2014年02月23日

●続和文解釈入門第375回

完了体未来形の完遂の意味を強調すると「必ず~する」という意味なるが、その場合でもне преминуть + 完了体不定形と完了体不定形が来る。

(必ず報告する)Я не премину сообщить.

出題)「初耳です」をロシア語にせよ。この出題に対するコメントは都合により4、5日後になりますので悪しからず。

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2014年02月22日

●続和文解釈入門第374回

危惧の念というのは主観的要素が強く、命令法では完了体の否定形を用いる。これを援用して、危惧を表す動詞が結びつく不定法にも、例示的用法から完了体が使われる。このように体の本質が分かれば、体の使い分けというのは応用できるものである。

(意見を変えたことがばれるのが怖い)Люди боятся обнаружить перемену во мнениях.
(言いにくいのですが、名前を挙げにくいのですが)Боюсь сказать. (назвать).
(おそらく彼は来ない)Боюсь, что он не придёт.
(できるかどうか自信がない)Боюсь я не смогу.
(彼は金を貸すのが不安だ)Он боится дать деньги взаимы.

 否定文では、危惧の念が消えるから、経過や反復の意味で不完了体が出てくる場合もある。

(彼は話をするのを恐れない)Он не боиться беседовать.

出題)「数では我が方に分がある」をロシア語にせよ。

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2014年02月21日

●続和文解釈入門第373回

『三訂和文露訳入門』に下記追記乞う。

10-20 二重否定

二重否定というのは「なくはない」というように否定に否定を重ねることで肯定的な意味を持たせることである。しかし、日本語では「なくはない」と「ある」は同義ではない。「なくはない」には、あることはあるが、量が少ないとか、見せたくないとか消極的なニュアンスが感じられる。ロシア語にも二重否定はあり、2008年版アカデミー露露辞典のнеにも同意の意味утвердительное (= выражющее согласие с чем-либо; подтверждающее что-либо) значениеを挙げているが、語義から判断して消極的な同意と理解される。二重否定にはнельзя (невозможно) не + 不定形の他に、не могу (смею) не + 不定形があり、その例で説明すると、Я не могу не согласиться.(直訳すれば「同意しないことはできない」)はЯ могу согласиться.(同意することができる)と同じ意味ではない。ザルービンの露和辞典にはне могу не = вынужденとあり、Русский язык Экнциклопедия, Филин Ф. П., Советская энциклопедия, 1979では否定の否定は肯定的意味となり、не могу не = долженとなっているが、いずれにせよ「賛成せざるを得ない」か「賛成しなければならない」と訳すべきであって、「賛成してもよい、賛成できる」という意味にはならないことが分かる。ロシア語でも二重否定は修辞的婉曲的言い回しゆえに、暗示的な、消極的なニュアンスが出るのだと思われる。не без того (этого)も口語で確認を示す同意(まあそうだ)を示し、これも消極的なニュアンスがあるのは次の例文を見ても分かる。

「疲れたようだね?」- Ты, кажется, устали?
「まあね」- Не без этого.

 この他に二重否定の例文を挙げる。

(憲法に関する仮定は確固たる基盤を欠いた噂以上のものではなかった)Предположение о конституциях представляло не более как слух, лишённый твёрдого основания.
(それは嘘に他ならない、嘘に違いない)Это не что иное, как ложь. <не что иной, как = именно, как раз>
(彼こそラープチェフだ)Это был не кто иной, как Лаптев. <не кто иной, как = именно, как раз>
(彼にはユーモアのセンスがなくはない)Он не лишён чувства юмора.

 次に二重否定の要素が含まれている形容詞(副詞をその形容詞から作るのは可能である)を挙げる。

небезвыгодный(悪い話ではない)、небезграничный(無限ではない)небезгрешно(罪がなくはない)、небезоблачный(心に曇り一つないというわけではない)、небезосновательный(いい加減というわけでもない)、небезопасный(危なくなくもない)、небезразличный(まんざらでもない)、небезынтересный(興味がなくもない)、небезывестный(心当たりがないでもない)、небесполезный(役に立たないわけではない)

出題)「馬肉で命をつなぐのを気にしなかったのは文学者さえもだった」をロシア語にせよ。

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2014年02月20日

●続和文解釈入門第372回

日本は世界一の長寿国だが、長生きすると、退職後に何をしていいか分からないという人が増えているように思われる。暇つぶしвремяпрепровождениеはだれにでもできるが、生き甲斐смысл жизниを見つけるのは容易ではない。私は大学でロシア語を専攻し、その中から3つほど難問を抱き、その解を求めるのが生き甲斐となり、有難いことに何とかその解を得たのではないかと思い(錯覚かもしれないが)、現在に至っている。趣味も生きがいになりうるが、その趣味すらない人もいるし、趣味によっては年を取ると体力的に無理というのもあろう。鬱にならないとか、ボケない秘訣はヲタクになることなのだが、とっかかりは人によって千差万別で、これという決め手がない。生きがい探しを若いうちからするようにというのを私の最近娘たちに書いたメールである。

