,400、10,600騎、砲53のコサック部隊が前進した)、Сколько счёом? Двадцать три хвоста(「何匹だ?」「23尾」)、500 штук собак(500匹の犬)などである。もっともこのごろの日本では何でも「~個」一本やりのようだから、日本語でも助数詞が廃れつつあるというっても過言ではないように思う。
設問)見舞いの言葉である「(早く)元気になってください」をロシア語にせよ。

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●和文解釈入門 第46回

ここでは完了体の未来形と書いているが、同じ内容を完了体の現在形とか完了体の現在未来形などと書く人もいる。Я не пойму.(理解できない)と書けば、このコーナーでは未来形の現在の用法だし、完了体の現在形というなら無論現在の用法である。現在未来形では現在の用法となる。一方、Я уеду в Москву через год.(私は1年後モスクワに行く)なら、未来形の未来の用法であり、現在形の未来の用法であり、現在未来形の未来の用法となる。用語の問題ということであって、学習者にとって本質は変わらない。
事故はнесчастный случайで、交通事故はДТП (дорожно-транспортное происшествие〔警察官などが現場で使う書き言葉〕)やавтодорожное происшествиеという。Погиб в ДТП.(交通事故死〔した〕)など。また多くの犠牲者を出した「大事故」はкрушениеとкатастрофаがあり、どちらも一応使えるが、前者は鉄道事故関係(脱線、衝突など)で使われるのが多く、後者はそういう制限はない。航空機や船舶の事故は後者が使われる可能性が多い。また名詞との語結合も違っている。крушение поездаと生格が後につくのと、катастрофа с поездомのようにс + 造格である。ただ形容詞で「鉄道の」というのはжелезнодорожная катастрофаとだけいい、крушениеにはつかない。крушение自体がほぼ鉄道事故(爆発や火災の事故には使わない)という意味で冗語になるのを防ぐ意味合いからかもしれない。
復習のためидти/пойтиの未来形の用法の違いをよく示した例文を見つけたので、紹介する。Я пойду в аптеку. До аптеки я буду идти 15 минут.(薬局まで行って来る。薬局までは歩いて15分だ)。このようにいきなりбуду идтиとは使えないことが分かる。
設問)「がんばれ、助けが来るぞ」をロシア語にせよ。

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2011年06月22日

●和文解釈入門 第47回

 これまで挙げた類語の使い分けはほとんどが思いつきで書いているようなもので、基本語はほとんどない。基本語をやろうとするとやはり片手間ではいかず、書くのにある程度スペースもいるからだ。ある程度頭の中でまとまったら、順次(つまり順番はバラバラ)に紹介する。
「地名」はгеографическое название だが、географическое имяともいう。ただ後者はいかにも学術用語のようで硬い感じがする。「題名」や「タイトル(表題)」はназвание, заглавие, заголовокが類義語だが、用法は少し違う。название, заглавиеは本などの文学作品(音楽作品についてはあまり使わない)のタイトル(表題)という意味だが、названиеに書名(作品の内容に関係のない書名でもよい)だが、заглавиеは作品名(作品の内容を簡潔に表した)という意味もあるが、「各章の題名」という意味でも使える。だからУ сценария ещё нет названия.(この脚本には題名がない)という文章ではзаглавиеは普通使えない。заголовокは新聞の記事、写真のキャプション、スローガンのようなタイトルや題名に使い、文学作品の書名という意味には用いない。
設問)「感電する確率を下げるためのさまざまな防護措置が取られていない」をロシア語にせよ。

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2011年06月23日

●和文解釈入門 第48回

このような和文解釈入門を書くと言うのは、自分の体の用法についての知識を整理することにもなるし、投稿者の皆さんから回答をもらうと、いろいろな考え方があるなと自分にとっても非常に参考になる。こういう投稿者からの反応や回答というのは参考書では学べないもので自分にとって新たな(しかもタダの)勉強の手段だと思っている。Учиться, учиться, ещё раз учиться!(一に勉強、二に勉強、三四がなくて五に勉強)というのはレーニンが言ったか、好んだ文句とされる。レーニンは好きではないが、この文句は好きだ。意識的に間違ったことを書くつもりはないが、もし間違いがあってそれを理詰めに指摘していただければ、誤りを認めるのに吝かではないし、また一つ賢くなれるというものだ。
「新聞の第一面に」はна первой странице газетыでも, на первой полосе газетыでもどちらでもいいが、полосаには新聞のстолбец(段組の欄)という意味もあるので注意が必要である。「皮膚にできた腫れ」というのはволдырьでだいたい間に合う。пузырьというのは水ぶくれだけを指す。子供のおもちゃのコマはволчок, юла, кубарьとあるが、現代で使うのはволчокである。
設問)「前年同期比2%の伸びが見られる」をロシア語にせよ。

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2011年06月24日

●和文解釈入門 第49回

完了体は新規の事柄を示すために、その動詞本来の意味のほかにいろいろなニュアンスがつきやすい。不完了体はといえば、刺身のつまのようではあるが、動詞本来の意味がちらついている。ここのところが体の使い分けの勘どころだと思っている。
肉厚は英語のwall thicknessで、パイプの管壁の厚みтолщина стенкиであり、鉄鋼用語としては常識のためか鉄鋼関係の辞書にも出ていないことがある。маркаという単語は昔鉄鋼関係の仕事ではмарка стали(鋼種、ただ技術者はグレードsteel gradeと英語を使っていたが)というので覚えた。この単語は切手という意味のほかに、сорт, типという意味がある。しかし、使い方にはコツ(骨)がある。車種というのはвиды автомобилейで、これは乗用車、トラックなど用途別を指すが、марки автомобилейといえばトヨタ、ホンダなどメーカー名を指し、その中にさらに車名модели автомобилейがあるといった具合である。日本語の「車のグレード」はスタンダード、デラックス、ハイデラックス、カスタムの別のことであり、ロシア語ではклассであろう。
設問)「日本製の液晶テレビのどこが違うのか?」をロシア語にせよ。

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2011年06月25日

●和文解釈入門 第50回

最近読んだ本の中にあった言葉を紹介しよう。「ロシア語での読み書き、それに話すことですら、あらゆるロシア人(の言うこと)をすっかり理解するというのとはわけが違う」Читать, писать и даже говорить по-русски – совсем не то, что вполне понимать всякого русского.
中心といえばцентрと思うかもしれないが、物理学で使う用語は別にして、他にもсерединаという言葉があり、この方がよく使う。参考のために両者の使い分けを書いておく。центрは一次元の物体(ひもやロープ)には使えない。二次元でも人工的な道路や橋などしか使えず、川など自然のものには使えない。しかもこの場合の中心は道路であれば幅方向(専門用語では横手方向、つまり長方形なら短い長さのほうの)の中心ということであり、серединаは人工的なものでも自然なものにでも使う事が出来、幅方向ないしは長さ方向(専門用語では長手方向)の中ほどという意味である。三次元のものでは、中空のものやガス状のものの立体的中心はцентрであり、中味の詰まったものの中心はсерединаである。さらに中空のもの(部屋など)の場合は床の中ほどと言う意味になる。центрは地理的中心など重要なものの中心と言う意味であって、центр Москвы(モスクワの中心)などと使うし、середина は重要でないようなもの、стоять в середине очереди(行列の中ほどに並ぶ)などと使う。両方とも海や湖などの水域には使えないので、その時はв центральной (средней) части Охотского моря(オホーツク海の中ほどに)などとする。центрには空間的な意味のほかに、センター(建物)という意味もある。抽象的な意味ではсредоточиеを使い、средоточие русского образования(ロシアの教育の中心)などとする。
設問)「すてんと滑って転んでしまったの」をロシア語にせよ。

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2011年06月27日

●和文解釈入門 第51回

ロシア語を習い出して、まず「新ロシア語文典」(И. М. Пулькина, Е.Б.Захава-Некрасова、稲垣兼一、初瀬和彦共訳、吾妻書房、1972年)をやった。ただ自発的な勉強としては、外国人に理解不能な慣用句をまずやろうと思い、「生きたロシア語慣用句」(河島みどり、吾妻書房、1972年)を暗記した。この後慣用句辞典Фразеологический словарь русского языка, Молотков, Русский язык, 1986 や英露慣用句辞典Кунин, Русский язык, 1982を読破した。この後語結合の辞典や諺、故事成句の勉強に進む。商社勤めしてから仕事の関係上技術ロシア語(造船、鉄鋼、機械)をやらざるを得なくなった。また接待で頻出する小話が分からないので、その種の本を集め、読みだす。その関係からворы в законеに興味を持ちだし、ロシアの犯罪に興味が広がる。同時に小話を聞いたり、テレビなどを見て、ロシア史をやらねばと思い、Соловьев, Ключевскийの全集を読みだす。出張で行ったハバロフスクで暇になったので、市内のベリョースカという外貨店でドクトル・ジバゴを買い、これに感激してロシア文学もやらなければと思い、主要な作家は全部読破することを決意して、これまで700冊は読破した。この頃はロシアと日本の関わりというテーマでも読んでいるし、革命前のロシアを扱った本を読むのが好きである。最近読んだРечи немых (повседневная жизнь русского крестьянства в XX веке, Бердинских, Ломаносов, 2011は20世紀の初めに生まれた農民の聞き書きであり、そのメロディーにあふれたロシア語は新聞や雑誌の変に気取った文体とは全く違うもので驚くほど新鮮に感じられる。ロシアでは革命のために庶民文化の断絶があり、このようなロシア語はよほど田舎に出張したときでないと聞くことはない。内容も革命直後から集団化、第2次世界大戦などでロシアの農民がなめた辛酸を平明に淡々とあるいはユーモラスに語っているのが特徴であり、一読を勧める。
GOSTの鋼種記号についても何かの役に立つかもしれないので書いておく。鋼сталь (steel)というのは鉄と炭素の合金であり炭素の含有量が2%以下で、鉄以外に炭素のみ含むものを炭素鋼(普通鋼)углеродистая стальといい、それ以外を合金鋼(特殊鋼)легированная стальという。炭素の含有量が2%以上であれば、鋳鉄чугунないし鋳物である。鋼種記号の最初の2桁の数字は炭素含有率0.01%であり、その後含有元素を示す記号が来る。さらにその後含有平均値(又は近似値)を%で表す数字が来る。文字の後に数字がない場合その元素が多く含まれていることを示す。キルド鋼はсп (= спокойная сталь、脱酸を十分したもので鋼塊中に空隙(孔)がほとんどない)で、リムド鋼はкп (= кипящиая сталь)、セミキルド鋼はпс (= полуспокойная сталь) となる。記号と元素記号の関係を次に示す。Г (Mn), С (Si), Х (Cr), Н (Ni), М (Mo), Т (Ti), Б (Nb), Л (Be), Д (Cu), П (P), К (Co), В (W), Ф (V), Ю (Al), Р (B)。鋼種Ст3спというのは炭素鋼углеродистаястальでспокойная стальキルド鋼(脱酸の十分したものkilled steel)であることを示し、45X1は炭素0.45%のクロム鋼(クロム含有量0.01%)、15ГСは炭素0.15%ケイ素マンガン鋼(マンガンの含有量が多い)となる。
設問)「偏った食生活が結局のところさまざまな疾患の原因となる」をロシア語にせよ。

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2011年06月28日

●和文解釈入門 第52回

投稿のスピードを競っても意味はない。ただ匿名とはいえ投稿するのにもある程度勇気はいるわけで、投稿するつもりはないが回答と解説だけがほしいと思う人も何人か(つまり投稿者の2~3倍くらいは)いると思う。また今は時間的に余裕がないが、できたときにロシア語勉強したいと思う人もいるだろう。和文露訳に終わりはないというものの、ある程度パターン化はできるはずである。一応100回か多くて200回を目標にできるだけ早くその文例を提示せれば私の役割は終わりかなと思っている。そういう面で常連の投稿者のasukaさんやコーシュカさんには感謝の気持ちでいっぱいである。こういう人たちがいないとこのコーナーは成り立たない。一人相撲をしても意味はないからである。常連の人ばかりの回答となると、この二人ばかりにプレッシャーがかかって、義務的なものになると二人にお気の毒な気もする。それでたまに他の方も投稿してくれるような、そんな気楽な雰囲気になってもらえれば100回、200回も夢ではないというような気がする。このコーナーを通じて一人でも少しは和文露訳で役に立った、自分の考えをロシア人に伝えることができたと感じることができるならこれに過ぎる喜びはない。
 慣用句はфразеологизмで、故事成句(名言)はкрылатые словаという。諺にはпоговоркаとпословицаがあるが、пословицаが諺全体であるのに対し、поговоркаは諺の中の一部を切り取ったようなものであることが多く、教訓的な意味合いはない。日本語の例でいえば、「成せば成る、成さねば成らぬ何事も、成らぬは人の成さぬなりけり」という諺全体の「成せば成る」という部分だけを切り取ったものという風に理解している。故事成句と諺の違いは前者には典拠があり、後者にはないということである。原付は原動機付自転車の略だが、ロシア語では50 ccのバイクмопедと、電動自転車мотовелосипедに分けているようだ。スクーターはмотороллер, скутерの二つの言い方がある。中古車はподержанная машинаだが、б/у машина = машина в бывшем употрбеленииともいう。発音はベーウーマシーナで、б.у. машина, машина Б/Уという表記も見かける。
設問)「私がお宅に伺ったほうがいいでしょう。そこで落ち着いて万事話し合いましょう」をロシア語にせよ。

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2011年06月29日

●和文解釈入門 第53回

ロシア語を話すことと書くことは別であり、ロシア語を書くと言っても学習者はメール、それもせいぜいペンパルへのメールやビジネスメールなどを書けるようになることを望むぐらいである。ロシア語が話せればロシア語を書けると思うのであれば、日本語を話せれば日本語がまともに書けるのかということを頭に思い描けば十分であり、数ある日本語のサイトを見れば十分納得されるはずである。無駄に長文の和文露訳の勉強をするよりも、とりあえず会話で使えるロシア語の短文が使えるような勉強をすれば、自然なロシア語でロシア人とメールのやり取りができるようになるのである。ロシア語の短文が書けなくて長文は書けないが、その逆はあり得ない。これがこの和文解釈入門を始めた趣旨でもある。もっとも長文だとチェックが出題者にとっても厄介だし、投稿者以外でも読み比べるのが大変だということもある。
 シノニムсинонимというのは同義語という意味のほかに類義語という意味もある。それでголод(飢餓)とаппетит(食欲)がシノニムという我々素人から見れば変だなと思えるものもある。確かにともに「食べたい」という点が共通しているが、これだけで類義語と呼べるのか、いや呼べるということらしい。同義語というのは文意を変えずに置き換えることが出来る語ということであろう。普通は文体が異なるとか、部分的に意味は重なるという語の事を指すのだろう。だからこの和文解釈入門では重要な類義語の使い分けという時の類義語(類語)は、семантически близкие словаを用いている。квазисинонимという言葉を使う人もいる。
設問「問題は未解決のままである」をロシア語にせよ。

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2011年06月30日

●和文解釈入門 第54回

里見弴の「文章の話」を読んでいたら、「やさしいことはむずかしい」、「やさしいことのむずかしさを知ることはむずかしい」と書いてあった。ロシア語もその通りでこのコーナーの設問も一見やさしそうで、ロシア語にはなかなかできないものもある。それでいてできるだけ会話で応用できるものを出しているつもりだ。
 罠はловушкаだが、これは総称語ではあるが、一応鳥や獣を対象とする。一方самоловというのは自動的にかかる罠だが、主に魚に使う。капканはトラバサミのようなものを指す。一方「罠にかかった」というときにはловушка, капканも使えるが、Он попал в провокацию агента КГБ.(彼はKGBのエージェントの罠にかかった)というようにпровокацияも使える。これを「挑発(扇動)に乗った」と訳すと文脈によっては誤訳になる場合がある。
設問)「彼女は朝起きると、湯を沸かし、顔を洗って、朝食を作る」をロシア語にせよ。

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2011年07月01日

●和文解釈入門 第55回

物事の核心に触れたがる人は知識欲汪盛だが、物事を白黒だけで判断しようとする、つまり結論を追うのに忙しく、物事には灰色のゾーンというものが概して多いのだということを忘れがちである。でもこういうタイプはロシア語に関しても講師を質問攻めにするが、そういう質問に懇切丁寧に答えるいい講師に巡り合えれば伸びる。問題意識を持つとのいうのはそう簡単なことではないからだ。ここでいう問題意識は社会的なということではなく、もっと単純に、物事に対しどんな疑問でもそのままにしておかないという気持ちの持ちようである。
完了体と不完了体と形が同じ動詞двувидовые глаголыがいくつかあるが、私のコレクションでは今のところ380ほどある。-оватьや-евать型の動詞が多いが、多くは書き言葉で使われるものである。比較的使われるものは、拙著「アネクドートに学ぶロシア語文法」136ページに書いておいた。間違えてはいけないのは、これらは完了体と不完了体の形が同じというだけで、用法は別々である。和文解釈では体の用法をあまり考えなくても使えると喜ぶ人もいるかもしれないが、使う文脈によりどちらの体かは分かるのである。こういう動詞でも-сяがつけば不完了体だけで使われるという動詞も多い。例えばиспользоватьもそうで、использоватьсяは不完了体しかない。つまり受け身の意味で使われる時はこういう形の-ся動詞は不完了体となると考えてもよい。この他に逆に完了体しかない動詞、不完了体しかない動詞と言うのもある。それぞれ同書の117ページと111ページに書いておいた。
設問)「失敗と間違いはだれにでもありうる」をロシア語にせよ。

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2011年07月02日

●和文解釈入門 第56回

副動詞は露文解釈においては形動詞とともに絶対覚えておかなければならないものである。また作り方が比較的簡単であるので、会話でも使ってみたいと思う人も多いだろう。副動詞は先だって完了した動作を表すのが基本だが、文脈によって原因、状件、付帯的状況、譲歩などの意味になるため、特に会話では意味が取りにくいということもあり、相手の事を考えると(たどたどしいロシア語の会話にいきなり副動詞が入って来ては相手のロシア人もびっくりするだろう)、また副動詞自体が書き言葉なので、会話では自分から使用するのは控えるべきだと思う。
技術用語で防水など防~という用語がいくつかある。これは-защищённыйや –непроницаемыйをつければだいたいなんとかなる。「防水カメラ」はводонепроницаемый фотоаппартであり、「生活防水の時計」はбрызгонепроницаемые часыで、「防湿防塵ライト」влагопылезащищённый светильник、「防爆仕様の電話」はвзрывобезопасный телефонный аппарат、「火花放電防止仕様工具」はискробезопасный инстурментである。「気密の」という意味での「空気を通さない層」はвоздухонепроницаемый слойであり、「気密ヘルメット」はгерметический шлемという。ただ同じ気密でもвоздухонепроницамыйは布地などによく使われるので注意が必要。防水性водонепроницаемостьというのは水の流入や浸透を防ぐ性質ということだが、その反対の漏水防止はどういうかというと、гидроизоляцияという。例えば、Вода бесполезно уходит в землю, потому что каналы часто прокладывают без гидроизоляции.(水路はよく漏水防止をせずに敷設されるので水は無駄に地中に逃げて行く)などと使う。
「戦前の東京」という意味ではдовоенная Токиоとпредвоенная Токиоと両方使えるが、後者が戦争直前の東京というニュアンスがある。「計測する」は三次元(高さ、長さ、幅)や温度、圧力などにはизмерить/измерятьが広く使われる。смерить/смерятьはこの口語体で、замерить/замерятьは技術関係の専門用語である。промерить/промерятьは深さや厚さを計るときに使われる。
設問)「お電話がありましたが、お名前はおっしゃいませんでした」をロシア語にせよ。

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2011年07月04日

●和文解釈入門 第57回

 この和文解釈入門は自分のためにやっているのだということを何度か申し上げたが、思いもよらぬ回答をいただくとやってよかったと心から思う。前々回の設問で毎朝という反復・習慣の意味で副動詞を使った回答が寄せられたが、これなどは自分の発想にはないものである。そういう回答を寄せてくれた投稿者に感謝するとともに、これを正解としていいものだろうかという疑問が、完了体副動詞の性格を考えたときに回答の当初からわいてきた。そのときは頭の中でЗакончив работу, он отдыхает.というような文が浮かんだから一応よしとしたのである。これは「仕事を終えて〔今〕彼は休んでいる」という意味で、反復ではないことが明らかだが、副動詞が副詞化していたら反復・習慣でも使えるかもしれないと感じたからである。完了体副動詞は不完了体動詞とも共に使われるが、状態の動詞сидеть, лежать, стоятьや発話や感情の動詞と一緒の場合が多い。Он сидит (сидел, будет сидеть), нахмурившись.(彼はむっつりとした顔をして座っている(座っていた、座る)では、むっつりとした顔になった顔のままで座っているのであって、繰り返しむっつりしたりしているわけではない。またСтарик долго ходил задумавшись.(老人は考え込んで長いこと歩きまわっていた)では、部屋の中か外かは知らないが、老人は考え込んだまま行ったり来たりしていたわけで、考え込むのを何回か中断したというわけではないはずだ。不完了体と完了体副動詞が使われる時は、その不完了体はсидеть развалясь(手足を伸ばしてゆったりと座る), говорить насупясь(無愛想な顔をして話す), читать пригорюнясь(悲嘆にくれて読む)などとその完了体副動詞が副詞化されたものに近い(近いのであって完全に副詞化されたという意味ではない)。しかし副詞化した不完了体副動詞由来の副詞句にはничтоже сумнясь (сумняшеся)(いささかの疑いもなく)、невзирая на лица(だれかれなしに、相手の地位に関わらず)、лёжа(横になったままで)、стоя(立ったままで)、сидя(座ったままで)やнесолоно хлебавши(当てが外れて)などで、完了体副動詞由来のものはзасучив рукава(せっせと)、спустя рукава(いい加減に)、сложа руки сидеть(手をこまねいて)などがあるが、вставを副詞と考えるのは無理だと思うし、百歩譲って副詞であったとしても反復の意味はないだろう。副動詞はその動詞の基本的な語義(体の用法も含めて)をなくしてはいないのだと思う。文法的に副動詞が反復・習慣で使えるかどうかは文法学者が判断することだし、仮に副動詞が反復・繰り返しと使われる例が見つかったとしても、私のレベルで重要なのは自分が完了体副動詞を反復・繰り返しの意味に使うか否かであり、その答えは否である。完了体が副動詞とはいえ反復・繰り返しと結びつくのは無理があると思う。一応こういう理由なので回答者の皆様やこのコーナーをご覧の皆様にお詫びして訂正する。
装飾や飾りという意味にではукрашение интерьера(インテリアの装飾)というようにукрашениеが一般的で、建築関係ではдекорを使う。декорацияというのは舞台装置という意味で、うわべの飾りという意味もある。語形が似た言葉でизморосьは霧雨で、изморозьは樹氷である。
設問)「何をお召し上がりになりますか?」
「おまかせします」をロシア語にせよ。

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2011年07月07日

●和文解釈入門 第58回

体の用法で完了体過去形の順次性という用法を繰り返し紹介してきたが、言葉は生き物であり、次々と動作が行われているものがすべて完了体過去形だけで繰り返されるというわけではない。動作が次々と完了(終了)していく場合はそうだが、一つの動作がすぐ完了して、次の動作は時間がかかるという場合もある。そういう場合は完了体過去形の後に、不完了体(現在形ないしは過去形)が来るわけである。例えば、Посмотри, - сказал вдруг Аркадий, - сухой клёновый (кленовый) лист оторвался и падает на землю; его движения совершенно сходны с полётом бабочки.(〔ご覧、乾いた楓の一枚の葉が取れて地面に落ちてゆこうとしている。その動きは蝶の舞そのものだ〕と、突然アルカーヂーは言った)。これはトゥルゲーネフの「父と子Отцы и дети」にある文(1862年)で、すぐ後で飾り過ぎたロシア語だとバザーロフが反論しているものの一部分である。ただ美しいロシア語には違いないし、他にこれ以上いいと思われる会話文も例として浮かばないので紹介することにした。この他に不完了体が先に来て、完了体が来るという用法もある。いずれにせよ不完了体は瞬間ではなくある程度時間がかかる動作や状態に用いられるという事を頭に入れておくとよい。
設問)「クリームケーキでもいかがですか?」をロシア語にせよ。

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●和文解釈入門 第59回

同時通訳というのはアポロの月着陸で有名になったが、宇宙飛行士が実際に業務で話すロシア語というのはどんなものなのだろう?例えば、宇宙飛行士の業務上の会話にはЗапитай ПСМ в ПГО АЗСом на ППС-10.(モジュールの計器貨物室のアラーム盤に電力を供給しろ。そのためには電力供給システムの10番パネルの自動トリップをオンにしろ)とか、Есть ГСО-3, ТК в ЛСК.(姿勢制御システム用意のサインがあれば、放射座標系の貨物宇宙船の姿勢制御維持を意味する)とか、略語が続出する。元宇宙飛行士のバトゥーリンЮрий Батуринの「ロシア宇宙飛行士の日常生活」Повседневная жизнь российских космонавтов, Молодая гвардия, 2011によれば、宇宙飛行士候補生は数年をかけて膨大な量の宇宙関係略式ロシア語を覚えるざるを得ないという。この略語は3文字以内で、正確な業務を遂行するためにはこういう専門用語の略語の知識が不可欠だと述べている。面白いのはロシア人のジャーナリストがしばしば宇宙飛行士を取材するのだが、いくら普通のロシア語を話そうと宇宙飛行士が努めても、正確に状況を伝えようとすればするほど、このような略語ロシア語がかなり頻繁に顔を出すのは避けられない。略語が数百という程度のレベルではないのでまず理解不能であり、インタビュー記事が実際に宇宙飛行士が話した通りなのかは保証の限りではないと書いている。ロシア人同士でこうなのだから、宇宙での作業を通訳するのは、同時通訳も含めて、よほど前もって作業内容を知らされていないとまず不可能だというような気がしてきた。
 国際宇宙ステーション内ではアメリカ人宇宙飛行士はロシア人宇宙飛行士に対してロシア語で質問し、ロシア人側は英語で答えるという。これは米露親善ということではなくて、相手の外国語で質問し、答えを相手の外国語ですれば構文が簡単明確になるからということであるとバトゥーリンは書いている。
設問)「仕事場まで近いんです。車でたった20分くらいです」をロシア語にせよ。

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2011年07月08日

●和文解釈入門 第60回

メーカーや商社の人で貿易関係の人は英語がうまい。そのため技術用語のロシア語も英語由来だと勝手に考える人がいるのは大いに困る。最新式のものは英語から入ったものもあるから、英語が分かればロシア語も類推できるものもなくはないが、ロシア語の技術関係の基本用語は英語とは無縁のものが多い。ポンプはнасосといい、помпаは一般的ではない。応力(ものを破壊しようとするとそれに対してこわれまいと抵抗して働く力)はнапряжениеといい、これはロシア語では電圧も意味する。英語ではstressであり、ロシア語のстрессは文字通りストレスという意味になる。
和文露訳という観点からロシア語の学習を考えると、分野毎の基本的な日本語の語彙を徹底的にロシア語に換える練習をするべきだ。例えば、「水」について、日本語の水とロシア語のвода について意味と差異について、露和辞典でもよいが、できれば語結合辞典などを活用して派生する形容詞、名詞(水素なども)も含めて徹底的に覚える。その過程でロシア語の自己研鑽(自修)の方法を学び、なんとか露露辞典を使えるまでに持ってゆくというのが最終的な目標となる。同時に、一通り文法を覚えたら、日本人には分かりにくい運動の動詞や体の用法をマスターする。これが理解できていないで、自分でロシア文を作ろうとすると、日本語のテニヲハや敬語を無視したいわゆる外国人の日本語のようになってしまう。
設問〔女店員が買い物客に、「次の方、どうぞ」〕をロシア語にせよ。

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2011年07月09日

●和文解釈入門 第61回

私の亡き父は戦争中千島列島の飛行場で鐘馗(陸軍二式単座戦闘機、迎撃機)の整備兵をしており、航空隊に配給された固形日本酒(寒天に原酒をしみこませたものらしい)を食べた話などしてくれたことがある。日本酒は16~18度ぐらいで、世界で一番強い醸造酒と言われているが、2年ほど前に24度という日本酒の原酒を飲んだ。醸造酒でもこのぐらいにはなるという事らしいので、父が食べた寒天もこういうものだったのかもしれない。父は戦後捕虜としてソ連軍の収容所に入れられ、バイカル湖の護岸工事などをした。皮肉なことに戦争中は戦死者が1名だった父の部隊の2/3は収容所で飢えと寒さのために死んだという。2年ぐらいで病気になって無事帰国できたのは元来健康なたちでもあり本当に運が良かったからである。私が初めてモスクワ駐在になったときもモスクワ見物を勧めたが頑として首を縦には振らなかった。死んでも行くものかという気持らしかった。それでも収容所の外で作業をしていた時などロシアのおばさんがたから食料を分けてもらい、おかげで生き延びたとよく話してくれた。そのおばさん(たいていは戦争未亡人だった)がたの婿に来ないかという話もあり、うんといっていたら今の私はなかったことになる。私は函館で生まれたが、父は函館から汽車で1時間ぐらいの木古内の人で、姓は岩手山といい、11番目の子だった。二代前は南部藩の足軽の家だったらしい。父は北海道生まれでセンチのことをサンチといい、ストーブをストーフと言っていた。何となくロシア語のように聞こえるのに最近気がついた。
設問)「仕事の前に体操をします」をロシア語にせよ。

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2011年07月11日

●和文解釈入門 第62回

ロシア語を聞いて分かるというのは大切だが、そればかりやっても意味はない。例えばリスニングは1年で千時間もやれば十分であろう。ただこれは特に根拠はない。英語のリスニング1,000時間マラソン(アルク社)をモスクワ駐在のときにやってみて、うたい文句通りに全て聞きとれるのようにはならなかったが、それでも聞く英語に対するコンプレックスはなくなったのでロシア語もそうだろうといういい加減な理由である。ロシア語を、それも毎回毎回必死に聞き取ろうとするのは疲れるだけだ。無理に聞き取ろうとはせずに、BGMを流す要領で通勤通学の合間に聞くようにする。ここでのコツは何度も言うが、意識しないでただロシア語の音を聞いていればいいのである。1年経てば無意識でも何となく30%ぐらいは単語を聞きとれるようになると思う。これはスペルが推測できるだろうという事で、意味は別に覚えなければならないのは言うまでもない。前後関係で類推できる単語というのはそれほど多くはないし、それに頼ろうとするのは不確実だ。つまり意識を集中すれば、その確率は高まるわけで、通訳するときはそれこそ全身これ耳という感じだから、練習のときに張り切り過ぎても実戦ではあまり効果はないと思う。それ以降は露文読解に力を入れる。リスニングで単語のスペルをほぼ聞きとれるような人は、そういう訓練を必要としない高いレベルの人であり、語彙を増やすためなら本や雑誌を読むことを勧める。その方が語彙習得で効率的だと思う。耳で聞くものより活字の方が辞書でスペルをチェックできるから頭に残りやすいと言える。またインターネットのサイトは玉石混交なので個人的には勧めない。本や雑誌なら編集者がロシア語のチェックを一通りしているはずなのでそれほど変なロシア語はないと思うからだ。
設問)「車は動きかけたが、彼は車を止めた」をロシア語にせよ。

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2011年07月12日

●和文解釈入門 第63回

ロシア人とロシア語の会話をしているように見せかけたいのなら、ロシア人に立て続けに質問し続けることである。これならボロは出ない。相手の言う事を聴きながら当意即妙の相槌を入れられればそれは本当にロシア語が出来るということになる。つまりシンポジウムの通訳は事前に用意してあるなら原稿の棒読みであるから楽なようだが、いくら事前にお願いしても、たまに原稿と違う事や順番を変えて言う講師がいる。そうなると原稿を見ないで通訳した方がはるかにましということになる。だから技術通訳で難しいのはシンポジウムそのものというよりは、その後の質疑応答の通訳である。慣れない通訳は質問を紙に書いてもらって、回答は後日などとお茶をごまかそうとするが、質疑応答の時間が限られていればともかく、主催者が気を利かして十分時間を取っていたら悲劇的展開となる。
設問)〔「禁煙は難しくない。私自身20回くらいやめたよ」とマーク・トウェインは語った〕をロシア語にせよ。

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2011年07月13日

●和文解釈入門 第64回

江戸時代の日本では銀の方が金より高く評価された。それが江戸時代を通じて大量の金が海外へ流出した大きな原因である。これは日本人の渋好みと関係があるのかもしれない。我々は日光や金閣寺よりも桂離宮や銀閣のほうを好むのと関係がありはしまいか。
地下水もロシア語では二つある。広義の意味の地下水はподземные водыで、これはпочвенные воды(土壌水), грунтовые воды(表層地下水), межпластовые напорные воды (артезианские воды深層地下水)に分かれる。狭義の地下水は表層地下水のことである。また地下水の水位はгоризонт грунтовых водという。
「作る」でラブレンチェフの和露辞典に出ていないものを挙げる。составить предложение, список, таблицу(文を、リストを、表を作る)で、сделать предложениеは「見積もり(オファー)を作る」となる。
「構造」というのはстроение, построение, структураを使い、строениеはстроение мозга(脳の構造)のように、生物学的、物理学的なものに使うが、построениеはпостроение характера(性格の構造、構成)など数学、言語や芸術の分野で使う。структураはструктура металла(金属の構造)など、科学、経済、社会的組織(機関)の構造として使われる。
設問)「いつでも連絡の取れるようにしておいてください」をロシア語にせよ。

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2011年07月14日

●和文解釈入門 第65回

まえに防水について書いたが、書き忘れたこともあるので補足する。непромокаемыйも「防水の」という意味で使い、непромокаемые куртки(防水ジャケット)などというが、от влагиということで、влагаはводаと必ずしも同じではない。влагаは水気、水分と訳し、イメージ的にはものの表面にうっすらとつく水という感じで、プールや水たまりの水の塊という意味ではないし、水蒸気の湿気という意味でもない。непромокаемыйはこれが侵入するのを防ぐという意味で、防水ジャケットというのもゴム引きпрорезиненные курткиとか、ナイロン製капроновые (нейлоновые) курткиなどを意味するし、непромокаемые часыというのは革命前の新聞広告にも出てくるが、完全防水(潜水しても大丈夫)というのではなく、生活防水(雨に濡れても大丈夫)という程度である。
「指示」はуказаниеだが、「助言、教示、指摘」と意味が広い。一方распоряжениеは会社などで上司の指示(命令)という意味でよく使い、предписаниеは公的な指示か、医者からの指示(処方)である。спасательは救助隊員(救助船という意味もある)、つまりプロである。一方спасительは「命の恩人」であり、大文字にすれば救世主(キリスト)である。
設問)「彼は朝一番に新聞に目を通し、その後朝ごはんを食べていた」をロシア語にせよ。

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2011年07月15日

●和文解釈入門 第66回

рабочийとработникの違いをよく理解していない人もいるかもしれないので書いておく。рабочийというのはнаёмный работникであって、「雇いの労働者」であり、работникはработник почты(郵便局の職員)というように、どこかの企業、役所に常勤として勤めている人である。だからработник умственного труда(知的職業の人)とかработник физического труда(肉体労働の職業の人)という分け方もできる。一方рабочийには肉体労働者というイメージもあり、рабочие и служащие(肉体労働者と事務職の人)というような表現もある。このслужащийはслужба(事務系の仕事、軍務)から来た言葉である。他に、служительといって、学校の用務員、動物園の飼育員などを指す言葉もある。
設問)「意味不明のところをもう一度読み上げるようにして下さいとのことです」をロシア語にせよ。

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2011年07月16日

●和文解釈入門 第67回

通訳やガイド関係の数少ない入門書、参考書とか講座内容を見ると、医学や観光の語彙に特化したものや、通訳やガイドの心構えや、もっと具体的なメモのとり方とか、ガイドの立ち位置とかを親切に教えてくれるようなものが多い。それはそれで結構な話で役に立つことは間違いないが、その前提は一般のロシア人の言う事はすべて分かるし、普通の日本人の言う事はすべてロシア語にできるという人が相手ということのようである。ロシア語にはガイド(通訳案内士)試験というのがあり、国家資格試験でもあるので、これがロシア語上達の目安になると思われるが、自分の経験から言って、この試験に合格したからと言って、またプロの通訳を5年や10年くらい漫然とやったとしても、露文解釈は別にしてこういう前提をクリアできるレベルに立てるとは到底思えない。ガイド試験に受かったというレベルは日本語で言いたいことは一応言えるし、ロシアに行っても日常生活では特に不自由はないし、仕事上でロシア語を使うにも特に問題はないが、それでも自分の話すロシア語とロシア人の話すロシア語とは随分違うということがはっきりと分かるレベルであると思う。どう違うかというと、自分の話すロシア語がまだまだ外国人のロシア語だなと感じるレベルということになる。外国人のロシア語で悪いことはないが、ロシア人の話す何か一番肝心なニュアンスを理解しそこねているのではという不安が、常につきまとっているような感じを受ける。普通のロシア人の話すロシア語と何が違うのかというと、個人的な意見だが、体の用法、語結合、類語の使い分け、それとロシアの庶民文化の理解である。これは単に語彙を増やせば克服できるという問題ではない。きちんと意識して自分なりに勉強する必要がある。体の用法については1970年代半ば以降磯谷孝先生や原求作先生の参考書なども出回って来ているから勉強の手立てはそれなりにある。だから通訳やガイドを目指す人にはできるだけ早く体の用法や類語の使い分けの重要性について理解してもらった方がよいという意味で、このコーナーを立ち上げた理由の一つでもある。少しでも役に立ってもらえることを願っている。
設問)「私たちは同じ建物に住んでいたが、階は違っていた」をロシア語にせよ。

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2011年07月17日

●和文解釈入門 第68回

черезとсквозьの違いは、Ради тебя я готов переплыть через океан, пройти сквозь огонь и джунгли.(お前のためなら大海原を泳ぎ渡り、火もジャングルも超えていく覚悟だ)という文でも分かるように、сквозьの方が意味は強い。海は泳ぎ渡れるかもしれないが、火の中は無理だろう。ただ海と言っても大洋だし、火といっても火くぐりや火渡りなどはテレビでも見るから、説得力がないかもしれないなとは思う。ロシア語難語辞典Словарь трудностей русского языка, Розеньталь/Теленкова, Русский язык, 1981の解説によればсквозьとчерезは空間、環境を越えて通過する、浸透する、見えるという意味ではシノニムだが、сквозьにはより多くの努力をするという付加的なニュアンスがつくことがあると書いてあるので念のため。
鉄鋼用語で真円度(パイプの端面がいかに円に近いか)というのがあるが、これはロシア語ではкруглостьではなく、овальность(直訳すれば楕円の程度)である。発想の違いであろう。日本語でも技術用語というのはこれが同じ日本語かと思うほどに違う。鋼の非金属介在物というのは鉄鋼用語ではありふれたものだが、一般人にはまずわからないだろう。介在物というのは異物(混入物)であり、普通のロシア語ならпримесьだが、専門用語では鋼の非金属介在物はнеметаллические включения сталиとなる。また、同じ「差」でもразностьは引き算の差であり、разницаは性質などの差である。公差という日本語を知らない日本人もいるかもしれないが、技術用語では一般的なものである。これは許容誤差のことで、ロシア語ではдопуск, допустимое отклонениеといい、допустимое отклонение по диаметру(径の公差)などと使う。ちなみに技術用語では直径とは言わず径という。端も普通はкрайだが、技術用語ではкромкаを使い、торецは端面である。菌株というのはштаммだが、日本人の専門家は「きんかぶ」と言っていた。これは菌種と紛らわしいからだろう。私立を「わたくしりつ」、市立を「いちりつ」と言ったり、バケガク(化学)の方じゃないカガク(科学)の方だと言ったりというようなものだ。
設問)「この世界的に有名な場所の名称を記した道路標識がまったくないことにびっくりしないでくださいよ」をロシア語にせよ。

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2011年07月18日

●和文解釈入門 第69回

体の用法がある程度分かってくると、会話だけでなく露文解釈のときもニュアンスが細かく伝わってくるような気がしてくる。自分が覚えた体の用法と違うと、ロシア人のくせにまともなロシア語も書けないのかというような不遜な事を考えたり、ひょっとして知らない用法かとか、わざと体の用法を変えることによって無礼な感じを文体で出しているのではとか、一見ありきたりのどうでもよいようなロシア語の文章が推理小説のように面白くなってゆくかもしれない。もっともサイトやブログを見る限り日本人だってまともな日本語を書ける人はそれほど多いとは思えないから、一般のロシア人だってそれほど意識してロシア語を使いこなしていないような気もするが。
茶というのは簡単な単語だが、日本語に訳す時に、日本にいるのなら、ロシア人観光客にはзелёный чайとし、逆にчайを日本語にするときには紅茶と訳すべきだ。効率というのは技術用語ではкпд (коэффициент полезного действия)といい、略語のままカーペーデーと発音する。アコーディオン(手風琴)のаккордеонは鍵盤式で、гармоника, гармонь というのはボタン式と鍵盤式の総称である。その中でボタン式のものはバンドネオンという。革命前にはоднорядка, тальянка, ливенкаと言うのが流行った。баянは全く独自の鍵盤配列を持った民族楽器である。ハーモニカはгубная гармоника, губная гармошкаというのはご存じの通り。
ласкаをイタチと訳している辞書もあるが、学名で見ると違う。イイズナといって日本の食肉獣で最小の種とされ、日本でも東北や北海道に棲む。昔信州に飯綱使いというのがいて管狐を操ったというが、この管狐はイイズナに関係あるのかもしれない。ただ公式には管狐はオコジョ(エゾイタチ)горностайの別名ということになっている。オコジョの冬毛は白く換毛し、ロシア皇帝、貴族のガウンの裏地に用いられ権力の象徴でもあった。英語では冬毛のオコジョをermineアーミンといい、白テンと訳すのは誤りである。ニホンイタチはイイズナより一回り大きい。だからласкаをイタチと訳すと、ロシア人にとっては小さいという印象があるが、日本人にはそのような印象は特にない。
設問)「佐藤は他の電話に出ております。どちらさまでしょうか?」をロシア語にせよ。

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2011年07月19日

●和文解釈入門 第70回

19世紀のモスクワのクレムリンの前にオホートヌィリャートОхотный рядという市場があった。中でも名前の通り肉の市場が大きかった。当時冷蔵庫もなく、不潔であり、ドブネズミも多かった。その辺の猫なんか逆に食い殺されかねず、困っていたが、ある人がネズミ捕り用のフォックステリアをプレゼントした。これが働きものであっという間にネズミは駆除されたという。カザフスタンのアルマトゥイに駐在していた頃カザフスタン東部の都市アクチュービンスクの近くのクロム鉱山に出張することがよくあった。1996年の冬でカザフの経済もあまり芳しくなく、ホテルも鉱山経営のが一つあるきりで、客も少なかった。あるときカザフ人の部下と一緒にホテルの食堂で昼食を食べていた。客は他にはロシア人女性の技師が二人。当時は観光客が来るようなところではなかった。私の座っているところから料理が出てくる廊下が見える。廊下には黒っぽい影が見え、猫がいるのかなと思い、料理を食べていたら、部下が肘でつっつく。「佐藤さん、佐藤さん、ドブネズミкрысаがいる」と小声で言う。とその瞬間、天地を引き裂くような、魂消るような悲鳴のあとに、なんとそのロシア人の女性の一人はテーブルの上に飛び乗って、もう一人はイスの上でフォークとナイフを振りまわしているではないか。そこをドタドタと一見猫ぐらいの大きさに見えたドブネズミが駆けていった。とんだくの一だ。人間というのは必死になると神業みたいな真似ができるなと感心した次第。鼠がいなくなったのでそのまま食事は続けた。宿泊代も食事代も工場持ちなので強くも言えず、別段腹も痛くならなかったからそのまま交渉を続けてアルマトゥイに戻った。
歪みも訳しにくい言葉で、空間の歪みはкривизнаで、変形という意味ならдеформация、経済の歪みならперекосыとなる。幕といっても芝居の第一幕の幕は、действиеでпьеса в 4-х действиях(4幕物の戯曲)などと言うが、バレーやオペラではактを使う。
設問)「野菜を袋に入れてください」をロシア語にせよ。

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2011年07月20日

●和文解釈入門 第71回

в связиの力点はиにあると書いたが、「~に関連して」というような理由を説明する場合はそうだが、Залог успеха в тесной связи прмышленности и сельского хохяйства.(成功の証は工業と農業の密接なつながりにある)というような「結合」という意味ではяに力点が来る。
技術関係からロシア語を始めると、用語はともかくとして構文は不完了体の現在形で済む場合が多いので、完了体の使用が多い生の会話とのギャップに悩むことになる。一方文学から入ると、ロシア語の多様な構文を勉強することにより露文解釈は上達するが、日本語をロシア語にするという発想や経験がないために和文解釈は一向に上達しない。こういう人にとってロシア語は所与のもの(ロシア文学のロシア語はある意味構文的語彙的に間違いのない絶対的なもの)だからである。しかし19世紀のロシア文学を現代の会話に活かそうとすると、古めかしい表現とそうでないものを峻別する別の知識が必要になることは言うまでもない。また回りからもあれだけ露文が読めるのだから、会話もできて当たり前と見られてしまうというジレンマもある。いずれにせよ自分の不得手の分野を克服するように勉強をするように頭を切り替えないとロシア語はそれ以上上達しない。このコーナーの第10回の表は、ある程度どの部分が自分の弱点なのかを知るための道しるべとして作って見た。参考にされたい。
設問)「灯りをつけたまま寝た」をロシア語にせよ。

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2011年07月21日

●和文解釈入門 第72回

谷崎潤一郎の「文章読本」(中公文庫、1975年)を読んでいたら、「文法的に正確なのが、必ずしも名文ではない。だから文法に囚われるな」という文が目に入った。ははあ、これを金科玉条としてロシア語の翻訳家の卵などが文法軽視をする大元かと思ったが、よく読むと、「日本語には明確な文法がありませんから、従ってそれを習得するのが甚だ困難なわけであります」とある。この本の初版は1934年であり、本書の中には谷崎自身の英訳もあって、「英文法における歴史的現在 Historical present」なる文章もあるから、よほど英語の文法には詳しかったのだろうと思う。日本語に明確な文法があるかないかは別にして、文法とは日本語の文法を指しているのであって、英語(外国語)ではないという事が分かる。本書には同義語を数多く知ることの重要さにも触れており、一読に値する。「数を数えるのに「一つ」「二つ」と言わないで、「一個」「二個」という風な言い方をするのも、田舎の人に限っているように思われます」と書いてあるが、今の日本語を聞いたら谷崎は何と言うだろう。
本書の中で職人の言葉に学べというところがあり、「うちのり」という言葉が出ていた。多分若い人はこう言う日本語を知らないだろう。これは内法と書き、造船関係でもたまに使うが、ロシア語にすればразмер отверстия в свету(穴の内法寸法)などといって、容器などの厚みを含まない寸法である。厚みを含むのは外法(そとのり)という。英語でもin the clearはロシア語в свету同様「うちのりで」という意味である。この他に取り合いというのがあって、部材связь(英語ならmember)の組み合わせや接続の仕方をいうが、100%の自信はないがпривязкаが使えるような気がする。
P.S. プーシュキンの詩Евгений Онегинの中に、
Как уст румяных без улыбки, 笑わぬ深紅の唇に似て、
Без грамматической ошибки  文法の誤りのなき
Я русской речи не люблю.   ロシア語は好かぬ。
 私は詩はレールモントフの方が好きだ。
設問)「次から次へと質問が浴びせかけられる」をロシア語にせよ。

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2011年07月22日

●和文解釈入門 第73回

セルゲーイ・マクシーモフСергей Максимовはロシアの旅行家で民俗学者でもあった。1860年にシベリアを旅し、1861年に函館(当時の箱館)にも10日ほど立ち寄っている。日本に赴く旅の途上ボルガ川で船に乗るのだが、От компании «Самолёт» отходил пароход «Телеграф».(船会社サマリョートから蒸気船「テレグラフ」が出航した)という文が目に入った。当時電信は発明されていたから、船名のテレグラフはともかく、船会社の名前がСамолётというのには驚いた。1860年には飛行機は発明されていない。どこからこの船会社は名前を取ったのだろう?考えられるのは、空飛ぶ絨毯ковёр-самолётである。このぐらい早いと言いたかったのだろう。
設問)「降りますか?」
「いえ、次の次で降ります」という会話をロシア語にせよ。

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2011年07月23日

●和文解釈入門 第74回

技術通訳の実際というのをご存じない方も多いと思うので簡単に書いておく。双方の出席者紹介の後に、訪問者側の会社説明があり、その後受入側のメーカーのプレゼンがあるのが普通で、このときに会社概要、ビデオ、製品紹介がある。無論面談の趣旨が何かによってその順番が変わるのが普通である。この資料(カタログなど)を事前に通訳がもらえる場合もあるし、もらえない場合もある。もらえない場合が多い。だからこういう通訳を臨機応変にできるかどうかで通訳の力量が試されるわけで、広く浅くの勉強が必要とされるわけである。その後、工場の設備や機器による生産の流れが、図を使って紹介され、工場見学となる。この後は質疑応答や技術交渉となる場合が多い。途中昼食や休憩が入るので、雑談の通訳もこなさないとならないことになる。
技術用語でпроверкаとповеркаの違いが分からない人も多いと思うので書いておく。проверкаというのは検査、点検など広く使われるが、поверкаは計測器で測る検査を指すのが普通である。
設問)「昨日はどこにも行かなかったわ」をロシア語にせよ。

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2011年07月24日

●和文解釈入門 第75回

2008年11月6日付読売新聞朝刊によるとサイコロの目の出る確率は目の数や配置などから重心が乱れ、偏った出方をするとの入曾精密の斉藤清和社長の話である。同社は人工衛星の部品やレーシングカーのエンジンの製作をしている。斉藤社長の話では2の目が最も出にくいとのことで、同社は世界一フェアなチタン製のサイコロ(1辺12㍉)を作って売り出しているというのはそういうことがあるからであるという。
司会者と言っても、テレビ、ラジオ、コンサート、会議、大衆芸能のはведущийだが、サーカス、大衆芸能、コンサートなどで面白おかしく司会をする人はконферансьеという。加工もобработка(加工業обрабатывающая промышленность、「もの作り」の露訳をこれに充てるロシア人の日本研究家японистもいる)ですべてよさそうなものだが、мясоперерабатывающая компания(食肉加工会社)というのもある。加工はобработкаが一般的で広い意味を持つが、переработкаはобработка сырья в полуфабрикат, готовую продукциюということで、原料を半製品ないしは製品に加工することである。他に石油精製とか消化(胃腸などのでのほかに、比喩的な意味でも使う)という意味がある。逆にпочтовый ящикは「(郵便)ポスト、郵便受け、新聞受け、私書箱」の3つ(郵便受けも新聞受けも普通は区別しない)の意味がある。しかも日本語のポストには郵便受の意味もあるからややこしい。
設問)「彼はやってきて、面白い話をし始めたものだ」をロシア語にせよ。

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2011年07月25日

●和文解釈入門 第76回

トロイの発見で有名なシュリーマンは外国語を15マスターしたといわれている。その勉強法は、非常に多く音読すること、決して翻訳しないこと、毎日一時間をあてること、常に興味ある対象について作文を書くこと、これを教師の指導によって訂正すること、前日直されたものを暗記して、つぎの時間に暗誦することだと述べている。この中で「常に興味ある対象について作文を書くこと、これを教師の指導によって訂正すること」が一番会話の上達に効果がありそうだし、ロシア語を教える大学や学校でも生徒にこういうやり方をしたら非常に効率的な勉強法だと思うが、それに対応できる先生は少ないだろうし、手間もかかるし、多人数の生徒には対応しきれまい。せいぜいのところロシア語にした作文をロシア人に直してもらうぐらいだろう。それだとできた作文のロシア語がなぜだめなのかということを、元の日本語とのニュアンスとの違いも含めて日本語で事細かく文法も含めて説明できず、いわゆる正解だけがあって、間違いもこうはロシア語では言わないという一点張りのような気がする。問題なのは答えのロシア文がいわゆる正解に近いかというよりは(それも重要であはあるが)、原文の日本語をどのくらい文法的に正しく、また語結合や、類語の使い分けも勘案し、文化的な違いなどの説明も含めてロシア語に反映させているかどうかということであり、これは日本語とロシア語両方に双方の文化も含めて精通していないとできないはずだ。独立したロシア語の文としては正しくとも、肝心の日本語の原文から見れば露訳が間違っているという事は大いにありうる。無論作文の内容は生徒が本当に興味を持っている事柄であり、気まぐれな問いにつきあうという事ではない。
設問)会議の後で「そのままお待ちください」のカッコの中をロシア語にせよ。

