2014年06月01日
●続和文解釈入門第465回
私の出題の回答はある程度具体的な状況を考えて作っているが、投稿者は回答の際、自分なりに出題から受ける感じで回答すればよい。ただその回答を聞き手(コメントする側も含めて)の解釈に任すということではいけないし、回答に特定の語彙と体を選んだ段階で解釈は決まって来るという事を頭に入れてほしい。出題は短文なのでいくつかの解釈が可能な場合もあるが、解釈が二つあれば二つ回答すればよいし、三つなら三つ回答すればよいことになる。あるいはこういう解釈で投稿したという事を聞かれたら答えられるというぐらいでもよい。しかし通常は万に一つの解釈については回答せずに、自分が自然に思える解釈に基づいて投稿なさるのだろうと思う。私の回答はできるだけどのような解釈で回答したかを書いているつもりだし、私の回答のみが正しいとしたことはない。その証拠に投稿者の答えが私のと違う場合でも、私の納得がいけば正答としている。もっというと私が正答としたものでも、説明に納得がいけば参考にすればよいし、納得がいかなければ、なぜ納得がいかないかを具体的に書いていただければ非常にありがたいが、そこまでする気持ちがないのであれば無視すればよいのである。日本人は和と乱す事を嫌う傾向にある。私は本名だが、投稿者はハンドルネームなので、ここは非礼にならない限り、理詰めで疑問や不明点があればその疑問を提示いただければ双方の勉強になると思う。今までこのコーナーで非礼なコメントをいただいたことはないし、これまでいただいた数少ない投稿者からの疑問やコメントは私にとって非常に貴重なものである。遠慮なさらずに疑問や不明点があればどしどしお寄せいただければ幸いである。
私は私の答えに自信はあるが、状況によっては違う語彙を用いた方がよい場合もあろう。具体的にどういう状況かを明示していただければ、それなりの回答をするように努める。どのような場面においても一つの文が万能ということはあり得ない。ただそれを判断するのは聞き手(である学習者)自身である。投稿した時点でその投稿の解釈について私を含む聞き手が投稿者と同じ解釈をしないのであれば、その投稿がおかしい、つまり露訳の意図が伝わらなかったことになる。残念なことにコメントするのは私一人なので、私のコメントが絶対的であるかのように思われるかもしれないが、決してそのようなことはない。正否の判断するのは提示された論拠に基づき、最終的に聞き手(である学習者)個人個人であることを忘れてはならない。つまりロシア人がこう言っているというだけでは、(少なくとも私にとっては)、その状況を細かく提示してもらえない限りは、論拠とは言えず、感覚的ではなく、論理的に訳の正否を判断すべきだと私は考える。
出題)「彼女は昔のままだった」をロシア語にせよ。
2014年06月02日
●続和文解釈入門第466回
通訳をしているときには瞬間的に動詞をどちらかの体にするかを決めなければならないことがよくある。そのときに、指し示す動作がこれまでの会話の全体の流れに乗るか(不完了体)、それ以外、つまり流れに棹をさすか(完了体)、流れを無視するか(完了体)で判断してもよい。
出題)「遠く日本国外でも彼は知られている」をロシア語にせよ。
2014年06月03日
●続和文解釈入門第467回
投稿者の答えにコメントをする際に、文法的ないしは語彙の選択で間違っている場合はその旨指摘するが、このコーナーの投稿者は上級者だから普通はこうは言わないのではないかという程度のものが多い。そういう場合でも語結合的に不自然だとか理由を書くようにしている。このコーナーの正否の基準は和文のニュアンスも含めての出題に対する露訳は、こうするのが自然であろうというのを基準している。そのため投稿者の露文が独立した露文としては文法的に正しくとも、出題とニュアンスや意味が異なれば正答とはしていない。正答としても、個人的な違和感について感想を書くようにしている。また万が一とは言わないまでも、文法的には間違いとは言えないという回答例も多々目にする。そういう回答についてもできるだけ説明するようにして入るものの、漏れがあるだろうことは否めない。自分の回答以外にも他の人の回答でも不審な点があれば、その都度、ないしは後からでも結構なので問い合わせいただければ、回答するようにしているし、そういう問い合わせは私の勉強にもなるので、どしどしお寄せいただきたい。
出題)「彼らの母親については何も情報が残されていない」をロシア語にせよ。
2014年06月04日
●続和文解釈入門第468回
私の回答と違っているものでも、正答にしているものがあり、中には私の回答より良いものもある。そういうものは遠慮なく通訳の時に使わせていただくことにしているが、そうでないものもある。それは私がコメントの時点でいちゃもんというか、間違いの指摘ができなかったもので、そういうものを私個人が通訳の時に使うかどうかは別問題である。
