2013年02月09日

●続和文解釈入門 第1回

和文解釈入門は持ちネタがなくなったのでやめにしたわけで、再開するつもりはなかったのだが、長年の習慣というのは恐ろしいもので、和文解釈入門を終了してからも、もちろんロシア語の本を読んだり、ロシア人と会話した時に、面白そうなロシア語表現(短文とは限らないし、雅語、古語、文語、俗語、卑猥な表現と何でもありで、40年以上も自分だけの和露辞典を作っているわけである)の収集を、趣味というか、生きがいとして今も続けているのだが、その中で手元に書き溜めた和文露訳に使えそうな短文がこの1カ月で30を越えた。30で終わりならそれはそれでよいが、ロシア語の表現の収集を続けて行く以上、このまま増え続けて行く可能性が高い。このまま墓場にもっていくのもいいが、新たにロシア語の参考書を書く予定もないのだから、それを和文解釈入門のように公開してロシア語の会話に興味のあるどなたかの役に立てれば、せっかくの短文が埋もれずに、少しは世の中の役に立つかもしれないという思いが一つ、それと自分と違う解釈についてコメントしてくれる人があれば、それは和文解釈入門のときのように自分の勉強にもなると考えた次第である。

 それと、『和文露訳入門』のこともある。購入するのは数人だろうと当初思っていたが、30人近い方がご購入されたので、その方へのアフターサービスということもあり、和文露訳の出題を再開することにした。参考書を買ったら、それに基づいて腕試しをしてみたいという方もいるかもしれないし、用法の説明でも『和文露訳入門』より少しは分かりやすくなってと感じるものもあり、それを伝えたいという思いもある。ただ用法を適切に示し、会話に応用できるような、よい短文というのは世の中にそれほどは多くはない。持ちネタも少ないので、ネタが少なくなったらお休みとし、いい短文が見つかったらその都度再開するという風にしたい。

出題)「何を尋ねたいのか察しはつくよ」をロシア語にせよ。

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2013年02月10日

●続和文解釈入門 第2回

投稿で本人のためにならないと思うのは、投稿した答えのうち体の用法が偶然正解だった場合である。理詰めで考えていないから次は間違う可能性が高い。一番よいのは理詰めに考えた答えが正解なのが一番だろうが、出題する側から言えば、理詰めに考えた、体の用法に関するその答えが正反対の場合である。考え方を少し変えるだけで、次から正解する可能性が高い。丸暗記ばかりしていると、ロシア語に関する限り考える習慣が失われる。誤答であれば、出題者としても、そうはロシア語では言わないでは通らないから、誤りである何らかの根拠を示す必要がある。その根拠に頭をひねることで、こちらの勉強にもなるし、体の用法に対する理解も深まるというものである。体の使い分けについては、自分で理解するのも当然必要だが、人に説明できるぐらいでないと本当に分かったとは言えないと思う。

出題)「後5分で彼女の点滴が終わり、病棟に戻って来る」をロシア語にせよ。

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2013年02月11日

●続和文解釈入門 第3回

中学生の頃、当時裁判沙汰で話題の『チャタレー夫人の恋人』を買って、家でこそこそと、肝心の箇所はどこだと目を皿にして読んでいたが、1/3も読まないうちに母に見つかり、没収された(ここのところをロシア語にするなら完了体過去形の順次的用法である)。それ以来今に至るまで読んだことはない。売れる本というのは、内容がよいという他に、話題性があるというのもあるだろう。私もアネクドートの本を何冊か書いてあるので、アネクドート=ポルノと勘違いして買った人もいるかもしれない。『アネクドートに学ぶロシア語文法』はCDもついているので、本文を目を皿のようにして読むのはもちろん、付録のCDも、実は無修正のDVDだと勘違いして、それこそ徹底的にチェックした人もいるかもしれない。私の本が何冊も古本で出回っているのも、そういう人たちの落胆と、それが原因の憤怒の結果かも知らんなと考えたりもする。もっと勘違いしてくれる人が出てくれるといいのだが。

出題)「これからは必ず寄れよな」をロシア語にせよ。

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2013年02月12日

●続和文解釈入門 第4回

原始人も最初はアーとかウーとか言って、互いに意思疎通のまねごとをしたのだろう。その後は、命令法が先に使われたと思われる。その命令にしても、その状況ではこうするという、身ぶり手ぶりの補助としての、いわゆる着手の用法であろう。またスラブ語の祖語であるインドヨーロッパ語族の最初に使われた動詞は、形が単純だという事から考えると、無接頭辞単純動詞〔пить(飲む)、бить(壊す)、делать(する)、писать(書く)、читать(読む)、строить(建設する)、гулять(遊ぶ)などのいわゆる本源動詞〕のような不完了的用法であろう。ロシア語の基本的な動詞は、このような不完了体的用法から発生したと考えるのが自然であろう。

 和文露訳入門4-1-1-4項にあるような瞬間動詞が、命令法で完了体が出やすいというのは、語義が壊す、殺す、死ぬ、見つけるなどであり、これではその場の雰囲気に合わせたような着手の意味は出て来ないはずだ。出てくるとしたら具体的な場面だけである。例えば、客を迎えて、「おかけなさい」というのは、その場の雰囲気として当然だが、客に向かって、「花瓶を壊しなさい」とか「殺しなさい」というのは尋常ではない。完了体が場独立であるというのはそういう意味である。それにразбитьだって、元をただせばбитьの派生動詞であり、ここから不完了体のразбиватьができたのだろうというのは素人でも分かる。完了体で使われやすい動詞、不完了体で使われやすい動詞というのは語義によってある程度分かるという事が言えると思う。体の用法を考えるときに、どんな動詞でも、『和文露訳入門』の見出しに挙げた時制や法(命令法・不定法)の用法が使えると考えるのは間違いである。体の使い分けには広い意味での動詞の語義による制約があるのである。

出題)「アガサクリスティーを読む気が失せた」をロシア語にせよ。

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2013年02月13日

●続和文解釈入門 第5回

前回の嫌気の用法について補足する。動作を止めたいというのは、終了の願望であり、動作の終了に不完了体が用いられると同じ理由で、嫌気を意味する動詞отговорить(しないよう説得する)、надоедать(うんざりする)、передумать(考え直す)、раздумать(考え直す)、расхотеть(~したくなくなる)、устать(~するのに疲れる)の後の不定形には不完了体が用いられる。回りの状況や対応による場依存型だから不完了体不定形が来ると考えてもよい。

出題)「帰りの切符を水曜に手続きし直した」をロシア語にせよ。

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2013年02月14日

●続和文解釈入門 第6回

日本語の遂行動詞について最近気づいたのだが、日本語の動詞には「知らせる」のように、遂行動詞の一面を持つものがあり、伝える内容が具体的な1回の動作であり、その内容の説明を発話と共に終了するのであれば、遂行動詞なので、露訳する場合不完了体現在形で表現されるが、そうでなければ遂行動詞ではないので、未来の時制で表現されるという事になる。

(当社代表団はモスクワに2013年2月23日に到着することをお伝え申し上げます)Сообщаем Вам, что наша делегация прибудет в Москву 23 февраля 2013 года.
(これについては追って連絡申し上げます)Об этом сообщим дополнительно.  <内容を伝える時期が同時ではなく、後になるので完了体未来形>
(我がエコファームで起こることはすべてお知らせいたします)Мы будем сообщать вам обо всём, что происходит у нас на экоферме! <内容が不定、未来における繰り返しなので不完了体未来形>

出題)「半休を取ったの」をロシア語にせよ。

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2013年02月15日

●続和文解釈入門 第7回

пожаловатьを露露辞典で引くと、устарелая речьとある。これは廃語ということである。他の語にはустаревающая речьというのもある。これは古風な、とか古めかしい(古臭い)語ということだろう。стилизованная речьという表現もある。ある文体特有な言葉遣いということなのだが、露和辞典で、露露でこういう注がある語には、気取ったという訳が当てられている。そういう場合もあるかもしれないが、これこそ和文解釈入門第579回に書いた役割語ではなかろうか。

出題)「予算は震災復興に4兆円の拠出を見込んでいた}をロシア語にせよ。

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2013年02月16日

●続和文解釈入門 第8回

『和文露訳入門』第1章の「体の本質と規範」中の体の本質についての説明を、以下のように追加変更した。お求めになった方は一読されたい。

『ロシア人が無意識とは言え、どのように体の使い分けをしているかを念頭において、いくつかの仮説を立て、それを時制や命令法、仮定法の例文で自分なりに検証した結果、体の本質が何かというなら、それは、

不完了体は動作や状態という素材そのものであり、完了体は動作や状態が主観的ニュアンスを帯びたものである

ということになる。不完了体は無色の、付加的なニュアンスのない動作や状態そのものであるために、過去や未来の時制では、動作の有無の確認(動作の名指し)という形で現れやすい。完了体の帯びる主観的(叙想的)ニュアンスというのは、懸念、期待、動作の完了、新しい情報や事態の出現とか、否定文では不可能、否定の強調などという、話し手の考える主観的なものを指し、具体的な1回の行為などもそうである。現在の時制では、完了体は結果の現存(現在完了)という形でしか現在と関係を持てない。それを補うために、無色である不完了体は経過や繰り返しという役割をも引き受けざるを得なかったことになる。また命令法でも、その場の雰囲気に沿った動作という事なら、無色である不完了体が使われる。それらを勘案すれば、

不完了体は場依存型で、完了体は場独立型である

ということにもなる。ここでいう場というのは、特定の具体的な場ではなく、この状況ではこうするのが一般的だと感じられるような場を指す。「その場の空気が読めない」の「その場の空気」と考えてもよい。このような場には聞き手は含まれるが、話し手は含まれない。話し手が関係するのは主観的ニュアンスのほうである。

聞き手に違和感のない動作だと話し手が思う動作に
不完了体が使われる

ということになる。不完了体の用いられるのは、動作や状態が聞き手の想定内であり、意識の上では、慣習的であり、惰性的に続いていると考えてもよい。過程やその延長上の予定の用法も、繰り返しや遂行動詞も、聞き手にとって動作の予想がつくという事はお分かりになるだろう』

出題)「お騒がせして恐縮です」をロシア語にせよ。

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2013年02月17日

●続和文解釈入門 第9回

完了体未来形のところで不可能と否定の強調という用法があるが、これらは例示的用法が発展したものだと思う。下記の文も「~であれば~しない」ということであり、例示的なニュアンスがあることが分かる。

(弁護士がいなければ一言もしゃべらないぞ)Без адвоката я ни слова не скажу.
(何も理解できない)Ничего не пойму. <「一つとして~しない」という例示的ニュアンスがある>

出題)「社員はいろいろな仕事で自分の力を試す事ができる」をロシア語にせよ。

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2013年02月18日

●続和文解釈入門 第10回

日本の道徳教育に関するロシア語の論文を読んでいたら、挙げてある日本の道徳教育の目標の一つにсамосовершенствованиеというのが出てきた。露和辞典には自己完成とある。確かに直訳すればそうなのだが、竜安寺の石庭や日光の柱の模様などを見ても、日本人は完璧を嫌う。竜安寺には15の石があるが、全ての石を見渡せない(実は1か所見渡せる場所があるとも聞く)。常に1か所からは13か14の石しか見えないという。日光の陽明門の4つの柱の一つの柱の模様はさかさまだが、これも満月のごとく、満月に至れば月は欠けるだけという思想から、完璧の一歩手前で止めるというのが日本的思想にあるという。そうであれば、こういう訳語はおかしいことになる。多分日本の道徳教育では向上心を大切にしていると論文の著者は言いたかったのだろうと推測する。

出題)「コーヒーだったらまかしといて」をロシア語にせよ。

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2013年02月19日

●続和文解釈入門 第11回

完了体は厳密な意味での、その時点でのその一瞬を表現できない。つまり、現在進行形、過去進行形、および未来進行形とも言える予定の用法を示すことができないので、それらについては不完了体が示すということになる。今сейчасは『和文露訳入門』の3-2-1-4項で示したように、日本語同様、今現在の一瞬のみならず、ある程度の過去や未来へと幅を持った現在を表現できる。

(今御社に向かっているところです)Мы сейчас едем к вам в компанию. <文脈によっては予定「今すぐ御社に向かいます」をも示せる>
(たった今彼と電話で話したばかりだ)Я сейчас говорил с ним по телефону. <過去>
(今行きます)Я сейчас буду. <未来>

完了体が表現できる現在というのは、結果の現存であり、今現在のこの一瞬の動作を除くものという事になる。現在の時制で完了体を扱うのはこういう理由に依る。

出題)「お前が彼女を殺したのか?どうやって、何のために殺したんだ?」をロシア語にせよ。

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2013年02月20日

●続和文解釈入門 第12回

疑問詞との組み合わせでは、疑問詞に文の焦点が来ることが多いために、不完了体が来ることが多いが、забыть忘れる、потерять失う、разбить割る、сломать壊す、убить殺す、ударить殴る、уронитьなくす、などの瞬間動作動詞(瞬時の移行・変化を示す動詞)を含む否定的結果の意味がある動詞で、文脈から結果の現存を意識しやすい場合は、文の焦点が動詞に向かいやすいということもあって、疑問詞との組み合わせでも、完了体過去形が来る場合が多い。新規の情報のため、動詞も含めて文の各成分すべてに焦点が来るのだと考えてもよい。

 これらの動詞が普通の文脈で、当然そういう動作をするのが当然という文脈は普通はあり得ないはずだ。部屋に人を招いて、ソファーがあれば、おかけ下さいСадитесь.<不完了体命令形>というのは雰囲気的に自然だが、部屋に花瓶があっても、花瓶を割りなさいというのは普通の文脈ではありえない展開であろう。もし敢えて露訳するならРазбейте вазу.と完了体が来るはずだ。そういう意味で、これらの動詞は語義的に場独立型であり、完了体が出やすいという事は言える。

出題)「彼は公園の反対側に向かった」をロシア語にせよ。

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2013年02月21日

●続和文解釈入門 第13回

『るいごプラス!』のサービスの項に追記したい。обслуживаниеというのは日常的な便宜の供与であって、接客、保守点検などを指し、услугаは他人や、特に困っている人に対しての援助・便宜であり、医療サービスであるとか福祉を含めたサービスを指す。

出題)ようやく来た待ち人に言う愚痴や文句である「ずっと待っていたのに、なかなか来ないんだから」をロシア語にせよ。

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2013年02月22日

●続和文解釈入門 第14回

『日本年鑑Япония 2012』は40周年記念号であり、力作ぞろいで、ページ数も444ページと読み応えがあるが、中でもアルパートフの『ロシアの日本観、神話と現実』、マルカリヤンの『日本のNPO、日常活動の分析』、パノーフの『天皇制と現代日本の国家体制におけるポジション』、カタソーノヴァ『大島渚、全てのタブーに逆らって』が面白かった。『ロシアの日本観』については、シベリア出兵についての忌まわしい思い出が残っているのか、極東で2000年に行われた世論調査では43%が日本を非友好国とし、ロシア全体の27%と際立っている。日本人のイメージとして欺瞞、腹黒さ、執念深さというステレオタイプを持っている人も多いと論文は指摘している。また天皇制の論文については、女性天皇の意義(配偶者を持てないという事での中間的・妥協的な側面)に触れられていなかったことを除けば、過不足なくその起源から現代日本における天皇制まで客観的に述べているというのは注目に値する。

出題)アベノミクスから、「三本の矢の話は覚えているかい?」をロシア語にせよ。

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2013年02月23日

●続和文解釈入門 第15回

『ロシア語の運動の動詞』(原求作、水声社、2008年)の149ページに、「不完了体動詞のなかで、本質的に、反復の意味を持っているものは、слыхивать, видыватьのような、多回体動詞と呼ばれる少数の動詞を除いて存在しません」とし、каждый день(毎日)のような繰り返しを示す語句や文脈を伴ってはじめて、反復・習慣の意味が出てくるとある。この説明なども、不完了体が動作や状態の素材そのままであり、動作が1回で終わるという限定もないゆえに、文脈やその他の状況語によって色づけされるということの裏付けであるように思われる。

出題)「つまり、これはあなたの問題だけではないという事です。お分かりか?」をロシア語にせよ。

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2013年02月24日

●続和文解釈入門 第16回

完了体と不完了体の違いで分かりやすいのは、完了体がその時点でのその一瞬を表現できない。つまり、現在進行形、過去進行形、および未来進行形とも言える予定の用法を示すことができないので、それらについては不完了体が用いられるということになる。これは完了体が過程を示すことができないという事を意味するが、過程や状態というのは、そのまま同じ動作が続くという意味では、無意識な動作であり、意識的な動作、つまり主観的動作ではないからである。主観的動作は完了体が担うから、過程は不完了体が扱うのだという風にも考えられる。それ以外の用法については一見別々で、曖昧模糊のような感じを受けるが、体の本質は同じである。会話でロシア語を使うのであれば、その本質とは何かを明確に理解することが必要である。

出題)「車を買えば家庭は円満」をロシア語にせよ。

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2013年02月25日

●続和文解釈入門 第17回

前回の続きで、過程の用法に不完了体がなぜ用いられるのかを考えてみた、現在のこの一瞬を示す事ができるのは不完了体だけであるという事の他に、「歩いているところである」というのは、右足と左足を交互に間断なく反復するわけで、これに「駅へ」という状況語がつけば、一つの動作の途中を示すことになる。過程というのは、反復(繰り返し)から発展したものだと考えることができ、そのために不完了体を用いるのだと思われる。

出題)席や部屋割りなどで「どれ(どこ)を、だれにするかは自分たちの間で決めて下さい」をロシア語にせよ。

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2013年02月26日

●続和文解釈入門 第18回

Я шучу, конечно.(もちろん冗談だよ)というのはユーモアを好むロシア人の口癖みたいなものだが、よくこの動詞を考えてみると、これは過程ではないことが分かる。冗談のような何か突拍子もないことを言って、それに続けて言うからで、冗談を言っている途中ではなく、冗談はすでに言い終っており、つまり動作は終了して、その動作の結果である冗談の効果は残っているわけである。例えば、(粥はこんなにおいしいけど嫌いだ。もちろん冗談だけど)А я не люблю, хотя каша такая вкусная!!!” Это я шучу, конечно. という文にはшучу の代わりに пошутил.と完了体過去形を使っても意味は変わらない。つまり、これは結果現存兼評価型動詞(誤伝の動詞改め)ということになる。こういう文は丸暗記で覚えるので、不完了体現在形であることに特に違和感を覚えることはないが、完了体過去形を使っても意味が変わらないのなら、しかも不完了体現在形で使われるのが普通だとしたら、結果現存兼評価型動詞である可能性が高い。

出題)刑事が被害者に被疑者たちを示して、「よく見てくれ。だれか見覚えのある奴はいないか?」をロシア語にせよ。

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2013年02月27日

●続和文解釈入門 第19回

着手を意味する動詞で代表的なものは、начать/начинать(対格/不完了体不定形)、приступить/приступать к + 与格、 взяться/браться за + 対格/不完了体不定形/、приняться/приниматься за + 対格/不完了体不定形で、これらは動詞の意味が着手だからと言って命令形のときに、必ず不完了体を取るという事はない。ただ補語に不定形を取る場合はその補語の動詞は必ず不完了体であり、これは文法的な意味での着手の用法である。

(輸血を始めなさい)Начните переливание!

上の文のように、新しい事態や情報が出てきたという場合であれば、このように完了体の命令形を使うわけで、開始という動作は全て不完了体命令形と考えるのは大きな間違いとなる可能性がある。

(減圧に取りかかってください)Приступите к декомпрессии.
(本題に入って下さい、本件に着手して下さい)Приступите к делу. / Приступайте к делу. 

 上記の文の完了体命令形は、着手は着手でも、文法的な意味の着手の用法ではない、新しい事態や情報が出てきた、ないしは文脈を特に意識しないという場合だから完了体が来ている。交渉は雑談から始まることが多いが、話し手が雑談もそろそろ終わりだなと判断して、そろそろ本題にというときには、着手の用法で不完了体命令形が来るが、そのような世間で一般的な状況を考えに入れないという場合(例えば、いきなり本題に入るとか)は完了体命令形が来る。着手という名に惑わされず、文脈が場依存型(不完了体)か場独立型(完了体)かという事で判断することが必要である。

出題)「ばかなことを言っていることがお分かりですか?」をロシア語にせよ。

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2013年02月28日

●続和文解釈入門 第20回

遂行動詞と言うのは、語用論の創始者の一人であるオースティンによれば、発話そのものが行為の遂行である動詞であり、日本語語用論では主張、謝罪、感謝、誓約、宣言、命令、依頼、質問、警告、助言、提案などの発話行為を意味する動詞である。遂行動詞は英語に比べると日本語における使用頻度は少ないとされる。
オースティンによる英語の遂行動詞の種類は、言明解説型(сообщатьなど)、行為拘束型(обещать〔約束する〕、ручаться〔保証する〕など)、権限行使型(объявлять〔宣言する〕、открывать〔開会する〕など)、判定宣告型(оценивать〔評価する〕など)、態度表明型(благодарить〔感謝する〕、поздарвлять〔祝う〕など)の5つであり、私の集めた例文を見る限り、それぞれロシア語にも対応すると思われる。

出題)「人が嘘をつくときは分かるの」をロシア語にせよ。

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2013年03月01日

●続和文解釈入門 第21回

不必要はもっとも重要な不完了体の属性とされる。ラスードヴァ先生もそう書いてはいるが、どうしてなのかという説明はだれからもない。そこで自分なりに考えてみたので、『和文露訳入門』をご購入された方は、6-1-2項を下記のように追補したので、御一読願う。
「不必要はもっとも重要な不完了体の属性とされる。その理由として考えられるのはこうである。должен(~しなければならない), надо(~する必要がある), нужно(~する必要がある), хотеть(~したい)などの叙想語は具体的な1回の動作を示す時には、主観的ニュアンスを帯びているために完了体と結びつきやすい。それはその動作に文の焦点が来るからである。ただ一定の期間を示す場合は不完了体を使わざるを得ない。逆にこの叙想語を、不必要という否定的な文脈で使えば、主観的ニュアンスを否定するわけだから、不完了体と結びつくことになる。つまりне надо, не нужно, не следует, не стоитなどの後に続く不定形には、必ず不完了体を使わなければならなくなるという意味である。何も要らないというのは、動詞の基本的意味(動作そのもの)も否定するわけで、その基本的意味を否定するために不完了体の出現が必須であるという事になる。不必要は意味的に禁止(3-2-4、5-1-4、6-1-5項)や嫌気(6-1-1-2項)につながるために、これらの文脈でも不完了体不定形が用いられる。6-2-6-3項も参照のこと。不必要、禁止、嫌気も主観的ニュアンスだが、このニュアンスを担うのは叙想語であり、расхотеться(~したくなくなる)のような否定詞неを伴わない動詞が叙想語を兼ねれば、完了体が来る可能性が高い。хотетьが不完了体なのは、反復や状態の動詞、遂行動詞だからだと考えられる。

(お見送りの必要はありませんから)Провожать меня не надо, спасибо.
(子供をおもちゃで甘やかす必要はない)Детей не надо баловать игрушками.」

出題)「我々はそれを秘密にしたことはない」をロシア語にせよ。

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2013年03月02日

●続和文解釈入門 第22回

ロシア語には有無を問う構文があって、「~はありますか(~はありませんか)」、「~はないですか」というものである。一番簡単なのは、Есть лиやНет ли(+ 生格)を使うもので、具体的なもの一つについて尋ねているのであれば、単数が来る。

Есть билет на сегодня?(今日の切符1枚ありますか?)
У вас есть магнитофон (в продаже)?(テープレコーダーはありますか〔売りに出ていますか〕?)
Есть ли в номере телевизор?(部屋にテレビがありますか?)
Есть ли номер подешевле (получше, потише)? (もっと安い(いい、静かな)部屋はありますか?)
Будет ли синхронный (последовательный) перевод на русский язык?(ロシア語への同時(逐次)通訳はありますか?) <動作は現在ではなく未来に起こる>
Нет ли для меня письма?(私宛の手紙はありませんか?) <Нет ли писем と複数生格にすると、単純に手紙の有無を聞いているだけだが、単数生格だと1通でも、あるいは1通来るのを予想していたというニュアンスが出る>

 となるが、あるかないか分からない、不定のものについてなら複数形が来る。какие-нибудь(何か)を使えば、不定の意味を強めることになる。

Есть ли письма для меня?(私宛に手紙はありませんか?)
У вас есть книги русских писателей на русском языке?(ロシア語のロシアの作家の本はありますか?)
У вас какие-нибудь нарушения памяти?(何か記憶障害がないですか?)
Есть ли какие-нибудь изменения в составе вашей команды? (チームのメンバーに何か変化はありますか?)
Есть ли какие-нибудь спортивные передачи по радио сегодня вечером?(今晩何かスポーツ番組がありますか?) <厳密に言えば未来だが、普通はテレビや新聞の番組表に載っているものなので現在形を使う>

出題)「その活動の本当のブームはちょうど1990年代だった」をロシア語にせよ。

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2013年03月03日

●続和文解釈入門 第23回

「~はありますか?(~はありませんか?)」構文の続き。не найдётсяもこの構文で使える。

(タバコの火はありませんか?)Прикурить не найдётся? <直訳すると「存在することはあり得ないか?」→「不可能とは思いますが」→「ひょっとしたら」≒ может бытьというニュアンスが出る>
(先生、先生のところに私の病気の薬ありますか?)Доктор, а найдётся ли у вас лекарство от моей болезни. <上の構文の応用>

 これは不可能という完了体未来形を使った用法の応用である。不可能は、否定の強調、つまり例示的用法から発展したと思われる用法で、潜在的可能性も含めて全ての動作の否定ということが、あらゆる可能性を排除し、それにより不可能という主観的ニュアンスが現れるということになる。動詞に文の焦点が来ているので完了体未来形の否定が使われているとも言える。これを現在の時制で扱うのは、「ありえない」ということで、未来の時制すらも否定されているのだと考えてもよい。この用法は否定の強調同様、例示的用法から発展したものと思われる。

(僕にはそれが理解できない)Я этого не пойму.
(名字は今は思い出せない)Фамилии сейчас не вспомню.