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2011年07月26日

●和文解釈入門 第77回

正確な名称は知らないが「強意代行動詞」と呼んでもよさそうなのがロシア語にはある。意味は「激しく~やる」(つまり「激しく~する」の俗語)という意味をもつ。вломитьは「思いっきり殴る、ズバズバ言う、ジャンジャン飲む」という意味である。дутьは「突っ走る、ジャンジャン飲む」という意味で、жаритьは「突っ走る、じゃんじゃん飲む、〔外国語などを〕ペラペラしゃべる、ジャンジャン演奏する」, задуватьは「ジャンジャン演奏する」、закатать/закатыватьはぶん殴るという意味で使う。лупитьは「どつく、じゃんじゃん撃つ、バカスカ食べる、ジャンジャン降る、ぼる」という意味がある。нажариватьは「ジャンジャン演奏する」という意味で、наяриватьは「ジャンジャン演奏する、バカスカ食う、ペラペラしゃべる、激しくセックスする」という意味がある。отхватывать, отжариватьは「ジャンジャン踊る」という意味であり、поглощатьは「がつがつ食べる、ぐいぐい飲む、むさぼり読む」という意味があり、садить(何度も激しくする)、хватитьは「一気に(ぐいと)飲む、思いっきり殴る、いきなり歌う、いきなり踊りだす、走り出す」という意味であり、чесатьは「突っ走る、〔外国語などを〕ペラペラしゃべる、車で突っ走る、バカスカ殴る、ジャンジャン歌う・演奏する」という意味であり、шпаритьは(他に「ジャンジャン飲む、ジャンジャン演奏する、ペラペラしゃべる)がある。
設問)「探していたものをついに見つけた」をロシア語にせよ。

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2011年07月27日

●和文解釈入門 第78回

映画やテレビ、ビデオの聞きとりの勉強というのは毎日3時間ぐらい1年ぐらいは必要だと個人的には思うが、それ以上は語彙を覚えるという点では効率が悪いと考える。この聞き取りの勉強というのは何度も言うが、BGM感覚で通勤通学で聞き流すという意味で、真剣に3時間も聞きとれという事ではない。第一そんなことを毎日はできはしまい。重要なことは音に慣れるということである。効率が悪いというのはスペルがほとんど完全には聞き取れないからだ。だからといって新聞やネットのニュースと言えば時事ロシア語ばかりで、これも語彙的には偏ってしまう。やはり小説やエッセー、歴史などいろいろな分野の本を読むに如くはないと思う。私は必要に迫られない限りほとんどロシアの新聞を読んだことがない。同じ覚えるなら美しいロシア語の方がいいし、面白そうな話題となると本の方がまとまっていて文章も洗練されているのが多いように思うからだ。ニュースもモスクワやアルマトゥイ(カザフスタン)に駐在していたときは、これも給料の内と思い見ていたが、聞きとりというなら会社でロシア人と話をするので特に必要はなかった。聞き取りの練習は今も仕事で通訳やガイドでロシア人と話すくらいだ。ロシア語でのメールのやり取りもウラジオの日本研究家とロシアの知り合いとごくたまにするくらいである。だから語彙を増やすのはもっぱら本に頼るという事になる。今ロシア語で読んでいるのは、20世紀の農民の聞き書き、19世紀の旅(ロシアの悪路)、第一次世界大戦中のロシアの市民生活といったものである。この中から会話で使えそうな表現をせっせとエクセルの和露の語彙集にインプットしている。
設問)「ナターシャに電話してきます」をロシア語にせよ。

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2011年07月28日

●和文解釈入門 第79回

単語を覚えるときに、例えば手品をфокусと覚えるだけでは効率が悪い。数字を使っての手品фокус с цифрамиとか、手品をするделать/сделать фокусというように句動詞や後に続く前置詞と一緒に覚えるべきだ。そうすれば効率よく語彙が増えて行くし、会話にも応用できることになる。
「予約する」という意味ではбронировать(完了体・不完了体同形でзабронироватьという完了体形もある), записаться/записыватьсяがあるが、前者は飛行機やホテルの予約に用いられ、後者は自分の名をリストに入れてもらうという意味で、病院、美容院などの予約、公営住宅入居のリストに入れてもらうなどという意味で使う。
製品はизделие(я)が普通で、продукцияは総称名詞、продукт(ы)でもよいが、この語は食料品という意味で使うのが普通である。поделкаは手作りの品という意味である。
設問)「あなたが席を外していたときに(どこかにいらしてたときに)我々は両替しました」をロシア語にせよ。

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2011年07月29日

●和文解釈入門 第80回

「マクシーモフさんは席を外しています」は、Г-н Максимов вышел.無論Г-на Максимова нет на месте.でもいいが、いくつか運動の動詞の完了体を使い分けるとすればどうなるだろう?そのニュアンスの違いは、вышелは昼食、外出、ушёлは会社にはその日はもう戻らない、帰宅、ないしは出張か何かで長期に戻ってこないという感じ、отошёлはトイレや他の部署に行って席を外しているという、つまり会社内にいるというニュアンスで、пошёлはいないというよりはどこかに出発したということで、普通は行き先 (на заводなど) とともに用いられる。Я пошёл.というのは行き先なしで使う例で、この動詞としては少し変わった用法ではある。これはЯ пойду.と同義で、「行ってきます」という意味だが、日本語と違い挨拶ではなく、秘書や同僚に出かけることを伝えるという意味がある。
отойти/подойтиはロシア人はよく使うが、この使い方をあまり知らない人も多いと思うので書いておく。Я отошел от остановки шагов на двадцать.(20歩ぐらい停留所から離れた)、Он отъехал от Москвы.(モスクワの近くに出かけた)で、両方とも連絡の取れるくらい近くにいると言うニュアンスである。もっというと目に入るとか声が聞こえる距離ぐらいという感じである。同じことはподойтиにも言える。Мы подъехали к Москве.(モスクワに近づいた)。отойти/отъехатьは前置詞のотを取るがкも来る。подойтиにはкが来る。подойти к окну, чтобы открыть его(窓を開けるために窓に近づく)と、отойти к окну, чтобы не мешать танцующим парам(踊っているペアの邪魔をしないために窓の方に離れる)。
設問)「イスを元のあった場所に返して下さい」をロシア語にせよ。

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2011年07月30日

●和文解釈入門 第81回

すべての動詞が体のペアになるものではないし、なっているものでもどちらかの体の方がよく使われるという事が多い。両方の体が等しく使われるのはсказать/говорить, написать/писать, взять/братьという日常でよく使われる動詞ぐらいではないか。そうなると不完了体がよく使われる時の、そのペアの完了体の役割というのは、ある特別なニュアンスをもったものとなる。例えば、надеятьсяの完了体понадеяться(必ずしも体のペアとは呼べないかもしれないが)は、по-のつく完了体で、このように不完了体のほうが普通に使われるグループでは、надеятьсяが最善を期待するというのが本義のため、понадеятьсяはこれとは異なる、つまり期待したがだめだったというニュアンスの文で使われる。Мы понадеялись тогда, что конфилкт не будет расширяться.(我々はそのときは紛争は拡大しないと期待していたのですが)
設問)「奴を捕まえろ」をロシア語にせよ。

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2011年07月31日

●和文解釈入門 第82回

キリスト教が日本で普及していない理由(キリスト教各派を合わせて信者数200万人程度)は、キリスト教のような一神教において当然と見なされる他の宗教を排撃するという考え方が日本人のそれとなじまないという事や、先祖を大切にする日本人にとって、ザビエルが主張したキリスト教に改宗しなかった先祖は地獄に堕ちる、つまりキリスト教に改宗した者だけが救われるという考え方についていけなかったという事ではないかと思われる。
道の「カーブ、曲がり」という意味ではповоротが一番普通であり、лукаやизлучинаも使えるが、これらは川に使うのが多い。петляはкрутой проворот(急カーブ)のことで、серпантинはつづら折り(山道で急カーブが連続するところ)であり、коленоは一つの曲がりから次の曲がりまでの区間от одного поворота до другогоを指す。виражというのはオートレース場などの傾斜のついたカーブの事である。
設問)「列車は23時ちょうどに7番ホームから発車します」とアナウンスが聞こえてきた。このカッコ内の和文をロシア語にせよ。

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2011年08月01日

●和文解釈入門 第83回

科学はнаукаだが、学問としては日本では大まかに、自然科学、人文科学、社会科学に分ける。日本語の自然科学は狭義では数学、物理学、天文学、化学、生物学、地学を指し、広義では農学、医学、工学を含む。人文科学(文化科学)は狭義には哲学、言語、文芸、歴史などを指し、広義にはこれに政治学、経済学を含める。社会科学は政治学、法学、経済学、社会学、歴史、文化人類学などを指す。また科学自体を基礎科学と応用科学と分ける場合もある。ロシアでは科学をестественные науки(自然科学), гуманитарные науки(人文科学), технические науки(工学系科学)と三分割しているようだ。ロシア語の自然科学も物理学、化学、生物学などを指す。гуманитарные наукиはобщественные наукиと同義語で、ロシア語では哲学、経済学、社会学、心理学、文献・言語学、法学などを指す。一方технические наукиというのは工学系の学問で、力学、建築、電気工学、無線工学、宇宙工学、生物工学、造船、材料学、機械工学、情報工学、システム工学、原子力工学を指す。数学は自然科学ではなく、基礎科学に入るとされる。私がいいたいのは、гуманитерные наукиを人文科学と訳しても、ロシア語では社会科学と同じとなり、訳にずれが起こる場合があり、文脈をよく吟味しないと間違いとなる可能性もある。このように訳語が1対1で対応しない場合や、包含される場合もある。ゆえに見た目で判断するのではなく、必ず露露辞典でチェックするという習慣をつけた方がよいということである。
文系の人はгуманитарийと言えばいいが、理系の人は理学系と工学系では訳語が違い、前者はестествовед, естественник (естествоиспытатель, натуралистとすれば、自然科学系の学者、研究者という意味)で、後者はтехникとでもすればよい。
ポスターはплакатが選挙ポスターや宣伝ポスターの意味で使える。афишаは劇などの催しもののポスターを指す。霧はтуманだが、透けて見えるような靄、霞、早霧はдымкаであり、маревоは逃げ水、мутьは悪天候の時の霧、мглаは濃霧である。
設問)「奥への方へどうぞ」をロシア語にせよ。

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2011年08月02日

●和文解釈入門 第84回

シンポジウム自体の通訳はそれほど難しくない。前もって準備できるからである。難しいのは後のその場での臨機応変の対処を要求される質疑応答である。この通訳ができれば通訳もトップクラスと言える。1、2年ロシアに留学したとしても、得られる会話力はせいぜい日常会話や自分の得意分野をロシア語で伝えられることぐらいであろう。このレベルではロシア語初級者(生徒)にロシア語会話を教えることは無理だ。自分の言いたいことがロシア語で伝えられるということと、生徒に露文和訳を教えるというのとは違う。できるだけ深く、広くロシア語、ロシア文化、ロシア庶民の文化を知らなければ、特に会話における和文露訳を教えることはできないと思う。和文解釈においてはこちらから生徒にロシア語の表現を押し付けるのではなく、理想的には生徒がロシア語で表現したい事を教えてあげるということである。そのため会話の教師は通訳やガイドを10年ぐらい経験を積んだ人で、分かりやすく生徒に教えることが出来る人でないと会話の教師は勤まらないと思う。もっともロシア語がいくら上手に話せても、教えることができるということではない。教えるというのもこれはこれでнавык(技能、スキル)だからだ。
基本的な動詞というのも徹底的に勉強する必要がある。быватьにも三人称を主語にして「~はよくある」という意味のほかに、主語は三人称に限らず「何度か参加する、何度か来る」という意味もある。побыватьは「ある期間過ごすために訪問する」とか、「ある期間参加する」という意味があるが、побытьには「ある期間滞在する」という意味しかない。「募集」も雇用という意味なら、набор персонала人員募集であり、国債の募集ならразмещение государственных облигацийで、署名の募集はсбор подписей、党員の募集はвербовка новых членов партииとなる。
設問)「ポケットに針とかピンが残っていたらえらいことだ」をロシア語にせよ。

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2011年08月03日

●和文解釈入門 第85回

方言にはговорとдиалектがあり、同義語である。наречиеはもっと大きい区分であり、プスコフ方言はпсковский диалектといい、южновеликорусское наречие南部大ロシア方言などと使う。カーテンという意味ではзанавескаが普通だが、薄手の生地(高級品も安手のものもある)で、窓全体にも、窓の一部を覆うものにも、窓以外にも使える。штораというのは窓用のカーテン、すだれ、ブラインドで上下や横に開けるものを言う。гардинаは薄手の生地の窓全体を覆うカーテンである。портьераはドア用の厚手のカーテンで、драпри (драпировка) はあまり使われないが、厚手の生地のカーテンである。занавесьは窓、ドア、部屋の仕切りなどに用いられるカーテンで、занавесは部屋の仕切り、ドア用のカーテン、舞台の幕などを指す。завесаは抽象的に意味でよく使われ、帳(とばり)という訳ができる。
谷は一般的にはдолинаだが、ущельеは山国にある川の浸食作用でできたいわゆる峡谷である。падьは東シベリア、極東の峡谷で、суходолは涸れ谷である。оврагというのは谷底に平野があるような切り立った崖の雨の浸食作用でできた谷間であり、буеракとも言う。ложбинаやлощинаは広くて長いоврагでもっと斜面が緩やかな谷間。логはさらに谷間の浅いもの。балкаは広くて長いоврагで斜面に草や灌木の生えている谷間。распадок (мелкая ложбина) は浅い谷間である。
設問)「頭痛は治った」をロシア語にせよ。

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2011年08月04日

●和文解釈入門 第86回

メッシングはポーランド系のユダヤ人でソ連時代の有名なテレパシー術師телепатだった。1950年代の初めにカザンで若い女が真夜中に橋から突き落とされて殺されるという事件が起きた。昔の恋人が犯人として拘留され、裁判となったが、彼は犯行を否定した。メッシングは裁判を傍聴していて、明らかに犯人からと思われる思考を捉えた。メッシングは自首するようにテレパシーで促したが、ふんぎりがつかないようだった。そこで出口とよく間違われるつきあたりの喫煙室に手書きでВЫХОДА НЕТ...と書いた。これは「出口ではない(「出口なし、八方ふさがり」という意味にも取れる)」という意味で、ロシアでは地下鉄の車両のドアで「ここからは出られません」という意味でВЫХОДА НЕТというのがあるし、地下鉄の出口ВХОД В ГОРОДと書いたドアの隣にНЕТ ВХОДА(ここからは出れません)といういう看板がかかっている(日本とは発想の違いか)。ちなみに最後の多重点(...)はメッシングが付け加えたものである。これを見た犯人は耐えきれなくなって自供したという伝説がある。このときメッシングの伝記を書いた作者は英国では出口をWAY OUT (米国ではEXIT)というが、地下鉄では自殺を防ぐために、Way in another side (Выход с другой стороны) と変えたと書いているが、本当だろうか?この作者は米国に移住してからメッシングの伝記を書いたのである程度は海外の事情に通じていると思われるのだが。
設問)「右に行って、それから花屋さん(のところ)を左に曲がってください」をロシア語にせよ。

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2011年08月05日

●和文解釈入門 第87回

начинать/начать, кончать/кончить, продолжатьの後に続く動詞の不定形は不完了体が来る。これは「始める」という動詞はこれから続いていくという事を前提にしているからだろうし、「終える」という動詞はこれまで続いていたものを終了させるという意味合いからだろう。「続ける」も同様である。「続ける」という意味では完了体のпродолжитьは不定形を取らない。これはпродолжатьの完了体形というよりは「再開する」とでも訳した方がいい動詞である。午前中に会議をして、昼食でいったん休憩となり、午後から続ける時に、日本語では、「始めましょう」という場合もあるが、ロシア語ではПродолжим.というのが普通である。無論会議の途中で、議事を一旦中断した場合などはПродолжаем.でもいいのかもしれない。つまりпродолжитьというのは、継続ではなく、一旦切れてからの再開という意味である。
設問)「嵐が近づいてきた。船は港へと急いだ」をロシア語にせよ。

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2011年08月06日

●和文解釈入門 第88回

日本語の「支流」には本流に注ぎ込む流れという意味と、本流から分かれ出た川という二つの意味があるが、前者はロシア語ではпритокで、後者はпроток, рукавである。протокには二つの湖を結ぶ川という意味もある。
単位の複数生格がどうなるのかと疑問に思われる向きもあるかもしれないので、よく使う単位について最新のアカデミー版露露辞典(Oの途中まで〔第14巻まで〕日本に入荷している)に基づき書いておく。アンペアамперはамперで、ボルトвольтはвольт(вольтовは廃用)、ワットваттはваттとваттовの両方がある。オームにはомとомовの二つがある。
設問)「自動販売機にコインを入れ、ボタンを押し、券を受け取った」をロシア語にせよ。

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2011年08月07日

●和文解釈入門 第89回

時事ロシア語が人気のようでNHKのテキストやユーラシア研究という専門誌まで載っている。結構なことだは思うが、どうして本文に対して和訳と語義だけで終わりなのだろう。露文解釈の勉強だけだと言わんばかりである。なぜこういう事を言うかというと、体の用法も含めての文法的な説明や類義語の使い分けなどの解説がないと、和文露訳では使えないと思うからである。全ての文が「サクラが咲いている(いた)」のような現在や過去時制の不完了体で終わる文とか、「バラは赤い」というような名詞や形容詞を入れ変えればできるという文というのはあり得ない話であろう。会話のための和文露訳につかえるような一工夫を望む次第である。
設問)「全てはジッパーかマジックテープでとめてある」をロシア語にせよ。

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2011年08月08日

●和文解釈入門 第90回

日本語が無意識のうちにロシア語に訳せるようになることを目指してロシア語を学んでいる学習者も多いと思う。かつては私もそうだったが、ロシア語を始めてから数年経ってあきらめた。こういういわゆるロシア語と日本語のバイリンガルというのは幼時にモスクワや樺太に住んでいた日本人、ないしは幼いころ日本に住んでいたロシア人とか、片親がロシア人であるとかいう特殊な状況にあった人以外は無理だと思う。日常会話を除けばバイリンガルでもロシア語が出やすい場面、日本語が出やすい場面というのは違うはずだし、自分の言葉ではなく他人の言葉を通訳するには訓練が必要なはずである。もっともその訓練たるや我々に比べはるかに楽であろうけど。絶対音感を育むとか、プロとしての芸事を習い始めるのも6歳からというのもそういうことによる。バイリンガルの欠点というのは自己完結型で、その秘芸を人に教えることが出来ないことにある。本人がなぜバイリンガルになれたか、自然にとしか言いようがないだろう。私はロシア語を初めて40年になるが、挨拶や、一部のフレーズが無意識にロシア語で出ることはあるが、体の用法などは意識して使っている。普通ロシア語を学び始めるのは二十歳前後からで十分大人になってからである。そういう人たちには半年ほどは丸暗記はやむを得ないにせよ、それを過ぎたら文法も含めて理詰めの勉強法を教える必要がある。それが運動の動詞、体の用法、類義語の使い分けである。そうでないと挨拶や決まり文句から先には進めない。つまりロシア人と会話が出来ないからロシア語を続けようという意欲がわかないという悪循環に陥る事になる。
設問)「事態を何とかしようと彼らは市長に訴えた」をロシア語にせよ。

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2011年08月09日

●和文解釈入門 第91回

衣服は男なので(こういう言い訳は私の世代ではまだ許されると思うし、個人的に衣服自体に関心がないので)日本語自体があまり分からないが、分かる範囲で書いて見る。もっと詳しい人がいれば訂正願う。背広の上は男ものをпиджакと言い、女性用はжакет(日本語でもジャケットといえばこの意味らしい)という。ズボンはбрюкиだが、これはスーツのズボンを指し、женские брюкиならスラックス(無論男性用のスラックスもある)である。штаныはズボン下(股引、ステテコ)という意味もあるが、ダブダブのズボンという意味もある。штанинаズボンやズボン下の片足で、спускать ноги в штаниныは「ズボン(下)に足を通す」という意味である。パジャマはпижамаだが、イメージとしてはトレーニングウエア(上下)で、寝台列車でロシア人がよく着ている。最もこの頃はпижамаはいわゆるパジャマになったという話もある。このトレーニングウェアの上のような上着はкурткаといい、特にイメージがわかない時の上着を訳す時に使える。室内着はблузаで男女とも着る。女性ならブラウス(блузкаでもよい)と訳せる。セーターは女性用は一般的にкофтаであり、джемперは男物のVネックセーター、女性用の短い袖のプルオーバーを指し、свитерはタートルネック、ないしは、とっくりセーター(カシミア、毛糸製)で、водолазкаもタートルネック、とっくりセーター(木綿、化繊製)を指す。пуловерは主として男物の襟明き丸首セーターである。カーディガンは女性用はтрикотажный, вязаный жакетで、男ものはблузаであり、трикотажный, вязаный жилетやбезрукавкаはベストである。трикотажныйとвязаныйの違いは、ともにニット(メリヤス)製だが、前者が機械編みで、後者が手編みということである。
設問)「新幹線は20分おきに出ている」をロシア語にせよ。

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2011年08月12日

●和文解釈入門 第92回

関口存男(つぎお)〔1894~1958〕は姫路の人で、「標準独逸文法」の著者として有名である。関口の評伝ともいえる「ことばの哲学」(池内紀〔おさむ〕、青土社、2010年)を読んだ。ドイツ語に興味がなくとも関口文法については皆知っている。内田百閒との確執(いわゆる1933年の法政騒動)については百閒の随筆に描かれている通りだが、ドイツ語のプロである関口と百閒では、百閒のほうが分が悪い。百閒本人も書いている通りドイツ人とドイツ語でまともに話もできずにドイツ語の主任教授だったというし、また当時借金取りから逃れるため休講も多かったという。関口はペラペラ式メトーデという長い文章をそのまま暗記するというoral teachingを、14歳で陸軍地方幼年学校のとき初めて買って読んだドストエーフスキーの「罪と罰」のドイツ語訳(レクラム文庫)で目覚めたという。シュリーマンの勉強法に近い。20代末か30代初めには後に3万枚88巻に及ぶ膨大な文例の蒐集を開始し、それが後に書いたドイツ語参考書執筆の基になったという。関口の口癖は「第一多読、第二多読、第三多読」であったというが、これは多読兼精読であろう。そうでないと文例は集まらない。和文独訳についても「独作文教程」があり、読者のどうやったら作文がうまくなるかという質問に対しても、「独文を日本語にお直しなさい。そして忘れたころに、その日本語を元の独文に直して御覧なさい。これを逆文と申します」と書いている。なるほどとは思うが、これだと元の文と同じでない場合はすべて間違いとなるのか、どうなのかという疑問がわくし、独習の限界があるような気がする。しかし、一般の独習者に対して、このように親切なアドバイスをしたのは(関口は「基礎ドイツ語」誌の編集に長く携わった)、ロシア語では「現代ロシア語」誌の故染谷茂先生ぐらいだろう。
ロシア語の翻訳者でも自伝を書いた人はいるが、勉強法を書いた人はいない。米川正夫の自伝「鈍・根・才」も私小説風ではあるが、ロシア語そのものをどう学ぶかにについては記載がない。その点関口は違う。彼の長文暗記主義についてはできる人が少なかろうとおもうので評価しないが、そういう勉強自体を否定するものではない。私が勧めるのは文法を理詰めに理解した上での短文の暗記であり、それと関口のやったのと似た和露の語彙集作成である。関口は手書きとタイプライターだが、今ならコンピューターだから楽なものである。私も会社に入って語彙集を作り始めた時は手書きで、バインダー式のファイルに量が増えたらアルファベット順(始めたころは露和でやって、後に和露に変えた)に追加していったことを思い出す。
設問)「空色は藍色と緑色の中間です」をロシア語にせよ。

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2011年08月13日

●和文解釈入門 第93回

露文解釈の勉強にはできるだけ多く語彙を覚えるのが必要だが、和文解釈の場合は、量よりも質が重要である。会話で使われる頻度の高い語彙とその語義の理解の深さが問われるのである。だからよく使う、いわゆる基本語彙を露露辞典で徹底的に引くようにするとよい。何か新しい発見が必ずあるはずだ。また口語表現も重要であり、これはこれまでのロシア語の参考書では軽視されてきた分野でもあるが、これは研究社、岩波、コンサイスの露和では難しかろう。専門の露露の口語辞典を買う必要がある。どんものがあるかについては「ランポポー」を参照願う。
 アトリエは芸術家(画家、彫刻家など)のはмастерская, студияといい、ательеはほとんどこの意味では使われない。ательеというのは個人の注文を受ける街の裁縫屋さん・靴屋さん(縫製をする)をいい、時計や金物の修理屋さんはмастерскаяという。写真屋さんはфотостудия, фотоателье, фотосалонなどという。
 ポスターでも選挙ポスターはпредвыборные плакатыといい、映画のポスターはкиноафишаである。つまりコンサートなどの催し事についてはафишаを用い、標語などはплакатを使う。「巣穴」はнораは出入口がたくさんあるもので、アナウサギ、狐、クロテンなどのものを、логово (логовище)は虎や熊のを、берлогаは熊のを指す。
設問)「切手が曲がって貼ってある」をロシア語にせよ。

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2011年08月15日

●和文解釈入門 第94回

類語の使い分けについてたとえで言うと、これが分からないと砂浜や浅瀬で泳いでいる分にはいいが、そうでなければ羅針盤を持たずに大海に乗り出すというのに似ている。
夫の事を「主人」というが、ロシア語でもхозяинをその意味で使う事がある。ただ俗語なので、日本語であれば「亭主」とか「連れ合い」、「旦那」あるいは「旦つく」という感じだろう。同じく日本語の俗語で「うちの」といえば夫の事を指すが、ロシア語でもмойだけでその意味を出すことが出来る。
状況や事情を露訳するときに、обстановкаやусловия(複数で使うのが普通)やобстоятельства(複数で使うのが普通)を思い浮かべるが、簡単な使い分けの目印を挙げておく。обстановкаは雰囲気的なもの、社会・政治的な状況に使われる。単独では軍事用語として戦況 (боевая обстановка) という意味になり、他にもледовая обстановка(氷結状況)、погодная обстановка(天候状態)、промысловая обстановка(漁の状況)、навигационная обстановка(航海の状況)など決まった言い方がある。условияは外的なもの、物質的なもので、長期的、常にあるという状況に、обстоятельстваは外的なもので一時的、具体的な状況に使う。состояниеはположениеと同義で「状態」という意味である。(全般的な)状況という場合にはположение дел, состояние делという使い方をする。Каково состояние дел в прибрежной торговле между СССР и Японией?(日ソ沿岸貿易の状況はどうですか?)。обстоновка на заводе(工場の状況)というのは工場の雰囲気についてであり、состояние работы(仕事の状況)は全般的な状況のことである。
на самом деле とв самом делеの使い分けが混乱している人も多いと思う。на самом деле (= в действительности)で、「本当は、実際は」という意味で、На самом деле это не так.(本当は違う)のように使い、в самом деле (= действительно)はсовершенно правильно(全くその通りです)という意味に使われる場合が多い。
設問)「不審物や持ち主の分からない荷物を見つけた場合は、ただちに警察にお届け願います」をロシア語にせよ。

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2011年08月18日

●和文解釈入門 第95回

薄田泣菫(1877~1945)は詩人だが茶話(ちゃばなし)という新聞のコラムでも有名である。板垣退助は人からもらったサモワールが気に入って、ただ使い方が分からなかったらしく、トイレの手洗い用にして客を驚かせたとある。もっとも客の方でもなかなか結構な手洗器ぐらいに思ったのかもしれない。ロシア文学も含めて世界の文学にも造詣が深く、それは英語に強かったからであろう。句読点について日本語と英語で書いているのが面白かったので挙げておく。日本語の方は、「ふたえにまげてくびにかけるじゅず」というもので、二重に曲げ手首に、二重に曲げて首にと両方に解釈できる。英語の方はMrs. Fiske says Miss Anglin is the greatest actress in the world.は Mrs. Fiske, says Miss Anglin, is the greatest actress in the world.とも読める。ロシア語は格変化があるから難しいが、例えば、Сталин говорит, Громыко – один из великих государственных деятелей.と Сталин, говорит Громыко, – один из великих государственных деятелей. 姓が変化しないものは、このような遊びが出来るかもしれない。ちなみにこの英文も露文も歴史的現在であるし、日本語の訳でも「~と言っている」とすれば歴史的現在である。
英語で一番長い単語はsmilesであるというのは、学習雑誌の付録か何かで覚えたが、泣菫によるとbeleagueredだという。beとredの間が1リーグ(3マイル)あるからというのは知らなかった。そういえば、ロシア語だってфамилияという副詞はфаとяの間が何マイルもある。
設問)「手術は脳のすぐ近くで行われる」をロシア語にせよ。

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2011年08月21日

●和文解釈入門 第96回

外人ロシア語というのがあって、мояをяの代わりに使うなどだが、この起源はセルゲーイ・マクシーモフСергей Максимовという旅行家によれば中露貿易に関わりがあるという。1861年彼が茶の取引で有名なロシアと中国の国境の町キャフタКяхтаを訪れたときに、Моя тиби подожди буду. (Я вас буду ждать.お待ちします)とかЦа пиху хычи? (Чай пить вы хотите?お茶を飲みませんか?)というロシア語交じりの言葉を符牒として中露間の茶の取引に使っていたという。これをロシア人は符牒условный языкと見、中国人はロシア語と見なしていたというから面白い。当時の清はロシア人に中国語を学ばせないために、自国の商人でロシアとの取引をしたいものにはロシア語の習得を義務付け、カルガンКалган(現張家口Zhangjiakou)という町に語学所を置き、そこのいわゆるロシア語の読み書きの試験に合格しないとロシア人との商売はさせないという決まりだったという。ところがその語学所のロシア語がピジンロシア語だったわけである。合格してもマイマチンМаймачин(現モンゴル領)というキャフタの近くの町で1年くらいは語学の実習をする必要があったという。当時中露の代表的な貿易は中国からは紅茶、ロシアからはラシャなどの織物で、ロシア語で南京木綿のことをナンカнанкаといい、これは名の通り中国からロシアに入ったものだが、19世紀半ばにはロシア製のナンカが中国に逆輸入されていたことが分かる。当時ロシアの庶民も紅茶を日に2~3度飲むという習慣が根付いており、紅茶の取引のためにロシア側もこの奇妙なピジンロシア語を習得せざるを得なかったという。無論これだけではないと思うが有力な説ではある。
設問)「22人入社」をロシア語にせよ。

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2011年08月25日

●和文解釈入門 第97回

「赤軍記者グロースマン」(アントニー・ビーヴァー、川上洸訳、白水社、2007年)は後に作家として有名となったグロースマン(1905~1964)の独ソ戦従軍について書かれたもので、独ソ戦の全体がよく分かる好著である。この中に発砲率理論というのが注に出ていて、第二次世界大戦中米軍の兵員の発砲率は15~25%であり、つまり75~85%は戦闘中に敵に対して銃を発砲しなかったとある。普通の人が人を殺すというのはそう簡単ではないことが分かる。かといって弾だけ撃ってごまかすというわけには実戦ではいかなったろう。弾を無駄にして、もし接近戦になって弾切れだったらどうしようという恐怖感を考えずにはいられないからだと推測する。ソ連軍でも60%の兵は弾を戦闘中にまったく撃たず、上層部では戦闘の後、小銃を上官に部下が弾を撃ったかどうかチェックさせたという。この発砲率はシュミレーション訓練により、つまりゲーム感覚を取り入れた訓練によりベトナム戦争以降では米軍においては95%に伸びたという。コンピューターゲームの殺人ゲームなどで訓練すれば、心理的な負担なしに簡単に人を殺せるようになるという事なのだろうか?ついでにいうと日本軍でもそうだが、ソ連軍でも部下に憎まれた上官は後ろから(つまり部下から)撃たれるということも大いにあり得たという。
設問)「機械試験の結果の報告をご案内申し上げます」をロシア語にせよ。

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2011年08月26日

●和文解釈入門 第98回

不完了体と完了体ではどちらが丁寧かとか、どちらが乱暴な言い方かと考えるのは時間の無駄である。一義的にどちらがとはいえないからだ。つまり不完了体を使うべきところで完了体を使えば、あるいは完了体を使うべきところで不完了体を使えば、いずれにせよ作法に外れたという感じが出るから、粗野な感じや意外な感じが出る。故新田實教授は晩年本人曰く、暇つぶしにソルジェーニツィンを読んでおられたが、ソルジェニーツィンの作品には語法に外れた文が多いとおっしゃっていた。ソルジェニーツィンの文章は擬古体というのか、自分でも昔の語彙を集めて辞書を作っていたくらいだから、かなりしつこい文章だと思う。それに比べれば同じ収容所の経験があるシャラーモフШаламовの方が簡潔で読みやすい。ソルジェニーツィンも、シャラーモフの文章のうまさを知ってか収容所列島の共著者にと頼んだらしいがシャラーモフは断ったという。ソルジェニーツィンもあくの強そうな人だから(お金にかなり執着していたということがNHKの小林和夫氏の著作でも分かる)嫌がったのかもしれない。作品と作家は別だと思えばよい。
体についてはどの動詞にも基本的に体のペアが存在するが、使う頻度はсказать/говоритьのように完了体と不完了体の使われる頻度が同じくらい多いというものは案外少ないように思う。不完了体が多く使われる動詞(звонить, знакомиться)も多い。和文解釈で使う動詞にもこういう事が影響する場合も多い。
設問)「敵か味方か?」をロシア語にせよ。

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2011年08月27日

●和文解釈入門 第99回

語感を鍛えるために露文解釈の勉強をロシア文学でやると、有名な作家はトルストイ、ドストエーフスキーとほとんど19世紀の作家であり、チェーホフとて亡くなったのは1904年だから19世紀の作家と言える。この語彙を暗記して会話や現代文に使おうとすると古めかしいと言われる場合も出てくるし、個性の強い作家の語彙は日常会話では使えないことが多い。「説明する」объяснить, пояснитьという意味でизъяснить, толковатьを使うとか、「組織」という意味でорганизацияの代わりにобществоを使うとか、「に向かって~と言う」と言う意味のобратитьсяの代わりにотнестисьを使うなどである。ここまで細かく勉強するのがいいかどうかは個人の考え次第だが、書き言葉と思っていたら廃語だったということもあるので、気長に類語の使い分けを学んでもいいかもしれない。
設問)「когда-тоはハイフンを入れて書く」をロシア語にせよ。

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2011年08月28日

●和文解釈入門 第100回

ここに書いた体の用法に関する表は改訂して第150回に載せてあるので、恐縮だがそちらをご覧願う。
設問)「彼は目が細くて一重だ」をロシア語にせよ。これは難しいかもしれない。

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2011年08月29日

●和文解釈入門 第101回

「流刑の詩人マンデリシュターム」(ナジェージュダ・マンデリシュターム、木村浩・川崎隆司訳、新潮社、1980年)を読んだ。これは詩人の妻の回想録であり、女性としてコルィマー収容所を生き抜いたギンズブルグ(1906~1977)の「明るい夜 暗い昼」(中田甫訳、集英社文庫、1990年、3巻)という自伝の筆致に比べればやや精彩を欠くように思われるが、ロシアソ連文学に興味のある人については必読の書かもしれない。またマンデリシュタームの詩作がどのようにでき上がってゆくのかについて非常に興味深いことが書かれてある。まず言葉になっていない音楽的な語句が詩人の頭の中に幻聴の形で現れ、それがやがて言葉という形に生まれ変わる、つまり詩は作られる前に存在しているというのである。
設問)「お勘定はお済ですか?」をロシア語にせよ。

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2011年08月30日

●和文解釈入門 第102回

露文解釈では類語の使い分けを特に気にする必要はない。文脈で判断できるからだ。つまり本などに書かれているまともな露文は編集者によりロシア語として正しいかどうかの基本的チェックを受けているはずだからである。ところが和文解釈では、類語の使い分けが出来ないと、一目見ただけでロシア人から相手にされないという事も起こりうる。
одинаковый とравныйの違いは、равныйは大きさ、力、程度が同じという事で、одинаковыйと違い、具体的な質や長所など示すことが出来ない。глаза одинакового цвета(同じ色の目)、носить с кем-либо одиноковую одежду(~と同じ服を着ている)、два одинаковых дома(同じ家2軒)、очень одинаковые люди (явления)(まったく同じ人たち〔まったく同じ現象〕)などである。
「取り替える」というのはзаменить, сменитьだが、同質のものを新しいものに替えるという意味では、сменить, переменить, поменять, обменятьを使う。例えば、обменять (поменять) паспорт (пропуск) на новый(パスポート〔入場許可証〕を更新する〔切り替える〕)などである。подставитьというのはподставить число в буквенное алгебраическое выражение(数字を代数式に代入する)というように、同質のものでないもの、例えばシノニムを「置き換える」という意味で使う。ちなみにвыражениеは式は式でも数式であり、формулаは公式(化学式、数式)であり、もっと意味が広い。
設問)「私は名前を覚えるのが苦手だ」をロシア語にせよ。

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2011年08月31日

●和文解釈入門 第103回

この5~6年前に比べると自分のロシア語の実力が格段に上がったと思う。それは何冊かロシア語関係の本を書いて自分なりにロシア語に対する考え方を整理できたこと、昔のよい参考書を読み返した事、あらたな良い参考書にめぐり合ったことなどが挙げられる。歳を取っても勉強を続ければそれだけ得られるものはあると思う。もっとも80点の人が90点に実力を上げるのは、95点の人がそれ以上を目指すのに比べれば楽だということもかもしれない。上を目指せば限りがない。それと聞き取りの反射能力とかは若い時に比べれば落ちているのかもしれないが、それを経験が補ってくれているのか、図々しくなってきたのか、より無神経になったのか、はたまた回りが敬老の精神を発してくれているのかは分からないけれども。まあ善意に解釈すればよいと思っている。
Архангельские былины «Погребение Святогора», Григорьев А.Д., 1910 от сказителя В.П. Аникееваの一部を紹介する。発音どおりに書かれたбылинаである。

Он ф третей зашол: Олёшенька Попович же,
И фсе тут три богатыря от сна встали же,
Они встали, со Святогором поздоровались;
Они пили напитоки сладкия
И закусывали ясвами сахарными,
- Мы куда же теперь,браццы, будем путь держать,
Будем путь мы держать да куда ехати? –
- Мы поедём в роздольицо шырокоё
И ф том же роздольи ко синю морю
設問)「目覚ましを朝6時にセットした」をロシア語にせよ。

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2011年09月01日

●和文解釈入門 第104回

歴史的(劇的)現在という用法は不完了体の動詞であればすべて可能だと考えるのは間違いである。знать, ведатьにはこの用法はない。またこれらの動詞は現在形で予定を示すこともできない。*Идёт и знает, что снег уже смят.というのも、*Завтра он знает (ведает), что дома его нието не ждёт.という文も文法的に間違いである。こういう風にзнать (ведать)で歴史的現在が使えないという事は、日常会話に多く使われる歴史的現在が、あるエピソードを語るために使われるのが多いので、動詞は1回の動作を行うという意味のものが多くなるという事であろう。それ以外ではある程度時間の継続を示す動詞(これこそ不完了体の動詞の用法そのものといった感じである)ぐらいであろう。歴史的(劇的)現在は書記言語に現れるのが比較的遅い、つまり庶民の日常表現として現れるものだからだとイェスペルセンも「文法の原理」(安藤貞雄訳、岩波文庫、2006年)で述べている。ロシア語でもアネクドートのみならず、日常会話で多用されるのでこの用法は一応心得ておいた方がよい。
設問)「毎日毎日暖かくなってゆく」をロシア語にせよ。

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2011年09月02日

●和文解釈入門 第105回

黒田龍之助先生は言語学者であるのみならず、その「外国語の水曜日」(現代書館、2000年)には、大学で長年ロシア語を教えた経験から得た非常に貴重な事柄が書かれており、大いに参考になる。いくつか抜粋すると、「外国語の教師の場合、たとえその人がどんなに立派な学者であっても、会話が出来なければ学生は絶対に納得しない」、「会話が出来るコツは、一つは基本的な例文を1万(!)くらい暗唱する。もう一つは、文法を学習する」(1万と書いた根拠は特にないようである。文法を学習するのは語彙の習得を能率的に簡略にするためとある)、「外国語の実力は総合的なものである。読めるだけれども話せないというのは本来おかしい(無論、話せても読めないというのもおかしいということになる)」、「ネイティブ利用法として、一つは、文法に関する質問は絶対にしない。二つ目は、発音や作文を直してもらう事」とある。
設問)「今日は何曜日ですか?」をロシア語にせよ。

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2011年09月03日

●和文解釈入門 第106回

コーシカさんよりロシア語の語彙を探せるサイトを教えてもらったので、皆様にもおすそ分けする。http://ruscorpora.ru/index.html というサイトで、単語の用例を調べることが出来る。語結合を調べるときにも威力を発揮するのではなかろうか。
和文露訳というと主語 + 自動詞、主語 + 目的語 + 他動詞と言うような構文から入ろうとする考えもあろう。ただこういうのは日本語にもある(「私は本を読む」など)し、ロシア語は語順が比較的自由なので(無論よく使うニュートラルなものを教えていくのだろうけれど)、それよりも日本人には分かりにくい運動の動詞、体の用法を徹底的に教えた方が、語句を丸暗記させるよりも、会話なのでの応用力がつくし、なによりも学習で飽きが来ないと思う。暗記中心では若い人ですら疲れるし、勉強が続かないのではないか。
テントはпалаткаだが、ロシア語のтентはズック製の庇(日除け、雨よけ)やコンバーティブルタイプのスポーツカーの幌を意味する。ちなみに庇はнавесである。шатёрは布、革、枝でできたテントで、布や枝や葉でできた庇という意味もあるし、16~18世紀の四角形か八角形の建物で上に十字(それなら教会)や風見鶏などのある建物を指す。首はшеяでподвешен на шею(首にかけられた)などというが、斬首はотсечение головыである。またビンの首はгорлышкоという。
設問)「二人の女の子はめいめい1本ずつボールペンを買った」をロシア語にせよ。

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2011年09月04日

●和文解釈入門 第107回

必要と思う語彙を全て暗記することはできない。歳を取ればとるほど暗記がつらくなる。度忘れということもある。それで私が勧めるのは、無理に暗記するのではなく、忘れても、自分の引き出しというか、そこを見れば思い出せるという語彙集を一つ作ればいいという事である。そこにロシア語関係の自分にとって新たな知見を全部詰め込むわけである。露和辞典は便利だが、使いこなしたと言っても、完全に自分個人向けではない。自分には不要と思われる語彙が多く載っていて肝心な語彙や用法を見つけ出すのに時間がかかるからだ。そこで何度もお勧めしているエクセルでの和露語彙集作成を勧める。最初の語彙集を作ったのは仕事で必要に迫られたからで、それは入社間もなくで、露和の船舶・鉄鋼用語集だった。その後20年経ってから会社で通訳していて日本語では一見簡単な言い回しがロシア語にするのが難しいのに気がついた。そこで和露でそのような語彙集を、小説などの会話の部分から拾ったりして、今では7万5千項目のコレクションとなったのである。和露にしたのは、通訳するときに和文露訳のほうが露文和訳よりはるかに難しいと考えるからである。動詞や句はできるだけ短文として、それに丁寧な和訳をつけるのがコツである。語結合が分かるような短い露文の文例を入れることにより、語彙のスペルを覚えるし、和訳すればそれがそのまま露文和訳の訓練になる。それとできるだけ典拠(出典)を入れるようにすることである。典拠を入れておくのは、あとでスペルミスかどうかのチェックができることと、露露辞典などの例文の引用などのように、文脈を理解するために無理に長く書かずに済むし、短文だから暗記に向いている。あまりないかもしれないが、何年も経ってどういう文脈でこの例文が使われているのか調べたいときにも重宝する。もちろんロシア人との会話で知った表現とか、街を歩いて見つけた看板の表現などは典拠も書けないのは当然である。
そういう語彙集の作例を挙げると、Симоновという作家の4巻目の85ページの文例にсжал губы – в колечко.を見つけたら、そこに赤く下線を引き、見出しは「唇」とし、次の欄にсжал губы – в колечко(唇を丸くとんがらせた)と訳し、その次の欄は典拠としてСимоновと書き、その次は4-85とする。そうすれば後でСимоновだけでもいろいろな文例が抽出可能である。сжалが出だしなのに小文字なのは、сжаで検索する場合、エクセルでは大文字、小文字が判別できないようなのでわざとこうしている。ロシア語のように曲用(名詞などの活用変化)がある語彙では、語幹で検索する癖をつければよい。そうすれば何回目かで行き当たる。自分の経験から言えば、この語彙数(項目数)も1万ぐらいになれば、単なる語彙集ではなく、和露辞典として効果が実感できるし、岩波露和辞典の編集をされた故飯田規和先生の話では5万ぐらいの語彙があればかなり使えるとのことで、ロシア語と言っても使う語彙は個々人で違う。世界にただ一つの自分専用の辞書を作るのだと思えばやる気も出る。
設問)「バイクと車ではどちらが早いか?もし両方ともいいものだったら」をロシア語にせよ。

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2011年09月05日

●和文解釈入門 第108回

金、もの、書類を「(郵便などで)送る」はотправить, послать, отослать, выслатьなどがあるが、выслатьは手紙や電報を送るには使えない。つまりメールを送るときでも使えないと考えてよい。「耕す」はобработать, возделатьが総称で、пахатьは犂やトラクターで耕すことをさし、焼畑には使えないことが分かる。поднять, распахатьはпахатьのシノニムだが、処女地や長く放置された畑を耕すという意味である。「条件」はусловие だが、作業条件(いわゆるモードmode)はрежим работыが技術関係ではよく使われる。「人や交通機関が到着する」というのは、使う交通機関によってприйти, приплыть, прилететьだが、приехать/приезжатьを使えば交通機関を問わない。ехать(陸上ないしは水上では使えるが、飛行機では使えない)と違って、飛行機でも船でも使える。しかし貨物грузыや郵便物почтовое отпралвениеが到着するというのは、прибыть/прибывать, поступить/поступатьしか使えない。Во Владивосток грузы прибыли с опозданием.(貨物は遅れてウラジオに到着した)という文でも分かるように、бытьと違い、прибытьはгдеではなく、кудаを取る。прибытьは人や交通機関が主語でも使えるし、到着という意味では公式訪問などの文でも使える万能な動詞でもある。ただ公式発表などの硬い表現で使うという事を頭に入れておいた方がよい。
設問)「男の方がお二人お見えです」をロシア語にせよ。

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2011年09月06日

●和文解釈入門 第109回

自分が幸せだと思うのは、まず頭痛の経験がほとんどない、つまり頭痛持ちではないことである。長い人生で多分10回ぐらいだろう。それも空気の悪い部屋に長くいたとか、眼鏡の度が合わなかったときぐらいだ。持病もない。胃が痛んだのも多分食中毒気味のときに2、3度あったぐらいで、生まれてから胃薬も飲んだことはない。20代の頃は通訳する直前など神経性の下痢で、ほぼ毎日下痢止めを飲んだが、さすがにこの頃は神経も年相応にぼけてきたからか、好きな納豆やヨーグルトのおかげかほとんど飲むことはない。多くの人が苦しんでいる腰痛もないといえる。重いものを持ったり、長く歩いたりしたときに2カ月に1度ぐらい少し痛むくらいだ。それも1枚タオルを当てたり、塗り薬で2日程度で治るぐらいだ。肩こりもない。1度家族旅行で台湾に行ったときに、非常に痛いが利くという台湾式マッサージを受けたことがある。回りで妻と娘がすごい声で悲鳴を上げていた時も、身体に乗られている感じはするが痛みは感じなかった。マッサージ師も通じる日本語で、あなたはマッサージが要らない身体だと言ってくれた。だからガイドの時も温泉でマッサージの方には目がいかないのでお客さんから気の利かないガイドだと思われているかもしれない。マッサージもある意味中毒のようなもので、マッサージを受けている人で、マッサージを卒業したという話は聞かない。母は56歳で肝臓癌で死に、父は膵臓癌でこれはほぼ寿命の76歳で死んだ。善玉コレステロールも少なく、家系から言えば特に長生きの方ではない。でも平均寿命ぐらいは生き、痛みのない生活を送りたいものだと考え、酒は2年前にやめた。きっかけは血圧が検診で上が150になったからで、酒をやめたら徐々に130ぐらいに減って今に至っている。月1回ぐらい付き合いでは飲むが、それはいちいち断りを言うのが面倒だからだ。タバコは日に3箱喫っていたが30年前にやめた。これは自分でもえらいと思っている。
設問)「2006年日本中の10歳以上の男女14,400人にアンケートは配られた」をロシア語にせよ。

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2011年09月07日

●和文解釈入門 第110回

初めに入社したのは小さな商社で造船関係の通訳見習いの様な事をさせられた。そのとき現場で通訳のミスから右舷と左舷の水密ドアを間違ってつけてしまい、100万円の損を出したという話を聞いた。兆とか億というのは想像外だが、100万円というのは個人で想像できるうちで最高の金額である。それでこういう技術通訳やビジネスの通訳には一層慎重になったことを覚えている。外務省で国家的な通訳も、ビジネスで何億ドルの商談をしている通訳もいると思うが、通訳の緊張感は変わらないと思う次第。
 昔小松政夫の「しらけどり音頭」というのを懐かしのメロディーかなんかでやっていて、別に面白いと思ったわけではないが、Тихий ангел пролетел.という古いロシア語の言い回しを思い出した。これは座に沈黙が続いた(座が白けた)ときに言うセリフで、さまぁーずなら「何か言えよ」の類である。古い言い回しなので、現代ロシア語ならさしずめ、Медведь сдох (где-то)!とかМилиционер (мент) родился!というのだろう。
設問)「守りは難攻不落の要塞と呼べる代物ではなかった」をロシア語にせよ。

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2011年09月08日

●和文解釈入門 第111回

телеательеというのは辞書を引けば「テレビの修理店」とある。これは日本にはない。テレビが壊れたら(まず壊れることはないが)、販売してくれたところか、メーカーに連絡するのが一般的だ。ところが、ソ連時代のテレビは買ってすぐ何回か壊れる。ひどいのになると火を噴いたりした。何回か修理して(鍛えて)ようやくまともになるというのが、住宅や家電に対するソ連人の考え方だった。体の用法や類語の使い分けも同じで、説明を聞いたり読んだりすればなるほどと思うが、実際に会話で使おうとすると、又どちらの体を使えばいいのか分からなくなる。用法を深読みしたり、読みが浅かったりの繰り返しである。用法が日本語で書いてあるといっても自分で何回も会話で使ってみないとものにはならない。しかも体の用法の参考書だって露文解釈についてであって、和文露訳用ではないから頭の中でひっくり返す作業が必要である。分からなくなったらまた基本に戻る、この繰り返しをすることで、ソ連のテレビのように、顔から火が出るような思いをする回数が減る。だから恥をかくことを恐れない。そうすればロシア語はうまくなる。恥をかくことでは赤恥を何度もかいたから言うわけではないが、黒帯どころか赤帯である。恥をかくのに黒帯どころか、赤帯になるのも覚悟するくらいでないとロシア語はうまくはならないと思う。自分の頭の中だけで分かったつもりになっても、本当に理解したと言えるのは初心者が分かるように説明できて初めてその用法をマスターしたと言えるのではないかという気がする。それがこのコーナーを始めたいくつかのきっかけの一つである。やってみて、逆に教えられることが多いというか、ロシア語の学習のアプローチの仕方はいろいろあるのだなと痛感する毎日である。
設問)「遊びにおいでと言われているんだよ」をロシア語にせよ。

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2011年09月09日

●和文解釈入門 第112回

余計な言葉は言わないに越したことはないが、通訳していると急には思い出せない単語を思い出す間を稼ぐために、埋め草的言辞(冗語)слово-заполнитель, словесный мусорと言うのが必要になる場合もある。通訳していてすぐに単語が浮かばないときは、1秒でも2秒でも考える時間が欲しい。それで常日頃からчто касается ..., とかкак сказать, などのあまり意味のない言葉を入れる癖がつく。
「仕切り」はперегородкаで、переборкаは船舶用語では船内各室仕切りである隔壁 bulkheadの事を指すが、загородкаは天井まで達しない仕切りを言い、барьерはオフィスなどの人の背丈より低い仕切りを指す。отделениеは船舶の機関室МО (машинное отделение)などの意味もあるが、財布の中の仕切りотделение бумажникаと言う意味もある。
設問)「彼のものだったものはすべて、今やあなたのものです」をロシア語にせよ。