出題)「彼にはユーモアのセンスがなくはない」をロシア語にせよ。

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2014年02月19日

●続和文解釈入門第371回

ロシア人のガイドをしていると、日本人には信仰を持っている人が多いのかとよく尋ねられる。これは我が国が科学技術の先進国であり、いわば未来の国としての信仰というのをロシア人が知りたがっているからかもしれない。2014年1月23日付の読売新聞朝刊には「無神論 徐々に広がり」という記事があり、無神論者атеистыと自覚する人の割合が多い国として、ウィン・ギャラップ・インターナショナル画世界57カ国、計約5万人を対象にした2012年の公式調査の結果によれば、中国が47%(宗教心がある人は14%)でトップ、2位が何と日本で31%(16%)、以下チェコ30%(16%)、フランス29%(37%)、韓国15%(52%)、ドイツ15%(51%)、オランダ14%(43%)と続き、米国は5%(60%)である。中国はお国柄当然とはいえ、我が国が2位というのには驚いた。ロシアの結果が載っていないのは残念だが、上位を占めそうな気はする。

 無神論атеизмというのは、神の存在も、神の意志もないとする立場だと同紙に書いてあったが、回りを見て、日本人に無神論者が多いとは思えない。私自身は不可知論者агностик(事物の究極の実在,絶対者,無限者,神は知られえぬと説く立場であると平凡社世界百科にある)、神が存在するかしないかは、少なくとも現時点では証明不可能であり、仮に存在したとしても、そのような究極の存在が私ごときにかまう理由はないだろうし、お賽銭をあげたり、拝んだりすると神仏がお喜びになるという発想にはついていけない。神仏が存在するにしてもいくらなんでもそんなに安っぽいものではなかろうと思う。私と同じ考えかどうかは別にして、白黒決めるのを嫌がり、灰色が好きな日本人が、神がいないと断定する無神論者であるとはとても思えない。初詣に明治神宮だけでも3千万人の人出だというのは、神がいるかどうか分からないが、念のため拝んでおこうぐらいという気持ちと、先祖や自然のもろもろの気を大切にと考える日本人の気質からではないかと思う。多分アンケートを取るときに、無神論(神は存在しない)と信仰の有無の区別を明確にしなかったのではないかという気がする。

出題)「ダニーラが勝手な真似をしようと決めたのかと一瞬思ったぜ」をロシア語にせよ。

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2014年02月18日

●続和文解釈入門第370回

テレビ東京の「Youは何しに日本へ?」はガイドという仕事柄毎週欠かさず見ている。非常に面白い番組だが、英訳はWhy did you come to Japan?であって、Why have you come to Japan?とかWhy are you come to Japan?ではないのに気がついた。これはある大企業で法務部に勤めているというアメリカ人女性もそう発音していたから、英語では結果の存続というのをうるさくは言わないのかもしれない。成田空港に着いたばかりのロシア人には、ロシア語ならПочему вы приехали в Японию?とかПочему вы в Японии?というのが自然だろうと思ったので、中学高校で習った英語のhaveを使った現在完了というのも、ロシア語とはずいぶん違うなと思った次第である。

