2011年03月25日

●東日本巨大地震

東日本巨大地震、津波、福島原発事故で被害を受けた方々に謹んでお見舞い申し上げます。一日にも早い復興を祈っております。
 このたびはロシアも155人の救援隊を送り、仙台周辺にベースキャンプを張り、災害救助車両、探索装置、ディーゼル発電機を持ち込み、112体の遺体を収容したとの報道に接しております。
 さて節電を進め、買占めしないなど自分なりにできるだけお役に立ちたいとは思っておりますが、専門のロシア語を通じてなにかできないかと考えておりました。仕事で技術通訳・翻訳をしておりますから、ロシア救援隊のお礼も兼ねて在日ロシア人の方に翻訳をすればよいのでしょうが、それでは効率が悪いように思います。こういう必要な翻訳にみんなが少しずつ空いている時間に家でできるようなシステムづくりが必要だと思います。そこで私の提案ですが、

1) 翻訳するものを段落ごとに決まったサイト(管理人の許可が出るなら例えばロシアンぴろしきの掲示板)に投稿する。こうすればその段落の日本語の下に露訳をつけてゆけばよい。すぐ更新すれば(あるいは翻訳するという意思表示でもよい)、翻訳者が重なることはない。こういうサイトの設定や更新・運営はロシア語ができない人や翻訳に自信がない人にもできます。若い人でコンピューターに詳しい方などどうでしょう?
2) ロシア語の翻訳の援助はしたいが、翻訳をしたことがなく、単語や言い回しが分からないものがあるからと躊躇している方もおられるでしょう。無論分からない語彙が多ければ翻訳できませんが、少ないのであれば、私のようなプロの翻訳者が手伝えば翻訳できますし、翻訳の練習・勉強にもなります。

 そこで翻訳したいが、語彙が分からないという人は、是非このコーナーに投稿ください。公開してより多くの人のお役に立てたいと思います。ただ誤解を避けるために申し上げますが、今私がそのような翻訳を依頼されているわけではありません。このような形でお手伝いできるのがベストと考えております。次の文章は何日か前に書いたものですが、ご参考になれば幸いです。
 前に時事ロシア語はそれほど難しくはないと書いた。それは日本的な表現「たおやかな」とか「まったりした」とか、「腹芸」などに比べてという意味でもあるが、実際に和文解釈をする上で、例えば「被災地」をロシア語で何と言うか調べてみよう。無論和露辞典には載っていないだろう。技術関係の単語であれば、私は一応技術通訳のプロなので、露英技術辞典(4巻本収録語数50万語)や英露技術辞典(2巻本20万語)のほかにも、分野毎に(例えば鉄鋼関係の露英辞典、露和辞典、船舶関係の英露辞典、露英辞典など収録語数各10万語)専門事典を400種(冊数はもっと多い)所有しているからよほど最新の単語でなければ大抵は対応できる。ただよく使うのは所有している辞典の5%ほどである。技術の基本的な語彙を知っている人なら、露英技術辞典を英露のように活用できるテクニックもある。ただ時事ロシア語となると、名前の通り最近の語彙が多いため辞典は使えないことが多い。
 そこでインターネットを使う。漫然とやってもしかたがないので、アルク社の無料和英辞典を使ってみる。被災地だとsuffered are, quake-stricken area, disaster(-stricken) areaなどが出て来る。今度は英露辞典(3巻本25万語収録)で見てみるが、時事関係には使えないことが分かった。それで露和辞典で苦しむという意味のстрадатьを見てみた。確かに「今苦しんでいる」からстрадающийかと思ったが、何もない。完了体の結果の現存と考えて、пострадавшийを見てみると、被災者とある。それでпострадавшие районыというのをヤンデックスでみてみると、いっぱい出て来る。これ一つでは言い換えが出来なく心細いので、もう一つぐらい見つけることにした。поразитьはどうだろうと調べてみるが、これは病気関係でないと使えないようだ。そこで和英に戻ってdisaster areaを直訳してみる。この場合の災害は天災だからбедствиеを使うはずと考えрайон бедсвияを、ヤンデックスで見ると、あった。
 同様に「土壌の液状化」を調べてみる。「液状化」は液化だから技術用語ではсжижениеである。そこで直訳してみることにした。сжижение почвыをヤンデックスで見てゆくと、いくつか出てきて内容的にこれでいけそうだ。今回は非常にラッキーだった。無論技術用語なら、アルク社の和英辞典でliquefactionを見つけ、それをそのままヤンデックスで調べてもсжижениеは出て来るはずである。無論сжижениеのほかにожижиениеやразжижениеの単語が出てくる可能性はあるが、ヤンデックスで液状化とよく出て来る斜面склонなどと一緒に検索すれば正しいサイトに出くわす確率が高くなるはずである。
 今回のような大規模災害はмассовые бедствияという。不要不急というのもよく聞くが、これはпока ненужныйでいいのではないか?また低体温症というのがあり、これはгипотермияで、力点はмиに来る。また今マスコミでよく使われる単位にシーベルトがあるが、ロシアではレムбэр (биологический эквивалент рентгена) やレントゲンрентген(複数生格はрентгеновまたは рентген)を使う。100レム(照射の生物学的作用を考慮した上でレントゲンとみなしてもよい)が1シーベルトに等しい。ロシアでも専門家は知っているので、一応ロシア語を書いておくとзиверт(単位はЗв)である。力点はиにくる。ベクレルはбеккерель (Бк)で、力点はреにくる。ガイガーカウンターは正式にはгазоразрядные счётчики Гейгера – Мюллераだが、普通はсчётчики Гейгераという。ガイガーカウンターは放射線の数だけ数えるもので、エネルギーを計るものではない。放射線の線量を計るものは線量計дозиметрという。力点はзиに来る。

