2014年03月14日
●続和文解釈入門第388回
『三訂和文露訳入門』に下記追記願う。
9-13 繋辞(連辞)
繋辞(連辞)связкаというのは主語と述語をつなぐもので、動詞ではбыть(~である), бывать(しばしば~である), казаться(~のように見える), называться(~と呼ばれる), оказаться (оказываться)(~である), делаться(~となる), остаться (оставаться)(~のままである), стать (становиться)(~となる), считаться(~と見なされる), являться(~である)があり、вот(ほら), значит(つまり), это(それは), это значит(それはつまり)も、как будто(~のような), словно(~のような), точно(まさしく)にも繋辞としての機能がある。
(学ぶことは、すなわち成長することである)Учиться – значит расти.
(会うと毎回お祭り騒ぎである)Каждая встреча словно праздник.
(夜毎に冷えてくる)Вечера становятся холодными.
(共産主義、それは若さである)Коммунизм – это молодость.
(大聴衆の1回生の中で私は一人の娘に気がついた。それはスヴェトラーナで、私の未来の妻だった)В большой аудитории среди перевокурсников я сразу же заметил девушку. Это была Светлана, моя будущая жена. <это значитからзначитが取れたと思われるもので、Этоは繋辞。>
「それは大きな喜びだった」という文を訳すと、
Это была большая радость. <Этоは繋辞で、主語はбольшая радость>
Это было большой радостью. <主語はЭто>
となるが、二つ目の文は、この文単独で存在できるのではなく、次のような先行する文が不可欠だと思う。つまり、二つ目の文のЭтоは文全体を受けており、単に主語としての役割を果たしているに過ぎないと思われる。
(彼は何週間も後に来るはずだったが、彼は母をびっくりさせたかった。それは大きな喜びだったから)Он должен был приехать недель позже, но ему хотелось сделать матери сюрприз. Это было большой радостью.
бытьは繋辞としては現在の時制ではестьとなり、複数の場合はсутьだが、естьは科学実務関係や評論で使われるとはいえ、сутьの使用は稀である。普通はестьは省略されるが、主語と述語が全く同一の場合は、他に普遍性を示すような副詞が入らないければ省略しない。
(兄弟は医者である)Врат – врач.
(農業はまさに仏教の実践である)Земледелие и есть буддийская практика.
(母は母だ)Мать есть мать.
(子供はいつまでも〔どこでも〕子供だ)Дети всегда (везде) дети.
(キリスト教史における異端の全ては反乱である)Все ереси в истории христианства - суть бунты. <естьやэтоを使うのが今や一般的。>
出題)「読後焼却のこと」をロシア語にせよ。
Сожги после чтения.
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ガイド試験や学校の和文露訳の試験であれば、正解となるのでしょうが、二つほどコメントします。読後焼却というのですから、人に見られては困るわけで、読んだ直後ということは明白です。послеで、「~の後」という意味の前置詞ですが、特に直後というニュアンスはなく、ある一定の時間の後ということもあり得ます。そのため直後と確実にするためには、сразу послеのようにします。もう一つは、読後とあるのですから、全部読んでからというのは明白です。чтениеは一読でも、ちょっと読んだもの、全部読んだものすべてを指しますから、これではまずいでしょう。私の答えは、По прочтении сжечь.
После прочтения сжечь.
сжечьとпрочитанныйでネット検索したら、いきなりヒットしてしまいました。
映画の題名だったのですね。
最初は、相対時制を使って
Сожгите после того, как вы прочитали.
としました。
(после того, как) の代わりに(, когда)と入れたいところでしたが、和文解釈第234回に「когдаは同時性を示す」とあったので避けました。
ようやく和文解釈第260回まで読み終えました。
まだ先は長いですが、地道に続けたいと思います。
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後3カ月ほどで和文露訳の短文千回達成しそうですね。そうなると史上初ということになります。それが何かの役に立てればいいのですが。出題は映画のBurn after readingとは関係がありませんし、このアメリカのブラックコメディー(私は見たことはありませんが)の題名を露訳したロシア人(多分)は、英語からの直訳であり、ロシア語の語学的センスがないか、映画の訳ではよくあることですが、語呂合わせが悪いと感じて、послеを使ったのでしょう。ネットにあるものが正しいとは限りませんし、ロシア人が言ったとか、書いたから正しいロシア語というわけではありません。何事にも専門というものがあります。
По прочтении -сжечь.
よろしくお願いします。
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正解です。ダッシュかハイフンは不要です。
После чтения тебе требуется сжигания.
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после чтенияは間違いです。ブーチャンさんのコメントを参照ください。требуетсяなのにсжиганияと複数なのはどうしてでしょう?生格なら違います。無人称動詞なら不定形のはずです。