出題)謎の解決という意味で「ジグソーパズルがきちんとはまりだした」をロシア語にせよ。

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2013年03月04日

●続和文解釈入門 第24回

前回のнайдётсяは完了体未来形だが、用法的には現在の時制であることは明確である。そのためこれを完了体現在形とする学者も多い。その場合は過程や繰り返しには、つまり今現在のこの一瞬という意味で完了体現在形は使わないなどの注を入れる必要があるし、Завтра я уеду.(明日出かける)という文では、未来への時制の転用ということになろう。もっというと完了体現在・未来(非過去形)形と唱える学者もいるわけで、そうなると、「明日出かける」の方は、完了体現在・未来形の未来の用法ということになる。個人的には、大学のときに完了体未来形と習ったからという理由と、時制的には分かりやすいと思うので、完了体未来形というふうに使っているが、別に強制しているわけではない。

出題)「彼がその会合に現れる確率は五分五分だった」をロシア語にせよ。

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2013年03月05日

●続和文解釈入門 第25回

前々回でジグソーパズルに関連した問題を出した。мозаикаというのはモザイク画、モザイク模様のことだが、研究社の露和に「子供の組み木遊び」という訳もある。これが正しいかどうかは出典が分からないので何とも言えないが、最新のアカデミー版露露では、детская игра, в котором нужно составлять рисунки, узоры из разноцветных элементовとあるから、ジグソーパズルと訳してよいことになる。пазлыとする例も多い。クロスワードパズルはкроссвордであり、単にパズルは判じ物(なぞなぞ)という風に理解すれば、ребус(к/у の答えは наукаとか、力士の絵があって、その隣にAの文字があり、下に小さく4 = кとあれば、答えはсумкаという絵文字を使ったなぞなぞ)である。クイズはвикторинаで、口頭でも書いても可であり、литературная викторина(文学クイズ)、музыкальная викторина(音楽クイズ)、ソ連時代からの有名なвикторина "Кто, где, когда?"(クイズ「だれが、どこで、いつ?」)というのがあり、Здесь викторина будет на деньги.(ここで賞金の出るクイズをやる)となる。難問クイズはголоволомка(知恵の輪という意味もある)という。昔NHKでやっていたジェスチャーのような遊びはшарадаという。

出題)「1961年4月に東京大阪間の自動車レースが行われたときに、女性読者は参加料3千円を払えば、自分の車でレースに参加でき、勝てば優勝賞金10万円を手に入れることもできた」をロシア語にせよ。

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2013年03月06日

●続和文解釈入門 第26回

よくスポーツなどで、120%の力を出してとか頑張るとか、理屈に合わない表現を見かける。強調の意味で言っているのだろうが、出した力が120%なら、その120%は元々100%とすべきものだっただけではないか。毎日運動している人が、健康の日などにジャンプ測定をすると、普段運動をしない人の方が成績の良い場合がある。それを見て定期的に運動するというのはどんなものかと単純に考える人もいよう。それは定期的に運動する人には体に無理がかからないようにリミッターが働いているからなのである。運動していない人にはこのリミッターが利かないから、次にやれと言われても同じような結果が出ない可能性もあるだろうし、翌日か、2、3日して体のどこかが痛くなってくることになる。火事場の馬鹿力というのも、死ぬか生きるかというときには、体に無理がかからようにするというリミッターが外れてしまうから出せるのだし、毎日火事場の馬鹿力(能力の120%とか150%出すという類)を出していれば、体を痛めるのは理の当然だ。自分のリミッターを徐々に上げて行くというのは理屈にかなっているが、無制限にできるという事ではないはずだ。このようなリミッターを外すというのがガッツとか精神論といわれるもので、長続きはしないやり方だと言える。体罰もこの延長上にあるように思える。

出題)テレビのレポーターのよく使う「この事件の詳細については(よく)分かっていません」をロシア語にせよ。

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2013年03月07日

●続和文解釈入門 第27回

否定の強調には、『和文露訳入門』の4-2-3項にある例示的用法から派生したもので、「一つたりとも(ほんの少しでも)~しない」というような潜在的可能性すら否定するため、完全な否定となる。また例示的用法と関係があるために、完了体未来形が用いられているが、その動作を打ち消しているために、直後の出来事など広い意味での現在の時制でも用いられると考えてよい。完了体未来形の不可能の用法も同じ考え方である。

出題)「性転換の手術をなさったという話ですね」をロシア語にせよ。

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2013年03月08日

●続和文解釈入門 第28回

「ごめんなさい(許して下さい)」はИзвините.で、言われた相手が、冗談っぽくИзвиняю.(許す)という場合がある。Извините.は相手がこの動作を予想しているかどうかに関わらず発する言葉だから完了体命令形が用いられている。そう言われて、冗談めかしてИзвиняю.と答えると、これに不完了体現在形が来ているのは、すでにこの動詞は一度使われており、動作の焦点が来ないからというよりは、遂行動詞でもあるからである。Извинил(а, и)と完了体過去形にすると、動作はすでに終わっており、お詫びという結果が現在に及んでいるかもしれないということである。現在に及んでいれば結果の現存であり、そうでなければアオリスト的用法となる。一方、遂行動詞は発話と同時にお詫びが始まり、発話の終了と共に、お詫びするという動作が終わるという違いがある。
 またИзвините.の代わりに同義でИзвиняюсь.やПриношу свои извинения.も使えるが、このИзвиняюсь. やПриношуも遂行動詞なので不完了体現在形が来ている。このように具体的な1回の動作でも完了体命令形の代わりに、一人称の遂行動詞(不完了体現在形)が同義で使われる場合がある。しかし、電話で「レーナをお願いします」は、Попросите, пожалуйста, Лену.というのが普通だが、Я прошу вас позвать к телефону Лену.とも言える。後者のпрошу(お願いする)は遂行動詞であるが、попросить = позвать, пригласить(呼ぶ、招く)とは意味が違うので注意が必要である。

出題)「資金は教会から入って来る」をロシア語にせよ。

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2013年03月09日

●続和文解釈入門 第29回

会話でよく使われる遂行動詞について面白いことに気がついた。

a) (日曜に映画にご招待申しあげます)Мы предлагаем вам в воскресенье пойти в кино.
b) (お静かに願います)Я прошу соблюдать тишину.
c) (夏に南に行って来るよう勧めます)Я советую вам летом съездить на юг.

 これら三つの文は仮定法を使っても、やや丁寧な感じがするというニュアンスはあれど、意味に変わりはないが、その場合a) предложили бы 、b) просил (а) бы 、c) советовал (а) быとそれぞれ違う体になる事に気がついた。これはb)とc)の動詞が体のペアとしては不完全な、『和文露訳入門』7-2項の動詞群であり、b)やc)の動詞は不完了体優位(不完了体から完了体が発生したと考えられる動詞群)だからかもしれない。

出題)「中所得の日本人大多数にとって初めての車は夢の又夢だった」をロシア語にせよ。

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2013年03月10日

●続和文解釈入門 第30回

和文露訳の理想は手元に和露辞典があれば、それだけで正しい露文がすぐ作れるということだろう。そのためには和露辞典の方も類語の使い分けの整備などが必要であり、ロシア語の初級を教えるときに、初級文法の他に、体の使い分けを完全に理解させることが必須となると思う。

出題)「お見送りはけっこうです」をロシア語にせよ。

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2013年03月11日

●続和文解釈入門 第31回

第31回
2013年2月7日付の読売新聞朝刊を読んでいたら、教師勤務中ブログにナンパ術という見出しで、埼玉の教師が校内の印刷機や紙を使って印刷していたところを教頭に見つかったとある。これはブログの読者にナンパ術を冊子にまとめたものを1冊1万円で販売したというもので、自分の金でコンビニでコピーすればいいものを、まことにせこい話だが、A4判146ページで、これまで30冊売ったというから大したものだ。それでも停職6カ月で済むのだからあきれ返った話である。翻って我が身を鑑みるに、需要の差を思い知った次第である。ナンパ術なら1万出しても惜しくはないというのを納得する気持ちと、和文露訳ではなあという気持ちと。

出題)「そのおかげで目の下にクマができた」をロシア語にせよ。

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2013年03月12日

●続和文解釈入門 第32回

歴史的現在をアネクドートや、会話での(過去にあった)自慢話だけに使う特殊な用法だと考えるのは間違いである。第13回の出題のような文は若い人もよく使うはずだ。

(ずっと待っている〔待っていた〕のに、なかなか来ないんだから)Я-то жду, жду, и тебя нет и нет. <ようやく来た待ち人に言う愚痴や文句>

上の文を、仮に1時間待たされた上での話としても、直近とはいえ、過去は過去だから使えるし、元の和文も日本語における歴史的現在としても違和感のない表現である。この文の特徴は、完了体過去形の結果の現存の用法と対立しているということにある。アオリスト的用法が結果の現存と意味的に対立するなら、歴史的現在がアオリスト的用法に似ている以上、歴史的現在も結果の現存の用法と意味的に対立すると言えることになる。アオリスト的用法というのは、動作の結果が現在に残っているかもしれないし、残っていないかもしれない、もっと言うと、そういう事に関心がないというニュアンスである。動作の結果が今に残っていないということを強調するのであれば、結果の現存を、否定詞を使って否定文にするか、現在との関わりがないことが特徴である歴史的現在を使えばいいことになる。つまり歴史的現在は直前の出来事など、文脈によっては、結果の非現存の強調というような、『和文露訳入門』2-1-3項の対義語のある動詞群の不完了体過去形の用法のように使えるわけである。

出題)「女には技術のことはあまり分からない」をロシア語にせよ。

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2013年03月13日

●続和文解釈入門 第33回

出題の短文は、何の文脈もないので、いろいろな解釈が可能な場合もある。そうであれば、自分なりに文脈を設定して、それに従って体の使い分けをするようにしないといけない。露訳したその露訳を、読むほうがいいように解釈してくださいという、おまかせでは困るというのは分かるだろう。通訳は厳密に意味やニュアンスを相手に伝えることが必要である。そのためにこそ体の使い分けを完全にマスターすることが必要である。

出題)「レースに勝った車のガソリン消費量はいくらかというテーマで賞金20万円付きのクイズが読者に出された」をロシア語にせよ。

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2013年03月14日

●続和文解釈入門 第34回

Он чуть не упал.のчуть не = почти неということだが、これを「動作がないに等しい」と考えると誤解の元である。瞬間動作動詞である「ころぶ(倒れる)」という動作を「ないに等しい」のだから、99%は「ころばなかった(倒れなかった)」にせよ、1%はころんだと考える人もいるかもしれない。しかし、ころぶという動作は、ころぶか、ころばないかどちらしかないのである。冒頭の露文は「もう少しでころぶところだった」ということであって、これを99%ころばなかったが、1%はころんだのだと解釈するのは誤りだというは分かるだろう。чутьは動作の量ではなく、可能性の程度や多寡を示しているだけなのである。

出題)「ドライバーは男が中心だった」をロシア語にせよ。

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2013年03月15日

●続和文解釈入門 第35回

結果の現存には、「たった今~した」という意味と、動作はとっくの昔に終わっていて、その結果である状態が現在まで続いているという二つの解釈が可能である。ところが遂行動詞は、動作は発話で始まり、その発話と共に終わるわけだから、とっくの昔にというニュアンスはないという違いがある。

(どうしてあなたをお呼び立てしたのかお分かりか?)Догадываетесь, зачем я вас вызвал?

上の文を仮にдогадалисьと完了体過去形にすれば、「たった今察した」という意味と、「とっくの昔に察していた」という二つの意味から文脈によって選ぶことになる。それに完了体というのは場独立型だから、独自の考え方で理解したということになり、不完了体のように、その場の流れに沿ってというニュアンスはない。
「いいですか」という相手の注意を促したり、強調したりするときの挿入句поинмаете, понимаешьや、(そうこなくっちゃ)Вот это я понимаю!も遂行動詞由来であり、これと完了体過去形の(分かったか〔分かりましたか〕)Понял ?(Поняли?)の違いも同じである。

出題)公園などにある標語「ゴミは持ち帰りましょう」をロシア語にせよ。

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2013年03月16日

●続和文解釈入門 第36回

天皇関係の本を最近3冊読んだ。一つ目は『歴代天皇総覧』(笠原英彦、中公新書、2001年)である。歴代天皇の事績を古事記や日本書紀も交え、歴代天皇について事績を簡単に記している。第25代武烈天皇が暴君だとは知っていたが、第21代雄略天皇もそうであり、第57代陽成天皇もその気味があり、また第63代冷泉天皇は精神的に不安定であり、第65代花山天皇に至っては乱心とある。逆に賢帝とされるのは、名前がよく知られている天智帝、天武帝を除けば、第71代後三条天皇、第73代堀河天皇、第80代高倉天皇などを挙げている。南北朝についても正統である根拠は、三種の神器を所有していた南朝であるとの立場は理詰めだなと思った次第である。宮中某重大事件などにも簡単に触れており、昭和天皇が終戦はともかく、開戦拒否の聖断を下し得なかったなどと客観的な目で天皇制について述べている。

 もう一冊は『女帝の古代日本』(吉村武彦、岩波新書、2012年)で、日本には8人10代の女性天皇が中天皇(ナカツスメラミコト)として存在した。これは卑弥呼の時代から、国が乱れて、後継者が決められないときや、子や孫が幼くて公務を任せられないときに、中継ぎとして女帝が使われたことがよく分かる。そのため女帝は即位してからは、子供を作らせないために独身を強いられたというのは個人的な悲劇でもある。

 3冊目は『大正天皇』(原武史、朝日選書、朝日新聞社、2000年)で、あまり世に知られることのない大正天皇(1879~1926、在位1912~1926)につき、遠眼鏡事件も含めて温かい筆致で描かれている。大正天皇が神前結婚式の初めであるとか、皇室において一夫一妻を初めて守ったなどが触れられており、皇后との相性もよかったようで、家庭的で人間味あふれるお人柄がしのばれる。日本人として日本史や天皇についてよりよく知るために、この3冊を勧める。

出題)「思い出したら電話するよ」をロシア語にせよ。

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2013年03月17日

●続和文解釈入門 第37回

完了体というのは主観的ニュアンスを帯びるわけで、主観的というのは意識的というに近い。つまり考えてから動作に移るまでに、少なくとも一呼吸というか、一瞬はあるわけで、そのためにその時点のその瞬間を示す事ができないということになる。完了体の完遂的用法(『和文露訳入門』4-2-1項)というのはそういうことに依るものと思われる。また完遂的用法の否定を『和文露訳入門』の否定の強調3-2-4項として現在の時制で扱っているが、この現在というのは広い意味の現在であり、今現在のこの一瞬を含まない、一瞬後以降の近接未来を示している。日本語は動詞の活用では見かけ上、現在と未来を区別しないので、ロシア語に訳す時に、頭の中で細かく時制を判断しないと、正しい訳ができないことになる。

出題)「読みは当たった」をロシア語にせよ。

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2013年03月18日

●続和文解釈入門 第38回

現在の時制では結果の現存以外は完了体を使えないと考えると、日本語の動詞の現在形は不完了体現在形を使えばよいという考え方もできる。後は歴史的現在とかテイル形の例外(「彼はここに来ている」は文脈によって、彼は今ここにいるという意味にも、ここに来たことがあるという意味にも取れる。後者なら1度だけなら完了体過去形のアオリスト的用法を、何回もというなら不完了体過去形を使う事になる)だけを別にしておけばよいということになる。

 遂行動詞はどうすればよいのだろう?「~をお知らせします」は、遂行動詞としてなら、「明日朝10時に会議をすることをお知らせします」はСообщаем, что завтра в 10 утра будет собрание.と不完了体現在形となるし、「今明日の会議についてお知らせします」Я сейчас сообщу об собрании завтра.なら完了体未来形になる。日本語の動詞は非過去の場合、現在の時制と未来の時制を動詞の形の上では区別しないので、露訳の際、文脈によってはすぐに遂行動詞との区別がつきにくいということもある。遂行動詞というのは発話行為自体が動作であり、発話と共に動作が始まり、発話の終了と共に動作が終わるが、その動作の結果は残る、ある意味、始まりと終わりのある過程の用法と言えなくもない。遂行動詞は不完了体である以上、場依存型であり、その場の話の流れに沿って動作が行われるのだという事が言える。完了体未来形では、動作の内容はこの発話だけでは分からない、つまりこの後(直後の可能性もある)である未来にその内容が伝達されることになる。

 露和辞典にも遂行動詞が使えるのかどうかの区別もないし、用例もあまりない。当時の辞書の編集者に遂行動詞という観念があったのかどうかも疑わしい。またすべての不完了体に遂行動詞の用例があるとも思えない。結果現存兼評価型動詞であれば遂行動詞ではない。多回体も遂行動詞ではないし、状態の動詞も遂行動詞ではないであろう。過程を示す動詞も遂行動詞ではない。遂行動詞というのは発話行為自体が動作であり、発話と共に動作が始まり、発話の終了と共に動作が終わるが、その動作の結果は残る、ある意味、始まりと終わりのある過程の用法と言えなくもない。露和辞典においても不完了体は動詞(動詞群)によってこれらの用法を識別する必要があると思われる。露文和訳や露文解釈は文脈により、ある程度感覚でできるが、和文露訳は辞書にそういう識別がないとロシア語の動詞を使いこなせないという事になる。

出題)「どなたにご用ですか?」をロシア語にせよ。

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2013年03月19日

●続和文解釈入門 第39回

通算してもう600回以上和文露訳を出題しているわけだが、自分の答えと同じ正解を投稿してもらってうれしいかというと、特にそういう事はない。教えているという意識が自分にないからである。せいぜいのところ、この投稿者はよく勉強しているなと感心するくらいだ。間違いの方もこちらの想定内なら、ざまあみろとか、可哀想にとか、もっと勉強すればよいのにというような類の感情もない。正解でも自分が考えてなかったようなものは新発見ということで嬉しいが、もっと嬉しいのは、見た瞬間、間違いだ、自分なら絶対こうは言わないと、自分の勘がささやくのだが、どうして間違いなのか理詰めで説明することが簡単ではない場合である。まさか、自分の勘ではこういうふうにはロシア人は絶対言わないとはコメントに書けないではないか。そうなると、辞書や参考書を総動員して調べることになる。理詰めの説明がつけば、又一つロシア語に関して、自分が利口になったわけで、こういう投稿者にはいくら感謝しても、し足りない。その積み重ねが『和文露訳入門』の穴(文法的、語彙的な誤り)をふさぐ(防ぐ)役割を果たしていると思う。結局のところ、このコーナーも自分のロシア語向上のためにやっているのだからということに尽きる。このコーナーをやっていて思うのは、自分にはない他の人の発想のバリエーションの豊かさということである。丸暗記ばかりしている人には、そのような発想は出て来ないと思うし、丸暗記ばかりしている人は、暗記の想定外のとき、つまり応用がきかないということになる。そういう意味で、このコーナーに投稿してみようかという人は、ロシア語について、常に何か疑問を持っている、疑問を持てる人ということになる。そういう意味で投稿者は大したものだと思う次第。
出題)「効果があるといいが」をロシア語にせよ。

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2013年03月20日

●続和文解釈入門 第40回

観光ガイドをしていると、日本のホテルの電圧は100Vであり、周波数は東京が50ヘルツГц (герц)なのに対して、関西は60ヘルツだと教える必要がある。こんな小さな島国で周波数が二つあること自体が驚きだが、一応ロシア人に説明する必要があるので、ご参考までになぜそうなったのかを書いておく。事の起こりは関西では大阪電燈、関東では東京電燈という大手2社が電気事業の覇権を争ったことにある。大阪電燈は初めから交流ということで、1888年にアメリカのGE社の交流発電機を設置した。この周波数が60ヘルツだったわけである。一方東京電燈(後の東京電力)の方は、初めは、つまり1887年から直流でやっていたが、交流の良さを認め、1896年に東京の中央発電所である浅草発電所に200KWのドイツ製AEGの交流発電機を設置した。ドイツ製は50ヘルツであり、これが現在に至るまで尾を引いて、糸魚川静岡構造線に沿った形で周波数が分断されているわけである。基本的に北海道電力、東北電力、東京電力は50ヘルツであり、それ以外の電力会社は60ヘルツである。

出題)「お前、いつからそんなに執念深くなったのだ?」をロシア語にせよ。

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2013年03月21日

●続和文解釈入門 第41回

若返りに関する著作が売れている。宣伝でどうかなと思われるものもある。30代にメガネをかけ、ひげを生やした写真と、今現在50代で眼鏡もひげもない写真を二つ並べて、50代の方が若く見えるから、これが若返った証拠であるというのはいかがなものか。だれでも高校時代、大学時代に、人より老けて見える人、若く見える人というのはいたわけで、そういう人が同窓会で会えば、昔若く見えた人は、やはり今も見た目は若い。若く見えるからといって、万事OKかというと、女性の場合は知らないが、男性の場合はさにあらずで、20代で課長などになって、年配の部下を使うというときなど社外に行くと、部下が上司扱いされて腹立たしい思いをするという事も聞く。それでどうするかというと、メガネをかけたり、一番いいのはひげを生やすのである。これでお分かりになるだろう、30代にひげを生やしたり、メガネをかけたで老けて見せた写真と、今現在ひげを剃って、メガネをコンタクトに代えたとしても、元から若く見える人は若く見えるのである。

出題)「これがヴァレンシヤホテルだってことは90%間違いない」をロシア語にせよ。

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2013年03月22日

●続和文解釈入門 第42回

最近読んだ探偵小説の中で結果存続兼評価型動詞の例を挙げておこう。男の子が1日中遊び呆けて、ママにベッドに連れて来られるシーンである。
И говорил "Мам, я уже встаю, встаю, мам!" и засыпал опять.(「ママ、もう起きてるよ、起きてるってば、ママ」と言って、また寝入ってしまった)
このвстаюは経過(進行形)を示すものではない事はお分かりだろう。この作品を書いたのはタチヤーナ・ウスチーノワТатьянаУстинова という女流作家であり、Саквояж со светлым будущим(明るい未来のつまったボストンバッグ)の一節である。スリラーとラブストーリーと探偵小説がいっしょくたになったようなもので、それなりに面白かった。他にМиф обо идеальном мужчине(理想的男性についての神話)も読んだ。これらは4年ほど前ガイドをしていたときに、別れ際に女性客からもらった探偵小説5冊の2冊である。こういうのは好みがあるから特には勧めないが、会話の部分は実戦的なロシア語会話の例文として大いに参考になる。女性作家ゆえに女性や子供の心理や仕草が丹念に描かれているので、会話用のサンプル収集には非常に役立っているような気がする。

