2013年03月01日
●続和文解釈入門 第21回
不必要はもっとも重要な不完了体の属性とされる。ラスードヴァ先生もそう書いてはいるが、どうしてなのかという説明はだれからもない。そこで自分なりに考えてみたので、『和文露訳入門』をご購入された方は、6-1-2項を下記のように追補したので、御一読願う。
「不必要はもっとも重要な不完了体の属性とされる。その理由として考えられるのはこうである。должен(~しなければならない), надо(~する必要がある), нужно(~する必要がある), хотеть(~したい)などの叙想語は具体的な1回の動作を示す時には、主観的ニュアンスを帯びているために完了体と結びつきやすい。それはその動作に文の焦点が来るからである。ただ一定の期間を示す場合は不完了体を使わざるを得ない。逆にこの叙想語を、不必要という否定的な文脈で使えば、主観的ニュアンスを否定するわけだから、不完了体と結びつくことになる。つまりне надо, не нужно, не следует, не стоитなどの後に続く不定形には、必ず不完了体を使わなければならなくなるという意味である。何も要らないというのは、動詞の基本的意味(動作そのもの)も否定するわけで、その基本的意味を否定するために不完了体の出現が必須であるという事になる。不必要は意味的に禁止(3-2-4、5-1-4、6-1-5項)や嫌気(6-1-1-2項)につながるために、これらの文脈でも不完了体不定形が用いられる。6-2-6-3項も参照のこと。不必要、禁止、嫌気も主観的ニュアンスだが、このニュアンスを担うのは叙想語であり、расхотеться(~したくなくなる)のような否定詞неを伴わない動詞が叙想語を兼ねれば、完了体が来る可能性が高い。хотетьが不完了体なのは、反復や状態の動詞、遂行動詞だからだと考えられる。
(お見送りの必要はありませんから)Провожать меня не надо, спасибо.
(子供をおもちゃで甘やかす必要はない)Детей не надо баловать игрушками.」
出題)「我々はそれを秘密にしたことはない」をロシア語にせよ。
2013年03月02日
●続和文解釈入門 第22回
ロシア語には有無を問う構文があって、「~はありますか(~はありませんか)」、「~はないですか」というものである。一番簡単なのは、Есть лиやНет ли(+ 生格)を使うもので、具体的なもの一つについて尋ねているのであれば、単数が来る。
Есть билет на сегодня?(今日の切符1枚ありますか?)
У вас есть магнитофон (в продаже)?(テープレコーダーはありますか〔売りに出ていますか〕?)
Есть ли в номере телевизор?(部屋にテレビがありますか?)
Есть ли номер подешевле (получше, потише)? (もっと安い(いい、静かな)部屋はありますか?)
Будет ли синхронный (последовательный) перевод на русский язык?(ロシア語への同時(逐次)通訳はありますか?) <動作は現在ではなく未来に起こる>
Нет ли для меня письма?(私宛の手紙はありませんか?) <Нет ли писем と複数生格にすると、単純に手紙の有無を聞いているだけだが、単数生格だと1通でも、あるいは1通来るのを予想していたというニュアンスが出る>
となるが、あるかないか分からない、不定のものについてなら複数形が来る。какие-нибудь(何か)を使えば、不定の意味を強めることになる。
Есть ли письма для меня?(私宛に手紙はありませんか?)
У вас есть книги русских писателей на русском языке?(ロシア語のロシアの作家の本はありますか?)
У вас какие-нибудь нарушения памяти?(何か記憶障害がないですか?)
Есть ли какие-нибудь изменения в составе вашей команды? (チームのメンバーに何か変化はありますか?)
Есть ли какие-нибудь спортивные передачи по радио сегодня вечером?(今晩何かスポーツ番組がありますか?) <厳密に言えば未来だが、普通はテレビや新聞の番組表に載っているものなので現在形を使う>
出題)「その活動の本当のブームはちょうど1990年代だった」をロシア語にせよ。
2013年03月03日
●続和文解釈入門 第23回
「~はありますか?(~はありませんか?)」構文の続き。не найдётсяもこの構文で使える。
(タバコの火はありませんか?)Прикурить не найдётся? <直訳すると「存在することはあり得ないか?」→「不可能とは思いますが」→「ひょっとしたら」≒ может бытьというニュアンスが出る>
(先生、先生のところに私の病気の薬ありますか?)Доктор, а найдётся ли у вас лекарство от моей болезни. <上の構文の応用>
これは不可能という完了体未来形を使った用法の応用である。不可能は、否定の強調、つまり例示的用法から発展したと思われる用法で、潜在的可能性も含めて全ての動作の否定ということが、あらゆる可能性を排除し、それにより不可能という主観的ニュアンスが現れるということになる。動詞に文の焦点が来ているので完了体未来形の否定が使われているとも言える。これを現在の時制で扱うのは、「ありえない」ということで、未来の時制すらも否定されているのだと考えてもよい。この用法は否定の強調同様、例示的用法から発展したものと思われる。
(僕にはそれが理解できない)Я этого не пойму.
