2012年07月01日

●和文解釈入門 第408回

私自身が耳にして、きれいな日本語とは思えない表現に、助詞にアクセントを置く言い方がある。「~は」を「~はぁー」、「~(と)か」を「~(と)かぁー」、「~で」を「~でぇー」と延ばすものであり、テレビを見る限り、老若男女関係なく、使う人が多い。若いころの大学紛争のときにに聞いた学生運動家の「我々はー」というのを思い出す。これは、「あの」とか「つまり」など、次の文をどう言うか考えをまとめるための間の代わり、ないしは息継ぎなのだろう。金田一春彦によれば、会話の後につけるネサヨの廃止運動というのがあって、みっともないからこれを止める代わりに、切れ目ごとに変な節を入れるようになったとある。また日本語は母音で終わる語が多く、イタリア語やスペイン語と並んでメロディーがあるように聞こえる美しい言語だという。せっかくの美しい言語が台無しなのではないか。このような表現は音調を崩しているとか思えないし、間が抜けた感じがする。ネサヨの方がはるかにましだ。

 このほかに、若い男女が使う「~ないですか」がある。これは、日本人は断定を嫌うための、日本人の否定表現好きと関係があるらしい。しかし否定文であっても、断定されているようでこれも聞き苦しい感じがする。

設問)和食レストランで「僕はウナギだ」をロシア語にせよ。

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2012年07月02日

●和文解釈入門 第409回

英語には定冠詞と不定冠詞があるが、日本語にはない。その代わりを格助詞である「は」と「が」がしていると、「ベーシック日本語教育」(佐々木泰子ほか、ひつじ書房、2007年)の日本語文法の章(この部分は森山新先生が書いている)にある。例として挙がっているのは、「昔々、あるところにおじいさんとおばあさん(が)住んでいました。ある日おばあさん(は)川へ洗濯へ行きました」という文で、「が」が新事実(不特定)を提示し、「は」は既出(特定)を提示するとある。ロシア語にも冠詞はないが、その役割を一部、完了体と不完了体が担っているとも言える。第2回の設問で紹介した、

「このバッグを買ったのよ」- Я купила эту сумочку.
「どこで買ったの?」- Где ты её покупала?
 あるいは、逆の関係になるが、
(おかけください。テーブルの近くにどうぞ)Садитесь. Сядьте ближе к столу.

 この他に、「は」は総称(その種類全部)を示すという例が挙がっている。
「人間(は)生まれて1年ほどで言葉を話せるようになる」

設問)「飛行機は大丈夫ですか(飛行機には強いですか)?」をロシア語にせよ。

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2012年07月03日

●和文解釈入門第410回

露文解釈する露文はロシア人の作ったものだから文法的には一応正しいとみな考えるが、和文露訳のときに日本人が作った露文に対しては半信半疑である。そういう意味で露文解釈のときに抱くような信頼感が和文露訳にはない。ここのところが露文解釈と和文露訳の気持ちの持ちようの違いである。これは母語話者至上主義というもので、通訳ないしは翻訳するという観点が抜け落ちている。露文自体が文法的に正しいかということのみならず、いかに和文を露訳に反映させているかが大事なのだという事に目を向けないといけない。

設問)「リュージュをやる前には、どんなスポーツをなさっていましたか?」をロシア語にせよ。

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2012年07月04日

●和文解釈入門 第411回

口語ではподойти = прийтиという事を前に書いた。特に人に対して、到着という意味ではв/наが使えないので、кを使わざるを得ない。そうなると、語結合の関係からそれに引きずられて、過程の用法も使えるподойтиが使われやすいのだろうと思う。ロシア人(だけではない)が挨拶に握手したり、ハイタッチしたりするのも、親愛の情を示すという他に、手と手を接触させることで、到着したという意味を表しているのかもしれないなと考えた次第である。

設問)「4人乗りのボブスレーの順位はどうなりましたか?」をロシア語にせよ。

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2012年07月05日

●和文解釈入門 第412回

教師は生徒に対して、動詞の活用や格変化の由来などを除き、この表現は例外だとか、これはこうなっているから、そのまま暗記せよというのではなく、生徒の質問に対しては、どんなにくだらないと思っても、できるだけ理由を懇切丁寧に説明すべきである。それが生徒にとっても、また教師にとってもいい勉強になる。

設問)競技で選手に「明日あなたのスタートがありますか?」をロシア語にせよ?

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2012年07月06日

●和文解釈入門 第413回

ロシア語の通訳やガイドになりたいのであれば、ロシア語を習得するのは当然なことながら、日本語についても一つの外国語として客観的に理解しようという姿勢が大切である。前に紹介したウナギ文なども、表層構造では理解しても、深層構造をロシア人に伝えるような工夫をしないと結局私がウナギとなって、理解されないことになる。文脈に依存する関係が低ければ、表層的に訳せばよいが、日本語のように文脈に依存する程度が高い語学(高文脈言語という)は、何を言わんとしているかその深層まで理解しないと和文露訳が非常に難しいということになる。

 一方、英語は多民族向けの言語で低文脈言語であり、主語を省略できないなどその例である。ところが日本語では、強調するなど必要な時に、人称が出てくるという、人称省略というよりは、必要な時に人称が顕現するという非常に進んだ言語である。これは日本にいる外国人の数が1.5%ぐらいであり、すべて日本語で通じるということが背景にある。今やインターネットの時代で、民族間の考え方の違いが少なくなる傾向にある。ということは言語も高文脈化をたどっているわけで、日本語はその最先端を走っていると言えないこともない。

 漢字も習得が難しいのは確かだが、書くのに必要なのはせいぜい2000字程度のことであり、会意文字や形声文字などの組み合わせ文字がほとんどで、少数である象形文字や指示文字を覚えれば、後はその応用でありそれほど困難とはいえない。日本語は漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字と4つの文字を使うため、読んですぐ内容が分かるビジュアル言語である。この点も時代にマッチした言語であると言える。戦後すぐ、日本語そのものをよく理解していない文人たちが、国語をフランス語にせよとか、文字のローマ字化を唱えたのは、敗戦後の劣等感そのものであり、我々はロシア語などの外国語を通して、日本語の正しい意義や価値を理解する必要がある。

設問)「ふくよか(ぽっちゃり系)なのにもかかわらず、彼女は軽やかに、そして優雅に動いた」をロシア語にせよ。

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2012年07月07日

●和文解釈入門 第414回

出版の可能性は相変わらずないが、本コーナーの投稿者とのやりとりとそのフィードバックに基づく「和文露訳入門」の原稿ができたので、目次だけでも紹介したい。ページ数はB5なら300ページくらいだろう。
目 次
はじめに
第1章 体の本質と規範
第2章 過去の時制
2-1- 過去時制における不完了体
2-1-1 過去の出来事や動作(事実)の名指し → 不完了体動詞過去形
2-1-1-1 過去時制における動作の名指しとは何か?
2-1-1-2 過去の名指しの用法の種類
2-1-1-3 動作の名指しの用法の区別の仕方
2-1-2 動詞に文の焦点が来ない場合 → 不完了体動詞過去形
2-1-2-1 動詞に文の焦点が来ない場合とは何か?
2-1-2-2 否定文における用法
2-1-2-3 疑問詞との組み合わせで完了体過去形が来る場合
2-1-3 往復
2-1-4 過去の経過 → 不完了体動詞過去形
2-1-5 漸進・長期間に関わる用法 → 不完体動詞過去形
2-1-6 過去の反復 → 不完了体動詞過去形
2-1-7 過去の継続 → 不完了体動詞過去形
2-1-8 歴史的現在(劇的現在) → 不完了体動詞現在形
2-1-8-1 歴史的現在とアオリストの関係
2-1-8-2 動作の順次性
2-1-8-3 歴史的現在と完了体未来形
2-1-8-4 劇的現在
2-1-8-5 動詞以外の歴史的現在
2-1-8-6 日本語の歴史的現在との違い
2-1-8-7 記録の現在
2-1-8-8 歴史的現在とアオリストの違い
2-1-8-9 歴史的現在が使えない動詞や場合
2-1-9 意志の欠如 → не стал(а,о, и) + 不完了体動詞
2-1-10 過去の予定 → 不完了体動詞過去形
2-1-11回想・過去の不規則な反復動作(~したものだ) → 小詞бывало + 不完了体動詞過去形(不完了体現在形〔歴史的現在〕、完了体未来形)
2-1-12過去の経験 → 不完了体過去形

2-2 過去時制における完了体の用法
2-2-1 アオリスト(定過去、歴史的現在) → 完了体動詞過去形
2-2-1-1 アオリストとは何か?
2-2-1-2 アオリストと結果の現存の違い
2-2-2 創作者としての資格 → 完了体動詞過去形
2-2-3 順次的用法 → 完了体動詞過去形
2-2-4 結果の達成への期待 → 完了体動詞過去形
2-2-5 動作の一括化 → 完了体動詞過去形
2-2-6 いったん開始された行為の中断、中止 → 小詞было + 完了体動詞過去形
2-2-7 結果の評価 → 完了体動詞過去形
2-2-8 否定の強調
2-2-9 仮想の状況における動作の完了

第3章 現在の時制
3-1 現在時制の不完了体
3-1-1 過程 → 不完了体現在形
3-1-1-1 過程の意味
3-1-1-2 過程を示すことができない動詞群
3-1-1-3 過程の意味における日本語との表記の違い
3-1-1-4 ся動詞による過程の用法
3-1-1-5 不定人称文による過程の用法(不定人称文の項参照)
3-1-2 反復・習慣 → 不完了体現在形
3-1-2-1 反復・習慣と不完了体
3-1-2-2 過程を示せず、反復のみを示す動詞
3-1-3 過去から現在に至る継続ないしは反復 → 不完了体動詞現在形
3-1-3-1 過去から現在に至る継続ないし反復
3-1-3-2 動詞を使わない用法
3-1-3-3 про-の接頭辞を持つ完了体動詞過去形
3-1-4 伝達型動詞 → 不完了体現在形
3-1-4-1 伝達型動詞(перформативные глаголы)を分別する理由
3-1-4-2 過程や状態の動詞との違い
3-1-4-3 伝達型動詞の種類
3-1-4-4 結果の現存の用法との違い
3-1-4-5 語義による区別の仕方
3-1-4-6 動作未遂行の動詞 → 不完了体現在形
3-1-4-7 проситьとпопроситьの一人称での使い分け
3-1-4-8 начинать の現在形の特殊用法
3-1-5 評価伝達の動詞 → 不完了体現在形
3-1-5-1 評価伝達の動詞интерпретационные глаголыとは
3-1-5-2 評価伝達の動詞群
3-1-6 状態の動詞
3-1-7 経験(~したことがある)
3-1-7-1 不完了体過去形を使う用法
3-1-7-2 動作(事実)の名指し
3-1-8 動作の否定 → 不完了体現在形の否定
3-1-9 多回体的用法 → 多回動詞の不完了体現在形
3-1-10 真理の提示 → 不完了体現在形
3-1-11 様態 → 不完了体現在形

3-2 現在の時制における完了体の用法
3-2-1 結果の現存(存続)
3-2-1-1 結果の現存〔結果の達成と残存〕 → 完了体過去形
3-2-1-2 被動形動詞過去短語尾の結果の存続〔現存〕)の用法 → 現在時制
3-2-1-3 結果の現存とアオリストの違い
3-2-1-4 только чтоの用法
3-2-1-5 動詞を使わない用法
3-2-2 仮定や叙想 → 完了体未来形
3-2-3 不可能 → 完了体未来形
3-2-4 否定の強調 → 完了体未来形の否定

第4章 未来の時制
4-1 未来における不完了体の用法
4-1-1 単一動作に用いられる不完了体未来形
4-1-1-1 未来における動作の有無の確認
4-1-1-2 動詞に文の焦点(中心的意味や役割)が来ない場合
4-1-1-3 未来時制の動作の有無の確認(動作の名指し)に使える不完了体動詞(動詞の語義による)
4-1-1-4 未来時制において動作の有無の確認(動作の名指し)の意味で使えない不完了体動詞
4-1-1-5 運動の動詞と不完了体未来形
4-1-1-6 否定的意図 → не + бытьの未来形(не + статьの未来形) + 不完了体動詞不定形
4-1-1-7 両方の体がほぼ同じ意味で使える場合
4-1-1-8 動作の着手(意志)
4-1-1-9 未来時制においてесли, когдаに導かれる複文での時間にとらわれない一般的事実の表示
4-1-1-10 完了体未来形、不完了体動詞現在形、不完了体未来形の使い分け
4-1-2 予定の用法 → 不完了体現在形
4-1-2-1 予定の用法とは何か
4-1-2-2 予定の用法が使える動詞
4-1-2-3 近接未来における予定の用法
4-1-2-4 例外的用法
4-1-2-6 叙想語долженとの組み合わせ
4-1-2-7 предстоятьの用法
4-1-3 動作の意向 → 不完了体現在形 + 動詞の不定形
4-1-3-1 「~するつもりです、~します」の意味の内訳
4-1-3-2 意向の意味の動詞の使い分け
4-1-3-3 願望の意味の動詞群
4-1-4 未来における繰り返し → 不完了体未来形
4-1-5 呼応的用法 → 不完了体現在形

