2012年11月30日

●和文解釈入門 第560回

小説などで、「これはどういうことだ?」という文があって、その後に、「ははーん、分かったぞ(なるほどね)」という独り言が続くときは、二つ目の文にはロシア語で、Понимаю!となるが、随分不思議だと思っていた。Понял!というなら、結果の現存だから、その場で理解したという事だからまだ分かる。不完了体のпониматьには「分かっている」という状態の動詞の意味があるが、前から分かっているなら、「これはどういうことだ?」と自問自答すること自体が非論理的である。そこで、これは相転移動詞(誤伝の動詞改め)的な用法だと思う。Понял!と完了体過去形の結果の現存の用法を使うと、その場で理由を知ったということになり、「俺としたことが、そんなことはとっくに分かっていたはずだ」というニュアンスが出ない。それで、「これはどういうことだ?」と考えてから、理解したが、その動作は終わっている、しかしたった今終了したのではないというニュアンスを伝えたいということではなかろうか?その証拠に、Вот это я понимаю!という慣用句は、誉めたり、感嘆したりする時に用い、「これこれ、これだよ!」という感じで、例えば、生まれて初めて海を見たときに、それが想像をはるかに超えていたというときなどに使うが、状態の意味ではないことは明らかだ。一つの体のペアの動詞にも、文脈によりいろいろな用法があるわけで、児童文学やアネクドートなどは文脈も分かりやすいので、そういう辞書に載っていないような用法を知る上で、また日常生活で使う和文露訳の語彙を知る上で非常に役に立つと思う。

設問)「私の犬は虫も殺さないの」をロシア語にせよ。

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2012年11月29日

●和文解釈入門 第559回

技術通訳をしていると、技術者がロシア語を覚えた方が、技術者が技術用語にも通じているので、通訳自体がうまくゆくという事を主張する人が結構いる。一見正しいようだが、大きな勘違いがいくつかある。技術といっても、鉄鋼と化学プラントでは使う用語も違うし、鉄鋼と言ってもプラント用、自動車用、造船用では使う鋼が違う。このように現代では技術自体が非常に細分化されている。例えば、「サワー環境の井戸でSSCCが起これば」という文を露訳することになったとしたら、素人のみならず、技術者と言っても、油井管の専門家でない限りチンプンカンプンだろう。通訳するときにプロの通訳が気にかけているのは、サワー環境とかSSCCという語彙ではない。こういうのは事前に調べるか、通訳を依頼するメーカーに予め尋ねておくのは当然のことだ。聞かない限り、この忙しい世の中、メーカーの方から教えてくれる場合はほとんどない。サワー環境сероводородсодержащая средаというのは硫化水素の含むガス井か油井скважинаで、有毒だし、浸食性も高い。それ以外の環境はスイートということになる。SSCCというのは硫化水素応力腐食割れсероводородное коррозионное растрескивание под напряжением (СКРН)のことである。通訳する上で問題なのは、そういう技術的な語彙ではなく、起こるのが、具体的に1回なのか、繰り返しの話なのか、つまりどの体を使うべきか、単数か複数か、主語はどうするのかを瞬時に判断しなければならないということである。技術通訳では主語はяではなく、мыとвыにするか、できるだけ不定人称文にして、主語を出さないような工夫をする。技術通訳でも医療通訳でも単語を並べれば通訳が済むと言うわけではない。正しい通訳をするためには、体の使い分け、時制や法(命令法や不定法)をよく理解していないとできないのである。一人前の技術者になるのには何年もかかる。同様に一人前の通訳になるのにも何年もかかるわけで、技術者と通訳では職種が違うと言う事を忘れているのだ。一人前の通訳が何年も必死に努力してロシア語をマスターしたというなら、確かにそういう人の技術ロシア語には見るべきものがあるが、技術の分野も広いから一人でマスターすることは不可能である。高専や理系の大学、ロシアで理系の大学を卒業して通訳をしている人は知っているが、一流の技術者出身で一流の技術通訳というのは知らない。世の中それほど甘くはない。

 医療通訳でも、今は素人の、医学について知識のない通訳が医療通訳をしているが、これは人の命に関わることであり、医師や看護師などの医療従事者にロシア語を勉強してもらうべきだと考える人もいる。そうであれば通訳も随分なめられたものだ。医者や看護師になるためには国家試験に合格しなければならず、何年も勉強し、そこから実際に病院で実習して一人前になるのであろう。それでは通訳は1年か2年片手間に勉強して、プロの通訳として通用するものなのだろうか?プロの通訳は何年も勉強して、しかも金銭的に報われる仕事ではないのにその勉強を続けている人が多い。医者や看護婦は患者の治療が仕事であり、医療通訳はロシア人の患者と日本人の医師や看護師との意思疎通が仕事である。これをはきちがえてはいけない。医療関係の語彙を覚えて、単語を並べるだけで通訳ができると考える方がおかしい。患者の命にかかわるなら、それこそ医学の用語をよく知っているプロの通訳に通訳を依頼すべきだと思う。

 医者だって外科と内科では内容が随分違うというのは素人でも分かる。医療通訳をするのであれば、医者や看護師がロシア語を覚えるよりも、政治経済や文化系のプロの通訳やガイドが医療用語を覚えた方が通訳自体の質は高い。これは技術通訳の例と同じである。医療用語でも、英露の語彙集はネットでも手に入るし、和英も同様である。アメーバ性髄膜脳炎амёбный менингоэнцефалитという言葉があるが、脳の炎症(あるいは病名)だと分かるだけで、内容を深く知らなくとも通訳はできる。医療関係の病名は英語とロシア語が非常に似ているから、コツを覚えれば簡単で、多分amoebic meningoencephalitisとでもなるのだろう。逆もまた然りである。ただこういう難しい病名はともかく、日常的な病名などは英語とはまるっきり違うので、一から覚える必要がある。

 医療通訳で一番多いのは、健康診断や検査の通訳であり、複雑な脳手術に関してその場で医師と通訳する機会はあまりないであろう。こういうのはセミナーで扱うもので、セミナーなら前以て用語を調べる時間はあるのが普通だ。医療通訳を目指す人は、まず日常の通訳ができること、100%相手のロシア語が聞きとれて、体の使い分け(時には間違うにしろ)、時制や法が完全に理解できていることが前提であり、その後、健康診断や検査の語彙を自分で調べれば、基本は大丈夫と言える。ロシア語が中途半端な医療従事者に通訳してもらう方がよっぽど患者の命にかかわると思う。

 需要があるなら「医療ロシア語」という参考書を書いてもいい。資料はこの40年集めたものがあるし、その一部はこのコーナーでも紹介している。初級から医療ロシア語中心に勉強したいという希望者がいれば、病院の受付、検査の語彙を中心に初級用の授業を設定することも可能である。その場合はメールにて連絡願う。有料だけど。

設問)「患者は片頭痛(の症状)に悩んでいる(片頭痛の症状を訴えている)」をロシア語にせよ。

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2012年11月28日

●和文解釈入門 第558回

児童文学を読んでいるとよいのは、若者向けの週刊誌などと違って、新語、俗語、隠語や流行り言葉を使っておらず、編集者が吟味した正しいロシア語で表現されているということで、我々のようなロシア語の学習者も安心して読める。また会話表現に使えるものが多いと思われ、私のようなロシア語の会話用語彙収集家にとってはありがたい存在である。それでも、最近次のような表現を目にした。

