2013年08月31日

●続和文解釈入門第200回

体の用法の奥義を極めた人というのは、体の用法についての論文や参考書を読み漁った人や、そのような論文を書いた人を指すのではない。露文解釈における体の用法をいくら解釈できても、実際にロシア語の会話で使って見せなければ、体の用法の奥義を極めたとは言えない。ここでいうロシア語の会話というのは、日常会話のことであって、語彙が問題となる技術や政治経済、医療、観光などの通訳やガイドの使うような会話ではない。

 会話ができるだけでもいけない。体の用法について分かりやすく説明できなければ、体の用法を会得したとは言えない。後進の学習者の役に立たないからだ。一つの和文を正確な露文に訳せるとしても、それは露文だけをみてネイティブが正しいかどうかチェックするのと同じである。それはインフォーマントの役割にすぎない。和文を意識して、それを体のニュアンスを含めて正確に露文に訳す事ができれば、体の奥義を会得しているということになる。

出題)「私、リョーシカ(レオニードの愛称)と知り合って20年になるけど、私たち結婚したのは今年よ。あなた、リャーリカ(エレーナ、オーリガなどの愛称)と知合ってどのくらいで彼女と結婚したの?」をロシア語にせよ。

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2013年08月30日

●続和文解釈入門第199回

мочь/смочьについては本コーナーの第131回にて説明したが、補足しておく。「~できる」という可能の意味ではмочьの使用が、смочьより圧倒的に多い。これは「~できる状態にある、~できる能力がある」という意味を、現在の時制でмочьが持っているからである。смочьは具体的な状況において、動作を完遂することができるという事を示す。ところが否定文では過去の時制や現在の時制(広い意味での)もне смочьもよく使われる。не смочьは具体的な1回の行為ということで用いるし、не мочьは「一般的には不可能である」というような文脈で使われる。не суметьはあまり使われないが、не смочьと同義である。

(彼は隣人だったし、ドシュコーフの顔をよく知っていたから、だいたい間違えるはずがなかった)Он оказался соседом и хорошо знал Досюкова в лицо, вообще ошибиться не мог.
(ドシュコーフはどのようにしてそれらがそこにあったのかちゃんと説明できなかった)Досюков не смог внятно объяснить, как они там оказались.

出題)「表面腐食の発生条件をラボで再現することができますか?」をロシア語にせよ。

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2013年08月29日

●続和文解釈入門第198回

отвечатьに完了体の用法があることは第190回で述べたが、フォーサイス先生のA grammer of aspectの中に、この件について興味深い説明があったのでお知らせする。
ответитьがотвечатьの完了体として現れるのは、18世紀から19世紀初めにかけてであり、それまではотвечатьは完了体・不完了体同形の動詞であり、ペアの完了体はなかった。そのため、(アオリスト的用法や順次的用法で)、カラムジーン、プーシュキン、レールモントフはотвечалのみを使い、トゥルゲーネフ、ドストエフスキー、レフ・トルストイにしてもотвечалの使用の方がはるかに多い。現代作家では作家の好みの問題もあり、ゴーリキーやパウストーフスキーはответилを主に使い、レオーノフやファジェーエフではотвечалの使用が多いとある。

出題)その時代に合わない人に対して、「彼は生まれてくるのが少し遅かった」をロシア語にせよ。

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2013年08月28日

●続和文解釈入門第197回

ロシア語には日本語同様、英語のような時制の一致がないと考えられている。

(彼は彼女を愛していると言った)Он сказал, что любит её. <He said that he loved her.>
(彼は彼女を愛していたと言った)Он сказал, что любил её. <He said that he had loved her.>

 ところが、第196回の出題のように、思考や感覚を扱う動詞群видеть/увидеть(見える)、думать/подумать(考える)、забывать/забыть(忘れる)、знать(知っている)、казаться/показаться(思われる)、наблюдать(観察する)、понимать/понять(理解する)、решать/решить(決めつける)、слышать/послышать(聞こえる)、смотреть/посмотреть(見る)を主文の動詞が過去形となる複文では、従属節が現在の時制でも過去の時制でも意味は変わらないとされる。

(彼が私を待っていることを私は知っている)Я знал, что он ждёт (ждал) меня.
(彼女は店が閉まっていると考えた)Она думала, что магазин (был) закрыт.
(彼女には彼が手紙を読んでいるのが見えた)Она видела, как он читает (читал) письмо.

 このような動詞でも考えや主観的態度を示す動詞が主文の場合は、従属節が現在の時制であるのが普通であるが、従属節が繋辞(~は~である)、存在や場所を示す場合にはбытьの過去形を使った過去の時制が使われるという。

(最初の会話やトンネルを検査した後で、オルロフは熟練の技師だということが分かった)После первого же разговора и остмотра туннеля я понял, что Орлов был знающим инженером.

