2013年05月31日

●続和文解釈入門第108回

通訳の時にロシア人の技術者や、ガイドの時にロシア人観光客から日本語は難しいですか聞かれることが多い。漢字など文字の習得が難しいのは事実だが、会話は簡単なはずだと話すとびっくりする。ややこしくなるので説明はしないが、音素数が日本語は20(23という説もある)と、英語の46、独語41、ロシア語の38、仏語の37、中国語の32、韓国語の32と比べても極端に少ないことが分かる。音素というは母音、子音が実際に発音されて、聞き取れる最小単位だと思えばよい。ラ行は英語のrやlだけではなく、ロシア語の巻き舌のエル(弾き音)もこれで表すのだから、外国人にとって日本語の発音を覚えるのは倍簡単だということが分かるだろう。つまり我々日本人には外国語の発音をマスターするのは倍難しいという事になる。

出題)結婚を控えた女性に「名字を変更なさいますか?」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 06:32 | Comments [5]

2013年05月30日

●続和文解釈入門第107回

通訳やガイドしていてロシア人と雑談するときがあるが、そのときに体の使い分けを聞いたことはない。我々日本人に日本語を勉強する外国人が敬語の使い方を尋ねるようなもので、一言で答えることができないのは分かっているからだ。そこで、日本人にロシア語を教えているロシア人はというと、これもロシア語学が専門であるロシア人というのは日本で探すのは難しいと思いあきらめていた。「和文解釈入門」第163回で現代ロシア語会話を勉強する上で非常に良いロシア語会話集として紹介したことのあるマフニョーワさんの『男と女のロシア語』(TLS出版、2010年)を眺めていたら、著者は非常にまじめな人のようで、会話集には珍しい文法編というのがあった。そこに完了体と不完了体という項目があり、「ロシア語の動詞は、多くは完了体と不完了体のペアで成り立っています。完了体とは1回限りの動作や、その開始と終了がはっきりと意識できる場合です。不完了体とは、進行・継続・反復する動作、もしくは動作そのものなどを表す場合です」とある。これまで、初級のロシア語参考書を何冊も見たが、これほど明快に体の本質を表した説明は知らない。その後、прочитать(読了する)とчитать(読む)が例として挙げられているが、これは『和文露訳入門』7-1に書いたように、完全な体のペアと言えるのかということの他に、語義に違いがあってどうかなという気はする。多くの学習者が、完了体は動作の完了を、不完了体は継続と反復をと理解しているのに比べれば、さすがに日本語の専門家であり、日本人にロシア語を教えている優秀なプロであることが分かる。日本人にロシア語を教えているロシア人は数多いるが、このように体の本質を一言で説明したのを聞いたことも読んだこともないので驚いた。ただこれだけでは、私の体の使い分けに疑問を抱いたきっかけである、Садитесь!(おかけください)や遂行動詞を説明できないだろうとは思うが、紙面が限られている中、これを頭においているだけでもずいぶん違うと思う。Садитесь.についていえば、1回限りの動作であり、その開始と終了も明確に意識できる。それなのに不完了体が用いられているわけである。なぜ不完了体かは着手の用法として、何度も説明したし、和文解釈入門第300回の命令法のところや、『和文露訳入門』5-1-1項を読めば分かる。

出題)「あなたたちお二人の誕生日は同じです」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 05:59 | Comments [4]

2013年05月29日

●続和文解釈入門第106回

拙著の『和文露訳入門』を通読すれば、体の使い分けがすぐに分かると言いたいが、必ずしもそういうわけにはいかない。ロシア語の学習レベルというのは人それぞれだからだ。体の奥義を究めるために私の勧める読書法は、1日10ページでもいいから、『和文露訳入門』を読んでみて、とにかく通読する。そのときに例文には注意を払わない。本文を通読して、体の本質という事に対して著者が何を言いたいのかを頭の隅に置くようにする。一冊丸々理解するとか、ましてや例文を暗記するなどという事は考えない。この本は全部で270ページぐらいだし、今度出す『新訂和文露訳入門』は380ページぐらいの予定なので、1カ月あればどこに何を書いてあったかがおぼろげながら分かるようになる。体の本質に関する内容がどうであるというのではなくて、ただ時制には3つあって、過去・現在・未来で、他に命令法と不定法があったなぐらいでよい。その後、第1章の体の本質と規範を再読してみる。通読してみれば、各項目に書いてある体の用法で分かりやすいところ、分かりにくいところが見えてくる。用法がよく理解できなかった項目は、目次に印をつけておく。その後、自分が理解しにくいと思う項目を、気が向いたらアトランダムに読んでみる。自分が理解しにくい項目がいっぱいあり過ぎて分からなければ、その優先順序をつける手段として、このコーナーの出題の日本語を読んでみる。語彙はともかく、どの体を使うのか分からなければ、回答に書いてある体の用法を見て(もし書いていなければ、私宛に投稿いただければ当該項目番号を知らせる)、『和文露訳入門』の目次を利用して、当該項目を再読するという方法である。『和文露訳入門』には数えたことはないが500以上の例文が再録されているはずなので、自分が和訳を見て露訳できなかったものを1日一つ丸暗記するというのを並行してやるのも、いろいろな分野の語彙を増やすうえで有効だと思うし、このコーナーの出題に対して回答する(実際に回答を寄せるかどうかは別にして)というのも役に立つと思う。『和文露訳入門』の目次が体の使い分けそのものなので、目次にさらっと目を通しておけば、またその項目に戻って理解を深めればよい。第1章に書かれている体の本質と実際の個々の項目にある用例を往復することにより、実際の体の運用について奥義に至ると確信している。近く出版予定の『新訂和文露訳入門』は目次数も増やし、より理解しやすい工夫をしたつもりである。今回の出題は本文の内容に則した設問である。