4-2 未来における完了体の用法
4-2-1 完遂的用法 → 完了体未来形
4-2-1-1 完遂的用法が用いられる動詞
4-2-1-2 完遂的用法と疑問詞
4-2-1-3 完遂的用法の特徴
4-2-2 順次的用法 → 完了体未来形
4-2-3 例示的用法 → 完了体未来形
4-2-4 未来時制における往復(これから行って戻って来る、行って来る)
4-2-5 未来時制における被動形動詞過去短語尾
4-2-5-1 未来時制における被動形動詞過去短語尾の用法
4-2-5-2 ся動詞の不完了体未来形の用法
4-2-5-3 未来時制の不定人称文

第5章 命令法
5-1 命令法における不完了体の用法
5-1-1 着手(促し) → 不完了体動詞命令形
5-1-2 勧誘 → 不完了体動詞命令形
5-1-3 動作の様態の強調 → 不完了体動詞命令形
5-1-4 禁止 → 否定詞 + 不完了体動詞命令形
5-1-5 反語的用法

5-2 命令法における完了体の用法
5-2-1 新しい事態の生起という具体的な1回の伝達の要請 → 完了体動詞命令形
5-2-2 例示的意味 → 完了体動詞命令形
5-2-3 丁寧な依頼 → 完了体動詞未来形の否定疑問形
5-2-4 警告 → 否定詞 + 完了体動詞命令形(うっかり~しないでください)
5-2-5 同じような状況で使える完了体・不完了体の用法の違い
5-2-6 被動形動詞短語尾を使って命令の意味を示す用法
5-2-7 意思に反し課され、義務として予定された行為で、憤激と反抗のニュアンスを持つ用法
5-2-8 仮定や叙想(現在時制の完了体の項参照)

第6章 不定法
6-1 不定法における不完了体の用法
6-1-1 切迫感(動作の着手) → 不完了体動詞不定形
6-1-2 不必要 → 不完了体動詞不定形
6-1-3 動作の持続性 → 不完了体動詞不定形
6-1-4 疑問詞 + 不完了体動詞不定形(完了体不定形)
6-1-5 動作の否定や禁止 → 不完了体動詞不定形
6-1-6 動作の名指し(動作の有無の確認) → 不完了体動詞不定形

6-2 不定法における完了体の用法
6-2-1 具体的な、特定の1回の動作の実現(具体的個別的事例) → 完了体動詞不定形
6-2-2 「~しましょうか?」構文 → 完了体動詞不定形 + ?(疑問形)
6-2-3 必要性 → 完了体動詞不定形
6-2-4 命令 → 完了体動詞不定形
6-2-5 不可能 →не + 完了体動詞不定形。
6-2-6 例示的用法 → 完了体動詞不定形
6-2-6-1 動詞句
6-2-6-2 例示的意味の不定形を取る熟語
6-2-7 「する気になれない」 → не + хотеть/хотеться + 完了体動詞不定形
6-2-8 不定形の名詞的用法 → 完了体動詞不定形
6-2-9 叙想語との組み合わせ

第7章 特異な体のペア
7-1 時制に関係なく完了体動詞と不完了体動詞で意味の異なる動詞群(писать/написатьグループ)
7-2 不完了体動詞が意味上優位な動詞群(звонить/позвонитьグループ)
7-3 状態「~である」と状態発生「~となる」を示す動詞群(казаться/показатьсяのグループ)
7-4 体の対立

第8章 会話に役立つ動詞の用法
8-1 быть動詞の用法
8-1-1 「行く」という意味での用法
8-1-2 軍隊で上官に対する敬語(Есть + 不定形)
8-1-3 будетの特殊用法
8-2 定動詞と不定動詞の特殊用法
8-2-1 定動詞の用法
8-2-2 能力を示す不定動詞
8-2-3 идти/ходить過去形の否定の用法の違い
8-2-4 пойти + 完了体動詞未来形(不定形の代わりに)
8-3 機能動詞
8-4 「知る」と「考える」の動詞群の意味の差異
8-5 接頭辞за-のつく動詞で場所を補語に取る多動詞群
8-6 хотетьとхотеться
8-7 敬語
8-8 強意代行動詞
8-9 可能の意味が内在する動詞群
8-10 副動詞
8-10-1 副動詞と不完了体
8-10-2 「~(の)ままである」
8-11 被動形動詞現在

第9章 その他統語論関係
9-1 時制の転用
9-1-1 「~しましょう」
9-1-2 抽象的現在
9-2 相対時制
9-3 無人称文
9-4 不定人称文
9-5 迷惑(被害)の受け身
9-6 人称の転用
9-7 強調構文
9-8 構文「とても~ので~する」

第10章 会話に役立つ形容詞、副詞、数詞、前置詞など
10-1 形容詞の特殊用法
10-2 機能副詞句
10-3 単数と複数
10-4 形容詞の最上級
10-5 助数詞(助数辞)
10-6 関係代名詞что
10-6-1 関係代名詞のчто
10-6-2 前の文全体を受ける関係代名詞что
10-7 主題の提示(テーマとレーマ)
10-8 生格の述語的用法
10-9 全体を示す与格
10-10 接続詞что/какと知覚動詞
10-11 理由を示す前置詞、前置詞句
10-12 「ために」の使い分け

設問)「搭乗のアナウンス(案内)はありましたか?」をロシア語にせよ。

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2012年07月08日

●和文解釈入門 第415回

ロシア語をマスターするのに文型を覚えればよいと考える人もいるだろう。文型というのは高校などで英語の時間に習ったS + V + Oの類である。一時私もそう考えて、文型や構文を拙著の「ビジネスロシア語実戦会話・応用編」(東洋書店、2007年)や「実戦ロシア語文法」(東洋書店、2008年)に書いたりした。無論この種の文型や構文を覚えるのも大切なことだとは思うが、ロシア語習得の本質ではない。それは文型や構文というのは時制を無視しているからである。あたかも、現在時制で与えられた構文が、過去時制、未来時制でも同じように使えるかのような設定にしてあるからだ。そういう場合もあるかもしれないが、通訳やガイドの現場ではそう甘くはないというのが現実である。日本語とロシア語が違う系統の言葉である以上、時制も異なるわけで、そのような構文が時制を変えて応用できる場合はかなり限られてくる。

 日本語文法で「テイル形」というのがあるが、これは三つの用法がある。「書いている」なら過程(進行形)であり、「来ている」なら現在完了であり、「座っている」なら状態である。過程と状態は不完了体現在形にすればよいが、「来ている」は完了体過去形となる。「~でできている」なら被動形動詞過去短語尾である。タ形の「来た」も、過去かもしれないが、現在完了(「来ている」という意味)かもしれない。このようなロシア語と日本語の時制の違いをよく理解しないと、簡単な和文露訳もできないことになる。文法もロシア語文法中心に教えれば、ロシア語の時制の説明となる。ロシア語の時制を理解して、それを逆にすれば和文露訳も簡単にできるかというとそういう風にはならない。露文解釈だけ一生懸命勉強しても、ロシア語が話せないという現実を見れば、それがよく分かるだろう。日本語の動詞の辞書形(終止形)は非過去(現在か未来)を示す。「学校に行く」は毎日がつけば繰り返し、明日がつけば未来の時制となる。日本人はこれを無意識に理解しているが、ロシア語にする場合は、対応のロシア語の時制がどうなるのかを理解しないと簡単なロシア文もつくれないことになる。それはこのコーナーの設問を試しにやってみれば分かることである。こういう時制の違いという観点から、和文露訳を教えているところがあるだろうか?

設問)「設備は契約日から2年以内に納入される」をロシア語にせよ。

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2012年07月09日

●和文解釈入門 第416回

本多勝一の「日本語の作文技術」の中に、「翻訳とは、二つの言語の間の深層構造の相互関係でなければならない」とあり、それを読んで何かもやもやが晴れたように感じた。またA, B. C, D and Eの訳し方についても翻訳調を避けるという意味で、直訳せずに、「AやB・C・D・Eは」とするほうが日本語らしいとある。長い間技術関係の露文和訳をしてきて、日本語として無理がなければ、語順は原文通りに日本語にしてきたが、頭をガツンと殴られた気持ちである。原卓也先生と北御門二郎氏徒の文学論争で、原先生は一字一句できるだけ配列も変えずに原文に忠実にと主張されたと記憶するが、そうであれば、それは翻訳ではないということになる。文の表層構造をそのまま翻訳することは少しロシア語をかじれば、難しいことではないが、深層構造となると、文法のみならず、文学や生活(貴族や庶民やあらゆる階層、知識人、技術者、医者など)のレアリアも理解せねばならず、不可能に近い。しかし、不断の努力でその空白部を埋めるような勉強をしないと、翻訳家にはなれないということかもしれない。この本には文末の「た」の繰り返しを避けるために、現在進行形(歴史的現在と言い換えてもいいだろう)を使えなど、翻訳や通訳をする上で示唆に富む内容が多い。

設問)「この言葉を逆から(後ろから)読め」をロシア語にせよ。

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2012年07月10日

●和文解釈入門 第417回

このコーナーでは体の用法を中心に会話での和文露訳の能力をどのようにつけていくかについて述べているが、これは決して文法の規則の詰め込みとか、文法訳読法を勧めているわけではない。文法があって、それに基づいて言葉ができたものではなく、言葉の仕組みを本質的に探るために文法の研究がなされているのである。私が勧めるのは多くの露文の文例によって、体の本質を究め、それによって、会話における和文露訳に苦しまなくてもよいようにすることである。

 文法書と和露辞典があれば和文露訳ができるのなら、このようなコーナーは不要であろう。それはこのコーナーの設問を試しにやって見るとよい。設問の日本語はロシア語を知らない日本人が読んでも、基本的な短文で、これを複雑すぎて意味が分からないという人はいないはずだ。これまでの文法書も参考書も露文解釈のみが眼中にあり、それができれば、和露辞典の助けさえ借りれば、和文露訳はひとりでにできるものだというふうに考えられた来たように見える。もっといえば、和文露訳などこれらの著者にとってほとんど眼中になかったと言った方がよいかもしれない。そういう必要性など感じなかったのだろう。和文露訳は自分でやらなければ分からない。このコーナーの設問のような簡単な日本文でも、ロシア語にしようとすると時制の問題は避けて通れない。異なる体系を持つ日本語とロシア語の時制が同じだと考える方に無理がある。一つの言語の時制についても母語者なら完璧でも、もう一つの言語の時制については、特別に勉強し、実際に会話で使ってみなければ、マスターできない。露文解釈を何年学んでも、畳の上の水練でしかない。会話で恥をかかないと、うまくはなれないのである。多くの文例を自分なりに研究し、その成果を会話という実戦で試してこそ、ロシア語はマスターできる。体の用法も私が書いていることを鵜呑みにすることではなく、私の説くことが実際の例文にマッチしているか、実際の会話に応用できるのかという点をよくチェックしてほしいと思う。そうすれば自分なりにロシア語のマスターする方法が開けるはずである。私の説く体の用法についても、一つの参考であって、結局は自分のやり方でうまくなるしかないのだ。

 和文露訳ができるようになるためには、文法の理解と語彙(和露辞典の助けを借りてもよい)だけではだめで、日本語とロシア語の時制の違いに対する理解と類語の使い分けが必要である。このコーナーとその総集編である「和文露訳入門」は、日本語とロシア語の時制をそれぞれバラバラに理解するのではなく、有機的に、統合的にその真髄を究め、和文露訳に役立てようとする一つの試みである。

設問)「あなたと私の活動はとても難しい」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 06:49 | Comments [6]

2012年07月11日

●和文解釈入門 第418回

文末の「た」は過去の時制と完了を日本語で示すが、その他に確定表現の「た」があると、「日本語の発想」で森田良行氏は述べている。「ありがとうございます」と「ありがとうございました」の違いである。前者は挨拶表現のような未確定意識によるものであって、後者が何か具体的な恩恵に対して述べており、この「た」は時とは無関係な事柄だという。これについて自分なりに考えると、集まりの場でよく主催者側が述べる、「本日はお忙しいところをお集まりいただき、誠にありがとうございます」は前者であり、デートなどで本当に来てほしいと思って、誘ってはみたが、来るかどうか分からなかった人が来てくれたときには、「来てくれて本当にありがとうございました」と後者の例になりそうである。そうなると、語調を整える「た」もあり、ロシア語に訳す時には4つの「た」を考えなければならないことになる。ちなみに「ありがとうございました」はどう訳すのだろう。せいぜい、Спасибо за + 対格(具体的な感謝の内容)をつけるくらいだろう。

