2013年09月01日
●続和文解釈入門第201回
『新訂和文露訳入門』7-1項に下記追記する。
Он сдавал (держал) экзамен.(彼は試験を受けた)
Он сдал (выдержал) экзамен.は「彼は合格した(受かった)」の意味の他に、アオリスト的用法として彼は受験したという意味にもなりうる。そこで、合格したという意味に確実にするためには、благополучно, отличноなどの副詞をつけた方が間違いがない。
出題)「静電気の放電を防ぐために、機器のアース(接地)をチェックしなければならない」をロシア語にせよ。
2013年09月02日
●続和文解釈入門第202回
остатьсяの過去形の結果の存続の用法と、оставатьсяの現在形の状態の用法は、意味の上で非常に似ている。その使い分けの差は、完了体はその本質として具体的な1回の動作を示すことから、具体的な事柄と共に用いられ、оставатьсяの現在形は抽象的なものと共に用いられるという点にある。
(お前、どのくらい金が残っている?)Сколько денег осталось у тебя?
(出て行くこともできない。残るのは一つ、作り変えることだ)Уйти нельзя. Остаётся одно – переделывать.
(矯正も、償いも、忘れることもできない。残っているのは死だ)Не исправить, не искупить, не забыть... Остаётся смерть.
出題)「この記事は読まないことにしよう」
「この記事は読まないことにしましょう」をロシア語にせよ。
2013年09月03日
●続和文解釈入門第203回
完了体と不完了体については、ヤコプソーンЯкобсон先生の完了体有標性説(体の用法では完了体が明示的な機能をもっており、不完了体は従であるという考え方)から出発して、完了体の機能として、フォーサイス先生も変化、新規の出来事、完遂(動作の達成)、順次的用法を挙げておられる。体の用法は多面的な面もあり、個別の動詞毎とは言わないまでも、動詞群によって時制や法(命令法や不定法)により、その機能が整理できることも事実である。
しかしオッカムのカミソリの意味する「必要がないなら多くのものを定立してはならない」とか、「少数の論理でよい場合には、多数の論理を定立してはならない」、つまり、「必要以上に多面化するな。事実に則した最も単純な説こそ最善の説である」という事を踏まえると、体の本質というのはもっと単純化できるのではないかと考えたわけである。それが「完了体は時間軸の特定かつ不動の一点での動作をイメージする」ということであり、ここから完了体には主観的(叙想的、意識的)ニュアンスが出て来るわけで、これが懸念、期待、動作の完了、新しい情報や事態の出現、新規の動作の可能性とか、否定文では不可能、否定の強調などという話し手の考える主観的なものを指し、具体的な1回の行為なども含まれるわけである。
出題)「摺動面の注油は部品の寿命を延ばす」をロシア語にせよ。摺動(しゅうどう)sliding, rubbingというのは物が滑って動くことで技術用語。
2013年09月04日
●続和文解釈入門第204回
これまで和文露訳の短文として出題したのは、和文解釈入門で600問、このコーナーで200問だから合わせて800問ということになる。できるだけいろいろな分野、文法事項から出題したいのだが、一人の人間がやっているのでどうしても偏りが出ることもあるかもしれない。しかし一人の人間が出題しているので、回答やコメントにはそれなりに一貫性があるという自信もある。これまで投稿者一人で全部回答した人はいないが、300問や400問程度なら2~3人はいるはずだ。投稿者には最近は投稿されないが、体の用法の奥義も究めたと私が判断した人も過去に3人はいる。その中でほんの少し私がお手伝いしたかもしれないと思う人もいるし、全く独力でそうなったという人もいるから世の中は広い。現在の常連投稿者の方々3名も、レベルは上級であり、ほぼ体の用法の奥義に達したと考えてよい。後200問出せば、千問となるが、そのくらいは行きそうだ。それまでに後何人そのような人が出てくるか楽しみである。
出題)「毎日スケート場に通うことにしましょう」をロシア語にせよ。
2013年09月05日
●続和文解釈入門第205回
(今日起きたが、後で具合が悪くなり、また寝た)Я вставал сегодня, но потом почувствовал себя плохо и снова лёг.
上の文を見ると、完了体過去形почувтвовалの後に完了体過去形лёгが続いており、不完了体過去形вставалは何か浮いた感じがするなと思えば、体の用法に関してかなり語感ができてきたことになる。それは完了体の順次的用法から外れるからである。つまりвсталとした方が、文の上では自然なものになるとはいえ、上の文も文法的に正しいと言える。これはвстать/вставатьがоткрыть/открыватьのような対義語のある動詞群の過去形では、ニ方向の動作をもっているからである。『新訂和文露訳入門』2-1-3項参照。つまりвсталは「起きた(発話の時点でも起きているという結果の存続の可能性が高い)」だが、вставалは「起きていた(発話の時点では起きていない可能性が高い)」というニュアンスがあるからである。この文の最後にлёгがあるので、なおさら不完了体過去形が適切であることが分かる。
文の意味だけではなく、ニュアンスを探るようにすることが露文解釈の解釈たる所以であり、通訳というのは露文和訳と和文露訳をするという意味でニ方向である以上、和文露訳のみならず、露文解釈においても体の用法を究めることが必要であることはお分かりになるだろう。
出題)「今さら謝ってもらっても遅い」をロシア語にせよ。
2013年09月06日
●続和文解釈入門第206回
私のブーチャンさんへの第204回の回答に誤りがありましたので、お詫びすると共に訂正したことをお伝えします。それに基づき、「~しましょうLet's」について次のような例を追記します。
(そう願いたいものです)Будем надеяться.
(プーシキンを読むことにしましょう)Давайте будем читать Пушкина.
(ライトはつけないようにしよう。いいね)Не будем зажигать света, ладно?
