2010年09月03日

●日本の心 第3回

第一部 日本の心
 日本的な美(侘び寂び、義理人情など)をロシア語でどう言うかについて手っ取り早い方法は、ロシア人の日本研究家の本をロシア語で読んで、侘び寂び、幽玄などを説明しているものを書き移せばよいと若いころ考えてきたが、どうもその訳がそれでいいのか、つまりその研究者が正しく日本の美を理解しているのかとか、理解していてもそのようにロシア語で訳していいのか年を取るにつれて種々疑問が起きてきた。そこでまず自分が日本の美とは何か日本の識者が説明してあるものを理解するのが先決であるという、極めて当たり前のことに気がついた。そこでこれまで読んで、外国人に日本の美や心を伝えるべきかでの参考となりそうな文献を挙げる。併せて貧民の状況や、外国人の書いた日本史や日本事情についての本も挙げる。

(1) *「日本人の精神史」(4巻)、亀井勝一郎、講談社文庫、文芸春秋、1959~66年
本書は、丸山真男「日本の思想」や福田恆存「日本および日本人」に啓発されて、一つの答として書かれたものである。第一部「古代知識階級の形成」(7世紀初め~8世紀後半)は神人分離による精神の流離がテーマで、仏教の受容と東大寺の創建の意味についてなるほどと考えさせられた。第二部「王朝の求道と色好み」は女房文学(土佐日記、かげろう日記、源氏物語)、浄土教、藤原の造形美が叙述されているが、極楽と地獄、源氏物語についてが味わい深い。第三部は「中世の生死と宗教観」で、浄土宗、浄土真宗、日蓮宗、禅宗を基に叙述され、第四部は「室町芸術と民衆の心」は太平記、蓮如など非常に参考になった。ただ著者が急逝したため7巻予定されたが4巻で終わり、茶の湯や国学について書かれなかったのが残念である。ただ日本の美が完成されたとされる室町時代まで著述されたことは非常に良かったと思う。著者は戦前マルクス主義より転向し、日本ロマン主義派として京都哲学派とともに戦後戦争協力者として批判された。本書を読めば一通り日本の美について理解できると思う。

(2) 「日本人の「あの世」観」、梅原猛、中公文庫、1993年
 日本のあの世観の根源にアイヌや沖縄のあの世観を挙げ、あの世はこの世とあべこべであり、天国と地獄の区別がない(死後審判もない)、アイヌはあの世を山の彼方にありとし、沖縄では海の果てにあるとしたというのは、縄文文化の担い手がアイヌであるということが定説となっている以上首肯できる。人が死ぬと魂は肉体を離れてあの世へ行き、あの世で死後先祖の例と暮らすが、一定の期間の後この世へ生まれて来るという指摘は新鮮だった。悪人や憾みを残した人間はこの世に執着の強い人間は、すぐにはあの世に行けないが、遺族が霊能者を呼んで供養すれば、あの世に行けるとして、仏教や神道もこういうあの世観を体してくるようになったということを論証している。著者には他に「地獄の思想」(集英社、1981年)もあり、地獄と極楽が結び付いたのは源信の往生要集によってであり、仏教において地獄と極楽は別の思想であり、しかも地獄は極楽より広くて極楽より近いとある。

(3) 「公と私 - 義理と人情」、有賀喜佐衛門、戦後思想体系15、筑摩書房、1974年
1955年初出、1973年補訂。義理と人情について上下関係と平等対等関係に分けて説明している。中国とは違い忠は孝に優先したとか、究極の目的は一家・子孫の繁栄であり、上位優先の考えが外国文化の輸入を容易にしたなどの指摘はなるほどと思われる。みそぎと祓いは自己を純化して理想的な神々に近づこうとする強烈なあこがれの表現であるなどが特筆される。

(4) 「義理と人情」、源了圓、中公新書、1969年
 義理は「好意に対するお返し」に発し、それが、「信頼(信義)に対する呼応」となり、「意地としての義理(自己の名誉を重んずるという意味で)」という分析は興味深かった。心中も浄土教信仰(西方浄土への憧れ)から来ていて、キリスト教の自殺に対する考え方とは違うというような指摘もなるほどと思う。人情は共感 empathy、思いやりsympathyであり、過度の共感能力から生まれたものが義理であるとしている。

(5) *「菊と刀」、ベネディクト、角田安正訳、光文社、2008年
日本人の恥の概念をどう見るかというアプローチは外国人と付き合う我々ガイドにとって非常に参考になる。文化人類学者がこれまでの素人の外国人の訪日談ではなく、プロとして、日米の文化の差異を系統的にまとめたものであり、第2次世界大戦のため日本で実地の研究ができずに日系人の助力を得て完成した。本書のテーマは戦前、戦中、戦後直後の日本であり、戦後65年経った現在の日本と比べてみると、たとえば長幼の序とか、捕虜になるよりは死を選ぶとか、天皇絶対化などアナクロとしか感じられないものもある。敗戦によって180度日本人の価値観が変わったわけで、軍国主義アレルギーも顕著であるし、恩や義理の希薄化、欧米化ということもある。しかも戦争を知らない世代が大半を占めた日本では新たな日本人観の創設が求められる。昨今問題となっているワーキングプアの若者たちのことを念頭に置くと、本書にあるような日本的なもの(「日本人は、失敗すること、また人から悪く言われたり、拒絶されたりすることに対して傷つきやすい」など)は確かにあると感じざるを得ない。失職した日本の若者は、それは自分の努力が足りないからだと自分を責めるが、このような状況であれば、ロシアやアフリカであれば社会が悪いとして暴動になったろう。現代の日本でも規律の順守、個を無にしての全体への奉仕(過労死などそうであろう)、臨機応変の現実主義などは指摘の通りである。また日本人は分相応(応分の場を占める)ということが頭にあるのだろう。第11章「鍛錬」の章が特によい。第12章「子供は学ぶ」は書いてある通りだとは思うが、外国人が読めば誤解するだろう。現にオフチンニコフの著作(菊と刀の影響を受けているからか)多くのロシア人が幼児まで日本人は子供を非常に甘やかすが、それ以降は厳しく育てるというのは本当かと聞いてくる。ただ日本人の日本人の程度もグローバル化の時代均一ではない。平均的な日本人というのはいないのである。神道を国旗のへの敬意と比べるなど非常に面白い指摘もある。米国が本書の内容(特に当時の天皇の日本国民における重要性)を理解していれば、原爆投下の必要はなかったと思う。

(6) 「恥の文化再考」、作田啓一、戦後日本思想体系14所載、筑摩書房、1970年
 ベネディクトの恥の文化に対して、公恥だけではなく私恥というものも考える必要があり、普遍化と個体化という二つの思考が自己と他者との間で食い違うとき羞恥が生じるとしている。

Posted by SATOH at 2010年09月03日 12:21
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