出題)「想像なさるのはご自由です」をロシア語にせよ。
2014年06月05日
●続和文解釈入門第469回
出題を露訳するときには完全にそれだけで成り立つ独立した文と考えるべきではない。つまり壁に向かっての独り言という設定ではないので、自分でこういう文がよく使われるだろう場合を想定して回答すべきである。前回の出題「想像なさるのはご自由です」は、想像する内容についても、回数についても何も言っていないし、相手が勝手に何かを想像するという前提で話している。また内容が不定であり、回数もゼロではなく反復である。また想像するという動作もある程度時間的経過を示すということから不完了体の使用が自然である。この出題を露訳するときにその前の状況を自分なりに補ってみるとよい。例えば、マスコミがある企業家に「プロジェクトAに出資されるのですか?」と問うて、出題のような回答がなされたとして、その企業家にそのプロジェクトの覚えがあるとすれば、そのプロジェクトは具体的なものではあるが公表したくないということで、ノーコメントに近い回答をしたことになる。そうであれば、具体的なプロジェクトが頭にあっても、口では漠然としたものいいをしたことになる。つまり政治家のように、腹に思うことと口に出す事が違うということもあり、そういう前提で露訳をしなければならないこともあるわけである。完了体の本質は具体性であるように、不完了体の本質は任意性であるが、それは心中どう思うかではなく、あくまでも発話に関するものと言える。
出題)「我々は晴れ着を脱ぎ、より簡素な普段着に着替えた」をロシア語にせよ。
2014年06月06日
●続和文解釈入門第470回
書くネタもなくなったし、『るいごプラス!』の続きとして集めた類語が200を超えたのでそのいくつかを、死蔵していても仕方がないので紹介する。「渡す」
手から手へと渡すという意味ではдаватьが一般的。подаватьは要請、指示、必要に迫られて、何らかの意図を持って渡すということを強調する。передаватьは手から手へ、人から人へ渡すということを強調する。отдаватьは、返却する、一時的に何かの作業のために渡す、プレゼントする、ものを渡す事で、解放されるという事を意味し、даватьのように貸すという意味はない。вручитьは渡す行為が特別であるか、渡すものが重要であることを意味し、сдатьは任されたもの、義務を引き渡すという意味である。
出題)「学者の意見は1186年と1190年に分かれている」をロシア語にせよ。
2014年06月07日
●続和文解釈入門第471回
和文露訳の勉強するときに必要なのは、語彙量であるのはいうまでもない。しかし全ての語彙を覚えるのは不可能であり、プロの通訳でもガイドでも、日常会話の語彙は別にして、仕事のたびにその内容に従い語彙を新たに覚えるか、ブラッシュアップすることになる。
このコーナーにおいて和文露訳には語彙ではなく、体の使い分けがより重要であることを指摘してきた。日常会話の語彙はマスターする必要があるが、それ以外については自分の興味ある分野や仕事の関係で必要な分野の語彙を覚えるようにすればよい。語彙については人それぞれなのでここでは述べないが、語彙の暗記のほかに、体の使い分けの訓練もすべきである。『三訂和文露訳入門』の第1章に基づき、新聞、テレビ、映画、ビデオなどから1段落ほど抜き書きしてみて、語彙を無視して、その中にある動詞の時制や法(命令法や不定法)を瞬間的に言えるようにする練習を1日1回5分でもしてみるとよい。特に思い浮かばなければ、このコーナーの1段落でもよい。例えば前回の本文にある「そのいくつかを、死蔵していても仕方がないので紹介する」という文頭の文で、「紹介する」という動詞がロシア語で何に当たるかはとりあえずおいといて、どの体を、どの時制や法で使うかを考える練習をしてみてはどうかということである。このときになぜその体のその時制や法を選んだのか明確に意識することが必要である。このようにして体の使い分けの練習をすることにより、多くの文脈において正しい体を選択できるようになる。語彙量だけ増えても体の使い分けができないのであれば、外人ロシア語のままであるということは何度か述べたし、正しい通訳のためには、語彙のみならず時制のニュアンスも必要であることは言うまでもないと思う。ちなみにこの場合の「紹介する」は遂行動詞である。
出題)「彼らの声は聞き届けられなかった」をロシア語にせよ。
2014年06月08日
●続和文解釈入門第472回
『三訂和文露訳入門』3-1-9項に次のように追記する。
3-1-9 多回動詞の用法 → 不完了体動詞
