2014年03月02日

●続和文解釈入門第376回

『三訂和文露訳入門』3-1-7-4項に下記差し替え願う。
初めてというのは良否、好悪に関わる評価という一面もあり、そのため結果存続兼評価型動詞と共に用いる事もできる。またбыть動詞は現在の時制では普通は明示されないが、初めてを示す時の状況語と共に状態動詞の結果の存続を示す事もある。動作が終わっていれば2-2-1-1項のアオリスト的用法である。

(初耳です)Первый раз слышу.
(気でも違ったのですか。お会いするのは初めてです)Вы с ума сошли! Я вас вижу первый раз.
(彼らが一緒のところを我々が見るのはこれが初めてだ)Это первый раз, когда мы видим их вместе.
(寿司を食べるのは初めてですか?)Вы впервые едите суши?
(ここは初めてです)Я здесь впервые.
(飛行機〔で乗るのは〕は初めてですか?)Вы в первый раз летите самолётом?

出題)「天気はよくなる模様」をロシア語にせよ。

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2014年03月03日

●続和文解釈入門第377回

和露辞典に不信感を持っているのは、類語の説明がないからだと何度か書いた。コブを例に取ると、шишкаは打撲や炎症でできたコブであり、生まれつきのコブはнаростとなり、スポーツのモーグルなどのはбугорである。単語を正列挙するのではなく、このような用例による違いを分かりやすく記載する必要があるという意味である。ただそれよりも、本質的に問題だ思うのは、和文の訳として挙げられているロシア語の語彙が、ロシアで普通に使われているものなのか、それとも説明として編纂者が自ら作ったものかが不明だという点である。実際にプロの通訳をやったことがない人には分からないかもしれないが、例えば、「経験や実践において獲得した、巧みに素早く処理する術」というよりは、「コツсноровка」と言ってくれた方がピンとくるという類である。和露辞典のロシア語についてロシア人に聞いても、ロシア人の教養のレベルによって答えが違ってくる。例えば、「生殺与奪の権利」をラヴレンチエフの和露辞典で引くと、власть над жизнью и смертьюとあり、ロシア人の作ったものゆえ、これで通じるとは思うが、作った(説明的な、作為的な)語彙なのか、ロシア語では一般にこういうのかは分からない。そこで語結合辞典のвластьを見てみると、власть над жизнью, власть над судьбойとあり、その結びつく動詞はиметь, получитьなどがある。そこで初めて、生殺与奪の権利はвласть над жизньюか власть над судьбойが使えると判断するし、ラヴレンチエフの方は日本語の直訳であることが分かる。通訳の観点から言うと、辞書の編纂者が解説のために作った語彙は載せるべきではない。混乱の元だからである。

 鬼火はблуждающие огни (огоньки)と和露辞典にもあるし、研究社の露和にもあるからだ大丈夫だとは思うが、念のためアカデミー版の最新の露露を見てみると、沼の上で見る腐敗から生じるメタンガスが燃えて見える青白い炎と現代的な解釈である。確かに鬼火とも訳せるが、幽霊屋敷などで使えるかどうかは分からない。この点は通訳や翻訳者の判断次第ということだろう。

 私はロシア語を学んで40年経つが、それでもどんな日本語でもロシア語にはできない。比較的訳しやすいのは自分の専門分野(技術関係、特に鉄鋼や船舶など)や日常会話ぐらいである。意味が分かる、あるいは時間をくれればロシア語で説明できるというのと、ロシア語がすぐに出てくるというのは別である。宮部みゆきの時代ものにはまっているが、出てくる言葉(生殺与奪の権利も鬼火など)ですぐにはロシア語に訳せないものが多い。そういう言葉をピックアップして、和英辞典 + ヤンデックスや和露辞典で調べてみるが、露訳をうのみにはしない。裏付けが取れて初めて、自分の和露語彙集に入れることにしている。こういうことがあるので、和文露訳の編纂者にも、ロシアで一般的に使われている語彙なのか、説明するために作った語彙なのかを標示してほしいということと、ロシア語と日本語は全く別な言語であり、どういう文脈で使われる語彙なのか説明が欲しいということである。日露の単語が同じ意味になるのは第325回の防空識別圏などのような時事用語くらいだろう。日本語らしい、よく使われる語は多義語が多く、文脈によっては対応するロシア語が違うということも大いにありうる。そういう場合の区別や、類義語の使い分けの充実など和露辞典の課題は多いというのが、技術通訳やガイドのプロである私見である。

出題)「車は給油済みです」をロシア語にせよ。

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2014年03月04日

●続和文解釈入門第378回

原求作先生がこのたび『キリール文字の誕生』(上智大学出版、2014年)を上梓された。題名から先生お得意の小説かとも思ったが、ロシア文化入門という長年の授業をまとめたものだと前書きにある。キリール文字については、『羊皮紙に眠る文字たち スラブ言語文化入門』(黒田龍之助、現代書館、1998年)、『ロシアの文字の話』(小林潔、ユーラシアブックレット No. 57、東洋書店、2004年)、Жизнь языка: От вятичей до москвичей , Костомаров, Педагогика-Пресс, 1994、『ロシア語音声概説』(神山孝夫、研究社、2012年)という良書がすでにあるが、原先生のご著書はこれらの本とは違い、キリール文字の生まれた歴史背景を中心に地政学的側面から一般向けに分かりやすくキリール文字創出について述べたものである。スラブ族最初の国であるサモ王国が7世紀半ばに存在したというのは不明にして知らなかったし、キリールやメフォージー兄弟の生涯のみならず、その弟子からどのようにキリール文字が後世に伝わったのかも述べている点が特に興味深い。一読を勧める。

