2017年02月03日
●和文露訳要覧第172回
『和文露訳要覧』に下記のように変更を加えた。
3-1-4-2 過程や状態を示す動詞との違い
過程の動詞は動作が遂行途中である事を示すが、遂行動詞における動作は全一的なもので、1/2の動作や1/3の動作という観念はなく、動作全てを発話の始まりから終わりまでを過程のニュアンスをもって示す、いわば時間的に非常に短い志向の動詞に近いと言える。過程のニュアンスがあるので、動作の全一性を示すが不完了体現在形が用いられることになる。過程の動詞は補語をつければ別だが、状態動詞と同様動作の始まりと終わりを示さない。遂行の動詞は動作の終了後、その結果が存続していることを示している。
(彼は今階段を上っているところだ)Он сейчас поднимается по леснице. <過程の動詞>
(仲間のことは保証する)За ребят ручаюсь. <遂行動詞>
(彼は草の上に横になっている)Он лежит на траве. <状態動詞>
出題)「国には犯罪の波が押し寄せた」をロシア語にせよ。
2017年02月04日
●和文露訳要覧第173回
生まれ変わり(転生)について考え見た。生まれ変わりはごく少ない例ながら、前世の記憶を持って生まれる子供がいると言われるが、例外的であり、我々にはそのような記憶がない。ないから前世がないとも、あるとも言えない。奈良時代の神道では死ねば魂は山の彼方へ去るというもので、神話から判断するに死は穢れと考えられ、そのためか今に至るまで神社には墓はない。江戸時代末期になって仏教の影響もあって、死ねば荒魂(あらたま)となり、悪さをする場合もあり、そうならないよう死んだ人の霊を慰める(鎮める)ことが必要とされ、法要が行われるようになった。33回忌で荒魂は和魂(にぎたま)となり、先祖たちの霊と一体化するとする説も現れた。
なかなか面白い説であり、自分なりに生まれ変わりについて考えてみた。仮に宇宙に精神統一体みたいなものがあって、生まれてくる微生物や虫、植物、動物、人間に、その一部(霊)が生まれる瞬間に舞い降りてくるとしようか。その生物の脳の仕組み(霊的能力)によって、その発現が制限されるが、人間ではかなりその発現力が発揮され、それ以上の存在(あるとすれば)ではそれ以上に発揮されるが、死ねば母体の精神統一体に戻るのではと最近考えるようになった。そうすれば前世と言っても、同じ精神統一体であるから、稀にその記憶が精神統一体の近隣の部分にあれば、次に生れる時に思い出すということもあるかもしれない。生き物は皆同じで宇宙規模で輪廻するということになる。
出題)「高価なパンプスを履くと、女性は歩き方も違う」をロシア語にせよ。
2017年02月05日
●和文露訳要覧第174回
『和文露訳要覧』9-13項にいくつか書き加えた。
「それは大きな喜びだった」という文を訳すと、
Это была большая радость. <Этоは繋辞で、主語はбольшая радость>
(彼は何週間も後に来るはずだったが、彼は母をびっくりさせたかった。それは大きな喜びだったから)Он должен был приехать неделей позже, но ему хотелось сделать матери сюрприз. Это было большой радостью. <主語はЭто>
となるが、最初のЭтоは繋辞であり、英語の形式主語itの動詞支配がないものと思えばよい。二つ目の文は、この文単独で存在できるのではなく、次のような先行する文が不可欠だと思う。つまり、二つ目の文のЭтоは文の内容全体(9-9-2項参照)を受けており、単に主語としての役割を果たしているに過ぎないと思われる。тоにも同様の用法がある。
(それは私にとって忘れられない日だった)То был памятный для меня день. <主語はпамятный для меня деньであり、то = это)
出題)「俺は2時間お前を待っているんだ」をロシア語にせよ。
2017年02月10日
●和文露訳要覧第175回
ある翻訳家(大学教授)が和訳をする上で、できるだロシア語の名詞は日本語の名詞、動詞は動詞と訳すのが精確な訳だと翻訳論を述べたことがあるが、それは間違いである。ロシア語と日本語は構造的にまったく違う。そのため翻訳には機能文法的なアプローチが欠かせない。原文の意図することを精確に訳すのであれば、品詞の一致を特に考える必要はない。一字一句翻訳において品詞の一致をするというのであれば、それは曲芸のようなものであり、多くの場合文意がぎこちなくなる。そういう盲信から離れて、文意の通る訳を目指すべきである。
出題)「捜査員たちが彼の後を追って駆け出し、もう追いつこうとしたその時、彼は上着の下からピストルを取りだした」をロシア語にせよ。
2017年02月11日
2017年02月12日
2017年02月17日
●和文露訳要覧第178回
Авторитет, или подчинение без насилия.(権威、それは暴力なき服従)を、「権威、あるいは暴力なき服従」というように、илиを間違って直訳しているのをよく見かける。これは英語のorと同じ用法で、то есть(つまり), иначе(換言すれば)という意味である。