多回動詞は不完了体動詞から派生した不完了体動詞であり、完了する動作の規則的反復や多くの回数行われる動作の表現に特化し、主に過去の時制で使われ、多くは-ыватьや-иватьの接尾辞を持つ。この動詞を使った例を過去と現在の時制をまとめて紹介する。完了体動詞から派生した不完了体動詞で-ыватьや-иватьの接尾辞を持つものもあるが、多回動詞と違い、動詞により、反復のみならず、過程、動作の有無の確認(過去の時制)の意味をもつが、反復の用法が多い。
出題)「ダンサーという仕事には病気やけががついて回った」をロシア語にせよ。
2014年06月09日
●続和文解釈入門第473回
料理の類語でкухняはフランス料理や日本料理など、全体的な料理や料理法を指し、個別の料理という意味はない。блюдоは朝食、昼食、夕食を構成する個々の料理(皿)や、野菜料理、魚料理、肉料理などの個別の料理を指し、個別の料理はкушаньеとも言う。
出題)「授業のたびにびくびくものだったわ。いつ指されるかと思って」をロシア語にせよ。
2014年06月10日
●続和文解釈入門第474回
『三訂和文露訳入門』2-1-6項に下記追記願う。
過去のある時点から反復が始まり、それが過去のある時点まで反復動作があった、ないしは現在まで反復動作があるということも示す事ができる。
(1459年からウスペンスキー大寺院で府主教叙任の儀式が行われた)С 1459 года в Успенском соборе совершался обряд поставления в сан митрополита. <過去のある時点からある時点までの反復>
(1703年から現在までその川は300回以上氾濫した)С 1703 г. по настоящее время река выходила из берегов более 300 раз. <過去のある時点から現在までの反復であり、また現在までであっても、過去の出来事の有無について述べており、いわば3-1-7項の経験の用法である>
出題)「しかし1960年以来党員だったソ連共産党から彼は間もなく除名された」をロシア語にせよ。
2014年06月11日
●続和文解釈入門第475回
前回の出題のように状態の動詞(『三訂和文露訳入門』3-1-7項)も、過去の時制における過去のある点からの過去のある点までの継続を示す事ができる。
(しかし1960年以来党員だったソ連共産党から彼は間もなく除名された)Однако его вскоре исключили из КПСС, членом которой он был с 1960 года.
出題)「自分の実力を見せる時が来た」をロシア語にせよ。
2014年06月12日
●続和文解釈入門第476回
『三訂和文露訳入門』を下記のように訂正願う。
4-2-3 例示的用法 → 完了体動詞未来形
完了体動詞未来形というのは未来において具体的な1回の動作が遂行することを示すわけで、いつかということは動詞だけでは分からない。直近であれば、こらからすぐということで、4-2-1の用法である。それ以外では、動作が起こるかどうかは不明なわけだが、動作が起これば遂行するという事で、それが潜在的(仮想的)な可能性を生むことになる。そのため過去の時制で例示的用法が使われるときも、この潜在的(仮想的)可能性を形式として示すために、完了体動詞過去形ではなく、完了体動詞未来形が使われるのだと思われる。完了体動詞過去形を使えば動作が既に遂行された(確述、確言)というイメージになってしまうからだ。完了体過去形の時制の転用(9-1-1項)にも確述のニュアンスがある。
例示的用法が過去の時制で用いられても、過去のその時点では動作が起こるかどうかは分からない、つまり偶発的な動作の出現を意味することになる。不定法(6-2-6項)にもこの用法がある。
出題)「彼らは見かけはパッとしなかった」をロシア語にせよ。
2014年06月13日
●続和文解釈入門第477回
ソ連映画「戦艦ポチョムキン」で水兵の暴動のきっかけとなるのは、ウジの湧いた塩漬け肉червивая солонинаだが、ベロヴィンスキーБеловинскийの『宮殿から牢屋までОт двора до осторога』という革命前の庶民の日常生活について書いた本(3巻本の最終巻)によると、当時軍艦では兵士の食事については、艦長、一等航海士、当直士官、ボースン長の順で、ひと匙(さじは変えない)ずつ味見してから兵士に出すわけで、当時の習慣から見ると非常に奇異に感じると書いている。陸軍でも指揮官(連隊長、演習で皇帝臨席の際は皇帝が)兵士の食事の味見をし、OKが出てから、兵士に出されるとある。当時の軍隊食はうまくはないが、パンは結構の量があり、兵士によってはシャバに売りに出すくらいだったという。また海軍の方が陸軍よりも質量ともに良かったとある。
出題)「最新の社会現象をイの一番にとらえる技では、彼の右に出るものはいなかった」をロシア語にせよ。
2014年06月14日
