2014年12月01日

●和文露訳指南第111回

『和文露訳指南』8-4項末尾を下記のように追記した。

в чём (= где) も同様に、ロシア語の文では主語とイコールではなく、知識(問題などの)のある(内在する)場所(所在)ということになる。гдеは所在を示すが、в чём/на чёмとなり、必ずしも内在するものを示さないので使わないのだと思われる。

(生きるか死ぬか、それが問題だ)Быть или не быть, в чём вопрос. <英語ではTo be or not to be, that is a question.となり、ロシア語との差が明確である>
(どういうことだ)В чём дело? <= Что случилось?>
(サムソンの力(の源)は彼の髪の毛にある)Сила Самсона заключалась в волосах его.
(すべての宗教的教義の本質は愛である)Сущность всех религиозных учений – в любви.

出題)「行ってみると、奴はもういないというわけさ」をロシア語にせよ。

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2014年12月02日

●和文露訳指南第112回

この和文露訳の短文をブログに掲載してから1200回を超えた。3年以上にもなる。今年いっぱいのネタはあるが、いつまで続くかは分からない。投稿者は匿名でも受け付けているので、投稿する側は気は楽だが、投稿者や閲覧者同士の交流の場がないわけで、このコーナーが終わればすべて雲散霧消となるだろう。日本ではロシア語に興味ある人は少ないし、ロシア語を話せる人でも、初級文法は別にして、文法、特に動詞の体などに興味を持つのは奇人変人の類と見られる嫌いなきにしもあらずといったところである。そういう中でごく少数とはいえ、投稿者(定期不定期を問わず)や閲覧のみの方々には深くお礼申し上げる次第である。こういうマイノリティーのグループでは、独学を続けるには無理がある。このコーナーではできるだけ私の体験を伝えようとしているが一方通行であり、一人でロシア語を学ぶ上ではいろいろ疑問が起こり、気軽に聞く相手もおらず、それが解決されないために勉強が続けられないということも起こり得ると思う。

 そういう中で昨日チジクピジクさん(chijikpijik@hotmail.com)よりオフ会の提案があったので、ここに再録する。急な話しのために志があっても、また住まいの場所の関係で参加できない方もおられると思うが、今回がだめでも、1月なら可能であるというような人もおられるかもしれない。マイノリティー親睦の場として、顔つなぎができれば、今後はメールなどで上級者は中級者や初級者に学習上のアドバイスができるようになると思うし、いろいろ面白い話も聞けるかも知れない。これまで遠慮して私にメールで質問できなかった方も、あるいは直接学びたいという方もおられるかもしれない。そういう意味でのразбить лёд(障害や緊張を取り除く)という意味合いであり、それによってЛёд тронулся.(物事が動き出した)となるように願っている。参加者は必ずしも投稿者である必要はなく、極端に言えばブログの閲覧者である必要もない。独学であろうとなんであろうとロシア語がうまくなりたいという人であれば歓迎する。参加の申し込みは私のホームページ「ランポポー」からメールで私宛でもよい。

さとう先生のブログ愛読者の皆様

12/12(金)20:00から東京の上野近辺でさとう先生とのささやかな忘年会を同僚と二人で催します。ご興味のある方はどなたでも私のメールアドレス(chijikpijik@hotmail.com)にご一報いただけるとうれしい限りです。

出題)「その不景気の時の大量馘首が女性に大打撃を与えた」をロシア語にせよ。

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2014年12月03日

●和文露訳指南第113回

『和文露訳指南』6-2-7項は「語義的に、不可避・必然を示しているために、具体的な1回の動作の頻度が高く、そのため完了体のприйтисьの使用のほうがはるかに多い。一方不完了体のприходитьсяは反復、習慣、慣用や否定で用いられる。」と訂正します。この場合の動作の継続は不定形の役割の一つであって、приходитьсяそのものとは関係ないと判断したからです。その理由はприходитьが反復を示し、過程や状態を示す事ができないということにあります。

出題)「娘は狂言自殺を図った」をロシア語にせよ。

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2014年12月04日

●和文露訳指南第114回

このコーナーでは和文露訳を短文で出題しているが、もっと大きい単位、例えば、段落、やページで出題しないのはなぜかという疑問が起きるかもしれない。実際、和文露訳のロシア人講師の添削などは4~5行の段落の問題をいくつか出題し、1カ月後に添削するというのが多いようである。段落や1ページぐらいの出題であれば、前後の文脈もつかみやすいので、動詞の体などの設定がしやすいという利点はあるのは認める。ただ短文にするのは、長いと個人的に添削するのが面倒だという理由の他に、各投稿者の間違いの数である。短文には一応出題の狙いが一つあって、間違うとしたら、タイプミスを除けば、その1か所のはずであり、それが動詞の体の使い分け、単数複数、語彙だったりする。ところが、短文ですら一つどころか、二つ、あるいは4つぐらい間違う投稿者もいるのに、これが、段落やA4の1ページなら間違いの数は比較にならないほど多いと思われる。そういうのを添削するのはできないことはないが、投稿する側からみれば、間違いが多ければ多いほど、添削されて直された個所への注意が分散する。短文であれば、間違いは普通は1箇所なので、例えば、今回は不完了体の結果の存続の無効であり、『和文露訳指南』の第2-1-8-10項を見れば、詳しい説明があると説明したほうが、学習者にとっても自分の間違いに集中することができ、正しい理解に導きやすいと考える。

