2013年12月01日

●続和文解釈入門第292回

説明は別にして、和露辞典ではまずお目にかかれない単語というものがあり、孫の手などもそうである。説明は簡単でロシア人もすぐに理解してくれるが、1語でというならけっこう難しい。試しにザルービンの和露辞典で引いて見たら、палка с наконечником в виде руки для чесания спиныとあった。先日観光案内の仕事のときに鎌倉のお土産屋で、ある年配のロシア人のご婦人(会社の重役らしかった)に目の前の孫の手を示して用途の説明をしていたら、спиночёсでしょうと言われた。それまでは別のロシア人(これは男性)から聞いたчесалка一本やりだったから、少しはバリエーションが増えたことになる。孫の手に関しては一般人であるこのご婦人や別の男の人の方が、学者のザルービンより語の選択が適切だということになる。

出題)「はたから見れば、いつも同じことが起こっているかのよう見えるのかもしれなかった」をロシア語にせよ。

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2013年12月02日

●続和文解釈入門第293回

ロシア人観光客から、歩いて銀座や皇居に行きたいのだが、どのくらいかかるかと聞かれることがある。無論歩いて5分や10分程度なら詳しく教えるが、どうみても1時間以上はかかるようなときでもしつこく聞いてくる。そこで、方向はこの方向で、方向さえ間違わなければ1時間で着くが、道が真っすぐとは限らないと答えるとたいていはあきらめる。考えてみるとロシア語の勉強も同じで、勉強の方向さえ間違わなければ、読み書きや聞いたり話したりと一人で用の足せる程度のロシア語なら、1年か2年でマスターできる。問題はこの後である。プロを目指すとか、ロシア語を極めようと思うならば、露文の独りよがりの解釈はいけない。語彙でも体の使い分けでも必ず例文で裏付けを取るような心構えが必要である。

出題)「温度の低下をその溶液の使用に結びつけて考えていますか?」をロシア語にせよ。

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2013年12月03日

●続和文解釈入門第294回

ロシア語における体の使い分けというのも初めからできたわけではあるまい。徐々に今のような形になったのではあろうが、そのうちに法則性ができ、完了体、不完了体の本質というのが完成されたと思われる。ロシア人は無意識のうちに体の使い分けをしているはずで、40年かけて私が集めた多くの例文から判断して、その基準が動作の完了か、そうではないというような単純なものではなく、完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点をイメージするというものだと結論付けたわけである。

出題)「彼女はその作文を一番初めに読んだ」をロシア語にせよ。

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2013年12月04日

●続和文解釈入門第295回

拙著『ロシア奇譚』でロシアの犯罪エリートであるヴォールвор в законеについて、その成り立ちを含めての小史(稗史)を書いた。ヴォールは1930年代初めに多分ウラジーミル中央監獄で監獄内の犯罪者の親分格のと当時の収容所トップ(フレンケリН. Френкель, 1883~1960)の合意のもとに、収容所の秩序維持、およびその見返りとして、親分たちの待遇改善のために誕生したものと思われる。強制収容所は公式には1934年から1960年まで存続したが、その前身は1930年にできており、1930年から34年の間にヴォール襲名の儀式も含めて、ヴォールが制度として確立したと私は考えている。
 『サイコパス 秘められた能力』(ケヴィン・ダットン、小林由香里訳、NHK出版、2013)によると、アメリカにもロックという集団があり、1964年カリフォルニア州のサン・クエンティン州立刑務所内で白人至上主義者によって創設されたとあり、Blood in, blood out.(入会するためには組織の示す人を殺し、死んで初めて脱会できる)であり、「何事も何者も恐れるな」という主張をもち、アメリカの刑務所で最も恐れられている集団だとのことである。長生きはできず、40前に死ぬものがほとんどだというのは40年代のヴォールの生き様と重なる。

出題)「岸の数百メートル手前で複数の小道は一本の素晴らしい道と合流した」をロシア語にせよ。

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2013年12月05日

●続和文解釈入門第296回

「~して~した」というように二つの動作が続く場合、順次的用法として、最初の動作が終わらないと、次の動作が始まらないので、そのため最初の動作には完了体過去形が来る。二つ目の動作が完遂しているなら完了体過去形を使えばいいが、ある程度時間がかかるような場合は、начатьの過去形を使うことでうまく行く場合もある。

Разом овладели туловищем дорогого гостя и начали его раскачивать.(親愛なる客人の体を奪い取り、胴上げをし始めた)
出題)「1カ月の猶予を差し上げます」をロシア語にせよ。