Posted by SATOH at 16:34 | Comments [1]

2011年03月24日

●日本の心 第23回

(112) 「ハイネ世界周航日本の旅」、中井晶夫訳、雄松堂書店、1983年
 ペリー艦隊に画家として同行したドイツ人ヴィルヘルム・ハイネ(1827~85)の日本紀行。原文はドイツ語。ハイネの父は大音楽家ワグナーの幼友達。アメリカに帰化し、ペリー提督の船で1853年、54年訪日。ペリーの遠征記録と似たようなものだが、箱館では流砂に腰まではまり死にかけたとか、クマ狩り(熊には出会わなかった)をしたとか現在の函館とは想像もできないことが分かる。ペリー艦隊が水や燃料の基地を琉球においたが、1854年残留した米兵の3人が那覇で民家に押し入り泥酔し、しかもその中の一人が別の民家で50歳の女性を強姦し、そのため親族や村人に石で打たれ、溺死したという事件があった。殺人事件としてペリーは犯人の処罰を求めたが、事件の内容が分かるにつれて、犯人の引き渡しではなく、琉球での処罰(流罪)で合意した。現在の基地問題の原点である。これについて本書ではある事件が起きたぐらいの記述だが、原因はその頃立ち寄ったプチャーチン率いるロシア船の船員たちがこれら米兵を甘やかした(酒を飲ますことを覚えさせた)事に原因があると書いているのには驚く。アメリカの水兵がお歯黒を自分で試してみて、8日の間口がパンケーキのように腫れ、歯茎が侵されほとんど歯がなくなったと書いており、鉄漿の使い方を聞かなかったものらしい。しかしこの何でも試してやろうという気構えには感心する。ハイネはオイレンブルクの訪日にも乞われて参加したが、アメリカに帰化したという事で使節団中では浮いていたらしくオイレンブルクとの関係も冷ややかなものだった。

(113) 「グレタ号日本通商記」、リュードルフ、中井赳訳、小西四朗校訂、雄松堂書店、1984年
 アメリカに用船されたドイツの帆船グレタ号の荷物上乗人(代理人)リュードルフの函館及び下田の日記。1857年初出。グレタ号(船長はタウロフ)は1855年日米和親条約直後箱館に5週間滞在、後に死も他6カ月滞在した。通商条約が結ばれていないために貿易はできないはずだったが、身の回りに必要なものであるとか、下田の地震で沈んだヂアーナ号の乗組員の残り270名をロシアに運んでほしいという日本側の要望につけこんで、積んでいた荷物を引き取ってもらう条件をつけるなど、なかなかの商人ぶりを発揮する。リュードルフは英語、オランダ語に堪能であり、日本に対しても偏見を持っていない。函館には犬が多く、スピッツに似ているとか、若い娘はほうとうにきれいな外貌をしていて、抜けんばかりの白い顔をしているとか、日本人の皮膚は明褐色とか、既婚婦人は鉄漿や眉を剃っており、ひどく嫌らしい感じがするなどと記している。本書ではイギリスのジェームズ・スターリング提督の和親条約を結ぶための長崎や箱館訪問についても触れている。日本側は交易品として武器を欲しがったことが分かる。ヂアーナ号のロシア人(最初のグループ)を運んだカロライン・フート号のリードやドハティの夫人同士の軋轢などについても触れているのは面白い。下田で船長とともにドイツにも和親条約締結について進言しているのは愛国的行為である。奉行の答はドイツからしかるべき使節が来ればドイツとも条約が結ばれるだろうとのことだった。祭りや盆についても実見したと記載している。日本の葬式も見ており、死後硬直を解く土砂について書いてある。土砂を手に入れようとしたが果たせなかったと言い、その効き目については疑問をもっている。日本の葬式は秩序もなく、結構騒がしいと書いている。グレタ号には樽に隠した橘耕斎を運び入れた。これをタウロフ船長は見たと書いている。ロシア人をのせたグレタ号はオホーツク海で英国の軍艦バラクータ号に拿捕され、ロシア人は香港に連れ去られた。リュードルフは日本に小銃を売り、日本の商品を買うため日本に残っていたため難を逃れた。日本人は知識欲の強い国民だとしている。末尾に独和語彙集がついていて、日本語の単語にアクセントがふられているのはご愛嬌。

