2014年05月31日

●続和文解釈入門第464回

『三訂和文露訳入門』の内容を文法的にできるだけ正確に、しかも分かりやすく書こうとするとくどくなり、一層わけが分からなくなるのではという危惧が自分にはある。簡にして要というというのは言うは易くである。これをを読んで理解できるというのは、読む側でもそれなりの素養があるという事を意味する。一番いいのは、対面して、その学習者に合わせて説明すればよいのだが、そういう機会もないというのが現実であり、残念にも思う。

出題)「公私混同をするのは不可能だと思う」をロシア語にせよ。

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2014年05月30日

●続和文解釈入門第463回

17世紀中ごろロシア宮廷に仕えた英国人医師コリンズの手記によると、当時のロシアではやせは不健康、しいては不妊につながるということで、太目が美人とされた。そのためやせぎすな貴族の女性は、日がなベッドにいて、Russian Brandy(太るにはよいとされたというが、具体的に何なのかは分からない)を飲み、寝ては、又飲むということをしていたという。そのため着るものの十二単ではないが、やせぎすの人はやせた体を隠すように重ね着やふくよかなものを着たとある。

 現代ではやせが美人とされ、私の目から見ても病的にやせた若い女性が多いように感じる。これは同じ世代の異性の目を気にするというよりは、同性の目を気にするからだろう。だから要求がエスカレートしてダイエットに励み、それに失敗するか、栄養不良になって体の具合が悪くなってしまう。

出題)「選ぶの任せるわ」をロシア語にせよ。

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2014年05月29日

●続和文解釈入門第462回

時間に余裕が出たので、1日待たずに前回の出題についてコメントできた。

『三訂和文露訳入門』5-1-1項の促し(不完了体命令形)という用法は、動作の有無が不明であり、一見6-2-1-1項の義務(完了体不定形)の用法に似ているし、6-1-1項の切迫という用法は義務(不完了体不定形)と同じようにも見える。だいたい完了体の例示的用法というのは、動作が起こるかもしれないし、起こらないかもしれないという事で動作の有無が不明である。それでは同じく動作の有無が不明なのにもかかわらず、完了体と不完了体の使い分けがあるのはどうしてだろう?これは完了体の義務は話し手の観点からみた主観的義務であり、不完了体の促し、義務や切迫というのは、聞き手の気持ちを忖度した(ある意味客観的というか、状況や文脈に則した)動作だからである。

出題)「女生徒達には頭の下に教科書を置くと暗記できるという縁起かつぎがあった」をロシア語にせよ。

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2014年05月28日

●続和文解釈入門第461回

要は和文露訳をする時に正しい体の使い分けができれば、それでいいわけなのだが、後進の学習者のために自分の経験を少しでも伝えられたらと思う。私自身もロシア語を話せるようになるには、直接的にも間接的にもいろいろな人にお世話になった。そういう人たちにロシア語で恩返しをするわけにはいかない。このコーナーは自分のロシア語が少しでも向上すればよいと思い開設したのだが、自分が受けた恩は後進の学習者に返し、少しでも役に立てばよいとほんの少しは考えたということもある。他の分野でも技術の伝承というのが言われているが、ロシア語でもそれは同じである。いまどき流行らない外国語であるロシア語を、初級会話のレベルを越えて、中級あるいは上級会話を目指す人は助けるに値するし、そのような参考書もほとんどないのが現実である。巷ではロシア人講師が会話で教えているようだが、そうなると文法無視(日本語で体の使い分けを説明できるロシア人がいれば別だが)の、例文の丸暗記となってしまう。もちろん日本人講師でも会話で体の使い分けを説明しているかというとこころもとないし、多分していないだろうから基本的に丸暗記であれば、初級段階では正しい発音という事を考えるとロシア人講師の方がましかもしれない。ただ発音は聞くのも話すのも重要であはるが、中級以上であれば文法が完璧に理解できないと、外人ロシア語のままである。ロシア語関係の大学や学校でも会話はロシア人に任せて終わりというのであれば、なぜそうなるのかの説明ができない以上、解説してもらえず、学習者のフラストレーションは高まるばかりである。もう一段階レベルアップするためには、日本語で日本人の理解しにくい文法事項(特に日本人の苦手な体や単数・複数の使い分け)をきめ細かく説明してもらうことが重要だと思うのだが、そう思う人はロシア語関係の大学や語学校ではほとんどいないようである。その証拠にそういう、いわゆる専門家(在野の研究家からは一度あるが)からこのコーナーについて何らかのコメントを受けたことは一度もない。体の使い分けをロシア語専門の大学でどう教えているのか聞いても、せいぜいのところそれなりにというだけである。もうすでに和文露訳の短文での設問も千を越えた。そろそろ種切れなりつつある。あと1カ月ぐらいだろうが、あるだけは続けるつもりである。多分これまで10人前後の人が、定期的に投稿者として参加いただいたわけだが、私が見る限り定期的投稿者は上級クラスである。こういう人たちが私の指摘した問題点をつきつめて、自分なりの回答を後進の学習者に伝えていただければ私の役目も十分果たしたことになる。

