2012年10月01日

●和文解釈入門 第500回

ロシア語ではвыからтыへ移行するというのが、人間関係の親密さを示す目安になる。日本語にも似たようなものはある。「敬語」(菊池康人、講談社学術文庫、1997)を読んでいたら、「初めは〔です・ます〕で話していた間柄が、親しくなるにつれて、ある時から〔です・ます〕抜きになるという経験は誰にでもあるだろう」という箇所を見つけた。露文和訳のときなどに応用できそうである。

設問)「ソリには10人から15人が乗れる」をロシア語にせよ。

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2012年10月02日

●和文解釈入門 第501回

日本に住んでいるロシア人は、みな日本語の会話が上手なようである。しかし和文読解のほうはどうだろう?けっこううまい人とそうではない人の差があるのではなかろうか?「日本語と日本語論」(池上嘉彦、ちくま文芸文庫、2007年)には、日本人はすぐ分かるが、日本語のうまい外国人が理解できない文章が挙げられている。もっともこれは多田道太郎の「日本語の作法」からの借用とのことである。ご参考までに挙げておく。一つは幸田文の「流れる」の冒頭の文である。
「このうちに相違ないが、どこからはいっていいか、勝手口がなかった」
もう一つは金田一春彦の挙げたもので、
「私の娘は男です」

 二つ目の文は日本人でもすぐには分からないだろうが、二人のおばあさん同士の会話で、孫の話という事なら分かるだろう。

 このコーナーの先も見えてきたようなので、今回は趣向を変えて、短文ではなく、SFで言うショートショートのような問題を出して見たい。非常に簡単なので、全問正解できなければ、日本語とロシア語の時制を完全に理解していないという事になる。

設問)1)「佐藤さん来た?」
2)「佐藤さん来てた?」
3)「佐藤さんは去年来たよ」
4)「佐藤さんモスクワに行っちゃった」
5)「佐藤さん来週モスクワに行くよ」をロシア語にせよ。

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2012年10月03日

●和文解釈入門 第502回

同じく「日本語と日本語論」(池上嘉彦、ちくま文芸文庫、2007年)に、ラフカディオ・ハーンが英訳した松尾芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」が載っている。

Old pond – frogs jumped in – sound of water.

 静けさを表すのだから、蛙は一匹だとばかり思っていたが、芭蕉の弟子の支考の「葛の松原」には「蛙の水に落つる音しばしばならねば、言外の風情この筋に浮かびて、蛙飛び込む水の音といえる七五は得玉へりけり」とあると言い、ハーンがこれを読んだかどうかは分からないと著者は述べているが、蛙が何匹か飛びこむことで静けさが表現されるというなら、なかなか面白い発想である。インターネットで見つけたマールコワВ.Н. Марковаの訳では、蛙は一匹である。

Старый пруд заглох.
Прыгнула лягушка.
Слышен тихий всплеск.

 川端康成の雪国の出だし「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。(夜の底が白くなった)」のサイデンステッカーによる英訳も、The train came out of the long tunnel into the snow country.と主語が私ではなく、汽車になっているというのも、翻訳の難しさというものを考えさせる。コルチャーギナНаталья Корчагинаの訳でも汽車が主語で出て来るし、これには、原文に忠実にということでか、国境の訳もある。Проехалは完了体過去形でないと、通過のニュアンスがでないし、次に完了体過去形が来て初めて、順次的用法となり、ロシア語として落ち着く感じなので、остановилсяをつけざるを得なかったように思える。

Поезд проехал длинный туннель на границе двух провинций и остановился на сигнальной станции. Отсюда начиналась снежная страна. Ночь посветлела.

 これなども二葉亭四迷の言う、「これを翻訳するには其の心持を失はないやうに、常に其の人になって書いて行かぬと、往々にして文調にそぐはなくなる。此の際に在りては、徒にコンマやピリオド、又は其の他の形にばかり拘泥していてはいけない。まず根本たる語想をよく呑み込んで、然る後、語形を崩さずに翻訳するようにせねばならぬ」を体現した訳なのだろう。

設問)「ガラスは時を経て黒ずんだ」をロシア語にせよ。

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2012年10月04日

●和文解釈入門 第503回

東京外国語大学でロシア語の教科書作りを始めたということを聞いた。これは初めてロシア語に触れる学生向けということで、歓迎すべきことであり、できるだけロシア語を学ぼうとする人の数を増やさなければ、ロシア語の明日はないということは確かである。一方、東外大も含めて、既存の大学であまり熱心ではないように思われるのは、一度ロシア語に触れ、初級は終えた人が、なぜそれ以上続けずに、ロシア語の学習を放棄するのか、その人たちについて対策をあまり立てていないように思われる。新規の人ばかり目が行って、つまり袋の入り口を大きくしようとして、肝心の袋の端が漏れどころか、端の糸が全部縫い目が取れているような状態を放置しているとしか思えない。裾野を拡大するというのは、一旦ロシア語を始めた人にロシア語の面白さを伝え、中級や上級の人を増やすことにある。こういう人たちが新規の人たちの灯台のような役割をするわけである。初級程度の挨拶が通じたと喜んでいる程度のロシア語では、興味が長続きしないわけで、それに対応するような学習法、特に大学や語学の専門校を終えて、どうやって自習できるようにするかその和文露訳の参考書を整備すべきなのに、全くやっていないとしか思えない。常識的に考えると、これからロシア語を始めようとする人たちよりは、一旦ロシア語に触れたと言う人の数の方がはるかに多いはずである。いわばこれは今流行りの都市鉱脈である。ロシア語を仕事で使える人は限られているが、ロシア人と話す機会はかなり増えているし、チャットやスカイプという便利な機能もあるから、ロシア人そのものへの興味はあるはずである。このコーナーでやっているのは、初級からどうやって中級へ進むか、中級から上級に進む際の道筋を提示し、ロシア語そのもの(ひいてはロシア人)への興味を如何にかきたてるかと言う事にある。ロシア語を続けるコツはロシア人と話ができる程度の会話能力や語彙を身につけることである。それも挨拶程度の決まり文句ではなく、自分の趣味や考え方を相手に伝え、相手と意思を通じ合う事ができるようでないと続かない。そういう意味で、初級の参考書は非常に多いが、和文露訳に使えるような参考書は皆無である。このコーナーが少しでも、そのような人のお役に立つことを願っている。ロシア語とタイプすると、この頃頻繁に露最後と出て来る。何か不吉な予感がする。

設問)「この件をお決めになるのは御社です」をロシア語にせよ。

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2012年10月05日

●和文解釈入門 第504回

ロシア語の会話というと、ロシア人の先生に丸投げというのは感心しない。挨拶や決まり文句を使って、発音やイントネーションの練習ならともかく、いくら日常的な日本会話は流暢であっても、ロシア語の文章を分かりやすい日本語で文法的に説明できないのではないかと思うからである。理屈を説明せずに、これはロシア語としてはおかしいから、こう言うのだの一点張りでは、小学生じゃあるまいし、二十歳を超えた(越えようとしている)いい大人が勉強について行きはしない。語学には暗記という面もあるが、大人の勉強に求められているのは、もっと頭を使う理知的なものだからである。和文露訳を教えるには、日本語とロシア語の文法双方の理論面での理解と説明能力が不可欠であると考える次第。