(114) 「ハリス日本滞在記」、タウンゼンド・ハリス、坂田精一訳、岩波文庫、1944年および1954年
 1856~62年日本に滞在した初代駐日アメリカ総領事タウンゼンド・ハリス(1804~78)の日記(1856~58年)。ハリスは散歩の好きな人で日本および日本人を非常に注意深く観察している。ハリスは13代将軍徳川家定に謁見した。日記を読む限り滞日中は体調不良が続いたようで、ハリスが重篤なチフスで重体に陥った時にヒュースケンの依頼で下田の芸者唐人お吉(1841~1890)がハリスの世話をしたというが、ハリスの年齢(当時52歳)、病気であったこと、ハリスは生涯独身で厳格なキリスト教徒(プロテスタント監督派であり、日曜は公務を断り祈祷書を読んで過ごした)であったことから、性的関係はなかったと思われる。もっともヒュースケンの日記にもヒュースケン自身の愛人の記載はないが、3人日本女性の愛人がいたことが分かっている。まあ普通下半身の事柄については自分の後世読まれるだろうという日記には書かないだろうけど。

(115) 「ヒュースケン日本日記」、ヒュースケン、青木枝朗訳、岩波文庫、1989年
アメリカ側全権使節ハリスの通訳兼書記オランダ人ヒュースケンの1855~1961年の日記(1856~61年滞日)。彼は1961年浪士の襲撃に遭い虐殺された。最初の通商条約交渉についての外交上の苦心が主で、観光案内の類は非常に少ない。おおざっぱな人柄のようだ。

Posted by SATOH at 13:55 | Comments [0]

2011年03月20日

●日本の心 第22回

(109) *「ペリー艦隊日本遠征記」(2巻)、オフィス宮崎編訳、万来舎、2009年
ペリー艦隊の正式報告書3巻のうち第1巻の新訳(第2巻は動植物、第3巻は黄道光に関したもの)。一般大衆をも対象にしているようで、読みやすくしかも徹底している。シーボルトとの確執が面白い。本書を読む限り、ペリー提督(1794~1858、正確には代将)はプチャーチンなどと比べても戦略的に抜きんでていたといえる。すべては結果がその戦略(一種の砲艦外交)の正しさを証明している。ただその高圧的態度から日本側が親近感を持ったとは思われず、後に英国が幕末の日本の外交を主導してゆくことになるのである。日本への遠征目的を、表面上は捕鯨船保護・物資補給としつつ、水面下では海軍省所管の郵船長官として蒸気郵船の太平洋航路開発と、その燃料(石炭)確保をもくろんだのみならず、訪れる各地の生活や自然、なかでも鎖国日本の実情などを広く政界に伝えることを構想したと本書にあるのは興味深い。このほかにもペリー側の交渉の内情など興味は尽きない。外国人が日本の事を「日出ずる国」とする表現は、このペリー艦隊日本遠征記の「日出ずる王国」から広まったといえるのではないか。

