2012年01月01日

●和文解釈入門 第226回

С Новым годом!
松浦(まつら)静山(1760~1841)の随筆「甲子夜話」を読んでいたら、その第67巻に、「何にと問うに。曰く。ここに白犬来る。射てあたらずと。隣人、白犬走る過ぎるに遭う」とか「この年、老侯二十二歳。当代御継続八年前とす」というような文に気がついた。いずれも歴史的現在である。この用法が出てくるのは「曰く」というような会話の文や、文の末尾の単調さを防ぐためではないかと思う。江戸時代の日本語の書き言葉にも歴史的現在が出てくるのを見るのはなんとなくうれしい。

 この甲子夜話の第56巻にレサノット(1804年長崎に来航したロシア使節レザーノフのこと)が長崎で遊女と拳戯(藤八拳のようなもの)をやって楽しみ、レザーノフは遊女にたくさんプレゼントをあげたとある。この遊女は長崎奉行が気を利かしたのか、それともロシア側の要望なのかは定かではない。静山はロシアの動向にも注意を払っており、いくつか挿話が出てくる。そういう意味で一廉の人物はやはり違う。
設問)「ロシアの文化的伝統において銀は、その重要性と価値において金に次いで常に第2位だった」をロシア語にせよ。

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2012年01月02日

●和文解釈入門 第227回

その人が体の用法をマスターしているかどうかは、その人に5分でも10分でもロシア人と日常会話をさせてみるとよい。会話のキャッチボールがロシア人からみて違和感なく続くならマスターしているとみてよい。しかしあくまでも会話のキャッチボールであって、質問するだけで、後はロシア人の話を聞くだけというのをキャッチボールとは呼ばない。露文を読んで、その露文についていくら体の用法について講釈できても、体の用法が正しく書いたり話したりできないのでは、畳の上の水練と同じことで実戦には役に立たないし、体の用法を理解しているとは言えない。

 会話における和文露訳というものは、露訳したロシア語が日本の庶民文化をよく知らないロシア人から見て違和感がないものを目指すというのではなく、文法的に語法的に正しければ少々ぎこちなさがあってもよいと思う。純日本的なことがをロシア語に完全に置き換えられるものではないからだ。日本的表現を理解するにはそれなりの努力が外国人にも要求されるのは当然のことである。会話の和文露訳を露訳の正確さだけに重きを置くのが正しいはずがない。和文の持つ意味を露訳がどのくらい反映しているかが重要なのである。そこが小説などの和文露訳と会話とのそれとの違いである。だから安易にいつもロシア人に頼っていてはロシア語はいつまでも上達しない。

設問)「僕が来てからもう1時間だ」をロシア語にせよ。

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2012年01月03日

●和文解釈入門 第228回

このコーナーは投稿者から回答があればその翌朝回答し、同時に新しい設問を出している。毎日回答があれば、設問も毎日となり、それを負担に思ったり、奇異に思う人もいるだろう。しかし、ロシア語の会話をマスターしようと思えば一時期(一年くらいは)集中的に勉強することが必要である。しかし毎日1時間10年でも、20年でもコンスタントに勉強を続けられる人は意志もさることながら、そういう環境にも恵まれる必要がある。出題形式を短文で、このような会話用の和文露訳にしているのは、添削に便利だし、出題のポイントが分かりやすい、また説明もしやすいということもあるが、投稿者にとっても続けられやすいと思うからである。

 設問を見ても、1~2秒で語彙や構文が浮かばなければ、実戦には使えないということはロシア語の素人でも分かるだろう。スペルのチェックや、度忘れした単語やどうしてもわからない単語を調べてもせいぜい5分ぐらいだろうからだ。ただ分からなければ、人間は調べようとするはずで、どこがわからないのか、それが分かれば(方向性が与えられれば)、また新たな勉強の方針が立つといういうものである。そういう頭の体操を毎日続けることで、どういう環境でも、仮に環境が変わっても、ロシア語の勉強を続ける癖がつくと思う。勉強に終わりはないが、自分の会話を実戦レベルにレベルアップすることは、ロシア語を職業に活かしたいなら絶対に必要であるし、それは早ければ早いほどよいとだれしも思うはずだ。それなら、このコーナーに限る必要はないが、1年ぐらいは騙されたと思って集中的にロシア語をやるべきだ。

 それと会話も含めてロシア語の根幹にあるものが体の用法であり、これさえ間違わなければ、ロシア人との会話に違和感をもたれないし、後は語彙(類語の違いもあるが)を機械的に覚えていけばいい。そういう暗記は通勤の時間でもできるから楽なはずである。しかし体の用法の本質は短期間でも腰を据えてやらなければ分からないと思う。通勤のついでにというわけにはいかないと思う。やり方次第では1週間でも、1カ月ででも体の用法のの本質は分かるだろう。そうなるとあとはただ本当に理解したかどうかの検証が残るだけだ。その検証に第177回(近く改訂の予定)を使ってくれてもかまわない。体の用法を会得したかの検証にはよい例文が大量に必要だからだ。

設問)「これが今できるぎりぎりのところだ」をロシア語にせよ。

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2012年01月04日

●和文解釈入門 第229回

前回このコーナーの設問に1~2秒で回答できないと実戦では使えないと書いたが、それはプロのガイドや通訳が1日でこなす通訳量を考えればその万分の一にすぎないという事からである。ただプロの通訳やガイドはむろんこのようなコーナーで勉強する必要はないレベルの人だから、参加するとすればせいぜい腕試しとか、好奇心からだろう。しかしこのコーナーを覗く人で、設問の意図(ポイント)が分かり、その上で全て即答できる人は少ないだろうし、正答しようとすれば1時間とか、それ以上かかる場合もあるかもしれない。ただその過程で得られるものは極めて大切なものである。それは個々の人によって違う。その過程で新しい発見もあるだろうし、自分の不得意な点に気づくかもしれない。何よりも勉強の楽しさが分かってくるし、ロシア語のレベルも確実に上がるのは間違いない。勉強が楽しいのは、勉強したことが実戦で使え、即戦力になるからである。これはどんな優秀な教師にでもできないことだと思う。

 投稿された回答で、ミスやこうは言わないだろうというのは見た瞬間に分かる。しかし、こういう回答はおかしいと思うので、私の回答を丸暗記してくださいというのでは人に納得してもらえないだろう。正答でないというならその根拠を示す必要がある。全ての投稿に対して、根拠あるコメントができているとはとても思えないが、そうすべく努力はしている。投稿者の回答へのコメントを書く過程で、体の用法も含めて文法の復習にもなり、これまで全く気付いていなかった点の指摘(それが無意識のものであっても)など、投稿は参考書ではけっして得ることのできない、私にとってロシア語の勉強を続ける上での貴重なヒントの宝庫でもある。

 ロシア語の初級を終えると、次のステップにどう入ってよいか分からない人も多いだろう。皆が皆学校の中級コースに行けるものでもないし、そこでの勉強法が自分にあったものであるとは限らない。初級を終えた人や、途中で挫折した人が、このコーナーで体の用法を通じて少しでもロシア語そのものの面白さに気づき、そのロシア語を続けるための助走の一つにでもなってもらえればよいと思う。勉強方法は各人で違う。自分に適した方法は子供じゃないのだから自分で見つけるしかない。それに与えられたものをこなすだけというのは大人の勉強ではない。自分が自分のためにその課題を見つけるしかない。

 私の設問には必ずポイントがある。それは必ずしも動詞の体とは限らない。もし正解が分かったら、それが設問の意図(ポイント)に沿っているか、その意図は何かというのも考えてみるのも一興であろう。

設問)「ゴキブリは伝染病を媒介する」をロシア語にせよ。

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2012年01月05日

●和文解釈入門 第230回

自分では人に対して好き嫌いは特にない方だと思うが、長く生きているとサラリーマン生活の中でどうしても合わないなと思う上司が二人いた。その中の一人は1年ぐらい一緒で、その後その人は他の会社に転職したが、1985年私がモスクワ駐在のときに空港にお客さんを出迎えたときに、偶然出会った。何といっても元の上司なので、こちらから声をかけたら、第一声は、「元気かい、田中君」だった。私の苗字はありふれたもので、別にわざと違う名字で呼びかけたとは思わないが、この人の頭の中では、昔の部下で、最もありふれた名字の奴とインプットされていたのだろう。それがたまたま違っていたというだけかもしれない。子供のころ北海道の函館で佐藤斎藤馬の糞と言われたことを思い出した。