(誇張はしないことにしましょう)Не будем преувеличивать.
(論争はしないことにしましょう)Давайте не будем спорить.
出題)「彼は現役で、何のコネもなしに大学に入った」をロシア語にせよ。
2013年09月07日
●続和文解釈入門第207回
A grammer of aspect, Forsyth, Cambridge University Press, 1970を読了したので、読後感を書いておく。これまで読んだ体の用法の教科書としては系統的で最も優れていると思う。ただロシア語会話において必要だと私が思っている遂行動詞や被動形動詞過去短語尾についての説明がないのが残念である。本書が1970年の出版で、初めてオースティンが英語の語用論で遂行動詞を提唱したのが1960年代だから、遂行動詞の研究を深めている時期だったという時期的な問題があったのだろう。そのためロシア語会話(和文露訳)の参考書にするには若干もの足りない感じもある。しかし、体の用法における否定の用法にも十分説明を尽くしており、また歴史的現在にも触れているし、体のペアを選定する際に歴史的現在を用いるなど分かりやすく説明していることには好感が持てる。また露文解釈に必要な事項である副動詞や形動詞の説明は詳しい。この他に、完了体を用いる不規則な反復(本書で言うsporadic偶発的な反復の方が訳語としては適切だと思うので、今後は私もこの偶発的反復を用語として使いたい)と、不完了体を用いる反復についての使い分けが示されていないように思う。偶発的な反復は例示的用法の一つだがその旨の説明もない。本書で指摘している体の本質は完了体のもつ動作や出来事の全一性にあるというのは正しいが、体の用法のそれぞれの多面性について用法ごとに細かく説明するだけでは、会話における和文露訳での体の使い分けができないと考える。以下コメントする。84ページでは、次の例文は動作の有無の確認の用法と説明されている。<>内は私の解釈である。
(『戦争と平和』を書いたのは誰ですか?)Кто писал «Войну и мир»? <話し手が名作かどうか知らないか関心がない場合>
(『戦争と平和』を書いたのはトルストイです)Толстой писал «Войну и мир». <同上>
この説明について間違っているとは言わないが、これはラスードヴァ先生の言われる創作者としての資格として、完了体過去形を使うのが一般的であろう。この他に、英語の遂行動詞を露訳するときに下記のように、完了体過去形で示す例があり、ロシア語の不完了体現在形(結果存続兼評価型動詞など)で表現することも可能であると思うが、著者はそれには触れていない。
(彼がどこに住んでいるのか忘れた)Я забыл, где он живёт. <I forget where he lives.>〔забыватьは結果存続兼評価型動詞〕
(私が申し上げたことを理解していただけましたか?)Вы поняли то, что я вам сказал? <Do you understand what I’ve told you?>〔пониматьは遂行動詞〕
(この絵が気に入りましたか?)Вам понравилась эта картина? <Do you like this picture?>〔нравитьсяは状態の動詞である〕
この他に294ページに不完了体不定形が多用されているという例文で、запрягать(交通手段の準備のための切迫した命令exigend commandなので不完了体を使うとある)を除いて、その理由が示されていないが、掲載されている例文を見る限り、私が考えるに、不完了体が使われている理由は、切迫感だということが例文から読み取れるはずだ。
本書は2010年に復刻版が出た。私はアマゾンで手に入れた。4000円前後と高い本だが、体の用法に関心があるのなら、その価値以上のことはある。今すぐ読まずとも、いつか読むかもしれないと言うなら、買っておくことを強く勧める。若干文法用語があるが、すぐ慣れるし、研究者用の論文ではないから、分かりやすい英語である。
出題)「このことは絶対許さないから」をロシア語にせよ。
2013年09月08日
●続和文解釈入門第208回
『新訂和文露訳入門』2-2-1-1項のアオリスト的用法はとっつきにくい。そこで使う目安を挙げておく。アオリスト的用法である特徴の一つに、状況の変化、出来事の場面転換があり、この用法の完了体過去形は「突然、すぐに、ついに」というような副詞や副詞句вдруг(突如)、неожиданно(不意に)、внезапно(突然)、сразу(すぐ)、сразу же(すぐに)、мгновенно(瞬間的に)、вмиг(一瞬)、немедленно(ただちに)、и вот(その結果ほら)、и тогда(そのときに)、и тут(その瞬間)、наконец(ついに)と共起しやすい。しかし、「すぐに」という副詞や副詞句は命令法では、新規の動作ではない、回りの状況に合わせると言った場合、切迫感という用法で不完了体命令法と共に使われることに注意する必要がある。
(突然ドアが開いた。ドアのところに立っていたのはヂーマ・モーエフだった)Вдруг открылась дверь: в дверях стоял Дима Моев.
(大聴衆の1回生の中で私は一人の娘に気がついた。それはスヴェトラーナで、私の未来の妻だった)В большой аудитории среди перевокурсников я сразу же заметил девушку. Это была Светлана, моя будущая жена.
この他にも「完全に」などという動作の遂行を示す副詞вконец(まったく)、вполне(まったく)、вовсе(まったく)、окончательно(最終的に)、полностью(完全に)、почти(ほとんど)、слишком(あまりに)、совершенно(完全に)、совсем(完全に)とは、アオリスト的用法として完了体過去形が来ることが多い。
(コンサートは完全に成功した)Концерт вполне удался.
出題)「どなたかほかに発言なさる方はいらっしゃいますか?」をロシア語にせよ。
2013年09月09日
●続和文解釈入門第209回
未来の時制で不完了体未来形を使う時は、動作の有無の確認であると『新訂和文露訳入門』4-1-1-1に書いた。これは疑問文の例が非常に分かりやすい。
(何を御注文なさいますか?)- Что вы будете заказывать?