(110) *「フリゲート艦パラーダ号」(6巻本全集の第2巻および第3巻)Фрегат «Паллада», Гончаров, Правда, 1972
 「オブローモフ」という小説で有名な作家ゴンチャローフ(1812~1891)がプチャーチン提督の秘書官として1852~55年に航海した時の印象記。ケンぺル、ツュンベリー(彼の作った辞書も持参した)やシーボルトの著作他をすでに読んでいたことが分かる。文化的な後進国において形式主義ばかりで物事が進まない、彩のない日本に嫌気がさしているのがよくわかる。日本女性のことを、「みな色黒で、不美人であり、鉄漿をつけていて、じろじろロシア船の方を見て、笑いさざめいている」と書いている。鉄漿(多分そのうえ眉をぬいていたろう)というのだから年配者であろう。戦前の白黒の時代劇の映画には鉄漿の女性が見られるが、やはりかなり気色悪い。鉄漿なしだったらとか、若い娘だったらもっと印象はよかったろう。内容的に特に面白いのは幕府全権で正使の一人だった川路聖謨から招待された日本式会食の様子である。ゴンチャローフは刺身も含めてすべて平らげたが、オランダ語の通訳を務めたポシエート大尉(既存の訳書で彼の姓をポシェットとするのは力点が違うというほかに、婦人の小物入れみたいな感じがする)が、刺身と知らずに半分食べ、後でゴンチャローフから生の魚だと告げられた時に苦い顔をしたとあるのは、現代のロシア人の寿司好きを考えると面白い。当時の日本では食事が終わった後に白湯を飲む(口をすすぐためだろう)とか、燗酒はうまいが、気の抜けたラム酒のような味がすると書いている。鯛も抹茶も味わったが、日本料理は美しいとはいえ、ミニチュア的で量も少なく、料理が目を楽しますというのは料理の本道ではないと述べている。ロシア側が接待したときには、羊肉(牛肉がなかったので)やハムのピラフや、酒に対抗してグリントウェイン(ドイツ起源の赤ワインにクローブ、砂糖、シロップなどをいれたホットワイン)を供したことが述べられている。日本については内戦をせずに、軍事技術をヨーロッパから学び、港の防備を固めれば発展してゆくだろうとも書いている。幕府の代表者であった川路聖謨については洞察力、機知、経験に富むと高い評価を下している。ちなみに川路はロシア側に自分の佩刀を贈ったが、そのとき後述の長崎日記に、「この刀にて、ためしに人を切りみるに、三人並べてこころよく胴切りにし、車骨(骨が固くて切りにくい部分)を瓜の如くに切りたり」と述べ、処刑された罪人で試し切りすること説明した。川路は文武の達人であり、特に柳生新陰流をよくした川路がこう言ったのは日本人をなめるなよという気概からだったのかもしれない。一方ゴンチャローフも川路から贈られた刀は、通訳曰く、3人の罪人の首(?)を切ったと書いている。邦訳には「日本渡行記」井上満訳、岩波文庫(昭和16年、昭和34年)があるが、筆者未見。
 琉球については下巻150ページに1853~54年長崎や琉球の首里(那覇)に来航したときの著述が参考になる。その島民はまるで子供の夢にいるような、穏やかだが、発展がそこで止まったような印象を受けると書いている。島でベッテルハイムという宣教師に会うが、宣教師曰く琉球人は殺伐としている、その証拠に自分は殴られ、ペリーの船で帰郷するというくだりがある。シュワルツの「薩摩国滞在記」によれば、彼はハンガリー系のユダヤ人で1846年琉球に来たが、当時はキリスト教が禁教であり、しかも布教の仕方がかなり強引だったようで、住民と敵対関係に陥っていたようである。この点は「ペリー艦隊日本遠征記にも記載がある。

(111) 「長崎日記・下田日記」、川路聖謨、藤井貞文・川田貞夫校注、東洋文庫、平凡社、1968年
プチャーチン一行が長崎および下田に来航したときに、幕府を代表して応接し、下田にて日露和親条約を締結した勘定奉行川路聖謨(1801~1868)の家族に宛てた日記で、長崎と下田時代に関したもの。プチャーチンについて、「この人、(使節の)第一の人にて眼差しただならず、よほどの者なり」と評し、「妻はイギリスの女なりと承り候」とあり、ゴンチャローフについては、この人、無官なれど、セキレターリス(秘書)のことをなす。公用方取扱というがごとし。常に使節の脇に居て、口出しする者なり。謀主という体に見ゆ」と長崎日記に書き、軍師とも記している。会食事には、「軍師はよほどのシャレものというがごとき風なる男なるが、いささか酒きけし体にて、夥しく頂戴という手真似をしたり。そのさまのどのところへ手やり、又頭へ手やり、やがて頭上へ高く手を差し上げて、うなずきたり」とあり、ゴンチャローフがひょうきんだった様子を伝えている。大通詞の森山栄之助(後、多吉郎、1820~71年)については、「死を決して申し談じをもなしたるとのことなり(この者別段なるものにて、左もあるべし)」とほめているが、ゴンチャローフは、何度か会談してその終わりごろ、「態度が最悪なのは栄之助である。川路の通訳、つまり一番重要な通訳をしているため、つけ上がって、川路がいないと椅子にどかっとすわり、シャンパンを飲ませろと無心したり、中村為弥(川路随行員の筆頭)のいる前で4杯シャンパンを続けて飲み、通訳せずに、自分で論じようとして、そんなことなら通訳を代えるぞと言われたことがあった」と評判が悪い。上司へのごますりがうまかったわけだ。そのおかげか下田での交渉のときには御普請役に出世している。しかしその後の外国のとの交渉には通訳として関わっており、ペリーや英国公使のオールコックの評判も良く、当時は若気の至りだったのだろう。中村の評価は非常に良い。中村は後に下田で下田奉行としてプチャーチンと再会を果たしている。ゴンチャローフの本と長崎日記を読み比べると日ロ交渉への臨場感が増すのみならず、下田日記もそうだが読み物としても非常に面白いし、家族への思いやりなど心温まる感じがする。
1955年下田での第1回和親条約交渉の翌日下田は安政の大地震(マグニチュード8.8、死者下田で85人)に見舞われ、ロシア人が日本人3名を救助したことを川路は感謝しており、結局プチャーチンのヂアーナ号は沈没するに至るのだが、それに屈せず新船建造を決意したプチャーチンに対して、日頃は布恬廷(プチャーチン)を布廷奴(フテイヤツ)などと陰口を言ったりしたが、「実に左衛門尉(川路のこと)などに引き競ぶれば、真の豪傑である」とプチャーチンを誉めている。下田日記では、このほかにもう1か所プチャーチンを豪傑なりと書いている。よほど感心したのであろう。川路は1868年江戸城開城の知らせを聞いて切腹の後ピストルで(2年前に中風で半身不随だったので)自害した。真の武士といえよう。