出題)「ここに書かれていることを全て丸暗記する必要はありませんが、あらゆる質問への答えをどの章で探すべきかを精確に心に思い浮かべなければなりません」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 06:51 | Comments [3]

2013年05月28日

●続和文解釈入門第105回

言葉は使われなくなるということはあるが、使うなと命令するのは不可能だろうと、誰しも思う。エカチェリーナ2世の息子であるパーヴェル1世は、母親嫌いでも有名であり、гражданин(市民)という言葉を廃し、подданый(臣下)に変えさせたという。またその息子のニコライ1世は、прогресс(進歩)という言葉が嫌いで、何とか絶滅しようと努めたというようなことが、ウスペンスキーの「言葉について一言」に書いてある。

出題)犯人などの「何か特徴は?」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 09:14 | Comments [4]

2013年05月27日

●続和文解釈入門第104回

蓋然性вероятностьは、動作が起こるかどうか(動作の有無)の確率であり、禁止や不必要などの用法も含め不完了体と関係が深いが、可能性возможностьは動作が起こる見込みを指す完了体の属性であり、そこから危惧や警告という意味が発達したと考えられる。

出題)「故障が見つかったら機械を止めて下さい」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 05:57 | Comments [3]

2013年05月26日

●続和文解釈入門第103回

ガイドをしていてロシア人に日本語でどういうのだと尋ねられて困る表現というものがある。それはЗдравствуйте!である。「こんにちは」と答えてもよいのだが、厳密に言えば、このロシア語は発音は難しいが、万能挨拶語とでも言うべきもので、朝昼晩、真夜中でも使える。日本語では朝昼晩、ましてや真夜中の挨拶はそれぞれ「おはようございます」、「こんにちは」、「こんばんは」、「夜分恐れ入りますが」などと、別々な表現にならざるを得ないし、訪問でなら、普通は「ごめんください」というだろう。俗語なら、「やあ」というのがあるが、これは改まった席で使えるとは思えないので教えるのに躊躇する。「さようなら」だって、日本語では目上の人には使えない、会社なら自分が帰るか、相手が帰るかによって、「お先に失礼します」、「御苦労さまでした」というはずだ。
 「やあ」はロシア語ではПривет!であり、別れの挨拶は「じゃあね」はロシア語では、Пока!である。これは縮めた言い方であり、元はПока желаю тебе всего хорошего.と言ったという。俗語での別れの表現を挙げてみる。Будь. (Будь здоров.が縮まったもの)、Бывай (здоров).とか、電話ではТогда до созвона.という。

出題)「そのおとぎ話が気に入った人は手を上げて下さい」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 06:31 | Comments [3]

2013年05月25日

●続和文解釈入門第102回

あまり使わないからかもしれないが、よく間違う単語がある。例えば、фен(ヘヤードライヤー)である。似た単語にфён(フェーン現象)があり、日本の天気予報ではよく出てくるが、実際の通訳では使ったことがない。фенの方は、электрофенとも言い、ロシア人の観光客がホテルにあるかどうか問い合わせをする時はたまに使うが、その時にфенかфёнか、どちらだか覚えていないことが多い。私にとって相性の悪い単語である。ватаは逆に、すぐ覚えた単語だが、脱脂綿であり、ロシアでは冬が近くなると、二重窓に窓枠の隙間に詰めるのを思い出す。これはドイツ語起源とファスメルの語源辞典に書いてあったように思う。綿で思い出したが、観光客の買い物の手伝いをする時、例えば外国人観光客向けのキモノ(кимоноだが、実際はхалатだろう)が何で出来ているかを説明するときに、シルクшёлковое、ポリエステルполиэфирное、綿хлопчатобумажноеとあるが、綿製はбумажноеとも言う。бумажное деревоというのは、和紙の原料であるコウゾのことだが、これは「紙の」という意味で、違う形容詞である。和紙は水に溶けず、丈夫で千年もつと言われ、江戸時代の商人たちは、火事の時は井戸に大福帳を投げ込み、火事が消し止められた後に、井戸から大福帳を引き上げても、和紙は水に溶けずに、書かれてある内容を判読できたという。