出題)「セミョーノフの取り巻きは日本人の間にロシアと日本政府の接近がまもなく起こるという噂を流している」をロシア語にせよ。

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2013年03月23日

●続和文解釈入門 第43回

ソ連時代に出たドストエフスキーの完全版全集30巻(実際は33巻)は、最初ナウカ経由で、後はロシアの古本屋でそろえた。15巻までは小説なので、これは全部読んだ。『作家の日記』は時事評論だろうと思い、放っておいたのだが、当時の三面記事に関するエッセーのようなものも入っているという事を知って、ロシアの犯罪が自分のライフワークであることもあり、最近読み始めた。読み始めて感じたのは、いくつか短編が含まれていることである。当時の社会情勢に触発されて書いたのかもしれない。1876年の11月はКротная(「大人しい女」とでも訳すのだろうか)という30ページほどの短編で始まっている。二人の男女の愛と自尊心がテーマのようで、愛がAll or nothingかどうかということのようであり、つきまといの逆のような感じもする。この作品は短編でも人生というものを感じさせる良作だと思う。ドストエフスキーの邦訳全集は大きな図書館ならあると思うので、ご興味のある方は一読されたい。

出題)「私に何かご依頼なさりたいことがあるのではないですか?」をロシア語にせよ。

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2013年03月24日

●俗和文解釈入門 第44回

前回の続き。この短編の後に書かれているのは、実録もので、6歳になる前妻の連れ子を妊娠中の若妻が窓から放り投げた事件である。この女の子には幸い怪我もなかったのだが、なぜかその若妻は自首して、シベリア送りの判決を得た。黙っていれば分からなかったはずにもかかわらずである。ドストエフスキーは妊娠中の一時的錯乱аффектであり、無罪にすべきだと主張している。死刑の直前で執行中止となった自身の経験を踏まえ、前回の短編よりもこの実録もののほうがドストエフスキーの人間性がよく出ているように思える。

出題)相手への電話中に発せられた言葉「私はそのことで電話したのではない」をロシア語にせよ。

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2013年03月25日

●続和文解釈入門 第45回

実在したかどうかは不明だが、明の時代に我来也という怪盗がおり、忍び込んだ家に自来也と書き置きしたという。日本では自雷也となって、歌舞伎や漫画でガマに乗って忍術でドロンと消えたり現れたりする怪人になった。戦後のモスクワも治安の悪いところで、1946年3月6日付夕刊モスクワВечерняя Москваに黒猫Чёрная кошкаという記事が載り、窃盗団「黒猫Черная кошка, Шайка чёрного кота」が盗みを働いた後、Не ищите нас, здесь была "чёрная кошка".(探しても無駄だ、黒猫参上)という落書きを残したと伝えている。この窃盗団は一つではなく、一種の流行りのようなもので、いろいろな窃盗団が黒猫を名乗り、モスクワだけではなく、オデッサなどにも現れた。モスクワの地下鉄の入口近くあった黒猫の落書きも当時の写真で残っている。「待ち合わせの場所を変えることはできないМесто встречи изменить нельзя」(1979年)というヴィソーツキーВысоцкий主演の映画に、この黒猫のエピソードが事実とは違うが描かれている。黒猫については拙著『ロシア史異聞』(東洋書店、ユーラシアブックレット)に少し書いた。

 怪盗や窃盗団は別にしても、観光地などの落書きで、英語でもKilroy was here.があり、ロシア語ではЗдесь был Вася - Эта надпись стара как мир.(「ワーシャ参上(見参)」、これは世界の誕生と同じくらい古い落書きだ)ということもある。落書きやイタズラ書きはнадпись на стене(壁の落書き)と言い、надпись= короткий текстであり、граффитиも同義語だが、不変化で複数扱いである。卑猥なものは、стирать мокрой тряпкой всяческую похабщину(どんな卑猥なイタズラ書きもぬれ雑巾で消す)という表現もある。

出題)「30時間コースの受講者数は年間300名にのぼる」をロシア語にせよ。

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2013年03月26日

●続和文解釈入門 第46回

学生の頃チェーホフとドストエフスキーの完全版全集を予約した。当分読めなくともいつか読みたいと考えたからだ。チェーホフは無事全巻入手したが、ドストエフスキーの方は24巻を入手したところで、駐在でモスクワに行くことになり、予約を中止した。このドストエフスキーの完全版全集は全30巻(実際は33巻)で1972年に始まり1990年に完結している。面白いことに最初の16巻までは部数は20万部という桁違いのものであり、さすが社会主義国というか、売れるか売れないかは関係ないという感じである。それが1980年代ごろからソ連経済の破綻が表面化してきて、出版界もその影響を被ってきた。17巻は17万5千部に18巻以降は5万部とか5万5千部ぐらいである。それでも今の日本の出版事情を考えるとものすごい量である。ソ連が崩壊してから、古本が非常に安価に出回った。日本円で当時ハードカバーが1冊100円とか200円という感じである。私は少しでも名のある作家のものや、ロシアの犯罪に関するものはすべて買いあさり、その頃はもう駐在ではなく、出張でロシアやカザフ、ウクライナによく行っていたが、毎回60冊ぐらいは買って帰った。気になっていたドストエフスキーの残り25巻から30巻も1冊ずつ買っていたのだが、どうしても第25巻が手に入らない。全集の中でこういう手に入りにくい端本のことを利き目というのだと『新懐旧国語辞典』(出久根達朗、河出書房新社、2010年)に載っている。もちろん30巻全集には入っているが、全部買って日本に持って帰るわけにもいかない。2度目のモスクワ駐在の時2000年だと思うが、25巻から30巻までが馴染みの古本屋で、日本円にして2000円ぐらいで売っていたので、これを逃してはチャンスがないと思い、買った。そのとき一緒に行ってもらった運転手から、1冊買うために9冊買うなんて馬鹿ではなかろうかと何度も言われた。この全集では小説は15巻までで、それ以降は評論の類であるとずっと思っていたので、15巻までは全て読んだが、それ以降はほったらかしにしていた。25巻を買ったのも1巻抜けているのもどうかなというインテリア感覚だったのである。

 ロシア語が生きがいとは言え、私の中心になるテーマは和文露訳という意味での現代ロシア語会話と、もう一つはロシアの犯罪史である。あるときドストエフスキーの『作家の日記』に当時のロシア社会の三面記事を評論として扱っているというのを知った。手持ちの全集を見ると、『作家の日記』はこの全集の21巻から27巻を占めている。25巻は1877年の分であり、トゥルゲーネフやべリンスキーとの出会いが作家の道への第一歩になったこと、詩人ネクラーソフ、トルストイに関することなど面白い記事がたくさんあったので買って本当に良かったと今にして思う。『作家の日記』のスラブ主義、キリスト教、バルカン問題というのはそれほど興味がないが、日常の三面記事の出来事、ユダヤ問題、ヨーロッパとの関係などは、ロシア人の本質を考える上で非常にためになると思う。『作家の日記』には最初の15巻に含まれていないいくつかの短編もあるが、佳品が多い。

出題)「法の名のもとにあなたを逮捕します」をロシア語にせよ。これに対する御回答のコメントは2、3日後となりますので、悪しからず。

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2013年03月28日

●続和文解釈入門 第47回

遂行動詞を否定すると、遂行する動作自体が存在しなくなるのだから、「~しないことになっている」というような一般的にこうだという意味にしかならない。

(弊社は他の方々にお客様の個人データを知らせることは一切ありません)Мы никогда не сообщаем ваши личные данные другим сторонам.

出題)「悟りに達すれば、全ての苦しみや迷いは消える」をロシア語にせよ。ご回答のコメントも3、4日遅れると思うので、悪しからず。

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2013年03月29日

●続和文解釈入門 第48回

по причине + 生格(~という理由で)というのは、日本人が使いたがる理由を示す句だが使い方が難しいと書いたことがある。一つにはこれ自体が官庁用語でぬえのようなあまり特徴がないというか、特徴がないことが特徴であるということでもある。из-за + 生格なら、理由や原因が悪いことやお金などの目的を示すとか、благодаря + 与格なら理由や原因はよいこと(最近は悪いことでも使われるとはいえ)だとかの目印があるが、по причине + 生格にはそういう使用上の目印がないので、使いにくい。強いて言えばお役所関係の翻訳でよく使うという事が挙げられる。それと使いにくい理由は、レーマとして使われるので、テーマとレーマということをよく理解していないと、間違いとしてロシア人に直されることが多々あると思う。テーマは主題であり、レーマは解説部である。これについては『和文露訳入門』9-10項に挙げた。オリェーシャОлешаの『妬みЗависть』の中に、分かりやすい例文を見つけたので、ここに挙げておく。

(バービチェフを見るのは非常に気分がよかった。その理由は二つある。一つは彼が有名人だったことであり、二つ目は彼が太っていたことである)Было очень приятно видеть Бабичева по двум причинам: первая - он был известный человек, и вторая - он был толст.

出題)「空腹ではタバコをすうな」をロシア語にせよ。

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2013年03月30日

●続和文解釈入門 第49回

大学を出て、小さな商社に入り、営業に配属され、通商代表部のある公団の駐在員の担当となった。彼の家族がやってくるというので横浜に出迎えたことがあったのだが、5歳の息子のロシア語が分からない。まったくチンプンカンプンでかなり自信をなくしたことを覚えている。その頃はロシア語をやって5、6年だし、大学の時に4人の仲間と1年間自費でロシア人の女性から会話を習っていたこともあって、仕事上の会話では、つまり大人のロシア人との会話では不自由しなかったからなおさらである。今にして思えば、見ず知らずの日本人の幼稚園児とでも、園児の言わんとすることを理解するのは難しいと思う。彼らはいい意味での全くのジコチューだからだ。自分の狭い世界(幼児だから当然だが)からようやく外の世界に飛び出す時期だからであり、そのためにこそ幼稚園や小学校の先生という幼児との意思疎通のプロがいるわけで、素人がかなうわけがないのであり、それが外国語となればなおさらである。こういう幼児とは語学でどうのうこうのではないわけで、特定の幼児とうまくコミュニケーションが図れても、他の幼児、あるいは大人のロシア人とうまくロシア語が通じるかは別の問題だということがおいおい分かってきた。

出題)「そいつが死ぬだけではなく、時間をかけて死ぬことが彼には必要だった。短い時間でも、ほんの数秒の間でもいいから」をロシア語にせよ。

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2013年04月01日

●続和文解釈入門 第50回

зритель(観客)やчитатель(読者)は集合名詞として単数で使われることが多い。читательを文中での呼びかけで用いるときは、今その文章を読んでいる人に対してだから、単数となるのは当然であるので、ここから単数でよく使われるのかもしれない。二人で1冊の本を読むというのはかなり特殊な状況であろう。読者層は当然ながらкруг читателей, слои читателейと複数が来る。

出題)「どこかの二人がいつも会社の行き帰り、彼についてくる」をロシア語にせよ。

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2013年04月02日

●続和文解釈入門 第51回

このコーナーを見ている人は分かると思うが、露文を見て簡単に和訳できるようなものでも、和文から露訳というと案外に難しいものである。和文露訳には文法の勉強が露文解釈以上に必要であることが分かるはずだ。そうでないと思うならば、試しに本コーナーの出題の和文を露訳してみれば分かる。不完了体現在形とて簡単そうに見えるが、遂行動詞は簡単には手に負えない。どう難しいか、分かりやすい例を挙げてみる。благословлять(祝福する)とпроклинать(呪う)はそれぞれ遂行動詞であり、下記のように使う。

Благословляю вас.(祝福申し上げます)
Проклинаю тебя, твоё здоровье, твоё будущее.(お前を、お前の健康を、お前の将来を呪ってやる)

ところが(お前に遺言だ。5ルーブルを盗むなら呪ってやるが、10万ルーブルなら祝福するぞ)を露訳すればどうだろう?共に日本語では、「呪う」、「祝福する」である。

Вот тебе завет: украдёшь пять рублей - прокляну, украдёшь сто тысяч – благословлю.

露訳すると、例示的用法だから、上のように完了体未来形なってしまう。発話と同時に動作が始まり、発話の終了と共に動作が終わる遂行動詞(不完了体現在形)と、その時点では動作が始まっていない完了体未来形の意味の差が分かるだろうか?つまり母国語の日本語においても時制を精確に理解していないと訳せないのである。ちなみに、この例文はドストエフスキーの作家の日記からのものである。

出題)「好むと好まざるにかかわらず、これは俺の仕事だ」をロシア語にせよ。

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2013年04月03日

●続和文解釈入門 第52回

ソ連時代ホテルに泊まると、パスポートの記帳というか、その筋への報告のためにパスポートが一晩預かりになったのである。最近のロシアでは、特に田舎でない限りは、パスポートとビザのコピーを取ってすぐ返してくれるだろうから、最近ロシアに行く人はあまり知らないかもしれない。長いことこういう風習は、ソ連が秘密警察国家だから、そのせいだと思い込んでいた。ところが、1913年に出た稀代のロシアの詐欺師騎兵少尉サーヴィンкорнет Савин(1854~?)の自伝を読んでいたら、1890年代のエピソードとして、彼がフランスのドゥ・トゥルーズ・ロートレック伯爵граф де Тулуз-Лотрекと名乗り、ブルガリア王家を乗っ取ろうとして、ブルガリア政府を手玉に取るというくだりで、セルビアのベルグラードに立ち寄るのだが、そのときに西欧との違いというくだりで、ロシア風あることの証左として、По приезде же в гостиницу у вас отбирают паспорт для прописки, так же как и у нас.(我が国同様、ホテルに到着するとすぐ滞在証明のためにパスポートは取り上げられる)とある。ロシア帝政時代からのものだったのである。

出題)(長電話で)「カチューシャ、(もう)切るわ。電話して」をロシア語にせよ。

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2013年04月04日

●続和文解釈入門 第53回

和文露訳の勉強と突き詰めて行くと、日本語での作文の勉強のように、いずれはロシア語で作家やジャーナリスト並の文章を書けるようにということを目指すということになるのかもしれない。しかし、普通にメールの文章が書けるというのと、よい文章を分かりやすく書けるというのは違う。普通に文章が書けてから、文章が上達する練習が始まるのである。和文露訳の場合は、外国人が文法や語彙の間違いを最小限に抑えて、普通にロシア語の文章が書けるよう練習をするという事である。

出題)「何かあったら言って」をロシア語にせよ。

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2013年04月05日

●続和文解釈入門 第54回

勧誘形という一人称の命令形がある。分かりやすく言えば、英語のLet's(~しましょう)という、давай(те) + 完了体未来形(不完了体不定形でもよいが、使用例は少ない)という用法である。「~しましょう」と言っているのだから、話しの流れに沿ってであり、давай(те)と不完了体命令形が来るのは分かる。その後に不完了体不定形が来るのも、主観的ニュアンスのない動作そのものという事で理解できる。問題は完了体未来形である。これは文法的にはдавай(те)の後の完了体未来形という事なので、二つ文があり、カンマが省略されていると考えられる。そうでないと、命令形の後に、完了体未来形が来るのは論理的におかしいことになる。つまり、着手の意味でдавай(те)が来て、その後には、別の文が来るわけだから、主観的なニュアンスを示す完了体未来形が来るということになる。この場合、давай(те)は添え物というか、露払いのような、動作の着手を先の文で示しているという事になるのだろう。

出題)「お借りになったお金の期限はとっくに過ぎております」をロシア語にせよ。

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2013年04月06日

●続和文解釈入門 第55回

デパートで「御来場のお客様にご案内申し上げます。ただ今8階ではバーゲンセールを開催中でございます」という類のアナウンスを聞くことがある。これを露訳すると、Мы сообщим Вам, покупателям. Сейчас идёт распродажа на восьмом этаже. となりそうに思う。ところが、ロシア語としては非常におかしい。接続語なしで二つの文が続いているのである。しかも最初の文は「御来場のお客様にご案内申し上げます」という短文の露訳としては、伝えるのが未来の時制ゆえに完了体未来形が来ており、一応文法上正しいように見える。しかし、考えてみると、日本語本来の用法では、述語が後に来るから、「ただ今8階ではバーゲンセールを開催中であることを、御来場のお客様にご案内申し上げます」となるはずである。これは発話と共に動作が始まり、発話の終了と共に動作が完了し、その結果が残る(発話終了と同時に伝えたい内容が聞き手に理解されるという意味で)わけだから、文法的には遂行動詞ということになる。しかし、これだと文が長すぎて、何を言わんとしているか、よほど注意して聞いている買い物客でないと意味が聞き取れないはずだ。遂行動詞の構文にもかかわらず、英語や、ある意味ロシア語風に、意味を的確に伝えるために、アナウンスでは、文を二つに分けて、述語を先に持ってくるという工夫がなされたのではないかと思われる。だから、この最初の文を露訳するには、Дорогие покупатели! Мы сообщаем Вам, что сейчас идёт распродажа на восьмом этаже. とするのが自然だと言える。このように、日本語の文でも、文ごとに訳してゆくと、ロシア語としてはおかしい文になることを指摘しておきたい。

出題)警察官が強盗に、「警察だ、全員床に、伏せるんだ」をロシア語にせよ。

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2013年04月07日

●続和文解釈入門 第56回

予定の用法には動詞によって不完体現在形が使われる。これは予定を組むというのは話し手にとっては主観的動作であるが、一旦予定が組まれてしまえば、それは主観的動作ではなくなり、惰性的な動作でもあるがゆえに、不完了体が用いられるとも考えられる。

出題)「子供の喧嘩に親兄弟、大人が口をはさんではいけない」をロシア語にせよ。

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2013年04月08日

●続和文解釈入門 第57回

体の本質を一言で言えば、完了体は話し手にとって意識的であるという事に尽きる。裏を返せば、不完了体は意識的(主観的)な要素が少ないと言える。つまり、不完了体は話し手にとって動作や状態という素材そのものであり、完了体は動作や状態が、話し手にとって主観的ニュアンスを帯びたものであるからである。大きく言えば不完了体は則天去私であるといえる。

 武道の稽古には自由組手と形組手がある。自由組手というのは、実戦を想定した試合形式の稽古であり、形組手というのは、技の粋を形にまとめ、それを練習することによって実戦的な技を習得する手がかりにしようというものである。ロシア語の会話においては、実際にロシア人と会話をするのは自由組手であり、形組手は『和文露訳入門』の目次にあるような各種の用法に相当する。これらの用法の説明を理解し、多くの用例に当たることで体の本質が必ず見えてくる。本書では、過去・現在・未来の三つの時制と命令法と不定法に分けて、またそれぞれを不完了体と完了体に分けて、多くの用例を体系的に方向づけ、配置することで、その手がかりとなるように工夫されている。これらの具体的な用法を順次会得することにより、体の真髄がだんだんと会得できるようになってくるはずだ。

出題)「彼女の面接が行われた」をロシア語にせよ。

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2013年04月09日

●続和文解釈入門 第58回

遂行動詞というのは発話 = 動作であり、そういう動作があるということを確信を持って言えるのは主語が一人称のときである。二人称や三人称というのは、基本的に他人であり、人のことは何を考えているのか分からないということもある。日本語でも小説などの感情移入は別にして、感情・感覚を示す「悲しい、痛い、感じる」、意志や欲求を示す「するつもりだ、~したい、~しよう」、精神作用を示す「思う、考える」は主語が一人称の時だけであり、二人称の時は「~か(問いかけ)」、「ね」などの終助詞を添え、三人称の時は「~かもしれない、~に違いない、~のだ、~らしい、~のようだ、~だろう」というような推測や判断の表現形式を添えるか、引用形式にするのが普通だということがある。ロシア語でも直接体験できるのは当事者のみという考え方から、遂行動詞が使われるのは圧倒的に一人称が多いのだと考えられる。二人称で使われるのは、О чём ты спрашиваешь? (何を尋ねているの?)とか、三人称は『和文露訳入門』の3-1-4項に例がある。ゆえに遂行動詞の使用については、どんな動詞でも、どんな人称でも使えるということにはならないのである。二人称や三人称が主語の時に遂行動詞が使われるのは、話し手が聞き手や第三者が動作を遂行することに確信がある場合

出題)「私はあなたの何なの?」をロシア語にせよ。

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2013年04月10日

●続和文解釈入門 第59回

最近、宮部みゆきの本を何冊か読んだ。出来不出来というか、私の好みもあるから一概に言えないが、『模倣犯』は傑作であろう。『理由』も虚構家族をテーマにして面白かった。その中に戦前、舅が嫁と通じることが伏線として出てくるが、核家族の現在ではあまり起こり得ないとはいえ、革命前のロシアでも大きな問題であり、19世紀など息子が出征している時に嫁を犯すとか、息子が自分の嫁と通じた父を殺し、尊属殺人のため形が重くなり、シベリア送りとなった悲劇は多い。『流刑Каторга』Дорошевич, Захаров, 2001にもこういう例について挙げられている。こういう嫁と通じた舅をロシア語ではснохачと言うのだという事を思い出した。

出題)「困ったら、だれに聞けばいいのですか?」をロシア語にせよ。

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2013年04月11日

●続和文解釈入門 第60回

体の用法の使い分けにおいて完了体が意識的であるという事は前に述べた。未来の時制においてこれを当てはめてみよう。完了体は意識的ということにから、アオリスト的用法のように、過去の時制において完了体は過去の明確な一点で行われた動作を扱う。それに対比して考えれば、完了体未来形というのは、同じく意識的という事で、動作を行う未来の一点を目指すと言える。その際その動作が具体的に明示されるかどうかは問題ではない。一方不完了体未来形は未来における動作の有無を示す事に主体があり、いつ動作が行われるかは二の次ということになる。これによって未来における時を示す具体的な語句があれば、完了体未来形を使うのが自然だという事が分かる。不完了体現在形の予定の用法は、現在を近接未来まで拡大解釈した用法であり、そういう意味では未来を示す具体的な語句と共に使われる例外と言えなくもない。

 上記により、『和文露訳入門』の4-1-1-5を下記のように補足した。

 出だしの「明日モスクワに立ちます」という文を露訳すれば、新しい事態や情報が出てきたわけであるから、Завтра я поеду в Москву. と完了体未来形を使うのが普通である。Завтра я еду в Москву. と不完了体現在形の予定の用法を用いると、モスクワ行きを前から予定していたということになる。あまり言わないが、不完了体未来形を使ってみよう。ただし、завтраという時間の副詞があると、4-2-1項でも述べるが、未来における時を示す具体的な語句があれば、完了体未来形を使うのが自然だという事だということと、出発するという動詞に文の焦点が行き、これでは完了体未来形の領域なってしまうので、これを外して文を作ると、Я буду ехать в Москву. となり、「(飛行機ではなく)車や電車でモスクワに行く」というニュアンスになる。

出題)「彼らはあわてず騒がず、冷静な頭で決定を下す」をロシア語にせよ。

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2013年04月12日

●続和文解釈入門 第61回

ロシア語は2という数字で短さを示す事が多い。в два счётаと言えば、あっという間にぐらいの意味であろう。これは軍隊の命令(かけ声)、Раз, два!(オイチ、ニ)から来たのだという説がОпыт этимологического словаря русский фразеологии(ロシア語慣用句語源辞典の試み), Шанский, Зимин, Филиппов, Русский Язык, 1987に書いてある。