●続和文解釈入門第478回
『三訂和文露訳入門』6-2-6-1項を下記のように追記する。
6-2-6-1 完了体動詞不定形を好む動詞・名詞などとの組み合わせ
完了体動詞不定形を取る動詞にはзабыть(忘れる)、остаться(残っている)、решить(決める)、удаться(成功する)、успеть(間に合う)があり、これは不定形が具体的な内容を示すからだと考えられる。これらの動詞の不完了体забывать, оставаться, удаваться, успеватьの後には両方の体の不定形が来るが、完了体不定形の来る可能性が多い。これは完了体不定形のほうが主観的なニュアンスをもっているので、何か具体的で生き生きとしたイメージを呼び起こすからである。
また例示的な意味を含有する語готов(用意ができている)、желание(願い)、лень(おっくう)、любитель(愛好家)、любить(愛する)、манера(やりかた)、можно(~してよい)、мочь(~できる)、нравиться(~が好きである)、право(権利)、рад(~が嬉しい)、случаться(起こる)、способен(~しかねない、~できる)、способность(能力)、умение(できること)、уметь(~ができる)などと共に用いられる不定形も完了体が用いられることが多い。不完了体動詞不定形が用いられる場合は、動作に反復、頻度の高さやある程度の期間が想定される場合である。
出題)「パスポートの落とし主は至急最寄りの警察署に届けること」をロシア語にせよ。
2014年06月15日
●新和文露訳入門第479回
入門者や初級者は自習できる段階の中級を目指すとよい。私の言う中級というのは、ガイド試験が受かるか受からないくらいのレベルで、露露辞典が引ける程度である。つまり和露辞典やネットで語彙を拾って、なんとか文が作れるレベルと言える。無論和露の語彙は貧弱すぎて実戦では使えないが、そんなに特別な分野でなければ、基本的な語彙はあるだろう。ただ初級文法を覚えただけで、語彙だけ並べてもまともな露文にはならない。動詞の体のや単数・複数の使い分けの知識が不可欠である。体の使い分けは上級者が習うものではない。初級者のうちに勉強を始めてこれをマスターすれば、後は語彙だけなので、和露辞典があれば一応は会話ができることになる。
出題)「マーシャは美人になりそうだ」をロシア語にせよ。
2014年06月16日
●続和文解釈入門第480回
ロシア語で会話するときに、つまり会話で和文露訳をするときに必要なのは語彙であることは確かだが、全ての語彙を頭に入れておくのは無理である。覚えているのはせいぜい日常会話の語彙と、自分に関係のある(仕事で使う)か、興味がある語彙であろう。それに語彙だけ並べてもまともなロシア語の文ができるはずもない。文を作るに際して重要なのは文法を除けば、動詞である。動詞の活用は覚えられるが、動詞の体(アスペクト)の使い分けが難しい。それは日本語とロシア語では言語系統が全然別だということと、それに伴って両言語において時制や法(命令法や不定法)が必ずしも一致しないからだとも考えられる。つまり動詞が文の骨格で、その動詞の体が筋肉に相当すると言える。動詞の体がないと動詞を使いこなせないわけだ。そこでロシア語会話上達のため、この35年間ロシア語の動詞の体について研究してきたわけである。
出題)「ご注文はお決まりですか?」をロシア語にせよ。
2014年06月17日
●続和文解釈入門第481回
ロシア語の否定文については、全否定・部分否定、否定生格、否定文における体の使い分けに着目して長いこと自分なりに調べてきたが、総括的な記述のある参考書がなく、大いに不満に思っていた。しかしこのほどРусское отрицательное предложение, Е. В. Падучева, Языки славянской культуры, 2013を入手することができた。目次を見る限り全否定・部分否定、否定生格、否定文における体の使い分けの項目もあり、大いに満足している。全部読んでいないので結論めいたことは言えないが、説明が素人向けではないとはいえ、多くの例文がついており、その例文が分かりやすいので内容は理解しやすいと言える。私の理解していた部分否定(всеなどの数量詞のつく否定文)は語にかかる全否定の扱いであり、全否定の定義も明確である。私のように否定文に興味をお持ちの方もいるかもしれないのでご紹介しておく。
出題)時計などの裏に書かれた「記念に贈る(贈呈)」をロシア語にせよ。
2014年06月18日
●続和文解釈入門第482回
未来の時制における完了体と不完了体が否定文で使われると、その使い分けがよく分からない文も多い。前回紹介したパードゥチェヴァ先生の『ロシア語の否定文』の中に、使い分けの例が挙げられていたので紹介する。