平叙文の場合は、動作の有無の(するかしないかの)選択が終わり、するということを述べているにすぎない。これは不定法での動作の有無の確認で不完了体不定形が用いられるが、これと発想は同じである。否定文であれば、その逆で「しない」という選択をしたことになる。
(キャンセルすべきか、せざるべきか?)Отменять или не отменять?
(いいですか、もし30分以内にこの隊列を出発させないのなら、上に報告します)Слушайте! Если вы в течение получаса не отправите этого эшелона – я буду докладывать выше.
上の文のбуду докладыватьは話し手に主観的ニュアンスはないが、回りの状況によって、хотеть, собиратьсяというような意向のニュアンスが出てくる場合もある。
出題)「朝車庫のカギをかけたかい?」をロシア語にせよ。
2013年09月10日
●続和文解釈入門第210回
「去年おばあちゃんに年賀状を出したかい?」- Ты посылал в прошлом году новогоднее поздравление бабушке?
「うん出した。今年も出したよ」- Да, посылал. И в этом году тоже послал.
最初の文には「去年」と時を示す副詞句があるのに、不完了体過去形が来ているのに違和感を感じる人もいるだろう。それは体の勉強が進んできている証拠でもある。最初の文は動作の有無の確認であり、動作が行われたかどうか分からない(動作がなかったかもしれない)ことを意味する。このような不定の動作では時間軸の不動の一点が決められないので完了体は使えないということになる。また動作が1回とは限らないし、昨年1年間のいつかにという風にも理解できるから不完了体が来ると考えてもよい。二つ目の文の完了体過去形は1回特定の時期に発送したという意味であり、アオリスト的用法か、文脈によって結果の存続ということになる。
出題)「ゆっくりと、苦しげに彼はベッドから起きた」をロシア語にせよ。
2013年09月11日
●続和文解釈入門第211回
видеть(会う)、слышать(知る)という意味では、未来の時制ではこれらの動詞は不完了体未来形を作れないので、完了体未来形を使うことになる。
(私は昨日彼に会った)Я видел его вчера.
(私は彼を昨日見かけた)Я увидел его вчера.
(彼が入って来ればすぐ私には彼が目に入る)Я увижу его, как только он войдёт.
(明日お会いします)Увижу вас завтра. <会うという意味の不定形はвидеть, увидетьを使う。Я рад видеть.(お会いしてうれしい)という挨拶表現ではвидетьのみ。>
(10日後ここに鉄道が通るという事を耳になさいますよ)Через десять дней вы услышите, что здесь пройдёт железная дорога.
なぜかというと、これらの不完了体には語義に始発の意味がないからであり、идтиとпойтиの関係にも似ている。видетьとслышатьの基本的な意味は「見える」と「聞こえる」であり、「見るсмотреть」や「聴くслушать」ではない。語義上、不完了体未来形は反復を除いて作れないと思われる。共に命令形はなく、смотри(те)やслушай(те)で代用する。この違いについては『新訂和文露訳入門』10-8項参照のこと。
出題)「彼はまずい時にまずい場所に居合わせた」をロシア語にせよ。
2013年09月12日
●続和文解釈入門第212回
不完了体未来形には「~するつもりである」という予定や計画の用法もあると、『現代ロシア語文法(中・上級編)』(城田俊、東洋書店)や『ロシア語の体の用法』(原求作、水声社)に書かれている。собираться, намерен, намереваться(これらの使い分けについては拙著『新訂和文露訳入門』)4-1-3-2項に書いた)と全く同じように自由に使えるのだろうか?それについては何も書かれていない。露文解釈の参考書だからであろう。全くの同義表現なら、いいのだが、使用上違いがあるがあるなら会話における和文露訳(ロシア語会話)では困ってしまう。不完了体未来形は不完了体である以上、そう気軽には使えないのである。用法が重なる場合もあるし、使えない場合もあるのだ。それについて少し書いて見る。不完了体未来形で分かりやすいのは、反復(『新訂和文露訳入門』の4-1-4項参照)である。それ以外の「~するつもりである」という用法も、不完了体未来形は、不完了体である以上、新規の動作を示せないから、何らかの文脈が先にあるか(下の例文では「明日のご予定は?」の部分)、それを想定して、それに対する返事ということで現れてくるのが自然であるということになる。「~するつもりである」という意味で不完了体未来形を使うためには、その動詞の語義に経過の意味がなければならない。不完了体は動作の開始や終了を示す事ができないからである。
(明日のご予定は?)- Какие у вас планы на завтра?
(部屋の掃除でもするつもりです)- Будем (Собираемся) убирать комнату?
(前からこの件について君と話しをするつもりでした)Я давно собирался поговорить с тобой об этом.
ところが、собираться, намерен, намереватьсяなどは、上のような不完了体不定形も取れるが、叙想語だから、後に完了体不定形を取って、具体的な1回の動作も示す事ができる(完了体不定形を取るのがより一般的)。ところが不完了体未来形はそれができない。『ロシア語の体の用法』に挙げられている用例は、一見1回の具体的動作だが、
(今日イワンのところにお立ち寄りになるおつもりですか)Вы будете заходить сегодня к Ивану? <заходитьはちょっとの期間ненадолго立ち寄るといういう意味で、動作の経過のニュアンスがある>
(今日奨学金をもらうつもりかい?)Сегодня ты будешь получать стипендию? <奨学金をもらうためには窓口などで手続きが要るので、それに時間がかかる。これは私のこじつけではなく、『ロシア語動詞 体の用法』(ラスードヴァ、磯谷孝訳編、吾妻書房)の119ページにполучать стипендию〔奨学金を受け取る〕には動作の経過の観念を表せるが、получать выговор(叱責を食らう)には表せないとある>
出題)「僕は戯曲を書いた。シェークスピアも顔負けさ」をロシア語にせよ。
2013年09月13日
●続和文解釈入門第213回
(彼女は彼が来るのを待っていた)Она ждала, пока он не придёт. <彼はまだ来ていない>
(彼は来たが、それまで彼女は待っていた)Она ждала, пока он не пришёл.
