2011年05月01日

●和文解釈入門 第22回

 善(よいこと)という日本語は、広辞苑を引くと、絶対的な善と、相対的な具体的状況による善という意味があり、倫理や道徳的なものは前者であり、善は急げなどは後者に当たる。現代ロシア語のдоброは前者であり、благо, добрые делаは後者である。ゆえに「彼にとって善」をдобро для негоとは言えず、благо для негоとなるし、В этом случае благо будет мешьшее зло.(この場合はより少ない悪が善である)となる。モスクワの監獄医でヒューマニストであるガースФ.П. Гааз(1780~1853)のモットーはСпешите делать добро.だったが、これは文字通り「絶対的善をなすのを躊躇するな」ということであって、日本語の「善は急げ」は多くの場合Куй железо, пока горячо.でいいはず。またпосвятить добрым делам(よいことに捧げる)とも言える。зло(悪)にはこのような区別はない。ちなみにблагаと複数形で用いられるとблага цивилизации(文明の恵み)のように、「恵み」という意味になる。善悪を人間の性質という風にとらえると、善はблагодетельであり、Добродетель торжествует, а порок наказан.(善は勝ち、悪は罰せられる)となる。このдобродетель = положительное нравственное качествоであり、その反対はпорогである。なたдобродетельにはчеловека; высокая нравственность, моральная чистотаという意味もあり、これは徳、品性と訳される。
духとдушаの区別も難しい。духは精神や士気という意味であり、個人的な感情とは直接かかわりがない。ただподъём духа(士気の高揚)に若干個人的な色どりが見られるだけである。душаは心や魂という風に覚えておけばよい。つまりдушаはより個人的なものと理解すべきだ。Душа болит за него.(彼のために心が痛む)とかДуша отлетела от тела.(魂が肉体を抜け出た)などと使う。力(気力)がみなぎるという意味ではС утра полон сил, а к вечеру еле ноги таскаешь.(朝は力がみなぎっているが、夕方にはようやく足を引きずるぐらいだ)というようにсилыと複数形を用いる。肉体的な力физические силыや精神的な力душевные силыもそうである。また心にはдушаとсердцеがあるが、前者は個性であり、内なる我、生死にかかわるような重要な本質的部分で、もともとある感情であり、肉体телоと対峙する。だから「本当のところは眠りたかった」をВ душе он хотел спать.とするのは、в душеには「表面上はともかく本当の気持ちは」という意味であるが、眠りたいと言う気持ちが心の本質(内なる我)のようになってしまいおかしいとされる。またдушаはнаを取るのが普通でна душеとなるが、この文ではна самом делеとでもするしかない。一方сердцеはハートであり、対人関係において感情という意味合いをもち、特に愛情と結びつき、голова, ум(理性)と対峙する。だからНа сердце было полно сомнений.という文は成り立たないことになる。сомнения(疑い、疑念)は感情ではないからである。同様にпонимание(理解)などとも一緒に使えない。これにはна душеを用いる必要がある。Седрце болит за него.(彼の事で心(ハート)が痛む)とも言えるが、この場合はдушаと違い、愛情が絡んでくるからである。
設問)「ムラヴィヨーヴァさんは東京でガイド通訳をしています」をロシア語にせよ。