出題)「大多数の雑誌は創刊された年に廃刊となった」をロシア語にせよ。

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2014年12月05日

●和文露訳指南第115回

『代替医療のトリック』(サイモン・シン&エツァート・エルンスト、青木薫訳、新潮社、2010年)を読んだ。鍼、指圧、灸、電気、レーザー、音波、磁気を使った治療、ホメオパシー、カイロプラクティック、ハーブ療法の治療効果はプラセボ(プラシーボ)効果によるものであり、患者の治りたいという気持ちが治療効果をある程度出す場合もあるのだということである。カイロプラクティックについては腰痛に効果がある場合もあるが、レントゲンの多用でガンになる可能性もあり、予防接種に対する敵対的態度、頸椎への手技では頸動脈破損の可能性が何もしない場合の5倍にも上るとして、より安全な理学療法や整骨療法を勧めている。プラセボ(偽薬)効果というのは、例えば砂糖の丸薬と薬と偽っても、治療効果が出る場合もあるということである。世の中には催眠術にかかりやすい人とそうでない人いるわけで、暗示にかかりやすい人は、本人の意思にかかわらず、具合が悪くなるわけだから、プラセボだろうと何だろうと効果があればいいのではなかろうか思う。ただ問題なのは、プラセボ効果の出方が予測不可能ということにある。これなら通常の医療に頼った方が病気やけがが治る確率がはるかに高いと言える。本書ではプラセボ効果には、3つの要素があると指摘している。一つは、医師の評判が高いこと、二つ目は、治療薬が高いこと、三つ目は治療法が目新しいことである。高いお金を出しているのだから効果があるはずだという期待が、治療効果を挙げているということも否定できないということなのだろう。その他に、治療効果を上げるには、錠剤より注射、一錠より二錠、錠剤の色は緑が最も不安を和らげ、抑鬱改善には黄色がベストである。白衣を着た医師から錠剤をもらう方が、Tシャツを着た医師からもらうより効果があり、そんな医師でも看護師からもらうよりは効果があるとある。錠剤の大きさも大きい方が効果があるが、非常に小さい錠剤についてはその限りではないという。

 代替治療は通常の医療に比べ、より長い診察時間、より分かりやすい説明など、患者との間に治療効果のある関係を築き上げているために、プラシーボ効果が強く現れるのだろうと思われるという。

出題)「彼は病み上がりだ」をロシア語にせよ。

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2014年12月06日

●和文露訳指南第116回

神があるのなら、なぜこの世に悲しみや苦しみが尽きないのかという疑問は誰にでも起こる。ゴーゴリは悲しみにより人は賢くなり、苦しみと悲しみは、本では得られない叡智のひとかけらを得るためにあると言っている。トルストイは苦しみは人が常に完璧、啓蒙を目指し、神に近づくための褒美であると言っている。

出題)「沿海地方のスケトウダラ漁に小樽から出漁した」をロシア語にせよ。

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2014年12月07日

●和文露訳指南第117回

以前アマゾンのピダハン語は数、色、左右の概念もなく、時制も現在だけであることを紹介したが、左右の定義は日本語とロシア語ではどうなるのか気になったので調べてみた。ロシア語で左は心臓のある側とあり、右は左の反対と定義されている。日本語では広辞苑には左は南を向いたとき、東に当たる方向とある。南をどうやってみつけるのか気になったので、南を引いてみると、日の出る方向に向かって右の方向とあり、東は日の出る方向と書いてある。辞書作りにもいろいろ苦労があることが分かった。ところで左岸、右岸という言葉があるが、これを露文和訳したり、和文露訳するのは簡単であるが、川のどちらの方か分かっている人はいるだろうか?левый берег = берег, располоенный слева, если стоять лицом по направлению течения(左岸とは流れの方向に顔を向けて立つなら、左側にある岸)である。

出題)「早い者勝ち」をロシア語にせよ。

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2014年12月08日

●和文露訳入門第118回

ロボットが進化するにつれて、人間のすることはなくなってゆくように思われる。余暇が増えて行くにつれて、人がやらなければならないのは、人の内面を掘り下げて行く、つまり哲学をすることである。時間と存在について言語の方面から突き詰めて行くという事を考えるのも、未来を先取りしていることになる。これは難解な事を言っているのではなく、身近に、例えば自分の意思を精確に伝える方法を突き詰めて考えるというのでもよい。

出題)「違反だ、罰金3ルーブル」をロシア語にせよ。

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2014年12月09日

●和文露訳指南第119回

(彼はしばしばモスクワに来る)Он бывает в Москве.
(彼は3度うちに来たことがある)Он был у нас три раза.