 50年前の函館はまだ馬車が行き来していて、その落とし物も多かった。3月風の強い時は乾いた馬糞が空を舞い、冬のざらめ雪というのは、馬糞の色が混ざって、本当のざらめと区別がつかないくらいだった。つまりそのくらい多いものということで、他の佐藤さんや斎藤さんに含むところはないが、一応前もってお詫びしておく。ちなみにロシア語では1979年の映画Тот самый Мюнхгаузенの中のセリフに、(ドイツではミューレルという名字は名字がないのと同じだ)В Германии иметь фимилию Мюллер - всё равно что не иметь никакой.というセリフがあり、Мюллерの代わりにИвановで置き換えても使えるから佐藤でもよいかもしれない。

設問)「血沈が正常の2倍だ」をロシア語にせよ。

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2012年01月06日

●和文解釈入門 第231回

ロシアに駐在していた時日本からのお客さんからロシアのお土産に何を買ったらよいかよく聞かれた。前にベニザケの缶詰を紹介したので、他のものを書いて見る。キャビアとか有名なものは別にすれば、緑色のコハクというのが売っている。本当を言えば緑色のコハクなぞ存在しないが、薄いコハク色のコハクの裏側を黒く塗って、目の錯覚で緑色に見せているのである。10年前は2000円くらいで売っていた。ロシアに行かれたら一度見てみるのもよい。昆虫が入っているコハクというのを売っているが、これはその辺の虫に溶かしたコハクをかけただけのもので、決して大昔のものではない。何千万年前とかというのいわゆる松脂の中で虫が化石となったものは、花粉と蝿の脚だけが入ったものはものはもっているが、完全な本物は博物館は別にして、そう簡単には手に入るものではない。

 пуховой платокというオレンブルグ名産の羊の短い方の毛(柔毛)だけで編んだショールなども軽くて女性向けのお土産によい。カシミアに似ているという。あとはタラの肝печёнка трескиというものは、味がアンコウの肝に似ていると通の人は言っていた。一度アンコウの肝を食べたが、一度ぐらいではどうなのか分からない。これも安いから話しの種に買ってみたらどうだろう。ロシア人の話では、タラの肝をまな板の上において、まな板を傾け、油を出して食べた方がおいしいと言っていた。килькаキーリカというニシン科の小魚の油漬けを缶詰にしたものがロシアで売っているが、これはおいしい。これも安いからお土産に買う事を勧める。

設問)「否定も肯定もせず彼は聞き返した」をロシア語にせよ。

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2012年01月07日

●和文解釈入門 第232回

ウラジオ在住のメル友ヒサムヂーノフ教授からの最近のメールに、昔ロシア人の同僚からуважаемыйというのはレストランのボーイへの呼びかけだから、手紙などではмногоуважаемыйとかглубокоуважаемыйを使うべきだと言われたことがあると冗談めかして書いてきた。教授はこれには無論ロシア人の中にも当然、異論もあるとも書いている。彼はタタール人で10歳までは訛りのあるロシア語を話していたが、今や何冊も「日本のロシア人」関係のロシア語の著作をものしているタタール語とロシア語のバイリンガルであり、日本語も自由に読み書きでき、しかもハワイ大学にも招聘されるくらいで英語も堪能である。それでも論文などのロシア語の原稿はロシア人の同僚に見てもらうという。バイリンガルであってもロシア語にはどこか外国人としての冷めた目で接しているように見えるので私にはそれが非常にありがたい。普通のロシア人には気がつかないような、あるいは説明できないような事柄でも、彼はよく理解してくれるし、ロシア人の意見も聞き、客観的な説明しようと努力してくれる。

 話がそれたが、口語では皮肉でуважать = любить, предпочитать, иметь пристрастие к чему-либоという意味である。だから犯罪小説や探偵小説の会話の文を読むと、уважаемыйは名前の知らない人に対して、「そこのお方」と訳せる場合もあるし、手元の隠語辞典ではуважаемый = гомосексуалистと書いてある。それで、それまでは教授のメールには起首の部分(拝啓)をуважаемыйかдорогойか気分によって書いていたが、この頃はдорогойで統一している。

設問)「今テーブルの上を片付けます」をロシア語にせよ。

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2012年01月08日

●和文解釈入門 第233回

このコーナーの体の用法に関する表については第300回を参照のこと。

設問)「レーニンが生きていたら、こんなことにはならなかったろう」をロシア語にせよ。

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2012年01月09日

●和文解釈入門 第234回

この40年ロシア語をやって得得した体の用法の要諦は、不完了体は自然体(自然の感情の発露)という事である。その検証用にと思い、第233回の表を作って見たわけである。私のこれまでのロシア語の勉強法は初級・中級の勉強をし、慣用句・諺・熟語をおさえ、仕事で使う技術ロシア語や観光ロシア語をするために文例を集め、その暗記に努めた。今にして思えば、当時これしかロシア語をマスターする道はなかったとは思うが、非常に効率が悪い。20年、30年と時間がかかり過ぎるのだ。

 会話を実戦レベルまでできるだけ早く挙げることができれば、仕事にも使えるし、ロシア人と話もでき、何よりもモチベーションができる。だから一番難しい体の用法を初級の文法を終えた時点で、ロシア語と日本語の時制の対比をしながら徹底的にマスターさせれば(その過程で体の用法に関連した例文を覚えさせる)、語彙の暗記などは一人でできるものである。ロシア語を習得する上で、自分は日本人だから日本語は完璧であり、ロシア語と日本語を別々に考える人が多いようだが、頭の中で遅速の別はあるにせよ、常に日本語からロシア語、ロシア語から日本語へと解釈しているわけである。常に二つの言語の違い、特に時制の現れ方の違いに留意する必要がある。

 体の用法を会得する一案として、第233回の表の文例にある日本語の部分について、どちらの体でどの時制を使うのかをまず自分だけで考えて、次にある露訳を見て正解かどうかみるのである。これを繰り返せば、短期間(1週間とか1カ月とか)で体の用法の本質が分かると思う。問題は理解したかどうかの検証である。それには(本人が納得するまで)1年ぐらいはかかるだろうが、時間的に見れば非常に短いと言えるし、そうなれば根をつめてやらなくても気軽にやればよい。

 ロシア人が外国人のロシア語を聞いて、まずおかしいと思うのは体の用法である。これはラスードヴァ先生の参考書にもあるし、我が国でロシア語を教えるロシア人の先生方の話でもそうである。語彙を増やせば何とかロシア語の話は分かってもらえるが、体の用法だけは自分で意識して勉強しなければ一生不十分な理解のままである。

 例えば一からロシア語を初めた人が、初級の文法を終えたとしよう。つまりNHKのラジオ講座を半年一生懸命聞いて本文を全部暗記したとして、その人に和露辞典を与えて、このコーナーの短文の和文露訳をさせたとする。基本的には主語は主格であり、動詞、直接補語(普通は対格で日本語の「~を」に対応する)、間接補語(与格で、普通は日本語の「~に」に対応する)、場所の副詞句(方向なら対格、所在なら前置格)、時間の副詞句で作れるはずだ。ところがロシア人が分かるような文は簡単には作れない。無論類義語についての記述が和露辞典にほぼないということも大きな問題だが、それ以前の問題、体の用法を理解していないから、どの体、どの時制を使えばよいのかが分からないのである。もっと問題なのは誰も教えてくれないから体の用法の重要性が分からないということである。