Вот будет рассказов в Айове!(アイオワで話をするには十分なくらいだ)

なぜрассказовと複数生格になるのだろう?ミスタイプか?児童文学でもミスタイプはあるが、その数は一般の読みものよりも少ないような気がする。それはページの量が少ないものが多いのと、編集者も未来の世代のためだから、より一層校正に力を入れ、なおざりにはしないという事からかもしれない。考えた末、このбудетは、「もう十分だ、そのくらいにしとけ」というようなдостаточно, довольноの意味で用いられているのではないかという事である。それなら複数生格が来てもおかしくない。それが今のところの私の解釈である。

設問)「この点については、彼にはやりがいのある任務のように思われた」をロシア語にせよ。

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2012年11月27日

●和文解釈入門 第557回

短文をできるだけ多く丸暗記して、その中から体の用法を見極めようとすれば、それは帰納的な学習方法であるが、言うは易く行うは難しである。覚える短文の量も、いろいろな状況のものを何千ぐらいも覚える必要があるだろう。そうなると、十年も二十年もかかるような気がする。それよりも体の使い分けをよく文法的に理解し、演繹的に勉強した方が、自分が知らないような体の使い方に出遭っても、応用力という面から考えて対応できる可能性が高い。和文露訳入門を使っての体の用法だけの学習期間なら、半年か1年くらいだろうし、その中で例文を暗記すれば一石二鳥である。演繹的な方法でも短文の暗記は必要だが、丸暗記ではなく、理屈を理解して上でのことだから、大人になってからでも記憶に定着する確率は高いと思う。

設問)「タバコをくわえた女の子なんか見られたものじゃない」をロシア語にせよ。

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2012年11月26日

●和文解釈入門 第556回

「ひょっとして、そこには住んでいる人がいないのですか?」という文には、Может быть, там никто не живёт?と訳すのが普通だろう。никтоを使うから動詞は単数になるが、使わなければ、Может быть, там не живут?と3人称複数形が出てくる。これなども、あるかどうか、いるかどうか分からないものには複数が出てくるという例であろう。

設問)「僕は太りやすい体質だ」をロシア語にせよ。

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2012年11月24日

●和文解釈入門 第555回

(249) 「犬が星見た」、武田百合子(1925~1993)、中公文庫、1982年
1969年に夫で作家の武田泰淳(1912~76)、友人の中国文学者竹内好(1910~77)とともに、行きはナホトカまで船で、その後飛行機で、イルクーツク、ハバロフスク、ノヴォシビールスク、アルマ・アタ、タシケント、サマルカンド、ブハラ、再度タシケント、レニングラード、モスクワ、ストックホルム、コペンハーゲンを回り帰国した。夫婦の最初の海外旅行である。きどりや衒いのない文体だが、時折少女のようなおずおずとした、それでいて生のままの印象が語られる。一緒に旅した夫や竹内好、80過ぎの銭高老人などの横顔についてもよく描かれ、著者の温かい人柄がしのばれる。片言のロシア語も旅先で臆することなく使っている。帰りの飛行機で竹内がポルノ持ちこみをしり込みしたときも、代わりに著者がカバンに入れて日本まで持って帰るというなど、男どもよりよほど度胸がある。毎度の食事についても細かく記述し、ビールらしきもの、色だけビールで味は違うとか、「女子トイレで、立ったまま用を足している人もいる。太り過ぎてしゃがめないのかもしれない。その勢いのよさ。めいめいの湯気が立ち上っている。扉も衝立もない」とあるのは書いた方もすごい。私がソ連を初めて訪れたのは1979年だから、ナホトカまでの船旅も知らないし、トビリシなどは行ったことはない。自分の全く知らない40年以上の前のソ連にタイムスリップしたようでとても楽しい。表題は夫の泰淳が「百合子はイヌだよ。どこへ行っても、臆面もなく、ワン、なんていっているんだ。何も分からんくせにな」と言ったことから取ったものらしい。今までいろいろな人が書いたロシアやソ連見聞記を読んだが、私が思うにはこれがベストである。

 「モスクワ特派員報告」(今井博、岩波新書、1985年)はこの後の1978年から1983年までモスクワに毎日新聞社の特派員として駐在した経験を物語っていて、私が駐在する直前のモスクワのことなので、なおさら興味深い。元秘書の母マリヤ・ポポーワМария Поповаがチャパーエフ第25師団最後の生き残りで機関銃手アーンカАнка пулеметчицаのモデルだったとは知らなかった。

設問)「痛くなったらこの薬を飲んでください」をロシア語にせよ。

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●和文解釈入門 第554回

(248) 「モスクワの顔」、芹川嘉久子、中公文庫、1979年
 1969年初出。1965~68年までモスクワの出版社プログレスで働いた芹川嘉久子(1924~)のモスクワ生活エッセー。文章が非常によい。この頃冷凍イカや缶詰の昆布のトマト煮が出回りだし、イカкальмарという言葉はそれまで知られていなかったことが分かる。女性らしい視線から、トーポリ(ポプラ)の綿毛は皮膚にアレルギー症状を起こしたり、呼吸器に害を与えるとか、葬式の様子、薄い紫色の染髪剤ヘンナхна(著者はロシア語のフナと表記している)とか、ブロンドの娘は黒い眉を幸福の申し子として珍重するとか、亜麻色(著者は銀色に似たと表現しているが、ロシア女性に多い髪の色)の髪が最も好まれる、ソビエトでは女のズボン姿が極端に嫌われるとか、3倍ウハーтройная ухаという小さい魚を選んで大鍋のたぎった湯に放り込み、しばらく煮てから魚をすくいだし、今度は忠暗いのを入れて、これも知るに味が出たところで捨ててしまい、最後にとっておきの大きな魚をぶつ切りにしてスープで煮るという、三平汁のようなスープなど興味深い。革命50周年記念日の1967年11月をめどにソ連でも週5日労働制が導入され、デパートや商店が日曜休日となり、それまでは土曜の勤務は午後3時までというのは知らなかった。

 ドルの店(ベリョースカ)が赴任の半年前にオープンしたとか、訪問乞食(ジプシーらしい)という話も興味深い。ロシア人の迷信深さにも触れ、床に誤ってフォークを落とすと男の客が、スプーンだと女の客が来るとか、空のバケツを持った女と出会うとの縁起が悪いとか、ハンカチのプレゼントは喜ばれず、お返しに硬貨を渡すとか知らなかった。マーヤМайяは革命後にできた名前(5月の女性形)であるというのもそうだ。ロシア人に聞くと一番いい時代というのは1970年前後だと言う人が多い。ソ連人がまだ誇りをもって生活していた時代のモスクワを活写している。この時代のサナトリウムを体験したかった。本書に出て来るソビエトグラフのカワゴエさんは本稿でも紹介した川越史朗さんであろう。これよりちょっと前のフルシチョフ時代については、1961年に訪ソした大宅壮一(1900~70)の「ソ連の裏街道をゆく」と「この目で見たソ連」(ともに大宅壮一全集第21巻所載、蒼洋社、1981年)がバランスのとれた偏りない目で見たソ連を活写している。ヤルタでジャズシンガーのウチョーソフУтёсовの公演を見て、アメリカ仕立てのジャズにコミカルな要素を入れていると誉めている。生でウチョーソフ見たのはうらやましい限りだ。

