2007年04月05日

●帯研(第72回)

ロシア語学習者はかなりできる人でもロシア人といると居心地が悪い。ロシア人はロシア語が完璧だから神様と一緒にいるような感じだからだ。よく考えてみるとロシア語ができるから偉いのではなく、言葉で日本人とロシア人の橋渡しをどれだけ完全にできるかが重要であるということを忘れがちである。ロシア人のロシア語は我々の日本語同様、子供時代の環境によって自然に話せるようになったものであり、大人になってから自分の意思で勉強したものとは違う。ロシア人は正しいロシア語については教えることができるが、どうしてロシア語ができるようになったのかは当たり前だが教えようがない。我々学習者が知りたいのはロシア語上達の具体的な方法(言葉の使い分けも含めて)である。それとロシア人といっても日本人同様全ての分野に通じている人はいない。ロシア人を見て常に自分のロシア語を向上させるための一つの具体的な目標と考え、ロシア語についても謙虚に教えを請うという姿勢は大切ではあるものの、ロシア人の言うことを鵜呑みにするような愚は避けたい。Надо критически подйти к факту.(批判的に事実に対処しなければならない)とレーニンも言っている。初心者はロシア語の勉強というとロシア人につくのがよいと考えがちだが、それは間違いである。苦労してロシア語を習得した日本人に日本語で習うのが習得の早道である。日本人が陥りやすい学習上の誤りなどもよく知っているからである。無論発音やイントネーションはロシア人のほうがよいとはいっても、発音ですら、模範的な発音は聞けるが、どうして日本語の発音からロシア語の発音に近づけられるかは説明できないということもある。一通りロシア語を学習して中級ぐらいになって、ロシア語で質問ができ、回答も聞き取れるという段階なら、言語学の素養のあるロシア人から教えてもらうというのは非常に効果的だと思う。初心者がロシア人に習ってのメリットは、実際のロシア人から習うということでやる気がでてくるぐらいで(これも非常に重要な要素だが)、挨拶ぐらいから先に進むのはかなり難しかろう。今回の課題は簡単な小話から、
Встречаются два приятеля.
- Привет! У меня новость: Коля уехал.
- Что ты! Он уже месяц как сидит.
- А мне он сказал, что уезжает к брату.
- Дело в том, что его брат тоже сидит.
設問1)上から4行目、語法が間違っていると思うなら直せ。
設問2)オチが分かるように訳せ。
設問3)上記のПриветに対応する別れの言葉は何か?

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2007年04月07日

●帯研(第73回)

アオリスト(第26回で取り上げた)などの和訳は難しくない。ただなぜ完了体を使うのかを理解していないと、その和訳を逆に露訳する場合に不完了体を使うという間違いを犯すことになる。特に通訳は聞き取り力と会話力の両方が求められるから、こんなの簡単に和訳できるなと思っても、それを逆に露訳できるかどうか常にチェックするようにしないと上達は望めない。読解力をつけるために露文を読むのは当然だが、会話力を向上させるためにも使えることに気がつかないか、面倒だと思ってロシア語で書かれた本(文学でもエッセイーでも何でもよいが)を読まない人が多いようだ。ロシア語を読んでそこから使える表現(あるいは文脈から考えて適訳だと思ったものを)をデータベースにまとめておくと和文露訳の通訳・翻訳に非常に役に立つ。それと将来ロシア語の通訳や翻訳のプロとなろうと考えている人は、ロシア語の勉強は当然だが、日本語にするときに、少しでも意味や漢字がおかしいと思ったら国語辞典(別に広辞苑でなくとも新明解でよい)を引く癖をつけたほうがよい。またロシア語の駄洒落を日本語の駄洒落にしようとするときも国語辞典が役立つ。ただ駄洒落用なら、類語辞典(大野晋・浜西正人、角川書店、昭和56年)が非常に便利だ。編纂者も駄洒落用に使っているのを聞いたら驚くだろうけど。
設問1)Сидел один человек.の主語один человек をпо одному человекуに代えれば、動詞はどうなるか?
設問2)下記の3つの文のうち正しいもののみ訳せ。
a) Яблоко – с кулак.
b) Яблоки – в кулак.
c) Яблоки – по кулаку.
設問3)Шли дождь и два студента.はロシア語として正しい文か?
設問4)次の文で正しいもののみ訳せ。
Он поставил книги на полку
Он поставил телефон в кабинете.