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2011年09月10日

●和文解釈入門 第113回

繰り返しに不完了体現在形を使うというのは、現在の1点が含まれてさえいれば現在時制を使うからだという。この点について考えてみた。今午後2時だとして、毎朝9時に通勤するという文を考えると、朝9時はとうに過ぎているから過去であって現在ではない。しかし現在というのは厳密に言えば今この瞬間(時間の軸の今現在の1点)を指し、それは未来に向かって常に動いている。だから後19時間経てば午前9時になり、つまり繰り返しに現在の1点が必ず含まれるという前提が達成されることになる。だから過去の繰り返しでは現在時制を用いないのである。未来の繰り返しはどうだろう?未来のいつかという事がはっきりしていない以上、主語が存在するかどうか(それまでに死ぬかもしれないし、なくなるかもしれない)未確定であり、未確定である以上必ず現在の1点が含まれるということにはならないから、これにも現在時制は使えないことになる。
 日本語の「~している」という構文は、始発の意味に現在まで継続しているという意味が加わった、いわゆる現在完了である。だから「彼は読んでいる」という文は、「彼は読んで、その状態が続いている」という意味だから、Он читает.となる。それでは「来ている」はどうだろう?「彼は来て、その状態が続いている」ということだが、これは完了(結果の存続)という意味で、Он идёт.とはならない。これだと「かれは来る(予定)」か「来るところ(来つつある)〔過程、現在進行形〕」である。だから「彼は来ている」ならОн пришёл. (Он приехал.)と訳さないと正しくないことになる。日本語の「~している」というのは「始発ないし完了 + 継続」という意味なので、日本語を聞いたときに動作をイメージ化できないと正しいロシア語にはならないことが分かる。「着く」、「行く」、「話す」、「言う」、「買う」、「書く」という基本的な動詞についても、「(今)書いている」と「(とっくに)書いている」では前者はЯ пишу.であり、後者はЯ (уже) написал.となる。「行くよ」や「行くところだ」も意志や予定(いずれも動作はまだ始まっていない)であり、ロシア語ではそれぞれЯ пойду.やЯ иду.に訳し分けなければならない。簡単な表現でもどちらの体を選ぶかは体の用法をよく理解していないとできないことになる。
設問)「踊れない日本女性というのは稀だ」をロシア語にせよ。

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2011年09月11日

●和文解釈入門 第114回

自分が健康オタクというか健康が趣味であることは前に書いた。だからこの4年ほど健康診断で評価がD(5段階で最悪に近い)というのはまことに心外である。健康診断の評価を上げるために頑張るというのは邪道のような気もするが、趣味は趣味なのでやめられない。今年医者にはLDLコレステロール142(60 -119が適正範囲)とやや高いというが、前年より29も改善している。血圧は134~84で、毎日測っているが上が108~138の間で誤差範囲のものであろう。下は85以下である。医者は私に、それでも卵1個は多い、卵黄を抜くか、2日に1個にせよとか、野菜ジュースではなく、本物の野菜を多く取るようにせよなどという。それができないから野菜ジュースを使うのであり、こういうのは藪である。医者は野菜ジュース嫌いの人が多いのはなぜだろう。塩分少なめのだってあるのに。野菜ジュース(17種の野菜が入っている)を飲まない限り1日30種類の食物など摂れはしまい。こういう先生のほうが医者の不養生というかぶくぶく太っているのはおかしいが、問題は先生のことではなく地球より重い私の命である。藪をつついてもどうにもならない。この半年ほど並みの女性には絶対できないと思うお菓子断ちダイエットをやっている。元来吹雪(薄皮饅頭のような餡が外に顔を出している和菓子)、煎餅やチョコが大好きだったが、東日本大地震を契機に(被災者も大変だ、それに比べればこのくらいという名目で)これらを一切やめてしまった。だいたい人から強制されるのは大嫌いである。医者から酒やタバコをやめろといわれるくらいならそのとっくの前に自分でやめるというのが私の考え方である。おかげで体重は77キロから69キロに減って快調だがその検診の結果がDである。
2011年9月11日付のタイム誌を読んでいたら、卵、全乳、コーヒー、チョコの復権とある。いずれもポリフェノールが含まれており、認知症、パーキンソン氏病、タイプ2型の糖尿病にも効果が高いという。これらの取り過ぎは無論体に害があるが、害の方に比重を置いての解説が多かったように思う。卵(卵黄)はコレステロールのもとであり、牛乳も摂っても栄養にならない、つまり牛乳を飲むと下痢する人は乳糖不耐症で、日本人の半分ぐらいはそうだという。こう人は勧めても牛乳は飲まないが、チェダーチーズなどの硬いチーズなら大丈夫らしい。タイム誌によれば、卵が1日1個、全乳(つまり乳飲料ではない)なら1日500 cc、ダークチョコなら週に900~1,300 g(ないしは赤ワイン1日グラス2杯)、赤肉red meatは週500グラム以内なら体重は増えないとある。コーヒーの量は書いてなくて、飲み過ぎはイライラするとあるだけだった。もっとも欧米人対象だから日本人にそのままあてはまるかどうか分からないが、自分のダイエットの参考にはなる。それとナッツ類(無論塩分抜き)を勧めていたので、これまで止めていたピーナッツ、アーモンド、クルミ(いずれも塩分抜きのもの)を6個ぐらいずつ昨日から摂っている。特にクルミにはコレステロールを下げるomega-3脂肪が含まれているので、これこそ今の私には一番必要なものだ。脂肪も身体に悪いのはトランス脂肪(マーガリンなど)なので、要は量の問題だが、ウクライナ人のように塩漬け脂身салоは塩も含まれているし、身体にいいはずはないと思う。あれもこれもと私は健康オタクではあるが、ビタミン剤とかサプリメントは飲まない。利くか利かないというよりも余計なお金を払うのが嫌だからだ。毎日納豆、ご飯、味噌汁、牛乳、果実のジュース、生卵、うの花、バナナ、心太、野菜ジュース、ヨーグルト、ブルーベリージャムは欠かさない。ケチだからアスレチックセンターにも通う気はない。家の近くの川岸を歩けばタダだ。長寿ホルモン(オルニチン)が今人気だが、これだってカロリーを減らせば体内で多く出てくるというではないか。もっとも私の目標は我が血筋の最高値である父の亨年76を越え、男性平均寿命の79歳まで生きるである。その年まで身体に痛みもなく、後は娘たちに迷惑をかけることなく、寝たきりにならずころっと逝くという風になるための健康オタクでもある。努力してそうならなかったとしても、それはもはや私のせいではない。
食べ物以外にタイム誌では運動は体重73キロの人なら週に150分の運動が必要であり、速歩なら1日20分でよいと書いている。私は最近2時間のだらだら歩き(ないしはサイクリング)を1時間の速歩(少し股を広げて歩く感じで私にとっては速歩だが、普通の人にはウォーキング)に代えて毎日やっている。速歩はダイエットにはいいような気がする。身長は168センチで、大学に入る前の体重は58キロ、卒業時が68キロであり、書いたものによれば私の適正体重は58~63キロである。BMIも24と検診のときの25.2より下がった。腹囲も85から83に減ったが、BMIと腹囲については長生きという面から考えると男性なら26と90ぐらいの方がよいのではないかというのを読んだ。ブルースリーも早死にしたが、彼は体脂肪率5%以下だったし、そうなら体が保たないだろう。コレステロールだって細胞を作るのには必要だ。彼の死因も麻薬とかいろいろ言われているが、脂肪が少なすぎると普通の風邪薬でも利き方が普通の人とは違うと言われている。しかし体脂肪5%というような人は、健康のためというよりはナルシストで自分の体に彫刻をしているようなものだから、せっせとプロテインを飲んだりして、その体型の維持に努めるのだろう。体操や野球の選手だって健康のためにやっているのではなかろう。プロとして結果を残すためだろうから、それと同じで、ある意味生きがいなのだから話は別だ。
設問)「残念ながら訪露は2週間延期せざるをえません」をロシア語にせよ。

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2011年09月12日

●和文解釈入門 第115回

 北原白秋(1885~1942)が1925年に鉄道省主宰の樺太観光団に参加した顛末を書いた「フレップ・トリップ」(岩波文庫、2007年)を読んだ。特に前半の文体が非常に明るく感じられる。本人も「私の話法は現在格で進める。この方が楽だからである」と書いている。つまり意識的に歴史的現在で書いているのである。歴史的現在で書かれている小説、紀行文は限りがないが、このように作者が文体の違いを意識して書かれているのは類を見ない。また豊原のロシア人街についても触れている。表題のフレップ・トリップは解説の山本太郎によればアカフサスグリкрасная смородинаとクロフサスグリчёрная сиородина、ないしはナナカマドрябинаであろうという。白秋はこれらでブドウ酒をつくるとしているが、山本はナナカマドでは作れないと書いている。普通はその通りだが、ウラヂーミルВладимирというモスクワ近くの都市のナナカマドは糖度が高く、これで酒が作れるというのはロシアでは有名な話である。フサスグリの酒もあるが、この場合はナナカマドなら低木なので、北海道のハスカップのようなのかもしれない。
「考え直す」と言う日本語には、「もう一度じっくり考える」と言う意味と、「考えを改める」と言う二つの意味がある。передумать, перерешитьは「前の考えを拒否して、別の考えを受け入れる」と言う意味であり、раздумать, отдуматьは「前の考えを拒否する」と言う意味である。「引っ越す」はпереселиться, переехатьが普通だが、перейтиは同じ集落、市内に引っ越すというニュアンスがある。
設問)「5分ほど待とう。もし電車が来なかったら、歩こう」をロシア語にせよ。

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2011年09月13日

●和文解釈入門 第116回

на + 対格(時間を示す〔数詞 + 名詞〕)で予定を示す時に、全部の動詞や名詞が使えるわけではない。参考までに使える動詞や名詞などを挙げる。動詞は基本的に完了体を用いる。動詞はвзять под защиту, зайти, затемниться, затянуться, лечь, оставить, остаться, прекратиться. приехать, присесть, спуститься, уехать, улететь, хватать, хватитьなどで、副詞・形容詞はдостаточно, достаточный、名詞はзапас, план, погода, провиант, прогноз, программа, работаなどである。動詞が他動詞なら被動形過去でも使える。不完了体が使えるとしたら、繰り返し、否定、歴史的現在の用法である。Он улетел на целый день.(彼は丸1日の予定で飛行機で発った)、Левитан уходил на неделю, на две из дому.(レヴィタンは1、2週間家を空けることがあった)、Ваня шёл впереди, а Биденко – на шаг сзади, ни на секунду не спуская с мальчика глаз.(ワーニャが前を歩き、ビジェンコが1歩後ろを、少年から一瞬も目を離さずに歩いた)。この場合否定文で完了体を用いても問題はない。これはниやодинとともに完了体を用いて否定の強調する場合に完了体が使われるからである。
「隙間」はпромежутокでпромежуток между стеной и шкафом(壁と箪笥の隙間)などと使い、もっと狭い、ぴったりに近いものとものと隙間はзазорといい、割れ目や自然に開いた細長い孔(隙間)はщельという。内部にある空隙はпорыと複数を使うのが普通である。「もの」はпредметとвещьがあるが、前者は具体的なもの、ないしは抽象的なもの(状況や事実など)で、「こと」とも訳せる場合もある。後者は具体的なものであって、かつ人が使うものであり、抽象的な意味ではあまり使わない。「身体、体」は訳語としてорганизмとтелоが考えられるが、организмは肉体的精神的性質の総体であり、телоはорганизмが外形として現れたものである。だからпопасть внутрь тела человека(人体の中に入る)と言うし、части телаは体の各部(手足など)と外側であり、「薬は体によって摂取される」はЛекарство осваивается организомом.であって、теломだとおかしいことになる。なぜならтелоは体の外側という意味だからである。それゆえОрганизм человека содержит воды около 65%.(人体のおよそ65%は水から成る)という表現もある。
設問)「彼女は字が読めなかった」をロシア語にせよ。

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2011年09月14日

●和文解釈入門 第117回

маленькийには絶対的な大きさの標準として人間(の身長)が使われ、相対的なものとしては同じようなグループの中において大小を見るとシノニム辞典にある。холодныйも基本的には室温(これは体温では表現できないからだろう)より温度が低いということであり、тёплыйは体温に近い温度、горячийは体温よりかなり高い(水の沸点近い)というのが基本的にあるという。室温は技術用語では摂氏20度ぐらいと考えてよい。тёплая водаは「ぬるい湯」と訳すか、「温かい(ぬるめの)水」とするかいろいろあるだろうが、тёплая вода в реке(川の温かい水)とтёплая вода в ванне(風呂のぬるめの湯)では当然日本語では訳が異なってくるが、ロシア語の基本的な意味を理解していれば訳には困らない。初級者ではやむを得ないが、露和辞典というのは、代表的な和訳を挙げているのであり、文脈によっては訳を変えた方がよいと思われる場合も多々ある。その時に露露辞典を引けば理解しやすい場合もある。だから中級者以上では露露辞典を使えるようになればロシア語のレベルを大幅に上げる道が開かれたということになる。
「宇宙飛行士」のкосмонавтはソ連やロシアので(秋山豊寛、菊池涼子はこの名称で呼ばれるのだろう)、астронавтは欧米や米国、日本のであり、中国人宇宙飛行士はтайконавт (юйханъюань)、マレーシア宇宙飛行士はангкасаванである。この他にзвездолётчик, космолётчик, звездоплавательはSFに出てくる宇宙飛行士である。「作品」はпроизведениеだが、口語では絵画、彫刻、文学作品、楽曲などをработа, вещьという。「車のレーサー」はгонщикやавтогонщикでよいが、F1やラリー、ボブスレーではпилотを使い、пилоты «Формула-1» F1レーサーなどという。シンバルはтарелкиであって、цимбалыは弦楽器を意味し、2本の撥で演奏する。
設問)「鋼の炭素の含有量は何パーセントにする必要があるか?」をロシア語にせよ。

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2011年09月15日

●和文解釈入門 第118回

наглый(図々しい、厚かましい)とнахальный(いけ図々しい、恥知らずな)の違いは、後者の方は否定的ニュアンスが強いが、その違いをシノニム辞典では、後者は相手の目の直視прямой взгляд в глазаということにあり、ロシアでも相手の目を見つめるというのは失礼なことなのだという事が分かる。この頃は戦後のアメリカの影響か、相手の目を見て話せなどというが、相手からじっと見つめられるのも(相手がよほど異性の美形ならともかく)気色悪いものだと感じるのは年寄りのひがみか。ブランコは子供が遊ぶのはкачелиだが、体操用のブランコやサーカスの空中ブランコはтрапецияでкрутиться на трапеции(体操のブランコで回転する)などという。ちなみにтурникは体操用の鉄棒である。
設問)「壊れた冷蔵庫は戸棚になっている」をロシア語にせよ。

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2011年09月16日

●和文解釈入門 第119回

歴史的現在(劇的現在)は過去をあたかも現在眼前で起こっているようにありありと示す表現法だが、このありありとというニュアンスを除いても完了体過去形との意味の差はあるとБондаркоは言う。歴史的現在の用法に沿って述べると、
1. 動作の順次性
К машинисту поезда метро вырывается террорист, достаёт гранат и кричит: «Срочно в Копенгаген! Иначе возрву!
Машинист объявляет:
- Осторожно! Дверь закрывается . Следующая станция Копенгаген!
(地下鉄の車両の機関士のところにテロリストが乱入し、手榴弾を取りだして、こう叫んだ。「すぐにコペンハーゲンに行け、さもないと吹っ飛ばすぞ」)
 機関士はこうアナウンスをしました。「ご注意ください。ドアが閉まります。次の停車駅はコペンハーゲンです」
 これはアネクドートにある表現で、Бондаркоは例を挙げていないので私が別に選んだものである。これらの動詞はすべて完了体過去形вырвался, достал, крикнул, объявилで示すことができる。
2. 多回体動詞を一回体動詞のように使う。
前記のкричитはкрикнулという一回体のように過去の一回の具体的動作を示している。мигать/мигнуть, толкать/толкнуть, махать/махнуть, трогать/ тронуть, мелькать/мелькнутьなどもそうである。この用法では完了体過去形との意味の差は、不完了体は不完了体の意識が残っているために、1回の瞬間的という意味が完了体過去形ほど明瞭ではなく、過程としてのニュアンスが出るが、部分的とはいえ完了体過去形のような働きをしているのは事実であるという。
3. 動作の到来
Неожиданно из-за отдалённого кустарника выползает большая широколицая луна.(不意に遠く離れた茂みの向こうから大きな、でかい顔のような月がのろのろと出た)
 ここでも不完了体は歴史的現在という用法では、本来の体の用法(過程の意味)を一部残していると言えるという。Бондаркоはнейтрализация видовых различий(体の違いの中立化)と呼んでいる。
 日本語にも歴史的現在はあるが、どうもスラブ語内部でも、例えば、ポーランド語やウクライナ語、ロシア語との間で歴史的現在の用法が完全に同じではないようであるし、ましてや日本語とでは、無条件に現在で訳していいのかという疑問も当然出てくる。訳す時のこのニュアンスの差について、ロシア人でも日本人でもロシア語文法の専門家が、我々実務の専門家に、特に日本語をロシア語に訳す時にどう対処すべきかの具体的なヒントを御教示いただきたいものだと考える次第である。それまでは上記のБондаркоの指摘を頭に入れておくしかない。
このほかにも完了体過去形で示された文がすべて歴史的現在で表せるわけではないとБондаркоが述べている。意味の同じ例として、Вдруг поезд остановился.(突然汽車が停車した)とВдруг поезд останавливается.(と突然汽車が停車する)の二つの文を挙げ、過去を眼前にありありとというニュアンスを取ってしまえば、意味的には同じであるという。果たしてそうか?1番目の文は文脈によって結果の存続(現存)ないしはアオリストと二つの解釈が可能である。もっと言えば特になにも文脈が示されていなければ結果の存続と取るのが普通であろう。二番目の文を完了体過去形に直せば、1番目と同じ文にはなるが、歴史的現在というの過去の出来事を述べるのであり、それは現在とは何の関係もないのだから意味はアオリストしかありえない。つまり部分的に意味が重なるところがあるというだけである。意味から考えて歴史的現在には結果の現存という事はあり得ないはずだ。
Бондаркоは上記の二つの文と対照的な、意味が異なる例として、Вдруг зазвонил телефон.(突然電話が鳴りだした)とВдруг звонит телефон.(と突然電話が鳴る)を挙げ、前者の動詞には始発の意味があるが、後者にはないゆえに意味的に置き換えることはできないと述べている。それはзазвонитьに対応する不完了体は露和辞典にもあるようにзвонить(звонитьから見ればпозвонитьと考えるのが一般的)だから、一般的に体として対応していても、歴史的現在では使えないという解釈が成り立つわけだ。
設問)「宇宙飛行士は不測の事態に対処しなければならない」をロシア語にせよ。

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2011年09月17日

●和文解釈入門 第120回

今回は歴史的現在の文体の特徴についてをインターネットで見つけた2010年の報告57とある全露科学技術情報研究所のПадучева Е.В.女史の論文「物語の条件における体・時制形態の解釈によせて:歴史的現在」を基に書いて見る。*印がついたものはロシア語として正しくない文を意味し、※は私の見解である。
1. 歴史的現在はвотと結びつくが、過去形では結びつかない。これは遠いものと近いものという遠近関係で説明できるという。歴史的現在は過去を心理的に近くするが、過去形で書くと、状況と話相手の間に距離が生まれる。
Вот едет могучий Олег со двора.(ほら強大なオリェークが宮廷から出立する〔出立した〕)
2. 歴史的現在はтолько чтоと一緒には使えない。
Только что кончился математический съезд.(たった今数学の大会が終わった)
Кончается математический съезд.(数学の大会は〔もうすぐ〕終わる)
※これは歴史的過去がアオリストのように現在から切り離した過去を、あたかも現在であるかのように観察するという事から理解できる。
3. 完了体過去形の動作に続く動作を歴史的現在で表現できるが、過去形ではできない。
Он схватил меня за руку и тянет.(彼は私の手をつかんで引っ張った)
*Он схватил меня за руку и тянул.
Он схватил меня за руку и потянул (стал тянуть)
※これは完了体過去形の順次的用法という事で説明できる。
4. 歴史的現在には始発の意味があるが、不完了体過去形にはない。
Неожиданно из-за отдалённого кустарника выползает луна.(いきなり遠く離れた茂みの向こうから月が這い出てきた)
Неожиданно из-за отдалённого кустарника выползла луна.
*Неожиданно из-за отдалённого кустарника выползала луна.
歴史的現在はнеожиданно, внезапно, моментально, вдругとも、完了体のように結びつくが、不完了体の動詞は歴史的現在以外の用法では結びつかない。
5. 反意語の対のある動詞における解釈
Захожу я к приятелю.(〔過去の観察の時点で〕私は友人のところにいる)
Я зашёл к приятелю.(「〔過去の観察の時点で〕私は友人のところにいる」というアオリスト的な解釈も可能だし、「私は友人のところに寄って、いまそこにいる」という結果の現存としての解釈も可能である)
я заходил к приятелю (и ушёл.)(私は友人のところに寄って、それから帰った)
※不完了体過去形の事実の名指し
 歴史的現在で過去に転移するのは発話の時点ではなく、観察の時点である。
6. 過去を示す副詞と歴史的現在
Иду вчера по Кузнецкому, вдруг сзади раздаётся свисток.(昨日クズニェーツキー通りを歩いるとね、急に後ろから笛が鳴るんだよ)
Поднимасюсь недавно по лестнице в гостинице «Красное».(つい先日クラースナヤホテルの階段を上るとね)
Прихожу вчера в контору за справкой. Швейцар отворяет дверь.(夜事務所に証明書を取りに行くとね。門番がドアを開けてくれるってわけさ)
 このように歴史的現在はナレーション的に用いられるので、一人称での使用が多いが、三人称の場合もある。
Встречается вчера президент с премьер-министром.(昨晩大統領は首相と会談)
7. 歴史的現在が使えないか、使いにくい文脈
Приезжаю я в прошлом году в Нью-Йорк.(昨年私はニューヨークへ行った)
*Иду я в прошлом году по Кузнецкому.
※無論私はモスクワの住人という設定での話である。昨日とかつい最近なら歴史的現在は使えるが、モスクワ市内という手近な場所というありふれた場所を昨年というのは心理的にどうかということと、遠く離れたニューヨークならそう行けるところではないしこれなら昨年と考えても心理的におかしくないという心理的距離によるものだろう。
設問)「前の車を追い抜いた」をロシア語にせよ。

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2011年09月18日

●和文解釈入門 第121回

БондаркоのТеория морфологических категорий и аспектологические исследования(形態的範疇理論および体の研究), Языки славянских культур, 2005によれば歴史的現在という用法は18世紀末までは完了体未来形で行われ、それ以降は衰退し、その後不完了体現在形が用いられ現在に至っているという。私などは完了体未来形が過去で使われるのは時制の転用(転移)と簡単に片づけていたが、これは過去の名残だということになる。А.А. Потебняの用いた有名な例文、「足で蹴って壊した」という文は、普通に考えればПнул ногой – изломал.と完了体過去形の順次的用法である。ところが完了体未来形を用いてПнёт ногой – изломал.とすれば、より生き生きとした表現になるという。これは歴史的現在があたかも眼前で行為が行われているかのように表現するの謂なので生き生きととらえられると考えれば納得がゆく。このように先行する動作には完了体未来形が使われるというのが時制の転用での説明である。現在の時制の反復・習慣の用法でも、完了体未来形が先行する動作を示し、かつ平板な文章にを生き生きしたものに変えると言われている。Когда хлор улетучится, я наливаю раствор в банку.(塩素が蒸発したら、溶液を瓶に〔いつも〕注ぎます)。この他に生き生きとした感じを出すために、完了体未来形が過去で使われる例としてよく見られるのは、какと共に使われるものである。Замер его голосок, и с ним в одно мгновение точно всё умерло... Зато через минуту все как вскочет, словно бешеные, и ладошами плещут и кричат.(彼のか細い声が消え、それとともに一瞬で全てが死に絶えたようだった。その代わり、そのあとすぐにすべてが急に湧き上がり、気違いのように〔人々が〕手を鳴らしたり、叫び出したりした)。これらはいわゆる歴史的現在の用法で、вскочетは単数の完了体未来形、その後の動詞は複数の不完了体の現在形である。
 Поживём – увидим.(その時はその時)というような諺は、一つの事例を取り上げて全体を代表させるという例示的意味の完了体未来形と見るか、歴史的現在の古い用法の名残と見るかだが、この歴史的現在の用法が発展して例示的意味を持つことにより、完了体未来形の成文法に生き生きした表現という生産性を与えたといえないこともない。
 このような歴史的現在という用法は我々外国人は会話では使いにくい。ある程度これが自然に出るようになればロシア語かなり上達したと言えるだろう。しかし露文解釈においてはこの用法を頭に入れておけばすぐにでもかなり役に立つと思う。
設問)「わざわざお見えになったのですか?」をロシア語にせよ。

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2011年09月19日

●和文解釈入門 第122回

自分で会話集を書いたときに、露文を見て、なぜこういう和訳になるのかちょっと分からないだろうなと思われるものもあるのに気がついたが、紙面の都合上説明は書けなかった。例えば、Удачи!(幸運を祈ります)やСпокой ночи!(お休みなさい)である。これらはжелатьという生格を取る動詞が省略されているから生格なのである。もっというと動詞によっては抽象的補語には生格を、具体的なものは対格をと分けるものもある。普通は理屈抜きで丸暗記する。しかしなぜそうなるかには大抵理由があるはずだ。理由が分かれば頭に残りやすい。私がもっと文法を勉強したらと主張するのも、できるだけ丸暗記の負担を減らし、能率的にたくさん語彙を覚えてほしいと願うからである。
大衆食堂はзакусочнаяが普通で、これより小さいもの(酒類は提供可)はзабегаловкаといい、マクドナルドとか蕎麦屋とかラーメン屋の類である。буфетはビュッフェで、駅や劇場の中のサンドイッチやジュースなどを提供するところを指す。кафетерийはセルフサービスのレストランといったところ。カメラマンといっても、報道関係ならфоторепортёрであり、写真家(芸術写真集を出すような)はфотохудожникといい、映画のカメラマンはоператорで、テレビのカメラマンはтелеоператорとなる。
設問)「何か飲むものある?」をロシア語にせよ。

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2011年09月20日

●和文解釈入門 第123回

このコーナーでは会話における和文露訳において、主として完了体と不完了体をどう使い分けるのかそのたたき台として自分なりの考えを提示している。多くの先人の業績を自分なりに解釈したものだが、自分では会得したつもりでも、他の学習者が実践の場で使おうとしたときにどちらの体を使うべきか曖昧さが出てくるのはやむを得ないと思う。これは個々人で工夫してもらうしかないが、体の用法を真剣に突き詰めて考えてゆけば、私のように細々と具体的な用法を書かずとも、もっと統合した考えで、体が使えるようになるかもしれない。あるいは何かの用法上の目印で新しい発見があるかもしれない。
設問の短文自体が文脈から切り離されているという、ある意味では現実離れしたしたものであり、露露辞典にあるように段落に近い大きさで例文を作れば、より文脈の持つ意味が明確になるのは間違いない。しかし、そうしないのは、設問のポイント(本質)が曖昧になる可能性がある、設問を作るのも、回答するのも、はたまた投稿するのも億劫になる、それと回答を暗記用に使えなくなるといった理由である。逆に文脈と切り離されているとことは、体の用法の解釈を広げ、その解釈をする前提を確実に理解する助けになると信じている。ただ設問において私が正解だと称するものに惑わされる必要はない。私が設問を一般的な文脈で理解すると称するのは、ある意味これが人工的な文脈であり、色々な解釈が可能であるため、あくまで私が現時点でそう思うというだけのことである。できるだけ場面別に説明しようとしているが限りがある。またそう解釈する理由を人には説明できるが、絶対的ではないし、学習者それぞれが納得してくれることを期待しているのでもない。私の体の用法に対する考えも(多分いい意味で)変わってゆくだろう。ロシア人との会話という実践の場では話すのは、特定の文脈におけるその学習者個人なのだから、その時々の文脈における自分に合う用法上の目印というのを自得せざるを得ないのであり、このコーナーがその参考になることを願っている。もし体の運用について何かいいアイデアが浮かんだらこの場でなくともどこかで発表してもらえれば、それは私にとっても後進の人達に取っても本当に有益なことになるに違いない。それがたたき台と書いた理由でもある。
体の用法以外にも、会話における和文露訳は意識して日本語からロシア語への語彙を会得しないとできるようにはならない。ロシア語の語彙の意味が日本語ですぐ分かると言っても、単語や語句が1対1で対応していればの話で、類語語の存在を忘れている。だから会話における和文露訳はそういう方面で十分な経験がないと教えられるはずがないと思う。
設問)「彼には欠点も多いが、長所はそれに勝る」をロシア語にせよ。

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2011年09月21日

●和文解釈入門 第124回

露文解釈なら体の用法を十分理解していなくても、何となく意味は分かるし、直接お金を貰うわけでもないからそれでいいが、露文和訳となるとプロだということもあり、体の用法をきちんと理解していないと、文のニュアンス(文体の差とか、方言であるとか、非標準的用法をわざと使っているなどの)が十分に汲み取れない。それにロシア語の特に会話の部分は自分である程度長い期間ロシア人と接して日常的に使っていなければ、体の用法や類語の使い分けの違いを感覚的に会得できない。しかし子供ではないから感覚的だけで100%正しく体の用法を使いこなせる自信があるならいいが、普通は理論的裏付けが大人には必要である。そうでないと応用が利かない。ましてやロシア語で分からないことがあっても自分で調べようとせず、安易に何でも最後にはロシア人に頼ろうという姿勢ではいつまでたってもロシア語は上達しない。体の用法や類語の用法の違いなど露露辞典や参考書を使って自分で調べ、理解して納得するという努力が不可欠である。
ロシア語で発想できるようにすることがロシア語上達の道だと考えている人がいるが、そうではない。二十歳すぎくらいからロシア語をやってバイリンガルにはなれないと思う。どうしても母語の日本語との兼ね合いと言う事を考えざるを得ないからだ。ロシア語で話す場合、比較的短いフレーズならちょっと慣れればロシア語がすぐ出てくるが、長いものとなるとどうしても日本語からの翻訳となる。だから日本語が母語として確立しているという事を長所と考えて、常に日本語とロシア語を対比して、どちらからでも日露双方の語彙が出て来るように訓練すべきだ。これはロシア人にはできない芸当だろう。
прекрасныйはочень хороший, очень красивыйと言う意味なので、оченьと一緒には用いない。使える程度を示す副詞はпростоとか、後は絶対的な尺度を示すнесомненно, безусловноなどである。очень, весьмаは比較級とは用いず、比較級で程度を高める副詞を使うとすれば、намного, гораздоだということを知っている人は多いはずだ。намного (гораздо) лучше (хуже)となる。медикаментыは複数だけの名詞で、訳はその通り医薬品である。つまり薬を硬く言った表現で、лекарствоと同義であり、同じ単語を繰り返したくないときに使える。средствоも薬だが、この単語は手段という意味もあり、多義なので薬というときにはлекарствоのほうが多く使われる。それと他にпрепаратという言葉は製剤という意味で、調合された薬剤(つまり漢方薬などは入らない)、таблетированные препараты(錠剤)などのような使われ方をする。
設問)「二つのうちからましな方を選ばないと」をロシア語にせよ。

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2011年09月22日

●和文解釈入門 第125回

少しでも自分の日本語の文章をよくしようと、そのヒントをもらうため「文章作法」の類の本をこの1年ほど読んでいる。三島由紀夫の「文章読本」の中に、別に我々読者に勧めているわけではないが、三島自身が文章を書くときには、「二、三行ごとに同じ言葉が出ないように注意しています」とか、「文章のリズムを自由に変えるため、過去形の続く文に適度の現在形の挿入は必要である、過去形の多いところをいくつかの現在形に直すことがある」など、三島の文章に対するプロ意識がうかがわれて興味深い。前者は病気と書いたら、次はやまいと書くと具体例まで挙げている。これなどロシア語ではその通りであるし、後者も私の年来の疑問である「ロシア語の歴史的現在の用法をそのまま日本語の歴史的現在で訳していいのか」に対する部分的な答えとも言える。谷崎潤一郎も英語の歴史的現在について触れており、北原白秋も意識して歴史的現在を用いたことは前に触れた。文章作法の類を書いた人は多いので、歴史的現在という観点からそれらをこれから読んでこの疑問に関する何かのヒントを得たいと考えている次第である。
若いころはロシア人にロシア語を直してもらうと、心から感謝してすぐ使ってみたものだが、いろいろなロシア人がいろいろな説明をしてくれるような場合に多々遭遇すると、どれが正しいのか分からなくなる。どれも正しいのかもしれないし、文体(俗語とか口語とかの)の違いもあるのかもしれない。日本人だからあらゆる状況ですべてまともな日本語を使えるわけではないし、文法的な説明ができるものではないと同じ事がロシア人にも当てはまる。技術用語ならその分野の用語辞典、一般的な日本語の語彙なら国語学者の書いた本や辞書が規範であるのと同様、ロシア語なら文法関係のロシア語学者の書いた参考書に拠ることにした。前に書いた磯谷孝先生、城田俊先生、原求作先生、中沢敦夫先生、宇多文雄先生他の著作は言うまでもなく、В.В. Виноградов, Д.Э. Розенталь, Л.С. Муравьева, М.В. Всеволодова, О.П. Рассудова, С.Н. Мерзен, С.Л. Пятецкая, Н.А. Лобанова, Э.И. Амиантова, А.В. Бондарко, Ю.Д. Апресян, Е.В. Паудчева先生他の著作が私にとって文法の規範ということになる。だから普通のロシア人の言っていることがおかしいと思えば、これら先生方の本を見て判断することにしている。
設問)「この機械は前後左右上下に動く」をロシア語にせよ。

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2011年09月23日

●和文解釈入門 第126回

ロシア語の文法には二つある。日本語に似ているところとそうでないものである。ロシア語と日本語は系統が全く違う言語だが、同じ人間が話す言葉故、少ないとはいえ、日本語と似たもの、例えば、他動詞の用法や、完了体の存続の用法などがロシア語の文法にも見られる。だから文法を勉強するときには日本語にはまったくない名詞や形容詞などの格変化(曲用)とか動詞の活用、体の用法など、理解しにくいものに的をにしぼって徹底的に勉強するのが上達へのコツである。
設問)「もうタバコは喫わないと約束します」をロシア語にせよ。

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2011年09月24日

●和文解釈入門 第127回

ロシア語を上達するコツは多くの分野のロシア語の文章を多読すべきだが、たまには基本的な語彙の意味を、露露辞典やシノニム辞典でその細かいニュアンスを確認することである。露和辞典の見出し語、特に基本語は多くの文脈で使えるよう共通する要素を抽出して訳出していると思われる。ロシア語と日本語はまったく違う言語だし、文化も異なるため文脈によっては露和辞典の訳がぴったり合う事の方が少ない。それゆえ具体的な会話でよく出て来るもので、その訳がピンとこないものについては、露露辞典やシノニム辞典で、用法やその細かいニュアンスを確認する必要がある。さもないと基本的な単語でミスをすることになりかねない。
「ピックアップ」はレコードならзвукоснимательだが、車の方ならпикапとなる。
設問)「勘弁したいのは山々ですが、いたしかねます」をロシア語にせよ。

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2011年09月25日

●和文解釈入門 第128回

類義語のニュアンスの違いというのは、主唱者という意味でинициаторはニュートラルだが、зачинщикは悪いニュアンス(首謀者)となり、застрельщикはよいニュアンス(提唱者、発起人)となる。よく知られている動詞датьは「与える」という意味ではニュートラルだが、всучитьは悪いニュアンスで、賄賂などを「つかます」という感じであり、вручитьはややプラスのイメージで賞状などを「手渡す」という意味で使われる。「蛇行する」はзмеитьсяだが、蛇行が上から見て8の字を描くように見えるほど大きく蛇行する場合はпетлятьを用い、В этом месте река петляет.(この場所で川は大きく蛇行している)となる。гололёдとголодедицаは口語では凍結した路面(アイスバーン)を指すが、ロシアの気候予報士метеорологиは前者を電線や木の枝の凍結したものであり、後者のみが凍結した路面だと言っている。
設問)「彼は(今から)3日前についた」と「彼はその3日前に着いた」をそれぞれロシア語にせよ。

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2011年09月26日

●和文解釈入門 第129回

丸谷才一の「文章読本」の中に、「日本語はほとんど述語動詞がおしまいにゆく」、「たった、あった、行ったという文章の終わりが皆そろうのが直訳風の文章の欠点」であり、これの対処法として、「たとえば、過去の事を述べる場合にもところどころ現在形をまぜるのはすこぶる有効な手だろう。日本語には元々欧文ふうの厳密な意味での時制の習慣はないのだから、これで一向差支えない(場合が多い)し、情景はむしろいっそう鮮明にさえなるかもしれない」、「日本語には論理性が不足しているので、近代西欧語のうち何か一つを一応勉強すること」とある。日本語が時制や論理性を欠く言語だとは思わないし、そうだというのであればそれはそういう日本語の話し手や書き手の問題であると思うが、「文章のリズムを自由に変えるために過去形の続く文に適度の現在形の挿入は必要である」と三島由紀夫と同じことを言っているのは参考になる。日本語では過去時制において文の調子を整えるために「~した」と言う文末を続けずに、「~である」というような現在時制をはさんだ方が文章としては耳に響きがよいということである。つまりロシア語で過去の時制だから、日本語でも自動的に過去時制に訳すというのは悪文になる可能性があるわけで、文の調子も考える必要があるということだろう。日本語の時制はある程度は文脈で分かるものだからであろうから、それに屋上屋を架すのはくどいというのもあるのかもしれない。翻訳の上で何か一つ参考になったような気がする。逆に言えばロシア語の歴史的現在をそのまま日本語の現在で訳す必要はないわけで、文脈で生き生きとした感じが出せれば過去の時制で訳してもよいという事で、日本語として不自然かどうかが重要だということになる。丸谷はさらに続けて「である」づくめも止め、「〔なのに〕、〔だけれど〕、〔~のだから〕を活用すべきであり、体言止、文語体、口語的口調の混用だって効果があるかもしれない」と言っている。同じ観点からであろう。
今読んでいる木村毅の「小説研究十六講」(恒文社、1980年)は松本清張が小説家を志すに当たって重宝したというものだが、その中に偶然中村白葉による罪と罰の翻訳が人物・性格・心理の例として1ページほど挙げられていた。試しに12行ある文の文末を見てみると、「~た」ばかりである。確かにこれでは機関銃のようで芸がない。露文は過去時制なのだろうが、完了形も不完了形も、быть動詞もあるようなのだからおかしいように思う。山本夏彦が「本来、血沸き肉踊る大河ドラマであるはずのロシアの大作を、無味乾燥で晦渋な文章にしたのは岩波お抱えの米川正夫以下の翻訳者が「文法的に正しくありたいあまり、日本語のリズムを失ったからだ」と批判しているのも分かるような気がする。この山本がロシア語を知っているというのではなく、多分文末の調子などから判断したものだろう。私はロシアソ連文学の翻訳は読むつもりはないが、みなさんがお読みなるときや露文和訳するときに心の隅に留めておいてもいいかもしれない。
設問)「立ち話も何ですから、おかけ下さい」をロシア語にせよ。

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2011年09月27日

●和文解釈入門 第130回

受験英語で時制の一致を学ぶと自然とロシア語でもそうなのではないかと、中級者でも露文和訳のときに思う人もいよう。この点ロシア語は日本語と同じく時制の一致はない。例えば、Они ждали, когда перестанет дождь.(彼らは雨がやむのを待っていた)となる。когдаの代わりにпокаを入れても意味は変わらない。「~するまで」はпока ...не(完了体の動詞)と覚えている人もいるかもしれないが、主節にждатьやпройтиという動詞のある場合はнеをつけないのが普通である。
ロシア語を勉強していると、だんだん受け身の勉強(~をやれと言われる勉強)から自主的な勉強に移ってくる。そのときに参考書に答えがないような、あまりにも初歩的過ぎるようで聞くのがためらわれるような何らかの疑問が湧いてくるはずだ。もし湧いてこないというのであれば、そういう人は語学に向いていないと思う。なんらかの疑問があれば、頭のどこかで常に考えているわけで、あるとき答えが分かった時にAHA (Ага!)という瞬間を体験できる。こういう瞬間を多く経験すればロシア語を続ける刺激にもなるし、体の用法だってマスターできるようになる。
設問)「被害者は赤で横断した」をロシア語にせよ。

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2011年09月28日

●和文解釈入門 第131回

степеньはв/доと一緒になると、機能的副詞句とでも言えるような、形容詞の程度を示す副詞句になる。в достатоной степени (= достаточно), в значительно степен (= значительно), до (в) изветсной (некоторой) степени(ある程度)。他に、このような働きをするものに「~образом」がある。паллиативными образом(一時しのぎに), коренным образом(根本的に、徹底的に)などである。またмераもпо крайней мере(少なくとも)などと使える。формаにも似たような働きがある。в связном и последовательной форме(理路整然と一貫して)、в косвенной форме(間接的に、間接的な形で)など。最近はключを副詞句のようにしたものも見かける。в юмористическом ключе(ユーモラスに)などである。манерもそうだが、これは主語にはならず、на западный манер(西洋風に)とかна манер русских песен(ロシアの歌風に)の形を取る。по манеру + 生格は古い形であり、またкаким манером, таким манеромと造格になるのはこの二つぐらいで、古い用法としてはживым манером(手早く)があるくらいである。一方、似た語にманераがあるが、これは主語となり、後に不完了体不定形を従えて、манера говорить(話ぶり)とするか、複数形で使われることが多い。またманераはнабойная доскаのことで布や紙に模様を写す型染め用のステンシルである。一般的にステンシルというのは型板、型紙を指し、трафаретとшаблонはこの意味では同義語である。
設問)「実験はうまくゆくと考えてもらって結構です」をロシア語にせよ。

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2011年09月29日

●和文解釈入門 第132回

プロはこのコーナーの設問を見て1~2秒で答えか、少なくとも使う構文が頭に浮かぶはずである。語彙が頭に浮かばなければ、説明で切り抜けるしかない。そういう場合5分とか1時間後に最適な訳が頭に浮かぶことがあるが、通訳するにはもう手遅れである。だからプロを目指す人はこの短文の答えが瞬間に頭に浮かぶよう訓練した方がよい。ビジネスの場面で日本人の話す日本語は長いものが多く、結論がすぐには分からないことが多い。それで通訳の現場ではその長文を短く切って、短文にするために、メモや頭ごなし訳などの自分なりの工夫をすることになる。そういう意味でこのコーナーの設問は実践的と言える。
記事はстатья(学術論文という意味もある)だが、これは社説などの記事で、スポーツ記事はспортивная хроникаとなる。хроникаというのは雑誌、新聞などの日常的な短い記事や、テレビやラジオの短いニュースを指す。ヘルメットは工場や工事現場、警察官、現代の軍隊のはкаскаで、兜や昔の軍隊のヘルメットはшлемである。ではバイクのヘルメットはというとмотошлем (мотоциклетный шлем)といい、アメフトなどのはзащитный шлемという。очевидецもсвидетель「証人・目撃者」という意味では同義語だが、前者の方がより重要な事件の証人という意味合いを持つ。пощёчинаとоплеухаは同義語で「ビンタ」(平手で頬を打つこと)という意味だが、оплеухаは強く激しいビンタである。
設問)「何を根拠にあの会社があきらめると思っているのですか?」ロシア語にせよ。

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2011年09月30日

●和文解釈入門 第133回

設問を作るときは、ロシア語か日本語かは別にして、動詞句が浮かび、それを訳してみる。それが自分の和露の語彙集(すでに75,000項目を越えた)にあれば、その文例を使う。なければ使わず、別のを考える。私の語彙集の文例はソ連ロシア文学(エッセー、歴史、記録文学など)や通訳の現場でロシア人から聞いたものなどからこの40年間に拾ったものである。だからこのコーナーの設問に対する私の回答は、自分の想像で作ったものではないので正しいと自信を持って言える。投稿される回答に対する私のコメントは、正答、意味は分かる、間違いの三つに分けている。意味は分かるというのは、文脈によってはとか、ロシア人はこうは言わないだろうし、自分もこういうロシア語は使わないが文法的には正しいものという意味である。日本語で言えば、「私には子供がいる」と「私は子供を持っている」というような感じか。間違いというのは語法的(文法的ないしは語結合の)誤りで、分かる範囲で間違いを指摘している。すべて私の判断ではあるが、この指摘がおかしいと思うときは、遠慮なく連絡願いたい。私の指摘が間違っていれば、当然その旨訂正して、お詫びする。
可能性や能力というのはмочьやуметьを使わなくても表現できる。「ロシア語が話せますか?」をВы можете говорить по-русски?やВы умеете говорить по-русски?とする必要はない。Вы говорите по-русски?が普通である。このように不完了体を用いて表現できる。「彼は全部で500 kg持ち上げられる」もОн поднимает в сумме 500 кг.となる。これに完了体未来形を用いることもでき、Он поднимет в сумме 500 кг.となる。和訳は変わらないが、ニュアンスの違いは不完了体の方は彼が500 kg挙げた事があるという知識に裏付けされているが、完了体の方はその日彼の姿を見た印象で大丈夫挙げられるなという感じであり、例示的用法と呼ばれるものである。
設問)「彼は見かけほど単純ではないという気がしてきた」をロシア語にせよ。

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2011年10月01日

●和文解釈入門 第134回

日本人でロシア語の体の用法を間違わない人がいたとしたら、幼少時代をロシアで暮らしたバイリンガルだけであろう。早くても二十歳前後からロシア語を始めた人で、理詰めで説明できないが、感覚的に体の用法を80%ぐらいは正しく言えるという人はたまにいるだろう。こういう人は残りの20%がこのコーナーの例文のどれなのか分かれば、それを読んでそこだけ理詰めに理解すればほぼ100%間違えなくなる。また100%間違うという人はいないだろうが、いたとしたら、それはそれで、逆の発想をすれば100%正解となるわけだから簡単である。普通は50%、50%で、山をかけると外れるという最悪のパターンである。こういう人は第100回の表を読めば、少しは当たる確率が上がるかもしれない。この表もほぼ毎日手を入れてあるので、100回当時とは違ってきている。
酒を相手に注ぐ時や、車をバックさせるときなど、そのくらいでいいです〔OK〕と返事する場合があるが、これにはдостаточноという意味で、口語ではХорош.を使う。口語辞典では力点は後ろのoでも、前のoでも正しいことになっているが、個人的には後ろの方をよく聞くような気がする。
設問)「今もあなたは間違っているという考えに変わりはありません」をロシア語にせよ。

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2011年10月02日

●和文解釈入門 第135回

 ロシア語の会話がうまくなるには、ある程度ロシア語の作文をせざるを得ない場に身を置くことが大切である。それも自分の不得意な分野のものをやっておけばあとで話題が広がるし、如いては通訳やガイドの勉強にもなる。問題は露訳の種はその辺にごろごろ転がってはいるが、できた露文が正しいか、正しくないならどこがおかしいのが徹底的に見てもらわないとうまくはならない。作った露文に対して正解を示してもらうだけでは、あまり意味はないのである。和文露訳の答えが一つということはあまりない。作った露文がロシア語でそう言わないにしろ、どこを直せば通じるようになるのか、文法の誤りなのか、語結合がおかしいのかなど具体的に指摘してもらう必要がある。学習者がその点を自覚しさえすれば質問もより具体的となって、それが自身のロシア語能力のさらなる向上となって現れるのである。このコーナーの設問も、できるだけ通訳やガイドの現場でよく使われる表現を、それもできるだけ応用できるものを出題しているつもりである。こういう機会を利用してもらうに越したことはないが、匿名とはいえ投稿するには勇気がいるのかもしれない。それであれば回答例と解説だけでもいつか役に立つ事を願っている。
完了体は新規の事柄を示すために、その動詞本来の意味のほかにいろいろなニュアンスがつきやすい。不完了体はといえば、刺身のつまのようではあるが、動詞本来の意味が端然としてある。ここのところが体の使い分けの勘どころだと思っている。
設問)「なかったことにしましょう」をロシア語にせよ。

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2011年10月03日

●和文解釈入門 第136回

類義語の使い分けの勉強には露露辞典を引くのがよい。そのためにはロシア語の語義説明を理解できるという事が前提となる。国語辞典と同様露露辞典の語義解説のロシア語は基本的なロシア語で書かれているから、初級者はこのロシア語を読めるように勉強すれば、露文解釈の基礎の勉強となる。つまり読んで分かる(聞いて分かる)語彙пассивный запас словがつけばしめたものである。
 斜面で一般的な言葉はсклонで、山や丘の斜面。скатとсклонは同義語だが、скатは屋根にも使える。откосもсклонと同義語だが、道路の傾斜という意味もある。отлогостиは緩やかな斜面を指す。косогорは山、丘、谷の斜面である。
「人に~というレッテルを貼る」というのは慣用句でприклеить (прикрепить, навесить) ярлык + 与格(人)とするが、レッテルそのものはэтикеткаであり、薬の瓶などに貼ってあるものは(аптечная) сигнатуркаという。座席もсидениеが普通だが、宇宙船のシートはложементという。
設問)「彼は自転車を引いて歩いている」をロシア語にせよ。

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2011年10月04日

●和文解釈入門 第137回

鐘には捕虜の鐘пленные колокола、流刑の鐘ссыльные колоколаというのがあるが、失寵の鐘лыковые (опальные) колоколаというのもある。лыкоは菩提樹などの靭皮(内側の丈夫な皮)をいい、一揆の知らせなどを告げたという理由で鐘に恨みをもったツァーリが、(罪もない)鐘を打ち砕き、その後лыкоで縛りあげ、追放した鐘を言う。有名なのはドミートリー王子の暗殺を鐘が告げたことで怒ったボリース・ゴドゥノーフБорис Годунов(1552?~1605)の例がある。この事件は後に偽ドミートリー1世、2世、偽ピョートルなど100人余りの僭称者を生み、ロシア大乱の原因の一つとなった。飛行機や戦車を記念碑にする国だから、鐘がそのツァーリの願いを叶えなかったりしたら、鐘もそういう運命を辿ったのであろう。こういう鐘の流刑はさすがに18世紀の初めには見られなくなった。
すね(はぎ)というのは膝からくるぶしのところまでを指すが、それに近いロシア語のголень(голяшкаは口語)はчасть ноги от колена до ступни(膝から足まで)で、ступняというのは「くるぶしから下の足や足の裏」だから少し違う。
設問)「注文はお決まりですか?」をロシア語にせよ。

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2011年10月05日

●和文解釈入門 第138回

チンプンカンプンはВсё то, о чём в докладах сказано, для нас - китайская грамота.(報告書の中で言われたことはすべて我が国にとってチンプンカンプンだ)とか、Мамы не понимают в географии.(お母さん方は地理はチンプンカンプンだ)、Они ничего знать не знают и ведеть не ведают.(彼らは何も知らない → 彼らにとってはチンプンカンプンだ)と言える。言い回しとしては、тарабарская грамота (= китайская грамота), тарабарщина, дремучий (тёмный) лес что, ни бэ ни мэ, не иметь понятия о чём, ни бум-бум, волапюк(人工語の一つ)だが、専門用語や術語がチンプンカンプンだというときにはптичий языкを使うのが普通である。
設問)レストランなどで使われる「ローストビーフは終わりました」をロシア語にせよ。