設問)「この国にどのくらいの金額の設備をデリバリーしたのですか」をロシア語にせよ。

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2012年10月06日

●和文解釈入門 第505回

完了体過去形のアオリスト的用法(和文露訳入門2-2-1参照)については、第501回の回答でも触れたが、不完了体過去形は過去を具体的に示す語句(昨日、昨年、5年前、1961年など)とは相性が悪い。これは過去に限らないが、時間を示す語句というのは、全般的に場独立型であって、新規の事柄(レーマрема、和文露訳入門9-10参照)として出てくる場合が多いからだろうと思われる。だからどうしても不完了体過去形を過去を具体的に示す語句と一緒に使いたいというなら、そのような場を先に作ればよいことになる。

Он ведь уже был здесь – приезжал со мной после землетрясения.(だって彼はもうここに来ていたよ。私と一緒に地震の後に来たんだよ)

とすれば、二つ目の文では文の焦点は明らかに動詞にはなく、「私と一緒、ないしは地震の後〔これが過去を示す語句に相当する〕」にあるわけで、その証拠に述語の動詞がなくとも意味が通じる。一旦、Он ведь уже был здесьという場を作っておけば、その場に依存して不完了体過去形が使えることになる。普通は、このような人工的なやりかたではなく、質問に対する回答の形で不完了体を使う事が多い。質問自体が不完了体過去形を使うための場としての役割を果たしているということになる。また同じ語句(動詞も含めて)を繰り返すというのはロシア語としてくどい感じを与えるので、できるだけ同義で違う語句(この場合はбылに代わる動詞)、ないしは表現を用いるというのが、日本語と違うロシア語の鉄則である。そのためにбылの代わりに運動の動詞の不完了体過去形が使われているという事情もある。

- Когда в последний раз были в Саратове?(この前はいつサラートフにいらっしゃったのですか?)
- Приезжал в прошлом году на финал чемпионата.(昨年の選手権の決勝戦のときです〔に来ました〕

 この場合もВ прошлом году.(昨年)とだけ答えても、ぶっきらぼうな感じはするが、質問に答えていることになる。新規の事柄として不完了体を使うということ自体が、おかしいことであって、不完了体は雰囲気に応じて、つまり場依存型なので、場独立型の完了体と違い、場がもともと存在しなければ、使いにくいということが理解されたと思う。

 しかし、このようなややこしいことをせずに、過去を示す語句があれば、完了体過去形をまず使うと覚えればよい。それが基本的にはアオリスト的用法である。体の用法の参考書では、アオリスト的用法というと、順次的用法(和文露訳入門2-2-3参照)ばかり紹介していて、よりポピュラーなアオリスト的用法に触れていないのは、著者が和文露訳の経験があまりなく、露文解釈中心に参考書を書いたという事であろう。1980年のアカデミーのロシア語文法(2巻本)の第1巻633ページにアオリスト的用法аористическое употреблениеとして、Во Владивосток я приехал в начале июля 1943 года.(ウラジオストークに私は1943年7月に着いた)という文が載っている。これを基にして、第3回に出題したわけであり、勝手に文法用語を作っているわけではないので、念のため。

設問)「それを見込んで、専門家を呼んでおきました」をロシア語にせよ。

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2012年10月07日

●和文解釈入門 第506回

日本で出ている文法書は、アカデミー版のロシア語文法(1980年、2巻本)を基にしていると思われる。文法は一つなのだが、今までの参考書は、文法書も含めて、ほぼ露文解釈用という観点に立っていて、和文露訳のために文法を教えるという観点が抜けていたのではないだろうか。だから、初級を終えて、ロシア語会話のために中級より上に自学自習しようと思っても、文法書も含めて、そのような参考書もないということになる。

 通訳や翻訳者出身で大学で教えている先生もいるやに聞くが、文法中心で和文露訳を教えているという方は知らない。私見では、それを教えるためには、自分で万の単位で例文を持っていないと、とてもロシア人とは渡り合えないような気がする。だからロシア人の先生に和文露訳をまかせよということではない。肝心の日本語の文法を深く理解していないのではないかという危惧があるからだ。中級や上級となれば、必要な語彙は飛躍的に増える。それに対応するような例文が全く少ないような気がして、自分のコレクション(9万を超えた)から、役に立ちそうなもの短文をこのコーナーで紹介しているわけである。

設問)「恥も外聞もない宣伝はその目的を果たす(効果を上げる)のだ」をロシア語にせよ。

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2012年10月08日

●和文解釈入門 第507回

これまでコレクションしていた完了体・不完了体同形の動詞のコレクションが昨日500になったので、そのうち使う頻度が高いだろうと思われるものを紹介する。これは和文露訳入門にも載せていないので、改訂版が出るようなら載せるが、いつになるか分からないのでここで紹介する。

7-5 完了体・不完了体が同形の動詞

 完了体と不完了体の形が同形である動詞は、一見便利なようで、使用されるときには完了体・不完了体のどちらで解釈してもよいという事ではない。使われる文脈によって完了体か不完了体かは分かるのである。私のコレクションには500ほどあるが、そのうちでよく使われるだろうと思われるものを紹介する。

