2010年09月30日

●ロシア語珍問奇問 第6回

日本語は論理的でないというが、例外もある。前に書いたカザケーヴィチの「オーデル河の春」に В комнате было холодно от беспрестанно открывающихся дверей.(部屋の中はひっきりなしに開け閉めされるドアのため寒かった)というように、「開閉する(開けたり閉めたりする)」という意味をоткрывающийся(開く)という能動形現在だけで示していて、「閉まる」に相当する単語ない。бесперестанноは「ひっきりなしに」ということであり、открыватьは不完了体で、この場合は何度も開けるからには、当然同時に閉めるという動作があるという論理なのだろう。日本語では「ひっきりなしに開くドア」にすると、勝手に(自動的に)ドアが閉まるようで文のすわりが悪いような気がする。

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2010年09月28日

●日本の心 第6回

(22) 「日本の仏教」(鈴木大拙全集第11巻)、鈴木大拙、岩波書店、1970年
浄土教、特に真宗を論じて日本の仏教とは何かということを説いた書。日本の仏教を知るための必読の書。大乗仏教や原始仏教を知りたい向きには「般若経」(梶山雄一、中公新書、1976年)を勧める。

(23) 「無心ということ」、鈴木大拙、角川ソフィア文庫、2007年
 1939年初出。禅浄一致の思想を展開させて無心について述べている。

(24) 「禅と日本文化」、柳田聖山、講談社学術文庫、1985年
鈴木大拙より分かりやすく禅について解説し、師の久松真一(1890~1980)の日本文化の特色が完全なものを抑えたつやけしの美しさ、未完成の完成にあるという説を紹介している。竜安寺の石庭の石の見える数や東照宮の日暮らしの門の模様などを考えるとなるほどと思われる。「心は本来落ち着いているのが自然である」として、「人本来だれもがみな仏である」というように、原罪を負うキリスト教的な考え方とは違うというようなことが分かりやすく説かれている。本来の正道に立ち返るのを助けるのが禅ということであり、座禅は本当の自分は何か問う非日常的な方法で本当の自己との対話であると説いている。代表的な禅の三派、曹洞宗、黄檗宗、白隠の臨済禅についても分かりやすく説明しているのはありがたい。

(25) *「日本宗教史」、末木文美士、岩波新書、2006年
日本の宗教とその歴史を分かりやすく説明したものだが、レベルは高い。同じく、「日本仏教史」、新潮文庫、2008年がある。他に神道や仏教関係の本で初級用としては、「日本の神々」、谷川健一、岩波新書、1999年、「別冊歴史読本記紀神話の秘密」、新人物往来社、1997年、「知っておきたい日本の仏教」、武光誠、角川ソフィア文庫、2008年、「知っておきたい日本の神様」、武光誠、角川ソフィア文庫、2008年、「神と仏の道を歩く」、神仏霊場会、集英社新書、2008年、「日本仏教派のすべて」、大法輪閣、1981年、などがある。「和のしきたり」、新谷尚紀、日本文芸社、2008年、「日本の神様がよくわかる本」、戸部民雄、PHP文庫、2004年

(26) 「日本文学の古典」(第二版)、西郷信綱、永積安明、広末保、岩波新書、1966年
記紀から、万葉集、源氏物語、平家物語、能と狂言、方丈記・徒然草、俳諧、歌舞伎まで日本の古典を扱っており、もののあはれ、幽玄などの理解に役立つと思う。幽玄が詩歌・管弦の道のみならずということが分かる。

(27) *「勘の研究」、黒田亮、講談社学術文庫、1980年
 武道における極意や無心無念を、禅や能の幽玄などを踏まえて、より理詰めに説明しようという試みは高く評価されるべきである。

(28) *「甘えの構造」、土居健郎、弘文堂、1971年
 義理人情、禅の悟り、遠慮、とらわれ、判官びいきなど甘えとの関連で説明されている。ロシア語にもあるが、単語一つで表現されているのは日本語だけであり、それが日本人の特徴であるということなのだろう。

