2009年12月30日

●新帯研 第88回

モスクワのソコーリニキ公園Сокольникиにバラ園розарийがある。家族連れでよく行った。ここに限らずモスクワには日本で言う森林公園лесопаркが市内にいくつかある。ロシア人は北国ゆえか花が大好きである。プレゼントをどうするか選ぶのがいやならバラを買えばよい。冬でも花屋は盛況であるし、3月8日の国際婦人デー、取引先の(特に担当の女性秘書の)誕生日には花とチョコ菓子がつきものである。チョコの包装紙も昔からのものも多いので、一時コレクションをしていたことがある。おかげで太った。食べなくてもいいはずだが、元来のケチゆえもったいないと思うからかそういうことになる。おかげさまで、ダイエットが成功して今日(2009年12月30日)現在で71.95kgと2009年元旦の83kgより予定通り11キロ減った。後はこれを何とか維持するのみ。
- Что такое «реактивный муж»?
- Ту – 104, а жену 1 раз.
設問)和訳して、オチを説明せよ。

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2009年12月28日

●新帯研 第87回

ロシア人も鰻を食べる。ロシアではウナギの缶詰まで売っている。買って食べてみた。ウナギを丸ごとぶつ切りにしてゆでてある。あのおいしいウナギがどうしてこんなにまずいのか本当にびっくりした。缶詰にも好みがあろうが、ロシアの缶詰にはどうしても好きになれないものがある。ナマズのトマト煮とかワカメ(昆布)のサラダなどである。逆にとてもおいしいのはシュプロートゥイшпроты в масле でニシンやイワシの小魚の油漬け。これは前菜によく出てくるがあっさりしていて非常においしい。安いのでお土産によいのはタラ肝печень трескиで見た目は悪いが、20年程前日本へのお土産としてアンキモに似ているとして評判だった。アンキモを1度しか食べたことのない身としては批評できない。食べるときは、まな板において、まな板を30度ぐらい傾けて油をぬく。日本の缶詰だってまずいものはある。それは小さい時に食べたメロンの缶詰でタバコのピースの匂いがしたのを覚えている。
1988年ごろだからペレストロイカ全盛のころであろう。モスクワで初めてロシアのストリップстриптиз(ストリッパーはстриптизерша)を見た。ロシア人のお客さんの招待だったと思う。20代後半の女性で、音楽もなく胸を出しただけだったので拍子抜けをした記憶がある。それが最近ではアメリカ流のポールを使ったストリップが主体で、ストリップの学校まであり、男性ストリップも人気があるという。なにもアメリカの真似をせずともロシアらしいストリップを考案すればよいのにと思う。エカチェリンブルグなどでは2003年ごろだが、上品なストリップでストリップ嬢がお酌してくれたりしていた。ただ話題が貧弱でどっちがお客か分からない感じだったが、連れの接待相手(日本の大企業の課長さん)は大満足の様子であった。今回の課題は少し長いがこのぐらい和訳する練習もたまにはよいかもしれない。
Дочка Нового русского собирается выйти замуж. Новый русский ее спрашивает:
- А кто твой жених-то?
- Да Вася из соседнего района, слесарь.
- Мдаа, ну зови своего жениха, потолкуем.
Приходит в гости к Новому русскому Вася. Тот его спрашивает:
- Слушай, я слышал, вы с Ленкой пожениться собрались. Ну так вот, она у меня девочка особенная. Привыкла жить от души - ну там шмотки всяческие, Карден-марден, понимаешь. Ну где-то штук 50 зелени в год выходит. Ты как, потянешь?
- Думаю, Бог мне поможет.
- Ну ладно. Но вот у нее там Мерс стоит, ну не то чтобы сильно навороченный. Думаю, через полгодика ей надо будет Ягуар подобрать такой чтоб нехилый. Как ты, сможешь?
- Думаю, Бог поможет.
- Мдаа. Ну а еще Ленка брюлики-шмулики любит, жуть. Там где-то штук 150 в год вылезет. Потянешь такое?
- Бог мне поможет.
Вася уходит, а Новый русский зовет дочь и говорит:
- Ну, что тебе сказать? Женишок твой, конечно, лох лохом. Но меня так прет, КАК он меня называет.
設問)和訳せよ。