出題)「無からは何も生まれない」をロシア語にせよ。

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2014年02月17日

●続和文解釈入門第369回

電車の広告で分からない単語をロシア語で何と言うのかを考えることがある。和露辞典を使えば簡単だと思うのは素人である。まず載っていない。時事ロシア語という以前の問題である。単語がすぐロシア語にならなければ説明すればよいのだが、その説明が簡単には行かないようなものを、テレビや新聞、電車の広告などで集めて、それをロシア語にするというのが日課になったりする。宮部みゆきの小説は現代ものはそうでもないが、時代ものの本所深川同心井筒平四朗が活躍する『ぼんくら』、『日暮らし』、『おまえさん』の三部作は、文章も雰囲気も気に入っているし、他にも日照り神を扱った、『あんじゅう』(三島屋変調百物語事続)に収められている『逃げ水』は特に気に入っている。ストーリーだけでなく、この作家の遣う、日本語として心にしみるような日本語の語彙が気になって、気になる語彙はロシア語にしようとしたりすることもある。そういうときには露和辞典や3巻本の英露辞典Новый большой англо-русский словарь(新大英露辞典、3巻), Ю.Д. Апресян, Русский Язык, 1994(語数25万語)を使うことがあるし、たまに和露辞典としてはまあまあ気にいっているРусско-японский словарь, Русский Язык、Б. П. Лаврентьев、1984(語数約7万語)を使うこともある。和露辞典にはその時点で必要とする語彙が載っていないので使いたくないのだが、この和露辞典には正解はないかもしれないが、ヒントはある。和露辞典の悪口を書いているようだが、和露辞典は一般的な語彙を扱い、しかも露訳しやすい語彙を選んでいるような感もある。その上類語の区別がないから使えないし、我々プロが探す語彙というのは普通の文脈では使わないものが多いので、結局自分で調べざるを得ないのだ。

出題)「スタートから200メートルほどで僕はころんだ」をロシア語にせよ。

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2014年02月16日

●続和文解釈入門第368回

『クマムシ博士の「最強生物」学講座』(堀川大樹、新潮社、2013年)を楽しく読んだ。著者はNASAでも働いたことがあるクマムシwater bearの権威である。クマムシは科学技術未来館にガイドの仕事で行った時にぬいぐるみが可愛かったので気にはなっていた。クマムシは、マイナス273度の低温、プラス100度の高温、人の致死量の約千倍に相当する線量の放射線を浴びても弱るかもしれないが、生き残る。さらにアルコールなどの有機溶媒、紫外線、水深一万メートルの75倍に相当する圧力や真空など様々な種類の極限のストレスに耐えられる最強の生物であり、体長0.1 – 1.0 mmで4対の肢を持ち、寿命は1~2カ月であり、水生生物で、乾眠ангидробиоз, высушивание(体の水分を0~3%にしても、水を加えると蘇生する)という能力で生き延びるらしい。千種以上いるらしいが、中でもヨコヅナクマムシはメスしかいないという。昆虫ではなく、緩歩動物тихоходки(クマムシというロシア語がなく、この単語で代用せざるを得ないと思う)である。ぬいぐるみも研究費を集めるためというので、ぜひご興味ある方はネットで見てほしい。かわいいことはかわいい。

出題)「行って下さい、追いつきますから」をロシア語にせよ。

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2014年02月15日

●続和文解釈入門第367回

NHKで2014年1月に2週にわたって放送されたプレミアム超常現象паранормальные явленияという番組で、超常現象を科学的に解明しようという取り組みについて紹介していたが、その中で心霊現象спирические явленияや生まれ変わりреинкарнацияは宇宙全体の意識とのつながり、テレパシーтелепатияは量子もつれквантовая запутанность, quantum entanglementに関係しているという。量子もつれというのは複数の物理系の間の距離に依存しない非局所的な相関現象のことで、極微の世界では粒子が波の性質を持ったり、波が粒子の性質を持つという、日常ではなかなか実感することのできないという大きな特徴があり、距離に関係なく(非局所的に)相手の状態を決定することができる(相関がある)ということらしい。予知能力ясновидениеは人間の生存能力выживаемостьに関係あると考える科学者がいることが紹介されたいた。これは危機察知能力のことで、私はこれに時間も関係する四次元空間も関係があるのではないかと思っている。
 またこの番組では幽霊が近づくと感じると言われる寒気холодокは恐怖が人の体温を下げ、それによって敵に見つかりにくくすることからかもしれないという説を紹介していた。幽霊привидениеについてもコリン・ウィルソンは写真のように何かの念が磁気などの影響で、その場に強い思いが残って、写真のように念写されたものではないかと言っているが、個人的にはそういう見解を支持したい。だから、幽霊は同じ動作をするのだというのがウィルソンの説である。

出題)「ボタンを押したが、爆発は起こらなかった」をロシア語にせよ。

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2014年02月14日

●続和文解釈入門第366回

私の母は57歳でガンが転移して亡くなったが、亡くなる3日ほど前、私が夜そばについていたときに、眠っていたのが急に起き出し、病棟の天井近くを指さして、白いものが浮かんでいる、呼びに来たんだと言いだした。父がなだめて、落ちつかせ、静かになったのだが、その時にあの世はあるかもしれないなと感じたのを覚えている。それ以前にもスウェンデンボリ『霊界日記』などを読んだりして、あの世に関してそれなりの興味を持っていたからなおさらである。ところが、その後、人は死ぬ前にも脳の腐敗が始まるが、そのときに二酸化炭素が発生して、それが幻覚を引き起こすのだとという説を聞いたり、最近では脳が低酸素状態になると幻覚を生じるというのを聞いて、やはりあの世はないのだろうと思っている。