出題)被害者に被疑者を含めた写真を見せて、「誰か見覚えがありますか?」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 05:01 | Comments [3]

2013年05月24日

●続和文解釈入門第101回

現代語でそれほど耳にするわけではないが、Нет-с.とか、Тэк-сにある-сをсловоерсыといい、下の者から上の者に使われる接辞で、謙譲とか卑屈さを示すとされる。ロシアのアルファベットを昔はアー、ベーとは言わず、аз, букаと言い、.сはсловоと称した。また革命前は硬音子音の末尾には、今で言う硬音符(分離記号)ъ(ерと発音した)をつけたので、こう呼ばれた。-сはсударь (元はгосударь), старыйが短くなったものとされ、17世紀中ごろのイワン雷帝の時代では、Никита-стаとか、Василий-суまで短くなり、それが19世紀には-сだけが残り、現在では例外はあるが、ほぼ消滅したと言ってよい。-сを使う人は、おどおどした、おとなしい人、ないしは下の身分から出世した人によく見られるとあり、ロシア海軍の父とも呼ばれるНахимовも-сを会話によく使ったという。ロシア文学を読む際の参考になれば幸いである。
пожалуйстаも元はпожалуй старыйで、言わんとするところは、пожалуй, награди меня такой милостью твоей.(おいでになって、思し召しにあずからせてください)である。また19世紀に紳士に呼び掛けるときにМилостивый государьと小説なのには書かれているが、実際の発音はмилсударьだったとウスペンスキーの『言葉について一言』にある。

出題)「私を一人にしておいてくれませんか?」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 06:14 | Comments [4]

2013年05月21日

●続和文解釈入門 第100回

不完了体過去形は過去の時制だけで用いられる。これは不完了体現在形が全部の動詞ではないにせよ、現在の時制以外にも、予定の用法では未来の時制に使われたり、歴史的現在で使われたり、また完了体過去形が相対時制では未来の時制で用いられたり、完了体未来形が例示的用法で過去の時制で使われるのとは対照的である。そのため、結果の非存続などのように、現在とはかかわりがないという用法などで使われることになる。

出題)「バルコニーは(ホテルの)二つの部屋共通だった」をロシア語にせよ。二日ほど回答が遅れるかもしれませんが、悪しからず。

Posted by SATOH at 06:43 | Comments [4]

2013年05月20日

●続和文解釈入門 第99回

会話での和文露訳を勉強する際に、語彙なら、名詞や形容詞よりも、よく使われる動詞を覚えるのが先決である。そこで問題になるのは体の使い分けということになるが、拙著『和文露訳入門』の見出しを見て、勘違いされる方も多いと思う。この見出しは体の用法を出来るだけ詳しく書けばそうなるということであって、動詞一つ一つに目次に書かれた用法があるということではない。もっというと、文脈以外にも、その動詞のもつ語義によって、ある程度どちらの体を使うのかは決まって来るということである。забыть忘れる、потерять失う、разбить割る、сломать壊す、убить殺す、ударить殴る、уронитьなくす、などの瞬間動作動詞(瞬時の移行・変化を示す動詞)を含む否定的結果の意味がある動詞は完了体で使われることが多い。一方、無接頭辞単純動詞〔делать(する)、писать(書く)、читать(読む)、строить(建設する)、гулять(遊ぶ)などのいわゆる本源動詞は不完了体で使われることが多いし、пойти/поехатьとидти/ехать(これらを完全な体のペアとは呼べないにせよ)では不完了体の方が圧倒的に多く使われる。「研究する」というのはある程度期間がかかる動作だから、不完了体が使われやすい。それで完了体のизучитьよりизучатьが口を突いて出るようにした方が、実際の会話での和文露訳では正しい用法となることが多い。つまり動詞を暗記するときには、完了体・不完了体で覚えることも大事ではあるが、どちらの動詞が会話で使われやすいかというのを目安にした方がよいということになる。『和文露訳入門』の用法にある例文の動詞がその典型的な使われ方であることが多いので、それに着目して覚えるというのも一つの手である。通訳は2、3秒で訳を決めなければならないことが多い。そうなると、用法を思い出している暇はない。確率的によく使われるものが口を突いて出るようにした方が、正しい体の出る確率は上がる。そうはいっても、私の場合は、訳した瞬間、体の間違いが分かったときは、すぐに訂正するようにしている。