出題)「娘たちは親の言う事を聞かなくなっている」をロシア語ににせよ。この回答へのコメントは1日遅れます。

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2014年05月27日

●続和文解釈入門第460回

『三訂和文露訳入門』にて体の使い分けの定義は「完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点をイメージする」と書いた。これは「不完了体は動作の有無の確認に用いられる」が不完了体の本質を示すのは間違いないとは理解しているものの、和文露訳をする上で、これでは使いものにならないと感じたからに他ならない。「完了体の本質は具体性であるように、不完了体の本質は任意性である」というのも、本当のことを言えば、そこから「完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点をイメージする」という定義を導くために利用したものである。

 これまでのフォーサイス先生や原求作先生の体の用法関係の著作において、各々の時制(過去、現在、未来)や法(命令法や不定法)での、使い分けについては具体的に説明されている。その中で分かりやすいのは結果の存続(完了体過去形)や経験(不完了体過去形)などである。しかし、完了体と不完了体は各々の時制や法で使われており、使い分けの際に共通の目印がないというのはおかしいと考え、30年以上かけて(集中したのはこの3年間だが)、時制や法に共通する体の使い分けに関する自分なりの定義を発表したわけである。

 この定義に納得していただければそれはそれで結構だが、究極的な目標は和文露訳における体の使い分けであり、その使い分けが分かり易ければ分かりやすいほどよいのは当然である。学習者の方で、私の定義から出発されて、より分かりやすい使い分けを見出してもらえれば結構である。和文露訳するときにはほとんどの場合動詞を使うわけで、そうなると体の使い分けを意識せざるを得ないという点ご理解いただけると思う。私の定義は評価しないまでも、体の使い分けの重要性に啓発されて、自分なりの発想で分かりやすい体の使い分けを見つけ出して、学習者自身の会話における和文露訳に役立つ糸口にでもなればと思っている。

出題)「違いは以下の通りだった」をロシア語にせよ。

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2014年05月26日

●続和文解釈入門第459回

『三訂和文露訳入門』2-1-2-2項を下記のように変更願う。

2-1-2-2 動作の否定(否定文一般)

否定文を時制で考えると、過去の時制では動作の無の確認(不完了体過去形<本項>)、否定の強調(完了体過去形<2-2-1-6項>)、期待外れ(完了体過去形<2-2-2項>)はあるが、動作がすでに起こっているため仮定法過去を除けば、可能性(不可能)ということはない。時間軸の今現在という厳密な意味での現在の時制では動作の無の確認(不完了体現在形<3-1-8項>)や経験の否定(不完了体過去形<3-1-7-2項>)、結果の存続の否定(完了体過去形<3-2-1-2項>)がある。拡大解釈における現在の時制や未来の時制では不可能(完了体未来形<3-2-3項>)や否定の強調(完了体未来形<3-2-2項>)がある。未来の時制ではさらに文脈依存型の否定的意図(不完了体未来形<4-1-1-6項>)もある。禁止は5-1-4項(不完了体命令形)や6-1-5項(不完了体不定形)があり、不可能は6-2-5項(完了体不定形)で、警告・危惧は5-2-4項(完了体命令形)扱う。

 否定文というのは動作自体を否定するのだから不完了体が使われるのが普通である。つまり動作の有無の確認に不完了体が使われるということから、一般的に否定文こそ動作の無の確認(ゼロの反復)に他ならない。そのため否定文に完了体を用いるというのは、具体的な1回の動作が否定される場合であり、何らかの主観的なニュアンスを付加することになる。本項では過去の時制における否定を主に扱う。

