2014年05月22日
●続和文解釈入門第455回
「はるか彼方に去る」というのをロシアの民話ではуехать за тридевять земельと言うのはずいぶん前から知っていたが、チョールナヤによるとтридевять (27)という数が儀式に関わる意味、つまり無限の多数 бесконечное множествоということであり、ロマノフ朝初代ミハイール・フョードロヴィチの結婚式の引き出物として、27枚のクロテンの毛皮、27枚の黄金の布、27枚のリスの毛皮、18枚の金貨が出てくるのでも分かるという。
出題)「多くの人が病気で死んだ」をロシア語にせよ。
Множество людей
умерло от болезни.
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正解です。умеретьは死ぬという意味では、自然死も、事故死、殺害も扱いますが、出題のように多くの人が死ぬというのは、事故死か、疫病かであり、私はпогибнутьを使うべきだと思います。それと病気を単数にしていますが、多くの人が死ぬ場合、仮に伝染病であっても、死因が一つの病気だけとは考えるのは現実的ではないように思います。私の答えは、Много людей погибло от болезней.
Много людей умерли от болезни.
結果の存続と考えсвにしました。
よろしくお願いします。
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正解です。ただ基本はмного людейというのは動詞単数で受けます。述語が複数で受ける場合があるのは、難語辞典によれば、動作の積極性の強調、述語の列挙、形容詞短語尾のときとされます。
「多くの人が病気で死んだ」
これは文脈によって、完了体も不完了体も取りうると思います。
Многие люди умерли от болезней.
このように完了体過去を使用すれば、結果残存の意味で、「多くの人が病気で死んだ」という動詞の結果に話者の焦点が当てられます。
Многие люди умирали от болезней.
このように不完了体を使用すれば、死亡原因が病気であることが多かったという点に話者の焦点が当てられます。ただし、この場合は、「多くの人が病気で死んでいた。」と言ったほうが、日本語のアスペクトが明示的になりますが、「死んだ。」と言っても過去の動作の反復性を表せると思います。
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おっしゃる通りです。ただ完了体過去形にすると結果の存続の場合がありますが、一般的にはアオリスト的用法と解するのが普通でしょう。結果の存続は文脈によって、アオリスト的用法から派生したものです。
Он умер в 1595 г.(彼は1595年に死んだ)<同時代の人の記述、例えば1596年とかであれば、結果の存続ですが、現代人の目からはアオリスト的用法です>
出題の日本語を無視して、不完了体過去形だけで判断すれば、過去進行形か、反復の意味でしょうが、出題の日本語から判断するに、この二つの意味だとは、可能性は排除しませんが、一般的には考えにくいと思います。
многие людиというのは「значительное часть людейある人々の大多数」ということで、厳密に言えば、「多くの人々」という意味にはならず、много людейとした方がよいと思います。
Многие люди умерли из-за болезней.
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многие людиというのは、あるグループの中での多数ということですから、много людейとすべきです。
Многие умерли от болезни.
Болезнь унесла много жизней.
結果に焦点を当てていると見てсов。
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正解です。結果に焦点というのは結果の存続のことでしょうか?文の焦点が述語にあれば完了体を使うというのは、個人的に今も変わっていませんが、あまりこだわると、そうでない場合(不完了体の文の焦点が述語にない場合)と見分けがつきにくい場合もあります。死ぬのように語義的に完了体の使用が優勢な動詞などもありますし、基本は『安定和文露訳入門』第1章に書いたように、「完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点をイメージする」とした方がよいと思います。この補助として文の焦点を体の使い分けをマスターするための補助として考えればよいのではないかというのが、このごろの私の考え方です。初版から三訂版で、体の使い分けに対する説明の比重が変わってきている(より明確さを求める)ということは言えると思います。例えば、Садитесь!(おかけなさい)は動詞しかないのですから、文の焦点は動詞となり、そうであれば完了体命令形となるはずですが、Сядьте!を使うのは、その場の文脈から離れた場合、例えば、一度座れと言ってから、私のそばにとか、新しい状況が出てきた場合、聞き手が座れと言われることを意識していないような場合(イスが聞き手の見えないところにあるなど)です。不完了体は、「不完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点をイメージない」から導き出された、文脈依存型(場依存)だということを理解する必要があります。