設問)「お乗りになる列車(電車)は次の次で、別のホームからです」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 07:18 | Comments [3]

2012年07月12日

●和文解釈入門 第419回

時事ロシア語が盛んのようである。いくつかあるようだが、いずれも露文和訳形式となっている。インターネットなどでロシア語の情報を理解する力を養うにはタイムリーな企画だと思う。しかし、これを通訳用の和文露訳に転用しようとすると、語彙だけは紹介されているものの、語彙だけで、和文露訳に活用できるような人は、実際に通訳やガイドをしているプロだけ、つまり上級者だけということになる。語彙だけ分かっても、文脈が同じでなければ、その文は暗記しても使えない場合が多い。時制を含めた露文解釈が必要である。これは和文露訳だけでなくとも、正確な露文解釈のためには、時制について体の用法から吟味した解釈を伝えないと、どうしてこの文脈で他の体が使えないのか、どういうニュアンスで著者は使っているというのかが分からないのではないか?時事ロシア語は文学ではないから、ニュアンスなどない、事実をそのまま伝えているだけなのだ(少なくとも著者はそのつもりだ)というのであれば、それは違うと言わざるを得ない。そういうニュアンスのない、いわゆる事実だけをそのまま伝えるような平板なロシア語だけ覚えても、温室育ちの露文解釈という事になりはしないか?まあ、そういうことは措くにせよ、和文露訳の勉強にならないことは確かだ。時事ロシア語を執筆なさっている先生方に、この点を少しは考えてもらいたいと思う次第。会話での和文露訳の勉強に対しても配慮した時事ロシア語があってもいいと思う。

設問)ホテルで「浴室でお湯が出ないのですが」をロシア語にせよ。

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2012年07月13日

●和文解釈入門 第420回

日本ではロシア文学はそれなりの数のファンがいるが、ロシア語を勉強する人は少数派である。しかも、和文露訳に興味を持って真剣に勉強しようとする人は、その中の少数派である。その中で体の用法が和文露訳の根幹だとして、勉強する人は、過去も現在も、そして多分、未来も少数派中の少数派である。しかし、露文解釈をするにせよ、和文露訳をするにせよ、正しくロシア語を理解したいという、この一見単純な欲求を満たすには体の理解を前提にするしかないと思う。その証拠に、動詞のある文を言おうと思えば、必ずどちらかの体を使わざるを得ないではないか。

設問)「当社はライセンス契約の条件を飲みます」をロシア語にせよ。

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2012年07月14日

●和文解釈入門 第421回

前回の設問の「(条件を)飲む」というのは「受け入れる(OKする)」ということだが、一般的に完了体過去形を使うと、結果の現存ということで、「たった今OKしました」という感じを受ける。かといって、不完了体現在形を使うと、過程(OKしつつある)、状態(〔昔から〕OKしている)ということになり、設問とは違う。このようなときには、発話が始まって、発話が終わると同時に動作が終わる動詞が用いられるわけであり、それを伝達動詞(動作遂行の動詞改め)と呼ぶ。日本語でも「ライセンス契約の条件を受け入れます」というのは、「(とっくの昔に)受け入れている」とは違うということが了解されるはずだ。これまでの体の用法の参考書で、現在時制では予定の用法ぐらいしか触れておらず、現在時制については当然分かるとしてか目次にない参考書もある。

 20年ほど前に「ビジネスレター入門」を上梓した際に、СообщаемとСообщимの違いについて、深く考えるところがあり、この動詞の類語(厳密ない意味での伝達に関わる動詞)には、現在形で、状態でも、結果の現存でもない用法があることに気がついていた。この2年ほどシノニムの研究をする上でАпресян先生たちが、この動詞について書かれているのを読み、納得した次第である。露文解釈ではこの動詞について、特に知る必要はないのかもしれないが、ビジネスレター、特にメールなどでは、сообщать/сообщитьを不完了体現在形で使うのか、完了体未来形をにするのか、他の動詞はどうするのか、その違いを知ることは重要である。そうでなければ、ビジネスレターの文頭でよく使われる表現、「~を連絡申し上げます」はどう訳すというのだろう。理屈も分からず、みな丸暗記にすればよいというのではあるまいし、日本語の時制に従って、ロシア語も同じ時制にすればよいというのではないことはお分かりだろう。

設問)「日本では大安売りはいつごろですか?」をロシア語にせよ。

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2012年07月15日

●和文解釈入門 第422回

投稿者のchijikpijikさんの親切なお勧めもあり、電子書籍として「和文露訳入門」を刊行したいと考えている。しかし、自分では電子書籍を利用したこともないし、その予定もない。電子書籍作成についてはePubというのが世界標準になりそうな気配だが、まだ分からない。今年の後半あたりがやまなのだろう。基本的にとりあえずPDFにするのが無難そうな気がする。一応、年末までには2冊を電子書籍化する予定で、まずは和文露訳入門の刊行を考えている。

1) PDF化かePub化か
PDFの方が簡単だが、拡大の仕方が虫めがね方式というような欠点もある。自分は電子書籍の読者ではないので、見やすさという点から言えば、原稿をePubにした方がよいのかもしれない。PDFについては翻訳原稿をPDFで貰うので、どういうものかは分かるが、開いて見るのがコンピューターの比較的大きい画面なので、スマホやiPad、タブレットなどで読む場合どうなのかが分からない。ePubは閲覧するだけならAdobe digital editionsをインストールすれば読めるから、これで作ってもらおうかとも思う。自分では作れないので業者に頼んだ方が安上がりだし、安全だからだ。今後はePubが主流になると言われているので、そういう事も頭にある。PDFなら簡単にコピーされてしまうだろう。この点につき皆さんのご意見をうかがいたいものである。
2) 原稿のサイズ
紙の本を出版する際には、出版社から横何文字、縦何文字と原稿の指定が入る。私は本を書く人(作る人であって)、私の本の読者ではない。それに、iPadやスマホ、タブレットも持っていない。となると、読む媒体にもよるだろうが、横何文字、縦何文字で原稿を作ればいいのだろう?何かアドバイスを。

今のところ、これらの疑問が湧いたので、何かアドバイスがあれば、ご一報願います。現在「和文露訳入門」を校正中ですが、上記の問題は電子書籍作成上避けては通れない問題であり、上記の他に、何か気をつけておくことがあればコメント願います。うまくゆけば、2カ月以内に1冊電子書籍を上梓し、その後4冊ぐらいは年内に出せるのではないかという期待を持っております。

設問)「ドアにカギがかからない」をロシア語にせよ。

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2012年07月16日

●和文解釈入門 第423回

技術関係の通訳を始めたばかりの人には、完了体の使い方があまりうまくない人が多い。これは初め翻訳、それも露文和訳をある程度やってから、その後で通訳もやり始めるという人が多いからだ。技術文献というのは法律の文章に似て、ся動詞の不完了体現在形の受け身「(一般に)~される」という文が多く、技術用語が分かれば、比較的構文自体も簡単で楽に和訳できる。こういうのに慣れてしまうと、日常会話でも「~するときに」でкогдаを使えばいいのに、日本語の「~時」であるпри + 動名詞の前置格を使いたがる。これはкогдаを使うとどちらの体を使うべきなのかが、即座に判断できないからだということもあるのだろう。こういう人たちは、基礎はできているし、露文も技術関係が多いとはいえよく読んでいるので、その後ロシア人との会話などで苦労する(体の用法など)とはいえ、翻訳でも会話でも一人前になってゆく確率が高い。うまくなるコツは語彙と文法、特に体の用法の会得にある。

設問)「どこの新聞社の方ですか?」をロシア語にせよ。

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2012年07月17日

●和文解釈入門 第424回

「戊辰物語」、東京日日新聞社会部編、世界ノンフィクション全集50、筑摩書房
1964所載。戊辰戦争後60年を経ての聞き書き。聞き手には落語家の小さん、彫刻家の高山光雲などがいる。戊辰戦争およびその前後の庶民の暮らしぶりなどがよく分かる。かつて東京日日新聞(後の毎日新聞)の記者だった子母澤寛は本書を作品によく用いている。

「幕末おろしあ留学生」、宮永孝、ちくまライブラリー、1991年
 ロシア領事ゴシュケーヴィチなどの勧めにより1866年ペテルブルグに幕府より派遣された6名の留学生について。ゴシュケーヴィチが留学生の生活費をピンはねしたのではないかとか、ゴンチャローフが教師としてこれら留学生を教えたなど興味深い。彼らは結局高等教育をペテルブルグで受けることはできず、一人は1867年、残りも一人を除いて1868年帰国した。橘耕斎についても記載ある。

*「高橋是清自伝」(2巻)、高橋是清、上塚司編、中公文庫、1976年
 高橋是清(1854~1936)は1867年アメリカに赴き、苦学して(知らずして3年の奴隷の身に落とされたり)1868年末帰国。森有礼やフルベッキの世話になる。日本銀行に入社、後蔵相。二・二六事件で凶弾に倒れた。酒豪であり、豪胆な人柄のようである。若い時には横浜でボーイとして住み込みで働いていたときに、ネズミ取りでネズミをとらえ焼いてビフテキにして食べたとか、1871年ごろ吉原の金瓶大黒という妓楼で小少将という花魁に、八犬伝の仁義礼智信をもって若い人の来るところではないと諭されたりした。ちなみに彼女の部屋には客が読むかもしれぬとて、ウェブスターの大辞典やガノーの究理書が置かれてあったという。モーレー博士の通訳として勝海舟を訪れたときに、勝はモーレーに高等数学について問い合わせ、高橋がこの通訳ができなかったので、勝はオランダ語と紙に書いて質問した由。モーレーは勝のことを非常にほめたと言うが、勝流のはったりのような気がする。以降是清は通訳するのが嫌で勝のもとを訪ねなかった。このとき最初に出迎えたのは勝の三女逸だった。植物学者の矢田部良吉に森有礼と随行しての米国行きを譲った。このとき森は矢田部のことを狡猾なような風があると評し、矢田部自身もその慧眼に驚いたという。牧野富太郎(1862~1957、牧野富太郎自叙伝、講談社学術文庫、2004年)やクララ(後述)との経緯を見ればなるほどと思われる。ペルー銀山の失敗など浮き沈みの多い人生だが、率直で、誰の前でも無遠慮にものを言うのが疎まれた場合もあるが、私心はなく、常に国や公のことを考えていたという事がよく分かる。なんでも一から勉強し、人間関係も含め細かいところに注意を払い、疑問を疑問のままにしておかなかったことに高橋是清の成功の秘訣があることが本書を読めばよく分かる。高橋是清が暗殺されたときに夫人が暗殺者に対して卑怯者と言ったと言うが、全くその通りで、本当に惜しい人を亡くしたと思う。

「イタリア使節の幕末見聞記」、V・F・アルミニヨン、大久保昭男訳、講談社学術文庫、2000年 
1866年訪日したイタリア使節の日本見聞録。蚕卵紙の買い付けへの道をつけることが使節の狙いだったというのは知らなかった。


設問)「このコンピューターは、電池でもAC電源(コンセント)でも大丈夫ですか?」をロシア語にせよ。

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2012年07月18日

●和文解釈入門 第425回

ロシア語の作文や会話で、ロシア人教師から日本人生徒の体の用法の間違いを指摘されることが多い。体の用法は容易に習得できない学習の大きなネックである。教える側にとっても体系的な指導法が確立していないように思える。一つ一つの文については先生自身が直すこともできようが、体系的に体の用法を教えることができるのは、同じロシア人でも体の用法の専門家だけであろう。そういう専門家が体の用法を日本語で教えることができるとか、ましてや日本にいるとは考えにくい。それは我々が日本語を話す外国人の敬語の間違いを直すことができても、敬語を体系的に教えるには、敬語に関して専門の勉強を積まないといけないのと同じである。また体の用法を体系的に理解していると言っても、露文解釈でなら、体の用法の参考書を読めば大体分かるが、実際にロシア語の会話でどちらの体を使えばいいのかまで指摘し、日本語でニュアンスの違いまで説明できる人は少ないだろう。私の経験から言うと、そのためには膨大な数の用例が要る。こちらの体の方がよいと思うだけではだめで、別の体にしたときにどうニュアンスが変わるのか、あるいは文法的におかしいのかまで説明できないと生徒の役には立たないからだ。

