2012年07月27日

●和文解釈入門 第434回

(186) 「木戸孝允日記」、世界ノンフィクション全集50、筑摩書房、1964年
 木戸孝允(1833~1877)の日記は1868年から1977年まであるが、本全集は1871年6月の廃藩置県から1874年征韓論の頃まで収録されている。木戸は枝葉よりも治世の根本を考える政治家であり、憲法をどうするかをすでに考えており、青木周造自伝などでも欧米に派遣された時も、常に日本の行く末を真剣に考えていた稀世の政治家だったことが分かる。

(187) 「オーストリア外交官の明治維新」、アレクサンダー・F・V・ヒューブナー、市川慎一・松本雅弘訳、新人物往来社、1988
 1871年2カ月にわたって廃藩置県直後に訪日したヒューブナー(1811~92年)の手記。原文はフランス語。岩倉具視、木戸孝允、西郷隆盛や明治天皇とも話をしている。駕籠に乗って不平も言わず、気持ちの上で余裕綽々の日本紀行。箱根に同行したアーネスト・サトウについて、健脚家であると同時に、印象に残った日本語の表現や言い回しを自分の手帳に絶えず書き留めていると感嘆の念を禁じえないとある。

(188) *「特命全権大使米欧回覧実記」(5巻)、久米邦武、水澤周訳、慶応義塾大学出版会、2005年
1871年~1873年岩倉具視を大使として、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文、山口尚芳等48名の代表団が英米仏伊蘭露普、ベルギー、デンマーク、スイス、スウェーデン、オーストリアを巡って政治、文化、産業などを調査した。久米(1839~1931)は公式の記録係。伴った留学生は54名で、そのほかに女子留学生が5名いた。原文は文語体であり、漢文は訳者によれば対句をよしとし、無理に比較することによって意を尽くせない憾みがあるという。このような大著を現代語訳で読めるのは非常にありがたい。また白髪三千丈式の誇張もある。記述は米英中心で、それぞれ各1巻を充てており、ページ数から見れば仏が1/15、独が1/13で、伊が1/13で、露に至っては1/23である。原著の誤りなど疑問点も指摘し、注が非常に参考になる。

(189) 「ブスケ日本見聞記」(2巻)、野田良之・久野圭一郎訳、みずず書房、1977年
フランス人ブスケ(1843~?)1872年法制を教授するために来日した弁護士で、法学教育に尽くした。1876年に帰任するまでの日本印象記。素人にありがちな学をひけらかそうという気取った文体で、訳者ですら回りくど過ぎて何を言いたいのか分からないところが散見されるのは困ったものだ。法律専門家だけあり、佃島の人足寄場についてこのように犯罪者に職を教えるようなところはフランスにはないと述べているところや、監獄、斬首、絞首刑の様子については職業柄生き生きと描いている。専門家であるブスケが日本での犯罪数はヨーロッパにおけるよりもはるかに少ないとか、罵倒することは下層階級でも極めてまれであると書いておいて、西洋文明も大したことはないという反省の文章がないのはおかしい。女性教育の重要さを指摘しているが、当時のヨーロッパの大学で女子を受け入れたのはスイスぐらいではないか、そういう事は何も書いていない。雨は一斉休業の口実となるなどよく観察している。旅行が好きで、北海道、名古屋、京都、横浜、日光など各地を旅行しており、加太邦憲が同行した時もあったようである。加太はブスケのことを、授業は事前にノートを作って教えるなどしてくれて、後にパリ大学教授ボワソナードを政府が招聘するが、その前にブスケが来てくれたのは(予習の意味で)非常に助かったと述べている。日本に対しての西洋文化の優越性がはっきりと表れてはいるが、比較的客観的な描写である。ただこの第2巻を訳す必要があったのだろうか?日本語は日常会話がようやくだった程度のレベルで、文字、文学、劇場、宗教、芸術について書いてあるが受け売りにすぎず、日本語や日本の文学は曽我の仇討、天の網島、赤穂浪士などの読み本の筋を書いているのに過ぎない。わずかに、神道とは祖先崇拝以上のものは何も教えないとか、神仏習合、日本人の建築にはシンメトリーと釣り合いを欠いているとか、日本の芸術は自然との調和を大切にする、混浴はあるのに、彫刻的裸像の何たるかを知らないなど卓見らしきものが散見されるのみである。

設問)「どこのカウンターにいけばよいのですか?」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2012年07月27日 06:11
コメント

(1) К какой стойке
мне нужно подойти ?