Posted by SATOH at 12:39 | Comments [0]

2011年03月17日

●日本の心 第21回

(105) 「日本風俗備考」(2巻)、フィッセル、庄司三男・沼田次郎訳、東洋文庫、1978年
 1820~29年まで長崎の出島に勤務したオランダ人事務官フィッセル(1800~48)の日本見聞記。1822年ブロンホッフ商館長と共に江戸参府。ジーボルト(シーボルトともいう)とほぼ同じ時期に出島に勤務した。間宮林蔵が隠密として長崎に来ていたなどその後ジーボルト事件について密告する下地があったようである。当時死者は桶に入れられたので、死者を折り曲げるための死後硬直を解く砒石やネコイラズに触れている。

(106) *「江戸参府紀行」、ジーボルト、斎藤信訳、東洋文庫、平凡社、1967年
ジーボルト(1796~1866)とはいわゆるシーボルトのことでドイツ人の植物学者。1823~29年、1859~62年の2度にわたって訪日。本書は1826年の江戸参府の記録。ここの通詞がどんな人物だったか簡潔に記載されているのが興味を引く。11代将軍家斉に拝謁した。シーボルトはオランダ語読みで、ドイツ語の発音ではジーボルトだが、彼の生まれた南ドイツのバイエルン州ではシーボルトと発音したというからややこしい。

(107) 「ジーボルト最後の日本旅行」、A・ジーボルト、斎藤信訳、東洋文庫、平凡社、1981年
 ジーボルトの長男アレクサンダー(1846~1911)が1859年13歳のとき63歳の父とともに訪日し、1862年父が離日するまでを記したもの。彼は1887年ドイツに居を定めるまで日本の外交に尽くした。漢字については部首を先に覚えたが、結局わずかな数しか習得できなかったと述べ、「日本の文学は漢字が使われるようになって駄目になった」とやけくそになって書いているが、体罰については「私たちの国でよくやる鞭打ちを私は一度も見たことはなかった。お灸が体罰の代わりで、子供には痛いのでそれを恐れて悪さをせず、また灸をすえられたとしても身体にもよいし、道徳的見地からもよい」とも述べている。日本の義理の姉や母に対する記述はない。日本では果物が未熟のままで食用に供するので味がないと書かれている。特に梨がまずかったらしい。柿やビワは評判が良かったようだ。

(108) 「無酔独言」、勝小吉、勝部真長編、東洋文庫、平凡社、1969年
勝海舟の父で御家人の勝小吉(1802~50)が1843年これまでの人生を振り返って書いた半生伝。従兄弟は直心影流の達人男谷精一郎信友で自身も剣をよく使った。無学だが当時の御家人の言葉遣いがよく表されており、現代の口語とあまり変わらない。剣の師は平山行蔵。平山は雷電と胸押しをして勝ったという。小吉は14歳で出奔、ゴマのはえに身ぐるみはがれるなどしたが、4カ月乞食をして伊勢の方を回り江戸に戻った。21~24歳まで座敷牢に押し込められ、37歳で隠居。八方破れの生き方だが、世に受けられないのをすねていたようである。「気は長く、心は広く、色薄く、勤めは固く、身をばもつべし」や「学べただ、夕べに習ふ道のへの、梅雨の命の明日消ゆるとも」が座右の銘のようである。幕末の日本人の心情がよく分かる。

Posted by SATOH at 14:27 | Comments [0]