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2011年05月02日

●和文解釈入門 第23回

причинаには「原因」と「理由」という二つ意味がある。「原因」の場合は後に生格がついて、例えばпричина пожара(火事の原因)となり、「理由」の場合は для + 生格、ないしは不定形で、причина для сомнений(疑う理由)、Есть причина отказаться.(断る理由があるんだ)などという。ただпо причинеは例外で、すぐ後に生格がついて「~の理由で」という意味になる。по причине плохой погоды(悪天候で)。причинаとповодは「理由」という意味では、似てはいても非なる言葉である。причинаは本質的な理由を指すが、поводは外面的な、間接的な理由(表向きの理由)であり、おおむね「きっかけ、口実」などという風に訳せる。「まあ例えば、第一次世界大戦のきっかけとなったのはサラエボでのオーストリア大公の殺害である。しかしその原因はその殺害ではなく、帝国主義大国の先鋭化した競争だったのである」Так например, повод к первой мировой войне явилось убийство австрийского эрцгерцог в Сараево. Но известно, что причиной её было не это убийство, а обострившееся соперничество империалистических держав.
 口実には他にпредлогも使うが、これは口実подводと嘘の口実вымшленная причинаという意味がある。отговоркаは断る口実で、嘘の口実でもある。また根拠はоснование, резонで веская причинаという意味である。このように類語(シノニム)を調べると、その単語に対する理解が深まることが分かる。
「イワノフさんがいらっしゃっています」と「イワノフさんがお見えになりました」はロシア語で同じ文Господин Иванов приехал.と訳せる。「イワノフさんがいらしてました」はГосподин Иванов приезжал.となり、Господин Иванов приехал и уехал.と同義である。ちなみにприехал и уехалは完了体過去の順次的用法(アオリストの典型的用法とされる) + 結果の存続(去って、ここにはいない)である。ただこのような完了体過去形と不完了体過去形の意味の違いがみられる動詞と言うのは、反意語のある動詞群открыть/закрыть, поднять/опустить, встать/сесть, войти/выйти, взять/вернуть, дать/забрать, включить/выключить, терять/найти, принести/унести, прийти/уйтиなどで、これもおおむねこのような用法があるということで、文脈によって意味が違ってくる場合もあるという事を頭に入れておこう。言葉は生き物なのだから。ただ通訳した経験で言えば、このような体の用法の違いは反意語のある動詞群では確率的に非常に高いと言える。体の用法でまず覚えなければならないのは、完了体と不完了体の基本的使い方の違いである。完了体は新しいことや、具体的1回の動作を示し、不完了体は繰り返しや刺身のつまのような添え物のような動作を示すと取りあえず覚えよう。
設問)「あの人もう着いてるといいけど」をロシア語にせよ。(これは設問としてもかなり難しい部類だと思う)

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2011年05月03日

●和文解釈入門 第24回

ロシアでは方言が日本同様テレビの発達のおかげで消えつつある。ウラジオですら、少なくとも我々外国人にはモスクワと同じように聞こえる。私が両都市の言葉の違いで気がついたのは、Ага!(そう)はモスクワではアハー(このハーはхаではなくбухгалтерのхгаの音)と発音されるが、ウラジオではアガーагаと言っていたぐらいか。オデッサはウクライナにあるとはいうものの、そして街にはウクライナ語の看板があふれているとはいえ、昔からロシア全体の笑いの都であり、使われている言葉はロシア語である。ただ独特の方言があるという。ドロシェーヴィチВлас Дорошевичという19世紀末から20世紀初めの有名なジャーナリストがこれについて書いたものがあり、動詞には何でも иметь をつけ (Я имею гулять.)、つかないのはденьги だけだ (В Одессе все «имеют», кроме денег.)とか、格変化、動詞の変化も無視。Туда и сюда なぞと言った日には馬鹿にされ、тудою и сюдоюというんだとかとある。その当時のオデッサ語と言われるのは、
за = о, по, чем(Расскажите за него. 彼の事を話して下さい)
иметь счастье = иметь возможность
один в Одессе = оригинальный, лучший
где = куда Где он уехал?(彼はどこに去ったのか?)
設問)「荷物の一部は全部自分で持っていかなくてもいいように(宅配で)送ってもよい」をロシア語にせよ。これは観光ガイドでよく使われる表現でもある。

