2010年07月04日

●新帯研究 第110回

革命前の1914年に出たОчерки из истории Петра Великого и его времени(ピョートル大帝とその時代の歴史ルポ)を読んだが、リプリントのため旧字体だった。すぐに慣れたので読むのに問題はなかったが、逆に現代用法を旧字体にしろと言われたらどうだろう。まずそういうことはないし、役には立たないだろうが、念のため分かる範囲で旧字体の規則をいくつか書いておく。
1) и とiの書き分け
iは原則的に母音や半母音の前で用いる。мир は平和、調停という意味で、мiрは世界や宇宙という意味である。iの廃止はロシア正教で最も重要な言葉の一つであるИисусに関係するため廃止には多大なる抵抗があった。
2) ятьの使い分け
ж, ч,ш, щ. г, к, хの後ではятьは用いられず、еを用いる。例えばдаже。
次の4つの単語ではятьは用いられない。некто, нечто, некоторый, несколько。
上記に関連して、接頭辞не-でятьを使えば不定の意味になり、еでは否定である。
ятьを使うのはгнёзда, звёзды, сёдла, цвёл, приобрёлである。人名では、Алексей, Сергей, Матвей, Елисейがそうであり、月名ではапрельがそうである。
3) 諺で文盲の人に対して、
Он (Она) корову через ять пишет.という言い方がある。
4) ъは子音で終わる単語の語末に置く。
トルストイの「戦争と平和」全部のъを集めると70ページ以上になるという。
5) 呼格(божеなど)の存在
6) фитаやижица
фита はфимиамや мефимон(= вечерняя церковная служба в Великий пост) などロシア正教用語でよく使われたので廃止するのに大きな抵抗があった。
しかし革命のおかげで1918年旧字体は廃止されて現在に至り、そのおかげを我々も被っている。
ロシアでは革命前は誕生日を今と違ってそれほど祝わなかったが、名の日(自分の名前にちなんだ聖人の日)の祝いは盛大に行われた。ロシア人は名の種類が非常に少なく、10もあればほぼ多くの人がその中に入るほどである。最も人気があった聖人は、ニコライ、イワン、アンナなどである。9月30日(旧暦では9月17日)は、ヴェーラ、ナジェージュダ、リュボーフィやソーフィアの名の日で、モスクワ全体の名の日と呼んでもいいくらい盛大に行われ、レストランも予約で埋まり、花屋、ケーキ店なども大賑わいだった。一方4月1日の名の日はエジプトのマリヤにちなんだ名の日で、革命前にもエープリールフールは知られていたので、名の日にイタズラされるということもよくあったという。
ロシア語には罵詈雑言が多いが、その理由がよくわからなかったが、幕末から明治にかけて日本を訪れた外国人の旅行記や手記を読むと、その頃の日本人は子供を非常に大切にし、父親も仕事から帰ってからよく子供の相手をしていた。子供を殴るというのは非常にまれだったと書いている。当時の日本はプライバシーゼロといってもいいくらいで、通りから家の様子が丸見えだったと外国人の多くが書いている。庭での水浴び、駕籠かきや別当(馬の先導をする人、馬丁)は褌姿であり、混浴も普通だった。日本山岳会の大恩人と言われたイギリスの宣教師ウェストンは明治時代に3度駐在しているが、「裸体を見てもよいが、見つめてはいけない」ということだと述べている。一方革命前のロシアについての本を読むと子供を殴るのは当たり前という描写が多い。しかも子供を罰するのはズボンのベルトやロシアでは木の枝などで、相当痛かっただろうし、子供によっては痛みに慣れて、かえって反抗的になったと思われる。当時の日本でも丁稚や職人の徒弟は日本でも殴られたようだが、その頻度が桁違いに違うようである。商人も親方も殴られて技術を覚えたわけで、その鬱憤を子供に晴らしたということのようである。拳固が得意でないものは、口ということになり、それで英米やロシアでは罵詈雑言が発達したのではないかと考えた次第。フランソア・カロンは鎖国直後の長崎出島の8代目商館長だが、彼が1643年に書いた「日本大王国志」にも日本人は子供を殴らないが、子供はそれに甘えて増長することはなく、親を敬うとある。当時の日本には仏教の殺生戒と儒教の孝が行きわたっていたのだろう。今回の課題は、
Над входом в одно советкое учреждение повесили лозунг: ЛЮБИТЕ РОДИНУ, ВАШУ МАТЬ! Городское начальство увидело, возмутилось, объявило выговор директору и указало сменить лозунг. На следующий день над входом висел новый лозунг: ЛЮБИТЕ РОДИНУ, МАТЬ ВАШУ!
設問)訳せ。