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2011年10月06日

●和文解釈入門 第139回

とても清潔好きな人にハウスダストのアレルギーがあって、発症の原因はこの人がクーラーも掃除をしないとクーラー自体が埃をばらまいているということをテレビで知り、掃除を始めたところ、運悪く積もり積もった埃が頭の上に落ちてきてからだという事をテレビの番組で知った。それほど劇的ではないが、私にもハウスダストのアレルギーはある。たまに市販の薬を飲むくらいだから大したことはないが、この発症の原因については思い当たることがある。多分40年ぐらい前だろうかチェーホフとドストエーフスキーの全集などのソ連の本ををナウカ経由買いだした。当時1冊4000円くらいした。給料が12万円ぐらいの4000円だから決心が大変だったろうと思うかもしれないが、当時は独身だし他に趣味もなかったのであっけらかんとしたものだった。みな立派なハードカバーの本だが、梅雨を過ぎてからある欠点に気がついた。必要もないのだろう、カビ除け処理をしていないのである。そのためカビの綿毛というのか羽毛というのかにおおわれてしまった。ティッシュでふくと緑色である。青カビだったらペニシリンの原料になるのかもなと思ったりもしたが気持ちが悪いので、当時市販のカビ防止剤というの噴霧したりしたがまったく効き目はない。そのうち何年か経ってカビにとっても栄養がなくなったのかカビは生えなくなった。今の私のカビ対策は、上の棚の本にはほこり除けと湿気取りのために古新聞紙を載せ、半年にいっぺんくらい取り替えるぐらいであるが、効果のほどは気休め程度である。だから古い本を読むときは外に出て外側の埃を拭き取ってから、何回か本をバンバンと開けたり閉じたりする。面倒でいちいちマスクなどしないからだいぶ埃を浴びているのだろう。カビを好物にするものにダニがある。この糞とダニの死がいがハウスダストの主原因であるため、これがアレルギーの発症の原因だろうと思う。家にロシア語の本は辞書も含めて1700冊くらいある。その7割は20年前に安い時に(1冊100円くらい)でモスクワなどの古本屋で買ったものである。虫干しすればよいのだろうが、する気も起きない。
つい最近もその40年前に買ったドストエーフスキーの第4巻「死の家の記録」を、これは20年前に呼んだが中身をすっかり忘れてしまっていたのに気づき、ロシアのヤクザや囚人を調べる必要があって読み返した。間の悪い時に、同じような本はまとめて読もうと思って、ソルジェニーツィンの「収容所列島」も読み出した。これは大昔に邦訳で読んだが、これもロシア語で読んだことはないので、30年くらい前に買ってあったのを思い出して読み出したのである。無論2冊とも外で十分はたいてから読みだしたのだが、いまだに鼻がムズムズする。薬は飲みたくないのだが、1年前に期限切れの鼻水止めを飲んだ。普段薬を飲まないのでよく利く。ドストエーフスキーが特に良くない。しかし昔と違って辞書もそろっていることもあってソルジェニーツィンを読むのにも特に難儀はしないが、くしゃみと鼻水が困る。
設問)「家族を取るか、愛人を取るか、どっちを取るかを選べ」をロシア語にせよ。

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2011年10月07日

●和文解釈入門 第140回

このコーナーでは「ロシア人ならこういうであろう」と思われるものを私個人の見解として正解とし、それ以外を「文法的には正しいがロシア人はまずこうは言わないと思われるもの」、「語結合などところどころおかしいが意味は通じると思われるもの」に分けている。ただ文法的、語結合、文体がおかしいものは分かる範囲でその都度指摘するようにしている。試験をしているわけではないのだからそれだって正解の可能性はあるし、現実にロシア人との会話では切羽詰まれば私も使うかもしれないなと思うときもある。設問は短文であるとはいえ、正解が一つというのはよほど単純な文以外あり得ないので、ここでできるだけ多くの回答例を参考にして、自分の語彙を増やすチャンスととらえてくれればよいと思う。ロシア人のように話せることを目標にする人もいるかもしれないが、ロシア語を国際語(一応国連共通語であるから)と考えれば、日本人的ロシア語があってもよいし、意味が明確に伝わるなら、そのほうをロシア人が喜んでくれるかもしれない。文法的に正しく、語結合も気をつけていても、発想がロシア人と違うし、逆にそれがプラスである、つまり話を聞くロシア人のほうでも新鮮な日本人的発想を知ることになるからプラスであると考えればよいと思う。日本的な文化をロシア人の発想で説明したら、それはそれでいいのかもしれないが、そういうことを普通のロシア人が期待しているわけではないはずだ。
設問)「母は娘がアイロンをつけっぱなしにしたのでガミガミ叱った」をロシア語にせよ。

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2011年10月08日

●和文解釈入門 第141回

NHKのロシア語テキストや各社のロシア語参考書の練習問題を見ると正解が一つであるかのような錯覚を抱く。正解のバリエーションは無限とは言わなくともいくつかは(少なくとも二つや三つは)ありうる。正解が一つなのは紙面や文脈の関係でそうなるのであって、考えられるいろいろな回答のうちどれが文法的語法的に正しくて、どれが明らかに間違っているか指摘してもらえれば初級者は随分やる気も出ようし、会話にも取り入れられると思う。それが本コーナーを実験的に立ち上げた理由の一つでもある。
設問)「セメントや板も、変なところに置いたものはすべて盗まれる」をロシア語にせよ。

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2011年10月09日

●和文解釈入門 第142回

- Берёте?
- Беру.
という会話は市場や店でよく聞く。брать = приобретать за деньги, покупатьは口語で「買う」という意味だが、これは説明されなくとも雰囲気で分かる。しかし、語義はともかく、不完了体現在形なのだから、「取っている、買っている」ならともかく、どうして「買います(か)」という未来(ほんの少し先の未来とはいえ)を示すことが出来るのだろうという疑問がすぐにではなくともいつか浮かべばロシア語がものになる可能性がある。この動詞が特殊なのか、はたまた他の不完了体の動詞でも現在形ならこういう予定の意味で使えるのだろうか?この動詞については、自分もこの言い回しを店やで使えるが、暗記して終わりという人が多いだろうと思う。さらにВозьмёте? Возьму.と完了体を使ったらいけないのだろうかなど疑問は増すばかりだが、自然に答えが出てくることはない。親切なロシア人が答えを教えてくれるかもしれないが、本当にそうなのかは誰にもわからない。これはбратьなどの動詞は不完了体現在形で確実な予定を示すことが出来るからである。詳しくは第100回参照。このように文法を勉強すると言うのは語彙を増やす能率を高めるのに役立つし、応用が利く場合が多い。文法(特に体の用法)をやるというのは、決して回り道ではなく、大いなる近道なのである。
ついでに質問があったのでберитеとвозьмитеの違いについて書いておく。お店などではберитеを耳にする事が多いと思う。これは、買い物をするときに買い物客がものを手に取るか、品物に目をやったときに、売り手(売り子)が、Берите!(買ってください)と声をかけるわけである。これは売り手の意識の中に、関心があるからお客がその店に入るわけで、それなら買ってくれるのは当然という気持ちがあるから着手の意味が出てくるわけである。ところがВозьмите!というのは、家族からとか、売り手の方から買ってと提案する場合に聞かれる。これは売り手から買い手に対する新たな提案であり、買い手が買おうという気持ちがあるかどうかということとは関係ないものである。例えば絵葉書を買おうと、絵葉書の飾ってある店に入ったのに、人形をどうぞとい売り子から勧められるような場合である。市場Рынокに行けば、Берём! Берём!という言葉をよく聞くが、これは人称の転用で、買い物客の気持ちになりきるのと同時に、売り手として買ってもらって当然という気持ちが出て、「買おうよ、買おうよ(日本語では買った、買ったと一見時制の転用のような言い方をするが)」と言っているわけである。このような場合完了体でВозьмём!というのを聞いたことはない。市場に来た以上買い物客はものを買うものだという意識が売り手にあるからである。ここのところを完全にマスターすれば、不定法でも応用できるし、不完了体というのがその場の雰囲気に逆らわない(無標の)用法だということが体感できるはずである。またбериの訳については、「持ってけ(ぇ)」の方がより意味が近いと個人的には思う。客がねぎっていると、売り手が最終的な値段を言って、「持ってけ、泥棒」というのを日本の魚市場などでも聞くことがあるが、それに近いと考える。
設問)「彼女は未婚だが彼氏はいる」をロシア語にせよ。

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2011年10月10日

●和文解釈入門 第143回

ロシア語には「いただきます」に当たる表現はないが、ロシア人に説明する場合どうなるだろう?これは私ならЯ буду есть.とする。逆に日本語にはПриятного аппетита!(強いて訳せば「おいしそうですね」とか、食事をしている友人への別れの挨拶なら「お先に」だろう)にあたる表現はない。生格が来ているのは次にжелаю/желаемという生格を取る動詞(一般にロシア語の動詞には願望には生格が来ることが多い)が省略されていると考えられるため。この表現はフランス語由来 bon appetit(お腹一杯召し上がれ)であろう。желатьは本来は補語が抽象的なものが主体なので生格を取るが、具体的なものについては対格を取る場合もある。これは生格というものに抽象的なものを、対格が具体的なものをというロシア語の動詞(欲求を意味するпроситьなど)の本来の使い方から来ている。またжелатьは最近хотетьの代わりに使われるようになってきているが、これはソ連崩壊後、接客(サービス)に対する意識の変化もあるのかもしれない。動詞 (просить) のように、これが廃れてきているものもある。
 否定生格というと、なんでも他動詞を否定すれば生格となると考えるのは間違いである。基本は抽象的なものは否定形において生格が、具体的なものは対格が来る。現実的には具体的なものでも生格が来る場合が多いが、Я не люблю её жену.(彼の奥さんを私は好きではない)はженыとはならない。
出世主義者はкарьеристだが、他にМолчалинやФамусовも意味が似ている。ともにГрибоедовのГоре от умаの登場人物だが、使うニュアンスはかなり違う。Молчалинの信条はУмеренность и аккуратность(ほどほどと几帳面)であり、上司の前ではへつらい、謙虚である。余計なことは口にしない慎重さを持っている。一方Фамусовは上にはへつらい、部下にはふんぞり返るという、あまり昇進が望めそうもない小役人タイプである。
設問)「諸君が任務を遂行したという報告を直に受けるために明日同じころに来る」をロシア語にせよ。

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2011年10月11日

●和文解釈入門 第144回

首はшеяで、чрезвычайно полный, почти совсем без шеи(とてつもなく太っていて、ほとんどまったく首がない〔猪首である〕)と使うが、「お前の首に高値がついている」という場合はТвоя голова в цене.であり、首狩り族もохотники за головамиとなる。ただ食器や瓶の首はгорлышкоという。「ホバリングする」や「静止飛行をする」はвисетьだけで、Вертолёт висит на одном месте минут пять.(ヘリコプターは5分ほど同じところで静止飛行をしている)とし、висеть в воздухеの方は比ゆ的に「宙に浮いている」という意味で使う。Многие из этих принципов висели (повисали) в воздухе.(これら原則の多くが宙に浮いていた)となる。
設問)「よそ見していて乗り過ごしてしまいました」をロシア語にせよ。

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2011年10月12日

●和文解釈入門 第145回

体の用法の違いを簡単に述べるならば、一般向けの参考書においては、完了体は新規の事柄(有標性маркированность)について用い、不完了体はそうではない事柄(無標性немаркированность)や、そこから発生する繰り返し(習慣)に用いるとある。しかし通訳やガイドで実際に和文露訳をする場面では、時制によって、また動詞群によって体の使い分けをせざるを得ず、体の使い分けが非常に分かりにくい。自分の経験から言うと、実践面では体の使い分けを、完了体中心ではなく、不完了体を中心に据えてみてはどうだろう。つまり不完了体を線路(レール)の上を走る(止まらない)電車だと考えるのである。電車はレールから外れないことになっているから、真理について不完了体現在形を使うというのも真理という線路の上を走るからだし、繰り返しは、線路の上を往復するからであり、過程(進行形)は今まさに線路の上を走っていることを意味しているということになる。そこから、線路を外れずに行動するのが当たり前という空気を読む、いわば回りの雰囲気に合わせて動作するという着手の意味も出てくる。また線路がある以上、これから先にも線路が敷設されているのだから、そのまま線路の上を走り続けると言う意味で確実な予定という意味も生まれてくる。予定があればそれを守ろうとするわけで、時間厳守という観念から切迫感や線路から外れてはいけないということで義務の観念も派生してくるはずだ。義務の観念があれば、不完了体を否定するときに、義務の否定で、禁止という観念が出てくるのは論理的である。また線路があるという考えを否定するわけだから不要性という考え方も出てくるのではないだろうか。線路だけ(あるいは線路の上の電車だけ)を考えに入れるので、つまり駅などを考えに入れないので、過去の動作は通過した線路のどこか後の方ににある(行われた)わけであり、その場所が具体的にどこか分からないわけだから、それが動作の名指しということになる。
完了体について言えば、線路から脱線するとか、線路を抜きにして動作を考えるということになり、線路がないのだから動作の可能性は広がるわけで、そこから可能性(否定すれば不可能)が出てくるし、可能性というのは「何かあったら~する」ということだから例示的用法となる。線路がないのなら(あるいは駅を想定に入れてよいのなら、立ち止まってよいのなら)、具体的に動作の起こった場所を特定できるわけで、それがアオリストとなる。線路があってもなくても、立ち止まって状況確認したとすればそれが結果の現存につながる。これが今の段階での私の「不完了体線路説(レール説改め)」であり、今後これを発展させることができるかもしれない。ともかく実践的な体の使い分けを考える上で一つのアプローチではないかと思う次第。
設問)「まあ、すみません。お手紙を読むつもりはなかったのです。ついうっかり開けてしまいました」をロシア語にせよ。

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2011年10月13日

●和文解釈入門 第146回

前回で不完了体線路説(レール説改め)を唱えたが、これは過去の出来事を眼前で起こっているかのようにまざまざと描くという歴史的現在にも当てはまる。つまり線路を仮想のものと考えるのである。目には見えるが実体がないというようなものだ。実体がないのだから、用法は一見不完了体ではあるが中身は完了体と同じという事になる。
初学者のためにсмотретьとвидетьの違いを書いておく。前者は「視線を向ける」ということで、対象が見えていることを必ずしも意味しない。一方後者は視線を向けることを意識しないが、対象は目に捉えているという意味である。だから、Глаза смотрят, но не видят.(見れども見えず)とか、И она смотрела на него и не видела.(彼女は彼の方を見ているようで見ていなかった)などは、「視線を向ける」と「見て気がつく」の違いであり、他にもЯ просто глазел, но не видел.(私はただ見てはいましたが、気がつきませんでした)がある。また目に対象をとらえていても本質的な意味では理解していないという意味で、Он очень много видел, но почти ничего не "увидел".(彼はとても多くのものを見ていたが、ほとんど何も見つけることができなかった)というのもある。слушатьとслышатьの違いも同様である。
設問)「どこを怪我なさったのですか?」
「胸と肩と顔です」をロシア語にせよ。

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2011年10月14日

●和文解釈入門 第147回

ロシア文学に興味ある人のためにこれから何を読むべきかについて、「19世紀ロシアの作家と社会」、R. ヒングリー、川端香男里訳、中公文庫、1984年が参考になりそうなので紹介する。本書は1825年から1904年のロシア文学について作家及び社会を扱ったものである。ソ連時代に出版されたものとしてはソ連国内でこのようなものは出版できなかったからというだけでなく出色の出来である。ただソ連崩壊後Энциклопедический словарь росийской жизни и истории(ロシアの生活・歴史百科), Беловинский Л.В., ОЛМА-ПРЕСС, 2003(6000項目)なども出てきているので、ロシアの実社会を知る上でその重要性は薄れてきてはいるが、文学という面に限れば一読の価値はある。本書は1977年版の翻訳である。著者はアレクサンドル2世の治世の時代にロシアソ連文学の精華が生まれたとしており、具体的にはそれは1856年から1880年の期間で、13の長編小説(レフ・トルストイの「戦争と平和」、「アンナ・カレーニナ」、ドストエーフスキーの「罪と罰」、「白痴」、「悪霊」、「カラマーゾフの兄弟」、ゴンチャローフの「オブローモフ」、トゥルゲーネフの「ルージン」、「貴族の巣」、「その前夜」、「父と子」、「煙」、「処女地」)を挙げ、このほかにその前に出たプーシュキンの「エヴゲーニー・オニェーギン」、レールモントフの「現代の英雄」、ゴーゴリの「死せる魂」の3作を挙げている。この後に出たレフ・トルストイの「復活」、ソログープの「小悪魔」、ベールィの「ペテルブルグ」、ショーロホフの「静かなドン」、パステルナークの「ドクトルジバゴ」、ゴーリキーの「フォマー・ゴルジェーエフ」や「アルターモノフ家の事業」、ピーセムスキーの「千人の農奴」、ゴンチャローフの「断崖」、レスコーフの「僧院の人々」、サルトィコーフ・シシェドリーンの「ゴロヴリョーフ家の人々」はいい作品であるにせよ、上の13作に比べればそれほど評価しないという。個人的にはトゥルゲーネフのロシア語は美しく、ロシア語の勉強にはなると思うが、今日的な意味のある作品とすれば、トゥルゲーネフを入れるなら、「ドクトルジバゴ」、「僧院の人々」、「静かなドン」、「小悪魔」を入れた方がよいという気がしないではない。ソ連時代の作家が二人だけとさびしい限りだが、個人的にはプリスターフキンПриставкинの「黄金を帯びた黒雲が一夜を共にしたНочевала тучка золотая」もいい作品だと思う。
 短編ではチェーホフが断然トップであり、戯曲(劇作品と訳している)では、チェーホフとオストローフスキーを挙げ、その他の作家の個々の作品ではグリボイェードフの「知恵の悲しみ」、ゴーゴリの「検察官」、トゥルゲーネフの「村の一月」、レフ・トルストイの「闇の力」、ゴーリキーの「どん底」を挙げている。回想録ではゲルツェンの「過去と思索」、ゴーリキーの「幼年時代」、「人々の中で」、「私の大学」、「回想」、レフ・トルストイの「幼年時代」、「少年時代」、「青年時代」、ドストエーフスキーの「死の家の記録」、アクサーコフの「家族の記録」と「孫バグローフの少年時代」、詩ではネクラーソフの「ロシアは誰に住みよいか」、チュッチェフ、フェート、マイコーフを挙げている。いずれにせよこれからロシア文学を本格的に読もうとする人にとっての一つの指針であることには違いない。
 それといつもひっかかるのは「貴族の巣」дворянское гнездоという題名である。確かに直訳すればそうだろうが、泥棒の巣でもないのだから、いい加減、正しい訳語である「貴族の屋敷」とでもするべきではないか?それと「静かなドン」も、日本語らしい七五調のリズムを考えるなら「静かなるドン」の方が響きがよいと思う。
設問)「取りあえず火曜という事に、でも時間はさらに詰めましょう」をロシア語にせよ。

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2011年10月15日

●和文解釈入門 第148回

いくら長年連れ添った夫婦でも侵してはならぬ領分というのが多々ある。我が山の神は料理であれば、いくらでも侵してもかまわぬと宣(のたま)が、いくらなんでも何十年厳然とその領域は存在するわけで、勝手にお言葉に甘えるわけにはいくまい。口は出すが手は出さずを謙虚に長年守っている(たまに食器は洗う)。誤解のないように言っておくが料理が出来ないわけではない。モスクワへの単身赴任のときでも1週間に1回は米を炊き、小分けにして後は冷凍していた(妻の指示のもと)し、週に2度は味はともかく栄養満点の野菜スープを作ったりしていたから、ジャガイモの皮もむけるし(皮むき器を使うが)、玉ねぎも、人参も切れる。家にいると朝昼は食べるものが決まっているので、家内から毎日かようなお言葉を賜る。
妻「今日ノ夕飯ハドウシマセフ?」
僕「任ス」
妻「任ス任スッテ、何モ考エテナイジャナイノ。(豆腐ノ料理)ハ如何デス?」
僕「ヨキニハカラヘ」
カッコ内は毎日変わる。カヤウニ晩飯ニツイテハ余ハ不完了体ノ人ナリ。
設問)「お待たせして申し訳ありません」
「待ったなんてとんでもありません。私も来たばかりです」をロシア語にせよ。

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2011年10月16日

●和文解釈入門 第149回

「不完了体路線・線路説(レール説改め)」に新たな展開があったので追記する。бытьの未来形 + 不完了体不定形で「~するつもりである」の意味の用法は未来時制における着手と考えればよい。路線や線路を例に使うなら、駅からある路線の電車に乗り、あとは身を任せて目的駅まで行くという事になる。この用法は口語的用法で標準的にはсобираться 他 + 不定形を使う、つまりどの不完了体動詞でも使えるというわけではない。これは駅というのはどこにあるわけではないが、駅に行きさえすれば路線は最低一つはある。完了体未来形で意志を示せる場合があるが、それなどは車を使うようなものだろう。車は道路がなければ走れないという制約はあるというものの、自宅から目的地まで基本的に自由に行けるという点が電車などとは大いに違うから体の用法もこれに似ていると言える。この他にも、この不完了体の用法は電車の後方に線路を見るのではなく、いくつかの既に存在する路線を見て、そのうちの一つに乗り換えると考えてもよい。高村光太郎の詩に「僕の前に道はない。僕の後に道はできる」というのがあるが、新たに線路を敷設するというならそれは完了体の考えで、不完了体においては、路線は路線でもあくまで既存の路線ということになる。
 タイム誌で中国の愛国主義復活についての記事を読んでいたらCCPというのがやたらに出てくる。暑さで頭が朦朧としているのかと思い読み返してみたら、前の方にChinese Communist Party(中国共産党)とあるではないか。СССРの亡霊かとか、C (caresは心配事、苦労の種という意味)一つないだけで随分違うな(経済がうまくいっているな)などと考えてしまった。
 Шила (шило) в мешке не утаишь.という諺を一見すると意味が似ているからといって、直訳して「嚢中の錐」と訳すと誤訳になる。嚢中の錐は才能のある人はたちまち外に現れるということだから意味が違う。この諺は日本語の「隠れたるより現るるはなし」のように悪事露見という意味で使われることが多い。ちなみに嚢中の錐はВидна птица по полёту.とか、Золото и в грязи блестит.となる。「これは序の口」をЭто еще цветочки, а ягодки впереди.と訳しても間違いではないが、ロシア語の諺はもっとひどいことが起こるという意味なので、そういう意味でない時にはЭто ещё преддверие.などと訳し分ける必要がある。諺は取り扱いが難しく、形は似ていても日本語とロシア語では用法が違う事が多々あるので露露辞典や、できればロシア語の諺辞典で意味と用例をチェックしておく必要がある。
 スケジュールはграфикだが、расписаниеは時間と場所、行う事の手順をかいたもので、これをスケジュールと訳してもよいが、時間割、時刻表といったところである。
設問)「何が書いてあるのか分からない」をロシア語にせよ。

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2011年10月17日

●和文解釈入門 第150回

このコーナーのナビゲーション用の体の使い分けの表については第177回を参照ください。
設問)「男には家事の事など分からない」をロシア語にせよ。

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2011年10月18日

●和文解釈入門 第151回

ロシアの宇宙飛行士は案外ゲンをかつぐようである。これは未知の危険に直面せざるを得ない職業として当然のことなのかもしれない。出発前には必ず「砂漠の白い太陽Белое солнце пустыни」という映画を見るのがしきたりになっているという。これは1969年の映画だが、当時最初は内容的にお蔵入りとなった。それで監督のレオーノフは出発前の宇宙飛行士の気分を高揚させようとして、この映画を小数の宇宙飛行士たちに見せたところ評判がよく、その噂はブレジネフのところまで届いた。ブレジネフもこの映画を見て気に入り、全国上映が許されたというものである。一度見た宇宙飛行士の中には2回見るのは嫌だという人もいるのは当然で、あるときこの映画を見なかった宇宙飛行士の出発が取りやめになったことがある。それからは必ず出発前に上映され、宇宙飛行士は何度でも見るという。
 ロケットに乗り込む前、宇宙服を着てから、宇宙飛行士たちはバスでロケットのところまでゆくのだが、その短い時間(5分くらいか)に一度バスから出て、バスの後輪におしっこをかけるという。これをна колесоという。これはガガーリンが始めたことで、彼のロケットには飛行時間が短い(108分)こともあってトイレがなかったからだとも言われている。これがしきたりとなったわけだ。大して面倒なことでなければしきたりを変えないという気持ちは分かる。宇宙飛行士もロケットに乗りこんでから宇宙船のトイレАСУ (ассенизационное устройство)に行けるのは6時間後というから分からないわけでもない。
軌道はорбитаで間違いではないが、これは天体、電子、宇宙船のように何かの回りを回るという前提がある。ところが日本語の軌道には宇宙船のтраектория сближения接近軌道のように空間を移動する点あるいは物体の線という意味もある。これはтраекторияといい、分かりやすい例で言えば弾道もそうであり、この軌跡は空間でなく平面上にある。
設問)「ナースチャは他の誰よりも日本語が出来たし、それほど正確ではないとはいえ、ぶっつけ本番で通訳することが出来た」をロシア語にせよ。

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2011年10月19日

●和文解釈入門 第152回

通訳、翻訳、ガイドといろいろなロシア語の仕事をしてきて、それなりに面白いと思う事はあるが、ロシア語をやって本当によかったと思うのは、生のロシア人といろいろな雑談をするときである。お互いの生い立ちを聞いたり話したり、いろいろな物事に対して意見交換ができるというのは自分の知識の幅を広げることになる。また読書尚友というのは書物を読むことによって、昔の賢人を友とすることであるが、ロシア語の本は一部の文学書を除きほとんど和訳されていないし、古今東西いろいろな考え方を知るチャンスでもある。ロシアの技術は宇宙関係などでアメリカより進んでいるものもあると言えるかもしれない。日本はどうしても欧米に目を向けがちで、バランスを取るためにもロシアに目を向けるのも必要だと思う。特にロシアは国が広く多民族国家であるので、今後の世界を占う上で、ロシアでの民族関係というのは、日本のような単一民族国家で外国人労働者の受け入れとか、外国人との付き合い方など大いに学ぶ余地があると思う。
期待というとнадеждаと思うかもしれないが、これはよいことがあると信じることであり、何かいいことがあるかもしれないとワクワクするような気持предвкушениеではない。ожиданиеにもнадеждаという意味もあるが、ほかに予想という意味もあるので使い方に注意したい。色はцветだが、цветやкраскиは自然の色であり、колерは画家、ペンキ屋の用語、окраскаは動物、鳥、昆虫の色を指す。
設問)「彼は妻に先立たれた」をロシア語にせよ。

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●和文解釈入門 第152回(訂正)

ぼけてきたのか設問に回答を書くというへまをしてしまいました。設問を変えたのでご容赦ください。

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2011年10月20日

●和文解釈入門 第153回

自分の和文露訳の実力がどのくらいか、どの程度までロシア人に通じるかはできるだけ長い文章を書いて、日本語の分かる本のプロ(作家や編集者)であるロシア人に見てもらえばよい。そこで、ユーラシア・ブックレットに「ロシア人と日本観光案内」を書いたが、その中に「ロシア人観光客のよくする質問」というページがありこれを膨らまして、まず日本語で原稿を書き、それをロシア語に直して見た。本コーナーの設問は短文での和文露訳となっているが、実際に通訳する場合には、短文だけというのはほとんどありえないわけで、文と文をつなぐ接続詞などの用法の勉強が必要となる。自分が人にそういう事を教える実力があるかの試金石にもなるという意味で出来上がったのが「ロシア人の疑問」という原稿であるが、諸般の事情のため出版の見通しは立っていない。内容は、(A. 日本の基本情報: 1. 役立つ豆知識 2. 呼びかけ 3. 人口 4. 地理 5. 神話 6. 歴史 7. 日本人の宗教心 8. 神社 9. 宗教 10. 気候 11. 日本語 12. 権力と天皇 13. 地震 14. 台風 15. 軍事力; B. 日常生活: 1. 挨拶 2. 家族 3. 結婚式 4. 葬式 5. 和食 6. 食べ物 7. 酒 8. 漢字 9. 動物 10. 花粉症 11. 交通機関 12. 安全 13. 住宅事情 14. 公共サービス 15. 街路で; C. 旅行: 1. 東京 2. 京都 3. 奈良 4. 日光 5. 富士山 6. 花見 7. 着物 8. 日本のお土産 9. お守り 10. 野外のリクリエーション 11. 禍福 12. 温泉 13. 独特の食材 14. 珍味 15. 風変わりな日本; D. 文化・社会: 1. 縁起と迷信 2. スポーツ 3. 教育 4. 隠れた名所 5. 茶の湯 6. 日本人気質 7. アメリカ人、ロシア人 8. 禅 9. 幸福観 10. 女性の地位 11. 結婚 12. 医療制度 13. 政治 14. 夫婦関係 15. 映画; E. ビジネス・経済: 1. 名刺交換 2. 産業 3. 根回し 4. 稟議 5. ロシアとの経済格差 6. 給与・年金 7. 富豪と乞食 8. 今後の景気 9. 不動産 10. 外国人への応対 11. 労働条件 12. 余暇 13. 日本の外国人 14. 課税率 15. ビジネスの風習)の75項目であり、それに3つぐらいの問いとその答えがあるから、全部で200以上の問答があることになる。いずれもガイドや通訳の現場で実際にロシア人から質問されたものである。
2週間ほど前にウラジオ在住のメル友のヒサムヂーノフХисамтудиновさんから、最近「東京横浜のロシア人」という原稿を仕上げたが、念のため日本の人や建物、地理などの名称なども含めてチェックしてほしいというメールが来た。同氏は極東連邦大学教授、史学博士、元国立極東技術大学日本学・朝鮮学講座主任(профессор Дальневосточного федерального университета, доктор исторических наук, бывший заведующий кафедрой японоведения и корееведения Дальневосточного государственного технического университета)であり、日本語にも堪能で、日本語で文献を読むぐらいの人ではあるが、日本の習慣についてもいろいろ具体的に聞きたいことがあるという。こういう依頼なのでいい機会だと思い引き受けることにして、交換条件としてこの「ロシア人の疑問」のロシア語の部分のチェックをお願いしたところ快諾を得た。
同氏には、本書の目的が日本人による和文露訳の学習用参考書であるため、意味や論旨が明快であるか、文法的に正しいか、語法(特に体の用法)が正しいかを中心に添削してもらい、美しいロシア語であるとか、プロのロシア人作家(同氏もそうだが)の私ならこう書くというふうなロシア語での意訳は不要であることをくれぐれも念を押しておいた。そのためロシア人からみればぎこちのないロシア語かもしれないが、日本語の原文を書いた本人がロシア語にしているため的外れの誤訳はないはずであるし、和文露訳を勉強する日本人学習者にとっても露訳のプロセスが文と文が対応しているので分かりやすいはずだと自負している。
幸い、一番心配していた体の用法は5か所ほどしか朱が入れて(訂正が)なく(ミスタイプなどはいっぱい見つかったし、若干よけいな接続詞は削られたりした)、本にすれば200ページぐらいの小冊子でその半分がロシア語という事を考えれば、日本人としてはいい方かなと思う次第である。原稿を書いたのが1年半前なのでその間に私の体の使い分けについて見る目も長足の進歩を遂げた(!?)ということかもしれない。彼が添削で指摘したのは、1~9までの数字は数字で書かずодин, четыреなど文字で書くという事と、接続詞にはさまれた前置詞は後の方では省略しないということである。例えば и для Артемьева и Синцоваではなく、и для Артемьева и для Синцоваと書けということである。また「2回~する」のдва раза はдваждыと直された。参考のために彼が朱を入れたところを次に示す。このサイトでは朱で表示できないので[]に代えた。最初のはрекомендоватьが完了体・不完了体同形なのでどちらでもいいやと思っていたら直された。完了体のつもりなら、はっきりと完了体で示せということらしい。スペルミスが多いのはお恥ずかしいかぎりである。
問)どんな日本のお土産がお勧めですか? Какие японские сувениры вы рекомендуете купить?
答)私なら招き猫と達磨を勧めます。招き猫にはいろいろあって、右手を挙げているのは金運を招き、左手は万客到来、両手ならどちらもとなります。また黒猫は厄除けです。達磨はインド人の禅宗の創始者で、むっつりとした顔をした赤い像で、目の代わりに白い丸がある。ダルマは福を招きます。ダルマの気を引くために、目を一つ入れ、念願成就のあかつきにはもう一つの目を書き入れます。
Я бы [по]рекомендовал вам купить манящую кошку и дхарму. Эти кошки бывают разные. Одни поднимают [правую лапу], что, говорят, зазывает в дом денежную удачу. А другие – лев[ую], много посетител[е]й. [Если подняты обе лапы, это и к удаче и гостям]. Чёрная манящая кошка – это талисман от несчастья. Дхарма происходит от индийского основателя дзэн-буддизма. А это для нас простая красная статуэтка с хмурым выражением и с белым[и] окружностями вместо глаз. Дхарма приносит сча[с]тье. Чтобы его заинтересовать, на лице Дхарма рисуют сначала один глаз, и лишь после того, как Дхарма исполнит желание, ему подрисовывают второй.
 ちなみに、ヒサムヂーノフさんの原稿に私が朱を入れたところを示す。
На него ответил флагман японского флота броненосец Дзюй-Дзе-кан[Адзума-кан (Стон Уол был переименован в Адзума-кан, а еще существовал Рюдзё-кан)], который не так давно принадлежал американскому флоту южан и носил название «Stone Wall». これは明治の初めに日本の政府が保有していた軍艦についての記述である。彼はこの本の中に私の原稿の日本人気質に関するものを引用して紹介してくれた。私の本が出る見込みがない以上、幻の引用に終わりそうである。ちなみに同氏には、「北海道函館のロシア人――余白のメモРусские в Хакодате, или заметки на полях」(極東大学出版部、2008年、ウラジオストーク)、「ロシア的長崎――稲佐での最後の停泊Русский Нагасаки или последний причал в Инасе」(極東大学出版部、2009年、ウラジオストーク)、「ロシア的日本 Русская Япония」(Вече, 2010, Москва)他の著書があり、日本のロシア人も含めて外国のロシア人が研究テーマのようである。ホームページは、http://khisamutdinov.ru/forum/などであり、ご興味ある方はどうぞ。
設問)「悪い方のじゅうたんの色は何色だったか?」をロシア語にせよ。

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2011年10月21日

●和文解釈入門 第154回

ロシア語の文法では体の用法など日本語の文法と発想が違う、つまり我々日本人にとって理解しにくいものを徹底的に覚えるのが重要である。語彙についても同様で、類語の違いを覚えるのは当然だが、その他の、例えば、動詞でも接頭辞за-のつく動詞群は意味上で9つに分類されるとあるが、その中で直接補語(目的語)に場所を取り、その表面をもの(造格)で占めるという動詞群がある。Мастер замазал щели в окне замазкой.(親方は窓の隙間を塗りつぶした)などとなるから補語の取り方が日本語とはだいぶ違う。同じグループのзаваритьも溶接するという基本的な意味のほかに、溶接で塞ぐ、つまり補修溶接するという意味である。この動詞群にはзабить, забросить, забрызгать, завалить, заварить, завесить, завязать, заклеить, закрасить, закопать, закрыть, залить, замазать, заполнить, заправить, засадить, заселить, засеять, заставить, застроить, засыпать, зашить, заштукатуритьがある。
設問)「これは飛行の115秒に起こる」をロシア語にせよ。

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2011年10月22日

●和文解釈入門 第155回

前々回で紹介したヒサムヂーノフ氏の著書はナウカ、日ソ図書、Ozonで発注可能である。ご興味のある方はどうぞ。
和文露訳をするときには体の用法のほかに類語の使い分けが必要なことは何度か述べた。同じ類語の使い分けと言っても、理由を示す前置詞(句)の使い方を覚えるというのは、今風のゲーム感覚で言うと自分の武器が増えるのと同じである。これまでは名詞とともにその語結合を丸暗記とせざるを得なかったが、それでは芸がない。シノニムの辞典に沿ってその使い分けについて書いて見よう。из + 生格は制御可能な感情や意識的行動を示す名詞と共に使われる。「同情から、思いやりで」という意味でиз сочувствия, из состраданияなどという。一方от + 生格は感情の制御が不可能な名詞が後に来て、жёлтые от никотина пальцы(ニコチンで黄色く染まった指)などという。これはпроисходить от + 生格という由来を示す用法とも関係あるのかもしれない。жалость「憐み」はиз (от) жалостиとどちらでも使えるが、この名詞自身、感情が制御可能とも不可能とも言えないからだろう。これに似ているのがс + 生格だが、一時的にコントロールできなくなるとか衝動的な原因というニュアンスがある。с похмелья(二日酔いで)、с голоду(飢えて)、с непривычки(不慣れなせいで)、с испугу(びっくりして)などである。из-за + 生格は知っている人も多いだろうが、好ましくないこと、想定外のこと、それと目的を示す名詞が来る。Я всю жизнь работал из-за денег.(一生金のために働いた)という場合、このиз-за денег(金のために)というのは金を悪いものと考えているというよりは、この場合目的と理解するのである。по + 与格は動作や状態が内的な原因であるもので、по ошибке(間違って)とかпо случайности(偶然に)とかПо слабости здоровья он не смог служить в армии.(虚弱だったせいで彼は軍隊勤務が出来なかった)がなどである。за + 造格は原因に拒否や欠乏が来る。за ненадобностью(不必要なので)、за неимением лучшего(ましなものがなかったので、もっといいものがなかったので)などである。благодаря + 与格も知っている人が多いと思うが、元の動詞の意味が反映していて肯定的な原因を意味するが、最近のマスコミの記事などを見るとよくない原因にも使われだしているが、外国人である我々が真似をする必要はないと思う。по причине + 生格は特にニュアンスなく一般的な原因に使われるが、ぬらりひょんのような感じでつかまえどころがない。そのため官庁用語でよく見かける。日本人がこれを使って文を作ってロシア人に見せると大概他の前置詞(句)に直される。多分ニュアンスに乏しいから嫌われるのだろう。それとレーマ(テーマとレーマの項参照。新しい情報を示す)に使われるので、それを理解していないと使いこなせないのかもしれない。вследствие + 生格は客観的な原因を示すために、人間の動機には使われない。それと原因が先に来て結果が後に来るという時間的順序を厳守する表現である。в результате + 生格は原因と結果に密接な関係があり、総括的、本質的な原因に用いられる。ввиду + 生格は人間の意思には無関係の非常に重要な決定に関し用いられる。в силу + 生格は不可避というニュアンスがあり、具体的な原因ではなく、徴候などを意味する。
設問)「否定も肯定もせず彼は聞き返した」をロシア語にせよ。

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2011年10月23日

●和文解釈入門 第156回

和文露訳で使える表現の続きで、よく使われる「~のために」という前置詞(句)の類語の使い分けについても類語辞典の解説に添って書いてみる。для + 生格が一般的だが、意識的行動、直接的結果というニュアンスなのでそれを覚えておくとよい。ради + 生格は「他の人のため」というニュアンスが強く、低俗なものには使わず、また直接的なものという感じではない。на + 対格は仕事(работать, работа)と強く結びつき、意識的であり、報酬というニュアンスがある。そのため技術関係でよく見る。за + 対格は「戦う」воевать, сражатьсяやотдать жизнь(命をささげる)という動詞と結びつきやすく、радиと意味が近いが、直接的というニュアンスがある。во имя + 生格はこれもрадиと意味が近いが、自らを犠牲にしてというニュアンスが強く、用いられる対象はグローバルなものであって、во имя будущего поколения (родины)〔未来の世代(祖国)のために〕などであり、総括的なニュアンスがある。そのためво имя человечества(人類のために)の代わりにдляを使うと非常におかしい感じがすることになる。на благо + 生格やво благо + 生格は客観的に利益があるというニュアンスである。さらに加えてво благоは遠い将来の見通しというニュアンスもある。в пользу + 生格は個人(集団、企業、国など)の金銭(物質)的利益のためにというニュアンスで使われる。得られる利益は直接的なもので低俗なものではない。
設問)「彼の設備の(設備を運転する)テクニックはまだまだだ」をロシア語にせよ。

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2011年10月24日

●和文解釈入門 第157回

最近「物言わぬ者たちの言葉(20世紀のロシア農民の日常生活)Речи немых, повседенвная жизнь русского крестьянства в XX веке, Бердинских, ЛоманосовЪ, 2011」という本を読んだ。20世紀初頭からコルホーズ、第二次大戦を生き抜いた農民たちの生活の聞き書きである。食べるものがなくなりツクシпестикиを食べたとか、コルホーズでは給料が支払われず労働日を記入してわずかの現物支給を受けるだけだったとか、国内パスポート(国外パスポートなど論外)も与えられず、移動の自由もなかったことがよく分かる。語り口は非常に平明、且穏やかであり、それだけにその苦難は胸を打つ。この平易な口語の文章はロシア語の初級クラスの読解にはとても良い教材だと思う。Мать работала в колхозе, утором уходила и вечером приходила. Конечно, к матери прибежим когда на поле, поможем.(母はコルホーズで働いた。朝出かけ夜戻ってきた。もちろん(母が)畑にいる時は母のところに駆け寄って、助けたものだ)このような短い文章でも最初には経過、その後繰り返しの意味の不完了体が来て、最後の文は完了体未来形の例示的用法(時制の転用)であり、一見難しそうだが、会話ではよく見られる構文であり、最初に説明を受ければ初級者でも会話で使える構文である。他に、Пришёл, а мать уже на печи сидит.(帰ると、母はもうペチカに座っていた)のсидитは歴史的現在で、これなども口語ではよく使うから初級でも教えておいた方がよいと思うが、初級の参考書に歴史的現在を扱ったものはないし、中級以降のものでもそれほど詳しいわけではない。まるで日本語にもある用法だからそれに準じればよいとでも言っているようである。決してそういうものではない。歴史的現在からアオリスト(完了体過去形)への置き換えなどは初級で教えるべきである。これだって考えようでは、体のペアが同義であることを前提にするなら体のペアと言えないことはない。
 ロシア語という事を別にすれば、この系統では「囁きと密告」(上下2巻)、オーランド・ファイジズ、染谷徹訳、白水社、2011年も必読である。モスクワ、ぺテルブルグ、ペルミのメモリアル協会の協力を得て1000人以上についてオーラル・ヒストリーの手法を用いて聴取しまとめあげたものである。ソビエト政権に再三再四迫害を受けたのにもかかわらず、愛国者であり続けることに自分のアイディンティティーを見出した人が多いのは驚きでもあり、悲劇でもある。
設問)「彼は二つの仕事を掛け持ちしていた」をロシア語にせよ。

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2011年10月25日

●和文解釈入門 第158回

動作を否定するときには一般には不完了体が用いられる。これを「不完了体ライン説(路線・線路説とは言いにくいので再度改めて)」で考えてみると、不完了体はその動詞の語義だけが際立つ一つのラインだと考えると、その動詞の動作を否定するということは、その動作の持つさまざまなニュアンスというような枝葉ではなく、その動詞の本質的な語義の否定することになるわけだから不完了体を使うのだと考えるわけである。完了体というのはどこでも行ける車道や歩道、田舎道のようなもので、動作そのもののほかに可能性などいろいろなニュアンスがついて回る。ところがこういうニュアンスのつかないライン(その動詞の持つ本質的語義)だけというような単なる動作の否定となれば、不完了体を取らざるを得なくなるわけである。だから完了体の動詞を否定すれば不可能という意味が出てくることになる。
無接頭辞単純動詞(гулять, жить, играть, пить, читатьなど)は、綴りの構造の単純さからみて言葉の起源では一番古いと言えるだろうし、不完了体だけのような気がする。原始人も古代の人も新しいことをするというのは、前例のないことだけに危険を意味するから、相手に対して「~しろ」という命令形は、実用的な必要性や、この状況下ではこうするのが当然だからこうせよということから始まったのではないだろうか。古代においては会話をする範囲はきわめて狭く、みな知り合いだから、することについては暗黙の内に了解していて、必要なのは始めよという合図だけだったのではないだろうか。そうなると不完了体命令法の着手の用法も、用法的には最も古いような気がする。だから初めは不完了体しかなく(また体の意識もなかったであろう)、その後、これにいろいろなニュアンスをつけるために完了体というような概念に発展したのではないかと推測する。
ハム(アマチュア無線愛好家)のことをкоротковолновикというが、ロシアのハムは短波しか扱えないのではなく、もともと世界中でハムが認められたときに当時ほとんど使われていなかった短波をハムに割り当てたため、ロシアでもこの名称が残った次第である。
勝者と敗者というのもロシア語では発想が違う。победители(負かした者)とпобеждённые(負かされた者)という。釣りの餌はнаживка, нажива, насадкаが使える。наживкаは稀に獣を取る時のえさに使われる。なおживецは生き餌のことである。棚はполкаで、一枚の板が普通である。これがэтажеркаとなると、陳列棚のように中に棚がいくつかついているラックである。開放型の戸棚はстеллажといい、戸棚はшкафである。
設問)「趣味と実益を兼ねるのは素晴らしい」をロシア語にせよ。

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2011年10月26日

●和文解釈入門 第159回

前の回の設問で用いた故事成句を個人的に和露の形式で1500ぐらい、諺は1000ぐらいすでに粗原稿の形で手元にあり、これに少し手を入れて(量はかなり減らす必要がある)いつでも出版可能だが、これも需要と供給の関係もあって出そうもない。部数500部くらいでこういう出版に興味のある個々人が少額投資(一口2000円とか)というか個人投資でもしてくれれば、先に書いた「ロシア人の疑問」も併せて可能性がないこともない。そのうち電子書籍が普及してきてそれに入れてもらえればと思ったりもするが、夢のまた夢である。この他にもロシア語基本熟語500の続編とか、「ロシア奇譚」、「ロシア語類語の使い分け集」などアイデアだけではなく、原稿そのものがほぼできているものもある。こういうものが和文露訳用に実用面で非常に役立つとは思うが、現状を見る限り出版の実現は難しかろう。
日本語でも消毒と殺菌の違いについてはよく知らなかったので、自分なりに調べた。殺菌は菌を殺すことだが対象や程度を含まない概念で1割の菌を殺しても殺菌である。消毒はその対象物を害のない程度まで減らすことをいう。そのため厳密には滅菌(無菌性保証レベル、つまり微生物の生存確率100万分の1以下にすること)とか、除菌(対象物から菌を除いて減らすこと、これも対象物や程度を含まない概念)、抗菌(菌の増殖を阻止すること、これも対象物や程度を含まない概念)が使われる。ロシア語のстерилизацияは高温、科学物質や濾過により100%対象物を滅ぼすことであり、滅菌と訳した方がよいかもしれない。дезинфекцияは100%ではないので殺菌とか消毒という訳になるのだろう。無論これは厳密に言えばであり、日常的にはどちらも消毒、殺菌と訳して問題はなさそうだ。
высокая температураもповышенная температураも高温と訳してしまうが、意味するところは少し違う。摂氏1800度は高温だが、鋼の溶解温度は1480度(炭素鋼の場合)だから、その場合はповышенная температураとなる。повышенныйというのは何かの基準があって、それよりも高いということである。низкийとпониженныйにも同じことが言える。
 検討はрассмотрениеだがразбор полётаのразборは(宇宙)飛行の検討会となり、検討会のようなものである。汗をかくというのはпотетьだが、「壁が汗をかいている」というのは、стены дают сыростьという。
設問)「みなさん何人でいらっしゃったのですか?」をロシア語にせよ。

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2011年10月27日

●和文解釈入門 第160回

完了体の動詞は動作の完了を示し、不完了体はそれ以外という風に理解しているロシア語の学習者は非常に多いわけで、「すわりなさい」をロシア語にするとСадитесь!と不完了体命令形が来ることに戸惑いを覚える人も多いはずだ。「すわりなさい」だって動作の完了を要求していることに変わりはない。Я улетаю в Киев завтра.(明日キエフに飛行機で発ちます)だって、動作は完了を示しているが不完了体を用いている。これらはいずれも不完了体なのに完了を示しているが、用法の例外ということにして丸暗記してしまえということになってしまう。動詞の体を意識すると、こういういわゆる例外とやらは非常に多いことにすぐ気がつくだろう。その上まともなロシア語の会話をしようとすると、いやでもなんらかの動詞を使わねばならず、使う以上は完了体か不完了体かどちらかを選ばなければならないのは理の当然だ。エイヤといい加減に決めてしまっても正解の確率は50%であるが、毎回毎回この調子ではロシア語で話すという気力も失せる。
そこで正しい体の用法を理解する必要があるのだが、一般向けの参考書においてこれまでは、完了体は新規の事柄(有標性маркированность)について用い、不完了体はそうではない事柄(無標性немаркированность)や、そこから発生する繰り返し(習慣)に用いるとしている。しかし通訳やガイドで実際に和文露訳をする場面では、時制によって、法(命令法や不定法)によって、また動詞群によって体の使い分けをせざるを得ず、体の使い分けが非常に分かりにくい。このコーナーを立ち上げた理由については、このような分かりにくいとされる体の用法について、ロシア語の会話をする上で何か実用的ですぐに役立つものを指針という形でまとめたいという気持ちがあったからである。
その他にも、やはり不人気なロシア語を何とかしたいという気持ちもある。北方領土の問題もあり、ロシア自体が不人気であるのと、勉強を始めても、格変化や動詞の活用で挫折してしまってそれ以上には進まず、ロシア人との会話が出来ないからやる気も起きないという事が大きいと思う。それで新たにロシア語を学ぼうという人よりも、これまでロシア語をやったが挫折した人というのが圧倒的に多いはずである。引退して趣味にロシア語をと考える人もいないわけではあるまい。そういう人にまた初めからабвでもあるまいし、知的興味という点から考えると、一見分かりにく体の用法だって、推理小説のように学んでいけば、翻訳では味わえないロシア人の著者のその文に込めたニュアンスというものが分かるはずである。こういうロシア語の都市鉱山というか潜在的鉱脈的な人たちのほかに、露文解釈はかなりできるが、会話が不得手だという人に的を絞って、このコーナーでそういう人たちにセカンドチャンスを与えようとトライしているのである。一人でも多くの人がロシア語のもついろいろな魅力に目覚めてほしいと思う。
設問)「さっさと(部屋に行って)勉強しなさいね」という子供へのお母さんの言葉をロシア語にせよ。

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2011年10月28日

●和文解釈入門 第161回

露文解釈で体の用法が正しく理解できても、和文露訳で正しく体の運用が出来なければ体の用法をマスターしたとはいえないし、ロシア人との会話などの実践面では役に立たない。言葉は生きものだから、使えなければ意味がない。このコーナーではロシア語の会話という実践面での体の用法をマスターするのための一つとして、第150回の表や類語などの工夫をしている。体の用法を覚えるために、毎日最低1~2時間この表や私の勧める参考書に基づいて真剣にロシア語の勉強するつもりがあるなら、一からロシア語を学ぶ人でも5年ぐらいで今の私のレベル(技術関係やアネクドートなどの私個人の興味の対象を除けば)に達することができるし、中級クラスの人(ガイド試験を受けるくらいの実力のあるぐらいの人という意味)なら2~3年でそのレベルになると思う。体の用法のキーポイントは過去時制のアオリストと未来時制の例示的用法である。結果の現存や同じアオリストでも動詞の続く順次的用法というのは説明を読むだけで分かりやすいが、動詞が一つだけのアオリストや例示的用法をマスターすれば、後はそれほど難しいものではない。会話で和文露訳をする際に体の用法で困らなくなれば、後は自分にとって必要な語彙(類語を含めて)を覚えるだけとなる。
このコーナーの設問の日本語文は、ロシア語を知らない人が見ても分かるように、一見非常に簡単なものである。それゆえ傍から見ればこういうのが簡単にロシア語にできないはずはないと思われるかもしれない。しかし簡単なものほどロシア語にしにくいものなのである。体の用法を完全に理解していないと、偶然その言い回しを覚えていない限り、まず露訳はできないと思う。「サクラが咲いている」とか「バラは赤い」というような単語だけ覚えていれば、楽々語彙を入れ替えることができるというような文とはわけが違うのである。それに本コーナーの設問は応用が利くように工夫しているつもりなので、仕組みが分かり、ある程度語彙力がつけばかなりの数の文章が一瞬で露訳できるはずである。そうなればプロの通訳やガイドとして通用できるようになる。
設問)「御社の出張の日当はどのくらいですか?」をロシア語にせよ。