(お願いすることで私は彼をわずらわすつもりはない)Я не буду обременять его своей просьбой. <依頼することはない>
Я не обременю (↘)его своей просьбой. <降下型イントネーションの位置が動詞の後ならお願いはするが、それは負担になるようなお願いではない。通常の平叙文のように語末でイントネーションが降下すれば、不完了体未来形と意味的には同じであり、ただ文脈により主観的ニュアンスで、否定の強調か不可能のニュアンスがある>
ただなぜこのような体の使い分けが起こるのかについては説明がないので、自分なりに考えてみると、不完了体未来形の否定は動作の無の確認だから、未来において動作は起こらないということがはっきりしている。ところが完了体未来形の否定では、イントネーションの置き方により意味の解釈が異なる場合がある。動詞のすぐ後でイントネーションを下げた場合↘は、完了体の特徴として主観的ニュアンスから動詞に文の焦点が来る。そのため動詞の直後に降下型イントネーションがあれば、ここでいったん意味が切れ、この後のフレーズには否定詞неは関与せず、「お願いはするが、それで彼をわずらわす事はない」となる。一方文末で下げれば、否定詞неは文全体にかかる、つまりお願いはしないという、不完了体未来形に近い意味になる。ただ完了体未来形の否定は、文脈により否定の強調か不可能のニュアンスがあることを忘れてはならない。次の文例も同様である。
(話をして疲れさせるつもりはない)Он не будет утомлять тебя разговором. <話をすることはない>
(疲れさせるような話はしない)Он не утомит (↘)тебя разговором. <降下型イントネーションの位置が動詞の後なら話はするが、それは疲れさせるような話ではない。通常の平叙文のように語末でイントネーションが降下すれば、不完了体未来形と意味的には同じである>
出題)「手紙は来ていないよ」をロシア語にせよ
2014年06月19日
●続和文解釈入門第483回
『三訂和文露訳入門』に下記のように追記願う。
10-20 否定生格(二重否定は20-21に訂正)
否定生格というのは、人やものが存在しない場合は、存在しないものが生格になるというもので、主語にも適用される。否定文で主語に否定生格が来るのは、動詞の語義に無の状態が含まれるものや、状態の動詞、知覚の対象(出現)を示す動詞、主語が不定の意味の複数の場合などである。しかし、動詞すべてに適用されるわけではなく、そのような動詞(仮に否定生格動詞としようか)はパードゥチェヴァ先生によると300超あるという。ただ「一般的なものの無」→「具体的なものの無」→「特定のものの無」の順に否定生格の使用が制限されているように見える。具体性が高まるにつれて、完全な意味での存在の無から離れていると考えられるからだろう。場所も具体性を暗示する。そのため具体性を強くイメージするような動詞(иметь место, исчезнуть, находиться, начаться, присутствовать, потерпеть аварию, размещаться, располагаться, участововатьなど)は否定生格動詞ではなく、主語は否定文でも主格である。また文が計画性、動作を示すもの、動作の様態を示す状況語と共起する場合も具体性が強まるという観点から、主語が否定生格にならないと言える。また主語が活動体や単数(全体を示す単数を除く)を示す場合も、具体性を示す事が多くなるという事で、主語が否定生格にならない場合が多い。
否定文の主語に主格と否定生格の二つが来る可能性がある動詞もある。「手紙は来ていない」を露訳すると、二つの文が考えられるが、そのニュアンスはだいぶ違う。主語を否定生格に置くと、主語そのものはこの世に、ないしは知覚の上で存在しないということになり、主格に置くと、ものは存在するが、動作を否定するということになる。どの動詞にもこのような用法があるわけではない。次の二つの文はいずれも結果の存続の意味で完了体過去形を使っているので、手紙一般ではなく、具体的な(特定の)その手紙を示していることになる。
Письма не пришло. <その手紙自体が存在しない>
Письмо не пришло. <その手紙自体は存在するが、他の場所へ配達された可能性がある>
それゆえ、Ответа не пришло. という文では、その答え自体が存在しないと考えてよい。
不完了体現在形を用いると、不完了体は普遍性を示すから次のようになる。
(我々の駅にはこのような電車は来ていない〔運行していない〕)Не приходит на нашу станцию таких поездов.