абсолютировать (абсолютироваться は不完了体のみ)絶対化(絶対視)する、абсорбировать, абсорбироваться吸収する、автоматизировать, автоматизироваться自動化する、адаптировать, адаптироваться適応する、акклиматизировать, акклиматизироваться気候に慣れる、активизировать活性化する、анализировать分析する、аннулироватьキャンセルする、аргументировать論拠とする、арестовать逮捕する、ассоциировать, ассоциироваться連想する、атаковать (атаковывать という不完了体形もある)攻撃する、блокировать, блокироваться封鎖する、велеть(過去形は完了体のみ)命じる、военизировать, военизироваться軍事化する、гарантировать保証する、герметизировать (загерметизировать という完了体もある)密閉する、глобализироватьグローバル化する、госпитализировать入院させる、датировать (датироваться は不完了体のみ)日付を入れる、демократизировать, демократизироваться民主化する、демонстрировать (демонстирироваться は不完了体)デモする(見せる)、диагностировать (диагностироваться は不完了体のみ)診断する、документировать文書化する、европеизировать, европеизироватьсяヨーロッパ化する、женить, жениться(女性と)結婚する、заимствовать (позаимствовать という完了体もある。заимствоваться は不完了体のみ)借用する、игнорировать無視する、идеализировать (идеализироваться は不完了体)理想化する、идентифицировать, индетифицироваться同一視する、изолировать, изолироваться隔離する、импортировать輸入する、импровизировать (сымпровизировать という完了体もある。 импровизироватьсяは不完のみ)アドリブする、инвестировать投資する、индустриализировать, индустриализовать (индустриализироваться, индустриальзоваться は不完了体のみ)工業化する、инструктировать (проинструктировать という完了体もある)、инсценировать (инсценироваться は不完了体のみ)仕組む、интегрировать統合する、интенсифицировать強化する、интервьюировать (проигтервьюировать という完了体もある)インタビューする、интернационализировать国際化する、интерпретировать解釈する、информировать, информироваться (проинформировать (ся) という完了体もある)伝える、ионизировать, ионизовать, ионизироватьсяイオン化する、использовать (использоваться は不完のみ)使う、исследовать研究する、казнить(完了体および不完了体は「処刑する」という意味で、完了体には「苦しめる」という意味はない。казнитьсяは不完了体のみ)、классифицировать等級化する、кодировать (закодировать という完了体もある。кодироваться は不完了体のみ)コード化する、командировать出張させる、комментировать (прокомментироватьは完了体、 комментироватьсяは不完了体)解説する、компенсировать補償する、конкретизировать具体化する、координировать (скоординировать という完了体もある), координироваться連携する、кристаллизовать, криссталлизоваться結晶化する、лидироватьリードする、ликвидировать, ликвидироваться清算する、локализировать, локализовать, локализироваться, локализоваться局地化する、манкировать無視する、маркировать (マークをつけるという意味ではзамаркировать という完了体形もある)マーキングする、массировать (〔砲撃、部隊、飛行機を〕集結・集中するという意味。マッサージするという意味では不完了体であり、過去形のみ完了体にもなる)、метастазировать (метастазироватся は不完了体のみ)転移する、минимизировать最小限にする、минировать (заминировать という完了体もある)地雷を敷設する、миновать (минуть という完了体もある)過ぎる、модернизировать, модернизироваться近代化する、модифицировать, модифицироваться手直しする、наследовать (унаследовать という完了体もある)受け継ぐ、недоиспользовать使いこなせない、нейтрализовать, нейтрализоваться中性化する、нормализировать, нормализовать, нормализироваться, нормализоватьсяノーマルにする、обещать, обещаться (пообещать(ся) という完了体もある)約束する、образовать (образовывать という不完了体もある)形成する、обследовать (обследоваться は不完了体のみ)研究する、оперировать (手術するという意味のみ完了体・不完了体で、「利用する、作戦行動をとる、操作する」という意味では不完了体。口語で прооперироватьという完了体もある)、оптимизировать最適化する、организовать, организоваться (организовывать(ся) という不完了体は、現在時制では用いられず、организовать は過去では完のみ)、ориентировать, ориентироваться (сориентировать(ся) という完了体もある)方向付けをする、парализовать, парализоватьсяマヒする、патентовать特許を取る、популяризировать, популяризовать (популялизироваться, популяризоваться は不完了体のみ)分かりやすく説明する、прогнозировать (прогнозироваться は不完了体のみで、спрогнозировать は口語の完了体)診断する、ранить傷つける、реализовать, реализоваться実現する、редактировать編集する、рекламировать宣伝する、рекомендовать, рекомендоваться (勧めるという意味ではпорекомендоватьという完了体もある)紹介する、勧める、реконструировать, реконструироваться再建する、реставрировать (отреставрировать という完了体もある)修復する、реформировать, реформироваться改革する、роботизироватьロボット化する、родиться (不完了体の意味では過去形の力点はиのみである。 рождаться という不完了体もある)生まれる、сигнализировать (сигнализовать、またпросигнализировать という完了体もある)アラームをかける、синтезировать, синтезироваться合成する、синхронизировать, синхронизоватьシンクロさせる、同期する、систематизировать体系化する、специализировать, специализироваться特殊化する、стабилизировать, стабилизироваться安定する、стандартизировать, стандартизовать, стандартизироваться, стандартизоваться標準化する、стартоватьスタートする、стимулировать刺激する、стыковать, стыковаться (стыковывать(ся) という不完了体もある)ドッキングする、терроризироватьテロをする、тестировать心理テストをする、трансплантировать移植する、транспортировать輸送する、тушироватьフォールする、унифицировать, унифицироваться統一する、фиксировать, фиксироватьсяフィックスする、финансировать融資する、формализовать形式化する、формулировать (сформулировать という完了体もある)公式化する、функционировать機能化する、характеризовать (характеризоваться は不完了体)特色づける、эвакуировать, эвакуироваться避難する、экспортировать輸出する

設問)「彼が勝つために戦ったのは、入賞するためではなく、栄誉のためだった」をロシア語にせよ。

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2012年10月09日

●和文解釈入門 第508回

(226) 「露国及び露人研究」大庭柯公、中公文庫、1984年
 ジャーナリスト大庭柯公(1872~1923)のロシアおよびロシア人についての評論集。1925年初版。20世紀初期で革命前のロシアについてのエッセー集だが、湯屋(蒸風呂бани)は混浴だとか、三助のチップの出し方、待合дом свиданияの様子も興味深いし、屑屋はХалат! Халат!と呼びかけるなど現代ではなかなか分からないことなども窺える。ユダヤ嫌いのようで、これもロシア人に感化されたせいか。ロシア全般、モスクワやペテルブルグの記述は百科事典から取ってきた様な感じもするが、ウラジオについては実体験が反映されて非常に生き生きとして書かれていて好感が持てる。1914年ごろには桐生悠々という人が信州と甲越の有志を連れてウラジオに観光旅行に行ったり、ロシア人も箱根まで観光したことが分かる。大庭柯公は1921年モスクワで消息を絶ったが、久保田栄吉(本名寺田二三朗といい、本人は否定しているが軍事密偵として入露した模様、1887年生)の「赤露二年の獄中生活」(矢口書店、1926年)に、久保田がモスクワ陸軍大学日本語教授となる約束で入露し、イルクーツクにて大庭柯公や富永某の軍事密偵であるとの密告により入牢したが2ヶ月後無罪釈放。これは大庭が万朝報をレーニンに買収してもらえないかという提案を久保田が拒否したからだと久保田は書いている。モスクワで秘密警察に逮捕され、その後2度死刑判決を受けた。大庭と同じブトゥルカ刑務所に入れられ、シベリアの刑務所を転々としてウラジオから帰国した。日本に帰国して大庭に書き立てられることを恐れる片山潜の画策により、大庭はペルミの刑務所で1923年2月ごろ銃殺されたと聞いたと書いている。大庭は政治犯ではなかったために、強盗と一緒の牢屋に入れられたためひどい目に遭い、死ぬまで片山を恨んでいたという。久保田はモスクワでも片山や大庭の密告で逮捕されたが、後に大庭がわびて、久保田は無罪であるとの書面で提出したため、また密偵であることに対してしらを切りとおし命が助かった。一般に、この久保田の本はロシアの刑務所の現実をよく描いているが、当時の日本ではそこまでソ連がひどいとは信じるのは難しかったろう。久保田自身が軍関係であり、後にユダヤフリーメーソンの研究家となっているから色眼鏡で見られたのかもしれない。本書を読んでも当時のボリシェビキーのトップがほとんどユダヤ人に占められていたからか、ユダヤ人についてはやや感情的になっていて、いい思いを抱いていないことが分かる。

設問)「回りには他に船はない」をロシア語にせよ。

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2012年10月10日

●和文解釈入門 第509回

(225) 「ある心の自叙伝」、長谷川如是閑、日本人の自伝第4巻所載、平凡社、1982年
 1948年初出。大正デモクラシーの花形評論家と言われた長谷川如是閑(1875~1969)の自伝で、雑誌「日本」に入社の頃(1902年)までを扱う。如是閑の父が浅草の花屋敷を作ったとか、兄の山本笑月(明治世相百話の作者)が坪内逍遥の「書生気質」の名目発行人だったとかというのは面白い。如是閑も逍遥の塾に通った。逍遥は昔の戯作者のように左の膝を立てて、長煙管を持った手をその膝にのせる癖があったとあり、立て膝というのも正座や胡座とともに用いられていたことが分かる。ただ自伝とはいえ、明治維新から後の思想史めいたものが、自伝の背景を示すためなのだろうか入っているために、何かまとまりのつかないような印象を受ける。出だしの胎児としての自分が母の胎内から出てくる場面にしても、小説としてならともかく自伝では唐突な感じを受ける。自伝だけにすればもっとまとまりのあるものになったと思われる。