設問)「彼は予選落ちした」をロシア語にせよ。

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2012年07月19日

●和文解釈入門 第426回

幕末の宮廷」、下橋敬長(ゆきおさ)、羽倉敬尚注、東洋文庫、1979年
 摂家一条家の旧臣の1921年の講和速記。博覧強記の人だったようである。幕末当時の外国人の皇室について記したもの中には、天皇の食器は一度しか使われないので土器を用いたなどと書かれているが(ゴロヴニーンも「禁裏は又食事の度に新しい食器を用いるが、一度使用した食器はただちに打ち壊すことになっている。その食器で物を食う事をあえてするものはたちどころに死ぬという」と書いている)、本書によれば16枚の菊の花びらのついた白地の陶器で東山の清水焼が多く、月に2、3度は下げ渡されたようだが、毎回毎回捨ててはいないことが分かる。食べ残しは御末(女中)に毎回下げ渡された。天皇・皇后はおからが好きだったとか、孝明天皇はご酒が好きで夕食の始まる6~7時ごろから10時ごろまでは飲まれていたなどほほえましい話もある。ミッドフォードが京都で即位したての明治天皇に拝謁したときに、鉄漿をしていたので驚いたと書かれていたが、本書を読むと当時の天皇や公卿は鉄漿を隔日ないしは3日に一度していたことが分かる。後光明院より表向きは火葬だが、土葬となり、孝明天皇から正式に土葬となったというのも他では窺えないことである。門跡寺院に天皇、摂家、親王家が子を遣わすというのも、年に50~100石相応のお手伝いがあるからだというのはなるほどと感心した次第。朝廷は幕府より10万石もらっていたが、そのうち天皇は30,021石6斗であり、輪王寺家には13,000石、残りを宮家、五摂家、その他の公卿で分けたという。

(164) 「旧事諮問録」(旧事諮問会編、進士慶幹校注、岩波文庫、1986年、2巻)
 将軍家の日常、お庭番、幕末の外交の様子を江戸幕府の役人が証言している。問答の形になっており、現代の話し言葉に近いことが分かる。1891年から1892年の第11回までの記録で、将軍は自分の事を「余」ではなく、「こちら、自分」と言い、御台所は「わたくし」と言っていたとか、将軍の飲んでいた酒は、真っ赤な変なにおいのある(保存が悪くてそうなったのだろう)のだったなど非常に面白い。

(165) *「英国外交官の見た幕末維新」、A. B. ミッドフォード、長岡祥三訳、1985年、新人物往来社、
 1866年~1870年まで駐在したミッドフォード(1837~1916、英国外交官)の手記。手際良く当時の日本の国情が描かれており、読ませる内容である。アーネスト・サトウとともに立ち会った切腹の場面や、パークス(1828~85)を襲撃した二人の浪士のうち一人をミッドフォード自身が取り押さえた場面は圧巻(残りの一人は後藤象二郎と中井弘蔵が組み伏せ斬首した)。同じ事件をサトウとは別の角度から知ることができるのは興味深い。若き明治天皇にも拝謁し、天皇が当時の慣習に従い鉄漿をつけ、眉を抜き、顔に白粉を塗り、唇に紅をさしていたなど興味深い記述もある。ミッドフォードの著作には四十七士など日本古来の物語を欧米に紹介した「昔の日本の物語」などある。

(166) 「ミッドフォード日本日記」、A.B. ミッドフォード、長岡祥三訳、講談社学術文庫、2001年
 1906年の40年ぶりの日本再訪記(東京、静岡、京都、下関、鹿児島、奈良、名古屋訪問記)。卓越した文章である。訳の日本語も素晴らしい。鴨猟の体験や女性柔術家の護身術模範演技など非常に興味深い。

設問)「彼は世界タイ記録を出した」をロシア語にせよ。

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2012年07月20日

●和文解釈入門 第427回

(167) 「ながさき稲佐ロシア村」、松竹秀雄、長崎文献社、2009年
 日本でロシアと最も縁の深い所は、私の生まれ育った函館ばかりと思っていたが、ピークリの小説で稲佐にロシア人が多くいたことを知り、なんとか詳しく知りたいものだと考えていた。本書は1860~1904年まで長崎県稲佐に存在したロシア村Русское поселениеを軸に、レザーノフの来航から日露戦争まで扱ったものであり、写真や図が非常に豊富である。幕末・明治のロシア語通訳志賀浦太郎(1842~1916)が長崎の庄屋の出ということは知っていたが、本書で詳しく教えられた。

(168) 「ロシアの長崎、稲佐での最後の停泊Русский Нагасаки или Последний причал в Инасе」, Амир Хисамутдинов, Издательство Дальневосточного университета, 2009
 英文も含む豊富な文献を駆使して、ロシア側から見た稲佐について紹介している。1859年長崎の出島における火事で300人のロシア人水兵が鎮火に当たり、これにより日露友好が確実なものとなったというのは知らなかった。ロシア人は北国の日本人と同様、一見とっつきにくいが気持ちに裏表がなく、心の温かい人が多いという事と、タタールのくびき以来アジア人との付き合いが長いので、他の欧米人とは違うという事があるということかもしれない。長崎で亡くなったロシア人すべてを網羅しているようで、著作は非常に丁寧な作りだが製本が悪く、ほとんどのページがばらばらと取れてくる。

(169) 「函館の幕末・維新」、中央公論社、1988年
 フランス士官ブリュネは徳川幕府のフランス軍事顧問団の副団長として1867年来日。1869年旧幕府軍と行を共にするために脱走し、箱館の五稜郭での戦いまで軍事指導をした。ブリュネは100枚のスケッチを残し、本書でその内容が分かる。

(170) 「幕末遣外使節物語」、尾佐竹猛、講談社学術文庫、1989年
1929年の著書。新見豊前守、竹内下野守、池田筑後守、徳川民部大輔の4つの遣欧使節について。池田筑後守の一行が上海のホテルにて、間違って小便器で手を洗って小便くさくなったとかの珍談は面白い。新見豊前守一行に随行した長野桂次郎(または慶次郎1843~1917)は幕末の遣米使節新見豊前守一行に加わった立石斧次郎(米田為八)で、アメリカでは非常に婦人にもて、トミー(トムミー)という愛称を奉られた由。岩倉具視の米欧使節にも加わり、行きの旅の途中女子留学生にちょっかいを出し、同志裁判にかけられたという。帰国後何かを為したということを聞かないから、当時珍しい軽めのプレーボーイだったのだろう。

設問)「今年は例年になく雨が多い」をロシア語にせよ。

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2012年07月21日

●和文解釈入門 第428回

(171) *「福翁自伝」、福沢諭吉、岩波文庫、1978年
福沢諭吉(1835~1901)の自伝。初版は1888年。痛快な書である。幕末に3回洋行している。「外国人に一番分かりやすいことで、字引にも載せないということがこっちでは一番難しい」ので洋行のときに外人に尋ねまくったというのは今にも通用することである。2回目の洋行のときにペテルブルグまで行った竹内下野守一行の諭吉に、ペテルブルグに残れとロシア側の接待役から勧められたとか、competitionを競争と訳したのは諭吉が最初だなど書いてある。子供に対して手を下して打ったことは一度もないというのも彼らしい。

(172) *「懐往事談」、福地源一郎(桜痴)、世界ノンフィクション全集50所載、筑摩書房、1964年
 福地源一郎(1841~1906)による1859年から68年の幕府瓦解に至る間の見聞記。当時外国奉行輩下として通訳・翻訳に従事した。維新後岩倉一行の米欧使節にも参加した。1894年初出。品川に外国の外交団がいたため買い出しの通訳などで品川に駐在したが、当時品川は江戸ではなく、出張費が出たと書いている。また品川で泊ったところは妓楼だったという。江戸の森山多吉郎主宰の英語の塾長であり、後に樺太問題でロシアの軍艦内部にかかっていたオランダの地図で樺太は北緯50度で日露の境界になっていることを川路らに告げ、領土問題における日本の主張の論拠となったと森山が福地に告げたという。神奈川運上所(横浜税関)に勤め、横浜でのムラヴィヨーフ使節の露人士官と水兵暗殺などのときも横浜勤務であった。この時奉行の問責、死者の墓造営を要求したのみで、賠償金はオールコックが勧めたが、ムラヴィヨーフは拒否した。このあたりは一つの見識であろう。これ以外の暗殺の被害者については各国が賠償金を幕府からせしめている。平易な文語体で読みやすい。福地は公使館付だったので、英国公使館東慶寺襲撃では現地にいた。堀織部正の自殺についてもプロイセン1国との条約と思っていたところが、オイレンブルク一行はプロイセン、ドイツ関税同盟、ハンザ都市、メクレンブルク公国を代表しており、この点について外国事務担当の閣老安藤対馬守に厳しくとがめられ、性格的に生得小心翼翼の人だったため腹を切ったのではないかと福地は述べている。福地は人物評が得意のようで、「福地は躁跳多弁の漢なり」という上司の柴田貞太郎の弁を紹介しており、各国公使についても、オールコック英国公使は最初は威嚇だったが、後に温和政策へとか、ド・ベルクール仏国公使は喜怒哀楽激しいが、門閥の出故、威儀を正すのを喜ぶとか、ポルスプルック蘭国公使は幕府がオランダを軽んずる故に英仏と連合して威嚇外交をなす。ハリス米国総領事は懇切丁寧と述べている。幕府は鎖国のため外交に不慣れで、ペリー来航時には、ドンケル・クルチウスオランダ商館長を、その後ハリス、ハリスの帰国後はロッシュ仏国公使を重用した。薩長はパークス英国公使に頼った。

(173) 「甦る幕末」、朝日新聞写真部(後藤和雄、松本逸也偏)、朝日新聞社、1987年
 ライデン大学写真コレクションからの幕末の写真集。パークス襲撃犯の浪士二人のさらし首の写真、ヒュースケンの遺体の写真、草鞋を履いた馬の写真もある。

設問)「寒さには強いほうですか?」をロシア語にせよ。

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2012年07月22日

●和文解釈入門 第429回

(174) 「ニコライの見た幕末日本」、ニコライ、中村健之助訳、講談社学術文庫、1979年
 神田のニコライ堂や函館の正ハリストス教会の大主教で亜使徒聖ニコライРавноапостольный святитель Николай японский(1836~1912)は1861年来日し、函館の領事館付主任司祭として1869年まで滞在した時の経験をもとに日本人の宗教観についてЯпония с точки зрения христианской миссииとして書かれたものの邦訳。訳者中村健之介氏の訳注が詳しい。ダヴィド-フ(ダヴィドフが正しい)とかゴローヴニン(ゴロヴニーンが正しい)力点がおかしいものがある。この他に中村氏がロシアで発見したニコライの日記に基づいて書かれた「宣教師ニコライとその時代」、講談社現代新書、2011年や「宣教師ニコライと明治日本」岩波新書、1996年がある。「ニコライの日記」(中村健之介編訳、岩波文庫、2011年、3巻)も上巻、中巻、下巻が出版された。ニコライという人は19世紀末の日本の各地を旅した人で、その様子も日記に反映されているので面白い読み物となっている。

(175) 「回想の明治維新」メーチニコフ、渡辺雅司訳、岩波文庫、1987年
 1874~75年お雇い外国人として日本に滞在したロシア人革命家メーチニコフ(1838~88)の手記。当時開通したての横浜・新橋間の鉄道風景など面白い描写もあるが、日本外史から取ったと思われる日本の歴史の記述がかなりの部分を占め、その内容も大デュマのロシア史のように、やむをえないとはいえかなり誤解や誇張が見られる。またメーチニコフが名所旧跡の類にまったく興味がないことや、自分の目で見た日本の庶民の生活の記述もほとんどなく、印象記としては期待外れであるが、付録の「東京外国語学校の思い出」は当時の様子を伝えていて面白い。

(176) *「幕末維新懐古談」、高村光雲、岩波文庫、1995年
 木彫家で西郷隆盛の銅像の製作者である高村光雲(1852~1934)が、70歳のときに子息の高村光太郎や田村松魚を聞き手に語った半生。1922年初出。幕末の浅草、それも1860年の大火前後の雷門の様子などよく分かる。1875年の神仏混淆禁止により浅草寺の神馬が他に移されたことなど興味深い。光雲の祖父は富本節(浄瑠璃の一流派)が得意で声がよく、ねたまれてひそかに水銀を飲まされ半身不随になったとあるが、長谷川時雨の「旧聞日本橋」にも小唄だったかを習った師匠が、ひそかに飲まされた水銀で声をやられたとあるから、庶民の中にも悪い奴が昔もいたものだ。1912年ごろ声楽家で明治天皇薨去の際捧悼歌のレコード吹き込みを行った丹いね子が、ライバルの原信子にフランス料理に招かれ、食後に飲んだペパーミントで下痢をし、中毒性急性咽喉炎と診断された。世に水銀事件として喧伝された。結局犯人はつかまらなかったと大宅壮一が「日本新おんな系図」に書いている。水銀は当時辰砂(丹砂、賢者の石とも呼ばれ、塩化水銀(Ⅱ)のことである)として朱漆や朱墨にも使われた。辰砂自体は水に溶けにくいので、朱砂安神丸というような漢方薬もあり、あまり毒性はないとされるが、400~600度で熱すると水銀ができるのでこれを用いたか、自然の水銀鉱から入手したのかもしれない。光雲自身は親にも子にも恵まれ、弟子の育成にも力を貸し、自分も精いっぱい努力してまことにうらやむべき一生と言える。その時代の人情がよく窺える。

