2008年11月10日
●新帯研 第36回
ロシア語語学教師の資格ということを考えると、まずバイリンガルであることである。日本語とロシア語のバイリンガルというのは、日常会話ができるくらいではなく、日ロ語で無論読み書き、聞く話すが十分できるという意味である。その上で文法についてもよく理解しておく必要がある。さらに日本人にロシア語を教えるなら、日本人の方がよい。ロシア人に日本語を教えるのならロシア人がよい。これは、ロシア語を勉強するのは20歳前後からそれ以降の人が一般的に対象になるわけで、幼いころにロシアや日本に暮らして、自然とロシア語や日本語を覚えた人に、インフォーマントとしての才能は別にして、自分がどうしてその語学をマスターしたか説明できない以上、教わる意味はない。せいぜい発音やイントネーションを学ぶのはいいが、語学で質問してもロシア語(日本語)ではそうは言わない(なぜかは説明できない)ぐらいだろう。そういう人に教わるのは時間の無駄である。語学は文法と語彙、それと発音やイントネーションを組み合わせて勉強するもので、その中でも初級者や中級者には特に文法が大切である。
ついでに、なぜオチのことをロシア語でсоль(塩)というのか長いこと考えていた。最近аттическая соль(アッティカの塩)からきているのではないかという気がしてきた。аттическая сольというのは名言крылатые словаの一つで、утончённая остроумие(凝った機知), изящная шутка(シャレた言い回し)を指す。古代ギリシャのアッティカの住人は雄弁で有名だった。キケロの「アッティカの住人は機知の塩でまみれているのみならず・・・」という手紙が由来である。どうであろう?
- Дайте мне подписку о невыезде, - потребовал Мюллер у Штирлица.
Получив под писку, Мюллер охнул от боли и присел.
設問)和訳せよ。オチを別に解説してもよい。
2008年11月13日
●新帯研 第37回
私はカザフに2年ほど駐在していたので、カザフについてしばらく書いてみたい。カザフ人はチュルク系であり、13世紀にモンゴルに征服され、14~15世紀にウズベク族から分かれ、15世紀後半にカザフ・ハン国が生まれた。言語的にはウズベク語に近いが、ソ連時代にウズベク標準語とされたのは政治的観点からフェルガナ方言であり、これはタジク語(イラン語族)の影響があり、カザフ語にはある母音調和がないと言う。この母音調和はおよそ千年前頃の日本語にもあったらしい。ウズベク語はカザフ語に比べて聞いていて非常に軟らかい感じがする。カザフ語はウズベク語と違いほとんど方言はないし、チュルク祖語により近いとカザフ国立大学の教授から聞いた。つまりカザフスタンから西に向かうに従って(カザフスタン、キルギスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、アゼルバイジャン、トルコの順)チュルク祖語から離れているというのである。カザフ人・ウズベク人にはキプチャク族の血が、キルギス人にはオグズ系の、トルクメン人にはセルジュクトルコ人の血が入っているとされる。9世紀古代ロシア人を悩ませた遊牧民ペチェネーグ族(チュルク系)は一部バシュキール人となったといわれ、トルコ人はオスマントルコの末裔である。ウズベク人は定住を好み宗教的にも回教の教義を守る。しかしカザフ人は遊牧志向で一応回教徒(スンニ派)とはいうものの宗教をそれほど厳守しない。市場には豚の頭も売っている。遊牧民であるカザフ人には農耕民族であるウズベク人に対して今でも軽蔑感を持っているようだ。カザフ人はジギットджигитを尊ぶ。これはもともと乗馬の名手という意味であるが、騎士的なニュアンスがあり、カフカースなどでも用いられる言葉である。今回の課題は、
- Что нового, коллега? – спрашивает один врач у другого.
- О, уникальнаый случай! Соломенная вдова, больная сенной лихорадкой.
設問)和訳せよ。オチを別に解説してもよい。