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2010年09月27日

●ロシア語珍問奇問 第5回

オストローフスキーの有名な戯曲にГроза(雷雨)がある。クロポトキンの「ロシア文学の理想と現実」(2巻、高杉一郎訳、岩波文庫、1985年)には、この「雷雨」の主人公カテリーナは雷雨嫌いで、この雷雨というのはヴォルガ上流の小さな田舎町に特有な現象であると書いている。грозаというのは露露辞典によれば、雲と雲の間、雲と地面の間に発生する稲光で、雷鳴と雨を伴うというのだから、まさしく雷雨だが、アクセントはあくまで稲光молнияである。似たような言葉にгромがあり、これは雷雨のときの稲光を伴う雷鳴であり、主体は雷鳴である。同じ現象の別の面(光と音)を表現しているにすぎない。日本語の雷は雲と雲の間、雲と地面の間に発生する稲光で雷鳴を伴うとあり、雨は関係ないが、これもアクセントは稲光である。ロシア語ではгрозаだからといって、これを嫌うのを雷雨嫌いとするのは日本語としておかしい。雷が嫌いというのではないだろうか?日本で雷が嫌いという人は、ゴロゴロと鳴れば、雨が降ろうが降るまいが家の中の布団にもぐりこむ。грозаをいちいち雷雨と訳すと、日本語としてくどくなるという場合もあると思う。「雷が落ちた」とか「落雷した」というのはロシア語ではВ автомобиль ударит молния.(車に雷が落ちた)とか、Удар молнии поразил трёх человек.(3人に雷が落ちた)とか、Собор повреждён громовым ударом.(大聖堂は雷で破損した)といい、先の2文を直訳すれば稲光(稲妻)が直撃したということである。ちなみに雷鳴の伴わない稲光(稲妻)をзарницаという。また一般に忌まわしいことを避けるときにクワバラクワバラというのは、桑原のことであり、もともとは桑原には落雷しないと考えられたことによる落雷よけの呪文である。起源は雷神が桑の木を嫌うとか、死して雷となった菅公の領地桑原には古来落雷がないとかという説がある。落雷やその他の忌まわしいことを避けるためのお祈りという意味では、ロシア語でこれに相当するのは、キリスト教国だからかСвят-свят-свят.というのを覚えておくとよい。

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2010年09月24日

●ロシア語珍問奇問 第4回

建物への出入り(出たり入ったり)をいう場合、из дома в домとすれば「(ある)家から(別の)家へ」で、一方向への動きと思われやすい。露文解釈だけやっているなら、このような疑問が起こることはないだろう。しかし和文露訳する場合どうするのかと考えていたところ、最近カザケーヴィチКазакевичの「オーデル河の春Весна на Одере」を読んでいたら、次のような表現を見つけたので参考までに書いておく。
В дом и из дома то и дело пробегали штабные офицеры с папками....(その建物にファイルを抱えた本部付将校が足早に絶えず出入りしていた)
 コロンブスの卵Колумбово яйцоみたいなもので逆にすればよいのである。

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2010年09月23日

●日本の心 第5回

(14) *「陰翳礼讃」、谷崎純一郎、中公文庫、1975年
 1933年に書かれた60ページほどの名文である。蒔絵というものが暗い所で見てもらうように作られており、能の衣装も金銀が多く使われているのはそのためであり、きらびやかな歌舞伎の衣装を現代の照明で見ると何か違和感があるとか、鉄漿や眉を剃ることも女性の顔を際立てる手段という主張も始めて聞くものであり、日本の美という観点からは拝聴に値する説である。鉄漿(お歯黒)は現代の時代劇では見られないが、明治大正の活動映画で見ることが出来る。非常に不気味な感じがするものである。暗いところで見ればよく見えるのかもしれない。鉄漿をしたのは歯の衛生のためという説もあるが、三田村鳶魚曰く享保8年に大岡越前守が当時非人の火付け(放火)多く、非人とそうでない人を区別するために、非人には頭をざん切りにさせ、非人の女には眉もそらせず、鉄漿もさせないようにした。これから判断すると鉄漿をしなければ非人に見られ、それを庶民が嫌ったことからではないかと思う。ちなみに鉄漿は結納を取り交わした時点で女性がつける。縁づけば島田を髷に替え、眉を剃り落とし、これが女性の元服というと矢田挿雲は述べている。日本文化を理解するのには必読の書であり、幽玄とは何かについて示唆に富む文章である。