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2007年04月12日

●帯研(第74回)

ソ連時代商社のソ連室や業務部などのソ連通は、毎日プラウダなどソ連の新聞を細かく読み、細かいニュアンスを読み解くことに熱心だった。熱烈(горячо)の有無で、当局の反応をうかがったものである。今思えばおかしくもある。当時の新聞は政治用語が主で理解はしやすかったが、口語との乖離にはほとんど注意を払わなかったため、われわれ外国人のロシア語学習者が今でも泣きを見るはめになった。
最近の日本におけるロシア関係の著作を読むと情緒的記述が目立つと思うのは私だけだろうか?もっと具体例や事実を積み重ねた上で、こう思うと言わなければロシア側も納得しないだろう。第二次世界大戦末期の満州でのロシア軍の残虐行為(私の父もシベリア抑留組であるし)を言い立てれば、私の経験では、ロシア側はシベリア出兵時の日本軍の残虐行為や南京大虐殺などはどうなのだということになる。事実は事実として伝えることは重要だが、建設的なことも述べる必要があるのではないか。例えば私の父も、ロスケは嫌いで死ぬまでロシアに行くことはなかったが(私がソ連に駐在していたのでチャンスはあった)、シベリアではロシアの女性にはよくしてもらったと言っていた。次の小話は1934年のキーロフ暗殺にからんでのもの。巷ではスターリンが手を下したという噂が今でも根強いが、女房をキーロフに寝取られ嫉妬に狂った男の単独犯行のようである。ただスターリンがこの事件を政敵排除に利用したのも事実である。キーロフもスターリン崇拝者であり、レニングラード市やその周辺の州ではともかく、スターリンのように国政をどうこうするような器量はなかったようである。また下記のベリヤのセリフについては、彼が言ったとは思われないが、ベリヤなら言いかねないということらしい。それが小話の一つの役割でもあろう。
Сталин выступает:
- Товарищи! Вчера убили тов. Кирова...
- Кого убили?
- Кого убили, кого убили... Скажите им, товарищ Берия.
- Кого надо, того и убили.
設問1)和訳せよ。

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2007年04月15日

●帯研(第75回)

1993年にあるアネクドート好きのロシア人女性(28歳)が小話の出版社に書いた手紙の一部を紹介しよう。Пусть сколько угодно говорят о приличиях и чистоте родного языка, но анекдоты «не для печати» - целый пласт нашей культуры и закрывать на это глаза даже смешно.(ロシア語の上品さとか、純粋さについては好きなだけ言ったらいいと思うけど、活字にならないようなアネクドートはわが国の文化の一つの大きな層をなしているのであり、それに目をつむると言うのはお笑い種だわ)。ポルノ小話を帯研で紹介するのはどうかと思われる向きもあるかも知れない。ただポルノかどうかは意味が分かってからの話であり、オチや隠語の意味が分かった上で、ポルノは訳さないのだというのは分かるとは言うものの、通常プロは訳せと言われたら意味が分かる限り仕事なら訳すべきで、仕事の選り好みをするようではプロではない。それはアマである。帯研は男女平等で18歳未満お断りということもない。もっとも、時にはバンドルネームを変えて参加するのは各自の自由だ。今回の課題は露骨とは言えないものを紹介する。この程度でどのこうのいうのであれば、実際にロシア人の男同士(女同士はどうなのか知らないが)で酔いが進んでからの小話を聞いたらどうjなるのだろう?
Соревнования по стрельбе. Первым стреляет немец. Он попросил посадить муху на забор и с десяти метров попал в неё. Англичанин сбил на лету шмеля. Выходит русский, выпустил комара из коробочки. Раздался выстрел. «З-з-з-з», - продолжает гудеть комар, правда, на полтона выше.
- Так ведь он же летает! – бросились к стрелку судьи.
- Летает и будет летать. А вот любить – никогда!
設問1)和訳せよ。

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2007年04月20日

●帯研(第76回)