бытьとбыватьの違いは、бытьが明確な回数を示すのにもかかわらず、多回動詞のбыватьは不定の複数回「いる、行く」という動作を示すということである。

出題)「あれはあれ、これはこれ」をロシア語にせよ。

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2014年12月10日

●和文露訳指南第120回

『和文露訳指南』3-1項末尾に下記追記乞う。

 不完了体現在形を用いた肯定文では動作が現に起きており、否定文では起きていないことは明らかなので、動作の有無のどちらかであることは明白である。動作の有無は不完了体の現在の時制における全ての用法に共通しているため、過去や未来の時制とは異なり、現在の時制では動作の有無の確認だけの用法はあり得ないと言える。

出題)「帰る時に窓は閉めたか確認してください」をロシア語にせよ。

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2014年12月11日

●和文露訳指南第121回

『和文露訳指南』第6章の出だしを下記のように改めた。

不定法を時制で考えると、時制を担うのは述部であって、不定形ではない。不定形は基本的に発話より未来の時制を示すのが基本で、反復や状態という意味では発話と同じ時制となり、発話より過去の時制を示すことはない。「~したことto have done」と言いたければ、то, что я сделал (делал)と節にするか、сделанноеと被動形動詞過去形を使うしかない。ロシア語では不定形では過去の時制を示す事がない代わりに、形動詞過去がその役割を担っていると言える。『和文露訳指南』8-10-2項参照。

(このテキストを読むのは我々には簡単だった)Нам было легко читать этот текст. <この意味では対応する完了体がないので、читатьと不完了体不定形が来ている>
(学生たちにとってその講義を聴講するのは興味深いことになるぞ)Студентам будет интересно слушать лекцию.

出題)「こういう場合彼はまず来ない」をロシア語にせよ。

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2014年12月12日

●和文露訳指南第122回

ロシア語の辞書は重い。アカデミー版の露露辞典は1冊あたりA4よりちょっと小さめで厚みは5センチ、重さも2~3キロはあるだろう。これまでに出た22冊を机の目の前にずらーっと並べている。坂口安吾に『勉強記』という30頁ほどの短編があるが、主人公は印度哲学科で梵語を学んでいて、その辞書たるや露露辞典の比ではないようだ。これを読むと、26歳の時にロシア語原文でゴーゴリの『検察官』を読み始めた頃、1ページで30回も辞書を引くのにうんざりしたことを思い出す。さすがに10ページも読まずにあきらめた。本格的にロシア語でロシア文学を読みだしたのは39歳のときの『ドクトルジヴァーゴ』だから、この後遺症はずいぶん続いたことになる。最初にロシア語で読むのはチェーホフの初期短編など、もっと短いものにすべきだったと思ったが後の祭りだった。1ページに辞書を引く限界は、個人的経験から言うと10回であり、それを超えるなら、まだその本は手に負えないということになる。自分の体験から言って、子供向けの本から始めた方が長続きするし、読解力もついて行く。何を読んでいるか誰に言うわけでもないのだから、児童向けのノーソフНосовの『もの知らず』Незнайкаシリーズなどは手ごろだろう。

出題)「彼は彼女が着替えをしている最中に(部屋に)入ってきた」をロシア語にせよ。

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2014年12月13日

●和文露訳指南第123回

昨日のオフ会には私を含めて7人(チジクピジクさん、ジェーニャさん、Jiangminさん他)が参加され、ロシア語に関する興味深いお話がいろいろ聞けた。このようなロシア語学習者というマイノリティーの中の体の使い分けに興味を持つ人というマイノリティーの親睦を深める機会が増えるよう切に願っている。急な話にも関わらず参加された方には深く感謝申し上げる。お話を伺った中で、拙著『和文露訳指南』の説明が分かりにくいようだが、特定の人を対象に書いたものではなく、また正確を期してロシア語文法の専門家からも間違いを指摘されないよう工夫して書いてあるので、回りくどく感じられるのも著者からすればある程度やむを得ないと思う。学習者個々人によって分からない点は異なるわけで、そうなるとその人に合わせて教えるしかないということになる。私も今は元気だが、気力がどこまで続くかは分からないし、このコーナーも自転車操業みたいなもので、出題の種がなくなればそれで終わりとならざるを得ない。この2、3年中ならまだ元気だろうから、元気なうちに会話における和文露訳や体の使い分けを後進に伝えたいと思う。

出題)「欠陥設備返品の件は納入者と発注者の代表によりケースバイケースで解決される」をロシア語にせよ。

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2014年12月14日

●和文露訳指南第124回

『和文露訳指南』6-1-1項に下記追記願う。

рано + 不定形(~するのは早い)やпоздно + 不定形(~するのは遅い)もпораに準用して、不完了体不定形を用いるのが普通である。これは動作が起こるべき時間がすでに設定されており、それより早いか遅いという事で切迫感に関係してくるからだと思われる。その他に考えられるのは、不必要や嫌気ということであるが、これも不完了体の用法である。

(あきらめるのは早い)Рано отчаиваться.
(ブレーキをかけるのはもう遅い)Тормозить уже поздно.