出題)「アポイント(面談)は10時15分前だった」をロシア語にせよ。

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2013年04月13日

●続和文解釈入門 第62回

騎兵少尉サーヴィンКорнет Савин(1854年~?)は1887年ごろフランスのドゥ・トゥルーズ・ロートレック伯爵граф де Тулуз-Лотрекと名乗り、ブルガリア政府を煙にまいて、ブルガリア大公(王様)の候補となり、王家を乗っ取ろうとしたという稀代のペテン師であり、彼の自伝Записки корнета Савинаにはその事が書かれている。大半はヨーロッパでの逃避行と牢屋暮らしのため、私の興味があるロシア関係の犯罪文献としては価値が劣る。ただ19世紀末のヨーロッパの牢屋事情は詳しいし、当時のヨーロッパの社会情勢などもよく分かる。若干とはいえ、1887年ごろのモスクワの監獄の様子について具体的な記述があるのは参考になる。この自伝は1913年に作家ギリャローフスキーにより出版されたので、文章や校正に彼の筆が入っている可能性があるから、文法的な面で言えば安心である。彼は1918年に横浜に来ており、日光まで足を伸ばし、まもなくウラジオに戻り、香港で死んだという。

 拙著『ロシア奇譚』の4-17にイスカンデール閣下として、ニコライ1世の孫であるニコライ・コンスタンチーノヴィチには盗癖があり、1874年には時の皇后(アレクサンドル2世の后)の印鑑を盗んだり、他の皇族からダイヤなどを盗んだという事は述べた。このダイヤの盗難にサーヴィンが関わっているという話もあるらしい。

出題)「このセメントは短期間で強度を増してゆく」をロシア語にせよ。

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2013年04月14日

●続和文解釈入門 第63回

くしゃみをするとロシアではБудьте здоровы!と声をかけてくれる。これは東スラブ族の伝説で、くしゃみは霊や魂と人が接触するときに起こると考えられたものである。そういう意味での「お大事に!」ということなのである。中世の日本ではくしゃみをすると鼻から魂が抜けると信じられており、そのためにくしゃみをすると寿命が縮まると信じられていた。そこで早死にを避けるため「くさめ」という呪文を唱えるようになったとある。日本語のくしゃみについては休息万病、休息万命の早口言葉だとか、糞食めだとかという説がある。

出題)受付(守衛所)からの連絡で、
「お客さまです」
「どちらさま?」
「イワノフさんです。通行証を出しますか?」をロシア語にせよ。

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2013年04月15日

●続和文解釈入門 第64回

арестоватьは完了体・不完了体同形だが、遂行動詞の場合はарестовываюで、арестуюは完了体未来形として使うと第47回の出題でコメントした。日本語の「逮捕する」はその時の和文訳でも分かるように、遂行動詞としても、未来の時制でも文脈により使われるので、和文露訳のときには意識して使い分けることが肝要である。遂行動詞自体があまり知られているとは思えないので、遂行動詞とは何かということを『和文露訳入門』の3-1-4項でよく理解する必要がある。

出題)「私の治療の効果は出てる?」
「ええ、奇跡が起きましたよ」をロシア語にせよ。

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2013年04月16日

●続和文解釈入門 第65回

ガイドというと決まったスケジュール表があって、それに従って、観光案内や食事、時間の管理をすればよいと考える人もいるだろう。グループの観光客を相手にする時はそういう事もあるのは事実だが、まったくフリーというのもある。一番多いのはその中間で、ガイドはフレキシブルに対応しないとやっていけないし、お客様本位の世界なのだ。最近やったのは完全フリー、つまりホテル名と場所、ガイドする時間、客の名前だけ教えてもらい、後は客と直に話しあって決めてくれというものである。お客さんは夫婦の二人連れで、ホテルに着くなり、合気道の道着が買いたいので手伝ってほしいというので、探し回って、その店に連れて行き、買い物の手伝いをした。その後、円が少ないというので、土曜だったが両替店を探し出し、両替してもらった。通常はホテルで出来るのだが、ビジネスホテルや小さなホテルでは両替サービスがないところや、金額に制限を設けているところもある。ロシアと違い、土日や休日もやっている両替店は少ないので、ある程度そういう両替店の場所を頭に入れておく必要がある。その後、翌日京都に行きたいから切符を買う手伝いをしてくれと言うので、駅のみどりの窓口に連れて行き、その駅から東京駅までの行き方(プラットホームの番号や所要時間)などを教え、京都の何を見ればよいかと言うので、日帰りなら、金閣寺、竜安寺の石庭、清水寺ぐらいということで、その概略を説明し、京都でタクシーの運転手に分かるよう、日本語と英語・ロシア語で金閣寺などの行き先をメモに書いてやった。

 それからようやく観光スタートとなり、交通機関はすべて地下鉄・JR、徒歩でということになった。日本的なものが見たいというので、明治神宮へ、幸い2組も結婚式直後のカップルの写真も撮れ、非常に喜んでいた。その後、皇居、そのまま東京駅のレンガの建物を案内し、ついでに翌日の京都行きのために新幹線(東海・山陽と東北山形新幹線のマークの違い、行き先の違いを説明し)の改札口まで案内しておいた。桜は1本、2本は見たがまとまって満開のはまだ見ていないというので、上野公園へ。桜は満開で、花見客の写真も多く撮れ、ソメイヨシノだけではなく、八重桜、枝垂れ桜なども珍しがっていた。その後浅草へ。さらに東京湾を見たいというので、お台場の自由の女神像のところに連れて行き、レインボーブリッジをバックにかなりの写真を撮り、喜んだようだ。その後、都庁へ連れて行き、そこで時間となったので別れた。これは極端にしても、午前中は予定のコースを回り、午後は自分たちの希望はこうなので、予定を変更してほしいということはよくある。費用に関係ないならば、あるいは費用を客が負担するというなら、できるだけ客先の要望に従うようにしているので、このような臨機の対応をするためには、ある程度和食のレストラン、寿司屋、ふぐ店などを事前に調べておくことも必要だが、そのためにはガイドの場数を踏んでおかねならないだろう。

出題)「そろそろ帰るつもり。とにかくもう9時だもの」をロシア語にせよ

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2013年04月17日

●続和文解釈入門 第66回

箱根、日光、富士などの観光をしていると、火山が噴火したとロシア語で説明することが多い。例えば、「3千年前にその火山は噴火した」なら、Вулкан извергался три тысячи лет.となり、3千年前という過去の一点を示しているのにもかかわらず、不完了体過去形が来ている。アオリスト的用法である完了体過去形は使えないのだろうか?どうしてだろう?これは噴火というのが、瞬間的な出来事ではなく、ある一定の期間続くことから不完了体が使われるのではないかと思われる。体の用法も語義が大いに関係してくるという例である。

出題)「僕は紅茶だ」をロシア語にせよ。

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2013年04月18日

●続和文解釈入門 第67回

体の用法は極端に言えば、聞き手や第三者がどう思おうと関係なく、話し手がどう思うかどうかによって体の使い分けが決まる。回りの状況に流されない話し手にとって新規の動作であれば完了体を、そうでなければ不完了体ということになる。第55回の出題の解説を見れば、私の言う新規とそうでない場合というのが具体的にどうなのか分かるはずだ。

出題)「好きか嫌いかの問題はここでは関係ない」をロシア語にせよ。

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2013年04月19日

●続和文解釈入門 第68回

40年以上もロシア語を仕事で使っているのだから、体の使い分けが100%出来るかと言われたら、私の場合、90%とか95%ぐらいは正しく通訳していると思う。100%でないのは、通訳が、同時通訳とは言わないまでも、ほぼ間髪を入れずにしなければならないので、体の使い分けまで考える時間がないからである。ただ通訳した直後に間違いは分かるが、そのときはもう手遅れであり、言い直すことになる。外国人がロシア語を話すのだからこれはこれで仕方がないと思う。これ以上精度を上げるよりは、もっとリラックスしてロシア語を楽しんだ方がよいというのが私の考えであり、1分でも時間(長ければ長いほどよいと思うが)をくれれば、より正しい体の使い分けを提示できると思う。

出題)ゲームや勝負事で「ツキが変わった」をロシア語にせよ。

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2013年04月20日

●続和文解釈入門 第69回

痴漢というのも訳が難しい。最近女性専用車両をロシア人観光客に説明することがある。この訳自体は簡単だが、なぜこういうのができたかを説明するときに、ラッシュアワーには痴漢が多いから、その時間女性だけを隔離しているのだとしたいのだが、大体は言わんとするところは通じるにしても、肝心の痴漢の訳がすっきりせず、隔靴総洋の感じである。ロシア人の女性に痴漢を説明するときに、モスクワにも地下鉄があるのだから、当然痴漢がいるわけでそれはいいのだが、何と言うか知らないと何度かロシア人の女性に言われたことがある。эксгибиционистыだろうと何人かのロシア人女性から言われたが、それは露出狂であって、必ずしも痴漢ではない。最近マリーニナМарининаのУбийца поневоле, ЭКСМО, 2011(不本意な殺人者)を読んだら、развратник、половой психопатとあり、さらにВ переполненном транспорте к ней приставали сексуально озабоченнные взрослые дядьки.(満員の乗り物で彼女は痴漢につきまとわれた)というのがある。多分половой психопатぐらいがいいのだろう。他にもсексуальный маньякというのがあるが、強すぎるような気がする。грельщикは俗語(隠語に近い)人混みや電車などで女性に触る痴漢だが、ロシア人でもこの単語を知らない人がいるので使えないだろうし、хулиган (この他に、ゴロツキという意味で広く使える)だと茫漠としている。эротоман といえば色情狂だろう。

出題)「彼はすでに数え切れない回数、いろいろなコソ泥、ちょっとした脅迫、その他の犯罪で有罪判決を受けていた」をロシア語にせよ。

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2013年04月21日

●続和文解釈入門 第70回

不定法の例示的用法につきよく説明が分からないという人も多いだろうと思うので、故障の例で説明したい。体の使い分けは故障の頻度による。故障が定期的、ないしは頻繁に起こると話し手が考えれば、反復ということで不完了体不定形が来るし、故障は起こるかもしれないし、起こらないかもしれない、万一起こったらという文脈であれば、完了体不定形がくる。それが完了体の例示的用法である。

(故障のときの連絡先を教えてください)Куда обратиться в случае неполадок? <例示的用法で、故障はないかもしれないし、あるかもしれない、万一故障があったら>
(彼は何かの故障の場合は彼だけに問い合すように言いつけた)Он наказал в случае каких-либо поломок или неисправностей обращаться только к нему. <故障が頻繁に起こると話し手は考えている>

出題)「彼ら二人のうちだれかが嘘をついている」をロシア語にせよ。

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2013年04月22日

●続和文解釈入門 第71回

本との出会いというのにはいろいろある。1990年ごろナホトカの税関の人と話していた時に、何かお勧めの本はありませんかと尋ねたことがある。その方はダニレフスキーДанилевскийという思想家の本を勧めてくれた。メモをしたが、当時は手に入らず、2002年に『ロシアとヨーロッパРоссия и Европа』を手に入れたが、読んだのは今年(2013年)になってからである。『収容所列島』の中でソルジェニーツィンが勧めるフロレーンスキーФлоренскийの哲学書も2冊買ったが、未だ読んでいない。最近マリーニナМарининаの『Убийца поневоле, ЭКСМО, 2011(不本意な殺人者)』という警察小説を読んだが、その中で登場人物である前科者がある本のことで主人公と意気投合する場面がある。その本というのはЛев Успенскийが書いたСлово о словах (Зебра Е, 2009)という1954年に出たロシア語に興味を持たせるための入門書である。ナウカに問い合わせたら在庫があるというので、買い求めて今読んでいるところである。その中で、Рынду бей.(鐘を鳴らせ)という船員用語が、英語のRing the bell.の音読みから来ていることを知った。非常にためになりそうな本のようで、ご参考のためにここに書いておく。

出題)「資金不足のためにその雑誌は1899年第70号で休刊した」をロシア語にせよ。

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2013年04月23日

●続和文解釈入門 第72回

40年以上ロシア語をやっていると、随分ロシア語の達人と出会う機会も多い。サハリンで生まれた人、幼少期をモスクワで過ごした人などはロシア人並であるし、学生のときから努力して達人になった人も知っている。そのロシア語を聞いているとロシア人と変わらない。ただそういう達人は別にして、日本語とロシア語を通訳するときに、完璧な通訳だと思わせるテクニックはある。日本語をロシア語にする時に、相手のロシア人が意味が取りにくいというものを、分かりやすいロシア語に言い換えて通訳することである。ある意味通訳の独断と偏見という事にもなるが、国際的な分野の経済や政治なら、趣旨が一貫しているならそれでも通るかもしれない。しかし、ガイドの通訳をすれば分かるが、わびやさびをロシア語で一言で説明はできない。ロシアの文化や風習にしてもそうである。技術関係でも、世界でよく知られている技術はともかく、自社独自の技術を説明するときは一言では済まぬというのもご理解できるだろう。できるだけ訳の上で引っかかりがないような通訳を目指すというのも一つの道であろうが、私はごつごつしていても、説明の部分が多くても、時間が少しはかかっても正しい通訳を目指したいと思っている。

出題)刑務所の面会で「面会終わり。出てください」をロシア語にせよ。

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2013年04月24日

●続和文解釈入門 第73回

会話でどちらの体を用いるべきか区別できるような指針を作るのが、私の勉強の目的であるが、それを一言で言えればそれにこしたことはない。これまでいくつかお知らせしてきたが、最新のものを紹介する。
体の用法は話し手中心であり、体の本質が何かというなら、それは、

完了体の本質は話し手が動作の行われる
時間的な一点を意識する

という事に尽きる。裏を返せば、不完了体は時間的な一点を意識しないということである。

 完了体が現在の時制で用いられないのは、現在の時制における動作の一点が常に動いているため、ビデオカメラの一コマ一コマの静止画面のような、結果の存続のという形式か、ないしは一瞬後の未来のような広い意味での今でしか完了体は表せないからである。

出題)「これらの犯罪において自分が有罪だと認めますか?」をロシア語にせよ。

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2013年04月25日

●続和文解釈入門 第74回

想像中の動作の現在Настоящее воображаемого действияという用語があって、想像する場合は現在の時制を用いるという事であるが、Лев УспенскийのСлов в Словах (Зебра Е, 2009)の中に、Вообразите себе, что «дом стоит», так, чтобы можно было сразу понять, что он именно «стоит», а не «стоял», не «встанет», не «будет стоять», - разумеется, вам не удастся.(まさに「家が立っている」のであって、「家が立っていた」でもなく、「(未来の時制で)家が立つ」のではないということがすぐ理解できるよう、「家が立っている」と想像しなさい。もちろんそれは無理だ)という文がある。これを読んで気がついた。「家が立っていた」と想像するには、立っている家を頭に描いて、それから過去とか×印とかつければいいのだろうか?「これから家が立つ」では、空き地を想像して、透けた家が立っているところを想像すればよいのだろうか?こういう風に考えると、想像では、時制は現在形でしか表せないという事になる。
(あなたが彼女と後に、しばらくしてから上流階級の集いで会うと想像してください)Вообразите же, что вы встречаетесь с ней потом, через несколько времени, в высшем обществе.
 
しかし、仮想の状況での二つ以上の動作が続くときは、先行する動作の完遂ならその部分は完了体過去形が来て、それ以降の動作は現在の時制である。ロシア語には未来完了形がないので、完了体過去形で代用していると考えられる。この場合допустим(仮に~とする、~と仮定しましょう)という挿入句があるのが普通で、そういう意味では分かりやすい。

(あなたがワッチ(当直)に立って、地図の上にかがみこんだとしましょう。ほらこれが針路です。右手にはどこかの王国、左手にはどこかの国、まるでおとぎ話ですよね)Встали вы, допустим, на вахту, склонились над картой. Вот ваш курс, справа некое царство. Слева некое государство, как в сказке.
出題)「何もしなければ何も変わらない」をロシア語にせよ。

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2013年04月26日

●続和文解釈入門 第75回

принять (принимать) меры по + 与格(против + 生格)はフランス語由来で、「何らかの措置を講ずる」と訳す。意味はликвидировать или попытаться ликвидировать что-либо нежелательное(何か望ましくないものを一掃する、一掃しようと試みる)ということであり、мерыと複数が来ているのも、その正体が漠然としているか、明確に言いたくないからだろう。принять конкретные меры(具体策を講じる)という語結合もあるが、その具体策がどんなものかは、これだけでは分からないままである。

出題)「彼とは異母兄弟なの」をロシア語にせよ。

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2013年04月27日

●続和文解釈入門 第76回

Лев УспенскийのСлово о словахに、言葉が全ての単語が擬音から発声したのではないという例に、кукушкаが挙げられている。ロシア語でも英語cuckooでも鳴き声からというのは誰にでも分かるが、そうではない例として日本語のホトトギスが取り上げられている。学名をすり合わせるとホトトギスはロシア語でмалая кукушкаだから、間違いではないのだが、кукушкаだけならカッコウであり、これも鳴き声からであることは容易に推測できる。ちょっとした勘違いであろう。この本には中国語の他に、日本語の単語「火事、人、笑う〔「ばらう」と誤記されている〕など」もよく出てくる。1954年に出版した本で、こういう東洋語にも目配りが利いているのはさすがだと感心する。

出題)「折れた鎖骨がくっつき、病院を去るつもりになった」をロシア語にせよ。

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2013年04月28日

●続和文解釈入門 第77回

SOSの由来については諸説あるが、Сос! Сос! Сос! Спасите от Смерти(SOS! SOS! SOS! Si O Sakesasetamae 死を避けさせたまえ)などと勝手に解釈する人もいる。SOSはロシア語ではソスと発音し、SOS と書くのが普通である。SOSはСпасите наши души. Save our souls.の略ではない。単に伝えやすいようにтри точки, три тире, три точкиが選ばれただけである。

出題)「勤務中(仕事中)は寝てはならない」をロシア語にせよ。

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2013年04月29日

●続和文解釈入門 第78回

体の使い分けは動詞によって違うという事も言えるが、同じ動詞でも語義によって、また時制によっても違うし、同じ時制であっても反復、過程、遂行動詞など用法によっても異なる。『和文露訳入門』は日本語の時制を中心に、和文露訳の観点から体の用法を考察したものである。

出題)「この時間を利用して市中を散歩した」をロシア語にせよ。

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2013年04月30日

●続和文解釈入門 第79回 

通訳で困るのは、資料なし、背景の説明なしのスポットというか、代打のような通訳である。だいたい前の日に急に頼まれて通訳する羽目になるのだが、ロシア側がバラバラのグループで、日本側のグループもばらばらの各30分ぐらいの5~6回の通訳というのは困る。いわゆる最近流行りのB2B(business-to-bisiness 個別企業打ち合わせ)であり、大きなフォーラムで行われることが多い。全く資料なしで、背景も何も連絡もない。主催者側もどんな話になるのかが見当がつかないから当然と言えば当然である。通訳していて背景が分かりかけたら、はい次ということなので、こちらにもストレスがかかるが、通訳してもらうお客さんにとっても不満が多かろうと思う。まともな通訳ならそのような、背景の説明や資料のない通訳などは断るのだろうが、当方は生活がかかっているし、こういう仕事がある以上誰かがやらなければならないわけで、断れる人がうらやましい。ただよい通訳を願うなら、事前の背景説明や資料を渡すのは当然であり、それがなければ、それ相応の、その場でベストを尽くした通訳とならざるを得ないという事だけは理解してもらう必要がある。

出題)「コーヒー飲むかい?」をロシア語にせよ。

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2013年05月01日

●続和文解釈入門 第80回

「電車が来た」は文脈により、いくつかの露訳が可能である。この電車はэлектропоездのことで、これは地下鉄の電車に使われる。

Поезд идёт. <ホームに入って来る電車を見てで、「電車が来るよ」と同義だが、日本語で「電車が来た」と言えば、電車の姿が見えていることになる>
Поезд пришёл. <ホームに短時間止っている電車を見てであり、停車中ならПоезд стоит.となる>

出題)「そうは言っていない」をロシア語にせよ。

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2013年05月02日

●続和文解釈入門 第81回

日本語の現在完了も「~していない」という否定文においては、ロシア語に訳すという観点からは3つに分類される。一旦開始された動作が終了していないという意味なら、下記のようにそれぞれ、今も根付いていない、今は残っていない、今の時点では終わっていないという意味で完了体過去形が来る。『和文露訳入門』2-1-2-2項も参照願う。

(お祝をするという伝統はまだ根づいていない)Традиции празднования пока не установились.
(その記念碑は存続しない)Памятник не сохранился.
(休み時間はまだ終わっていない)Перерыв ещё не кончился.

しかし、動作を初めから否定すると、これは動作が現在の時点でないのだから、不完了体現在形の否定と同じことである。これは『和文露訳入門』3-1-8項で説明したように、初めからの動作の否定には不完了体が用いられるからである。三つ目は、動作自体は行われるのだが、その動作の内容が否定される場合である。「そうは言っていない」というのは、言いかえれば、「そうでないことを言った」ということである。この場合日本語では現在完了なのに、「そうは言っていない」の露訳では下記のように不完了体過去形が来る。これは形式上動作が否定されているので、不完了体が来るという事と、動作の結果が現在の時点まで残っていないので、結果の存続の用法である完了体過去形という形式が使えないからでもあり、第13回出題と同様、結果の非存続の強調とも言える。

(そうは言っていない)Я этого не говорил. <「そうでないことを言った」とは日本語であまり言わないように、Я говорил не этого.とは普通は言わない。言わなかったという動作の有無の確認でもある>
(そうは言わなかった)Я этого не сказал. <完了体過去形にすると、「言うはずだったのに、それを言わなかった」という主観的ニュアンスが出てくる>

出題)「もし彼の仕事が月曜は夜のシフトだったら、木曜の夜は彼は空いているはずだ」をロシア語にせよ。

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2013年05月03日

●続和文解釈入門 第82回

否定においてもアオリスト的用法が完了体過去形の基本であり、動作が過去の一点に行われるかどうかに関係するときには、неと共に完了体過去形を用いることになる。つまり過去の一点を示す語句があれば(ないしは暗示されれば)、基本的に不完了体過去形は使えないと考えてよい。使えるとすれば『和文露訳入門』2-2-1-2項で述べているように、すでにその動詞に関する状況設定がなされている、つまり踏み台のように、場がすでにこしらえられている場合である。

(彼は昨日来なかった)Он не приехал вчера.

出題)「もし誰かから電話があったら、1時間後には、いるから」をロシア語にせよ。

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2013年05月04日

●続和文解釈入門 第83回

想像については現在時制でしか表せないと第74回本文に書いたが、次のような文を見つけた。一見第74回で述べたことと矛盾するように見えるが、過去や未来という約束事を言葉の上で示しているだけで、想像の動作の時制は現在であることに変わりはない。

Воображаю, как он смотрел и что он чувствовал.(どのように彼が見たかや何を感じたかを想像してみる)<過去の出来事を眼前にあるよう想像するという事だから、想像の動作は現在の時制であることに変わりはない>
Вообразите сына вашего в будущем.(未来の御子息を想像してみて下さい)<これも同様、眼前にということで、想像の動作は現在の時制である>

出題)「彼女が浮気をしたら彼は彼女を殺す」をロシア語にせよ。

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2013年05月05日

●続和文解釈入門 第84回

動作の有無の確認が不定法ではあまり使われないと以前書いたが、例外的に使われるのは、「~するべきか、~せざるべきか(~するか~しないか)」という構文である。неの後は動作が起こらないのだから不完了体が来るというのは、『和文露訳入門』3-1-8項で述べたが、「~するべきか」のところに不完了体不定形が来るのは、これこそ動作の有無以外のなにものでもないからである。具体的に何かをという補語が来れば完了体不定形が来るが、すでに何をというところが前に述べてあるか、文脈に含意されるような、動作の有無だけが問題な場合には不完了体不定形が来る。

(キャンセルすべきか、せざるべきか?)Отменять или не отменять?