2011年03月09日

●和文解釈入門 第20回

これまで紹介した類語の使い分けというのは、思い出した時点で書いているようなもので、その中に基本語は含まれていない。和文解釈(会話での和文露訳)には体の用法や運動の動詞だけでなく、基本語の類語の使い分けも重要だと述べたが、ピンとこない方もいると思う。そこで試しにлежать, класть/положить, ставить/поставитьという基本語の使い分けについて書いて見よう。лежатьは何かの表面に水平方向にあるという意味だが、そのほかにも(~の中にある)находиться внутри чего-либоという意味もある。露文解釈ではどうってことはないが、和文露訳ではこの点をよく理解していないと、単純な文で躓く。「ノートは引き出しに入っている」というのは、Тетради лежат в ящике письменного стола.となる。лежатьなど知らなくてもбытьで十分という人もいるかもしれないが、この点が分かっていないと、「小銭を機械的にポケットに入れた」が訳せなくなる。これはЯ машинально положил мелочь в карман.であり、класть/положить には помещать внутри чего-либоという意味があるからである。
「置く」は垂直方向であればставить/поставитьで、水平方向であればкласть/положитьとなると初級で習うはずだ。それでは「皿を置く」はどうなるのだろう?ставить тарелкуが正解である。「靴を靴箱に入れる」は当然ставить/поставить обувь в обувной шкафだが、класть/положить обувьというのも例は少ないがあることはある。ロシア人も迷うのだろう。我々のような古い世代は皿は例外だとか、皿もよく考えれば垂直におかれるものだと屁理屈をこねて覚えたものだが、こういう風に例外や無理やりの暗記を続けると我々古い世代の通訳のように何十万もの文例をその場面その場面で覚えなくてはならなくなる。そういう手間を省くのが文法であり、参考書のはずだ。中級者や上級者にとっても文法や参考書を馬鹿にせず精進し続けることが結局はロシア語上達への早道であることが分かる。ставить/поставитьというのは、底がある物体や支持面積、支持する点がある物体のときに用いられる。
もうひとつ、「目覚まし時計を枕の下に置く」はどうなるだろう?これはкласть будильник под подушкуという。класть/положитьはこのように普通に置く状態でないように置くときにも使われるし、紙や布のように形を変えるものにも使える。класть пальто на стул(オーバーをイスにかける)。無論垂直方向ставить/поставитьや水平方向にкласть/положить置くというのは基本的な理解としては正しい。Не надо класть велосипед на землю, поставь его у крыльца. (自転車を地面に(横に)置いてはいけない。玄関脇に立てかけろ)とか、Положи цветы на стол, я сейчас поставлю их в воду.(花をテーブルに置いて。すぐに水に挿すから)など違いが分かりやすい。
設問)「ご担当は何ですか?」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 20:56 | Comments [1]

2011年03月04日

●和文解釈入門 第19回

さとう市販されているロシア語の文法書というのは主として露文解釈用のような気がする。まんべんなくロシア語について説明しているのは当然だが、和文解釈(会話のための和文露訳)という観点で見てみると、ロシア語と日本語は全く違う言語だとはいえ、似ている点もあるし(他動詞が補語〔対格~を〕を取るとか)、会話ではあまり使わない文法事項(形動詞、副動詞などは使用がかなり限られている)というのも載せてある。だから和文解釈で文法をというと、その内容の膨大さから時間の無駄ですぐに役(訳)に立たないからと嫌がる学習者が多いのも理解できる。無論名詞・形容詞・代名詞の格変化や動詞の活用は理屈抜きに丸暗記するというのは論をまたない。しかし、会話用の和文露訳用にやるなら、必要な文法事項を優先的にメリハリをつけてやればいいのである。一通り文法事項(初級文法書に載っている程度)をこなした後、数量表現、運動の動詞(定動詞不定動詞、接頭辞のついた運動の動詞)、体の用法、類語の使い分けを徹底的にやって理解しないと、なんでこうなるのか分からず何かすっきりしないという感じがいつまでも残るものである。集中的にやる気なら今はいい参考書(お薦めの参考書については別のコーナー「間違いやすいロシア語の最終回〔23〕や露学階梯の最初のほうに書いた)もあるから1~2年でものになるだろう。私がこれらに取り組んだ70年代中ごろでも、探せば、「ロシア語動詞の体の用法」(Рассудова、磯谷孝訳編、吾妻書房、1975年)やVerbs of motion in Russian> Muravyova, Русский язык, 1975などがあったし、何度も読まないと理解できなかったとはいえ、これらなどで勉強したものだ。そのあとで形動詞や副動詞などをやればよい。
ビジネスで通訳をしているとロシア側から日本のことをСтрана восходящего солнца(日出ずる国)という表現をしてくる人がいる。これは聖徳太子の有名な言葉だが、西洋には多分ペリー提督の日本遠征記にあるland of the rising sunから広く知られるようになったと思われる。しかし最近ではСтрана корня солнца(日の本)という表現も見るようになった。これは作家ピリニャークПильнякが1926年訪日した時の印象記の題名が由来のようである。これを「太陽の根の国」と訳すと、古事記や日本書紀では根の国と言うのは地下の国とか死者の国と言う意味なので、お日さまと対蹠的でまずかろうと思う。
設問)「ショッピングセンターの行き方(車での)を教えてください」を、動詞を変えて3つの文にしてロシア語で作れ。

Posted by SATOH at 21:37 | Comments [1]