設問)「この店の中の品物で他のお店より値段の高い品物を見つけたお客様には賞金進呈」をロシア語にせよ。

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2012年07月23日

●和文解釈入門 第430回

(177) 「榎本武揚シベリア日記」(現代語訳)、榎本武揚、諏訪部揚子・中村喜和編注、平凡社ライブラリー、2010年
 榎本武揚(1836~1908)がロシア公使の職を終えてシベリア経由1878年7月26日より9月30日にウラジオに到着し、帰国した時の日記。市川文吉(1874~1927)、寺見機一、大岡金太郎が随行した。時期的にはセルゲーイ・マクシーモフСергей Максимов(「シベリアと流刑」Сибирь и каторга, Книговек, 2010、7巻選集の第1巻と第2巻)の著者で1860~61年シベリアを踏破して刑務所の実情を調査した。彼の著作をジョージ・ケナンも大いに参考とした)と、ジョージ・ケナン(「シベリアと流刑制度」(2巻、完訳)、左近毅訳、法政大学出版局、1996年を著し、1885~86年シベリアを踏破し、主として政治犯について調査した)の間に相当する。コースもほとんどケナンと同じである。やはりナンキンムシ(ワンドロイスと榎本は書いている)に悩まされた。避虫粉もほとんど効かなかったようである。タランタスという馬車に乗ったシベリア流刑囚(50人とか100人とか)にも出会ったようだが、足に鎖もないからこれは貴族だろう。途中榎本は硝酸銀で塩分があるかどうかの実験もしているからまじめな性格だったようである。

(178) 「自伝」、片山潜、日本人の自伝第8巻所載、平凡社、1981年
 労働運動の先駆者片山潜(1859~1933)の半生伝。1931年版。津山の天領の庄屋の家に生まれる。エタは幕府時代も肉食であり、十手と縄を持って番太(巡査のようなもの)を勤めたなど幕末の農村の暮らしが具体的でためになる。親たるものは子供の頭などは決して叩いてはならないなど全く同感である。自分の性格の長短についても冷静に具体的に記している。田中正造を人気取りをするからか、嫌いなようで豚目などと呼んでいるのは面白い。

(179) 「曠野の花」、石光真清、龍星閣、1958年
 石光真清(1868~1942)は軍人で満州、沿海州の諜報に携わった。他に「城下の人」、「望郷の歌」(日露戦争従軍記)、「誰のために」という自伝がある。菊池正三という名でハルピンに写真店を営んだ。このとき二葉亭四迷とも知り合うが、二葉亭に満州駐在ロシア軍の移動命令書の翻訳を頼んだところ「こんな詰まらんものは嫌だよ」と一蹴されたとある。二葉亭はその後身体を悪くしてウラジオで保養中に、くたばって仕舞えになってしまったと聞いたと書いているのも面白い。二葉亭四迷のペンネームの由来(父から文学などやって、くたばって仕舞えと言われたから)についても当人から聞いている。これは「予が半生の懺悔」(二葉亭四迷、日本人の自伝第15巻所載、1980年)にも記載されている。二葉亭はウラジオでも文学を研究しており、コンマもピリオドも、果ては字数までも(ロシア語)原文通りにしようと苦心したとある。今で言えば、文の表層構造に執着するあまり、深層構造には目が行かないという事になるのだろうが、翻訳・文学・口語体表記のパイオニアとしての苦心がしのばれる。そのころ菊池写真館に出入りしていたのに大庭柯公もいて、二葉亭同様ロシア文学を研究していたという。大庭は二葉亭とは性格も違い滞満の目的も異なっていたらしいとある。石光と似たような境遇で、もっとスケールのでかいのは、小日向白朗(1900~1982)で、その自伝「日本人馬賊王」(ドキュメント日本人第9巻アウトロー所載、学芸書林、1968年)には当時の馬賊の様子がよく分かる。馬賊は侠客と強盗を併せたようなものであるらしい。小日向は満蒙の馬賊の頭目まで上り詰めた人物であり、二丁拳銃は一度に二丁使うのではなく、一丁の弾を撃ち尽くしてしまった場合、左手でもう一つの充填してある方の拳銃でもって敵を射撃しながら、右手で片方の空になった拳銃を、右側の膝の折り目に挟んで弾丸を装填するのが習わしであるという。それは射撃を止めて装填している時に撃たれてしまうからであると書いてあるのには感心させられる。馬賊全般に関しては「馬賊頭目列伝」(渡辺龍策、徳間文庫、1987年)が詳しい。

設問)「他店で40%値引きのところ当店全品15%値引きというのは、とりもなおさず当店が元々他店より安く販売していたという証拠であります」をロシア語にせよ。

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2012年07月24日

●和文解釈入門 第431回

今回は能動形動詞過去の話である。「和文露訳入門」の中の第8章のサンプルを、ご参考のために提示することにした。

8-10-2 能動形動詞過去

完了体能動形動詞過去というのは、述語によって示された動作・状態に先行する動作を表し、不完了体能動形動詞過去は、述語によって示された過去の動作・状態と一致する動作を示す。

(大学には大検〔大学入学資格検定〕に合格した生徒が受け入れられる)В в'узы бу'дут принима'ться уча'шиеся, сда'вшие экза'мен на аттеста'т зре'лости.

 ところが、<手紙を運ぶ郵便配達の人を見た>という文は、次の二つのロシア語の文が可能である。

Я ви'дел почтальо'на, несу'щего письмо'.
Я ви'дел почтальо'на нёсшего письмо'.

 この二つの文において、前の文は二つの動作の同時性を強調しているという違いがある。不完了体能動形動詞過去には、動詞によって規則的繰り返しや状態というニュアンスも含まれるが、定動詞の場合は不定動詞に変えるのが普通である。

(我が家に手紙を運んでくれる郵便配達人を見た)Я ви'дел почтальо'на, нося'щего нам пи'сьма.

 いずれにせよ、形動詞、副動詞は会話では意味が取りにくくなるので個人的に使用は勧めない。-ший, -щийというシューシューいう音шипя'щие зву'киの多用は、Розенталь Д.Э. 先生も音調の点から避けるた方がよい場合もあると書かれている。これはШшが日本語の「しーっ」に相当する、威嚇、苛立ち、静止を示す音だからかも知れない。

設問)「10時前だというのに店の回りには群集がいる」をロシア語にせよ。

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2012年07月25日

●和文解釈入門 第432回

(180) 「堺利彦伝」、堺利彦、日本人の自伝第9巻所載、平凡社、1982年
 山川均とともに日本共産党創設に関わった堺利彦(1871~1933)の半生(30年)のうち万朝報入社までを扱った自伝。1925年初出。九州豊津出身。文章は平明で読みやすい。珍しいのは、幼い頃正月に大根製の灯明があり、これは大根を一寸(約3センチ)あまりの長さに切って、その片面をすこしえぐり取って中をへこませ、そこに油を注ぎ、灯心を入れ、火を灯すという。

(181) 「小原直回顧録」、小原直(おはら・なおし)、中公文庫、1986年
 日本の司法・検察界の実力者であり大逆事件、シーメンス事件などの重大事件に関わった小原直(1877~1967)の回想録だが、重大事件は戦前のこととて政府の干渉があり、大して面白いとは思わないが、検事として関わった1914年の桐原集一殺人放火事件(死体を隠し完全犯罪をもくろんだ)とか、1915年の大森おはる事件(猟奇殺人事件で、小原ともう一人の検事が別々に被疑者を起訴したという珍事件)、1917年の島倉儀平女中殺人事件(当時神楽坂署長だった正力松太郎が事件解決に取り組んだ)、1923年の朴烈事件(特に朴烈の妻であるアナーキスト金子文子の生きざまなどは考えされる)などのほうが大正時代の世情もよく分かり面白い。小原自身が実際に強盗に入られ、芝居のように畳に包丁を突き刺されて、金を出せと言われ、命が惜しいから出したという事も書いてある。本書と同じ時代の犯罪を扱ったものには、「大正犯罪史正談」(小泉輝三郎、批評社、1997年、1955年の再録)があり、1922年大輝丸海賊事件や1923年の難波大助の起こした虎ノ門事件が詳しい。また三宅雪嶺や中野正剛がソ連から資金援助を受けていたとの説を披歴し、一時スキャンダルになったという。中野は1943年憤死するが、これはこのスキャンダルが関係しているとする説もある。これは久保田栄吉の「赤露二年の獄中生活」(矢口書店、1926年)によったもので、久保田はソ連の刑務所でこの話をアレクセー・ニコライという極東電報通信社通信人から、三宅と中野がアントーノフから10万円もらって通信に励んでいると聞き、帰国してからすぐ、知人でもあり当時日本駐在だったROSTA(1918年から35年まで存在したロシア通信社)アントーノフに問いただしたが、話をはぐらかされたという。中野は1923年名誉棄損で東京地方裁判所に出版社を訴えたという。

(182) 「ある凡人の記録」、山川均(ひとし)、日本人の自伝第9巻所載、平凡社、1982年
 日本の社会主義者山川均(1880~1958)の誕生から(若干先祖についても記載ある)1910年の半生を扱ったもの。1950年初出。幼少時故郷の倉敷では、天皇行幸に際し、天子様を見ると目がつぶれるとか、男の子に天子さまを拝ませると出世するという言い伝えがあったことが分かる。山川は1900年「青年の福音」という雑誌の第3号に当時の皇太子(後の大正天皇)と九条公爵家の4女節子との御成婚に対して、節子の意に反した結婚で、いわゆる人身御供であると「人生の大惨劇」を守田文治と共に執筆し、最初の不敬罪ということで、巣鴨監獄でともに3年半の懲役をくらった。この時代の監獄の様子の描写が面白い。30年後河上肇も下獄するが、それと比較するのも一興である。下獄前同志社でフットボールやベースボール、特にボートに親しんだことが分かる。社会主義活動の分裂、および幸徳秋水、堺利彦など社会主義者の一面についても触れている。堺利彦については、理解の対象とはなったが、(幸徳秋水のように)崇拝の対象とするには不向きな人だったとある。これは堺が自説を押し付けず、また人の面倒見も良い人で、山川と違い、健康面でも頑強な人だったからと述べている。文章は平明で達意の日本語である。

設問)「私宛に人が訪ねてくることになっているのです」をロシア語にせよ。

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2012年07月26日

●和文解釈入門 第433回

(183) *「おんな二代の記」、山川菊栄、東洋文庫、平凡社、1972年
初版は1956年。山川菊栄(1890~1980)と母の森田千世(1857~1947)の自伝。山川の夫は山川均で、後の大正天皇のご成婚のときに皇太子妃を人身御供と呼んだため1900年日本で最初の不敬罪となり、3年半服役したという。千世の父青山延寿は、「人は子供のうちになるべく広く何でも習っておく方がいい。そうすればそのうちで何か一つ好きなもの、得意なものができるにちがいない。それをしっかりやっておけば生計も立ち、歳を取ってからの楽しみにもなる」という意見で、専門の仕事とともに、趣味を持つことを勧め、子供たちにもその方針で臨んだとある。頭の下がることである。物心がついてから生きがいを見つけるよう努めることの大事さを親や周りのもののみならず、自分で考えないといけないということで、これは学校や会社に出ても心掛けておくべき名言である。本書は明治の女子教育の実情がよく分かるだけでなく、著者の尊敬すべき人柄もよく出ていると思う。華厳の滝に飛び込んだ藤村操が山川の兄の友人で、姉(会ったことはなかったという)に形見の言葉を残していたというのは初めて知った。大杉栄や、有島武郎と情死した波多野秋子が山川均に婦人公論の記者として死ぬ前に原稿を取りに来たとあり、その印象を述べている。主義主張の押しつけもなく、名文である。

(184) 「お雇い外人の見た近代日本」、R・H・ブラントン、徳力真太郎訳、講談社学術文庫、1986年
 1868年明治政府のお雇い外人第1号として来日し、1976年帰国まで三十余の灯台建設に尽力した。ブラントン(1841~1901)はイギリス人土木技師。日本的なものに対する関心は絶無だが、灯台のみならず、電信線、鉄橋、道路建設にも助力した。当時の伊藤博文、佐野常民、井上馨などの横顔にも触れている。修技校(後の工部大学校)の創立にも携わった。