出題)「まさかこれを説明しろというのかい」をロシア語にせよ。

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2013年05月06日

●続和文解釈入門 第85回

遂行動詞の重要性は、露文解釈や露文和訳だけをやっている人には分からないし、分かる必要性も特にない。露文を文脈に会わせて和訳すればよいからだ。ところが会話で和文露訳をするときには、遂行動詞をよく理解していないと、ロシア語に訳せないことがあり得る。それは日本語の動詞の時制が、過去と非過去(現在、未来)であり、ロシア語の完了体における二つの時制(過去と未来)、不完了体における3つの時制(過去、現在、未来)とうまく対応していないからである。

私は(昨日)学校に行った。(過去)
私は(毎日)学校に行く。(非過去〔現在の反復〕)
私は(明日)学校に行く。(非過去の未来)

時制から見て日本語の動詞を状態動詞と動態動詞に分けると、状態動詞は、「~ている」の方を取らずに現在の状態を表す動詞で、「いる、見える、思う」などであり、「今家にいる」、「明日もここにいる」のように、ル形で非過去(現在と未来)を示す。動態動詞というのは、「話す、行く、歌う」などの動きを表す動詞で、ル形が未来だけを示し、現在はテイル形を用いて示す。
 一方アスペクト(出来事が進行中か、継続中か、終了したかなど動きの局面に注目する文法形式)で、日本語の動詞を分類すると、動態動詞と状態動詞に分かれる。動態動詞は「電話で話している」のように、テイル形が進行の状態を示している動詞で、状態動詞は、「イスに座っている」のように、テイル形で結果の状態(結果の存続)を表す動詞である。テイル形には、このほかに「学校に通っている」などの反復・習慣を示す用法や、「棒の先がとがっている」というような形容詞的用法、「その話は一度聞いている」というような経験・経歴(ロシア語にするときは歴史的現在か、アスペクト的用法で訳すことになる。『和文露訳入門』3-1-7項参照)を示す用法があり、「~した」も「歩いた」や「歩いて来た」のように、日本語では過去と現在完了の意味がある。これらをロシア語の時制やアスペクトなどに振り分ける必要が出て来るのである。
 こういう日本語についての使い方は、我々日本人は日本語では心得ているとは言うものの、現在時制の文をロシア語に訳すのは、遂行動詞(正確に言えば、その動詞の遂行的用法)を理解していなければ、難しいと思う。この他にも結果存続兼評価型動詞があるが、ここでは触れない。初級の段階では、用語を知っているかどうかは別にして、反復(繰り返し)・過程、状態なら現在の時制では不完了体現在形を使うというのは分かる。中級くらいになると。完了体過去形、被動形動詞過去短語尾)でも現在の時制を表現できるという事が分かって来ても、ロシア語にする際に、次のような文はどの時制で、どの体を使うべきかが分からなくなる。

「明日午前10時に会議があることをお知らせします」(遂行動詞)Сообщаем вам, что будет совещание в 10 часов завтра.
「商談についでは明日お知らせします」(完了体未来形)Сообщим вам о переговорах завтра.

出題)「資材は通行の邪魔にならないように置いて下さい」をロシア語にせよ。

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2013年05月07日

●続和文解釈入門 第86回

「彼はここにきている」も同様、いくつかの露訳が可能である。文の形式ではなく、実際に動作が行われている時制をイメージしないと正しい訳が出て来ないという例である。

Он приехал(пришёл) сюда.<今彼はここにいる>
Он приехал сюда (год назад).<(1年前)いつかは知らないが1度来たと確信がある場合のアオリスト的用法>
Он приезжал сюда.<いつ、ないしは何回来たのかは知らないが、来たことがある、今はいない>

出題)「表面の汚れを取ってください」をロシア語にせよ。

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2013年05月08日

●続和文解釈入門 第87回

「自然」というロシア語の単語には、前につく前置詞に関する限り、語義が二つあって、我々を取り巻く、人の手によらないものという意味の自然ならв природеとなるが、都会や集落の外という意味の自然ならна природеとつく前置詞が異なる。

出題)「最低1カ月はリハビリに必要だ」をロシア語にせよ。

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2013年05月09日

●続和文解釈入門 第88回

自分の名字の佐藤を説明するときに、これまでは、佐藤は日本で一番多い姓で、ロシアのイワノフと同じですと言っていたのだが、最近のロシアの統計によると、ロシアで一番多い姓はクズニェツォーフКузнецовとのことである。これなども、昔一番ありふれた名前は山田一郎であるとされたのと同じで、実際とは違うという例だろう。ちなみに佐藤と鈴木は競り合っていて、年によって順位が入れ替わることがあるらしい。

出題)「それもありだな」をロシア語にせよ。

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2013年05月10日

●続和文解釈入門 第89回

遂行動詞を否定すると(専門的に言えば発語内的否定)、元の発語内行為の否定ではなくて、保留であり、「ない」は遂行動詞ではないということが、入江幸雄先生の『発語内的否定と質問』という論文に書かれている。つまり遂行動詞を否定すると、否定された動詞は遂行動詞とは言えず、単に動作が否定されていることになるという意味である。ご参考のために、発語内的否定と命題的否定の違いを入江先生の論文に従って例文で示す。なお、「主張する」は遂行動詞である。

(発語内的否定)私は、aはbである、と主張しない。
(命題的否定)私は、aはbでない、と主張する。

次の文は第81回の本文にあるような結果の非存続の用法だが、遂行動詞が否定されているために、遂行動詞ではなくなっている。つまり、現在の時点では動作はないのだが、過去において動作がなかったということではなく、動作はあったが、結果が現在まで残っていないという、いわば不完了体過去形を使った結果の非存続という用法になる。

(そういうつもりで言ったのでは全くないのです)Я совсем на это не имел в виду.

出題)「あの峰々の間に寺がある」をロシア語にせよ。

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2013年05月11日

●続和文解釈入門 第90回

日本語の指示代名詞の「これ、それ、あれ」は「これ」が話し手の領域に近い指示物、「それ」が聞き手の領域に近い指示物、「あれ」が双方の領域に属さない指示物というように話し手からの物理的、心理的距離を示している。その他に話し手と聞き手が近接している場合があり、双方の共有している場を「これ」で、それより遠い場を「あれ」で、どちらでもない場を「それ」で示す。また文章における文脈指示には「あれ」は使われないなどあるが、詳しくは、研究社日本語教育事典(近藤安付子+小森和子編、2012年)を参照されたい。

 ところが、藤沼貴先生の『ロシア語ハンドブック』(225ページ)によれば、ロシア語では、это (этот, эта, эти)で全ての指示物を表し、то (тот, та, те)はэтоとの対比でのみしか、ほとんど使われないという。つまり、то (тот, та, те)を使うのは、二つのものがあって、その二つのうちで話し手より遠いものを指すということになり、単独で遠くのものを指すのには使えないという事になる。3メートル離れた窓を示せば、日本語では「あれは窓です」となるが、ロシア語ではЭто окно.となり、この山というような対比がなければ、100キロ離れた富士山を指しても、Эта гора, покрытая снегом, Фудзияма.(雪を被ったあの山は富士山です)となるとある。非常に興味ある説ではあるが、実際にガイドをした経験から言えば、必ずしもそうとは言えない場合のあるという事を指摘しておきたい。
 二つの対象物(人も含む)があり、そのうち話し手に近いものをэто (этот, эта, эти)で示し、より遠くにあるものをто (тот, та, те)で示すというのはその通りである。

(この本は〔内容的に〕面白いが、あの〔その〕本は違う)Эта книга интересна, а та нет.

 しかし、ロシア語では比較の対象がないときに指し示す場合は、「これ、それ、あれ」をэто (этот, эта, эти)で示すことになるという事になる。ここまでは藤沼先生の説と同じなのだが、実際の会話の場面を思い出してみると、これに加わる要素がある。それは手振り身振りである。手(頭、目、あごなど)で示して、この山(その山、あの山)という場合は、эта гораでも、та гораでもよいはずだ。少なくとも露露辞典(アカデミー版4巻本, Русский язык, 1984〔アカデミー最新版は第21巻пятьюまでしか届いていない〕)では、Указывает на какой-либо предмет, лицо (обычно сопровождается указательным жестом); то же, что «этот».(何らかの物、人を指す〔普通は指示の身ぶり手ぶりを伴い、этотと同義〕)とあり、遠近を問題にせずに、人や物を指示する(いくつかのものから選び出す)ときには、это (этот, эта, эти) も、то (тот, та, те)も両方使えることになる。

(あの山々の間に寺がある)Между этими горами и расположен буддийский храм. <指か何かで指し示すなら、теми горамиでもよい>
(例えば、ほらその木を見てみろ)Вот взгляни, например, на то (это) дерево.

 一方、здесь (= в этом месте)とтам (= в том месте, не здесь)は、здесьが「ここに」であり、тамは「ここでない場所に」という、近くにあるものを示すかどうかという分け方であり、この二分法は我々日本人にも分かりやすい。сюда (= в это место, в эту сторону)とтуда (= в то место, в ту сторону)も同様な区分のしかたである。しかし、日本語との違いもある。電話中の会話で、他の人のいる前では話したくないときに、電話を切らずに、携帯などを別の部屋に持って行くことがある。そのときに、日本語では「コーリャ、まだそこにいる?」と聞き手が電話の前を離れていないことを確認するときには、ロシア語ではКоля, ты ещё здесь?であって、тамにはならない。日本語では聞き手の領域なので「そこ」が使われているが、ロシア語では話し手と聞き手が心理的に近いという理由でздесьが使われる。

 初歩的な事柄ではあるが、あの山は英語ではthat mountainとなることを考えると、英語とロシア語も発想は違うわけで、このような思いこみに対して、特に初級の段階で、このような基本的な違いを学習する大切さを痛感する次第である。

出題)「渡り廊下は2階と3階の間の中間の高さにあった」をロシア語にせよ。

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2013年05月12日

●続和文解釈入門 第91回

1960年代において初めて遂行動詞の概念を唱えたオースティンによる英語の遂行動詞の種類は、言明解説型(сообщатьなど)、行為拘束型(обещать〔約束する〕、ручаться〔保証する〕など)、権限行使型(объявлять〔宣言する〕、открывать〔開会する〕など)、判定宣告型(оценивать〔評価する〕など)、態度表明型(благодарить〔感謝する〕、поздарвлять〔祝う〕など)の5つであり、それぞれロシア語にも対応すると思われるが、遂行動詞と結果存続兼評価型動詞の区別がつきにくいかもしれない。下記のпридумыватьは結果存続兼評価型動詞であり、完了体過去形придумалが結果の存続の用法であれば意味的には近い。このように完了体過去形とも結果の存続という意味で近いというのが、結果存続兼評価型動詞の特徴である。遂行動詞にそのようなことはない。

(何を思いついたんだ?)Что ты придумываешь?

出題)「お前は頭がおかしい」をロシア語にせよ。

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2013年05月13日

●続和文解釈入門 第92回

英語のタイプライターのキー配列は、初期のタイプライターが壊れやすかったので、わざと打ちにくい配列にしたのだと読んだことがある。ロシア語の場合は、そうではなくて、п, р, к, еなどよく使う文字は中央寄りであり、э, ы, фなどの 使わない文字は端の方になっていると、ウスペンスキーがСлово о словах(言葉について一言)で書いている。

出題)「油圧システムに空気が入らないように気をつけて下さい」をロシア語にせよ。

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2013年05月14日

●続和文解釈入門 第93回

ロシア語の文法書では、露文解釈や露文和訳を中心に据えているのからか、否定についてあまりページを割いていないように思う。会話での和文露訳を考えると、日本語では動詞の現在と未来の形式が同じなので、動作の否定における体の区別が分かりにくい。そこで、近々出す予定の「新版和文露訳入門」では各項目における否定の用法をより分かりやすく書いて見ることにした。今回はчтобы (俗語ではчтобとする場合がある)における否定の用法について書いて見る。
чтобы以下が平叙文の場合、具体的な1回の動作には完了体を用い、反復やある程度の期間の動作であれば不完了体を用いる。чтобы (чтоб)以下が動作の否定となる場合も、чтобы自体が目的、願望、命令という用法で使われるために、命令法の体の用法と同じと考えてよい。禁止を示す場合は不完了体を用い、危惧のニュアンスがあれば完了体を用いることになる。

(そんなことはもう起きないようにな)Чтобы этого больше не было. <命令>
(油圧システムに空気が入らないように気をつけて下さい)Следите, чтобы в гидросистему не попадал воздух. <禁止>
(うっかり忘れないよう住所をメモした)Я записал адрес для того, чтобы не забыть. <危惧>
(主人がそのうちひょっとして引き留めようなんて気を起こさないよう、彼はこっそり部屋から出た)Чтобы как-инбудь не вздумал удерживать хозяин, он вышел потихоньку из комнаты. <危惧>

出題)「昨日私は人差し指をガラスで切った」をロシア語にせよ。

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2013年05月15日

●続和文解釈入門 第94回

среди + 生格とмежду + 造格はシノニムだが、同義語の場合と類義語の場合がある。
Между бумагами (Среди бумагами) лежал пакет.(紙の間に袋があった、はさまっていた)のように状態の意味の時は同義語だが、「砕氷船は(何度も)氷の間を通り抜けた」のように、同じ種類のものの中で動作が起こる時には、下記のようなニュアンスの違いが生ずる。
Ледокол пробирался между льдинами. <二つか、いくつかの氷の間を>
Ледокол пробирался среди льдин. <砕氷船のまわりは複数の氷に囲まれていた、占有されていた>
Между врагами он вырос.(敵と敵の間で彼は大きくなった) <二つ(いくつかの)の敵と敵との間で>
М ы, батюшка, средь хороших людей жили.(おっとさん、俺たちいい人たちの間で暮らしていたよね) <周りにかこまれて、占有されて、その間に>

出題)「使わないのは馬鹿だ」をロシア語にせよ。

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2013年05月16日

●続和文解釈入門 第95回

『和文露訳入門』には動詞の体の使い分けについて細かく書いているが、自分が通訳やガイドをした経験から言って、全般的に確率的によく使われるもの、この場面(文脈)ではこの体がよく使われるという事はある。第85回の出題「資材は通行の邪魔にならないように置いて下さい」などもそうであるし、「おかけくださいСадитесь.」などもそうである。体の使い分けを勉強しなくても、プロの通訳は場面、場面での典型的な文と言うのを覚えているので(丸暗記していると言えば語弊があるのかもしれないが)、正しい体が使えるように見える。しかし世の中100%ということはない。体の用法の原理を知らないで、暗記と確率だけに頼っていても、確率は小さいかもしれないが間違う事はありうるし、困ったことになぜ間違いなのか誰も教えてくれはしないという事になる。学習の初期の段階で、出来れば本格的にロシア語をやりだしてから1年ぐらいしてから、例文を暗記するつもりで、『和文露訳入門』を読んで行けば、少しは体の使い分けの手がかりになろうかと思う。

出題)「昨日は全く正しくて、周知のことでさえあるように思えたものが、今日ではまったくの珍しいものになり、一般の言葉から消えて行くのである」をロシア語にせよ。

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2013年05月17日

●続和文解釈入門 第96回

アオリスト的用法の説明をしていて思うのは、ひょっとしたら、過去を示す語句があれば、みな完了体過去形を使うのだと、学習者が勘違いしはしないかという事である。アオリスト的用法というのは、動作が過去の一点のみに行われるという事を意識する場合である。当然のことながら、状態の動詞は、過去も、現在も、未来も、動作が一点だけに止まらない。ゆえにказатьсяのような状態の動詞は、вчераのような過去を示す語句とともにも使われる。ただ状態の動詞(3-1-6項)や過去の過程を示す動詞(2-1-4項)は過去の一点、ないしはそれを含む動作を示す事ができる。しかし、その過去の一点というのは連続する動作の一部であり、それがアオリスト的用法との違いである。和文露訳入門』7-3項参照。この動詞については次回に詳しく書く。

出題)「もう一歩のところで、ブルガリア大公におなりになれたのに」をロシア語にせよ。

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2013年05月18日

●続和文解釈入門 第97回

どの動詞にもбыть動詞を除けば、体のペアがあると考えている人がいるかもしれないが、それは間違いである。例えば、『和文露訳入門』7-3項に挙げたказаться/показатьсяは体のペアをなしているとは言えない。показатьсяは状態の動詞のказатьсяから、状態の発生時点を示すために派生した完了体であると思われる。そのため、過去の時制では完了体は結果の存続перфектの用法が完了体に出てくる。

(電話か?飛び起きて聞き耳を立てる。いや、気のせいだ)Телефон? Вскочил, прислушался - нет, показалось! <показалосьに不完了体の持つ持続性の観念はないから、казалосьに代えることはできない>

 ここで勘違いしてはいけないのは、показалосьの用法は結果の存続であって、状態の存続(こういう用語はないだろうが)ではないという事である。「思われた」という動作は終了し、それが一瞬記憶に残ったわけで、これが結果の存続であり、(今も)電話の音が聞こえる気がするというわけではない。もしそうならкажетсяとなり、その動作は終了せず、それこそ(今も)その動作の状態が存続していることになる。ただказатьсяと同じ動詞群のлюбить/полюбитьで見てみると、

Я её полюбил.(彼女を好きになった)

 という文は、結果の存続(アオリスト的用法という可能性もあるというか、結果の存続も文脈により派生した一種のアオリスト的用法であると言えるが)であれば、(今も彼女を好きだ)Я её люблю.ということになる。動作の結果が一瞬記憶に残るか、意識や動作に残っているかという、知覚動詞казатьсяと非知覚動詞любитьの違いである。

出題)「休暇は二日後に終わる」をロシア語にせよ。

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2013年05月19日

●続和文解釈入門 第98回

ドストエフスキーの読者は何百万人もいるだろうから、その場合の読者は複数形になることは分かる。ところが、ドストエフスキーの特定の作品(カラマーゾフの兄弟でも、作家の日記でも)を読んでいて、作者が読者に呼びかければ、その読者は単数ということになる。絵本や漫画なら二人で読めるかもしれないが、文学作品はまず無理だからである。

出題)「塗装すべき面は完全に乾燥しておくこと」をロシア語にせよ。

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2013年05月20日

●続和文解釈入門 第99回

会話での和文露訳を勉強する際に、語彙なら、名詞や形容詞よりも、よく使われる動詞を覚えるのが先決である。そこで問題になるのは体の使い分けということになるが、拙著『和文露訳入門』の見出しを見て、勘違いされる方も多いと思う。この見出しは体の用法を出来るだけ詳しく書けばそうなるということであって、動詞一つ一つに目次に書かれた用法があるということではない。もっというと、文脈以外にも、その動詞のもつ語義によって、ある程度どちらの体を使うのかは決まって来るということである。забыть忘れる、потерять失う、разбить割る、сломать壊す、убить殺す、ударить殴る、уронитьなくす、などの瞬間動作動詞(瞬時の移行・変化を示す動詞)を含む否定的結果の意味がある動詞は完了体で使われることが多い。一方、無接頭辞単純動詞〔делать(する)、писать(書く)、читать(読む)、строить(建設する)、гулять(遊ぶ)などのいわゆる本源動詞は不完了体で使われることが多いし、пойти/поехатьとидти/ехать(これらを完全な体のペアとは呼べないにせよ)では不完了体の方が圧倒的に多く使われる。「研究する」というのはある程度期間がかかる動作だから、不完了体が使われやすい。それで完了体のизучитьよりизучатьが口を突いて出るようにした方が、実際の会話での和文露訳では正しい用法となることが多い。つまり動詞を暗記するときには、完了体・不完了体で覚えることも大事ではあるが、どちらの動詞が会話で使われやすいかというのを目安にした方がよいということになる。『和文露訳入門』の用法にある例文の動詞がその典型的な使われ方であることが多いので、それに着目して覚えるというのも一つの手である。通訳は2、3秒で訳を決めなければならないことが多い。そうなると、用法を思い出している暇はない。確率的によく使われるものが口を突いて出るようにした方が、正しい体の出る確率は上がる。そうはいっても、私の場合は、訳した瞬間、体の間違いが分かったときは、すぐに訂正するようにしている。

出題)「薬の効き目がなくなった」をロシア語にせよ。

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2013年05月21日

●続和文解釈入門 第100回

不完了体過去形は過去の時制だけで用いられる。これは不完了体現在形が全部の動詞ではないにせよ、現在の時制以外にも、予定の用法では未来の時制に使われたり、歴史的現在で使われたり、また完了体過去形が相対時制では未来の時制で用いられたり、完了体未来形が例示的用法で過去の時制で使われるのとは対照的である。そのため、結果の非存続などのように、現在とはかかわりがないという用法などで使われることになる。

出題)「バルコニーは(ホテルの)二つの部屋共通だった」をロシア語にせよ。二日ほど回答が遅れるかもしれませんが、悪しからず。

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2013年05月24日

●続和文解釈入門第101回

現代語でそれほど耳にするわけではないが、Нет-с.とか、Тэк-сにある-сをсловоерсыといい、下の者から上の者に使われる接辞で、謙譲とか卑屈さを示すとされる。ロシアのアルファベットを昔はアー、ベーとは言わず、аз, букаと言い、.сはсловоと称した。また革命前は硬音子音の末尾には、今で言う硬音符(分離記号)ъ(ерと発音した)をつけたので、こう呼ばれた。-сはсударь (元はгосударь), старыйが短くなったものとされ、17世紀中ごろのイワン雷帝の時代では、Никита-стаとか、Василий-суまで短くなり、それが19世紀には-сだけが残り、現在では例外はあるが、ほぼ消滅したと言ってよい。-сを使う人は、おどおどした、おとなしい人、ないしは下の身分から出世した人によく見られるとあり、ロシア海軍の父とも呼ばれるНахимовも-сを会話によく使ったという。ロシア文学を読む際の参考になれば幸いである。
пожалуйстаも元はпожалуй старыйで、言わんとするところは、пожалуй, награди меня такой милостью твоей.(おいでになって、思し召しにあずからせてください)である。また19世紀に紳士に呼び掛けるときにМилостивый государьと小説なのには書かれているが、実際の発音はмилсударьだったとウスペンスキーの『言葉について一言』にある。

出題)「私を一人にしておいてくれませんか?」をロシア語にせよ。

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2013年05月25日

●続和文解釈入門第102回

あまり使わないからかもしれないが、よく間違う単語がある。例えば、фен(ヘヤードライヤー)である。似た単語にфён(フェーン現象)があり、日本の天気予報ではよく出てくるが、実際の通訳では使ったことがない。фенの方は、электрофенとも言い、ロシア人の観光客がホテルにあるかどうか問い合わせをする時はたまに使うが、その時にфенかфёнか、どちらだか覚えていないことが多い。私にとって相性の悪い単語である。ватаは逆に、すぐ覚えた単語だが、脱脂綿であり、ロシアでは冬が近くなると、二重窓に窓枠の隙間に詰めるのを思い出す。これはドイツ語起源とファスメルの語源辞典に書いてあったように思う。綿で思い出したが、観光客の買い物の手伝いをする時、例えば外国人観光客向けのキモノ(кимоноだが、実際はхалатだろう)が何で出来ているかを説明するときに、シルクшёлковое、ポリエステルполиэфирное、綿хлопчатобумажноеとあるが、綿製はбумажноеとも言う。бумажное деревоというのは、和紙の原料であるコウゾのことだが、これは「紙の」という意味で、違う形容詞である。和紙は水に溶けず、丈夫で千年もつと言われ、江戸時代の商人たちは、火事の時は井戸に大福帳を投げ込み、火事が消し止められた後に、井戸から大福帳を引き上げても、和紙は水に溶けずに、書かれてある内容を判読できたという。

出題)被害者に被疑者を含めた写真を見せて、「誰か見覚えがありますか?」をロシア語にせよ。

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2013年05月26日

●続和文解釈入門第103回

ガイドをしていてロシア人に日本語でどういうのだと尋ねられて困る表現というものがある。それはЗдравствуйте!である。「こんにちは」と答えてもよいのだが、厳密に言えば、このロシア語は発音は難しいが、万能挨拶語とでも言うべきもので、朝昼晩、真夜中でも使える。日本語では朝昼晩、ましてや真夜中の挨拶はそれぞれ「おはようございます」、「こんにちは」、「こんばんは」、「夜分恐れ入りますが」などと、別々な表現にならざるを得ないし、訪問でなら、普通は「ごめんください」というだろう。俗語なら、「やあ」というのがあるが、これは改まった席で使えるとは思えないので教えるのに躊躇する。「さようなら」だって、日本語では目上の人には使えない、会社なら自分が帰るか、相手が帰るかによって、「お先に失礼します」、「御苦労さまでした」というはずだ。
 「やあ」はロシア語ではПривет!であり、別れの挨拶は「じゃあね」はロシア語では、Пока!である。これは縮めた言い方であり、元はПока желаю тебе всего хорошего.と言ったという。俗語での別れの表現を挙げてみる。Будь. (Будь здоров.が縮まったもの)、Бывай (здоров).とか、電話ではТогда до созвона.という。