(名字は今は思い出せない)Фамилии сейчас не вспомню.
出題)謎の解決という意味で「ジグソーパズルがきちんとはまりだした」をロシア語にせよ。
2013年03月04日
●続和文解釈入門 第24回
前回のнайдётсяは完了体未来形だが、用法的には現在の時制であることは明確である。そのためこれを完了体現在形とする学者も多い。その場合は過程や繰り返しには、つまり今現在のこの一瞬という意味で完了体現在形は使わないなどの注を入れる必要があるし、Завтра я уеду.(明日出かける)という文では、未来への時制の転用ということになろう。もっというと完了体現在・未来(非過去形)形と唱える学者もいるわけで、そうなると、「明日出かける」の方は、完了体現在・未来形の未来の用法ということになる。個人的には、大学のときに完了体未来形と習ったからという理由と、時制的には分かりやすいと思うので、完了体未来形というふうに使っているが、別に強制しているわけではない。
出題)「彼がその会合に現れる確率は五分五分だった」をロシア語にせよ。
2013年03月05日
●続和文解釈入門 第25回
前々回でジグソーパズルに関連した問題を出した。мозаикаというのはモザイク画、モザイク模様のことだが、研究社の露和に「子供の組み木遊び」という訳もある。これが正しいかどうかは出典が分からないので何とも言えないが、最新のアカデミー版露露では、детская игра, в котором нужно составлять рисунки, узоры из разноцветных элементовとあるから、ジグソーパズルと訳してよいことになる。пазлыとする例も多い。クロスワードパズルはкроссвордであり、単にパズルは判じ物(なぞなぞ)という風に理解すれば、ребус(к/у の答えは наукаとか、力士の絵があって、その隣にAの文字があり、下に小さく4 = кとあれば、答えはсумкаという絵文字を使ったなぞなぞ)である。クイズはвикторинаで、口頭でも書いても可であり、литературная викторина(文学クイズ)、музыкальная викторина(音楽クイズ)、ソ連時代からの有名なвикторина "Кто, где, когда?"(クイズ「だれが、どこで、いつ?」)というのがあり、Здесь викторина будет на деньги.(ここで賞金の出るクイズをやる)となる。難問クイズはголоволомка(知恵の輪という意味もある)という。昔NHKでやっていたジェスチャーのような遊びはшарадаという。
出題)「1961年4月に東京大阪間の自動車レースが行われたときに、女性読者は参加料3千円を払えば、自分の車でレースに参加でき、勝てば優勝賞金10万円を手に入れることもできた」をロシア語にせよ。
2013年03月06日
●続和文解釈入門 第26回
よくスポーツなどで、120%の力を出してとか頑張るとか、理屈に合わない表現を見かける。強調の意味で言っているのだろうが、出した力が120%なら、その120%は元々100%とすべきものだっただけではないか。毎日運動している人が、健康の日などにジャンプ測定をすると、普段運動をしない人の方が成績の良い場合がある。それを見て定期的に運動するというのはどんなものかと単純に考える人もいよう。それは定期的に運動する人には体に無理がかからないようにリミッターが働いているからなのである。運動していない人にはこのリミッターが利かないから、次にやれと言われても同じような結果が出ない可能性もあるだろうし、翌日か、2、3日して体のどこかが痛くなってくることになる。火事場の馬鹿力というのも、死ぬか生きるかというときには、体に無理がかからようにするというリミッターが外れてしまうから出せるのだし、毎日火事場の馬鹿力(能力の120%とか150%出すという類)を出していれば、体を痛めるのは理の当然だ。自分のリミッターを徐々に上げて行くというのは理屈にかなっているが、無制限にできるという事ではないはずだ。このようなリミッターを外すというのがガッツとか精神論といわれるもので、長続きはしないやり方だと言える。体罰もこの延長上にあるように思える。
出題)テレビのレポーターのよく使う「この事件の詳細については(よく)分かっていません」をロシア語にせよ。
2013年03月07日
●続和文解釈入門 第27回
否定の強調には、『和文露訳入門』の4-2-3項にある例示的用法から派生したもので、「一つたりとも(ほんの少しでも)~しない」というような潜在的可能性すら否定するため、完全な否定となる。また例示的用法と関係があるために、完了体未来形が用いられているが、その動作を打ち消しているために、直後の出来事など広い意味での現在の時制でも用いられると考えてよい。完了体未来形の不可能の用法も同じ考え方である。
出題)「性転換の手術をなさったという話ですね」をロシア語にせよ。
2013年03月08日
●続和文解釈入門 第28回
