2014年12月30日

●和文露訳指南第140回

命令法について第23回本文にて未来の時制を示すと書いた。命令法では過去や厳密な意味での現在の時制は示せないし、示す必要もない。なぜなら動作はすでに起こったか、起こりつつあるからである。もし過去や現在の時制を命令法で示すとしたら、起こった、ないしは起こりつつある動作とは反対の、つまり起こらなかったり、起こっていない動作を示す事になる。それは仮定法過去の過去と現在の時制ということになる。

出題)「くれるというならもらっておけ」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2014年12月30日 06:51
コメント

Если он даст, получай.くれるは偶発的反復でсв、そう言われたら毎回もらうということでнвとしました。よろしくお願いします。

стрельнутьはстрелятьに対応すると思っていました。ожеговで見ると撃つの意味もありそうですが、あらためて研究社の辞書をよく見てみると、撃つの意味は丸かっこに入っていました。あまり用いないということなのでしょうか。勉強になりました。
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お答えは「彼(それ)がくれるなら」となっていますが、主語は不定と考えるのが普通です。仮に彼が主語であっても、両方とも規則的反復としないとおかしいように思います。例示的用法は形式上は完了体未来形なので、やまさんもご理解のように、主文が命令形では例示的用法とはならず、получайと成らざるを得ません。そうなると従属節が偶発的用法で、主文が規則的反復という奇妙な形になってしまいます。完了体というのは具体性を求めるので、完了体にするなら、前の文脈で明示されていて省略するなら別ですが、具体的な補語が必要です。私の答えは、Бери, благо дают.
благо = если, раз
 стрельнутьについては私の勘違いで、撃つという意味もありますから、正解です。申し訳ありません。訂正させていただきます。стрелять = производить выстрелы(何発か撃つ)であり、выстрелить = произвести выстрел(1発撃つ)と厳密に言えば、стрелятьには対応の完了体はありません。ただ、一回体のстрельнуть(研究社の露和では「撃つ、射る、石を投げる」ではстрелятьの対応の完了体としていますが、他の辞書ではそうは書いておらず、間違いでしょう)と違って、выстрелить несколько раз(何回か撃つ)と動作の一括化という用法もありますので、выстрелитьを使ったほうがよいと思いますし、仕留めるという意味はстрельнутьにはありません。

Posted by やま at 2014年12月30日 07:48

Если дадут, возьми.
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例示的用法と相性が悪いのでしょうか?дадутですが、具体性を強調するために、一つの動作を代表に見立て、例として反復を示すというのが例示的用法ですから、不定人称文など、主語が不定の意味の複数のときに例示的用法が用いられることはありません。возьмиですが、例示的用法は時制は別にして、形式としては完了体未来形のみで用いられますので、命令形での例示的用法はありません。ゆえに、お答えを和訳すると、「くれるなら、もらえ」という、1回の具体的動作の順次的用法となります。そのような用法でкогдаなら可能なような気がしますが、こうは言わないでしょう。

Posted by ブーチャン at 2014年12月30日 08:56

先の投稿、以下に訂正いたします。
Возьми, если они тебе дадут.
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ブーチャンさんのところで説明したように、例示的用法にはなりません。例示的用法には不定人称文や命令形が使えないとなると、残りは完了体未来形の普遍人称文の活用ということになります。完了体未来形を使う普遍人称文の復習をしてみてはどうでしょうか。お答えはたんなる順次的用法ですが、「彼ら(具体的な誰か)がお前にくれるなら」とありますが、具体性を求める完了体の文章としておかしいと感じられるのは、直接補語がないからです。もちろん会話で前の文脈で述べられるときは、こういう文もあり得るのかもしれませんが、出題はそうではありません。そういう意味で規則的反復の不完了体を用いるのが自然だと思います。
 出題の文が例示的用法にならないのは、「あげる」と「もらう」という二つの動作には、論理的帰結がないからです。あげるから、その結果としてもらうということには必ずしもならないということはお分かりになると思います。私が論理的帰結が偶発的反復の条件だというのは、何の迫力もありませんが、これはСоколовская К.А.先生のお説を拝借しているに過ぎませんからご心配なく。『和文露訳指南』において、いろいろな説を書いていますが、すべて先達の説に導かれたものであり、それなりに裏付けがあるものです。他の先生方は露文解釈の観点で体の用法を解説していますが、私は和文露訳の観点からアプローチしているという点が目新しいかとその点は自負しております。
 厳密に言えば『和文露訳指南』5-2-2項に書いたように、命令法にも例示的用法で使えるものがありますが、完了体の順次的用法(従属節と主文の間における)と併用されることはありません。順次的用法というのは動作が次々と起こるわけで、動作が起こるかどうかは条件次第という例示的用法とは相容れないからです。

Posted by じぇーにゃ at 2014年12月30日 18:07

Если тебе сказано, что тебе это дадут, получи его.
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тебе сказано, чтоは省くべきです。それ以外はジェーニャさんへの解説を参照ください。

Posted by ゴ at 2014年12月30日 19:16

(お題)
くれるというならもらっておけ
(コーシカ訳)
Если скажут тебедать, то получи.

順次的用法(になるのでしょうか)の完了体未来と命令です。
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ジェーニャさんとゴさんへの解説を参照願います。

Posted by コーシカ at 2014年12月30日 23:48

1) Если будут давать, бери.
если + 不完了体未来形に続く一般的事実を表す不完了体命令形。或いは、先行する従属節の行為によって主節の行為が期待されるため、不完了体命令形になるとも考えました。
2) Дают - бери.
Дают - бери, бьют - беги.という諺を見つけ、従属節が不完了体現在形でも一般的に通じると一寸考えましたが、「くれるものはもらっておけ」或いは「くれるんだからもらっておけ」という訳が適切なように思いました。
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どちらも正解ですが、2)の方が自然です。第140回の本文にも書いたように、命令法は未来を示しますので、とくに未来の反復を示す必要はないのです。Всегда, когда (будете) уходить, гасите свет.(帰るときはいつも灯りを消してください)という文で、будетеがあってもなくても意味は変わらないというのと同じです。なければ現在と融合した未来からの反復ということを強調していることになると私は考えますが。
 今回は普通に出題すれば、正解の方は多いと思いますが、例示的用法が頭にあれば、引っかかるかなと思って、例示的用法の使い分けを確実に理解してもらうために出題したわけです。

Posted by チジクピジク at 2014年12月31日 05:11
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