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2011年10月29日

●和文解釈入門 第162回

前の回で体の用法の中ではアオリストが難しいと書いた。同じアオリストでも過去の時制で動詞が二つ以上次々と出てくる順次的用法は分かりやすいし、その逆に厳密に言えば不完了体過去形の事実の名指しであるアオリスト的用法の中には分かりにくいものもある。この日本人には分かりにくいという体の用法の用例を見つけたので紹介する。ラスードヴァ先生が著書「ロシア語動詞 体の用法」の中でロシア語を学習する多くの外国人にとっての躓きの石として А. А. Спагисの論文「非ロシア人を含むクラスにおける動詞の体の実際的学習について」において、外国人学生が犯す次のような体の用法の誤りを引用している。共に完了体過去形が正しいとしている。
× Товарищ добивался больших успехов.(友人は大成功をおさめた)
× А. С. Пушкин правдиво изображал образ Пугачёва.(プーシュキンはプガチョーフのイメージを真に迫って描いた)
 不完了体を用いた外国人学生は、「ここでは持続的で、時間的に引き延ばされた動作が問題になっているからだ」と答えたという。ロシア人は母国語としてロシア語を習得しているので、例えば日本人がこれらの二つの文で不完了体の動詞を使ったとしても、なぜだめなのかロシア人は説明できないだろう。こうは言わないの一点張りかもしれない、そこで自分なりに解釈すると、最初の文では、достигатьと違い、добиватьсяは過程の意味でも使えるが、そういう文脈(過程を示す副詞、後に動詞の不定形を取るとか、意味として「困難を排してだれかと話をしようとする」という場合)が必要である。Рабочие бастовали уже третью неделю. Они добивались повышения зарплаты.(労働者たちはもうストをして3週間目だ。かれらは賃上げを目指していた)などである。露露辞典を見ると完了体しか来ない例として、добиться признания(苦労して人に知られるようになる), добиться известности(苦労して知られるようになる)を挙げ、不完了体も来る例としてдобиваться успехов в работе (спорте)〔仕事(スポーツ)で努力して成功する〕を挙げているが、不完了体のは反復・習慣の用法だろう。上記の例文のように過去の具体的な行為(友人が大成功した)という文脈では、反復や習慣はありえないから、結果の現存とかアオリストと理解するのが普通で、いずれにせよ完了体過去形が来る。2番目の文は「作品を書いた」と同じ発想で、その作品が残っている、つまり結果の現存と考えて完了体過去形を取る。こういう体の用法は日本人が自然に分かるものではない。理屈をきちんと学ぶ必要があり、そうでないとこのような文ではどちらの体を使わねばならないのか永久に分からないことになる。
設問)「また食べる前に手を洗っていないわね」をロシア語にせよ。これもお母さんが子供に対して小言を言っているという文脈でとらえてほしい。

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2011年10月30日

●和文解釈入門 第163回

最近2冊よい会話集を買った。一つはРечевой этикет и обороты диалогической речи , П. С. Тумаркин Восток – Запад, 2008で、もう一つは「男と女のロシア語会話術」(マフニョワ・ダリア、TLS出版社、2010年)である。トゥマールキンさんは1985年頃鉄鋼関係のシンポジウムの通訳で何度かモスクワで会ったことがある。岩波露和にも編者の一人として名が出ている名通訳であり、名翻訳者でもあり、日本人の仕草についての著書もある。この会話集は会話のための表現だけをいろいろ集めており、他の会話集にはない警告・おどし、喧嘩、非常事態があるのが特徴である。ただそれに目を奪われることなく、全体を見てみると著者の日本語の理解の深さがよく見てとれる。対話形式を入れてくれるともっとよかったと思う。マフニョワさんのは、逆に対話形式であり、副題に「学校では教えてくれない」とか「オトナのための」とあるように、セックスについても避けることもなく、現代の大人の常識がまじめな筆致で書かれており、コラムも含めて好感が持てる。会話集ではないが、「ロシア語手紙の書き方」(新田實・アキーシナ、ナウカ、1979年)も男女の恋愛をテーマに手紙の交換という形式だが、時代は変わったという事がよく分かる。マフニョワさんの会話集は暗記すると即戦力になる。ダイエットでも具体的な目標、たとえばこの服が着られるようにやせるのだとかがあれば、成功する確率は非常に高くなる。だから異性のロシア人と親しくなるという目標を立てれば暗記にも熱が入ろうというものである。それとマフニョワさんの本には紙面の関係と学習者のレベルを考えて、ごくわすかとは言え普通の会話集では書かないような文法事項も少し載せている。完了体と不完了体については、「ロシア語の動詞は、多くは完了体と不完了体のペアで成り立っています。完了体とは1回限りの動作や、その開始と終了がはっきりと意識できる場合です。不完了体とは、進行・継続・反復する動作、もしくはその動作そのものなどを示す場合です」とあり、初級のロシア語の文法書の体の説明よりもはるかに簡にして要を得た説明だと思う。ただこれで和文露訳の役に立つかというと抽象的過ぎて分からないだろう。ただ体の用法を意識して本書の例文を見れば、なかなか勉強になる。普通はなかなか勉強できないна тыでの用例に慣れるとか、можно + 文で許可を示す口語的用法〔例えばМожно я буду капризничать?(甘えてもいい?)〕や、「もしよければ」をесли можноではなく、если ты не противを使うとか、「色が白いね」とか「足が長いね」というのは単にУ тебя кожа белая.やУ тебя ноги длинные.ではなく、誉め言葉なのだからУ тебя красивая белая кожа.やУ тебя красивые длинные ноги.となるというのもためになる。口げんかの項目にНе бей меня!(殴らないで)というのがあるのにはさすがに実用的だと思った次第。本の背表紙に目がハートのミーシュカが描かれているのだが、初めは一つ目小僧が6人いるのかと思っていた。ただ両書とも会話集のため表現の丸暗記を前提としており、ロシア語の表現には丸暗記しなければならないものもあるとはいえ、厳密的な意味で構文が応用できるようには書かれていないのはやむを得ないとは思う。
設問)友達の部屋に入る時などの「お邪魔?」をロシア語にせよ。

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2011年10月31日

●和文解釈入門 第164回

私はこのコーナーの設問をほぼ正しく回答できる自信がある。自分が作ったものだから当たり前だが、第150回の表を見ることもない。たまに体の用法で疑問が湧けばその関係の参考書をみることがあるぐらいだ。40年ロシア人と付き合い、ロシア語をやっているから、設問に似た表現は目にしたり、耳にしたりしているので似たようなロシア語ないしは構文がイメージとしてすぐ浮かぶのである。確認のため自分作った語彙集や参考書を見ることはある。だけどここに至るまでに40年かかっているから当然と言えば当然の話である。ロシア語の体の用法をマスターするためにこのような長い年月が学習者に必要だろうか?10年だって多いだろう。私はモスクワに10年、カザフのアルマトゥイに2年駐在し、駐在していない時も年の1/3はソ連やロシアに出張していた。このようにロシア人と仕事で長く頻繁に接することのできる人は稀だろうし、仕事以外でロシア人と定期的に会話やメールをできる環境にある人も多くはあるまい。だからこの表が学習者にとって体の用法をマスターするきっかけになればと願っている。常に体の用法を意識していれば、いつか分かったという瞬間が来る。悟りを開いたようなものだ。初めはその悟りは偽りのもので、後で使うときに迷うというかうまく自分の中で説明がつかないことが多い。このコーナーの設問で試してみれば本当に分かったかどうかがすぐ分かる。集中する期間にもよるが1~2年で体の用法の実践的な面での悟りは開けるものだと思う。悟りが本物かどうかは、つまり体の奥義を会得したかどうかはロシア語の本、それも会話の多い現代小説(隠語や俗語の少ないものがよい)、ドキュメンタリー、エッセーなどアトランダムに1~2ページほど精読してみて、全ての動詞の体の用法の説明が自分なりにつき、日本語の新聞や小説も同様に1~2ページを読んで、その動詞をロシア語にするとき具体的な動詞は浮かばなくとも、どちらの体を使うか、どの時制や法(命令法や不定法など)で訳すべきかがわかったと思う時点である。そうなれば免許皆伝ということになる。仮にぬか喜びであっても、誰に迷惑をかけるわけでもないし、よい趣味というか生きがいにはなるはずだ。ロシア語でも日本語でも小説や会話、映画などの別の楽しみ方ができること請け合いである。
 いきなり免許皆伝というのはどうもと考えるのが普通だろうから、体の用法では日本語の感覚と随分違うなという用法、例えば結果の現存、アオリスト、アオリスト的用法、例示的用法、歴史的現在などが分かったと思ったら黒帯とする。だから、完了には完了体を使うとか、繰り返しや真理、過程に不完了体を使うというようなすぐに体の用法として理解できるものは黒帯の対象にはならないことになる。この黒帯かどうかを認定するのは私ではない。学習者自身ということになる。自分のロシア語の実力を一番よく知り、己に対して一番厳しいのは自分自身だからだ。黒帯だとか奥義を究めるだとか硬く考えなくともゲーム感覚で各用法をクリアしていくと考えるのが現代的かもしれない。
設問)「犬は飼い主に甘えている」をロシア語にせよ。

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2011年11月01日

●和文解釈入門 第165回

歴史的現在を初学者に教えることに難色を示す方もいるかもしれないが、生徒に対して知的好奇心を如何に呼び起こすというのも大事であり、歴史的現在が日常会話で多用されることや日本語にも似た用法があることを伝えれば、ただ語彙の暗記の授業よりは面白いのではないかと考える次第である。ピョートル1世は少年の頃兵隊ごっこに夢中になり、потешные роты(兵隊ごっこ中隊とでも訳すのか)を創設し、各中隊300名ほどの少年兵士を擁していた。大砲の発射練習をしたときに、着弾距離が分からないために火薬の量などをどうすればよいか分からない。偶然当時の外交官ドルゴルーキーが居合わせ、外国にはастролябияという測角儀の一種があり、それによって距離も測れるという事を知った。ピョートルは早速注文したが、ドルゴルーキーが手に入れて帰国したのは2年後だった。すぐに使ってみようと思うが使い方を知る者がいない。それで当時ドイツ人居住区に住んでいたオランダ人フランツ・チンメルマンというのが知っているというので習う事にした。ところが当時16歳のピョートルは算数(数学というよりは)の基礎(加減乗除)を知らなかった。それでそこから算数を学びこの測角儀も使いこなせるようになったという。ピョートルは天才で直情径行型であるとはいえ、分からないことは分からないとして尋ねる素直さがあった。こういう風に何でも自分の興味が何かはっきり分かっていればロシア語も上達するのは早いがそういう人はほとんどいない。それでもロシア語を学ぶ人にロシア語に興味を持たせるようなそういう秘密のボタンというものがあるような気がする。その一つの可能性として、人があまり知らないような歴史的過去で興味を持たせるようにしてはどうかと考える次第である。
設問)「さっきの人だれ?」をロシア語にせよ。

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2011年11月02日

●和文解釈入門 第166回

第21回の完了体のсобратьсяのところにミスを発見したので下記のように訂正し、追加する。完了体のсобратьсяは不完了体のсобиратьсяと違い、完了体ゆえにニュアンスが出てきて、「前は~するつもりはなかったが、今は~するつもりである」という意味と、「長い事~するつもりだったが、ついにした」という意味がある。前者の例は、Реветь, что ли, собралась!(わんわん泣く気になったのかい)というのは「それまで泣くつもりがなかったのに、急に(話を聞いて)泣く気になる」というニュアンスである。А я как раз собрался (собирался) вам звонить!(ちょうどお電話差し上げようと思っていました)は両方の体が使えるが、それでもニュアンスの差はある。後者の意味の例文は、Извиинте, что только сейчас собрался вам позвонить, был очень занят.(申し訳ありません。ようやく今お電話できました。忙しかったので)」である。もちろん、Она сделала, как собиралась.(しようと思っていたことを彼女はした)としてもよい。ところが否定の»не собрался (не собралась, не собралось, не собрались)»では「~しようとしていたが、しなかった」という意味である。Он так и не собрался купить новый телевизор.(彼は新しいテレビを買おうとしていたが、結局買わなかった)であり、完了体未来形を否定するとНикак не соберусь пришить пуговицу – уже неделю собираюсь.(もう1週間ボタンを縫い付けようとしているんだけど、だめだ〔できない〕)と不可能の意味が出る。また、厳密に言えばнамереваться に対応する完了体ではないが、意味が近い完了体であるвознамериться + 不定形は = начать иметь намерение「~する気になり始める」という意味で、これもニュアンスが入る。
 スタンプにはштамп、штепель、печатьがあるが、штампは会社名や組織名だけのスタンプで、штемпельは図柄や文字の入った記念スタンプであり、штепель с переводной календарной датойは日付スタンプの事である。печатьは記号だけのいわゆる印で、道具だけではなく押した印影оттискも指す。またгаситься штемпелемといえば消印が押されるという意味だし、гашёная марка 消印のある切手ということになる。
設問)「気分転換に散歩しましょうか?」をロシア語にせよ。

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2011年11月03日

●和文解釈入門 第167回

ロシア人で一番日本語の上手な人たちというのは、私が思うにはガイド試験に合格した人たちである。すでに3~4人の方が合格していると聞く。このような人たちは本を読まない日本人よりよほど書くのも話すのも日本語がしっかりしているし、知る限り英語も堪能なようだ。そういう人でもこのコーナーの設問の露訳が全問正解できるとは限らない。設問は概ね平易なよく使われる日本語であって、直訳的日本語ではない。ロシア語でも日本語で簡単な言い回しほど訳すのが難しいし、いわゆる日本語の難しさとして挙げられる「は」と「が」、「ある」と「いる」、敬語や漢字の使い分けや読みのほかに、日本語にも現在完了や歴史的現在があり、、さらにと普通(辞書)形の現在形は予定の意味でも使う。例えば、普通形の「読む」の「彼は明日本を読む」は予定と解すのが普通だろう。
 ロープはканатで、тросは船舶用語で一般的にはワイヤロープを指す。アルバムはальбомで、写真やレコードのアルバムもこれでよいが、ロシア語には画帳という意味がある。日本語のアルバムにはこの意味はない。「同じ」というのはодинаковыйだが、「皆の願いは同じだった」とか「皆の願いが一つになった」というのはЖелание у всех сделалось общим.となる。
 Как дела?(どうですか御商売の方は?)と聞かれて、Не жалуюсь.という返事を聞くと、ニュアンスとして、「不平をいうほどではない」という感じで、文句を言うほど悪いわけではないと思いがちだが、これはВсё в порядке.という意味で、日本語の「文句なし」に近い表現である。さらにЯ не могу жаловаться.ともいえる。これを「文句を言う筋合いはありません」と訳してもよいが、意味は、Нет оснований жаловаться.(不平を言うなんてばちがあたる)ということで、文字通りГрешно было бы жаловаться.という表現もある。「まあまあです」はНормально.でよいが、悪い場合は、Дела как сажа бела.(最悪)と答える。
設問)「彼は息子をモスクワに留学させた」をロシア語にせよ。

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2011年11月04日

●和文解釈入門 第168回

設問への解答は一つでもそれ以上でも構わない。それに応じてコメントをつけるようにしている。ただ基本的に体の用法についての出題が多いので、体と言えば基本的に不完了体か完了体かどちらかが正解となる(一応そのように設問の構成を考えている)。両方の体が使える場合は回答で使う文脈をできるだけ説明するようにしている。両方の体を二つ以上の文に分けて回答すれば、この投稿者はこの設問の体の用法に自信がないと判断せざるをえないわけで、そうなると体の用法の正解率は何も考えなくても50%だから、その設問につき体の用法を理解していますねとは書けないわけである。自信があるならあるほうだけを、あるいは自信はこちらの体が70%ぐらいと書いてくれてもよい。むろん書かなくてもよいが、和文露訳の際、迷うとはいえ瞬間的にどちらかに決める練習を積まなければいけない。実戦では通訳でも翻訳でも二つ同時には使えないのだからである。
どういうふうに読むべきロシア語の本を選んでいるかというと、まあ好きな本を気が向くままにということになる。ユーモア作家Севела, Веллер, Жванецкийが好きだし。他にМолодая гвардия社の「~の日常生活Повседневная жизнь」というシリーズはロシア関係だけで40冊ぐらい出ているが、これを読むことにしている。これはロシアだけでなく、欧米や日本のある分野の日常生活ということで、「ロシア大統領の日常生活」とか「ロシア宇宙飛行士の日常生活」などで語彙を増やすにはもってこいである。それと19世紀末から20世紀初頭までのモスクワの庶民生活やロシアの犯罪が個人的に大好きなテーマなので、これに関するものは読むようにしている。
この他は天の声を聞くようにしている。天の声というと神がかっているのではと警戒されそうだが、最近の例を引くと、邦訳で「ロシアとジャポニズム」という本を読んでいたら、ベールィの「ペテルブルグ」がジャポニズムを扱っていると書いてあった。その直後に読んだロシア文学史の本には、ロシアソ連文学の代表作は19世紀半ばのトルストイ、ドストエーフスキー、ちょっと遅れてチェーホフぐらい、ベールィの「ペテルブルグ」もよい本だが、やや劣ると書いてあった。ベールィについては象徴派の詩人・作家であり、その自伝3部作は読んだが、象徴派ということで分かりにくいのだと勝手に思い込んでいて、本は「銀の鳩」、「モスクワ」、「ペテルブルグ」と持っているが、読んだことはなかった。それでこれは天の声であろうと思い「ペテルブルグ」を読んだ。しかし、会話の部分を除けば、彼の自伝の方が面白かったように思う。個人の好みだろう。
シーモノフの人間的側面についても、スターリンに可愛がられたが、スターリンの死後、改心してブルガーコフの「巨匠とマルガリータ」、マンデリシュタム他の出版に助力したというのを「囁きと密告」で読んで、代表作の「死者と生者」を読むことにした。この本は当たりで、文学的価値は「ペテルブルグ」より落ちるのかもしれないが、個人的には読みやすく、面白かったし、特に会話の部分が和文露訳に大いに役立っているのを評価する。本はソ連崩壊前後に古本屋で1冊100円くらいで売っていたから、その時買った本が今私の宝である。文学作品もいつか読むこともあろうと思い買っておいたのが1400冊ぐらい、辞書は440種(冊数はもっと多い)ぐらいある。700冊は読んだが、後700冊はある。というわけで「ペテルブルグ」もシーモノフの本も20年くらい読まずに放っておいたことになる。買っても相性が悪い本というのはあるもので、В. Максимов, Платонов, Федин, Пелевинなどのは本は持っているが、まだ読んでいない。強制されて読んでいるわけではないので10ページ読んで面白くなければ読まないことにしているということもある。いずれは読むことになるのだろうけども、文学の専門家になるつもりもないし、ただ楽しみで読んでいるので、読んで文字通り面白いもの、ロシアやソ連の日常的庶民生活の知識が増えるもの、会話で使える言い回しが多いものが優先となるのはやむを得ないと自分では思っている。
設問)「彼女は元気な時の彼を知っていた」をロシア語にせよ。

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2011年11月05日

●和文解釈入門 第169回

設問は短文ということもあって文脈自体がないと同然のため、体の用法がつかみにくい。だから逆に投稿者の側としては、今回は完了体を使っているが、それはこういう文脈を想定して使っているのだという意思表示ができれば、投稿する際にそれを書くか書かないかは別にして、それだけ体の用法に対する理解も確かなものになるはずだ。そういう意識がなくて設問の日本語の感覚だけでなんとなく完了体にしたり、不完了体にしたりして和文露訳をしても、実戦はゲームではないのだから、この文脈ではこの体をという確信が持てなければいつまでたっても外国人の話すロシア語のままということになる。
大学を出てから小さな商社に入って2、3年経って、ソ連向けに作業船を建造していたある造船所で通訳見習いをしていた頃、造船技師から「ブームのヒショウって何だ」と聞かれた。ヒヒョウとは飛翔という事だと分かったが、浚渫船に飛翔という組み合わせがよく分からない。技術条件の和訳がおかしいらしい。それで原文に当たって見ることにした。そのロシア語はвылет стрелыである。стрелаはブームboomでクレーンなどの腕に当たる部分である。露英船舶辞典を引くと、вылетは旋回半径のことで、訳した人は技術関連の辞書も引かないような素人のようだった。造船所の外国船建造の部署は書類は英語だけで作るわけで、当時現場では通訳の合間に技術書類の英文露訳をこなさねばならず、露英や英露の船舶用語辞典、技術辞典が会社にもあったし、自費でも購入していた。和露の技術辞典というのもあったが、量が少なく訳も正確さを欠いていて使いものにならなかった。当時ロシア人の技術者でドイツ語を知っている人は結構いたが、英語となるとあまりいなかったし、それもあってか契約の段階で英露の書類提出となっていた。技術関係は英語を知らないと訳せないのである。しかも現場の叩き揚げの職人は英語が出来ない。それで日本語、英語、ロシア語の船舶用語(船殻〔船体のこと〕、機関、電気、コンピューター用語)を覚えざるを得なかった。ギャレー(英語のgalleyから来ている)というのは船内の厨房だがロシア語ではкамбузと言って、кухняではない。この船舶用語には悩まされた。英露や露英の船舶用語辞典で調べ、さらに日本の船舶用語辞典(これは和英・英和でも引けるように成っている)と2回重い辞書を引かなければならなかった。そのため結局自分で語彙集を3カ国語で作り、それが今の自分の和露の語彙集のもとになっている。この20年くらい船舶関係の通訳をしたことがないので、無駄な事をしたようにも思うが、船舶もプラントなので、船体(船殻)用語以外の機関や電気、コンピューター用語は他にも使えるので勉強してよかったと思っている。何が役に立つか分からないし、現場で若いころ技師や職人に現場の用語を親切に教えてもらったようには、今の若い人にそういう機会が与えられないという事を考えれば幸運だったというしかない。
設問)「父は息子を後継にと考えていた」をロシア語にせよ。

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2011年11月06日

●和文解釈入門 第170回

ロシア語の意味が感覚的に分かるようになるというのを目指すのだという方もいるかもしれない。素人はそれでいいかもしれないが、プロの通訳や翻訳者はロシア語から正しい日本語へ、日本語から正しいロシア語に訳してお金をもらっているわけで、両方の国の言葉がかなり高いレベルで理解できるようにしなければならないのは当然である。そのためには必ずしもそのときには完璧に訳せなくても、的確な訳語とそのニュアンスを習得するよう常に努力する義務はあるはずだ。そのためにも体の用法をマスターする必要があるといえる。
露文和訳はロシア語のできる(?!)日本人がやり、和文露訳は日本語のできる(?!)ロシア人にやらせれば安心と考えている翻訳会社も多いと思うが、露文和訳であれ、和文露訳であれ、両方の言語に高いレベルで精通していないと翻訳や通訳はできないはずだという当たり前のことが通らないのはおかしいと思う。
できるだけ自分のロシア語をバイリンガルのレベルに高めるために、これまでしてきたことは、
1. アネクドートには政治小話ばかりではなく、いろいろなジャンルがあり、各ジャンルのアネクドートの由来について調べてまとめあげたこと、考えオチやダジャレなどもロシアでは人気のあること、ロシア語のダジャレも漢字を使えば和訳できるものもあるし、あるいはまったく別の小話に化けることもあることを「アネクドートに学ぶ実践ロシア語文法」で示すことができた。
2. アネクドートが露文解釈や文法の解説に使えることを「黒帯研究会」、「新帯研」の添削指導によってその効果を実証しようと努めた。
3. ロシアの大衆文化を理解するのは、アネクドートから入るのが近道であることを「ロシア小話アネクドート」、「ロシアのジョーク集」で示そうとした。
4. ロシア語で一番難しいと思われる体の用法の理解に基づき、不完了体ライン説を軸にして、時制(過去、現在、未来)、命令法、不定法の用法をさらに細かく分けることで、ある程度、会話における和文露訳の用法をまとめ、実際に添削指導を通じて、会話における和文露訳の習得に短文が有効かつ効果があることを実証しようとしている。
成果は如何?
設問)「これは数ページ前に触れてある」をロシア語にせよ。

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2011年11月07日

●和文解釈入門 第171回

распознать её миссию(彼女の使命を理解する)という語句を見て、распознатьを「見てとる」ぐらいの意味だなと思えば(確認のために露和や露露を引く人もいるだろうが)、露文解釈ならこれで終わりである。ところが和文解釈に活かそうと思うと、露露を引いてопределить, узнать по каким-либо признакамというところまで読み、何らかの特徴を見て知るのだな、つまり類義語の使い分けを確実にする必要がある。この動詞を会話で使うためには、узнатьなどとの違いというのを、常に頭の中では気にかける必要が出てくるわけである。これはロシア語だけではなく、日本語にも及ぶ。なにせ和文解釈だからだ。日本人だから日本語はすべて類義語のニュアンスにいたるまで人に講釈できるほどできると考えるのはおかしいわけで、それができる人というのは国語辞典の編纂者を除き、そういるものではない。だから広辞苑(電子辞書だが)は手放せないし、英和辞典、露露、露和とともに日常的に非常によく使う。
設問)「タバコの吸い殻のポイ捨て禁止」をロシア語にせよ。

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2011年11月08日

●和文解釈入門 第172回

「ロシア語が話せる」というのは目標を低く設定すればするほど可能である。挨拶やホテルにトラブルなくチェックインできる(予約してあれば、名前を言えば会話の必要は特にないはずだが)というのも、それはそれでロシア語がペラペラだという解釈もできる。これは思いつきで書いているのではない。あるロシア人が彼の友人で日本語がぺらぺらな人の事を話してくれたが、彼が思うペラペラというのは、日本のホテルにチェックインできるレベルだったのだ。そこまでいかなくても、自分の趣味や自分の言いたい事を話せるというのがぺらぺらだというのなら、1年か2年まじめにロシア語を学べば達成できるレベルである。ところが見知らぬ人の言うことを正確に通訳できるというのは、ロシア語をプロで20年やっても、30年やっても、あるいは40年やってもできるという保証はない。どんな趣味の人か、どんな話題をするのかまったく分からないからだ。いきなり日本語で仲間内のジョークでもされた日にはどうしようもないという気にもなる。だから取りあえずどの辺に「ロシア語が話せる」という目標を置くかによって勉強の仕方も変わる。この辺をよく考え、目標が具体的であればあるほどその実現の可能性は高くなり、それによって自ずから勉強の方法も決まってくるというものである。
体の用法の参考書を読んでなるほどと思い、分かったような気になるが、いざ会話でロシア語を話そうとするときにどちらの体を使ったものか迷うという事が多々ある。そういう場合、体の用法をマスターしたかどうか調べるのは簡単である。試しにどんな露文でもいいから一節(文脈が分かるぐらい)読んでみて、その中にある動詞がどの体の用法を使っているのかその動詞の体の用法が分かることと、日本語の新聞や小説(会話の多いものがよい)の一節を仮にロシア語に訳すとして、動詞の具体的なイメージがわかなくても、どの体を使えばいいか分かったのなら、体の用法を理解したことになる。また体の用法を自分なりに理解したと思うのと、それを他人に伝えるというのは別物である。真に理解するという事は、他人にも説明して理解してもらうだけの確信がなければ、本当に理解したことにはならないと思う。自分がこのコーナーを続けているのも、自分が本当に体の用法を理解したのかの実証実験でもある。人が分かってくれなければ、本当に体の用法を理解したとはいえないからだ。そのためロシア語の例文を多用することにしている。
設問)「遅れますからと電話してください」をロシア語にせよ。

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2011年11月09日

●和文解釈入門 第173回

過去を示すのであればどんな文脈でも歴史的現在が使えるのかというと、完了体過去形の結果の残存は現在と直接つながる故、使えないことが分かる。同じ完了体過去形のアオリストならどうだろう。一見すべて使えそうだが、歴史的現在というのは、「過去の出来事を眼前にあたかも現在そうであるかのようにありありと再現する」という用法のため、Падучева Е.А.が指摘しているように、心理的距離(第120回本文参照)のあるものは使えないとしている。歴史的現在とは、フォークロア的なものから発達したものであり、民衆的な用法、ナレーション的用法であり、私の考えではこの用法の上記のような定義と矛盾するような用法、例えば、統計的データを羅列するような文章では使えないと思う。日本語の歴史的現在(見かけが似ているからこう呼んでよいのかは分からないが)では、語調を整えるという大義名分があれば、このような用法の制限はない。
 さらに、私の考えでは、歴史的現在というのは見かけが不完了体現在形による現在時制の過程や状態と似ている。だから文脈的にどちらか分からないときは、歴史的現在ではなく、現在時制の過程や状態と理解される可能性が高いので、使えないか使いにくいはずだ。Бондаркоは歴史的現在に転換できない例としてНаконец он опомнился.(ついに彼の意識が戻った)を挙げている。これを歴史的現在の意味で不完了体現在形の*Наконец он опоминается.にはできないという。Бондарко曰く、どうしても歴史的現在を使いたいというのなら、Наконец он приходит в себя.というように別の動詞句を使う必要があるという。私が思うには、опоминатьсяはОн постепенно опоминается.(彼は徐々に意識を取り戻している)のように過程でも使うので、Наконец он опоминается.は「ついにかれは意識を取り戻しつつある」という意味に取られる可能性があるが、приходитьはпри-という接頭辞のついた運動の動詞であり、そのため過程では使われないのが明らかだからであろう。
ただ原求作先生の「ロシア語の体の用法」137ページに、приходитьは過程では用いられないが、приходить в себяなど抽象的な意味で使われている時には、начинать приходить в себяなどで過程を表しうると書いてある。これは語義の体の用法に対する影響の問題であって、体そのものとは関係ないとも書いてあるからこの場合とは違うと考えられる。ただ似たような文例で、Я начинаю думать ...は以降の過程(~と考え始めつつある)というよりは、「もうそういう考えになった」というニュアンスであるから、これを過程と考えるのはどうかなという気もする。例えば、「シンプルなものはごまかせない」という、このコーナーの標語にもピッタリとしそうな化粧品のCMがある。「シンプルなものはごまかせないと考え始める」と一見言えそうだが、考えるときに、「シンプルな」、「ものは」、「ごまかせない」と、歩いていて景色が変わるようには我々の頭でとらえているわけではない。ロシア語のначинаю думать, что ...というのは「シンプルなものはごまかせない」で一つの考えであって、細切れの「シンプルな」とか「ものは」とか「ごまかせない」では考えとしての意味を成さない。考えというものは、あるいはある考えを考えるという事は、考えをひとまとまりで考えるということであり、せいぜいのところ、その考えに対して確信を持ち始めるということだと思う。イメージと思考は別物なのだ。
設問)「グズグズ手間取るのだけはやめてくださいね。さもないと私たち汽車に乗り遅れますよ」をロシア語にせよ。

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2011年11月10日

●和文解釈入門 第174回

メル友のヒサムヂーノフさんが私の原稿「ロシア人の疑問」のロシア語の部分をチェックしてくれたことは前に書いた。お返しに私の方も「長崎の稲佐のお松(レストラン〔ボルガ〕の経営者)について(これは偶然手元に資料があったので答えられた)」とか、「長崎弁と標準語はどのくらい違うのか(これは長崎弁をよく知らないので答えられない)」、「オペラ蝶々夫人について普通の日本人はどう考えているのか(オペラは普通の日本人は見ないぐらいの返事)」とか、かなり専門的な質問の返事を書いたりしている。その他にも、私の原稿の中に「リンゴの蜜」について書いたものがある。彼曰く説明はわかるのだが、リンゴの蜜自体見たことはないと書いてきた。リンゴのフジは中国産のがウラジオなどにも入ってきているが、蜜の入ったものは全体が甘い(蜜のところは甘くない)とはいえ、腐りやすいから果物屋が嫌うのかもしれないから出回らないのかもしれないなと考えた次第。一応リンゴの蜜の正体を科学的に説明すればソルビトールсорбитだが、まあこう説明もしてもね。それとも、彼は男で、しかも学者だから知らないのかしらんとも考える次第。リンゴの蜜なんて文化とはいえないかもしれないが、リンゴを買うときには一応考慮に入れる。これだって日本の庶民の常識であるといえないこともない。仮に日本研究家であるロシア人が知らないのなら、こういうような文化のニッチを埋める作業も必要ではなかろうか?
ソ連時代の辞典の大きな問題は、イデオロギーに毒されている、庶民文化の軽視、ユートピア的発想(犯罪など現実の無視)などが挙げられるが、ソ連の露露辞典に準じて作られていた当時の日本の露和辞典作成にもそれが少なからず反映されている。例文も19世紀ロシア文学に偏重しており、露文解釈をする上では問題ないのかもしれないが、和文解釈をする上では、口語、俗語表現が十分に採られていないため、利用するに際して、廃語と常用語の区別をどうするかなど大きな問題だと思う。今後露和辞典を作ることがあれば(需要がないから国からの援助がない限り無理だろうが)、口語を中心とした語彙の採取、類語の使い分けについての細かい注釈などを入れてもらいたいものだ。
ところがこの頃のロシアで出るロシア語の辞典はイデオロギーの行き過ぎに配慮して、強い愛国心は感じられるものの(当然と言えば当然だが)、冷静にロシアやソ連の過去について叙述されているものが増えている。黒田龍之介先生の勧める「Россия. Большой лингвостраглведческий словарь」, Прохоров, АСТ-ПРЕСС, 2009を今1日10ページずつ読んでいるが、ロシア式のサウナや身近なパン、ポピュラーだった映画などや、そこに由来する故事成句の解説なども含めて分かりやすく説明しており、ロシア語学習者には必読だと思う。ただロシア人からの視点なので、われわれ日本人が知りたい、靴のサイズなどの換算表の類はないらしいのがやや不満と言えば不満である。もっとも読み始めたばかりだから悪口は早すぎるのかもしれない。しかし、ロシア語中級レベルの人で何かロシア語で読むものがないか探している人には、本書を大いに勧める。ただ価格が1万円ぐらいと高いが、図版も多くページも600ページを超えるからそんな悪い買い物だとは思わない。何冊かまとめてロシア語の本を買うよりははるかに幅広い内容を取り扱っていて、記述もバランスのとれている本書が座右の書になることは疑いない。この他に、かなり古くなったとはいえ、また解説が英語だが、The Russina's World, Life and language, Genevra Gerhart, Harcourt Brace Jovanovich, Inc, 1974がソ連の庶民文化を知るにはベストだ。日本人でこのような現代ロシアの庶民文化について本を書く人はいないものか?衣服や身の回りの細かいこともあるのでロシアで長く暮らし、ロシアの現実をよく知る女性の方がより適任と言えるだろう。こういう本が「ロシア・ソ連を知る辞典」で足りないロシアの庶民文化について知る機会を増やしてくれるものと信じている。
設問)「スープを室温までさまして下さい」
「牛乳を体温までさまして、赤ちゃんにあげてください」という二つの文をロシア語にせよ。どっちか一つにしようかと思ったが、室温とか体温とかというのを出題するのも面白いかもしれない。

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2011年11月11日

●和文解釈入門 第175回

最近大きな勘違いをしていたことに気がついた。Роман «Братия Карамазовы» был написан в 1878 - 1880 гг. и печатался в журнале "Русский вестник" в 1879 - 1880 гг.(長編「カラマーゾフの兄弟」は1878~80年に書かれ、「ロシア報知」に1879~80年の間載った)という文で、был написанとなっている。これを能動文に直せば、(Достоевский) написал роман «Братия Карамазовы».となる。この能動文を完了体過去の結果の現存と思っていたのである。ところが受け身の文でбыл написанとなっているからには、これはアオリスト(アオリストには過去の動作について総括的に、また完結した出来事として述べるという意味であるが、「過去における繰り返しのきかない唯一の行為」という意味でここでは使っている)である。ラスードヴァ先生の「ロシア語動詞 体の用法」には「創作者としての資格духовное авторство」という用法として、過去における事件の発生(とその報告)という用法(私がいうところのアオリスト)の中の一つの用法として挙げている。しかし、Доктор Живагоの解説でНаписан в 1946 – 1956 гг.(1946~57年に書かれた)という文は結果の現存であろうから、能動文にしたПастернак написал «Доктор Живаго» в 1946 – 1956 гг.も結果の現存であろう。だから「書いた」や「描いた」がすべて創作者の資格(アオリスト)の用法だとはいえないと思う。ついでにバレーの「白鳥の湖」の解説の出だしには、(Балет) Написан в 1876 г., впервые поставлен В. Рейзингером в феврале 1877 г. в Большом театре.(1876年に書かれ、レイジンゲルによって1877年2月に初めてボリショイ劇場で上演された)とある。これらは結果の現存の用法もあるというのが私の考えである。それに、「作品を書いた、描いた」という文の解釈は結果の現存かアオリストかは露文解釈のときには重要かもしれないが、和文露訳ではнаписал(а, о, и)を使えばよいからこれまではあまり深く考えて来なかった。結論として、結果の現存という用法もないことはないが、やはりここはアオリストと考えるのが自然のような気がする。それゆえ第15回の回答のヨシダさんにはお詫びして訂正する。
部分否定(必ずしも~ではない)というと не всегда, не обязательно, не очень, не слишком, не совсемが思い出される。Надя его не очень любила.(ナーヂャは彼の事をそれほど好きではなかった)という例のほかに、部分否定の例としてОстальные чувства не обязательно проявляют внешне.(その他の感情は必ずしも外に現れない)を挙げておく。
「負ける」は、「競争(ゲーム)に負ける」はпроиграть соревнованиеとかпроиграть в конкуренцииを使う。「劣る」という意味ではОн проиграл Сталину по многим параметрам.(彼は多くの点でスターリンに劣った)とかЯпония значительно уступает по объёму инвестиций США.(日本は投資量において米国に著しく劣る)と言い、уступитьも使える。「(感情に)負けるな、屈するな」と言いたければ、Не поддавайте страху.(恐怖に負けないでください)、Не поддавайтесь на этот шантаж.(この脅しに負けるな)、Не поддавайтесь печали.(悲しみに負けないでください)というようにподдатьсяが使える。
設問)「彼は今によくなる」をロシア語にせよ。(病院でのお見舞いのときなど家族への慰めの言葉として)

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2011年11月12日

●和文解釈入門 第176回

米国の言語学者サピア(1884~1939)の「言語」(安藤貞雄訳、岩波文庫、1998年)を読んだ。原書は1921年に出版されたものである。ヨーロッパ系の言語(ロシア語も含む)のみならず中国語やアメリカのインディアン諸語を縦横に引用して言語とは何かについて書かれており、特に第二部の「こども」が非常に参考になる。その中に「体(アスペクト)」についての記述があるのでここに紹介する。「体(アスペクト)というのはスラブ語の文法から借りた術語で、連続性の観点から、行為の経過、その性質を示す」とあり、英語のcry(アスペクト的には不定としている)の例に挙げて、次のように体の用法の種類を挙げている。be crying(継続的), cry out(瞬時的), burst into tears(始動的), keep crying(持続的), start in crying(持続的・始動的), cry now and then(反復的), cry out every now and then (cry in fits and starts)(瞬時的・反復的)、〔ここで足りなくなったと感じたのか、別の動詞で補充している〕、to put an coat(瞬時的), to wear coat(結果的)として、「以上の例が示すように、アスペクト(体)は、英語では整合的に練り上げられた文法形式の集合によるよりも、むしろ、あらゆる種類の慣用的言い回しで表現される。多くの言語では、アスペクト(体)は、時制よりもはるかに重要的な形式的意義を持っているが、初学者はこれを時制と混同しがちである」と結んでいる。「泣く」という動詞はплакать/наплакать/заплакать/проплакатьぐらいは浮かぶが、この動詞はロシア語では体の用法の実例を示すものとしてはあまり良くないような気がする。
設問)「母はこの2年の間に10歳も老けた」をロシア語にせよ。

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2011年11月13日

●和文解釈入門 第177回

このコーナーのナビゲーション用の表は第233回本文を参照願います。

設問)「御乗客の皆様は搭乗口の方へお進みください」をロシア語にせよ。

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2011年11月14日

●和文解釈入門 第178回

40年ロシア語をやっていると、露和辞典にもいい和訳がない(乃至は載っていない)語句と言うのがあるように思える。いくつか例を挙げると、в свою очередь, раньше времени, в очередной разなどである。в свою очередьは大学のときに故高崎経済大学学長の岡本正巳先生から「(それ)は(それ)で」と教わった。これは英語のin turnと同じ発想であり、тоже, в ответと言う意味である。Он наблюдал за ребятами и видел, что они в свою очередь наблюдают за ним.(彼は連中を観察し、連中は連中で彼を観察していることに気づいた)。その他は自分で和訳がひらめいたものである。раньше времениは、「あせって、早まって」などと訳せる。Не надо её волновать раньше времени.(早まって彼女を不安がらせる必要はない)。в очередной разは「また、次に」と訳せる。Троицкий собор недавно в очередной раз отреставрирован.(トロイツキー大寺院はまた修復された)とかВ очередной раз нырнув в щель рядом с полковномком-артиллеристом, Синцов улыбнулся, несмотря на серьёзность положения.(次に砲兵大佐と並んで隙間に潜り込んだときに、事態の深刻さにもかかわらずシンツォーフはほほ笑んだ)
ロシア語の中級以上の参考書の内容を100%覚えるというのは不可能に近い。私がやっているのは参考になった項目や分かりにくい内容をページ数とともに、後ろや前の見開きに書きこむことである。こういう自分なりの索引を作っておけば、忘れたときなどすぐ肝心の個所が分かり、内容も取り出せ、記憶に残りやすくなる。覚えるところはすぐ覚えるが、相性の悪いものもあるもので、そういうのはいつになってもこの索引のお世話になることになる。しかし、参考書の数が多くなると、どこにその肝心の索引を書きこんだかがわからなくなる。それで、何度も書いたが、エクセルで和露の語彙集の中に例文として放り込めるものは放り込んでおくのである。そこに自分なりの目印(相対時制など)を書いておけば後で検索がきく。
設問)「この近くに住んでいるんです」をロシア語にせよ。

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2011年11月15日

●和文解釈入門 第179回

被動形短語尾についてはアカデミー文法でもそんなに詳しくは書いていない。せいぜい動作主体の造格がなければ、動作というよりは状態の意味が強いというぐらいである。例を挙げると、В 1985 г. композитором П.К. Щедриным написан по рассказу балет.(1985年作曲家シシェドリーンによってその短編ついてのバレーが書かれた)とКлуб постороен.(そのクラブは建てられている)。第175回で被動形短語尾にはアオリストと結果の現存があるという事を書き、その区別はアオリストにはбытьの過去形がついていて、結果の現存にはつかないとも書いた、ところが、そうなると、ある百科事典で見たДоктор Живагоの解説の (Роман) Написан в 1946 – 1956 гг.(1946~57年に書かれた)という文は結果の現存であろうから、能動文にしたПастернак написал «Доктор Живаго» в 1946 – 1956 гг.も結果の現存であろう。だから「書いた」や「描いた」がすべて創作者の資格(アオリスト)の用法だとはいえないと思う。ついでにバレーの「白鳥の湖」の解説の出だしには、(Балет) Написан в 1876 г., впервые поставлен В. Рейзингером в феврале 1877 г. в Большом театре.(1876年に書かれ、レイジンゲルによって1877年2月に初めてボリショイ劇場で上演された)とある。しかし、これだけあからさまに過去の目印である1946年~56年とか1876年という語句が来ているのに、結果の現存というのはおかしいとも感じる。これらはアオリストの用法のはずだ。この他にも(Поэма) В СССР издана в 1987 г(〔物語詩〕は1987年に出版された)という文もある。ただ上記の3つの文は作品が今に残っているから結果の現存と考えてよい。
問題なのは、ヴォルクターВоркута市に関する記述で、Строительство шахт началось только в 1931 г. В 1934 г. выдан на-гора (то есть на поверхность земли) первый промышленный уголь.(立て坑の建設は1931年にようやく始まった。1934年に最初の産業用石炭が出炭された)では、明らかに順次的用法、つまりなアオリスト的なものであり、まさかその最初の石炭がまだ現在残っているという事ではないだろう。これは最初の出炭という記憶が今に至るまで残っている(結果の現存)というふうに理解するしかない。私が考える被動形過去の典型的なアオリストは、ガガーリンに関する記述で、В 1960 г. был зачислен в отряд космонавтов.(1960年宇宙飛行士の部隊に編入された)である。
 бытьの過去形 + 被動形過去はアオリストないしは、現在に至らない過去のある時点までの継続や状態を示すと考えてもよい。この用法では起点のみを示すことができる。例えば、Одна концелярия была создана в июле 1713 года.(ある官房は1713年7月に設立されている)
設問)「この辺はとても物騒です」をロシア語にせよ。

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2011年11月16日

●和文解釈入門 第180回

英語とロシア語は同じインドヨーロッパ語族だから似ているとはいえ、体の用法というのはスラブ語独自のものであるとイェスペルセンも具体的な例を挙げて説明していることは第176回に紹介しておいた。英語では体の用法を慣用句でカバーしているわけである。むろん慣用句を多数覚えるというのも大変だが、しかし、それはある意味で機械的作業と言える。体の用法の理解というのはその本質を理解することであり、機械的に単語を覚えるのとはわけが違い、難しい。ロシア語の学者でも体の用法の重要さを指摘している人は少ないように思われる。指摘している人でも、それはあくまで露文解釈の観点からであって、通訳やガイドの経験がほとんどないからか、和文露訳のそれではない。イェスペルセンは教養のない農民でも25,000ぐらいの母国語の語彙はもっていると述べている。一概にデンマーク語や英語と比較できないけれども、同じ論法でいけば、ロシア語だって辞書1冊とは言わないまでも、その1/4ぐらいの語彙を覚えないとロシア語を最低限理解したとはいえないことになる。英語は初歩の文法と語彙をある程度覚えたら、その後、慣用句を大量に覚えればそれでマスターという事になるのかもしれないが、ロシア語ではそうはいかない。露文解釈はまだそこに、普通は正しいロシア語が書かれているから体の用法を特に気にしなくても訳せるかもしれないが、和文露訳では体の本質を理解しないと、1万か2万の語彙を覚えても、結局はロシア語がよく分からない、朦朧とした状態が続くことになる。しかもその語彙がたんに覚えるだけでなく、使えるようになるまでには何年かかることか。それゆえロシア語をマスターするためには、初級の段階で体の用法の本質を理解する重要性が理解されるはずだ。体の用法さえマスターすれば、後は類語と語彙を機械的に増やして行くだけでよい。
ロシア語の住民名で、モスクワや東京などは露和辞典にも載っているからいいが、他の都市ではどういうのか想像はつくもののはっきりとは分からない。それで何年か前から自分でエクセルに読んだ小説の中に都市の住民名が出て来るものは別にリストアップすることにした。しかし、私のコレクションは外国の都市名も入れているとはいえ、179と大した数ではない。最近黒田龍之助先生の「ロシア語の余白」(現代書館、2010年)を読んだら、Русский названия жителей, словарь-справочник, И.Л. Городецкая/Е.А. Левашов, Астрель/АСТ, 2003という辞書のあることが紹介されていた。早速ナウカに注文し、購入した。これはロシアの都市の住民名を用例と共に約14,000収録している。これまでロシア語関係の辞書は320種集めたが、これは知らなかった。いろいろな辞書があるものである。黒田先生は言語学者でもあり、ロシア語についてはオーソドックスなアプローチで、初心者にロシア語をどう教えるかということのエキスパートだが、私は、一度(あるいは一度ならず)ロシア語を諦めた人たちにロシア語会話で実際にロシア人と会話するにはどうしたらよいかを文法を軸に趣味としての再学習を勧めるという立場である。一度ロシア語を諦めた人は都市鉱山のようなもので、その埋蔵量というか可能性は非常に大きいと思う。私のコーナーはこういう人たちに、ロシア語を趣味や生きがいにしてもらおうという試みの一つである。
設問)「前を失礼します」をロシア語にせよ。

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2011年11月17日

●和文解釈入門 第181回

イェスペルセンの「文法の原理」(安藤貞雄訳、岩波文庫、2006年、3巻)は名著で、例文は英語が多いが、ロシア語のも少しはある。ただその中には若干納得のいかない説明もある。例えば、Дом нов.とДом новый.の違いで前者は「家が新しい」であり、後者は「新しい家」と説明している。こういう訳も間違いとは言えないが普通ではない。前者は形容詞の短語尾だから、一時的な質を表すのが普通であり、家のようなものに、つまり新築だと言えるのは一日二日ということはありえず、2~3年は新築と言えるかもしれないものに短語尾を使うのはどうかなという気がするし、私なら使わない。後者こそ「家は新しい」と解釈するのが普通で、詩か何かで語順を変えるのならともかく、新しい家ならНовый дом.となるのが普通だろう。
またThere is a boy.という構文を説明して、ロシア語ではБыл мальчик.と主語と繋辞 (be動詞など)は倒置(語順を反対にする)にすることにより「~がある」という存在の意味になると説明している。確かにБыл мальчик.が語順的にはノーマルだが、Мальчик был.だって文法的には正しく、意味に変わりはないはずだ。「~がある」という存在の意味は過去や未来時制においてはбыть動詞によるのであるというのは初級文法である。本書は名著ではあるし、時制など非常に参考になる記述があるが、ロシア語の理解は表面的なものだけで、無理やこじつけがあるように思われる。それと訳注にロシア語ではчетыре годаだが5以上からはгодовが使われると今時初級者でも間違えないようなことを書いているのは如何なものだろう?ロシア語のできる人に見せなかったのだろうか?
設問)「自動車の生産にはロボットが使われている」をロシア語にせよ。

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2011年11月18日

●和文解釈入門 第182回

 もともとアオリスト相というのは動作が単純で列挙的、瞬間的という意味だが、私が使っているアオリストの意味は、過去の動作について総括的に、また完結した出来事として述べるということであり、「過去における繰り返しのきかない唯一の行為」で、ある動作がある過去の一つの時点で事件が発生(その報告)するという、また現在と関係のない過去の具体的動作を示していると、このコーナーでは理解してほしい。私の言う典型的なアオリストの文と言うのは、Восстание произошло в Петербурге 14 декабря 1825 г.(反乱は1825年12月14日ペテルブルグで起こった)である。
過去のある時点から現在までの継続の意味は不完了体現在形で示すことができると第11回の回答で述べた。復習すると、С 1995 г. святой Георгий снова избражается на гербе Москвы.(1995年から聖ゲオルギーは再びモスクワの紋章に描かれている)などであるが、これは繰り返し(何度も何度も)という意味にも取れるかもしれない。その他に現在から未来への継続という意味でも不完了体現在形が使え、用法的には予定の意味である。今現在2011年として、С 20 января 2012 года запрещается курение в общежитиях.(2012年1月20日から寮での喫煙は禁止する)などは動詞によっては可能である。過去のある時点からある時点までの継続はふつう不完了体の過去形で示される。Храм существовал с 15 до 19 века.(寺院は15世紀から19世紀まで存在した)。
また過去の特定のある時点から開始したということはアオリストで示すことができる。В крупных размерах выпуск медных монет начал осуществляться с 1705 г.(大規模に銅貨の発行が行われ始めたのは1705年〔から〕である)。このような用例は始めたことが現在まで継続していないか、話し手がそれに関心がないということを意味する。またбытьの過去形 + 被動形過去はアオリストないしは、現在に至らない過去のある時点までの継続や状態を示すと考えてもよい。この用法では起点のみを示すことができる。例えば、Одна канцелярия была создана в июле 1713 года.(ある官房は1713年7月に設立された)。
бытьの過去形 + 被動形短語尾で思い出したが、Роман И. Ильфа и Е. Петрова, входящий дилогию «Двенадцать стульев» и «Золотой телёнок». Романы были написаны соответственно в 1927 – 1928 и в 1930 – 1931 гг.(2部作「12脚のイス」と「黄金の子牛」に入るイーリフとペトローフの長編小説。それぞれ1927~28年および1930~31年に書かれた)という文で、どうしてнаписаныの前にбылиが入るのだろう。この作品は現存するから、なければ結果の現存になるのにそうなっていない。たんにその年代に書かれたという意味のアオリストなのだろうか?そうかもしれないが、私の考えでは最初の文でその小説ということがすでに触れてある。だから不完了体過去形のような刺身のつまのような用法、つまり動作自体に文のアクセントがなくて(作品が現存する以上、書かれたという事は理の当然だから)、書かれた年代に文のアクセントが来るから、былиを入れたのではないかと推測する。
設問)「風がとても強くて屋根の瓦も飛ばされた」をロシア語にせよ。