Posted by SATOH at 11:35 | Comments [2]

2010年07月08日

●新帯研 第111回

同格連続нанизывание падежейというのは、同じ格が連続することで、文体的には避けるべきとされる。英語の... of ... ofや日本語の「~の~の」というのと同様であろう。生格が多いが、造格や同じ前置詞を用いての前置格の場合もある。生格の場合は、主語を表しているのなら造格に変えるなどするか、動名詞や不定形を用いるなどの工夫することを考えるべきである。
оценка Добролюбова «тёмного царства»
оценка Доюролюбовым «тёмного царства»
露文解釈のときには完了体や不完了体、単数・複数を特に意識しなくても済むが、和文露訳ではそうはいかない。会話を上達したいと思っている学習者は、ロシア語の参考書を読むときにはこの点を意識するようにする必要がある。ロシア語で分からないところがあると、周りにロシア人がいればそのロシア人に聞くというのはだれにでも経験のあることである。ただ、同じことを何人かのロシア人に聞くと、必ずしも答えが同じになるとは限らない。ロシア語についてはどんなロシア人も一家言もっているわけで、外国人がどの答えが正しいのか判断に迷うことも多い。日本人の日本語と同様、ロシア人だって100%ロシア語やロシアについて知っている人はいない。Виноградов, Рассудова, Розенталь, Бондаркоクラスのロシア語文法学者が言えば別だが、やはりロシア語は文章になったものの方が信用できる。文章でそういう表現があるならまず大丈夫だと考えるからだ。これは本なら編集者というロシア語のプロが目を通しているからである。しかしブログやサイトの場合そういうプロのフィルターがないので、非常におかしいロシア語を目にすることがある。ブログやサイトは玉石混交なので注意が必要となる。今回の課題は、
Барыня спрашивает горничную: «Маша, ты поменяла рыбкам воду в аквариум?»
- а та отвечает: «Нет, барыня,они эту ещё не выпили».
設問1)文中におかしい所があれば直し、和訳せよ。
設問2)次の文を和訳せよ。
Это слабительное слабит легко и нежно и не прерывая сна.

Posted by SATOH at 12:19 | Comments [1]

2010年07月11日

●新帯研 第112回

会社の同僚で同じ時期ではないが、大野さんと小野さんという人がいた。二人同時にロシア人に紹介したとすれば、それはなかなかやっかいだったろう。大野と小野はロシア語ではともにОноとなり、力点をつけて区別したほうがよいのかもしれない。それにロシア語にはво время оноという表現もあることだし。
タイのバンコックにあるKlong Prem Central Prisonという刑務所について、麻薬の密売で捕まった欧米人が「バンコックの悪夢Nightmare in Bangkok (by Andy Botts)」という本を書いた。その中で3大恐怖というのが、ネズミ、ゴキブリ、そしてsquat toiletё(日本式のしゃがむトイレ)というから、ロシア人もそうなのかと気になった次第。90年代などちょっとモスクワの郊外でも木に丸穴のあいた便所が普通であり、ロシア人がしゃがむトイレにビビるとは考えられないけれど。最近ロシアの観光客と神社仏閣を巡って、彼曰く、ロシアの教会にはトイレがない(当然一般参拝客用のという意味だろう)のに日本の寺や神社にはあると驚いていた。個人的にはキエフで有名な大修道院に行った時に、トイレを貸してもらった記憶があるが、当時1980年代のソ連時代で外国人の頼みだから、特別に修道士用のトイレを貸してくれたのかもしれない。モスクワの修道院が経営するホテルの男子便所の朝顔には蓋がついているのには驚いて、すぐ写真を撮った記憶がある。今回の課題は、
Девочка спрашивает маму: «Мама, а у солнышка есть ножки?»
Та, естественно, отвечает: «Что ты, дитя моё, откуда же у солнышка могут быть ножки!».
А девочка на это: «А я слышала, как папа говорил нашей Даше: «Солнышко, раздвинь ножки».
設問1)和訳せよ。
設問2)Еврей продавал варёные яйца по той же цене, что и сырые, но зато был при деле и имел навар. 意味が分かるように和訳せよ。

Posted by SATOH at 21:22 | Comments [1]