設問)「専門家派遣の件はどうなりましたか?」をロシア語にせよ。

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2012年10月11日

●和文解釈入門 第510回

(227) *「自叙伝」(5巻)、河上肇、岩波文庫、1996年
 河上肇(1879~1946)の自伝。村長の長男として生まれ、病弱ではあったが、幼少より根気強かったことが分かる。異母弟の暢輔が大砲を打つと言って、おなら一発の直後、ついでに実弾も畳の上に落として爆笑を得たのに、自分はそのような快活さはなかったなどと非常に客観的に幼少期を描いており、家族の慈愛に恵まれて成長したことがよく分かる。特に面白いのは幼少期と4年半の下獄の期間、特に同囚の人達についての描写である。留置場から刑務所に移るときに手錠を下され、編みがさをかぶらされて護送車に乗ったとあるなど1930年代の監獄の様子がよく分かる。人間味のあるそこはかとないユーモアのある文体である。河上は1924年にマルクス主義に徹底するために生命がけの飛躍を決意した。そして「マルクス主義こそが、またそれのみが、間違いもなく、この地球上に永久の平和をもたらすであろうことを、科学的真理として固く固く信じ」て死んだ。もう30年生きてソ連の収容所や経済の惨状を見たら何と言ったろう。ソ連はマルクス主義を誤ったというか、あるいは、河上らしく、思想の弁証法的発展により、誤謬に気がついたら学説を直ちに否定したろうか?多分否定して、別の学説に進んだろうと思う。ロシア語でエクスというのはボリシェビキなどの党の資金稼ぎの強盗を指す。スターリンもカモーなどに銀行強盗をさせ、海外のレーニンが何不自由なく生活できるよう送金をした。本書によれば日本でも日本共産党の起こした大森ギャング事件というのがあり、1932年川崎第百銀行支店に白昼ピストルを擬して三万円(現在なら1000万円くらいか)を強奪した事件で、河上の義弟大塚有章が首謀者だったが、実は警察のスパイ松村某(共産党中央委員だった)の仕掛けた罠にかかり、即一網打尽に逮捕されたという。日本のエクスについては1885年の自由党による大阪事件ぐらいしか知らなかったので勉強になった。本書によれば1921年「断片」という半ば小説のようなロシアのテロリストに関するものを発表し、即発禁になったが、これに触発されて難波大助が縁戚でもある伊藤博文がロンドンで買った仕込杖の銃で、1923年虎ノ門事件を起こした。巷説によれば罪を悔悟したことになり、無期懲役ということになっていたが、判決のときにコミンテルン万歳を三唱し、死刑となったと本書にある。たんなる売名行為のお坊ちゃんではなく確信犯だったようである。ただ、客観的に河上という人を見れば、人物も書いたものも面白く、人からは募われたようだが、人に対しては非常に冷たい人で、人が河上に尽くすのは当然であると、夜郎自大的に考えていた節があり、人間的には好きになれない。

設問)「貴国のスキーチームは何個メダルを取りましたか?」をロシア語にせよ。

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2012年10月12日

●和文解釈入門 第511回

(228) 「北京籠城他」、柴五郎・服部宇之吉、東洋文庫、1965年
1900年の義和団事件における各国公使館の9週間にわたる北京籠城について当事者が述べたもの。柴五郎(1860~1945)のは講演の口述筆記のためもあり、頭脳明晰ということもあって非常に分かりやすい。日本管区においては北京公使館付武官柴五郎砲兵中佐の軍紀が厳正であり、中国人をよく保護したため、中佐の徳を慕って、他国軍の管区より移住する住民が続出したことは有名である。他国軍の管区では略奪が頻出したという。本書の記述を見ても中佐の功を他に譲るという謙虚な人柄が偲ばれる。服部宇之助のは「北京籠城日記」は柴のと重なるということと、「北京籠城回顧録」は往時を分析したものゆえ価値は高い。柴五郎には石光真人(石光真清の令息)の編集した「ある明治人の記録(会津人柴五郎の遺書)」(中公新書、1971年)という半生記があるが、達意の名文で人柄がしのばれる。

設問)「日中の温度が30度以上と暑くなる日は珍しい」をロシア語にせよ。

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2012年10月13日

●和文解釈入門 第512回

「毎日通勤しています」という類の文を、応用性がないから出題しないと書いたが、考えてみると、常連の投稿者にとってはそうかもしれないが、このコーナーをただ閲覧するという人にとっては、そう簡単ではないかもしれない。実際に投稿しなければ分からないということは多々ある。簡単だと言えるのは、体の用法の観点からで、「毎日」とあるから反復であり、不完了体を使うという点だけである。それ以外の、難しいだろうと思われる点を挙げてみよう。

1) 主語がないというよりは、明示されていない。
日本語で主語が明示されていなければ、一人称と考えるのが普通である。文末に「よね」など助詞をつけないと、「あなたは通勤しています」という文は、座りが悪く、外人の日本語である。三人称なら、それこそ、「あの人が」とかと主語を明示する必要がある。一方、疑問文なら、二人称となる。自分に対して、記憶喪失でもしなければ、こういう事を尋ねることはないし、その場合は、「僕は」とか「私は」とか主語を明示するのが普通である。ロシア語でも動詞の活用語尾で、現在形(不完了体)や未来形(完了体)は人称が分かるので、主語を明示する必要はない。

2) 「通勤しています」
「通う」というのは、「行って来る」ということで、不定動詞を使う。しかし、なぜ定動詞ではだめなのか、使える場面がないかをきちんと説明しておかないと、従来の勉強法である丸暗記しかないということになる。定動詞は一方向しか示さない。だから、反復や繰り返しでも、次のような場合は使える。

(朝大学へは歩きで、夕方帰宅するのはバスです)Утром я обычно иду пешком в университет, вечером еду домой на автобусе.

3) 通勤
「会社に行く」という意味だが、人によって、オフィスв офисかもしれないし、工場на заводかもしれないし、作業場в мастерскуюかもしれない。на работу = на место работыなので、これを使えばすべてカバーできる。会社勤めをしている人が大半だから、в фирму (на фирму), на компанию (в конманию)も可能だろうが、あまり聞かない。ついでにместоはнаを取るのが普通だが、на местоかв местоのどちらかについては、「女性のための技術ロシア語」の6. 場所に書いておいたので、興味ある方は参照願う。

4) 不定動詞
「通勤する」が歩いてなら、ходитьで、家から会社までずっと、自転車かマイカーで通勤するならездитьである。ところが、普通は、家から駅まで、10分かその程度歩き、地下鉄か電車で会社の最寄り駅まで行き、そこから10分程度は歩くだろう。こうなると心理的な問題でもある。歩き以外が長いと感じればездитьだが、そういう事を意識しないなら、ходитьが使えるというふうに理解することも可能だが、ходить = отправляться куда-либо, бывать где-либо, посещать кого(что)-либоという意味があり、それは歩くことを必ずしも意味しない。語結合辞典のこの文意の例文でも、В прошлом месяце мы несколько раз ходили в Большой театр.(先月何回かボリショイ劇場に通った)は、地下鉄やバスを使わずに、歩いて通ったとは考えにくいからだ。

 以上から、露訳するとしたら、Хожу на работу каждый день.が一番自然のような気がする。こういう短文を丸暗記するのは簡単だが、そうではなく、学習者に応用力をつけさせるような教え方をした方が、あるいは、そのような参考書で自学自習したほうが、勉強への意欲もわくし、結局のところ学習の効率も高いのではないだろうか。問題は、和文露訳に関してそのような参考書がないということであり、微力ではあるが、このコーナーがそういう方面のテストケースとしての役割を果たせればよいと思う。果たせたのかどうかは別として、そろそろその役割が終わりつつあることは確かである。

