2016年08月05日
●和文露訳要覧第79回
体の用法と時制の関係を分かりやすく次のように図に示すことができる。
<完了>
_______________ ・ _____________
アオリスト的用法 結果の存続 (現在) 近接未来完了 未来完了
<不完了体>
____________|現在|__________________
不完了体過去形 不完了体未来形
注1) 完了体の用法の現在は、この瞬間としての(点としての)現在であり、不完了体の用法の現在は、この瞬間としての現在を含む、ある程度幅を持った現在である。完了体はこの瞬間としての(点としての)現在を示す事が出来ないことはお分かりだろう。
注2) どこからがアオリスト的用法で、どこからが結果の存続なのかは、話し手の主観や文脈による。近接未来完了と未来完了との関係も同様である。
出題)「お前はクビだ」をロシア語にせよ。
2016年08月06日
●和文露訳要覧第80回
<改訂版>
体の用法と時制の関係を分かりやすく次のように図に示すことができる。
<完了体>
・
______ ________________________
アオリスト的用法 結果の存続<現在>近接未来完了 未来完了
<不完了体>
___________|現在|________________
不完了体過去形 不完了体現在形 不完了体未来形
注1) 完了体の図にある現在は、この瞬間としての(上の点としての)現在(狭い意味での現在)と幅のある現在(広い意味での現在)であり、完了体は点としての現在を示す事が出来ない。一方不完了体の用法の現在は、この瞬間としての現在を含む、ある程度幅を持った現在である。その広い意味での現在を不完了体現在が扱い、不完了体過去形は時制的に過去のみを、不完了体未来形は未来のみを扱う。
注2) どこからがアオリスト的用法で、どこからが結果の存続なのかは、話し手の主観や文脈による。近接未来完了と未来完了との関係も同様である。
出題)「届けると言ったら届ける」をロシア語にせよ。
2016年08月07日
●和文露訳要覧第81回
体の使い分けを考える上で重要なのは、完了体はその動詞の語義の動作を完遂するということである。пойтиのような始発の動詞であれば、「歩き出す」という語義を完遂するということになる。その語義の動作の完遂ということから、時制で考えると動作を点で示さざるを得ないし、現在のその瞬間(狭い意味での現在)を示す事が出来ないのは、完遂(動作の終了)というのは過去か未来しかないからである。過程の意味の「~しつつある」というのは動作が完遂していないことはお分かりだろう。一方不完了体については不完了体現在形で一番分かりやすい過程(進行形)の用法で説明すると、идтиなら、歩いているという動作は終点が明示される場合もあるが、その時点では動作が継続中であるし、時間の経過と共に狭い意味の現在の点が連続して動いていると考えてもよい。状態の動詞лежатьなら、状態には動作の終点が明示されないということで完遂ではないし、横たわっているという動作の点は動かずにそのままのように見えるが、いくつも点が重なってきていると考えればよい。ところが完了体のполежатьは、少しの間だけ横になるわけで、少しの間が過ぎれば横たわるという動作は完遂される。遂行動詞では発話という狭い時間の中で動作の点が始発→過程→終了と動くというものであり、評価解釈型動詞では、発話の終了と共に評価という動作が伝えられる。そのため評価解釈型動詞(現在形)は完了体過去形と意味上接近する。
結果の存続では狭い意味での現在(現在のその瞬間)が含まれるのではないかと疑問に思われる方もいるかもしれないが、動作は過去に完遂され、例えばприехал(来ている)では、「来た」という動作は過去のある時点に完遂されていることが分かり、その結果が現在まで及んでいるに過ぎない。しかも結果の存続というのは、アオリスト的用法の派生であり、動作の結果が現在までに及ぶかどうかは文脈次第であるため、意味上では過去の時間軸の一点において動作が起こったということを示すのみである。
近接未来完了(一瞬後に動作が完遂する)や未来完了(ある程度時間が経過してから動作が完遂する)も文脈次第であり、はっきりしているのは、現在の一瞬以降の未来の時間軸の一点において動作が完遂するという事だけである。
出題)「だって私は彼に対し含むところは全くありません」をロシア語にせよ。
2016年08月11日
●和文露訳要覧第82回