「ごめんなさい(許して下さい)」はИзвините.で、言われた相手が、冗談っぽくИзвиняю.(許す)という場合がある。Извините.は相手がこの動作を予想しているかどうかに関わらず発する言葉だから完了体命令形が用いられている。そう言われて、冗談めかしてИзвиняю.と答えると、これに不完了体現在形が来ているのは、すでにこの動詞は一度使われており、動作の焦点が来ないからというよりは、遂行動詞でもあるからである。Извинил(а, и)と完了体過去形にすると、動作はすでに終わっており、お詫びという結果が現在に及んでいるかもしれないということである。現在に及んでいれば結果の現存であり、そうでなければアオリスト的用法となる。一方、遂行動詞は発話と同時にお詫びが始まり、発話の終了と共に、お詫びするという動作が終わるという違いがある。
またИзвините.の代わりに同義でИзвиняюсь.やПриношу свои извинения.も使えるが、このИзвиняюсь. やПриношуも遂行動詞なので不完了体現在形が来ている。このように具体的な1回の動作でも完了体命令形の代わりに、一人称の遂行動詞(不完了体現在形)が同義で使われる場合がある。しかし、電話で「レーナをお願いします」は、Попросите, пожалуйста, Лену.というのが普通だが、Я прошу вас позвать к телефону Лену.とも言える。後者のпрошу(お願いする)は遂行動詞であるが、попросить = позвать, пригласить(呼ぶ、招く)とは意味が違うので注意が必要である。
出題)「資金は教会から入って来る」をロシア語にせよ。
2013年03月09日
●続和文解釈入門 第29回
会話でよく使われる遂行動詞について面白いことに気がついた。
a) (日曜に映画にご招待申しあげます)Мы предлагаем вам в воскресенье пойти в кино.
b) (お静かに願います)Я прошу соблюдать тишину.
c) (夏に南に行って来るよう勧めます)Я советую вам летом съездить на юг.
これら三つの文は仮定法を使っても、やや丁寧な感じがするというニュアンスはあれど、意味に変わりはないが、その場合a) предложили бы 、b) просил (а) бы 、c) советовал (а) быとそれぞれ違う体になる事に気がついた。これはb)とc)の動詞が体のペアとしては不完全な、『和文露訳入門』7-2項の動詞群であり、b)やc)の動詞は不完了体優位(不完了体から完了体が発生したと考えられる動詞群)だからかもしれない。
出題)「中所得の日本人大多数にとって初めての車は夢の又夢だった」をロシア語にせよ。
2013年03月10日
●続和文解釈入門 第30回
和文露訳の理想は手元に和露辞典があれば、それだけで正しい露文がすぐ作れるということだろう。そのためには和露辞典の方も類語の使い分けの整備などが必要であり、ロシア語の初級を教えるときに、初級文法の他に、体の使い分けを完全に理解させることが必須となると思う。
出題)「お見送りはけっこうです」をロシア語にせよ。
2013年03月11日
●続和文解釈入門 第31回
第31回
2013年2月7日付の読売新聞朝刊を読んでいたら、教師勤務中ブログにナンパ術という見出しで、埼玉の教師が校内の印刷機や紙を使って印刷していたところを教頭に見つかったとある。これはブログの読者にナンパ術を冊子にまとめたものを1冊1万円で販売したというもので、自分の金でコンビニでコピーすればいいものを、まことにせこい話だが、A4判146ページで、これまで30冊売ったというから大したものだ。それでも停職6カ月で済むのだからあきれ返った話である。翻って我が身を鑑みるに、需要の差を思い知った次第である。ナンパ術なら1万出しても惜しくはないというのを納得する気持ちと、和文露訳ではなあという気持ちと。
出題)「そのおかげで目の下にクマができた」をロシア語にせよ。
2013年03月12日
●続和文解釈入門 第32回
歴史的現在をアネクドートや、会話での(過去にあった)自慢話だけに使う特殊な用法だと考えるのは間違いである。第13回の出題のような文は若い人もよく使うはずだ。
(ずっと待っている〔待っていた〕のに、なかなか来ないんだから)Я-то жду, жду, и тебя нет и нет. <ようやく来た待ち人に言う愚痴や文句>
上の文を、仮に1時間待たされた上での話としても、直近とはいえ、過去は過去だから使えるし、元の和文も日本語における歴史的現在としても違和感のない表現である。この文の特徴は、完了体過去形の結果の現存の用法と対立しているということにある。アオリスト的用法が結果の現存と意味的に対立するなら、歴史的現在がアオリスト的用法に似ている以上、歴史的現在も結果の現存の用法と意味的に対立すると言えることになる。アオリスト的用法というのは、動作の結果が現在に残っているかもしれないし、残っていないかもしれない、もっと言うと、そういう事に関心がないというニュアンスである。動作の結果が今に残っていないということを強調するのであれば、結果の現存を、否定詞を使って否定文にするか、現在との関わりがないことが特徴である歴史的現在を使えばいいことになる。つまり歴史的現在は直前の出来事など、文脈によっては、結果の非現存の強調というような、『和文露訳入門』2-1-3項の対義語のある動詞群の不完了体過去形の用法のように使えるわけである。