(185) 「明治日本体験記」、グリフィス、山下英一訳、東洋文庫、1984年
 米国人宣教師グリフィス(1843~1925)が1870年から74年まで来日して、越前福井藩で教育したときの見聞記。下僕の家に招かれた時の日本の庶民の家庭の描写が非常に良い。当時の日本の子供の遊び、迷信について充実している。廃藩置県が地方で実際にどう行われたかについても書かかれてあるのは興味深い。日本古来のポロ(馬上ホッケー)である打毬(「うちまり」ともいい、徒打毬といういわゆる馬を使わないものもあった)についても記載がある。また猫に尻尾がないのはマン島の猫に似ていると書いている。グリフィスには他に明治天皇について1915年に書かれた「ミカド - 日本の内なる力」、亀井俊介訳、岩波文庫、1995年があり、明治天皇の側室が12名いて、内5名が天皇の子を授かったとか、天皇がシャトー・ラ・ロ-ズというワインをお好きだったとか、刀剣の他に時計収集が趣味だったとか人間的側面を、日本人の著書では書けなかったようなことが書いてあり、興味深い。質実剛健の明君であったことが分かる。

設問)「ホテルから空港までバスが出ています」をロシア語にせよ。

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2012年07月27日

●和文解釈入門 第434回

(186) 「木戸孝允日記」、世界ノンフィクション全集50、筑摩書房、1964年
 木戸孝允(1833~1877)の日記は1868年から1977年まであるが、本全集は1871年6月の廃藩置県から1874年征韓論の頃まで収録されている。木戸は枝葉よりも治世の根本を考える政治家であり、憲法をどうするかをすでに考えており、青木周造自伝などでも欧米に派遣された時も、常に日本の行く末を真剣に考えていた稀世の政治家だったことが分かる。

(187) 「オーストリア外交官の明治維新」、アレクサンダー・F・V・ヒューブナー、市川慎一・松本雅弘訳、新人物往来社、1988
 1871年2カ月にわたって廃藩置県直後に訪日したヒューブナー(1811~92年)の手記。原文はフランス語。岩倉具視、木戸孝允、西郷隆盛や明治天皇とも話をしている。駕籠に乗って不平も言わず、気持ちの上で余裕綽々の日本紀行。箱根に同行したアーネスト・サトウについて、健脚家であると同時に、印象に残った日本語の表現や言い回しを自分の手帳に絶えず書き留めていると感嘆の念を禁じえないとある。

(188) *「特命全権大使米欧回覧実記」(5巻)、久米邦武、水澤周訳、慶応義塾大学出版会、2005年
1871年~1873年岩倉具視を大使として、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文、山口尚芳等48名の代表団が英米仏伊蘭露普、ベルギー、デンマーク、スイス、スウェーデン、オーストリアを巡って政治、文化、産業などを調査した。久米(1839~1931)は公式の記録係。伴った留学生は54名で、そのほかに女子留学生が5名いた。原文は文語体であり、漢文は訳者によれば対句をよしとし、無理に比較することによって意を尽くせない憾みがあるという。このような大著を現代語訳で読めるのは非常にありがたい。また白髪三千丈式の誇張もある。記述は米英中心で、それぞれ各1巻を充てており、ページ数から見れば仏が1/15、独が1/13で、伊が1/13で、露に至っては1/23である。原著の誤りなど疑問点も指摘し、注が非常に参考になる。

(189) 「ブスケ日本見聞記」(2巻)、野田良之・久野圭一郎訳、みずず書房、1977年
フランス人ブスケ(1843~?)1872年法制を教授するために来日した弁護士で、法学教育に尽くした。1876年に帰任するまでの日本印象記。素人にありがちな学をひけらかそうという気取った文体で、訳者ですら回りくど過ぎて何を言いたいのか分からないところが散見されるのは困ったものだ。法律専門家だけあり、佃島の人足寄場についてこのように犯罪者に職を教えるようなところはフランスにはないと述べているところや、監獄、斬首、絞首刑の様子については職業柄生き生きと描いている。専門家であるブスケが日本での犯罪数はヨーロッパにおけるよりもはるかに少ないとか、罵倒することは下層階級でも極めてまれであると書いておいて、西洋文明も大したことはないという反省の文章がないのはおかしい。女性教育の重要さを指摘しているが、当時のヨーロッパの大学で女子を受け入れたのはスイスぐらいではないか、そういう事は何も書いていない。雨は一斉休業の口実となるなどよく観察している。旅行が好きで、北海道、名古屋、京都、横浜、日光など各地を旅行しており、加太邦憲が同行した時もあったようである。加太はブスケのことを、授業は事前にノートを作って教えるなどしてくれて、後にパリ大学教授ボワソナードを政府が招聘するが、その前にブスケが来てくれたのは(予習の意味で)非常に助かったと述べている。日本に対しての西洋文化の優越性がはっきりと表れてはいるが、比較的客観的な描写である。ただこの第2巻を訳す必要があったのだろうか?日本語は日常会話がようやくだった程度のレベルで、文字、文学、劇場、宗教、芸術について書いてあるが受け売りにすぎず、日本語や日本の文学は曽我の仇討、天の網島、赤穂浪士などの読み本の筋を書いているのに過ぎない。わずかに、神道とは祖先崇拝以上のものは何も教えないとか、神仏習合、日本人の建築にはシンメトリーと釣り合いを欠いているとか、日本の芸術は自然との調和を大切にする、混浴はあるのに、彫刻的裸像の何たるかを知らないなど卓見らしきものが散見されるのみである。

設問)「どこのカウンターにいけばよいのですか?」をロシア語にせよ。

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2012年07月28日

●和文解釈入門 第435回

新聞の本の広告に「日記を書いて身につける中国語」というのがあった。基本文法を日記例文と一緒に解説とあり、毎日少しずつ書きながら身につく学習法とのことであり、中国語ではそれが可能なのかもしれない。ロシア語ではどうだろう。基本文法を終えるというのだから、ロシア語なら始めてから半年ぐらいか。これで日記の例文があったとして、和露辞典片手に文章は書けるかもしれないが、それは「毎朝6時に起きます」程度の、現在形の繰り返し構文だけではないだろうか。それよりちょっとでも複雑な文となれば、完了体と不完了体の使い分けが分からないと、正しい文章は作れないと思う。出版予定の「和文露訳入門」の目次が、体の用法の使い分けの目安になれると期待している。そうであれば、和文露訳するときに手元においていただければ、力を発揮すると思う。

設問)「最新工作機械が動いているところを、どこで見(ら)れますか?」をロシア語にせよ。

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2012年07月29日

●和文解釈入門 第436回

(190) 「ディアス・コバビアス日本旅行記」、大垣貴志朗。坂東省次訳、雄松堂書店、1983年
 メキシコ天体観測隊が1874年地球と太陽の距離を太陽視差値として求めるため英米仏の観測隊と共に来日した。ディアス・コバルビアス(1833~1889)は天文学者でその隊長だった。神奈川の野毛山に基地を置いた観測は成功し、翌年離日するまでの見聞を書いている。科学者ということもあるが、日本びいきのようで、その人柄がしのばれる。日本人は通常親切で、勇敢で、謙虚さがあり、各種の文化を吸収する柔軟性を備えているなど中国人と比較している。通りに酔っ払いを見たことはなく、日本人は慎み深く、本質的に従順で、秩序正しい民族であるともある。駅で切符売り場に到着順に行列するとも驚きの筆致で描かれている。当時日本は外国に対しては何でも学ぼうという気持ちがあったことと、国際通貨はメキシコ銀だったということも日本にメキシコに対してよい影響を与えたのかもしれない。添付の写真の鎌倉の大仏の膝に人が乗っている。今では考えられないことだが、これも僧侶が金を取ってやらせたもので、酒も僧侶が売っていた。当時日本ではスペイン語を学ぶ者はなく、スペイン公使館、ペルーの政府代表部ぐらいがスペイン語を話す人たちのいるところだったという。メキシコの日本における領事事務を代行していたのはビンガム米国公使で非常によく尽くしたらしい。ビンガムはグラント将軍訪日のときも公使だった。

(191) 「松山守善自叙伝」、日本人の自伝第2巻所載、平凡社、1982年
 松山守善(1849~1945)は熊本の人。若いころは川上彦斎(1834~71、佐久間象山を暗殺、人斬り彦斎と呼ばれ、海舟ですら非常に気味が悪い奴と評した)に私淑し、敬神党に入るも、あまりの神慮による傾向(事をなすのにすべて神の卜占による)に嫌気がさした。敬神党の乱のときに弾に当たって戦死した富永次男という人は、胸に矢除けのお守りをたくさん身につけており、狂信者ぶりが知れる。その後民権自由の宮崎八郎(1851~77)につくも、「まず西郷の力をかって政府を崩壊させ、しかる上第二に西郷と主義の戦争をなすのほかなし」という考えについていけず、熊本県裁判所15等出仕となる。これにより同志より指弾されるが意に介さなかった。「人は読書と友人と境遇と年齢とによって思想は変遷する」というのは至言である。乃木将軍の殉死についても、批判的であり、難波大助(1923年の虎ノ門事件で、後の昭和天皇を狙撃した)の助命を求めたり、両親に対しても正当防衛は成り立つ(尊属殺人)として、ある友人から絶交を言い渡されたりした。当時としては珍しくまともな人のようである。またまじめな人のようで27のときに妓楼に上がって何をするところなのか初めて知ったという。ただ結婚後の芸妓との浮気や、その芸妓を捨てたこと、別の芸妓に浮気されたことなども赤裸々に書いているのは正直な人柄だからだろう。本文は文語調だが読みやすい。松山は西南の役後代言人になり、後弁護士となった。何度か選挙に打って出たが、落選。改進党の重鎮でもあった。

(192) 「西南の役」、世界ノンフィクション全集50、筑摩書房、1964年
 鹿児島県史から1877年の西南の役(丁丑の役)についての部分を収録したもの。西郷軍3万、政府軍6万の戦いであった。これにより明治維新は終焉したと多くの学者は考えているとのこと。筆致は淡々として非常に客観的な叙述である。

(193) 「薩摩反乱記」、マウンジー、渋谷啓蔵、富森篤、物集女清久、青木保訳、安岡昭男補注、東洋文庫、1979年
1876年~78年まで英国公使館に勤務したマウンジー(?~1882)の西南の役(1877年)に関する分析記録。訳は擬古体の名文。

設問)「どんな燃料でこの車は動くのですか?」をロシア語にせよ。

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●電子書籍「和文露訳入門」発売

このたびDL-MARKET (www.dlmarket.jp)を通じて、和文露訳入門を電子書籍の形で販売することになりました。PDFで267ページ価格は1,000円です。しおりがついているので、200ぐらいある小見出しからもすぐに当該ページに飛ぶことができます。和文解釈入門の第431回がサンプルであり、第370回、第345回、第300回の本文を元に、より分かりやすく、見やすく、力点を入れて、これまでの和文解釈入門の430回分を系統的にまとめてあります。目次は下記の通りです。

はじめに
<本書の使い方>
第1章 体の本質と規範
第2章 過去の時制
2-1 過去の時制における不完了体の用法
2-1-1 過去の出来事や動作の有無の確認 → 不完了体動詞過去形
2-1-1-1 過去の時制における動作の有無の確認とは何か?
2-1-1-2 動作の有無の確認の用法の種類
2-1-2 動詞に文の焦点が来ない場合 → 不完了体動詞過去形
2-1-2-1 動詞に文の焦点が来ない場合とは何か?
2-1-2-2 否定文における用法
2-1-2-3 疑問詞との組み合わせで完了体過去形が来る場合
2-1-3 動作の往復
2-1-4 過去進行形 → 不完了体動詞過去形
2-1-5 漸進・長期間に関わる用法 → 不完体動詞過去形
2-1-6 過去の反復 → 不完了体動詞過去形
2-1-7 過去の継続 → 不完了体動詞過去形
2-1-8 歴史的現在(劇的現在) → 不完了体動詞現在形
2-1-8-1 歴史的現在とアオリストの関係
2-1-8-2 動作の順次性
2-1-8-3 歴史的現在と完了体未来形
2-1-8-4 劇的現在
2-1-8-5 動詞以外の歴史的現在
2-1-8-6 日本語の歴史的現在との違い
2-1-8-7 記録の現在
2-1-8-8 歴史的現在とアオリストの違い
2-1-8-9 歴史的現在が使えない動詞や場合
2-1-9 意志の欠如 → не стал(а,о, и) + 不完了体動詞
2-1-10 過去の予定 → 不完了体動詞過去形
2-1-11 回想・過去の不規則な反復動作(~したものだ) → 小詞бывало + 不完了体動詞過去形(不完了体現在形〔歴史的現在〕、完了体未来形)
2-1-12 過去の経験 → 不完了体過去形