出題)「薬の効き目がなくなった」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 06:27 | Comments [3]

2013年05月19日

●続和文解釈入門 第98回

ドストエフスキーの読者は何百万人もいるだろうから、その場合の読者は複数形になることは分かる。ところが、ドストエフスキーの特定の作品(カラマーゾフの兄弟でも、作家の日記でも)を読んでいて、作者が読者に呼びかければ、その読者は単数ということになる。絵本や漫画なら二人で読めるかもしれないが、文学作品はまず無理だからである。

出題)「塗装すべき面は完全に乾燥しておくこと」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 08:07 | Comments [3]

2013年05月18日

●続和文解釈入門 第97回

どの動詞にもбыть動詞を除けば、体のペアがあると考えている人がいるかもしれないが、それは間違いである。例えば、『和文露訳入門』7-3項に挙げたказаться/показатьсяは体のペアをなしているとは言えない。показатьсяは状態の動詞のказатьсяから、状態の発生時点を示すために派生した完了体であると思われる。そのため、過去の時制では完了体は結果の存続перфектの用法が完了体に出てくる。

(電話か?飛び起きて聞き耳を立てる。いや、気のせいだ)Телефон? Вскочил, прислушался - нет, показалось! <показалосьに不完了体の持つ持続性の観念はないから、казалосьに代えることはできない>

 ここで勘違いしてはいけないのは、показалосьの用法は結果の存続であって、状態の存続(こういう用語はないだろうが)ではないという事である。「思われた」という動作は終了し、それが一瞬記憶に残ったわけで、これが結果の存続であり、(今も)電話の音が聞こえる気がするというわけではない。もしそうならкажетсяとなり、その動作は終了せず、それこそ(今も)その動作の状態が存続していることになる。ただказатьсяと同じ動詞群のлюбить/полюбитьで見てみると、

Я её полюбил.(彼女を好きになった)

 という文は、結果の存続(アオリスト的用法という可能性もあるというか、結果の存続も文脈により派生した一種のアオリスト的用法であると言えるが)であれば、(今も彼女を好きだ)Я её люблю.ということになる。動作の結果が一瞬記憶に残るか、意識や動作に残っているかという、知覚動詞казатьсяと非知覚動詞любитьの違いである。

出題)「休暇は二日後に終わる」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 05:58 | Comments [4]

2013年05月17日

●続和文解釈入門 第96回

アオリスト的用法の説明をしていて思うのは、ひょっとしたら、過去を示す語句があれば、みな完了体過去形を使うのだと、学習者が勘違いしはしないかという事である。アオリスト的用法というのは、動作が過去の一点のみに行われるという事を意識する場合である。当然のことながら、状態の動詞は、過去も、現在も、未来も、動作が一点だけに止まらない。ゆえにказатьсяのような状態の動詞は、вчераのような過去を示す語句とともにも使われる。ただ状態の動詞(3-1-6項)や過去の過程を示す動詞(2-1-4項)は過去の一点、ないしはそれを含む動作を示す事ができる。しかし、その過去の一点というのは連続する動作の一部であり、それがアオリスト的用法との違いである。和文露訳入門』7-3項参照。この動詞については次回に詳しく書く。

出題)「もう一歩のところで、ブルガリア大公におなりになれたのに」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 06:40 | Comments [3]

2013年05月16日

●続和文解釈入門 第95回

『和文露訳入門』には動詞の体の使い分けについて細かく書いているが、自分が通訳やガイドをした経験から言って、全般的に確率的によく使われるもの、この場面(文脈)ではこの体がよく使われるという事はある。第85回の出題「資材は通行の邪魔にならないように置いて下さい」などもそうであるし、「おかけくださいСадитесь.」などもそうである。体の使い分けを勉強しなくても、プロの通訳は場面、場面での典型的な文と言うのを覚えているので(丸暗記していると言えば語弊があるのかもしれないが)、正しい体が使えるように見える。しかし世の中100%ということはない。体の用法の原理を知らないで、暗記と確率だけに頼っていても、確率は小さいかもしれないが間違う事はありうるし、困ったことになぜ間違いなのか誰も教えてくれはしないという事になる。学習の初期の段階で、出来れば本格的にロシア語をやりだしてから1年ぐらいしてから、例文を暗記するつもりで、『和文露訳入門』を読んで行けば、少しは体の使い分けの手がかりになろうかと思う。

出題)「昨日は全く正しくて、周知のことでさえあるように思えたものが、今日ではまったくの珍しいものになり、一般の言葉から消えて行くのである」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 06:04 | Comments [3]