出題)「女には技術のことはあまり分からない」をロシア語にせよ。
2013年03月13日
●続和文解釈入門 第33回
出題の短文は、何の文脈もないので、いろいろな解釈が可能な場合もある。そうであれば、自分なりに文脈を設定して、それに従って体の使い分けをするようにしないといけない。露訳したその露訳を、読むほうがいいように解釈してくださいという、おまかせでは困るというのは分かるだろう。通訳は厳密に意味やニュアンスを相手に伝えることが必要である。そのためにこそ体の使い分けを完全にマスターすることが必要である。
出題)「レースに勝った車のガソリン消費量はいくらかというテーマで賞金20万円付きのクイズが読者に出された」をロシア語にせよ。
2013年03月14日
●続和文解釈入門 第34回
Он чуть не упал.のчуть не = почти неということだが、これを「動作がないに等しい」と考えると誤解の元である。瞬間動作動詞である「ころぶ(倒れる)」という動作を「ないに等しい」のだから、99%は「ころばなかった(倒れなかった)」にせよ、1%はころんだと考える人もいるかもしれない。しかし、ころぶという動作は、ころぶか、ころばないかどちらしかないのである。冒頭の露文は「もう少しでころぶところだった」ということであって、これを99%ころばなかったが、1%はころんだのだと解釈するのは誤りだというは分かるだろう。чутьは動作の量ではなく、可能性の程度や多寡を示しているだけなのである。
出題)「ドライバーは男が中心だった」をロシア語にせよ。
2013年03月15日
●続和文解釈入門 第35回
結果の現存には、「たった今~した」という意味と、動作はとっくの昔に終わっていて、その結果である状態が現在まで続いているという二つの解釈が可能である。ところが遂行動詞は、動作は発話で始まり、その発話と共に終わるわけだから、とっくの昔にというニュアンスはないという違いがある。
(どうしてあなたをお呼び立てしたのかお分かりか?)Догадываетесь, зачем я вас вызвал?
上の文を仮にдогадалисьと完了体過去形にすれば、「たった今察した」という意味と、「とっくの昔に察していた」という二つの意味から文脈によって選ぶことになる。それに完了体というのは場独立型だから、独自の考え方で理解したということになり、不完了体のように、その場の流れに沿ってというニュアンスはない。
「いいですか」という相手の注意を促したり、強調したりするときの挿入句поинмаете, понимаешьや、(そうこなくっちゃ)Вот это я понимаю!も遂行動詞由来であり、これと完了体過去形の(分かったか〔分かりましたか〕)Понял ?(Поняли?)の違いも同じである。
出題)公園などにある標語「ゴミは持ち帰りましょう」をロシア語にせよ。
2013年03月16日
●続和文解釈入門 第36回
天皇関係の本を最近3冊読んだ。一つ目は『歴代天皇総覧』(笠原英彦、中公新書、2001年)である。歴代天皇の事績を古事記や日本書紀も交え、歴代天皇について事績を簡単に記している。第25代武烈天皇が暴君だとは知っていたが、第21代雄略天皇もそうであり、第57代陽成天皇もその気味があり、また第63代冷泉天皇は精神的に不安定であり、第65代花山天皇に至っては乱心とある。逆に賢帝とされるのは、名前がよく知られている天智帝、天武帝を除けば、第71代後三条天皇、第73代堀河天皇、第80代高倉天皇などを挙げている。南北朝についても正統である根拠は、三種の神器を所有していた南朝であるとの立場は理詰めだなと思った次第である。宮中某重大事件などにも簡単に触れており、昭和天皇が終戦はともかく、開戦拒否の聖断を下し得なかったなどと客観的な目で天皇制について述べている。
もう一冊は『女帝の古代日本』(吉村武彦、岩波新書、2012年)で、日本には8人10代の女性天皇が中天皇(ナカツスメラミコト)として存在した。これは卑弥呼の時代から、国が乱れて、後継者が決められないときや、子や孫が幼くて公務を任せられないときに、中継ぎとして女帝が使われたことがよく分かる。そのため女帝は即位してからは、子供を作らせないために独身を強いられたというのは個人的な悲劇でもある。
3冊目は『大正天皇』(原武史、朝日選書、朝日新聞社、2000年)で、あまり世に知られることのない大正天皇(1879~1926、在位1912~1926)につき、遠眼鏡事件も含めて温かい筆致で描かれている。大正天皇が神前結婚式の初めであるとか、皇室において一夫一妻を初めて守ったなどが触れられており、皇后との相性もよかったようで、家庭的で人間味あふれるお人柄がしのばれる。日本人として日本史や天皇についてよりよく知るために、この3冊を勧める。
