2005年09月01日

●ロシア語学習とアネクドート (1)

- Каким должен быть анекдот?
- Как женская сорочка - тонким и прозрачным.
訳)「小話はかくあるべきか?」
「御婦人方のスリップのように繊細であからさま」
解説)スリップは普通 комбинацияだが、сорочкаにもスリップと言う意味がある。もっとも現代の女性はスリップではなくキャミソールを穿くのだろうけれど。

 ロシア語向上のためという観点のみでアネクドートを考えると、いろいろな勉強法があるが、大きく二つに分かれると思う。一つは、アネクドートというものはロシアやロシア民族のものの考え方を反映しているものゆえ、アネクドートのオチを理解することで、単なる訳だけではなくロシア庶民の生活を踏まえた背景なども学ぶことができるという姿勢である。しかし、この他にもアネクドートを世界で通じる小話ととらえ、ロシアの特殊性を排除して、日常性(オチがあれば非日常なのだが、全世界に慣習・歴史の壁があっても意味が通じるものと言う意味で)というものから語学として学ぶと言う考え方である。アネクドートの命ともいえるユーモアのセンス чувсьво юмораや現実感 реальностьというものをある程度(あるいはかなりの程度)犠牲にしてでも、つまり語学の勉強が主だから特に笑えなくてもよいわけだ。そうなると、女、ギャンブル、酒などが思いつくがそうである必要はない。放送あるいは出版してアネクドートを紹介するときに、和訳では放送コードとか最低限の卑猥な表現は避けるべき(ロシア語の卑語はロシア語を母国語とする人以外ほとんどの人がネイティブのニュアンスは分からないのだからかまわないとはず)だということは分かる。最近(2005年)NHKのラジオロシア語講座でアネクドートが載っているが、こういうアネクドート自体はまず普通のロシア人は使わないだろうし、オチも面白くないが、ロシア語の勉強ということを考えると、日常の言い回しが身につく非常によい企画だと思う。しかも書いているのはロシア人のようだからロシア語についても完璧である。面白くないゆえにオチが分かりやすいと言うのもよい。もっとも出版社の方針でエログロは載せないと言うことだろうし、子供でも大丈夫なユーモア話程度だから逆に書くほうも大変である。どういうものでもロシア語学習に活用できるものは積極的に取り入れるべきである。一つ例を挙げよう。

Динозавр уговаривает динозавриху:
- Ну, давай..
- Нет, нет, только не сегодня!
- Ну, милая...
- Нет, нет, совсем не хочется.
- Дура! Вымрем же!
訳)恐竜が雌恐竜を説得中。
「ね、やろうよ」
「やーよ、やーだったら、今日だけはやーなの」
「ね、いいこだから」
「いや、いやよ、全然その気が起きないの」
「馬鹿女。絶滅したって知らないからな」

Posted by SATOH at 13:16 | Comments [0]

2006年02月08日

●プーシュキン

Раневская передавала рассказ Ахматовой.
- В Пушкинский дом пришел бедно одетый старик и просил ему помочь, жаловался на нужду, а между тем, он имеет отношение к Пушкину.
Сотрудники Пушкинского дома в экстазе кинулись в старику с вопросами, каким образом он связан с Александром Сергеевичем. Старик гордо объявил:
- Являюсь праправнуком Булгарина.
訳)ラニェーフスカヤがアフマートヴァの話として伝えているもの。
「プーシュキン記念館に貧相な身なりの老人がやって来て、援助をお願いしました。困窮していることを訴え、ついでに彼がプーシュキンと関係があるとのことです。
プーシュキン記念館の職員は有頂天となり、プーシュキン様とどんな風に関係があるのか質問を浴びせました。老人が誇り高く申すには、
「私はブルガーリンのやしゃご(玄孫)なんですじゃ」
解説)Булгарин Ф.В. (1789 – 1859) 作家、ジャーナリストでプーシュキンを酷評したことで有名。ベリンスキーなども彼のことをぼろくそに書いている。こう言う人たちを зоил と言うが、スターリン時代では Ермилов В.В. (1904 – 65)が同様にドストエーフスキー、マヤコーフスキー、エセーニン、ブーニン、ブルガーコフ、プラトーノフ、トヴァルドーフスキー、イリフおよびペトローフを批判した。詩人のアフマートヴァもラニェーフスカヤもプーシュキン崇拝者であり、アフマートヴァはプーシュキンの妻をダンテスとの決闘の原因だったとして決して許さないと述べたと言う。これは小話ではないが、面白味を理解する上で文学上の常識というのが必要であると言う例として挙げる。

Posted by SATOH at 13:43 | Comments [1]

2006年02月14日

●チュクチ小話起源考

В кулуарах съезда писателей:
- Юрию Рытхэу не страшно защищать Солженицына: чем дальше сошлют, тем ближе к родным местам! А нам каково?!
訳)作家大会の舞台裏で、
「ユーリー・ルィトヘーウはソルジェニーツィンを弁護したって恐くはないよな。遠くに流されれば流されるほど故郷に近づくものな。俺らはそうはいかない」
解説)Рытхэу Ю.С(1930年生)チュコトカ半島出身のチュクチ人作家。祖父はシャーマンだったという。チュコトカと収容所のあったマガダンは比較的近いから。しかしソ連にはВологдаなど反対側の収容所もあるけれど。ルィトヘーウはチュコトカでのチュクチ人のソ連における生活、社会主義文化への移行を描いた作品「Время таяния снегов雪のとける頃」(3部作、1958~67年)、「Сон в начале тумана霧の初めの夢、1969年」、「Метательница гарпунаモリを打つ女、1971年」、「Конец вечной мерзлоты凍土の終わり、1977年」、「Белые снега白雪、1980年」、「Магические числа魔法の数、1985年」などをロシア語で書きソ連時代には数多く出版されたとのことだから、チュクチの小話は彼の作品に対する風刺として出現した可能性は大いにある。チュクチの小話で多用される、однако(あんれまあ)が、彼の作品に由来するのかなど、筆者は彼の作品は未読なので今後の研究課題である。

Чукчу спросили, что дала чукотскому народу советская власть.
- Очень много, однако, дала... Раньше у чукчи было два чувства: Чувство голода и холода. Теперь у чукчи целых три чувства: чувство голода, чувство холода и чувство глубокого морального удовлетворения...
訳)ソビエト政権がチュコトカの住民に何を与えたかと聞かれたチュクチ、
「とってもたくさんくれたね。昔はチュクチには飢えと寒さしかなったね。今じゃまるまる三つもある。飢えと寒さと深い道徳的満足感ね」

Идет чукча. а на голове у него кепка с четырьмя козырками. Его справшивают:
- Чукча, нк, козырек впереди и козырек сзади – это понятно, но зачем козырьки по бокам?
- Однако, чтобы лапшу на уши не вешали!
訳)チュクチがやって来ます。頭には庇が4つついた野球帽をかぶっています。彼に聞いてみると、
「チュクチよ、庇が前後にあるのは分かるけど、どうして両側についてるんだい?」
「あんれまあ。麺と向かって耳を貸さないようにだよ」
解説)лапшу на уши вешать 「だます」という意味と「麺を耳にたらす」という文字通りの意味をかけている。

Posted by SATOH at 15:00 | Comments [0]