2013年05月15日

●続和文解釈入門 第94回

среди + 生格とмежду + 造格はシノニムだが、同義語の場合と類義語の場合がある。
Между бумагами (Среди бумагами) лежал пакет.(紙の間に袋があった、はさまっていた)のように状態の意味の時は同義語だが、「砕氷船は(何度も)氷の間を通り抜けた」のように、同じ種類のものの中で動作が起こる時には、下記のようなニュアンスの違いが生ずる。
Ледокол пробирался между льдинами. <二つか、いくつかの氷の間を>
Ледокол пробирался среди льдин. <砕氷船のまわりは複数の氷に囲まれていた、占有されていた>
Между врагами он вырос.(敵と敵の間で彼は大きくなった) <二つ(いくつかの)の敵と敵との間で>
М ы, батюшка, средь хороших людей жили.(おっとさん、俺たちいい人たちの間で暮らしていたよね) <周りにかこまれて、占有されて、その間に>

出題)「使わないのは馬鹿だ」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 06:13 | Comments [4]

2013年05月14日

●続和文解釈入門 第93回

ロシア語の文法書では、露文解釈や露文和訳を中心に据えているのからか、否定についてあまりページを割いていないように思う。会話での和文露訳を考えると、日本語では動詞の現在と未来の形式が同じなので、動作の否定における体の区別が分かりにくい。そこで、近々出す予定の「新版和文露訳入門」では各項目における否定の用法をより分かりやすく書いて見ることにした。今回はчтобы (俗語ではчтобとする場合がある)における否定の用法について書いて見る。
чтобы以下が平叙文の場合、具体的な1回の動作には完了体を用い、反復やある程度の期間の動作であれば不完了体を用いる。чтобы (чтоб)以下が動作の否定となる場合も、чтобы自体が目的、願望、命令という用法で使われるために、命令法の体の用法と同じと考えてよい。禁止を示す場合は不完了体を用い、危惧のニュアンスがあれば完了体を用いることになる。

(そんなことはもう起きないようにな)Чтобы этого больше не было. <命令>
(油圧システムに空気が入らないように気をつけて下さい)Следите, чтобы в гидросистему не попадал воздух. <禁止>
(うっかり忘れないよう住所をメモした)Я записал адрес для того, чтобы не забыть. <危惧>
(主人がそのうちひょっとして引き留めようなんて気を起こさないよう、彼はこっそり部屋から出た)Чтобы как-инбудь не вздумал удерживать хозяин, он вышел потихоньку из комнаты. <危惧>

出題)「昨日私は人差し指をガラスで切った」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 06:46 | Comments [3]

2013年05月13日

●続和文解釈入門 第92回

英語のタイプライターのキー配列は、初期のタイプライターが壊れやすかったので、わざと打ちにくい配列にしたのだと読んだことがある。ロシア語の場合は、そうではなくて、п, р, к, еなどよく使う文字は中央寄りであり、э, ы, фなどの 使わない文字は端の方になっていると、ウスペンスキーがСлово о словах(言葉について一言)で書いている。

出題)「油圧システムに空気が入らないように気をつけて下さい」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 06:21 | Comments [5]

2013年05月12日

●続和文解釈入門 第91回

1960年代において初めて遂行動詞の概念を唱えたオースティンによる英語の遂行動詞の種類は、言明解説型(сообщатьなど)、行為拘束型(обещать〔約束する〕、ручаться〔保証する〕など)、権限行使型(объявлять〔宣言する〕、открывать〔開会する〕など)、判定宣告型(оценивать〔評価する〕など)、態度表明型(благодарить〔感謝する〕、поздарвлять〔祝う〕など)の5つであり、それぞれロシア語にも対応すると思われるが、遂行動詞と結果存続兼評価型動詞の区別がつきにくいかもしれない。下記のпридумыватьは結果存続兼評価型動詞であり、完了体過去形придумалが結果の存続の用法であれば意味的には近い。このように完了体過去形とも結果の存続という意味で近いというのが、結果存続兼評価型動詞の特徴である。遂行動詞にそのようなことはない。

(何を思いついたんだ?)Что ты придумываешь?