出題)「思い出したら電話するよ」をロシア語にせよ。
2013年03月17日
●続和文解釈入門 第37回
完了体というのは主観的ニュアンスを帯びるわけで、主観的というのは意識的というに近い。つまり考えてから動作に移るまでに、少なくとも一呼吸というか、一瞬はあるわけで、そのためにその時点のその瞬間を示す事ができないということになる。完了体の完遂的用法(『和文露訳入門』4-2-1項)というのはそういうことに依るものと思われる。また完遂的用法の否定を『和文露訳入門』の否定の強調3-2-4項として現在の時制で扱っているが、この現在というのは広い意味の現在であり、今現在のこの一瞬を含まない、一瞬後以降の近接未来を示している。日本語は動詞の活用では見かけ上、現在と未来を区別しないので、ロシア語に訳す時に、頭の中で細かく時制を判断しないと、正しい訳ができないことになる。
出題)「読みは当たった」をロシア語にせよ。
2013年03月18日
●続和文解釈入門 第38回
現在の時制では結果の現存以外は完了体を使えないと考えると、日本語の動詞の現在形は不完了体現在形を使えばよいという考え方もできる。後は歴史的現在とかテイル形の例外(「彼はここに来ている」は文脈によって、彼は今ここにいるという意味にも、ここに来たことがあるという意味にも取れる。後者なら1度だけなら完了体過去形のアオリスト的用法を、何回もというなら不完了体過去形を使う事になる)だけを別にしておけばよいということになる。
遂行動詞はどうすればよいのだろう?「~をお知らせします」は、遂行動詞としてなら、「明日朝10時に会議をすることをお知らせします」はСообщаем, что завтра в 10 утра будет собрание.と不完了体現在形となるし、「今明日の会議についてお知らせします」Я сейчас сообщу об собрании завтра.なら完了体未来形になる。日本語の動詞は非過去の場合、現在の時制と未来の時制を動詞の形の上では区別しないので、露訳の際、文脈によってはすぐに遂行動詞との区別がつきにくいということもある。遂行動詞というのは発話行為自体が動作であり、発話と共に動作が始まり、発話の終了と共に動作が終わるが、その動作の結果は残る、ある意味、始まりと終わりのある過程の用法と言えなくもない。遂行動詞は不完了体である以上、場依存型であり、その場の話の流れに沿って動作が行われるのだという事が言える。完了体未来形では、動作の内容はこの発話だけでは分からない、つまりこの後(直後の可能性もある)である未来にその内容が伝達されることになる。
露和辞典にも遂行動詞が使えるのかどうかの区別もないし、用例もあまりない。当時の辞書の編集者に遂行動詞という観念があったのかどうかも疑わしい。またすべての不完了体に遂行動詞の用例があるとも思えない。結果現存兼評価型動詞であれば遂行動詞ではない。多回体も遂行動詞ではないし、状態の動詞も遂行動詞ではないであろう。過程を示す動詞も遂行動詞ではない。遂行動詞というのは発話行為自体が動作であり、発話と共に動作が始まり、発話の終了と共に動作が終わるが、その動作の結果は残る、ある意味、始まりと終わりのある過程の用法と言えなくもない。露和辞典においても不完了体は動詞(動詞群)によってこれらの用法を識別する必要があると思われる。露文和訳や露文解釈は文脈により、ある程度感覚でできるが、和文露訳は辞書にそういう識別がないとロシア語の動詞を使いこなせないという事になる。
出題)「どなたにご用ですか?」をロシア語にせよ。
2013年03月19日
●続和文解釈入門 第39回
通算してもう600回以上和文露訳を出題しているわけだが、自分の答えと同じ正解を投稿してもらってうれしいかというと、特にそういう事はない。教えているという意識が自分にないからである。せいぜいのところ、この投稿者はよく勉強しているなと感心するくらいだ。間違いの方もこちらの想定内なら、ざまあみろとか、可哀想にとか、もっと勉強すればよいのにというような類の感情もない。正解でも自分が考えてなかったようなものは新発見ということで嬉しいが、もっと嬉しいのは、見た瞬間、間違いだ、自分なら絶対こうは言わないと、自分の勘がささやくのだが、どうして間違いなのか理詰めで説明することが簡単ではない場合である。まさか、自分の勘ではこういうふうにはロシア人は絶対言わないとはコメントに書けないではないか。そうなると、辞書や参考書を総動員して調べることになる。理詰めの説明がつけば、又一つロシア語に関して、自分が利口になったわけで、こういう投稿者にはいくら感謝しても、し足りない。その積み重ねが『和文露訳入門』の穴(文法的、語彙的な誤り)をふさぐ(防ぐ)役割を果たしていると思う。結局のところ、このコーナーも自分のロシア語向上のためにやっているのだからということに尽きる。このコーナーをやっていて思うのは、自分にはない他の人の発想のバリエーションの豊かさということである。丸暗記ばかりしている人には、そのような発想は出て来ないと思うし、丸暗記ばかりしている人は、暗記の想定外のとき、つまり応用がきかないということになる。そういう意味で、このコーナーに投稿してみようかという人は、ロシア語について、常に何か疑問を持っている、疑問を持てる人ということになる。そういう意味で投稿者は大したものだと思う次第。
