2008年07月02日

●新帯研 第28回

「カラシニコフ自伝」(エレナ・ジョリー聞き書き、朝日新書、2008年)を非常に興味深く読んだ。訳がちょっとおかしいところが若干あり、姓名の力点が無視されていて実際の発音とかなり違うが、フランス語からの和訳なのでそれはそれでやむを得ないと思う。それと「共力作用」という日本語はないと思う。これは「相乗効果」ではないか?そういう細かいことを別にすれば、ロシア関係に興味のある人なら読むことを勧める。カラーシュニコフのライバルのジェクチャリョーフが「鎌と槌」2等記章を受けるくだりで、1等はだれがもらったんだという話になったときに重い沈黙に包まれたという。ナンバーワンは常にスターリンだからだったらしい。カラーシュニコフも最優秀企業家2等勲章をゴルバチョフ時代に授けられた時に果たして1等はだれなのか分からなかったという。同じことが1939年第1回全ソ芸能人コンクールに1位なしの2位でトップになったライキンにもいえる。ずっとユダヤ人だったからだと思っていたが、やはりスターリンのことを考えて審査委員会が遠慮したのだろう。また1964年レーニン賞を受賞するくだりで、「レーニン賞はソ連におけるもっとも栄えある賞の一つで、科学技術や文学、芸術などさまざまな分野の偉大な功績に対して授けられていた。この賞はレーニンの死後、1925年に創設されたものだが、1935年から1957年にかけては誰一人受賞していない。スターリン賞がレーニン賞に代替しためであり、その後、1966年にこのスターリン賞はソビエト連邦国家賞に取って代わられた」とある。まず、医者関係のбайка(馬鹿話)を一つ。
Все ясно, как в морге.          明々白々、霊安室の如し。
Тяжело в лечении, легко в гробу.  治療はつらいが、棺の中では気も軽く。
Нет кремации без реанимации.   集中治療なくして火葬なし。
Врач ошибается однажды, но каждый день. 医者の間違い一度きり、でも日々のこと。
На леченом коне далеко не уедешь.   病気の馬じゃ遠くは行けぬ。
今回の課題は、
Анекдоты про Горбачёва пока в основном идут из среды недовольных алкоголиков.
Пустыня. Зной. В песке зарытый по шею Горбачёв.
- Пить! Пить! – просит он.
Мимо идёт человек. Он поднимает руку, смотрит на часы.
- Рано! Ещё двух часов нет.
設問)訳せ。オチを別に解説してもよい。

Posted by SATOH at 18:34 | Comments [1]

2008年07月14日

●新帯研 第29回

技術関係のシンポジウムの通訳では当然ながら技術用語が頻出する。これが同じ日本語かと思われるものもある。例えば「サワー環境における応力腐食割れ」сероводородное коррозионное растрескивание под напряжениемというのが、石油掘削関係のパイプ(鉄鋼分野)の技術交渉で使われるが、この日本語を一度聞いただけで意味が分かってすぐ露訳できる人はまずいないだろう。これは硫化水素(今流行りの猛毒のガス)がある環境でパイプに応力がかかって腐食が起き、それによるひび(割れ)のことである。応力というのは物体に力が加えられるとそれに抵抗する力が起こる。これを応力といい、応力より物体にかかる力大きければ物体は破壊される。応力はнапряжениеで、ロシア語では電気用語の「電圧」と同じ形なので、使われる文脈によって和訳を変える必要がある。このようにビジネスロシア語とはいってもその分野の専門用語が分からないとお話にならないわけである。今回の課題は、
Кто может – превышает свои права. Кто не может - качает.
設問)訳せ。

Posted by SATOH at 17:55 | Comments [2]

2008年07月21日

●新帯研 第30回

通訳をしているとロシア人から「それはこういう意味ですかな」などと、婉曲的に間違いを指摘されることがよくある。ビジネス関係のロシア人はジェントルマンが多いからか、「そんなロシア語は初めて聞いた」とか、「ロシア語ではそうは言わない」などと第三者のいる前で通訳に対して言う事はない。そういう意味で通訳やビジネスでロシア語を使っていると正しいロシア語に触れる機会は多い。前にも書いたが私が恥をかくのは黒帯どころか赤帯だというのはそういう意味である。実戦で恥を多くかいて、それを基に修行を続けていけばロシア語はきっと上達する。書いたものばかりでロシア語を勉強しても、頭の中ではすべて分かったような気になっても実戦で和文露訳が即座には出ない。一方通訳やビジネスなどで和文露訳だけやっても、ロシア語の本を読んでいかないと語彙が増えない。どちらも大切である。今回の課題は、
Одноглазый ведёт за собой группу слепых. Неожиданно он натыкается единственным глазом на сучок дерева и восклицает:
- А чёрт, всё, приехали!
- Здравствуйте, бабушка, здравствуйте, дедушка! – хором говорят слепые.
- Да нет, это я на сук напоролся, - объясняет им первый.
Слепые снова хором:
- Здравстувуйте, девушки!
設問)和訳せよ。オチを別に説明してもよい。

Posted by SATOH at 13:26 | Comments [2]

2008年07月28日

●新帯研 第31回

ロシア語と日本語の通訳・翻訳には露文和訳と和文露訳がある。露文和訳の例では文脈によっては勘のいい人なら文法を極めなくても、ほぼ一見同じように正しい訳が出てくる場合が多い。ニュアンスを含めての解説をつければ別だろうが、普通はいちいちそういうことをするような閑はない。一通り訳が出来ればそれでよしとしている人も多い。一方和文露訳となると、繰り返しや一般的にこうだというような不完了体を使う文では楽に露訳できても、例示的であるとか順次的用法の完了体を使うような口語的用法の文ではロシア人から直されることが多い。現代ロシア語文法の中上級編をマスターしたつもりぐらいでは不十分なのだ。ロシア語では体の用法(不完了体と完了体の使い分け)が一番難しいと実感する今日この頃である。いろいろなタイプのロシア語を読んで、研究し、それを和文露訳に応用できないか試行錯誤の毎日である。
 ロシア語の単語だけではなく、ことわざ、慣用句、句動詞を覚えようと初めて思ったのはロシア語勉強し出してから2年目ぐらいのときである。初めは政治用語が中心だった。これは辞書でも訳にぶれがない。つまりおかしな日本語だなと思うことはなかったし、当時社会主義ソ連ということもあって政治用語が分からないでは新聞も読めないという時代だった。しかしロシア人と会話することが増えるにつれて、より日常会話的表現を覚える必要に迫られてきて、現在に至っているわけである。今でもテレビのニュースなどで「人の渦」、「村八分にする」、「肩を寄せ合って」などという日本語を聞くとロシア語では何と言うのだろうと気になってくる。людской водоворот, создать вокруг кого зону отчуждения (подвергнуть кого общественному остракизмуではややかたいか?), сомкнув плечиなどではないかと考えたりする。今回の課題は、
- Что такое миниюбка?
- Это маленькая юбка.
- А миникомпьютер?
- Это карманный компьютер.
- Тогда почему самый бардак называется министерство?
設問)和訳せよ。オチを別に解説してもよい。

Posted by SATOH at 07:47 | Comments [2]