出題)「彼の忍耐には頭が下がる」をロシア語にせよ。

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2014年12月15日

●和文露訳指南第125回

オフ会の第1回はチジクピジクさんの呼びかけのもと、私も含めて男性4人、女性3人で上野の焼き肉店でお酒を飲みながら楽しくロシア語の話をしたのだが、開始がこちらの都合で午後8時、終わったのが10時半すぎだったようで、夜も遅くなってしまい女性の方にはお気の毒だったと思う。ただ世の中にはお酒が苦手な人もおり、オフ会がこのような飲み会である必要はない。マイノリティーの中のマイノリティーである我々の親睦が目的なので喫茶店でもいいわけである。東京以外の方でも、北海道、東北、関西などから出張とか、何かのご用で上京されるのであれば、私の家は葛飾区のJR新小岩駅と京成の立石駅の中間ぐらいなので、メールでご一報いただければ、たいていは閑なので、歓談することは可能である。もちろん都内在住の方で一度ロシア語の話をしたいという方でも大歓迎である。新小岩駅北口を出てすぐ左の雑居ビル2階にルノアールという喫茶店があるので、そこなどいいかもしれない。別に新小岩駅でなくとも、都内(できれば23区内)なら、こちらから出向くので一緒にお茶を飲んで若い人(多分ほとんどは私より若い人だろう)と1~2時間ロシア語関係の話をするのは、自分にとってもボケ防止になると思うので、特に遠慮なさる必要はない。

 ロシア語を勉強する人は少数ながらいるが、文法、特に動詞の体に興味を持っている方は限りなくゼロに近い。そういう地球上の絶滅危惧種同士親交を深め、少しでもレッドブックから外れるようになってもらいたいというのがこの歓談会を提案する理由である。学習のレベルが初級でも、中級でも、上級の方でもいろいろロシア語関係や、ロシア事情(最近の事情については知らないが)についてもお話しできると思う。一人でも私は構わないが、1対1だと気づまりだと思う方がいるかも知れず、それなら友人の方と一緒でも構わない。歓談ご希望の方はこのコーナーに書いてくださっても結構だが、できれば「ランポポー」という私のサイトのメールをクリックしていただくと私に直接メールできるようになっているので、そこを利用されたい。誤解があるといけないので、よけいなことを書くが、歓談は無料で、各自が自分の飲み物代(コーヒーや紅茶)を喫茶店に払っていただくだけである。

出題)「池の水を飲むなんてことは考えるなよ」をロシア語にせよ。

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2014年12月16日

●和文露訳指南第126回

智さんからの12月15日付のприходитьは過程でも使われるのではないかというご指摘に対しての回答も含めて、『和文露訳指南』3-1-1-2項を下記のように改めた。これは2-1-8-9項(歴史的現在)に書いたものをより適切な項目に移しかえたものである。智さんには深く感謝申し上げる。このように投稿者の御指摘が私のロシア語への理解を深めることにもなるし、智さんのお役にも立てればと願うと同時に、他のみなさんのご参考になるかもしれないと思い、ここに挙げる。ただприходитьと過程については、和文露訳入門の第137回本文ですでに述べており、これが拙著の元の原稿にあたる。

приходитьについては『ロシア語動詞の体の用法』(原求作、水声社、1996年)の137ページに、抽象的な意味を示す時には過程の意味で使えると書かれている。

(彼は意識が戻り始めた)Он начал приходить в себя.

これは語義の体の用法に対する影響の問題であって、体そのものとは関係ないとも書いてあるから、この場合とは違うと考えられる。ただ似たような文例で、3-1-5-3項にも書いたように、Я начинаю думать ...は意向の過程(~と考え始めつつある)というよりは、「もうそういう考えになった」というニュアンスであるから、これを過程と考えるのはどうかなという気もする。
意識が戻るというのは、一直線で戻るのだろうか?つまり過程として捉えられるのだろうか?気がつくというのは、意識が戻ったり、戻らなかったり、そういう意味で意識と無意識の境を往復しながらという風に理解して、ロシア語ではприходитьが用いられているのではなかろうか。

(北の短い夏の様々な喜びは終わりに近づき、終わりのないような秋がおぞましき姿で前に迫ってきたのであった)Радости короткого северного лета приходили к концу, впереди грозно надвигалась бесконечная осень. <радостиと複数なので、いろいろな喜びがそれぞれ終わりに近づくということで、多くの場合(例えばчасто)に起こる事柄には反復の用法として不完了体が用いられる>

原先生が挙げられている、それ以外の下記の二つの例文にしても、一見過程のようだが、意識は反復しているように見える。

(彼の人生の三度目の冬が終わりに近づいた)Третья зима его жизни приходила к концу. <季節は巡ってくるものであり、既に冬は2回巡ってきている>
(深く考えれば考えるほど、ある結論にたどり着く)Чем больще я обдумываю, тем больше я прихожу к выводу. <何度も深く考えて、何度もある一つの結論にたどりつく>