上の二つの文はこのように意味が違うはずだが、口語では同じ意味で使われる。完了体過去形の方は時制の転用だが、確述の用法と考えられる。
(彼が来ないうちに立ち去ろう)Давайте уйдём, пока он не придёт (пришёл).
出題)「ヂーマが来てたよ」
「どうして彼、僕を待ってくれなかったんだ?」をロシア語にせよ。
2013年09月14日
●続和文解釈入門第214回
(行ってきます)Я пошёл.
(えんやこりゃ)Раз-два, взяли.
上の二つの文は完了体過去形を未来の完遂の意味に使っており、時制の転用である。この時制の転用の起源は、ロシア語の昔の過去分詞からだとか、быの脱落だと言われているが、素人にはбыの脱落と考えた方が分かりやすい。
(取ったら)Ты бы взял.
出題)「審判が彼にイエローカードを提示するはずがない」をロシア語にせよ。
2013年09月15日
●続和文解釈入門第215回
ロシア語で書かれた外国人向けのロシア語の参考書というのは、よく考えてみると、外国語というのを抽象化して考えているようでちょっとおかしい。ロシア語を学ぶ外国人の母語は英語、中国語、日本語などの外国語の一つであって、抽象的な一つの外国語というものはあるはずもなく、具体的な外国語があるだけである。会話では無意識に母国語の英語や中国語、日本語からロシア語に訳しているわけだから、その母国語の特性を無視してよいはずがない。しかし、このような参考書の編者が主だった外国語すべてに通じているとは考えにくいので、便宜的にロシア語参考書の編者は母国語がロシア語であるから、ロシア語の文をできるだけ客観的に、無意識に、意識下に戻すという作業をして、外国人に説明しているわけである。
外国人が体を習得するように編纂された参考書である、Виды глагола в русской речи, К. А. Соколовская, Русский язык медиа/Дрофа, 2008(ロシア語会話における動詞の体)も非常によい参考書だが、これもロシア人が無意識に選択している体を、意識下に戻して説明したという感じである。最初にそれぞれの体の特徴を挙げている。
「完了体は動作の発生と終了を全一的にとらえたり、時には動作の発生や状況の転換の時点を強調したり、動作の結果に注意を向けたり、普通は1回の動作(繰り返しのない動作)を示す)」
「不完了体は制限のない動作、進展の過程、結果への動き、しばしば長期の動作、反復を示す」
これらは体の特徴を多面的に列挙しており、無論正しいが、会話で和文露訳をする際に、これでわれわれ日本人が体の使い分けができるようになるのだろうか?これら多面性についての各用法の説明の理解と、各体の目印になる副詞などの語句(никогда неなら不完了体過去形が来るとか、вдругなら完了体過去形か、反復の意味の不完了体過去形を使うなど)を暗記させることを主眼とし、ロシア語会話会話における体の実践に徹しており、練習問題によって機械的に、反射的に体の使い分けができるようにさせるということのようである。そういう意味では中級レベルの人の通訳やガイドの研修に大いに役立つと思うが、学習の本質である学習者に考えさせることからは遠いし、何よりも日本語とロシア語の違いが全く考慮されていない。そのためか遂行動詞の説明もない。しかも、個々の用法に合わせた設問が多いので答えに意外性がなく、学習者にとって答えを類推しやすいという欠点がある。この本の長所は、動作の否定や不定法についても、分かりやすくまとめている点にあるのが類書との違いである。
出題)「タバコをお吸いになりますか?」
「いえ、結構です」
「止めたんですか、それとも元々ですか?」をロシア語にせよ。
2013年09月16日
●続和文解釈入門第216回
A Comprehensive Russian Grammar, Terence Wade, Wiley-Blackwell, 2011をある方から勧められ、第2版の体の用法だけコピーをもらった。それを読んでよかったので、これもアマゾンで第3版を注文して全部読んでみた。アカデミー版のロシア語文法はロシア人向けで、ロシア人には当然と思うようなことについてはほとんど説明がなされていないために、外国人には使いにくいが、この本はロシア語が母国語ではない学習者が抱く疑問について、痒いところに手が届くような作りになっているのが非常に好ましい。中級向けのロシア語文法の教科書であり、ロシア語会話ですぐ実戦で使えるようになっている。ページ数は『現代ロシア語文法』(城田俊、東洋書店)や『ロシア語文法便覧』(宇多文雄、東洋書店)とほぼ同じ500ページぐらいだが、体に関する文法的説明も50ページほど取っており、上記2書が15~20ページ(『現代ロシア語文法 中・上級編』(城田俊、東洋書店)では30ページぐらいある)なのに比べるとはるかに詳しく、例文も簡にして要を得た、会話には使い勝手が良いものが多い。これはロシア語文法を総花的に解説するのではなく、会話(この場合は英文露訳)で学習者の理解しにくいものを徹底的に解説するという著者の執筆態度にあると思われる。また句読点の基本的な用法の説明があり、語順(日本語ではテーマやレーマに相当するはずである)の解説もあり、これらは類書にはない特長である。前置詞も詳しく、使い分けが分かりやすいし、会話用として非常に実戦的な説明である。無論、体の用法に関しては初級か中級向けの説明であり、若干もの足りない感じはするが、フォーサイス先生のA grammer of aspectの入門書と思えばよい。日本語と英語の違いを考えると、遂行動詞や結果存続兼評価型動詞についての説明がなかったり、被動形動詞過去短語尾についても通り一遍の説明に終わっているのは残念だが、やむを得ない。しかしガイドや通訳を目指す人には座右の書と言ってよいので、購入を勧める。
いくつか重箱の隅をつついて見よう。第2版にあった誤植が第3版で直っていないものもあるので参考のために書いておく。例えば35ページのдилеттантはдилетантのスペルミスだし、71ページшоколодкаはшоколадкаだし、116ページのкдубахはклубахだし、157や420ページではorがогになっている。306ページКак быはКак выの誤りだろう。487ページのиоはноで、hoはноであろう。