設問)「火事だ、みんな起きろ」をロシア語にせよ。

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2012年11月23日

●和文解釈入門 第553回

(247) 「回想 音楽の都 私のモスクワ」、小野光子、朔北社、2011年
 1956年から1960年までモスクワ音楽院にソプラノとして留学、1965年から69年まで60回のソ連演奏旅行をした音楽家の自伝。当時のソ連音楽界の様子や、特にリヒテル夫妻との暖かい交遊関係は貴重な証言でもある。チャイコフスキーコンクールの審査委員もなさったので、その実際の採点法など興味深い。

設問)「呼ぶまで来るな」をロシア語にせよ。

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2012年11月22日

●和文解釈入門 第552回

和文露訳入門には入れてないが、3人称の命令法というのがあるので、ここに紹介しておく。これは御存じの方も多いだろうが、和文露訳ではなかなか使えないというのが私の実感である。
5-3 3人称に対する命令法

 一人称複数における命令法「~しましょう」は、一人称複数形の不完了体未来形や完了体未来形、бытьの未来形、ないしはдавай (те) + 完了体未来形一人称複数(ないしは不完了体不定形)で示す。

(利くといいが)Будем надеяться, что подействует.
(この話はなかったことに)Давайте считать, что такого разговора не было. <Считайте, что такого разговора не было. としても同義>
(こういう話はこのぐらいにしておきましょう)Давайте оставим разговор на эту тему.

 二人称を経由した3人称への命令形、ないしは、二人称を経由しない3人称に対する命令法にはпусть (пускайは俗語表現)を用い、大きく分けて指示(命令)、放任(許可)、願望(希望・期待)の3つの用法がある。пусть (пускай) + 不完了体動詞現在形(完了体動詞未来形、быть動詞の未来形)という構文で、この構文が今すぐこうあればよいという願い、未来における実現を示すという意味で、不完了体未来形はあまり見ない。
2人称を経由した3人称の命令形というのは、例えば、
(彼に来てもらえ)Пусть он придёт.ということで、これはСкажите, чтобы он пришёл.とほぼ同義である。

(ここでは全ての鳥や獣が人語を話すという事にしよう)Пусть здесь раговаривают по-человечески все звери и птицы! <指示・命令>
(読者には笑いをこらえていただこう)Пусть читатель удержит улыбку.
<指示・命令> 
(この国は魔法の国となれ)Пусть эта страна будет волшебной. <指示・命令>
(〔みんなが〕頭を絞れば、打開策は見つかるものだ)Пусть голову ломают, выход находят <放任・許可>.
(なるようになれ)Пусть будет, что будет. <放任・許可>
(これがお前にとっていい薬〔教訓〕になればいいが)Пусть это послужит тебе уроком. <希望・期待・願望>
(いいことがありますように)Пусть вам сопутствует удача. (= Чтобы удача была!) <希望・期待・願望>
(朝まで勝利を祝う口実ができますように)Пусть будет повод отмечать победу до утра!

希望、期待、願望については文語でдаも用いられる。

(どうかこの杯(十字架の上での死)が私の上を過ぎていきますように)Да минует меня чаша сия. (= Пусть не коснётся меня это горе, несчастье.)
<イエスの言葉>

設問)「もしもし、ボリーソフですが。六本木の角から電話しています。もう30分ぐらい御社を探しているのですが、どうしても見つけられません」をロシア語にせよ。

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2012年11月21日

●和文解釈入門 第551回

都内観光というと、浅草の仲道通りにロシア人を連れていくことが多いが、ヒョウタンを見てあれは何だとよく聞かれる。正しくはгорлянкаだが、まず通じない。ロシアにもひょうたん型のものはあって、カボチャなどはそうである。同じウリ科なので、最近грушевидная тыкваと言うことにしている。そう言うとすぐ分かってくれる。子供向けの冒険檀などでは、この洋ナシ型のカボチャの中をくりぬいて、乾燥させ、水筒代わりにしたという描写もあるから、まんざら嘘でもないだろう。水筒はфляжка для водыと言う。

設問)「心臓のあたりに痛みはありますか?」をロシア語にせよ。

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2012年11月20日

●和文解釈入門 第550回

ひっつき虫というのは動物にくっついて移動する植物の種などを指すが、ロシアではрепейが代表であろう。これはゴボウрепейник (лопух)の実である。こういう単語でも日本人とロシア人では受けるイメージはだいぶ違う。1960年代の終わりとか70年代の初めに日本のモスクワ駐在員の奥様方はノヴォジェーヴィーチーНоводевичий修道院の前で雑草を取っていたという事が噂になったことがあるらしい。ゴボウを取っていたのである。日本で売っているのと違い雑草だから、アクが強く、細いので、料理用に集めるのが大変だったという。日本人は雑草まで食べるのかとロシア人は思ったらしい。лопухには間抜けという意味もあるので、いずれにしろマイナスイメージの言葉ではある。

設問)「後はご想像にお任せします」をロシア語にせよ。

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2012年11月19日

●和文解釈入門 第549回

和文露訳をする上で、難しいと思うのは、不完了体未来形の結果の有無の確認、完了体過去形のアオリスト的用法、不完了体命令法の着手の用法、不完了体現在形の伝達型動詞群の4つであり、それ以外は人によって違うかもしれないが、それほど理解が難しいとは思えない。この4つが会得できれば、あとは自分の必要に従って、語彙をできるだけ多く覚えることになる。その中でも不完了体未来形と完了体未来形の使い分けが意識的にできるようになれば、体の用法の奥義に触れたと言える。

設問)「手術は全身麻酔でしたか、それとも局部麻酔でしたか?」をロシア語にせよ。

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2012年11月18日

●和文解釈入門 第548回

(246) 「二ッポン日記」、マーク・ゲイン、井本威夫訳、筑摩叢書、1963年
1945年から46年のほぼ1年間、47年および48年に短期間滞在し、アメリカ占領下の日本について書かれた得難いルポ。著者はロシア系のアメリカ人で本名ギンズブルグ、ユダヤ人か?クリスチャンの賀川豊彦の戦争協力とか、ロシア特派員の会話、憲法中の戦争放棄、主権在民、貴族の廃止がマッカーサー側の草稿である、つまり現行憲法がアメリカ側の押しつけであるという指摘など非常に興味深い。

設問)「彼女はどのくらい自己記録を更新しましたか?」をロシア語にせよ。

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2012年11月17日

●和文解釈入門 第547回

(245) 「森繁自伝」、森繁久彌、中央公論社、1962年
 俳優森繁久彌(1913~2009)の自伝。満州でソ連兵の暴行を目の当たりにし、7年暮らした満州の新京(長春)からNHKのアナウンサーとして一家で引き揚げ、その後日本での生活について述べている。ちなみに中共正規軍は軍紀厳正だったとある。雑談の大家であるが、本書以外の「あの日あの夜」(中日新聞社、1986年)や「ふと目の前に」(道草文庫、1997年)でも、悪ぶることで自分をよく見せようという底意が見え見えのところも多い。満州時代の苦難については藤山寛美(1929~90)も自伝「あほかいな」(日本図書センター、1999年、1976年初出)で述べている。喜劇人の自伝としては「いとしこいし想い出がたり」(喜味こいし〔1927~2011〕、戸田学〔聞き手〕、岩波書店、2008年)も面白い。