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2011年11月19日

●和文解釈入門 第183回

 ロシア語に入った日本語というのはあまりないが、今でもロシアでよく見る単語にивасиがある。これは商品名をсельдь-ивасиといい、マイワシのことである。評論家蔵原惟人(1902~91)は1930年非公式にソ連を訪問しているが、その「ソヴェート旅行記」の中で。イワシという名は沿海州由来(つまり日本人が漁業を通じて伝えた)だろうと述べている。ちなみに、それ以外の種類のイワシであるカタクチイワシはанчоусで、ウルメイワシはсельдь-круглобрюшкаである。ちなみに蔵原は同書で柿は日本から南カフカーズへ入ったもので「カキ」と呼ばれていたとある。それが本当だったかどうかは知らないが、柿はロシア語では今やхурмаである。
 猛暑をロシア語にするとжараとзнойが頭に浮かぶが、знойというのはイメージとして乾燥、陽炎、農村、開けた場所というのがあり、日本のように湿度が高いところのものはжараである。жарは猛暑と言う意味では廃用である。
 Лидерство сохраняет сеть «Евразиа». Доля рынка компании увеличивается.という文があったとして、このкомпанииをどう訳すかである。「〔ユーラシア〕チェーンが首位を保っている。同社のマーケットシェアは伸びている」と「同社」とするのも和訳のコツである。
層にはслойとпластがあるが、基本的にпласт = плотный слойということで地層などの堆積層に使われる。слойの方はверхние слои атмосфера(大気の上層)やвсе слои населения(住民のすべての層)という使われ方をする。толщаは厚い層のことで、толща воды水の厚い層などという。なお厚さはтолщинаだが、層の厚さにはмощностьを使うので注意の事。多層構造の多層をмногослойная структураとすると、層と層がぴったりとくっついている感じがする。だから立体駐車場をмногоуровневая парковкаとするのは、これは階層がたくさんあり、層と層との間に空間があるということで、層がぴったりくっついていない場合はこちらが使えると思う。他にмногоуровневая структура рестранного маркета(レストランマーケットの多層構造)などとマーケティング用語では使う。многоярусная структура(五重塔など)や многоплановая структураなども似た和訳で使えそうだ。
設問)「その映画の出演者はニコライ・チェルカーソフ、アンドレイ・アブリコーソフ、ニコライ・オフロープコフ他だった」をロシア語にせよ。

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2011年11月20日

●和文解釈入門 第184回

山本夏彦の「私の岩波物語」(文春文庫、1997年)に哲学叢書や翻訳文学の影響で日本語がだめになったというところがある。哲学叢書は訳語の定義を徹底すると、新たに用語を作らざるを得ないと考えたのか、定立、措定など一般的な日本語ではない言葉を使ったことが日本語を悪くしたということらしい。ドイツ語原文では分かりやすい言葉で哲学を説いているのに、日本語では難しく言うことがあたかも高邁な説を言うという誤解が行われており、これが博士論文などの日本語にも反映されているのかもしれない。定義を明確にするために哲学用語を新たに作るという安易な方法が日本語を毒したと言えないこともない。
翻訳文学については、奴隷的逐語訳という言葉を使い、大正年間はトルストイの翻訳の、昭和に入ってはドストエーフスキーの翻訳の影響があるという。つまり訳者である米川正夫、原久一郎、中村白葉は原文に忠実なあまり、また文法的に正しくありたいあまり、日本語のリズムを失ったとある。しかし、ロシア語も知らない人がどうしてこう言い切れるのか理解できない。誤訳についても「カラマーゾフ兄弟の翻訳をめぐって」(大島一矩、米陽出版社、2008年)で詳細に比較検討しているからこういう人が云うなら話は別だ。文法に関する理解が現在より進んでいなかった当時、誤訳がないとは言い切れないはずだ。ロシア語が分からないなら、単に日本語として読みにくいと書けばよい。
ただ、暮らしの手帖の編集者の花森安治の述べたという「英和辞典に出ている言葉は日本語だと思うな」というのは、大いに参考になる意見である。辞書の訳はあくまで参考であり、それに基づいて文脈による日本語らしい日本語を書くのは当然であり、それには日本語の文章修行が必要である。辞書の編纂者だって全ての文脈に即した訳語を提供できるはずもないし、語義をできるだけ分かりやすい日本語で伝えることに努めているのは当然である。文章修業というのは、語学以前というか、あるいは平行して個々人が勉強しなければならないものである。
 文章の達人とも言える丸谷才一の「文章読本」(中公文庫、1980年)にも、「美文というのは多義性、つまり曖昧ということが情緒を生む」、「たとえば、過去のことを述べる場合にもところどころ現在形を混ぜるのはすこぶる有効な手だろう。日本語にはもともと欧文ふうの厳密な時制の習慣はないのだから、これでいっこう差支えない場合が多いし、情景はむしろいっそう鮮明にさへなるかもしれない」とか、「〔だった〕、〔あった〕、〔行った〕と文章の終わりの音がみなそろう直訳風の文章の欠点」、「〔である〕づくめを止める」と述べ、体言止め、文語体、口語的口調の混用だって効果もあるかもしれないと述べているのは日本語の文章を書く上で大いに参考になる。
話がややそれたので元に戻すと、山本の言わんとすることは分かる。この3氏の翻訳を読んだことがないので、この3氏に対しての批判は避けるが、トルストイやドストエーフスキーは著作集のそれぞれ20巻ずつぐらいは原書で読んだが、結構読みやすかった記憶がある。それを活かしきっていないのなら、それは翻訳の問題だと言える。もっとも読みだしたのはロシア語を始めてから20年ぐらいしてだから、大して自慢にもならない。名作というのは難解だから読むのではなく、名作そのものが読者を惹きつけるのだと思う。Платонов, Пелевинを読むのを最初の10ページぐらいで自分が飽きるのは、文体の好みもあるのだろうが、トルストイやドストエーフスキーなどと比べると作品自体のレベルが落ちるのだろうと思っている。
設問)「何年生まれですか?」をロシア語にせよ。

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2011年11月21日

●和文解釈入門 第185回

「たった今」とか「~したばかり、~したての、~ほやほや」というのは、только что погашенные пожары(たった今消し止めた火事)、только что купленная вещь(たった今買ったばかりのもの)、только что изготовленный(作りたての、できたばかりの)、только что отпечатанный журнал(刷りたてほやほやの雑誌)などと言えるが、свеже- + 被動形(能動形)過去形からでも作れる。свежевыстиранное бельё(洗いたての洗濯物)、свежезаваренный кофе(いれたてのコーヒー)、свеженаезженные дороги(車がたくさん通りだしたばかりの道)、свежестроганные блоки(かんなで削ったばかりのブロック)、свежесрезанные(切りたての)、」свежеотрубленная голова(斬ったばかりの首)、свежемороженый тунец(急速冷凍マグロ)、свежескошенная трава(刈ったばかりの草)、свеженапиленные доски(のこぎりで切ったばかりの板)、свежевскопанная земля(掘り起こしたばかりの土)、свежевырытые могилы(掘り返したばかりの墓)、свежевыкопанныя траншея(掘ったばかりの塹壕)、свеженадоенное молоко(しぼりたてのミルク)、свежевзятый подследственный(収監されたばかりの被告)、свежевыпавший снег(降りたての雪)、свежеарестованный(逮捕されたばかりの人)、свежеосаждённая двуокись марганца(沈殿したての二酸化マンガン)、свежевыстроенный домик(たて終わったばかりの小さな家)、свежеиспеченные пирожки(焼きたてのパイ)、свежевыловленные живые раки(取りたての生きたザリガニ)、свежепогибшие(死んだばかりの人)、свежеструганный столб(削りたての柱)、свеженарезанные стебли(切ったばかりの茎)、свежеприклеенное воззвание(貼ったばかりのアピール)、свежепросольные огурцы(浅漬けのキュウリ)、この他に、новоиспечённый профессор(できたてホカホカの教授)、нововышедшие из-под его карандаша стихи(できたての彼の手になる詩)という言い方もある。
設問)「友情は別にして、処置は取らないといけない」をロシア語にせよ。

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2011年11月22日

●和文解釈入門 第186回

同時通訳と言っても露文和訳なら、分野を限定して、語彙を増やすことと聞きとりの練習をすることである程度は可能かもしれないが、和文露訳となるとまずほぼ完ぺきにロシア語が話せるという事が前提となる。大人になってからロシア語を始めた外国人に果たして同時通訳でそういうことが本当に可能なのだろうか?これは瞬時に体や類語の使い分けを決めなくてはならないことを意味する。無論同時通訳をやる前に、事前にテーマの勉強はするだろう。テーマを離れた同時通訳にはならないのが普通だし、使う文体は公的なビジネス的なものだということなのだろうが、かなり難しいと思う。事前に何の準備もせずにこれが出来る人はロシア語を究めたということになるのだろうが、自分はまだとうていそういうところまでは行っていない。
「斬る」はрезатьでもいいのだろうが、Тот ударил его ножом (мечом).(その人はナイフ〔刀〕で彼を切った〔斬りつけた〕)という表現のほうをよく見る。これだとナイフをもって体当たりとか突くなど何でも使えそうだ。また日本語も人の場合は「切る」よりも「斬る」のほうが刃物で相手を傷つけるという感じが出るように思う。рубитьだと「思いっきり」というニュアンスで、斬り落とすに近い感じである。
設問)「だってそれは今に始まったことではない」をロシア語にせよ。

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2011年11月23日

●和文解釈入門 第187回

この頃はあまりお金もないので日本語の本も買わない。それにロシア語の本が2000冊ぐらいあるし、数えたことはないが日本語の本もある。これ以上本を置く余裕は狭い我が家にはないので、要らない本は図書館の「誰でも持っていってください」というコーナーにもってゆくことにしている。そうなると日本関係の一般的な資料調べに便利なのは図書館である。私の住んでいる東京都葛飾区の図書館はインターネットで予約ができるし(まあ特に驚くことでもないとは思うが)、ない本は都内なら都内の図書館から借りだしてくれるサービスもある。村山春樹の本は15年ぐらい前に出たのならともかく、最新版では1年以上待たされそうだ。だから私の借りるような本は偶然かどうか知らないないが、貸出順位1位のものばかりだ。つまり人気のない本とか、閉架や保存庫にあるものばかりだ。その人気のない本にもたまには鉛筆で書き込みがあるのを見ることがある。ここを読めということらしい。余計なお世話だ。どうも学生が試験の課題図書として借り出したらしい。それで無料で借りていることもあって(区民税は納めているが、多分それほど多額ではないので)、鉛筆で線を引いているところや書いてあるものは消しゴムで消すようにしている。ところが、けっこう力を込めて線を引いているものが多い。これはこの場所のコピーを取るつもりだったのかもしれない。消しゴムで消すのにもけっこう力がいるのに気がついた。
設問)「次の青森行きはいつですか?」をロシア語にせよ。

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2011年11月24日

●和文解釈入門 第188回

会話で自然に使えるような、語結合もすべてそろっているような例文を文学作品の中から見つけのは難しい。それに文学は一般的に平板的な表現や使い古された表現を嫌う。しかし私が会話用に求めているのは、それこそ使い古された、平板で違和感のない日常的表現なのだ。
「火を起こす」はразвести (разжечь) огонь(разложить огоньは古い言い回し)だが、「こするか火打ち式で火を起こす」はдобыть огонь трением или высеканием искрыという。「涙を流す」は一見проливать (лить) слёзыでよいようだが、これはдолго плакатьと言う意味なので、「さめざめと泣く」などの訳を考える必要がある。駅のプラットホームにはплатформаとперронの二つの訳が 考えられるが、перронは旅客列車が止まるプラットホームを指す。платформаは貨物列車用にも使える。ダムはплотинаで、小さいダムをзапрудаという。日本語の発音に似たдамбаは堤防や土手を指す。плохойとнехорошийはシノニムだが、нехорошийの方が悪い程度がそれほど強くはなく、道徳的な性質、素行、関係などで用いられる。日本語の「よくない」と感じが似ている。худойはне говоря худого слова(余計なことは言わずに、さっさと), быть на худом счету(評判が悪い)という表現を除いて現代では俗語としてしか使われない。
設問)「この単語をどう発音するのか辞書を引かなくては」をロシア語にせよ。

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2011年11月25日

●和文解釈入門 第189回

〔訂正とお詫び〕
第186回で設問)「だってそれは今に始まったことではない」の答えをЭто ведь не теперь начиналось.としましたが、これは私の勘違いで Это ведь не теперь началось.が正しい。結果の現存の用法です。MIさん、ラーポチカさん、メイさんには深くお詫びするとともに該当のみなさんへの回答部分を訂正しました。これは定型表現です。私のように間違って覚えてしまうと後まで祟ってかかなくてもよい恥をかくという好例です。

単語を覚えるときにできるだけぴったりの訳語を覚えるのは当然だが、なかなかぴったりのが見つからない。それで本義(本質的な意味)を覚えることになる。無論訳語は文脈によって変わるのだが、会話で使うのは挨拶などの定型表現клишеや自由表現といっても慣用表現が多い。時間のあるときにそういうぴったりとした訳を見つけて暗記しておけば、この状況ではこうと後で通訳する時の負担が少なくなる。露和辞典だけではなく国語辞典が手放せない理由でもある。
帽子はデパートなどにある表示(つまり一般的に言う場合)ではголовной уборだが、ロシア人はつばがある帽子шляпаか、つばなしшапкаか、あるいは野球帽のようなкепкаを分けて考えるようである。防寒用の毛皮の帽子ならшапкаと考えるのが普通である。シルクハットはкотелокとか шляпа-цилиндрという。カウボーイ(テンガロンハット)ハットはковбойская шляпаとかковбойкаという。前回出た強盗に関連して、盗難кражаも、車の盗難(自動車泥棒)はугон машиныといい、これは家畜泥棒угон скотаの類推であろうと思われる。つまり盗むものが交通手段の場合にはугонが使われるということである。これから派生して、угон самолётаというと飛行機のハイジャックとなる。
設問)「彼は雷に打たれて死んだ」をロシア語にせよ。

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2011年11月26日

●和文解釈入門 第190回

80年代家族とともにモスクワに駐在して気がついたのは、アスパラспаржаや生姜имбирьが手に入らないことである。近く(Проспект мира)に植物園の分館があり、休日に行ったら、竹のように生い茂っていたアスパラを見つけた。当時アスパラというのは植物園で見るものだったのである。生姜も和風料理には不可欠なもので、モスクワで見かけなかったのでヨーロッパに出るときなど必ず買い求めたものだ。пряникというのはジンジャーブレッドみたいなもので、革命前の製造法などを見ると生姜が入っているが、革命後は生姜なくなったのであろう、風味だけ生姜まがいのまま、有名なトゥーラТулаのものですら未だに生姜が入っていないようだ。まあ無しで済むならというか、ないのが伝統になったのだろう。ところが1999年2度目のモスクワ駐在のときはスーパーにアスパラも生姜も出回っていた。隔世の感がある。
設問)「学部事務局に試験が何日になったか聞いてください」をロシア語にせよ。

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2011年11月27日

●和文解釈入門 第191回

前にプロになるためには何万の語彙や表現を覚えなければならないと書いたが、しかしそういう役に立つ表現というのは通訳やガイドの現場でロシア人とのやり取りの中で覚えることが多いので、勉強する気のある、できる人はますますうまくなって行き、中級者の人でもプロ志望者には以前と違いそのような機会がないような気がする。その現場に立つにはある程度プロとしてやれる実力がなければならず、まるで悪循環である。そういうこともあって、このコーナーはプロを目指す人の入門編として、ガイドや通訳でよく使う表現もできるだけ取り入れるようしている。その中には一見簡単だが会話集などには載っていないものもいくつかあるはずである。勉強はやみくもに暗記すればいいというものでなく、要は自分にあった学習法と、どんな通訳やガイドでも使う一般語彙(そうはいっても会話集にあるものや参考書にあるものとは違うかもしれない)、それと自分の仕事や専門(あるいは好きな分野)に必要な語彙というものがあるので、そういうのを集中して覚えればよい。その一つとしてご利用いただければ幸いである。
 露文解釈は単語の意味が一つぐらい取れなくとも、文脈によっては理解できるが、和文露訳となると体の用法や基本的な類語が分かっていないと和露辞典だけで露訳するのは無理だと思う。和露辞典のロシア語を見ていると、シソーラスтезаурусのように、類語の羅列だけで使い分けの説明がないから、読む人は皆同義語で、同じように使えると思ってしまう。そういう場合もあるかもしれないが、まったく同じ同義語というのはないわけで、同じように見えても用法が文体的、状況的に違うのもあるし、多義語では中の意味の一つが同じだというのもある。これからも自分が会得したシノニムのうち説明しやすいものを選んで書いていくようにしたい。
設問)「参考のためご意見をお聞かせ願います」をロシア語にせよ。

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2011年11月28日

●和文解釈入門 第192回

革命前の小説などにたまにボトヴィーニヤботвиньяというスープが出てくる。キュウリ、氷、白身魚の入った夏の料理である。2000年ごろ二度目のモスクワ駐在のときに駐在事務所と同じビルのレストランで食べたが名は同じもののたんなるキャベツスープだった。まあこういう料理の伝統は富農や中農が革命で絶滅したので、それと共に滅びたのであろうし、作り方を知っていた人も材料がないのだから作りようがなかったから正統派のものは伝わらなかったのだろう。сбитеньは蜜湯などと訳し、各種の香草や蜂蜜を水に入れ温めたもので、18世紀初頭に紅茶が流行るまで庶民の飲み物だった。これを私が初めて飲んだのは1985年ごろクレムリン近くの軽食レストランでである。今でもロシア料理店で飲ませてくれるところもあるようだ。結構おいしいものだが、レストランによって味が全く違う。
設問)〔ドアにノック。「お入りください」〕をロシア語にせよ。

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2011年11月29日

●和文解釈入門 第193回

清水幾太郎(1907~1988)の「私の文章作法」の中に文章の書ける人(文章に縁のある人)と書けない人(縁のない人)とあって、文章の書ける人とというのは、文字や言葉や文章に相当好き嫌いのある人とある。次いで文章修業というのは自分の好きな文体の所有者の文章を徹底的に真似ることである。かなり英語ができる日本人でも、また一般のロシア人でも、ことロシア語となると、このような文章修業とこのコーナーで出題しているような作文の勉強は違うという事を認識していない人が多い。だから外国語であるロシア語で作文しても、文法や語法が間違っているのを直してもらうのは当然だが、文章が下手だからこう直したらいいというのは、直すロシア人がよほどロシア語の文章の達人でも御免蒙った方がよい。文章修業と作文の勉強を取り違えているのである。我々は日本語でもロシア語でも実用文で平明達意の文を書けることを目指すが、ロシア語の学習者として、とりあえずは文法や語法にできるだけ間違いがなく、白を黒と言わないようにということを心がける。基礎ができないでいきなり応用とはいかないからだ。基礎も応用もごっちゃにして説明しているロシア人の先生もいるように見受けるが、この二つは別物であり、応用の、いわゆる文章修業というものは人から手を取り足を取りして習うものではない。文章というのは人によって好みが違うし、よい文章にもいろいろなものがあるからだ。
 設問)「壁は緑色に塗られている」をロシア語にせよ。

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2011年11月30日

●和文解釈入門 第194回

「ロシア語の体の用法」(原求作、水声社、1996年)は名著だが、その123ページのПриезжайте в Осаку.(大阪にお越しください)という命令形は、「過程を表現できない動詞ですから、当然動作への着手も表現できない、ということになるのですが、命令形で使われる場合は例外、ということになります」とある。приходи(те)だって、Приходите и приводите друзей, если вам так хочется познакомиться с нашим заводом.(当社の工場をそんなに見たいとおっしゃるなら、いらしてください、ご友人もご一緒に)などと使う。これも着手の用法から派生した促しという用法である。これは動作の時間と回数の制約がない「いつか」という意味の着手と考えてもよいような勧誘的意味合いを持つ動作の要請で、相手を拘束しないような動作の時に用いられる。さらに、Белые братья – Наливайという歌の歌詞にНаливай, выпивай, кайф поймай, и еще раз...(注げよ、飲めよ、ハイになれ、そしてもう一度)のвыпивайは多回体だから過程の意味は表すことができないが、この場合明らかに着手の用法である。過程と着手の用法は関係ないのではないかというのが私の考えである。
 приезжай(те)という命令形はприезажатьという不完了体だけでなく、完了体のприехатьの命令形でもある。Приезжайте в Осаку.は通常の会話の文脈から考えると明らかに不完了体の命令形で着手の用法だが、そのため用例としてはあまり適切とはいえない。
それと同書に「普通の状況では不完了体の命令形が使われるのが当たり前であるような動詞というのは、おのずと決まっています。以下のような表現は、そのまま、丸暗記しておけばよろしい。Входите. Проходите. Приезжайте. Приходите. Раздевайтесь. Садитесь.」と書いてある。むろんこれに反対するものではないが、露文解釈の専門家やロシア語の会話は原則としてしないという人であればこれでよいかもしれないが、通訳やガイドといった和文露訳の専門家のみならず、ロシア語の会話に興味があるような人に対してはこのようなアプローチはよくない。着手の用法は不完了体の基本的な意味でもあるので深く理解していないと、命令形といえば完了体しか出てこなくなるというような弊害を生むことになる。
本書とは関係がないが、思い出したのでついでに書いておく。при-という接頭辞のつく動詞は過程を示すことができないから、そこから派生すると考えられる予定の意味では使えないと考えられるが、L. MuravyovaのVerbs of motion, Русский язык, 1975の184ページにприходит, уходит, выходит = собирается прийти, уйти, выйтиとあり、
- Вечером у нас будет весело.(夜は楽しくなるわ)
- Кто-нибудь приходит к вам?(誰かお宅にいらっしゃるの?)という例を挙げている。
設問)「スーズダリはロシア有数の古い都市で、1024年から知られている」をロシア語にせよ。

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2011年12月01日

●和文解釈入門 第195回

この頃テレビで交通事故や地震の遺族の談話を聞くと、「故人も今頃は天国から声援を送っているかもしれません」とか、「いつか天国での再会を云々」というのを耳にする。私の子供のころは「故人もさぞやあの世で云々」だったように記憶している。古代の神道では死者は山や海や森の彼方に去るぐらいで、具体的なあの世観というのはなかったというのを読んだことがある。死んだ直後の霊は荒魂(あらたま)であり、そのため鎮める必要があり、それがだんだんと和魂になり、33回忌を経て先祖と一体化するという説は近代のものらしい。仏教では本来は解脱だが、全部の宗派ではないにしろ一般的にはこれも死ねば西方浄土に向かうという風に受け止められている。現代の日本人の死生観は、桜葬などの樹木葬が増えていることを見ても、墓などのあまり重きを置かないが、それでも死ねば極楽ではなく天国に行って、そこで先祖や先に亡くなった親族と再会できるということらしい。それから先はどうなるのだろう。スウェンデンボルグの云うように霊界があって、死後そこで自分を高めるための修行をして生まれ変わるなどあるのだろうか?まあ証明できないことを考えても仕方がないのかもしれない。
設問)「街は車であふれている」をロシア語にせよ。

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2011年12月03日

●和文解釈入門 第197回

19世紀から20世紀初めのロシア語は現代ロシア語と比べて、それほど変わっていないと言われるが、それでも単語そのものの意味が少しずれてきているものもある。заряは19世紀では夕焼けと朝焼けの両方の意味があったが、現代語では朝焼けの意味が一般的である。
あまり文法書に載っていない基本単語の用法を挙げてみる。ждатьは副動詞とはならない(代わりにожидая, дожидаясьを用いる)し、後に不定形が来ない。знатьの後にも不定形が来ない。любитьの後にはчтобы, когдаは来るが、что, какは来ない。обожатьには命令形がない。слышатьも命令の意味では使わない。слышьというのは俗語で、「あのね、聞いてる、だってよ」という意味である。мочьには命令形がないのでуметьの命令形(сумейと完了体にすることが多い)を使う。Сумей догнать.(追いつけることが出来るようにせよ)となる。またмочьには未来形がないので、в состоянии + 不定形を使い、Банк будет в состоянии погасить задолженность через год.(その銀行は1年後に負債を返済することが出来るとしている)となることは拙著「アネクドートに学ぶ実践ロシア語文法」で触れた。俗語のне могиは女性が痴漢に「ダメ、やめてよ!」という感じで使うне смейと同じ意味で、非常に強い禁止である。このсмейはсметьが不定形であって、суметьではないことに注意。разныйは短語尾では使わない。предметは物主代名詞とは語結合をしない。だからмой предметとは言わない。どうしてもというのならпредмет моего исследования(私の研究対象)とでもするしかない。
設問)「ポケットから時計が掏られた」をロシア語にせよ。

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2011年12月04日

●和文解釈入門 第198回

 体の用法の参考書は例文を見る限り、露文解釈の観点で書いていると思われるので、時制の説明もロシア文が中心であるのも当然である。ただロシア語と日本語は系統が全く違う言語であり、しかも一見して時制が少しずれているのではないかと感じられる表現もいくつかある。例えば結果の存続(「~いらしています」などに完了体の過去形を使う)とか、経験(「~したことがある」に不完了体過去形を使う)などがあり、そのため会話用の和文露訳をする上で、日本語を中心に考えて、ロシア語ではどうなるかという文法的説明が学習者のために必要だと考えた次第である。
 露文解釈は体の用法を特に気にしなくても文脈によっては意味が理解できるし、訳文である和文では特に意味の違いを分けなくても日本語の表現が変わらない場合も多い。露文解釈だけをロシア語の勉強の中心に据えていると、いざロシア語の会話となったときに体の用法に無頓着になりがちである。またプロが行う露文和訳となれば、体の用法を完璧に理解していないとロシア語のニュアンスを理解できないことになる。城田先生によれば文芸書の和訳でも体の用法を無視した誤訳も散見されると言うから素人に限ったことではないかもしれない。会話で体の用法を和文露訳で使う場合、発想を変えて、これまで紹介したように日本語を中心に考えて、用法を整理して覚えれば案外簡単なものであると分かる。
「記念碑」はпамятникとмемориалが考えられるが、памятникは死後の個人を想定していて、生前に銅像を建てると、それはскульптурное изобрежение(彫像), бюст(胸像)という単語を使う必要がある。мемориалは個人には使えず、集団か抽象的なもの(栄光など)で、しかも壮大なというニュアンスがある。サインは書類の署名はподписьで、アイドルなどからもらうのはавтографである。
設問)「湖は南北およそ1200キロと細長く、平均の幅は320キロで、周囲およそ7000キロである」をロシア語にせよ。

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2011年12月05日

●和文解釈入門 第199回

ロシア語でyouを丁寧に表現すればвыである。これはフランス語から来たものだが、その基のラテン語においてローマ皇帝がvos(フランス語のvous)と丁寧語で呼びかけられたいがために、自分の事をnos(フランス語のnous)と呼んだことが、いわゆるимператорское мы(朕)という表現の始まりとされる。
 この他にa-で終わる名詞はインドヨーロッパ語族では元来女性単性形の集合詞だったという事も最近知った。ロシア語だけではないのである。
 テレビのリモコンはпультと言い、これはпульт дистанционного управленияを略した言い方である。塹壕はтраншеяは防御施設の全てのトーチカをつなぐ狭くて深い交通壕であり、окопは塹壕は塹壕でもタコツボ(個人用)などの散兵壕や、掩壕(兵馬を敵弾から守るためのもの)も含む。絞りはカメラのはдиафрагмаで、金属加工ではвытяжка、材料の延性の減面率(断面減少率)のことを相対絞りотносительно сужениеなどという。痰はмокротаで二番目のoに力点が来るが、湿り気のほうはаに力点が来る。
設問)「試験を行うのは国家委員会です」をロシア語にせよ。

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2011年12月06日

●和文解釈入門 第200回

2011年9月14日付の読売新聞に「情報化社会では誰も考えようとはしない」とあった。ニュースなども新聞やテレビを見る時間すらないか、そういう気持ちが元々ないのか知らないが、ネットの箇条書きになっている見出しを読んで終わりということらしい。だからマスコミも如何に簡潔に分かりやすくというのを競っているようである。地震やテロが起きたというような場合はそれでいいだろうが、なぜ起きたのか、またその影響を考えてみるためには、いろいろな識者の見解というのは無視できないはずだ。それも2、3行ではなく、いろいろな人の見解をじっくり読むという習慣をつける必要がある。読書も修行である。こういうのは子供じゃないのだから個人の考え次第である。ロシア語も同じことで、努力を続けさえすれば徐々に難しいと思われた本も読めるようになる。自然にロシア語の本が読めるようになるという事はない。
設問)「彼女はたった今ここにいたよ」をロシア語にせよ。

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2011年12月07日

●和文解釈入門 第201回

和文露訳で正しい答えを提示するのは簡単だが、回答者の作文を見て、それが間違っていれば、どこが違うのか、語法的(文法的、語結合的)にどう違うかを具体的に教えて、正解への道筋を示してやらないと、同じ誤りを繰り返すことになる。それに数学と違い、ロシア語の和文露訳の答えは味絶対に正しいという回答はあまりない。文脈というか、そのときの状況にもよるし、複数ある場合もある。「人の患いは人の師となることを好むにあり」というが、教えたいというのであれば、精神的なものも当然ではあるが、それ以前に生徒が求めているもの、つまり、いかにすればロシア語が話せるようになるか、ロシア語で自分の考えをロシア人に伝えることが出来るようになるかを考えて、それに応えるように自分のレベルを高めるよう不断の努力が必要である。生徒の方も自分の日本語での思考を磨き上げるために、日本語の本をたくさん読む必要がある。通訳をしていると、毎回日本語で何を言っているのかさっぱり分からないいい年をした大人も世の中にけっこういるなと気づかされることが多いからだ。
設問)「汽車は遅れを取り戻してきている」をロシア語にせよ。

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2011年12月08日

●和文解釈入門 第202回

ロシア語では朝出かけるときに挨拶として「行ってきます」とは言わないが、この文字通りの意味をロシア語でいうとすると、Я пошёл.である。ロシア人は実際に出発することを他の人に知らせるために使うのであって、これはロシア語では挨拶言葉ではない。
故障は1回ないしはいくつかの別々の故障が頭にある時はнеисправность, неисправности, неполадка, неполадкиを使い、при неисправности (-тях), при неполадке (-ах)(故障の際は)などというが、停電、断水、遅配など故障が続けて起きるような場合は、перебоиとперебойを複数形で使う。перебои в доставке(遅配)、перебои со светом(停電)、перебои в подаче электроэнергии(停電)、перебои в подаче воды(断水)、などという。сбой = перебой в движении, работе, действииであり、電気のショート、電線の破断とか、コンピューターなどでの不具合を指し、сбой в системах(システムの不具合)などという。
「人の外見」のうち、внешний видは身だしなみ、容姿をいい、внешностьは見かけ(人の本質とは違うというニュアンス)、наружностьは努力しなくても付与されたという意味の外見という意味である。обликは外見のみならずその人の本質も含めた姿かたちという感じで、肯定的な意味で使われることが多い。動物の外見はэкстерьерという。
設問)「長いこと追いつこうとして、ついに追いついた」をロシア語にせよ。

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2011年12月09日

●和文解釈入門 第203回

露文解釈で意味だけ分かればいいのだというのであれば、露和辞典でだけで十分である。しかし文章を吟味して味わいたい、昧読したい、ニュアンスもすべて理解したいというのであれば、またそういう意味でドストエーフスキーなどの19世紀の文学書を読みたいのであれば、ダーリДальの辞典も必要だ。現代文学ならダーリは不要かもしれないが、逆に口語辞典や俗語辞典がないと会話の部分は正確に理解できないだろう。ソルジェニーツィンは故新田實先生も文章が語法から外れているところが多いと指摘されていたし、ロシア人のロシア語文法学者もソルジェニーツィンの例文を挙げてこれは通常こうはいいませんと書いていた。「収容所列島」は隠語辞典があれば、ソルジェニーツィンの中ではドキュメンタリータッチだし読みやすいほうだが、「赤い車輪Красное колесо」となると、擬古文を自分の文体にしているようで、ダーリの辞典のほかに、彼が自分で編んだ辞書Русский словарь языкового расширения, Наука, 1990があった方がいいかもしれない。彼の著書にはそれだけあっても分からない単語というのがたまに出てくるし、文体がくどい感じがするので文章自体はあまり好きではない。昔邦訳で読んだので特にロシア語で読みたいという気も起きない。「200年後Двести лет спустя」はロシアのユダヤ人について書かれたものだが、邦訳もなく(あるのかもしれないが読んだことがないので)必要性があるから読んだぐらいだ。だからソルジェニーツィンはロシア・ソ連文学を原語で読むという(邦訳で読まない)私にとって例外である。
最近ある必要があって「収容所列島」を読みだした。読んでいるうちにКто ж у истока – курица или яйцо? люди иди система?(鶏が先か卵が先か、元々は何なのか?人か体制か?)という文に行きあたった。これは第40回の設問で出した活動体名詞はкто(厳密に言えばчтоで受ける場合も散見される)で受けるという事に対して、この文の鶏は活動体としても、卵はどうなのかとか、活動体である鶏が先に来ているからктоで受けているのかなどといろいろ疑問がわく。これについてはソ連時代のアネクドートに、
- Что было раньше - курица или яйцо?  「鶏が前か、卵が前か?」
- Раньше было всё!          「前には何でもあった」
とあり、これはчтоで受けている。このような文を前にすると、ソルジェニーツィンとてもктоかчтоかどちらにするか多少は迷ったのかもしれないなと思うと少し楽しくなる。
設問)「この家は築何年ですか?」をロシア語にせよ。

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2011年12月10日

●和文解釈入門 第204回

辞書を引かないとロシア語はうまくならない。辞書を引くのが面倒だと言うのは理解できるが、語彙を覚えるための一つの手段と割り切ってやるしかない。露露辞典をできるだけこまめに引くようにすれば、思わぬ発見があることもある。それを自分用に記録しておけば後で役立つこともあろう。

 同僚にはтоварищ по работе, коллега (по работе), сослуживецがあり、仕事仲間という意味だが、товарищは最近使わないようである。коллегаは同僚は同僚でも、知的労働者というニュアンスがあり、同じ会社の人でなくとも、同じ分野の職種の人であれば使える。御者はкучер, возницаが普通だが、昔の辻馬車の御者はизвозчикであり、повозочный, ездовойは軍、軍の衛生部隊の御者を指し、каюрは犬ぞり、トナカイぞりの御者を指す。возчикは荷馬車の御者である。

設問)「待ちぼうけかと思ったわ」をロシア語にせよ。

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2011年12月11日

●和文解釈入門 第205回

「(これから)~します」をロシア語にしようとして未来時制を使おうとすると、完了体未来形を使うべきか、быть の未来形 + 不完了体不定形を使うべきか迷う。第21回本文でもこのテーマについて書いたが、別の角度から選ぶ基準というものはないか考えてみたい。磯谷孝先生の「演習ロシア語動詞の体」(吾妻書房、1977年)を読み直していたら、そのものズバリではないが、быть の未来形+ 不完了体不定形が使えない不完了体動詞の基準らしきものが書いてあったので、ご参考までに私なりに理解し、それを次のようにまとめてみた。不完了体未来形が絶対に使えないものもあるが、優先順序でいえば完了体がよく使われるというものを挙げておく。
a) 不完了現在形で予定を示すことができる動詞群
 「(これから)昼食を2時に取るんだ」いう場合、Я обедаю в два часа.とするのが普通であり、実現の可能性が一番高い。無論不完了体だから「いつも昼食は2時に取る」という風にも取れないことはないが。そこは文脈次第である。頻度は少ないが、Я буду обедать в два часа.も間違いではない。訳は「2時に昼食を取るつもりだ」というふうに意向を示すことになる。さらにЯ пообедаю в два часа.なら、和訳は同じでも、食べ終わるという動作の完了の意味が強くなるか、奴は遊びに行くが、俺は昼食を取るというような新規の事柄というニュアンスが出てくる。こういう動詞群は和文露訳の場合は文脈によるのは当然だが、不完了体現在形を使えばスケジュールに沿ってという感じがして、ビジネス関係などでは多用されるが、使える動詞は限られている詳しくは第177回本文参照のこと。
b) 定動詞
 ехать, идти, лететьなどで、「ペテルブルグへ飛びます〔行きます〕」を何の脈絡もなく(いきなり)×Я буду лететь (ехать, идти) в Петербург.とは言えず、新規の事柄だからЯ полечу (поеду, пойду) в Петербург.と言わなければならない。無論不完了体現在形の予定の用法で、Я лечу (еду, иду) в Петербург.とも言える。しかし、従属文の中のように刺身のつまというか、意味の重心が来ないような文では不完了体未来形も使える。
Когда мы будем ехать мимо водохранилища, я покажу вам прекрасное место для отдыха.(貯水池のそばを通る時に、休むのにすごくいい場所を教えてあげる)
c) 限界を語義に持つ動詞群
кончать, начинать
 これらは完了体命令形が来るのが普通だが、刺身のつまのような用法で、Я буду кончать работу.(仕事を終えます)と言えないことはない。Будем начинать!(始めましょう)というのは、Давайте начнём (начинать)と同じ意味だが、雰囲気的にそうするのが当然という動作の着手というならНачинаем!というのが普通だ。С чего начнём? (= С чего начать?)〔何から始めようか?〕と完了体未来形が来るのは、新規の提案だからである。
d) 持続的動作過程を表すことのできない動詞群
 приезжать, приводить, привозить, приносить, приходитьなどの他にも第177回の表の現在時制のところに過程を表現でいない動詞群を紹介しているので、それも参考になるかもしれない。ただこれらは繰り返しの意味では不完了体未来形を取る。
e) その完了体が繰り返しのきかない1回の動作、意志的・非目的志向的動作を示す動詞群
 видеть, выздоравливать, вылечиваться (лечиться), поправляться, простужаться, погибать, рождаться, умирать, упадатьなど。
f) その完了体が瞬間的に成立する動作を表す動詞群
 брать, давать, изобретать, находить, получатьなど。
※ получатьにはТы будешь сегодня получать стипендию?(お前今日奨学金受け取るつもりか?)という文のように目的志向の意味があるときには、不完了体未来形が使える。
g) その完了体が状態の変化・発生を示す動詞群
 освобождаться, превращаться, становитьсяなど。
h) 無意識にもたらされる否定的結果を表す動詞群
 лишаться, ломать, разбивать, терять, уронятьなど。

上記の不完了体はбытьの未来形とともに不定形は、新規の事柄を示すためにいきなりは使えないし、いかなる文脈においても使えないものもある。逆に考えれば、使えるのは、
1) 動作の有無の確認
Я буду читать.(読みます)
 このように動作に完成がないときや動作がいつ終わるか不明という場合に使う。
2) 継続
Он будет долго уговаривать её.(彼は彼女を長いこと説得することになる)
3) 刺身のつまのような用法(反復や所要時間などを示す用法)
Когда будете приходить на занятия, приносите с собой книги.(授業に来る時は、〔毎回〕本を持って来てください)
Это очень удобный поезд. На нём мы будем ехать до Петербурга всего 6 часов.(これは非常に便利な汽車だ。ペテルブルグまでたった6時間で行くんだ)
- Завтрв я поеду в Москву.「明日モスクに行くんだ」
- На чём вы будете ехать?「何に乗ってで行くんだい?」
- На автобусе.「バスでさ」
4) 順次的用法ではない場合
Когда будете уходить, погасите свет.(帰る時は灯りを消して下さい)
 完了体未来形が続くと、動作が続けて起こるような(順次的)ニュアンスなので、そうではない時間を拘束しないような場合に不完了体未来形が従属節に出てくる。
5) 否定的意図
Я сейчас уйду и не буду мешать вам.(すぐに失礼します。お邪魔をするつもりはありませんから)
6) 着手(ここから予定や目的意識を持つ動作の意味が出てくる)
着手というのは、雰囲気的にこうなるのが自然であるという動作にも用いられるという事を覚えておこう。例えばレストランなどでЧто вы будете заказывать?(御注文はいかがなさいますか?)というのもレストランに入ったら食べ物を注文するのが自然であり、この文は着手を示していることは分かるだろう。
 両方の体が使えるような場合もあるが、ニュアンスの差は存在する。「明日電話申し上げます」という文は、Завтра я вам позвоню.やЗавтра я буду звонить вам.と露訳できる。強いて両者の違いを言えば、完了体未来形は動作実現の強い意志を示し、不完了体未来形は目的志向型(~するつもりである)ということだが、不完了体未来形が口語的だという他にはあまり違いは感じられない。ただ動作の完成時点を限定(期限を明示)する場合には、Я позвоню вам пораньше.(ちょっと早く電話します)と完了体未来形を使う。
まとめとして考えるならば、一般的に気持ちの上で完了体未来形のほうは不完了体未来形に比べて、すぐ行動に移すというニュアンスがあり、動作や行為のきっかけや出だし、ないしはこれまでの動作や行為の流れを変えるような動作や行為を示す。不完了体未来形は動作に一拍置くか期限が明示されないという感じであり、これまでの動作や行為(いわば線路)の延長上にあると思われるような動作や行為を示す。延長上にあると確信できれば、使える動詞の数は限られているが不完了体現在形を使うといういうことになる。
設問)彼はウェートレスから勘定書きをもらって支払を始めた。
「だけど俺も出したほうがいいかもな」
「次の昼食はあなたのおごりですよ」の3つの文すべてをロシア語にせよ。

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2011年12月12日

●和文解釈入門 第206回

ロシア語難語辞典Словарь трудностей русского языка, Розенталь/Теленкова, Русский язык, 1981に基づき、「~の後で」という意味のпосле + 生格とс + 造格の違いについて書いて見る。「母の死後状況は変わった」の露訳として、Положение изменилось после смерти матери.とПоложение изменилось со смертью матери.の違いは、前者が母の死後ある程度の時間が経過したという可能性があるのに対して、後者は母の死の直後というニュアンスである。
鮭は普通はシロザケкетаのことで、ベニザケはнеркаで、べニマスともいう。ヒメマスはその陸封型。ギンザケはкижучで、キングサーモン(マスノスケ)はчавычаである。これらの鮭は太平洋産だが、大西洋の鮭であるタイセイヨウサケ(アトランティックサーモン)はлосось (сёмга, благородный лосось, атлантический лосось)という。水産会社の人によればベニザケが一番おいしいということだったので、ロシアでのお土産は一時неркаの缶詰だったことがある。しかしシロザケとベニザケの違いは後者がオレンジ色が濃いぐらいで、味の方はよく分からなかった。ちなみに寿司ネタのサーモンはサーモントラウトのことでニジマスрадужная форельの商品名である。これは海洋性のサケ科の魚にはアニサキスанисакисなどの寄生虫がいて生食するのは危険だから、陸で養殖した(つまり寄生虫がつかないように管理した)同じサケ科の魚を生食用に使うためである。アニサキスを殺すにはマイナス20度で24時間以上の冷凍、ないしは摂氏60度で数分加熱処理すればよいということなので、サケにルイべという料理があるわけもよく分かる。サケマス科の魚でマスは一般的に陸で一生を終える魚を言い、カラフトマスгорбушаは例外である。イクラはカラフトマスのイクラが一番おいしいという話をマガダンでロシア人から聞いたことがある。カラフトマスの肉の方はサハリンでは、猫またぎならぬ犬またぎで味はまずいとサハリンの人は言っていたが、缶詰で食べる限りよく分からない。これは果たして得な性分なのか損な性分なのか?ちなみに彼の地の犬はカラフトマスなぞには見向きもせず、食べるのはサケの頭を少しかじるぐらいだとか。ヒグマなどもサケの遡上のシーズンで川にサケがたくさんいるときは頭だけを食べて後は捨てていたから同じようなことかもしれない。そういうおいしい目に遭ったことはないので分からないのである。
設問)「経験者の言う事を聞け」をロシア語にせよ。

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2011年12月13日

●和文解釈入門 第207回

20年の時を経てドストエーフスキーの死の家の記録を再度ロシア語で読んだ。20年前には印をつけたのは5、6か所ぐらいだったが、今でも1ページに2、3か所つける。進歩したのだろうが、ちょっと情けない気もする。もっとも印をつける中身がずいぶん進歩したのだと思いたい。当時は内容を追うのに精いっぱいだったし。150年以上前の本だが、この表現は会話に使える(ひょっとしたら哲学的な)というつもりで語彙集にも入れてみた。牢内の動物(犬や鷲など)のくだりが昔は何とも思わなかったが、いま読み返すと描写が淡々としているとはいえ胸に迫るものがある。この調子でチェーホフの短編や同じドストエーフスキーのカラマーゾフの兄弟などを読み返せば新たな興趣や共感も浮かぶのかもしれないが、まだ他に読むものがいっぱいあるのでそうはいかない。後10年も経ったらどうだろう?
設問)「われらは別の道を行く」をロシア語にせよ。

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2011年12月14日

●和文解釈入門 第208回

歴史的過去の用法の一つに劇的過去настоящее сценическоеというのがあり、アカデミー文法ではнастоящее комментирующее(注釈的現在とでも訳すのか)と歴史的現在とは別の項目を立てている。これは脚本のト書きのようにこれから起こる出来事を不完了体現在形で記述するもので、物語をかいつまんで紹介したり、その絵画が何を表しているのかの説明とか、文学作品の中で出来事を時間の流れに沿って描写するときなどに使われる。この用法は歴史的現在と違い、過去の出来事をあたかも目前にあるかのようにするというような状況設定は必要ない。実際の作者が全てを見通していて、ある種の筋書きという線路の上を走るようなものだから不完了体現在形が使われるのだろう。例えば「Москва слезам не верит(原題はМосква слезам не верит, ей дело подавай.「泣き言は言わずにさっさとやれ」という諺から来ていると思われる)」という有名な映画の粗筋紹介では、Действие фильма происходит в 50 – 70 –е гг. ХХ в. Три подруги приезжают в Москву из провинции.(映画の舞台は1950年~70年代。女友達3人が田舎からモスクワにやってくる)と、別段シーンが目の前に浮かんでくるという感じではないが、立派な劇的現在の用法である。
 ロシア語百科Русский язык, энциклопедия, Филин, Советская энциклопедия, 1979で現在時制の説明を読んでいたら、歴史的現在には過去のみならず未来をも不完了体現在形で示す用法があるとして、Через месяц я кончаю институт и начинаю работать в школе.(1ヶ月後大学を卒業して、学校で働き始める)という文を挙げていた。専門家ではないから何とも言えないが、これは不完了体現在の予定の用法にすぎないように思われる。これをわざわざ歴史的現在と呼ぶ必要があるのか非常に疑問だ。
設問)「彼は上司とそりが合わない」をロシア語にせよ。

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2011年12月15日

●和文解釈入門 第209回

「待ちぼうけかと思ったわ」の私の回答(第204回)をА я вас уже не ждала.としたが、これはシーモノフСимоновの長編「生者と死者Живые и мёртвые」にある一節である。ただそれに納得のいかない人もいるかもしれないので、別の面から解説する。レーピンРепинにНе ждалиという有名な絵がある。これは1884年から1886年にかけて製作されたもので、ナロードニキの流刑囚が思いがけずに家族に戻った場面を描いている。この絵の題名からне ждалиという表現は思いがけない出来事について話す時に使われるようになった。絵はネットですぐ検索できるから見てほしいが、それを見ればこの絵の題名が「来るとは家族のだれも思っていなかった」という意味になることがよく分かるだろう。
 日ソ図書のホームページに「ロシア語類義語語義・用法解説辞典(動詞・名詞・形容詞・副詞)」スレサーエヴァ、3780円とあるが、これが私のいう類義語辞典の一つである。ご参考までにお知らせする。
設問)「そのゴルフクラブは炭素繊維製だ」をロシア語にせよ。

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2011年12月16日

●和文解釈入門 第210回

大学を出てからある商社に勤め始めて1年後、名古屋の知多(ソ連のではなく)でソ連向け浮きドック建造の通訳見習いを1カ月ほど出張するよう会社から命じられた。そこで日本語の本はすぐ読んでしまうので、その頃すでに買い始めていたゴーゴリ全集から「検察官」の原書を暇つぶしに持っていくことにした。休みの日に読み始めたが1ページで20回か30回辞書を引く。これでは無理だとあきらめた。それからは技術ロシア語(船舶や鉄鋼)、ビジネスロシア語、諺、慣用句の勉強に専念することにしてロシアソ連文学を読むのはやめにしてしまった。そのころソ連通商代表部とも仕事上付き合いがあり、担当のロシア人の家族ともたまに会う。ところが5、6歳の子の言うロシア語がさっぱり分からない。大学を出て商社に入ったが、仕事上のロシア語の会話は専門用語以外まったく問題なかったのにである。今考えれば、子供の頭というのは自分の世界中心に回っており、それを理解するのは日本の子供の日本語だって難しいと思うのだが、そのときはとてもショックだった。それで初めてのモスクワ駐在(1983~88年)のときに、テレビの子供番組Спокойной ночи, малышиを毎晩見た。そういえば大学受験でリスニングの試験があると聞き、高校3年の春からNHKの基礎英語を聞くだけずっと聞いていたが大学のリスニング試験はそれで通った。だめなら恥も外聞もかまわず一番優しいものに的を絞ればいいのである。女房はモスクワ駐在のときにで私がテレビの子供番組をつけるのは、その頃小さかった娘のためだとばかり思っていたようだ。大学でロシア語を専攻した亭主がまさか会話の勉強にとは夢にも思わないだろう。さにあらずである。
設問)「ロシア人は1月13日から14日にかけての真夜中に旧正月を祝う」をロシア語にせよ。

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2011年12月17日

●和文解釈入門 第211回

1983年から1988年までモスクワに第1回目の駐在をした。当時子供向けの番組でオズの魔法使いの翻案のようなものをやっていて、それが面白かったので、その原作Волшебник измрудного города, Волковを買ってきて読み始めた。これなら面白いし、はかがゆく。前回も書いたが大学でロシア語を専攻して、ロシア文学が読めなかった私である。自慢ではないが在学中にガイド試験には受かっていたのでロシア語には自信があったつもりがこの体たらくである。しかし、語学の上達にはそんなことにはかまってられない。現状を打破していかにうまくなるかである。うまくなれば仕事にも役立つ。それで必死でいろいろな絵本を読み続けた。2年ぐらいで絵本も卒業し、ついに駐在3年目にしてパルノーフЕ. Парновの歴史小説3部作「マリア・メディチの長持Ларец Марии Медичи」、「シバ神の第三の目Третий глаз Шивы」、「マルタ騎士団の錫杖Мальтискицй жезлを、辞書を引き引き読めるところまでになった。この本のおかげでмедвежатникというのが俗語で金庫破りだと知った。当時露和辞典には載っていなかったように思う。
面白いのは家にアルバイトで手伝いに来ていたロシア人のアパート管理人の奥さんがこの本を貸してくれとと言ってきたことである。映画化もされたから有名な本らしかったが、かような犯罪小説は普通の本屋では人気が高くすぐ売れるので庶民にはまず手に入らない。外国人向けのベリョースカ(外貨専門店で本屋もあった)なら売っていた。1カ月ぐらいして返しに来たのだが、「佐藤さんは外人なのによくこんな難しい本を読めますね」と真顔で言ったのには本当にびっくりした。私にすれば簡単にではなく、辞書を引き引き読んでいるのだが、日本で言えばミステリーの文庫本みたいなものでロシア人にすれば単なる娯楽本ではないか。読書好きといわれるロシア人にとっても読書術というのがあって、だれでも黒帯や師範というわけでもないのだなと実感した次第である。そのころ彼女はエレベーター管理士の試験勉強中だと旦那さんから聞いた。まあまじめで感じの好い人だった。この旦那さんには私の(会社の)車の洗車を頼んでいたが、夫婦共働きが普通なので、資格を取ってもっといい仕事について家計を助けようとその奥さんは考えていたのだろう。そういう意味で向上心の強い女性だったわけである。
設問)「飛行服の形には宇宙飛行士のコメントと希望が考慮されている」をロシア語にせよ。

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2011年12月18日

●和文解釈入門 第212回

ロシア語の勉強にと思って、ロシア文学の原文とその訳文を使おうと思う人もいるかもしれない。カラマーゾフの兄弟の露文とその邦訳を手に入れて、邦訳を見ながら露文を文章ごとにチェックするというやりかたである。しかし、気をつけないといけないのは、ロシア語にも日本語にもそれぞれ文章にはリズムというものがあり、そのリズムを壊さないように意訳をせざるを得ない個所だって多々あると思うからである。そうなるとどうしてこのロシア語の語句が日本語でこうなるのか、なかなかすっきりとは理解できないことがある。場合によっては時制だって変わっているかもしれない。そこが露文和訳と露文解釈の違いである。和文露訳と和文解釈も同じことで、日本語で書いたものを縦のものを横にするようにはロシア語にできない場合が多いし、訳者のロシア人が日本の庶民的な文化や常識を知らないと、ロシアの常識に合わせてしまう可能性だってある。ロシア語の会話で活用しようとして、ロシア語の原文を勉強するのであれば、結局自分で読まなければいけない。そうすればその語彙が使われている背景なども文脈などもよく分かり、会話のときにもあまり変な訳はしなくなるはずだ。
「~の方向で」はпо направлению к + 与格、ないしはв направлении + 生格でよいが、на напрвлненииは軍事用語で「方面で」という意味である。на берлинском направлениииベルリン方面でということで、この方面の意味のнаправление = участок фронта, ориентированный на какой-либо стратегический пунктという意味である。
設問)「手術が遅れるぞ」をロシア語にせよ。