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2011年05月04日

●和文解釈入門 第25回

工場には前置詞としてнаがつくのは、17世紀や18世紀の頃の工場は回りになにもない開けた場所で作業したからだ聞いたことがある。旅行家で作家でもあったセルゲイ・マクシーモフの19世紀半ばに出版された「シベリアと流刑」の中で、東シベリアの工場について同じページにна заводе とв заводеが入り混じって出て来るし、в плавильную фабрикуという表現にも出くわす。これから考えると19世紀ごろまでвもнаも工場という単語にはどちらでもよかったということになる。無論現在ではнаを使わないと間違いとなるのは言うまでもない。
фабрикаというのはダーリДальによれば、Фабриками зовут такие заводы, где огонь (накалка, плавка, варка) не занимает первое место.(加熱、溶解、溶接など火を使うのがメインではない工場)ということになる。
2010年の「ユーラシア研究」11月号に技術ロシア語の類語の使い分けについてエッセー「一つが二つ、二つが一つ」を書いたのだが、紙面の関係上「工場」について露文を載せることが出来なかった。そこで、ここに参考のため書いておく。
(завод)
авиасборочный завод航空機組立工場、авиационный завод航空機工場、авиационный и танкостроительный завод航空機および戦車製造工場、автомобильный завод (= автозавод)自動車工場、авторемонтный завод自動車修理工場、автосборочные заводы自動車組立工場、алюминиевый заводアルミ工場、артиллерийский завод工廠、вагоностроительный завод車両製造工場、весовой завод秤工場、винокуренный завод酒造工場(蒸留酒の)、водочный заводウオッカ酒造、военной завод軍需工場、газовый заводガス工場、гвоздильный завод製造工場、завод автотракторного оборудованияトラクター機器工場、завод для рафинирования цинка亜鉛精製工場、завод по переработке птицы на мясокомбинате肉コンビナート鶏肉加工工場、завод по обогащению уранаウラン濃縮工場、завод по регенерации ядерного горючего核燃料再利用工場、завод мотоциклов (= мотоциклетный завод)オートバイ工場、завод с полным металлургическим циклом (доменное, стале-плавильное и прокатное производство)高炉一貫工場(高炉生産、製鋼および圧延)、завод электроаппаратуры電気製品工場、кирпичный заводレンガ工場、конксохимический заводコークス化学工場、комбикормовый завод 配合飼料工場компрессорный заводコンプレッサー工場、коньячый заводブランディー酒造、кроватный заводベッド工場、ледоделательный завод製氷工場、лесопильный завод製材工場、ликёрный заводリキュール酒造、ликёроводочный заводリキュールウオッカ酒造、литейный завод鋳物工場、маргариновый заводマーガリン工場、машиностроительный завод機械製造工場、медноплавильный завод銅精錬工場、металлургический завод冶金工場、моторный заводモーター工場、мыловаренный завод石鹸工場、оборонный завод国防関係の工場、опытный завод для производства углеродных нанотрубок диаметром до 10 нанометров с производительностью 1 т/год年産1トンの径10ナノメートル以下の炭素ナノチューブ製造実験プラント、оружейный завод武器工場、паровозовагоноремонтный завод機関車車両修理工場、патронно-дроболитейный завод弾薬工場、пивоваренный заводビール工場、пороховой завод火薬工場、приблорный завод計器工場、сахарный завод製糖工場、сборочный завод組立工場、смоляно-дегтярный завод樹脂タール工場、солеваренный завод製塩工場、стеклянный заводガラス工場、судостроительный завод造船所、телевизионный заводテレビ工場、тепловозостроительный завод気動車製造工場、тракторный заводトラクター工場、трубочный завод製管工場、турбинный заводタービン工場、фордовский заводフォードの工場、шинный заводタイヤ工場、шпалопропиточный завод枕木防腐処理工場、электроаппаратный завод電気機器工場、электромашиностроительный завод電機機械製造工場、электролизный завод電解工場
設問)「明日発つのとリェーナは電話した」をロシア語にせよ。

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2011年05月05日

●和文解釈入門 第26回

体当たりというと日本の神風特攻隊が有名だが、第一次世界大戦中の「1914年航空史上初めて体当たりを敢行したのは有名なロシア人飛行士ピョートル・ニェースチェロフだった」В 1914 году впервые в истории авиации применил таран знаменитый русский летчик Петр Нестеров.とある。ロシア語で飛行機の体あたりはвоздушный таранと言い、プロペラ又は翼で敵機を攻撃するというもので、第二次世界大戦の体あたり一番乗りはピョートル・ハリトーノフで1941年6月27日レニングラード近郊だったという。ソ連航空機の体当たりは日本と違い命令されてではなく、パラシュートで脱出できるとふんで敢行するか、あるいはただ撃墜されるよりは、それこそ祖国のためということでパイロット自身が判断して敢行した。日露戦争に従軍した一般庶民の茂沢祐作(1881~1949年)の従軍日記(「ある歩兵の日露戦争従軍日記」、草思社、2005年)に、ロシア人の中にもズボンと長靴のみの裸で、爆裂弾を抱いて突っ込んだものがあり、すぐ突き殺されたがその勇敢さには驚いたとある。また日本人でも大岡昇平の「レイテ戦記」(大岡昇平全集第8巻、中央公論社、1973年)の中に、特攻を命じられても敵艦に爆弾を落とし、ゆうゆうと基地に何度か帰還した日本兵のことが書いてある。上官は何も言えなかったろう。ただ神風特攻隊のように100%死ねということを上司として命じるのは人間のすることではない。
(фабрика)
брикетная фабрикаブリケット工場、валенковаляная фабрикаフェルト工場、игрушечная фабрика玩具工場、ковровая фабрика絨毯工場、колбасная фабрикаソーセージ工場、кондитерская фабрика菓子工場、консервная фабрика缶詰工場、мебельная фабрика家具工場、мукомольная фабрика製粉工場、ножевая фабрикаナイフ工場、обогатительная фабрика選鉱工場、обойная фабрика壁紙工場、обувная фабрика製靴工場、папиросная фабрика口付きタバコ工場、парфюмерная фабрика香水工場、писчебумажная фабрика筆記用紙工場、пробковая фабрикаコルク工場、прядильная фабрика紡績工場、прядильно-ткацкая фабрика紡績織物工場、расфасовочная фабрика計量・包装工場、сахарная и ромокуренная фабрика製糖工場およびラム酒酒造、спичечная фабрикаマッチ工場、суконная фабрикаラシャ工場、суконно-валяльная фабрикаラシャ・フェルト工場、табачная фабрикаタバコ工場、ткацкая фабрика織物工場、трикотажно-платочная фабрикаメリヤス・ハンカチーフ工場、фабрика кожанных изделий皮革製品工場、фабрика-кухня調理工場、фабрика по производству чулочно-носочных изделийストッキング・靴下製造工場。
設問)「時間があったら今日家に寄ってくださいね」をロシア語にせよ。