出題)「効果があるといいが」をロシア語にせよ。
2013年03月20日
●続和文解釈入門 第40回
観光ガイドをしていると、日本のホテルの電圧は100Vであり、周波数は東京が50ヘルツГц (герц)なのに対して、関西は60ヘルツだと教える必要がある。こんな小さな島国で周波数が二つあること自体が驚きだが、一応ロシア人に説明する必要があるので、ご参考までになぜそうなったのかを書いておく。事の起こりは関西では大阪電燈、関東では東京電燈という大手2社が電気事業の覇権を争ったことにある。大阪電燈は初めから交流ということで、1888年にアメリカのGE社の交流発電機を設置した。この周波数が60ヘルツだったわけである。一方東京電燈(後の東京電力)の方は、初めは、つまり1887年から直流でやっていたが、交流の良さを認め、1896年に東京の中央発電所である浅草発電所に200KWのドイツ製AEGの交流発電機を設置した。ドイツ製は50ヘルツであり、これが現在に至るまで尾を引いて、糸魚川静岡構造線に沿った形で周波数が分断されているわけである。基本的に北海道電力、東北電力、東京電力は50ヘルツであり、それ以外の電力会社は60ヘルツである。
出題)「お前、いつからそんなに執念深くなったのだ?」をロシア語にせよ。
2013年03月21日
●続和文解釈入門 第41回
若返りに関する著作が売れている。宣伝でどうかなと思われるものもある。30代にメガネをかけ、ひげを生やした写真と、今現在50代で眼鏡もひげもない写真を二つ並べて、50代の方が若く見えるから、これが若返った証拠であるというのはいかがなものか。だれでも高校時代、大学時代に、人より老けて見える人、若く見える人というのはいたわけで、そういう人が同窓会で会えば、昔若く見えた人は、やはり今も見た目は若い。若く見えるからといって、万事OKかというと、女性の場合は知らないが、男性の場合はさにあらずで、20代で課長などになって、年配の部下を使うというときなど社外に行くと、部下が上司扱いされて腹立たしい思いをするという事も聞く。それでどうするかというと、メガネをかけたり、一番いいのはひげを生やすのである。これでお分かりになるだろう、30代にひげを生やしたり、メガネをかけたで老けて見せた写真と、今現在ひげを剃って、メガネをコンタクトに代えたとしても、元から若く見える人は若く見えるのである。
出題)「これがヴァレンシヤホテルだってことは90%間違いない」をロシア語にせよ。
2013年03月22日
●続和文解釈入門 第42回
最近読んだ探偵小説の中で結果存続兼評価型動詞の例を挙げておこう。男の子が1日中遊び呆けて、ママにベッドに連れて来られるシーンである。
И говорил "Мам, я уже встаю, встаю, мам!" и засыпал опять.(「ママ、もう起きてるよ、起きてるってば、ママ」と言って、また寝入ってしまった)
このвстаюは経過(進行形)を示すものではない事はお分かりだろう。この作品を書いたのはタチヤーナ・ウスチーノワТатьянаУстинова という女流作家であり、Саквояж со светлым будущим(明るい未来のつまったボストンバッグ)の一節である。スリラーとラブストーリーと探偵小説がいっしょくたになったようなもので、それなりに面白かった。他にМиф обо идеальном мужчине(理想的男性についての神話)も読んだ。これらは4年ほど前ガイドをしていたときに、別れ際に女性客からもらった探偵小説5冊の2冊である。こういうのは好みがあるから特には勧めないが、会話の部分は実戦的なロシア語会話の例文として大いに参考になる。女性作家ゆえに女性や子供の心理や仕草が丹念に描かれているので、会話用のサンプル収集には非常に役立っているような気がする。
出題)「セミョーノフの取り巻きは日本人の間にロシアと日本政府の接近がまもなく起こるという噂を流している」をロシア語にせよ。
2013年03月23日
●続和文解釈入門 第43回
ソ連時代に出たドストエフスキーの完全版全集30巻(実際は33巻)は、最初ナウカ経由で、後はロシアの古本屋でそろえた。15巻までは小説なので、これは全部読んだ。『作家の日記』は時事評論だろうと思い、放っておいたのだが、当時の三面記事に関するエッセーのようなものも入っているという事を知って、ロシアの犯罪が自分のライフワークであることもあり、最近読み始めた。読み始めて感じたのは、いくつか短編が含まれていることである。当時の社会情勢に触発されて書いたのかもしれない。1876年の11月はКротная(「大人しい女」とでも訳すのだろうか)という30ページほどの短編で始まっている。二人の男女の愛と自尊心がテーマのようで、愛がAll or nothingかどうかということのようであり、つきまといの逆のような感じもする。この作品は短編でも人生というものを感じさせる良作だと思う。ドストエフスキーの邦訳全集は大きな図書館ならあると思うので、ご興味のある方は一読されたい。
