2013年03月09日

●続和文解釈入門 第29回

会話でよく使われる遂行動詞について面白いことに気がついた。

a) (日曜に映画にご招待申しあげます)Мы предлагаем вам в воскресенье пойти в кино.
b) (お静かに願います)Я прошу соблюдать тишину.
c) (夏に南に行って来るよう勧めます)Я советую вам летом съездить на юг.

 これら三つの文は仮定法を使っても、やや丁寧な感じがするというニュアンスはあれど、意味に変わりはないが、その場合a) предложили бы 、b) просил (а) бы 、c) советовал (а) быとそれぞれ違う体になる事に気がついた。これはb)とc)の動詞が体のペアとしては不完全な、『和文露訳入門』7-2項の動詞群であり、b)やc)の動詞は不完了体優位(不完了体から完了体が発生したと考えられる動詞群)だからかもしれない。

出題)「中所得の日本人大多数にとって初めての車は夢の又夢だった」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2013年03月09日 07:55
コメント

Для большинства
японцев среднего
сословия дохода
первая машина была
как будто сказочной страной.
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сословиеというのは、社会階級で、士農工商とか、北朝鮮でいう出身成分ですから違います。最後のсказачной странойだと「最初の車はおとぎの国のようだ」となって文法的に無理があると思います。私の答えは、Первые автомобили оставались пределом мечтаний для большинства японцев со средними доходами.
なお、мечтаの複数生格はмечтанийである。

Posted by ブーチャン at 2013年03月09日 09:05

Для большинства японцев со средней зарплатой первая собственная машина оставалась нереальной.
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まあ意味は分かるでしょう。あえてコメントすれば、зарплатаとすると、サラリーマンだけということになります。自営業でも中所得層というのはいるわけですから、その点を考慮すべきです。люди среднего достатка(中所得の人達、中流の人たち)という表現もあります。

Posted by ゴ at 2013年03月10日 00:41

また固め撃ちで失礼いたします。

(お題)
中所得の日本人の大多数にとって初めての車は夢の又夢だった
(コーシカ訳)
(1) Первая машина была мечтой из мечтаний для большинства японцев, которые получали среднего дохода.
(2) Первая машина была мечтой из мечтаний для большинства японцев средней достаток.

бытьの後を造格にすると一時的な状態を表せたはずですので
「当時は」という含みで造格にしております。
былаとはっきり過去ですから主格でも大きく意味は変わらないようにも思いますが…
(1)でполучатьと不完了体なのは
ある程度の期間に亘って受け取る収入と捉えたためです。
достаткаで収入の意味がある、と他で調べものをしていて分かりましたので
(2)を追加しました。
さて、正解は
пределですか~
最高度の、という意味があるんですね。
были за пределом их стороныという言い方も(文法的には)出来そうな気もします。
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достатокと男性名詞です。мечта из мечтанийという発想はよいと思いますが、現実的にはこういう言い方はあまりしないようです。за пределомは問題ないでしょうが、их стороныをつけると意味がよく取れませんし、直訳調のような気がします。

Posted by コーシカ at 2013年03月23日 21:06
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