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2011年05月07日

●和文解釈入門 第27回

露文解釈はその名の通り、まず露文ありきで、ある程度文脈に応じて和文の時制をつけてゆけばよいが、和文解釈となると、それほど簡単ではない。「彼は来たОн приехал」、「彼は来て(い)たОн приезжал」、「彼は来ているОн приехал」、「彼は車で移動中だ(移動している)Он едет на машине」、「彼は座っているон сидит」などある。この中で最後の二つの過程と状態を示すものが、日本語でも現在形、ロシア語で不完了体現在形を使うから、似ていると思うが、ロシア語では案外過程(進行形)で使えない動詞がある。「誤解ですВы заблужадетесь.」や「勘違いされていますよВы ошибаетесь.」は過程を示しているのではなく、前者 (обманыватьсяも同様である)は状態を、後者は現在形なのに結果の現存という機能を持つ。どうしてロシア語で誤解が状態かと言うと、заблуждение(誤解)は何度も繰り返されるものではなく、一度起こればそれが長く続くという考え方かららしい。ошибатьсяは不完了体現在形でВы ошибаетесь (поступаете неправильно, клевещете на меня).〔違います(間違った行動をされています、私の事を中傷しておられます〕と、不完了体であるのに〔すでに考えの間違いは犯された、間違った行動はなされている、すでに中傷という事実はある〕という完了体の結果の存続の機能があるのである。そのためこの動詞については完了体と不完了体は互換性があるといえる。Вы ошибаетесь.もВы ошиблись.も意味的には同じということになり、ошибиться/ошибатьсяが不定形で用いられた場合も同じである。ただ現実的には完了体はВы ошиблись номером (дверью)〔番号(ドア)をお間違えです〕と言う風に使うのが多いようだ。こう言う動詞群を仮に評価伝達の動詞интерпретационные глаголыとでもいおうか、そういうグループの動詞がある。この動詞自体は具体的な動作の意味はないが、他の具体的な動作の評価を伝達する性質がある。この動詞群は過程(進行形)の意味では用いない。поступать правильно (неправильно), мешать, содействовать, выручать, потворствовать, попустительствовать, терять лицо, ронять достоинтсво, нарушать правила, преступать закон, совершать преступление, грешить, искупать, соблазнять, ошибаться, заблуждаться, преувеличивать, преуменьшать, выигрывать, проигрывать, оплошать, сплоховать, опростоволоситься, обманывать, врать, клеветать, кривить душой, лишать, угрожать.これらの動詞は否定文でもよく使われるという特徴を持つ。いわゆる評価伝達の動詞は、日本語でも現在形で書かれるので、よほど深読みする傾向がない限り、不完了体現在形で露訳すると思うが、念のため書いておく。
техникаとтехнологияは似ているところもあるが、違う面もある。техникаは道具や生産手段や、技術の総称であり、一般的な技術という意味で、技術史история техникиとか先端技術передовая техникаなどという。そのほかに工学という学問も意味し、ロケット工学реактивная техникаなどそうである。そのほかに機器類(военная техника軍事機器)という機械の総称でもあるし、テクニック(совокурность профессиональных приёмов)という意味もある。технологияは製造工程における加工の総称であり、технология судостроения造船技術などそうであるし、そのほかにも工程や製法способ изготовленияという意味もある。例えば日本語の個々の具体的な技術はтехнологияで通用する。
設問)「会議は2011年8月20日から8月13日になった」をロシア語にせよ。