(15) *「「いき」の構造」、九鬼周造、藤田正勝全注釈、勁草書房、2003年
 いき(粋、意気)について哲学的分析的解釈を行った名著。いきは媚態を基調として、意気地と諦めの上になっているという。二元性の平行線がいきであり、無目的性、無関心性でもある。つまり複雑な模様、絵画的模様、曲線、雑多な色どり、派手な色どりはいきではない、いきな色というのは黒味を帯びたもので、鼠色、褐色、青色系であり、茶室建築の間接照明や半透明のガラスがいきであると述べている。

(16) 「しぐさの日本文化」、多田道太郎、筑摩書房、1972年
「生け花は初対面などで目のやり場のないことを避けるためであり、対話の強制を避け、自然をクッションとして主人と客は気持ちが通い合うのを知る」とか、「目立った身振りのないというのが、日本人の身振りの一特徴である」、「身のこなしはなるべく目立たず、控えめがよいとされる、つまり美を誇示するのははしたない」、「家族間の呼び名は生まれたばかりの赤ん坊を基準にする、自己を相手の立場から規定しているとする」など日本文化の特性に触れている。家族化の呼び名は子供中心というのはロシア語にもある。子供のいる家庭では、Подожди, мать.(お母さん、ちょっと待てよ)などと亭主が妻に呼びかけることも多いし、старуха(婆さん)などと同じ亭主が30代の妻に呼びかけることも珍しくない。他に、「遊びと日本人」、埼玉福祉会、2006年や「身辺の日本文化」、講談社学術文庫、1988年があるが、雑学的。

(17) 「武士道」、新渡戸稲造、岩波文庫、1938年
 1899年初出。グリフィスの緒言がある。武士道とは何かを西洋の木指導などと対比させて説明したもの。「我が国民の笑いは逆境によって乱されし時、心のバランスを恢復せんとする努力を隠す幕であり、悲しみもしくは怒りの平衡錘である」とか、「夫もしくは妻が他人に対し、その半身(妻ないしは夫)のことを愛らしいとか、聡明だとか、親切だとか何だとかというのは我が国民の耳には極めて不合理に響く」など興味深い指摘もある。武士の意地(意気地、いき)を説明している

(18) 「茶の本」、岡倉覚三、岩波文庫、1929年
 1906年初出。人は独立の家を持つべきである、茶室は個人的趣味に適するように建てられている、いずれの家も家長が死ぬと引き払うことになっているなど、神道との関連であろう。均斉と言うことは完成を表すのみならず、重複を表すものとしてことさら避けていたというのは参考になる。他に「東洋の理想」、講談社学術文庫、1986年(1903年初出)がある。侘び寂びとは何かについて教えてくれる。

(19) *「茶道の歴史」、桑田忠親、講談社学術文庫、1979年
 茶道の歴史を軽みのある文章で詳述。各流派の関係がよく分かるし、現代の茶道が第二芸術化している(筆者は必ずしもそうはいっていないが)についての建設的な批判もある。

(20) 「茶器と懐石」、桑田忠親、講談社学術文庫、1980年
 茶器と懐石について分かりやすく解説した書。茶道の基本を理解するには必読の書。

(21) *「禅と日本文化」「続禅と日本文化」(鈴木大拙全集第11巻)、鈴木大拙、北川桃雄訳、岩波書店、1970年
1938年英文で出版されたものを本人が和文で著したもの。比喩や寓話の多用は禅が直感でしか理解できないという著者の主張を裏付けるものである。禅と日本文化を学ぶ人の必読の書。不立文字を文字で説明しているわけで、説明は分かりやすいとはいえ、禅自体が相互に矛盾し、その矛盾を止揚するわけであり、座禅を組まないと理解の端緒にも就けないであろう。でも禅には端緒というものはない。禅は分かるか分からないかの世界であるとされるからだ。禅と武士道の項を読むといわゆる剣豪小説の剣の奥義の説明はここが出所と知れる。