(2) На какой стойке
нужно
зарегистрироваться?
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(1)は正解です。(2)だと「チェックインは」とか「登録は」と意味が限定されてしまいます。私の答えは、К какому окну (какой стойке) мне подойти?

Posted by ブーチャン at 2012年07月27日 06:44

初めて投稿させていただきます。
初心者ですが、どうぞ宜しくお願いいたします。
1) В какой(ое) приём (бюро) мне нужно пройти?
2) Куда мне нужно пройти для 目的を示す名詞(の生格)?
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わざわざ投稿いただきありがとうございます。今後ともよろしくお願い申し上げます。二つのお答えの共通点である動詞ですが、пройтиというのは、「着く」というよりは、「どこかを通って着く」という意味です。よく使われるのは、Как пройти (поехать) на метро?(地下鉄にはどう行けばよいですか?)です。これは地下鉄(の駅)への行き方を聞いているわけですが、今いる位置から、どこを通って地下鉄に到着できるかと聞いていることになります。会社の受付で、Проходите!(奥へどうぞ)というのも、今いる位置から、部屋を通って、目的の場所へ行くという意味です。さて設問では、カウンターへどう通ってゆくか分かっているわけです。知りたいのはどのカウンターかですから、このような場合は、到着するという語義の動詞を使えばよいわけです。一番簡単なのはприйтиですが、私の考えでは、この動詞の不完了体приходитьは過程を示せない、予定でもどちらかと言えば使いにくい、取る前置詞がв(駅などはна)なので、中に入る(駅の場合は構内)というニュアンスがあるという欠点があります。到着の場合必ずしも中に入るとは限らないわけです。そこで口語ではподойтиがприйтиの代用をします。これだと不完了体のподоходитьは過程を示すことができます。ただ前置詞はк + 与格を取ります。銀行などのカウンターなどは中に入るわけではないので、この動詞がぴったりです。
 1)のбюроはいろいろな意味がありますが、бюро обслуживанияサービスビューローというのがロシア語では一般的です。приёмはレセプションという意味で、祝宴という意味と、受付窓口окно по приёмуの口語приёмは使えますが、この単語が多義語なので、個人的には、よほど文脈がはっきりしない限り使わない方がよいでしょう。
 2)構文はこれと思います。この動詞については第19回の回答に書いておきましたが、茲に再録しておきます。пройтиにはМы прошли в сторожку.(我々は管理事務所の奥の方に進んだ)のように方向の意味でв + 対格を取る用法もある。しかし、「道を尋ねる」という意味のкак пройти/проехатьが取る前置詞はкでна площадьのようにнаが取れるもの(広場、地下鉄、駅など方向の前置詞にвではなくнаを取る名詞)もある。вを取れるのは「市の中心へ」в центр города (к центру городаもあるようだ)ぐらいだが、センターがショッピングセンター(ショッピングモール)のように建物を示すなら、普通はк торговому центруとなるはずだ。как пройти/проехатьはこの意味ではкを取ると覚えておけばよい。
 基本的な動詞とその用例を徹底的に、系統的に理解した方が、時事用語など名詞をたくさん覚えるよりも(暗記するのは簡単ですが、忘れるのもすぐです)、会話の上達の早道です。簡単な表現というのは、なかなか奥の深いものです。動詞も設問の日本語だけに頼るのではなく、場面をイメージして、それにふさわしい基本的な動詞を選択することが重要です。

Posted by あんなパパ at 2012年07月27日 10:50

К какому прилавоку мне нужно подойти?
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正解ですが、カウンターを商店や露天のカウンター(売台)と取ったのですね。прилавокの与格はприлавкуです。凡ミスでしょう。それと会話では、叙想語であるнужноなどはつけない方が一般的です。不定法で「~すべき}という意味が出ますから。文もすっきりします。

Posted by asuka at 2012年07月28日 00:48

К какой стойке нужно подойти?
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正解です。asukaさんにも書きましたが、会話ではнужноを取る方が一般的です。Что делать?と同じような発想です。

Posted by メイ at 2012年07月28日 00:59
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