それゆえ私個人としてはприходитьは過程を示すことができないと思っている。приходить в себя (к концу)なども含めて、すべて反復で説明がつくと考えており、そこが原先生との考えの違いである。

出題)医者が患者の家族に言う「彼はまず助からない」をロシア語にせよ。

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2014年12月17日

●和文露訳指南第127回

このコーナーはロシア語の上級者専用サロンでもない。初級中級レベルの人でも、出題の和文露訳の短文に投稿すれば、仮想上の実戦体験ができ、ある程度の数の投稿をすれば、自分の弱点がより明確になると思う。また初級中級者で閲覧のみという人もいるだろうから、同じレベルの人の投稿には親近感もわき、得るところは大きいと思う。簡単そうに見える間違いだって、私の経験から言うと、文法的な説明のしにくいものは多々ある。そういうものは私の勉強にもなる。できるだけ新聞、雑誌、テレビなどの日常的な語彙を含めて出題するようにしているし、できるだけ理詰めに解説するつもりなので、どしどし投稿してほしい。毎日でなくとも1週間に1回とか、1カ月に1回でもよいと思う。投稿することによって、自分のためになるのみならず、知らず知らずのうちに、他の人のためにもなっているというのなら愉快な話ではないか。会話においても(後々いつまでたっても外人ロシア語だといわれないためにも)、露文解釈においてロシア文学を昧読するにせよ、体の使い分けはできるだけ早い時期にマスターした方がよい。体の使い分けは難しいが、理解不可能というわけでもないし、体系的である。体の使い分けを覚えながら、語彙もついでに覚えていけば、一石二鳥である。

出題)「昨日あったことが今はもうない」をロシア語にせよ。

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2014年12月18日

●和文露訳指南第128回

『和文露訳指南』10-3-5項を下記のように変更した。

 その文脈ではゼロなのか、単数なのか、複数なのか分からない数(不定数)については、可算名詞の場合複数で示される。同様に無を示す場合、可算名詞では複数生格を取ることになる。ゼロも意味するところは無だから同じ扱いとなる。ところが「ひとつも~ない」という一つすらという強調の場合は単数となる。これはロシア語には冠詞が存在しないことと関係があるのかもしれない。つまり単数は定冠詞である「その the」を意味し、複数は不定冠詞 anyというような役割分担のように見える。

(むくみは〔まったく〕ない)Отёков нет.
(零度)Ноль градусов.
(空には小さな雲ひとつない)На небе ни облачка.
(こんなことはまだ一度もなかった)Такого ещё ни разу не было.

直接補語(対格)の場合、単数生格にすると具体的な何かが存在しないという意味になる。2-1-2-2項や3-1-8項にあるように、動詞の直接補語を否定する場合も原則は同じである。

(僕は預言者というものを好きではない)Не люблю пророков. <補語が単数なら特定の預言者が嫌いとなる>

出題)「現在この地区に強風波浪注意報が出ている」をロシア語にせよ。

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2014年12月19日

●和文露訳指南第129回

ガイド試験に受からないとガイドとしては働けないが、通訳に免許は不要である。ガイド試験に受かるためには、市販の問題集をやって、ガイド試験の傾向と対策を十分に練ることが基本である。ガイド試験に受かるためなら、そういう学校や講座、過去問題集もあるから、私などの出番はない。ただ、試験に受かった後や、ロシア語の通訳として働こうと考える時に、自分のロシア語の実力でロシア人に通じるだろうかという不安は初心者ならだれでも持つはずである。特にロシア語の場合は、暗記した例文がそのまま使えるぐらい例文や語彙のストックがあれば別だが、動詞の体の使い分けが難しい。日常会話に近くなればなるほど、なぜこの体が使うのか理解できないことが多い。使い分けができないと、次に話す時に又間違える可能性もあるし、正否の区別がいつまでも分からないことになる。それでそのまま例文を丸暗記ということになる。問題はその例文でどちらの体も使えるような例文や、覚えた例文にない会話の和文に出くわしたときである。確率50%だから運を天に任すしかないが、それではいつまでも体の使い分けが理解できないし、死ぬまで運に天を任すというゴールの見えない例文や語彙の丸暗記の道を突き進むことになる。

 体の使い分けについては入門や初級の段階で勉強を始め(私の指導のもとかどうかは別にして)、中級や上級に至る前にマスターすることが望ましいし、それは不可能ではない。その一環として。実際に投稿するかどうかは別にしても、このコーナーの出題の短文にトライすることで、ある程度自分の弱点は分かるが、独学の場合適切な指導なくして、それ以上進むのは困難だろうと思う。その学習者のレベルに合わせ、また希望を聞いて、個人向けにアレンジした私の講習を週1時間受け、毎日2時間私のアドバイスに従って自習すれば、ゼロから始めた人でも5年くらい(体の使い分けのマスターだけなら1年くらい)で、語彙は別にして、今の私の文法のレベルに達することは可能である。すでに中級や上級のレベルの人は、1~2年も真面目にやれば私のレベルに到達できる。実際にガイドをしている人や通訳している人でも、体の使い分けに自信がないという人もいるというのは私にとっては驚きである。そういうレベルの人が私の指導のもと体の用法をマスターするのは、コツをつかめば簡単である。そうでないと上級者であっても、ひたすら例文や語彙の丸暗記の道をたどるしかなく、出口の見えないトンネルをただ進んでいくようなものである。だれもこれで体の用法はマスター済みという指針を示してくれないからである。

