2011年10月01日

●和文解釈入門 第134回

日本人でロシア語の体の用法を間違わない人がいたとしたら、幼少時代をロシアで暮らしたバイリンガルだけであろう。早くても二十歳前後からロシア語を始めた人で、理詰めで説明できないが、感覚的に体の用法を80%ぐらいは正しく言えるという人はたまにいるだろう。こういう人は残りの20%がこのコーナーの例文のどれなのか分かれば、それを読んでそこだけ理詰めに理解すればほぼ100%間違えなくなる。また100%間違うという人はいないだろうが、いたとしたら、それはそれで、逆の発想をすれば100%正解となるわけだから簡単である。普通は50%、50%で、山をかけると外れるという最悪のパターンである。こういう人は第100回の表を読めば、少しは当たる確率が上がるかもしれない。この表もほぼ毎日手を入れてあるので、100回当時とは違ってきている。
酒を相手に注ぐ時や、車をバックさせるときなど、そのくらいでいいです〔OK〕と返事する場合があるが、これにはдостаточноという意味で、口語ではХорош.を使う。口語辞典では力点は後ろのoでも、前のoでも正しいことになっているが、個人的には後ろの方をよく聞くような気がする。
設問)「今もあなたは間違っているという考えに変わりはありません」をロシア語にせよ。

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2011年10月02日

●和文解釈入門 第135回

 ロシア語の会話がうまくなるには、ある程度ロシア語の作文をせざるを得ない場に身を置くことが大切である。それも自分の不得意な分野のものをやっておけばあとで話題が広がるし、如いては通訳やガイドの勉強にもなる。問題は露訳の種はその辺にごろごろ転がってはいるが、できた露文が正しいか、正しくないならどこがおかしいのが徹底的に見てもらわないとうまくはならない。作った露文に対して正解を示してもらうだけでは、あまり意味はないのである。和文露訳の答えが一つということはあまりない。作った露文がロシア語でそう言わないにしろ、どこを直せば通じるようになるのか、文法の誤りなのか、語結合がおかしいのかなど具体的に指摘してもらう必要がある。学習者がその点を自覚しさえすれば質問もより具体的となって、それが自身のロシア語能力のさらなる向上となって現れるのである。このコーナーの設問も、できるだけ通訳やガイドの現場でよく使われる表現を、それもできるだけ応用できるものを出題しているつもりである。こういう機会を利用してもらうに越したことはないが、匿名とはいえ投稿するには勇気がいるのかもしれない。それであれば回答例と解説だけでもいつか役に立つ事を願っている。
完了体は新規の事柄を示すために、その動詞本来の意味のほかにいろいろなニュアンスがつきやすい。不完了体はといえば、刺身のつまのようではあるが、動詞本来の意味が端然としてある。ここのところが体の使い分けの勘どころだと思っている。
設問)「なかったことにしましょう」をロシア語にせよ。

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2011年10月03日

●和文解釈入門 第136回

類義語の使い分けの勉強には露露辞典を引くのがよい。そのためにはロシア語の語義説明を理解できるという事が前提となる。国語辞典と同様露露辞典の語義解説のロシア語は基本的なロシア語で書かれているから、初級者はこのロシア語を読めるように勉強すれば、露文解釈の基礎の勉強となる。つまり読んで分かる(聞いて分かる)語彙пассивный запас словがつけばしめたものである。
 斜面で一般的な言葉はсклонで、山や丘の斜面。скатとсклонは同義語だが、скатは屋根にも使える。откосもсклонと同義語だが、道路の傾斜という意味もある。отлогостиは緩やかな斜面を指す。косогорは山、丘、谷の斜面である。
「人に~というレッテルを貼る」というのは慣用句でприклеить (прикрепить, навесить) ярлык + 与格(人)とするが、レッテルそのものはэтикеткаであり、薬の瓶などに貼ってあるものは(аптечная) сигнатуркаという。座席もсидениеが普通だが、宇宙船のシートはложементという。
設問)「彼は自転車を引いて歩いている」をロシア語にせよ。

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2011年10月04日

●和文解釈入門 第137回

鐘には捕虜の鐘пленные колокола、流刑の鐘ссыльные колоколаというのがあるが、失寵の鐘лыковые (опальные) колоколаというのもある。лыкоは菩提樹などの靭皮(内側の丈夫な皮)をいい、一揆の知らせなどを告げたという理由で鐘に恨みをもったツァーリが、(罪もない)鐘を打ち砕き、その後лыкоで縛りあげ、追放した鐘を言う。有名なのはドミートリー王子の暗殺を鐘が告げたことで怒ったボリース・ゴドゥノーフБорис Годунов(1552?~1605)の例がある。この事件は後に偽ドミートリー1世、2世、偽ピョートルなど100人余りの僭称者を生み、ロシア大乱の原因の一つとなった。飛行機や戦車を記念碑にする国だから、鐘がそのツァーリの願いを叶えなかったりしたら、鐘もそういう運命を辿ったのであろう。こういう鐘の流刑はさすがに18世紀の初めには見られなくなった。
すね(はぎ)というのは膝からくるぶしのところまでを指すが、それに近いロシア語のголень(голяшкаは口語)はчасть ноги от колена до ступни(膝から足まで)で、ступняというのは「くるぶしから下の足や足の裏」だから少し違う。
設問)「注文はお決まりですか?」をロシア語にせよ。

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2011年10月05日

●和文解釈入門 第138回

チンプンカンプンはВсё то, о чём в докладах сказано, для нас - китайская грамота.(報告書の中で言われたことはすべて我が国にとってチンプンカンプンだ)とか、Мамы не понимают в географии.(お母さん方は地理はチンプンカンプンだ)、Они ничего знать не знают и ведеть не ведают.(彼らは何も知らない → 彼らにとってはチンプンカンプンだ)と言える。言い回しとしては、тарабарская грамота (= китайская грамота), тарабарщина, дремучий (тёмный) лес что, ни бэ ни мэ, не иметь понятия о чём, ни бум-бум, волапюк(人工語の一つ)だが、専門用語や術語がチンプンカンプンだというときにはптичий языкを使うのが普通である。
設問)レストランなどで使われる「ローストビーフは終わりました」をロシア語にせよ。

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2011年10月06日

●和文解釈入門 第139回

とても清潔好きな人にハウスダストのアレルギーがあって、発症の原因はこの人がクーラーも掃除をしないとクーラー自体が埃をばらまいているということをテレビで知り、掃除を始めたところ、運悪く積もり積もった埃が頭の上に落ちてきてからだという事をテレビの番組で知った。それほど劇的ではないが、私にもハウスダストのアレルギーはある。たまに市販の薬を飲むくらいだから大したことはないが、この発症の原因については思い当たることがある。多分40年ぐらい前だろうかチェーホフとドストエーフスキーの全集などのソ連の本ををナウカ経由買いだした。当時1冊4000円くらいした。給料が12万円ぐらいの4000円だから決心が大変だったろうと思うかもしれないが、当時は独身だし他に趣味もなかったのであっけらかんとしたものだった。みな立派なハードカバーの本だが、梅雨を過ぎてからある欠点に気がついた。必要もないのだろう、カビ除け処理をしていないのである。そのためカビの綿毛というのか羽毛というのかにおおわれてしまった。ティッシュでふくと緑色である。青カビだったらペニシリンの原料になるのかもなと思ったりもしたが気持ちが悪いので、当時市販のカビ防止剤というの噴霧したりしたがまったく効き目はない。そのうち何年か経ってカビにとっても栄養がなくなったのかカビは生えなくなった。今の私のカビ対策は、上の棚の本にはほこり除けと湿気取りのために古新聞紙を載せ、半年にいっぺんくらい取り替えるぐらいであるが、効果のほどは気休め程度である。だから古い本を読むときは外に出て外側の埃を拭き取ってから、何回か本をバンバンと開けたり閉じたりする。面倒でいちいちマスクなどしないからだいぶ埃を浴びているのだろう。カビを好物にするものにダニがある。この糞とダニの死がいがハウスダストの主原因であるため、これがアレルギーの発症の原因だろうと思う。家にロシア語の本は辞書も含めて1700冊くらいある。その7割は20年前に安い時に(1冊100円くらい)でモスクワなどの古本屋で買ったものである。虫干しすればよいのだろうが、する気も起きない。
つい最近もその40年前に買ったドストエーフスキーの第4巻「死の家の記録」を、これは20年前に呼んだが中身をすっかり忘れてしまっていたのに気づき、ロシアのヤクザや囚人を調べる必要があって読み返した。間の悪い時に、同じような本はまとめて読もうと思って、ソルジェニーツィンの「収容所列島」も読み出した。これは大昔に邦訳で読んだが、これもロシア語で読んだことはないので、30年くらい前に買ってあったのを思い出して読み出したのである。無論2冊とも外で十分はたいてから読みだしたのだが、いまだに鼻がムズムズする。薬は飲みたくないのだが、1年前に期限切れの鼻水止めを飲んだ。普段薬を飲まないのでよく利く。ドストエーフスキーが特に良くない。しかし昔と違って辞書もそろっていることもあってソルジェニーツィンを読むのにも特に難儀はしないが、くしゃみと鼻水が困る。
設問)「家族を取るか、愛人を取るか、どっちを取るかを選べ」をロシア語にせよ。