設問)ゴルフのルールの説明で、「打数が少ない人が勝つのだ」をロシア語にせよ。

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2012年10月14日

●和文解釈入門 第513回

(229) 「明治日本見聞録」、エセル・ハワード、島津久大訳、講談社学術文庫、1999年
1901年から1908年まで日本に滞在した英国夫人エセル・ハワード(1865~1931)による島津家の5人の子息の養育体験記。同じころ日本に滞在したベルギー公使夫人で英国人女性のエリアノーラ・メアリー・ダヌタン(1858~1935)も「ベルギー公使夫人の明治日記」(長岡祥三訳、中央公論社、1992年)を書いており、当時の日光や鎌倉の様子や日清日露戦争時代の日本の上流階級の様子が垣間見える。ダヌタンは「ソロモン王の女王」を書いたヘンリー・ライダー・ハガードの妹で文才もあった。アーネスト・サトウやイザベラ・バードとも親交があったことが分かる。京都は古き日本そのものであり、有難いことには嫌なにおいがしないと書いてある。日本中糞尿の匂いが鼻についていたのだろう。

設問)「3位で来たのは誰ですか?」をロシア語にせよ。

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●和文解釈入門 第514回

(230) 「英国人写真家の見た明治日本」H.G. ポンディング、長岡祥三訳、講談社学術文庫2005年)
 ポンディング(1870~1935)は英国の写真家。本書の中に「外国人の見物客が大仏の手に登ったりして、馬鹿げた不敬な悪ふざけをしたために…」写真を撮るのが許可制になったと記されている。これは1901~02年ごろらしい。つまり写真機が一般的になってから、外国人のこういう悪ふざけがはやったものらしいとあるのは興味を覚える。

設問)「彼女は舞踏会では御主人とペアで素晴らしい踊りをみせた」をロシア語にせよ。

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2012年10月16日

●和文解釈入門 第515回

skypeを通じて通訳を依頼された。行ってみると、相手のロシア側のコンピューターの音声の調子が悪く、結局チャットですることになったが、今度は日本語側のコンピューターが露文にならない。多国語機能がウィンドウズについているから、簡単にできそうだが、かなり複雑なデータのやりとりがあり、再起動したくない様子である。相手からはちゃんとロシア文字で来る。そこでテレックス時代の事を思い出して、ローマ字でロシア語を打つという20年前にやっていたことを提案、1時間ぐらいロシア語でやりとりした。後で聞いたら日本側はskypeで通訳がロシア語で話すことを考えていたのだが、相手のロシア語がはっきり聞こえるかどうかは分からないので、ロシア側からはチャットという具合に考えていたようである。ただローマ字で打つという発想は今の若い人にはなかったようなので、喜ばれた。ちなみに、「3位で来たのは誰ですか?」と、その私の回答をローマ字にすると、
san'ide kitanowa daredesuka?
Kto prishel tretjim? となる。ロシア文字のローマ字化にはイギリス方式とアメリカ方式があり、щをshchとするか、schとするか、цをtsとするか、cとするかなどマイナーな違いがある。これは電報時代からのもので、PLS = please, ASAP = as soon as possibleなども電報代を節約しようとする試みで、それがテレックス時代に使われたものである。みなが英語ができるわけではない、特にお偉方は、それで小さな商社では、ローマ字でテレックスをモスクワの事務所や、ソ連の公団に打つ場合が多かったので、それが今回役に立ったわけである。それと、他のパソコンでロシア文字を打つとなると、設定をロシア語に代えても、タイプキーにロシア文字の配列を示すものはないのだから、自分のパソコンのタイプキーにロシア文字を貼り付けている人は、打ちにくいかもしれない。私は40年近くロシア語をやっているので、自分のパソコンにもそのようなシールを貼るのを10年くらい前に止めてしまった。それなしでもロシア文字を打てるからである。学習者も、そういうある種のメクラ打ちのような練習もしていた方がよいのかもしれないなと思った。

設問)中座する際、相手に酒などを勧めての「勝手にやっててくれ」をロシア語にせよ。

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2012年10月17日

●和文解釈入門 第516回

最近観光ガイドをすることも、客が来ないので、あまりないが、その数少ない中で、ウクライナ人の客から、マスクの事を聞かれた。いつものように、花粉症аллергия на цветениеでしょうと答えたら、何のと尋ねられたので、ウクライナにあるかどうか知らないが、今の時期(先週の話)なら雑草のブタクサамброзияでしょうと答えたら、ウクライナでもアレルギー源だという。ロシア人に聞いてもブタクサの名は知っていて、結構ポピュラーな雑草のようである。北米原産の帰化植物натурализованное растение родом из Северной Америкиだと言ったら、日本もアメリカに占領されたのか、ロシアのブタクサもアメリカの秘密兵器かもしれないなとロシア人に冗談を言われた。

設問)「マイナスかけるマイナスはプラスだ」をロシア語にせよ。

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2012年10月18日

●和文解釈入門 第517回

前々回の設問〔中座する際、相手に酒などを勧めての「勝手にやっててくれ」〕については、設問自体があまりにも人工的と考える人もいるかもしれないが、こういう思い出がある。会社の飲み会などに行くと、1時間ほどして上役はお先に失礼するとばかり、このセリフを言って、いなくなるのだが、ロシア語で何と言うのか、入社早々の頃気になったことがある。当時、高輪のソ連通商代表部の何人かとは日頃の付き合いもあり、聞こうと思えば聞けたのかもしれないが、ロシア語で質問するにしてもややこしいし、特に急ぐような話でもない。そのままにして、10年か15年か過ぎた。

 モスクワに駐在して、地方に出張した時の事、工場の夕食に招待された。宴たけなわとなったときに、工場の偉い人が、急用ができたという事で帰ることになり、そのときにПейте без меня.と言ったわけである。その後、2~3回、宴会の別な機会に、別のロシア人がこう言うのを耳にすることがあり、これは状況から判断して、「勝手にやっててくれ」という意味であろうという事に気がついた。ソ連と日本は体制は違うとはいえ、同じ人間であり、現代人であれば、同じような状況下におかれるわけで、しかも、このような表現は不要不急のものなので、辞書や会話集に載ることはまずない。そうなると、似たような状況下で偶然発話された表現を、覚えておくしかないと思う。こういうロシア語は言わないという、ロシア人の方もいるかもしれないが、それはそれで構わない。自分としては、2回か3回であろうと、そういう状況を覚えているわけだし、他の人に強制はできないし、するつもりもないが、「自分のいないところで(自分がいなくても)飲みなさい」というのは、論理的だなと、酔っ払った頭で感じたことを覚えている。最近「ネップ時代のモスクワМосква НЭПовская」というРуга/Кокоревの本を読んだら、この表現が載っていたので、まんざら私の記憶違いというわけでもないと知って喜んだ次第。

設問)「アネクドートによっては、語るだけではなく、身振り手振りが不可欠である。これは書いたものでは無理だ」をロシア語にせよ。

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2012年10月19日

●和文解釈入門 第518回

 初級者の人にとって体の使い分けというのは敷居の高いものかもしれない。理屈は和文露訳入門にも書いたので、もっと初級者がロシア語会話をする上で、実用的な体の使い分けを書いて見たい。10ヶ条挙げたが、とりあえず、最初の4ヶ条だけ覚えればよい。理屈が気になれば、それは上達の証なので、その時は和文露訳入門を読んでもらえばよい。

