2012年11月04日

●和文解釈入門 第534回

(237) 「なめくじ艦隊」、五世古今亭志ん生、日本人の自伝第8巻所載、平凡社、1981年
 落語家志ん生(1890~1973)の自伝。弟子の金原亭馬の助の聞き書きで1956年初出。芸名を16回も変えたが、これは借金取り対策だという。1923年の関東大震災の後から本所業平橋のナメクジ長屋に1936年まで住み、自分の実力を頼みに落語の名人となった。当時の世相もよく分かる。当時の電気ブランの一杯はアルコールが強いので、酒の五合ぐらい飲んだほども酔っ払うから、タバコは禁物で、飲む前に丼にいっぱいの水を用意して一緒に飲むとあり、それでも翌日は舌の先が突っ張って動かなくなると書いてある。今の浅草の神谷バーで売っている電気ブランとは別物のようである。他にも酒を勧められるのを断ったら徳利を持って追いかけてきて、自動車に乗って難を逃れたとか、留置所でやくざの親分の前で落語をしたとか、岐阜の金崋山の翁亭という客席のおやじが作った酢ダコが噛み切れないので、志ん生が飲み込んだら、そのおやじがタコを切っていたときに間違って自分の指を切ったやつだったというのは落語以上の話である。落語については、面白いものではなくて、粋なもの、おつなものだと書いてあり、やや説教臭のあるのが残念である。人の噺を聞いて見て、「こいつは自分よりまずい」と思うと、それは自分と同じくらいの芸であり、「こいつは自分と同じくらいだな」と思うくらいだと、自分より向こうの方が上であり、「こいつは自分より確かにうめえ」と思った日にゃ、格段の開きがあるものであると述べているが、これはロシア語についても当てはまると思う。酒が飲みたくて、また空襲が嫌で赴いた満州でのソ連軍侵攻から1947年の帰国までの苦難についての話もよい。同じ本に八世桂文楽(1892~1971)の「芸談あばらかべっそん」(正岡容の聞き書き)という自伝も載っているが、話があちこちに飛びすぎ、自分が女にいかにもてたかという話が多く、また当時の世相についてもよく分からない。それにひきかえ柳家金語樓(1901~1972)の「泣き笑い五十年」(日本図書センター、1999年)は演出も手がけた人だから話も面白い。

設問)「いくつかの問題はとっくの昔に、何らかの形で解決していなければならなかったはずなのに、そうではなかった」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2012年11月04日 07:56
コメント

Несколько вопросов
должны были разрешены уже
давным-давно, однако,
было не так на самом
деле.
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文の組立てはその通りなのですが、долженの過去と、多分未来の時制が分かっていないようです。несколькоが主語で、不活動体がつくときは述語は中性単数にした方がよいと思います。私の答えは、Некоторые вопросы должны были быть давным-давно разрешены так или иначе, оставались открытыми.

должен (должна, должно, должны)の時制については、文法書ではあまり深くは触れられていないようなので、出題してみた。過去時制の時は、долженなどの後に性、人称と数に合わせてбылなどが来て、未来時制なら人称と数に合わせてбудуなどが来る。「失礼しなければ」という文を過去や未来の時制にすると、
Я должен уходить. → Я должен был уходить → Я должен буду уходить.

ここでбылやбудуは時制を示すだけであって、動詞としての機能はない。文法的に言えば、不定形が述語の意味を、долженがモダリティー(叙想)を示しているということになる。決して、×Я должен уходил.とはならず、これは非文(文法的に正しくない文)である。ゆえに、×должны были давным-давно разрешеныではなく、должны были быть давным-давно разрешеныとなる。この点については研究社の露和のдолженの例文がよくできている。ただ時制の説明がないので、和文露訳に使うときには戸惑う人がいるかもしれない。こういうのは文法書で時制を解説すべきだが、露和辞典のбытьの項のбылだけで済ませているように思われるのは如何なものか。долженについて記載されていても、例文が現在の時制だけというのは、和文露訳のことを考えに入れていないとしか思えない。

Posted by ブーチャン at 2012年11月04日 08:17

Какие-то вопросы должены были решены давно какими-то способами, но они, оказалось, не совсем так.
「これはロシア語についてもあてはまる」本当にそう思います。
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お答えにはдолжныのタイプミスと、долженの現在以外の時制について理解されていないように思います。какие-тоというのは、何らかの」ということであって、「いくつかの、若干の」という意味はありません。

Posted by ゴ at 2012年11月04日 23:01
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