 不完了体過去形が扱う過去の時制における動作の無の確認の他に、動作が始まったが遂行していないか、成果の未達成(結果存続の無効)、否定の強調(一度も~ない)や不可能は完了体過去形で示す。つまり過去のある一点において動作が行われなかったという事をイメージすることにより、期待外れ、失望、予想が外れたことの驚き、不可能などの主観的ニュアンスが生まれる。そのため動作の主体を強調する(主体的意味を担う)場合、完了体動詞過去形が来る。これは否定文におけるアオリスト的用法で、文脈によっては否定文の結果の存続(結果存続の無効)ということになる。多回体の動作の否定については3-1-9項参照願う。また完了体動詞過去形の否定については2-2-2項を参照願う。

出題)「それは私に向かっておっしゃっているの?」をロシア語にせよ。

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2014年05月25日

●続和文解釈入門第458回

この頃は私家版和露の整理をしていて、9万4千項目あったのを3千項目ほど減らした。後さらに1万ぐらい減らせるかもしれない。この私家版和露に関わることによって、どのようにしたらロシア語で日本語のニュアンスを伝えられるかのコツをつかんだような気がするし、3年か4年経てばある程度の成果を出せるかもしれない。それが最後の著作になるのかもしれないが、需要があるとは思えず、そういうのを出す意味があるのか、自己満足だけという気がしないでもない。それはともかく、ただ和文露訳といっても、語彙だけ覚えても意味はない。重要なのは動詞であり、ロシア語の場合、体の使い分けができないと完全にニュアンスが伝えられないことになるということは何度も申し上げている通りである。

出題)「原子力発電所の操業はある程度の危険をはらんでいる」をロシア語にせよ。

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2014年05月24日

●続和文解釈入門第457回

男尊女卑についてだが、ロシアでは男のあごひげが女性に対して優位に立つ証拠とされた。しかし、17世紀中ごろには、あごひげが女性にないのはその美しさのためとか、赤ん坊に乳をやるためとかという説が現れた。

出題)「彼は女生徒たちの健康に気をつけていた」をロシア語にせよ。

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2014年05月23日

●続和文解釈入門第456回

日本でも男尊女卑は戦前まであり、貝原益軒の著作を基にした18世紀初めの女大学という教訓書や礼記の「家にあっては父兄に従い、嫁しては夫に従い、夫の死後は子に従う」と三従の道というのが女子教育の基本であった。ロシアでも17世紀ごろまでは、貴人の女性は表に立たず、顔すら見せてはならない(邪視を避けるためчтобы не сглазили)とされていたが、チョールナヤによれば18世紀ごろから、聖母マリアがアダムを誘惑したイブの罪を償ったという考え方が現れ、女性の位置づけが徐々に変わって行ったという。女性は国家の長にはなれなくとも、王を産むのは母であり、ロマノフ朝初代ミハイール・フョードロヴィチの母や皇后はかなり権力を発揮したし、ピョートル大帝の姉のソフィアが7年間政治の実権を握ったのは有名な話である。

出題)「その学校は食事や着るものでは誉められたものではなかった」をロシア語にせよ。

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2014年05月22日

●続和文解釈入門第455回

「はるか彼方に去る」というのをロシアの民話ではуехать за тридевять земельと言うのはずいぶん前から知っていたが、チョールナヤによるとтридевять (27)という数が儀式に関わる意味、つまり無限の多数 бесконечное множествоということであり、ロマノフ朝初代ミハイール・フョードロヴィチの結婚式の引き出物として、27枚のクロテンの毛皮、27枚の黄金の布、27枚のリスの毛皮、18枚の金貨が出てくるのでも分かるという。

出題)「多くの人が病気で死んだ」をロシア語にせよ。

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2014年05月21日

●続和文解釈入門第454回

前回の続き。『デルス・ウザーラ』撮影でも場所が極東だからダ二には悩まされたと野上は書いている。最近日本でも問題になっているが脳炎のもとだからである。私も何度かナホトカとウラジオを車で往復したことがあるが、道中3時間ほど現地の人から出来ればトイレはしないでくれと言われた。どうしてもというなら木のそばは止めてくれという。木の上からダニが降ってくるか、しげみから入り込む可能性があるからである。しかしトイレの時は塀でも、壁でもよいから何かにすがりたい(犬のように何かに小便をひっかけたい)、こそこそやりたいという気持ちになる。堂々と道の真ん中でするものでもあるまい。