<体の使い分けの目安10ヶ条>
 完了体は完了を、不完了体は反復とだけ覚えても、ロシア語会話をする上では体の用法が使えない。そこで、簡便な体の使い分けについて書いて見たい。通訳しているときには、1秒の何分の一かで単語を決めなければならず、概ねどのような体を選ぶか、体が覚えるまでにはこのような使い分けを覚えておくのも無駄ではないだろう。概ねということで、細かく言えば例外も出てくることもある。とりあえず、最初の4ヶ条を覚えればだいぶ違うだろう。その後で、残りの6ヶ条を覚えるとよい。例文やもっと詳しい説明については和文露訳入門の該当項目を示しておいた。

1. 過去を示す状況語(1年前、1965年、昨日など)があれば、完了体過去形を使う。アオリスト的用法で、和文露訳入門2-2-1参照。
2. 禁止や不必要には不完了体を用いる。禁止については、和文露訳入門3-2-4参照、不必要は和文露訳入門5-1-4 & 6-1-2参照。
3. 不可能には完了体を用いる。和文露訳入門3-2-3参照。
4. 規則的な反復や、多くの回数というニュアンスがあれば、不完了体を過去・現在・未来の時制、不定形で使う。命令法でも基本的にはそうなのだが、他の要素が強く出てくるので別に考えた方がよい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
5. 何かあれば(起こるかもしれないし、起こらないかもしれないが、起こったら~する」という)ニュアンスがあれば、完了体未来形を使う。例示的用法で、和文露訳入門4-2-3参照。時制的には現在及び未来ということになる。
6. 過去から現在までの継続動作には不完了体現在形を使う。和文露訳入門3-1-3参照。
7. 動作が終わって、その結果が残っている場合は、完了体過去形を使う。結果の現存、和文露訳3-2-1参照。
8. 動作の有無だけに関心がある場合には、過去(和文露訳入門2-1-1参照)でも未来(和文露訳入門4-1-1-1参照)でも、不完了体を用いる。結果の有無を現在の時制で尋ねることはないはずである。
9. 不定法で具体的な1回の動作には完了体を用いる。чтобыの後には基本的には完了体が来ると覚える。不完了体が来るとしたら、研究するなどの期間を示す動作や、繰り返しである。和文露訳入門6-2-1参照。
10. 経験(~したことがある)は不完了体過去形を使う。和文露訳入門2-1-12参照。

設問)「7月13日の出来事について何かご存知ですか?」をロシア語にせよ。

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2012年10月20日

●和文解釈入門 第519回

何年か前、ある通訳の方から、ロシア語研究者の集まりで、ロシア人研究者の講演の通訳をした話を聞いた。その通訳の方曰く、通訳の仕事があるのは結構なことだが、皆、ロシア語の専門家なのだから、少なくとも講演に関するロシア語については、話せるかはどうかは別にして、専門文献をロシア語で読んでいるはずなので、通訳は要らないはずなのにと不思議がっていた。思うに、ロシア語の専門家といっても、ロシア語は読めるが、会話や聞きとりはダメという人もいるだろうと思う。ロシア語を学校で教えていないのなら、それでも構わないと思う。ただ、ロシア語を教えていて、日常会話や、自分の専門分野(例えば、ドストエフスキー、体の用法、ロシア語教育論)などを、同じ分野のロシア語研究者と意見交換ができないというのであれば、教わる生徒の方が納得しないだろうとは思う。ただ会話は教えないのだから、ロシア語は話せなくてもよいというのはおかしい。何も専門外の技術通訳や、政治・経済の通訳をせよということではないのだ。自分の専門についてロシア語でロシア人の専門家と意思疎通できなければ、研究内容や質の向上は望めないと思う。ドストエフスキーは日本で人気のある作家で研究されている方も多いと思うが、必ずしもロシア語の原文を通じてとは限らないと思う。そういう研究者の方のことを言っているのではなく、ロシア語原文でロシア関係の研究をする方についての話なので、誤解されないようお願いする。

 そのときはそう思ったのだが、確かにその専門分野の文献が読めて、ロシア人研究者の同じ専門の話を聞きとれないというのは、努力不足だろうと思う。話すのは難しいかもしれないが、文献が読めて、その文献と同じような内容が聞き取れないというのは、少し耳慣らしをすればできるようになるはずである。ちなみに、その講演会での質疑応答というのは、あまりなく、あっても通訳を通じたのがお義理に2、3つあった程度だという。

設問)「本当かどうかは保証の限りではありません」をロシア語にせよ。

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2012年10月21日

●和文解釈入門 第520回

 真理の提示には不完了体現在形を使うということで、和文露訳入門でも3-1-10に、
(地球は太陽の周りを回っている)Земля вращается вокруг Солнца.
という例を挙げているのだが、こういうのは公式として覚えるのではなく、なぜ不完了体なのかを考えた方がよい。日本語教育でも、真理や習慣は超時なので現在で表すとあるだけであり、それ以上の説明はない。私見を述べると、今現在である2012年10月21日午前6時でも「地球は太陽の周りを回っている」わけで、これは過程を示していることは明らかである。完了体は過程を示せないので、不完了体現在形を使う事になる。また現在というのは刻々と未来に移行しているわけで、1分後には午前9時1分が現在となる。このようにして、24時間後には、22日の午前6時が現在となるわけである。その時点でも、過程として地球は回っているわけである。イェスペルセンは「文法の原理」(安藤貞雄訳、岩波文庫、2006年)において、「現在というのは厳密に言えば現在の一瞬であり、点としてとらえることができる。ただ現在の一点が言及された期間内に入っていれば現在の時制であり、繰り返しについても総称時ということで、現在の一点が含まれているから現在の時制になるのだ」と指摘している。つまり、22日の午前6時現在にも地球は回っているわけで、これが反復(繰り返し)において不完了体が使われる理由でもある。つまり「地球が太陽の周りを回っている」に不完了体現在形が用いられるのは、過程の意味と、それによって生じる反復の意味があるからだと考えた方がよいことになる。

 天動説の人にとっては、Солнце вращается вокруг Земли.(地球の周りを太陽が回る)が真理であり、その証拠はと聞かれたら、日は東から昇り、西に沈むと言うだろう。我々にとって、それは真理でないから完了体を使わねばならないのだろうか?真理は不完了体現在形で表すと教条的に考えるよりも、なぜ不完了体現在形を用いるのかを考えた方がよいという事がお分かりだろう。真理というのは立場によって変わる場合もあるということにもなる。アメリカでは聖書を文字通り信じている人がいるわけで、そういう人にとって地動説は真理ではないという事になる。真理は不完了体と覚えるのではなく、もっと時制や態の用法に着目して理解するようにしないと、混乱することもありうるわけである。日本人の常識が通じないことは世の中にいくらもあるし、日本人の中ですら、細かく見ていけば考え方にいろいろ差があることは、日常よく経験することでもある。ゆえに、真理および話し手の考える真理は、話し手が事実と考えるゆえに、過程の意味(その時点でその動作が行われている)と、常に反復される(真理とは反復されるものである)といういうことで、不完了体現在が使われるという事になる。