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2011年10月07日

●和文解釈入門 第140回

このコーナーでは「ロシア人ならこういうであろう」と思われるものを私個人の見解として正解とし、それ以外を「文法的には正しいがロシア人はまずこうは言わないと思われるもの」、「語結合などところどころおかしいが意味は通じると思われるもの」に分けている。ただ文法的、語結合、文体がおかしいものは分かる範囲でその都度指摘するようにしている。試験をしているわけではないのだからそれだって正解の可能性はあるし、現実にロシア人との会話では切羽詰まれば私も使うかもしれないなと思うときもある。設問は短文であるとはいえ、正解が一つというのはよほど単純な文以外あり得ないので、ここでできるだけ多くの回答例を参考にして、自分の語彙を増やすチャンスととらえてくれればよいと思う。ロシア人のように話せることを目標にする人もいるかもしれないが、ロシア語を国際語(一応国連共通語であるから)と考えれば、日本人的ロシア語があってもよいし、意味が明確に伝わるなら、そのほうをロシア人が喜んでくれるかもしれない。文法的に正しく、語結合も気をつけていても、発想がロシア人と違うし、逆にそれがプラスである、つまり話を聞くロシア人のほうでも新鮮な日本人的発想を知ることになるからプラスであると考えればよいと思う。日本的な文化をロシア人の発想で説明したら、それはそれでいいのかもしれないが、そういうことを普通のロシア人が期待しているわけではないはずだ。
設問)「母は娘がアイロンをつけっぱなしにしたのでガミガミ叱った」をロシア語にせよ。

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2011年10月08日

●和文解釈入門 第141回

NHKのロシア語テキストや各社のロシア語参考書の練習問題を見ると正解が一つであるかのような錯覚を抱く。正解のバリエーションは無限とは言わなくともいくつかは(少なくとも二つや三つは)ありうる。正解が一つなのは紙面や文脈の関係でそうなるのであって、考えられるいろいろな回答のうちどれが文法的語法的に正しくて、どれが明らかに間違っているか指摘してもらえれば初級者は随分やる気も出ようし、会話にも取り入れられると思う。それが本コーナーを実験的に立ち上げた理由の一つでもある。
設問)「セメントや板も、変なところに置いたものはすべて盗まれる」をロシア語にせよ。

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2011年10月09日

●和文解釈入門 第142回

- Берёте?
- Беру.
という会話は市場や店でよく聞く。брать = приобретать за деньги, покупатьは口語で「買う」という意味だが、これは説明されなくとも雰囲気で分かる。しかし、語義はともかく、不完了体現在形なのだから、「取っている、買っている」ならともかく、どうして「買います(か)」という未来(ほんの少し先の未来とはいえ)を示すことが出来るのだろうという疑問がすぐにではなくともいつか浮かべばロシア語がものになる可能性がある。この動詞が特殊なのか、はたまた他の不完了体の動詞でも現在形ならこういう予定の意味で使えるのだろうか?この動詞については、自分もこの言い回しを店やで使えるが、暗記して終わりという人が多いだろうと思う。さらにВозьмёте? Возьму.と完了体を使ったらいけないのだろうかなど疑問は増すばかりだが、自然に答えが出てくることはない。親切なロシア人が答えを教えてくれるかもしれないが、本当にそうなのかは誰にもわからない。これはбратьなどの動詞は不完了体現在形で確実な予定を示すことが出来るからである。詳しくは第100回参照。このように文法を勉強すると言うのは語彙を増やす能率を高めるのに役立つし、応用が利く場合が多い。文法(特に体の用法)をやるというのは、決して回り道ではなく、大いなる近道なのである。
ついでに質問があったのでберитеとвозьмитеの違いについて書いておく。お店などではберитеを耳にする事が多いと思う。これは、買い物をするときに買い物客がものを手に取るか、品物に目をやったときに、売り手(売り子)が、Берите!(買ってください)と声をかけるわけである。これは売り手の意識の中に、関心があるからお客がその店に入るわけで、それなら買ってくれるのは当然という気持ちがあるから着手の意味が出てくるわけである。ところがВозьмите!というのは、家族からとか、売り手の方から買ってと提案する場合に聞かれる。これは売り手から買い手に対する新たな提案であり、買い手が買おうという気持ちがあるかどうかということとは関係ないものである。例えば絵葉書を買おうと、絵葉書の飾ってある店に入ったのに、人形をどうぞとい売り子から勧められるような場合である。市場Рынокに行けば、Берём! Берём!という言葉をよく聞くが、これは人称の転用で、買い物客の気持ちになりきるのと同時に、売り手として買ってもらって当然という気持ちが出て、「買おうよ、買おうよ(日本語では買った、買ったと一見時制の転用のような言い方をするが)」と言っているわけである。このような場合完了体でВозьмём!というのを聞いたことはない。市場に来た以上買い物客はものを買うものだという意識が売り手にあるからである。ここのところを完全にマスターすれば、不定法でも応用できるし、不完了体というのがその場の雰囲気に逆らわない(無標の)用法だということが体感できるはずである。またбериの訳については、「持ってけ(ぇ)」の方がより意味が近いと個人的には思う。客がねぎっていると、売り手が最終的な値段を言って、「持ってけ、泥棒」というのを日本の魚市場などでも聞くことがあるが、それに近いと考える。
設問)「彼女は未婚だが彼氏はいる」をロシア語にせよ。

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2011年10月10日

●和文解釈入門 第143回

ロシア語には「いただきます」に当たる表現はないが、ロシア人に説明する場合どうなるだろう?これは私ならЯ буду есть.とする。逆に日本語にはПриятного аппетита!(強いて訳せば「おいしそうですね」とか、食事をしている友人への別れの挨拶なら「お先に」だろう)にあたる表現はない。生格が来ているのは次にжелаю/желаемという生格を取る動詞(一般にロシア語の動詞には願望には生格が来ることが多い)が省略されていると考えられるため。この表現はフランス語由来 bon appetit(お腹一杯召し上がれ)であろう。желатьは本来は補語が抽象的なものが主体なので生格を取るが、具体的なものについては対格を取る場合もある。これは生格というものに抽象的なものを、対格が具体的なものをというロシア語の動詞(欲求を意味するпроситьなど)の本来の使い方から来ている。またжелатьは最近хотетьの代わりに使われるようになってきているが、これはソ連崩壊後、接客(サービス)に対する意識の変化もあるのかもしれない。動詞 (просить) のように、これが廃れてきているものもある。
 否定生格というと、なんでも他動詞を否定すれば生格となると考えるのは間違いである。基本は抽象的なものは否定形において生格が、具体的なものは対格が来る。現実的には具体的なものでも生格が来る場合が多いが、Я не люблю её жену.(彼の奥さんを私は好きではない)はженыとはならない。
出世主義者はкарьеристだが、他にМолчалинやФамусовも意味が似ている。ともにГрибоедовのГоре от умаの登場人物だが、使うニュアンスはかなり違う。Молчалинの信条はУмеренность и аккуратность(ほどほどと几帳面)であり、上司の前ではへつらい、謙虚である。余計なことは口にしない慎重さを持っている。一方Фамусовは上にはへつらい、部下にはふんぞり返るという、あまり昇進が望めそうもない小役人タイプである。
設問)「諸君が任務を遂行したという報告を直に受けるために明日同じころに来る」をロシア語にせよ。

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2011年10月11日

●和文解釈入門 第144回

首はшеяで、чрезвычайно полный, почти совсем без шеи(とてつもなく太っていて、ほとんどまったく首がない〔猪首である〕)と使うが、「お前の首に高値がついている」という場合はТвоя голова в цене.であり、首狩り族もохотники за головамиとなる。ただ食器や瓶の首はгорлышкоという。「ホバリングする」や「静止飛行をする」はвисетьだけで、Вертолёт висит на одном месте минут пять.(ヘリコプターは5分ほど同じところで静止飛行をしている)とし、висеть в воздухеの方は比ゆ的に「宙に浮いている」という意味で使う。Многие из этих принципов висели (повисали) в воздухе.(これら原則の多くが宙に浮いていた)となる。
設問)「よそ見していて乗り過ごしてしまいました」をロシア語にせよ。