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2013年12月06日

●続和文解釈入門第297回

先日近くのホームセンターに靴墨を買いに行った。売り場が広いので店員に場所を聞いたら、靴墨ってなんですかと聞かれた。靴墨も若い人には廃語なのだろうかと思ったが、靴のクリームのようなもので、光沢を出したり、靴の色に合わせて、黒なら黒くしたりするものだと説明したら、一発で売り場に連れて行ってくれた。これで思うのは、通訳やガイドも同じだなということである。適切な単語が頭に思い浮かばないことはしょっちゅうだが、そういう時は適切な説明でロシア人も分かってくれる。問題なのは単語を知っていても、ロシア人の行きたい店をこちらが知らないときで、それだとガイドとして頼りないと思われるだろう。

出題)「その瞬間ぼくは(中に)入って、私たちの目は合った」をロシア語にせよ。

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2013年12月07日

●続和文解釈入門第298回

若い時から歴史が好きで、大学受験には日本史を選んだ。高校3年の時に一流大学の過去問をやってみたがまるで歯が立たない。教科書に書いてあるものとはレベルが全く違う事を痛感させられた。そこで当時出ていた1000題シリーズの『日本史1000題』という問題集を徹底的にやり、回答も暗記するように努めた。おかげで受験した大学の日本史はほぼ満点だったろうと思っている。もちろん東大は受験できるレベルではなかったので、受験しなかった。その後も歴史は大好きで、日本史や歴史に関する著作は読んできたつもりである。それゆえ『東大のディープな日本史』(相澤理、中経出版、2012年)、『東大のディープな日本史2』(相澤理、中経出版、2012年)は非常に面白かった。関白は律令に規定がなく飾り物であり、実力は左大臣が握っていたとか、秀吉は家康を完全に従えることができなかったので武家の棟梁である征夷大将軍になれなかったとかは、本書で初めて知った。しかし、高校の教科書を理解したとして、頭を使って考えれば東大の受験問題は解けるのであろうか?まず解けないだろう。本書でもさらっと書いてあるが、東大に日本史で受かるための前提条件は、東大の先生が中心になって執筆された本『詳説日本史』(山川出版社)を熟読し、マスターするということに他ならない。これ以外で受かろうと思ったら、そういう類の参考書の裏の裏まで知っている一流予備校に行くしかないということになる。本書は東大に受かりたければ、東大の教授陣が書かれた参考書を読めという、コロンブスの卵みたいなことを言っているにすぎないように思われる。

出題)「何の権利があって私にそんな口のきき方をするの?」をロシア語にせよ。

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2013年12月08日

●続和文解釈入門第299回

『三訂和文露訳入門』を上梓したばかりだが、すでに出版以降に気がついた点を『四訂和文露訳入門』として手直ししている。ただ『四訂和文露訳入門』は、よほど三訂版に間違いがあったとか、役に立つような、本質的に新たな用法が見つかったというのでなければ、今のところ出版するつもりはない。あくまでも自分の備忘録代わりである。このコーナーの第300回以降の本文に、新たな文法関係のものがあれば発表することにするので『三訂和文露訳入門』を買った人はそれを参考願う。ちなみに『新訂和文露訳入門』と『三訂和文露訳入門』の違いは、このコーナーの第138回から第289回の間に本文に書いた文法関係のものが概ね反映されている。ただ量も多いので10-18項は書き下ろしである。いくつか項目の順番が変わっていたり、内容も分かりやすいようにかなり手を入れたり、例文を追加したり、削除したりしている。

出題)「投票にかけます。反対の人?」をロシア語にせよ。

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2013年12月09日

●続和文解釈入門第300回

次の内容を『三訂和文露訳入門』3-1-4-1項の末尾に追加願う。

完了体未来形の完遂の用法で時の状況語がついているものは動作がいつか分かるが、ついていないものは一瞬後かそれ以降のどのくらい先の未来なのかが分からない。時の状況語がなければ文脈にもよるが、一瞬後と考えるのが普通である。時の状況語のない完了体未来形の完遂の用法と遂行動詞を、会話における和文露訳においてはどのように使い分けたらよいのだろう?遂行動詞は発話と共に動作が始まり、発話の終了と共に動作が終わるが、完遂の用法では動作が始まるのは早くて一瞬後である。だから、下記の(投票にかけます。反対の人?)の場合は、「投票にかけます」の後に「反対の人?」と続いているので、投票にかけるという動作は、「反対の人?」という文の前には終わっている(聞き手に伝わっている)ことになり、そのため完了体未来形の完遂の用法は使えず、次のように「投票にかけます」と言い終った瞬間に動作の終わる遂行動詞を使うことになる。完遂の用法では、「反対の人?」の前で動作が終わっていないことになる。