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2011年05月09日

●和文解釈入門 第28回

勘違いしている人がいるかもしれないので投稿について書いておく。回答は点数をつけるものではなく、その結果学習者のロシア語がよくなればよいわけで、回答は、自分の頭だけでも、辞書を引いても、ネットを利用しても、ロシア人に聞いたって構わないのである。実際の通訳やガイドでも、どうしてもわからない語彙はロシア人にその内容を説明して聞くこともあるし、翻訳に至っては言わずもがなである。何らかの回答を出すのに全力を尽くすという姿勢が大事なのである。初級者だって和露辞典を使って回答を投稿してくれてもかまわないし、かえってそういう意欲のある人を歓迎するし、そういう人は伸びる。また回答でなくとも、設問に関係するか否かは別にしてロシア語に関する質問でも構わないのである。
この和文解釈入門は初心者で半年ぐらいまじめにロシア語を勉強した人以上の人を対象にしているが、個人的には一度ロシア語勉強して、何らかの原因で挫折してロシア人と会話できるまでに至らなかった人たちを何とかしたいというのがこれを立ち上げた趣旨である。常識的にそういうたちの数の方が、これからロシア語を始めようとする人より数ははるかに多いはずである。そうすることで不人気と言われるロシア語の人気を少しでも回復させたいというのが私の真意でもある。語学は暗記というけれど、無論これを否定はしないが、年も重ねて来ると丸暗記というのは非常につらいし、ほぼ不可能である。そのときにできるだけ理屈で会話用の和文露訳と言う意味で和文解釈入門を立ち上げたわけである。学習者と一対一で向き合って、学習者のレべルに合わせて教えることができれば、それに越したことはないが、不特定多数の人に対してはそうもいかない。数少ない回答者の投稿から判断して、後もう少しで会話が出来るとか、会話はできるが、自信がないか、あるいはかなりの上級者ではないかという比較的高レベルの方が投稿されているという現実は否めない。しかしそういう人たちだけを対象にしているわけではけっしてない。一人でもこのコーナーがきっかけとなって挨拶程度ではなく、ロシア人と実のある会話が出来るようになればと願っている。
ドストエーフスキーは「悪霊Бесы」で革命家を揶揄しているとしてソ連時代出版が奨励されなかった。ソ連時代に出た完全版全集(全30巻35冊)でも第25巻だけ部数が異様に少ないということもある。そのため私はこの第25巻をそろえるために、不要な残りの巻を10冊ぐらいよけいに古本屋で買った思い出がある。買う時に躊躇したのはお金ではなくて、何冊もと言うと本が重いのでどうしようかと考えたのを覚えている。これは90年代初めの話で、当時モスクワでは文芸書の古本は1冊100円くらいだったから、私がお金持ちだったと言う事ではない。90年代は古本が安かった時代で、その時に買いあさったおかげで、今ロシア語の本を辞書も含めて1700冊ぐらい持っている。その頃は1回の出張で多い時は50~60冊買って、超過料金はカレンダーをアエロフロートのお姉さんに渡して勘弁してもらったのを思い出す。いつか(何十年後かはべつにして)読むかもしれないと思っていたがようやく700冊を読んだばかり道遠しである。これは1日多くても70ページくらいしか読めないからであり、通訳やガイドで使えるような語彙や表現を見つけたらエクセルで和露語彙集にインプットしたりするから時間がかかるということもある。このコーナーやこれまでの著書に用いた例文はこの語彙集のおかげでもある。項目は7万を超えた。一つの項目に単語一つというのもあるが、いくつも例文がある項目もある。毎日少しずつ増えているし、見直してよくないものは削っている。10万項目になったら整理しようと思っている。後10年くらいでできるだろうか?
話がそれたが、買うので精力を使い果たしたのか、その第25巻目以降はまだ読んでいない。もっとも主な著作は24巻までにほとんど載っているけれど。ロシア語でドストエーフスキーを読んだ感じでは推理小説を読むようで内容を追うだけなら読みにくいとは思わない。かえってロシア的雰囲気の濃厚なブーニンなどのほうが外国人には理解が難しいと思う。ただドストエーフスキーにロシア的がものが少ないという事は、人間とは何かという普遍的な主題が多いという事で日本にもファンが多いのはうなづける。
設問)「アリョーシャ、映画に行こうよ」をロシア語にせよ。