 最近有名なアメリカの脳神経外科医エヴェン・アレクサンダー氏が臨死体験околосмертный опытをして、自分の死んだ妹に会い、あの世はあると説いている。自分が経験すれば別だが、ただあの世がこの世の続きで、嬉しく思う人もいるかもしれないが、そうであれば退屈なような気もする。それよりも全ての意識は宇宙全体に共有されていると考えた方が分かりやすい。

出題)「没収したダイヤの値段をどのくらいにつけますか?」をロシア語にせよ。

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2014年02月13日

●続和文解釈入門第365回

『異端の統計学ベイズ』(シャロン・バーチェ・マグレイン、富永量訳、草思社、2013年)を非常に興味深く読んだ。偏差値などで使われる、いわゆる釣鐘型の統計理論(頻度主義)ではなく、1740年代末にトーマス・ベイズにより考え出された確率に関する理論で、ラプラスがより精緻なものにした。この250年間に5度はほぼ致命的な打撃を受けながら生き延びた統計学の理論の歴史についてである。これは「何かに関する最初の考えを、新たに得られた客観的情報に基づいて更新すると、それまでとは異なった、より質の高い意見が得られる」という理論で、これまで起こっていないが、起こるかもしれない事例の確率についても用いることができ、コンピューターの性能の向上に従って、暗号の解読、グーグル検索、機械翻訳などに威力を発している。コンピューターは何も理解しないが、パターンを認識するので、これを機械翻訳に利用していると著者は述べている。パターン認識というより、例文のパターン暗記というのは、語学学習の上で必須の学習法だが、コンピューターはともかく、生身の人間で耐えられる人は少なかろう。そういう意味で、挨拶表現をではなく、意思を表現できるレベルまで語学が上達するのは至難の業だと思う。それゆえ、機械的な語彙の暗記ではなく、体の用法を極めることを主眼とする文法を活用した和文露訳の考える学習法を私は提唱しているわけであり、そのほうが例文のパターン暗記より勉強のやる気や興味が湧くように思うが、皆さんはどうか?

出題)「僕は強い茶は大丈夫です」をロシア語にせよ。

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2014年02月12日

●続和文解釈入門第364回

2004年にカザフスタン東部のウスチカメノゴールスクに出張したことがある。中国に売るのだろうか、ロシアやカザフスタンの他の地域で見たことのない、「髪買いますПокупаю волосы.(看板などで使う遂行動詞)」という看板を街で見つけたり、химический каландаш(濡らすと紫色のインクのようになる、つまり濡らさなければ消しゴムで消せる鉛筆で、直訳すると化学鉛筆だが、日本で売られているのかは不明)を買ったりした。よく見たらドイツ製だった。その頃ロシアではもう作っていなかったのだろう。後にカザフの知人からちびたロシア製の化学鉛筆をもらった。

 乗せてもらった車に先客のご婦人が二人おり、日本から来たと言うと、この街にも最近カジノができて、自分たちもほぼ毎日通っている。世の中であんなにワクワクするものはないと言う。根が小心だし、博才もないと思うのでカジノに行ったことはあるが、遊んだことはない。カジノは胴元が得をするようになっているという理屈は分かるが、このスリル感を楽しみたいと言う人もいるだろう。東京にもオリンピックまでにカジノのをと説く人もいるし、東京にカジノができればマカオに行く中国人の何%かはカジノ目当てに日本にやってくるかもしれない。カジノも酒やたばこのようなものと考えれば、こういうスリルに酔いたいという人たちが現にいるわけで、そういう人たちも気持ちを一考だにしないというのもどんなものだろう?

出題)「つい先日ここで知り合いを見かけた」

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2014年02月11日

●続和文解釈入門第363回

『三訂和文露訳入門』10-19 疑問詞 として下記追加願う。

 入門の段階で習う疑問代名詞のчтоやктоもよく考えれば、けっこうややこしい。文法書にもさしたる説明がなく、普通は丸暗記するのだろうが、一応考えてみた。

 「~とは何か?」と物事の定義を尋ねるときには、
(金銭とは一体何か?)Что такое деньги? <такоеは強調の意>
(日本とは何ぞや?)Что такое Япония? <同上>