出題)「お前は頭がおかしい」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 06:01 | Comments [3]

2013年05月11日

●続和文解釈入門 第90回

日本語の指示代名詞の「これ、それ、あれ」は「これ」が話し手の領域に近い指示物、「それ」が聞き手の領域に近い指示物、「あれ」が双方の領域に属さない指示物というように話し手からの物理的、心理的距離を示している。その他に話し手と聞き手が近接している場合があり、双方の共有している場を「これ」で、それより遠い場を「あれ」で、どちらでもない場を「それ」で示す。また文章における文脈指示には「あれ」は使われないなどあるが、詳しくは、研究社日本語教育事典(近藤安付子+小森和子編、2012年)を参照されたい。

 ところが、藤沼貴先生の『ロシア語ハンドブック』(225ページ)によれば、ロシア語では、это (этот, эта, эти)で全ての指示物を表し、то (тот, та, те)はэтоとの対比でのみしか、ほとんど使われないという。つまり、то (тот, та, те)を使うのは、二つのものがあって、その二つのうちで話し手より遠いものを指すということになり、単独で遠くのものを指すのには使えないという事になる。3メートル離れた窓を示せば、日本語では「あれは窓です」となるが、ロシア語ではЭто окно.となり、この山というような対比がなければ、100キロ離れた富士山を指しても、Эта гора, покрытая снегом, Фудзияма.(雪を被ったあの山は富士山です)となるとある。非常に興味ある説ではあるが、実際にガイドをした経験から言えば、必ずしもそうとは言えない場合のあるという事を指摘しておきたい。
 二つの対象物(人も含む)があり、そのうち話し手に近いものをэто (этот, эта, эти)で示し、より遠くにあるものをто (тот, та, те)で示すというのはその通りである。

(この本は〔内容的に〕面白いが、あの〔その〕本は違う)Эта книга интересна, а та нет.

 しかし、ロシア語では比較の対象がないときに指し示す場合は、「これ、それ、あれ」をэто (этот, эта, эти)で示すことになるという事になる。ここまでは藤沼先生の説と同じなのだが、実際の会話の場面を思い出してみると、これに加わる要素がある。それは手振り身振りである。手(頭、目、あごなど)で示して、この山(その山、あの山)という場合は、эта гораでも、та гораでもよいはずだ。少なくとも露露辞典(アカデミー版4巻本, Русский язык, 1984〔アカデミー最新版は第21巻пятьюまでしか届いていない〕)では、Указывает на какой-либо предмет, лицо (обычно сопровождается указательным жестом); то же, что «этот».(何らかの物、人を指す〔普通は指示の身ぶり手ぶりを伴い、этотと同義〕)とあり、遠近を問題にせずに、人や物を指示する(いくつかのものから選び出す)ときには、это (этот, эта, эти) も、то (тот, та, те)も両方使えることになる。

(あの山々の間に寺がある)Между этими горами и расположен буддийский храм. <指か何かで指し示すなら、теми горамиでもよい>
(例えば、ほらその木を見てみろ)Вот взгляни, например, на то (это) дерево.

 一方、здесь (= в этом месте)とтам (= в том месте, не здесь)は、здесьが「ここに」であり、тамは「ここでない場所に」という、近くにあるものを示すかどうかという分け方であり、この二分法は我々日本人にも分かりやすい。сюда (= в это место, в эту сторону)とтуда (= в то место, в ту сторону)も同様な区分のしかたである。しかし、日本語との違いもある。電話中の会話で、他の人のいる前では話したくないときに、電話を切らずに、携帯などを別の部屋に持って行くことがある。そのときに、日本語では「コーリャ、まだそこにいる?」と聞き手が電話の前を離れていないことを確認するときには、ロシア語ではКоля, ты ещё здесь?であって、тамにはならない。日本語では聞き手の領域なので「そこ」が使われているが、ロシア語では話し手と聞き手が心理的に近いという理由でздесьが使われる。

 初歩的な事柄ではあるが、あの山は英語ではthat mountainとなることを考えると、英語とロシア語も発想は違うわけで、このような思いこみに対して、特に初級の段階で、このような基本的な違いを学習する大切さを痛感する次第である。

出題)「渡り廊下は2階と3階の間の中間の高さにあった」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 07:23 | Comments [3]

2013年05月10日

●続和文解釈入門 第89回

遂行動詞を否定すると(専門的に言えば発語内的否定)、元の発語内行為の否定ではなくて、保留であり、「ない」は遂行動詞ではないということが、入江幸雄先生の『発語内的否定と質問』という論文に書かれている。つまり遂行動詞を否定すると、否定された動詞は遂行動詞とは言えず、単に動作が否定されていることになるという意味である。ご参考のために、発語内的否定と命題的否定の違いを入江先生の論文に従って例文で示す。なお、「主張する」は遂行動詞である。

(発語内的否定)私は、aはbである、と主張しない。
(命題的否定)私は、aはbでない、と主張する。

次の文は第81回の本文にあるような結果の非存続の用法だが、遂行動詞が否定されているために、遂行動詞ではなくなっている。つまり、現在の時点では動作はないのだが、過去において動作がなかったということではなく、動作はあったが、結果が現在まで残っていないという、いわば不完了体過去形を使った結果の非存続という用法になる。

(そういうつもりで言ったのでは全くないのです)Я совсем на это не имел в виду.