設問)「すき間風が入らないように気をつけて下さい」をロシア語にせよ。

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2012年11月16日

●和文解釈入門 第546回

(243) 「狂言役者 – ひねくれ半代記」、茂山千之丞、岩波新書、1987年
平明な語り口で、狂言師の日常を教えてくれる。能・狂言師は江戸時代は士分だったとは知らなかった。そのため身分も保証されたが、民衆の生活とのつながりを失って行ったということなのだろう。狂言が中世の演劇であるという事がよくわかる。ちょっと昔は能を見る人の90%は謡の勉強をする人だったというのは興味深い指摘である。

(244) *「東京に暮らす(1928~36)」、キャサリン・サンソム、大久保美春訳、岩波文庫、1994年
関東大震災の後にはソ連の作家ピリニャークも訪日して、日本印象記などを残しているが、やはり旅人としての感想であり、日本人に対する観察にしても底が浅いと言わざるを得ない。しかし、本書は英国人女性が外交官夫人として国家主義が台頭する戦前の日本人について、本の知識だけではなく、実体験に基づく女性らしい細やかな観察眼と、日本人に対する好意的な国際化する前の日本人論になっている。英国人との比較もあり興味深い。「日本の家は和を目指す」とか「友達を家に連れてくることはない。家はくつろぎの場だから」だとか言われてみればと思われる指摘が多い。「バタくさい」の語源を本書で知った。本書に「当時洋食を口にしない多くの日本人は、油やバターの臭いを嫌います。臭いが強い西洋人の事を「バタ臭い」という表現は昔からあります」、「バタ臭いというのはその人が外国人であるという意味です」とある。風呂の入り方などもふくめ、著者が日本語に堪能なことが本書に深みを与えている。特にお辞儀についての考察など興味深い。モスクワにも滞在したことが触れてあるのは我々にとってうれしいかぎりである。ガイドの必読書。訳者の大久保美春さんの日本語もとても美しい。

設問)「生きがいは何ですか?」をロシア語にせよ。

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2012年11月15日

●和文解釈入門 第545回

(242) 「一下級将校の見た帝国陸軍」、山本七平、文春文庫、1987年
 山本七平の軍隊応召から捕虜になって帰国するまでを描く。ある教授が著者に日本人は事大主義者だからと述べるくだりがある。事大主義というのは広辞苑では「自主性を欠き、勢力の強大な者につき従って自分の存立を維持するやり方」とある。勢力の強大な者を「お上」とか、「権威」に読み替えれば、確かに日本人は事大主義者であろう。軍部崇拝から、敗戦後にはマッカーサー支持なりという豹変を考えるとその通りである。日本人はお上や権威を恐れるのではなく、畏れるのである。欧米はアナーキーだからキリスト教のような宗教や、ロシアならそれに変わる社会主義のようなもので国民を抑えないと暴走してしまう。日本には神仏習合があり、これは一種の多神教だから一神教と違い、絶対的なものが違うが、秩序は大事にすると言うところか。司馬遼太郎はいろいろな人と対談して、だれとでもそれなりに渡りあった人だが、山本との対談を読むと、なんとなく精彩が欠くような気がする。本書で知ったが、身を犠牲にして部下の命を救った将校たちに比べれば、口先ばかりで自決も満足にできなかった東郷英機とか海軍の将官嶋田繁太郎など恥ずべき限りである(これについては「東京裁判」、2巻、児島襄、中公新書、1971年参照)。山本はフィリピンで地獄を見た人だが、最後の最後まで事を投げず、絶対に絶望せず、絶えず執拗に方法論を探求し。目的に到達しうるまで試行と模索を重ねていける粘り強い精神力を持った人だからであろう。山本は何事にも疑問を持って臨み、その答えを探し求め、そして得るというタイプの人に思える。疑問を持って探し求めるまで至る人は少ないが、自分なりの答えを得るのは簡単なことではない。

設問)「工場は8時間3交代制で稼働している」をロシア語にせよ。

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2012年11月14日

●和文解釈入門 第544回

動作の着手は不完了体の特性の一つだと説かれているが、なぜそうなのかについて説明しているものがあまりないように思う。ここで気をつけなければいけないのは、着手そのものを示す動詞、начать/начинать(始める)などという動詞自体が、常に不完了体で使われるという事ではない。新規の動作を示すなら完了体を用いるし、その場の雰囲気に合わせた動作なら不完了体を用いる。ただその後につく不定形は、つまり動作の開始(着手)、継続、終了を意味する動詞кончить(終える)、начать(始める)、перестать(止める)、прекратить(中止する)、продолжать(続ける)、стать(~し出す)などと結合する不定形は不完了体となる。これは完了体の動詞は動作の経過を伝達することがまったくできないことに起因する。つまりначать(始める)ということは、その後動作が継続するか、反復することを想定し、продолжать(続ける)というのは、継続そのものであり、кончить(終える)のは継続、反復してきた動作が止るということを意味するとラスードヴァ先生は『ロシア語動詞 体の用法』で書いておられる。この例文を挙げておく。

(皆さん方のグループはもうトレーニングは終了しましたか?)Ваша группа уже кончила тренироваться?
(水を吐き出させにかかったが、時すでに遅く、助からなかった〔吐き出させることができなかったが直訳〕)Мы принялись откачивать, да время уж упустили, не откачали.


設問)「歩行者にとって、通りを横断するのは(しばしば)難問と化した」をロシア語にせよ。

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2012年11月13日

●和文解釈入門 第543回

(241) 「昭和東京ものがたり」、山本七平、読売新聞社、1990年
 山本七平(1921~91)の自伝的色彩の濃いエッセーで、大正末から昭和初期が描かれている。この時代は軍縮時代であり、大正自由主義教育の時代であったと著者は述べている。山本の父は内村鑑三の弟子であり、日露戦争にも応召したとはいえ、中産階級であり、子供からの質問についてはできるだけ答えよう、ないしは答えるだけの素養のある人であり、その点山本は恵まれていたと思われる。いくつか本書で教えられたことを列挙する。体罰の必要がないくらい先生というのは偉い存在であったとか、屏風は隙間風対策で子供の枕元に置くような小さなものやふすま代の大きなものまであったという。さらに昭和天皇の御大典のときゴム袋がトイレ用として飛ぶように売れたとか、ふのりが女性のシャンプー代わりだった。男の立ち小便の習慣は戦後しばらく続き、それが外国人から少なからず批判を浴びたという。それで今ではいたるところ日本にはトイレがあり、街路もロシア人からちり一つ落ちていないと誉められるのだから面白い。本書に当時の戯れ歌があるので紹介する。必ずしもお上に庶民がへいへいしていたわけではないことが分かる。