出題)「そのおとぎ話が気に入った人は手を上げて下さい」をロシア語にせよ。

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2013年05月27日

●続和文解釈入門第104回

蓋然性вероятностьは、動作が起こるかどうか(動作の有無)の確率であり、禁止や不必要などの用法も含め不完了体と関係が深いが、可能性возможностьは動作が起こる見込みを指す完了体の属性であり、そこから危惧や警告という意味が発達したと考えられる。

出題)「故障が見つかったら機械を止めて下さい」をロシア語にせよ。

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2013年05月28日

●続和文解釈入門第105回

言葉は使われなくなるということはあるが、使うなと命令するのは不可能だろうと、誰しも思う。エカチェリーナ2世の息子であるパーヴェル1世は、母親嫌いでも有名であり、гражданин(市民)という言葉を廃し、подданый(臣下)に変えさせたという。またその息子のニコライ1世は、прогресс(進歩)という言葉が嫌いで、何とか絶滅しようと努めたというようなことが、ウスペンスキーの「言葉について一言」に書いてある。

出題)犯人などの「何か特徴は?」をロシア語にせよ。

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2013年05月29日

●続和文解釈入門第106回

拙著の『和文露訳入門』を通読すれば、体の使い分けがすぐに分かると言いたいが、必ずしもそういうわけにはいかない。ロシア語の学習レベルというのは人それぞれだからだ。体の奥義を究めるために私の勧める読書法は、1日10ページでもいいから、『和文露訳入門』を読んでみて、とにかく通読する。そのときに例文には注意を払わない。本文を通読して、体の本質という事に対して著者が何を言いたいのかを頭の隅に置くようにする。一冊丸々理解するとか、ましてや例文を暗記するなどという事は考えない。この本は全部で270ページぐらいだし、今度出す『新訂和文露訳入門』は380ページぐらいの予定なので、1カ月あればどこに何を書いてあったかがおぼろげながら分かるようになる。体の本質に関する内容がどうであるというのではなくて、ただ時制には3つあって、過去・現在・未来で、他に命令法と不定法があったなぐらいでよい。その後、第1章の体の本質と規範を再読してみる。通読してみれば、各項目に書いてある体の用法で分かりやすいところ、分かりにくいところが見えてくる。用法がよく理解できなかった項目は、目次に印をつけておく。その後、自分が理解しにくいと思う項目を、気が向いたらアトランダムに読んでみる。自分が理解しにくい項目がいっぱいあり過ぎて分からなければ、その優先順序をつける手段として、このコーナーの出題の日本語を読んでみる。語彙はともかく、どの体を使うのか分からなければ、回答に書いてある体の用法を見て(もし書いていなければ、私宛に投稿いただければ当該項目番号を知らせる)、『和文露訳入門』の目次を利用して、当該項目を再読するという方法である。『和文露訳入門』には数えたことはないが500以上の例文が再録されているはずなので、自分が和訳を見て露訳できなかったものを1日一つ丸暗記するというのを並行してやるのも、いろいろな分野の語彙を増やすうえで有効だと思うし、このコーナーの出題に対して回答する(実際に回答を寄せるかどうかは別にして)というのも役に立つと思う。『和文露訳入門』の目次が体の使い分けそのものなので、目次にさらっと目を通しておけば、またその項目に戻って理解を深めればよい。第1章に書かれている体の本質と実際の個々の項目にある用例を往復することにより、実際の体の運用について奥義に至ると確信している。近く出版予定の『新訂和文露訳入門』は目次数も増やし、より理解しやすい工夫をしたつもりである。今回の出題は本文の内容に則した設問である。

出題)「ここに書かれていることを全て丸暗記する必要はありませんが、あらゆる質問への答えをどの章で探すべきかを精確に心に思い浮かべなければなりません」をロシア語にせよ。

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2013年05月30日

●続和文解釈入門第107回

通訳やガイドしていてロシア人と雑談するときがあるが、そのときに体の使い分けを聞いたことはない。我々日本人に日本語を勉強する外国人が敬語の使い方を尋ねるようなもので、一言で答えることができないのは分かっているからだ。そこで、日本人にロシア語を教えているロシア人はというと、これもロシア語学が専門であるロシア人というのは日本で探すのは難しいと思いあきらめていた。「和文解釈入門」第163回で現代ロシア語会話を勉強する上で非常に良いロシア語会話集として紹介したことのあるマフニョーワさんの『男と女のロシア語』(TLS出版、2010年)を眺めていたら、著者は非常にまじめな人のようで、会話集には珍しい文法編というのがあった。そこに完了体と不完了体という項目があり、「ロシア語の動詞は、多くは完了体と不完了体のペアで成り立っています。完了体とは1回限りの動作や、その開始と終了がはっきりと意識できる場合です。不完了体とは、進行・継続・反復する動作、もしくは動作そのものなどを表す場合です」とある。これまで、初級のロシア語参考書を何冊も見たが、これほど明快に体の本質を表した説明は知らない。その後、прочитать(読了する)とчитать(読む)が例として挙げられているが、これは『和文露訳入門』7-1に書いたように、完全な体のペアと言えるのかということの他に、語義に違いがあってどうかなという気はする。多くの学習者が、完了体は動作の完了を、不完了体は継続と反復をと理解しているのに比べれば、さすがに日本語の専門家であり、日本人にロシア語を教えている優秀なプロであることが分かる。日本人にロシア語を教えているロシア人は数多いるが、このように体の本質を一言で説明したのを聞いたことも読んだこともないので驚いた。ただこれだけでは、私の体の使い分けに疑問を抱いたきっかけである、Садитесь!(おかけください)や遂行動詞を説明できないだろうとは思うが、紙面が限られている中、これを頭においているだけでもずいぶん違うと思う。Садитесь.についていえば、1回限りの動作であり、その開始と終了も明確に意識できる。それなのに不完了体が用いられているわけである。なぜ不完了体かは着手の用法として、何度も説明したし、和文解釈入門第300回の命令法のところや、『和文露訳入門』5-1-1項を読めば分かる。

出題)「あなたたちお二人の誕生日は同じです」をロシア語にせよ。

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2013年05月31日

●続和文解釈入門第108回

通訳の時にロシア人の技術者や、ガイドの時にロシア人観光客から日本語は難しいですか聞かれることが多い。漢字など文字の習得が難しいのは事実だが、会話は簡単なはずだと話すとびっくりする。ややこしくなるので説明はしないが、音素数が日本語は20(23という説もある)と、英語の46、独語41、ロシア語の38、仏語の37、中国語の32、韓国語の32と比べても極端に少ないことが分かる。音素というは母音、子音が実際に発音されて、聞き取れる最小単位だと思えばよい。ラ行は英語のrやlだけではなく、ロシア語の巻き舌のエル(弾き音)もこれで表すのだから、外国人にとって日本語の発音を覚えるのは倍簡単だということが分かるだろう。つまり我々日本人には外国語の発音をマスターするのは倍難しいという事になる。

出題)結婚を控えた女性に「名字を変更なさいますか?」をロシア語にせよ。

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2013年06月01日

●続和文解釈入門第109回

完了体は否定文では使われないかと言うと、不可能、否定の強調の他にも使われる場合がある。забыть忘れる、потерять失う、разбить割る、сломать壊す、убить殺す、ударить殴る、уронитьなくす、などの瞬間動作動詞(瞬時の移行・変化を示す動詞)を含む否定的結果の意味がある動詞は完了体で使われることが多いが、否定文においても完了体で使われる。このような動作に否定的ニュアンスのある動詞を否定すれば、動作を肯定的にとらえるというような主観的なニュアンスに変わるということで、完了体が用いられるからだと考えられる。動詞にもよるが、過去、未来の時制、命令法、不定法での完了体に共通する否定の用法と言える。

(一か八か)Двум смертям не бывать, а одной не миновать. <二度死ぬやつはいないし、だれしも一度は死ぬものだ〔このминоватьは完了体〕>
(ナースチャは手を抜かずに、映画会館や、メモにある劇場に電話をかけまくった)Настя не поленилась, обзвонила и Дом кино, и указанные в записях театры.
(必ず連絡を入れます)Не премину сообщить.

出題)「彼を見ればすぐ分かるに違いない」をロシア語にせよ。

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2013年06月02日

●続和文解釈入門第110回

получатьは具体的なものを受け取る(ないしは「叱られるполучить выговор」など)という意味では、動作が一気に終わる(過程ではない)ので使えないが、特典を得る、交付を受けるというような、ある程度過程のニュアンスがある語義の時は不完了体未来形(быть の未来形 + 不完了体不定形)が使える。108回の出題の「名字を変更する」も、変えるという意味で一気に変えられるものなら完了体を使うが、改姓するという場合は、手続きに時間がかかる、つまり過程のニュアンスがあるということで不完了体が来るとも言える。未来の時制における動作の有無の確認には、その文脈における動詞の語義が直接かかわって来るのである。

出題)「お前、学校のガラスを割ったのか?」をロシア語にせよ。

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2013年06月03日

●続和文解釈入門第111回

否定的ニュアンスのある動作は不完了体が使われることが多いと書くと、誤解の元かもしれない。否定的ニュアンスというのには二通りあり、一つは不必要や禁止を示すもので、動作自体が行われない、動作が存在しないという状態を示すものである。この場合の叙想語(話し手の主観を示す)はне, нельзяなどの否定詞であるが、続く動詞は動作そのもの(動作の内容)であるために不完了体が必須である。もう一つは、否定的結果の意味のある動詞群でзабыть忘れる、потерять失う、разбить割る、сломать壊す、убить殺す、ударить殴る、уронитьなくす、などの瞬間動作動詞(瞬時の移行・変化を示す動詞)であり、これらは状態ではなく、否定の場合でも具体的な1回の動作を示し、生死や損得に関わる主観的な動作を示すので、過去の時制の平叙文や否定文では、アオリスト的用法として完了体で使われることが多い。不完了体過去形の例としては第11回出題の回答参照。しかし、疑問文では過去の時制の動作の有無の確認(動作の名指し)として不完了体過去形が来る。このほかに、『和文露訳入門』4-1-1-4項の状態の変化を示す動作、瞬間的に成立する動作、繰り返しのきかない単一的、無意識的、非目的志向的動作を示す動詞にもこれに当てはまる。

(イワン雷帝は自分の息子を殺したのか?)Убивал ли Иван Грозный своего сына? 
(その将軍は賄賂を渡したのか?)Давал ли взятки генерал? <これは否定的結果の意味はないが、瞬間的に成立する動作で過程の意味がない動詞である>

出題)「新しい手法のメリットとデメリットは何ですか?」をロシア語にせよ。

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2013年06月04日

●続和文解釈入門第112回

コロンやダッシュを使わない人が多いようだが、非常に便利な記号なので覚えておくとよい。コロンは二つの文の後ろの文に理由が来る。またハイフンは前の文に結果や説明、譲歩を示したり、前の文から後ろの文への素早い動作の移行を示したりする。ただこれらは会話では、単語と単語との間合い、イントネーションや文中の単語の強弱(プロミネンス)で表現するしかない。

Выйти невозможно: на улице проливной дождь.(出るのは無理だ。通りは土砂降りだよ)
На улице проливной дождь – выйти невозможно.(通りは土砂降りだよ。出るのは無理だ)
Придёшь - всё узнаешь(来れば分かる) <力点はа、ダッシュで「すぐ」というニュアンスを伝えている>

出題)「僕自身、自分の著作なんかもう忘れているよ」をロシア語にせよ。

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2013年06月05日

●続和文解釈入門第113回

体の用法が気になりだしたのは、大学の時で、なぜСадитесь.(おかけなさい)と不完了体命令形を使うのかという疑問を持ったのが最初だと書いたことがある。就職してしばらくしてから、『ロシア語動詞 体の用法』、(О. П. Рассудова、磯谷孝訳編、吾妻書房、1975年)と『演習ロシア語動詞の体』(磯谷孝編著、吾妻書房、1977年)が出て、一読してみたが、その時はロシア語のレベルが低く、よく理解できなかった。両書はそれ以降現在に至るまで私の座右の書であり、ほぼ毎日気になるところを眺めたりしている。体の用法について言えば、それ以前も、それ以降も会話で役に立つ表現や語彙は、なぜそうなるかを考えずに丸暗記していたので、商社の仕事で技術通訳や商談通訳をするのに何の支障を感じたことはなかった。体を真剣にやろうと考えたのは、『ロシア語の体の用法』(原求作、水声社、1996年)を精読してからである。これらの3冊の本は良書ではあるが、露文解釈用の参考書であり、隔靴掻痒の感があり、自分に必要な会話における和文露訳でどう活用するかは自分なりに考えなければならないと考えた。自分でも和露の例文付語彙集(その頃は1万項目ぐらいだったが、現在では9万3千項目を越えた)を作っていたので、その例文をもとに体の用法について検証していったわけである。そのためには質の高い例文が必要なことは言うまでもない。(次回に続く)

出題)「思い出すと、むかつく」をロシア語にせよ。

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2013年06月07日

●続和文解釈入門第115回

「不完了体とは、進行・継続・反復する動作、もしくは動作そのものなどを表す場合です」とあるが、進行(過程)、継続、反復に不完了体が用いられるというのは、不完了体の性質を挙げているだけで、なぜこれらに不完了体が用いられるのか、またこれらに共通する不完了体の特性については他の体の参考書と同様、何も述べていない。マフニョーワさんのは会話集であり、簡略とはいえ、文法の説明を書いてあるのは非常に良心的であるということはさておいて、他のロシア語の参考書もこれ以上の説明は見たことがない。どうも次に続く「不完了体が動作そのものを表す」と関係があるらしいという事は分かるが、あくまでも仮定である。「完了体とは1回限りの動作や、その開始と終了がはっきりと意識できる場合です」という完了体の定義にしても、これではなぜそういう事が言えるのかや、この二つ動作の関連性についてはよく分からない。
体の使い分けを、時制と法の細かい用法を、その例文と共に私は丸暗記してきたわけだが、その用法は86くらい(『新訂和文露訳入門』の目次の(小)見出し数は216)だと思われる。いくつかの用法には関連性があることは分かるが、このようなダブルスタンダードどころか、体の使い分けをする上で、86もの用法を細かく覚えなければならないとしたら、何も考えずに例文を丸暗記した方が早いと思ってしまう。(次回に続く)

出題)「私たち休暇はどうするの?」をロシア語にせよ。

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2013年06月08日

●続和文解釈入門第116回

そこで、この2年ほど、9万3千項目ある自分の和露語彙集の中の例文をチェックして見つけた自分なりの体の定義が、「完了体の本質は、話し手が動作の行われる時間軸の特定かつ不動の一点をイメージする」というものである。そもそも体の用法を勉強するきっかけとなったСадитесь.(おかけなさい)でこれを説明すると、この促しの用法は、かけっこのときのよーいドンや、試験の時の試験官の「始め」の合図のようなものだと考えると分かりやすい。話し手は合図をするだけであり、動作をするかしないのかは聞き手次第であるから、促しは任意の時間軸の一点における動作ということになる。この用法では聞き手はその一点をイメージしているが、話し手は完了体のようにその一点をイメージしているわけではない。促しの用法と関連のある『和文露訳入門』5-1-2項の勧誘の用法では、動作が行われるのが任意であるということがより明確である。

(始めなさい)Начинайте!
(おかけ下さい)Садитесь!
(時間があったら今日家に寄ってくださいね)Заходите к нам сегодня, если у вас будет время.

 遂行動詞では発話 = 動作であるが、その動作には始まりがあって、終わりがある過程を示していることが分かる。この過程は現在時制でのみ用いられるから不完了体が用いられるのである。過程(現在進行形)がなぜ現在の時制なのかについては、すでに説明したと思うが、念のため次回説明する。

出題)「具体的な提案はあるの?」をロシア語にせよ。

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2013年06月09日

●続和文解釈入門第117回

イェスペルセンは『文法の原理』(安藤貞雄訳、岩波文庫、2006年)において、「現在というのは厳密に言えば現在の一瞬であり、点としてとらえることができる。ただ現在の一点が言及された期間内に入っていれば現在の時制であり、繰り返しについても総称時ということで、現在の一点が含まれているから現在の時制になるのだ」と指摘している。

 完了体が現在の時制で用いられないのは、現在の時制におけるこの一瞬(一点)が常に未来へと動いているため、ビデオや映画のフィルムの一コマ、一コマの静止画面のように、結果の存続という形式か、ないしは一瞬後の未来のような広い意味での今しか完了体が表せないからである。つまり、私の指摘した「完了体の本質は、話し手が動作の行われる時間軸の特定かつ不動の一点をイメージする」というのは、今という一瞬(一点)は静止していないのだから、完了体はこれを表現できないということを意味する。

 一方不完了体は時間軸の特定かつ不動の一点をイメージしないのだから、現在のこの一瞬においても、その前後においても終了していない(継続している)動作を表現することができるということになる。そのため動いている現在のこの一瞬を含む動作の場合には、完了体の代わりに、過程(進行形)、状態の動詞や遂行動詞という用法において、不完了体現在形が具体的な1回の動作を示すことになる。

出題)「明日は二人とも早起きだ」をロシア語にせよ。

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2013年06月10日

●続和文解釈入門第118回

動詞はそれぞれ語義が違うというのは当然のことながら、体の用法によりいくつかの動詞群(例えば『和文露訳入門』の第7章)に分けられるという事が言える。しかし、ここで問題なのは、日常よく使われる動詞について言えば、語義が一つではなくいくつかあり、それぞれ体の用法も違う場合があるということと、またいくつかのシノニムの動詞は語義が同じでも体の用法が違うという可能性もあるということである。Я говорю...という一見現在の時制の文を例にとっても、文脈によっては、反復(繰り返し)、過程、遂行動詞、状態(能力)、結果存続兼評価型動詞、歴史的現在(過去の時制)という用法が考えられる。体の用法を『新訂和文露訳入門』(小見出しの数は216)では86紹介するつもりだが、体の使い分けというのは、一つの動詞にいくつかあるという意味では重層的であり、それが時制や法でも用法が分かれ、さらにいくつかの動詞群に分けられるという意味では平面的であり、これらが錯綜していると言えよう。それゆえ用法をそれぞれ切り離して、あたかも体の用法の原則が86とは言わないまでも、いくつかあるとして、個別に覚えるよりは、なぜそのような個別の用法が生まれたのかその本質を会得し、それを個別の場合(86の用法)に当てはめて検証した方が、有機的に体の使い分けができるようになると思われる。

出題)「このような装置が何台御社ですでに運転しているのですか?」

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2013年06月11日

●続和文解釈入門第119回

状態の動詞(3-1-6項)はともかく、動作を示す不完了体現在形がужеと結びつくのには抵抗があると考える人もいるかもしれないが、уже との組み合わせで結果存続兼評価型の用法となる。ужеは語義において結果存続を示し、文脈によって何らかの評価を示唆していると考えられる。ужеがなくとも、それが含意されていれば、結果存続兼評価型動詞となる例もある。

(もうロシア語がうまく話せますね)Вы уже хорошо говорите по-русски.
(「ママ、もう起きてるよ、起きてるってば、ママ」と言って、また寝入ってしまった)И говорил "Мам, я уже встаю, встаю, мам!" и засыпал опять.<第42回本文で遂行動詞と間違って紹介したので、ここに訂正する>
(僕自身、自分の著作なんかもう忘れているよ)Я уже сам забываю свои сочинения. <第112回出題>
(当直の報告からどうなったかは聞いている)Из донесения дежурного я знаю, как обернулось дело.
(息子はもう独り立ちしている)Сын уже на ногах. <「息子はすでに歩けるようになっている」とも訳せる>

出題)「彼の最後の手紙には多くのことを考えさせられる」をロシア語にせよ。

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2013年06月12日

●続和文解釈入門第120回

前回出題の使役受け身について補足しておく。日本語では強制的な使役には「食べさせられる」など、使役受け身を使って、無理強いを表現することも可能だが、その場合ロシア語では下記の動詞を用いる。

принудить (принуждать) + 対格 + 動詞の不定形(またはк + 与格)
заставить (заставлять) + 対格 + 動詞の不定形

 このとき日本語では嫌なことや嫌なことをさせる人がニ格に立つのが自然だが(主格にもできるが、その場合は作った日本語という感じが強い)、ロシア語では主格になることに注意。

(我々は社長に30分以上待たせられた)Президент заставил нас ожидать себя более полчаса.
(我々は教授連に練習させられた)Профессора заставляли нас упражняться.
(従業員は強盗たちに床に伏せさせられた)Грабители заставили служащих лечь на пол.
(私の意に反して飲まさせられた)Меня заставили пить против воли.
(ワインを半ボトル私は飲まさせられた)Он заставляет меня выпить полбутылки вина.

 抽象名詞を主語に取ると強制的というニュアンスはなくなる。直訳すると日本語らしくなる場合が多いので、和訳には工夫が必要である。

(公平に言って、彼はちゃんと資料を用意した)Справедливость заставляет сказать, что он хорошо подготовил материалы.
(巨大な黄色と黒の猫の美しさは危険を忘れさせた)Красота огромной желто-чёрной кошки заставляла забыть об опасности.
(断わらざるを得ません)Меня заставляет отказаться.

 さらに慣用句заставить (заставлять) себя ждать(なかなか現れない、遅れてくる)を使って、

(彼はいつも遅れてきて〔人を待たせて〕、帰る間際にやってくる)
Он всегда заставлял себя ждать и появлялся к шапочному разбору.
(結果はすぐ出た)Результат не заставил ждать себя долго.