 ロシア語の本質は体の用法であり、これをマスターすれば、日本語の小説や新聞などを読んでいても、ロシア語にしようとする場合、語彙は分からなくても、ここはどの体を使うべきかが分かるようになる。そうなれば後は語彙を増やすだけでロシア語はマスターできることになる。体の用法の本質が分からないままに語彙だけ覚えても、それは枝葉であって、いつまでもロシア人から変なガイジンロシア語を話すと思われるばかりであり、いくら通訳しても日本語のニュアンスも完全には伝わらないし、ロシア語のニュアンスも完全には分からないままで一生終わることになる。それではロシア語をやった甲斐がないと思う。
 だれか初級者か中級者で、この表を使って体の用法の奥義を会得して、私のこの説を証明してくれるような奇特な人はいないものかと切に願う次第である。

設問)「自分のすることをしたら帰れ」をロシア語にせよ。

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2012年01月10日

●和文解釈入門 第235回

若いころ何で覚えたか忘れたが、「あに(豈)図らんや、弟知らんや」という文句が気にいって長く口癖となったものである。私にも弟がいるからだ。矢沢永一の「えらい人はみな変わってはる」(新潮社、2002年)を読んでいたら、山口孤剣の百傑伝を紹介し、東洋一の井上哲次郎先生と題して、その抜粋が載っていた。いくつか面白い表現があるのでご紹介する。「豈図らんや、弟思わんや、拝聴するに及んで吾人いたずら狐につままれた如く感じたりき。先生の云う所初めより終わりまで悉く大英百科全書決闘の条の口写しにて....口に交番がないとはいえ、よくもこんなことが云われたもの也。呆れが礼に来るとはかかることを云うなるべし。....これで二十年の東洋哲学研究とは、片腹どころか両腹痛く、千金丹でももらいたくなる也」とある。いかな有名人でも手抜きをすると死んだあとも残るような、そんな何を書かれるか分からないということか。

設問)「何かあったとしても食っていける」をロシア語にせよ。

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2012年01月11日

●和文解釈入門 第236回

イェスペルセンの「言語」(上)、三宅鴻訳、岩波文庫を読んだことがある。比較言語学の歴史から始まっているが、特に第二部の「こども」が面白い。ニ言語使用(バイリンガル)についても、ニ言語のどちらも完全にはまずもって習得しない」、「言葉の微妙な点までマスターしない」と批判的であり、子供が自国語を覚えるのはなぜ上手かについても、子供自身の適応性と周囲の子供に接する態度を挙げ、特に「母親は子供に接する機会が多く、言語と場面が常にぴったりと一致し、互いに例証し合う」、「言語は子供に直接感激があり、子供の興味を引くことばかり、また何度も言葉を使おうとすることが、そのまま子供の一番大事な望みを満たすことにつながるからである」としている。しかしこれは成人になってから外国語を覚えようとする人には関係のない話でもある。

 女児が男児よりも言葉の発達が早いのは、「言語において重要なのは回りの他人に合わせることであり、これは女児の得意とするところである。男児はよく、人と全く同じようにすることを嫌がるからだ」と述べているのは、大学などの女子学生、男子学生と置き換えても通じそうだ。不完了体と完了体の違いに似ているなとも感じる次第。

設問)「血はすぐ止まる方ですか?」をロシア語にせよ。

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2012年01月12日

●和文解釈入門 第237回

参考書はその学習レベルによって理解度が違う。だからいいと言われる参考書は、一生ロシア語の勉強を続けるつもりなら、今は手に負えないと思っても、今のうちに買っておいた方がよい。絶版になる可能性が大きいからだ。仮にならなくても値が上がって手が届かなくなる可能性がある。1年後、5年後、10年後、20年後になって、長年抱いていたロシア語の疑問がその参考書によって氷解するということも大いにありうる。私も昨年やったシノニムの辞典は30年前に買ったもので、それを端から端まで読み、大いに啓発された。類語の重要性に納得がいったのである。辞書は引くものかもしれないが、用例が充実しているなら学習辞典として端から端まで読めばよいというのが私の考えである。用例を見ないと文法的な説明が理解できない、ないしは納得できないことが多々あるからだ。思うに用例というのは使える限界を示してくれるのがよい用例であり、そういう良い用例というのは案外少ないものだ。

 第233回の回答でレーニンをИльичとしたが、これは年配の人を敬意を持っていう場合に父称だけで呼びかける場合があり、特にИльичは普通は尊敬をこめたニュアンスでレーニンを意味する。これに関連したアネクドートで、
- Товарищ Брежнев!(ブレジネフ同志!)
- К чему эти церемонии? Зовите меня просто – Ильич!(どうしてそんなに堅苦しいのだね?私のことはただイリイーチとだけ呼んでくれたまえ)
ブレジネフの父称もイリイーチであるという言葉の遊びであり、勲章好きで知られたブレジネフにとって、残るはレーニンにとって代わることだという野心を諷している。Зовитеと不完了体命令形が来ているのも、自然体(自然の感情の発露で)でイリイーチと呼んでほしいという当人の気持ちがにじみ出ていることになる。

設問)(いざとなったら)「国が代わりに決定してくれるという期待が彼らにはある」をロシア語にせよ。

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2012年01月13日

●和文解釈入門 第238回

完了体未来形の例示的表現というのは、不規則な繰り返し乃至は似たように起こるであろう事柄を例示的に一つ挙げるか、またはそれを強調して示す(生き生きとした表現になる)という用法である。つまり起こるかもしれないし、起こらないかもしれないということで、「必要なら~する」という表現は例示的表現のように見える。例えば(必要なら4時間の間隔をあけてもう一度注射をして下さい)При необходиимости инъекцию повторите с интервалом в 4 часа.などである。しかし不完了体現在形が来る場合もある。(必要なら輸血しなさい)В случае необходимости делайте переливание крови.これは必要なら何度でもという規則的な繰り返しを念頭に置いているからであり、表現的には平板なものとなる。もっというと何度も起こるという確信があるときに使われると考えてよい。日本語の字面だけ見てではなく、動作の本質をイメージできるようになれば、つまり頭の中でそのシーンを思い浮かべる練習をすれば、こういうイメージだからこの体を使うのだという事が分かると思う。

 無接頭辞単純動詞(гулять, жить, играть, пить, читатьなど)は対応の完了体が接頭辞のつくものの場合(прочитать, написатьなど)は補語が絶対に必要だが、無接頭辞単純動詞は必ずしも補語を必要としないし、意味や使われる範囲も対応する完了体と比べて広い。

 否定文の場合は可算名詞が否定されときは複数生格が普通である。医療関係でいえば、(X線写真では病変は認められない)На рентгенограмме патологических изменений не обнаружено.などと言う。また疑問文でも有無を聞くときは、あるかどうか、複数か単数かわからないので念のためという事なのか知らないが複数形を使う。(麻酔の後に合併症を発症しましたか?)Были ли осложнения после наркоза?

設問)「これにはもう驚かなくなった」をロシア語にせよ。

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2012年01月14日

●和文解釈入門 第239回

кровотечениеは出血で、内出血そのものはвнутреннее кровотечениеというものの、кровоизлияниеは溢血で、身体の組織内などに起こる、点状または斑状の内出血のことである。ロシア語ではこのように二つを明確に分けている。ただ日本語では出血という言葉が多用されるから露訳のときに注意が必要である。例えば皮下出血はподкожное кровоизлияниеであり、点状出血はточечное (петехиальное) кровоизлияниеとなる。大量出血はмассивное кровотечениеだが、同じ大量出血でも体の組織内(溢血)ならмассивное кровоизлияниеとなる。ちなみに打撲による青あざはсинякで、医学用語ではкровоподтёк(斑状出血)というが、これも溢血の一種である。このように出血の内容によりロシア語を変える必要がある。потеря крови, кровопотеряも失血と訳すと、日本語の場合は危篤状態を指すので、文脈によっては血液損失と訳した方がよい場合も多い。

 賞状はпохвальная грамотаとも、почётная грамотаとも訳せるが、前者は学業のであり、後者は仕事においてである。スタイルは容姿(体形)ならфигуркаであり、беречь (блюсти) фигуру(容姿を維持する、保つ)と使い、文体ならстильで、芸術家の外側に現れるものというならманераである。体形はкомплекция = телосложение(体格)ということで、комплекция человека(人間の体形)、природная комплексия(生まれつきの体型)というが、運動で培った体形と言うなら、поддерживать свое здоровье и физическую форму(自分の健康と体形を維持する)というように(физическая) формаを使う。