出題)「最初の結婚では公爵の娘と結婚した」をロシア語にせよ。

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2014年03月05日

●続和文解釈入門第379回

ロシア語の会話ができるようになるためには、どのくらいのレベルで満足するのかによって上達法も、かかる時間も違う。一番楽なレベルでは初級の会話テキストや一般向け会話集の丸暗記により、会話での聞き取りで若干構文が増える可能性もあるとはいえ、その少ない構文で今後全てのコミュニケーションをまかなうというものである。商社マンやメーカーの営業のビジネスロシア語はこれで十分こと足りる。後は取扱品目に関する語彙を覚える程度である。いわゆるロシア語会話のできる人の圧倒的多数がこのレベルで推移しており、ロシア人と仕事上の付き合いがあれば、これ以上特にうまくもならないが下手にもならない。聞き取りがやや良くなる程度である。ロシア人とのつきあいがなくなると、あっという間にロシア語がしゃべれなくなるし、必要なカタログはともかく、ロシア文学などは読めるレベルではない。この程度でよいなら、初級文法を一通り終え、例文の丸暗記を主体として、よい教科書やよい先生について一生懸命やれば1年程度で到達できる。

 その次のレベルは、初級文法を終え、語彙のみをやたらに増やそうとし、覚えている語彙数を自慢したいというレベルである。通訳案内業(ガイド)試験の合格者やガイド、通訳でもこういう人は多い。単語はそこそこ知っているが、構文数が少ないので、時制は現在や過去の反復や過程、つまり不完了体の使用が多く、完了体は完了を、不完了体は反復や過程をぐらいにしか理解しておらず、体の用法がよく分かっていないため、ロシア人からは単語をつなぎ合わせたような、なんとなく意味は分かるにせよ、外人ロシア語と見なされるレベルである。会話集や構文集を丸暗記しているので、例文通りならロシア語として問題はないが、ちょっと外れると分からなくなってロシア人に頼ろうとし、ロシア人との密接な交友関係が欠かせないタイプである。ロシア文学はほとんど読まないか、読めないレベルで、頼るのは研究社や岩波の露露、和露辞典である。このレベルなら普通にロシア語をやって3~4年で到達可能である。

 この上のレベルはロシア語を極めようと考えている人たちで、多義語である基本的な動詞や名詞の用法を徹底的にマスターしており、体の用法の奥義も会得している人たちである。ロシア文学も含め、ロシア語で書かれた文献から会話に役立つ語彙を絶えず収集し、それを露露辞典で確認してから使う。和露には基本的に頼らない。このレベルに到達するには年数というよりは、ロシア語をマスターしようという強い意思と、適切な勉強法の選択が肝要である。私のホームページで書いたような勉強を死ぬ気ですれば、語彙の量を別にして2~3年で到達可能だが、勉強法を誤れば私のように30年以上もかかってしまうことになる。

 ロシア語のできない人たちから見れば、この3つのタイプの人のロシア語会話は同じに聞こえるし、実用上はロシア側から文句の来ない限り、ほとんどの場合差異はない。また仕事の依頼者はロシア語の素人だから、通訳料やガイド料も差はない。その差はロシア語を生きがいにするか、身過ぎ世過ぎの一つの手段と考えるかだけである。

出題)「日本は国益を踏まえて、守るべきものは守り、攻めるべきは攻めるべきだ」をロシア語にせよ。

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2014年03月06日

●続和文解釈入門第380回

少し前まで「立ち上がれ日本」という政党があった。英語名はSunrise party of Japanである。純粋に体の用法の観点から考えて、この党名を露訳するとどうなるのかというと、Партия «Вставай, Япония!»と不完了体命令形を用いた形になると思う。話し手にとっては、立ち上がるのは回りの雰囲気から見て当然であり、そのきっかけの合図、つまり促しとか着手の用法から不完了体命令形が使われるからである。

出題)「キャベツを漬け汁の中に重石をかけておいておく」をロシア語にせよ。

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2014年03月07日

●続和文解釈入門第381回

『三訂和文露訳入門』10-3-1項に下記追記願う。

 集合名詞の中で特定の語彙の数量を示す名詞があるので紹介する。

багаж(知識や経験の蘊蓄、военный軍事知識、знаний学殖、научный学識、умственный知識量)

парк(電車、自動車、飛行機、工作機械、エスカレーターの総保有台数)

подготовка(学んだ知識、経験、技能の量、базовая素養、боевая戦闘技能、лётная飛行経験、научная学識、образовательная教育的知見、педагогическая教育学的知見、предварительная予備知識、политическая政治的知見、физическая肉体的鍛錬)

портфель(手持ち原稿の数、有価証券などの保有高、акций持ち株数、вексельный小切手保有高、журнальный雑誌の手持ち原稿数、заказов受注高、редакционный出版予定の原稿数、сценарный手持ちのシナリオ数)

фонд(библиотечный蔵書数、жилищный住宅総面積、замельный土地総面積、семенной種子総量、товарный фонд на складе在庫数)

出題)「そのマスカラはほかのどれよりもまつ毛へののりがいい」をロシア語にせよ。

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2014年03月08日

●続和文解釈入門第382回

『三訂和文露訳入門』に下記追記願う。
10-3-5 否定における単数と複数

 可算名詞の場合は、一つも存在しないという意味で否定詞に複数生格をつけるが、単数生格にすると具体的何かが存在しないという意味になる。2-1-2-2項や3-1-8項にあるように、動詞の直接補語を否定する場合も原則は同じである。