「見る」や「聞く」という動詞については、こういう場合過去の時制が出やすいとされる。なぜこうなるのかを確実に説明はできないが、これは過去の時制が確述(確言)という具体的な現実を示すものであり、現在が歴史的現在の用法のように、ビビッドな主観的ニュアンスを示す事から説明できると考える研究者もいる。19世紀の作家はフランス語が堪能であり、フランス語の間接話法の用法からロシア語に入ったのだという説もある。

出題)「建設資材のテストのときに耐水性の程度がどのくらいかを決めて下さい」をロシア語にせよ。

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2013年08月27日

●続和文解釈入門第196回

拙著『新訂和文露訳入門』7-1項に挙げた動詞群は不完了体のほうは、試み、努力、つまり一定の結果を得ようとした動作(志向)を示す。用法的には過程や反復の用法であろうが、умиратьのように過程で使えるが、反復では使えず、даватьのように反復では使えるが、過程では使えないという動詞もあるので注意が必要である。一方、完了体動詞では結果達成の実現を意味する。第195回の出題のこともあり、ご参考のために7-1で挙げなかった動詞を追記する。

брать/взять(取る)、бросать/бросить(投げる)、возвращаться/вернуться(帰る)、вспоминать/вспомнить(思い出す)、вставать/встать(起きる)、встречать/встретить(見かける)、входить/войти(入る)、выполнять/выполнить(達成する)、давать/дать(与える)、делать/сделать(する)、догонять/догнать(追いつく)、доставать/достать(届く)、доставлять/доставить(届ける)、достигать/достигнуть(達する)、забывать/забыть(忘れる)、эажигать/зажечь(燃やす)、заканчивать/закончить(終える)、закрывать/закрыть(閉める)、запирать/запереть(閉じる)、засыпать/заснуть(寝入る)、исчезать/исчезнуть(消える)、класть/положить(置く)、кончать/кончить(終える)、лишать/лишить(奪う)、ловить/поймить(捕まえる)、ложиться/лечь(寝る)、ломать/сломать(壊す)、надевать/надеть(着る)、начинать/начать(始める)、опазыдывать/опаздать(遅れる)、опускать/опустить(落とす)、останавливаться/остановиться(止る)、отговаривать/отговорить(しないように説得する)、открывать/открыть(開ける)、отправляться/отправиться(出発する)、падать/упасть(ころぶ)、переставать/перестать(止める)、подавать/подать(出す)、поднимать/поднять(上げる)、покупать/купить(買う)、получать/получить(受け取る)、портить/испортить(だめにする)、посылать/послать(送る)、привыкать/привыкнуть(慣らす)、придумывать/придумать(考えつく)、принимать/принять(受け入れる)、продавть/продать(売る)、происходить/произойти(起こる)、просыпаться/проснуться(目覚める)、проходить/пройти(過ぎる)、пускать/пустить(放す)、садиться/сесть(すわる)、сдавать/сдать(渡す)、снимать/снять(取り去る)、спасать/спасти(救う)、ставить/поставить(置く)、становиться/стать(立つ)、убеждать/убедить(確信させる)、убивать/убить(殺す)、уговаривать/уговорить(説得する)、уезжать/уехать(去る)、умирать/умереть(死ぬ)、успокаивать/успокоить(落ちつかせる)、утешать/утешить(慰める)、хватать/схватить(つかむ)など。

出題)「彼女は店が閉まっていると考えた(思った)」をロシア語にせよ。

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2013年08月26日

●続和文解釈入門第195回

完了体だけの動詞、不完了体だけの動詞については、いくつか和文解釈入門第220回に挙げたが、前回紹介したA grammer of Aspectを読んでいたら、フォーサイス先生も完了体しかない動詞としてопомнится(我に返る)、очнуться(我に返る)、очутиться(気がつく)、понадобиться(必要である)、поскользнуться(すべる)、рухнуться(崩壊する)、скончаться(逝去する)、улизнуть(ずらかる)、хлынуть(あふれる)を挙げておられる。そのためопомнитьсяの不完了体にはприходить в себя, приходить в чувствоという別の動詞句を使う必要があると述べられている。ところが、この中の二つの動詞опоминатьсяとпоскальзыватьсяに関しては、アカデミー版露露辞典第13巻(2009年)と第19巻(2011年)において、対応の不完了体であると指摘し、次のような例文が挙げられている。

(今、老人は横になっていて、徐々に意識が戻りつつあるところである。明日には爆発した機器の修理が始まる)Сейчас старик лежит и постепенно опоминается, а завтра начнётся ремонт взорвавшейся установки. <過程>
(パパは新しい短靴を履いて、道中ずっと秋の濡れた木の葉の上ですべってばかりいた)Папа надел новые ботинки и на осенних мокрых листьях всю дорогу поскальзывался. <反復>

 フォーサイス先生も4つの露露辞典オージェゴフ、アカデミー版、ウシャコーフ、スミルニーツキーが完了体・不完了体の区別については概ね一致するものの、いくつかの動詞については必ずしもそうではないことを挙げておられ、ご自身はオージェゴフと同様、マースロフМасло Ю. С.先生の提唱された、体のペアかどうかを決める際に、一つの文で完了体過去形が歴史的現在の不完了体現在形と置き換えられれば、体のペアであるという説を標榜している。和文解釈入門第300回ii)で「歴史的現在が完了体過去形と体のペアを成しているといえないこともない」と書いたが、これも上記のような観点からである。体のペアについては体の研究家の間でも、概ね一致はしてはいるようだが、個々の動詞においては曖昧な点もあるとフォーサイス先生も指摘されておられる通りである。