 瓶はбутылкаだが、香水瓶や薬の瓶はфлаконという。切りくずには二つあって、стружкаは木や金属の表面加工のときできたカンナくず、石鹸、おろし金ですった野菜などを指し、опилки(複数形で用いる)は鋸やヤスリの切かす、切りくず(木または金属)を指し、стальные опилки(鉄粉)、сухие опилки(おがくず)などという。ビジネスでよく使うスペックspec, specificationsは仕様書のことで、техническое описаниеが一番よいと思う。спецификацияというのは、設計書類の中で製品の材質や数量などを表の形にしたものだからだ。イヤリングはсерьгиでこれは耳に穴をあけるタイプ、あけないではさむだけならклипсы(通常は複数で使うが、単数形はклипс, клипсаの二つある。医学用語のクリップという意味でもある)という。止血帯は(кровоостанавливающий) жгутが普通だが、турникетは布製乃至は皮製で締めつけ用の棒(ねじって締めつける)がついているものである。

 объявитьというのは伝えるсообщитьという意味だが、公式にということで、アナウンスするなどと訳される。Посадка объявлена?(搭乗案内はアナウンスされましたか?)などと使う。

設問)「栽培植物は土壌の侵食を防ぐ」をロシア語にせよ。

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2012年01月15日

●和文解釈入門 第240回

私も仕事としてロシアの駐在員候補生にロシア語を教えることもある。一からのときもあるし、半年ほどロシアの語学学校で勉強した後の人がブラッシュアップの目的で来るときもある。私のやり方が他の先生方と違うと思うのは、その企業の会社案内を取り寄せ、直接その駐在員候補の人にロシアでの仕事の内容を聞き、それに沿って、電話の会話から、面談、はてはクレーム処理に使うロシア語を、会話を中心に徹底的に教えるというものである。

 今年は駐在員候補だけでなく、仕事でロシア語を覚えない人やロシア人と会話したいという人向けに、一からロシア語を始めて会話で自分の言いたい事を言えるレベルにする方法を中心に教えたいと思っている。一から始めても私のやり方でまじめに1日2~3時間ロシア語漬けでやるなら1年から1年半できるようになるし、それ自体は大したことではない。2,3時間というと、とてもとてもという方も多いと思うが、私の言う2~3時間というのは、通勤通学の時間と昼休みの時間も入れてである。ただ30分ぐらいは机の上での勉強は例文をチェックする意味で必要である。これなら特に時間のやりくりをしないでもできるはずだ。

 初心者で難しいのはその人にあった学習計画を立てることと、それに合った例文を集めることである。立場や境遇、考えと人それぞれだから、学習方法もいろいろである。私なら個人の性格に合わせて、学習計画と例文をそろえることができるし、文法的な説明もする。無論ただではできないから、一番いいのは会社の人事部とか総務を説得して会社の金で私を雇うか、グループで雇うということになる。ご予算に応じてそれは可能である。勉強は基本的にメールでのやりとりで、週1回か2回のスクーリングというのが現実的であろう。

 実戦レベルになるのでもかかるのは2年から3年といったところだろう。私が言う実戦レベルというのは、会社の仕事上で鉄鋼、機械、プラント、観光、医療、漁業など狭い分野一つぐらいなら通訳可能になるという意味である。技術通訳もプロならいろいろの職種の用語を覚えなければならないし、しかも一つの業種で深く広く覚えなければならないからからそう簡単ではないが、一つの会社専属での通訳、ないしは営業で使うロシア語というのはいわゆる私の言う実戦レベルであって、一から始めてもやる気と適切な語学指導があれば2~3年でできるようになる。

 会話の勉強というとロシア人の先生をと素人は考える。自分の売りを書いて見よう。

1. 私も一からロシア語を始めてロシア語が話せるようになり、商社で営業も経験し、駐在経験もモスクワなど12年あるし、今は技術通訳と観光ガイドをしている。たまに駐在員候補生にビジネスロシア語を教えることもある。つまりどうやったらロシア語を話せるようになるか熟知しているという事になるし、ロシア語会話をマスターした経験者でもある。ロシア人は私たちの日本語同様、自然にロシア語を覚えたのであって、どうやったら成人の日本人がロシア語を一から話せるようになるのかその方法を彼らは知らない。
2. 語学をマスターするには、初級文法を覚えながら、自分が必要とするよい例文を短期間に大量に覚えるのに限る。例文をある程度覚えないとそれ以降の文法(体の用法など)が頭に入らない。私には会話集、熟語集、ビジネスロシア語、観光ロシア語など12冊の著書もあるし、自分の和露語彙集は8万2千項目を超え、良い例文に事欠かない。その一端はこのコーナーでも紹介しているから確認することができる。
3. ロシアの風習やロシア語に関する疑問を日本語で納得いくまで説明ができる。
4. その企業の会社案内や個人の要望に沿って、これまでのロシアビジネスでの経験を活かして例文をアレンジし、カスタムメイドで即戦力のロシア語の人材を育てることが可能である。

 ご希望の方は私のサイトLAMPOPO(ランポポー)の「メール」から連絡可能である。

 そうはいってもロシア語学習に向かない人というのはいる。せめて1年半ぐらいでも毎日2~3時間のロシア語の勉強が続けられない人だ。今回の話はそれ以外の人向けである。

 ロシア人の先生が必要になるのは、自分が曲がりなりにも話せるようになって、そのロシア語がどの程度通じるかチェックしたいときである。

設問)「トマス・ムーアの「夕べの鐘」(という詩)は何度も曲がつけられた」をロシア語にせよ。

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2012年01月16日

●和文解釈入門 第241回

医療関係のロシア語の例文を整理していて気がついたのは、技術ロシア語と同様、命令形は完了体、平叙文は不完了体現在形が非常に多いという事である。語彙は専門用語が多く、例えば十二指腸球部の陰影欠損дефект наполенения в луковицы двенадцатиперстной кишкиなどと日常用語とはかけ離れたものをかなりの量覚えなければならないが、体の用法については完了体は完了を、不完了体は繰り返し、動作の一般化という理解で事足りると言ってよい。だから医療関係や技術関係の翻訳・通訳ばかりやるとロシア語の映画やテレビ、小説の、特に会話の部分のニュアンスが分かりにくくなるし、何よりも簡単な日常会話でどちらの体を使えばいいか分からないままに終わってしまう危険性がある。

 これは露文解釈だけでロシア語の勉強をした場合も同じである。体の用法について説明はできるかもしれないが、会話で使った経験がないから、いざロシア人と会話となると、あり余る用例が邪魔をして適切なものを、その中から取り出せないということになる。ロシア語の会話では言い訳は通用しない。問われるのは実際に会話ができるか、会話で正しく体の用法が使えるかということなのである。恥をかくことも大いに必要なのである。恥を恐れていては体の用法も、しいてはロシア語もマスターできるはずがない。

 それで思い出したが、歳をとると、物忘れが激しくなる。これは健忘症もあるかもしれないが、むしろ、引き出しにものを詰め込み過ぎると整理されていないとものを取りだすのが難しくなるのと同じである。いわば、教養が邪魔するのである。

設問)「電気機器はアース(接地)済であることを確認下さい」をロシア語にせよ。

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2012年01月17日

●和文解釈入門 第242回

 呼称で先生と呼ばれたいか、さんづけでよいかだが、個人的には学校で教えているわけでもないので、呼び捨てでさえなければ、「さん」でもミスターでも、パン(ポーランド風)でも何でもよいと思っている。人によっては先生とだけは呼んでくれるな、それほどえらくないからだとか、逆に「先生と呼ばれるほど馬鹿じゃなし」を標榜している人もいると聞く。ある会合では大学の先生方が多いのだが、民主化ということらしく全員さんづけということになっていて、先生といいかけて、いちいち「さん」に直すらしい。民主化の押しつけのようで、先生と呼ばれるのに慣れた人にとっては、それもストレスだろうなと思った次第。