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2011年10月12日

●和文解釈入門 第145回

体の用法の違いを簡単に述べるならば、一般向けの参考書においては、完了体は新規の事柄(有標性маркированность)について用い、不完了体はそうではない事柄(無標性немаркированность)や、そこから発生する繰り返し(習慣)に用いるとある。しかし通訳やガイドで実際に和文露訳をする場面では、時制によって、また動詞群によって体の使い分けをせざるを得ず、体の使い分けが非常に分かりにくい。自分の経験から言うと、実践面では体の使い分けを、完了体中心ではなく、不完了体を中心に据えてみてはどうだろう。つまり不完了体を線路(レール)の上を走る(止まらない)電車だと考えるのである。電車はレールから外れないことになっているから、真理について不完了体現在形を使うというのも真理という線路の上を走るからだし、繰り返しは、線路の上を往復するからであり、過程(進行形)は今まさに線路の上を走っていることを意味しているということになる。そこから、線路を外れずに行動するのが当たり前という空気を読む、いわば回りの雰囲気に合わせて動作するという着手の意味も出てくる。また線路がある以上、これから先にも線路が敷設されているのだから、そのまま線路の上を走り続けると言う意味で確実な予定という意味も生まれてくる。予定があればそれを守ろうとするわけで、時間厳守という観念から切迫感や線路から外れてはいけないということで義務の観念も派生してくるはずだ。義務の観念があれば、不完了体を否定するときに、義務の否定で、禁止という観念が出てくるのは論理的である。また線路があるという考えを否定するわけだから不要性という考え方も出てくるのではないだろうか。線路だけ(あるいは線路の上の電車だけ)を考えに入れるので、つまり駅などを考えに入れないので、過去の動作は通過した線路のどこか後の方ににある(行われた)わけであり、その場所が具体的にどこか分からないわけだから、それが動作の名指しということになる。
完了体について言えば、線路から脱線するとか、線路を抜きにして動作を考えるということになり、線路がないのだから動作の可能性は広がるわけで、そこから可能性(否定すれば不可能)が出てくるし、可能性というのは「何かあったら~する」ということだから例示的用法となる。線路がないのなら(あるいは駅を想定に入れてよいのなら、立ち止まってよいのなら)、具体的に動作の起こった場所を特定できるわけで、それがアオリストとなる。線路があってもなくても、立ち止まって状況確認したとすればそれが結果の現存につながる。これが今の段階での私の「不完了体線路説(レール説改め)」であり、今後これを発展させることができるかもしれない。ともかく実践的な体の使い分けを考える上で一つのアプローチではないかと思う次第。
設問)「まあ、すみません。お手紙を読むつもりはなかったのです。ついうっかり開けてしまいました」をロシア語にせよ。

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2011年10月13日

●和文解釈入門 第146回

前回で不完了体線路説(レール説改め)を唱えたが、これは過去の出来事を眼前で起こっているかのようにまざまざと描くという歴史的現在にも当てはまる。つまり線路を仮想のものと考えるのである。目には見えるが実体がないというようなものだ。実体がないのだから、用法は一見不完了体ではあるが中身は完了体と同じという事になる。
初学者のためにсмотретьとвидетьの違いを書いておく。前者は「視線を向ける」ということで、対象が見えていることを必ずしも意味しない。一方後者は視線を向けることを意識しないが、対象は目に捉えているという意味である。だから、Глаза смотрят, но не видят.(見れども見えず)とか、И она смотрела на него и не видела.(彼女は彼の方を見ているようで見ていなかった)などは、「視線を向ける」と「見て気がつく」の違いであり、他にもЯ просто глазел, но не видел.(私はただ見てはいましたが、気がつきませんでした)がある。また目に対象をとらえていても本質的な意味では理解していないという意味で、Он очень много видел, но почти ничего не "увидел".(彼はとても多くのものを見ていたが、ほとんど何も見つけることができなかった)というのもある。слушатьとслышатьの違いも同様である。
設問)「どこを怪我なさったのですか?」
「胸と肩と顔です」をロシア語にせよ。

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2011年10月14日

●和文解釈入門 第147回

ロシア文学に興味ある人のためにこれから何を読むべきかについて、「19世紀ロシアの作家と社会」、R. ヒングリー、川端香男里訳、中公文庫、1984年が参考になりそうなので紹介する。本書は1825年から1904年のロシア文学について作家及び社会を扱ったものである。ソ連時代に出版されたものとしてはソ連国内でこのようなものは出版できなかったからというだけでなく出色の出来である。ただソ連崩壊後Энциклопедический словарь росийской жизни и истории(ロシアの生活・歴史百科), Беловинский Л.В., ОЛМА-ПРЕСС, 2003(6000項目)なども出てきているので、ロシアの実社会を知る上でその重要性は薄れてきてはいるが、文学という面に限れば一読の価値はある。本書は1977年版の翻訳である。著者はアレクサンドル2世の治世の時代にロシアソ連文学の精華が生まれたとしており、具体的にはそれは1856年から1880年の期間で、13の長編小説(レフ・トルストイの「戦争と平和」、「アンナ・カレーニナ」、ドストエーフスキーの「罪と罰」、「白痴」、「悪霊」、「カラマーゾフの兄弟」、ゴンチャローフの「オブローモフ」、トゥルゲーネフの「ルージン」、「貴族の巣」、「その前夜」、「父と子」、「煙」、「処女地」)を挙げ、このほかにその前に出たプーシュキンの「エヴゲーニー・オニェーギン」、レールモントフの「現代の英雄」、ゴーゴリの「死せる魂」の3作を挙げている。この後に出たレフ・トルストイの「復活」、ソログープの「小悪魔」、ベールィの「ペテルブルグ」、ショーロホフの「静かなドン」、パステルナークの「ドクトルジバゴ」、ゴーリキーの「フォマー・ゴルジェーエフ」や「アルターモノフ家の事業」、ピーセムスキーの「千人の農奴」、ゴンチャローフの「断崖」、レスコーフの「僧院の人々」、サルトィコーフ・シシェドリーンの「ゴロヴリョーフ家の人々」はいい作品であるにせよ、上の13作に比べればそれほど評価しないという。個人的にはトゥルゲーネフのロシア語は美しく、ロシア語の勉強にはなると思うが、今日的な意味のある作品とすれば、トゥルゲーネフを入れるなら、「ドクトルジバゴ」、「僧院の人々」、「静かなドン」、「小悪魔」を入れた方がよいという気がしないではない。ソ連時代の作家が二人だけとさびしい限りだが、個人的にはプリスターフキンПриставкинの「黄金を帯びた黒雲が一夜を共にしたНочевала тучка золотая」もいい作品だと思う。
 短編ではチェーホフが断然トップであり、戯曲(劇作品と訳している)では、チェーホフとオストローフスキーを挙げ、その他の作家の個々の作品ではグリボイェードフの「知恵の悲しみ」、ゴーゴリの「検察官」、トゥルゲーネフの「村の一月」、レフ・トルストイの「闇の力」、ゴーリキーの「どん底」を挙げている。回想録ではゲルツェンの「過去と思索」、ゴーリキーの「幼年時代」、「人々の中で」、「私の大学」、「回想」、レフ・トルストイの「幼年時代」、「少年時代」、「青年時代」、ドストエーフスキーの「死の家の記録」、アクサーコフの「家族の記録」と「孫バグローフの少年時代」、詩ではネクラーソフの「ロシアは誰に住みよいか」、チュッチェフ、フェート、マイコーフを挙げている。いずれにせよこれからロシア文学を本格的に読もうとする人にとっての一つの指針であることには違いない。
 それといつもひっかかるのは「貴族の巣」дворянское гнездоという題名である。確かに直訳すればそうだろうが、泥棒の巣でもないのだから、いい加減、正しい訳語である「貴族の屋敷」とでもするべきではないか?それと「静かなドン」も、日本語らしい七五調のリズムを考えるなら「静かなるドン」の方が響きがよいと思う。
設問)「取りあえず火曜という事に、でも時間はさらに詰めましょう」をロシア語にせよ。