このようなタイプミスは別にして、145ページに疑問代名詞のчтоはものか動物を示すとあるが、動物についてはктоが一般的で、чтоも使えると言うにすぎないのではないか。ビアンキБианкиの作品に、Кто летел? Лебедь.(何が飛んだ?白鳥です)とある。319ページにне хотетьсяの後は、実質的に不完了体不定形しかこないとあるが、ラスードヴァ先生の『ロシア語動詞 体の用法』(磯谷孝編訳、吾妻書房)115ページには、「хотеть, хотетьсяのあとで、しばしば完了体不定法に出会う」とあり、不本意や遺憾の意を表すとして、Мне не хотелось вас обидеть.(あなたを怒らせるつもりはなかった)という例文を挙げておられる。хотетьсяが無人称動詞なので、不本意や遺憾というような主体性を示す行為には使いにくいということかもしれない。364ページに不定動詞の往復の動作は過去の時制だけだとあるが、アプレシャンАпресян先生の編集されたНовый объяснительный словарь синонимов русского языкаに(タクシーの金がないなら、バスで行って来よう)Раз нет денег на такси, будем ездить на автобусе.という例文がある。
出題)「1960年代にここではロシアの本が売られていた」をロシア語にせよ。
2013年09月17日
●続和文解釈入門第217回
不完了体が時間軸の特定かつ不動の一点での動作をイメージしないために、不完了体は時間を示す語句との相性が悪い。それゆえ不完了体現在形の予定の用法を示す次の文は例外のように思える。
(彼は来月外国に行くことになっている)Он уезжает за границу в следующем месяце.
しかし、『新訂和文露訳入門』2-2-1-2項で示したように不完了体過去形でも、踏み台のように予め場を設定しておけば、時間を示す語句との共存も可能であることを考えると、予定の用法というのは、あたかも予定表に書き込まれたように、既知の動作をなぞるとか、確認するという代動詞(反復の意味合いがある)のような用法であり、新規の動作ではない。もともとの予定表に時間を示す語句があるとイメージされているがゆえに、このような文は可能であることになる。この仮想の予定表が踏み台に相当するのである。この文の示すのは、外国へは徒歩や飛行機ではなく、何らかの移動手段で行くということと、それが予定にあるように来月だということである。
出題)「南方から小包が届いた。明日取りに行か(受け取ら)なくては」
2013年09月18日
●続和文解釈入門第218回
次の文でсейчас жеとあたかも時間を示す語句があるのに、不完了体命令形が続くのは、私の唱える説「不完了体は時間軸の特定かつ不動の一点での動作をイメージしない」と矛盾すると思われるかもしれない。特定かつ不動の一点をイメージしないというのは、不動の一点の有無を問題にしない(あってもなくても気にしない)ということであり、しかもсейчас жеは「今すぐ」という意味であって、今というこの瞬間を示していない。今というこの瞬間は常に動いているわけで、不動の一点ではないし、今を広く解釈して、一瞬後のいつかとすれば、1分後か、2分後か、はたまた10分後か知らないが、特定できない以上不動の一点ではないことは明らかである。そのため不完了体が用いられても問題は生じない。この用法は命令法の切迫感(促し、着手)か動作の様態の強調、ないしは両方合わさったものであろう。
(昼食を取ったら、すぐにもどれ)Пообедай и сейчас же возвращайся. <『新訂和文露訳入門』5-1-3項の動作の様態の強調でもあり、切迫感の用法でもある>
(起きろ、今すぐ起きろ)Вставайте! Сейчас же встаньте! <最初のвставайтеが促しの用法であり、встаньтеは「今すぐ」という新規の事柄を伝えているため完了体命令形が用いられている>
出題)「残念だけと、今晩は行けない」をロシア語にせよ。
2013年09月19日
●続和文解釈入門第219回
拙著『新訂和文露訳入門』9-10-1項の「はが構文」で、新規の事柄は文末に来ると説明したが、文における基本的な状況語の語順も書いておく。状況語は動詞の前が基本である。ただし状況語が新規の情報であれば語末に来るし、少数ながら、造格から派生した副詞はходить пешком(歩く)のように動詞のすぐ後につくし、副詞句もпить маленьким глотками(少しずつ飲む)も同様である。状況語にはいろいろな種類があるが、来る順番の基本は、最初に時に関するもの (Time)、その後に場所に関するもの (Place)、そして理由・目的 (Occasion) などの状況語である。TPOと覚えればよい。時間や場所を示す状況語が文頭に来るのは、これらが文全体にかかることが多いからである。様態、程度の状況語を強調する場合は、これらは文頭に来る。ロシア文学やマスコミの文を見ると、必ずしもこのような語順になっていないのは、何らかの強調やニュアンスが加わっているわけで、基本的な語順というのは平板なニュアンスを意味する。
(2012年モスクワでアルコール中毒により3000人以上が死亡)В 2012 году в Москве от отравления алкоголем умерли более трёх тысяч. <TPOで、新規の情報(レーマ)が語末に来ている>
(朝の9月の太陽がかったるく照らしている)Нежарко светит утреннее сентябрьское солнце. <様態の強調>
出題)「彼のいつもの十八番が出た」をロシア語にせよ。
2013年09月20日
●続和文解釈入門第220回
нельзяについて、第191回にて、「нельзя + 不完了体不定形は禁止を、нельзя + 完了体不定形は不可能を示すと、『新訂和文露訳入門』に書いたが、対応する完了体がない動詞では、不完了体不定形でも不可能を示す場合がある。これはある一定の期間の動作を示す動詞ということになる」と書いたが、フォーサイス先生のA grammer of aspectには、これに関して「不可能ということでは後に続く不定形は完了体が一般的だが、動作の遂行が主体の権限や能力を超える場合は不完了体不定形が来る」という説明があったので、ここに訂正しておく。フォーサイス先生は理由を書いていないが、これは不完了体の嫌気、不適切というニュアンスが出てくるからだろう。
(断れないよ。ビビったって後で人に言われるよ)Не могу же отказаться: струсил, скажут. <不可能>
(彼女とは暮らせない)Жить с ней я не могу.