出題)「あの峰々の間に寺がある」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 08:02 | Comments [3]

2013年05月09日

●続和文解釈入門 第88回

自分の名字の佐藤を説明するときに、これまでは、佐藤は日本で一番多い姓で、ロシアのイワノフと同じですと言っていたのだが、最近のロシアの統計によると、ロシアで一番多い姓はクズニェツォーフКузнецовとのことである。これなども、昔一番ありふれた名前は山田一郎であるとされたのと同じで、実際とは違うという例だろう。ちなみに佐藤と鈴木は競り合っていて、年によって順位が入れ替わることがあるらしい。

出題)「それもありだな」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 06:51 | Comments [3]

2013年05月08日

●続和文解釈入門 第87回

「自然」というロシア語の単語には、前につく前置詞に関する限り、語義が二つあって、我々を取り巻く、人の手によらないものという意味の自然ならв природеとなるが、都会や集落の外という意味の自然ならна природеとつく前置詞が異なる。

出題)「最低1カ月はリハビリに必要だ」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 05:38 | Comments [4]

2013年05月07日

●続和文解釈入門 第86回

「彼はここにきている」も同様、いくつかの露訳が可能である。文の形式ではなく、実際に動作が行われている時制をイメージしないと正しい訳が出て来ないという例である。

Он приехал(пришёл) сюда.<今彼はここにいる>
Он приехал сюда (год назад).<(1年前)いつかは知らないが1度来たと確信がある場合のアオリスト的用法>
Он приезжал сюда.<いつ、ないしは何回来たのかは知らないが、来たことがある、今はいない>

出題)「表面の汚れを取ってください」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 06:34 | Comments [4]

2013年05月06日

●続和文解釈入門 第85回

遂行動詞の重要性は、露文解釈や露文和訳だけをやっている人には分からないし、分かる必要性も特にない。露文を文脈に会わせて和訳すればよいからだ。ところが会話で和文露訳をするときには、遂行動詞をよく理解していないと、ロシア語に訳せないことがあり得る。それは日本語の動詞の時制が、過去と非過去(現在、未来)であり、ロシア語の完了体における二つの時制(過去と未来)、不完了体における3つの時制(過去、現在、未来)とうまく対応していないからである。

私は(昨日)学校に行った。(過去)
私は(毎日)学校に行く。(非過去〔現在の反復〕)
私は(明日)学校に行く。(非過去の未来)

時制から見て日本語の動詞を状態動詞と動態動詞に分けると、状態動詞は、「~ている」の方を取らずに現在の状態を表す動詞で、「いる、見える、思う」などであり、「今家にいる」、「明日もここにいる」のように、ル形で非過去(現在と未来)を示す。動態動詞というのは、「話す、行く、歌う」などの動きを表す動詞で、ル形が未来だけを示し、現在はテイル形を用いて示す。
 一方アスペクト(出来事が進行中か、継続中か、終了したかなど動きの局面に注目する文法形式)で、日本語の動詞を分類すると、動態動詞と状態動詞に分かれる。動態動詞は「電話で話している」のように、テイル形が進行の状態を示している動詞で、状態動詞は、「イスに座っている」のように、テイル形で結果の状態(結果の存続)を表す動詞である。テイル形には、このほかに「学校に通っている」などの反復・習慣を示す用法や、「棒の先がとがっている」というような形容詞的用法、「その話は一度聞いている」というような経験・経歴(ロシア語にするときは歴史的現在か、アスペクト的用法で訳すことになる。『和文露訳入門』3-1-7項参照)を示す用法があり、「~した」も「歩いた」や「歩いて来た」のように、日本語では過去と現在完了の意味がある。これらをロシア語の時制やアスペクトなどに振り分ける必要が出て来るのである。
 こういう日本語についての使い方は、我々日本人は日本語では心得ているとは言うものの、現在時制の文をロシア語に訳すのは、遂行動詞(正確に言えば、その動詞の遂行的用法)を理解していなければ、難しいと思う。この他にも結果存続兼評価型動詞があるが、ここでは触れない。初級の段階では、用語を知っているかどうかは別にして、反復(繰り返し)・過程、状態なら現在の時制では不完了体現在形を使うというのは分かる。中級くらいになると。完了体過去形、被動形動詞過去短語尾)でも現在の時制を表現できるという事が分かって来ても、ロシア語にする際に、次のような文はどの時制で、どの体を使うべきかが分からなくなる。

「明日午前10時に会議があることをお知らせします」(遂行動詞)Сообщаем вам, что будет совещание в 10 часов завтра.
「商談についでは明日お知らせします」(完了体未来形)Сообщим вам о переговорах завтра.