(母はビーツを買って、ボルシチを作ってくれた)Мать купила свёкла и сварила борщ. = Мать покупает свёкла и варит борщ. <このためкупитьとпокупатьは体のペアとして認められる>

 拙著『新訂和文露訳入門』2-1-8-9項に書いたように、опоминатьсяは歴史的現在では使えないとボンダルコ先生が述べている。つまり歴史的現在に則せば、опоминатьсяとопомнитьсяは体のペアではないことになる。これはマースロフ先生の説に従って、動作の終了(完遂)を不完了体が動詞の語義の中に持っているかどうかだけを見て、体のペアの基準としていることになる。しかし、アカデミー版の露露は必ずしもそのような説にくみしておらず、同じ語義で、不完了体に過程や反復などの動作の名指し(動作の有無の確認)の要素があれば、体のペアは成立すると考えているようである。過程や反復は動作の名指しであることは、『新訂和文露訳入門』3-1-1-1項および3-1-2項で説明済みである。

出題)「私たちは彼を捕まえようとしたが、だめだった」をロシア語にせよ。

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2013年08月25日

●続和文解釈入門第194回

ある方から体の参考書として、A grammer of Aspect, J. Forsyth, Cambridge Universty Press, 1970を紹介された。うまい具合にアマゾンにあったので、入手し、今読んでいる最中である。この本の評価は全部精読してから本コーナーに書くつもりだが、これまで読んだ感じでは、ロシア語を母語としない外国人向けには非常に系統的に書かれている非常に良い体の教科書である。ロシアやソ連でも体の参考書はいくつかあるが、ロシア人にとって常識的なことは省略されていることが多い。そういう意味で、もし大学の時に、この本があれば、すぐには理解できなかったかもしれないが、体の用法について非常に短期間で会得できたような気がする。個々の項目、例えば動詞の接辞であれば、Изучение глагольных приставок, Барыкина-Добровольская-Мерзон, Русский язык, 1981の方が詳しく、用例も豊富だというようなことは言えるが、これらは参考書であって、本書のような系統的な教科書があるのなら、会話の和文露訳だけということなら、このような参考書は特に必要とは思えないと思う。お店で言えばone-stop shopのようなものである。ただ1970年出版の本なので、遂行動詞や結果存続兼評価型動詞の記述はないような気がするし、会話における英文露訳に不可欠と思われる現在の時制の被動形動詞過去短語尾の用法も書いてあるかどうか楽しみである。系統的に体の用法を勉強としたい人向けには是非お勧めする。

出題)「でも私は調べるよう命令されたのです」をロシア語にせよ。

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2013年08月24日

●続和文解釈入門第193回

「~したものだった(である)」を露訳するときに、まず頭に浮かぶのは過去の不規則な反復である、完了体未来形を使った例示的用法である(『新訂和文露訳入門』の2-2-5項参照)。しかも例示的用法であっても、過去の時制では動作が起こらなかったという可能性はない。また動作が頻繁であれば(規則的反復も含まれる)、不完了体過去形が用いられるが、過去形でのみ使われる多回体を使うという手もある。この動詞に含まれるのは、видывать(しばしば見る)、говаривать(しばしば話す)、едать(頻繁に食べる)、знавать(しばしば知る)、пивать(よく飲む)、сиживать(頻繁に座る)、слыхивать(よく聞く)、хаживать(よく歩き回る)、читывать(よく読む)である。
видать(よく見る)、слыхать(よく聞く)も多回体だが、видатьには現在形もあるし、不定形でも使われ、слыхатьは不定形でも使われる。

(彼は昔もよく飲んだものだったが、今や2週間酔いつぶれていた)Он и прежде пивал, но теперь пьянствовал без просыпу две недели.

出題)「水の硬度が高いということを踏まえての湯垢対策はどうですか?」をロシア語にせよ。

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2013年08月23日

●続和文解釈入門第192回

『るいごプラス!』を出版して1年ほど経つ。その間新しく80近くの類語を集めた。本にするには少なすぎるし、死蔵しても意味がない。そこで、みなさんのご参考のために、このコーナーで少しずつ発表することにした。

麻はконопля のことで大麻とも言う。日本語の麻は大麻、カラムシкитайская крапива (рами)、亜麻лён、マニラ麻манильская пенька、黄麻(ジュート)джутの総称である。

出題)「彼女のことを思い出さないのはよくないことだった」をロシア語にせよ。

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2013年08月22日

●続和文解釈入門第191回

нельзя + 不完了体不定形は禁止を、нельзя + 完了体不定形は不可能を示すと、『新訂和文露訳入門』に書いたが、対応する完了体がない動詞では、不完了体不定形でも不可能を示す場合がある。これはある一定の期間の動作を示す動詞ということになる。

(人は祖国なしに生きる事は出来ない、生きていけない)Человеку нельзя жить без родины.