(むくみは〔まったく〕ない)Отёков нет.
(こんなことはまだ一度もなかった)Такого ещё ни разу не было.
(僕は預言者というものを好きではない)Не люблю пророков. <補語が単数なら特定の預言者が嫌いとなる>

出題)「釣りに行ってたのか?」をロシア語にせよ。

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2014年03月09日

●続和文解釈入門第383回

『三訂和文露訳入門』を次のように変更した。

8-1-1 「到着する」という意味の用法

Он был в Москве.という文は、<彼はモスクワに到着した、到着したことがある〔経験〕、モスクワにいた>という3つの意味にとれ、「到着した」という意味ではОн приходил (приезжал) в Москву. (= Он посещал Москву.)と同義である。つまりбытьの過去形には不完了体過去形の動作の有無の確認という用法があることになる。現代ロシア語では廃用となった〔お客として遊びに行く〕быть в гости к кому-либо(現代ロシア語ではприходить〔приезжать〕 в гостиやбыть в гостях у кого-либоとなる)や、廃用に近い表現として、次のような表現があり、бытьが当初動作動詞も兼ねていたのが、後に状態の動詞に用法的に統一されたのではないかと思われる。

(明日うちにいらっしゃいますか?)Вы будете к нам завтра? <現代語ではВы будете у нас завтра?であろう>

出題)「揺れのせいでものが落ちるのは稀ではなかった」をロシア語にせよ。

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2014年03月10日

●続和文解釈入門第384回

『三訂和文露訳入門』を次のように変更した。

3-1-4-6 проситьとпопроситьの一人称での使い分け

電話で「レーナをお願いします」は、Попросите, пожалуйста, Лену.と命令形で言うのが普通だが、Я прошу вас позвать к телефону Лену.と不完了体現在形一人称でも言える。ただこの場合、прошу(お願いする)と、попросить = позвать, пригласить(呼ぶ、招く)とは意味が異なる。
一人称のЯ прошу (Мы просим)は遂行動詞だが、不完了体ゆえに回りの雰囲気に合わせての動作という意味合い(任意性)がある。ところが同じ一人称のЯ попрошу (Мы попросим) は完了体未来形(完遂の用法)であり、回りの雰囲気には頓着せず、具体的な新規の動作を行うということから、聞き手の事情を考慮しないという強制のニュアンスが出てくる。

(試験の準備をするので助けて下さい)Я прошу вас помочь мне подготовиться к экзаменам.
(指示通りきちんと行動するようお願いします)Я попрошу вас действовать строго по инструкции.

出題)「このウオッカの度数はどのくらいですか?」をロシア語にせよ。

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2014年03月11日

●続和文解釈入門第385回

遂行動詞は発話が開始して終了する動作に時間軸の現在のその瞬間が含まれるので、現在の時制でのみ使われる。そのため過去や未来の時制では、遂行動詞の用法ではなく、動作の有無の確認か反復の用法となる。また文脈によっては現在の時制でも反復の意味のときもある。結果存続兼評価型動詞は、時間軸における現在の一点が動作に含まれているために現在の時制でのみ用いられる。そのためこの動詞は過去や未来の時制で用いられた場合、結果存続兼評価型動詞ではなく、動作の有無の確認か反復の用法である。

出題)「判断をふらふら変えるのが一番悪いことだということを、親は子供たちの頭に叩き込んだ」をロシア語にせよ。

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2014年03月12日

●続和文解釈入門第386回

бытьについて第383回本文にて動作動詞(不完了体)としての意味もあると書いた。「いる。ある」という意味なら状態の動詞であるから不完了体のはずだが、不定形で完了体的要素も出てくる場合がある。最新版のアカデミー露露には(どうしたらいいか?)Как быть? = Как поступить? (Как предпринять?)と書いてある。つまり不定法においては完了体としての機能があり得ることになる。次の不定法も不可避の意味での完遂の用法であるから、完了体の機能をбыть動詞が持っている場合があるとも言えるが、『三訂和文露訳入門』6-2-7項にも書いたように、不可避・必然という用法は、切迫感や期間が含意されていれば不完了体を使うので、бытьには完了体と不完了体の両方の側面を持っていると言える。

(きっと雨になる)Быть дождю.  <意味的にはДождь обязательно будет.と同じだが、不可避の中に切迫感が感じられるとすれば不完了体の用法である>

 不定形と同様、未来形のбудет (будут)にもстать(~になる)という完了体の用法がある。

(彼女は看護師になりたい)Она хочет быть медсестрой.
(彼は先生になる)Он будет учителем.

出題)「私は彼女をお義理で愛している。なぜなら彼女は私の母だから」をロシア語にせよ。

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2014年03月13日

●続和文解釈入門第387回

仮定法過去というのはあり得ないことがあると仮に想定したものであり、私は男だが、その私が、「私が女だったら」とか、「子供に戻れたら」という類であるが、可能性に関して言えば、仮定法過去を使わなくても過去の時制では可能な場合もある。

(昔ならこんなことでも彼らを処刑しなければならなかった)По прежним временам их должны были казнить за такое.