 しかしザルービンの露和辞典によれば、名称を尋ねている用例も併記されている。実際会話ではこの用法が多いと思われる。

(これは何ですか?)Что это? <= Как это называется?>

 つまりчто + 主格?という構文は意味的に曖昧であるということになる。このことからもの性質をより明確に尋ねるには、次のような表現を使う。

(どんな騒音だ?)Что за шум? <что за + 主格 = какой、第250回本文参照。この構文はものの性質を尋ねている>
(どんな人間だ?)Что это за человек? <этоは強勢助詞で主語ではない。この構文はものの性質を尋ねている>

 しかし、ものの一般的(抽象的)な定義でもなく、また名称でもなく、具体的に「~とは何か?」と尋ねたい場合は、в чём + 主格を使う。これは『三訂和文露訳入門』8-4項に〔ロシア語における「意見」は具体的な人の意志の力により形成されるものであり、一方「知識」は、自然にわいてくるものではなく、どこからか得るものだという考え方があり〕と書いたように「知識」はどこかにあるという考え方からであろう。意味的にはв чём = гдеであるのは明らかだからだ。つまりв чёмにзаключается, состоитが省略されていると考えられ、知りたいこと(知識)はどこにあるのかを尋ねていることになる。それは、(実は〔というのは〕~である)Дело в том, что = главное (суть) в том, чтоという構文のдело = суть дела(事の本質)からも分かる。

(どういうこと?)В чём дело? <= Что случилось?>〔直訳すれば「事の本質はどこにあるのか?」〕
(モデルのOVERとOVESとの違いは何ですか?)В чём разница между моделями ОВЕР и ОВЕС?
(我々の任務とは何か?)В чём наша задача?

(どちらさま)Кто такой?<= Кто таков?(どちらさん?)は口語的であり、どちらも名前ないしは職業、正体を尋ねているが、やや軽蔑のニュアンスがある。日本語でもいきなりこういう風に聞くのは失礼なのと同様>
(どちらさまですか?)Кто там (здесь, тут)? <ドア越しなど姿の見えない相手に対して>
(どちらさま何ですか?)Кто вы такие? <такиеは強調の意味だが、この場合は主語が複数ならтакиеとなり、単数ならтакойとなり、主語の数を示していることになる>

出題)「機械が人に完全にとって代わるかもしれないとは思わない」をロシア語にせよ。

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2014年02月10日

●続和文解釈入門第362回

『三訂和文露訳入門』に9-2-3 確述として、下記のように追記することにした。
近接未来の条件法において、「もう終わりだ」という意味を完了体過去形で示す動詞群がある。

(今すぐ自分のための戦いを始めないならば、僕はおしまいだ)Если я не начну борьбу за себя сейчас, не медля, я погиб. <пропалなども使える。погибнуть, пропастьの完了体過去形で未来を示す時制の転用>
(もしこの協定が成立したら、全ては終わりだ、自由主義的な思想はおしまいだと僕には思われた)Если это соглашение состоится, думалось мне, то всё кончено – либеральным идеям капут. <被動形動詞過去短語尾конченоの現在の時制を使った確述の用法。同義であるкапутの代わりにбастаでもよい。共に意味上の主語は与格に置く>
Мне конец пришёл. <пришёлは確述の用法なので、取っても意味は変わらない>

出題)「私の考えでは、私の行動は正しい」をロシア語にせよ。

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2014年02月09日

●続和文解釈入門第361回

世界初の有人宇宙飛行をしたガガーリンの前に、ソ連では犬が宇宙を飛んだわけだが、大気圏まで飛んで無事戻ってきたジェージクДезикとツィガーンЦыганは成功だったが、その後は失敗例も多く18匹が事故死した。1957年11月3日二度目の人工衛星に搭乗したライカЛайкаが最初の宇宙犬なのだが、軌道周回4週目で船室の過熱のため死亡した(公式発表では苦しむことなく死亡したとある)という。ライカの後は宇宙犬として野良犬の中からメスを選び、これは宇宙服の開発に楽だ(出っ張りがないからか?)ということらしい。毛色も観察しやすいように白っぽい色の犬とされた。このようにして1960年7月28日に飛んだリシーチカЛисичкаとチャーイカЧайкаは不成功に終わり、その1カ月後補欠であったベールカБелкаとストレールカСтрелкаがスプートニク5で成功し、無事地球に戻った。その後子供たちの人気者となり、犬としては長命だったという。ストレールカは2度元気な子供を生み、1匹はケネディ大統領にプレゼントされた。二匹ははくせいとなってモスクワの宇宙航行記念博物館にある。