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●和文解釈入門 第29回

あるとき温泉の注意書きの「入浴の前に、かかり湯(かけ湯)をしてください」をПеред купанием сначала подмойтесь.と訳したら、20年くらい日本に住んでいるロシア人女性から、подмойтесьをпомойтесьに直された。помытьсяはвымытьсяと同義語で、вымыть себя, очиститься мытьём от грязи, пыли и т. п.ということで「全身を洗う」と言う意味になる。無論全身を前もって洗ってから入浴した方がいいのかもしれないが、それでは注意書きとは意味が違うし、熱い湯に入る前に身体を湯に慣らすことで、身体の負担を減らして身体の具合が悪くなるのを防ぐ意味もあると指摘したら、びっくりしていた。подмытьсяはподмыть себе нижние части тела (промежность, ягодицы и т. п.(下半身〔股間、お尻ほか〕を洗う)であり、全く正しいし、この意味でピリニャークも使っていたはずだ。ところが女性に対してこの語を使うと「ビデを使う」と言う意味と誤解されやすいという事も分かった。それで、後から考えてПеред купанием сначала плесните на себя тёплой водой.としたらどうかと考える次第。無論温泉などの現場で訳す時はпомытьсяと訳してもいいかもしれない。
ロシア人に露訳した文をチェックさせると、日本語で難しい本も読める、パソコンの漢字入力も楽々できるというような人(そういうロシア人はほとんどいないだろう)は別にして、ロシア語やロシア文化との整合性ばかり見ていて、肝心の日本語や日本(大衆)文化との整合性は分からないから無視してしまう。ただ大半はスペルや文法、語彙の選択のミスなどの指摘で、なるほどと中級者でもロシア人のいうことをそのまま信じてしまう。ロシア人にロシア語をチェックしてもらう時は、和文解釈ではあくまで和文がメインなので、何年日本に住もうと日本の習慣や日本語に通じていないロシア人に対しては、あくまでもインフォーマントとして接するという考え方も頭の片隅に置いてもよいかもしれない。
初心者にロシア語を教えるときにはアーカニエаканьеという言葉を使うかどうかは別にして、力点のないоはаに近く発音すると教える。коронаなどはカローナと発音される。これは英語にもあることだからそれほど驚くことではないのに、これでやる気をなくす人もいる。身近な例を挙げれば、車のカローラなどもそうである。これはCorolla(花冠)と英語では書く。
家電はэлектробытовая техникаでこの場合のтехникаは機械の総称で「機械類」という意味である。では白物家電(家事家電、生活家電)は何というかと言うと、бытовые (электро)приборыで、含むのはутюг, холодильник, пылесос, полотёр〔電気床磨き機〕, стиральная машина で、テレビは含まない。テレビを含むものはオーディオ家電(カラーテレビ、ラジオ、テープレコーダー、ステレオ、ウォーキートーキー (цветные телевизоры, радиоприемники, магнитофоны, стереофонические установки, портативные приемопередатчики)といい、これはбытовые радиоэлектронные приборыである。
設問)「こんな巨大な蚊は一度も見たことがない」をロシア語にせよ。

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2011年05月28日

●和文解釈入門(お詫び)