出題)「急ブレーキをかけると前輪がスリップします」をロシア語にせよ。
2017年02月18日
●和文露訳要覧第179回
マスコミで紹介される遺族の談話などでは、「天国のお母さん云々」というような話をよく聞く。我々日本人はほとんどが神道や仏教だから、浄土や極楽ではないかなどという瑣末なことはともかく、多くの日本人はあの世はあると考えているようだ。私個人としては、子、怪力乱神を語らずと論語にもあるように、あるかどうか分からないものに対しては不可知論の立場である。つまり、ないとか、あるとか決めつけるようなことはしないということである。しかしながら、ガイドをしている時に、ロシア人に対して日本人庶民の死生観や葬式のあり方(なぜ葬式をするのかも含めて)を尋ねられることも多く、それなりの回答を用意しておくべきだと思い、これまでいろいろその種の本も読んできた。最近読んだ本で感心したのが『日本人の死生観』(五来重、角川選書、1994)である。この類の本では同じ標題の『日本人の死生観』(加藤周一他、岩波新書、1977)があるが、これはは乃木希典、森鴎外、中江兆民、河上肇、正宗白鳥、三島由紀夫という日本の(知的?)エリートの死にまつわる評伝であり、これはこれで面白いが、これを、日本人全体を代表する死生観として取り上げることには大いに疑問である。五来氏の著書は正に日本の庶民の来世観を墓制と共に取り上げたもので、外国人向けのガイドをする上での必読書と言える。
我が国は古来より死者は死の直後は荒魂(あらみたま、あらたま、新魂)となるが、これは祟りやすいとされ、鎮魂(子孫の供養など)により死者の罪が清められ、年を経て和魂(にぎみたま、にぎたま)という子孫を慈しみ、恩寵を与えるものになるという、いわば霊魂昇華説が日本人の宗教感情の根底にあるからだと述べておられる。江戸時代には33回忌で死者の魂は祖先の霊と一体化するという説も生まれた。
殯(もがり)は荒魂を封じて置くために、遺体を土の上に置き、四方を木などで囲んだもので、風葬のようなものであり、3ヶ月から2年、6年(平均2年)と遺体を風化させておくものだという。葬儀は荒魂を鎮める鎮魂の儀式であり、墓は荒魂を封じておく構造物だったという。もがりは7世紀の大化の薄葬令で公には禁止されたが、その後も庶民の間では細々と続き、土饅頭などの土葬、700年の僧道昭に始まる火葬に代わって行った。これは遺体が腐敗していくのをそのままにしておくのは忍びないということもあったのかもしれない。
出題)「すべて私の体調の悪いのは、まず第一に喫煙のせいだ」をロシア語にせよ。
2017年02月19日
●和文露訳要覧第180回
新橋駅地下にあるシュークリーム屋さんでプロフィトロールが売られていた。プチシューのようなもので、クリームがかかっている。話のタネにと、それとこの頃シュークリームにはまっているので、買って食べてみた。おいしいが、私には普通のシュークリームで十分だ。ロシアでもпрофитрольというプチシューが売られており、アカデミー版の露露辞典にも収録されているから、ロシア語ではあるが、フランス語由来であろう。なぜこんなことを書くかというと、シュークリームをロシア語で何というか悩んだことがあり、結局サイズは違うが、профитрольとするしかないという結論を得た。ただ中の餡が甘いものの他に、しょっぱいものもあるという点がどうかなという気はする。
出題)「あなたの子供が欲しいの」をロシア語にせよ。
2017年02月24日
●和文露訳要覧第181回
太平洋戦争で戦没された方の遺骨(英霊)収集についての記事を目にすることがある。これは我が国において、火葬の後、骨拾い(骨揚げ)し、骨壺に納めて、それから納骨するという一般的な葬儀と関係しているからであり、骨尊崇の思想があるからであろう。これに関して『死の民俗学』(山折哲雄、岩波書店、1990年)に興味深い記述があるのを見つけた。イギリスの歴史家ジョン・マクマナーズの『死と啓蒙』に世界の奇習の一つとして骨拾いが挙げられているという。日本でも骨尊崇の思想は昔からのものではなく、古来日本ではもがりのような風葬のあと、庶民においては遺骨は川に流すか、土に埋めるか、野ざらしにするとか、骨に特に執着しなかったが、仏教渡来と共に仏舎利崇拝が6世紀ごろから貴族階級に広まり始め、それが11世紀ごろ(藤原道長の時代)から、骨を依代とする考え方が庶民にも伝わるようになったのではないかとある。
出題)「7月18日はモスクワ郊外の警察にとってついていない日だった」をロシア語にせよ。
2017年02月25日
●和文露訳要覧第182回
最近葬儀に列席することもあって、ロシアの火葬について調べてみた。ロシア正教は回教同様火葬を認めていないが、ソ連時代は大都市では場所の不足や衛生の面から火葬が奨励され、火葬の後納骨堂колумбарийに葬られた。納骨堂は壁が納骨壇ячейкаとなっており、そこに骨壺урна с прахомと共に納骨された。現在でも墓地に土葬するというのはお金がかかるわけで、マフィアの親分や有名芸能人、政治家、金持ちはともかく、庶民の間では火葬が多いようである。ロシアでもっとも有名な納骨堂はクレムリンの壁で、片山潜やスターリンなど115柱が葬られている。
出題)「彼はそこで、爆発現場で死んだかもしれなかったが、彼を救ったのはその場に居合わせた医師だった」をロシア語にせよ。