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2009年12月15日

●新帯研 第86回

剣豪小説を読んだり、空手をテーマにした映画を見ていると、秘技というのが出てくる。こういうのは大半絵空事なのだろうが、一度だけ秘技を見たことがある。和道流の空手を大学時代やっていたが、夏の合宿で、大塚師範(和道流開祖大塚博紀師範の御子息で当時は次郎師範)が空手の受け身を教えてくださっていた。師範は見た感じ空手の師範というよりは英国紳士のように見えた。空手の受け身というのは珍しいが、合宿の後半ということもあり、またハエがしつこくブンブンと飛び回っていて今一つ師範の話に身が入らなかった。師範は特にハエに気がつかないようだったが、受身の説明のときに軽く足刀(足のかかとに近い側面で蹴る技)をふわっと繰り出された。非常にゆっくりに見えたが、なんとハエが板の間に転がり落ちた。まるでハエが足に吸い込まれたように見えた。全体に師範の組み手はゆっくりとされていたが、先輩の2段クラスでも子供扱いだった。結局私の空手はものにならなかったが、このことだけは30年以上も前だったが鮮明に覚えている。
- Гражданин, за вами рубль!
- Где?
- Я говорю, что вы должны мне рубль!
- Ах, да! Так возьмите то, что за мной.
設問)和訳して、オチを説明せよ。

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2009年12月11日

●新帯研 第85回

日本語の名詞がロシア語と完全に一致するものではないということは、少しロシア語をやればわかることではあるが、基本的な語彙となると思いこみというのが語の完全な理解を邪魔する場合もある。例えば水はロシア語ではводаというが、「水中にある」という意味でпод водойという表現を見つけたとしよう。英米人ならunder waterという表現もあるので何とも思わないかもしれないが、日本語だと直訳すれば「水の下に」となり、どうしてв водеではいけないのだろうと疑問が起こるはずである。しかし、ここで辞書を引けばいいものを、こういう慣用表現であろうと考えてそれ以上追及するのを止める人がほとんどであろう。この場合вода = поверхность рек, озер, морей и т. п. 、つまり「水面」という意味なのである。それゆえ、держаться на воде, поплыть по воде, падать на воду, скрыться под в одой, уходить под воду, спусть судно на воду(力点はна)というのである。しかし、水面ではなく水の塊を意識するときはвを使う。погружаться в воду, броситься в воду(身投げをする), поставить цветы в водуなどがある。この他にも「水位」という意味もある。пока не спадёт вода日本語でもこれを訳す時に「水が引くまでは」となるから似ている。露和辞典も使いようだし、露露辞典があれば別の用例も出ていてより理解しやすいので、できるだけ大きい露露辞典も手元に置くことを勧める。今回の課題は、
- Когда загорелся дом, я влетел в соседнюю комнату и вынес на руках тёщу!
- Да, Ваня, в таких обстоятельствах легко потерять голову.
設問1)和訳せよ。オチを説明せよ。

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2009年12月07日

●新帯研 第84回

交通手段での移動を示すには交通手段を造格にするかна + 前置格にすると習う。ほぼ同じ意味だが強いて違いを言えば造格では使えない名詞もあるということである。「自動車で行く」をехать на машинеとは言うがехать машинойとは言わない。しかし絶対にそうだろうか?革命前の本を読むと поехать машинойという表現も見かけるが、これは意味が違うことに気づいた。この場合は当時の口語で、поехать по чугунке = поехать по машине となり、現代風に言えばпоехать поездом (=паровозом = по железке = на паровозе)ということで「汽車で行く」という意味だと最近読んだ。ただ革命前の本ではв автомобилеがよく使われている。今回の課題は、
Покупатель продавщице парфюмерного отдела:
- Почемув у вас одеколон «Русский лес» без этикетки?
- А вам не всё равно?
- Это вам всё равно, а мне на стол ставить.
設問)オチが分かるように訳せ。

Posted by SATOH at 12:19 | Comments [2]