2012年11月14日
●和文解釈入門 第544回
動作の着手は不完了体の特性の一つだと説かれているが、なぜそうなのかについて説明しているものがあまりないように思う。ここで気をつけなければいけないのは、着手そのものを示す動詞、начать/начинать(始める)などという動詞自体が、常に不完了体で使われるという事ではない。新規の動作を示すなら完了体を用いるし、その場の雰囲気に合わせた動作なら不完了体を用いる。ただその後につく不定形は、つまり動作の開始(着手)、継続、終了を意味する動詞кончить(終える)、начать(始める)、перестать(止める)、прекратить(中止する)、продолжать(続ける)、стать(~し出す)などと結合する不定形は不完了体となる。これは完了体の動詞は動作の経過を伝達することがまったくできないことに起因する。つまりначать(始める)ということは、その後動作が継続するか、反復することを想定し、продолжать(続ける)というのは、継続そのものであり、кончить(終える)のは継続、反復してきた動作が止るということを意味するとラスードヴァ先生は『ロシア語動詞 体の用法』で書いておられる。この例文を挙げておく。
(皆さん方のグループはもうトレーニングは終了しましたか?)Ваша группа уже кончила тренироваться?
(水を吐き出させにかかったが、時すでに遅く、助からなかった〔吐き出させることができなかったが直訳〕)Мы принялись откачивать, да время уж упустили, не откачали.
設問)「歩行者にとって、通りを横断するのは(しばしば)難問と化した」をロシア語にせよ。
(1) Пешеходы часто
затрудняются
перейти улицы.
(2) Пешеходам часто
приходилось
перейти улицу
с затруднением.
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(1)は時制が現在ですが、設問は過去です。それを除けば、意訳ですが体の使い方も正しいと言えます。затрудниться/затруднятьсяのような困難を意味する動詞につく不定形は、完了体が来ます。これは不可能という意識があるからだと思われます。(2)もかなり設問から離れた意訳ですが、意味は分かるでしょう。私の答えは、Для прохожих переход на другую сторону улицы превращался в неразрешимую задачу.
通訳をする上で、やむを得ないときは意訳をするが、無理なく直訳できるものは、直訳するに越したことはない。現実の通訳で一つの短文だけということはありえないし、できるだけ次の文の訳を考える時間を取りたいと考えるのが普通だからだ。「問題と化す、問題となる、問題化する」は、ロシア語でもпревратиться (превращаться) в проблему, перерасти в проблему, стать проблемойなどが使えるので覚えておくとよい。これらは硬い言い回しだが、政治経済や、ビジネスなどの交渉ごとで多用される。
(3) Пешеходы часто
сталкивались с
трудностями во время
перехода через
улицу.
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正解です。
コーシカ@次は工業英検です。
TQEの露文課題を提出した足で投稿させていただきます。
(お題)
歩行者にとって、通りを横断するのは(しばしば)難問と化した
(コーシカ訳)
Для пешеходов перейти улицу становилось труднотями
(もしくはоказывалось трудным/превращалось в трудности).
通りを横断するはとりあえず渡る1回の動作、それすらも難しい、と考えて定動詞を、
難問と化したには(しばしば)が隠れているので過去における状態と考え
不完了体の過去をそれぞれ充てました。
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превращаться в трудностиは使いますから正解ですが、後はпредствлять (составлять) трудности для + 生格(人)ぐらいでしょう。それ以外の語結合は知りません。他にсоставлять вопросという表現もあります。
У пешеходов часто бывала проблема с тем, что переходить через улицы.
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これはかなり凝った構文です。с + 造格で理由を示すのは口語的で、意味は分かると思いますが、ロシア人はこういう言い方はしないでしょう。問題はчто以下です。с переходомとした方がすっきりしますし、文法的にも問題がないように思います。
Для прохожих пересечение улицы , бывало, превращалось в трудный вопрос.
回想・過去の不規則な反復動作(~したものだ)ととったのですが考えすぎでしょうか。
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解釈はその通りですが、бывалоを入れると、不規則な反復(~したこともあった)ですから、「しばしば」という概念とは合いません。取った方がよいと思います。和文露訳入門の2-1-11は読まれたと思いますが、частоとの関連で再読ください。それ以外は正解です。