2005年11月29日
●トンチ話
アネクドートанекдотыにはいくつか意味があり、歴史的人物のユーモアあふれた挿話とかトンチ話という意味がある。その中にはホッジャ・ナスレヂンのトンチ話というような有名な笑話集もあり、チェチェンなどカフカス諸民族やチュルク系諸民族(トルコ、トゥルクメニヤ、カザフ、ウズベク、キルギスなど)の間では、ホッジャ(モーラ)・ナスレヂーン(シャラドゥイン)Ходжа Насреддинがトンチ話の主人公として有名である。この人物については、アッバース朝5代カリフのハールーン・アッラシード(786~809年統治、北条時頼や水戸黄門のように隠密裏に庶民の暮らしを探ったという回国伝説で有名)下でバグダッドの博識な学者だったが、妬みを恐れて愚者を装ったと言う。トンチ話中のホッジャは真実と正義の味方であり、機転が利き、とらわれない考え方をする民話中の集合的人物像であろう。ホッジャというのは師、老師という意味である。エフェンジэфенди (読み書きできる人、ギリシャ語由来)とも呼ばれた。最初にこのトンチ話が現れたのは13世紀であり、印刷物としては1837年イスタンブールおよびブラク(カイロ近郊)であった。「ブハラのナスレヂーン」(1943年タシュケント映画スタジオ)という映画も作られているし、ソロヴィヨーフのホッジャ・ナスレヂーン物語という小説もある。それほど面白いものはないが、ロシア版一休さんと思えばよい。
Как говорят, ходжа был лицом уродлив и, зная об этом, не любил смотреть в зеркало. Однажды его жена, будучи беременной, внимательно посмотрела на лицо ходжи и сказала:
- С одной стороны, я радуюсь, что у нас будет ребенок. Но, с другой стороны, горе мне, если ребенок будет похож на тебя.
Ходжа взглянул на жену и сказал:
- Если ребенок будет похож на меня, это еще полбеды, но горе тебе, если ребенок будет не похож на меня.
訳)ホッジャは顔が不細工だったと言われている。このことを知っていて鏡を見ることを好まなかった。あるとき、彼の妻が妊娠して、ホッジャの顔をじっくりと見るなりこう言った。
「私たちに赤ん坊ができるのは嬉しいけど、赤ん坊があんたそっくりだったら、私嫌だわ」
ホッジャは妻を見て、こう言った。
「赤ん坊が俺に似てたって、まだそれほど悪いことじゃない。もし俺に似ていなかったら、お前嫌な目に遭うことになるぞ」