 本を出すことになると編集者との付き合いが始まる。すると編集者は例外もあるのだろうが、著者のことを呼びかけるときに先生と呼ぶ。これは別に著者を尊敬しているわけでもなく(かといって馬鹿にしているわけではないだろうが)、本を書く人には大学の教授や大家(おおやではなく「たいか」)というのも多々おられるわけで、中にはさんづけするとご機嫌斜めになる方もおられるし、いちいち区別するのも面倒だからではないかと推測する。だから私も編集者からはさとう先生である。これをいちいち先生と呼ぶのを止めてくださいというのも気障だし、第一ひとに向かってああせよ、こうせよと指示するのは、相手がよほど失礼な場合(呼び捨てされた場合など)を除き、どうかな(そんな権利などこっちにもないしね)という気持ちである。だから私には呼び捨て以外あって、普通に敬称と呼べるものであれば、さんでも先生でも相手が好きなように呼んでもらって構わないと思っている。単なる呼びかけ(敵意はないよ)という意味の記号だと思っているからである。自然体という事で、いわば不完了体的発想である。

設問)「220Vから110Vへのアダプターはどこで売っていますか?」をロシア語にせよ。

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2012年01月18日

●和文解釈入門 第243回

このコーナーを始めて特に感じるのはフィードバック(feedback) обратная связьの有難さである。特にいろいろ感想も含めて、疑問などを書いてくれる投稿者の回答やコメントのおかげで、第233回の表なども作れたわけであり、そのおかげで自分の考えがかなり整理できたと思う。そういう意味で投稿者の皆さんには心から感謝しているという気持ちを伝えたい。設問への回答はしないが、コメントに対する疑問とか、ロシア語に関する疑問を持っている人もいるだろう。回答しない方にもロシア語に関することならどんな質問でも受けるし、分かる限りお答えするので、遠慮せず投稿願う。前にも書いたが、世の中すべてGive and takeであり、投稿者からの質問に応えることで、そういう発想もあったのかとか、やはり自分と同じように考える人もいるのだなとか、これからの自分の勉強のヒントをただで得ることができると思うからである。

 露文タイプの練習するときに各キーにロシア文字を貼りつけるという人も多いと思う。そういうシールもモスクワなどでは売っているが、使うのは勧めない。貼ってあると覚えないからだ。それよりもキー配列をタイプアップしてプリントアウトしたものをコンピューターのそばにおき、単語や短文を打つ練習をした方が覚えるのが早い。タイプは英文も露文も両手の五本指で打つが、私はブラインドタッチはできないし、またその必要もない。結局覚えるのに至らなかったが不自由していない。知り合いにロシア語でメールするときも、いくつか単語を打っては直し、文を見直すことがしばしばで、頭の中でロシア語の文章が整理されている人は別だろうが、ブラインドタッチを覚えなくとも十分間に合うのだ。これから露文タイプをしようとする人に、一つヒントを上げよう。ロシア語のエスと英語のcのキー配列は同じである。これだけでも覚える負担が1/33減ったことになる。それとタイプの練習の時にでたらめに打つのではなく、машинаとかчеловекといったように単語で練習するとよい。語彙も覚えられて一石二鳥である。ウィンドウズXPでロシア語が打てるように設定してあれば(私のホームページ「ランポポー」のトップページにその設定の仕方が記載してある)、ワードやエクセルで和文や英文から露文タイプに切り替えるにはAlt + Shiftキーを押せばよいし、もう一度押せば元に戻る。英文と和文の切り替えは、キーボードの左上の半角/全角キーを押せば切り替わる。

設問)「我が国のチームは延長戦でスペインチームに負けた」をロシア語にせよ。

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2012年01月19日

●和文解釈入門 第244回

休暇は個人がバラバラに取るのはотпускであり、学校の夏休みや冬休みはканикулыである。だからканикулыは一斉に取る休み(一斉休暇)に使える。例えば(議会休暇)парламентские каникулы、(クリスマス休暇)рожденственские каникулы、(復活祭の休暇)пасхальные каникулыである。
 ледоходはдвижение тающего льда по течению рекиなので、流氷と訳すのは問題である。流氷は河口から海を流れるもので、これはдрейфующий лёдであり、ледоходは解氷である。流行はмодаであり、мода на мускулы(ムキムキマン流行)というが、ファッションではなく一時的に勃発的に起こる流行は、たとえば(密造酒の流行)всплеск самогоноваренияなどとと言う。リーダーは(党指導者たち)партийные лидерыなどはлидерでよいが、動物や鳥の群れのリーダーはвожак(先導者が原意で、人間に使う場合は大衆指導者という意味もある)である。лидерにはヤクザの組長という意味もある。

 証明書は、身分証明書、全権委任書、権利関係はудостоверениеといい、出生、婚姻、死亡、健康状態、学歴関係はсвидетельствоという。それ以外の証明書はсправка о местожительстве(居住証明書)などで、俗語ではкорочкаという。対立はпротивостояниеで、これは立場の違いという感じであるが、конфронтацияとなると同じ対立でも、思想や社会体制の対立で和解できないような対立である。

 в середине は時間的にも場所的に等間隔のところにあるということで、(昼の中ごろに戻って)вернувшись в середине дняとなる。на середине + 生格はостановитьсяやпроисходитьという動詞と共に用いられ、「途中で、中途半端に」という意味であり、(今となっては中途半端にやめることはできない)Теперь уже нельзя остановиться на середине.のように使う。伝説にはлегенда、предание、поверьеがあるが、преданиеは言い伝え、口碑ということであり、поверьеは迷信に基づいた言い伝えということである。

設問)「彼は私たちの(大学の)3年で教えていた」をロシア語にせよ。

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2012年01月20日

●和文解釈入門 第245回

最近「現代ロシア語頻度辞典Частотный словарь современного русского языка, Ляшевская, Шаров, Азбуковник, 2009」というのを買った。この種の辞書はこれまでもいくつかあったが、これは1950年から2007年までの文学、ニュース、学術文献などありとあらゆる9200万の現代ロシア語の用語例から5万語 + 3000固有名詞・略語の頻度を調べ、その頻度を調査したものである。こういう辞書を読んでもロシア語の勉強にはならないが、ロシア語を教えるときに、どういう単語を優先的に教えるべきかを判断する上で科学的根拠を与えてくれる。例えばнаписатьとписатьではписатьのほうが、個人的な経験から用例が多いような気がするが、そういう感じだけでは如何ともしがたいし、説得力もないから使えない。しかしこの辞典を見ると、написатьが100万の文例で336.2回(294位)、писатьが444.3回(213位)と確かにписатьが多いことが分かる。

 頻度の1番から2万番までのリストもあって、堂々のトップはиで、2位はв、3位はнеで、на, я, быть, он, с, что, а, по, это, она, этот, к, но, они. мы, как, из, у, который と続く。яが5位に食い込んでいるが、日本語ではありえないことである。日本語は一人称を示す言葉が非常に多いし、省略されることがロシア語よりは多いからだ。ロシア語ではя以外では書き言葉の「筆者автор этих строк, автор этой книги, пишущий эти строки」や「мы朕とか学術論文の筆者」ぐらいだろう。
しかも文学とそれ以外の評論に大まかに分け、1950年代から60年代、1970年代から80年代、90年代から2000年代の3つのカテゴリーでも頻度が分かる。つまり参考書や単語集、熟語集を作る上で大いに参考になるわけである。露和辞典で頻出する単語に星印を一つは1000位以下、二つは500位以下、三つは100以下というふうにもできる。参考書を作る機会に恵まれないのなら、頻度の高い語彙を優先的に覚えるよう生徒に指導できるというものである。しかも科学的裏付けもあるから説得力もあるというわけである。無論長年ロシア語をやっているから、どういう単語がよく使うかは感覚で分かるが、具体的に最重要1500語を選べと言われても困るわけで、そういうときに大いに力を発揮する。他にも使い道はあるだろうから、いろいろ考えてみたい。