2-2 過去の時制における完了体の用法
2-2-1 アオリスト → 完了体動詞過去形
2-2-1-1 アオリストとは何か?
2-2-1-2 アオリストと結果の現存の違い
2-2-2 創作者としての資格 → 完了体動詞過去形
2-2-3 順次的用法 → 完了体動詞過去形
2-2-4 結果の達成への期待 → 完了体動詞過去形
2-2-5 動作の一括化 → 完了体動詞過去形
2-2-6 いったん開始された行為の中断、中止 → 小詞было + 完了体動詞過去形
2-2-7 結果の評価 → 完了体動詞過去形
2-2-8 否定の強調

第3章 現在の時制
3-1 現在の時制における不完了体の用法
3-1-1 過程 → 不完了体現在形
3-1-1-1 過程の意味
3-1-1-2 過程を示すことができない動詞群
3-1-1-3 過程の意味における日本語との表記の違い
3-1-1-4 ся動詞による過程の用法
3-1-2 反復(規則的な繰り返し)・習慣 → 不完了体現在形
3-1-2-1 反復(規則的な繰り返し)・習慣と不完了体
3-1-2-2 過程を示せず、反復のみを示す動詞
3-1-3 過去から現在に至る継続ないしは反復 → 不完了体動詞現在形
3-1-3-1 過去から現在に至る継続ないし反復
3-1-3-2 動詞を使わない用法
3-1-3-3 про-の接頭辞を持つ完了体動詞過去形
3-1-3-4現在から未来への動作 → 完了体過去形
3-1-4伝達型動詞 → 不完了体現在形
3-1-4-1 伝達型動詞(перформативные глаголы)を分別する理由
3-1-4-2 過程や状態の動詞との違い
3-1-4-3 伝達型動詞の種類
3-1-4-4 結果の現存の用法との違い
3-1-4-5 語義による区別の仕方
3-1-4-6 動作未遂行の動詞 → 不完了体現在形
3-1-4-7 проситьとпопроситьの一人称での使い分け
3-1-4-8 начинать の現在形の特殊用法
3-1-5 誤伝の動詞 → 不完了体現在形
3-1-5-1 誤伝の動詞интерпретационные глаголыとは
3-1-5-2 誤伝の動詞群
3-1-6 状態の動詞
3-1-7 経験(~したことがある)
3-1-7-1 不完了体過去形を使う用法
3-1-7-2 事実の有無の確認し
3-1-8 動作の否定 → 不完了体現在形の否定
3-1-9 多回体的用法 → 多回動詞の不完了体現在形
3-1-10 真理の提示 → 不完了体現在形
3-1-11 様態 → 不完了体現在形

3-2 現在の時制における完了体の用法
3-2-1 結果の現存(存続)
3-2-1-1 結果の現存〔結果の達成と残存〕 → 完了体過去形
3-2-1-2 被動形動詞過去短語尾の結果の現存〔存続〕)の用法 → 現在の時制
3-2-1-3 結果の現存とアオリストの違い
3-2-1-4 сейчас, теперь, только чтоの違い
3-2-1-5 動詞を使わない用法
3-2-2 条件法や仮定法への転用 → 完了体未来形
3-2-3 不可能 → 完了体未来形
3-2-4 否定の強調 → 完了体未来形の否定

第4章 未来の時制
4-1 未来の時制における不完了体の用法
4-1-1 単一動作に用いられる不完了体未来形
4-1-1-1 未来における動作の有無の確認
4-1-1-2 動詞に文の焦点(中心的意味や役割)が来ない場合
4-1-1-3 動作の有無の確認に使える不完了体動詞(動詞の語義による)
4-1-1-4 動作の有無の確認の意味で使えない不完了体動詞
4-1-1-5 運動の動詞と不完了体未来形
4-1-1-6 否定的意図 → не + бытьの未来形(не + статьの未来形) + 不完了体動詞不定形
4-1-1-7 両方の体がほぼ同じ意味で使える場合
4-1-1-8 動作の着手(意志)
4-1-1-9 если, когдаと未来の時制
4-1-1-10 完了体未来形、不完了体動詞現在形、不完了体未来形の使い分け
4-1-2 予定の用法 → 不完了体現在形
4-1-2-1 予定の用法とは何か
4-1-2-2 予定の用法が使える動詞
4-1-2-3 近接未来における予定の用法
4-1-2-4 例外的用法
4-1-2-5 動詞を使わない予定の用法
4-1-2-6 долженとの組み合わせ
4-1-2-7 予期を示す動詞の用法
4-1-3 意向 → 不完了体現在形 + 動詞の不定形
4-1-3-1 「~するつもりです、~します」の内訳
4-1-3-2 意向の動詞の使い分け
4-1-3-3 願望の意味の動詞群
4-1-4 未来における繰り返し → 不完了体未来形
4-1-5 呼応的用法 → 不完了体現在形

4-2 未来の時制における完了体の用法
4-2-1 完遂的用法 → 完了体未来形
4-2-1-1 完遂的用法が用いられる動詞
4-2-1-2 完遂的用法と疑問詞
4-2-1-3 完遂的用法の特徴
4-2-2 順次的用法 → 完了体未来形
4-2-3 例示的用法 → 完了体未来形
4-2-4 未来の時制における往復(行って来る)
4-2-5 未来の時制における被動形動詞過去短語尾
4-2-5-1 未来の時制における被動形動詞過去短語尾の用法
4-2-5-2 ся動詞の不完了体未来形の用法
4-2-5-3 未来の時制の不定人称文

第5章 命令法
5-1 命令法における不完了体の用法
5-1-1 着手(促し) → 不完了体動詞命令形
5-1-2 勧誘 → 不完了体動詞命令形
5-1-3 動作の様態の強調 → 不完了体動詞命令形
5-1-4 禁止 → 否定詞 + 不完了体動詞命令形
5-1-5 反語的用法

5-2 命令法における完了体の用法
5-2-1 要請 → 完了体動詞命令形
5-2-2 例示的意味 → 完了体動詞命令形
5-2-3 丁寧な依頼 → 完了体動詞未来形の否定疑問形
5-2-4 警告 → 否定詞 + 完了体動詞命令形(うっかり~しないでください)
5-2-5 同じような状況で使える完了体・不完了体の用法の違い
5-2-6 被動形動詞過去短語尾を使って命令の意味を示す用法
5-2-7 憤激と反抗のニュアンス
5-2-8 仮定法的な用法

第6章 不定法
6-1 不定法における不完了体の用法
6-1-1 切迫感(動作の着手) → 不完了体動詞不定形
6-1-2 不必要 → 不完了体動詞不定形
6-1-3 動作の持続性 → 不完了体動詞不定形
6-1-4 疑問詞 + 不完了体動詞不定形(完了体不定形)
6-1-5 動作の否定や禁止 → 不完了体動詞不定形
6-1-6 動作の有無の確認 → 不完了体動詞不定形
6-2 不定法における完了体の用法
6-2-1 具体的な1回の動作の実現 → 完了体動詞不定形
6-2-2 「~しましょうか?」構文 → 完了体動詞不定形 + ?
6-2-3 必要性 → 完了体動詞不定形
6-2-4 命令 → 完了体動詞不定形
6-2-5 不可能 →не + 完了体動詞不定形
6-2-6 例示的用法 → 完了体動詞不定形
6-2-6-1 完了体動詞を好む動詞・名詞などとの組み合わせ
6-2-6-2 例示的意味の不定形を取る熟語
6-2-7 「する気になれない」 → не + хотеть/хотеться + 完了体動詞不定形
6-2-8 不定形の名詞的用法 → 完了体動詞不定形
6-2-9 不可避

第7章 特異な体のペア
7-1 時制に関係なく完了体動詞と不完了体動詞で意味の異なる動詞群(писать/написатьグループ)
7-2 不完了体動詞が意味上優位な動詞群(звонить/позвонитьグループ)
7-3 状態「~である」と状態発生「~となる」を示す動詞群(казаться/показатьсяのグループ)
7-4 体の対立

第8章 会話に役立つ動詞の用法
8-1 быть動詞の用法
8-1-1 「行く」という意味の用法
8-1-2 軍隊で上官に対する敬語(Есть + 不定形)
8-1-3 есть + 疑問詞 + 完了体不定形(~できるものがある)
8-1-4 будетの特殊用法
8-2 定動詞と不定動詞の特殊用法
8-2-1 定動詞の特殊用法
8-2-2 過程や予定を示す不定動詞
8-2-3 идти/ходить過去形の否定の用法の違い
8-2-4 пойти + 完了体動詞未来形(不定形の代わりに)
8-3 複合動詞
8-4 「知る」と「考える」の動詞群の意味の差異
8-5 接頭辞за-のつく動詞で場所を補語に取る他動詞群
8-6 хотетьとхотеться
8-7 敬語
8-8 強意代行動詞
8-9 可能の意味が内在する動詞群
8-9-1 可能・不可能の意味のся動詞
8-9-2 自発的可能性のся動詞
8-9-3 被動形動詞現在
8-9-4 能力を示す不定動詞
8-10 副動詞
8-10-1 副動詞と不完了体
8-10-2 能動形動詞過去
8-11 「~を伝える」と「~について伝える」の違い

第9章 その他統語論関係
9-1 時制の転用
9-1-1 「行こう」
9-1-2 抽象的現在
9-1-3 仮想の状況における動作の完了
9-2 相対時制
9-3 無人称文
9-4 不定人称文
9-5 迷惑(被害)の受け身
9-6 人称の転用
9-7 強調構文
9-8 構文「とても~ので~する」他
9-9 関係代名詞что
9-9-1 関係代名詞что
9-9-2 前の文全体を受ける関係代名詞что
9-10 主題の提示(テーマとレーマ)

第10章 会話に役立つ形容詞、副詞、数詞、前置詞など
10-1 性質形容詞の特殊用法
10-2 複合副詞句
10-3 単数と複数
10-3-1 単数と複数
10-3-2 「よくありますか?」構文
10-4 形容詞の最上級
10-5 助数詞(助数辞)
10-6 生格の述語的用法
10-7 全体を示す与格
10-8 接続詞что/какと知覚動詞
10-9 理由を示す前置詞、前置詞句
10-10 「ために」の使い分け

あとがきに代えて
参考文献

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2012年07月30日

●和文解釈入門 第437回

昨日の朝7時半に電子書籍「和文露訳入門」の販売を開始したら、その2時間後に第1冊目が売れたとDL-MARKETからメールが入った。その3時間後にもう1冊売れた。どなたかは知らないが有難いことである。初日で2冊というのは望外のことで本当にうれしい。この調子で売れてくれるといいのだが。紙の本と違うのは、売れるとすぐ、メールで知らせてくれるし、その時点で何冊売れたかがすぐ分かることである。紙の本は半年ごとに出版社から連絡が来て初めて分かる。結構、1~2%廃棄処分のがあるのはくやしい。これは輸送途中で、傷んだり、水濡れしたりして商品になりそうもないものらしい。初めての電子書籍という事で、力点などにも改善の余地は確かにある。初めePUB形式を考えて、それなら下線で力点を示すというのは表示できないかもしれないし、力点を入れるのが簡単で、アポストロフィーを使ってしまった。読みにくいという指摘も分かる。力点というのは入れるのも大変だが、間違いがないかどうか全文267ページを10回以上も読み返してチェックしなければならない。力点なども、個人的には入れるのはどうかと思うのだが、この忙しい時代、学習者がいちいち辞書を引いてられないというのも分かる。代名詞のона, этоの類はいくらなんでも力点を打つのを止めようかと思う。оноはоный由来でво время оноのときは最初のоに力点が来るから入れないといけないだろうが。どの単語まで力点を入れてというのは難しい。主格は入れないとか、その上に著者の判断で(?)難しい単語だけ入れるなどこれも簡単には決められない。この校正(プリントアウトしないから推敲というべきかもしれないが)をしていると、スペルミスやこの文例が適切なのかと考えたりもするから、力点のチェックを忘れたりすることがある。その上、行のずれの確認など、手間がかかることおびただしい。

 研究というのには金がかかるが、ロシア語の本や文献も高くなってきているし、和文露訳の研究にはいろいろな分野の著作から適切な文例を集めなければいけないということもある。和文露訳入門には19世紀以前の古い文例は入れてないとは言うものの、現代で使う文には廃用のは使わないが、現在でも使えるものは昔の文例でも載せてある。今読んでいる本だって、コーニКони(1844~1927)という有名な裁判官、検事を歴任した人の著作集の古本をモスクワから取り寄せたものだが、革命前の裁判の実態を知るには不可欠な本だし、文章も非常に知的な感じがする。それと同時に「ネップ時代のモスクワ」という本や、「魔法の新聞」という児童文学など、人から見れば、まるで系統的とは思えないものを読んでいる。ただ、和文露訳用の文例を日常会話のみと決めつけることは愚かだ。通訳をしていれば、交渉の時のスピーチなど、人によっては非常に格調高い通訳もしなければならないし、日常生活で文句の言い方などあるから、ある意味、行きあたりばったりで読んで行くしかない。

