2012年01月15日

●和文解釈入門 第240回

私も仕事としてロシアの駐在員候補生にロシア語を教えることもある。一からのときもあるし、半年ほどロシアの語学学校で勉強した後の人がブラッシュアップの目的で来るときもある。私のやり方が他の先生方と違うと思うのは、その企業の会社案内を取り寄せ、直接その駐在員候補の人にロシアでの仕事の内容を聞き、それに沿って、電話の会話から、面談、はてはクレーム処理に使うロシア語を、会話を中心に徹底的に教えるというものである。

 今年は駐在員候補だけでなく、仕事でロシア語を覚えない人やロシア人と会話したいという人向けに、一からロシア語を始めて会話で自分の言いたい事を言えるレベルにする方法を中心に教えたいと思っている。一から始めても私のやり方でまじめに1日2~3時間ロシア語漬けでやるなら1年から1年半できるようになるし、それ自体は大したことではない。2,3時間というと、とてもとてもという方も多いと思うが、私の言う2~3時間というのは、通勤通学の時間と昼休みの時間も入れてである。ただ30分ぐらいは机の上での勉強は例文をチェックする意味で必要である。これなら特に時間のやりくりをしないでもできるはずだ。

 初心者で難しいのはその人にあった学習計画を立てることと、それに合った例文を集めることである。立場や境遇、考えと人それぞれだから、学習方法もいろいろである。私なら個人の性格に合わせて、学習計画と例文をそろえることができるし、文法的な説明もする。無論ただではできないから、一番いいのは会社の人事部とか総務を説得して会社の金で私を雇うか、グループで雇うということになる。ご予算に応じてそれは可能である。勉強は基本的にメールでのやりとりで、週1回か2回のスクーリングというのが現実的であろう。

 実戦レベルになるのでもかかるのは2年から3年といったところだろう。私が言う実戦レベルというのは、会社の仕事上で鉄鋼、機械、プラント、観光、医療、漁業など狭い分野一つぐらいなら通訳可能になるという意味である。技術通訳もプロならいろいろの職種の用語を覚えなければならないし、しかも一つの業種で深く広く覚えなければならないからからそう簡単ではないが、一つの会社専属での通訳、ないしは営業で使うロシア語というのはいわゆる私の言う実戦レベルであって、一から始めてもやる気と適切な語学指導があれば2~3年でできるようになる。

 会話の勉強というとロシア人の先生をと素人は考える。自分の売りを書いて見よう。

1. 私も一からロシア語を始めてロシア語が話せるようになり、商社で営業も経験し、駐在経験もモスクワなど12年あるし、今は技術通訳と観光ガイドをしている。たまに駐在員候補生にビジネスロシア語を教えることもある。つまりどうやったらロシア語を話せるようになるか熟知しているという事になるし、ロシア語会話をマスターした経験者でもある。ロシア人は私たちの日本語同様、自然にロシア語を覚えたのであって、どうやったら成人の日本人がロシア語を一から話せるようになるのかその方法を彼らは知らない。
2. 語学をマスターするには、初級文法を覚えながら、自分が必要とするよい例文を短期間に大量に覚えるのに限る。例文をある程度覚えないとそれ以降の文法(体の用法など)が頭に入らない。私には会話集、熟語集、ビジネスロシア語、観光ロシア語など12冊の著書もあるし、自分の和露語彙集は8万2千項目を超え、良い例文に事欠かない。その一端はこのコーナーでも紹介しているから確認することができる。
3. ロシアの風習やロシア語に関する疑問を日本語で納得いくまで説明ができる。
4. その企業の会社案内や個人の要望に沿って、これまでのロシアビジネスでの経験を活かして例文をアレンジし、カスタムメイドで即戦力のロシア語の人材を育てることが可能である。

 ご希望の方は私のサイトLAMPOPO(ランポポー)の「メール」から連絡可能である。

 そうはいってもロシア語学習に向かない人というのはいる。せめて1年半ぐらいでも毎日2~3時間のロシア語の勉強が続けられない人だ。今回の話はそれ以外の人向けである。

 ロシア人の先生が必要になるのは、自分が曲がりなりにも話せるようになって、そのロシア語がどの程度通じるかチェックしたいときである。

設問)「トマス・ムーアの「夕べの鐘」(という詩)は何度も曲がつけられた」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2012年01月15日 08:12
コメント