出題)酒を注ぐ時にちょっとと言われて、「ちょっとと言っても量はいろいろだ。目でどのくらいか教えてください」をロシア語にせよ。

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2014年03月14日

●続和文解釈入門第388回

『三訂和文露訳入門』に下記追記願う。

9-13 繋辞(連辞)

 繋辞(連辞)связкаというのは主語と述語をつなぐもので、動詞ではбыть(~である), бывать(しばしば~である), казаться(~のように見える), называться(~と呼ばれる), оказаться (оказываться)(~である), делаться(~となる), остаться (оставаться)(~のままである), стать (становиться)(~となる), считаться(~と見なされる), являться(~である)があり、вот(ほら), значит(つまり), это(それは), это значит(それはつまり)も、как будто(~のような), словно(~のような), точно(まさしく)にも繋辞としての機能がある。

(学ぶことは、すなわち成長することである)Учиться – значит расти.
(会うと毎回お祭り騒ぎである)Каждая встреча словно праздник.
(夜毎に冷えてくる)Вечера становятся холодными.
(共産主義、それは若さである)Коммунизм – это молодость.
(大聴衆の1回生の中で私は一人の娘に気がついた。それはスヴェトラーナで、私の未来の妻だった)В большой аудитории среди перевокурсников я сразу же заметил девушку. Это была Светлана, моя будущая жена. <это значитからзначитが取れたと思われるもので、Этоは繋辞。>

 「それは大きな喜びだった」という文を訳すと、

Это была большая радость. <Этоは繋辞で、主語はбольшая радость>
Это было большой радостью. <主語はЭто>

 となるが、二つ目の文は、この文単独で存在できるのではなく、次のような先行する文が不可欠だと思う。つまり、二つ目の文のЭтоは文全体を受けており、単に主語としての役割を果たしているに過ぎないと思われる。

(彼は何週間も後に来るはずだったが、彼は母をびっくりさせたかった。それは大きな喜びだったから)Он должен был приехать недель позже, но ему хотелось сделать матери сюрприз. Это было большой радостью.

 бытьは繋辞としては現在の時制ではестьとなり、複数の場合はсутьだが、естьは科学実務関係や評論で使われるとはいえ、сутьの使用は稀である。普通はестьは省略されるが、主語と述語が全く同一の場合は、他に普遍性を示すような副詞が入らないければ省略しない。

(兄弟は医者である)Врат – врач.
(農業はまさに仏教の実践である)Земледелие и есть буддийская практика.
(母は母だ)Мать есть мать.
(子供はいつまでも〔どこでも〕子供だ)Дети всегда (везде) дети.
(キリスト教史における異端の全ては反乱である)Все ереси в истории христианства - суть бунты. <естьやэтоを使うのが今や一般的。>

出題)「読後焼却のこと」をロシア語にせよ。

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2014年03月15日

●続和文解釈入門第389回

「会議を開会いたします」Я открываю заседание. (Я объявляю собрание открытым.)は、ロシア語でも日本語同様(多分英語でも)遂行動詞で不完了体現在形が用いられる。ところが、
英語でYou win.(あなたの勝ちだ〔俺の負けだ〕)は遂行動詞だが、ロシア語にするとТы победила.とか、(俺の勝ちだ)Я выиграл, а ты проиграл.と、いずれにせよ完了体過去形の結果の存続を使うことになる。ちなみにпобедитьの一人称単数形は存在せず、одержу победу, добьюсь победы, сумею (постараюсь) победитьで代用する。これは勝つという未来時制で完遂の用法が、予言ならともかく論理的におかしいと感じられるからかもしれない。日本語では訳語を見ても分かるように名詞を使っている。遂行動詞は日英露にあるが、必ずしも同じように使われるわけではないので、注意が必要である。つまり日本語で「~を連絡します」をロシア語にする時には、「~します」は文脈によって遂行動詞(現在の時制)かもしれないし、未来の時制(完了体未来形)かもしれないので、それを使い分けなければならないということになる。

出題)「奴がゆすろうなんて気を起こしたら、俺は警察に届ける」をロシア語にせよ。

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2014年03月16日

●続和文解釈入門第390回

『三訂和文露訳入門』9-8-3項に下記追記願う。
サイズを示す形容詞の短語尾には「~すぎる」という程度を越えたニュアンスが出る場合があるが、それも利用することができる。下記のчтобыは研究社の露露辞典にある結果の意味への転用だと考えられる。

(最大の罪を理解するには彼は小さすぎるし、弱すぎる)Он мал и слаб, чтобы понять высшую вину. <彼は小さすぎて、弱すぎるので、最大の罪が理解できない>

出題)「欠点のない人はいない」をロシア語にせよ。

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2014年03月17日

●続和文解釈入門第391回

二重否定についての第373回の本文を下記に差し替えてほしい。
10-20 二重否定

二重否定というと、否定を否定して修辞的に肯定を示すものと考えがちである。

(それはあり得る)Это не исключено. <не исключено = вполне возможно, вероятно>
(欠点のない人はいない)Нет людей без недостатков. <みんな欠点を持っている>
(それは嘘に他ならない、嘘に違いない)Это не что иное, как ложь. <не что иной, как = именно, как раз>
(彼こそラープチェフだ)Это был не кто иной, как Лаптев. <не кто иной, как = именно, как раз>
(彼は飲むのが嫌いではない)Он не не любит выпить. <неが二度続く稀な用法>
(自分の利益をユダヤ人が逃さないわけではなかった)Не не упускали своей выгоды евреи. <неが二度続く稀な用法>