出題)比喩的な表現で「みんな互い(の間)に壁をめぐらしている」をロシア語にせよ。

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2014年02月08日

●続和文解釈入門第360回

『三訂和文露訳入門』9-2-2項に下記追記願う。
с + 造格(動名詞ないしは時に関係する名詞)で「~してすぐ」という意味を出せる。

(状況は父の死の直後変わった)Положение изменилось со смертью отца. <после смерти отца だと父の死の直後というニュアンスはないが、сразу послеとすると直後という意味になる>
(ヒットラーが政権に就いてから2カ月後にベルリンで会議が行われた)Через два месяца после прихода к власти Гитлера, в Берлине состоялось совещание. <直後ではないためс + 造格は使えない>

同じс + 造格でも、後に続く動作をс последующим (-ей, -ими) + 動名詞の造格という形で、動作の順序を逆転させて示すこともできる。これは9-8-3項のчтобыのように、結果の意味への転用と考えることもできる。

(車検はモスクワ公共事業部が実施した後、ナンバーが交付された)Технический осмотр автомобилей с последующей выдачей номеров производили Технический отдел Московского коммунального хозяйства.

出題)「彼がつけ上がるようなら、たしなめなさい」をロシア語にせよ。

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2014年02月07日

●続和文解釈入門第359回

『三訂和文露訳入門』6-2-1-1項に下記追加願う。
体の使い分けをする上で、不必要と禁止は不完了体の領域であるが、それ以外は完了体か不完了体のどちらかを使うべきだとは決められない。強制や義務というのも、回りの雰囲気や世の中のしきたりによってせざるを得ないというのなら不完了体であろうし、話し手が回りの雰囲気には頓着せず、具体的な1回の、新規の動作を行うということで、聞き手の事情を考慮しないという意味の強制であれば、完了体が使われることになる。図式的に説明すると、

〔義務・強制〕
 回りの雰囲気・状況によるもの → 不完了体

(もう6時だ。そろそろおいとましないと)Уже шесть часов. Я должен уходить. <切迫感>

 話し手自身の都合によるもの    → 完了体

(今日アレクセイに手紙を書かねばならない)Сегодня я должен написать письмо Алексею.

 しかし次の文で完了体が出てきているのは、不完了体が使われるような一般的な慣習や儀礼上、常識としてというような回りの空気を読んでということではなく、特定の状況であり、かつ例示的用法ということで完了体未来形が来ている。

Насколько позволят обстоятельства(状況が許す限り)
Если позволят обстоятельства(状況が許せば)
Когда позволят обстоятельства(状況が許せば)
Как только мне позволят обстоятельства(状況が許せばすぐ)

このように『三訂和文露訳入門』第1章に書いた体の本質に思いを致せば、文脈によってどちらの体を使うべきかは自然と見えてくるはずである。

出題)「今すぐ自分のための戦いを始めないならば、僕はおしまいだ」をロシア語にせよ。

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2014年02月06日

●続和文解釈入門第358回

完了体命令形は強調の意味があると間違って思いこみ、それが不完了体命令形との使い分けの違いだと考えている人がいるようだ。多分研究社の露和のсестьのところの説明に、「完了体сядьтеは命令、不完了体садитесьは促し・勧めを表す。садитесьの多用から、具体的・特定的な一回動作でもсадитьсяを使うことがある。同様な傾向はлечь, ложитьсяにも認められる」とあり、岩波の方には、「Сядь(те)!座れ/Сади(те)сь!おかけなさい(完了体が命令を表すのに対して、不完了体は勧誘を示し、より丁寧な、やわらかい表現となる)とあるからかもしれない。命令とあるが、命令文は全て命令であり、その強弱があるだけなのでこの命令は誤解を招きやすい。この命令は命令の強調だと理解する。完了体命令形が強調を示すというなら、Скажите, где туалет?(トイレはどこか教えてください)は強調であり、強調したくなければГоворитеを使うということにもなりかねない。いやいやそうではなくて、сестьみたいのだけが例外だという説明になるのだろうか?これでは完了体と不完了体の用法が動詞や動詞群によって使い分けが行われるということになってしまう。Скажитеは新規の動作だから使うのであって、強調だからということではない。

 「おかけなさい」はСадитесь.と習い、なぜ完了体命令形Сядьте.を使えないのかの説明を大学の時に先生やロシア人にも尋ねたが、納得のいく回答は得られなかったので、このまま覚えてしまった。それから15年ぐらい経って、モスクワ駐在員の時にザゴールスク(現セールギエフ・ポサード)にある大修道院(1993年世界遺産認定)で神父さんに中の説明を受けていたときのことである。その神父さんが何かの用事で席を外さなければならなくなり、そのときソファーを指して、Сядьте.と我々に言ったのを覚えている。後でなぜСадитесь.と言わなかったのだろうと気になり、そこから真面目に体の使い分けや用法に取り組んだわけである。今にして思えば、ソファーのことは我々は気にも留めていなかったし、それまで立って説明を聞いていたわけだから、座ることは考えていなかったので、話し手にとっても、聞き手にとっても座るという動作は新規の出来事であり、だからСядьте!と完了体命令形を使ったのだということが分かる。

(おかけください。テーブルの近くにどうぞ)Садитесь. Сядьте ближе к столу.