出題)「非共産主義的短編は才能がないかもしれないし、天才的であるかもしれないという事を言うべき時である」をロシア語にせよ。

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2013年08月21日

●続和文解釈入門第190回

原求作先生の『ロシア語動詞の体の用法』(水声社)の29ページにотвечатьは完了体という見出しで、「現代ロシア語では不完了体であるが、少し古い本を読むと、完了体のような使い方も多いという動詞もあります」とあり、отвечатьを取り上げている。

Француз поклонился и отвечал. что он надеется заслужить уважение, даже если откажут ему в благосклонности.(そのフランス人はお辞儀をして、彼に好意を抱くのは無理にしても、敬意を払ってくれればいいのですがと答えた)

поклонилсяは完了体過去形で、二つ動詞が続いているのだから、通常は順次的用法という事で完了体過去形が続けば文法的には一番すっきりするのに、отвечалと不完了体過去形が来ている。そこで原先生は、このотвечалは完了体であり、отвечать – отвечиватьという体のペアがあったのではないかと想定されている。
 アカデミー露露の最新版第14巻(2010年)には、отвечатьは不完了体だが、完了体の意味もあるとして、次のような例文を挙げている。例文にあるговоритは歴史的現在であり、このотвечалは完了体ということになり、ответилとしても同義で、その場合もアオリスト的用法である。отвечаетとすれば歴史的現在であり、これもアオリスト的用法となる。残念ながら、アカデミー版にはотвечиватьという単語は載っていない。

- Так значит, Валентин, завтра к девяти на работу, - говорит Виктор.(「じゃ、ワレンチーン、明日9時までに会社に来いよな」とヴィクトルは言った)
- Мы привыкшие к девяти, - отвечал Валька.(「9時には慣れていますから我々は」とワーリカ(ワレンチーン)は答えた)

出題)「血液型はB型だった」をロシア語にせよ。

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2013年08月20日

●続和文解釈入門第189回

完了体未来形には例示的用法「(~であれば)~する」がつきものだが、完遂的用法「(これから)~する」にもそのニュアンスが出る場合もある。未来というものは未定のものであり、ある意味、条件法と表裏一体であると言える。つまり、不完了体現在形の予定の用法や不完了体未来形には例示的ニュアンスがないことになる。また完了体未来形は未来の時制の反復には使えない。

(警察がいなくなれば、奴らは戻って来る)Они вернутся, когда полиция уедет.

出題)母が離れて暮らす息子に言う「ちゃんとしたものを食べなさいよ」をロシア語にせよ。

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2013年08月19日

●続和文解釈入門第188回

不完了体現在形の予定の用法は、人に関わる動作を扱い、偶発性(事故、渋滞、事件)に関わる動作や主観的に行う具体的動作とは相容れないと考えてよい。забыть忘れる、потерять失う、разбить割る、сломать壊す、убить殺す、ударить殴る、уронитьなくす、などの瞬間動作動詞(瞬時の移行・変化を示す動詞)は、スローモーションなどの特殊な文脈を除いては、過程を示す事はなく、偶発性に関係する動詞群であり、完了体は主観的な動作を扱うが、これらの動詞の不完了体は主として反復か動作の有無の確認に用いられると考えてよい。

(死ぬのか?)Погибать, что ли? <動作の有無の確認>
(死ぬべきか)Умереть, что ли? <主観的ニュアンス>


出題)犯人探しなどで使う「得をするのは誰だ」をロシア語にせよ。

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2013年08月18日

●続和文解釈入門第187回

「~はどうですか?」で会話でよく使う表現は、Как насчёт + 生格であり、次の例などよく使うものである
Как насчёт чашечки кофе?(コーヒー1杯どうですか?)
また俗語的用法では不定法を使う場合もある。
Он у тебя как насчёт выпить?(おたくのそのお方は飲む方はどうですか?
この他にкак с + 造格という用法も会話ではよく耳にする。с + 造格は「~に関して」という意味である。
Как у тебя со здоровьем?(体の具合はどう?)

出題)「どちらの方面のお仕事をなさっていらっしゃいますか?」をロシア語にせよ。

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2013年08月17日

●続和文解釈入門第186回

今流行りの「今でしょ!」をロシア語で何と言うか考えてみた。「今しかない」ということだろうから、Сейчас или никогда! Теперь или никогда! Именно сейчас и время!などはどうだろう。

出題)「どうして自分の経歴に泥を塗るようなことをするのだ」をロシア語にせよ。

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2013年08月16日

●続和文解釈入門第185回

切迫の用法というのはASAP (as soon as possible 出来るだけ早く)ということだが、だからと言って動作が起こるのかどうか、起こるとしたらいつなのかは分からない。促し(着手)の用法も、動作を促してはいるが、同様に、動作が起こるのかどうか、いつ起こるのかは分からない。また勧誘という用法では、動作が起こるのがいつもでいいし、起こらなくてもいいということである。これらの用法は、動作の起こる時間軸の一点が不定(有無さえ未定)であるということと、動作が起こるのが主観的意志ではなく、回りの状況に依存することが明確であり、それゆえ不完了体を使うということが分かる。一方、完了体は時間軸の特定かつ不動の一点での動作をイメージするという用法だからである。

(もう6時だ。そろそろおいとましないと)Уже шесть часов. Я должен уходить. <切迫の用法>
(有害な音楽を止めろ。我が国のをかけろ!「ナナカマド」を!)Кончай тлетворную музыку. Гони нашу! «Рябинушку»! <促し(着手)の用法。「いい加減にしろ」という切迫感も出ている>
(始めてください)Начинайте! <促し(着手)>
(我が家にいらして下さい)Приходите к нам. <不完了体命令形の勧誘の用法で、いつでもということで動作の始まる時間が指定されていない>
(私のところに1時に来て下さい)Придите ко мне в час. <時間指示が明確であるので完了体命令形が来ている>