ところが、それ以外にも「なくはない」というように、「ある」と同義ではないものがある。「なくはない」には、部分否定のように、あることはあるが、量が少ないとか、見せたくないとか消極的なニュアンスが感じられる。ロシア語にもこのような部分的な二重否定はあり、2008年版アカデミー露露辞典のнеにも同意の意味утвердительное (= выражющее согласие с чем-либо; подтверждающее что-либо) значениеを挙げているが、語義から判断して消極的な同意と理解される。このような部分的な二重否定にはнельзя (невозможно) не + 不定形の他に、не могу (смею) не + 不定形があり、その例で説明すると、Я не могу не согласиться.(直訳すれば「同意しないことはできない」)はЯ могу согласиться.(同意することができる)と同じ意味ではない。ザルービンの露和辞典にはне могу не = вынужденとあり、Русский язык Экнциклопедия, Филин Ф. П., Советская энциклопедия, 1979では否定の否定は肯定的意味となり、не могу не = долженとなっているが、いずれにせよ「賛成せざるを得ない」か「賛成しなければならない」と訳すべきであって、「賛成してもよい、賛成できる」という意味にはならないことが分かる。ロシア語でもこのような部分的な二重否定は婉曲的な言い回しゆえに、暗示的な、消極的なニュアンスが出るのだと思われる。не без того (этого)も口語で確認を示す同意(まあそうだ)を示し、これも消極的なニュアンスがあるのは次の例文を見ても分かる。

「疲れたようだね?」- Ты, кажется, устали?
「まあね」- Не без этого.

 この他にこのような部分的な二重否定の例文を挙げる。

(憲法に関する仮定は確固たる基盤を欠いた噂以上のものではなかった)Предположение о конституциях представляло не более как слух, лишённый твёрдого основания.
(彼にはユーモアのセンスがなくはない)Он не лишён чувства юмора.

 次にこのような部分的な二重否定の要素が含まれている形容詞(副詞をその形容詞から作るのは可能である)を挙げる。

небезвыгодный(悪い話ではない)、небезграничный(無限ではない)небезгрешно(罪がなくはない)、небезоблачный(心に曇り一つないというわけではない)、небезосновательный(いい加減というわけでもない)、небезопасный(危なくなくもない)、небезразличный(まんざらでもない)、небезынтересный(興味がなくもない)、небезывестный(心当たりがないでもない)、небесполезный(役に立たないわけではない)

 このような部分的な二重否定に近い用法として次のようなものもある。

(詐欺のない日はほとんどなかった)Редкий день обходился без мошенничества.
(テロの脅威を過小評価してはならないが、過大評価もすべきではない)Угрозу террористических актов нельзя недооценивать, но и переоценивать не следует!

出題)「やがて有線放送は過去のものとなる」をロシア語にせよ。

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2014年03月18日

●続和文解釈入門第392回

『三訂和文露訳入門』ではアオリスト的用法のところにあったみなし反復を新項目とし、いくつか加筆した。

2-1-6-1 みなし反復

 一見その動詞が初めて出てくるのにもかかわらず、不完了体が使われることがあるが、よく文脈を見ると、すでにその動詞に関する状況設定がなされている、つまり踏み台(踏み段)のように、場がすでにこしらえられていることが分かる。つまり意識下において、使われる動詞は新規に使われるのではなく、反復であるという認識(みなし反復)から不完了体が用いられることになる。

(だって彼はもうここに来ていたよ。私と一緒に地震の後に来たんだよ)Он ведь уже был здесь – приезжал со мной после землетрясения.

「この前はいつサラートフに来たのですか?」- Когда в последний раз были в Саратове?
「昨年の選手権の決勝戦のときです〔のときに来ました〕」- Приезжал в прошлом году на финал чемпионата.

上の文は来たというのは分かっているわけで、いわば、刺身のつまのような用法であり、приезжалがなくても意味が通じると言える。быть動詞の反復を避けて、運動の動詞を使うという意味もあり、そのような動詞に焦点が来ない場合には、不完了体動詞過去形が来ると言える。来たことはあるが、それがいつなのか、あるいは何回なのかも分からないというのが、一番自然な不完了体動詞過去形の使い方である。

 不完了体は本質的に回りの状況に沿って行われる動作を示すが、これは予め状況が設定されている、つまりすでに心理的な踏み台が存在しているということでみなし反復を意味する。それゆえ不定法の切迫感や命令法の促し(着手)もこれと同じ発想にあると言える。

(みなさん準備オーケーですか?みなさんチーズしてますか?(それでは)撮ってよろしいですか?)Все подготовились? Все улыбаются? Можно снимать? <最初の二つの文で話し手が写真撮影をしようとしていることが分かる。これが「踏み台」であり、そのために、
最後の文で切迫感(もうそろそろ)や促し(着手)の不完了体不定形が来ることになる>

(ちょっとといっても量はいろいろだ。目でどのくらいか教えてください)Чуть-чуть имеет разные объёмы. Показывайте глазами – сколько. <酒を注ぐときなど>

 前の文は状況設定という意味合いがあり、「だから~しなさい」ということで、動作をしてもらうことが話し手にとっては当然ということになり、着手とか促しという意味での不完了体命令形を使うことになる。

出題)「(ラジオの)裏ぶたを取ると電源は自動的に落ちる」をロシア語にせよ。

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2014年03月19日

●続和文解釈入門第393回

『農奴解放から革命前のインテリの日常生活Повседневная жизнь русской интеллигенции от эпохи великих реформ до серебрянного века』Экштут, Молодая гвардия, 2012という本を読んだが、その中でギムナジウムではラテン語やギリシャ語が必須科目であり、ギムナジウムを卒業さえすれば無試験で大学に入学できたとある。こういう古典語学重視のため、自然科学やフランス語、ドイツ語など外国語は実業学校で教えられるだけで、実業学校の卒業生が大学入学を目指すとしたら、ラテン語の試験を受ける必要があったという。その頃の古典語学は暗記ばかりで、いわば死語を学ぶわけで、体を壊したりや精神的に参った学生も多かったという。青春時代の一番頭の柔らかい時期に暗記を強要させられることほど、学びに対して嫌悪感を抱かせるものはない。現代では英語についても、暗記が中心になってはいないだろうか?英語の文法などもそれなりに面白いと思うし、それが和文英訳に大いに役立つと思うのだが。