Ставлю на голосование! Кто против?  <会話でПоставлюと完了体未来形にするためには、голосованиеとКто против!の間をやや長めにとるか、такなどを入れる必要があると思われる>

(1カ月の猶予を与えます。その間に万事を軌道に乗せるようにしなければなりません)Мы даём вам сроку месяц.За это время вы обязаны наладить все дела. <срокуは部分生格。二つの文が続いており、二つ目の文の前では動作は終了していなければならないために、完了体未来形の完遂の用法は使えないことになる>

出題)「私たちは引っ越ししてたった3ヶ月だ」をロシア語にせよ。

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2013年12月10日

●続和文解釈入門第301回

今と言っても、「今電話があったよ」とか、「今行く」というように、日本語同様ロシア語でも、今この瞬間から時間的にある程度前後するということは何回か述べた。不完了体現在形の予定の用法は概ね近接未来の時制で使われるのだが、このような一瞬後というような近接未来では今現在から未来へと切れ目なくつながっている過程の用法と紛らわしく使いにくい。それは一瞬後の未来というのは、今この瞬間が常に未来に向かって動いているため、一瞬後には厳密な意味での現在になり、すぐに過去になってしまうということと関係がある。一方、不完了体未来形は、反復の用法はともかく、そうでなければすぐ過ぎ去るような不安定な未来ではなく、ある程度の時間の余裕が必要ということになる。一旦動作が切れて、それから別の動作を行うという意味での一瞬後の動作やそれ以降の未来の動作の完遂は完了体未来形が担う。

出題)「仕事ぶりが評価されてそのエンジニアグループは表彰された」をロシア語にせよ。

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2013年12月11日

●続和文解釈入門第302回

『三訂和文露訳入門』3-1-3-5項で現在から未来への動作(継続)について書いたが、次の文中のнемойなどもそれに相当する。これは状態(の動詞)が今現在も含めて、現在の時制で過去から現在のみならず、現在から未来への継続も示す事ができるということを意味する。つまり状態の動詞は3-1-3-3項や3-1-3-5項から分かるように、過去から現在へと動作の状態が続いており、それがさらに未来へも続いていることを暗示ないしは明示する。

(取れよ。誰も分かりはしない。俺は死人のように黙っているから。一言だって洩らすものか)Бери, никто и не узнает, я, как могила, немой, я слово не пророню.
(何かあったら、俺はいつでも連絡が取れるようになっているから)Если что - я на связи.
(チョキンでハイサヨウナラ)Чик – и нету. <нетуはнетの口語的用法>

出題)「僕はもう彼女と口をきいているよ。仲直りしたんだ」をロシア語にせよ。

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2013年12月12日

●続和文解釈入門第303回

書きたい本も書いてしまったし、閑だし、特にすることもないのでミステリー小説などを読んでいる。ノルウェーのカリン・フォッスムの『湖のほとりで』など英米以外の作家が最近面白いように思う。『六人目の少女』(ドナート・カーリッジ、早川書房、2012年)もイタリアの作家だが、舞台を特定の国にしないというのもプロット同様面白い。ただプロットが非常に入り組んでおり、犯人がスーパーマンのように捕まらないというのは気に入らない。探偵がホームズのようなものや、あまりに現実離れしているものにもついていけない。いやしくも小説を目指すなら人物の特徴の描写やユーモアやウイットのある会話というのが欠かせないと思うのだが、今流行りのミステリー小説にはプロットを残酷にすればするほど読者に受けると勘違いしているものが多い。残酷といっても結局は現実に起こっているものではないのだから慣れてしまうのだ。その点レジナルド・ヒルのダルジール警視シリーズは面白い。プロットもそれなりに読ませるが、イギリスのヨークシャーを舞台に部下のパスコー主任警部、その妻で人権活動家のエリー、ブ男でホモのウィールド部長刑事なども含めて人物設定がいい意味でリアリティーがあり、ユーモラスで楽しい。『闇の淵』を勧める。同じ作家の腕っ節や強いとか特に頭がいいわけではないが、人情もろく運にだけ恵まれたイギリスの黒人独身中年私立探偵ジョーシックススミスシリーズもユーモラスで面白い。アクションものやミステリーの主人公は基本的に皆運がいいのだから(そうでなくてはどうして結末まで生き残れよう)、それを逆手にとったようである。これらシリーズ外にも『ソ連には幽霊はいない』、『異人館』などの佳品がある。似たようなユーモア感覚が味わえるのはデンマークの作家特捜部Qシリーズぐらいだろう。作者のコッシ・エーブラ・オールスンはデンマーク人のカール・マーク警部補とその助手でシリア人アサド、秘書で多重人格者のローセというユーモアあふれた異色の組み合わせで、4作読んだが今後期待が持てる。