出題)「硬貨を入れて、ボタンを押して下さい」をロシア語にせよ。

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2014年05月20日

●続和文解釈入門第453回

黒澤明の映画作品は『椿三十郎』以外は、モスクワでの駐在の時(2000年ごろ)に海賊版で『七人の侍』、『生きる』、『酔いどれ天使』などだいたい見たと思う。その頃は海賊版が全盛で、正規版というのはなかったように思う。ロシア語の字幕でかすかに日本語が聞こえるのでロシア語の勉強にはうってつけのようなものであり、1本100円か200円くらいだったと思う。話はそれるが、カザフのアルマトゥイ駐在のとき(1995~97年)も閑なので海賊版を買って、よく見た。旧ソ連圏なのにそのころは検閲もいい加減になっていたのか、大島渚の『愛のコリーダ』やフェリー二の『サチュリコン』もノーカット版だった。

  『もう一度天気待ち』(野上照代、草思社、2014年)は黒澤明の映画の撮影の現場をよく伝えている。三船敏郎は周囲に気を配ってばかりいる人で、そのため酒を飲むと鬱屈が出ての酒乱の気味があるとか、黒澤監督は麻雀は好きだが金は賭けないとかなど面白く読んだ。特に『デルス・ウザーラ』の撮影秘話が面白い。ロシア語で、Приготовились!(用意)Мотор!(キャメラ回せ)Начали!(スタート)というと書いてある。最初のは結果の存続であり、最後のは時制の転用でLet's start!の意味である。

出題)「その薬は母には効かなかったし、ちっとも効かなかったんだよ」をロシア語にせよ。

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2014年05月19日

●続和文解釈入門第452回

昔の中国武術の形の図解を見ていると、モデルの師夫のお腹がけっこう出ていて、現代のブルースリーような体脂肪率が5%ぐらいのとはずいぶん違う。昔は飢餓が常態だったので、男も女もふっくらしているのが理想だったということもあるのだろう。これまでBMI(体格指数 = 体重(kg)÷身長(m)÷身長(m)が18.5 – 25までを正常値とし、22が最も健康的で病気になりにくいされていたが、最近日本人間ドック学会と健保診が示した基準範囲案とメタボ検診の基準(2014年4月27日付読売新聞朝刊)によると、BMIが男18.5 – 27.7、女16.8 – 26.1とある。コレステロールだって細胞を作る原料なのだから、これが少ないのが体にいいわけがない。活性酸素も細胞を傷つけると言われているが、体内のバイ菌を殺すという作用もある。世の中ほどほどであり、過ぎたるは及ばざるがごとしである。それよりもこれまでは肥満の危険ばかり宣伝しているが、やせて体重の少ない人の方が、健康を過信しているような気がするし、風邪に罹りやすいとか、体の不調ということも多いような気がするのもひがみか。

出題)「追跡は成果が上がらなかった」をロシア語にせよ。

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2014年05月18日

●続和文解釈入門第451回

『日ロ現場史』(本田良一、北海道新聞社、2013)を読んだ。北方4島の領土問題に関連して、レポ船、特攻船(小型の高速密漁船)、ロシア密漁船、北洋漁業など歴史的背景から分かりやすく説明しており、北方領土問題を論ずる上での必読の書である。115ページに「牧草の上でほえる犬」とあるのは、多分собака на сене(a dog in the manger)だと思うが、それなら「(自分には不要なのに他人には使わせない)意地悪な奴」ぐらいの意味であろう。

出題)「もし私をそそのかすのであれば、我々の話は堂々めぐりになりますよ」をロシア語にせよ。

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2014年05月17日

●続和文解釈入門第450回

調べるというよりは漫然と犬死という単語をラヴレーンチエフの和露で見ていたら、собачья смертьとある。これでは犬の死か、Собаке собачья (и) смерть.(悪党にふさわしい死にざま)であろう。和露辞典の編集者が、犬死(無駄死に)という言葉を知らなかったか、国語辞典を引かなかったとしか思えないミスである。第436回本文で私が言っている直訳というのはこういうものである。日本で出ている和露辞典にもこの種の間違いがないといいのだが。研究社や岩波の露和辞典にもこのようなミスはけっこうある。興味のある方は私のホームページ「ランポポー」のロシア語ガイド・通訳で使える辞書・参考書のページを参照願う。

出題)「長いこと掃除機はいたるところでぜいたく品のままだった」をロシア語にせよ。

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2014年05月15日

●続和文解釈入門第449回

『三訂和文露訳入門』5-1-1項に下記追記乞う。

この切迫という用法にしても、暗黙かそうでないかは別にして、切迫しなければならないような前提条件があるわけで、その前提があるということ自体がみなし反復となり、不完了体が用いられるということにもなる。