「マーシャの姿が見えない」の露訳も同様である。
Маши не видно. <マーシャはここにはいない>
Маша не видна. <マーシャはここのどこかにいるが、隠れていて姿が見えない>
出題)「頼まれれば行くよ」をロシア語にせよ。
2014年06月20日
●続和文解釈入門第484回
未来の時制の順次的用法で使われるеслиには、если нет, то нет.(なければない)というニュアンスがある。次の文では、「頼まれなければ行かない」ということが含意されている。
(頼まれれば行くよ)Если попросишь, приду.
出題)「新規採用はない」をロシア語にせよ。
2014年06月21日
●続和文解釈入門第485回
ゴさんへ(第482回出題のコメントについて)
(情報が入ってこない)Не поступило (поступает) сведений.
のように、поступает/поступилоは否定生格動詞であることは間違いないのですが、「部隊の前進に関する情報が入ってこなかった」という文について、主語が主格でも否定生格でも、どちらの文も意味上の差はないという確証を得ましたので、お詫びの上、お知らせします。
Сведений о продвижении войск не поступало.
Сведения о продвижении войск не поступали.
否定文で否定生格が主語になる場合と主格が主語になる場合、動詞によっては両方の格が使える場合が稀にある。その場合全くの同義ではなく、ニュアンスの差がある場合が多い。
「ホテルは建設されていなかった」をロシア語にすると、次の二つの解釈が可能であるが、ニュアンスは違う。
Гостиницы не было посторено.
Гостиница не была построена. <建設計画はあった>
同様に「本が見つからなかった」もロシア語にすると、二つの解釈が可能である。
Книги (подходящей) не нашлось. <そのような本は存在しない>
Книга (потерянная) не нашлась. <元々存在した本が>
前回出題の「新規採用はない」をロシア語にすると、下記のようになる。
Новых сотрудников не принято.
×Нового струдника не принято. <存在していないので生格であるのはよいが、採用されるのは具体的な一人がとなり、論理的におかしい>
×Новый сотрудник не принят. <主格というのは既に存在しているわけだから、採用されないと新入社員になれないので、これも論理的におかしい>
出題)次の文および会話をロシア語にせよ。
天国での出来事。
「主よ、無神論者たちがやって来ました!」
「私はいないと言ってくれたまえ」
2014年06月22日
●続和文解釈入門第486回
動詞бытьが否定文で用いられた時に主語の格は生格と主格の二つが可能であるが、その意味上の違いはどうなのかを、パードゥチェヴァ先生の『ロシア語の否定文』に沿って説明してみたい。ペーチャが同級生のワーニャのママに会ったときに、次のような会話がなされたとしよう。
Петя: Почему Вани не было в школе?
Мама: Ваня не был в школе, потому что мы ходили к врачу.
ペーチャ「どうしてワーニャは学校にいなかったのですか?」
ママ「私たちお医者さんのところに行っていたので、ワーニャは学校にいなかったの」
私はママのВаня не былのбылはбыть = побывать、つまり「いる・ある」ではなく、完了体的用法の「行く」ではないかと考えた。ところがパードゥチェヴァ先生は、「行く」という動作動詞的解釈を否定しているわけではないが、観察不在наблюдаемое отсутствиеという考え方を提示している。つまり、ペーチャは学校にいたので、ワーニャが学校に来ていない、つまり観察者(ペーチャ)の視点からは当時学校にワーニャは存在しなかったと証言(裏付け)できる。一方ママの視点に立てば、ママは学校にいなかったので、ペーチャが学校に存在しなかったとは言えないということになる。主格は観察者が意識の上でその場所にいなかったことを示し、否定生格は意識の上ではいたことを示している。これは第488回本文で述べる証言性にもつながる考え方である。
(父は海辺にいた、行った)Отец был на море.