出題)「彼にさんづけしているのかい、それとも呼び捨てかい?」をロシア語にせよ。

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2013年12月13日

●続和文解釈入門第304回

ロシアの瓦版とか鯰絵と言えるルボークлубокを分かりやすく解説したもので代表的な本といえば、『ロシアの民衆版画Русские народные картинки』Ровинский, Тропа Троянова, 2002がある。これは1900年版の復刻で、ルボークを歴史から概観したものではベストであろう。ロシアの英雄叙事詩の主人公であるイリヤー・ムーロメツはБова-королевич(ボヴァー王子)という17~18世紀にイタリアから入ったものからプロットを取ったものだが、ルボークとしてはあまり売れず(再版数が少ないので分かる)、ボヴァー王子の方がはるかに売れたとある。この他に『ルボーク』坂内徳明、東洋書店、2006年があるが選書であり、カラー版でないために、原画について分かりにくい。またThe lubok, Aurora, 1984が17~19世紀のルボークについて原画およびその解説をしているのでこれも併せて読むとよい。

出題)「この都市には歴史博物館があると思う」をロシア語にせよ。

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2013年12月14日

●続和文解釈入門第305回

スマホというのは便利なものらしいが、私が持っているのはガラケー(ガラパゴス携帯の略で、電話やメールだけの機能の携帯、従来型とも言う)だけである。この前ガイドの時にロシア人の客からなぜスマホを持っていないのかしつこく聞かれた。ガイドを執事代わりと思っている客も多いから当然なのかもしれない。客の要望に応えるためにはスマホが必要だろうという論理である。客の喜びそうなある程度のレストランや店ならある程度は知っているし、知らなければ、ハイヤーなら運転手に、そうでなければ妻に電話してパソコンで調べてもらうと答えておいた。ガイドであれば、行くところはある程度事前に決まっているわけで、スマホで調べたとしても、その情報が新しいという保証はない。

 NHKのニュースによると主婦や働き盛りのサラリーマンにガラケーの人気が出ているという。これは料金が安いのと、スマホは機能が多すぎて間違いやすく、仕事なら電話とメールだけに絞った方が使いやすい、電池の持ちがいいということかららしい。2013年12月11日付の読売新聞朝刊によると2013年ではガラケーの市場占有率は4割であり、今後も2割から3割らしいので、個人的には一安心である。

 外出でネットサーフィンもしないし、ゲームもしないのでますますスマホを買う意味がない。将棋やチェス、チェッカーのルールは知っているし、若い時はしたこともあるが、宝くじも買わないし、競輪競馬もしない。宝くじを買わないのは、自分には当たり運がないと確信しているからである。これまでの一生を考えると、私は宝くじを買っていないのだから、その期間平均的な日本人が勝った宝くじの金額が、私の儲けと理解している。日本で1億円当たる人は毎年何人か出ることは理解できるが、それが私になるとは絶対に思えないと確信を持って言える。賭けてもいい。競馬はモスクワで見聞を広げるため、1度だけ行って予想紙を買い、馬券を買ったが外れた。なぜゲームをしないかというと、凝り症なので始めると徹底的にやらないと気が済まないたちだからだ。それと若い時から和露の語彙集を作っていて、これもある意味原始的なゲームである。語彙は増えて行くのみならず、似ているもの、訳がおかいしいと思ったものは削る。この作業に(ロシア語の本を読んで面白そうな語彙を収集する時間も入れると)今でも5~6時間かかる。だからゲームをする閑がない。このゲームは原始的ではあるが、世の中に一つしかないし、ユーザーも私一人である。そこがいい。スマホでも私の語彙集は(15.7メガバイトある)入れられそうなので、通訳するときに必要性が出てきたら買うのに吝かではない。

出題)「でも、たしかこの件について申し上げませんでしたっけ?」をロシア語にせよ。

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2013年12月15日

●続和文解釈入門第306回

和文露訳をするときに、候補の語彙(単語や語結合)をヤンデックスなどで引用符である"…"で検索してみることを勧める。"…"とすることで、"…"の中が確定し、格変化や活用が排除される。語彙数が万以上ならよく使われ、千単位ならグレーゾーン、百の単位ならあまり使われないと個人的に判断している。これはロシア人でも変なロシア語をサイトで使うのは日本人と同じだし、新語も同様だからである。それと"…"なしで検索してみることである。そうすれば頻繁に使われる語結合が出てくるはずだ。こういうテクニックを使うことで、頼りにならない和露辞典がなくとも、ある程度根気があれば、より正しい語彙にたどりつける可能性が出てくる。