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2010年09月22日

●ロシア語珍問奇問 第3回

これも和文露訳に関したことだが、ペンチという単語をロシア語にしようと思うと、私の持っている和露辞典 (Лаврентьев, Русский язык, 1984)ではщипцыとかкусачкиと書いてある。ペンチはどなたも御存じのように、ものをつかむとか、つぶすとか、針金の切断などが出来る工具(日本工業用語辞典では、つかみとたて刃のニッパ兼用とある)である。ちなみにニッパは針金などを切断する工具である。щипцыというのはつかむ工具であり、кусачки (острогубцыともいう)というのは針金などを切断する工具で、厳密に言えばエンドニッパのことである。何を言いたいかというと、このようにどこの家庭でもあるような工具一つでも露訳するのが難しいという事である。それではペンチにあたるロシア語はないのだろうか?私のこれまでの経験ではпассатижиが一番近い。これはплоскогубцы(プライヤーまたは角口プライヤーと訳し、先の平べったい工具でペンチからニッパの機能を除いたもの), кусачки, отвёртка(ドライバー)などを組み合わせたщипцыと技術辞典 (Политехнический словарь, Ишлинский, Советская энциклопедия, 1980)にある。ドライバーといってもпассатижиの握りの片方の端がマイナスドライバーになっており、もう片方がプラスになっているというすぐれものである。ただこれまでの経験からロシア人にペンチという意味でпассатижиといっても、技術者なら意味は分かるが、よほど工具の専門の話でない限り、針金などを切断しないならплоскогубцыとか、круглогубцы(丸口プライヤー、先が丸くなったペンチからニッパ機能を除いたもの)とか、切断するならкусачкиという風に言いかえるのが普通で、пассатижиとはまず言わない。だから和露辞典の編者も書きようがなかったのだと思う。これで場面場面で要求される単語の正確さというのは違うということがお分かりになると思う。
 ロシア語でもпрогулкаというのは散策という意味だが、徒歩の場合にも、車や船を使う場合(その場合はドライブとか舟遊びとかという訳語になるのだろう)にも使う。チェーホフの夫人クニッぺルの回想録を読んでいたら、с пешеходной прогулки(散策から〔戻って〕)という表現があり、著者が舞台女優だからか厳密な表現だなと感じた次第である。

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2010年09月20日

●ロシア語珍問奇問 第2回

次の文は露文解釈ということではなく和文露訳をする場合という事を念頭において読んでほしい。油やオイルはロシア語では二つに分かれ燃料油はтопливоといい、それ以外の潤滑油、冷却油、洗浄用のオイル、食用油などはмаслоという。それゆえ軽油は正式にはдизельное топливо (縮めてдизтопливо)といい、ディーゼル用によく使われるからディーゼル燃料と訳しても正しい。それゆえдизельные маслаというのはディーゼルエンジンオイル(ディーゼル機関潤滑油)のことで燃料ではない。しかし口語では軽油のことをдизельное топливо とは言わない。普通はсоляркаやсолярという。これはсоляровое маслоの略称から来たものである。燃料なのにどうしてмаслоと使うのだとさっそく疑問を持たれた方は将来有望である。このように常にпочемуということを頭に浮かぶ人はロシア語に限らずうまくなるのは請け合いである。соляровое маслоは初め灯火油として開発された。太陽のように明るくというのが原意のようである。ところがこれが後に農業用(特にトラクター)の燃料、船舶用燃料、機械用潤滑冷却用に使われるようになった。日本語の灯油керосинも文字通り灯火用だったのが、今や石油ストーブの燃料などに使われているのと同じである。黒沢明の七人の侍の脚本の参考となったというファジェーエフФадеевの壊滅Разгромの中に、В лампе догорал керосин.(ランプでは灯油が燃え尽きようとしていた)という文もある。ただсоляровое маслоを岩波の露和辞典ではソーラー油と訳しているが、調べてみたがこういう用語はないようだ。意味が判然としないものを直訳として書いておくというのは、インターネットにもこのソーラー油という訳が散見されるから、誤解を招かないように軽油と訳し直したほうがよい。研究社のは「ソーラー油(ディーゼル機関用軽油)」としているからまだましだが、それにしてもソーラー油は余計だ。もしソーラーオイルとかソーラー油という用語があるなら、無論訂正してお詫びする。
 軽油が出たから重油の話をすると、日本では重油は税制の関係でA, B, Cの3種に分けているが、A重油は成分的には軽油とほぼ同じで、使用を農業用と漁業用に限定することを条件に無税にしたものである。B重油は残渣油(石油精製後の)と軽油を50%ずつ配合したものだが、最近は生産されないので無視してよい。C重油というのは残渣油が90%のものである。残渣油はロシア語でмазутといい、普通通訳するときはそれゆえC重油として差し支えない。鋼材とか燃料油などはJISやGOSTという日露の工業規格により細かく具体的に規定されており、国柄が違うので当然定義は似ているものがあっても一致しない。それゆえ日常にはできるだけ内容が近いものを用語として使わざるを得ないことが多々あるのである。ちなみにмазут にはфлотский мазутバンカー重油(C重油)と топочный мазут(ボイラー燃料油)があるが、ボイラー燃料油はおおざっぱにいえばA重油とC重油を混合したものである。