設問)「彼女をどこまで送るとか、どこで彼女とさよならをするかを決めるのは(いつも)彼だった」をロシア語にせよ。

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2012年01月21日

●和文解釈入門 第246回

これまで何度もガムテープで補強したのだが、先日私の愛用している岩波露和辞典が、崩壊寸前で一見ミイラみたいになっているのに気がついた。出張用に岩波はもう一冊もっているとはいえ、岩波には少し休んでもらう事にして、しばらく気分転換に研究社の露和を使う事にした。何気なくсестьを見たら、「完了体сядьтеは命令、不完了体садитесьは促し、勧めを表す。садитесьの多用から、具体・特定的一回動作でもсадитьсяを使う事がある。同様な傾向はлечь, ложитьсяにも認められる」と書いてある。ラスードヴァ先生もびっくりの新説というか珍説である。この項は体の用法の大家である磯谷孝先生が書いたとはとても思えない。研究社の露和には他の分野の大家も書いておられるから、磯谷先生も強くは言えなかったのかもしれない。

 ここで問題なのはなぜсадитесьが多用されるのかという理由が書いていないことである。またすぐ上に、Сядь поближе к свету(もっと明るいところにすわりなさい)と完了体命令形の例文があるが、これは命令であって、勧め・促しではないのだろうか?ロシア語もその訳も正しいのだが、この説明では用語として使っている「命令」「勧め・促し」の違いが分からない。лечьの命令形はляг(те)であり、ロシア語教師が「寝なさい」をロシア語で何と言うかなどとテストで生徒に嫌がらせに出す程度で、私個人はこの命令形を使ったことはない。こういうのを例にするならпроходите(奥へどうぞ)のほうがはるかによく使う。最近買った現代ロシア語頻度辞典Частотный словарь современного русского языка, Ляшевская/Шаров, Азковник, 2009で調べると、лечьは100万の文例で63.5回、проходитьは175.4回と3倍近い差がついている。頻度ランキングでもлечьは1899位なのに、проходитьは642位である。このようにこの動詞やこの用法は例外だと決めつけて、丸暗記せよというのはよくあることだが、19世紀のロシア文学偏重ということもあって、現代ロシア語、特に実際の会話を知らないからではないか?このコーナーや第233回の表を見てもらえば分かるように、例外ばかりなら、もはやそれを例外とは呼ばない。

 さて岩波はというと、「Сядьте!(座れ)/Садитесь(おかけなさい)≪完了体が命令を表すのに対して、不完了体は勧誘を表し、より丁寧な、柔らかい表現となる≫」とあるから珍説がないのはましとはいえ、説明は五十歩百歩である。丁寧な命令というなら、сядьте, пожалуйста = садитесьなのかという問いに答えられないだろう。こういう問いは初心者でも考えつくことであり、これではわざわざ完了体と不完了体の二つの体がある意味が分からないだろう。まさに辞書は語彙の語義を調べるものであって、文法書ではないのだから誤解を招く、ひいては文法書を読まなくなるような安易な注釈は書くべきではないと思う。ただ初級の参考書にも体の説明にはずいぶん怪しいものもあるようであり、単に紙面が限られているでは済まないような気もする。

設問)「彼には人を見る目がある」をロシア語にせよ。

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2012年01月22日

●和文解釈入門 第247回

ロシアでも新兵いじめдедовщинаというのが未だにあるが、日本の軍隊生活でもあったことが第二次世界大戦までは色々な書物に描かれている。この淵源について、「雑兵物語」(パロル舎、2006年)を現代語訳した「かもよしひさ」氏によれば、1883年頃までに徴兵制度が日本で確立し、幕末時代牢内警備をしていた与力や同心、牢内を知るならず者たちが内務班の下士官や古年次兵として牢内の伝統を伝えたからではないかと述べており、卓見である。ちなみにこの雑兵物語の著者は色々な説があり、高崎城主松平信興(のぶおき)〔1620~91〕が有力視されている。本書は1846年刊行で、戦国時代の雑兵(ぞうひょう)の実戦的心得が具体的に書かれている。

 徳川時代は戦争というものが島原の乱以降なかったわけだから、黒船来航時にはこの本は非常に重宝されたものである。残酷な話で恐縮だが、例えば戦功の証として敵の首の代わりに鼻を切るときは、上唇も一緒に切り取るべしとある。これはサドマゾの世界ではなく、もっと現実的でドライな話であり、鼻だけだと女かもしれない、つまり髭のある男であることをはっきりさせ、戦後の論功行賞に与るためであると同書にはある。本書とは関係ないが、朝鮮出兵の後で京都などに作られた耳塚、鼻塚なども、戦場から重い首を持ってくるわけにもいかないからということで、戦功の証として耳や鼻を塩漬けにして持ってきたものを供養したものだという。

設問)「頭を打ったときに気を失ったのですか?」をロシア語にせよ。

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2012年01月23日

●和文解釈入門 第248回

 このコーナーを見る方で第1回の設問と、例えば第200回のとでは第200回の方が難しいと誤解されているかもしれないが、そういうことはない。このコーナーはロシア語の動詞の体の用法を中心に会話でよく使う和文露訳を短文の形式で出しているわけで、体の用法に限って言っても、見方によってはいろいろな面がある。それをアトランダムに出題しているわけである。ただでたらめに設問を出すと言っても、それだけでは学習者が混乱すると思い、自分の復習用に作った第233回の表を覚えたことの整理用に活用し、道しるべというかナビゲーションとして学習者の参考に供しているわけである。私としても投稿者の回答から、自分の体の用法の整理のヒントをもらうことや、一方的な思い込みの是正なども多々あり、いわば相身互いであって、片方だけが得をするとか、教えてやるんだとか、教わるんだというような一方的なものでは決してない。

 だから、今日からでも始められるわけだが、昨日の設問ができたといって、今日の設問が解けるというものもないし、その逆でもない。ただ山に上るにはいろいろな登り口があるわけで、どのようなペースでどこから登ろうとも、一休みも二休みしようとそれは登る人の自由である。早く登って次の山(別の何かやりたいことや目標)に進むのもよいわけである。ただ本当の山はなくならないが、このコーナーはペンキで書いた薄っぺらな山の看板みたいなもので、投稿者の支えがなければ、風が吹くだけでもすぐこける。

設問)「心電図の数値は?」をロシア語にせよ。

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2012年01月24日

●和文解釈入門 第249回

電力は動力の一種だからмощностьであり、単位はKW (кВт)である。似た単語に電力量があるが、これはэлектроэнергияであり、単位はKWh (кВт・ч)と時間当たりである。電力料金は時間当たりなのでцена на электроэнергиюとなるので注意する必要がある。蛇の毒牙はядовитые зубыである。жалоというのは蜂やサソリの毒針であり、蛇の場合は二股に分かれた舌先をいう。昔はここから毒が出ると思われていたためである。

 「冷やす」というのはохладитьだが、冷やして病気(風邪など)や病的な状態にするという場合はзастудить を使い、Плечо застудите!(肩が冷えるよ)などという。в один прекрасный день という句を見たら、「ある晴れた日に」と訳したい気に駆られるのは理解できるが、в одно прекрасное времяと同義で、однажды(あるとき)という意味である。訳が滑り過ぎないようにすることも肝心である。窓はокноだが、船舶や航空機の窓(舷窓)はиллюминаторという。

 回数は単に数える回数なら10 разのようにразを使うが、マッサージ、催眠術、モデルのポーズ、上映など基本的に公開して行う催しものの回数はсеансを使う。сеансы лечебных процедур(治療の回数)とか25 сеансов рентгеноского облучения(レントゲン照射回数25回)となる。交渉ではраундを用い、второй раунд переговоров(2回目の交渉)となる。турも同じように使える。в первом туре анкетования(1回目のアンケートで)とか、В апреле 1980 г. был проведён второй тур (первый - в январе) повышения цен на бензин.〔1980年4月2回目(1回目は1月)のガソリン値上げが行われた〕、И только после пяти туров переговоров(たった5回の交渉の後で)、Начните повязку с двух туров вокруг головы.(手始めに包帯を頭に2回巻いて下さい)などである。