2011年03月03日

●和文解釈入門 第18回

「ロシア語基本熟語500」という本を2009年に出したが、出してからこういうことを言うのはどうかとは思うけれども、こういう熟語集は体の用法を理解していないと使いこなせないものである。かといってまえがきに体の用法を簡単に書くという訳にはいかない。そこで遅ればせながら会話で使う簡単な和文露訳についてこの和文解釈入門というコーナーを設けたという次第である。しかしこのコーナーを開設した直接のきっかけは別にある。それまでは体の用法というのはロシア語をやりだしてから3~4年しないと理解が難しいのではないかと自分の経験から考えていた。そうなると興味を持つ人も限られてくるし、文法を敬遠する人が多いというのも承知している。ただ簡単な会話の和文露訳をするにしてもどちらの体を使うかの基準がわかっていないと、文をいくつも理屈抜きで丸暗記せざるを得ず、二十歳を過ぎた人には、仕事でロシア語を使うとかの刺激や動機がない限りロシア語の勉強が続けるのが難しかろうとも感じていた。
比較的最近メーカーのモスクワ駐在員候補生にビジネスロシア語を教える機会があった。若い人で、英語はできるようだったが、ロシア語をやったことがなく、社命で2ヶ月間日本で日本人教師からロシア語のイロハを習い、そのあとモスクワの外国人専門のロシア語学校で6カ月間語学研修を受けたという。モスクワの先生は英語はできず、ロシア漬けの毎日だったとも聞く。こういう風に金槌の人がいきなりプールに突き落とされと、そのまま沈んでしまうか、なんとか泳げるようになるかどちらかだが、その人は優秀な成績で帰国した。その会社では現地社員のロシア人を除けば社内でロシア語のできる人はいないため、ビジネスロシア語を1日5時間11日間教えるように頼まれたわけである。カスタムメイド(そのメーカーの製品を中心にした語彙構成)のビジネス会話を教えるにあたって、子供相手ではないので、ビジネス会話を効率的に覚えてもらうため、体の用法を試しに教えてみたところ、理詰めと言う事もあってよく理解してくれた。ロシア語での自社の製品紹介、商談で使う言い回し、会話以外にも、和文解釈ではない、ビジネスメールでの和文露訳(クレームレターの処理まで)も教えたが、手応えは十分にあったと感じている。また教えた語彙はエクセルにして和露でコーパス(文例を入れた語彙集)を作って、赴任まで復習しますと言っていた。
 こういう例があるので、まじめに半年か8カ月ロシア語をやれば、体の用法を日本語でも理詰めに説明すれば、理屈抜きで暗記するというよりは会話の上達に効果があるのではないかと考え、このコーナーを立ち上げたわけである。そうすれば当初考えていたより関心を持ってくれる方々もより広範囲になり、このコーナーによってロシア語の文法に興味を持ってくれる人も増えるだろうという期待もある。これまで何人かの方々からの反響もあり、それには本当に感謝しているが、反響がなくなった時点でやめればいいという気持ちもある。自分で設問を出して解答を示すという一人相撲をする意味はないし、必要とされないものを続けていくつもりもないので、どこまで続くか取り敢えずやってみようと思う。
 ちなみにまじめに半年か8カ月ロシア語をやるというのは、例えばNHKのラジオ講座のテキストを暗記し、1/3ぐらいでも頭に残っているということである。丸暗記するなと言っておいて、暗記させるのかと言う人もいるかもしれないが、体の用法も含めてロシア語に疑問を持つためには、そして説明を理解するためにもロシア語に関して頭が空っぽでは困るのであって、ベースになる用例をある程度覚えていないと体の用法どころではないという事はご理解いただけるだろう。英語だって中学校の教科書ぐらいを暗記していれば、日常会話で困ることはないというではないか。ロシア語も同じである。ただそれ以上にロシア語の力をつけたいと考えるなら、なぜそうなるのかということを突き詰めて考える必要がある、つまりそのためには文法をしっかりやる必要があるのだと私は思う。
設問)「猛犬注意、立ち入るべからず」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 23:05 | Comments [1]