ダンダンがダンダンで、ダンと撃たれて、ダダンと転んで(団啄麿暗殺事件)
報告を受けた天皇は驚きのあまりよろめいて言った。朕は重心(重臣)を失った。(二・二六事件)
高橋邸に反乱軍が押し寄せたとき、婦人は驚いて着物を持って言った。これ着よ、これ着よ。(二・二六事件の高橋是清暗殺)

設問)「決まった、エメラルドの町を征服しに出かけよう」をロシア語にせよ。

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2012年11月12日

●和文解釈入門 第542回

『ロシア史研究案内』(ロシア史研究会編、彩流社、2012年)を読んだ。1956年のロシア史研究会発足からの現代までのロシア史研究の流れをたどるという点では有意義な書物である。しかし、ソ連が崩壊したのちも、研究内容自体はソ連時代とあまり変わらないようで新味が感じられない。もう少し現代との接点を探るような視座が必要ではないか。現代日本が抱える大きな問題は少子高齢化による労働力の減少だが、それに伴って外国人労働者の受け入れ、ないしは女性の労働環境の一層の整備が求められている。ロシアは9世紀の成立当初から他民族との軋轢をかかえ、帝国になるに従って多民族国家となっていった。島国の我々よりも多民族との付き合い方についてはノウハウを持っている。また、女性進出も第二次世界大戦の人手不足を補うという意味もあって、幹部になる女性が少ないという短所もあるが、日本よりはるかに進んでいる。さらに革命前のロシアも、ソ連も、現代のロシアも犯罪という点では日本の比ではない。こういう犯罪の研究も現代社会において不可欠なはずなのに、その重要性は認識しているようだが、タブーとしてか避けられている。現代のロシアにも欧米に対する警戒心が強いが、1863年に刊行されたダニレフスキーの『ロシアとヨーロッパРоссия и Европа, Данилевский』や、ソルジェニーツィンが勧めるフロレーンスキーФлоренскийの哲学書なども、論考して行くべきではないのかと思う。こういう点を論考し、受け入れるようにしないと新しい研究者や読者は増えないだろうし、ロシア史もそれ自体の研究だけとなれば、タコが自分の足を食うようなもので発展性はない。

 その中で、本書において出色の出来なのは、第8章の「ジェンダーと社会」(広岡直子)である。1929年に農村からの逃散の結果として、都市で働く奉公人が527,000人もいて、1930年代、40年代でも奉公人を労働者過程で雇う事が可能であったというのは初耳であるし、トルグシンТоргсин(1930年代の外貨・金貨による外国人専用商店)が1934年1418もあり、砂糖1キロで売春というのも当時の状況を浮かび上がらせる点で非常に啓蒙的な論文であると思う。ジェンダーと社会は現代の我々にとっても必要なテーマであり、このテーマをより突き詰めて、広く社会に発信されることを望む。他には、日本のロシア人で精力的に本を出版されている私のメル友で、日本におけるロシア人についての著書をいくつか発表されている極東大学のヒサムトジーノフ教授について、ロシア史研究会で言及がないというのもさびしい感じがする。それと1950年代後半スターリン批判の後でも、その中身がよく理解されていなかったにしろ、第二外国語としてのロシア語を学ぶ人が一つの講座で300人を超え、教室に入りきれなかったということが末尾の座談会で述べられていたが、隔世の感がある。社会主義を実現したと思われていたソ連を理想化していたのであろう。

 これと対照的なのがロシアで出版されている、1994年から日本基金の援助で出版されている年鑑Ежегодник『日本Япония』, Ассоцияация японоведовであり、1972年から2011年まで、1990年を除き毎年出ている。ソ連時代はイデオロギー統制もあったが、ソ連崩壊後は、出来不出来はあるものの、質の高い論文が多い。演歌や若者文化についても論文を掲載するという積極的な姿勢を高く評価したい。この年鑑から通訳の時の訳語を探し出すことも多く、全冊精読したから、その価値はよく分かっているつもりだ。ソ連崩壊で資金がなくなっても、500部程度でも出版するというその意気込みがすごい。

設問)「4人家族です」をロシア語にせよ。

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2012年11月11日

●和文解釈入門 第541回

「思い出した」を露訳するときには、完了体過去形が頭に浮かぶだろう。最新のアカデミー露露にはвспомнить/вспоминатьの完了体だけにある用法として、внезапно вернуться мыслью к чему-либо, забытому, упущенному(忘れていたことや、見逃していたことに突然考えが戻る、突然思い出す)とある。完了体は場独立型だから、体の使い分けから考えてこういう用法は当然である。例えば、Вспомнил, что обещал позвонить.(電話すると約束したのを思い出した)などと使う。

 しかし、思い出せないことがあって、友人から、あのとき、一緒にレストランで食事をしていたときに、本を返すっていったじゃないと言われて、「そういえば、そうだ」というように、明らかに場に依存する状況では、Да, я теперь вспоминаю! (Припоминаю!)と言い、Вспомнил.とは言わないはずだ。しかも、このような動詞は過程を示すことができないと考えられる。「電話すると約束したのを思い出した」のうちの「約束したのは思い出したが、何を約束したのかは忘れた」というのは、半分だけ思い出したとか、思い出す過程にあるということにはならない。なぜなら肝心の電話をするという情報がない以上、情報としてはゼロで、意味をなさないからである。このような動詞はошибатьсяなどの誤伝の動詞(和文露訳入門3-1-5)の一種と考えられる。

設問)「私がこの地位を得たのは41歳のときだった」をロシア語にせよ。

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2012年11月10日

●和文解釈入門 第540回

(240) 「芸人紙風船」、木下華声、大陸書房、1977年
 木下華声(1911~86)は二代目江戸屋猫八であり、落語家、文士、浪曲家、喜劇役者、活動弁士などとの広い交友録を描いたもの。特に盲目小せんが1904年京都や奈良の仕事先から東京に送ったハガキ(久保田万太郎が1923年発表)が落語家の日常生活をよく示している。また志ん生は沢庵嫌いだとか、徳川無声の独自の語りの間について述べているのがよい。1951年に桂米団次が関西学院新聞に発表した芸の心得は、「自分の技が一尺進めば前方を見る目が、視力が二尺強くなる。だからこれが上達すればするほど、落語の難しさが解ってくる。そこで終点に達しようとする望みは捨てなければならぬ」とか、その師匠の初代米団次の「芸人は死ぬまで修行や」というのは、語学にも当てはまると思う。通訳やガイドも芸人と言えば、芸人のうちだろう。

設問)「ナンバーはモスクワ公共事業部が車検を実施した後に交付された」をロシア語にせよ。

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2012年11月09日

●和文解釈入門 第539回

私のメル友のヒサムトジーノフА.А. Хисамутдинов教授がまた日本のロシア人に関する新作Токио – Иокогама: Русские страницы(東京・横浜:ロシア人のページ)を出版された。ご興味のある方はtypress@mail.ruにて注文可能。価格は10ドルぐらいとのこと。送料は別で、支払方法などはそのメールで出版元の極東大学Издательство Дальневосточного университетаに問い合わせてほしい。二カ月ぐらいすれば電子書籍としての販売も検討しているとのこと。本書については、日本人の姓名の読み方など、ほんの少しお手伝いしたので、売れてくれればありがたいと思う。日本のロシア人にご興味のある方は、函館、長崎、日本全体についても教授は、「北海道函館のロシア人――余白のメモРусские в Хакодате, или заметки на полях」(極東大学出版部、2008年、ウラジオストーク)、「ロシア的長崎――稲佐での最後の停泊Русский Нагасаки или последний причал в Инасе」(極東大学出版部、2009年、ウラジオストーク)、「ロシア的日本 Русская Япония」(Вече, 2010, Москва)他の著書があるので、ご興味のある向きはどうぞ。