(父は海辺にいなかった)Отца не было на море. <だれかが「いなかった」ことを裏付けていることを示している>
(父は一度も海辺に行ったことはない)Отец никогда не был на море. <Отца никогда не было на море.はすべての過去にわたって父がいなかったことを証明する人がいるはずがないので非文>
第483回本文に書き追記願う。
「マーシャの姿が見えない」の露訳も同様である。
Маши не видно. <マーシャはおそらくここにはいない>
Маша не видна. <マーシャはここのどこかにいるが、隠れていて姿が見えない>
Машу не видно. <マーシャはここのどこかにいるが、隠れていて姿が見えない>
出題)「香水はどれをつけていますか?」をロシア語にせよ。
2014年06月23日
●続和文解釈入門第487回
私のような素人でも、動詞бытьは連辞(繋辞)という意味で助動詞や状態の動詞としては不完了体であるが、その他にも動作動詞としての完了体の用法があると第386回で指摘しておいたが、専門の研究家であるパードゥチェヴァ先生は、動作の往復(『三訂和文露訳入門』2-1-3項参照)の観点から、同形の完了体бытьの存在を示唆しておられる。
(私は友人のところにいた)Я был у приятеля. <был = приходил = пришёл и ушёлで、動作動詞としての不完了体の用法>
(医師はきっかり6時に来た〔来る〕)Врач был (будет) ровно в шесть.<был = прибыл, будет = прибудетで、これが動作動詞としての完了体の用法(過去はアオリスト的用法で、未来は完遂の用法。ただ過去における結果の存続としての解釈は、былと明らかに過去を示す助動詞としての用法もあるので難しいと考える)>
出題)「これに対する文献による裏付けは見つかっていない」をロシア語にせよ。
2014年06月24日
●続和文解釈入門第488回
動詞бытьには動作動詞としての完了体・不完了体の用法があることは前回述べた。動作動詞は動作に関わるのだから、主語は擬人法でない限り活動体である。そうなると、次のような文はどう解釈をすればいいのだろう?
(このスーツはドライクリーニングに出したことがない)Этот костюм не был в химчистке.
(私のパスポートはバッグになかった)Моего паспорта не было в сумке. <Мой паспорт не был в сумке.という文は非文である>
これについてパードゥチェヴァ先生は、証言性эвиденциальноть (засвидетельствованность)という概念を提示している。否定生格が意味上の主語になるときは、ないことを証言してくれる第三者がいるが、主格が来る場合はそれがない。最初の文では世界中のドライクリーニング店に当たらない限り、第三者に確認を取ることはできないが、二つ目の文は近くの第三者にバッグの中味を見てもらえば分かる(実際に見てもらうかどうかは別にして)ことになる。
出題)「彼は殉職した」をロシア語にせよ。
2014年06月25日
●続和文解釈入門第489回
否定生格は主語(普通は主格)にも直接補語(普通は対格)にも来る可能性があるが、その簡単な使い分けをパードゥチェヴァ先生が書いているのでお知らせする。それはне существует存在しない/не вижу見えない/не знаю知らない、であり、話し手の側から見て、これらが成り立てば否定生格を使うということになる。
出題)「1812年の火事のため壁画は現存しない」をロシア語にせよ。
2014年06月26日
●続和文解釈入門第490回
否定生格動詞は存在動詞бытийные (экзистенцильные) глаголыと知覚動詞глаголы воспрятияに分けられる。存在動詞は人や物が存在するかどうかということに関係し、知覚動詞は実際にものが存在かどうかというよりは、目や耳、鼻など知覚において感じられるかどうかに関係する。分かりやすく言えば、その場で見えないものが必ずしも存在する・しないとは言えないということである。否定文において、存在動詞の主語は否定生格を取るが、知覚動詞の場合は無の意味が強く出れば否定生格が、位置のニュアンスが強く出れば主格が出ることになる。これはиметь место起こる, исчезнуть消える, находиться(位置に)ある, начаться始まる, присутствовать出席する, потерпеть аварию事故に遭う, размещаться配置される, располагаться配置される, участововать参加する、のような所在動詞(存在というよりは位置を示す動詞)は、否定文でも主格しか来ないということからも分かる。