 ロシア語のテレビやラジオの文例は使わないのかと聞かれたら、使わないし、まず見ないと答える。40年ロシア語をやっているので聴きとりはできるが、これはという表現を書き写そうとしたら、前置詞がнаかвかとか、格変化はどうかということに、99%間違いないと思っても、100%は書き写せるか自信がない。俗語表現もあるかもしれないからだ。それで、例文にするのは書いたものに限るということになる。それも基本的には編集者が編集した由緒正しい本からのものであって、ネットで書いてある文章は玉石混交なので、参考にはするが、例文としては怖くて使えない。それは日本語のブログやサイトの日本語を見れば分かるだろう。ネットのロシア語全てが格調高いとはとても思えないからである。ロシアの古本を日本にいながら手に入れることができるのは結構なことだが、金がかかる。いくらあっても足りない。金があれば現地調査にも行きたい。そういうことで、できるだけ原稿を電子書籍にして少しでも金に代えたいと思っている。原稿のままでは誰の役にも立たないからだ。これも研究費の一つとして、持っている原稿はすべて電子書籍にするつもりである。

設問)「自社製品でないユニットや部品はありますか?」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 05:47 | Comments [2]

2012年07月31日

●和文解釈入門 第438回

完了体と不完了体の本質的な違いを、「和文露訳入門」では、不完了体は客観的な動作や状態を示し、
完了体は主観的なそれを示すとしたが、もっとと分かりやすく、文の焦点(文の意味上の中心)が動詞に来ない場合は不完了体を使い、来る場合は完了体を使うとしてもよいのだが、例えば、Вы закрывали окно?(窓を閉めましたか?)を縮めて、Закрывали?(閉めましたか?)とした場合、動詞しかないわけだから、文の焦点は動詞に来るのではと考えがちである。この文は、Закрывали или не закрывали?(閉めたましたか、閉めませんでしたか?)という事で、動作の有無の確認をしているわけである。つまり文の焦点は動詞ではなく、動作の有無に来ていることになるが、これを文の焦点だけということだけでは初級者には説明しにくいと思う。

設問)「支払はここですか、レジですか?」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 05:40 | Comments [1]

●和文解釈入門 第439回

(194) *「クララの明治日記」(2巻)、クララ・ホイットニー、一又民子訳、講談社、1976年
1886年勝海舟の三男梶梅太郎に嫁し、1900年に離婚、アメリカに子女とともに引き上げた米国女性である著者(1861~1936)の1875年から1887年までの日記。福沢諭吉、大鳥圭介、徳川家達など当時の一流人士と交流があった。有名無名の人たちについて私見もあろうが、人間的側面がよく分かるのはありがたい。福沢諭吉は英語の会話が苦手だったようで、著者と1879年に次のような調子で会話をしているのは面白い。「ミスター桐山イズほんとにカインドマンけれども、ヒイイズ大層ビジイ、この節、イエス」。日記は1875年8月から1880年1月までと、1883年から1889年までが詳しい。結婚前に父が森有礼から商業学校の校長ということで招聘され、一家で来日したが、その約束は果たされず、勝海舟の援助で、落ち着くことができた。彼女の父の才能や性格が弱かったような感じを受ける。勝海舟の妻と娘の逸との心のこもった交流は本書の中でも描写の美しい部分である。上巻は結婚まで。敬虔なクリスチャンのため仏教や神道に対してキリスト教の優越感がないこともないが、14歳で来日したわりには日本の事物について比較的公平な見方がされている。日本の音楽も単調だが、日本人の耳には西洋の音楽も変に聞こえるのかもしれないなどと書いている。日本人は天性洗練されていて、「エチケットの手引き」みたいだとか、けんかや街路上での殴り合い一つみられないとか、日本の女性は子供を産み、家事をするだけで休日もなく、とても早く老けてゆくなどあるが、なべて日本人には好意的である。1876年のアメリカ独立百年祭の日本での祝典に女子師範学校で教鞭をとっていたワシントンの直系の子孫であるアニー・ワシントン嬢(21歳)が参加されたとか、鎌倉の大仏の親指の上に乗って武士の顰蹙を買ったなど正直に書いてある。本人は異国の偶像だからと何とも思っていなかったようだ。日本人は尻尾のない猫を美の宝だと思っているとか、この頃来日した外国人と同じような感想を述べている。またある米国に留学したことがある日本人「リュウキチ」からのラブレターに対して、「私が猿なんか好きになるはずがない」とか人種偏見丸出しの記述もある。「海舟座談」(巌本善治編、勝部真長校注、岩波文庫、1983年)によれば1898年11月10日の項に、「クララには60円ずつやる」と書いてある。梅太郎が月給50円の職を失ったときのことらしい。

設問)「肉の料理では何がお勧めですか?」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 13:09 | Comments [2]

●電子書籍第2弾「ロシア人の疑問 -日本編 -

電子書籍の第2弾として、「ロシア人の疑問 – 日本編 -」(価格800円)を本日上梓しました。発売元は同じくDL-MARKET www.dlmarket.jp です。目次に示すように75のテーマに二つか三つの文章を和文と露文で入れています。特色は見開き並読型で、左のページに和文テキストを、右のページにその逐語訳である露文テキストを、大体同じところに配置しているという点にあります。「和文露訳入門」と同じく、しおりがついているので、小見出しから該当ページにすぐ飛んでいけるようになっています。露文テキストについては、ウラジオ在住のヒサムヂーノフХисамутдинов極東連邦大学教授(史学博士、元国立極東技術大学日本学・朝鮮学講座主任)夫妻にチェックをお願いしました。日本語の堪能な同氏には、本書の目的が日本人による和文露訳の学習用参考書であるため、意味が明快であるか、文法的に正しいか、語法(特に体の用法)、語順が正しいかを中心に見てもらい、美しいロシア語であるとか、プロのロシア人作家(同氏もそうでありますが)の私ならこう書く、というような意訳・美訳は不要だということはくれぐれも念を押しておきました。そのためロシア人からみれば、ぎこちのないロシア語かもしれませんが、日本語のテキストを書いた本人が、ロシア語に訳しているため的外れな誤訳はないと信じています。
 寿司とゲイシャしか知らない、日本に特に興味もないロシア人がよくする質問を、観光ガイドとしての経験から書いて見ました。ご参考に、本書のごく一部をサンプルとして御紹介します。このような文章が170くらい本書には載っています。残念ながら、このブログでは下線表示ができないので、見えませんが、DPF版では下線が力点の位置を示しています。

4-14-1 夫婦関係

問)日本ではだれが財布のひもを握っているのですか?

答)普通は妻が家計を預かります。2009年6月5日付の読売新聞によれば毎月平均500ドルの小遣いを妻が夫に渡します。1990年代には800ドルでした。不況の影響でしょう。夫の仕事帰りの居酒屋での1杯は月3回で、1回の飲み代は平均60ドルです。なぜお客を家に呼ばないのかですって?それは家に場所がない、奥さんは家の片づけがすぐとはいかないし、それに酔っ払いが嫌いだからです。

Кто ведает семейным бюджетом в Японии?

У нас, как правило, жена отвечает за семейную кассу. Согласно сообщению газеты Йомиури от 05.06.09, она даёт своему мужу карманные деньги включая за обед на работе в среднем 500 ам. долл. в месяц. В 1990-х годах это было 800 ам.долл. Конъюнктура сказалась и на этом. Мужья выпивают после работы с коллегами три раза в месяц в кабачках, где они тратят 60 ам. долл. каждый раз. А почему они не приглашают гостей домой? Потому что: места нет дома, жене не так просто сразу приводить в порядок свой дом или квартиру, к тому же она недолюбливает пьяных.

目次
はじめに
本書の使い方(ロシア語学習者のために)
1. 日本の基本情報
1-1-1 役立つ豆知識、1-2-1 呼びかけ、1-3-1 人口、1-4-1 地理、1-5-1 神話、1-6-1 歴史、1-7-1 日本人の宗教心、1-8-1 神社、1-9-1 宗教、1-10-1 気候、1-11-1 日本語、1-12-1 権力と天皇、1-13-1 地震、1-14-1 台風、1-15-1 軍事力
2. 日常生活
2-1-1 挨拶、2-2-1 家族、2-3-1 結婚式、2-4-1 葬式、2-5-1 和食、2-6-1 食べ物、2-7-1 酒、2-8-1 漢字、2-9-1 動物、2-10-1 花粉症、2-11-1 交通機関、2-12-1 安全、2-13-1 住宅事情、2-14-1 公共サービス、2-15-1 街路で
3. 旅行
3-1-1 東京、3-2-1 京都、3-3-1 奈良、3-4-1 日光、3-5-1 富士山、3-6-1 花見、3-7-1 着物、3-8-1 日本のお土産、3-9-1 お守り、3-10-1 野外のリクリエーション、3-11-1 禍福、3-12-1 温泉、3-13-1 独特の食材、3-14-1 珍味、3-15-1 風変わりな日本
4. 文化・社会
4-1-1 縁起と迷信、4-2-1 スポーツ、4-3-1 教育、4-4-1 隠れた名所、4-5-1 茶の湯、4-6-1 日本人気質、4-7-1 アメリカ人・ロシア人、4-8-1 禅、4-9-1 幸福観、4-10-1 女性の地位、4-11-1 結婚、4-12-1. 医療制度、4-13-1 政治、4-14-1 夫婦関係、4-15-1 映画
5. ビジネス・経済
5-1-1 名刺交換、5-2-1 産業、5-3-1 根回し、5-4-1 稟議、5-5-1 経済、5-6-1 給与・年金、5-7-1 富豪と乞食、5-8-1 今後の景気、5-9-1 不動産、5-10-1 外国人への応対、5-11-1 労働条件、5-12-1 余暇、5-13-1 日本の外国人、5-14-1 課税率、5-15-1 ビジネスの風習

<読み物>(和文のみ)
外国人向け観光ガイド通訳事始

参考文献

75 вопросов у русских об Японии

САТО Йосиаки

СОДЕРЖАНИЕ

1. Общие сведения о Японии
1-1-2 Немного о полезном
1-2-2 Обращение
1-3-2 Население
1-4-2 География
1-5-2 Миф Японии
1-6-2 История
1-7-2 Религиозность японцев
1-8-2 Синтоистский храм
1-9-2 Религия
1-10-2 Климат
1-11-2 Японский язык
1-12-2 Власти и император Японии
1-13-2 Землетрясение
1-14-2 Тайфун
1-15-2 Военная мощь

2. Обычаи в быту
2-1-2 Речевой этикет
2-2-2 Семья
2-3-2 Свадьба
2-4-2 Похороны
2-5-2 Японские блюда
2-6-2 Пища
2-7-2 Алкогольные напитки
2-8-2 Иероглифика
2-9-2 Животный мир
2-10-2 Аллергия на цветение
2-11-2 Средства транспорта
2-12-2 Безопасность
2-13-2 Жилищные условия
2-14-2 Коммунальные условия
2-15-2 На улицах

3. Путешествия, поездки
3-1-2 Токио
3-2-2 Киото
3-3-2 Нара
3-4-2 Никко
3-5-2 Фудзияма
3-6-2 Народные гулянье для любования сакурой
3-7-2 Кимоно
3-8-2 Сувениры из Японии
3-9-2 Талисманы
3-10-2 Отдых на природе
3-11-2 Счастье и несчастье
3-12-2 Заведения с геотермальными горячими источниками
3-13-2 Своеобразные продукты
3-14-2 Деликатесы
3-15-2 Нечто необычное в Японии

4. Культура и общество
4-1-2 Приметы и суеверие
4-2-2 Спорт
4-3-2 Образование
4-4-2 Скрытые достопримечательности
4-5-2 Чайная церемония
4-6-2 Менталитет японцев
4-7-2 Американцы, русские
4-8-2 Дзэн-буддизм
4-9-2 Чувство счастья
4-10-2 Положение женщин
4-11-2 Брак
4-12-2 Медицинская система
4-13-2 Политика
4-14-2 Супружество
4-15-2 Кинофильмы и песни

5. Бизнес и экономика
5-1-2 Обмен визитными карточками
5-2-2 Промышленность
5-3-2 Выработка консенсуса
5-4-2 Многоступенчатая система санкционирования «ринги»
5-5-2 Экономика
5-6-2 Зарплата и пенсия
5-7-2 Богатые и нищие
5-8-2 Дальнейшая конъюнктура в Японии
5-9-2 Недвижимость
5-10-2 Обращение с иностранцами
5-11-2 Условия труда
5-12-2 Отдых
5-13-2 Иностранцы в Японии
5-14-2 Ставки налогов
5-15-2 Деловые обычаи

Posted by SATOH at 13:13 | Comments [1]