2010年07月12日

●新帯研 第113回

あるとき近くの中川のほとりを夕方散歩していたら、おばさんが何か川の方を指差しているのを見かけた。鳥が川面でバシャバシャやっていて、ときどき銀色に光るヒモのようなものが見えた。ウミヘビかと思ったが、川にウミヘビというのもなと思った瞬間、その魚はひもを飲み込み始めた。ウナギだったのである。鳥はカワウで、散歩のとき水面に浮きながら時々潜っている。数えてみると10回に1回ぐらいしか、魚をくわえて戻ってこない。あのカワウはしばらくは魚取りしなくていいなと思った次第。カワウが水面の浮かんでいる姿は、小さなネッシーという感じがしないでもない。さてロシアに関係するもので最近知った二人の人物の短い挿話を紹介する。
日露戦争で1904年3月31日装甲艦ペトロパーヴロフスク号が日本軍の水雷に接触して沈没した際、マカーロフ提督とともに戦死した有名な画家のヴェレシシャーギン(1842~1904)Верещагинは、シベリア出身の家系のようで、名字の由来はシベリア方言のверещага = яичница с поджаренным хлебом(トースト付き玉子焼き)から来ているという。ヴェレシシャーギンは戦争画で有名だが、追求したのは写実性である。飽くなき好奇心も、実際はどうなのかを知るためであり、ある政治囚の絞首刑に立ち会った時にそれがどのように行われたかの彼の説明を読むだけで、彼の興味は命の貴重さがどうかといったようなセンチメンタルなことではないことがよく分かる。文字通り真実の追求が彼のテーマであり、戦争や死刑も含めてその悲惨さを訴えるというものではなかったのである。
チェルネンコ(1911~85)は病気がちのソ連共産党書記長だったと言われる。しかし1983年8月久しぶりに休暇を取るまでは、相応に健康だった。その休暇で奥さんと息子夫婦とともにクリミア半島に向かった。フェドルチューク内相が黒海で自分が釣って、燻製にしたお土産のアジを自分で持ってきた。それを家族全員で食べた夜中にチェルネンコだけが食中毒症状を起こした。一緒に食べた奥さんのアンナも別段異常がなかったことからアジが体に合わなかったのか、すでに体の抵抗力が落ちてきていたのかもしれない。今回の課題は、
Записная книжка за 1905 год. Японцы от бери-бери умирают, а русский чиновник живёт.

Posted by SATOH at 07:10 | Comments [1]

●新帯研 第114回(最終回)

中級の段階では実戦でよく使われる一般的な表現を覚えることを優先するが、上級の段階ではいくつかの類義表現のニュアンスの差を理解するように努めるべきである。上級文法を学ぶというのはある程度まとまった個別化した要素を、つまり例外を覚えていく作業であるとも言える。例を挙げればв войне、в войнуの違いだが、в войнуとво время войны+ 生格は同義である。во время воторой моровой войны(第二次世界大戦のときに)、В войну переел немало разной коры.(戦争のときは少なからぬさまざまな木の皮をいやと言うほど食べた)など。в войнеには戦争の結果というニュアンスが出て来る。 В войне и до и после того случая гибли десятки тысяч детей.(戦争ではその事例の前にも後にも何万という子供が亡くなった)などがそうである。そうはいっても無論難解な文法についての論文などは星の数ほどあろうが、いずれにせよ上記の例のように露文解釈用がほとんどであり、実戦の和文露訳で使えるという意味で使える上級用の参考書はほとんどない。先人がしたように自分で問題意識をもって、露文解釈から和文露訳に変換して勉強を続けていくしかない。問題提起(問いの立て方)が正確であれば、いつか答は見つかる。努めて止まざるものはついに救われるのである。
今回で新帯研は最終回とする。ろしぴろにより帯研や新帯研という機会を与えられたことにより「アネクドートに学ぶロシア語文法」という参考書も出せた。これも含めてこれまで出した参考書は自分が勉強する上でこういう本があったらよかったのにという思いで作ったものである。学習者にとって少しでも参考になれば幸いである。ただただろしぴろの主宰者と帯研参加者のおかげである。こういう参考書を書いたおかげで、自分なりにロシア語文法の知識を整理できたし、その結果自分のロシア語もかなり向上したような気がする。新帯研は終わるが、ロシア語に関して質問があれば、「ロシア語質問箱」にお寄せいただければわかる範囲で回答する。参加者の皆様には重ねて深く感謝申し上げる。最後の課題は、
Однажды родился мальчик, у которого вместо пупка была гайка. Когда он вырос, то спросил у матери, почему у него гайка.
- Иди за тридевять земель в тридесятое царство. Там найдёшь дуб, а на дубе сундук. Ответ в сундуке, - говорит ему мать.
Юноша попрощался и пошёл. Долго он шёл, пришёл тридесятое царство, нашёл тот дуб, снял с дерева сундук и открыл его. В сундуке лежал гаечный ключ. Юноша примерил его к своей гайке. Ключ подошёл. Тогда он отвинтил гайку. И у него отвалилась жопа. Так выпьем же за то, чтобы не искать на свою жопу приключений!
設問)和訳せよ。

Posted by SATOH at 22:27 | Comments [3]