(特段の問題は起きていない〔起きない〕)Не возникло (возинкает) особых проблем. <存在動詞なので否定文で主格は来ない>
Я пошёл в киоск за газетами.(私はキオスクに新聞を買いに行った)という文章の後に、「新聞は来ていない」という意味の否定文としては、поступать/поступитьが知覚動詞のため二つの文が考えられる。
Газеты не поступили. <その新聞はどこかにあるのだが、届いていない>
Газет не поступило. <1部も届いていない、どこかにあるかというよりは、とにかくない>
出題)「フリーメーソンであることが流行りになったと言ってよい」をロシア語にせよ。
2014年06月27日
●続和文解釈入門第491回
動詞бытьは現在の時制では省略されるが、強調の場合はестьが出てくると教わった記憶があるが、パードゥチェヴァ先生によると、違うらしい。естьがなければ所在動詞であり、естьがあれば存在動詞ということになる。
(部屋には本棚と机はある)В комнате книжный шкаф и письменный стол. <他には何もない>
(部屋には本棚と机がある)В комнате есть книжный шкаф и письменный стол. <本棚と机の存在の提示>
(ペテン師だらけだ)Всюду жулики. (= всюду одни жулики) <位置を示す>
(いたるところにペテン師がいる)Всюду есть жулики. (есть среди прочего) <存在を示す>
出題)「終日熱いサモワールが食堂からなくなることはなかった」をロシア語にせよ。
2014年06月28日
●続和文解釈入門第492回
一般の人はロシア語を学ぼうとすると、語学学校に入ってロシア人の先生につくのが多いようだ。本当のロシア人と話ができるというのは刺激的であり、大いに学習のモチベーションも高まるだろう。しかし、入門の段階で仮に初級文法を教えるにせよ、それは丸暗記とならざるを得ない。挨拶言葉の類もそうである。ここで無事入門の段階を終えたとして、次の段階に進んでも、基本的には丸暗記が待っている。大人になってから外国語を学ぶ人に、暗記の連続はきつい。かといって、いきなり文法書を読んでも頭に入らないだろう。どうせなら入門の段階から日本語で、発音の説明も、文法の説明も日本語でしてもらった方が楽だ。ロシア人の先生に質問しても、そうは言わない、こういうのだと正しい例文が示され、どう違うのか、なぜ違うのかの説明もなく(日本人の先生でもこういう説明がきちんとできる人は少ないだろう)、丸暗記しかないことになる。ロシア語と日本語は全く異なる言語ではあるが、同じ人間が話す言葉であり、共通点もある。ただ、一般的な語彙で微妙に違うところもある。夕方や夜のとらえ方などもそうである。そういう点も含めて苦労してロシア語をマスターした日本人こそ、日本語とロシア語を対比させて教えることができる。このごろロシア語学習者の底辺を広げるために何かしたいと考えるようになってきた。入門段階を終えて、次になかなか進めないという人が入るのなら、有料で教えてもいいし、入門の段階から教わりたいというのであれば、そういう方はご一報願う。個人レッスンであり、希望に沿って、日常会話、ビジネスロシア語、観光ロシア語、医療ロシア語、体の使い分け、技術ロシア語、あるいはその人の仕事関係など、その人個人に合わせて、私の著書を利用してレッスン内容やレベルを変えることができるのが特徴である。大学院生などロシア語の文献を読むのは得意だが、会話は苦手という人など大歓迎である。ロシア人の先生の利点は発音やイントネーションが正しいことだが、基本的に母語であり、我々の日本語同様生まれつきのものであり、苦労してロシア語を身に付けたわけではない。大人のロシア語学習法には、丸暗記一本やりではない、理詰めのもっと大人の勉強法があるはずである。
出題)「彼はまったく人が変わった」をロシア語にせよ。
2014年06月29日
●続和文解釈入門第493回
否定生格が必ず使われるのは、それが世の中のどこにもにないという完全な無の文脈である。その次は「見えない(聞こえない、知らない)」などで、意識の上でも無であれば否定生格が来るが、ここでは見えないが、どこかにあるという意識があれば主格が来る。
(疑いは起こらなかった)Сомнений не возникло. <возникнутьが存在の動詞のため否定文において主語は否定生格となる>
(疑いは消えていない)Сомнения не исчезли. <消えていないのだから、疑いは存在する。ゆえに主語に主格が来ている。語義上この動詞の否定文で主語が否定生格を取ることはない>
出題)「現実をありのままに見なければならない」をロシア語にせよ。