出題)「私はあの世を信じない」をロシア語にせよ。

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2013年08月15日

●続和文解釈入門第184回

電子書籍『新訂和文露訳入門』で誤植が見つかりました。お買い上げの皆様にはお詫びすると同時に、次のように訂正願います。

目次
6-2-8 疑問詞 + 不完了体動詞不定形(完了体不定形)→ 6-2-8 疑問詞 + 完了体動詞不定形(不完了体不定形)

5-1-1項の221ページ上から9行目「今すぐといった発話時点における動作への促しや促しのときは、不完了体命令形を使うと考えてもよい。」を「今すぐといった発話時点における動作への促しや着手のときは、切迫という用法という事で、不完了体命令形を使うと考えてもよい。」に訂正願います。

「促し(着手)という用法と切迫という用法には深いつながりがある」という事を言いたかったのですが、言葉足らずだったと思います。

6-1-1項239ページ上から7行目、二つ目のдолженを削除。

出題)「死んでも降伏しない」をロシア語にせよ。

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2013年08月14日

●続和文解釈入門第183回

疑問詞 + 不定形の体の用法については、『新訂和文露訳入門』6-2-8項(この他に2-2-6項や4-2-1-2項参照)に書いたが、что делатьにおいてделать(~する)という不完了体不定形をなぜ取るのчто(何)の具体的な意味は空白であるが、чтоとделатьでは文の成分としての重要性や強弱が違う。Что?はこれだけでも立派に文として通用するが、делатьだけでは一般的に文として成立しない。делатьだけで文として成り立つためには、すでに何をするのかが分かっているというのが前提としてなければならない。そうであって初めて動作の有無の確認の用法となる。そういう意味でделатьの方が文の成分として弱いために、文の焦点とはなりにくいと言える。

(何?)Что?
(すべきだ)Делать.
(すべきか?〔すべきかすべきでないか?〕)Делать? (= Делать или не делать?)
かについて補足説明する。この場合делать自体は「動作をする」という機能面のみを担当し、具体的な動作の内容は空白である。内容が空白である以上文の焦点になれないために、чтоに文の焦点が来ることになり、不完了体が出てくるのである。これは『新訂和文露訳入門』8-3項の複合動詞にも言えることであり、複合動詞が不完了体未来形でよく使われるのもこの理由からだと思われる。
 
出題)「彼は行列の先頭にいた」をロシア語にせよ。

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2013年08月13日

●続和文解釈入門第182回

女性としてコルィマー収容所を生き抜いたギンズブルグ(1906~1977)の「明るい夜 暗い昼」(中田甫訳、集英社文庫、1990年、3巻)という自伝を読んだ後で、彼女の息子で、作家でもあるアクショーノフのことが気になった。彼の本は8冊持っているが、これまで読む気にならないでいたが、そういうことで最近読みだした。5巻本の第1巻からなので、初期の作品のためソ連時代の検閲もあり、作家にとっては必ずしも満足のいくものではなかろうし、プロットも五木寛之の『さらばモスクワ愚連隊』のように嘘っぽいが、50年代の若者の会話が生き生きと描かれている。ロシア語の会話に興味がある身としては読んでよかったと思っている。Коллеги(同僚)、Звёздный билет(星の切符)を読んだが、もう少し読んでみるつもりである。並行して、ベラルーシの作家ブィコーフБыковの『死者に口なしМёртвым больно』も読んでいる。実際の戦争というものがどうだったのかを描いた、ベラルーシ語からの露訳である。これはアクショーノフの二つの作品とは段違いにレベルが高い。

出題)「渋滞にはまらなかったら、すぐに行くよ」をロシア語にせよ。

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2013年08月12日

●続和文解釈入門第181回

前回の出題は不定法の動作の有無の確認の用法だが、不定法でこの用法は珍しい。完了体不定形を使う「~しましょうか?」という構文は、主観的ニュアンスがある、いわば善意の表現である。これを不完了体にすると、してもしなくともどちらでもいいというような、ぶっきらぼうな表現になり、日常生活でこのような失礼な表現を取るよりは黙っているだろうから、あまり使わないと思われる。不定法に不完了体が来るのは動詞にもよるが、そういう意味で非常に珍しいというのである。そうはいっても、するのかしないのかという動作の有無だけが問題であれば不完了体が来る。

(紅茶をお注ぎしましょうか?)Чай налить? 
(キャンセルすべきか、せざるべきか?)Отменять или не отменять?

出題)「パイプが詰まったら、どうしたらいいですか?」をロシア語にせよ。

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2013年08月11日

●続和文解釈入門第180回

前回の出題は経験という用法からであり、動作の有無の確認(動作があったかどうかが不定)である。このような場合には多回体ないしは、不完了体が用いられる。経験は反復と同じ用法と考えてよい。特に疑問文の場合は、多回体を使えば、1度ないしはそれ以上というニュアンスが出せ、より不定の意味が明確になるし、否定文では否定の強調となる。

(モスクワに行かれたことはありますか?)Вы раньше бывали в Москве?  <ロシア語での過去の時制の経験(『新訂和文露訳入門』では現在の時制に記載)>
(モスクワに行くことはありますか?)Вы бываете в Москве? <現在の時制の経験・反復Вы летаете в Москву? Вы ездите в Москву?というのも同義である>
(戸外に出るようになればなるほど、〔それは〕結構なことです)Чем больше вы будете бывать на свежем воздухе, тем лучше. <未来の時制の経験・反復>
(この都市にはよき時代というものがあったのか?)Этот город знавал лучшие времена? <多回体>
(輸血をしたことがありますか?)Вам когда-нибудь делали переливание крови?
(負傷したり、挫傷したことがありますか?)Вы были ранены или контужены?