設問)「人のことはほっといてって言ってるでしょ」をロシア語にせよ。

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2012年01月25日

●和文解釈入門 第250回

花粉症ではないが、私にはハウスダストのアレルギーがある。それはこれまで買い集めたロシアの本のせいだと確信している。ロシアは湿度の低い国だから、防カビ剤など本に塗らないだろう。だから梅雨になると本にびっしり青カビらしきものがつく。ダニはカビも食べる。その死骸が私のアレルギーを引き起こすのだ。学生時代からチェーホフやドストエフスキーの全集を買い出したときに、やがてカビがついて、拭くと緑色になるの気がついた。防カビ剤をコーティングしたりしたがまるで効かない。そのうちに本の栄養分がなくなったのか、ひからびたのか、カビがつかなくなった。まったく1ページも読んでいないのに、表装を見れば、古本屋でも引き取りを拒否するだろうというぐらいボロボロである。

 最近はインフルエンザも流行っているという。乾燥がインフルエンザ菌を増やすので、加湿器を使っている人も多いだろう。なぜ乾燥がインフルエンザを増やすのかについて、テレビで乾燥すると菌の水分が減って、体重が軽くなり、空中にフワフワ漂いやすくなるからであると解説していた。一番簡単なのはお風呂の蓋を取っておくのがよいというので、さっそく実行している。気持ち気分がよい(変な日本語という気もしないではないが)し、くしゃみが少なくなったような感じがするので続けているだが、菌のくせして、楽してダイエットというのが気に入らないという気持ちもなくはない。

設問)「彼が来るまで待っていた」をロシア語にせよ。

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2012年01月26日

●和文解釈入門 第251回

何が楽と言って、通訳の通訳をするのが一番楽である。ロシア語のできる人に対してロシア語で通訳することはないが、英語がかなりできる人や観光などで英語の通訳やガイドの話す日本語をロシア語にすることはある。こういう人たちは外国語慣れをしているので、短く、論理的かつ平明な日本語を話してくれるからこれをロシア語にするのは非常に簡単だが、普通の人相手ではそうはいかない。日本人同士だからといっても、発想がとびとびだったり、論旨がメチャクチャで何を言っているのかさっぱり分からないというのもままある。考えて話しているとはとても思えないし、できることなら頭の中を覗いて見たいものだと思う事もある。この方が下手なゲームよりよほど面白いだろう。特に話し慣れていない人とかおしゃべりな人にこの傾向が強い。言わんとすることを訳すのは一言で済むのだが、そうしてしまうとご機嫌を損ねてしまう。なぜ全部訳さないのかということらしい。まさか全部訳せばますますこんがらがるとは言えないので、適当にロシア人が理解できるだろう限界まで話を長引かせ、かつ要点を最後の一言で終えるようにする。例えば、いろいろ申し上げましたが、要は~ということなのですという高等(口頭)テクニックを使わざるを得ない。意味を理解してほしいのか、話の流れのままに、ただ単語の羅列だけすればいいのか悩むところだ。特に下手なダジャレや仲間内のばれ話しをされた日には泣きたくなる。これでロシア人が笑わないと、後であの通訳には高等小話は無理だったなとか陰口をきかれることになる。

 そうではなくてロシア人でも日本人でも非常に頭が切れて、意識的に話をはぐらかそうという人もいる。話の尻尾をつかまれたくないか、結論をあいまいなままにしておきたい場合だ。そういう場合はそのような通訳をせざるを得ない。これは文法的には正しいロシア語で、かつ何を言わんとするのか話を曖昧にするという非常に高等テクニックを要するもので、分かるようで分からないが、文法的には正しいし、言わんとするところらしきものはその通り通訳し、通訳の尻尾もつかませないというもので事実上不可能である。大概はロシア人側からあのときは通訳が下手だったからよく分からなかったの一言で終わる。ロシア人は人にもよるが、たいていは結論がすぐ出せないときはそういう。ところが日本人は、切口上というのを嫌うのでぼかして話をしたがる。無論自分の直接の利害がからむときは、非常に明快になるのは日本人ビジネスマンも同じである。ただよほど頭の悪い人以外は。

設問)「絆創膏をはがさないよう気をつけてください」をロシア語にせよ。

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2012年01月27日

●和文解釈入門 第252回

本物の山ではなくて、比ゆ的な「~の山」はいくつか訳せるが、грудаはгруды дынь и арбузов(メロンとスイカの山)などといい、в беспорядке(整頓されていない)というニュアンスがある。штабельはВо многих местах по всему кладбищу стояли штабеля гробов.(多くの場所で棺の山が林立していた)とかСкладирование проводится в штабели.(保管は山に積んで行われる)のように、保管場所で円錐形に積み上げる鉱石、砂利などを指す。валили их в штабеля(山と積み上げた)とか、Штабелями лежали пустые бочонки из-под рыбы.(山となっているのは魚用の空き樽だった)という。

 столбは同じ大きさのものを積み重ねた山で、столб блюдечек(皿の山)という。軽いものの山はворохを使い、ворох словесного мусора(文学のクズの山)とかвороха новых книг(新しい本の山)という。стопаもノートなどの同じ大きさの山をいい、стопа душистого хлеба(馥郁たる香りのパンの山)となり、сложенные стопочкой(山に積み重ねられた)などと使う。бунтは袋物や資材を積み上げた山で、бунты свитых здесь канатов(ここで撚ったロープの山)という。使用に制限がなさそうなのは、кучаやгораで、кучаはкучи дел(仕事の山)とか、мусорная куча, куча мусора(ゴミの山)と使う。гораはгора оружия(武器の山)、гора винтовок(ライフルの山)とか、Поедали горы блинов.(クレープの山を食いつくした)、гора трупов(死体の山)、горы бумаги(紙の山)、горка с фарфоровой и серебряной посудой(陶器と銀の食器の山)、горка пепла(灰の山)、горка оливок(オリーブの山)という。

設問)「マラリアは何千人もの命を奪った」をロシア語にせよ。

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2012年01月28日

●和文解釈入門 第253回

サン・テグジュペリの原作「夜間飛行Ночной полёт」を1936年レイモン・ベルナール監督が映画化した「夜の空を行く」というのがある。この題名を聞いてすぐ露訳するとすればどうなるだろう。「空を行く」の主語は一人称だろうが(主語がない以上、二人称だって、三人称だってありうるが、一応日本語の特性を考えると)、単数か複数か?ままよ、一人称単数にしておこう。空を行くというのだから、これは飛ぶということだろう。しかも飛びまわっているとは書いていないし、毎日とか繰り返しでもなさそうだ。となると定まった一方向への運動だから現在形の定動詞を使う事になる。「空を」だから空を移動しているわけで、その場所にいるわけではない。そうであればпо небуである。となるとЯ лечу по небуである。「夜の」は真夜中か、それとも午後5時ごろから午後10時ごろまでだろうか?夜か夜中かによってЯ лечу по ночному (вечернему) небу.と訳せる。「夜の空を行く」の訳者がどういう意味でこう日本語に訳したのか知らないが、私の解釈は「私は夜(乃至は夜中の)空を飛ぶ予定だ(ないしは「飛んでいるところだ」)である。いきなりの同時通訳が無理だというのを説明したくて、この駄文を草した次第である。

 一瞬でこれを露訳するときは、このようにいくつかの可能性からその時点で通訳が一番可能性が高いと思われるものを訳しているのである。事前に通訳に説明なしに訳せというのは、常に誤訳の可能性をはらんでいるのであり、結局のところ雇い主にとって損になるという事を知ってもらいたいがためでもある。ただ何かあったら、安易に全て通訳が悪いとすればいいのだろうが、通訳の現場は通訳の技能大会をしているわけではないはずで、いい結果を残すために、それがひいては雇う側の利益にもなるという事を雇う側の担当者も是非考えてほしいものだ。事前に資料か、具体的な背景を少し説明するだけでも通訳の精度はグーンと上がるのは間違いない。そういうのがなければなしで通訳にベストを尽くすだけである。