(これ以上我慢できない)Больше терпеть не могу.
(1時間もそこに残ることはできなかった。その日に師団へ戻ったからだ)И часу оставаться там не мог, в этот день уехал обратно в дивизию.
出題)「無料奉仕をした」をロシア語にせよ。
2013年09月21日
●続和文解釈入門第221回
不完了体命令家の促しや着手の用法である「もうそろそろ」は切迫感に通じ、「すぐに~せよ」というニュアンスをもつことになる。
(奴をつかまえろ!)Держи его! <カッパライやスリに対して>
(おい、クソ野郎、だれに雇われたのかしゃべるんだ!)Говори, гадина, кто тебя завербовал? <文の尋問などで不完了体命令形が来るのも、相手が自白するのは当然という意識が話し手にあるからである。そこから促しや着手の用法となり、すぐに話せという切迫感が出てくる>
(かかれ)Действуй! <〔(すぐに)行動せよ〕とか〔(すぐに)やれ〕ということだが、警察や軍隊などの作戦行動の際、任務〔すべき内容〕が伝達されていれば、後は号令だけとなり、そういう意味で不完了体命令形が来る。8-13項にあるДавай(те)!、Валяй(те)!〔俗語〕としても同義>
切迫感が強まれば焦燥感となり、苛立ちを示すということにもなる。
(失せろ)Убирайся вон. = Убирайся к чёрту. = Ступай ко всм чертям. = Проваливай.
(有害な音楽を止めろ。我が国のをかけろ!「ナナカマド」を!)Кончай тлетворную музыку. Гони нашу! «Рябинушку»! <「いい加減にしろ」という焦燥感も出ている>
出題)「母は息子が病気になりはしないかと心配した」
2013年09月22日
●続和文解釈入門第222回
危惧の表現として、боятьсяと共に使われるкак бы не (чтобы не) + 完了体(過去形・不定形)があり、主文の動詞の内容をより詳しく解説するという役割がある。
(病みつきはしないかと心配だった)Я боялся, как бы не заболеть.
(彼女がいなくなりはしないかと心配だ)Боюсь, чтобы она не исчезла.
(残念だけと、今晩は行けない)Боюсь, что я не смогу прийти сегодня вечером.
(僕には彼が来る自信がない)Боюсь, что он не придёт. <直訳は「来ないことを心配している」>
出題)「どのくらいの量オイルに酸化防止剤を添加しますか?」をロシア語にせよ。
2013年09月23日
●続和文解釈入門第223回
6-2-5-2 не мочь/не смочь, нельзяの用法(この項目番号は三訂和文露訳入門用の仮のものです)
мочьは現在の時制で、現在形では、現在における一般的な可能性、能力を示し、смочьの完了体未来形は一瞬後およびそれ以降の未来の具体的な1回の動作の可能性を示す。смочь (суметь)は肯定文よりも否定文で使われることが多い。これに否定が関わると、次のような使い分けが出てくる。不許可や禁止については『新訂和文露訳入門』6-1-5項参照のこと。
(彼は来られない)Он не может прийти. <+ 完了体不定形の場合は、一回の具体的動作のときで、現在の時点において来るのが不可能な状態にあるということ>
(彼は来られない)Он не сможет прийти. <+ 完了体不定形の場合は、一回の具体的動作のときで、しかも未来の副詞や副詞句がない時は、一瞬後の現在、ないしはそれ以降の未来の時制において来るという動作が不可能だという事になり、完了体なので主観的なニュアンスがある>
(毎日学校に辞書をもって来ることはできない。とても重いんだ)Я не могу каждый день брать в школу словарь. Он очень тяжёлый. <現在の時制での反復が不可能であること>
(〔これからは〕毎日お前と図書館に通うことはできない)Я не смогу каждый день ходить с тобой в библиотеку. <смогуという完了体未来形で一見反復を示せるように見えるが、実際は否定文であり、反復を否定していることが分かる。また完了体未来形の否定なので、否定の強調という主観的ニュアンスが出てくる>
(彼はどんなバスケットボールの練習にも参加することはできなくなる)Он не будет в состоянии принимать участие в любых баскетбольных тренировках. <бытьの未来形 + 不完了体不定形で未来の時制の反復や状態の否定を示す>
「計画を立てるのを手伝ってくれ」「今手伝うことはできない」Помоги мне составить план. Сейчас я не могу тебе помогать. (Сейчас я не могу помочь: я должен срочно уходить.). <経過の意味のある動詞の時は、どちらの体の不定形も可能である。完了体不定形だと「今手伝うことはできない。すぐ出かけないといけないんだ」と新規の事項を伝えるという完了体の用法であることが分かる。しかもこの場合その後に切迫性の不完了体不定形が来ている>
(彼は来ないかもしれない)Он может не прийти. <否定の可能性>
(彼は来なくてよい、彼は来る必要がない)Он может не приходить. <不必要>
нельзя + 不完了体不定形は禁止を示すが、нельзя (невозможно) + 完了体不定形は不可能を示す。
(ここは通り抜けられない。工事中だ)Здесь нельзя пройти: идёт стройка.