出題)「2007年中国は工業生産量で日本を抜いた」をロシア語にせよ。これの回答に対するコメントは1日ほど遅れるので悪しからず。

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2014年05月14日

●続和文解釈入門第448回

『数学受験術指南』(森毅、中公文庫、2012年)には「自分がよく分からないとき、他人に教えると、よく分かるようになる」とか、「人間は、他人に説明しようと思うと、自分の方でも、よく分かってくるものである」とか、「人に教えてやれば、じぶんが賢くなれるのだ」とある。これはこのコーナーにおける私のことでもある。誤解をしてもらいたくないが、このコーナーを始めたのは、あくまでも自分のロシア語をよくしたいということであり、投稿者や閲覧者のロシア語が上達するとかどうかというのは埒外のことである。上達してもらうのに越したことことはないが、上達するかどうかは個人の努力次第であろう。私の経験が役に立てば結構というぐらいである。投稿者の回答に対するコメントもあくまでも自分のためであり、人に分かるように説明できないければ、真に自分が理解したとは言えないと考えているからである。同書に「文章表現を試みると、自分の分かっているところも、分かっていないところもはっきりとしてくる」とあるのも、同感である。投稿者によっては、回答になぜ不完了体(あるいは完了体)を用いたのか、細かく書いてくる人がいるが、こういう人は伸びると思う。基本的にこのコーナーで人にロシア語を教えているつもりはないので、投稿者の回答の正否はともかく、回答のしかたについてどうのこうの言ったことはないが、ただ回答の露文を書くよりは、どういうつもりで設問を解釈し、その結果、このような体、あるいは単数(複数)を用いたのかを書けば、それば私への説明というよりも、自分のロシア語の文法に対する理解が整理され、それが次のステップに進む大きなきっかけになると思う。

 ロシア語会話の上達をロシア人のように感覚的に使えるようにすることであると考える人が多いと思うが、それは5歳や6歳の子供ならともかく、いい大人がする勉強法としては間違いだと思う。なぜなら子どもと違い、大人は脳が出来上がってしまっているからである。大人になってからの語学の上達法は、理詰めに考え、丸暗記することは最小限にすべきである。丸暗記というのは機械的作業であり、面白くもないから、勉強が続かない。世の中に丸暗記を屁とも思わない人がおり、プロの語学の達人の条件かもしれないが、それは学問ではない。数や体の使い分けなど理屈(文法)を母国語の日本語で考えることで上達し、それが大人の(まともな人間としての)学問である。そうでないと体の用法の真髄を理解した時の心の震えというか、おののきを体験できないことになり、ロシア語を勉強してきた甲斐がないと思う。

出題)「しばしば納品待ちが何カ月にも及んだ」をロシア語にせよ。

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2014年05月13日

●続和文解釈入門第447回

『数学受験術指南』(森毅、中公文庫、2012年)は、実際の受験における採点者側からの数学の受験術を書いたものである。採点基準も含めて、採点というのはいろいろな人が客観的に関わるわけで、思った以上に公平なものだなと感心した次第。答案添削のアルバイトを予備校でして、初めて答案のコツをつかんだ学生の話が載っていたが、私も本コーナーで出題して初めて、和文露訳のコツというものをつかんだような気がする。練習問題は分野ごとでは受験の役に立たず、ランダムに問題を解くことを本書では勧めているが、本コーナーの出題がいろいろな分野、いろいろな体の用法を出すという意味でランダムであり、意を強くした次第である。ただ本コーナーにおいては問題をランダムに出しっぱなしではなく、『三訂和文露訳入門』という系統的に学べるような柱を提供してあるし、できるだけどの項目を参照すべきかはコメントで書くようにしているので、ランダムな出題は勉強のために障害とはならず、実戦向けの最適な出題だと考えている。出題するに際しては、ある程度どのような間違いを投稿者がするのかを予測するのだが、思いもかけない回答というものも結構あるもので、それが出題者の醍醐味でもある。そういう回答に対して、間違いだと私の勘が教えてくれるものもあるが、まさかコメントにそう書くわけにもいかない。そこで投稿者が納得してくれるのように、語結合や文法などの観点から理屈を書く必要が出てくるわけである。既に千題以上さまざまな分野(体の用法などの文法関係から政治経済、技術、スポーツ、医学、社会に至るまで)出してきたおかげで、ずいぶんロシア語が上達したような気がする。これも投稿者の皆様のおかげである。