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2011年12月19日

●和文解釈入門 第213回

39歳のとき(この時すでに最初の5年間のモスクワ駐在を終えていた)にハバロフスクに出張した時、飛行機の関係で1週間ホテル待機となった。仕方がないので、ベリョースカ(外貨店)Берёзкаでパステルナークのドクトルジバゴを見つけ、することもないので、ホテルに帰ってから持っていた露和辞典で読み始めたところ、面白くなり、途中で辞書を引くのをやめて二日ほどで読み終わりった。ここでようやくロシア文学の面白さに目覚め、今に至るまで700冊以上は読んだことになる。この中の語彙や表現を会話に役立てようと思い、エクセルに和露語彙集として書き抜いているので、1日40~50ページくらいと遅読である。それでもその語彙集が8万項目を越えた。目指せ10万項目である。ようするに自前の和露辞典を作っていることになる。人には役に立たないかもしれないが、自分専用なので技術関係も、一般向けも区別はない。結構面倒で根気のいる作業だが40年近く続けている事になる。もっともエクセルにインプットしだしたのはこの13年ほどである。語彙をエクセルにインプットする過程で少しはスペルを覚えるという利点もある。文例は一つの項目でゼロのときもあるが、6つや7つというものもある。すべて和訳し、それもベストの和訳するように心がけているので、それが露文和訳の練習にも、日本語の勉強にもなっていると思うし、そのおかげで通訳していても日本語が出てきやすいような気がする。むろん活用を考慮して、語幹だけで引くようにすればロシア語からの検索も可能であるし、できるだけ引用する作者やその本のページも入れるようにしているので、その作者ごとに並べ替えも可能であるし、スペルや訳がおかしいなと思えば、面倒だが原資料をチェックし直すことも可能である。
設問)「最近の出来事について一言申し上げます」をロシア語にせよ。

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2011年12月20日

●和文解釈入門 第214回

ナウーモフНаумовという人との書いた「ピョートル大帝とその股肱の臣の日常生活Повседневная жизнь Петра Великого и его сподвижников, Молодая гвардия, 2010」という本の中に面白い記述を見つけたので、かいつまんで書いて見る。ピョートル大帝には最初の妻エウドキーヤとの間にアレクセーイ皇太子(1690~1718)と娘がいる。アレクセーイは後に父への謀反のかどでピョートルの面前で拷問を受け、死刑執行の朝謎の死を遂げた。死因は死刑を恐れるあまりの脳卒中とも言われている.一方二番目の妻エカチェリーナ(1684~1727、後の女帝エカチェリーナ1世)の間には12人の子ができだが、成人したのはアンナ(1708~28)とエリザヴェータ(1709~61/62)後の女帝エリザヴェータ・ペトローヴナ)の二人の娘だけである。二人は年子погодокだった。アンナはピョートル似で、やせて背も高く、知的好奇心が強く、頭の回転も速かった。ピョートルも世継にと考えた男の子が次々と早死にするので、ピョートルもいずれは彼女に国を任せたいという意向もあったようだ。若くして亡くなったのは惜しまれる。
 当時のロシアの上流階級では幼い娘にはハレの席では天使の白い羽根крылышкиをつけた衣装をつけさせた。成人になるとこの羽根を折る儀式が行われたという。最も成人といっても、もう嫁に出してもいい年ごろとみなすということだから13歳ぐらいのようである。1721年アンナの婿候補であるカルル・フリードリヒ・ホルシュテイン・ゴットループ(時のスウェーデン王カルル12世の甥で、ピョートルはスウェーデンと対トルコ同盟を結びたいと考えていた)がペテルブルグに来た時、アンナとエリザヴェータも宴席に出た。服装は同じだったがエリザヴェータの背には天使の羽根があり、アンナは最近この羽根が折られ、ひもで結んであったとカルルは書いている。エリザヴェータの羽根はピョートルにより1721年9月11日に折る儀式が執り行われた。アンナはカルルより賢く、博識であり、まじめだったので、カルルとしては何となく煙たく思い、個人的には妹のエリザヴェータ(ぽっちゃりして生き生きしていた)の方が気にいったのだが、彼は将来の国王としての立場をよく理解していたから、不満を口にせず、1725年アンナと結婚することになった。二人の間にできたのが後のピョートル3世であり、この人がエカチェリーナ2世の夫で、彼女に王位を追われ殺された。もう一人有名な方のアンナは女帝として有名なアンナ・イワーノヴナ(1693~1740)である。父はピョートルの異父兄で、ピョートルの共同統治者となったイワン5世(1666~96)であり、実権は姉のソフィア(1657~1704)が握った。
設問)「はたから見れば同じことが起こっているかのように見えたかもしれないが、そうではなかった」をロシア語にせよ。

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2011年12月21日

●和文解釈入門 第215回

победитьには1人称単数形はないが、1人称複数形はある。これについて作家のシーモノフは冗談めかして、戦争からこの動詞は発生したのかもしれないと述べている。喧嘩はともかく、戦争は1対1ではしないものだからである。戦争で思い出したが、умеретьはумер при исполнении служебных обязанностей в действующей армии(正規軍における職務遂行中戦死)ともいうので、自然死以外にも、それ以外の死も含めて死一般について使える。
「~の前日に(~の前の日に)」にはв канун + 生格とнакануне + 生格があるが、前者は祝日や重要な日の前日にということであり、後者はそういうニュアンスはない。かさぶたはструпだが、硬くなったものはкоркаといい、膿んだかさぶたはкоростаという。
Рука руку моет (и белы бывают).は「持ちつ持たれつ、相身互い」という意味で、本来悪い意味で用いるが、現在では時によりけりであるとメル友のヒサムヂーノフさんは言っていた。長寿にはдолгожительствоとдолголетие(многолетие は古語)があるが、долгожительство はдолгожитель (= человек в возрасте 90 лет и старше)は長寿者であることを指し、долголетие (= долгая жизнь)ということなので、人間のことを言う時は前者の方がよいだろう。
設問)「二つの機能を兼ねるのは物理的に無理だった」をロシア語にせよ。

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2011年12月22日

●和文解釈入門 第216回

ロシア語の文法書や小説などを読んで体の用法をマスターできたと思っても、実際に会話やレターで使ってみないと本当にマスターできたどうかは分からない。もっというとそれでも分からないことが多い。体の用法を間違えても、それを指摘してくれるロシア人はまずいないからだ。日本語を勉強しているロシア人の日本語がおかしくても、ある程度意味が分かるのなら、また関係のない話なら、いちいち目くじらを立てるようなことはしないのと同じである。だからロシア人同士の会話に耳を澄ましたり、ロシア語の小説で、自分なりにチェックしてみることになる。それにロシア人自身の話すロシア語でも体の用法が間違っているだろうと思う事もある。これは日本人の中にも日本語の微妙なニュアンスの使い方に鈍感な人がいるのと同じことである。相手に理解してもらうというよりは自分の話を聞いてもらうというタイプに多い。そうなると自分の体の用法が正しいかどうかチェックしてもらう場が必要なはずだが、ロシア語の学校では例文を挙げて体の用法を教えてはくれるだろうが、ロシア語作文の時間で、生徒の体の用法の間違いを先生がいちいち直してくれる講座があるのかどうかは寡聞にして知らない。
体の用法は実際に使ってみて、その間違いを指摘してもらわないとうまくならない。また体の用法は文脈(コンテキスト)によっても違ってくる。ロシア文だけでは元の和文がどういう文脈で使われているかによって使われる体が異なる場合も多々ある。無論ロシア人はそのロシア文の体の用法が正しいかどうかは判断できるし、頼めば直してもくれるだろう。しかし、それはそのロシア語が元の和文を正しく反映しているという前提の下でしかない。和文露訳では和文が主体故、ロシア人にできたロシア文だけ見せても体が正しく使われているかどうかは、そのロシア人が日本語を文法も含めてマスターしているならともかく(ガイド試験に受かっているロシア人なら話は別だが)、判断できないのだ。このコーナーはそういう意味で、自分が体の用法を正しく理解しているのか知る一つのチャンスだと考えて活用してもらえればよいと思っている。もっともいつまでこちらの気力が続くかは保証の限りではないが、続く間は利用してもらえれば何かいいこともあるだろう。
設問)「その川は世界の十大河川に入る」をロシア語にせよ。

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2011年12月23日

●和文解釈入門 第217回

技術関係やビジネスのロシア語でよく使うознакомитьсяは、何となく意味が分かるような分からないような単語だが、ロシア人ビジネスマンはどう言うつもりで使っているのだろう?よく書類に上司らしい人がОзнакомлёнとタイプされた所にサインしてある書類を見ることがある。これは「承認した」という意味ではなく、「読んで理解した」とい言う意味であり、会社などでは回覧済(回覧の欄に判をついた)と訳せる場合もある。
主催者はустроительとорганизаторが和訳として考えられるが、устроительは期間限定のもの、例えばустроитель выставки (поездки, бала, аукциона)〔展示会(旅行、舞踏会、オークション)の主催者・幹事〕を指す。だから多くの場面においてустроительの方がふさわしいような気がする。「跡」はследだが、涙の跡のように、液体や塗料の流れた跡はпотёкиという。カットは卓球などカットされた球はрезаныйを使い、映画のカットはкинокадр, монтажный кадрといい、髪型のカットはТакую стрижку носили десять лет назад.(こんなカットは20年前だよ)などという。
設問)「もうその気がなくなった」をロシア語にせよ。

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2011年12月24日

●和文解釈入門 第218回

どの分野のロシア語の単語がむずかしいのだろう?政治や経済だろうか?しかし対応する日本語自体の意味が分かれば、そのロシア語は通常訳語は一つである。対応する訳語が一つしかないなら(1対1なら)機械的に覚えればいいから簡単だと言える。技術用語にしても基本語は少しは厄介かもしれないが、基本的には意味は一つだから覚えるのは簡単である。難しい言葉と言うのは多義語である。どの状況でどの語彙が出てくるのか、文脈を見極めるのに修練が要るからだ。しかもそれは露文和訳であって、それなら露和辞典や露露辞典とにらめっこすればほぼ解決できる。ところが会話での和文露訳なら、今度は日本語の多義語も相手にせざるを得ない場合もある。日本語のどの語彙がどのロシア語の語彙に合うのか、類義語中から選択しなければならないからもっとややこしい。
日本人が不得手なロシア語の用法は体の他に、複数・単数もあるが宇多文雄先生の「ロシア語文法便覧」(東洋書店、2009年)などを理解すれば、あとは実戦で鍛えるだけであるから問題そのものは解決したと言える。最大の問題は私の見るところ、類語の使い分けである。ロシア語、日本語のそれぞれに類語がある場合もあるし、多義語が相手という事もある。例えば第23回でпричинаには原因と理由という意味があると説明した。一方日本語の理由には根拠と口実という意味がある。だから数学の集合の解ように、互いの語のオーバーラップする部分を如何に訳出するかが通訳の腕の見せ所という事になる。причинаのように意味が違うと結びつく前置詞が変わったり、あるいは文脈によってはその日本語に対して別の類語を持ってきたり、日本語は名詞1語なのに、ロシア語では句動詞にしたり、名詞句、形容詞句にしたりということが現実に起こる。和文露訳でも露文和訳でも双方の言語に精通していないと正確な訳ができないというのはそういう意味である。
設問)「外科の治療を受けたことがおありになりますか?」をロシア語にせよ。

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2011年12月25日

●和文解釈入門 第219回

ロシアで一番多いと思われる名字はイワノフだが、力点には二つの可能性がある。イワノーフとイワーノフである。後者は貴族由来であり、数の上では少ない。イワーノフで有名なのは「民衆の前へのキリストの出現Явление Христа народу」を書いた画家やチェーホフの戯曲の題名「イワーノフ」である。この題名をイワノーフと発音すると、平民というニュアンスになってしまい、ひょっとするとチェーホフの意図とは主人公の設定自体が違ってくるのかもしれない。だからロシア人でイワノフというのを見つけたら、イワノーフと発音した方が当たる確率は高いように思われる。山﨑さんという取引先の人に「やまざき」さんと呼びかけたら、すぐに「やまさき」ですと返された。大阪方面に多い名字らしい。病院の待合室で佐藤さんと呼ばれても、すぐに反応しない私なんかとはわけが違う。そういう人の方のが普通のようだ。私なんぞは名字に誇りなど持てないのだから。そうはいっても名字はロシア語でも日本語でも正確に発音するに如くはない。
 Люди должны голосовать за идею, а не за Иванова, Петрова, Сидорова.という文をある通訳は、「人々はイワノフとか、ペトロフとか、シードロフにではなく、思想に賛成投票を投じなければならない」と訳して、あとで失笑を買ったという。Каждый Иванов, Петров, Сидоровは英語ならevery Tom, Dick and Harryということで、強いて直訳すれば、「どこの佐藤とか、鈴木とか、田中とか)〔どこのだれ(馬の骨)〕と言う意味だからである。この場合イワノーフと発音しないとなおさら意味が通らないと思う。
設問)病院の診察室で、「上半身裸になってください」をロシア語にせよ。

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2011年12月26日

●和文解釈入門 第220回

個人的に断片的に覚えたものではあるが、あまり知られていないと思われるロシア語の単語の用法について書いて見る。
比較級がない形容詞はвозможный(比較級が一般的ではない), гигантский, исполинский, мыслимый, невысокий, неглупый, неподъёмный, непокрытый, неутешительный, низенький, оголённый(比較級が一般的ではない), подобный, постижимый, потенциальный, присущий, скоростной, сходный。
短語尾のない形容詞はбезволосый, маленький, непредвиденный, низенький, скоростной。
長語尾のない形容詞はневелик。
оченьとは結びつかない形容詞 скоростной。
対応の不完了体のない完了体動詞はвспылить, засмеять, напророчить. пригрозить, припозднться, расквитаться, силиться, торжествовать。
対応の完了体のない不完了体動詞はбахвалиться, бренчать, брюзжать, вертеться, винить, восторгаться, враждовать, вращаться, выглядеть, глумиться, грозить, грозитьсся, грызть, докучать, дребезжать, заблуждаться, заклинать, издеваться, измываться, капризнчать, конфликтовать, корить, кружить, кружиться, крутиться, крыть, ломаться, обожать, пилиить, повествовать, подмывать, позвякивать, поносить, порицать, почитать, преследовать, привередничать, притерпеться, прорицать, пророчествовать, сдаваться(思われるという意味で), терпеться (неとともに), уважать, угрожать, хаять, хулить, чтить, шелестеть, шуршать。
1人称単数肯定文では使われない動詞はкичиться。
命令形のない動詞 はвидеть, превозмочь, прождать, спустить(許すという意味で)。
受動相で使わない動詞はзасмеять, заставлять, понуждать, советовать, спустить(許すという意味で)。
ся-動詞の受け身の意味がない動詞はзнать, считать。
副動詞がないか、使わない動詞はждать, писать, превозмочь。
設問)「知っていて言わなかったのか?」をロシア語にせよ。

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2011年12月27日

●和文解釈入門 第221回

体の用法においてどちらの体を使った方が、その文脈でより適切かということはあるが、それほど絶対的なものではないこともある。その動詞を使う人の意識の問題もあるからだ。その人の当然と思う意識が、回りの人の意識と異なれば、その体の用法が礼を失していると受けとめられることもありし、わざとそういう効果を狙う事も可能である。第二次世界大戦直後にできた歌に「聖戦Священная война」というのがあって、その出だしは、Вставай, страна огромная; Вставай на смерный бой.(決起せよ、広大なる国、決起せよ、決死の戦に)と不完了体命令形が来ているのは、作詞者に決起して当然という意識があるからである。つまり、この動作、ないしはこの動詞を使うのが当然であるとか、自然に出てくるという感覚があるときに、つまり動作が自然体であるというような感覚のいうときに不完了体を用いる。今までは体の用法の学習において、新規の事柄や動作のときに完了体を用いるという完了体主体の指導法だったように思える。私は視点を変えて、完了体のみならず、不完了体の用法の意味に光を当てて、より多面的にアプローチをした方が、体の用法を体得しやすいと考える。
そう口で言うのは簡単だが、実際に使いこなせないと体の用法を会得したとか、その用法を悟ったとは言えないし、悟った思っても、その検証に、また自分なりに納得するのに時間がかかる。その当然とか、自然と言うのがロシア人の感覚と未だ一体化していないとか、その感覚が違うと考える人もいるかもしれない。個人的にはロシア人の感覚も日本人の感覚も本質的には同じだと思うが、その感覚の現れ方がやや違うということはあるかもしれない。ロシア語をやる以上ロシア人のそれに合わせるしかない。第117回の表は細かく作ってあるし、その利用は体の用法を勉強したいという人の好きなように使ってもらって構わないが、私としては、体の用法について大きく本質的なものを俯瞰してとらえ、そのいくつかの頂(体にはいくつかの用法があるが、山体としては一つである)に到達したときに、自分なりにその用法を悟ったと感じた時の検証用として使ってもらえればよいと思う。分かったと思った瞬間から、やっぱりわかっていなかったという別の山の頂が見えてくる。しかし、トライを続けてゆけばいつか分かる時が来る。体の用法を参考書で理解するというのは、例えて言えば外から山を仰ぎ見るだけのことで、山は登ってみなければ、体の用法は使ってみなければ分からないのである。
設問)「ルーシという民族の起源についての論争は、18世紀にミーレルとロモノーソフの間で始まり、現在に至るまで続いている」をロシア語にせよ。

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2011年12月28日

●和文解釈入門 第222回

「~のついた、~がついている」という意味ではкниги с закладками(しおりの入った本)というように前置詞с + 造格を使うのが普通であるが、支え、台、裏地などしっかりついている場合はна + 前置格を使う。сапоги на маленькой каблуке小さな踵の長靴とか、занавеска на кольцах(リングのついたカーテン)などと言う。подушечки пальцевというのは指の腹(指紋側)のことだが、мягкая рука с подушечками на пальцахとすると「指がふっくらとした柔らかい手」となり、сとнаの使い分けにこの作者(シーモノフ)なりに考えていることが分かる。つまり指に指の腹がクッションのようについているかのような感じがする。ダニはклещだが、比ゆ的に言う場合は、пиявки капиталистического строя(資本主義体制のダニ)という具合にヒルを使う。
акклиматизироваться в новых условиях(新しい〔気候〕状況に慣れる)であって、адаптировться в новым услових (к новым условиям)となるのは、к + 与格のほうが積極的に慣れようとするというニュアンスなのに、в + 前置格はそういう意味はないからである。
集中はконцентрация(他に濃縮、濃度、集結という意味がある)だが、意識の集中はнарпяжение памятиという。
設問)「ちょっとよろしいでしょうか。私、残ったほうがいいですか?」
「いいですよ、残りなさい」を(二つの文を)ロシア語にせよ。

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2011年12月29日

●和文解釈入門 第223回

「司会者」はテレビやショーの場合もведущий, ведущаяだが、司会者がサーカスの司会のように面白おかしくショーを進めていく場合や日本のバラエティー番組の司会者などもконферансьеという。

 「断崖」や「絶壁」はобрывだが、кручаはもっと高い断崖を、ярや крутоярは岸の断崖絶壁を指す。

 テンプレートшаблонは型紙のようなもので、工場ではチェック用に使う。темплетは機械試験用に切り出した試験片を言う。またステンシル(製品に番号などを入れるための型抜き板)はтрафаретという。

 ロシアのпельмениは水餃子だがуши-пельмени (cauliflower ears) というと耳介血腫、俗称柔道耳、ギョウザ耳という柔道、レスリング選手などの練習でつぶれた耳をいう。пельмениはシベリアの民族から入ってきた料理でコミ語やウドムルト語でパン生地の耳ということだから関係ないこともない。甲は足の甲はподъёмないしはтыл стопыでВ подъёме жмут туфели.(靴は甲のところがきつい)などといい、手の甲はтыл ладони (руки)またはтыльная сторона руки (ладони)という。

設問)「患者は術後10日目に退院した」をロシア語にせよ。

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2011年12月30日

●和文解釈入門 第224回

交通機関など移動手段を示すには造格にするか、на + 前置格にするが、машинаはна машинеであって、造格にしないと教えられた。ところが、シーモノフというソ連時代かなり有名だった作家の「生者と死者」という長編の中でセルピーリン将軍が自分の父親を車でモスクワに呼び寄せる場面で、Чего же машиной не поехал?(何でまた車で行かなかったんだ?)という場面がある。ちなみにここで完了体過去形が来ているのは来るのを予定していたのに来なかったという期待外れの意味を示す。さらに医学系の会話集で、Больной доставлен в приёмное отделение (в отделение неотложной помощи) машиной скорой помощи.(患者は救急車で受付(救急科)に運び込まれた)という文も見つけた。こういう文を見つけたからмашинойと造格でも使えると言うつもりはない。こういうのは例外であって、我々外国人が使うべきではないという事はよく理解しているつもりだが、ただこの40年で初めて、しかも続けてこういう例を見つけたのでご参考まで挙げておく。

 車がスリップするに相当するロシア語で、буксоватьはタイヤなどが空回りして、その場から進まないことを示し、заноситьは車などが走行中にあらぬ方向を向くことであり、идти юзомは車輪が空回りして、地面や線路などをそのまますべることを指す。セットはテニスのならсет、バレーボールならпартия、工具などの用途が決まっているもののセットはнаборやкомплектで、運動の1セットはподходで、映画のセットはстудийные павильоныとなる。病気でположение больногоというのは病状ではなく、ベッドに寝たきりпассивное положениеであるとか、体中にチューブをつけられて身動きできない状態вынужденное положениеということで、активное положение больногоというのは、一人で自由に出歩ける患者の状態を指す。一方 состояние больногоが病状のことである。

設問)「シカは呼びかけに応えて私たちに近寄り、撫でさせてくれた」をロシア語にせよ。

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2011年12月31日

●和文解釈入門 第225回

体の用法の使い分けというものはロシア人が無意識に行っているわけで、それを知ることにより、ロシア人個人もそうだが、ロシア民族(もっというとロシア語を母語とする人たち)のその場での意識や心理状態を解明できるというところにある。言葉は意識の表れであり、体の用法を究めることにより、ロシア語の楽しさをもっと理解し、ロシア人そのものにもっと興味を持てるのではないかと思う。実際の会話ではイントネーションなども重要であはるが、それが伝わらないような場合、ロシア文学や、普通のロシア人との会話の何気ない一言だって、別の面からロシア人の全体的な意識(あるいは無意識)の表れを知ることができるようになると思う。

 уметьというのは現代ロシア語では練習してできるようになる動作を示すから後に不完了体の動詞の不定形を取るのが普通である。しかし、この完了体のсуметьはудаться, смочьと同義であり、状況的可能性を示す。Я не сумею.はЯ не смогу.と同義で、能力的にできないのではなく、なんらかの状況下では「できない」という意味である。ちなみにне уметьはЯ не умею покупать вещи.(僕は買い物下手なんだ)のように使い、「買い物ができない」という意味ではない。

 「生まれ変わり」はпереселение душだと「魂の入れ替え」で、переход духаも転生という感じであり、перерождениеは比ゆ的に、つまり精神的に別人になることであり、реинкарнация (意味はперевоплощение)は欧米の映画の題名から来ているようで、最近はこれが一般的のようだ。

 群れには、стадо(動物の群れ), табун(馬の群れ), косяк(牝馬と子馬の群れ)があり、человеческие отары(人の群れ)、гурт(牛、羊、カモなど家畜の群れ)、стая акул(鮫の群れ)で、鳥の群れはстая, станица(渡り鳥の群れ), косяк(渡り鳥で角度を持って群れる鳥の群れ)となる。またстадо, табунは鳥の群れにも使える。魚の群れと言えばстая, косяк(産卵期)で、рой пчёл(蜂の群れ)のように空中に飛ぶ昆虫や鳥の群れはройである。稀にрои облаков(雲の群れ飛ぶ姿)という表現もある。

設問)「悪性細胞(ガン細胞)があるかどうか注意して(見て)ください」をロシア語にせよ。

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2012年01月01日

●和文解釈入門 第226回

С Новым годом!
松浦(まつら)静山(1760~1841)の随筆「甲子夜話」を読んでいたら、その第67巻に、「何にと問うに。曰く。ここに白犬来る。射てあたらずと。隣人、白犬走る過ぎるに遭う」とか「この年、老侯二十二歳。当代御継続八年前とす」というような文に気がついた。いずれも歴史的現在である。この用法が出てくるのは「曰く」というような会話の文や、文の末尾の単調さを防ぐためではないかと思う。江戸時代の日本語の書き言葉にも歴史的現在が出てくるのを見るのはなんとなくうれしい。

 この甲子夜話の第56巻にレサノット(1804年長崎に来航したロシア使節レザーノフのこと)が長崎で遊女と拳戯(藤八拳のようなもの)をやって楽しみ、レザーノフは遊女にたくさんプレゼントをあげたとある。この遊女は長崎奉行が気を利かしたのか、それともロシア側の要望なのかは定かではない。静山はロシアの動向にも注意を払っており、いくつか挿話が出てくる。そういう意味で一廉の人物はやはり違う。
設問)「ロシアの文化的伝統において銀は、その重要性と価値において金に次いで常に第2位だった」をロシア語にせよ。

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2012年01月02日

●和文解釈入門 第227回

その人が体の用法をマスターしているかどうかは、その人に5分でも10分でもロシア人と日常会話をさせてみるとよい。会話のキャッチボールがロシア人からみて違和感なく続くならマスターしているとみてよい。しかしあくまでも会話のキャッチボールであって、質問するだけで、後はロシア人の話を聞くだけというのをキャッチボールとは呼ばない。露文を読んで、その露文についていくら体の用法について講釈できても、体の用法が正しく書いたり話したりできないのでは、畳の上の水練と同じことで実戦には役に立たないし、体の用法を理解しているとは言えない。

 会話における和文露訳というものは、露訳したロシア語が日本の庶民文化をよく知らないロシア人から見て違和感がないものを目指すというのではなく、文法的に語法的に正しければ少々ぎこちなさがあってもよいと思う。純日本的なことがをロシア語に完全に置き換えられるものではないからだ。日本的表現を理解するにはそれなりの努力が外国人にも要求されるのは当然のことである。会話の和文露訳を露訳の正確さだけに重きを置くのが正しいはずがない。和文の持つ意味を露訳がどのくらい反映しているかが重要なのである。そこが小説などの和文露訳と会話とのそれとの違いである。だから安易にいつもロシア人に頼っていてはロシア語はいつまでも上達しない。

設問)「僕が来てからもう1時間だ」をロシア語にせよ。

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2012年01月03日

●和文解釈入門 第228回

このコーナーは投稿者から回答があればその翌朝回答し、同時に新しい設問を出している。毎日回答があれば、設問も毎日となり、それを負担に思ったり、奇異に思う人もいるだろう。しかし、ロシア語の会話をマスターしようと思えば一時期(一年くらいは)集中的に勉強することが必要である。しかし毎日1時間10年でも、20年でもコンスタントに勉強を続けられる人は意志もさることながら、そういう環境にも恵まれる必要がある。出題形式を短文で、このような会話用の和文露訳にしているのは、添削に便利だし、出題のポイントが分かりやすい、また説明もしやすいということもあるが、投稿者にとっても続けられやすいと思うからである。

 設問を見ても、1~2秒で語彙や構文が浮かばなければ、実戦には使えないということはロシア語の素人でも分かるだろう。スペルのチェックや、度忘れした単語やどうしてもわからない単語を調べてもせいぜい5分ぐらいだろうからだ。ただ分からなければ、人間は調べようとするはずで、どこがわからないのか、それが分かれば(方向性が与えられれば)、また新たな勉強の方針が立つといういうものである。そういう頭の体操を毎日続けることで、どういう環境でも、仮に環境が変わっても、ロシア語の勉強を続ける癖がつくと思う。勉強に終わりはないが、自分の会話を実戦レベルにレベルアップすることは、ロシア語を職業に活かしたいなら絶対に必要であるし、それは早ければ早いほどよいとだれしも思うはずだ。それなら、このコーナーに限る必要はないが、1年ぐらいは騙されたと思って集中的にロシア語をやるべきだ。

 それと会話も含めてロシア語の根幹にあるものが体の用法であり、これさえ間違わなければ、ロシア人との会話に違和感をもたれないし、後は語彙(類語の違いもあるが)を機械的に覚えていけばいい。そういう暗記は通勤の時間でもできるから楽なはずである。しかし体の用法の本質は短期間でも腰を据えてやらなければ分からないと思う。通勤のついでにというわけにはいかないと思う。やり方次第では1週間でも、1カ月ででも体の用法のの本質は分かるだろう。そうなるとあとはただ本当に理解したかどうかの検証が残るだけだ。その検証に第177回(近く改訂の予定)を使ってくれてもかまわない。体の用法を会得したかの検証にはよい例文が大量に必要だからだ。

設問)「これが今できるぎりぎりのところだ」をロシア語にせよ。

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2012年01月04日

●和文解釈入門 第229回

前回このコーナーの設問に1~2秒で回答できないと実戦では使えないと書いたが、それはプロのガイドや通訳が1日でこなす通訳量を考えればその万分の一にすぎないという事からである。ただプロの通訳やガイドはむろんこのようなコーナーで勉強する必要はないレベルの人だから、参加するとすればせいぜい腕試しとか、好奇心からだろう。しかしこのコーナーを覗く人で、設問の意図(ポイント)が分かり、その上で全て即答できる人は少ないだろうし、正答しようとすれば1時間とか、それ以上かかる場合もあるかもしれない。ただその過程で得られるものは極めて大切なものである。それは個々の人によって違う。その過程で新しい発見もあるだろうし、自分の不得意な点に気づくかもしれない。何よりも勉強の楽しさが分かってくるし、ロシア語のレベルも確実に上がるのは間違いない。勉強が楽しいのは、勉強したことが実戦で使え、即戦力になるからである。これはどんな優秀な教師にでもできないことだと思う。

 投稿された回答で、ミスやこうは言わないだろうというのは見た瞬間に分かる。しかし、こういう回答はおかしいと思うので、私の回答を丸暗記してくださいというのでは人に納得してもらえないだろう。正答でないというならその根拠を示す必要がある。全ての投稿に対して、根拠あるコメントができているとはとても思えないが、そうすべく努力はしている。投稿者の回答へのコメントを書く過程で、体の用法も含めて文法の復習にもなり、これまで全く気付いていなかった点の指摘(それが無意識のものであっても)など、投稿は参考書ではけっして得ることのできない、私にとってロシア語の勉強を続ける上での貴重なヒントの宝庫でもある。

 ロシア語の初級を終えると、次のステップにどう入ってよいか分からない人も多いだろう。皆が皆学校の中級コースに行けるものでもないし、そこでの勉強法が自分にあったものであるとは限らない。初級を終えた人や、途中で挫折した人が、このコーナーで体の用法を通じて少しでもロシア語そのものの面白さに気づき、そのロシア語を続けるための助走の一つにでもなってもらえればよいと思う。勉強方法は各人で違う。自分に適した方法は子供じゃないのだから自分で見つけるしかない。それに与えられたものをこなすだけというのは大人の勉強ではない。自分が自分のためにその課題を見つけるしかない。

 私の設問には必ずポイントがある。それは必ずしも動詞の体とは限らない。もし正解が分かったら、それが設問の意図(ポイント)に沿っているか、その意図は何かというのも考えてみるのも一興であろう。

設問)「ゴキブリは伝染病を媒介する」をロシア語にせよ。

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2012年01月05日

●和文解釈入門 第230回

自分では人に対して好き嫌いは特にない方だと思うが、長く生きているとサラリーマン生活の中でどうしても合わないなと思う上司が二人いた。その中の一人は1年ぐらい一緒で、その後その人は他の会社に転職したが、1985年私がモスクワ駐在のときに空港にお客さんを出迎えたときに、偶然出会った。何といっても元の上司なので、こちらから声をかけたら、第一声は、「元気かい、田中君」だった。私の苗字はありふれたもので、別にわざと違う名字で呼びかけたとは思わないが、この人の頭の中では、昔の部下で、最もありふれた名字の奴とインプットされていたのだろう。それがたまたま違っていたというだけかもしれない。子供のころ北海道の函館で佐藤斎藤馬の糞と言われたことを思い出した。

 50年前の函館はまだ馬車が行き来していて、その落とし物も多かった。3月風の強い時は乾いた馬糞が空を舞い、冬のざらめ雪というのは、馬糞の色が混ざって、本当のざらめと区別がつかないくらいだった。つまりそのくらい多いものということで、他の佐藤さんや斎藤さんに含むところはないが、一応前もってお詫びしておく。ちなみにロシア語では1979年の映画Тот самый Мюнхгаузенの中のセリフに、(ドイツではミューレルという名字は名字がないのと同じだ)В Германии иметь фимилию Мюллер - всё равно что не иметь никакой.というセリフがあり、Мюллерの代わりにИвановで置き換えても使えるから佐藤でもよいかもしれない。

設問)「血沈が正常の2倍だ」をロシア語にせよ。

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2012年01月06日

●和文解釈入門 第231回

ロシアに駐在していた時日本からのお客さんからロシアのお土産に何を買ったらよいかよく聞かれた。前にベニザケの缶詰を紹介したので、他のものを書いて見る。キャビアとか有名なものは別にすれば、緑色のコハクというのが売っている。本当を言えば緑色のコハクなぞ存在しないが、薄いコハク色のコハクの裏側を黒く塗って、目の錯覚で緑色に見せているのである。10年前は2000円くらいで売っていた。ロシアに行かれたら一度見てみるのもよい。昆虫が入っているコハクというのを売っているが、これはその辺の虫に溶かしたコハクをかけただけのもので、決して大昔のものではない。何千万年前とかというのいわゆる松脂の中で虫が化石となったものは、花粉と蝿の脚だけが入ったものはものはもっているが、完全な本物は博物館は別にして、そう簡単には手に入るものではない。

 пуховой платокというオレンブルグ名産の羊の短い方の毛(柔毛)だけで編んだショールなども軽くて女性向けのお土産によい。カシミアに似ているという。あとはタラの肝печёнка трескиというものは、味がアンコウの肝に似ていると通の人は言っていた。一度アンコウの肝を食べたが、一度ぐらいではどうなのか分からない。これも安いから話しの種に買ってみたらどうだろう。ロシア人の話では、タラの肝をまな板の上において、まな板を傾け、油を出して食べた方がおいしいと言っていた。килькаキーリカというニシン科の小魚の油漬けを缶詰にしたものがロシアで売っているが、これはおいしい。これも安いからお土産に買う事を勧める。

設問)「否定も肯定もせず彼は聞き返した」をロシア語にせよ。

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2012年01月07日

●和文解釈入門 第232回

ウラジオ在住のメル友ヒサムヂーノフ教授からの最近のメールに、昔ロシア人の同僚からуважаемыйというのはレストランのボーイへの呼びかけだから、手紙などではмногоуважаемыйとかглубокоуважаемыйを使うべきだと言われたことがあると冗談めかして書いてきた。教授はこれには無論ロシア人の中にも当然、異論もあるとも書いている。彼はタタール人で10歳までは訛りのあるロシア語を話していたが、今や何冊も「日本のロシア人」関係のロシア語の著作をものしているタタール語とロシア語のバイリンガルであり、日本語も自由に読み書きでき、しかもハワイ大学にも招聘されるくらいで英語も堪能である。それでも論文などのロシア語の原稿はロシア人の同僚に見てもらうという。バイリンガルであってもロシア語にはどこか外国人としての冷めた目で接しているように見えるので私にはそれが非常にありがたい。普通のロシア人には気がつかないような、あるいは説明できないような事柄でも、彼はよく理解してくれるし、ロシア人の意見も聞き、客観的な説明しようと努力してくれる。

 話がそれたが、口語では皮肉でуважать = любить, предпочитать, иметь пристрастие к чему-либоという意味である。だから犯罪小説や探偵小説の会話の文を読むと、уважаемыйは名前の知らない人に対して、「そこのお方」と訳せる場合もあるし、手元の隠語辞典ではуважаемый = гомосексуалистと書いてある。それで、それまでは教授のメールには起首の部分(拝啓)をуважаемыйかдорогойか気分によって書いていたが、この頃はдорогойで統一している。

設問)「今テーブルの上を片付けます」をロシア語にせよ。

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2012年01月08日

●和文解釈入門 第233回

このコーナーの体の用法に関する表については第300回を参照のこと。

設問)「レーニンが生きていたら、こんなことにはならなかったろう」をロシア語にせよ。

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2012年01月09日

●和文解釈入門 第234回

この40年ロシア語をやって得得した体の用法の要諦は、不完了体は自然体(自然の感情の発露)という事である。その検証用にと思い、第233回の表を作って見たわけである。私のこれまでのロシア語の勉強法は初級・中級の勉強をし、慣用句・諺・熟語をおさえ、仕事で使う技術ロシア語や観光ロシア語をするために文例を集め、その暗記に努めた。今にして思えば、当時これしかロシア語をマスターする道はなかったとは思うが、非常に効率が悪い。20年、30年と時間がかかり過ぎるのだ。

 会話を実戦レベルまでできるだけ早く挙げることができれば、仕事にも使えるし、ロシア人と話もでき、何よりもモチベーションができる。だから一番難しい体の用法を初級の文法を終えた時点で、ロシア語と日本語の時制の対比をしながら徹底的にマスターさせれば(その過程で体の用法に関連した例文を覚えさせる)、語彙の暗記などは一人でできるものである。ロシア語を習得する上で、自分は日本人だから日本語は完璧であり、ロシア語と日本語を別々に考える人が多いようだが、頭の中で遅速の別はあるにせよ、常に日本語からロシア語、ロシア語から日本語へと解釈しているわけである。常に二つの言語の違い、特に時制の現れ方の違いに留意する必要がある。

 体の用法を会得する一案として、第233回の表の文例にある日本語の部分について、どちらの体でどの時制を使うのかをまず自分だけで考えて、次にある露訳を見て正解かどうかみるのである。これを繰り返せば、短期間(1週間とか1カ月とか)で体の用法の本質が分かると思う。問題は理解したかどうかの検証である。それには(本人が納得するまで)1年ぐらいはかかるだろうが、時間的に見れば非常に短いと言えるし、そうなれば根をつめてやらなくても気軽にやればよい。

 ロシア人が外国人のロシア語を聞いて、まずおかしいと思うのは体の用法である。これはラスードヴァ先生の参考書にもあるし、我が国でロシア語を教えるロシア人の先生方の話でもそうである。語彙を増やせば何とかロシア語の話は分かってもらえるが、体の用法だけは自分で意識して勉強しなければ一生不十分な理解のままである。

 例えば一からロシア語を初めた人が、初級の文法を終えたとしよう。つまりNHKのラジオ講座を半年一生懸命聞いて本文を全部暗記したとして、その人に和露辞典を与えて、このコーナーの短文の和文露訳をさせたとする。基本的には主語は主格であり、動詞、直接補語(普通は対格で日本語の「~を」に対応する)、間接補語(与格で、普通は日本語の「~に」に対応する)、場所の副詞句(方向なら対格、所在なら前置格)、時間の副詞句で作れるはずだ。ところがロシア人が分かるような文は簡単には作れない。無論類義語についての記述が和露辞典にほぼないということも大きな問題だが、それ以前の問題、体の用法を理解していないから、どの体、どの時制を使えばよいのかが分からないのである。もっと問題なのは誰も教えてくれないから体の用法の重要性が分からないということである。

 ロシア語の本質は体の用法であり、これをマスターすれば、日本語の小説や新聞などを読んでいても、ロシア語にしようとする場合、語彙は分からなくても、ここはどの体を使うべきかが分かるようになる。そうなれば後は語彙を増やすだけでロシア語はマスターできることになる。体の用法の本質が分からないままに語彙だけ覚えても、それは枝葉であって、いつまでもロシア人から変なガイジンロシア語を話すと思われるばかりであり、いくら通訳しても日本語のニュアンスも完全には伝わらないし、ロシア語のニュアンスも完全には分からないままで一生終わることになる。それではロシア語をやった甲斐がないと思う。
 だれか初級者か中級者で、この表を使って体の用法の奥義を会得して、私のこの説を証明してくれるような奇特な人はいないものかと切に願う次第である。

設問)「自分のすることをしたら帰れ」をロシア語にせよ。

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2012年01月10日

●和文解釈入門 第235回

若いころ何で覚えたか忘れたが、「あに(豈)図らんや、弟知らんや」という文句が気にいって長く口癖となったものである。私にも弟がいるからだ。矢沢永一の「えらい人はみな変わってはる」(新潮社、2002年)を読んでいたら、山口孤剣の百傑伝を紹介し、東洋一の井上哲次郎先生と題して、その抜粋が載っていた。いくつか面白い表現があるのでご紹介する。「豈図らんや、弟思わんや、拝聴するに及んで吾人いたずら狐につままれた如く感じたりき。先生の云う所初めより終わりまで悉く大英百科全書決闘の条の口写しにて....口に交番がないとはいえ、よくもこんなことが云われたもの也。呆れが礼に来るとはかかることを云うなるべし。....これで二十年の東洋哲学研究とは、片腹どころか両腹痛く、千金丹でももらいたくなる也」とある。いかな有名人でも手抜きをすると死んだあとも残るような、そんな何を書かれるか分からないということか。

設問)「何かあったとしても食っていける」をロシア語にせよ。

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2012年01月11日

●和文解釈入門 第236回

イェスペルセンの「言語」(上)、三宅鴻訳、岩波文庫を読んだことがある。比較言語学の歴史から始まっているが、特に第二部の「こども」が面白い。ニ言語使用(バイリンガル)についても、ニ言語のどちらも完全にはまずもって習得しない」、「言葉の微妙な点までマスターしない」と批判的であり、子供が自国語を覚えるのはなぜ上手かについても、子供自身の適応性と周囲の子供に接する態度を挙げ、特に「母親は子供に接する機会が多く、言語と場面が常にぴったりと一致し、互いに例証し合う」、「言語は子供に直接感激があり、子供の興味を引くことばかり、また何度も言葉を使おうとすることが、そのまま子供の一番大事な望みを満たすことにつながるからである」としている。しかしこれは成人になってから外国語を覚えようとする人には関係のない話でもある。

 女児が男児よりも言葉の発達が早いのは、「言語において重要なのは回りの他人に合わせることであり、これは女児の得意とするところである。男児はよく、人と全く同じようにすることを嫌がるからだ」と述べているのは、大学などの女子学生、男子学生と置き換えても通じそうだ。不完了体と完了体の違いに似ているなとも感じる次第。

設問)「血はすぐ止まる方ですか?」をロシア語にせよ。

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2012年01月12日

●和文解釈入門 第237回

参考書はその学習レベルによって理解度が違う。だからいいと言われる参考書は、一生ロシア語の勉強を続けるつもりなら、今は手に負えないと思っても、今のうちに買っておいた方がよい。絶版になる可能性が大きいからだ。仮にならなくても値が上がって手が届かなくなる可能性がある。1年後、5年後、10年後、20年後になって、長年抱いていたロシア語の疑問がその参考書によって氷解するということも大いにありうる。私も昨年やったシノニムの辞典は30年前に買ったもので、それを端から端まで読み、大いに啓発された。類語の重要性に納得がいったのである。辞書は引くものかもしれないが、用例が充実しているなら学習辞典として端から端まで読めばよいというのが私の考えである。用例を見ないと文法的な説明が理解できない、ないしは納得できないことが多々あるからだ。思うに用例というのは使える限界を示してくれるのがよい用例であり、そういう良い用例というのは案外少ないものだ。

 第233回の回答でレーニンをИльичとしたが、これは年配の人を敬意を持っていう場合に父称だけで呼びかける場合があり、特にИльичは普通は尊敬をこめたニュアンスでレーニンを意味する。これに関連したアネクドートで、
- Товарищ Брежнев!(ブレジネフ同志!)
- К чему эти церемонии? Зовите меня просто – Ильич!(どうしてそんなに堅苦しいのだね?私のことはただイリイーチとだけ呼んでくれたまえ)
ブレジネフの父称もイリイーチであるという言葉の遊びであり、勲章好きで知られたブレジネフにとって、残るはレーニンにとって代わることだという野心を諷している。Зовитеと不完了体命令形が来ているのも、自然体(自然の感情の発露で)でイリイーチと呼んでほしいという当人の気持ちがにじみ出ていることになる。

設問)(いざとなったら)「国が代わりに決定してくれるという期待が彼らにはある」をロシア語にせよ。

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2012年01月13日

●和文解釈入門 第238回

完了体未来形の例示的表現というのは、不規則な繰り返し乃至は似たように起こるであろう事柄を例示的に一つ挙げるか、またはそれを強調して示す(生き生きとした表現になる)という用法である。つまり起こるかもしれないし、起こらないかもしれないということで、「必要なら~する」という表現は例示的表現のように見える。例えば(必要なら4時間の間隔をあけてもう一度注射をして下さい)При необходиимости инъекцию повторите с интервалом в 4 часа.などである。しかし不完了体現在形が来る場合もある。(必要なら輸血しなさい)В случае необходимости делайте переливание крови.これは必要なら何度でもという規則的な繰り返しを念頭に置いているからであり、表現的には平板なものとなる。もっというと何度も起こるという確信があるときに使われると考えてよい。日本語の字面だけ見てではなく、動作の本質をイメージできるようになれば、つまり頭の中でそのシーンを思い浮かべる練習をすれば、こういうイメージだからこの体を使うのだという事が分かると思う。

 無接頭辞単純動詞(гулять, жить, играть, пить, читатьなど)は対応の完了体が接頭辞のつくものの場合(прочитать, написатьなど)は補語が絶対に必要だが、無接頭辞単純動詞は必ずしも補語を必要としないし、意味や使われる範囲も対応する完了体と比べて広い。

 否定文の場合は可算名詞が否定されときは複数生格が普通である。医療関係でいえば、(X線写真では病変は認められない)На рентгенограмме патологических изменений не обнаружено.などと言う。また疑問文でも有無を聞くときは、あるかどうか、複数か単数かわからないので念のためという事なのか知らないが複数形を使う。(麻酔の後に合併症を発症しましたか?)Были ли осложнения после наркоза?

