2014年02月13日
●続和文解釈入門第365回
『異端の統計学ベイズ』(シャロン・バーチェ・マグレイン、富永量訳、草思社、2013年)を非常に興味深く読んだ。偏差値などで使われる、いわゆる釣鐘型の統計理論(頻度主義)ではなく、1740年代末にトーマス・ベイズにより考え出された確率に関する理論で、ラプラスがより精緻なものにした。この250年間に5度はほぼ致命的な打撃を受けながら生き延びた統計学の理論の歴史についてである。これは「何かに関する最初の考えを、新たに得られた客観的情報に基づいて更新すると、それまでとは異なった、より質の高い意見が得られる」という理論で、これまで起こっていないが、起こるかもしれない事例の確率についても用いることができ、コンピューターの性能の向上に従って、暗号の解読、グーグル検索、機械翻訳などに威力を発している。コンピューターは何も理解しないが、パターンを認識するので、これを機械翻訳に利用していると著者は述べている。パターン認識というより、例文のパターン暗記というのは、語学学習の上で必須の学習法だが、コンピューターはともかく、生身の人間で耐えられる人は少なかろう。そういう意味で、挨拶表現をではなく、意思を表現できるレベルまで語学が上達するのは至難の業だと思う。それゆえ、機械的な語彙の暗記ではなく、体の用法を極めることを主眼とする文法を活用した和文露訳の考える学習法を私は提唱しているわけであり、そのほうが例文のパターン暗記より勉強のやる気や興味が湧くように思うが、皆さんはどうか?
出題)「僕は強い茶は大丈夫です」をロシア語にせよ。
(1) Крепкий чай меня
не беспокоит.
(2) Я не боюсь крепкого
чая.
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(1)はбеспокоитьにはраздражатьという意味もあるのですが、ちょっと違うように思います。(2)は正解です。私の答えは、Я не боюсь крепкого чая.
бояться = переносить。この意味では最新の露露には以前にあった3人称の主語だけで使えるというような制限はない。
Мне можно пить крепкий чай.
よろしくお願いします。
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間違いだとは思いませんが、можноという可能性の叙想語を使っているので、今は飲めるという意味にも、いつも飲めるという意味にも理解できます。出題は、いつも飲めるということです。それとお答えでは出題のマイナスイメージが表現できていないように思います。
Мне не плохо с крепким чаем.
Я не отказываюсь от крепкого чая.
Мне допустим крепкий чай.
昨日のはзнакомый мне человекとかいう風に使うのですね。すみませんでした。
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最初の文と最後の文は肯定的なニュアンスですから違います。出題は好きではないが飲めるというニュアンスです。二つ目の文は、「拒否しない」ということですが、作った感じがします。それよりも、Не откажусь.というのは、コーヒーなどを勧められて、「喜んでいただきます」という時に使いますから、これとの関連で使わない方がよいでしょう。
знакомыйは短語尾で、
Это нам знакомо. (それは知っている)
Он вам знаком? (彼とはお知り合い?)
というような使い方はしますが、
мой знакомый (человек)の方が自然です。знакомый мнеという表現は廃語であり、長語尾の場合はс + 造格で使います。