上の文のСядьтеは強調ではなく、机のそばという新しい状況を提示しているから完了体命令形が来ており、Садитесьと同じ単語を二度繰り返して使わないというロシア語の文体的な美的感覚ということも少しはあるだろう。

 ロシア語の小説を読んでСадитесь!を使うべきところに、Сядьте!を使う場合が稀にあるが、これは使う人が野卑な感じを出そうとして、つまり不完了体を使うところに完了体を、完了体を使うべきところに不完了体を使うと場違いという感じで、文体上、非礼な感じを出すための作者の意図だと考えている。これは日本語の二重敬語などにも言えることである。

 完了体と不完了体の用法の違いの本質にあるものは何かということに、これまでの参考書は触れて来たが、それはあくまで露文解釈の観点からであり、正しいロシア文があり、そこから体の用法を解釈していたわけである。ところが会話において和文露訳をする場合に、どういう基準において体を使い分けるかについての明確な指針を示すような参考書はなかったわけである。フォーサイス先生の本でも、原求作先生の本でも、露文を念頭に置いた参考書だから当然と言えば当然なのだが、露文解釈の観点からしか書いておらず、細かい完了体と不完了体の時制や法における用法の細かい違いばかりを扱っている。体の用法は動詞ごと、あるいは動詞群ごとで用法が変わるというのであれば、それは『三訂和文露訳入門』の第1章(完了体と不完了体の違いの本質が書かれてある)を読まないで、第2章以降の完了体と不完了体の細かい使い分けのみ勉強するということであり、これまでの体の用法についてのこれまでの参考書の考えと同じである。体の使い分けをマスターするには、大本の完了体と不完了体の違いの本質を理解するのが不可欠である。その現れ方が、動詞群によって強弱があり、それを個別に学び、かつ常に頭には体の用法の大本は何かということ置いておかないと、体の用法の奥義はつかめないし、会話でも活かせないことになる。なぜ現れ方に強弱があるのかというと、動詞の語義自体にそれぞれ完了体の出やすいもの、不完了体が出やすいものという本質的な差があるからである。『三訂和文露訳入門』で一番重要なのは第1章であり、ここを再読、再々読して理解すれば、体の奥義は会得したことになる。その理解のために第2章以下があるわけである。

出題)「子供の頃から喉が弱かった」をロシア語にせよ。

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2014年02月05日

●続和文解釈入門第357回

不完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点をイメージしない、つまりそのような一点を示すような時の状況語と不完了体は相性が悪いと言っているわけである。しかし、動作遂行の結果をイメージしないのなら、『三訂和文露訳入門』の4-1-2項の予定の用法(動作の有無の確認)や、5-1-2項の勧誘の用法(動作が任意である)のように時間軸の特定かつ不動の一点を示す状況語と共に用いてもよいということになる。

出題)「この話は終わりだ」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 06:39 | Comments [3]

2014年02月04日

●続和文解釈入門第356回

『三訂和文露訳入門』5-1-2 勧誘の項に下記追記願う。第349回の続きでもある。
この用法は「~するとしたら」が前提となっているために、踏み台(みなし反復)ということで、動作自体が任意であり、動作遂行の結果をイメージしないので、不完了体命令形が用いられ、時間軸の特定の不動の一点を示す状況語(例えば次の文のсегодняやзавтра)と共にも用いられる。

(時間があったら今日家に寄ってくださいね)Заходите к нам сегодня, если у вас будет время.
(今日は羊の肉は入ってこないよ、明日来て下さい)Сегодня баранины не будет, приходите завтра.
(今、羊の肉がないから、もう少し後で来てください)Придите попозже, сейчас баранины нет. <完了体動詞命令形Придитеは、「必ず来てね」という相手を拘束するような強い命令であり、不完了体命令приходитеは、来ても来なくてどちらでもいいけどという感じである>