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2010年09月17日

●ロシア語珍問奇問 第1回

ロシア語独習者のための質問箱をやってみたが、ほとんど質問が来ないので、自分で珍問を考え、それに回答案を書いてみることにした。初回の今回は、彼のところにイワノフ氏が訪ねてきたと仮定して、イワノフ氏をどう言う代名詞で受ければいいのだろうかということである。彼とすれば前の彼とダブってしまう。通訳するときなどはイワノフ氏と繰り返すから問題はないが、文章にすればくどい。「チェーホフに関する同時代人の思い出」という本を読んでいたら、一つの解決策を見つけたので紹介する。
У меня он застал нашего общего учителя, Александра Богдановича Фохта. Благодаря последнему вечер прошёл с большим оживлением.(私のところで彼は共通の恩師であるアレクサーンドル・ボグダーノヴィチ・フォーフトに居合わせた〔出くわした〕。後者のおかげでその晩はとても賑やかに過ごした)
 訳の巧拙は別にして、後者последнийを使うというのが眼目である。彼を指したいならонだと誤解を招きかねないので、первый(前者)を使えばよいことになる。

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2010年09月12日

●日本の心 第4回

露文のものは除いて、観光ガイドの参考になると思われる200冊ほどこの半年に読んだ。それらを紹介するつもりだが、行き当たりばったりに読んだわけではない。一つ読めば、その後書きや解説に、似たような参考文献について書かれてあるのが普通なので、それを参考に読み進んだわけである。読んだものをテーマ別に分けて挙げる。

(6) *「タテ社会の人間関係」、中根千枝、講談社現代新書、1967年
 日本の社会を個人的な資格よりも会社などの場を優先にするタテの社会としたのは非常に先見の明がある指摘である。そのため日本では能力主義が極めて限定された枠内で行われているとか人間平等主義が日本人の民主主義であるという主張には考えさせられる。ただタテの社会を上意下達としている指摘は、稟議制に触れてはいるものの、そのチェック機構や、根回しに全く触れていないということで、それは著者が研究者であって、実際に日本の会社で働いたことがない所以であろう。義理人情の理解には必読の書。

(7) 「日本および日本人」(福田恆存評論集第4巻)、福田恆存、新潮社、1966年
 日本人は和合と美を生活の原理とする民族である、日本人は化に論理的に正しくても全体の調和を欠いたものに対しては本能的に疑いを持つ、自己主張は日本人の道徳観にとって醜いなどの指摘は参考になる。

(8) 「日本の思想」、丸山真男、岩波新書、1961年
1957~58年初出。日本では思想が伝統として蓄積されないとして、西洋のササラ文化に対して日本の文化をタコ壷文化と称しているのは面白い。そのタコ壷をつないでいたのが天皇制であり、臣民意識であるとしている。五輪の君臣、父子、夫婦、兄弟にタテの関係を、朋友にヨコの関係を見ているのも中根千枝よりも先に指摘している。