 翻ってロシア語はというと、格変化や動詞の活用を暗記しなければならないのはやむを得ないとして、うまくなるには文章の丸暗記ばかりのようで、それが勉強のやる気を削ぐような気がしてならない。そうではなくて、文法こそが会話の上達する王道であり、早道であるということを教える方がよく理解する必要がある。文法を覚えるための例文としての暗記と、例文の機械的な丸暗記ではずいぶん違う。会話には体の使い分けができないと動詞が使いこなせないはずなのに、教える側でそれをよく理解していない人ばかりのように思われるのはおかしい話だ。つまりは教える側も通り一遍の会話の例文の丸暗記のみに終始しているように思われる。

出題)「彼はこのサッカークラブに所属している」をロシア語にせよ。

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2014年03月20日

●続和文解釈入門第394回

『三訂和文露訳入門』の3-1-4-1項に『デパートのアナウンスで、「ただ今8階ではバーゲンセールを開催中であることを、御来場のお客様にご案内申し上げます」とはならずに、聞き手に理解しやすいよう、「御来場のお客様にご案内申し上げます。ただ今8階でバーゲンセールを開催中でございます」と二つの文に分けるのが普通である。だからこのような和文を露訳するときには、直訳して二つの文にすると、最初の文は完了体動詞未来形を使うことになり、また接続詞もなく、ロシア語として非常におかしな文となる。そのため、Дорогие покупатели! Мы сообщаем Вам, что сейчас идёт распродажа на восьмом этаже. のように元の遂行動詞を含む文に復元して訳さないと、ロシア語としては正しい文とは言えなくなる』と書いたが、よく考えてみると、同時通訳やウィスパリング通訳で応用できるものである。Я думаю, чтоを「考えますに(思いますに)」とするような頭ごなし訳の他に、このようなテクニックも覚えておくとよい。

 この頃のNHKアナウンサーも、その日のニュースの紹介をする時に、例えば出だしでいきなり、「強盗傷害として捜査中です」、「車が立ち往生」、「舛添氏が当選しました」いうように、いつどこでを言わずに、次の文で詳細を述べるというのは、日本語としておかしいいように聞こえるが、重要性の高い内容を先に伝え視聴者の関心をとどめておく(チャンネルを多局に切り替えさせない)という点は、日本語の今後を占うというか、日本語の未来を暗示する一つの流れであるように感じられる。

出題)「釣り糸を硬貨につけてする自販機のイタズラが流行っていた」をロシア語にせよ。

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2014年03月21日

●続和文解釈入門第395回

『三訂和文露訳入門』9-4項に下記追記乞う。

 людиにも日本語の世間 (= все другие, окружающие) に近い意味があり、不定人称文の主語に相当する働きが可能である。

(人がなんて言うだろう)Что люди скажут. <熟語的表現>

またчеловекにも「だれか」он, кто-то, нектоという意味があるが、上記の「人」の用法とは違い、三人称単数を意味する。особаは人を指し、名前が分からないか、言いたくない場合、あるいは「お方」というように女性を示す時に用いられる。

(突然私は、だれががお尋ねですよと言われた)Вдруг говорят мне: человек вас спрашивает. <歴史的現在の用法>

出題)「ある程度コツをつかめば、さらに電気湯沸かしで玉子を茹でることもできた」をロシア語にせよ。

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2014年03月22日

●続和文解釈入門第396回

ロシア語上達のコツは、どんなことでもいいので、ロシア語に関する疑問を見つけ、それの回答を得ようと努力することである。答えを見つけるのはインターネットの発達した現在比較的簡単だし、私に聞いて下さればお手伝いする。難しいのは常に何事にも疑問を抱き、何が分からないかを知ること、つまり「どんな問いを立てるか」である。почемучка(常に何事にも疑問を抱く人)になることを恐れる人は何事も上達しない。

出題)「問題となったのはセット部品だった」をロシア語にせよ。

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2014年03月23日

●続和文解釈入門第397回

今まで何冊か本を出版したが、誤植は別にして、出した本について何かを追加したいとか訂正したいというのはあまりなかった。あっても1行や2行程度である。ところが『和文露訳入門』の場合はすでに『三訂和文露訳入門』を上梓しているのにもかかわらず、まだ追加作業を続けている。なぜかというと、それ以外の私の本は著者である私から読者への一方通行だったが、『和文露訳入門』はこのコーナーの本文で書いたことが元になっているとは言うものの、和文露訳の出題(短文)に関する投稿者からの回答へのコメントに触発されたことがフィードバックになっている。つまりなぜこういう説明では理解しにくいかということを、何人か優秀なロシア語の使い手からヒントをただでいただけるわけである。ロシア語の授業で大勢の生徒や学生を相手に授業をしている何人かの先生の話では、ロシア語の授業そのものよりも、ロシア語をやる気が全然ない生徒たちから、いかにやる気を引き出すかに腐心されているかのような印象を受けた。体の用法など中級文法に関しては、当然のことながらロシア語入門者や初級者からの回答を期待できないといってよい。やはり上級者でロシア語がもっと上手になりたいというやる気のある人でないと、こちらの勉強にもならないし、ここに投稿していただいている学習者はすべてそういう投稿者ばかりだから私は幸せである。