出題)「寝坊したくなければ、目覚ましをかけなさい」をロシア語にせよ。

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2013年12月16日

●続和文解釈入門第307回

井本沙織の『ロシア人しか知らない本当のロシア』(日経プレミアいシリーズ、2008年)を読んだ。著者はロシア人なので、我々が知らない生のロシアを垣間見せてくれる好著である。ロシアの出生率は日本や欧州並みなのに、アルコール飲用による死亡率が高いため、平均寿命を下げているなど具体的な数字を挙げて説明している。2月23日は祖国防衛の日で、これが最近国民の祝日になったのは知っていたが、1918年2月23日ドイツに勝利した日(第一次世界大戦で)ということまでは知らなかった。著者はこの日は男性がプレゼントを受ける日ということしか書いていないが、最近のことはいざ知らず、1980年代はただの記念日であって祝日ではなかったが、この日は飲酒運転をしても捕まらないし、街には酔っ払いが多いので出歩くなとモスクワ事務所のロシア人から言われたことを思い出す。酔っ払い天国の日だったのだ。

出題)「人は二つに分かれる。一方はまず考えて、それから話したり行動したりする。もう一方はまず話したり、行動し、それから考える」をロシア語にせよ。

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2013年12月17日

●続和文解釈入門第308回

ロシアの民話は大概Жил-был в некотор государстве(昔々あるところに)で始まるが、
この終わり方が蛙姫Царевна-лягушкаのように、
Сладким потчуя вином, 甘露(酒)を口に
Много счастия желали, 幸多かれと
А они друг друга стали 二人は
Пуще прежнего любить 前にもまして慈しみ合って
И в большом согласии жить. 和合のうちに暮らすようになったとさ
というような、めでたし、めでたしならともかく、На пиру был, мёд-пиво пил, по усам текло, а в рот не попало.(その宴会に自分も出たし、蜜酒も飲み、口髭を伝ったが、口には入らなかった)と終わるのが多く、何か不自然だなと思っていた。これについては、「物語は終わった。物語の酔いを覚ませよ、皆の衆。自分もあなた方も本当のところは酔っていないのだろうけど」ということで、作者は読者に対して物語について(この喩え話に関して)よく考えて、まじめに対処しなさいという作者のメッセージであると『ロシアの民衆版画Русские народные картинки』Ровинский, Тропа Троянова, 2002にある。

出題)「国内各地の気候条件の差を考慮しなければならない」をロシア語にせよ。

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2013年12月18日

●続和文解釈入門第309回

ロシアの民衆版画であるルボークлубокの権威であるロヴィンスキーРовинскийの『ロシアの民衆版画Русские народные картинки』を読んだが、その中に、結婚相手の男と仲人のおばさんのやり取りがあって、Хочу иметь покой.(〔家には〕やすらぎ欲っす)と結婚相手の男が言うと、Так не бери никакой.(かくなる人には嫁は来ず<直訳はそんな風ではどんな嫁も取るな>)と仲人のおばさんが韻を踏んで返すところがある。このルボークは18世紀ぐらいのものらしい。

 この他にも猫の埋葬Погребение котаなど風刺的なものは古儀式派の人が作者であり、猫は古儀式派から反キリストантихристと言われたピョートル1世を指すというのは知っていたけれど、ルボークでバーバヤガー(山姥とか魔女の類)とワニとの喧嘩Драка Бабы Яги с крокодиломのワニも反キリストを指すというのは初めて知ったわけで非常に興味深い。Аника-воин(戦士アニカ)は220歳(390歳という説もある)まで生きて、多くの王や勇士を殺し、エルサレム征伐をする時に死神と出会い、ついには殺されてしまう。無敵の兵士であっても、死の前では無力であり、悲喜劇的な象徴でもある。アニカはピョートル1世時代に処刑されたヴォーログダの盗賊がもとだとも言われている。本書には最後の第14章にロシアにおける拷問の歴史があるのも一興である。