出題)「資材は通行の邪魔にならないように置いて下さい」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 06:19 | Comments [4]

2013年05月05日

●続和文解釈入門 第84回

動作の有無の確認が不定法ではあまり使われないと以前書いたが、例外的に使われるのは、「~するべきか、~せざるべきか(~するか~しないか)」という構文である。неの後は動作が起こらないのだから不完了体が来るというのは、『和文露訳入門』3-1-8項で述べたが、「~するべきか」のところに不完了体不定形が来るのは、これこそ動作の有無以外のなにものでもないからである。具体的に何かをという補語が来れば完了体不定形が来るが、すでに何をというところが前に述べてあるか、文脈に含意されるような、動作の有無だけが問題な場合には不完了体不定形が来る。

(キャンセルすべきか、せざるべきか?)Отменять или не отменять?

出題)「まさかこれを説明しろというのかい」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 05:15 | Comments [4]

2013年05月04日

●続和文解釈入門 第83回

想像については現在時制でしか表せないと第74回本文に書いたが、次のような文を見つけた。一見第74回で述べたことと矛盾するように見えるが、過去や未来という約束事を言葉の上で示しているだけで、想像の動作の時制は現在であることに変わりはない。

Воображаю, как он смотрел и что он чувствовал.(どのように彼が見たかや何を感じたかを想像してみる)<過去の出来事を眼前にあるよう想像するという事だから、想像の動作は現在の時制であることに変わりはない>
Вообразите сына вашего в будущем.(未来の御子息を想像してみて下さい)<これも同様、眼前にということで、想像の動作は現在の時制である>

出題)「彼女が浮気をしたら彼は彼女を殺す」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 06:19 | Comments [4]

2013年05月03日

●続和文解釈入門 第82回

否定においてもアオリスト的用法が完了体過去形の基本であり、動作が過去の一点に行われるかどうかに関係するときには、неと共に完了体過去形を用いることになる。つまり過去の一点を示す語句があれば(ないしは暗示されれば)、基本的に不完了体過去形は使えないと考えてよい。使えるとすれば『和文露訳入門』2-2-1-2項で述べているように、すでにその動詞に関する状況設定がなされている、つまり踏み台のように、場がすでにこしらえられている場合である。

(彼は昨日来なかった)Он не приехал вчера.

出題)「もし誰かから電話があったら、1時間後には、いるから」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 05:49 | Comments [4]

2013年05月02日

●続和文解釈入門 第81回

日本語の現在完了も「~していない」という否定文においては、ロシア語に訳すという観点からは3つに分類される。一旦開始された動作が終了していないという意味なら、下記のようにそれぞれ、今も根付いていない、今は残っていない、今の時点では終わっていないという意味で完了体過去形が来る。『和文露訳入門』2-1-2-2項も参照願う。

(お祝をするという伝統はまだ根づいていない)Традиции празднования пока не установились.
(その記念碑は存続しない)Памятник не сохранился.
(休み時間はまだ終わっていない)Перерыв ещё не кончился.

しかし、動作を初めから否定すると、これは動作が現在の時点でないのだから、不完了体現在形の否定と同じことである。これは『和文露訳入門』3-1-8項で説明したように、初めからの動作の否定には不完了体が用いられるからである。三つ目は、動作自体は行われるのだが、その動作の内容が否定される場合である。「そうは言っていない」というのは、言いかえれば、「そうでないことを言った」ということである。この場合日本語では現在完了なのに、「そうは言っていない」の露訳では下記のように不完了体過去形が来る。これは形式上動作が否定されているので、不完了体が来るという事と、動作の結果が現在の時点まで残っていないので、結果の存続の用法である完了体過去形という形式が使えないからでもあり、第13回出題と同様、結果の非存続の強調とも言える。

(そうは言っていない)Я этого не говорил. <「そうでないことを言った」とは日本語であまり言わないように、Я говорил не этого.とは普通は言わない。言わなかったという動作の有無の確認でもある>
(そうは言わなかった)Я этого не сказал. <完了体過去形にすると、「言うはずだったのに、それを言わなかった」という主観的ニュアンスが出てくる>

出題)「もし彼の仕事が月曜は夜のシフトだったら、木曜の夜は彼は空いているはずだ」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 04:18 | Comments [4]

2013年05月01日

●続和文解釈入門 第80回

「電車が来た」は文脈により、いくつかの露訳が可能である。この電車はэлектропоездのことで、これは地下鉄の電車に使われる。

Поезд идёт. <ホームに入って来る電車を見てで、「電車が来るよ」と同義だが、日本語で「電車が来た」と言えば、電車の姿が見えていることになる>
Поезд пришёл. <ホームに短時間止っている電車を見てであり、停車中ならПоезд стоит.となる>

出題)「そうは言っていない」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 06:54 | Comments [5]