Неоднократно
перекладывали стихи
Томас Муа с названием
"Вечерний звон" на
музыку.
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繰り返しですから不完了体を使ったというのは理解できます。私の答えは、Вечерний звон Томаса Мура неоднократно было положено на музыку.
 過去時制なら繰り返しの意味では被動形過去短語尾も使える。ただこれは完了体の動作の一括化と同じ考えであり、アオリストの用法であろう。пере-という接頭辞を持つ完了体動詞には動作の一括化という用法があることは第233回の表の過去時制のところで触れた。この用法を使って現在時制で(ホテルは重ねて改装した)Отель повтороно реставрирован.と言えなくもないが、結果の現存と繰り返しの概念の衝突という事もあって、二度ぐらいならともかく(それも連続してというニュアンスで)、ふつうは使わないだろう。不完了体を使って過去の繰り返しとすれば、動作の名指しであり、動作の確認の有無だけだから、今回の出題にはないが、年号は入れられない。それぞれの動作が明確なある時点で行われたという事が少しでも意識にあれば、不完了体過去形は使うべきではないと思う。

 夕べの鐘はВечерний звон! Вечерний звон!(夕べの鐘よ、夕べの鐘)、Как много дум наводит он!(数多〔あまた〕の思い胸を打つ)という歌詞で、このなじみの多い曲はロシア民謡ではなく、И.И. Козлов(1779~1840)が英国の詩人Thomas Moor(1779 ~1852)の詩Those evening bellsを訳したものであり、少なくとも4つ曲がある。「曲をつける」はпереложить стихи на музыку(詞に曲をつける)、написать песню на стихи(詩に歌を作る)、написать к стихам музыку(詩に曲をつける、詩のために曲を作る)というのも可能である。

Posted by カレヤンカ at 2012年01月15日 08:44

На стихи Тамаса Мура "Вечерний звон" писали мелодии много раз.
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完了体の過去の用法「創作者としての資格」というのを第233回の過去のところに書いておきました。こういうのを頭に置くと、不完了体というのは使いにくいということになります。また悪いということではありませんが、何度もの間が相互に非常に間があいているというニュアンスです。

Posted by メイ at 2012年01月15日 21:30

Стихотворение Томаса Мура "Вечерние колокола" было положено на музыку не раз.
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これはすごい。正解です。стихотворениеというのは短詩ですから、今回はいいのですが、歌詞という場合はстихиがよく使われるようです。それとвечерние колоколаにすると「鐘の音ではなく鐘そのもの」というふうになります。イメージがはっきり分かっていれば、これはこれでよいと思います。

Posted by Ml at 2012年01月16日 01:27

トマス・ムーアの「夕べの鐘」(という詩)は何度も曲がつけられた
Музыки написаны не раз на (стихотворение) "Вечерний звон" Томаса Мура.

・人名と作品名
こうした確認にはウィキペディアが便利ですよ~
http://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%92%D0%B5%D1%87%D0%B5%D1%80%D0%BD%D0%B8%D0%B9_%D0%B7%D0%B2%D0%BE%D0%BD
・「音楽」は単数か複数か
「何度も曲がつけられた」とあるので複数が適すると考えます。
ロシアでこの詩に曲がつけられた、という文であれば
音楽がついた事実を重視して単数というのもありうるかと思われます。
・動詞の選択
ウィキペディアの文を参考にしました:
Музыка на русский текст Козлова была написана А. А. Алябьевым...
(上記リンクより)
「何度も曲がつけられた」という事実が現在まで残っていると考え
被動形動詞過去の短語尾を使いました。
・「トーマス・ムーアの」
こういう場合は生格が良いのか
造格で「…の手になる」という含みを持たせた方が適切なのか迷います。
これまたウィキペディアを見て生格にしてみましたが、
なぜそうなるかの裏までは取れておりません。
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非常に分析的で、これは私にとっても、ご本人にとっても、そのほかのコメントだけ見る方にもどこがっポイントなのか明確になって非常に結構なことです。
1) музыкаは単数です。複数になるとしたら口語で「オーケストラ、楽器」という意味だけでしょう。作曲するという意味ではположить на музыкуと単数以外使いません。
2) 動詞の選択はその通りなのですが、現在時制にすると繰り返しと、結果の現存がうまくマッチしません。ここはアオリストにして作曲したという事実を述べるという用法しかないと思います。設問で例えば4つの曲が100年前、60年前、40年前、20年前に作られたとして、一つの曲ずつ考えると、60年前の時点では100年前の曲は結果の現存と言えるが、40年前の時点では60年前の曲は結果の現存であるが、100年前のは一昔前のものとなる。結果の現存がその時点で切れてしまうことになる。そうなると動作の一括化として考えるほかはないと思う。
3) 所有ということで生格でよいと思います。造格にするのは手段や受身の実質上の動作の主体を示す時(普通は動詞が必要)で、それらが明確でないときは生格で主体を示すこともできます。

Posted by コーシカ at 2012年01月16日 01:41
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