не мочь/не смочь, нельзяは不可能という意味では後に続く不定形は完了体が一般的だが、動作の遂行が主体の権限や能力を超える場合は、共に不完了体不定形が来る。これは不完了体の嫌気、不本意、不適切というニュアンスが出るからだろう。
(断れないよ。ビビったって後で人に言われるよ)Не могу же отказаться: струсил, скажут. <不可能>
(彼女とは暮らせない)Жить с ней я не могу.
(これ以上我慢できない)Больше терпеть не могу.
(暗いから読めない)Темно, нельзя читать.
(俺はドイツ人を人間とは思うことがもうできなくなった)Я уже не мог думать о немцах как о людях.
出題)「冬は見るべきものが全くない」をロシア語にせよ。
2013年09月24日
●続和文解釈入門第224回
フォーサイス先生のA grammer of aspectには、不完了体不定形が多用されるケースが多い動詞としてзапрягать(馬に鞍をつける)、ложиться(横になる)、обедать(昼食を摂る)、стрелять(撃つ)、уезжать(車などで去る)、уходить(歩いて去る)を挙げ、下記のような例文が添えられている。その中でзапрягатьだけが、交通手段はすでに準備されているのだから、切迫した命令exigend commandということで不完了体が来るという説明があるくらいで、他の動詞には特に理由は示されていない。
(ママが私に寝るように言った)Мама сказала, чтобы я ложился спать. <чтобыの後は完了体が一般的だが、間接話法の命令文 Мама сказала мне, «Ложись спать».からであろう。そうなると促し・切迫感の不完了体の用法となる>
(父は私に直ちに寝るよう命令した)Отец приказал мне немеделнно ложиться спать.
(レニングラードをすぐに離れなければならなくなる)Скоро придётся уезжать из Ленинграда.
(今昼ごはんを食べたい)Сейчас хочу обедать.
上の文を見て気がつくのは、немедленно(ただちに)とかскоро(早く)、сейчас(今)といった切迫感を示す副詞があることである。仮にこういう副詞がなくとも、急ぐという文脈なら切迫感という用法で不完了体が使われるのは自然のことである。不完了体は動作そのものでそれ自体にニュアンスはないから、副詞や文脈次第で、感情的なニュアンスや、促し、切迫感、焦燥感を示す事になるのである。動詞によってはそのような文脈で使われやすい動詞というのがあり、запрягатьも現代ではあまり使われないが、19世紀末までは、外出するときには、馬の用意をすることが当然という状況があり、その準備のスタートの合図をするという意味(促し・着手の用法)で、不完了体が使われやすいのだということは言える。これらの文例で使われる動詞は不完了体が多用される傾向があるというよりは、切迫感の用法だから不完了体を使わざるをえないということになる。
出題)「彼らは土曜半日をお店めぐりに費やした」をロシア語にせよ。
2013年09月25日
●続和文解釈入門第225回
前に紹介したA comprehensive Russian grammer, Terence Wade, Wiley-Blackwell, 2011, 3rd editionの中に、「彼は手紙を書いたОн написал письмо.」の英訳は二つあるとして次のような例が挙げられている。なぜそうなるのかの説明がないので、私なりに解釈すると下記のようになる。
He has written a letter. <英語の現在完了であり、結果の存続の用法>
He had written a letter. <英語の過去完了であり、アオリスト的用法>
この例文については英語では訳し分けられるのでうらやましい限りだが、冠詞や時制の一致などは日本語にはないから、その点日本語もロシア語に似ているところがある。
Он писал письмо.と不完了体過去形にすると、「彼は手紙を書いていた」<過程>、「(しばしば)彼は手紙を書いた」<反復>か、あまり用例は多くないが、文脈によっては動作の有無の確認という理解が可能である。
出題)「彼女は料理の支度をし、夕食の後片付けをする」をロシア語にせよ。
2013年09月26日
●続和文解釈入門第226回
差し迫った、ないしは動作の促しの意味を持つ不定法文で過去を示す用法では、下記のように不完了体不定形の使用が必須である。これは6-1-4項の始発の動詞стал/началが省略されたために不完了体不定形が来ていると考える研究者も多い。完了体不定形のみを使う用法は「~しましょう」で『和文露訳入門』6-2-2項参照。
(彼は帽子を取り、毛皮の外套に手を伸ばそうとした。ふと気がつくと、門番の娘が、10歳ぐらいの女の子だったが、不意に大きな声を上げた。彼はやにわに走り出した。女の子は彼を追いかける。結局(よってたかって)捕まえられてしまった)Он шапку взял и хотел за шубой идти – глядь, дочка швейцара, девочка лет десяти и – закричи! Он бежать, она за ним. Его и схватили. <Он бежатьという主語の後の動詞の不定形で、不完了体動詞の不定形は強い始動のニュアンス持つ過去の時制を示す>
бежатьは不完了体だが、「逃亡する、隠れる」という意味では、完了体・不完了体同形であるが、上記の文は始発の意味がある以上、明らかに不完了体である。
出題)「選挙戦でやれなかったことがいかに多かったことか」をロシア語にせよ。
2013年09月27日
●続和文解釈入門第227回
(私たちは彼を捕まえようとしたが、だめだった)Мы ловили его, но не поймали.
という文を第195回で出題したわけだが、この不完了体の用法は志向と言って、動作の遂行を目指すのだが、動作は終了していない。ところが、
(彼はよく釣りをした)Он часто ловил рыбу.