設問)「二人の人間がこれの例外だった」をロシア語にせよ。

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2012年11月08日

●和文解釈入門 第538回

2、3年前にテレビで北海道の旅館に嫁に来たロシア人女性という番組をやっていた。姑との仲もよいようだったが、その姑が唯一困ると語ったのは、家の前の雪かきや掃除を嫁がしないということだった。ロシア人の嫁の言い分は、それは市の仕事であり、その分税金を払っているのだからする必要はないとのことで、それはそれで論理的なものだった。それでやむを得ず、姑が家の前の雪かきや掃除をしているという。その時は、ロシア人と言ってもいろいろだなとも思ったが、ロシア人の家に招待されると、家の中はびっくりするくらいきれいだが、アパートやマンションの前や階段は薄汚れた感じで、落書きもあり、ゴミも落ちていたりと、公共のスペースをきれいにするということには関心がないようだなと思ったりしたものだった。

 昨日トレーニンの『ロシア新戦略』(作品社、2012年)という本を読んだところ、その中に、「ロシア人は国の政治・経済・社会、そして精神的なものすべてが突然崩壊するというトラウマを経験しているために、私的な生活の方を大事にするようになった」、「公共のスペースは、今ではまったく手入れがされない」、「2009年にはロシア住民の52%は外国からの脅威はないと回答」、「(ロシア人の)33%としか祖国を守ろうとしない」、「自分自身が家族を守る用意のある者は88%」、「外国からの攻撃に対してロシアを守る用意のある者57%」、「国益をもっとも大事だとするものは6%で、80%は自分自身の利益が最も大切だと回答した」という興味ある記述をみつけた。こういう本を読むと、今のロシア人についてよく分かる。

設問)「乗り心地は路面電車とは比べものにならなかった」をロシア語にせよ。

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2012年11月07日

●和文解釈入門 第537回

前回の設問の日本語の時制が現在であることは、日本人なら皆分かることで、日本語で現在なら、ロシア語も現在の時制であろうと、不完了体を使ったのであれば、伝達型動詞(和文露訳入門3-1-4参照)をよく理解していないことになる。不完了体現在形の用法には、過程、反復(繰り返し・習慣・一般的用法)、真理や、動詞にもよるが予定の用法の他に、さらに動詞によっては伝達型の用法があるのである。日本語の動詞でも、「見える」は現在の時制の意味しかないが、「任命する」は現在と未来(文法用語では非過去)の意味がある。これは日本人であれば自然と使い分けできるが、これをロシア語に当てはめるときに、ロシア語の時制感覚が分からないと和文露訳ができないことにお気づきだろう。ロシア人も日本人も同じ人間だから時間の感覚に変わりはないが、表現方法にずれがあることは、ロシア語には体の使い分けがあるという事でご理解されるだろう。このような伝達型の動詞については大学で習ったこともないし、文法書を見ても、露文解釈中心であるがゆえに、露文和訳では当然という事で無視されてきた。しかし、和文露訳ではこの用法が分からないと、ビジネスレターでよく使う、「~をお伝えします」を不完了体現在形なのか、完了体未来形を使うべきなのか分からなくなってしまう。普通は例文を丸暗記してしまうのだが、これが例外ならともかく、そうではないので、他の伝達型動詞が出て来たときに同じ問題にぶつかる。これまでの通訳やガイドは、私も含めて、このような説明のつかない新しい例文が出るたびに、丸暗記してきた。そうなると、通訳として一人前になるには、鉄鋼だけとか、ごく狭い分野ならともかく、10年も20年もかかることになる。前にも書いたが、このコーナーそのような無意味な丸暗記を、体の使い分けを理解することにより、最小限にしようという試みである。

設問)「その路線では8台のバスが6~8分間隔で運行している」をロシア語にせよ。

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2012年11月06日

●和文解釈入門 第536回

(238) 「新編東京繁昌記」、木村荘八、尾崎秀樹編、岩波文庫、1993年
 画家木村荘八(1893~1958)の下町の風俗と歴史をつづったエッセーであり、1955年の東京から明治ごろまで時代をさかのぼっており、観工場がどんなものであったか、銀座の歴史なども面白い。1872年の鉄道開通について、すてん所、火輪車、蒸汽車を出す見世(駅)、必客館(旅客ホテル)などという初期の訳語や、鉄道旅客規則は英国ではなくセイロンの規則の翻訳であるとか、外国人のために人も乗らぬ先から犬の汽車賃を決めたなども面黒い。

(239) 「喜劇こそわが命」、榎本健一、日本人の自伝第22巻所載、平凡社、1981年
 エノケンこと榎本健一(1904~1970)は日本の喜劇王の自伝。1967年初出。小さいころから運動神経は抜群で小学生でコンクリートの塀の横腹を駆け足で10メートル以上走ることが出来たという。17歳で根岸歌劇団のコーラス部員となり浅草オペラで田谷力三などと知り合った。田谷力三の美声を妬んだ人が、田谷の湯飲み茶碗に水銀を入れてのどをつぶそうとした事件があったという。これは江戸時代、明治時代にも行われたことである。大震災後オペラが下火になった後、日本最初のレビュー劇場カジノフォーリーに参加した。この頃「金曜日になると踊り子がズロース(下ばきの一種で太ももまで覆うもの)を落とす」というズロース事件が起こる。全くのデマで、ある踊り子の胸のさらし(当時ブラジャーはなかった)がゆるんで落ちそうになって、あわてて前かがみのまま顔を赤らめて引っ込んだのが、面白好きの観客がそれにヒントを得て作り話として吹聴して回ったのが真相だというが、客は大入りとなった。こういうことで警察に目をつけられ、警察ではえろケンと呼ばれたりした。サトーハチローのセンチメンタルキッスという出し物では、象潟警察でカジノの踊り子がズロースの又下を物差しで計測されるという珍事が起こったりしたという。しかもそのズロースにはキスマークが真っ赤に書いてあるという大胆なものだった。エノケンは後に自分で劇団を作るが、戦後ソニーの井深大がエノケンの映画の録音技師をしていたこともあるという。喜劇の出し物では「らくだの馬」が有名だが、これを見て実際に笑い死に(心臓マヒ)した40代の客がいたというから驚きだ。エノケンは長男を肺結核で失い、右足も特発性脱疽で失った。劇団では天才にありがちなように専制的だったという。この自伝を読むとエノケンの若いころ、大正のころの東京の人情というのがよく分かる。