 私の講習では、学習者に特に希望がなければロシア語のアネクドート(露文解釈中心で、語彙ではなく構文の会話への応用)を使うので、ロシア人気質や日常のトリビア(雑学)も分かり、それらはガイドや通訳の時にロシア人との無駄話(日常の話)の理解に役立つ。ロシア人と話していて、語彙はすべて分かるが、全体の意味が分からないというのは、このような日常のトリビアを知らないからである。これはアネクドートのオチを理解することで分かるようになる。このような一般的な日常会話集に載っていないような語彙も私の講習に含まれるし、アネクドートで頻出する歴史的現在、時制の転用、遂行動詞など上級文法をマスターする過程で、語彙の収集の仕方は教えるので、自分で必要と思う語彙は自分で覚えればよいし、私の出版した参考書を利用してもよい。私の講習では基本的に説明なしに丸暗記はさせないが、文法を覚える時点で例文も暗記することになるので、自然と実戦的な語彙は増えてゆく。後はロシア文学でも、ビジネスロシア語でも、ガイドでも自分の好きな分野の語彙を増やしてゆけばよい。

 不人気なロシア語の面白さをできるだけ多くの人に分かってほしいのと、ロシア語(体の使い分けも含めて)やアネクドート(日本ではほとんど政治小話しかこれまで紹介されてこなかったが)を通じて、日本人の知らないロシアの庶民の深い洞察とたくましさ、日常を笑い飛ばすユーモアとしたたかさ、温かさ、謙虚さを伝えたいというのが終生の願いである。

出題)「名を名乗るのだけはご勘弁願います」をロシア語にせよ。

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2014年12月20日

●和文露訳指南第130回

被動形動詞過去は完了体由来であり、完了体の性質を受け継いでいるため、規則的反復や過程などでは用いられない。用いられるのは被動形動詞現在である。

часто задаваемые вопросы и ответы (ЧАВО)(FAQ よくある問答)

出題)「そうよ、ロマのことを時々思い出して、涙ぐむこともあるわ。なんて私純情で、お馬鹿さんだったのかしら」をロシア語にせよ。

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2014年12月21日

●和文露訳指南第131回

和文露訳の問題を作成するにあたって、一番信頼性が高いと思われていて、手軽なのは日本人とロシア人の分業である。日本人で話せるかどうかは別にしてロシア語の分かる人が和文を作り、それを日本語の読み書きができるかどうかは別にして、日本語の話せるロシア人に訳してもらって相互にチェックするというやりかたである。一見大丈夫のようだが、日本人がロシア語の体の使い分けや時制に、そのロシア人が日本語の時制に精通しているかどうかはこれまで問題にされて来なかったようだ。日本語とロシア語の時制が違うということすら気にもされず、会話が一応通じれば和文露訳の問題と回答は作れる能力はあると見なされているようである。相互チェックといっても、実質のところ語彙だけであり、出題される和文露訳の答えとなる露文は、つまりチェックするロシア人にとって、この露文を出題の和文とチェックすることになり、それはそのロシア人にとっては露文和訳であり、これは我々日本人にとっての和文露訳に相当するから、結構難しいはずだ。もしその日本人なり、ロシア人が日ロ両方の時制や体の用法に精通しているというのなら、二人でコンビを組む必要はないことになる。チェックが語彙はともかく、時制やアスペクト(体の用法のニュアンスも含めた和訳)が正確かどうかは大いに疑問である。一方その日本人にとっても、時制や体の使い分けを理解していないと正確にロシア語をチェックできないことになる。語彙が正しいというだけでは、訳の正確さは保証されないのはいうまでもない。これは前回出題した偶発的反復なども、この用法をその日本人がよく理解していなければ、時制が合わないということで出題から外されると予想されることでも分かる。出題されないのだから、いつまでたっても生徒は覚えないということになるのは必然である。

 このコーナーの短文に回答されたり、閲覧された方は分かると思うが、ロシア語の回答がロシア語として正しくとも、和文の意味を伝えていなければ間違いとなるのはよくあることである。こういうことは実際にやってみないと分からない。しかも出題の正解は一つとは限らない。正解と間違いの境界というのが曖昧な時もある。出題の日本語の解釈の仕方によっては、完了体と不完了体がそれぞれ可能な場合があるが、出題者としては、想定される全てを答えに網羅すべきである。またそのニュアンスの違いを明確にし、二つ解釈できるなら、解釈ごとに回答しなければ完璧な答えとは言えない。和文露訳を教える大学や講座が、そういうことも考慮して教えているのが大いに興味あるところである。どなたかご存知の方があればご教示いただきたいものである。

出題)「患者は急性の貧血を発症した」をロシア語にせよ。

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2014年12月22日

●和文露訳指南第132回

ロシア語には過去完了という形式がないため、過去完了の完了はアオリスト的用法として完了体過去形が、過去完了の継続は不完了体過去形が受け持つ。

(昨日は船の揺れが激しくてなかなか眠れませんでした)Вчера я долго не мог заснуть из-за сильной качки судна.