設問)「帝は一度、酔っ払いの一団と来たことがある」をロシア語にせよ。

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2012年10月22日

●和文解釈入門 第521回

(231) 「ある歩兵の日露戦争従軍日記」、茂沢祐作(もざわゆうさく)、草思社、2005年
 日露戦争に従軍した庶民の茂沢祐作(1881~1949年)の従軍日記。原題は「明治三十七、八年日露戦役従軍日誌」。彼はクリスチャンで下戸だったが、語彙の豊富さには驚くばかりである。戦争の日常を、戦場も含めて淡々と描いている。捕虜を見て、「気の毒で可憐の情を催す」とあるのは、長谷川伸の「日本捕虜志」にもあるように、敵の捕虜に対するこの頃の一般的庶民の心情のようである。また日本酒の缶詰、粉味噌、醤油エキスなどが戦場に持ち込まれていたことが分かる。ロシア人の中にもズボンと長靴のみの裸で、爆裂弾を抱いて突っ込んだものがあり、すぐ突き殺されたがその勇敢さには驚いたとある。日露戦争のような勝ち戦でも、弾丸雨飛で、茂沢も左太ももに盲貫銃創、右太ももに貫通銃創を負い、また二度も抱えた小銃に弾が当たり運よく戦死を免れたりした。死が日常であったことが分かる。しかし、兵の生死の分かれというものは、大岡昇平の「レイテ戦記」にも描かれているようにや、同じ日露戦争でも乃木の第3軍に配属された兵など、将の不出来からほぼ確実に死地に追いやられなどしたから、そういう意味では少なくとも不運ではなかったと言えよう。戦時でも双方の死傷者の収容のための2~3時間の休戦があったことが分かる。日露戦争の従軍記には石光真清の「望郷の歌」(現代日本記録全集6日清・日露の戦役所載、筑摩書房、1970年)があるが、石光は第2軍(奥軍)の副官であり、軍神橘少佐の最後などは興味深いが、実戦でのリアリティーは本書に比べて、落ちる。ただ南山の戦いにおいては機関銃で敵になぎ倒される兵が相次ぎ、それでも「全滅を期して攻撃を実行」という命令を下さるを得ず、敵が旅順方向に退却しなければ、乃木軍と同じ目に遭っていたかもしれない。これも運か。しかし、石光と乃木では立場も違う。石光のは「曠野の花」の方がはるかに良い。

設問)「私はテレビで宇宙船のドッキング(アンドッキング)を(たまたま)見ました」をロシア語にせよ。

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2012年10月23日

●和文解釈入門 第522回

「見る」という意味では問題ないのだが、「会う」という意味ではувидетьはвидетьと違い、動作の開始の瞬間を表しているので、過去の時制でувидетьは使えないが、不定法や未来の時制ではувидетьの方が一般的である。例外はРад вас видеть.(お目にかかれてうれしい)ぐらいだろう。これは時制によって体が変わる例でもある。

Я видел профессора.(私は教授に会った)
Я увижу профессора.(私は教授と会う)
Он знал наше мнение.(彼は私たちの意見を知っていた)
Он узнает наше мнение.(彼は私たちの意見を尋ねる)<力点はузнаетのна>

 結果の現存の用法は完了体過去形を使うのだが、ボンダルコ先生は経験の集積という場合に、不完了体であるвидеть, знать, читатьには結果の現存の意味を示すことがあるとして、

Он много видел, много знал и от него я многому научился.(彼は多くのことを見聞し、又彼から私は多くのことを学んだ)

 という例を挙げている。ただ何度もという繰り返しが含意されている以上、不完了体しか用いられないことは自明だ。完了体過去形を用いるとしたら、例外的に動作の一括化(和文露訳入門2-2-5参照)ぐらいだろう。видеть/смотретьの違いについては、和文露訳入門10-8参照。

設問)「急ぐので彼はタクシーをつかまえた」をロシア語にせよ。

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2012年10月24日

●和文解釈入門 第523回

児童文学は文脈がはっきりとしていて、俗語や隠語、廃語などの使用もないので、露文解釈にも、和文露訳の勉強をするにもお勧めだが、その他に、本では学べないロシア人にとっての常識が書かれていることもあるので、そういう面でも貴重な教材でもある。最近8年前に買ったムルジールカ記念号を読む機会があった。ムルジールカМурзилкаというのはは1924年5月創刊の由緒ある児童雑誌で、2004年に80周年記念号が出たわけである。このムルジールカというのは、黄色い猫のような、クマのようなアイドルキャラクターである。この記念号はそれまでに載った作品の選りすぐりであり、その中に「エチケット授業Уроки Этикета (Н. Емильяненко)」という2ページほどの小品がある。もっとも載っているのは小品ばかりだが。
ダリヤという女の子には男の子の友達が二人いる。二人ともいい子なのだが、家に呼ぶと、ダリヤのママがいつも厳しい目で二人を見ている。特にエピーシュキンに対してはそうである。ママはマナーхорошие манеры(複数のみ行儀という意味になる)にうるさい人で、エピーシュキンにはそれがない。『エピーシュキンが家に来ると、ダリヤは手に室内履きтапочкиをもって出迎える。「エピーシュキンは靴を脱ぐのを忘れて、そのまま外に履く靴で家の中に入って来るのだ (Он забудет разуться: так и пойдёт в комнату в уличных башмаках.)<児童文学でもこのように例示的用法が出てくる>」。夏はまだいいのだが、ぬかるみの季節などでは(家の中に)足跡がつく。』。
 ロシア人の家庭でもスリッパを出されたことは記憶にあるが、靴を脱いで、室内履きに履き替えるのがロシア人にとってエチケットであり、幼いうちに教えなければならないことになっているというのは驚きだった。ロシア人も欧米人のように、基本的に靴は脱がないと考えてきたから、そうではないことを教えられた次第である。

設問)「不合格品の率はどのくらいですか?」をロシア語にせよ。

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2012年10月25日

●和文解釈入門 第524回

ロシア語ではガイドでも通訳でも食べていくことはほとんど不可能だが、ロシア人とのビジネスや文化での行き来がある以上、これからも細々とでも続くだろう。ロシア語がある程度できれば、プロとしてではなくとも、その場の成り行きや頼まれてのガイドや通訳というのはあると思う。ガイドと通訳は基本的に同じだと考える人もいるかもしれないが、それは違う。ガイドは、ロシア語で考えることを求められる。一方、通訳は、日本語からロシア語、ロシア語から日本語と、二つの言語の差を常に意識していないと正しい通訳はできない。またガイドはスケジュール内でのある程度の自発性、自立性、決断力が求められる。ガイドするときには旅行会社のエージェントがつくことはほとんどないし、客と1対1での対応が求められる。お金や日程などに絡むなど決められない問題は電話で旅行会社に指示を仰ぐが、そうあるものではない。一方、通訳は黒子に徹することが求められ、いい意味でも悪い意味でも通訳が目立つことは、結局は良い結果にならず、空気のような存在であることが望ましい。

設問)「クラスが荒れている」をロシア語にせよ。

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2012年10月26日

●和文解釈入門 第525回

(232) 「湛山回想」(石橋湛山、岩波文庫、1985年)
 1951年初出。戦後首相にもなった石橋湛山(1884~1973)の自伝。戦前戦後の経済状況を戦前は東洋経済の記者としての観点から、戦後は為政者の視点から簡潔な飾らない文体で書いている。