出題)「彼の手からカバンを取り、鍵を開けて、中味を机にぶちまけた」をロシア語にせよ。

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2014年03月24日

●続和文解釈入門第398回

『三訂和文露訳入門』に下記追加補正した。

9-4 受動態と不定人称文

9-4-1 受動態

日本語ではどの動詞でも受動態(受け身)を使うのは文体上好ましくないとされるが、それでも主語をぼかしたいときなど受動態を使わざるを得ないときもある。ся-動詞の完了体はотклеиться(はがれる)など自動詞が多いが、ся-動詞の不完了体や被動形動詞過去形短語尾で受動態が作れるものがあり、それらは表示するかどうかは別にして動作主がある。行為者を造格で示すのは事務的な文体であり、口語体の文では少ないと言える。ただ他動詞であれば、ся-動詞で受動態を作れるというものではない。3-1-1-4項の非情の受け身にあるように、ся動詞(受け身)の主語には生物など意志をもったものはなれないのが普通だからだ。完了体の用法で動作主を考慮に入れた受動態を作るには、被動形動詞過去形短語尾を使えば、動作主は生物でも無生物でもよいが、意味が動作の遂行を表すことになってしまう。
そのため動作主が不定の人であることが含意されている場合、完了体や不完了体という制約を考えずに主語をぼかしたいのであれば不定人称文を、動作主が事物を含意しているのならся動詞(受け身)か被動形動詞過去形短語尾を使うのがよい。特に、反復や動作の一般化ということなら、不定人称文を勧める。不定人称文は完了体も不完了体も過去の時制でも、現在の時制でも、未来の時制でも用いられる。こうすれば「ひとりでに~した」というような自発的な要素は排除できる。自発的なニュアンスを出すためにはся-動詞の完了体を使えばよい。これは過去の時制、現在の時制、未来の時制、不定法にすべて当てはまるわけで、受動態を作る時にも体による使い分けが必要となる。反復や過程の用法であれば、ся動詞の不完了体を、具体的な1回の動作を意識するのであれば被動形動詞過去短語尾を、9-4-2項の不定人称文はどちらにも使えることになる。ся動詞の完了体は原則として受動態として用いられないが、окунуться(包まれる), осветиться(照らされる), покрыться(おおわれる), смениться(取って替えられる)などは、例外的に人間の意思に関わりない行為又は現象を指す場合に用いられることがある。

(犯人は捕まえて、棒打ちにしなければならない)Преступник должен быть схвачен и побит палками. <具体的な1回の行為>
Дом строится.
(筆記試験問題が先生によって採点されている)Письменные работы проверяются преподавателем. <能動文ではПреподаватель проверяет письменные работы. となり、文脈により反復、過程いずれもありうる>
(野原は雪で覆われた)Поля покрылись снегом. <ся動詞の完了体で受動体になる稀な例で、結果の存続かアオリスト的用法である>

9-4-2 不定人称文

出題)「彼は今どこにいるはずなのかを地図で確認した」をロシア語にせよ。

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2014年03月25日

●続和文解釈入門第399回

『タイム』誌の2014年2月2日号にmindfullnessの特集をしていた。これは心の充足感とか満たされた心とでも訳すのだろうか、瞑想を中心にしたもののようである。創始者は禅のコースに通って、自ら瞑想法を編み出したという。思うに、アメリカはキリスト教の国であり、禅は仏教の一派だから、禅の座禅などの瞑想法から宗教的なものを取り去ったもののようである。宗教を伴わずに、瞑想だけで心のトレーニング法として成り立つのかどうかという疑問もわくが、瞑想を瞑想だけで体系づけたというのは、目からうろこと言うべきものかもしれず、忙しい欧米人には斬新に映ったのかも知れない。確かに、宗教というのに無理にとらわれずとも、それに禅だって宗教ではあるが、つきつめればとらわれない心を目指しているのだろうと思うから、要は瞑想というものを自分なりに取り入れるというのも悪いことではないと思う。

出題)「彼のどこがいいの?」をロシア語にせよ。

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2014年03月26日

●続和文解釈入門第400回

多分この回をもって通算で和文露訳短文千題を達成ということになると思う。投稿者の皆様のおかげで3年ほどの間にここまで来れたことに深く感謝するとともに、感慨深いものがある。和文露訳の問題集は単独というのはあまりないのかもしれないが、出題数の上では自負しているし、『三訂和文露訳入門』を出版したので、投稿者の寄せる回答について体系的なコメントや解説ができるのが強みだと思っている。後どのくらい続くのかは分からないが、できるだけ続けたい。

 工場で使う用語で改善(かいぜんKaizen)というのがあるが、日本の製造業で生まれた工場の作業者が中心となって行う活動・戦略のことであり、これはулучшениеではなく、постоянное совершенствованиеとビジネスロシア語では訳される。意識しているわけではないが、まさにライフワークである『四訂和文露訳入門』(原稿)を日々改善しているところではあるが、いつ四訂版が出せるのか目処が経たない。今のところ500ページを越えた。

出題)「ご親族でガンにかかられた方はいらっしゃいますか?」をロシア語にせよ。

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2014年03月27日

●続和文解釈入門第401回

海外の日本人妻という番組でサンクトペテルブルグに嫁いだ女性の話を見た。旦那さんが見栄っ張りで、日本からのテレビ取材なのでベンツを借りたり、家も父親の別荘(ダーチャではなく、別荘である)を借りたり(毎週末行っているのならこれ自体はおかしいとは思わないが、要はパパがお金持ちということが分かる)ということからロシア人は見栄っ張りであり、これはソ連時代、みな貧乏だったからその反動だという説明を若いロシア人たちがしていた。これ自体は間違いだとは思わないが、革命前の近衛兵や軽騎兵は貴族でもよほど金がないと、衣服や付き合いに金がかかり、つきあいを断ろうものならケチというあだ名がつくのをロシア人貴族は病的に恐れた。これはフランスやドイツなどに対する文化や技術面での遅れをロシア人が自覚しており、その劣等感の裏返しであろう。ソ連時代にもアメリカに対する劣等感はあり、その裏返しである見栄張りが表面に出てきただけであろう。しかし、世界の文学を数多生みだしてきたロシアのこと、そのコンプレックスを跳ね返すのもごく近い将来であろうと私は見ている。