出題)「彼は来ないような気が私にはする」をロシア語にせよ。

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2013年12月19日

●続和文解釈入門第310回

このコーナーの出題に対して投稿者が正解を出そうとするのは当然だと思うが、資格試験でも、入学試験でも、学校の期末試験でもないのだから、正解だけを目指すというやり方が正しいとは思えない。ロシア語の語彙のニュアンスや体の用法をマスターし、自分のロシア語を向上させるのだということをしっかり認識する必要がある。前回кажетсяのニュアンスについては説明したが、он не придётであって、он не будет приходитьではだめなのか、その肯否や、OKであればニュアンスの差の有無、出題のニュアンスの範囲内なのかなどかを投稿者自身が検討してみることが、次につなげる自分のロシア語力を高めることになる。それをしないで、正答だけを目指しても、実戦でのロシア語を高めることにはならないし、頭を全く使わずにロシア文をただひたすら暗記するのと大差ない。別に投稿文に自分なりのニュアンスを添えよといっているのではないが、なぜその語彙や体を選択したのか、あるいはなぜ選択しなかったのかという点を理詰めに検討しないで、正答だけを目指しても、体についてなら極端に言えば丁か半かという博打をやるのと変わらない。

出題)「なんだか非常にうまく私を尋ねる側から答える側に変えようとしていますね」をロシア語にせよ。

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2013年12月20日

●続和文解釈入門第311回

『三訂和文露訳入門』2-2-1-2項で「一見その動詞が初めて出てくるのにもかかわらず、不完了体が使われることがあるが、よく文脈を見ると、すでにその動詞に関する状況設定がなされている、つまり踏み台のように、場がすでにこしらえられていることが分かる」と書いた。これは第290回の出題のように不完了体不定形を用いる場合も同様である。

(みなさん準備オーケーですか?みなさんチーズしてますか?(それでは)撮ってよろしいですか?)Все подготовились? Все улыбаются? Можно снимать?

 最初の二つの文で話し手が写真撮影をしようとしていることが分かる。これが「踏み台」であり、そのために、最後の文で切迫感(もうそろそろ)や促し(着手)の不完了体不定形が来ることになる。

出題)「沈没した船の乗組員の安否が気がかりだ」をロシア語にせよ。

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2013年12月21日

●続和文解釈入門第312回

革命前のロシアで庶民に非常に人気のあった気晴らしに殴り合いкулачные боиがある。これは昔からあったものだが、ロヴィンスキーРовинскийの『ロシアの民衆版画』によれば、1726年に7月21日付の政令に、ペテルブルグでナイフや石、メリケンサックкистениや砲丸などを使って殴り合いが起き、挙句の果てに死者まで出た。それゆえ今後は警察署長の許可のもと行うものとし、倒れたものは殴らないものとするとある。殴り合いの方法だが、モスクワ流というのがあって、これは相手を右側にくずし、同時に右足のつま先で相手の左足を何度か蹴るというもので、これにより相手は瞬時に地面に倒されるとある。これはローキックそのものではなかろうか?空手の蹴りは上足底を使うが、キックは足の甲で蹴る。空手にもつま先で蹴る方法がないではないが、突き指する可能性が高いのであまり用いられない。モスクワ流も靴を履いての技だろう。空手を喧嘩に使う際には、素足ではなく、運動靴を履いて、脱げないようにガムテープでぐるぐる巻きにするとか、拳には手ぬぐいを巻くという事を聞いたことがある。これは相手のことを思ってではなく、拳が相手の歯に当たると、口の中は雑菌が多いので、拳が膿むのを防ぐためである。コモドドラゴンには毒があるというよりは、口の中の雑菌に毒があるものが多く、かまれるとその菌にやられるのと同じで、人間もそれなりに危険であるということの証である。

出題)「尾行がないことよく確認しましたか?」をロシア語にせよ。

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2013年12月22日

●続和文解釈入門第313回

『三訂和文露訳入門』の4-1-4項で未来の反復を扱っているが、時制の転用を利用して現在の時制で、未来の反復を示す事ができる。

(必要なら、一声かけてください。すぐ参ります)Что надо - кликните, я мигом.

出題)「彼はターミナル駅の100メートル手前で自分の車から離れた」をロシア語にせよ。

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2013年12月23日

●続和文解釈入門第314回

『三訂和文露訳入門』に10-15-2として下記追加願う。
「~の地点で」と位置を示す場合には、в + 前置格(基数詞)を使うが、на + 前置格(順序数詞とともに)も使える。

(ここから5キロのところで今日結婚式がある)В пяти километрах (За пять километров) отсюда сегодня свадьба.
(死体は後にマドリードから21キロメートルのところで発見された)Труп потом обнаружили на двадцать первом километре от Мадрида.

時間に関係した「~の~前за + 生格до + 生格」や「~の~後через + 対格после + 生格」という構文は、次のように使われる。

(その出来事の1週間前我々は大いに心配した)За неделю до этого события мы очень волновались.
(日本における地震の1年後普通の日本人はどのように暮らしているのですか)Как живут обычные люди через год после землетрясения в Японии?

