2014年03月13日

●続和文解釈入門第387回

仮定法過去というのはあり得ないことがあると仮に想定したものであり、私は男だが、その私が、「私が女だったら」とか、「子供に戻れたら」という類であるが、可能性に関して言えば、仮定法過去を使わなくても過去の時制では可能な場合もある。

(昔ならこんなことでも彼らを処刑しなければならなかった)По прежним временам их должны были казнить за такое.

出題)酒を注ぐ時にちょっとと言われて、「ちょっとと言っても量はいろいろだ。目でどのくらいか教えてください」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2014年03月13日 07:32
コメント

Не ясно, сколько
немножко.
Покажите на глазомер.
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сколько = как многоですから、この後にнемножкоを続けると意味がよく分からなくなります。その後の文は目分量で示せということですから違います。もっと問題なのは完了体の命令形を使っていることです。これはまったく新規の動作ではありません。前の文が次の文への一種の踏み台(みなし反復)として機能する用法で、まわりの雰囲気に合わせての着手や促しの用法です。私の答えは、Чуть-чуть имеет разные объёмы. Показывайте глазами – сколько.
そのくらいと言葉でいうときはХорош.と言う。これは車などの駐車の時のオーライという意味でも使える。
 『三訂和文露訳入門』2-2-1-2項の後半を参照ください。4訂版を出すとすれば、2-1-6-1項みなし反復として項目を新たに立てることになるでしょう。

Posted by ブーチャン at 2014年03月13日 08:24

Слово "чуть" значит по- разному.Покажите подмигиванием когда хватит.
よろしくお願いします。
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大体これでよいと思いますが、肝心の命令形が完了体では、違和感を感じます。ぶーちゃんさんのところにも書きましたが、最初の文で、いわば状況を設定したわけです。つまり「だから~しなさい」という文では、動作をしてもらうことが話し手にとっては当然と言うか、自然ということになり、着手とか促しというような用法を使うことになります。

Posted by yama at 2014年03月13日 22:13

よろしくお願いします。

Слово«немножко» обозначает разные объёмы.
Скажите так, как видимо понятно, сколько вам налить.
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体の用法が違います。それとвидимо понятноでは目で知らせるの「目で」にはならないでしょう。素直にглазамиとした方が自然です。

Posted by Женя at 2014年03月13日 22:39

Хотя говоришь немного, количество по-разному. Указывайте мне глазами сколько.
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全体を反復の用法でまとめているのですが、正解としてもよいでしょう。ただ、飲み会などの具体的な場で言われる可能性の方が高いと思います。そのときはどういう体の用法になるか考えてみると勉強になるでしょう。細かいことをいえば、количество бывает разноеのように動詞を入れたほうが、文のすわりがよいように思います。указатьとпоказатьはジェスチャー、動作、視線で注意を向けると言う意味では同義語ですが、показатьの方が口語的です。
 しかしговоришьを遂行動詞としてとらえ、указывайтеを着手として使っているのなら、それはそれで完璧な正解です。

Posted by ゴ at 2014年03月13日 23:55
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