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2011年10月15日

●和文解釈入門 第148回

いくら長年連れ添った夫婦でも侵してはならぬ領分というのが多々ある。我が山の神は料理であれば、いくらでも侵してもかまわぬと宣(のたま)が、いくらなんでも何十年厳然とその領域は存在するわけで、勝手にお言葉に甘えるわけにはいくまい。口は出すが手は出さずを謙虚に長年守っている(たまに食器は洗う)。誤解のないように言っておくが料理が出来ないわけではない。モスクワへの単身赴任のときでも1週間に1回は米を炊き、小分けにして後は冷凍していた(妻の指示のもと)し、週に2度は味はともかく栄養満点の野菜スープを作ったりしていたから、ジャガイモの皮もむけるし(皮むき器を使うが)、玉ねぎも、人参も切れる。家にいると朝昼は食べるものが決まっているので、家内から毎日かようなお言葉を賜る。
妻「今日ノ夕飯ハドウシマセフ?」
僕「任ス」
妻「任ス任スッテ、何モ考エテナイジャナイノ。(豆腐ノ料理)ハ如何デス?」
僕「ヨキニハカラヘ」
カッコ内は毎日変わる。カヤウニ晩飯ニツイテハ余ハ不完了体ノ人ナリ。
設問)「お待たせして申し訳ありません」
「待ったなんてとんでもありません。私も来たばかりです」をロシア語にせよ。

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2011年10月16日

●和文解釈入門 第149回

「不完了体路線・線路説(レール説改め)」に新たな展開があったので追記する。бытьの未来形 + 不完了体不定形で「~するつもりである」の意味の用法は未来時制における着手と考えればよい。路線や線路を例に使うなら、駅からある路線の電車に乗り、あとは身を任せて目的駅まで行くという事になる。この用法は口語的用法で標準的にはсобираться 他 + 不定形を使う、つまりどの不完了体動詞でも使えるというわけではない。これは駅というのはどこにあるわけではないが、駅に行きさえすれば路線は最低一つはある。完了体未来形で意志を示せる場合があるが、それなどは車を使うようなものだろう。車は道路がなければ走れないという制約はあるというものの、自宅から目的地まで基本的に自由に行けるという点が電車などとは大いに違うから体の用法もこれに似ていると言える。この他にも、この不完了体の用法は電車の後方に線路を見るのではなく、いくつかの既に存在する路線を見て、そのうちの一つに乗り換えると考えてもよい。高村光太郎の詩に「僕の前に道はない。僕の後に道はできる」というのがあるが、新たに線路を敷設するというならそれは完了体の考えで、不完了体においては、路線は路線でもあくまで既存の路線ということになる。
 タイム誌で中国の愛国主義復活についての記事を読んでいたらCCPというのがやたらに出てくる。暑さで頭が朦朧としているのかと思い読み返してみたら、前の方にChinese Communist Party(中国共産党)とあるではないか。СССРの亡霊かとか、C (caresは心配事、苦労の種という意味)一つないだけで随分違うな(経済がうまくいっているな)などと考えてしまった。
 Шила (шило) в мешке не утаишь.という諺を一見すると意味が似ているからといって、直訳して「嚢中の錐」と訳すと誤訳になる。嚢中の錐は才能のある人はたちまち外に現れるということだから意味が違う。この諺は日本語の「隠れたるより現るるはなし」のように悪事露見という意味で使われることが多い。ちなみに嚢中の錐はВидна птица по полёту.とか、Золото и в грязи блестит.となる。「これは序の口」をЭто еще цветочки, а ягодки впереди.と訳しても間違いではないが、ロシア語の諺はもっとひどいことが起こるという意味なので、そういう意味でない時にはЭто ещё преддверие.などと訳し分ける必要がある。諺は取り扱いが難しく、形は似ていても日本語とロシア語では用法が違う事が多々あるので露露辞典や、できればロシア語の諺辞典で意味と用例をチェックしておく必要がある。
 スケジュールはграфикだが、расписаниеは時間と場所、行う事の手順をかいたもので、これをスケジュールと訳してもよいが、時間割、時刻表といったところである。
設問)「何が書いてあるのか分からない」をロシア語にせよ。

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2011年10月17日

●和文解釈入門 第150回

このコーナーのナビゲーション用の体の使い分けの表については第177回を参照ください。
設問)「男には家事の事など分からない」をロシア語にせよ。

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2011年10月18日

●和文解釈入門 第151回

ロシアの宇宙飛行士は案外ゲンをかつぐようである。これは未知の危険に直面せざるを得ない職業として当然のことなのかもしれない。出発前には必ず「砂漠の白い太陽Белое солнце пустыни」という映画を見るのがしきたりになっているという。これは1969年の映画だが、当時最初は内容的にお蔵入りとなった。それで監督のレオーノフは出発前の宇宙飛行士の気分を高揚させようとして、この映画を小数の宇宙飛行士たちに見せたところ評判がよく、その噂はブレジネフのところまで届いた。ブレジネフもこの映画を見て気に入り、全国上映が許されたというものである。一度見た宇宙飛行士の中には2回見るのは嫌だという人もいるのは当然で、あるときこの映画を見なかった宇宙飛行士の出発が取りやめになったことがある。それからは必ず出発前に上映され、宇宙飛行士は何度でも見るという。
 ロケットに乗り込む前、宇宙服を着てから、宇宙飛行士たちはバスでロケットのところまでゆくのだが、その短い時間(5分くらいか)に一度バスから出て、バスの後輪におしっこをかけるという。これをна колесоという。これはガガーリンが始めたことで、彼のロケットには飛行時間が短い(108分)こともあってトイレがなかったからだとも言われている。これがしきたりとなったわけだ。大して面倒なことでなければしきたりを変えないという気持ちは分かる。宇宙飛行士もロケットに乗りこんでから宇宙船のトイレАСУ (ассенизационное устройство)に行けるのは6時間後というから分からないわけでもない。
軌道はорбитаで間違いではないが、これは天体、電子、宇宙船のように何かの回りを回るという前提がある。ところが日本語の軌道には宇宙船のтраектория сближения接近軌道のように空間を移動する点あるいは物体の線という意味もある。これはтраекторияといい、分かりやすい例で言えば弾道もそうであり、この軌跡は空間でなく平面上にある。
設問)「ナースチャは他の誰よりも日本語が出来たし、それほど正確ではないとはいえ、ぶっつけ本番で通訳することが出来た」をロシア語にせよ。

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2011年10月19日

●和文解釈入門 第152回

通訳、翻訳、ガイドといろいろなロシア語の仕事をしてきて、それなりに面白いと思う事はあるが、ロシア語をやって本当によかったと思うのは、生のロシア人といろいろな雑談をするときである。お互いの生い立ちを聞いたり話したり、いろいろな物事に対して意見交換ができるというのは自分の知識の幅を広げることになる。また読書尚友というのは書物を読むことによって、昔の賢人を友とすることであるが、ロシア語の本は一部の文学書を除きほとんど和訳されていないし、古今東西いろいろな考え方を知るチャンスでもある。ロシアの技術は宇宙関係などでアメリカより進んでいるものもあると言えるかもしれない。日本はどうしても欧米に目を向けがちで、バランスを取るためにもロシアに目を向けるのも必要だと思う。特にロシアは国が広く多民族国家であるので、今後の世界を占う上で、ロシアでの民族関係というのは、日本のような単一民族国家で外国人労働者の受け入れとか、外国人との付き合い方など大いに学ぶ余地があると思う。
期待というとнадеждаと思うかもしれないが、これはよいことがあると信じることであり、何かいいことがあるかもしれないとワクワクするような気持предвкушениеではない。ожиданиеにもнадеждаという意味もあるが、ほかに予想という意味もあるので使い方に注意したい。色はцветだが、цветやкраскиは自然の色であり、колерは画家、ペンキ屋の用語、окраскаは動物、鳥、昆虫の色を指す。
設問)「彼は妻に先立たれた」をロシア語にせよ。

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●和文解釈入門 第152回(訂正)