「通う」という意味では、語結合的に都市でなければходитьが使える。必ずしも歩いて行くということではない。

(その劇場に行くことはありますか?)Вы ходите в театр?  <一つの劇場だけに>
(芝居に行くことはありますか?)Вы ходите по театрам? <複数の劇場に>

 これに対して、下記の文は全て1回の動作に関してである。

(モスクワに〔一度〕いましたか? → モスクワに行って帰って来ましたか?)Вы были в Москве?  <(モスクワに一度行ったことはありますか?)という意味にも取れないことはない>
(〔今〕モスクワですか?)Вы в Москве?
(モスクワに行きますか?)Вы будете в Москве? 
(血便が出たことがありますか?)У вас был когда-нибудь стул с кровью? <一度でも経験があるかという事で、былが来ている>
(前に大けがをしたりしたことがありますか?)Раньше у вас были серьёзные травмы? <同上>

出題)「カタログをもって行きますか?」をロシア語にせよ。

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2013年08月10日

●続和文解釈入門第179回

ロシア語でソ連ロシア文学を読んでいると、相性の悪い作家というのが何人か出てくる。私にとってはフェーヂン、マクシーモフ、プラトーノフなどである。10ページかそこら読むと、他に面白い本が出てきたり、仕事が入ったりして、それ以上先には進まないか、あるいは全く読まないかである。読まない作家の本をなぜ持っているかというと、90年代初めはソ連崩壊前後で古本が100円前後で変えたので、将来読むかもしれないものは念のために買っておいたものを1500冊ほど買った。そのうち半分以上は読んだが、700冊ぐらいは読んでいないし、死ぬまでに読めないかもしれない。
 
出題)「モスクワに行かれたことはありますか?」
「モスクワに行くことはありますか?」をロシア語にせよ。

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2013年08月09日

●続和文解釈入門第178回

主文と従属文の動作の同時性を示す「~する間に」はпока + 不完了体であり、「~まで(に)(ずっと~する)」「~しないうちに」はпока не + 完了体と教わる。上から3つの例文はザルービンの露和からのものである。

(暗くならないうちに帰りましょう)Вернёмся, пока не стемнело.
(彼が来るまで待った)Ждал, пока он не пришёл. <この例文にはнеがついている>
(起こされるまで寝ている)Спит, пока не разбудят.
(完全に暗くなるまで彼は窓辺によく座っていた)Часто он сидел у окна, пока совсем не темнело. <「~まで」構文は反復でも使えるが、その時は当然不完了体となる>

 研究社露和にждать, подождать, ожидатьの後のпока + 完了体未来形の従属節ではнеを省くことができるとあるが、『ロシア文法の要点』(原求作、水声社、1996年)の280ページの例文には、(彼女が倒れるまで私は待った…)Я подождал, пока она упала...とあり、とくに完了体未来形とはなっておらず、従属節のнеを省略するのが普通なのは、「待つ」という意味の動詞と、次のような構文のпройтиぐらいだろうと書かれている。これまで700冊以上ロシア文学を精読した経験から言えば、個人的にも「待つ」という動詞が主文で使われていて、従属文にпокаが来ればнеを使うのは例外的だという原先生の説に賛成である。

(我々の時代が来るまで何年経ったのか?)Сколько лет прошло, пока наступила наша эра?
(当直をしている間に3年経った)Прошло три года, пока я был на вахте.

出題)「貴社の技術の特徴は何ですか?」をロシア語にせよ。

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2013年08月08日

●続和文解釈入門第177回

前回取り上げた『パンツの面目ふんどしの沽券』(米原万里、ちくま文庫、2008年)の第13章「複数形の謎」の中に、<「リンゴが食べたい」と言うときは、いくつ食べられるか不明なので、単数で言っても、複数で言っても許される」>とある。文法的に言えばその通りなのだが、通訳の現場では必ずしもそうではないと言える。自分でロシア語を話す時は自分が話そうとする文脈を完璧に理解しているからいいのだが、通訳の場合はそうとは言えない。通訳する相手の日本語が雑談や趣味の話に及べば、その文脈まで100%理解できることはありえないからである。そうなると一般的にこうだとういうように、確率で通訳せざるを得ないことになる。拙著『新訂和文露訳入門』10-3で「可算名詞を使って漠然と有無を表現する文(不定性を示す文)には複数を用いる」と書いた。リンゴの場合も当てはまるのだろうか?リンゴについては、「リンゴの木になっているリンゴ」と、「リンゴが食べたい」とは分けて考える必要がある。前者では複数で考えるの一般的であろうし、後者では単数であろう。リンゴのような具象名詞は、文脈とより深く結びついていることが多いので、文脈におけるイメージに沿った選択をする必要があるのである。