出題)「私に何かご依頼なさりたいことがあるのではないですか?」をロシア語にせよ。
2013年03月24日
●俗和文解釈入門 第44回
前回の続き。この短編の後に書かれているのは、実録もので、6歳になる前妻の連れ子を妊娠中の若妻が窓から放り投げた事件である。この女の子には幸い怪我もなかったのだが、なぜかその若妻は自首して、シベリア送りの判決を得た。黙っていれば分からなかったはずにもかかわらずである。ドストエフスキーは妊娠中の一時的錯乱аффектであり、無罪にすべきだと主張している。死刑の直前で執行中止となった自身の経験を踏まえ、前回の短編よりもこの実録もののほうがドストエフスキーの人間性がよく出ているように思える。
出題)相手への電話中に発せられた言葉「私はそのことで電話したのではない」をロシア語にせよ。
2013年03月25日
●続和文解釈入門 第45回
実在したかどうかは不明だが、明の時代に我来也という怪盗がおり、忍び込んだ家に自来也と書き置きしたという。日本では自雷也となって、歌舞伎や漫画でガマに乗って忍術でドロンと消えたり現れたりする怪人になった。戦後のモスクワも治安の悪いところで、1946年3月6日付夕刊モスクワВечерняя Москваに黒猫Чёрная кошкаという記事が載り、窃盗団「黒猫Черная кошка, Шайка чёрного кота」が盗みを働いた後、Не ищите нас, здесь была "чёрная кошка".(探しても無駄だ、黒猫参上)という落書きを残したと伝えている。この窃盗団は一つではなく、一種の流行りのようなもので、いろいろな窃盗団が黒猫を名乗り、モスクワだけではなく、オデッサなどにも現れた。モスクワの地下鉄の入口近くあった黒猫の落書きも当時の写真で残っている。「待ち合わせの場所を変えることはできないМесто встречи изменить нельзя」(1979年)というヴィソーツキーВысоцкий主演の映画に、この黒猫のエピソードが事実とは違うが描かれている。黒猫については拙著『ロシア史異聞』(東洋書店、ユーラシアブックレット)に少し書いた。
怪盗や窃盗団は別にしても、観光地などの落書きで、英語でもKilroy was here.があり、ロシア語ではЗдесь был Вася - Эта надпись стара как мир.(「ワーシャ参上(見参)」、これは世界の誕生と同じくらい古い落書きだ)ということもある。落書きやイタズラ書きはнадпись на стене(壁の落書き)と言い、надпись= короткий текстであり、граффитиも同義語だが、不変化で複数扱いである。卑猥なものは、стирать мокрой тряпкой всяческую похабщину(どんな卑猥なイタズラ書きもぬれ雑巾で消す)という表現もある。
出題)「30時間コースの受講者数は年間300名にのぼる」をロシア語にせよ。
2013年03月26日
●続和文解釈入門 第46回
学生の頃チェーホフとドストエフスキーの完全版全集を予約した。当分読めなくともいつか読みたいと考えたからだ。チェーホフは無事全巻入手したが、ドストエフスキーの方は24巻を入手したところで、駐在でモスクワに行くことになり、予約を中止した。このドストエフスキーの完全版全集は全30巻(実際は33巻)で1972年に始まり1990年に完結している。面白いことに最初の16巻までは部数は20万部という桁違いのものであり、さすが社会主義国というか、売れるか売れないかは関係ないという感じである。それが1980年代ごろからソ連経済の破綻が表面化してきて、出版界もその影響を被ってきた。17巻は17万5千部に18巻以降は5万部とか5万5千部ぐらいである。それでも今の日本の出版事情を考えるとものすごい量である。ソ連が崩壊してから、古本が非常に安価に出回った。日本円で当時ハードカバーが1冊100円とか200円という感じである。私は少しでも名のある作家のものや、ロシアの犯罪に関するものはすべて買いあさり、その頃はもう駐在ではなく、出張でロシアやカザフ、ウクライナによく行っていたが、毎回60冊ぐらいは買って帰った。気になっていたドストエフスキーの残り25巻から30巻も1冊ずつ買っていたのだが、どうしても第25巻が手に入らない。全集の中でこういう手に入りにくい端本のことを利き目というのだと『新懐旧国語辞典』(出久根達朗、河出書房新社、2010年)に載っている。もちろん30巻全集には入っているが、全部買って日本に持って帰るわけにもいかない。2度目のモスクワ駐在の時2000年だと思うが、25巻から30巻までが馴染みの古本屋で、日本円にして2000円ぐらいで売っていたので、これを逃してはチャンスがないと思い、買った。そのとき一緒に行ってもらった運転手から、1冊買うために9冊買うなんて馬鹿ではなかろうかと何度も言われた。この全集では小説は15巻までで、それ以降は評論の類であるとずっと思っていたので、15巻までは全て読んだが、それ以降はほったらかしにしていた。25巻を買ったのも1巻抜けているのもどうかなというインテリア感覚だったのである。