ぼけてきたのか設問に回答を書くというへまをしてしまいました。設問を変えたのでご容赦ください。

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2011年10月20日

●和文解釈入門 第153回

自分の和文露訳の実力がどのくらいか、どの程度までロシア人に通じるかはできるだけ長い文章を書いて、日本語の分かる本のプロ(作家や編集者)であるロシア人に見てもらえばよい。そこで、ユーラシア・ブックレットに「ロシア人と日本観光案内」を書いたが、その中に「ロシア人観光客のよくする質問」というページがありこれを膨らまして、まず日本語で原稿を書き、それをロシア語に直して見た。本コーナーの設問は短文での和文露訳となっているが、実際に通訳する場合には、短文だけというのはほとんどありえないわけで、文と文をつなぐ接続詞などの用法の勉強が必要となる。自分が人にそういう事を教える実力があるかの試金石にもなるという意味で出来上がったのが「ロシア人の疑問」という原稿であるが、諸般の事情のため出版の見通しは立っていない。内容は、(A. 日本の基本情報: 1. 役立つ豆知識 2. 呼びかけ 3. 人口 4. 地理 5. 神話 6. 歴史 7. 日本人の宗教心 8. 神社 9. 宗教 10. 気候 11. 日本語 12. 権力と天皇 13. 地震 14. 台風 15. 軍事力; B. 日常生活: 1. 挨拶 2. 家族 3. 結婚式 4. 葬式 5. 和食 6. 食べ物 7. 酒 8. 漢字 9. 動物 10. 花粉症 11. 交通機関 12. 安全 13. 住宅事情 14. 公共サービス 15. 街路で; C. 旅行: 1. 東京 2. 京都 3. 奈良 4. 日光 5. 富士山 6. 花見 7. 着物 8. 日本のお土産 9. お守り 10. 野外のリクリエーション 11. 禍福 12. 温泉 13. 独特の食材 14. 珍味 15. 風変わりな日本; D. 文化・社会: 1. 縁起と迷信 2. スポーツ 3. 教育 4. 隠れた名所 5. 茶の湯 6. 日本人気質 7. アメリカ人、ロシア人 8. 禅 9. 幸福観 10. 女性の地位 11. 結婚 12. 医療制度 13. 政治 14. 夫婦関係 15. 映画; E. ビジネス・経済: 1. 名刺交換 2. 産業 3. 根回し 4. 稟議 5. ロシアとの経済格差 6. 給与・年金 7. 富豪と乞食 8. 今後の景気 9. 不動産 10. 外国人への応対 11. 労働条件 12. 余暇 13. 日本の外国人 14. 課税率 15. ビジネスの風習)の75項目であり、それに3つぐらいの問いとその答えがあるから、全部で200以上の問答があることになる。いずれもガイドや通訳の現場で実際にロシア人から質問されたものである。
2週間ほど前にウラジオ在住のメル友のヒサムヂーノフХисамтудиновさんから、最近「東京横浜のロシア人」という原稿を仕上げたが、念のため日本の人や建物、地理などの名称なども含めてチェックしてほしいというメールが来た。同氏は極東連邦大学教授、史学博士、元国立極東技術大学日本学・朝鮮学講座主任(профессор Дальневосточного федерального университета, доктор исторических наук, бывший заведующий кафедрой японоведения и корееведения Дальневосточного государственного технического университета)であり、日本語にも堪能で、日本語で文献を読むぐらいの人ではあるが、日本の習慣についてもいろいろ具体的に聞きたいことがあるという。こういう依頼なのでいい機会だと思い引き受けることにして、交換条件としてこの「ロシア人の疑問」のロシア語の部分のチェックをお願いしたところ快諾を得た。
同氏には、本書の目的が日本人による和文露訳の学習用参考書であるため、意味や論旨が明快であるか、文法的に正しいか、語法(特に体の用法)が正しいかを中心に添削してもらい、美しいロシア語であるとか、プロのロシア人作家(同氏もそうだが)の私ならこう書くというふうなロシア語での意訳は不要であることをくれぐれも念を押しておいた。そのためロシア人からみればぎこちのないロシア語かもしれないが、日本語の原文を書いた本人がロシア語にしているため的外れの誤訳はないはずであるし、和文露訳を勉強する日本人学習者にとっても露訳のプロセスが文と文が対応しているので分かりやすいはずだと自負している。
幸い、一番心配していた体の用法は5か所ほどしか朱が入れて(訂正が)なく(ミスタイプなどはいっぱい見つかったし、若干よけいな接続詞は削られたりした)、本にすれば200ページぐらいの小冊子でその半分がロシア語という事を考えれば、日本人としてはいい方かなと思う次第である。原稿を書いたのが1年半前なのでその間に私の体の使い分けについて見る目も長足の進歩を遂げた(!?)ということかもしれない。彼が添削で指摘したのは、1~9までの数字は数字で書かずодин, четыреなど文字で書くという事と、接続詞にはさまれた前置詞は後の方では省略しないということである。例えば и для Артемьева и Синцоваではなく、и для Артемьева и для Синцоваと書けということである。また「2回~する」のдва раза はдваждыと直された。参考のために彼が朱を入れたところを次に示す。このサイトでは朱で表示できないので[]に代えた。最初のはрекомендоватьが完了体・不完了体同形なのでどちらでもいいやと思っていたら直された。完了体のつもりなら、はっきりと完了体で示せということらしい。スペルミスが多いのはお恥ずかしいかぎりである。
問)どんな日本のお土産がお勧めですか? Какие японские сувениры вы рекомендуете купить?
答)私なら招き猫と達磨を勧めます。招き猫にはいろいろあって、右手を挙げているのは金運を招き、左手は万客到来、両手ならどちらもとなります。また黒猫は厄除けです。達磨はインド人の禅宗の創始者で、むっつりとした顔をした赤い像で、目の代わりに白い丸がある。ダルマは福を招きます。ダルマの気を引くために、目を一つ入れ、念願成就のあかつきにはもう一つの目を書き入れます。
Я бы [по]рекомендовал вам купить манящую кошку и дхарму. Эти кошки бывают разные. Одни поднимают [правую лапу], что, говорят, зазывает в дом денежную удачу. А другие – лев[ую], много посетител[е]й. [Если подняты обе лапы, это и к удаче и гостям]. Чёрная манящая кошка – это талисман от несчастья. Дхарма происходит от индийского основателя дзэн-буддизма. А это для нас простая красная статуэтка с хмурым выражением и с белым[и] окружностями вместо глаз. Дхарма приносит сча[с]тье. Чтобы его заинтересовать, на лице Дхарма рисуют сначала один глаз, и лишь после того, как Дхарма исполнит желание, ему подрисовывают второй.
 ちなみに、ヒサムヂーノフさんの原稿に私が朱を入れたところを示す。
На него ответил флагман японского флота броненосец Дзюй-Дзе-кан[Адзума-кан (Стон Уол был переименован в Адзума-кан, а еще существовал Рюдзё-кан)], который не так давно принадлежал американскому флоту южан и носил название «Stone Wall». これは明治の初めに日本の政府が保有していた軍艦についての記述である。彼はこの本の中に私の原稿の日本人気質に関するものを引用して紹介してくれた。私の本が出る見込みがない以上、幻の引用に終わりそうである。ちなみに同氏には、「北海道函館のロシア人――余白のメモРусские в Хакодате, или заметки на полях」(極東大学出版部、2008年、ウラジオストーク)、「ロシア的長崎――稲佐での最後の停泊Русский Нагасаки или последний причал в Инасе」(極東大学出版部、2009年、ウラジオストーク)、「ロシア的日本 Русская Япония」(Вече, 2010, Москва)他の著書があり、日本のロシア人も含めて外国のロシア人が研究テーマのようである。ホームページは、http://khisamutdinov.ru/forum/などであり、ご興味ある方はどうぞ。
設問)「悪い方のじゅうたんの色は何色だったか?」をロシア語にせよ。

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2011年10月21日

●和文解釈入門 第154回

ロシア語の文法では体の用法など日本語の文法と発想が違う、つまり我々日本人にとって理解しにくいものを徹底的に覚えるのが重要である。語彙についても同様で、類語の違いを覚えるのは当然だが、その他の、例えば、動詞でも接頭辞за-のつく動詞群は意味上で9つに分類されるとあるが、その中で直接補語(目的語)に場所を取り、その表面をもの(造格)で占めるという動詞群がある。Мастер замазал щели в окне замазкой.(親方は窓の隙間を塗りつぶした)などとなるから補語の取り方が日本語とはだいぶ違う。同じグループのзаваритьも溶接するという基本的な意味のほかに、溶接で塞ぐ、つまり補修溶接するという意味である。この動詞群にはзабить, забросить, забрызгать, завалить, заварить, завесить, завязать, заклеить, закрасить, закопать, закрыть, залить, замазать, заполнить, заправить, засадить, заселить, засеять, заставить, застроить, засыпать, зашить, заштукатуритьがある。
設問)「これは飛行の115秒に起こる」をロシア語にせよ。