出題)「日本は中国に2位を譲って3位となった」をロシア語にせよ。

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2014年05月12日

●続和文解釈入門第446回

『オオカミ少女はいなかった』(鈴木光太郎、新曜社、2008年)は副題に心理学の神話をめぐる冒険とあり、我々が当然と思っていた事柄、例えばオオカミ少年や少女はほとんど何の裏付けもない話であるとか、サブリミナル広告(1秒の何分の一かの間にで広告品を買わせるような無意識下での意識操作)は、広告を意識しても買おうと思わないものが無意識下で思うはずがないとか、心理学の胡散臭い部分を我々素人にも分かりやすく書いている良書である。チンパンジーやゴリラとのコミュニケーションで手話を持ちいても実験者効果という予断(先に結論ありき)が影響するというのには驚いた。ただ著者はカードを用いたコミュニュケーションは否定していないわけで、そのコミュニケーションにおいて、叙述よりも命令が用いられるというのは、言語の発生を考える上で面白い。言語はもともと人への説明というよりは、命令の必要性があって生まれたものであろう。

出題)「彼ははっきりとした人生の目標がないことに悩んだ」をロシア語にせよ。

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2014年05月11日

●続和文解釈入門第445回

アオリスト的用法と経験の用法の違いについて書いて見よう。

В прошлом году я перенёс воспаление лёгких(昨年肺炎に罹った)
Я переносил воспаление лёгких.(肺炎に罹ったことがある)

最初の文は過去の時制において特定かつ不動の一点において動作が起こったことを示しているゆえに、完了体過去形が用いられる。これをアオリスト的用法という。二つ目の文は動作が過去に起こったのだが、回数も、いつかも特定できない。これが不完了体過去形の経験の用法であり、経験の用法は動作の有無の確認の用法の派生形である。二つ目の文にв прошлом годуを入れることは可能だが、そうなると昨年の間にという期間になってしまい、昨年1年間に最低1回は肺炎に罹ったという意味になる。

出題)「今後日本はどんな道を歩むのか?」をロシア語にせよ。

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2014年05月10日

●続和文解釈入門第444回

物忘れというのは、年を取れば誰にでも出てくるもので、ボケの症状である場合もあろうが、多くは年を重ねるにつき覚えていることが増え、検索に時間がかかるだけということだろう。引き出しに品物が5、6個ならすぐ見つけ出せるが、引き出しいっぱいにものが詰まっていたら、あまり使わないものなら探し出すのは一苦労だということと同じである。ロシア語上級者に対しても同じことは言える。覚えている文例や語彙が多すぎて、頭にいくつも浮かぶ。語彙なら類語によっては使い分けが必要だし、動詞の体にしても例文が瞬時にいくつも浮かぶから、どちらの体を使うのか迷ってしまう。つまり検索を早くするためには頭の引き出しの整理が必要なわけである。そういう頭の中のロシア語の語彙の整理のために『三訂和文露訳入門』を書いたのだが、購入された方に少しでもお役に立てたらと願っている。

間違って回答も書いたのを出題してしまったの、別のを出します。
出題)「香りづけにはローレル、何かの青物、あればひき割りを加えるとよい」をロシア語にせよ。

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2014年05月09日

●続和文解釈入門第443回

『三訂和文露訳入門』の2-1-6項の出だしを下記のように変更願う。

1回ないしはそれ以上の、ないしは回数を特定しない反復を意味する場合は、不完了体が用いられる。完了体の反復の用法(偶発的反復、散発的反復)では動作が起こるか起こらないかが分からない、動作の有無が不明だが、不完了体の反復は動作が起こる(否定では起こらない)という、動作の有か無であることを前提にしているという違いがある。動作が起こらなければ(動作が無である以上)、反復ではないという見方もできようが、ここでは有と無の二つの対立におけるゼロ(無)の反復と考えておく。

出題)「彼は何十年も時代の先を行き、同時代の人たちには理解されなかった」をロシア語にせよ。

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2014年05月08日

●続和文解釈入門第442回

小西増太郎と共訳で老子道徳経の露訳を進めていた時に、トルストイは「兵は凶器ゆえに賢者の道具とはなりえない」という文言で狂喜したが、次に続く「ここから兵は避けられない場合のみ用いられる」という文言で、老子がかようなことを言うはずがないと気分を害したという。しかし、自然に帰れの老荘思想というのは、現実を無視してということではなかろう。老子の文の方が常識的であるように思われる。無抵抗主義が通じるのは、多少とも理性の通じる相手、例えば帝国主義ぐらいであろうし、ナチズムやスターリン主義などの気違いの前ではまったく無力のように思える。