出題)「電動の天井扇が回っている」をロシア語にせよ。

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2014年12月23日

●和文露訳指南第133回

トルストイの『読書の範囲Круг чтения』でフス戦争当時の精神的指導者であるチェコ(モラビア)のピョートル・ヘリチーツキーПётр Хельчицкий(1390?~1460?)の著作が紹介されており、トルストイの無抵抗主義непротивлениеの先駆者のようである。キリスト教と戦争は相容れないと説いた。そういえば、キリストは「左の頬を打たれれば右の頬を差し出せと」言ったというが、ヘリチーツキーの主張への反論はキリスト者であればできないだろう。しかし、キリスト教国の歴史では、中世、近代と戦争が続いた。今のイスラム過激派のように、一神教というものは、基本的に他宗派を認めないことから、そのことがキリストの言説とは矛盾すると考えた人もいたことがわかる。

出題)「彼は資金カンパを募っていた」をロシア語にせよ。

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2014年12月24日

●和文露訳指南第134回

トルストイの『読書範囲Круг чтения』にブーカБукаという人の箴言がよく出てくる。ロシア語のбукаはお化けという意味だが、調べてみるとこの人は本名アルハンゲリスキーА. И. Архангельский(1857~1906)といい、獣医から時計職人になった人らしい。「精霊、救世主、聖母、天使たち、聖人、聖者、奇跡を起こす人たち、イコン、複数の十字架、数知れぬ絵やものが豊穰の角から出る神々のようにばらまかれている。最大の驚きは死者の体の一部(мощиのことを指しているのだろう)さえもだ。これは近代のエジプトのミイラと同じだ」と非難している。私が以前書いたように、一神教であるはずのキリスト教にも多神教の要素があり、庶民の中には聖母やそれぞれの聖人を、具体的な御利益(家内安全とか病気の平癒、家畜のお守り)に分けて信仰する人もいるわけで、彼はそれをものへの隷属化(執着)であるとして強く指弾している。

出題)「運転手が駐車場ではないところに車を置いて、罰金を払うということはこのようによくあることだ」をロシア語にせよ。

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2014年12月25日

●和文露訳指南第135回

偶発的反復と規則的反復の使い分けだが、偶発的反復は超時間的用法であり、過去、現在で使われるが、いずれの時制でも例示的用法からの派生という事で完了体未来形が用いられ、一つの動作を例としての(例示的な)反復や慣用を示す用法である。そのため主語が単数の文やтыを主語にした普遍人称文(特に諺など)でよく用いられる。「早起きは三文の得」の露訳は偶発的反復でも、不完了体の規則的反復でも表現できるが、完了体では一つの動作を例にとることにより、完了体の特質でもある具体性が感じられ、生き生きとした感じが出るが、不完了体では、例外なく皆こうであるというような平板な感じを受ける。

Встанешь раньше, шагнёшь дальше. <偶発的反復で、例示的用法の例えば早起きしたらというニュアンスがあり、二つの動作に論理的帰結がある>
Кто рано встаёт, тому бог даёт. <規則的反復で動作の常態化を示すが、二つの動作に論理的帰結がない>

ここで誤解して欲しくないのは、このように二つの体が語義的に同じような場合に使われるというのは非常に稀であり、仮に使われるにせよ、上に記したようなニュアンスの差はあり、通常は二つの用法に厳然とした使い分けの違いがあるということである。偶発的反復がよく使われるのは、動作が次々と行われる順次的用法のとき、否定の状況がある時、動作の到来を強調するような語句(как только, сразу, вдруг)がある時であるが、特によくみられるのは、文脈に原因が記載されているどうかは別にして、その結果(論理的帰結)のニュアンスがある時である。不完了体の規則的反復には結果のニュアンスはない。その例については、ひょっとして『和文露訳指南(改)』というのを出す時には載せるつもりだが、あてにはならないので、いずれ本コーナーに復習として出題することになるかも知れない。

出題)「この飛行機の高度はどのくらいですか」(機内でキャビンアテンダントに)をロシア語にせよ。

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2014年12月26日

●和文露訳指南第136回

このコーナーを始めた理由は、ロシア語の動詞の体の使い分けについて自分なりに整理しようと思い、またそれが世間で通用するかどうかを確かめてみたいと考えたからである。和文露訳短文に対する熱心な投稿者からのフィードバックもあり、おかげで『和文露訳入門』とその改訂版である『和文露訳指南』を電子版(紙の本は出版を引き受けてくれるところがなかったので)で出せた。本を出したのはいいが、この本だけで体の使い分けを体得できるとは思えなかったので、読者サービスの一環として和文露訳の短文出題を実戦用の模擬テスト代わりとして継続した。ひょっとして新規の購入者が出てくるかもしれないなとも考えたからでもある。