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2011年10月22日

●和文解釈入門 第155回

前々回で紹介したヒサムヂーノフ氏の著書はナウカ、日ソ図書、Ozonで発注可能である。ご興味のある方はどうぞ。
和文露訳をするときには体の用法のほかに類語の使い分けが必要なことは何度か述べた。同じ類語の使い分けと言っても、理由を示す前置詞(句)の使い方を覚えるというのは、今風のゲーム感覚で言うと自分の武器が増えるのと同じである。これまでは名詞とともにその語結合を丸暗記とせざるを得なかったが、それでは芸がない。シノニムの辞典に沿ってその使い分けについて書いて見よう。из + 生格は制御可能な感情や意識的行動を示す名詞と共に使われる。「同情から、思いやりで」という意味でиз сочувствия, из состраданияなどという。一方от + 生格は感情の制御が不可能な名詞が後に来て、жёлтые от никотина пальцы(ニコチンで黄色く染まった指)などという。これはпроисходить от + 生格という由来を示す用法とも関係あるのかもしれない。жалость「憐み」はиз (от) жалостиとどちらでも使えるが、この名詞自身、感情が制御可能とも不可能とも言えないからだろう。これに似ているのがс + 生格だが、一時的にコントロールできなくなるとか衝動的な原因というニュアンスがある。с похмелья(二日酔いで)、с голоду(飢えて)、с непривычки(不慣れなせいで)、с испугу(びっくりして)などである。из-за + 生格は知っている人も多いだろうが、好ましくないこと、想定外のこと、それと目的を示す名詞が来る。Я всю жизнь работал из-за денег.(一生金のために働いた)という場合、このиз-за денег(金のために)というのは金を悪いものと考えているというよりは、この場合目的と理解するのである。по + 与格は動作や状態が内的な原因であるもので、по ошибке(間違って)とかпо случайности(偶然に)とかПо слабости здоровья он не смог служить в армии.(虚弱だったせいで彼は軍隊勤務が出来なかった)がなどである。за + 造格は原因に拒否や欠乏が来る。за ненадобностью(不必要なので)、за неимением лучшего(ましなものがなかったので、もっといいものがなかったので)などである。благодаря + 与格も知っている人が多いと思うが、元の動詞の意味が反映していて肯定的な原因を意味するが、最近のマスコミの記事などを見るとよくない原因にも使われだしているが、外国人である我々が真似をする必要はないと思う。по причине + 生格は特にニュアンスなく一般的な原因に使われるが、ぬらりひょんのような感じでつかまえどころがない。そのため官庁用語でよく見かける。日本人がこれを使って文を作ってロシア人に見せると大概他の前置詞(句)に直される。多分ニュアンスに乏しいから嫌われるのだろう。それとレーマ(テーマとレーマの項参照。新しい情報を示す)に使われるので、それを理解していないと使いこなせないのかもしれない。вследствие + 生格は客観的な原因を示すために、人間の動機には使われない。それと原因が先に来て結果が後に来るという時間的順序を厳守する表現である。в результате + 生格は原因と結果に密接な関係があり、総括的、本質的な原因に用いられる。ввиду + 生格は人間の意思には無関係の非常に重要な決定に関し用いられる。в силу + 生格は不可避というニュアンスがあり、具体的な原因ではなく、徴候などを意味する。
設問)「否定も肯定もせず彼は聞き返した」をロシア語にせよ。

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2011年10月23日

●和文解釈入門 第156回

和文露訳で使える表現の続きで、よく使われる「~のために」という前置詞(句)の類語の使い分けについても類語辞典の解説に添って書いてみる。для + 生格が一般的だが、意識的行動、直接的結果というニュアンスなのでそれを覚えておくとよい。ради + 生格は「他の人のため」というニュアンスが強く、低俗なものには使わず、また直接的なものという感じではない。на + 対格は仕事(работать, работа)と強く結びつき、意識的であり、報酬というニュアンスがある。そのため技術関係でよく見る。за + 対格は「戦う」воевать, сражатьсяやотдать жизнь(命をささげる)という動詞と結びつきやすく、радиと意味が近いが、直接的というニュアンスがある。во имя + 生格はこれもрадиと意味が近いが、自らを犠牲にしてというニュアンスが強く、用いられる対象はグローバルなものであって、во имя будущего поколения (родины)〔未来の世代(祖国)のために〕などであり、総括的なニュアンスがある。そのためво имя человечества(人類のために)の代わりにдляを使うと非常におかしい感じがすることになる。на благо + 生格やво благо + 生格は客観的に利益があるというニュアンスである。さらに加えてво благоは遠い将来の見通しというニュアンスもある。в пользу + 生格は個人(集団、企業、国など)の金銭(物質)的利益のためにというニュアンスで使われる。得られる利益は直接的なもので低俗なものではない。
設問)「彼の設備の(設備を運転する)テクニックはまだまだだ」をロシア語にせよ。

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2011年10月24日

●和文解釈入門 第157回

最近「物言わぬ者たちの言葉(20世紀のロシア農民の日常生活)Речи немых, повседенвная жизнь русского крестьянства в XX веке, Бердинских, ЛоманосовЪ, 2011」という本を読んだ。20世紀初頭からコルホーズ、第二次大戦を生き抜いた農民たちの生活の聞き書きである。食べるものがなくなりツクシпестикиを食べたとか、コルホーズでは給料が支払われず労働日を記入してわずかの現物支給を受けるだけだったとか、国内パスポート(国外パスポートなど論外)も与えられず、移動の自由もなかったことがよく分かる。語り口は非常に平明、且穏やかであり、それだけにその苦難は胸を打つ。この平易な口語の文章はロシア語の初級クラスの読解にはとても良い教材だと思う。Мать работала в колхозе, утором уходила и вечером приходила. Конечно, к матери прибежим когда на поле, поможем.(母はコルホーズで働いた。朝出かけ夜戻ってきた。もちろん(母が)畑にいる時は母のところに駆け寄って、助けたものだ)このような短い文章でも最初には経過、その後繰り返しの意味の不完了体が来て、最後の文は完了体未来形の例示的用法(時制の転用)であり、一見難しそうだが、会話ではよく見られる構文であり、最初に説明を受ければ初級者でも会話で使える構文である。他に、Пришёл, а мать уже на печи сидит.(帰ると、母はもうペチカに座っていた)のсидитは歴史的現在で、これなども口語ではよく使うから初級でも教えておいた方がよいと思うが、初級の参考書に歴史的現在を扱ったものはないし、中級以降のものでもそれほど詳しいわけではない。まるで日本語にもある用法だからそれに準じればよいとでも言っているようである。決してそういうものではない。歴史的現在からアオリスト(完了体過去形)への置き換えなどは初級で教えるべきである。これだって考えようでは、体のペアが同義であることを前提にするなら体のペアと言えないことはない。
 ロシア語という事を別にすれば、この系統では「囁きと密告」(上下2巻)、オーランド・ファイジズ、染谷徹訳、白水社、2011年も必読である。モスクワ、ぺテルブルグ、ペルミのメモリアル協会の協力を得て1000人以上についてオーラル・ヒストリーの手法を用いて聴取しまとめあげたものである。ソビエト政権に再三再四迫害を受けたのにもかかわらず、愛国者であり続けることに自分のアイディンティティーを見出した人が多いのは驚きでもあり、悲劇でもある。
設問)「彼は二つの仕事を掛け持ちしていた」をロシア語にせよ。

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2011年10月25日

●和文解釈入門 第158回

動作を否定するときには一般には不完了体が用いられる。これを「不完了体ライン説(路線・線路説とは言いにくいので再度改めて)」で考えてみると、不完了体はその動詞の語義だけが際立つ一つのラインだと考えると、その動詞の動作を否定するということは、その動作の持つさまざまなニュアンスというような枝葉ではなく、その動詞の本質的な語義の否定することになるわけだから不完了体を使うのだと考えるわけである。完了体というのはどこでも行ける車道や歩道、田舎道のようなもので、動作そのもののほかに可能性などいろいろなニュアンスがついて回る。ところがこういうニュアンスのつかないライン(その動詞の持つ本質的語義)だけというような単なる動作の否定となれば、不完了体を取らざるを得なくなるわけである。だから完了体の動詞を否定すれば不可能という意味が出てくることになる。
無接頭辞単純動詞(гулять, жить, играть, пить, читатьなど)は、綴りの構造の単純さからみて言葉の起源では一番古いと言えるだろうし、不完了体だけのような気がする。原始人も古代の人も新しいことをするというのは、前例のないことだけに危険を意味するから、相手に対して「~しろ」という命令形は、実用的な必要性や、この状況下ではこうするのが当然だからこうせよということから始まったのではないだろうか。古代においては会話をする範囲はきわめて狭く、みな知り合いだから、することについては暗黙の内に了解していて、必要なのは始めよという合図だけだったのではないだろうか。そうなると不完了体命令法の着手の用法も、用法的には最も古いような気がする。だから初めは不完了体しかなく(また体の意識もなかったであろう)、その後、これにいろいろなニュアンスをつけるために完了体というような概念に発展したのではないかと推測する。
ハム(アマチュア無線愛好家)のことをкоротковолновикというが、ロシアのハムは短波しか扱えないのではなく、もともと世界中でハムが認められたときに当時ほとんど使われていなかった短波をハムに割り当てたため、ロシアでもこの名称が残った次第である。
勝者と敗者というのもロシア語では発想が違う。победители(負かした者)とпобеждённые(負かされた者)という。釣りの餌はнаживка, нажива, насадкаが使える。наживкаは稀に獣を取る時のえさに使われる。なおживецは生き餌のことである。棚はполкаで、一枚の板が普通である。これがэтажеркаとなると、陳列棚のように中に棚がいくつかついているラックである。開放型の戸棚はстеллажといい、戸棚はшкафである。
設問)「趣味と実益を兼ねるのは素晴らしい」をロシア語にせよ。