(233) 「順礼紀行」、徳富蘆花、明治文学全集47、筑摩書房、1966年
 キリスト者である蘆花(1868~1927)が1906年4月4日横浜を発ち、キリスト教の聖地(エルサレム)、エジプト、ロシアを経てシベリア鉄道経由8月4日敦賀に帰着するまでの紀行。文語体だが分かりやすい。ピラミッドの上に蘆花が鉛筆で書き、べドインの人が小刀で彫って落書きしたとあるが、当時は問題にもならなかったらしい。本書の白眉はトルストイ訪問であり、蘆花が抜き手を切って泳いだところ、日本人の泳ぎ方はロシア人と同じだ(сажёками?)と述べたとか、トルストイの三大恩人はキリスト、シャカ、孔子だというのも面白い。父について三男のレフは父は常に説くのみにて何も実行せずとか、父の議論は理想に馳せて、実際に適せずというのは内側から見たトルストイということになろう。絵についてはトルストイはゲーを高く評価していることを伝え、著者はヴェレシシャーギンの絵はセンセーショナルすぎてと批判している。トルストイ訪問を終えてモスクワに出たわけだが、治安の悪さに驚いている。当時は第一次革命の余燼がくすぶっていたころだろう。それでも競馬には普通のと、軽車を駕しての競馬所と相並べりとあるのは、ソ連時代まで行われた競馬の様子がよく分かる。

設問)「私に子供がいるという事をお忘れですね」をロシア語にせよ。

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2012年10月27日

●和文解釈入門 第526回

забыватьは過程の意味では用いないと書いたが、そうとも言い切れない例をネットで見かけた。「徐々に忘れる」はзабыть постепенноだが、забывать постепенноと不完了体もたまにネットで見かける。これはпостепенноという副詞は、語義から過程を示すからと考えての誤用かもしれない。постепенноは不完了体とだけの語結合と思いがちだが、完了体とも結びつき、привыкнутьとзабытьとは特に相性がよい。забыть быстро (сразу)〔どんどん(すぐに)忘れる〕の対義語として、動作を一括して捉え、過程ではなく、すぐにではないという、その様態を示すということからかもしれない。

設問)「ゴルフを教えてください」をロシア語にせよ。

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●和文解釈入門 第527回

感覚的・直観的に分かる暗示的知識だけでは、「は」と「が」の使い分けなどは外国人に説明できない。同じことが体の用法にも当てはまる。ロシア語学の専門家を除けば、ロシア人とて体の用法を、その理論的説明を十分に理解しなくては、我々日本人に説明できないのである。こうは言わないだけというだけで、なぜそうなるかの説明がなければ、全く同じ文を同じ文脈で用いる場合はともかく、実務において応用が効かないという事は分かるだろう。

設問)「発車までどのくらいですか?」をロシア語にせよ。

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2012年10月29日

●和文解釈入門 第528回

ロシア人からよく日本語で別れの挨拶は何というのか聞かれるので、さようならだと答えるが、そのたびに、ちょっと違うなという気がする。外国人が使う分には、さようならでよいのだろうが、さようならは目上には使わない。目上や親しくない人に対しては、「失礼します」だが、その説明をすると待遇表現とか敬意表現に関わって、ややこしいのであまりしない。一度、日本語に興味を持っているというロシア人の若い女性から、日本語での会社での挨拶を聞かれたので、そのときは「失礼します」を教えたら、タクシーの運転手にも、レストランでも「失礼します」と言っていた。

 日本語教育では、「御苦労さま(でした)」は労をねぎらう言葉だから、目上には使わないほうがよいとされるが、「お疲れ様(でした)」は上下の別なく使われているからかまわないという。

 朝昼晩の挨拶でも、おはよう(ございます)は「ございます」という敬意表現がつくので、芸能界では朝昼晩使われるのだと聞いたことがある。こんにちはやこんばんはは、ございますがつけられないから、上下関係が厳しい芸能界では使いにくいという事らしい。また、おはよう(ございます)だけは、家庭や職場でも使われるという特徴がある。

設問)「彼は独り者の境遇にある」をロシア語にせよ。

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2012年10月30日

●和文解釈入門 第529回

(234) 「フレップ・トリップ」(北原白秋、岩波文庫、2007年)
 北原白秋(1885~1942)が1925年に鉄道省主宰の樺太観光団に参加した顛末を書いたものである。特に最初の方は文体が非常に明るく感じられる。著者が「私の話法は現在格で進める。この方が楽だからである」と書いているのは、意識的に歴史的現在で書いていることを意味する。歴史的現在で書かれている小説、紀行文は数に限りがないが、文体を意識して書かれているのは類がないようである。豊原のロシア人街についても触れているのは興味深い。表題のフレップ・トリップは解説の山本太郎によればアカフサスグリкрасная смородинаとクロフサスグリчёрная сиородина、なしいはナナカマドрябинаであろうという。白秋はこれらでブドウ酒をつくるというが、山本はナナカマドでは作れないと書いている。それはその通りだが、ウラヂーミルВладимир近くのナナカマド (невежинская рябина) は糖度が高く、これで酒が作れるというのはロシアでは有名な話である。フサスグリの酒もあるので、北海道のハスカップのようなのかもしれない。

設問)「騒ぎはほんのささいなことからということは、よくあることだ」をロシア語にせよ。

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2012年10月31日

●和文解釈入門 第530回

(235) *「日本談義集」、周作人、木山秀雄訳、東洋文庫、平凡社、2002年
本書は絶版となった「日本文化を語る」(周作人、木山秀雄訳、筑摩書房、1973年)の復刊。周作人(1885~1967年)は中国人で、中国近代精神の形成に力のあった人であり、一時帰国した魯迅と共に1906年から日本に留学した。東京に6年間住み、東京は第二の故郷だと述べている。本書は1919年から1940年までに発表されたものを集めたもの。中国人や朝鮮人は皆日本文化のことを下に見ているのかと思っていたら、周作人は例外のようである。周作人は、「西洋人の東洋観はとかくロマンチックであって、彼らの貶下も讃嘆もあまりあてにならない。いわば何かの熱帯植物を見て失望したり満足したりするようなもので、一向に確かな理解があっての話ではないのである。有名な小泉八雲ですらそのきらいなしとしない」と言い、西洋人(小泉八雲、モラエスなど)の親日ぶりは没理性に近いと酷評し、彼らが日本人のよさが敬神尊祖や忠君愛国にあるというのはおかしいと述べている。周作人は、日本の国民性の長所は、忠孝ではなく、人情細やかなるところにあると言い、仁恕(武士の情け)は忠孝などよりはるかに気高いものだと述べている。現代の日本のように、孝行とか忠孝という言葉は戦後忘れられてしまった時代には何とも思わないが、これは戦前発表されたものである。また中国と比べ、日本のよいもののうち、万葉集は詩経であり、古事記は史記と誉め、源氏物語は紅楼夢に匹敵するが、紅楼夢は清時代のもので、はるかに後代にできたのであるとし、浮世絵、俳諧、滑稽本は中国にないとしている。東洋にユーモアがないというが、滑稽本は文化文政のとき(1804~29)の間に外国の影響を受けずに成立したことも指摘している。日本は(中国人にとって)半分は異境だが、半分は古代なのだとあり、正座も唐代までそうだったし、刺身も昔中国にもあったし、何よりも中国の古書が日本で手に入ることに感激していたようである。中国の庶民の根底には儒教ではなく、道教であると述べたのは、日本でも神仏習合とはいっても、実態は現世ご利益の願掛けであり、ロシアでも戦前は聖母信仰や聖ニコラ信仰などこれも功利思考であるのと変わらないのは世界共通という事か。本書の訳はきびきびとした日本語であり、このような日本語の文を書けるよう、精進を心がけたいものだと考えた次第である。

設問)「行かなきゃ。すごく急いでるの」をロシア語にせよ。

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