 短文出題が1300回近くになって思うのだが、上級者はこの本と短文出題をやれば体の使い分けがすぐに理解できるようになると思うが、初級者や中級者が体の使い分けを独学でやるには、うまくいったとしても10年とか20年単位の時間がかかるかも知れず、それくらいやってもよほど一所懸命取り組まないと、結局体の用法の全貌はつかめないということにもなりかねない。それではまったくの時間の無駄である。体の使い分けはできるだけ早い時期にマスターすれば、会話であろうと、通訳や翻訳、ガイドでも効果抜群である。なぜならロシア語のまともな文を会話で言おうとすればまず動詞が出てくるはずであり、そうなると完了体か不完了体かどちら選ばねばならないはずであり、そこでつまづくのが普通だからである。

 露文解釈や翻訳においても体の使い分けをマスターすることにより、動詞のニュアンスも含めてより深くロシア文学を昧読できるというものである。初級者や中級者でも体の使い分けを含めたロシア語のレッスンを受ければ1~2年で済むのに、その10倍の時間をかける意味はないし、10倍かけても体の使い分けが分からないということも大いにあり得る。ただロシア語自体が不人気のため、学習者が他言語に比べればほとんどいないというわけで、希望者もないのが残念である。希望者が万一出てきたころには、こちらの気力や体力が伴っていかないような気がする。

出題)「家から職場へは片道1時間40分の道のりだ」をロシア語にせよ。

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2014年12月27日

●和文露訳指南第137回

「完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点をイメージする」という私の完了体の定義は、完了体が過程を表す事ができないことに由来する。完了体は動作に焦点を置くわけで、それは動作にピントを合わせるゆえに、具体的な動作を示すのに完了体は使われるということになる。ここから完了体は動作のミクロ化(縮小化)を示し、不完了体は俯瞰的な、いわばマクロ的な動作を示すということも言える。

出題)「いざという時になると彼は二の足を踏んだ」をロシア語にせよ。

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2014年12月28日

●和文露訳指南第138回

『和文露訳指南』2-2-4項の末尾に、「(休暇はどのように過ごされましたか?)Как проводили отпуск? <この質問には、「旅行に行きました」というような答えを予想しているのにもかかわらず、Как вы провели отпуск? に対してのような、「Хорошоよかった」という返事が返ってくる場合が多々ある>」と書いた。このпроводилиは様態を聞いているのだが、文法的には過程を示している。というのはラスードヴァ先生曰く、過程というのは現象の内容を示すわけで、動作や事実の有無の確認とは対立するからである。

『和文露訳指南』3-1-11項に下記追加願う。
ラスードヴァ先生曰く、бытьは過去の時制で過程も示せるとしている。なぜなら過程というのは現象の内容を示すわけで、動作や事実の有無の確認とは対立するからであると。

(説明があった)Объяснение было. <動作の有無の確認>
(〔こういう〕説明があった)Было объяснение. <(これから)説明の内容が示される、つまり現象の説明であるから過程である>

様態に文の焦点があるというのは、すでに動作が行われているという前提ゆえ、5-1-3項同様、2-1-6-1項のみなし反復という考え方ができる。

出題)「1979年7月5日94歳でみまかった」をロシア語にせよ。

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2014年12月29日

●和文露訳指南第139回

『和文露訳指南』3-1-12項に下記追記願う。

この用法(結果存続無効)は不完了体を用いるために、経験の用法と重なり、回数や具体的にいつということを表現できないという憾みがある。

出題)「こういう人間は先に(銃を)撃ってから、その後話をする」をロシア語にせよ。

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2014年12月30日

●和文露訳指南第140回

命令法について第23回本文にて未来の時制を示すと書いた。命令法では過去や厳密な意味での現在の時制は示せないし、示す必要もない。なぜなら動作はすでに起こったか、起こりつつあるからである。もし過去や現在の時制を命令法で示すとしたら、起こった、ないしは起こりつつある動作とは反対の、つまり起こらなかったり、起こっていない動作を示す事になる。それは仮定法過去の過去と現在の時制ということになる。

出題)「くれるというならもらっておけ」をロシア語にせよ。

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2014年12月31日

●和文露訳指南第141回

拙著『るいごプラス!』に書いたように、сквозь, черезは空間や、場所(通り、川、部屋)を通って(越えて)という意味であり、ドアや窓などの対象物に対してはв + 対格を使う。

глядя в окно на бухту(窓の外の入り江を見ながら)
уходить в дверь с улицы(通りのドアを通って去る)

出題)「間違えたり、何か抜かしたのだったら、訂正するか、追加してください」をロシア語にせよ。

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