出題)「来ればすべて分かる」をロシア語にせよ。

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2013年08月07日

●続和文解釈入門第176回

『パンツの面目ふんどしの沽券』(米原万里、ちくま文庫、2008年)は、2000年11月7日~2001年2月末までサンクトペテルブルグで開催された「身体の記憶 – ソビエト時代の下着」という展示会のカタログに着想を得て書かれたとあり、ソ連時代には下着としてのパンツは製造されていなかったとか、ソ連時代(末期を除けばということなのであろう)にはトイレで紙を使わなかったとか、ソ連時代であれば本書はソ連では発禁になったのではないかと思われるほど、ソ連通でも知らないことが、女性らしい筆致でユーモアに彩られて語られている。一読の価値はあると思う。

出題)「彼は私が浴室で両足に絆創膏を貼るまで待っていた」をロシア語にせよ。

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2013年08月06日

●続和文解釈入門第175回

ロシアの犯罪史に興味があるということは前に書いた。それゆえ、資本主義の本場であるアメリカ、特にニューヨークのギャングはどうなんだろうとずっと気にはしていたのだが、ちょうど『ギャング・オブ・ニューヨーク』(ハーバード・アズベリー、富永和子訳、早川書房、2001年)を見つけたので読んでみた。これは1928年出版の、1820年から1920年ころまでのニューヨークのギャングについて書かれたものである。ギャングもアイルランド移民が主で、アイルランド移民は白人の中でも宗教の関係や遅れてきた移民ということで差別され、そのため差別されたその怒りの矛先を黒人に向け、リンチの先頭に立ったと言われている。最初にできたフォーティ・シーブズからチャイナタウンのギャングまで扱っている。面白いのは最初のギャングの大物は大男が多いのに、20世紀初めの有名なギャングは5フィート3インチ(156センチ)、120~135パウンド(55~61キロ)ぐらいと小柄な者が多かったということである。これは彼らが栄養状態の悪いスラムから這い上がってきたことを示すという。数人で強盗などをするのをモブと言い、ギャングは同じ犯罪者でも縄張りをもっていて、多ければ数千人を動員できるグループを言うとある。ただ面白いことにこの本の白眉はギャングそのものではなく、1863年7月11日から1週間の徴兵暴動である。300ドル払えば徴兵を逃れることができ、金持ちは戦争に取られないということが暴動の引き金になったとされている。ちょうど南北戦争で北軍がゲティスバーグで南軍のリー将軍に勝った直後であり、この暴動のために南北戦争の終結が遅れたと言われており、2000人の死者、8000人の負傷者を出し、私有財産だけで五百万ドルの損害とある。黒人へのリンチの実態や、女性も進んでリンチに加わったことなど生々しい。最悪の暴動がどういうものなのか本書を読むとよく分かる。

出題)「彼女は電話に出ないままだった」をロシア語にせよ。

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2013年08月05日

●続和文解釈入門第174回

時制から見て日本語の動詞を状態動詞と動態動詞に分けると、状態動詞は、「~ている」の方を取らずに現在の状態を表す動詞で、「いる、見える、思う」などであり、「今家にいる」、「明日もここにいる」のように、ル形で現在と未来を示す。動態動詞というのは、「話す、行く、歌う」などの動きを表す動詞で、ル形が未来だけを示し、現在はテイル形を用いて示す。

 一方アスペクト(出来事が進行中か、継続中か、終了したかなど動きの局面に注目する文法形式)で、日本語の動詞を分類すると、動態動詞、状態動詞に分かれる。動態動詞は「電話で話している」のように、テイル形が進行の状態を示している動詞で、状態動詞は、「イスに座っている」のように、テイル形で結果の状態(結果の存続)を表す動詞である。テイル形には、このほかに「学校に通っている」などの反復・習慣を示す用法や、「棒の先がとがっている」というような形容詞的用法、「その話は一度聞いている」というような経験・経歴(ロシア語にするときは歴史的現在か、アスペクト的用法で訳すことになる。3-1-7項参照)を示す用法があり、「~した」も「歩いた」や「歩いて来た」のように、日本語では過去と現在完了の意味がある。
достигать(達する)、замечать(気づく)、касаться(触れる)、клевать(餌にかかる)、лишать(奪う)、мигать(またたく)、радоваться(喜ぶ)、разыгрывать(イタズラをしかける)、спрашивать(尋ねる)などはロシア語では遂行動詞だが、和訳すれば形式上はテイル形である。つまり日本語のテイル形にも遂行動詞としての用法があるとするか、結果の存続の用法を援用しているということになる。和文露訳する際に、日本語のテイル形でもロシア語では遂行動詞になりうるということを理解しておいてほしい。

〔お前にも分かるように尋ねているんだ(尋ねている意味は分かるだろ、聞いてやるのはこれで最後だぞ)〕Я тебя русским языком (по-хорошему, последний раз) спрашиваю.