出題)「どのようなブロックからその装置は構成されているのですか?」をロシア語にせよ。

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2013年06月13日

●続和文解釈入門第121回

不定人称文というのは、主語がなく、述語が不定の人によって行われる行為を意味する文である。つまり主語は明示されないが、人を含意し、事物が主語ということではない。『和文露訳入門』4-1-6項参照。

(いつも他人に対してイライラする)Я постоянно раздражаюсь на других людей. <これをРаздаржают меня.という不定人称文にはできない。радражать/радражить(イライラさせる)の主語はイライラの原因となる特定の人か事物であり、それを明示する必要があるからである>

出題)「コックリしないよう頑張らざるを得なくなった」をロシア語にせよ。

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2013年06月14日

●続和文解釈入門第122回

ソ連科学アカデミー版ロシア文法Русская грамматика, Наука, 1980の第2巻356ページにある不定人称文のところに、主体の定義として、Специфика субъекта здесь состоит в том , что это или «вообще всякий, любой», или «кто-то (некто), или «некоторые».(ここにおける主体の特質は、それが「各人全般、どの人でも全般に」、ないしは「だれか」、ないしは「ある人々」であるということにある)とある。всякий, всякая, всякиеは単独で各人(男、女、複数の人)という意味で、当然ながら人でвсякоеというのはないし、「どんなものでも」という意味では、ものを意味する中性名詞が必要である。любойもлюбой, любая, любыеも単独で「どの(男、女、複数)人でも」という意味があり、любоеは単独で「どれでも」という意味になる。これから判断して、主体は人を指していることが明らかである。

 каждый, любой, всякийはシノニムだが、каждыйは例外なく、削除なしで、それぞれすべてというニュアンスであり、複数を用いるのはその語義が単数の語義である複数の名詞や数量名詞のみで例外的。любойはкакое угодно(どれでも)という、えり好みせずというニュアンスで抽象的な名詞との結びつきが多い、複数の名詞とは制約がない。всякийはкаждыйに近いが、使用例は少ない。この3つは名詞としても使用される。

出題)「このようなカプロラクタム生成と御社の技術の違いは何ですか?」
「触媒としてホウ素化合物を用いていることです」をロシア語にせよ。

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2013年06月15日

●続和文解釈入門第123回

体の使い分けを会得するには、体の参考書を読むだけではだめで、用例にあたる必要がある。つまり拙著の『和文露訳入門』を含めて、ロシア語の参考書を盲信するのではなくて、自ら実際のロシア語の文で(会話では細かい格変化などは全てを聞きとるのは不可能だと思うので)検証する必要がある。自分で納得することが、体の奥義を究める早道だし、そのためにはこれはという例文をエクセルなどに集めておけば、将来役に立つだろう。

出題)「我がエコファームで(これから)起こることはすべて(その都度)お知らせいたします」をロシア語にせよ。

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2013年06月16日

●続和文解釈入門第124回

『アネクドートに学ぶ実践ロシア語文法』(東洋書店、2009年)の156ページに、時制について書いて見たが、念のため再録する。これについては、『新訂和文露訳入門』の相対時制の項に再録予定である。
чтоのある従属節の述語動詞の時制は、主節の動詞の時制にはこだわらない。英語のような時制の一致にとらわれないから、その点では日本語に似ているといえる。

a) 従属節の述語が現在のときは、主節と従属節の二つの行為が同時に起こっている事を示す。従属節の和訳が(仕事がうまくいっていると)のとき、主節の訳は、

Мы сообщаю Вам, что дела идут хорошо.(お知らせ申し上げます)
Мы сообщил Вам, что дела идут хорошо.(お知らせしました)
Мы сообщим Вам, что дела идут хорошо.(お知らせする事になります)

b) 従属節の述語が過去のときは、従属節の行為が主節の行為に先駆けて行われる事を示す。

Он сказал, что он работал на заводе.(自分が工場で働いていたと彼は言った)
Он говорит, что он работал на заводе.(自分が工場で働いていたと彼は言っている)

c) 従属節の述語が未来のときは、従属節の行為が主節の行為の後に起こる事を示す。

Он сказал, что она будет занята.(彼女が忙しくなると彼は言った)
Он говорит, что она будет занята.(彼女が忙しくなると彼は言っている)

しかし次のような文では従属節の述語動詞の形は現在形だが、不完了体の用法で説明したように予定(未来)を示している。
Звонила она, что уезжает завтра.(明日発つと彼女は電話した)

出題)「彼の言う事に耳を傾けた人がいなかったか、耳に入らなかったのだ」をロシア語にせよ。

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2013年06月17日

●続和文解釈入門第125回

一般的には完了体と不完了体の形式上の違いは、接頭辞、接尾辞がつくとか、語幹の文字が違うとかという、目で分かる区別なのだが、完了体と不完了体が同形である動詞もある。『アネクドートに学ぶロシア語文法』137ページにそれらをいくつか紹介したが、近く(一応6月末)上梓予定の『新訂和文露訳入門』では、私の500以上のコレクションから会話などで使えるものをさらにいくつか紹介したい。また形が同じでも、力点の位置を異にする体のペアがあるので、紹介する。不完了体は最後の音節のаに力点があるので、完了体の力点のみ示す。このコーナーでは力点の表示はできないので、各自辞書を引いてほしい。完了体は基本的に後ろから第ニ音節の母音に力点が来る。вырезатьとвысыпатьは例外で第一音節のыに来る。

врезать(刻みつける)、всыпать(中に撒く)、вырезать(切り出す)、высыпать(粉を移し変える)、дорезать(切り終わる)、досыпать(撒き終わる)、засыпать(塞ぐ)、изрезать(細かく切る、不完了体はизрезыватьが一般的)、надрезать(上に切り込みを入れる)、надсыпать(撒いて高くする)、насыпать(まいていっぱいにする)、отрезать(切り離す)、недосыпать(撒き方が足りない)、перерезать(切断する)、пересыпать(間に撒く)、подрезать(подрезыватьという不完了体もある)、посыпать(撒く)、прирезать(切って止めをさす)、присыпать(撒き足す)、просыпать(粉などがこぼれる)、разрезать(切り分ける)、рассыпать(ばらまく)、срезать(切る)、ссыпать(撒いて入れる)、урезать(切縮める、урезыватьという不完了体もある)、усыпать(粉で覆う)

出題)「間違うことなんてあるの?」をロシア語にせよ。

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2013年06月18日

●続和文解釈入門第126回

запаснойとзапасныйの意味は同じで、запасной (запасный) полк(予備役の連隊)というようにも使えるが、普通は語結合が違う。запасные части(予備品、スペアパーツのことで、ыに力点がある)、запасный выход(非常口、力点は最初から二番目のа)、запасной игрок(補欠)などである。

出題)「それとも奴は携帯が届かないところにいるのか?」をロシア語にせよ。

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2013年06月19日

●続和文解釈入門第127回

前にドストエフスキーはソ連時代あまり出版されなかったと書いたことがあるが、カヴェーリンКаверинの『エピローグ』Эпилогという1920年代から1980年代における自伝風の私的ソ連文学事情を読んでいたら、興味深いエピソードを見つけたので、紹介する。ドストエフスキーの『悪霊』Бесыが革命家を誹謗しているということで、ソ連政府から嫌われたと前に書いたが、そのきっかけは1934年のソ連作家同盟第1回大会の3時間にもわたるゴーリキーの開会の辞において、ドストエフスキーを攻撃したことによる。ドストエフスキーの「苦悩」という概念につき漠然とした憎悪を抱いていたというのである。ゴーリキーは1913年にドストエフスキーの考え方とその理想化について反対を表明していたから、昨日今日の話ではない。しかもレーニンも同様な考えを抱いていたとある。そのおかげでドストエフキーの著作は30年間ほとんど日の目を見なかった。そのことを1962年ソ連作家グループが奈良を訪れた際、スラブ文学史の教授から手厳しく指摘されたという。残念ながらこの教授の名前は誰なのか不明である。

出題)「貴社と弊社の話の内容はここだけにしてもらわないと困る」をロシア語にせよ。

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2013年06月20日

●続和文解釈入門第128回

ロシア語の「~とは何か?」には二つの表現形式があり、

a) Что такое философия?(哲学とは何か?)
b) В чём заключается синтез хлоропрена? クロロプレン合成とは何ですか?

であり、a)は主語 = 述語(この場合はчтоは述語)であり、b)は主語がどのように表現されるか、何から構成されるか、つまりзаключатьсяは意味的に выражаться , сотоять из чего-либоということであり、同義表現には, состоять в чём-либо, сводиться к чему-либоがある。a)は会話で、b)は学術関係で好まれる表現である。

出題)「二度は言わない」をロシア語にせよ。

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2013年06月21日

●続和文解釈入門第129回

完了体未来形の否定は、広い意味での現在(現在のこの一瞬を除く近接未来)において時間軸の特定の不動の一点(特に指示がなければ一瞬後の今)では、動作は完遂しないという事を示し、例示的用法から、一度も動作がないという事を強調しての否定の強調か、不可能(『和文露訳入門』3-2-3項)を示す事になる。どちらかかは文脈によるという解釈上の問題点がある。一方不完了体未来形の否定(否定的意図『和文露訳入門』4-1-1-6項)は、未来の時制におけるあらゆる時点での動作がそもそも起こらないということを示しており、否定的意志を示す事になる。ただникогда, ни разуという否定の文言がなければ、否定の強調も、否定的意図も区別が難しい。違いは話し手が未来における時間軸の特定の一点を意識する(完了体未来形)か、しない(不完了体未来形)かだからである。動作がないというのは不完了体で示すのが一般的だが、完了体で示すと、1回具体的な動作を否定するという主観的ニュアンスが出てくるので、具体的な動作を意識するときには完了体を使う事になる。つまり具体的な補語があれば完了体未来形の否定が出やすいという事は言える

Я больше никогда не повторю этой ошибки!(こんな過ちをもう絶対繰り返さない)<否定の強調>
В здравом уме не повторю такое!(常識ではこんなこと繰り返す事は出来ない。〔繰り返せるわけがない〕)<不可能>

出題)「昨日お呼ばれから彼らが戻ったのは夜中すぎだった」をロシア語にせよ。

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2013年06月22日

●和文解釈入門第130回

この頃散歩していると、マントこそないものの、月光仮面(太陽仮面というのもあったらしい)や七色仮面のような出でたちをした御婦人をたまに見る。色の白いは七難隠すとは言うものの、日光アレルギーならともかく、やり過ぎのような気がしないでもない。2013年6月16日付読売新聞朝刊に日本人女性が美白を特に意識し始めたのは、2005年気象庁が紫外線の害を喧伝するために紫外線情報を発表するようになったためだとある。ロシア人は北国の人たちだから日焼けを好み、7月、8月以外でないと日本(沖縄はこの限りではない)では泳げないと聞くとびっくりする。それでも紫外線がシミやそばかすの原因だと話すと、女性の方は美白の化粧品を売っているところに連れて行ってくれという話になる。日焼けが怖いなら、もっと別な出で立ちがあるような気がする。例えば、イスラム諸国で女性のかぶるヘジャブは伝統があり、色も必ずしも黒だけではなく、ファッション性もあるようだから、これなど日本でも流行りそうな気がする。

 ヘジャブや、特に目以外の顔全体を覆うブルカについてはフランスなどでは問題になっているようで、宗教的シンボルの着用は公の場では禁止などと言っているが、イスラム側も郷に入れば郷に従えで、ある程度の妥協は必要だと思う。ヘジャブやブルカを宗教的シンボルと言うから問題なので、シミ、そばかすの原因となる紫外線を防ぐ、つまり美白のために着用しているのだとすれば、ヨーロッパの人口の半分は女性だから受け入れやすいのではなかろうか?ブルカについては人相のチェックには女性警官があたればよい。そのぐらいイスラム側も妥協すべきだ。ちなみに婦人警官というのは差別語らしい。婦警さんではなく、女警さんと言わねばならないのだろうか?看護婦も差別語であり、看護師と言わなければならないというし、медсестраとмедбратはどう訳し分ければいいのだろうと考えたりもする。ついでに美白クリームはотбеливающий крем (крем от веснушкиは古いかもしれない)で、美白効果はотбеливающий эффектである。昔化粧品関係の通訳もしたし、現在もガイドでデパート回りに付き合わされるので、不得意な分野だが語彙はある程度押さえているのである。

出題)「私たちの年の差はたったの1歳だ」をロシア語にせよ。

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2013年06月23日

●続和文解釈入門第131回

助動詞であるмочь/смочьの使い分けは、非常に難しい。この助動詞自体に体の使い分けがあり、後に不定形を取るために、その不定形の体の使い分けも考える必要がある。まず助動詞そのものの体の使い分けだが、話し手がTPOに合わせようと思う動作は不完了体に、TPOを考えに入れない動作(新規の動作)には完了体をということになるが、語義の関係上、新規の動作は少ないように思うので、мочьのほうがсмочьよりはるかに多く使われる。

(切符を手に入れることができた)Я смог достать билет. <実際に切符を手に入れた。смочь = суметьであり、 結果の存続>
(切符を手に入れようと思えばできた)Я мог достать билет. <動作が可能な状態にあったということで、実際に切符を手に入れたかどうかは不明。мочьは現在や過去の時制での動作が可能な状態・反復を示す>

мочьは未来の時制では使えないし、смочьには反復の用法はない。そこでбытьの未来形 + в состоянии + 不完了体不定形を使って、「できる」という意味の未来の時制での反復を示す事になる。

Если операция пройдет успешно, подросток будет в состоянии чувствовать запахи и дышать через нос.(手術がうまくいけば、少年は臭いもかげるし、鼻で息をすることができるようになる)

мочьには命令形がない。俗語でне моги + 不完了体不定形で禁止を示す。

Не моги трогать.(触れるな)

完了体のсмочьは未来形では、例示的用法(何かことがあれば~する)にも使われる。

Сделаю всё, что смогу.(出来る事は何でもします)

мочьの後に不定形をつける場合、мочьは多義語なので、そう簡単ではない。мочьは叙想語だから基本的に完了体が来るはずだが、反復や一定の期間の動作には不完了体が来る場合もある。

a) ~する力(権限)がある
Он может поднять сто килограммов.(彼は100キロ持ち上げることができる)<修練した能力ではない>
b) 可能性
Вы можете приехать на переговоры завтра?(明日ネゴに来れますか?)
Я не могу танцевать сегодня.(今日私は踊れないんです)
Очки он не мог снять.(彼はメガネを取ることはできなかった)
И не мог видеть свою невесту.(いいなずけに会うことはできなかった)
c) 許可
Вы можете идти. = Вы можете быть свободным.(下がっていいですよ)= Вы свободны. 〔不完了体不定形にはそろそろという切迫感のニュアンスがある。上司が部下に用件は済んだ(そろそろ席に戻れ)という意味で使う〕
Вы можете уйти.〔完了体不定形には義務のニュアンスがある〕
d) 「~しなくてよい」なら不必要という用法なので、мочь + не + 不完了体不定形
Сегодня вы можете не приходить на работу.(今日は会社に来なくてよいです)
e) 能力(習得した技能としての) → 不完了体
Мой коллега может танцевать.(私の同僚は踊れるんです)〔уметьと同義〕
f) 体力がある → 不完了体
Она идти ещё не могла, во всяком случа без палки.(いずれにせよ彼女は杖なしにはまだ歩けなかった)
g) 推測 → 完了体
Здесь моя болезнь может усилиться.(ここでは私の病気はひどくなるかもしれない)
Он может приехать завтра.(彼は明日来るかもしれない)
h) 「~でないかもしれない」(危惧)という意味ではмочь + не + 完了体不定形を用いる。
Сегодня мы можем не заключить контракт.(今日契約調印しないかもしれない)
i) 「~するはずがない」
Он не может прийти.(彼が来るはずがない)
Он не могут знать об этом.(彼がそれを知っているはずがない)

出題)「彼女の近視は進んでいる」をロシア語にせよ。

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2013年06月24日

●続和文解釈入門第132回

語彙の暗記は必要だが、中級に進んでもそればかりというのはロボットのようである。そうではなくて、考える学習法をしないと、勉強に興味が持てないし、またいつまでも若いわけでもないから、暗記に頼るようなロシア語の勉強は続かない。そういう意味で近く公刊予定の『新訂和文露訳入門』がお役に立つことを願っている。

出題)「途中ですべてを投げ出す事は出来ない」をロシア語にせよ。

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2013年06月25日

●続和文露訳入門第133回

несдоброватьというのは面白い動詞で、完了体だけで不完了体がなく、しかも不定形でしか使わない。не сдоброватьという表記もある。

Иначе – несдобровать.(そうでないと、とんでもないことになる)
Тогда несдобровать начальнику.(そうなったら上司にいいことはない)

出題)「互いに問題を起こさないで働くことができる」をロシア語にせよ。

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2013年06月26日

●続和文解釈入門第134回

体の使い分けについて、例えば近く刊行予定の『新訂和文露訳入門』には87あると書いておいたが、全ての動詞に87あるというわけではない。またдолженなどの叙想語の後に、1回の具体的動作には完了体不定形が、一定の時間や反復、切迫の用法なら不完了体不定形が来ると書くと、確率的には1/3だなと思う人がいるかもしれないが、それも違う。動詞の語義と文脈によってどの体を使うかは明確に決まって来る。通訳は瞬間なので、体の使い分けを理詰めで考えることができないというなら、この場合は完了体不定形の来る確率が圧倒的に多い。この勘を養うためにも、閑な時に同書でよく理解できない体の使い分けのところをその都度一読されたらよいと思う。また一つの文で完了体と不完了体の両方が使える場合でも、話し手のニュアンスの差が出るのが普通である。

出題)空港のゲートを出てきたが、出迎えの人が誰か分からない人に言う「私が出迎えです」をロシア語にせよ。

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●続和文解釈入門第135回

出題)「ゲームは45分目に短い休憩をはさんで90分続く」をロシア語にせよ。

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2013年06月28日

●続和文解釈入門第136回

出題)「通路からゴミをどけて下さい」をロシア語にせよ。

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2013年06月29日

●続和文解釈入門第137回

出題)「添加剤を入れた後でどのくらい色が変わりましたか?」をロシア語にせよ。

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2013年06月30日

●続和文解釈入門第138回

出題)「注意の必要な行にはマーカーで印がつけてある」をロシア語にせよ。

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2013年07月01日

●続和文解釈入門第139回

オレーシャОлеша(1899~1960)という作家の自伝『1行も書かない日はない』Ни дня без строчкиを読んでいる。彼は『妬みЗависть』や児童向けの『3人のデブッチョТри толстяка』で有名だが、この自伝も捨てがたい。文章は短い段落をつなぎ合わせて作ったものであり、当時のオデッサやモスクワがよく描かれている。自伝の中で話はしばしば飛ぶが、その中に大文豪レフ・トルストイの文は文法的におかしいところがあると述べているところがある。接続詞чтоの中にまたчтоを使ったり、関係代名詞которыйのある文の中にまたкоторыйを使うのは文章の規範外だというのだ。オレーシャは例文を挙げていないので、何とも言えないが、日本にはトルストイに興味を持つ人は多いはずで、原文で味わっている人も多いから参考になろう。私はトルストイの著作は高く評価するが、トルストイ主義や、トルストイ本人の生き様に特に感銘を受けているわけではない。著作も20巻の著作集は読んだが、90巻の完全版を読もうという気はない。

出題)「これらの構造物は腐食している」をロシア語にせよ。

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2013年07月02日

●続和文解釈入門第140回

前回の続きで、オレーシャが書いているが、トルストイは家出して亡くなったわけだが、死ぬ間際にたどりついた駅の駅長はオゾーリンОзолинという人で、亡くなる数日間トルストイと一緒にいたらしい。トルストイの死後この人はトルストイ主義者となり、後に拳銃自殺したという。トルストイという人は非常に影響力のある人であることが分かる。トルストイがこの人の駅にたどりつかなければ、この人の運命は違ったものになったのかもしれない。時代が時代だから、平穏とは言えないまでも。

出題)「そのときは紛争は拡大しないという、はかない希望を抱いていた」をロシア語にせよ。

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2013年07月03日

●続和文解釈入門第141回

ロシア語はロシア文学などを読めればよいとお考えの方、つまり会話に興味のない方も体の使い分けは覚えておいた方がよい。なぜかというと文章の細かいニュアンスが分かるからである。それによっていわゆる、この時作者がどういうニュアンスで書いたのかを、謎ときのように推理という形で再体験できるからである。

出題)「古代の自然神は徐々に、国家の守護者である国家の神に変わった」をロシア語にせよ。

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2013年07月04日

●続和文解釈入門第142回

天才というのは天性の才能のことで、そういう才能を持っている人も指す。ロシア語のгенийも同義である。つまり才能の場合は対格は主格と同じだが、人の場合は対格がгенияとなる。гений Жюля Верна(ジュール・ベルヌの天賦の才)

出題)「高いところで作業するときには、安全ベルトを使いなさい」をロシア語にせよ。

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2013年07月05日

●続和文解釈入門第143回

単数・複数や体の使い分けをマスターするという事は、会話における和文露訳においてロシア人を頼らなくて済むという事を意味する。ロシア人にロシア語の文を見てもらうときに、その文が和文からどのように露訳されているのかという点に注意を払う人はあまりいない。語彙がほぼあっていれば、正しいはずだという前提に立っているかのようである。そのロシア人がどのくらい日本語会話に堪能であっても、外国人向けの日本語文法を理解しているという保証はない。逆を言えば、露文解釈や露文和訳だけをやっている日本人にもそれは当てはまる。露和辞典の語彙と文脈だけで露訳や和訳をしている可能性があるからである。日本語やロシア語の文法を知っていると言っても、会話などで体も含めて使いこなせないと、本当の意味で文脈や背景などは分かりはしないのだ。外国人向けの日本語文法をマスターしたロシア人の方が露文和訳をさせれば、かえって語感が鋭いかもしれない。言葉は使いこなして初めてその真価が分かる。だから露文解釈も会話での和文露訳も両方マスターする必要がある。片方だけに力を入れるのは、その人のロシア語が片輪になるもとである。

出題)「ドアを背にして立って、右を見ろ」をロシア語にせよ。

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2013年07月06日

●続和文解釈入門第144回

未来の時制で完了体がよく使われるのは、口に出すかどうかは別にして、動作の完遂を未来の時間軸の一点においているからである。次の文で不完了体未来形が来るのは、注文するかどうかが分からない、ましてやいつ注文するかなど全く分からないからであり、未来の時間軸の一点を確定できないからである。これが動作の名指し(動作の有無の確認)と呼ばれる用法である。

(スペアーパーツを御注文なさいますか?)Вы будете заказывать запчасти?

(スペアーパーツを注文します)Мы заказываем запчасти.<注文することになっているという予定の用法で、過程(進行形)の用法から発展したもの>
(スペアーパーツを注文します)Мы закажем запчасти. <注文するという動作が未来の時間軸の一点に起こるわけで、特に何も文脈がなければ今すぐ(一瞬後)注文するという事になる>

出題)「オイル漏れの有無を確認しなさい」をロシア語にせよ。

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2013年07月07日

●続和文解釈入門第145回

否定文についてだけで書かれているもの見たことがないので、試しに書いて見たい。否定文というのは動作自体を否定するのだから不完了体が使われる。つまり動作の有無の確認に不完了体が使われるということから、否定文こそ動作の無の確認に他ならないからだ。そのため否定文に完了体を用いるというのは、何らかの主観的なニュアンスを付加することになる。未来の時制ではまだ起こっていない事柄、つまり確定されていない事柄が対象のために容易に可能性と結びつくが、過去の時制では、不可能という用法はあり得ない。これは完了体過去形が時制はともかくとして(『新訂和文露訳入門』9-2項の相対時制参照)、確定(確述)した動作を示し、可能性の現れる余地がないからである。そのため完了体過去形ではアオリスト的用法(過去の時制)や結果の現存(現在の時制)が否定文に現れるにすぎない。

(ドゥヂーンツェフの慎重な演説は僕の記憶に残っていない)Осторожная речь Дудинцева не запомнилась мне. <結果の存続>

 日本語の文法で言う非過去(現在と未来)は完了体未来形でも表現できるが、完了体未来形は動作が行われている現在のこの瞬間を表現できない。そのため現在と言っても、一瞬後以降の広い意味での今である。広い意味での今にはロシア語でも日本語でも「今電話がありましたよСейчас вам звонили.」というような過去も含まれる。そういう意味での現在と未来の時制において完了体未来形を否定すれば、不可能と否定の強調、ないしは未来の時制においてその動詞の語義にある動作が完遂しないことを示す。
 不完了体未来形の否定は、これから起こる未来のいつの時点の動作をも全て否定するゆえに、回りの雰囲気を読まずとも、「~するつもりはない」という否定の意図が明確に現れる。これは預言者ではない以上、未来について確信を持って言えるのは意図だけだという事も関係している。『新訂和文露訳入門』4-1-1-6項参照。
 運動の動詞においては、不定動詞ходитьの否定は過去の時制では、初めからそういう動作はなかったことを、定動詞は、それ以上の動作がないことを示し、完了体пойтиの過去形は途中で気が変わったこと(新規の動作)を示している。

(昨日はどこにも行かなかったわ)Вчера я никуда не ходила.
(タンスはドアのところにはさまれて、それ以上行かなかった)Шкаф застрял в дверях и дальше не шёл.
(〔気持ちが変わって〕どこにも行かなかったの)Вчера я никуда не пошла.