 技術通訳をしていた時に、ロシアのメーカーの会社案内のDVDをいきなり同時通訳してくださいとその場で言われたことがある。むろん断った。言った人はかなりロシア語ができる人だったが、自分ではできなくとも技術通訳をするプロなら、技術関係のプレゼン資料など同時通訳ができると思いこんでいたようである。断ったら嫌な顔というよりは非常にびっくりした顔をした。多分まともな技術通訳に頼めば良かったと臍をかんだのかもしれない。こういうロシアを話す人ですら同時通訳をどうやるのか知らないのである。どんな同時通訳だって、やるからにはやる内容についての資料を事前にもらい、出てくる可能性のある単語や表現を暗記しておくはずだ。この場合も、事前に少なくとも1回はDVDを見せ、そのロシアの会社のロシア語の会社案内を渡すというような配慮をすれば、同時通訳は無理でもwhisperingぐらいは可能だったかもしれない。あとでDVDを見たら、そのロシアのメーカーの製造ラインのみならず、独自のキャンペーンが早口のロシア語で全編を貫いていた。通訳はスーパーマンでもなんでもないのである。いきなり言われてアネクドートや聞いたことのない技術や新説珍説の同時通訳ができるはずがない。できたとしたら単にまぐれかラッキーである。ロシア語の修行はただたんに地道な努力の積み重ねにすぎないのである。

設問)「転んだのですか、それともぶつけたのですか?」をロシア語にせよ。

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2012年01月29日

●和文解釈入門 第254回

軸にはосьとвалがあるが、осьは車輪が保持される軸、ないしは座標軸координатная ось, ось координат、対称軸ось симметрииや重心центр тяжестиが通るような想像上の直線のことをいい、валはベアリング(軸受)подшипникなどの中にあって動きを伝える軸、つまりシャフトである。普通の日本人の知らない言葉に中実軸(ちゅうじつじく)というのがある。これは中空ではない軸ということでсплошной валといい、中空軸はполый валとなる。またсплошной контрольというのは全数検査という意味で、抜き取り検査はвыборочный контрольとなる。過失はпроступокが普通だが、ちょっとした過失ならпровинностьを用いる。грехи, прегрешения(共に複数形が普通)は現代語では皮肉や冗談っぽく用いられる。

 寿命は人の場合продолжительность жизниだが、機械ならресурс (моторесурс), срок службыといい、前者は修理するまでの時間(何時間количество отработанных часов)や回転数で表し、後者は~年とするのが普通である。また工具やベアリングではдолговечность(工具ではстойкость инструментаともいう)を使う。中性子などの寿命はвремя жизниで、バッテリーはАккумуляторная батарея рассчитана на 10-часовой разряд.(バッテリーの放電時間は10時間と計算〔バッテリーの寿命は10時間と計算〕)などという。バネはコイルばねがпружинаで板ばねはрессораと書いたことがあるが、厳密に言えば、板ばねには単板ばねплоская пружина (пластинчатая пружина изгиба) と重ね板ばね рессора (пластинчатая многослойная пружина изгиба) があり、自動車ではコイルばねと共に使われるのは後者である。
遺跡にはостаткиとстоянкаがあるが、後者は原始人の住居跡である。「生の」は魚ならсырая рыба(生の魚)となるが、野菜ならсвежая капуста(生のキャベツ)となる。行動はдействиеだが、抗議行動、示威行動はвыступленияと複数になる。картофельное пюреはマッシュポテトと訳してよいが、ポテトピューレではないような気がする。片栗粉をкрахмал, картофельная мукаと訳してよいかというと、市販の片栗粉はほとんどがジャガイモの澱粉なので問題ない。

設問)「誰から聞いたとは言わないからさ、知りたいんだ」をロシア語にせよ。

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2012年01月30日

●和文解釈入門 第255回

大昔受けたガイド試験で一番いやだったのはロシア語作文である。もっとも大学で故岡本正巳先生(元高崎経済大学学長)のロシア語作文という講義を2年受けていたので、他の受験者に比べれば楽だったろうと思う。先生の授業では朝日新聞の天声人語を学生に一人2~3行露訳させるのである。無論正答はほとんどないが、学生の回答を基に先生が正解を講義してくれたわけである。このような授業の進め方は和文露訳の授業が確立していなかった当時(今それが確立しているのかどうか知らないが)やむを得なかったとはいえ、系統的と呼べるものではなかった。まあ行き当たりばったりと言ってもよい。当然予習していたと思うが、時事ロシア語なのにすらすらと先生が正解を黒板に書いていくのには毎度驚かされたものだった。しかし、ロシア語作文やロシア語会話の度胸はつくかもしれないが、あのようなやり方ではロシア語はうまくはならないだろうと思う。ロシア語の何を学習させるかに焦点があっていないというか、焦点自体がないのだからどうしようもない。

 40年ロシア語をやってきて、単語や表現を暗記しなければならないのは事実だが、それは枝葉に過ぎないと思う。それを目標に置くのであればきりがない。また英語式にSVOというように、主語 + 述語 + 目的語というふうに文を分析的に勉強させるというのを体系的と考えるかもしれないが、そういう文例は露文解釈の段階でたくさん学ぶのである。ロシア語と日本語は言語としてかけ離れているが、それでも主語、目的語、他動詞などはあてはめることができる。このように日本語でも理解できることに時間を費やすのは、それこそ時間の無断である。

 ロシア人と多く会話すれば、必ずしも劇的にロシア語がよくなるというわけでもない。単なる錯覚である。インプットがなくてアウトプットだけでは会話慣れするだけで、挨拶言葉から先に進めない。会話している気がするだけで、話しているのはロシア人だけで、聞く方はフンフンとうなずいている割には言っていることがよく分かっていないということになりかねない。語彙だけ覚えても、たんにロシア人と会話してもロシア語がうまくなるわけではないし、それだけでロシア語がうまくなる魔法のようなものはないが、そういう枝葉より幹である。つまり日本人がロシア語をやる上で文法的に最も理解しにくいものを先にマスターすればよい。そうすれば後は機械的に語彙を覚えればよい。私はそれを体の用法と考えた。これをマスターすれば、ロシア語の発想がロシア人の話すロシア語に近くなるし、話すロシア語はロシア人からもそれほど違和感をもたれなくなるはずだ。これまで文法的になぜそうなるか素人考えでは理解できず、文を丸ごと無理やり暗記してきたが、それを何万と続けるわけにはいかないだろう。40年ぐらいやればひょっとしたら可能かもしれないが、何十万とは言わないまでも辞書にある十万かそこらの語彙を暗記しないと満足できないということになりはしないか。それと覚えた例文以外は怖くて使えないという事にもなりかねない。ロシアを勉強するのは個人だから私の勉強法を押し付けるつもりもないし、押しつけること自体不可能である。少しでもよいと思えば、その少しを試して見るのも悪くないかもしれない。

設問)「その湖は植物相や動物相の多様性において類をみない」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 07:27 | Comments [3]

2012年01月31日

●和文解釈入門 第256回

モルタルというのはセメントと砂とを水で練ったもので、レンガ積みのつなぎ(目地шов)、壁・天井・床に使うのだが、ロシア語では(строительный, цементный) растворという。ただрастворというのはふつう溶液ということで液体である。一度モルタルを塗った壁の説明をしていた時に、ロシア人の女性からさとうさんの通訳はおかしい。これがрастворのはずがない。なぜなら乾いているからと言われてギャフンとなった。無論そのロシア人の言う事が間違いだが、そういう発想ができなかった自分にも驚いた。растворと聞けば、壁ならモルタル、化学分野なら溶液と条件反射のように訳が口をついて出てくる。語彙というのは自動翻訳機のようにロシア語から日本語、日本語からロシア語が瞬間的に出るようにこの40年訓練してきたが、それではロボット志願ではないか。いずれ自動翻訳機もできてくるだろうから、機械と張り合っても勝てる道理がない。ロシア語も挨拶や技術などの専門語彙のように、訳が決まっているものだけを覚えるのではなく、ロシア語やロシア人の本質に目を向けるというか、そういう勉強をしたいものだと思う。私はそれが体の用法だと思うし、不完了体が自然体を表すというのも、ロシア人の本質に関わるのではないかという気がする。

 モルタルについていえば、ソルジェニーツィンの収容所列島にНосили раствор на 4-й этаж носилками.(モルタルを4階にもっこで運んでいた)という表現を見つけたのはつい最近のことである。

設問)「彼が来ないとも限らない」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 07:21 | Comments [4]