(9) *「日本美の再発見」、ブルーノ・タウト、篠田英雄訳、岩波新書、1939年
 本書で感銘を受けるのはいわゆる「桂離宮の(美の)発見」というよりは裏日本や東北の紀行文である。当時の日本の様子が分かって面白い。

(10) 「ニッポン」、ブルーノ・タウト、森とし郎訳、講談社学術文庫、1991年
 日本的なものに対しより客観的な見方で見るとどうなるかというのは大いに参考になる。他に、「日本文化私観」、ブルーノ・タウト、森とし朗訳、講談社学術文庫、1992年がある。

(11) 「つくられた桂離宮神話」、井上章一、講談社学術文庫、1997年
いわゆる日本趣味(質実、簡素、明快)もモダニズムの影響を受けているという指摘は非常に参考になった。東照宮など華美過ぎて日本趣味ではないというロシア人に説明するのも今後考えざるを得まい。

(12) *「能芸論」、戸井田道三、勁草書房、1965年
幽玄は詩歌・管弦の道とともに能から来ているため、この理解には本書を読むのがよい。離見の見など能のみならず日本文化の理解には不可欠な書。

(13) 「面とペルソナ」、和辻哲郎、講談社文芸文庫「偶像再興・面とペルソナ」所載、2007年
1935年初出。「表情を抜き去ってあるはずの面が実に豊富極まりのない表情を指名し始めるのである」や「顔面は人格なり」も玩味すべき言葉である。

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2010年09月03日

●日本の心 第3回

第一部 日本の心
 日本的な美(侘び寂び、義理人情など)をロシア語でどう言うかについて手っ取り早い方法は、ロシア人の日本研究家の本をロシア語で読んで、侘び寂び、幽玄などを説明しているものを書き移せばよいと若いころ考えてきたが、どうもその訳がそれでいいのか、つまりその研究者が正しく日本の美を理解しているのかとか、理解していてもそのようにロシア語で訳していいのか年を取るにつれて種々疑問が起きてきた。そこでまず自分が日本の美とは何か日本の識者が説明してあるものを理解するのが先決であるという、極めて当たり前のことに気がついた。そこでこれまで読んで、外国人に日本の美や心を伝えるべきかでの参考となりそうな文献を挙げる。併せて貧民の状況や、外国人の書いた日本史や日本事情についての本も挙げる。

(1) *「日本人の精神史」(4巻)、亀井勝一郎、講談社文庫、文芸春秋、1959~66年
本書は、丸山真男「日本の思想」や福田恆存「日本および日本人」に啓発されて、一つの答として書かれたものである。第一部「古代知識階級の形成」(7世紀初め~8世紀後半)は神人分離による精神の流離がテーマで、仏教の受容と東大寺の創建の意味についてなるほどと考えさせられた。第二部「王朝の求道と色好み」は女房文学(土佐日記、かげろう日記、源氏物語)、浄土教、藤原の造形美が叙述されているが、極楽と地獄、源氏物語についてが味わい深い。第三部は「中世の生死と宗教観」で、浄土宗、浄土真宗、日蓮宗、禅宗を基に叙述され、第四部は「室町芸術と民衆の心」は太平記、蓮如など非常に参考になった。ただ著者が急逝したため7巻予定されたが4巻で終わり、茶の湯や国学について書かれなかったのが残念である。ただ日本の美が完成されたとされる室町時代まで著述されたことは非常に良かったと思う。著者は戦前マルクス主義より転向し、日本ロマン主義派として京都哲学派とともに戦後戦争協力者として批判された。本書を読めば一通り日本の美について理解できると思う。

(2) 「日本人の「あの世」観」、梅原猛、中公文庫、1993年
 日本のあの世観の根源にアイヌや沖縄のあの世観を挙げ、あの世はこの世とあべこべであり、天国と地獄の区別がない(死後審判もない)、アイヌはあの世を山の彼方にありとし、沖縄では海の果てにあるとしたというのは、縄文文化の担い手がアイヌであるということが定説となっている以上首肯できる。人が死ぬと魂は肉体を離れてあの世へ行き、あの世で死後先祖の例と暮らすが、一定の期間の後この世へ生まれて来るという指摘は新鮮だった。悪人や憾みを残した人間はこの世に執着の強い人間は、すぐにはあの世に行けないが、遺族が霊能者を呼んで供養すれば、あの世に行けるとして、仏教や神道もこういうあの世観を体してくるようになったということを論証している。著者には他に「地獄の思想」(集英社、1981年)もあり、地獄と極楽が結び付いたのは源信の往生要集によってであり、仏教において地獄と極楽は別の思想であり、しかも地獄は極楽より広くて極楽より近いとある。