 エノケンと比べるられるのは古川ロッパ(1903~61)だが、その自伝「あちゃらか人生」(日本図書センター、1997)は質、量ともに劣るが、面白いところもある。ロッパも毎日スコッチウィスキーを1本空けた酒豪だが、戦時中は酒にも食にも苦しみ、「ブルトーゼだのバンミョウチンキなんてのは酔えます。ひどいのになると頭髪へ振りかけるローション、ヨーモトニックなどにもアルコールが入っているからといって、飲んでいた奴がいる。僕は流石に養毛液は飲まなかった。胃袋の中に毛が生えるのが怖かったからである」というのは、ゴルバチョフ時代のソ連に似ているなと思った次第。ロッパので面白いのは「ロッパの非食記」(ちくま文庫、1995年)で、1944年の1年間、1958年の文字通り自分が食べたものについての悲壮なまでの記述である。文章は軽妙で独特の味がある。明治、大正、昭和の流行語を挙げていて、それぞれ「なんてマがいいんでしょう」、「イヤじゃありませんか」、「心臓が強いわね」とある。「アノネーオッサン、わしゃカナワンヨ」という戦前戦中に流行った高瀬実乗(たかせ・みのる)のギャグを、当時の皇太子殿下が学校で真似をして、当局よりこの言葉が禁じられたという噂があることもロッパは書いているから、庶民の歴史を知る上では重要な史料である。

設問)「余(朕)は(ここに)彼を大臣に任命する(ものである)」をロシア語にせよ。

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2012年11月05日

●和文解釈入門 第535回

体の使い分けを考えるときに、場違いかどうか、つまり状況に依存するなら不完了体、そうでなければ完了体という説明をしてきたが、分かりにくいと考える人もいよう。iPS細胞でノーベル賞を取った山中教授も、一つの遺伝子ということに固執しなかったところに成功の秘訣があったわけで、体の用法についても、ある説にこだわるよりも、いくつかの説を検討した上で、自分なりに納得できる使い分けをいくつか試した方が実戦的である。

 今回は不完了体の着手の用法に着目して体の使い分けの説明してみよう。不完了体は語義の動作の開始に意味の焦点があり、動作の継続や終了ということには特にこだわらないと考えるのである。こういう点から不完了体の動作を帯グラフで示すと、次のようになる。左端が動作の開始であり、右端が動作の終了である。(残念ながら、残念ながら帯グラフを表示できない)

Садитесь.(おかけ下さい)も、動作の着手に焦点があり、すわるという動作が終了するかどうかはどちらでもよい。座らなくても、座っても、声をかけられた人の自由という意味であって、座りなさいと声をかけたという意味である。しかし、そうかと言って、完了体が強制を示すと早合点してはいけない。経験(~したことがある)というのも、動作の有無の確認ということだから、これは動作が着手さえすれば、動作が終わろうと終わるまいと関係ないということになる。
不完了体もいろいろな動詞があり、継続の動詞は、終わり以外は塗りつぶされた形となる。

状態の動詞は、全てが塗りつぶされた形であり、伝達型の動詞は、動作が始まって終わるという事に焦点があるので、左端と右端が塗りつぶされた形になる。
 過程(進行形)の用法では、黒く塗りつぶした部分が、左端から右端に移動すると考えてもらうとよい。繰り返し(反復)は、左端が塗りつぶされた同じ帯グラフがいくつかあるという事になる。
 不完了体を否定すると、動作の着手がないのだから、動作が始まらないということで、動作そのものが成立しないということになる。
 一方、完了体は動作の終了に意味の焦点があると考えるのである。帯グラフで示せば右端だけが黒い場合である。過去の時制のアオリスト的用法や結果の現存はまさに動作の結果という事だから分かりやすい。完了体未来形を使うЯ уеду в Москву.(モスクワに行くよ)という場合、いつ動作を開始するかということは、重要ではない。уехатьは「今いる場所から移動手段を使っていなくなる」という意味だから、いなくなる動作がいつ開始になるかはどうでもよいということになる。重要なのはいなくなるという動作が完了するということで、それに焦点があるということになる。
Сядьте.(座りなさい)というのは、動作の着手が考えにない場合で、いきなり動作の終わりがイメージされる場合という事になる。強制にも着手を考えに入れてのものと、そうでない(突然)という場合があるから、完了体がすべて強制と考えるのは正しくない。Говори, кто убил наших парней!(誰がうちの(組の)若いものを殺ったのか言え)というのはイントネーションもよるが、この不完了体命令形は強制と考えるのが普通である。体の用法と強制という概念は切り離して考えるべきである。完了体を否定すると、動作が終わらない、ないしは終われないということで、動作終了の否定(否定の強調)か不可能を示すことになる。
最近、不完了体というネーミング自体が、体の用法に対して誤解を招くのではないかと考えている。不というのは打ち消しや否定だから、不完了は完了しないことになる。しかし、本来、不完了体は完了体とは用法が違うということにあり、そうなると非を使った方がよいということになろう。非はそうではないことなので、非完了体とすれば、より実際の用法に近くなるのではないかと考える次第。

 いろいろ書いたが、完了体は完了で、不完了体は完了ではないという考え方で、間違えずに体の用法が使えるなら、それはそれでよいのである。しかし、自分の経験から考えて、体の用法は、本質はともかく、見かけ上はそんなに単純なものではない。そうではなくて、体の用法がよく分からないというなら、上に書いた説も考えに入れたらよいと思う。一般的には、体の使い分けは動詞一つ一つによって違うと考える人も多い。そこまで極端ではなくとも、時制や法によって、あるいは動詞をグループに分けて考えるべきだいう人もいる。私は、折衷型で、体の理解には大所高所からの見方(トップダウン方式)と、動詞群、時制、法などからのボトムアップ方式の両方を併用すればよいと考えている。もっというと、どんな高邁な説を唱えるよりは、実際に体の使い分けができなければ無意味なのだ。

設問)「1年もたたないうちに、モスクワ当局から最初の重大な警告が来た」をロシア語にせよ。

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2012年11月04日

●和文解釈入門 第534回

(237) 「なめくじ艦隊」、五世古今亭志ん生、日本人の自伝第8巻所載、平凡社、1981年
 落語家志ん生(1890~1973)の自伝。弟子の金原亭馬の助の聞き書きで1956年初出。芸名を16回も変えたが、これは借金取り対策だという。1923年の関東大震災の後から本所業平橋のナメクジ長屋に1936年まで住み、自分の実力を頼みに落語の名人となった。当時の世相もよく分かる。当時の電気ブランの一杯はアルコールが強いので、酒の五合ぐらい飲んだほども酔っ払うから、タバコは禁物で、飲む前に丼にいっぱいの水を用意して一緒に飲むとあり、それでも翌日は舌の先が突っ張って動かなくなると書いてある。今の浅草の神谷バーで売っている電気ブランとは別物のようである。他にも酒を勧められるのを断ったら徳利を持って追いかけてきて、自動車に乗って難を逃れたとか、留置所でやくざの親分の前で落語をしたとか、岐阜の金崋山の翁亭という客席のおやじが作った酢ダコが噛み切れないので、志ん生が飲み込んだら、そのおやじがタコを切っていたときに間違って自分の指を切ったやつだったというのは落語以上の話である。落語については、面白いものではなくて、粋なもの、おつなものだと書いてあり、やや説教臭のあるのが残念である。人の噺を聞いて見て、「こいつは自分よりまずい」と思うと、それは自分と同じくらいの芸であり、「こいつは自分と同じくらいだな」と思うくらいだと、自分より向こうの方が上であり、「こいつは自分より確かにうめえ」と思った日にゃ、格段の開きがあるものであると述べているが、これはロシア語についても当てはまると思う。酒が飲みたくて、また空襲が嫌で赴いた満州でのソ連軍侵攻から1947年の帰国までの苦難についての話もよい。同じ本に八世桂文楽(1892~1971)の「芸談あばらかべっそん」(正岡容の聞き書き)という自伝も載っているが、話があちこちに飛びすぎ、自分が女にいかにもてたかという話が多く、また当時の世相についてもよく分からない。それにひきかえ柳家金語樓(1901~1972)の「泣き笑い五十年」(日本図書センター、1999年)は演出も手がけた人だから話も面白い。