2011年03月02日

●和文解釈入門 第17回

гидравлическийというのは訳しにくい形容詞で、まずは「油圧の」と訳せば間違いないのだが、「水圧の」という場合もたまにある。現場での技術通訳では本当は「液圧の」と訳したいのだが、そういう日本語はないから「ハイドロの」する場合もある。例えば次の文はロシア語ではどうってことのない文だが、和訳してみるとちょっと困る。Контроль гидравлическим давлением следует производиться водой.「水圧試験(テスト)は水で行うこと」と訳しても「油圧試験(テスト)を水で行うこと」と訳してもなんかおかしい。仕方がないから「この耐圧試験(テスト)は水で行うこと」と訳したことがある。гидравликаというのは「油圧(水圧)システム、油圧(水圧)装置」と言う意味であり、普通は総称名詞のように単数で使うのが普通である。
(機能動詞その3 「受身的な意味をもつもの」)
- класть/положить -
кластьはНа табак не кладут запрещения.(タバコは禁止されていない)のほかに、вину на + 対格(~に罪を負わす), заплатки (латки)(つぎを当てる、繕う), крест(十字を切る), начало + 与格(始める), конец + 与格(終わらせる), основание(基礎を築く), поклон(頭を下げる), преграду(阻む), фундамент(基礎を築く)などである。
- найти/находить -
находить (своё) выражение(表される), отражение(反映される), подтверждение(確認される)применение(用いられる), поддержку(支持される) сбыт(販売される), удовольствие(満足する), утешение(慰められる)。
- повергнуть/повергать в + 対格 - (受け身の意味の機能動詞)
повергнуть в отчаяние(絶望させる), тревогу(不安にする), в уныние(意気消沈させる)
- подвергнуть/подвергать + 対格 + 与格 –
подвергнуть доклад резкой критике(報告を厳しく批判する)などで、与格のところに、анализу(分析する), действию света(光線に当てる)、наказанию(処罰する), обсуждению(審議に付す)、переработке(書きなおす), операции(手術する),насмешке(笑い物にする), опасности(危険にさらす), сомнению(疑う), штрафу(罰金を科す)。
- подвергнуться/подвергаться + 与格 –
критикеは(批判を受ける)と受け身になる。
- получить/получать -
получить воспитание(しつけを受ける), впечатление(印象を受ける), всеобщее признание(広く認められるようになる), задание(課題を受ける), заказ(注文を受ける), законную силу(法的効力を得る), замечание(叱責を受ける), знания(知識を授かる), известие(知らせを受ける), инфортмацию(情報を受ける), насморк(鼻風邪をひく), образование(教育を受ける), огласку(公表する), ответ(答えてもらう), применение(用いる), повреждение(破損する), поздравления(祝電を受け取る), приказ(命令を受ける), разрешение(許可を受ける), распоряжение(指示を受ける), сведения(知らせを受ける), согласие(同意を受ける), сообщение(知らせを受ける), специальность(専門を身につける), удовольствие(満足する)などである。
- поступить/поступать в + 対格 –
поступить в обработку(加工される), в продажу(販売される), в производство(生産される)
- потепеть/терпеть – (= сталкиваться, испытывать) 「不愉快な事を経験する」
терпеть изменение(変更を被る), крах(破産する、破綻する), крушение(列車事故に遭う), неудачу(失敗する), поражение (敗北する、жестокое поражение大敗する), убытки(損をする), урон(損をする)
設問)「もう6時だ。おいとましないと」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 14:15 | Comments [2]

2011年03月01日

●和文解釈入門 第16回

露文解釈ばかりやっていると、長文でも頭ごなし訳(「私は~と思う」というのを「私が思うには~」というようにできるだけ後戻りしないように訳してゆく訳の仕方)ができ、部分部分を瞬間的に理解できるようになる。そうなるとロシア語の短文からの発想で、こんな短文が和文であっても、これまた瞬間的に露訳できるという錯覚が無意識の出るようになる。ところが実際はそうはいかないのである。長文は短文から成っており、短文がすぐロシア語にならないようでは長文の露訳はできない。和文解釈入門の設問は無論ロシア語をまじめに勉強して半年以上になる初級者も対象にしているが、そのほかにも露文解釈ばかりでできて、ロシア人と会話のできない人も対象である。
第10回の和文解釈(会話における和文露訳)をする上での体の用法の表に命令法や不定法を追加した。今後さらに追加・訂正する可能性がある。
ノーソフНосов のНезнайка на Луне(月の物知らず、1964~65)という児童向けの本にчтобы их не кусали мухи(彼らをハエが刺さないように)という一文がある。蚊や蜂はともかくロシアのハエは刺すのか(何でもありの国だからな)、日本とロシアのハエは違うのかと驚かれる方も多いであろう。мухаというのはハエやハエに似たものを指すのであり、筆者も一度モスクワの植物園で слепень бычий(ウシアブ)に腕を刺され、腫れが一週間ひかなかったことがある。ウシアブというのはイエバエを一回り大きくしたような感じで、目が海老茶色だったことを覚えている。こういうのを言っているのであろう。
「注文する」というのも、状況によりいろいろである。заказать (сделать заказ) のほかに、レストランではспросить ликёр(リキュールを注文する(頼む)とも言えるし、выписать журнал(雑誌を(書面で、メールで、インターネットで)注文する)、予約購読ならподписаться на полное собрание(全集を予約購読する)となる。
設問)出迎えのときに相手に「どうでした空の旅は?」と尋ねるときに、カッコ内の部分をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 14:10 | Comments [1]