 同じ番組でロシア人がサプライズ好きであり、これには金も時間もかけるわけで、こういう人は回りも含めてボケないと思う。しかし、回りにこういう人がいると疲れるなという気はする。

出題)「その日から彼は大酒のみではなくなった」をロシア語にせよ。

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2014年03月28日

●続和文解釈入門第402回

「~によって」と手段を示す語句には、путём + 生格やпосредством + 生格が用いられるが、ともに一般的に動詞派生型の名詞(動名詞)が接続する。物や人が対象であればпри помощи (с помощью) + 生格だが、『ロシア文学鑑賞ハンドブック』(中沢敦夫、群像社、2008年)の298ページにс помощьюとпри помощиの例が挙げており、後者は人間の場合にのみ用いられる表現とある。しかし、難語辞典Словарь трудностей русского языка, Русский язык, 1981には、両者の意味は一致するとあり、Дверь открывается и закрывается при помощи сжатого газа.(ドアは圧縮ガスにより開閉する)という例が挙げられているし、最新のアカデミー版露露辞典にも並べて載っていて、意味の違いには触れられていない。現代語では用例に特に違いはないと思われる。

 同じようなことはпринадлежать + 与格やпринадлежать к + 与格にも言える。私が学生の頃は前者は所有を示し、後者は「~の一つである」という意味の違いがあると教えられたが、最新のアカデミー版露露辞典を見る限り、特に違いはないようである。

出題)「先のとがった屋根が何キロも先から見えた」をロシア語にせよ。

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2014年03月29日

●続和文解釈入門第403回

ロシア語は厳密だなと感じると気がある。例えば「冬」がいつの冬かというときには、日本語では2013年冬季限定のチョコとか、2014年冬のドラマと、話題の冬がどちらの年に当たるのかによって年が変わるが、ロシア語ではзимой 1941/42 года(1941年から1942年にかけての冬)という。夜中も同じで、в ночь с 31 декабря на 1 января(12月31日から1月1日にかけての夜中に)と言う。

出題)「自分に尾行がないかどうか見た」をロシア語にせよ。

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2014年03月30日

●続和文解釈入門第404回

日本語では「あなた」は目下に使うというニュアンスがあるので、それを使わずに、省くか、相手の名字を用いて二人称代わりにすることが相手への敬意を示す事になる。例えば、相手の名字が田中なら、敬語だけを動詞に用いて、「どうなさいますか?」と言うか、「田中さんはどうなさいますか?」という類である。このような人称の転用はロシア語にはほとんどないが、セミョーノフЮлиан Семёновの『Майор Вихрь(ウィーフリ〔旋風〕少佐)』を読んでいたら、次のような文を見つけた。ポーランド人の老婆がコーリャに話かける場面である。

(背広の背中のところが破れているのを御存じですか?)Пан знает, что у него порван пиджак на спине? <панはポーランド語でMrの意味だが、ポーランド語ではこのような人称転用が普通なのかもしれないし、それを作家がただ利用しただけなのかもしれない>

出題)「森で通信機の電源が切れた」をロシア語にせよ。

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●続和文解釈入門第405回

前回のコメントが1日ほど遅れるかもしれないので、先に出題だけしておく。

多くの語彙を覚えて、ロシア語の文法の奥義を極めたとしても、それでロシア語が分かるようになるわけではない。ロシア語を使うロシア人の文化や歴史、特に庶民の歴史と日常生活をできるだけ多く知る必要がある。そのために大いに役に立つのはМолодая гвардия(若き親衛隊)社でこの15年ほど出している、日常生活Повседневная жизниシリーズである。ロシアやソ連に関するものはほとんど買って読んだ。買えなかったのは潜水艦乗りと中性修道院の日常生活ぐらいだろう。今も未読のが手元に3冊ある。最近読了した『レニングラード包囲下の庶民の日常生活Повседневная жизнь блокадного Ленинграда, Яров, 2013』には、ショッキングな人肉食いканнибализмの話もあるが、それよりも淡々とした記述だからか栄養失調の実態の方が凄惨な感じを受ける。トイレの問題が非常に切実だったことが具体的例を挙げて、当時の庶民の日記を引用して生々しく語られており、このとき豆乳соевое молокоも供されていたことも分かる。バレリーナのКшесинскаяはニコライ2世の愛人だったことは知っていたが、今読んでいる『ロシア帝室劇場のバレリーナの日常生活Повседневная жизнь балерин русского императорского театра, Ковалик, 2011』にも、1905年の第一次ロシア革命の時にバレエ学校の乗った馬車に、「皇室の妾たちが乗ってるぞ」と民衆からゴミが投げつけられたとあり、バレエ学校が皇室や高官のハレムみたくなっていたことを示しているという興味深い挿話が載っており、ロシアの帝政が打倒されるのももっともだという気がしてくる。ロシアバレエのファンにとっては必読の文献のように思われる。昨年話題のボリショイ劇場の硫酸事件の淵源もこの辺にあるということか。このシリーズの本も初めはモスクワで買ったので1冊300円くらいだったのが、今や5000円ぐらいする。高いが自分の興味のあるテーマについて一読されることを勧める。

出題)「ドアは中から鍵がかかっていた」をロシア語にせよ。

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