設問)「いくつかの問題はとっくの昔に、何らかの形で解決していなければならなかったはずなのに、そうではなかった」をロシア語にせよ。

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2012年11月03日

●和文解釈入門 第533回

(236) 「たいこもち」、桜川忠七、日本人の自伝第22巻所載、平凡社、1981年
吉原の幇間桜川忠七(1889~1961)の自伝。1959年初出。幇間というのは芸能部門の小間物屋で、手ぬぐいと扇子だけで道でも山でも川でも表現する四畳半のあてぶりの芸であると桜川は述べている。客に従い遊興の酒間を幇くる者、とりなしをする者だが、常磐津、小唄、踊り、三味線、鉦、太鼓、都々逸という下地が必要であり、道楽者の果てということになる。花魁は新造やかむろが「おいらのところの姉さん」と言ったのの略だとか、冷やかしは浅草紙の職人が紙を水で冷やかす時間が2時間で、その間に吉原に回るのだが、座敷に入る時間はないことからできた言葉だと書いてあり、お職を張るというのはその店一番の売れっ妓ということだが、これも吉原からだという。そのほかにも、水商売は両国の水茶屋からとか、ざんす、どうしんす、ござりいす、ざますなどは京都の島原の廓言葉由来で、花魁のみが使う事を許されていたともある。これは似非上流婦人も使っていたのはおかしい。妓夫太郎の主な仕事は付け馬(客の勘定の不足分を客について行って払ってもらう事)だが、妓楼の主人が勘定が100円なら馬に80円で売る(これなら妓夫太郎も一生懸命やる)という事など他では教えてくれないだろう。忠七にとっての粋は、「物事心得あって、よく人に馴れ、その所々をさばき、それぞれの場所を考え推しながら、言葉少なく和すこと、ただ方円の器に従う水の如しとて、水〔すい〕とは名づくなん」という。粋の一つの解釈であろう。

設問)「モスクワに飛行機で行って、白亜のモスクワがどんなものか見て来よう」をロシア語にせよ。

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2012年11月02日

●和文解釈入門 第532回

ロシア語は日本では不人気である。領土の問題が暗い影を落としていることは分かるが、その中でロシア文学が読まれ続けているというのは、精神的に共感できるものがあるということだと思うので、ロシア語学習者数の最近の凋落ぶりは歯がゆい限りである。公用語人口ではロシア語は世界5位(日本語11位)、母語人口では7位(日本語は9位)、ウェブのコンテンツ言語別では7位(日本語は英語に次ぎ2位、ドイツ語が3位で、中国語は4位だが、中国語が2位になる日は近いだろう)、2008年の言語別ネットユーザー数は9位(日本語は4位)、2008年5月から1年間のWikipediaのアクセス数は9位(日本語が2位で、中国ではアクセスが当局の判断で遮断されるので中国語はカウントされない)であり、翻訳大国の日本としても、ロシアは無視できないはずだ。ソ連時代はアフリカなどの少数言語の文学を知ろうと思えば、ロシア語の知識が不可欠だった。採算を度外視して辞書や本を出版していたからである。現在でも、カザフスタン、キルギスタン、ベラルーシ、ウクライナではロシア語がかなり通じる。異文化コミュニケーションを考えるときに、世界において英語や中国とは別のアプローチを知るには、ロシア語も大きな選択肢の一つであることは間違いないと思うのだが。

設問)「ちっぽけないさかいが雪だるまのように膨れ上がり、おおごとになる」をロシアが語にせよ。

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2012年11月01日

●和文解釈入門 第531回

外国語習得を目指すときに生活言語能力BICS (Basic interpersonal communicative skills)と学習言語能力CALP (Cognitive academic language prificiency)を分けて考えることが必要である。生活言語能力というのは、休み時間に友達と話をするなどの生活するのに必要な言語能力で、外国語の習得において子供は大人より早くできるようになる。一方、学習言語能力というのは分かりやすく言えば、授業を受けるのに必要な言語能力であり、話す聞くだけではなく、読み書きも必要で、習得には7~8年かかると言われている。外国語習得というのが生活言語習得であるならば、つまり外国のホテルのチェックインや挨拶程度を交わしたいというのであるなら、極端に言えば、聴解用のCDを聞いたり、会話集の文型を丸暗記すれば事足りる。

 そうではなくて、外国語で新聞や本、文献、メールの読み書きをするとなると、学習言語能力の習得となるので、人にもよるし、目的の設定にもよるが、7~8年はかかることになる。自分の研究分野の文献を読むだけでよいというように、具体的な設定をすれば、より早くその設定目標については達成できるのは自明の理である。私のように、ロシアなら9世紀から現在まで、文学であろうと技術であろうと、読み書き、聞く話す全部となると、とりとめがなくなり、いつ習得できるのが分からないという事になる。設定する目標自体が曖昧だからだ。しかし、初めからこうだったわけではなく、若い頃はロシア人で技術交渉や商談をできればよいとか、ロシア文学を読めるようになればよいとかの具体的な目標があったのである。目標が達成されれば、次の具体的な目標を設定してきたのである。このようにロシア語も奥深い。初級者にとってはロシア語での挨拶が通じればうれしいという気持ちは分かる。しかし、それでは飽き足らなくなる人は上達の道が開けていることになるし、自分なりに次の目標が自然と分かるはずだ。ロシア語をする目的というのは人によって違う。日本は翻訳大国だが、翻訳されていないものもあるし、自分の好きな分野が翻訳されているとは限らない。私の興味を持っているのはロシアにおける犯罪で、これも9世紀から現代までと幅広い。となると、翻訳はゼロに等しい。それで、自分なりに文献を集めて書いたのが、「ロシア史異聞」、「ロシア奇譚」であり、今もその分野のものは読んでいる。これなどは趣味である。

 過去においてロシア語を学んだのであれば、読む語彙だけを増やしても、自分の好きな分野について読むとか、ロシア人の同好の士とメールするなどの道が開けてくるはずだし、そうしないのはもったいないと思う。このコーナーで一人でもそういう人が、錆びたロシア語を使えるように磨き上げるお手伝いができればうれしい限りである。

設問)「このような人はハリウッドでは数えるほどだ」をロシア語にせよ。

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