設問)「これにはもう驚かなくなった」をロシア語にせよ。

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2012年01月14日

●和文解釈入門 第239回

кровотечениеは出血で、内出血そのものはвнутреннее кровотечениеというものの、кровоизлияниеは溢血で、身体の組織内などに起こる、点状または斑状の内出血のことである。ロシア語ではこのように二つを明確に分けている。ただ日本語では出血という言葉が多用されるから露訳のときに注意が必要である。例えば皮下出血はподкожное кровоизлияниеであり、点状出血はточечное (петехиальное) кровоизлияниеとなる。大量出血はмассивное кровотечениеだが、同じ大量出血でも体の組織内(溢血)ならмассивное кровоизлияниеとなる。ちなみに打撲による青あざはсинякで、医学用語ではкровоподтёк(斑状出血)というが、これも溢血の一種である。このように出血の内容によりロシア語を変える必要がある。потеря крови, кровопотеряも失血と訳すと、日本語の場合は危篤状態を指すので、文脈によっては血液損失と訳した方がよい場合も多い。

 賞状はпохвальная грамотаとも、почётная грамотаとも訳せるが、前者は学業のであり、後者は仕事においてである。スタイルは容姿(体形)ならфигуркаであり、беречь (блюсти) фигуру(容姿を維持する、保つ)と使い、文体ならстильで、芸術家の外側に現れるものというならманераである。体形はкомплекция = телосложение(体格)ということで、комплекция человека(人間の体形)、природная комплексия(生まれつきの体型)というが、運動で培った体形と言うなら、поддерживать свое здоровье и физическую форму(自分の健康と体形を維持する)というように(физическая) формаを使う。

 瓶はбутылкаだが、香水瓶や薬の瓶はфлаконという。切りくずには二つあって、стружкаは木や金属の表面加工のときできたカンナくず、石鹸、おろし金ですった野菜などを指し、опилки(複数形で用いる)は鋸やヤスリの切かす、切りくず(木または金属)を指し、стальные опилки(鉄粉)、сухие опилки(おがくず)などという。ビジネスでよく使うスペックspec, specificationsは仕様書のことで、техническое описаниеが一番よいと思う。спецификацияというのは、設計書類の中で製品の材質や数量などを表の形にしたものだからだ。イヤリングはсерьгиでこれは耳に穴をあけるタイプ、あけないではさむだけならклипсы(通常は複数で使うが、単数形はклипс, клипсаの二つある。医学用語のクリップという意味でもある)という。止血帯は(кровоостанавливающий) жгутが普通だが、турникетは布製乃至は皮製で締めつけ用の棒(ねじって締めつける)がついているものである。

 объявитьというのは伝えるсообщитьという意味だが、公式にということで、アナウンスするなどと訳される。Посадка объявлена?(搭乗案内はアナウンスされましたか?)などと使う。

設問)「栽培植物は土壌の侵食を防ぐ」をロシア語にせよ。

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2012年01月15日

●和文解釈入門 第240回

私も仕事としてロシアの駐在員候補生にロシア語を教えることもある。一からのときもあるし、半年ほどロシアの語学学校で勉強した後の人がブラッシュアップの目的で来るときもある。私のやり方が他の先生方と違うと思うのは、その企業の会社案内を取り寄せ、直接その駐在員候補の人にロシアでの仕事の内容を聞き、それに沿って、電話の会話から、面談、はてはクレーム処理に使うロシア語を、会話を中心に徹底的に教えるというものである。

 今年は駐在員候補だけでなく、仕事でロシア語を覚えない人やロシア人と会話したいという人向けに、一からロシア語を始めて会話で自分の言いたい事を言えるレベルにする方法を中心に教えたいと思っている。一から始めても私のやり方でまじめに1日2~3時間ロシア語漬けでやるなら1年から1年半できるようになるし、それ自体は大したことではない。2,3時間というと、とてもとてもという方も多いと思うが、私の言う2~3時間というのは、通勤通学の時間と昼休みの時間も入れてである。ただ30分ぐらいは机の上での勉強は例文をチェックする意味で必要である。これなら特に時間のやりくりをしないでもできるはずだ。

 初心者で難しいのはその人にあった学習計画を立てることと、それに合った例文を集めることである。立場や境遇、考えと人それぞれだから、学習方法もいろいろである。私なら個人の性格に合わせて、学習計画と例文をそろえることができるし、文法的な説明もする。無論ただではできないから、一番いいのは会社の人事部とか総務を説得して会社の金で私を雇うか、グループで雇うということになる。ご予算に応じてそれは可能である。勉強は基本的にメールでのやりとりで、週1回か2回のスクーリングというのが現実的であろう。

 実戦レベルになるのでもかかるのは2年から3年といったところだろう。私が言う実戦レベルというのは、会社の仕事上で鉄鋼、機械、プラント、観光、医療、漁業など狭い分野一つぐらいなら通訳可能になるという意味である。技術通訳もプロならいろいろの職種の用語を覚えなければならないし、しかも一つの業種で深く広く覚えなければならないからからそう簡単ではないが、一つの会社専属での通訳、ないしは営業で使うロシア語というのはいわゆる私の言う実戦レベルであって、一から始めてもやる気と適切な語学指導があれば2~3年でできるようになる。

 会話の勉強というとロシア人の先生をと素人は考える。自分の売りを書いて見よう。

1. 私も一からロシア語を始めてロシア語が話せるようになり、商社で営業も経験し、駐在経験もモスクワなど12年あるし、今は技術通訳と観光ガイドをしている。たまに駐在員候補生にビジネスロシア語を教えることもある。つまりどうやったらロシア語を話せるようになるか熟知しているという事になるし、ロシア語会話をマスターした経験者でもある。ロシア人は私たちの日本語同様、自然にロシア語を覚えたのであって、どうやったら成人の日本人がロシア語を一から話せるようになるのかその方法を彼らは知らない。
2. 語学をマスターするには、初級文法を覚えながら、自分が必要とするよい例文を短期間に大量に覚えるのに限る。例文をある程度覚えないとそれ以降の文法(体の用法など)が頭に入らない。私には会話集、熟語集、ビジネスロシア語、観光ロシア語など12冊の著書もあるし、自分の和露語彙集は8万2千項目を超え、良い例文に事欠かない。その一端はこのコーナーでも紹介しているから確認することができる。
3. ロシアの風習やロシア語に関する疑問を日本語で納得いくまで説明ができる。
4. その企業の会社案内や個人の要望に沿って、これまでのロシアビジネスでの経験を活かして例文をアレンジし、カスタムメイドで即戦力のロシア語の人材を育てることが可能である。

 ご希望の方は私のサイトLAMPOPO(ランポポー)の「メール」から連絡可能である。

 そうはいってもロシア語学習に向かない人というのはいる。せめて1年半ぐらいでも毎日2~3時間のロシア語の勉強が続けられない人だ。今回の話はそれ以外の人向けである。

 ロシア人の先生が必要になるのは、自分が曲がりなりにも話せるようになって、そのロシア語がどの程度通じるかチェックしたいときである。

設問)「トマス・ムーアの「夕べの鐘」(という詩)は何度も曲がつけられた」をロシア語にせよ。

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2012年01月16日

●和文解釈入門 第241回

医療関係のロシア語の例文を整理していて気がついたのは、技術ロシア語と同様、命令形は完了体、平叙文は不完了体現在形が非常に多いという事である。語彙は専門用語が多く、例えば十二指腸球部の陰影欠損дефект наполенения в луковицы двенадцатиперстной кишкиなどと日常用語とはかけ離れたものをかなりの量覚えなければならないが、体の用法については完了体は完了を、不完了体は繰り返し、動作の一般化という理解で事足りると言ってよい。だから医療関係や技術関係の翻訳・通訳ばかりやるとロシア語の映画やテレビ、小説の、特に会話の部分のニュアンスが分かりにくくなるし、何よりも簡単な日常会話でどちらの体を使えばいいか分からないままに終わってしまう危険性がある。

 これは露文解釈だけでロシア語の勉強をした場合も同じである。体の用法について説明はできるかもしれないが、会話で使った経験がないから、いざロシア人と会話となると、あり余る用例が邪魔をして適切なものを、その中から取り出せないということになる。ロシア語の会話では言い訳は通用しない。問われるのは実際に会話ができるか、会話で正しく体の用法が使えるかということなのである。恥をかくことも大いに必要なのである。恥を恐れていては体の用法も、しいてはロシア語もマスターできるはずがない。

 それで思い出したが、歳をとると、物忘れが激しくなる。これは健忘症もあるかもしれないが、むしろ、引き出しにものを詰め込み過ぎると整理されていないとものを取りだすのが難しくなるのと同じである。いわば、教養が邪魔するのである。

設問)「電気機器はアース(接地)済であることを確認下さい」をロシア語にせよ。

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2012年01月17日

●和文解釈入門 第242回

 呼称で先生と呼ばれたいか、さんづけでよいかだが、個人的には学校で教えているわけでもないので、呼び捨てでさえなければ、「さん」でもミスターでも、パン(ポーランド風)でも何でもよいと思っている。人によっては先生とだけは呼んでくれるな、それほどえらくないからだとか、逆に「先生と呼ばれるほど馬鹿じゃなし」を標榜している人もいると聞く。ある会合では大学の先生方が多いのだが、民主化ということらしく全員さんづけということになっていて、先生といいかけて、いちいち「さん」に直すらしい。民主化の押しつけのようで、先生と呼ばれるのに慣れた人にとっては、それもストレスだろうなと思った次第。

 本を出すことになると編集者との付き合いが始まる。すると編集者は例外もあるのだろうが、著者のことを呼びかけるときに先生と呼ぶ。これは別に著者を尊敬しているわけでもなく(かといって馬鹿にしているわけではないだろうが)、本を書く人には大学の教授や大家(おおやではなく「たいか」)というのも多々おられるわけで、中にはさんづけするとご機嫌斜めになる方もおられるし、いちいち区別するのも面倒だからではないかと推測する。だから私も編集者からはさとう先生である。これをいちいち先生と呼ぶのを止めてくださいというのも気障だし、第一ひとに向かってああせよ、こうせよと指示するのは、相手がよほど失礼な場合(呼び捨てされた場合など)を除き、どうかな(そんな権利などこっちにもないしね)という気持ちである。だから私には呼び捨て以外あって、普通に敬称と呼べるものであれば、さんでも先生でも相手が好きなように呼んでもらって構わないと思っている。単なる呼びかけ(敵意はないよ)という意味の記号だと思っているからである。自然体という事で、いわば不完了体的発想である。

設問)「220Vから110Vへのアダプターはどこで売っていますか?」をロシア語にせよ。

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2012年01月18日

●和文解釈入門 第243回

このコーナーを始めて特に感じるのはフィードバック(feedback) обратная связьの有難さである。特にいろいろ感想も含めて、疑問などを書いてくれる投稿者の回答やコメントのおかげで、第233回の表なども作れたわけであり、そのおかげで自分の考えがかなり整理できたと思う。そういう意味で投稿者の皆さんには心から感謝しているという気持ちを伝えたい。設問への回答はしないが、コメントに対する疑問とか、ロシア語に関する疑問を持っている人もいるだろう。回答しない方にもロシア語に関することならどんな質問でも受けるし、分かる限りお答えするので、遠慮せず投稿願う。前にも書いたが、世の中すべてGive and takeであり、投稿者からの質問に応えることで、そういう発想もあったのかとか、やはり自分と同じように考える人もいるのだなとか、これからの自分の勉強のヒントをただで得ることができると思うからである。

 露文タイプの練習するときに各キーにロシア文字を貼りつけるという人も多いと思う。そういうシールもモスクワなどでは売っているが、使うのは勧めない。貼ってあると覚えないからだ。それよりもキー配列をタイプアップしてプリントアウトしたものをコンピューターのそばにおき、単語や短文を打つ練習をした方が覚えるのが早い。タイプは英文も露文も両手の五本指で打つが、私はブラインドタッチはできないし、またその必要もない。結局覚えるのに至らなかったが不自由していない。知り合いにロシア語でメールするときも、いくつか単語を打っては直し、文を見直すことがしばしばで、頭の中でロシア語の文章が整理されている人は別だろうが、ブラインドタッチを覚えなくとも十分間に合うのだ。これから露文タイプをしようとする人に、一つヒントを上げよう。ロシア語のエスと英語のcのキー配列は同じである。これだけでも覚える負担が1/33減ったことになる。それとタイプの練習の時にでたらめに打つのではなく、машинаとかчеловекといったように単語で練習するとよい。語彙も覚えられて一石二鳥である。ウィンドウズXPでロシア語が打てるように設定してあれば(私のホームページ「ランポポー」のトップページにその設定の仕方が記載してある)、ワードやエクセルで和文や英文から露文タイプに切り替えるにはAlt + Shiftキーを押せばよいし、もう一度押せば元に戻る。英文と和文の切り替えは、キーボードの左上の半角/全角キーを押せば切り替わる。

設問)「我が国のチームは延長戦でスペインチームに負けた」をロシア語にせよ。

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2012年01月19日

●和文解釈入門 第244回

休暇は個人がバラバラに取るのはотпускであり、学校の夏休みや冬休みはканикулыである。だからканикулыは一斉に取る休み(一斉休暇)に使える。例えば(議会休暇)парламентские каникулы、(クリスマス休暇)рожденственские каникулы、(復活祭の休暇)пасхальные каникулыである。
 ледоходはдвижение тающего льда по течению рекиなので、流氷と訳すのは問題である。流氷は河口から海を流れるもので、これはдрейфующий лёдであり、ледоходは解氷である。流行はмодаであり、мода на мускулы(ムキムキマン流行)というが、ファッションではなく一時的に勃発的に起こる流行は、たとえば(密造酒の流行)всплеск самогоноваренияなどとと言う。リーダーは(党指導者たち)партийные лидерыなどはлидерでよいが、動物や鳥の群れのリーダーはвожак(先導者が原意で、人間に使う場合は大衆指導者という意味もある)である。лидерにはヤクザの組長という意味もある。

 証明書は、身分証明書、全権委任書、権利関係はудостоверениеといい、出生、婚姻、死亡、健康状態、学歴関係はсвидетельствоという。それ以外の証明書はсправка о местожительстве(居住証明書)などで、俗語ではкорочкаという。対立はпротивостояниеで、これは立場の違いという感じであるが、конфронтацияとなると同じ対立でも、思想や社会体制の対立で和解できないような対立である。

 в середине は時間的にも場所的に等間隔のところにあるということで、(昼の中ごろに戻って)вернувшись в середине дняとなる。на середине + 生格はостановитьсяやпроисходитьという動詞と共に用いられ、「途中で、中途半端に」という意味であり、(今となっては中途半端にやめることはできない)Теперь уже нельзя остановиться на середине.のように使う。伝説にはлегенда、предание、поверьеがあるが、преданиеは言い伝え、口碑ということであり、поверьеは迷信に基づいた言い伝えということである。

設問)「彼は私たちの(大学の)3年で教えていた」をロシア語にせよ。

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2012年01月20日

●和文解釈入門 第245回

最近「現代ロシア語頻度辞典Частотный словарь современного русского языка, Ляшевская, Шаров, Азбуковник, 2009」というのを買った。この種の辞書はこれまでもいくつかあったが、これは1950年から2007年までの文学、ニュース、学術文献などありとあらゆる9200万の現代ロシア語の用語例から5万語 + 3000固有名詞・略語の頻度を調べ、その頻度を調査したものである。こういう辞書を読んでもロシア語の勉強にはならないが、ロシア語を教えるときに、どういう単語を優先的に教えるべきかを判断する上で科学的根拠を与えてくれる。例えばнаписатьとписатьではписатьのほうが、個人的な経験から用例が多いような気がするが、そういう感じだけでは如何ともしがたいし、説得力もないから使えない。しかしこの辞典を見ると、написатьが100万の文例で336.2回(294位)、писатьが444.3回(213位)と確かにписатьが多いことが分かる。

 頻度の1番から2万番までのリストもあって、堂々のトップはиで、2位はв、3位はнеで、на, я, быть, он, с, что, а, по, это, она, этот, к, но, они. мы, как, из, у, который と続く。яが5位に食い込んでいるが、日本語ではありえないことである。日本語は一人称を示す言葉が非常に多いし、省略されることがロシア語よりは多いからだ。ロシア語ではя以外では書き言葉の「筆者автор этих строк, автор этой книги, пишущий эти строки」や「мы朕とか学術論文の筆者」ぐらいだろう。
しかも文学とそれ以外の評論に大まかに分け、1950年代から60年代、1970年代から80年代、90年代から2000年代の3つのカテゴリーでも頻度が分かる。つまり参考書や単語集、熟語集を作る上で大いに参考になるわけである。露和辞典で頻出する単語に星印を一つは1000位以下、二つは500位以下、三つは100以下というふうにもできる。参考書を作る機会に恵まれないのなら、頻度の高い語彙を優先的に覚えるよう生徒に指導できるというものである。しかも科学的裏付けもあるから説得力もあるというわけである。無論長年ロシア語をやっているから、どういう単語がよく使うかは感覚で分かるが、具体的に最重要1500語を選べと言われても困るわけで、そういうときに大いに力を発揮する。他にも使い道はあるだろうから、いろいろ考えてみたい。

設問)「彼女をどこまで送るとか、どこで彼女とさよならをするかを決めるのは(いつも)彼だった」をロシア語にせよ。

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2012年01月21日

●和文解釈入門 第246回

これまで何度もガムテープで補強したのだが、先日私の愛用している岩波露和辞典が、崩壊寸前で一見ミイラみたいになっているのに気がついた。出張用に岩波はもう一冊もっているとはいえ、岩波には少し休んでもらう事にして、しばらく気分転換に研究社の露和を使う事にした。何気なくсестьを見たら、「完了体сядьтеは命令、不完了体садитесьは促し、勧めを表す。садитесьの多用から、具体・特定的一回動作でもсадитьсяを使う事がある。同様な傾向はлечь, ложитьсяにも認められる」と書いてある。ラスードヴァ先生もびっくりの新説というか珍説である。この項は体の用法の大家である磯谷孝先生が書いたとはとても思えない。研究社の露和には他の分野の大家も書いておられるから、磯谷先生も強くは言えなかったのかもしれない。

 ここで問題なのはなぜсадитесьが多用されるのかという理由が書いていないことである。またすぐ上に、Сядь поближе к свету(もっと明るいところにすわりなさい)と完了体命令形の例文があるが、これは命令であって、勧め・促しではないのだろうか?ロシア語もその訳も正しいのだが、この説明では用語として使っている「命令」「勧め・促し」の違いが分からない。лечьの命令形はляг(те)であり、ロシア語教師が「寝なさい」をロシア語で何と言うかなどとテストで生徒に嫌がらせに出す程度で、私個人はこの命令形を使ったことはない。こういうのを例にするならпроходите(奥へどうぞ)のほうがはるかによく使う。最近買った現代ロシア語頻度辞典Частотный словарь современного русского языка, Ляшевская/Шаров, Азковник, 2009で調べると、лечьは100万の文例で63.5回、проходитьは175.4回と3倍近い差がついている。頻度ランキングでもлечьは1899位なのに、проходитьは642位である。このようにこの動詞やこの用法は例外だと決めつけて、丸暗記せよというのはよくあることだが、19世紀のロシア文学偏重ということもあって、現代ロシア語、特に実際の会話を知らないからではないか?このコーナーや第233回の表を見てもらえば分かるように、例外ばかりなら、もはやそれを例外とは呼ばない。

 さて岩波はというと、「Сядьте!(座れ)/Садитесь(おかけなさい)≪完了体が命令を表すのに対して、不完了体は勧誘を表し、より丁寧な、柔らかい表現となる≫」とあるから珍説がないのはましとはいえ、説明は五十歩百歩である。丁寧な命令というなら、сядьте, пожалуйста = садитесьなのかという問いに答えられないだろう。こういう問いは初心者でも考えつくことであり、これではわざわざ完了体と不完了体の二つの体がある意味が分からないだろう。まさに辞書は語彙の語義を調べるものであって、文法書ではないのだから誤解を招く、ひいては文法書を読まなくなるような安易な注釈は書くべきではないと思う。ただ初級の参考書にも体の説明にはずいぶん怪しいものもあるようであり、単に紙面が限られているでは済まないような気もする。

設問)「彼には人を見る目がある」をロシア語にせよ。

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2012年01月22日

●和文解釈入門 第247回

ロシアでも新兵いじめдедовщинаというのが未だにあるが、日本の軍隊生活でもあったことが第二次世界大戦までは色々な書物に描かれている。この淵源について、「雑兵物語」(パロル舎、2006年)を現代語訳した「かもよしひさ」氏によれば、1883年頃までに徴兵制度が日本で確立し、幕末時代牢内警備をしていた与力や同心、牢内を知るならず者たちが内務班の下士官や古年次兵として牢内の伝統を伝えたからではないかと述べており、卓見である。ちなみにこの雑兵物語の著者は色々な説があり、高崎城主松平信興(のぶおき)〔1620~91〕が有力視されている。本書は1846年刊行で、戦国時代の雑兵(ぞうひょう)の実戦的心得が具体的に書かれている。

 徳川時代は戦争というものが島原の乱以降なかったわけだから、黒船来航時にはこの本は非常に重宝されたものである。残酷な話で恐縮だが、例えば戦功の証として敵の首の代わりに鼻を切るときは、上唇も一緒に切り取るべしとある。これはサドマゾの世界ではなく、もっと現実的でドライな話であり、鼻だけだと女かもしれない、つまり髭のある男であることをはっきりさせ、戦後の論功行賞に与るためであると同書にはある。本書とは関係ないが、朝鮮出兵の後で京都などに作られた耳塚、鼻塚なども、戦場から重い首を持ってくるわけにもいかないからということで、戦功の証として耳や鼻を塩漬けにして持ってきたものを供養したものだという。

設問)「頭を打ったときに気を失ったのですか?」をロシア語にせよ。

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2012年01月23日

●和文解釈入門 第248回

 このコーナーを見る方で第1回の設問と、例えば第200回のとでは第200回の方が難しいと誤解されているかもしれないが、そういうことはない。このコーナーはロシア語の動詞の体の用法を中心に会話でよく使う和文露訳を短文の形式で出しているわけで、体の用法に限って言っても、見方によってはいろいろな面がある。それをアトランダムに出題しているわけである。ただでたらめに設問を出すと言っても、それだけでは学習者が混乱すると思い、自分の復習用に作った第233回の表を覚えたことの整理用に活用し、道しるべというかナビゲーションとして学習者の参考に供しているわけである。私としても投稿者の回答から、自分の体の用法の整理のヒントをもらうことや、一方的な思い込みの是正なども多々あり、いわば相身互いであって、片方だけが得をするとか、教えてやるんだとか、教わるんだというような一方的なものでは決してない。

 だから、今日からでも始められるわけだが、昨日の設問ができたといって、今日の設問が解けるというものもないし、その逆でもない。ただ山に上るにはいろいろな登り口があるわけで、どのようなペースでどこから登ろうとも、一休みも二休みしようとそれは登る人の自由である。早く登って次の山(別の何かやりたいことや目標)に進むのもよいわけである。ただ本当の山はなくならないが、このコーナーはペンキで書いた薄っぺらな山の看板みたいなもので、投稿者の支えがなければ、風が吹くだけでもすぐこける。

設問)「心電図の数値は?」をロシア語にせよ。

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2012年01月24日

●和文解釈入門 第249回

電力は動力の一種だからмощностьであり、単位はKW (кВт)である。似た単語に電力量があるが、これはэлектроэнергияであり、単位はKWh (кВт・ч)と時間当たりである。電力料金は時間当たりなのでцена на электроэнергиюとなるので注意する必要がある。蛇の毒牙はядовитые зубыである。жалоというのは蜂やサソリの毒針であり、蛇の場合は二股に分かれた舌先をいう。昔はここから毒が出ると思われていたためである。

 「冷やす」というのはохладитьだが、冷やして病気(風邪など)や病的な状態にするという場合はзастудить を使い、Плечо застудите!(肩が冷えるよ)などという。в один прекрасный день という句を見たら、「ある晴れた日に」と訳したい気に駆られるのは理解できるが、в одно прекрасное времяと同義で、однажды(あるとき)という意味である。訳が滑り過ぎないようにすることも肝心である。窓はокноだが、船舶や航空機の窓(舷窓)はиллюминаторという。

 回数は単に数える回数なら10 разのようにразを使うが、マッサージ、催眠術、モデルのポーズ、上映など基本的に公開して行う催しものの回数はсеансを使う。сеансы лечебных процедур(治療の回数)とか25 сеансов рентгеноского облучения(レントゲン照射回数25回)となる。交渉ではраундを用い、второй раунд переговоров(2回目の交渉)となる。турも同じように使える。в первом туре анкетования(1回目のアンケートで)とか、В апреле 1980 г. был проведён второй тур (первый - в январе) повышения цен на бензин.〔1980年4月2回目(1回目は1月)のガソリン値上げが行われた〕、И только после пяти туров переговоров(たった5回の交渉の後で)、Начните повязку с двух туров вокруг головы.(手始めに包帯を頭に2回巻いて下さい)などである。

設問)「人のことはほっといてって言ってるでしょ」をロシア語にせよ。

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2012年01月25日

●和文解釈入門 第250回

花粉症ではないが、私にはハウスダストのアレルギーがある。それはこれまで買い集めたロシアの本のせいだと確信している。ロシアは湿度の低い国だから、防カビ剤など本に塗らないだろう。だから梅雨になると本にびっしり青カビらしきものがつく。ダニはカビも食べる。その死骸が私のアレルギーを引き起こすのだ。学生時代からチェーホフやドストエフスキーの全集を買い出したときに、やがてカビがついて、拭くと緑色になるの気がついた。防カビ剤をコーティングしたりしたがまるで効かない。そのうちに本の栄養分がなくなったのか、ひからびたのか、カビがつかなくなった。まったく1ページも読んでいないのに、表装を見れば、古本屋でも引き取りを拒否するだろうというぐらいボロボロである。

 最近はインフルエンザも流行っているという。乾燥がインフルエンザ菌を増やすので、加湿器を使っている人も多いだろう。なぜ乾燥がインフルエンザを増やすのかについて、テレビで乾燥すると菌の水分が減って、体重が軽くなり、空中にフワフワ漂いやすくなるからであると解説していた。一番簡単なのはお風呂の蓋を取っておくのがよいというので、さっそく実行している。気持ち気分がよい(変な日本語という気もしないではないが)し、くしゃみが少なくなったような感じがするので続けているだが、菌のくせして、楽してダイエットというのが気に入らないという気持ちもなくはない。

設問)「彼が来るまで待っていた」をロシア語にせよ。

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2012年01月26日

●和文解釈入門 第251回

何が楽と言って、通訳の通訳をするのが一番楽である。ロシア語のできる人に対してロシア語で通訳することはないが、英語がかなりできる人や観光などで英語の通訳やガイドの話す日本語をロシア語にすることはある。こういう人たちは外国語慣れをしているので、短く、論理的かつ平明な日本語を話してくれるからこれをロシア語にするのは非常に簡単だが、普通の人相手ではそうはいかない。日本人同士だからといっても、発想がとびとびだったり、論旨がメチャクチャで何を言っているのかさっぱり分からないというのもままある。考えて話しているとはとても思えないし、できることなら頭の中を覗いて見たいものだと思う事もある。この方が下手なゲームよりよほど面白いだろう。特に話し慣れていない人とかおしゃべりな人にこの傾向が強い。言わんとすることを訳すのは一言で済むのだが、そうしてしまうとご機嫌を損ねてしまう。なぜ全部訳さないのかということらしい。まさか全部訳せばますますこんがらがるとは言えないので、適当にロシア人が理解できるだろう限界まで話を長引かせ、かつ要点を最後の一言で終えるようにする。例えば、いろいろ申し上げましたが、要は~ということなのですという高等(口頭)テクニックを使わざるを得ない。意味を理解してほしいのか、話の流れのままに、ただ単語の羅列だけすればいいのか悩むところだ。特に下手なダジャレや仲間内のばれ話しをされた日には泣きたくなる。これでロシア人が笑わないと、後であの通訳には高等小話は無理だったなとか陰口をきかれることになる。

 そうではなくてロシア人でも日本人でも非常に頭が切れて、意識的に話をはぐらかそうという人もいる。話の尻尾をつかまれたくないか、結論をあいまいなままにしておきたい場合だ。そういう場合はそのような通訳をせざるを得ない。これは文法的には正しいロシア語で、かつ何を言わんとするのか話を曖昧にするという非常に高等テクニックを要するもので、分かるようで分からないが、文法的には正しいし、言わんとするところらしきものはその通り通訳し、通訳の尻尾もつかませないというもので事実上不可能である。大概はロシア人側からあのときは通訳が下手だったからよく分からなかったの一言で終わる。ロシア人は人にもよるが、たいていは結論がすぐ出せないときはそういう。ところが日本人は、切口上というのを嫌うのでぼかして話をしたがる。無論自分の直接の利害がからむときは、非常に明快になるのは日本人ビジネスマンも同じである。ただよほど頭の悪い人以外は。

設問)「絆創膏をはがさないよう気をつけてください」をロシア語にせよ。

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2012年01月27日

●和文解釈入門 第252回

本物の山ではなくて、比ゆ的な「~の山」はいくつか訳せるが、грудаはгруды дынь и арбузов(メロンとスイカの山)などといい、в беспорядке(整頓されていない)というニュアンスがある。штабельはВо многих местах по всему кладбищу стояли штабеля гробов.(多くの場所で棺の山が林立していた)とかСкладирование проводится в штабели.(保管は山に積んで行われる)のように、保管場所で円錐形に積み上げる鉱石、砂利などを指す。валили их в штабеля(山と積み上げた)とか、Штабелями лежали пустые бочонки из-под рыбы.(山となっているのは魚用の空き樽だった)という。

 столбは同じ大きさのものを積み重ねた山で、столб блюдечек(皿の山)という。軽いものの山はворохを使い、ворох словесного мусора(文学のクズの山)とかвороха новых книг(新しい本の山)という。стопаもノートなどの同じ大きさの山をいい、стопа душистого хлеба(馥郁たる香りのパンの山)となり、сложенные стопочкой(山に積み重ねられた)などと使う。бунтは袋物や資材を積み上げた山で、бунты свитых здесь канатов(ここで撚ったロープの山)という。使用に制限がなさそうなのは、кучаやгораで、кучаはкучи дел(仕事の山)とか、мусорная куча, куча мусора(ゴミの山)と使う。гораはгора оружия(武器の山)、гора винтовок(ライフルの山)とか、Поедали горы блинов.(クレープの山を食いつくした)、гора трупов(死体の山)、горы бумаги(紙の山)、горка с фарфоровой и серебряной посудой(陶器と銀の食器の山)、горка пепла(灰の山)、горка оливок(オリーブの山)という。

設問)「マラリアは何千人もの命を奪った」をロシア語にせよ。

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2012年01月28日

●和文解釈入門 第253回

サン・テグジュペリの原作「夜間飛行Ночной полёт」を1936年レイモン・ベルナール監督が映画化した「夜の空を行く」というのがある。この題名を聞いてすぐ露訳するとすればどうなるだろう。「空を行く」の主語は一人称だろうが(主語がない以上、二人称だって、三人称だってありうるが、一応日本語の特性を考えると)、単数か複数か?ままよ、一人称単数にしておこう。空を行くというのだから、これは飛ぶということだろう。しかも飛びまわっているとは書いていないし、毎日とか繰り返しでもなさそうだ。となると定まった一方向への運動だから現在形の定動詞を使う事になる。「空を」だから空を移動しているわけで、その場所にいるわけではない。そうであればпо небуである。となるとЯ лечу по небуである。「夜の」は真夜中か、それとも午後5時ごろから午後10時ごろまでだろうか?夜か夜中かによってЯ лечу по ночному (вечернему) небу.と訳せる。「夜の空を行く」の訳者がどういう意味でこう日本語に訳したのか知らないが、私の解釈は「私は夜(乃至は夜中の)空を飛ぶ予定だ(ないしは「飛んでいるところだ」)である。いきなりの同時通訳が無理だというのを説明したくて、この駄文を草した次第である。

 一瞬でこれを露訳するときは、このようにいくつかの可能性からその時点で通訳が一番可能性が高いと思われるものを訳しているのである。事前に通訳に説明なしに訳せというのは、常に誤訳の可能性をはらんでいるのであり、結局のところ雇い主にとって損になるという事を知ってもらいたいがためでもある。ただ何かあったら、安易に全て通訳が悪いとすればいいのだろうが、通訳の現場は通訳の技能大会をしているわけではないはずで、いい結果を残すために、それがひいては雇う側の利益にもなるという事を雇う側の担当者も是非考えてほしいものだ。事前に資料か、具体的な背景を少し説明するだけでも通訳の精度はグーンと上がるのは間違いない。そういうのがなければなしで通訳にベストを尽くすだけである。

 技術通訳をしていた時に、ロシアのメーカーの会社案内のDVDをいきなり同時通訳してくださいとその場で言われたことがある。むろん断った。言った人はかなりロシア語ができる人だったが、自分ではできなくとも技術通訳をするプロなら、技術関係のプレゼン資料など同時通訳ができると思いこんでいたようである。断ったら嫌な顔というよりは非常にびっくりした顔をした。多分まともな技術通訳に頼めば良かったと臍をかんだのかもしれない。こういうロシアを話す人ですら同時通訳をどうやるのか知らないのである。どんな同時通訳だって、やるからにはやる内容についての資料を事前にもらい、出てくる可能性のある単語や表現を暗記しておくはずだ。この場合も、事前に少なくとも1回はDVDを見せ、そのロシアの会社のロシア語の会社案内を渡すというような配慮をすれば、同時通訳は無理でもwhisperingぐらいは可能だったかもしれない。あとでDVDを見たら、そのロシアのメーカーの製造ラインのみならず、独自のキャンペーンが早口のロシア語で全編を貫いていた。通訳はスーパーマンでもなんでもないのである。いきなり言われてアネクドートや聞いたことのない技術や新説珍説の同時通訳ができるはずがない。できたとしたら単にまぐれかラッキーである。ロシア語の修行はただたんに地道な努力の積み重ねにすぎないのである。

設問)「転んだのですか、それともぶつけたのですか?」をロシア語にせよ。

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2012年01月29日

●和文解釈入門 第254回

軸にはосьとвалがあるが、осьは車輪が保持される軸、ないしは座標軸координатная ось, ось координат、対称軸ось симметрииや重心центр тяжестиが通るような想像上の直線のことをいい、валはベアリング(軸受)подшипникなどの中にあって動きを伝える軸、つまりシャフトである。普通の日本人の知らない言葉に中実軸(ちゅうじつじく)というのがある。これは中空ではない軸ということでсплошной валといい、中空軸はполый валとなる。またсплошной контрольというのは全数検査という意味で、抜き取り検査はвыборочный контрольとなる。過失はпроступокが普通だが、ちょっとした過失ならпровинностьを用いる。грехи, прегрешения(共に複数形が普通)は現代語では皮肉や冗談っぽく用いられる。

 寿命は人の場合продолжительность жизниだが、機械ならресурс (моторесурс), срок службыといい、前者は修理するまでの時間(何時間количество отработанных часов)や回転数で表し、後者は~年とするのが普通である。また工具やベアリングではдолговечность(工具ではстойкость инструментаともいう)を使う。中性子などの寿命はвремя жизниで、バッテリーはАккумуляторная батарея рассчитана на 10-часовой разряд.(バッテリーの放電時間は10時間と計算〔バッテリーの寿命は10時間と計算〕)などという。バネはコイルばねがпружинаで板ばねはрессораと書いたことがあるが、厳密に言えば、板ばねには単板ばねплоская пружина (пластинчатая пружина изгиба) と重ね板ばね рессора (пластинчатая многослойная пружина изгиба) があり、自動車ではコイルばねと共に使われるのは後者である。
遺跡にはостаткиとстоянкаがあるが、後者は原始人の住居跡である。「生の」は魚ならсырая рыба(生の魚)となるが、野菜ならсвежая капуста(生のキャベツ)となる。行動はдействиеだが、抗議行動、示威行動はвыступленияと複数になる。картофельное пюреはマッシュポテトと訳してよいが、ポテトピューレではないような気がする。片栗粉をкрахмал, картофельная мукаと訳してよいかというと、市販の片栗粉はほとんどがジャガイモの澱粉なので問題ない。

設問)「誰から聞いたとは言わないからさ、知りたいんだ」をロシア語にせよ。

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2012年01月30日

●和文解釈入門 第255回

大昔受けたガイド試験で一番いやだったのはロシア語作文である。もっとも大学で故岡本正巳先生(元高崎経済大学学長)のロシア語作文という講義を2年受けていたので、他の受験者に比べれば楽だったろうと思う。先生の授業では朝日新聞の天声人語を学生に一人2~3行露訳させるのである。無論正答はほとんどないが、学生の回答を基に先生が正解を講義してくれたわけである。このような授業の進め方は和文露訳の授業が確立していなかった当時(今それが確立しているのかどうか知らないが)やむを得なかったとはいえ、系統的と呼べるものではなかった。まあ行き当たりばったりと言ってもよい。当然予習していたと思うが、時事ロシア語なのにすらすらと先生が正解を黒板に書いていくのには毎度驚かされたものだった。しかし、ロシア語作文やロシア語会話の度胸はつくかもしれないが、あのようなやり方ではロシア語はうまくはならないだろうと思う。ロシア語の何を学習させるかに焦点があっていないというか、焦点自体がないのだからどうしようもない。

 40年ロシア語をやってきて、単語や表現を暗記しなければならないのは事実だが、それは枝葉に過ぎないと思う。それを目標に置くのであればきりがない。また英語式にSVOというように、主語 + 述語 + 目的語というふうに文を分析的に勉強させるというのを体系的と考えるかもしれないが、そういう文例は露文解釈の段階でたくさん学ぶのである。ロシア語と日本語は言語としてかけ離れているが、それでも主語、目的語、他動詞などはあてはめることができる。このように日本語でも理解できることに時間を費やすのは、それこそ時間の無断である。

 ロシア人と多く会話すれば、必ずしも劇的にロシア語がよくなるというわけでもない。単なる錯覚である。インプットがなくてアウトプットだけでは会話慣れするだけで、挨拶言葉から先に進めない。会話している気がするだけで、話しているのはロシア人だけで、聞く方はフンフンとうなずいている割には言っていることがよく分かっていないということになりかねない。語彙だけ覚えても、たんにロシア人と会話してもロシア語がうまくなるわけではないし、それだけでロシア語がうまくなる魔法のようなものはないが、そういう枝葉より幹である。つまり日本人がロシア語をやる上で文法的に最も理解しにくいものを先にマスターすればよい。そうすれば後は機械的に語彙を覚えればよい。私はそれを体の用法と考えた。これをマスターすれば、ロシア語の発想がロシア人の話すロシア語に近くなるし、話すロシア語はロシア人からもそれほど違和感をもたれなくなるはずだ。これまで文法的になぜそうなるか素人考えでは理解できず、文を丸ごと無理やり暗記してきたが、それを何万と続けるわけにはいかないだろう。40年ぐらいやればひょっとしたら可能かもしれないが、何十万とは言わないまでも辞書にある十万かそこらの語彙を暗記しないと満足できないということになりはしないか。それと覚えた例文以外は怖くて使えないという事にもなりかねない。ロシアを勉強するのは個人だから私の勉強法を押し付けるつもりもないし、押しつけること自体不可能である。少しでもよいと思えば、その少しを試して見るのも悪くないかもしれない。

設問)「その湖は植物相や動物相の多様性において類をみない」をロシア語にせよ。

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2012年01月31日

●和文解釈入門 第256回

モルタルというのはセメントと砂とを水で練ったもので、レンガ積みのつなぎ(目地шов)、壁・天井・床に使うのだが、ロシア語では(строительный, цементный) растворという。ただрастворというのはふつう溶液ということで液体である。一度モルタルを塗った壁の説明をしていた時に、ロシア人の女性からさとうさんの通訳はおかしい。これがрастворのはずがない。なぜなら乾いているからと言われてギャフンとなった。無論そのロシア人の言う事が間違いだが、そういう発想ができなかった自分にも驚いた。растворと聞けば、壁ならモルタル、化学分野なら溶液と条件反射のように訳が口をついて出てくる。語彙というのは自動翻訳機のようにロシア語から日本語、日本語からロシア語が瞬間的に出るようにこの40年訓練してきたが、それではロボット志願ではないか。いずれ自動翻訳機もできてくるだろうから、機械と張り合っても勝てる道理がない。ロシア語も挨拶や技術などの専門語彙のように、訳が決まっているものだけを覚えるのではなく、ロシア語やロシア人の本質に目を向けるというか、そういう勉強をしたいものだと思う。私はそれが体の用法だと思うし、不完了体が自然体を表すというのも、ロシア人の本質に関わるのではないかという気がする。

 モルタルについていえば、ソルジェニーツィンの収容所列島にНосили раствор на 4-й этаж носилками.(モルタルを4階にもっこで運んでいた)という表現を見つけたのはつい最近のことである。

設問)「彼が来ないとも限らない」をロシア語にせよ。

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2012年02月01日

●和文解釈入門 第257回

前回の出題は二重否定と部分否定の組み合わせで、「なくはない」というのは「ある」ではなく、「あるかもしれないし、ないかもしれない」という八方美人的な表現法であり、経営トップや政治家の通訳をするときに、覚えておかなければならない必須の表現法である。このほかに「前向きに対処します」があるが、これをМы отнесёмся к этому положительно (позитивно).と訳すと、ロシア人は文字通り、何かしてくれると取る。昔は日本人の庶民もそう理解したが、今ではこれはМы принимаем это к сведению.(承っておく、話だけ聞いておく、フンフン)という意味であることは分かっているので、そのように訳さないと誤解を招く。ただまれにビジネスマンで文字通りにこういう腹芸を理解せずに、そのままの意味で使う人もいるので、通訳途中で、「ほんとにやるつもりですか」と聞くわけにもいかず(私はどちらかよく分からなかったことがあり、何度か尋ねたことがある)、通訳泣かせというか、人を見る目が問われる表現でもある。

 色はцветだが、自然界で「色が変わる」はменять окраскуとокраскаを使う。色合い、色の組み合わせという意味で、毛皮、羽根、花など自然界の色は単色という事はあり得ず、こういう微妙な色をокраскаと表現するのである。詩はстихиだが、стихотворениеは歌謡曲の歌詞のように短いものを言い、поэмаは叙事詩である。
裁判での告訴や告発はобвинениеだが、比ゆ的な意味で用いるときはобличение царизма(帝政の告発)などとする。
妖精はфеяだが、神話によってもいろいろある。гном地の精、дриады森の精、наяды泉や川の精、саламандра火の精、сильф空気の精、ундины水の精、нереиды海の精などである。

設問)「サウナは風邪にも筋肉痛にも関節痛にも効く」をロシア語にせよ。

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2012年02月02日

●和文解釈入門 第258回

胃石безоар желудкаは胃から出ることが出来ない部分的に消化された物質、ないしは未消化の物質が密集したもの(胃石症)、またはアザラシ、アシカ、ワニ、草食性の鳥類が歯の代わりに胃で食べ物をすりつぶすために用いられる結石またはそのために飲み込む自然の石である。結石のほうで昔から価値があるとされるのには、漢方では牛黄、熊の胆があるが、ヨーロッパでは馬糞石безоар, безуйが有名である。これは馬の腸内結石(炭酸カルシウム、リン酸マグネシウム)で解毒、解熱剤であり、別名ペトラ・べゾアール、ヘーサラ・バサラ、鮓答(さくとう)という。ロシア史の専門家ザベーリン(1820~1908)の「ロシア皇后の家庭習俗Домашний быт русских цариц в 16 – 17 столетиях, Иван Забелин, Языки русской культуры, 2001の本文の注にこの馬糞石について書いてあるので、それを参考にこの石とロシアのかかわりについて書いて見る。

 中世にはこの石は全ての毒や病気に薬効があると考えられ、東方由来とされた。ロシアで翻訳された医学書によれば、この石は東インドよりもたらされ、色は灰色で、黒いのもあり、小さい。この石は海岸で見つかり、シカの心臓で生まれるが、蛇の胆汁中という説もあるが、いずれにせよ、この石は悪人の呪いに打ち勝つ最も強い薬である。賢者セラピオンは大麦12粒ぐらいの重さのを挽いたものを温めたラインワイン(白ワインであろう)とフランスの白ワインと共に服用し、ベッドでくるまり、汗をかけば効果絶大であると述べている。疫病のときも服用するか、持ち歩くと効能がある。指輪の中に入れて持ち歩けば、呪いを感じることが出来るし、感じたらすぐ服用すれば呪い除けとなる。

 1616年3月21日ツァーリ(ミハイル・フョードロヴィッチ)の最初の妃候補としてマリヤ・フローポヴァが選ばれた時に、国庫でヤロスラヴーリの人ナザーリー・チストーフから215ルーブルで3個の馬糞石を買い上げたと記述がある。これは多分解毒剤としてであろう。彼女は間もなく病死したが、症状から見て大貴族サルトィコーフに毒殺されたという噂がある。石の効き目はなかったようだが、他に代わるものがないのだからしかたがない。王妃候補の毒殺というのは珍しいことではないし、王妃になってからも毒殺の危険はあった。イワン雷帝の最初の妻も大貴族に毒殺されたと少なくとも雷帝は信じていた節がある。ロシア正教内の改革により旧教徒との対立の原因を作ったニーコン総主教も流刑された時には、毒殺を恐れ、神の恩寵により馬糞石のおかげで生きながらえているという手紙を残している。

 1625年に今のカザフ領にいたアッバース・シャーが金、エメラルド、ルビーに包まれた馬糞石30グラムを法会用に時のツァーリに贈ったとあるし、1626年にはカザンの人イストミーンから75グラムを国が購入とあり、1676年3月7日にも馬糞石の入った杯を用意せよという記述がある。
 クルーキンとブルィチェフの共著「イワン雷帝のオプリーチニキの日常生活」に、雷帝が二番目の妃が非常に疑わしい死を遂げた後、再婚するために1570年に花嫁選びの全国美人コンテストを行い、全国から選りすぐりの美人2000人を当時彼の宮廷があったアレクサンドローフスカヤ・スロボダーに集めた。まず着飾った姿を2、3名の腹心と共に雷帝が見て、話をし、気に入らなかった女性は彼のなぐさみものになり、輩下に払い下げられ結婚させられた。あるいは無慈悲に宮廷から追い立てられたりもした。結局24名が残り、それが12名となり、1571年6月26日自分の妃と息子のイワンの妃として選ぶために、医師の立ち会いの下、彼女らを素っ裸にして調べた。結局雷帝はワシーリー・ソバーキン(コロムナの地主)の娘マールファを妃として選んだ。これは雷帝の寵臣マリュータ・スクラートフの進言によるものとされている。ところがマールファは突如病みつき、2週間後他界してしまった。マールファは毒殺されたという風評が当時もあり、ロマノフ家かチェルカースキー家の手によるものだという。雷帝は少しがっかりしたが、すぐ大貴族の娘エウドーキア・サブーロヴァと10月28日に挙式した。このように解毒剤の需要は切なるものがあったのである。

設問)「大きさではミラノのスカラ座に次ぐ大きい新しい建物が1824年建設された。それゆえ、劇場はボリショイと呼ばれるようになった」をロシア語にせよ。

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2012年02月03日

●和文解釈入門 第259回

設問が難しいと考えて投稿を控える人もいるようだ。いわゆるやさしいと称する問題を作るのもそれほど簡単なことではない。例えば、「赤い花が咲いている」を出題したとする。答えはКрасные цветы цветут.だから、投稿する人数も増えるかもしれない。しかし、この日本語を見れば分かるが、日常会話でこのような文を使うだろうか?ロシア人と話していて、こう言いたければ、目の前の赤い花を指でさせばよい。目の前にこういう花がなくて、いきなりこのような文を言えば気違いと思われるだろう。初心者向けのロシア語作文には基本的な語彙を使う事、不完了体現在形を使うことなどの制約もありそうだが、そうなると出題しようとする日本語の文はまずます現実とかけ離れて行き、人工的な文とならざるを得ない。しかもほとんど実用にならないものである。このような初心者向けの文で少しでも実用性のありそうなものは露文解釈の教科書や参考書にすでにある。

 これまではロシア語作文というと、ある程度文法(それを中級文法と言いたければそれでもよいが)を終えた後は基本的に丸暗記する以外に道はなかったように思う。二十歳を越えたいい大人に対して、丸暗記しか残されていないというのはおかしい話で、自分で丸暗記のみの道を選ぶというなら別だが、普通は他にやりかたがあるのではないかと思うはずだ。ロシア語で会話したいなら、会話用に全てを丸暗記するのではなく、文法の助けを借りてその暗記の負担を少しでも減らすべきだというのが私のロシア語学習法の基本的な考え方である。だから設問は実戦で使え、かつ応用力があるものをできるだけ出題するようにして、難問とかひっかけるような問題を意識的に出すつもりはない。第257回の設問も時制的には不完了体現在形であり、反復という用法で分かりやすいものだが、ガイドをしていれば絶対に覚えておかなければならない語結合である。ロシア人と温泉に同行した時、薬、食べ物など広く使えるだろうと思い、出題している。

 全ての出題が個々の投稿者にとって必要なものだとは思わないし、特定の個人に対してではないので、的を絞った出題が出来ないのは事実ではある。これによって自分のロシア語の具体的な弱点を見つけ、今後の勉強の方向性を見定め、それに資するものがあればよいと思う。出題については、成功しているかどうかは別にして、出題の意図というのはある。これがなくして、ただ興味本位に出題するとするなら、あるいはそういうものがなくなったのなら出題を続ける意味はない。

設問)「狼に出くわせば人命にかかわる」をロシア語にせよ。

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2012年02月04日

●和文解釈入門 第260回

会話で日本語からロシア語にするときに、訳がまごつくものの一つとして「可能性(~できる、~できない)」がある。例えば、「ロシア語が話せますか?」をロシア語にすれば、Вы можете говорить по-русски?というよりはВы говорите по-русски?とする方が自然である。これはговритьにобладать способностью речи(会話する能力がある)という意味があるためである。

 さて、Печень не пальпируются.(肝臓が触診できない〔触診で分からない〕)、Кишечные шумы выслушиваются?(腸雑音〔腹部音〕は聴診できますか〔聴診器を当てて聞こえますか〕?)やКишечные шумы не выслушиваются.(腹部音は聴診器で聞こえない)は不完了体動詞現在形なのに不可能の意味が出ている。どうしてだろう?日本語のとロシア語の違いなのだろうか?そこで露露辞典で語義を辿って見ることにした。
 пальпироватьはисследовать больного посредством пальпацииであり、動作の中核はисследовать(調べる)である。この動詞は внимательно осматривать(よく見まわす)ということで、осматривать(見回す)はсмотреть(見る)という動詞から派生している。смотретьは「視線を向ける」направлять взгляд куда-либо; иметь глаза направленными на кого-либо, что-либоであり、視線взглядはнаправленность, устремлённоть глаз в сторону кого-либо, чего-лиго(何かに目を向けること)ということで、その核になる言葉は目という視覚器官である。またвыслушивать(聴診する)の方はもっと簡単に、元になった動詞слушать(聴く)からслух(聴覚)となる。感覚の意味を内在する動詞は当然その感覚の能力があるのが前提という事が分かるはずだ。ゆえに、訳語に可能性が出てくるのも当然となる。

 同様に、Я не понимаю.(分かりません)〔Я не пойму.というのは完了体動詞未来形の否定であるから用法的には文脈によるが不可能か、否定の強調である〕は「理解できない」ということである。「知らない」と言いたければ、Я не знаю.と言えばよい。понять/понимать(理解する)を上記同様露露辞典で辿ってみれば、уяснить себе, уразуметь смысл, сущность(意味や本質を自分に分からせる)ということであり、уяснить(分からせる)はсделать ясным, понятным для себя(自分にとってはっきりと理解するようにする)であり、ясный(はっきりしている、明確である)はхорошо видимый, слышимы, осязаемый, воспринимаемый; отчётливый(よく見える、聞こえる、触れる、感知できる、明確な)と感覚のオンパレードであり、感覚的に分かるいう意味である。つまり「分かる・分からない」というのも、後天的か先天的かは別にして知力ум = познавательная и мыслительная способность человека(人の認識能力や思考能力)という一種の能力であり、これが内在する語彙は訳語に可能性が出てくるのだと思う。
「分かる・分からない」を端的に示したものとして、病院で使われる文例にАртериальное давление не определяется.というのがある。これは一般的にこうだというのではなく、ある患者の血圧に関する所見である。これを「動脈圧は測らない」と訳せば誤訳となる。不完了体現在形に意志の意味はない。だから(動脈圧は測れない〔診断がつかない、分からない〕)と訳さざるを得ない。これの英訳はNo measurable blood pressure.(血圧は測定不可能である)となっていて、英語でも不可能で訳している。определять(~と診断する)はвыяснять посредством измерений, подсчётов, вычислять(測定や計算によって明らかにする、算出する)であり、выяснятьはделать ясным, понятным(明らかに、理解できるようにする)であり、だから過程の意味で使えば、Количество - выясняется.(数量調査中〔明らかにしつつある〕)ということになる。また受け身のвыяснятьсяはстановиться ясным, понятным(明らかになる、理解できるようになる)となる。つまり、この文を無理に言い換えればАртериальное давление не становится (делается) ясным.(動脈圧は明らかにならない)という事になる。ясныйが感覚全てを包含している形容詞であることはすでに述べた。だから、Пульс на сонных и бедренных артериях не определяется.(頚動脈や股動脈で脈が分からない、はっきりしない)とかИнфильтрат в молочной железе определяется чётко.(乳腺の浸潤〔物〕がはっきりと分かる、診断できる)となるわけである。

 結論として言えるのは、露訳をする上で、「~できる、~できない」を何でもかんでもмочьやнельзяをつければよいという事にはならないということである。感覚的な能力や理解力を語義に含む動詞は不完了体現在形だけで可能性や不可能を示すことができるし、その形で使うのがロシア語として自然であるということになる。

設問)医者から患者への問い「便秘(下痢)していますか?」をロシア語にせよ。

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2012年02月05日

●和文解釈入門 第261回

「会う」はвстретиться/встречаться с + 造格だが、встретить/встречать + 対格とどう違うのだろう?前者は「予定して会う」の他に、「出くわす」という意味もあるが、後者には「(偶然・突然)見かける」という意味の他に、「出迎える」という意味がある。

 「保つ、もつ」という意味では、Одежда из льна хорошо носится.(亜麻の衣服はよくもつ)とか、Сметана не стоит долго.(サワークリームは長く保たない)などと、носиться(衣服), стоять(食べ物)が使える。

 弁やバルブのうちклапанはポンプ、コンプレッサー、内燃機関や配管、パイプラインで使われるもので、流量を調節する(開閉も含めて)という意味がある。вентильは配管の開閉のみ(ストップバルブ、止め弁)で、ボンベбаллонなどのバルブはзапорный вентильという。кранはвентильと同義語で、配管の開閉(流路の方向調節という場合もあるが)であり、水道の蛇口водопроводный кранやサマワールの蛇口 кран самовараとしておなじみである。日本語でも蛇口をカランという人がいるが、これはオランダ語から入ったものと聞く。もっとも蛇口のカランというのは風呂でシャワーに切り替えるときに使うものである。золотникは蒸気機関、タービン、空圧機器、油圧自動機器などの作動流体の制御に使われる滑り弁slide valveである。ちなみに人体の弁もклапанといい、обратный ток крови через митральный клапан(僧帽弁からの血液の逆流)などという。клапанにはポケットなどのフラップ(ふた)という意味もあり、конверт с открытым клапаном(ふたの空いてある封筒)と使う。

 鉱山に対応する言葉はいくつかあるが、шахтаは立抗・傾斜抗、地下の有用鉱物採鉱システムの総称で、現在では地下鉄など地下作業の現場も指す。копиはрудникの古名、ないしは露天掘りの鉱山、рудникは鉱山会社、地下の有用鉱物採鉱システムの総称である。приискは貴金属の採掘場所で、золотые прииски(金山)、алмазные прииски(ダイヤモンド鉱山)、платиновые прииски(プラチナ鉱山)、медные прииски(銅山)などと言う。разработкаは有用鉱物の採掘場所を指し、карьерは露天掘り鉱山である。

設問)「寿司を食べるのは初めてですか?」をロシア語にせよ。

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2012年02月06日

●和文解釈入門 第262回

ロシア人の酒好きは有名だが、ピョートル大帝も引けを取らない。スウェーデンとの海戦などに勝利してから毎年勝利の日を祝うのだが、それ以外にも名の日とか、軍艦の進水式とか祝うようになった。名の日というのはロシア人の名はキリスト教の聖人にちなんでつけることが多く、ミハイル(大天使から)、ソフィヤ(知恵)、ヴェーラ(信仰)、ナジェージュダ(希望)、ピョートル(ペトロから)もそうである。革命前は自分の誕生日より盛大に祝ったものである。

 ピョートルは皇帝だから祝い方も特別で、その日は外国人も招いて朝の4時ぐらいまで飲み続ける。しかも客が帰ろうとしても帰さず、出口には番兵をつけて帰らせないようにしたとある。ピョートルはハンガリーワイン(トカイのようなものだろうか)やアニスウオッカанисовка(これは今でも売っているがうまいとは思えない)が好きで、フランスワインなど飲んでいるのを見つけると、大きな杯に二本分の瓶のいろいろな瓶の酒を入れ(ある外交官はそのうち1本はウオッカだろうと推測している)、つまりチャンポンで飲ませ、寵臣のメーンシコフでさえ、泥酔して倒れ、かいがいしい奥方の看病で何とか息を吹き返したという。ピョートルは客が泥酔するぐらい飲めば、心から客が楽しんだことになりロシアの軍艦建造の成功を喜んでくれるという考えだった。

 彼は何かあると大鷲杯кубок Большого (Великого) орлаという1リットルも入る罰杯を人に飲ませた。中身はハンガリーワイやウオッカで、多くはそれらのチャンポンだった。その1リットルを一気飲みさせるわけである。ドルゴルーキー公(有名な外交官の父)はロシア人にしては珍しく酒の飲めない人だった。1710年に70歳を過ぎて再婚してから4日目のいつもの酒宴で、飲みたくないので幾分かは酒をこっそりこぼして知らんぷりをしていたが、それをピョートルに見つかり、750 ccの酒を一気に飲まされた。彼はその場で倒れ、その1時間後に亡くなったという。ピョートルは大いに悲しんだが、酒が悪いとは考えなかったし、皇帝というのは文字通り臣下の生殺与奪の権利を持っていると心から信じていた。

 同じような話で、クリュイス提督とゾンメル副提督はお互いいい歳をした年寄りだったが、ピョートルの開いた酒宴で飲み過ぎて、二人で殴り合いの喧嘩となり、殴られて倒れたゾンメルの頭からカツラが取れてカツラが行方不明になったという。カツラもピョートルが西欧から取り入れたもので、彼自身はカツラを好きではなかったが、冬の寒い日など礼拝に出席するときに、よくカツラを忘れたピョートルは手近にいる人から自分の頭の大きさに合う