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2011年10月26日

●和文解釈入門 第159回

前の回の設問で用いた故事成句を個人的に和露の形式で1500ぐらい、諺は1000ぐらいすでに粗原稿の形で手元にあり、これに少し手を入れて(量はかなり減らす必要がある)いつでも出版可能だが、これも需要と供給の関係もあって出そうもない。部数500部くらいでこういう出版に興味のある個々人が少額投資(一口2000円とか)というか個人投資でもしてくれれば、先に書いた「ロシア人の疑問」も併せて可能性がないこともない。そのうち電子書籍が普及してきてそれに入れてもらえればと思ったりもするが、夢のまた夢である。この他にもロシア語基本熟語500の続編とか、「ロシア奇譚」、「ロシア語類語の使い分け集」などアイデアだけではなく、原稿そのものがほぼできているものもある。こういうものが和文露訳用に実用面で非常に役立つとは思うが、現状を見る限り出版の実現は難しかろう。
日本語でも消毒と殺菌の違いについてはよく知らなかったので、自分なりに調べた。殺菌は菌を殺すことだが対象や程度を含まない概念で1割の菌を殺しても殺菌である。消毒はその対象物を害のない程度まで減らすことをいう。そのため厳密には滅菌(無菌性保証レベル、つまり微生物の生存確率100万分の1以下にすること)とか、除菌(対象物から菌を除いて減らすこと、これも対象物や程度を含まない概念)、抗菌(菌の増殖を阻止すること、これも対象物や程度を含まない概念)が使われる。ロシア語のстерилизацияは高温、科学物質や濾過により100%対象物を滅ぼすことであり、滅菌と訳した方がよいかもしれない。дезинфекцияは100%ではないので殺菌とか消毒という訳になるのだろう。無論これは厳密に言えばであり、日常的にはどちらも消毒、殺菌と訳して問題はなさそうだ。
высокая температураもповышенная температураも高温と訳してしまうが、意味するところは少し違う。摂氏1800度は高温だが、鋼の溶解温度は1480度(炭素鋼の場合)だから、その場合はповышенная температураとなる。повышенныйというのは何かの基準があって、それよりも高いということである。низкийとпониженныйにも同じことが言える。
 検討はрассмотрениеだがразбор полётаのразборは(宇宙)飛行の検討会となり、検討会のようなものである。汗をかくというのはпотетьだが、「壁が汗をかいている」というのは、стены дают сыростьという。
設問)「みなさん何人でいらっしゃったのですか?」をロシア語にせよ。

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2011年10月27日

●和文解釈入門 第160回

完了体の動詞は動作の完了を示し、不完了体はそれ以外という風に理解しているロシア語の学習者は非常に多いわけで、「すわりなさい」をロシア語にするとСадитесь!と不完了体命令形が来ることに戸惑いを覚える人も多いはずだ。「すわりなさい」だって動作の完了を要求していることに変わりはない。Я улетаю в Киев завтра.(明日キエフに飛行機で発ちます)だって、動作は完了を示しているが不完了体を用いている。これらはいずれも不完了体なのに完了を示しているが、用法の例外ということにして丸暗記してしまえということになってしまう。動詞の体を意識すると、こういういわゆる例外とやらは非常に多いことにすぐ気がつくだろう。その上まともなロシア語の会話をしようとすると、いやでもなんらかの動詞を使わねばならず、使う以上は完了体か不完了体かどちらかを選ばなければならないのは理の当然だ。エイヤといい加減に決めてしまっても正解の確率は50%であるが、毎回毎回この調子ではロシア語で話すという気力も失せる。
そこで正しい体の用法を理解する必要があるのだが、一般向けの参考書においてこれまでは、完了体は新規の事柄(有標性маркированность)について用い、不完了体はそうではない事柄(無標性немаркированность)や、そこから発生する繰り返し(習慣)に用いるとしている。しかし通訳やガイドで実際に和文露訳をする場面では、時制によって、法(命令法や不定法)によって、また動詞群によって体の使い分けをせざるを得ず、体の使い分けが非常に分かりにくい。このコーナーを立ち上げた理由については、このような分かりにくいとされる体の用法について、ロシア語の会話をする上で何か実用的ですぐに役立つものを指針という形でまとめたいという気持ちがあったからである。
その他にも、やはり不人気なロシア語を何とかしたいという気持ちもある。北方領土の問題もあり、ロシア自体が不人気であるのと、勉強を始めても、格変化や動詞の活用で挫折してしまってそれ以上には進まず、ロシア人との会話が出来ないからやる気も起きないという事が大きいと思う。それで新たにロシア語を学ぼうという人よりも、これまでロシア語をやったが挫折した人というのが圧倒的に多いはずである。引退して趣味にロシア語をと考える人もいないわけではあるまい。そういう人にまた初めからабвでもあるまいし、知的興味という点から考えると、一見分かりにく体の用法だって、推理小説のように学んでいけば、翻訳では味わえないロシア人の著者のその文に込めたニュアンスというものが分かるはずである。こういうロシア語の都市鉱山というか潜在的鉱脈的な人たちのほかに、露文解釈はかなりできるが、会話が不得手だという人に的を絞って、このコーナーでそういう人たちにセカンドチャンスを与えようとトライしているのである。一人でも多くの人がロシア語のもついろいろな魅力に目覚めてほしいと思う。
設問)「さっさと(部屋に行って)勉強しなさいね」という子供へのお母さんの言葉をロシア語にせよ。

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2011年10月28日

●和文解釈入門 第161回

露文解釈で体の用法が正しく理解できても、和文露訳で正しく体の運用が出来なければ体の用法をマスターしたとはいえないし、ロシア人との会話などの実践面では役に立たない。言葉は生きものだから、使えなければ意味がない。このコーナーではロシア語の会話という実践面での体の用法をマスターするのための一つとして、第150回の表や類語などの工夫をしている。体の用法を覚えるために、毎日最低1~2時間この表や私の勧める参考書に基づいて真剣にロシア語の勉強するつもりがあるなら、一からロシア語を学ぶ人でも5年ぐらいで今の私のレベル(技術関係やアネクドートなどの私個人の興味の対象を除けば)に達することができるし、中級クラスの人(ガイド試験を受けるくらいの実力のあるぐらいの人という意味)なら2~3年でそのレベルになると思う。体の用法のキーポイントは過去時制のアオリストと未来時制の例示的用法である。結果の現存や同じアオリストでも動詞の続く順次的用法というのは説明を読むだけで分かりやすいが、動詞が一つだけのアオリストや例示的用法をマスターすれば、後はそれほど難しいものではない。会話で和文露訳をする際に体の用法で困らなくなれば、後は自分にとって必要な語彙(類語を含めて)を覚えるだけとなる。
このコーナーの設問の日本語文は、ロシア語を知らない人が見ても分かるように、一見非常に簡単なものである。それゆえ傍から見ればこういうのが簡単にロシア語にできないはずはないと思われるかもしれない。しかし簡単なものほどロシア語にしにくいものなのである。体の用法を完全に理解していないと、偶然その言い回しを覚えていない限り、まず露訳はできないと思う。「サクラが咲いている」とか「バラは赤い」というような単語だけ覚えていれば、楽々語彙を入れ替えることができるというような文とはわけが違うのである。それに本コーナーの設問は応用が利くように工夫しているつもりなので、仕組みが分かり、ある程度語彙力がつけばかなりの数の文章が一瞬で露訳できるはずである。そうなればプロの通訳やガイドとして通用できるようになる。
設問)「御社の出張の日当はどのくらいですか?」をロシア語にせよ。