 これらの構文は位置を示すのにも使える。

(岸の数百メートル手前で複数の小道は一本の素晴らしい道と合流した)За несколько сот метров до берега тропинки соединились в одну прекрасную дорогу.
(スタートから200メートルほどで僕はころんだ)Примерно через 200 метров после старта я упал.

 動作を示す場合には、не доезжая до + 生格(車などの場合)やне доходя до + 生格(歩く場合)を用いる方が一般的である。не доходя + 生格は古い用法である。

(その一軒屋の三軒手前で彼は車を止めた)Он остановил машину, не доезжая трёх домов до особняка.

出題)「細かいことにこだわらないようにしないと」をロシア語にせよ。

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2013年12月24日

●続和文解釈入門第315回

ロヴィンスキーの『ロシア民衆版画』の中に、ロシア正教における聖人やイコンが何除けになるのか書いてあるのを見つけた。これなどは一神教にも、我が国のお寺や神社のお守りのような多神教的要素があることを示している。

奇跡を起こす人ニコライНиколай Чудотворец(水難)、聖殉難者アンチーピーСвященномученик Антипий(歯痛)、カザンの聖母Казанская Богородица(眼病)、先駆者ヨハネИоанн Предтеча(頭痛)、大殉難者ワルワーラВеликомученица Варвара(突然死)、大殉難者エカチェリーナВеликомученица Екатерина(難産)、チフヴィンの聖母Тихвинская Богородица(病気、癇の虫)、大殉難者ニキータВеликомцченик Никита(病気、癇の虫)、預言者イリヤーИлья Пророк(干ばつ)、燃えているのに燃え尽きない柴Неопалимая Купина(火事)、大殉難者エゴーリーВеликомученик Егорий(家畜の害獣よけ)、フロールとラーヴルФлор и Лавр(馬の斃死)、聖シクシーニー、聖フォチーニーと大天使ミカエルが描かれたスーズダリのイコンСуздальские иконы с избражением св. Сиксиния, св. Фотинии и архангела Михаила(歯痛と熱病)

出題)「お前にはずいぶん貸しができた」をロシア語にせよ。

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2013年12月25日

●続和文解釈入門第316回

『三訂和文露訳入門』3-1-6-2に下記追記願う。
完了体は完了体過去形や被動形動詞過去短語尾の結果の存続の用法を除き、状態を示す事はない。そのため状態の動詞は3-1-6-2項や4-1-2-5項に示すように、現在の時制で近接未来を示す事ができるが、状態の動詞が不完了体未来形を取る時は、新規の事柄も示す事ができる。これは対応の完了体がないことに起因すると思われる。

(無線交信はどの周波数を使えるようにしますか?)На каких частотах будет поддерживаться радиосвязь?
(老後は何をして働くつもりですか?)Кем вы будете работать в старости?

出題)「彼のロシア語はちょっと訛りがあった」をロシア語にせよ。

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2013年12月26日

●続和文解釈入門第317回

最近マンガはほとんど読まないが、例外は読売新聞日曜版に連載中の『猫ピッチャー』(そのしけんじ)である。ニャイアンツの投手である猫のミー太郎が主人公で、私は動物好きではないが、しいてどの動物がいいかと問われれば、人に愛想良くするわけではないし、ある意味自分勝手に行動するという猫が好ましいということもある。この他に読売新聞夕刊水曜連載の『水よう日の花子さん』も絵は下手だが、今風の独身女性のほのぼのとした感じが出ていてよい。

 マンガがいけないとは決して思わないが、マンガしか読まないとか、マンガは読まないということが問題だと思う。常識的に考えればマンガでも面白いものはあるし、小説やノンフィクションでもそれは同様である。主人公のみならず脇役も美男美女ばかりだと、悪い意味で現実性を帯びにくくなり、主人公も内面のない見た目だけの平板的なものになる。つまりマンガもデフォルメが少ないと、つまり写真により近くなるような単純なパターン化が絵や内容において進めば、想像力を削ぐということはマンガでも小説でも変わらない。そうすると、想像力(つまり頭)を使わなくなるということは言える。想像力に働きかけないようなものはマンガでも、小説でも凡作ということになるのではなかろうか。それと本好きな自分としては、テレビ番組で素人の家庭訪問などを見るときに、家は立派でも本が全くないとか、マンガしかないというのはどうかなという気はする。もっともヲタクというならそれは一芸に秀でるという意味でそれはそれで立派であると思う。

出題)「人前で化粧を直すのが恥ずかしいことだとは思っていなかった」をロシア語にせよ。

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2013年12月27日

●続和文解釈入門第318回

次の文のПомогは完了体過去形の確述の用法であり、「仮に助けたとしても」という意味だが、仮定法過去ではなく、条件法である。つまり、動作の順番は助けるというのが先に来て、その後殺されるというのだが、殺される(ぐさりと肩甲骨のところを、心臓を一刺しといったところだろう)が、получитьなどの動作の動詞の省略で示されている。

(助けたのに、背中をグサリじゃな)Помог – и нож в лопатку.