上の文では動作は終了していることが分かる。このように不完了体というのは動作の名指し(動作の有無の確認)なので、動作が終了したかどうかは文脈による。反復や継続の用法も不完了体が本来もっている用法ではなく、副詞句や補語などによってそう理解される場合があるということである。ここから得られる結論は、不完了体は曖昧な、抽象的なニュアンスがあり、完了体は具体的な1回の動作を扱うことから、より明確な感じがする。これをよく示す例文を挙げる。
(彼女はどうしたらいいか分からないのだ。癇癪を起こすべきか、全てを冗談にしてしまうか、はたまた泣きだすか)Она не знает, что делать – вспылить, или обратить всё в шутку, или заплакать. <動作の曖昧な「何をすべきか」から、「癇癪を起こす、冗談にしてしまう、泣きだす」と動作が具体的になっているのが分かる>
ロシア文学を読むときに、このようなニュアンスもありうるという事を知ってほしい。
出題)「他の能力は必要ないので退化した」をロシア語にせよ。
2013年09月28日
●続和文解釈入門第228回
『新訂露文解釈入門』2-2-3項のбылоの用法と異なる用法を見つけたのでお知らせする。これは露和辞典には記載されていないが、最新版のアカデミー版露露には載っている。会話では使わないかもしれないが、ロシア文学を読む時など、露文解釈では役に立つ時もあろう。
この場合のбылоは一旦開始された行為の中止ではなく、被動形動詞過去ないしは能動形動詞過去との組み合わせで、動作や状態が一定の時間続いたという意味を示す。
(一旦止んだ雨が突如また降り出した)Прекратившийся было дождь вдруг снова полил.
出題)「何かあったら、俺のことは知らないということにしてくれ。いいな?」をロシア語にせよ。
2013年09月29日
●続和文解釈入門第229回
ロシア語には時制の一致がないと書いたが、誤解の元なので、訂正しておく。時制の一致がないのは間接話法(伝達話法)に関してである。第197回の本文も合わせて参照願う。
говорить/сказать(話す), объявлять/объявить(宣言する), отвечать/ответить(答える), сообщать/сообщить(伝える), спрашивать/спросить(尋ねる)などの動詞が間接話法で用いられる場合には、英語のような時制の一致がないと考えられている。
発話時を基準にする時制を絶対時制と呼ぶ。これまで挙げてきた文例で単文であれば、ほとんどは絶対時制である。ただ間接話法における従属節の述語動詞の時制は、英語のように主節の動詞の時制にはこだわらず、その点では日本語に似ている。
a) 従属節の述語が現在のときは、主節と従属節の二つの行為が同時に起こっている事を示す。従属節の和訳が「仕事がうまくいっていることを」のとき、主節の訳は下記の通りである。
(手紙で彼は伝える)В своём письме он сообщает, что дела идут хорошо.
(手紙で彼は知らせた)В своём письме он сообщил что дела идут хорошо.
(手紙で知らせる事になる)В своём письме он сообщит, что дела идут хорошо.
b) 従属節の述語が過去のときは、従属節の行為が主節の行為に先駆けて行われる事を示す。従属節の和訳が「彼はもう仕事を終えた」のとき主節の訳は下記の通りである。
(手紙で彼は伝える)В своём письме он сообщает, что работа уже закончена.
(手紙で彼は知らせた)В своём письме он сообщил чторабота уже закончена.
(手紙で知らせる事になる)В своём письме он сообщит, чторабота уже закончена.
c) 従属節の述語が未来のときは、従属節の行為が主節の行為の後に起こる事を示す。従属節の和訳が「彼はすぐに仕事を終える」のとき主節の訳は下記の通りである。
(手紙で彼は伝える)В своём письме он сообщает, что он скоро закончит свою работу.
(手紙で彼は知らせた)В своём письме он сообщил что он скоро закончит свою работу.
(手紙で知らせる事になる)В своём письме он сообщит, что он скоро закончит свою работу.
一方日本語には間接話法以外にも、従属複文で時制の一致がないように感じられるものもある。日本語の、
「他の能力は必要がないので退化した」は結果の現存であり、ヴィヴィッドに感じさせる用法なのかもしれない。
「他の能力は必要がなかったので退化した」はアオリスト的用法、ないしは確言(確述)の用法とも解釈できる。
ロシア語では実際の発話の時制に従う。つまりこの短文においては「必要がない」が時間的に先行し、その後「退化した」わけであり、その逆ではない。
日本語で書かれているロシア語文法書にはこの間接話法で時制の一致がないということに関する記述はないように思う。これは露文解釈を前提としているからとしか思えない。こういうのは盲点であり、英語で書かれたロシア語の参考書を読むと、このような点を克服できると思う。和文露訳をする上では、実際の発話の時制、相対時制も含めて考えないと、正しい訳ができないと考える。
出題)「皆と同じに試験を受けなければいけない」をロシア語にせよ。
2013年09月30日
●続和文解釈入門第230回
идтиというのは、文脈によって「行く」とも「来る」とも訳せる。Иди отсюда.(あっちに行け)だが、「こっちに来いCome here.」はИди сюда.と訳す。ところで、この後の文を使って命令法での体の違いをよく表すと思う例を挙げて見る。これは「今すぐという切迫性」を示すので不完了体命令形が来るが、これに日時を限定して、例えば、「明日ここに来い」とすれば、Приди сюда завтра.と完了体命令形となり、これは私が主張する「完了体は時間軸の特定かつ不動の一点での動作をイメージする」という説と一致するし、Приходи сюда завтра.と不完了体命令形にすれば、明日中に来てという勧誘の用法となる。
приходиが切迫感の用法で使いにくいのは、この動詞が基本的に到着する動作の反復しか表せないということにある。勧誘で使う分には、回数も、またいつなのか特定しなくてよいということになり、придиだと、時間軸の不動の一点ということになり、会議や商談などを除いて、日常会話で使うには時間的なゆとりがなさすぎるということになる。
出題)「人にも笑われ、後ろ指を指されることになりますよ」をロシア語にせよ。