(3) 「公と私 - 義理と人情」、有賀喜佐衛門、戦後思想体系15、筑摩書房、1974年
1955年初出、1973年補訂。義理と人情について上下関係と平等対等関係に分けて説明している。中国とは違い忠は孝に優先したとか、究極の目的は一家・子孫の繁栄であり、上位優先の考えが外国文化の輸入を容易にしたなどの指摘はなるほどと思われる。みそぎと祓いは自己を純化して理想的な神々に近づこうとする強烈なあこがれの表現であるなどが特筆される。

(4) 「義理と人情」、源了圓、中公新書、1969年
 義理は「好意に対するお返し」に発し、それが、「信頼(信義)に対する呼応」となり、「意地としての義理(自己の名誉を重んずるという意味で)」という分析は興味深かった。心中も浄土教信仰(西方浄土への憧れ)から来ていて、キリスト教の自殺に対する考え方とは違うというような指摘もなるほどと思う。人情は共感 empathy、思いやりsympathyであり、過度の共感能力から生まれたものが義理であるとしている。

(5) *「菊と刀」、ベネディクト、角田安正訳、光文社、2008年
日本人の恥の概念をどう見るかというアプローチは外国人と付き合う我々ガイドにとって非常に参考になる。文化人類学者がこれまでの素人の外国人の訪日談ではなく、プロとして、日米の文化の差異を系統的にまとめたものであり、第2次世界大戦のため日本で実地の研究ができずに日系人の助力を得て完成した。本書のテーマは戦前、戦中、戦後直後の日本であり、戦後65年経った現在の日本と比べてみると、たとえば長幼の序とか、捕虜になるよりは死を選ぶとか、天皇絶対化などアナクロとしか感じられないものもある。敗戦によって180度日本人の価値観が変わったわけで、軍国主義アレルギーも顕著であるし、恩や義理の希薄化、欧米化ということもある。しかも戦争を知らない世代が大半を占めた日本では新たな日本人観の創設が求められる。昨今問題となっているワーキングプアの若者たちのことを念頭に置くと、本書にあるような日本的なもの(「日本人は、失敗すること、また人から悪く言われたり、拒絶されたりすることに対して傷つきやすい」など)は確かにあると感じざるを得ない。失職した日本の若者は、それは自分の努力が足りないからだと自分を責めるが、このような状況であれば、ロシアやアフリカであれば社会が悪いとして暴動になったろう。現代の日本でも規律の順守、個を無にしての全体への奉仕(過労死などそうであろう)、臨機応変の現実主義などは指摘の通りである。また日本人は分相応(応分の場を占める)ということが頭にあるのだろう。第11章「鍛錬」の章が特によい。第12章「子供は学ぶ」は書いてある通りだとは思うが、外国人が読めば誤解するだろう。現にオフチンニコフの著作(菊と刀の影響を受けているからか)多くのロシア人が幼児まで日本人は子供を非常に甘やかすが、それ以降は厳しく育てるというのは本当かと聞いてくる。ただ日本人の日本人の程度もグローバル化の時代均一ではない。平均的な日本人というのはいないのである。神道を国旗のへの敬意と比べるなど非常に面白い指摘もある。米国が本書の内容(特に当時の天皇の日本国民における重要性)を理解していれば、原爆投下の必要はなかったと思う。

(6) 「恥の文化再考」、作田啓一、戦後日本思想体系14所載、筑摩書房、1970年
 ベネディクトの恥の文化に対して、公恥だけではなく私恥というものも考える必要があり、普遍化と個体化という二つの思考が自己と他者との間で食い違うとき羞恥が生じるとしている。

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