出題)「規則的に食事を取り、ゆっくり食べ、食べ物をよくかむようにしなさい」をロシア語にせよ。

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2014年02月03日

●続和文解釈入門第355回

『三訂和文露訳入門』を下記のように訂正願う。
3-1-2 反復・習慣・普遍性 → 不完了体動詞現在形

反復にも動作の一括化(連続する反復、2-2-1-5項)や偶発的反復(2-2-5項)、規則的(定期的)反復、多くの回数の繰り返しがある。「完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点をイメージする」ことから派生して、反復という用法の中の、動作の一括化(連続する反復、2-2-1-5項)や偶発的反復(2-2-5項)は完了体の受け持ちとなり、「不完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点をイメージしない」、つまり規則的反復や多くの回数の繰り返しは動作の特定かつ不動の一点にないことは明らかなので、不完了体で表現することになったのだと考えられる。継続や反復という用法は不完了体の本質ではなく、文脈や状況語によるとフォーサイス先生も述べておられるが、これは後者の方の反復であろう。つまり不完了体は動作や状態の素材そのものであり、多回体のように語義に反復が含まれるものは除いて、動作が1回で終わるという限定もないゆえに、文脈やその他の状況語によって反復(後者の)、習慣、普遍性などに色づけされることになると言える。

出題)「一番長い上り坂は何キロメートル地点から始まりますか?」をロシア語にせよ。

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2014年02月02日

●続和文解釈入門第354回

『三訂和文露訳入門』2-2-1-2項に、「しかし、「昨日来て、去った」というように、過去を特定する状況語があれば、1度特定の時期に起こったということだから、Вчера он приехал и уехал.となり、приезжалは使えないことになる。つまり、昨日とか1年前とか明らかに過去を特定する状況語が明示されない場合、またいつかは忘れたが、1度あったということをイメージしない場合に、不完了体動詞過去形が出てくる」と書いたが、第349回の回答のコメントに書いたように、これは間違いなので削除し、2-1-3項を次のように訂正するようお願いする。

2-1-3 動作の往復

不完了体過去形の用法には反復と、過程(при-という接頭辞のついた運動の動詞以外)の用法があるが、本項で取り上げる動作の往復の用法というのは、完了体過去形に見られる結果の存続(3-2-1項)の用法のアンチテーゼとして生じた動作の無効(2-1-8-10項)のことである。この用法には、運動の動詞の不定動詞ходить, ездитьの過去形、および接頭辞のついた運動の動詞の不完了体動詞過去形、および対義語のある動詞群の不完了体過去形を用いる。例を挙げると、приходил = пришёл и ушёл; отходил = отошёл и подошёлは、<来たが帰ってしまって、今はそこにいない>を意味し、完了体過去形の順次的用法を意味する。本来不完了体は時間軸の具体的な不動の一点を示す時の状況語と共には用いられないが、完了体過去形の順次的用法の代用であるためにそれが可能になる。また動作が往と復の二つあり、復の動作は往の動作と同じ内容だが、方向のみが逆、つまり同価で符号のみ(+)が(-)に変わっただけの反復動作と考えられるので、不完了体が使われると考えてもよい。これは2-2-1-2項の踏み台(みなし反復)の考え方と同じである。

(昨日僕のところに友人たちが来た)Вчера ко мне приходили друзья. <時の状況語であるВчераにも期間としての要素はあるが、時間軸の特定の不動の一点と考えても問題ない。動作の有無の確認であり、今は友人たちはいないということに文の焦点があるので不完了体過去形が使われている>

 往復で使える完了体には4-2-4項で挙げるс-という接頭辞のついた動詞群があるが、これらを過去の時制で用いると往復は往復でも、動作が二つの動作ではなく、一挙動になる。意味的にはアオリスト的用法もあり得るが、結果の存続の可能性が高い。

(ボリショイ劇場へ行ってきました)Я сходил в Большой театр.

2-1-3-1 動作の往復の動詞群

出題)家庭教師の広告案内「数学の家庭教師を月額2万円でいたします」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 07:32 | Comments [3]

2014年02月01日

●続和文解釈入門第353回

『三訂和文露訳入門』2-2-1-2項の中ほどにある段落を下記のように訂正しました。

一見その動詞が初めて出てくるのにもかかわらず、不完了体が使われることがあるが、よく文脈を見ると、すでにその動詞に関する状況設定がなされている、つまり踏み台のように、場がすでにこしらえられていることが分かる。つまり意識下において、使われる動詞は新規に使われるのではなく、反復であるという認識から不完了体が用いられることになる。

(だって彼はもうここに来ていたよ。私と一緒に地震の後に来たんだよ)Он ведь уже был здесь – приезжал со мной после землетрясения.

出題)「専門家派遣の件はどうなりましたか?」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 06:42 | Comments [3]