どうも回答が来ないと思っていたら、当方で第29回に設問を入れるのを忘れていたのに今気がつきました。ご容赦ください。回答をお待ちします。

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2011年05月30日

●和文解釈入門 第30回

今回は不完了体の特徴が特によくあらわれるとされている過去に的を絞って体の用法を整理してみた。通訳するときに一見簡単な表現ほど訳しにくい場合も多い。日本語の「~していました(~していた)」は状態、過程、繰り返し・反復の意味だから、不完了体の過去形を使うのだというのは分かるだろう。しかし会話で日本語の文末に多いのは「~しました(~した)」であり、これがすべて不完了体過去形で済むなら通訳も楽だが、そうはいかない。いくら動詞の意味を覚えても、体の用法が分かっていないと使えないというのはそこのところである。「~しました」はもちろんロシア語には訳せるが、すべて文脈によるのであり、通訳するときには瞬時にその文脈を読み取ってどちらの体を使うかを決めなければならない。「~しました」でも、動作の完了(たった今終了した)やアオリスト(現在とは直接関係のない出来事を示す。分かりやすく言えば、過去の目印〔昨日、1990年とか、3年前とか〕があるときや、〔~してから~した〕と過去の動作が連続するときで、これらを順次的用法と言う)は完了体過去形を使う。
その他の「~しました」では不完了体の過去形を使うのだが、これが案外分かりにくい。この用法はロシア語の文法用語では、「事実(動作)の名指しобщефактическое (обобщённо-фактическое) значение」と呼ばれ、これはいわば過去の出来事の有無の確認であり、その中には経験(第29回の回答参照)という用法も含まれている。これは1回(一度もないなら、精確にいえば0回)の経験と何回もの経験の用法に分かれる。前者はОн читал «Братья Карамазовы» ещё в молодости.(若いころにもうカラマーゾフの兄弟を彼は読んだ〔ことがある〕)で、後者はОн читал этот рассказ много раз.(かれはこの短編小説を何度も読んだ〔ことがある〕)などと使う。前者には「若いころに」という過去の目印らしきものがあるが、漠然としており、この程度なら不完了体を使えるという事である。
事実の名指しという用法は全部で3つあり、他の二つは、それこそ「過去の出来事の有無」を示す用法で、На стене справа когда-то висела картина.(壁の右側にはかつて絵がかかっていた)〔発話の時点では絵はかかっていない〕とНа стене справа висела картина.(壁の右側に絵がかかっていた)〔発話の時点では絵はかっていたかも知れないし、かかっていなかったかもしれない〕という過去にはあった(否定文なら過去にはなかった)という用法であり、もう一つは、第23回本文で紹介した反意語のある動詞群で、Кто открывал окно?(だれが窓を開けてたの?)〔発話の時点では窓は閉まっている〕で、ちなみに同じ動詞群の完了体過去形では、Кто открыл окно?(誰が窓を開けたの?)〔発話の時点では窓は開いている〕がある。
前に出題した「書いた」は、動作だけの記述(確認)だけなら不完了体を、書いた内容まで踏み込むなら完了体をという考え方もできる。過去における体の用法は、不完了体が確認的であり、完了体は告知的・物語的と覚えるようにしよう。そうすれば体の用法で迷った時にどちらを選べばよいかが分かりやすい。会社や工場見学でロシア人がよく聞く「彼ら〔前のグループなど〕は来ましたか?」という文はОни посещал?と不完了体過去形を使う。これは事実の確認をしているということになる。前に説明したГосподин Иванов приезжал.(イワノフさんが来ていた)は Господин Иванов приехал и уехал.と同じことで、приехал и уехалは完了体過去形の順次的用法であり、これはアオリストの典型でもある。アオリストも現在とは無関係の過去の出来事を扱うから、不完了体過去形の事実の確認とどう区別すればよいかという疑問もわくだろう。不完了体過去形は事実の確認という事で、主語と動詞しかないことが多いし、具体的な過去を示す目印もないのが普通である。要するに動作があったかどうかが重要だという事であり、アオリストでは具体的な過去を示す目印(昨日とか、1850年とかの年号、1週間前など)がついて具体性を示すような文言がついてくるのが普通で、不完了体にはこの具体的な過去の印というのはつかないと覚えよう。
通訳する日本語の内容が瞬時に人の姿でイメージできるように訓練をしておけば、上記のうちいずれかの体を選べるようになれるはずである。ロシア語ならともかく、日本語を聞いてイメージするのはそれほど難しくはないはずである。少しはお役に立てただろうか?第10回の表や第21回の本文も若干手直ししたので興味ある方は見てほしい。今後も手を入れるつもりである。
もっともどちらの体を使ってもあまり意味もニュアンスも変わらないものも少しはある。また間違っても確率5割だから、運を天に任せてと言う考え方もできるが、それだと一生外国人のロシア語から抜け出せないし、ロシア人がロシア語を使うときのニュアンスの違いも分からないままで一生終わってしまう事になる。せっかくかなりのところまでロシア語をやってきたのなら、それほど難しくはない体の用法をマスターしないのはもったいない話であると思う。
設問)「僕は彼女の手を握った」をロシア語にせよ。

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