ロシアの本を買うと分かるが、日本ではカビが生える。ぼろきれでふくと緑色になるぐらいである。さぞペニシリンが取れるだろう。ロシアは乾燥しているので日本と違い本には防カビ剤など塗布しないのだろうと思う。昔防カビ剤など塗ったがだめで、結局本棚の本の上に新聞紙を置き、毎年取り替えるようにしたら少しは減ったようだ。なにせロシアの本だけで1500冊はある。ひょっとして私の肺の中はカビだらけというのではないだろうか?かなり不安である。私は花粉症ではないが、死んだダニにアレルギーが出る。ダニはカビをエサとするので、ダニが生えないようにするには、窓を頻繁に開ける必要がある。しかし女房が花粉症でほとんど1年中窓を開けられない。アレルギーだから花粉症の苦しさは分かる。結局私の布団をこれまで以上に頻繁に布団乾燥機にかけることで、症状は出なくなった。今回の課題は、
Новый трансурановый элемент, открытый в СССР, предложено назвать капэсэсий, потому что у него период полураспада 50 лет.
設問1)オチが分かるように訳せ。

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2007年04月25日

●帯研(第77回)

長女が小学校に通うようになってから一輪車の授業が始まった。土日は親が教えるわけである。自転車には乗れても、支えるぐらいで一輪車には乗れないから娘にアドバイスできない。乗れないのに教えることはできないのは道理なので、自分で大人用の一輪車を買って夜1時間練習を始めた。それこそ手探りで(というより手すがりで)23時間で乗れるようになった。それからは娘に教えるというよりは(娘はすぐ乗れるようになったので)、趣味として毎日1時間乗り回すようになった。それが高じてカザフのアルマトゥイの駐在のときも一輪車を持って行き、休日大統領府の前で乗っていたら、テレビのインタビューを受けた。ロシアでもカザフでも一輪車に乗るのはせいぜいサーカス芸人くらいだろうから驚いたらしい。翌日会社のカザフ人からテレビを見たと言われ少し得意になった。帰国してしばらく乗っていたが、この頃は乗らない。一輪車というのはいったん乗り始めたら、止まるとき以外はこぎ続けなければならない。下り坂でもである。無論三輪車のように両足をペダルから離してもよいが、下り坂が終わって足を乗せるのがそう簡単ではない。年も取ってきたので、人生と同じでこぎ続けるよりは、こいではコースタリング(足をペダルの上において走るに任せること)のできる自転車で、通訳の仕事のないときは3時間ぐらいママチャリで荒川の土手を走っている。まあ閑なのでほぼ毎日走っていることになる。これも人生。
Забегает голодный мужик в столовую, денег нет, а кушать хочется. Видит: сидит мужик, газету читает, а перед ним тарелки супа. Пока тот читает газету, он быстро съедает суп и на дне тарелки видит расчёску с волосами. Его вырвало. Тот, что читал, убирает газету.
- Видел?
- Видел.
- Я тоже видел...
設問1)和訳せよ。おちを説明せよ。

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2007年04月30日

●帯研(第78回)

今から20年ほど前モスクワに駐在していた頃家族でパリに遊びに行ったことがある。地下鉄で電車を待っているときに、家内が腕に抱えていたバッグの財布から金を抜き取られたのに気づき、若い男が逃げていったのを追いかけていった。家内が格闘技をやっていたとか、気丈だということではなく、ものを盗まれた人間の瞬間的反応だろう。私はと言えば、長女の手を引き、次女が乗っている乳母車を押していた。そばにいたアジア系のおばさんが英語と身振り手振りで、乳母車は見ていて上げるから、奥さんの後を追ったらと言ったように思えた。それで長女の手を引いて走ろうと思って、はたと気づいた。なんかおかしい。それでノーサンキューと言ったら、残念そうに女はいなくなった。十中八九、子供をハーレムかどっかに売り飛ばす誘拐犯であろう。危ないところだった。その頃モスクワは比較的外国人には安全だった。KGBの取締りがきつく、外国人との係わり合いを恐れたからだろう。何かあれば(つまり疑わしきものは)引っ張るというのがソ連式だったからだ。まあ今のロシアよりは安全だったかもしれないが、秘密主義で臭いものには蓋ということだから、強姦魔の噂なども一人歩きしていたから、実際のところ外国人以外にはそれほど安全ではなかったかもしれない。モスクワで一種の安全ボケがパリで現実を知らされたわけで、ワクチンと同じで少々の危険を経験したほうがよいということだろう。あのときのことを思い出すと今でもぞっとする。運が悪ければ娘はアラブかアフリカのハレムにでも売り飛ばされてしまっていたということにもなりかねなかったわけである。今回の課題は、
Армянское радио спрашивают:
- В чём состоит разница между Черненко и камбодийской столицей?
- Столица Камбоджи – Пном-Пень, а Черненко – пень-пнём.
設問1)オチが分かるように訳せ。

Posted by SATOH at 10:44 | Comments [3]