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2011年10月29日

●和文解釈入門 第162回

前の回で体の用法の中ではアオリストが難しいと書いた。同じアオリストでも過去の時制で動詞が二つ以上次々と出てくる順次的用法は分かりやすいし、その逆に厳密に言えば不完了体過去形の事実の名指しであるアオリスト的用法の中には分かりにくいものもある。この日本人には分かりにくいという体の用法の用例を見つけたので紹介する。ラスードヴァ先生が著書「ロシア語動詞 体の用法」の中でロシア語を学習する多くの外国人にとっての躓きの石として А. А. Спагисの論文「非ロシア人を含むクラスにおける動詞の体の実際的学習について」において、外国人学生が犯す次のような体の用法の誤りを引用している。共に完了体過去形が正しいとしている。
× Товарищ добивался больших успехов.(友人は大成功をおさめた)
× А. С. Пушкин правдиво изображал образ Пугачёва.(プーシュキンはプガチョーフのイメージを真に迫って描いた)
 不完了体を用いた外国人学生は、「ここでは持続的で、時間的に引き延ばされた動作が問題になっているからだ」と答えたという。ロシア人は母国語としてロシア語を習得しているので、例えば日本人がこれらの二つの文で不完了体の動詞を使ったとしても、なぜだめなのかロシア人は説明できないだろう。こうは言わないの一点張りかもしれない、そこで自分なりに解釈すると、最初の文では、достигатьと違い、добиватьсяは過程の意味でも使えるが、そういう文脈(過程を示す副詞、後に動詞の不定形を取るとか、意味として「困難を排してだれかと話をしようとする」という場合)が必要である。Рабочие бастовали уже третью неделю. Они добивались повышения зарплаты.(労働者たちはもうストをして3週間目だ。かれらは賃上げを目指していた)などである。露露辞典を見ると完了体しか来ない例として、добиться признания(苦労して人に知られるようになる), добиться известности(苦労して知られるようになる)を挙げ、不完了体も来る例としてдобиваться успехов в работе (спорте)〔仕事(スポーツ)で努力して成功する〕を挙げているが、不完了体のは反復・習慣の用法だろう。上記の例文のように過去の具体的な行為(友人が大成功した)という文脈では、反復や習慣はありえないから、結果の現存とかアオリストと理解するのが普通で、いずれにせよ完了体過去形が来る。2番目の文は「作品を書いた」と同じ発想で、その作品が残っている、つまり結果の現存と考えて完了体過去形を取る。こういう体の用法は日本人が自然に分かるものではない。理屈をきちんと学ぶ必要があり、そうでないとこのような文ではどちらの体を使わねばならないのか永久に分からないことになる。
設問)「また食べる前に手を洗っていないわね」をロシア語にせよ。これもお母さんが子供に対して小言を言っているという文脈でとらえてほしい。

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2011年10月30日

●和文解釈入門 第163回

最近2冊よい会話集を買った。一つはРечевой этикет и обороты диалогической речи , П. С. Тумаркин Восток – Запад, 2008で、もう一つは「男と女のロシア語会話術」(マフニョワ・ダリア、TLS出版社、2010年)である。トゥマールキンさんは1985年頃鉄鋼関係のシンポジウムの通訳で何度かモスクワで会ったことがある。岩波露和にも編者の一人として名が出ている名通訳であり、名翻訳者でもあり、日本人の仕草についての著書もある。この会話集は会話のための表現だけをいろいろ集めており、他の会話集にはない警告・おどし、喧嘩、非常事態があるのが特徴である。ただそれに目を奪われることなく、全体を見てみると著者の日本語の理解の深さがよく見てとれる。対話形式を入れてくれるともっとよかったと思う。マフニョワさんのは、逆に対話形式であり、副題に「学校では教えてくれない」とか「オトナのための」とあるように、セックスについても避けることもなく、現代の大人の常識がまじめな筆致で書かれており、コラムも含めて好感が持てる。会話集ではないが、「ロシア語手紙の書き方」(新田實・アキーシナ、ナウカ、1979年)も男女の恋愛をテーマに手紙の交換という形式だが、時代は変わったという事がよく分かる。マフニョワさんの会話集は暗記すると即戦力になる。ダイエットでも具体的な目標、たとえばこの服が着られるようにやせるのだとかがあれば、成功する確率は非常に高くなる。だから異性のロシア人と親しくなるという目標を立てれば暗記にも熱が入ろうというものである。それとマフニョワさんの本には紙面の関係と学習者のレベルを考えて、ごくわすかとは言え普通の会話集では書かないような文法事項も少し載せている。完了体と不完了体については、「ロシア語の動詞は、多くは完了体と不完了体のペアで成り立っています。完了体とは1回限りの動作や、その開始と終了がはっきりと意識できる場合です。不完了体とは、進行・継続・反復する動作、もしくはその動作そのものなどを示す場合です」とあり、初級のロシア語の文法書の体の説明よりもはるかに簡にして要を得た説明だと思う。ただこれで和文露訳の役に立つかというと抽象的過ぎて分からないだろう。ただ体の用法を意識して本書の例文を見れば、なかなか勉強になる。普通はなかなか勉強できないна тыでの用例に慣れるとか、можно + 文で許可を示す口語的用法〔例えばМожно я буду капризничать?(甘えてもいい?)〕や、「もしよければ」をесли можноではなく、если ты не противを使うとか、「色が白いね」とか「足が長いね」というのは単にУ тебя кожа белая.やУ тебя ноги длинные.ではなく、誉め言葉なのだからУ тебя красивая белая кожа.やУ тебя красивые длинные ноги.となるというのもためになる。口げんかの項目にНе бей меня!(殴らないで)というのがあるのにはさすがに実用的だと思った次第。本の背表紙に目がハートのミーシュカが描かれているのだが、初めは一つ目小僧が6人いるのかと思っていた。ただ両書とも会話集のため表現の丸暗記を前提としており、ロシア語の表現には丸暗記しなければならないものもあるとはいえ、厳密的な意味で構文が応用できるようには書かれていないのはやむを得ないとは思う。
設問)友達の部屋に入る時などの「お邪魔?」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 07:19 | Comments [5]

2011年10月31日

●和文解釈入門 第164回

私はこのコーナーの設問をほぼ正しく回答できる自信がある。自分が作ったものだから当たり前だが、第150回の表を見ることもない。たまに体の用法で疑問が湧けばその関係の参考書をみることがあるぐらいだ。40年ロシア人と付き合い、ロシア語をやっているから、設問に似た表現は目にしたり、耳にしたりしているので似たようなロシア語ないしは構文がイメージとしてすぐ浮かぶのである。確認のため自分作った語彙集や参考書を見ることはある。だけどここに至るまでに40年かかっているから当然と言えば当然の話である。ロシア語の体の用法をマスターするためにこのような長い年月が学習者に必要だろうか?10年だって多いだろう。私はモスクワに10年、カザフのアルマトゥイに2年駐在し、駐在していない時も年の1/3はソ連やロシアに出張していた。このようにロシア人と仕事で長く頻繁に接することのできる人は稀だろうし、仕事以外でロシア人と定期的に会話やメールをできる環境にある人も多くはあるまい。だからこの表が学習者にとって体の用法をマスターするきっかけになればと願っている。常に体の用法を意識していれば、いつか分かったという瞬間が来る。悟りを開いたようなものだ。初めはその悟りは偽りのもので、後で使うときに迷うというかうまく自分の中で説明がつかないことが多い。このコーナーの設問で試してみれば本当に分かったかどうかがすぐ分かる。集中する期間にもよるが1~2年で体の用法の実践的な面での悟りは開けるものだと思う。悟りが本物かどうかは、つまり体の奥義を会得したかどうかはロシア語の本、それも会話の多い現代小説(隠語や俗語の少ないものがよい)、ドキュメンタリー、エッセーなどアトランダムに1~2ページほど精読してみて、全ての動詞の体の用法の説明が自分なりにつき、日本語の新聞や小説も同様に1~2ページを読んで、その動詞をロシア語にするとき具体的な動詞は浮かばなくとも、どちらの体を使うか、どの時制や法(命令法や不定法など)で訳すべきかがわかったと思う時点である。そうなれば免許皆伝ということになる。仮にぬか喜びであっても、誰に迷惑をかけるわけでもないし、よい趣味というか生きがいにはなるはずだ。ロシア語でも日本語でも小説や会話、映画などの別の楽しみ方ができること請け合いである。
 いきなり免許皆伝というのはどうもと考えるのが普通だろうから、体の用法では日本語の感覚と随分違うなという用法、例えば結果の現存、アオリスト、アオリスト的用法、例示的用法、歴史的現在などが分かったと思ったら黒帯とする。だから、完了には完了体を使うとか、繰り返しや真理、過程に不完了体を使うというようなすぐに体の用法として理解できるものは黒帯の対象にはならないことになる。この黒帯かどうかを認定するのは私ではない。学習者自身ということになる。自分のロシア語の実力を一番よく知り、己に対して一番厳しいのは自分自身だからだ。黒帯だとか奥義を究めるだとか硬く考えなくともゲーム感覚で各用法をクリアしていくと考えるのが現代的かもしれない。
設問)「犬は飼い主に甘えている」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 06:50 | Comments [4]