出題)「結末がどうなるか気になる」をロシア語にせよ。

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2013年12月28日

●続和文解釈入門第319回

 状態の動詞で結果の存続を示すことができる。

(突然ですみません)Простите, что я так внезапно. <пришёлの省略と考えてもよい>

この他にも状態の動詞で近接未来を示すこのができる事はすでに紹介した。

(すぐに戻ります)Я мигом.

мигомは副詞であり、口語で「すぐにочень быстро, сразу」という意味だが、普通に考えて、вернусьやбудуが省略されていると考えることもできるが、あるがままに考えて、бытьという状態の動詞の近接未来の予定の用法とも考えられる。これはбытьの未来形については8-1-1項にて、「いる」という意味だけではなく、「行く」と意味になると説明したが、それが関係している。

(私は明日モスクワに行く)Я буду в Москве завтра.

 これはその状態に至るためにはその前に動作が不可欠だという簡単な理屈による。未来の時制、特に近接未来では、状態に至る動作とその動作の結果の存続(状態)が、一体のものとしてとらえがちだからである。日本語の「いる」は未来の時制では、「戻る」という意味である。例えば、「夜は家にいる」とか、「来週はモスクワにいる」(モスクワ在住者は使えるが、東京からの出張者が「行く」という意味では用いない)

出題)「今どんな夢を見ていたの?」をロシア語にせよ。

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2013年12月29日

●続和文解釈入門第320回

交渉ごとの通訳をする際に、仮に語彙もニュアンスも全て正確に通訳できるとして、完全に正確に通訳すべきだろうか?通訳する際に占領軍のプレスコードとか、放送禁止用語の類とは別に、守らなければならないのは、通訳する会話が感情的にならないようにすべきであるということである。極端に言えば、馬鹿野郎を通訳しなけれならないときに、そうは通訳せずに、「何か誤解があるようです」とする類である。クレームの通訳でも、交渉ごとは論理的に進めるべきで、一時の感情にまかせた発言を、その通りに通訳をして、それが交渉の趣旨にかなうとは思えないからである。感情が激している時は、通訳を介さなくても分かる。それを言葉にして言えば、感情を煽るだけということになりかねない。

出題)「何か誤解があるようです」をロシア語にせよ。

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2013年12月30日

●続和文解釈入門第321回

遂行動詞は本来動作を示す動詞が多い。中にはвидеть, говорить, думать, желать запрещать(ся), испытывать, оценивать, понимать, чувствовать, хотетьのように状態の動詞を兼ねているものもあるが、ほとんどは判定宣告型であり、一部言明解説(告知)型もある。
 過程(予定)の動詞と遂行動詞は重ならないが、говорить, рассказыватьなどは例外であろう。открывать, пить, слушать, сниматьはそれぞれ、開ける、飲む、聞こえる、取り外すという意味では過程の意味で使うが、開会する、乾杯する、もしもし、写真を撮るという意味では遂行動詞である。

出題)「彼は時間にはしばられなかった」をロシア語にせよ。

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2013年12月31日

●続和文解釈入門第322回

結果の存続と遂行動詞の用法の違いについては、『三訂和文露訳入門』3-1-4-4項で説明したが、念のため、再度書いておく。
 結果の存続には、「たった今~した」という意味と、動作はとっくの昔に終わっていて、その結果である状態が現在まで続いているという二つの解釈が可能である。ところが遂行動詞は、動作は発話で始まり、その発話と共に終わるわけだから、とっくの昔にというニュアンスはないという違いがある。ザルービンの露和でпониматьを引くと、Понимаю!とПонял!とが並べてあり、訳は「分かった、了解!」となっている。つまりこの辞典の編者はこの二つの文を体の違いにもかかわらず、少なくとも実用上は日本語で同義と理解していることになる。しいて違いがあるとしたら次のようなものである。

(分かりました)Понял. <完了体過去形の結果の存続>
(分かります)Понимаю. <遂行動詞>

 英語のI see.やI understand.も遂行動詞ということになる。I got it.も同じ意味だが、過去形に結果の存続を担わせているのだろう。
出題)看護師に関して「彼女には夜9時と11時の2回の呼び出しがあることが分かった」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 07:58 | Comments [4]