2011年10月12日
●和文解釈入門 第145回
体の用法の違いを簡単に述べるならば、一般向けの参考書においては、完了体は新規の事柄(有標性маркированность)について用い、不完了体はそうではない事柄(無標性немаркированность)や、そこから発生する繰り返し(習慣)に用いるとある。しかし通訳やガイドで実際に和文露訳をする場面では、時制によって、また動詞群によって体の使い分けをせざるを得ず、体の使い分けが非常に分かりにくい。自分の経験から言うと、実践面では体の使い分けを、完了体中心ではなく、不完了体を中心に据えてみてはどうだろう。つまり不完了体を線路(レール)の上を走る(止まらない)電車だと考えるのである。電車はレールから外れないことになっているから、真理について不完了体現在形を使うというのも真理という線路の上を走るからだし、繰り返しは、線路の上を往復するからであり、過程(進行形)は今まさに線路の上を走っていることを意味しているということになる。そこから、線路を外れずに行動するのが当たり前という空気を読む、いわば回りの雰囲気に合わせて動作するという着手の意味も出てくる。また線路がある以上、これから先にも線路が敷設されているのだから、そのまま線路の上を走り続けると言う意味で確実な予定という意味も生まれてくる。予定があればそれを守ろうとするわけで、時間厳守という観念から切迫感や線路から外れてはいけないということで義務の観念も派生してくるはずだ。義務の観念があれば、不完了体を否定するときに、義務の否定で、禁止という観念が出てくるのは論理的である。また線路があるという考えを否定するわけだから不要性という考え方も出てくるのではないだろうか。線路だけ(あるいは線路の上の電車だけ)を考えに入れるので、つまり駅などを考えに入れないので、過去の動作は通過した線路のどこか後の方ににある(行われた)わけであり、その場所が具体的にどこか分からないわけだから、それが動作の名指しということになる。
完了体について言えば、線路から脱線するとか、線路を抜きにして動作を考えるということになり、線路がないのだから動作の可能性は広がるわけで、そこから可能性(否定すれば不可能)が出てくるし、可能性というのは「何かあったら~する」ということだから例示的用法となる。線路がないのなら(あるいは駅を想定に入れてよいのなら、立ち止まってよいのなら)、具体的に動作の起こった場所を特定できるわけで、それがアオリストとなる。線路があってもなくても、立ち止まって状況確認したとすればそれが結果の現存につながる。これが今の段階での私の「不完了体線路説(レール説改め)」であり、今後これを発展させることができるかもしれない。ともかく実践的な体の使い分けを考える上で一つのアプローチではないかと思う次第。
設問)「まあ、すみません。お手紙を読むつもりはなかったのです。ついうっかり開けてしまいました」をロシア語にせよ。
(1) Ах, простите меня.
Я вскрыл конверт
нечаянно. Поверьте,
пожалуйста, я совсем
не намеревался
читать ваше письмо.
(2) А, извините меня.
Ни в коем случае, я не
имел намерение
читать ваше письмо.
Только нечаянно
я вскрыл конверт.
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正解ですが、会話ではнамереватьсяとかиметь намерениеというような書き言葉は使わないと思います。使ったとしてもビジネスや外交など重要な局面で使うのが普通です。またご承知のようにвскрытьは封をしたもの(糊づけ、テープなどで)を開けるのですから、これをうっかりというのには使えないような気がします。すでに開封された手紙(たたまれていた)を、開いて見たというのだと思います。私の回答は、О, простите, я не собирался читать ваше письмо, я открыл его чисто автоматически.
「不完了体レール説」の開発ですか!いつも四苦八苦の「ロシア語の体の用法」,今後はレール説に基づいて説明していただければ具体的で学びやすくなりそうですね。
Простите, я не стала читать письмо.
Только нечаянно открыла его.
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не стать + 不定形というのは意志の欠如を示すという意味ですが、完了体過去形を使っています。普通に考えれば結果の現存ですから、「もうしないわ」という意味になります。設問はそのときは~するつもりはなかった」ということですから、別の動詞を使ったほうがよいと思います。いい機会なので初学者のために、これに似た用法を書いておきます。
Она не начала работать.
Она не стала работать.
前者は「彼女は仕事を始めなかった〔後で始める〕で、後者は「彼女は仕事をしようともしなかった〔仕事の中止〕という違いがあります。これらは文脈にもよりますが、アオリストというよりは結果の現存と取るのが普通です。
не стать は意志の否定なので単純に使えるかと思ってしまいました。たしかに,結果の現存ということは「読むつもりはないですよ」ということになりますね。