 しかし、テイル形でも「間違っている」などは結果存続兼評価型動詞である。露訳する際に、テイル形は状態の動詞、遂行動詞、結果存続兼評価型動詞に分ける必要があり、不完了体を使う場合が多いが、被動形動詞過去短語尾(アオリスト的用法および結果の存続)となる場合もあるので要注意である。『新訂和文露訳入門』の遂行動詞、状態の動詞、結果存続兼評価型動詞の種類をチェックし、どのような動詞がそれに当てはまるのか研究するのが肝要である。

出題)「一度見た顔は死ぬまで忘れない」をロシア語にせよ。

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2013年08月04日

●続和文解釈入門第173回

вокзалをターミナル駅と訳しても間違いではないが、大きい駅と理解していると間違うことがある。露露辞典を引くと、вокзал = здание (или комплекс зданий) для обслуживания пассажиров и равмещения служб на железнодорожной станции, пристани и т.п.(鉄道の駅や船着き場(空港)などで乗客に便宜や〔各種の〕役務を供与するための建物〔ないしは複合施設〕)とあり、駅や波止場(空港)の建物を指す事が分かる。ターミナル駅そのものであれば、узловая станцияの方がよいかもしれない。ロシア語にはполустанокというのがあり、小さい鉄道駅のことだが、アクショーノフАксёновの『同僚Коллеги』という中編の中に、プラットホームのない駅だとある。日本語では無人駅に近いのではないかと思う。このように基本語については露露辞典を引き直すと、思わぬ発見がある。

出題)「お時間を取らせてしまって申し訳ありません」をロシア語にせよ。

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2013年08月03日

●続和文解釈入門第172回

このコーナーの出題の狙いは、体、単数複数、その他の文法事項の使い分けが主であり、語彙であることは稀である。すべての語彙を網羅することはできないし、通訳各人によっても日常会話などのようにベースとして必要な語彙というものはあるが、技術(鉄鋼、機械、漁業、林業、コンピューターなど)、医療(これも内科、外科、小児科などいろいろな分野がある)、観光(都内、京都・奈良、大阪)、政治経済のロシア語があり、通訳は一つではないにせよ、いずれかに特化していくものだから、そのような特殊な語彙を覚えても、他の分野では役に立たないということがままある。それより体の用法など文法事項の使い分けを先に覚えたほうが汎用的であるし、利便性も高いと思う。

出題)「最初からうまくいくなんてありえない」をロシア語にせよ。

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2013年08月02日

●続和文解釈入門第171回

現在の時制における不完了体の用法で、文の焦点が動詞に来ない例というのはあまりないが、アクショーノフАксёновの『星の切符Звёздный билет』という作品の中で、実験をするかどうかについてコイントスをして決める場面が出てくる。その中の表現で、

(〔コインが〕表なら僕は実験をする。裏ならしない)Орёл – я ставлю опыт! Решка – нет!

 というのがある。ここでставлюと不完了体現在形なのは、すでに1ページ前に、(僕は今この忌々しいやつらの実験をするんだ)Сейчас я поставлю этот чертов опыт.という文が出てくるからで、「実験する」という動詞は、新規の動作ではないし、文の焦点でもないからである。

出題)「私の正体がばれ、彼らは私を逮捕しに来た」をロシア語にせよ。

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2013年08月01日

●続和文解釈入門第170回

2013年7月29日付のタイム誌に、子供の頃からの多言語学習(母国語以外の外国語の学習であり、一つ以上の外国語だが、多くは母国語と一つの外国語の二つの言語)が、痴呆、特にアルツハイマー病の発症を5年ほど遅らせるとあるし、単言語使用者より多言語(実質的には2カ国語)使用者のほうが認識力が高いという調査結果も出ている。多言語使用者は不断に2カ国語から適切な語彙を選択しているわけで、それが実社会での学習や仕事に活かされるという。生まれる3か月前くらいからバイリンガルの母親の胎児は二つの言語の音の差を聞き分けているということから、いろいろな音を胎児のうちに聴かせるというのは有効らしい。アメリカ人は英語が母国語なので、これは世界で一番通じる言語であるから、外国語を勉強しようという気にならないというのはよく分かる。一方中国語は世界で一番話されている言語(世界人口の12.5%)だが、使われている地域に偏りがあるために、若者や知識人の間で世界共通語の英語を学ばなければならないという意識が強い。

 2009年からアメリカのユタ州がバイリンガル教育を推進し、小学校の20%にあたる25の学校で1400人の生徒にバイリンガル教育を実施している。ユタ州はモルモン教徒の多いところであり、社会に出る前に何年かは世界でモルモン教を布教する若者が多く、布教前に1年か2年布教先の外国を集中的に勉強してきた実績があるからだと言える。一言語主義のアメリカも変わりつつあるということか。

 年を取ってからバイリンガルの学習をすることは、やっても害はないということしかタイムには書いていないが、若いころ英語でもロシア語でも一生懸命やった人が、再度挑戦して語学を究めるなら、効果は現れるだろうと個人的には考える。それはタイムにも高齢者になればなるほど、ボケないために脳の活性を高めるようにすべきだとあるからであるからである。英語でもロシア語でも、途中で挫折した経験のある人も多いであろう。そういう人たちも語彙の暗記だけではなく、今から文法を含めた理詰めの学習法をすることにより、ボケないで一生を過ごせるという可能性が高まるということになる。語彙の暗記というのは、ある意味思考停止だから、続かないと思うし、暗記は年寄りが最も不得意なところでもある。

出題)「その際どのような副産物が形成されますか?」をロシア語にせよ。

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