猥褻なという意味では、неприличный がよく使われ、непристойный は強調である。会話や文書に不適切と言う意味では、непечатный(口語的)、нецензурныйがある。площаднойは言葉や悪罵に用いられ、極めて程度の低い表現である。похабныйは卑猥な程度が最もひどいという事を意味する。
出題)(助けを求めて)「誰か、何かしてください」をロシア語にせよ。
2016年08月12日
●和文露訳要覧第83回
渡すという動詞の類義語に関して書いて見る。手から手へと渡すという意味ではдаватьが一般的だが、過程を示せない。つまり進行形には使えない。подаватьは要請、指示、必要に迫られて、何らかの意図を持って渡すということを強調する。передаватьは手から手へ、人から人へ渡すということを強調する。отдаватьは、返却する、一時的に何かの作業のために渡す、プレゼントする、ものを渡す事で、解放されるという事を意味し、даватьのように貸すという意味はない。вручитьは渡す行為が特別であるか、渡すものが重要であることを意味し、сдатьは任されたもの、義務を引き継ぎするという意味である。
出題)「彼は30のフレーズを暗記し、それを使い回す」をロシア語にせよ。
2016年08月13日
●和文露訳要覧第84回
完了体未来形の偶発的反復(例示的用法)というのは、起こる確率がゼロの場合もあり得るという意味で、複数の不定の用法に似ているし、もっと言うと、-нибудьの用法とも通じるものがある。同じことは、不完了体の規則的反復・単数・-тоの関係にも言える。この点を深く突き詰めて考えてみることにした。何か成果があればこのコーナーで発表することにしたい。
出題)「手が近づくと明りがつく」をロシア語にせよ。
2016年08月14日
●和文露訳要覧第85回
ワックスという意味で、床を磨くためのものはвоскで、スキー用のワックスはмазьと言う。
出題)「この件ではエカチェリンブルグはロシアの他の都市よりも突出していた」をロシア語にせよ。
2016年08月15日
●和文露訳要覧第86回
печьは製鉄所の炉であり、горнは鍛冶屋の炉である。
出題)「一度見た顔は死ぬまで忘れない」をロシア語にせよ。
2016年08月19日
2016年08月20日
●和文露訳要覧第88回
カザフスタンに駐在していたころ(1995~97年)、カザフ人の歴史に興味があり、何冊か地元で買って読んだ。カザフ人はユーラシア大陸に住んでおり、地続きだから、しかも御先祖は遊牧民族なので、チュルク系とは言っても、モンゴル系などいろいろな民族と混交していることは理解できる。カザフ民族は14~15世紀ウズベクから分かれ、15世紀後半にカザフ・ハン国が生まれた。概ね3つの大部族から成っており、それぞれ大ジュズстарший джуз、中ジュズсредний джуз、小ジュズмладший джузと呼ばれ、ジュズはカザフ語で百を意味する。その大部族もさらに中小の部族に分かれている。カザフ人はいずれかの部族に属しているわけで、カザフ人の知り合いが中ジュズのナイマンに属していると聞いたことがある。中ジュズは中国との国境に多く住み、1930年代のカザフ人定住政策で多くのカザフ人が犠牲になったが、その中には中国に逃げた人も多いと聞く。
陳瞬臣の『チンギス・ハーンの一族』を読んだ時に、チンギス・ハーンがモンゴル高原でキリスト教を奉ずるケレイトやナイマンという国を滅ぼしたというくだりを読んで、これら部族の生き残りが後のカザフ人に吸収されたのかなと考えた次第である。ケレイトは小ジュズの中に含まれている。これらの部族について陳瞬臣は中国の史書で読んだ可能性が高いと思うが、確かめることなく、また中央アジアの専門書を特に読みたいと思ったわけでもなく、そうこうするうちに日は過ぎて行った。
最近『中央アジア・蒙古旅行記』(カルビニ/ルブルク、護雅夫訳、講談社学術文庫、2016年)という13世紀中ごろにモンゴルに別々に旅した二人の修道士の旅行記を読んで、ケレイトやナイマンは景教徒(ネストリウス派キリスト教徒)が多く住んでいた国であり、13世紀極東にあったとされるプレスター・ジョンの伝説の源であることを知った。
この本にはアレクサンドル・ネフスキーなどロシアの諸侯が朝貢のためモンゴルに出向いた時の状況や運命が述べられており、当時のモンゴル民族の様子が詳しい。13世紀のロシアについても若干ふれており、当時のロシアや中央アジアにご興味のある方にはお勧めする。
出題)「落ちているコインを拾いますか?」をロシア語にせよ。