出題)「それらが似ているのはそこまでである」をロシア語にせよ。

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2014年05月07日

●続和文解釈入門第441回

最近偶然『トルストイを語る』(小西増太郎、万葉舎、2010年)を読んだ。1936年初出。文字通り小西増太郎(1861~1939)がトルストイとの交流について書いている。トルストイがなぜ家出せざるを得なかった理由としては、ルソー主義を全うしたいと考えたこと、ソフィア夫人が重いノイローゼに罹っていたこと(原因はトルストイの生活観であろう)があると書いてあるのは興味深い。唯一日本人で参列した葬儀の模様など、トルストイに興味のある人には必読であろう。トルストイには歯がなく、歯茎で肉も噛み切ったなどと書いている本もあるが、小西もトルストイは歯が弱く35、36歳で歯はすべて失くし、入れ歯も嫌ったとある。日本でトルストイが評判になりだしたのは1891年~92年の頃で、同時代人としての小西の叙述には説得力がある。徳富兄弟もトルストイとヤースナヤ・ポリャーナで会っているが、徳富蘇峰の方は小西の紹介状を携えて行ったとあり、蘇峰はトルストイから小西宛に託された聖書(トルストイの引いた下線が入った)を持ちかえっている。Круг чтенияやПуть жизниを小西に読めと勧めていたようであり、前者は死の直前まで読み返していたという。この二つの書は未読だが、いずれ機会を見て手に入れ、読もうと思う。後年宗教臭が強くなったのはどうかなと思うが、トルストイの作品は好きである。

出題)「その会社はブラックリストに載るという危機に瀕している」をロシア語にせよ。

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2014年05月06日

●続和文解釈入門第440回

ニーコン総主教はギリシャ正教とロシア正教を統合しようとして、ロシア正教の礼拝の儀式や儀典書の食い違いをギリシャ正教の正典に則して正そうとした。そのためその反発として古儀式派が生まれることになったわけだが、このときロマノフ朝2代目のアレクセイ・ミハーイロヴィチ帝はニーコンの肩を持ったわけである。なぜそうなのか長いこと疑問に思っていたが、チョールナヤの『17世紀モスクワの帝の日常生活』を読むと、その中に、帝の即位式で、ニーコンが、「ロシアの王権は全宇宙より上である」という祈りの言葉を述べたことに帝が感動したことによるとある。ニーコンはその後教権が王権より上であることを示そうとして、追放に処せられるが、ロシア正教はニーコンによって改革された方向へ進み、帝もこれを正そうとはしなかった。ニーコンは教権が王権より上だという事を示そうとした唯一の総主教だが、実質的に教権が王権と並んだ時代がある。それは総主教フィラレートである。彼はロマノフ朝初代のミハイル・フョードロヴィチの父であり、政敵からツァーリになれないように無理やり出家させられて総主教になった。しかしミハイル・フョードロヴィチが父を敬う念が篤かったことと、フィラレート自身が英名だったこともあり、ツァーリと並んで統治した。

出題)スポーツ選手に「ベストはどのくらいですか?」をロシア語にせよ。

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2014年05月05日

●続和文解釈入門第439回

前回の設問の私の回答のように、быть動詞の現在形(通常は省略される)を使って、予定の意味を示すことが出来る。状態の動詞は現在の時制で予定の意味(近接未来)では使えないが、8-1-1項で示すようにбыть動詞の場合、「いる、ある」という意味の他に、4-1-2-5項のように「到着する」、また主語が3人称のみで「起こる、現れる」という動作を示す意味があり、それらは3-1-6-1項で示すように、現在の時制で予定の用法で使える。また4-1-2-6項の予想を意味する動詞群(ждатьも語義に動作への期待のニュアンスがあるときには、предстоять, ожидатьсяのように、も未来の時を示す状況語と共に用いることができる。