ロシア語が生きがいとは言え、私の中心になるテーマは和文露訳という意味での現代ロシア語会話と、もう一つはロシアの犯罪史である。あるときドストエフスキーの『作家の日記』に当時のロシア社会の三面記事を評論として扱っているというのを知った。手持ちの全集を見ると、『作家の日記』はこの全集の21巻から27巻を占めている。25巻は1877年の分であり、トゥルゲーネフやべリンスキーとの出会いが作家の道への第一歩になったこと、詩人ネクラーソフ、トルストイに関することなど面白い記事がたくさんあったので買って本当に良かったと今にして思う。『作家の日記』のスラブ主義、キリスト教、バルカン問題というのはそれほど興味がないが、日常の三面記事の出来事、ユダヤ問題、ヨーロッパとの関係などは、ロシア人の本質を考える上で非常にためになると思う。『作家の日記』には最初の15巻に含まれていないいくつかの短編もあるが、佳品が多い。
出題)「法の名のもとにあなたを逮捕します」をロシア語にせよ。これに対する御回答のコメントは2、3日後となりますので、悪しからず。
2013年03月28日
●続和文解釈入門 第47回
遂行動詞を否定すると、遂行する動作自体が存在しなくなるのだから、「~しないことになっている」というような一般的にこうだという意味にしかならない。
(弊社は他の方々にお客様の個人データを知らせることは一切ありません)Мы никогда не сообщаем ваши личные данные другим сторонам.
出題)「悟りに達すれば、全ての苦しみや迷いは消える」をロシア語にせよ。ご回答のコメントも3、4日遅れると思うので、悪しからず。
2013年03月29日
●続和文解釈入門 第48回
по причине + 生格(~という理由で)というのは、日本人が使いたがる理由を示す句だが使い方が難しいと書いたことがある。一つにはこれ自体が官庁用語でぬえのようなあまり特徴がないというか、特徴がないことが特徴であるということでもある。из-за + 生格なら、理由や原因が悪いことやお金などの目的を示すとか、благодаря + 与格なら理由や原因はよいこと(最近は悪いことでも使われるとはいえ)だとかの目印があるが、по причине + 生格にはそういう使用上の目印がないので、使いにくい。強いて言えばお役所関係の翻訳でよく使うという事が挙げられる。それと使いにくい理由は、レーマとして使われるので、テーマとレーマということをよく理解していないと、間違いとしてロシア人に直されることが多々あると思う。テーマは主題であり、レーマは解説部である。これについては『和文露訳入門』9-10項に挙げた。オリェーシャОлешаの『妬みЗависть』の中に、分かりやすい例文を見つけたので、ここに挙げておく。
(バービチェフを見るのは非常に気分がよかった。その理由は二つある。一つは彼が有名人だったことであり、二つ目は彼が太っていたことである)Было очень приятно видеть Бабичева по двум причинам: первая - он был известный человек, и вторая - он был толст.
出題)「空腹ではタバコをすうな」をロシア語にせよ。
2013年03月30日
●続和文解釈入門 第49回
大学を出て、小さな商社に入り、営業に配属され、通商代表部のある公団の駐在員の担当となった。彼の家族がやってくるというので横浜に出迎えたことがあったのだが、5歳の息子のロシア語が分からない。まったくチンプンカンプンでかなり自信をなくしたことを覚えている。その頃はロシア語をやって5、6年だし、大学の時に4人の仲間と1年間自費でロシア人の女性から会話を習っていたこともあって、仕事上の会話では、つまり大人のロシア人との会話では不自由しなかったからなおさらである。今にして思えば、見ず知らずの日本人の幼稚園児とでも、園児の言わんとすることを理解するのは難しいと思う。彼らはいい意味での全くのジコチューだからだ。自分の狭い世界(幼児だから当然だが)からようやく外の世界に飛び出す時期だからであり、そのためにこそ幼稚園や小学校の先生という幼児との意思疎通のプロがいるわけで、素人がかなうわけがないのであり、それが外国語となればなおさらである。こういう幼児とは語学でどうのうこうのではないわけで、特定の幼児とうまくコミュニケーションが図れても、他の幼児、あるいは大人のロシア人とうまくロシア語が通じるかは別の問題だということがおいおい分かってきた。
出題)「そいつが死ぬだけではなく、時間をかけて死ぬことが彼には必要だった。短い時間でも、ほんの数秒の間でもいいから」をロシア語にせよ。