出題)「遅れた人はどうしましょうか?」をロシア語にせよ。

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2014年05月04日

●続和文解釈入門第438回

トルストイと小西増太郎共訳の老子道徳経を読んだが、至高の存在はあるのだろうかとか、宗教が不幸の元とか、万物は混沌から成るなど、興味深い。その中で、大学の中の一文「見れども見えず、聞けども聞こえず」に似ている文を見つけた。老子道徳経原典の邦訳は読んだことも読む気もないので、どうなっているのかは知らないが、露訳はПредмет, на котором мы смотрим, но не видим, называется бесцветным. (Звук, который) мы слушаем, но не слышим – беззвучным.(見れども見えぬものを無色と言い、聞けども聞こえぬ〔音を〕無音と言う)とある。訳についてはともかく、видетьとсмотреть、слушатьとслышатьの違いがよく分かる文ではある。

出題)「5分後に開始だ」をロシア語にせよ。

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2014年05月03日

●続和文解釈入門第437回

心霊スポットなどをテレビでも紹介しているが、その中で丑の刻参りについて紹介している番組を見たことがある。藁人形に五寸釘が刺さっているのがいくつか紹介されていた。丑の刻参りというのは、午前1時から3時ごろ毎夜、白装束を身にまとい、顔に白粉を塗り、頭に五徳をかぶってそこに蝋燭を立て、一本歯の下駄を履き、胸には鏡、腰には護り刀、口に櫛を咥えて神社のご神木に憎い相手に見立てた藁人形を五寸釘で打ち込むというもので、丑の刻参りをしている者の姿を他の人に見られると、参っていた人物に呪いが跳ね返って来ると言われ、目撃者も殺してしまわないとならないと伝えられる。

 マキノ雅弘(1908~93年)は映画の草創期に子役として出て、俳優、助監督を経て、監督として生涯に261本の作品を取った。マキノ雅弘自伝『映画渡世』(上下2巻、ちくま文庫、1995年)はトーキーを経て現代までの70年間を網羅した波乱万丈の自伝である。その中に丑の刻参りの実見談が出てくる。マキノの小学校の頃(1910年代か?)、北野天満宮で友達の泥政(後に2代目の説教強盗になったという)とそれを見に行ったという。「女が一本の杉の大木に近寄り藁人形を出して、あたりを見回しながら。人形に釘をコーンと打ち付ける。めらめらとローソクが切れる」とある、マキノは女に見つかり、殺さんと追いかける女から大急ぎで何とか逃げた。その後女は泥政が連れてきた警官につかまったという。

出題)「彼らの本は本屋の棚で何十年も埃をかぶっていた」をロシア語にせよ。

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2014年05月02日

●続和文解釈入門第436回

直訳は意味が通じないなら誤訳であるし、多くの場合通じない。諺は通訳でもガイドでもあまり使うことはないし、よく使うのでもせいぜい20ぐらいだろう。その中でもПопытка не пытка.は通訳でもガイドでもよく使うが、それを「試みは拷問ではない」と通訳しても、聞いている人にまず意味は通じない。「ものは試し」とか「だめもと(だめでもともと)」と訳して、ロシア人の言わんとするのが、聞いている日本人に分かるのである。しかし似て非なる諺や熟語というのもあるので、使う上では用法や用例を十分調べておく必要がある。Шила (Шило) в мешке не утаишь.は「隠れたるより現るるはなし」という意味であり、悪い意味で使うが、日本語の「嚢中の錐」は才能のある人はたちまち外に現れるということだから意味が違う。また熟語のЧёрным по белому написано следующее.(次のことがはっきりと書かれている)に対して、日本語の「白黒をつける、黒白」というのは、勝敗・優劣・正邪をつけるということであり、これも意味が違う

出題)「女中は私がもう寝ていると言った」をロシア語にせよ。

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2014年05月01日

●続和文解釈入門第435回

(『命と自由は保証する』と彼は約束した)Мы гарантируем вам жизнь и свободу - пообещал он.
これは第429回の出題に対する私の回答だが、次のような投稿者の答えも出題の和文から考えると(特に耳で聞いた場合には)正解である。ただ言わんとする内容はずいぶん違う。

Я обещал гарантировать жизнь и свободу. <обещатьとгарантироватьは共に完了体・不完了体同形の動詞だが、この場合は共に完了体としての用法である>

 これでは命と自由を保証するのは未来の動作ということになる。つまり、間接話法や不定形を使った文、つまり従属文や動詞の不定形では遂行動詞の意味を出せないので、そのニュアンスを出すためには最初の文のように直接話法を使う必要がある。

出題)「二つの異なる工場製の茶は天と地ほどにも違うことがあり得た」をロシア語にせよ。

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