出題)「冷却システムの仕組みはどうなっていますか?」をロシア語にせよ。

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2013年07月08日

●続和文解釈入門第146回

動作の否定の続き。例文をあまり出さなかったようなので、ここに挙げておく。

(空港へは汽車は運行していない)В аэропорт поезд не ходит.
(この列車はここが終点です)Поезд дальше не идёт.
(その列車はターミナル駅まで行かないのか?)Поезд не пойдёт до вокзала? <まさかと思うけどというニュアンス>
(ミハイルは変わっていない)Михаил не меняется.
(我々のだれも変わっていなかったし、それを望まなかった)И никто из нас не менялся и не хотел.
(彼は頑固で、変わっていない)Он упрям и не изменился. <否定の強調、否定の結果の存続>
(アガニョーク誌が変わることはない)«Огонёк» не будет меняться. <否定的意志>
(世界は変わらない)Мир не изменится. <否定の強調、未来における完遂の否定>

出題)「黙っていてくれるよう姉から約束を取りつけた」をロシア語にせよ。

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2013年07月09日

●続和文解釈入門第147回

「そのときは」は第140回の出題では、現在との対比ということから過去の時間軸の一点であることは間違いないが、「そのとき」だけなら、当時という意味で一定の期間を示す事ができる。そうであれば不完了体過去形が来ても問題ないわけで、(当時はその紛争が拡大しないと期待していた)Мы надеялись тогда, что конфликт не будет расширяться.となり、現在もそのように期待しているかどうかは分からない、つまり現在とは何のつながりもない文になってしまう。現在、そのような期待がないということを言うためには、この文だけでは不十分と言う事になる。

出題)「昼間電話したわ。いえ、嘘、昼間私に電話したのは彼女の方よ」をロシア語にせよ。

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2013年07月10日

●続和文解釈入門第148回

『新訂和文露訳入門』において、完了体の本質は時間軸の特定かつ不動の一点での(その動詞の語義にある)動作をイメージするとした。そうであれば不完了体は特定かつ不動の一点での動作をイメージしないということになるから、反復や総称時(一般的に~である)については御理解いただけよう。しかし、過程(いわゆる進行形)となると、まさに今のこの一瞬に動作が行われているわけだから、この定義と矛盾すると感じる人もいよう。しかし過程の今のこの一瞬と言うのは、特定ではあるが、不動ではない、動いている一点である。動いている動作(過程や進行中の動作)をビデオに撮れば、特定の時間の一瞬を一コマという形で切り取れるのは誰しもが知っていることであるが、その一コマは、その一瞬が固定化されたもの、つまり結果の存続(厳密に言うとアオリスト的用法)であり、それは一コマの隅に撮影時間が印字されることでも分かる。一方、過程(進行形)における一瞬というものは、刻々と動いている一瞬であるという違いがある。そのため過程には不完了体が用いられるのである。

 ビデオや写真を撮ると、その一瞬が保存されるわけだが、写真は削除もできるし、印画したものはなくすという事もありうる。そういう意味で、アオリスト的用法と言うのが正しく、現在まで残っていれば結果の存続という面が出るという事なのである。

出題)「僕がチスチャコーフだったら、もうとっくに君と離婚してるね」をロシア語にせよ。

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2013年07月11日

●続和文解釈入門第149回

不完了体未来形に未来を示す語句が絶対来ないという事ではない。明日などの時を示す語句が未来の時間軸の一点を示し、そこでその動詞の語義にある動作が完遂すれば完了体未来形を使い、未来の一定の期間を示したり、そこに文の焦点が来ないなら不完了体未来形が来るということになる。

(明日練習問題をやる)Завтра Я буду решать задачи. <明日ということだけで、明日中かもしれないし、明日のいつの時点ということを明示しない。また完了体と不完了体では意味が異なる>
(明日その練習問題を解く)Завтра я решу задачи.
(2時に昼食を取る)В два часа я буду обедать. <「2時に昼食を食べる」という動作があるという事を示しているのであって、必ずしも完遂を意味しない。完遂を意味しない以上、具体的な時を示す語句と不完了体未来形の使用は一般的ではない>
(2時に昼食を取る)В два часа я пообедаю. <この動詞の場合語義から見て、В два часа я обедаю.と不完了体現在の予定の用法を使う方が自然である>
(明日電話する)Завтра я буду звонить ему. <明日中に電話する>
(明日電話する)Завтра я позвоню ему. <不完了体と特に違いはないことになる>
(明日の夜何をなさいますか?)Что вы будете делать завтра вечером? <文の焦点は何をするかであり、特に時間軸の一点を意識しているわけではない>
(仕事を終わりまでやる)Я кончу работу. <動作の完遂>
(仕事を終える)Я буду кончать работу. <終えるという動作があることを示すのみで、終業時間だから(そろそろ)仕事を終えるという意味になる>

出題)「概算の建設費用を決める必要があります」をロシア語にせよ。

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2013年07月12日

●続和文解釈入門第150回

他動詞は直接補語を省略する場合があるが、それは文脈で明らかな場合であり、そうでない限り省略することはない。命令法において直接補語が人で二人称の場合は、自動詞が来るが、再帰動詞も可能である。第142回の回答でも説明したが、「シートベルトをしなさい」を露訳すると、日本語から判断して直接補語をうっかりシートベルトにしてしまう。そういう風にしてしまうと、誰のシートベルトなのかという問題が露訳の際生じる。出題の日本語ではあなたのシートベルトであることは明確であるが、ロシア語でそのように訳す場合には、
Пристегнитесь ремнём безопасности. と再帰動詞の命令形を用いて、シートベルトを造格にしてしまうのである。造格にできるかどうかは動詞の語結合に依るから、全ての動詞で可能なわけではない。再帰動詞ではなく他動詞を用いると、次の文のように直接補語を明確にする必要がある。
(子供たちのシートベルトを締めなさい)Пристегните детей ремнём безопасности.

 それゆえ理論上はсебяを用いて、下記のようにすることは可能だが、あまり聞かない。

Пристегните себя ремнём безопасности.

出題)警備会社の説明にある「アラーム(警報)受信後2、3分以内に(ふつうは)我々は現場に到着します」をロシア語にせよ。

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2013年07月13日

●続和文解釈入門第151回

拙著『ロシア奇譚』にロシアの犯罪エリート集団であるヴォール・ヴ・ザコーニェвор в законе(以下ヴォールと略す)の略史を書いておいた。ヴォールはロシアの犯罪小説にはよく出てくるが、日本も含めて海外の警察小説などにはあまり出て来ない。ノンフィクションでもアン・アップルバウムのGulag, Penguin, 2004で若干触れているぐらいだ。ただ日本人の収容所体験者の著作には断片的に出てくる場合がある。内村剛介の『ロシア無頼』では直接体験談として生き生きと語られて、チェロヴェーク・イェースチ?(文字通りは「(ここに)人間はいるか?」、つまりヴォール以外は人間と認めないという意味である)という表現が使われていて、ヴォールの異称にチェロヴェークもあるという事が分かる。

 KGBの残虐さを表に出したせいか、ロシアでは発禁となった本がある。FBIやCIAを悪者にした本は多数出ているが、米国で発禁となったという事は聞かないが、ロシアではいまだにそういうことがあるらしい。これはトム・ロブ・スミスの三部作のことであり、第1作『チャイルド44』(2巻、田口俊樹訳、新潮文庫、2008年)にもヴォーリ(ворыと複数を勘違いしたものだろう)として少し出てくるが、第2作の『グラーグ57』(2巻、新潮文庫、2009年)では、女ヴォールでフラエラというのが出てくる。このシリーズの主人公はKGBの捜査官レオ・デミドフ(純ロシア風の発音ならリェフ・ジェミードフとなるのだろう)であり、KGB捜査官としての過去といかに精神的に決別するかが主題である。『チャイルド44』は実際の殺人魔チカチーロ事件を踏まえた構成になっている。続編の『グラーグ57』はハンガリー動乱に及ぶので、何となく間延びした感じである。ヴォールに女はいないというのは作者も分かっているようだが、小説なのでやむを得ないということだが、かなり無理なフィクションであり、クリクーハ(仇名кликухаのことだが口語であり、隠語としてはпогонялоが普通)のフラエラфраерは隠語でトーシローのことであり、犯罪者のカモを指し、この複数形がфраера(力点は最後のаに来る)となり、これをあだ名にするというのは、作者がロシア語にあまり通じていないからであろう。ドゥヴォローヴォイ(『チャイルド44』上巻99ページ)はдомовойであり、ルサルキはрусалкаのことらしいが、оборотень(女性の妖怪で透明だが、いろいろなものに化けることができ、人に取りつくこともある)と勘違いしているようだ。下巻のオリョロもオリョールОрёлという都市だが、訳者も付録として載っている地図にあるロシアの地名をチェックしなかったようだ。『グラーグ57』の上巻の司祭評議会もカソリックみたいである。チフィール(紅茶を何十倍も強く煮出して、覚せい剤のような効果を持たせたもの)もよく理解していないようだし、戦後直後からスーカ(体制側についた犯罪者集団でヴォールと対立した)との争いで、有力なヴォールはほとんど命を失い、フルシチョフ時代はヴォールに厳しく、生き残ったヴォールは3%ぐらいだと言われので、この時代にヴォールを主人公にするというのはあまりヴォールについて知らないということになる。ちなみに第3作「エージェント6」(新潮文庫、2011年)はアフガン侵攻にも題材を取っており、二つの話を無理に一つにしたような印象を受ける。全体的に米国人作家がロシア人を主人公にして謎とき冒険小説を書いたという点が目新しいのかもしれない。

出題)動詞を使って「自殺未遂2回」をロシア語にせよ。

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2013年07月14日

●続和文解釈入門第152回

1953年のスターリンの葬式といえば、全国民が哀悼の意を示したように思われるが、ちょうどそのときモスクワのサドーヴォエ環状道路を歩いていた作家のカヴェーリンは、刑事らしい人物が上司に強盗事件の顛末を報告しているのをたまたま耳にした。盗まれた品物を列挙し、自分なりの推理をしていた。刑事は非常に落ち着いていて、ほとんどの人はスターリンの死に動顛していたのだろうが、それとは全く関わりのないビジネスライクな調子だったという。ビーバーの襟のついたオーバー、婦人物のスーツ、銀製の食器が盗まれたらしく、話も泥棒の特徴や手口などの話のようだったという。この会話を聞いてスターリンは死んだが、人の暮らしは続いているという現実を強く感じたという。当時は表向き社会主義国には犯罪はないということになっていたが、現実には汚職も含め犯罪にあふれていた。特にその後フルシチョフの恩赦で政治犯を除く犯罪者が大量に釈放されたということもある。

出題)「薬缶を火にかけた」をロシア語にせよ。

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2013年07月15日

●続和文解釈入門第153回

「出かけます」というのは、Я пошёл (пошла).という時制の転用が一般的だが、なぜЯ пойду.より多く使われるのか考えてみた。Я пойду.というのは、厳密に考えれば、未来という時間軸において特定の不動の一点に「歩いて出発する」という動作が完遂するわけで、時間を示す語句がなければ、一瞬後と考えるのが普通だが、絶対そうだとは言えず、もっと未来の可能性もある。ところがЯ пошёл.というのは、動作が完遂したわけで、いわゆる確定(確述)の用法だが、この方がすでに出発という動作は完遂されているということで、一瞬後よりも強調された形となっている。そのため完了体過去形が使われるのだと思う。

 ちなみに、Я буду идти.は使えない。理由はидтиに始発(始動)の意味がないからである。Я буду ехать на поезде.(私は列車で行く)は、まともな文だが、文の焦点は「列車で」あって、動詞ではない。

出題)「そう、ないしはそのようなことを、恩師であり、ソ連の大言語学者シシェルバが言ったことがある」をロシア語にせよ。

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2013年07月16日

●続和文解釈入門第154回

通訳は一人で仕事をするので、他の日本人の通訳のロシア語を聞くことはあまりない。それでもたまに聞く機会もあり、うまい人もいれば、それほどでもない人もいる。決まり文句や、それに近い語句(Садитесь.「おかけください」)を除けば、せいぜいのところ動作の完了には完了体、それ以外は不完了体というぐらいで、体の使い分けの基準を全く無視して、不完了体ばかり使う人や、逆に完了体ばかり使う人もいる。前者は理工系の翻訳の仕事が多かったのだろうし、後者は実戦的な通訳でロシア語を覚えたのだろう。通訳でも体の使い分けに鈍感な人がいて、親切なロシア人から直されても、馬耳東風という人もたまに見かけるのには驚く。日本語のできるロシア人には礼節を重んじる人が多く、我々が外国人が使う敬語の粗探しをしないように、動詞の体がおかしいという人わざわざ言ってくれる人はほとんどいない。聞かれても、日本人に恥をかかせないようにそれとなく言ってくれるロシア人がほとんどだが、それに甘えずに、おかしいところはどんどん聞くか、自分で体の用法をマスターしようという気持ちがないと、いつまでたっても外人ロシア語のままである。
いずれにせよ、その文脈でどちらの体を使うべきかをロシア人は正しく指摘できるが、全般的な体の用法については、我々日本人の敬語同様、体系的に教えてくれるロシア人には出会ったことがない。

出題)「その単語は何格ですか?」をロシア語にせよ。

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2013年07月17日

●続和文解釈入門第155回

動作の有無の確認というのは、動詞の語義そのものであり、「動作があったか、なかったか」というだけのことであり、不完了体が用いられ、過去の時制が一番分かりやすい。これは不完了体未来形を使って未来の時制でも使われる。しかし、現在の時制では動作が進行中のため、なかなか分かりにくい。過程の用法というのは過去、現在、未来における進行形だが、話を分かりやすくするために現在進行形で考えてみる。現在の過程というのは、今動作が進行しているのであり、正に今動作が有るわけである。それと主観的ニュアンスがないために、不完了体が来ているとも言える。状態の動詞、遂行動詞、結果存続兼評価動詞も同様に、現在動作が有ることには間違いないし、主観的ニュアンスもないので不完了体が来ていると考えられる。不完了体現在形の予定の用法も、未来において動作が有るわけだし、また主観的ニュアンスもないので不完了体が来るということになる。

出題)「何か忘れた物があったら電話してください」をロシア語にせよ。

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2013年07月18日

●続和文解釈入門第156回

切迫感という用法には不完了体不定形が来るが、それはいつでもいいが、動作は早ければ早いほどよいという、時間軸の特定の、不動の一点を意識していないので不完了体が使われるということである。

Я должен уходить.(そろそろ失礼しないと)

出題)「一緒のところを見られるのが怖いんだろ?」をロシア語にせよ。

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2013年07月19日

●続和文解釈入門第157回

『悲しみの収穫 ウクライナ大飢饉』ロバート・コンクエスト、白石治朗訳、恵雅堂出版、2007年
 原著は1986年の出版。1929年から32年の富農撲滅運動および農業集団化、その結果の1932年から33年にかけての悲惨なウクライナ大飢饉(飢饉テロ)について述べている好著。1450万人が死亡したと推定され、そのうち飢饉テロで死んだのは600万人とされる。最初に革命前と革命以降のロシア・ソ連の農村や農業について概説しているのが非常に分かりやすく役に立つ。MTSが単なるトラクターステーションではなく、政治部があり秘密警察を兼ねていたことは初めて知った。

 スターリンはウクライナ人が嫌いだったと本書では書かれているが、私の考えるところ、スターリンはソ連という国の主人になったわけで、そこから分離離脱を画策するようないかなる動きにも嫌悪観をもって臨んだということだろう。ユダヤ人にしろ、ウクライナ人にしろ独自の文化や価値観を持っていたわけで、それをソ連という新しい国家(実質的には社会主義ロシアということだろうが)の下に結集させたいと考え、それに背くものは絶滅させるつもりだったろうし、そのこと自体はレーニンの意思を継いでいると言える。農民にしても土地が全てであり、それは共産主義とは相容れないわけで、そんな農民はソ連には不要だと考えたと考えるのがスターリンにとって自然である。そのためウクライナ大飢饉のときも、保管場所で1/3の穀物が腐ったままされていたのだが、それを救援物資として供出しなかった理由がよく分かる。ウクライナ大飢饉の原因はウクライナからの食糧徴発を前年の40%増しにしたことによる。取りたてはむごいもので、違反すれば銃殺か、強制移住だった。スターリンが言ったとされるНет человека, нет проблемы.(人は死ねば、問題もなくなる)のように、このようなスターリンにとっての異端分子を絶滅できると考えたわけだが、それはスターリンにとっても誤りであり、国土と国民の荒廃、さらに悪いことには、そのような異端分子は実は普通の人であり、そのような普通の人は後世にも現れてくるということを彼は理解していなかったというのがソ連の悲劇でもあると思う。

出題)「生まれてくるうちの子は男ですか、女ですか?」をロシア語にせよ。

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2013年07月20日

●続和文解釈入門第158回

前回で述べたウクライナ大飢饉では女一揆бабий бунтが頻繁に起こり、これにはそれなりの成功を収めた例もあるという。日本では1918年の富山の米騒動がそうであろう。KGB<ОГПУ (КГБ)>の手先も、ウーマンパワーにかなわなかった例が少しでもあったというなら、それはそれで溜飲が下がる思いである。

出題)「英語でオオカミは何といいますか?」をロシア語にせよ。

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2013年07月21日

●続和文解釈入門第159回

1953年に亡くなったスターリンの死因については確としたことは分からないが、毒殺説は昔からかなり根強くあり、それにベリヤ、モーロトフ、フルシチョフの関与したとの説もあるが、個人的にはもっと簡単に考えるべきだと思う。ベリヤを含めてスターリン生存中に、暗殺を計画するほど度胸があるというか、気が触れたような人はスターリンの周辺にはいなかったと思う。スターリンは年齢も年齢であり、ストレスもあり、猜疑心も強く、死因が脳梗塞であっても何の不思議もない。脳梗塞で倒れたのは事実だと思う。問題はそれからである。スターリンが脳梗塞で倒れたのは3月1日で、警備員が倒れているスターリンを発見したわけである。ベリヤやフルシチョフを初めソ連のトップ4人がスターリンの倒れた別荘にすぐに駆け付けたが、医師を呼ぶわけではなく(多分電話で医者と連絡はとったのかもしれないし、医師を呼んでいたのかもしれない)、一晩放置され、医者が診察したのは翌朝7時である。最初の診断は『左脳動脈の出血による右半身麻痺』であり、施された処置は『安静・耳の後ろに 8匹のヒル』である。蘇生治療の専門医がいたのにその措置はなされていない。当時スターリンはユダヤ人医師団陰謀事件をでっち上げていたため、優秀な医師(ユダヤ人が多かった)はほとんど監獄か収容所に入っていた。シャバにいた医師もスターリンと関わり合いにはなりたくなかったろう。

 私の考えでは、この4人にスターリンは見殺しにされ、死ぬがままに放置されていたのであり、これは消極的な殺人といっても過言ではない。スターリンは左脳をやられたので、言語中枢がマヒした可能性が高い。つまり意識があったとしても、何も伝えられず、ましてや命令もできず、ベリヤやフルシチョフたちのされるがままだったのだ。今後の方針についての彼ら同士の会話も聞こえたかもしれない。スターリンの息子、ワシーリーは父の死に方に強い疑いを持ち、スターリンは殺されたと確信していた。これはある意味では正しいと言える。結局3月4日に死亡する。多くの人を死に追いやったスターリンも、死の3日間は、スターリン同様、憐みの気持ちなどこれっぽちもない、冷酷なこの4人になすがままで、無力の自分に絶望と憤怒の気持ちを味わっていたのではなかろうか。そうであれば、彼の犠牲者もほんの少しは救われるというものである。

出題)「分からないことがあったら、だれに聞いたらいいですか?」をロシア語にせよ。

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2013年07月22日

●続和文解釈入門第160回

スターリンはグルジア人とされているが、どちらかの親がオセット人だと言われている。グルジアではオセット人は残虐なことで有名であり、スターリンが残虐なのをそのせいにするグルジア人もいる。スターリンの父親は飲んだくれで、スターリンが幼いころ馬車に轢かれて死んだ。スターリンはロシア人も、ウクライナ人も、そしてグルジア人も隔てなく弾圧したが、グルジア語が話せても(ベリヤとの会話はグルジア語でしたという)自分がグルジア人だという意識を持っていたかは疑わしい。かなりのグルジアの革命家を差別せずに弾圧したが、それは自分や家族の過去(貧民で神学校の出)をよく知っているという事からかもしれない。自分はソ連の最高権力者であり、民族を超えた唯一無二の存在であると思っていたろう。スターリンは大元帥の称号を得たが、この称号を得たのを後悔したという。大元帥は他に4人いたが、スターリンはたった一人だからである。

出題)「英語は聞くのはいいのですが、話せません」をロシア語にせよ。

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2013年07月23日

●続和文解釈入門第161回

покушениеというのは、попытка убитьということで、殺害の企てということであり、失敗に終われば未遂だし、成功すれば暗殺・殺害となる。だから、一概に未遂と訳すのは誤りという事になるので注意が必要である。

совершить на него покушение(彼の殺害計画を実行する)
неудачное покушение на генерала(将軍の暗殺未遂)
успех московского покушения(モスクワの暗殺計画の成功)
покушение на Столыпина(ストルィピン暗殺事件)
покушение на жизнь Ленина(レーニン暗殺計画)
На него готовится покушение.(彼に対する殺害計画が準備されている)<暗殺と訳してもよいが、暗殺未遂とは訳せないことはお分かりだろう)

出題)「家までお送りしてから帰ります」をロシア語にせよ。

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2013年07月24日

●続和文解釈入門第162回

質疑応答の時の「(何か)ご質問はありますか?」は、下記のどちらでもよい。

Вопросы есть?
Вопросы будут?

 最初のは現在の時制だから、頭の中に質問としてあるのかという意味でも、具体的な質問が既にあるのかという意味にもなる。一方、二つ目のは未来の時制だが、頭の中にある質問が一瞬後、具体的な形に現れるのかということになる。このように現在の時制と未来の時制が重なり合う場合もあるわけである。前にも書いたが、現在といっても現在のこの一点の前後、つまり過去と未来を含む場合も多々ある。
 「マッチはありますか?」は、Спички есть? だが、これをСпички будут? とするのは一般的ではない。魔法じゃないのだから一瞬で物体が現れることがないし、現れたとしても一瞬後からかなりたってからである。つまり質問のように抽象的な概念はこの限りではない。

出題)「その触媒の不活性化の原因は何か?」をロシア語にせよ。

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2013年07月25日

●続和文解釈入門第163回

『新訂和文露訳入門』の8-1-4項でбудетの特殊用法について触れた。бытьの未来形については研究社露和辞典155ページの7および8では推量を表すとあるが、アカデミー露露辞典最新版には由来、親族関係、名前、社会的地位を説明する時にбудетを用いるとあるだけで、推量かどうかについては触れていない。岩波露和辞典の122ページではⅢ12の2)(時間・長さ・重さなどについての数量についての推量を示す)とあり、次の例文が挙げられている。

Ей уже лет девяносто будет.(彼女はもう90歳ぐらいだ)
- Давно ли ты на службе?(勤務は長いのかね?)
- С месяц будет.(ひと月ほどです)

 上記の文で「およそ」という意味を示しているのは、лет девяностоとС месяцの語句であり、これらの文自体に推量というニュアンスはないと思われる。何故そう言えるのかを考えてみよう。例えば、Два и два будет четыре.(2 + 2 = 4)という文に推量というニュアンスはないことは明白である。2と2を足せば、一瞬後には答えは4になるということで、一瞬後が未来だからбытьの未来形が使われているだけのことで、2 + 2 = 4がすでに頭の中にあるということなら、Два и два – четыре.と現在の時制が使ってもよい。このときにбудетが使われるのは、Два и два – четыре.を発音すれば分かるが、述語が形式上存在しない。それで述語を明確にして動詞がない不安定感をなくす同時に、語調の関係ではないかと思われる。

 アカデミーロシア語文法(Наука, 1980)では、бытьの未来形を現在の時制で用いる時制の転用として、二つの用法を挙げている。一つは口語・俗語的用法として、疑問文で用いるもので、「まだ識別していない事実というニュアンス(つまり未来において確定するというニュアンスがあるので未来の時制が用いられているということらしい)оттенок ещё не распознанного факта」がある用法である。Вы кто будете?(どちらさまですか?)
もう一つは、概数приблизительное количествоを示す用法である。現在ではおよその数量(数字)しか分からないが、その確定は未来に先延ばしされる。それゆえ未来の時制が使われているのだという示唆があり、これにも「識別распознавание」のニュアンスがある。この概数を研究社露和辞典や岩波露和辞典では推量と考えたのではなかろうか?しかし、概数と推量では違う概念であることは明白である。

出題)「昨日正しかったものが、今日には疑わしいものになり、明日は全く間違っているということがある」をロシア語にせよ。

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2013年07月26日

●続和文解釈入門第164回

「それ以上行くな」はДальше не иди.だが、Дальше не ходи.も可能である。ただニュアンス的には、不定動詞の否定は歩いているという動作の過程を示し、不定動詞の否定は、一旦立ち止まって動作がなくなっていて、そこから先の動作は行われないという事を暗示する。

出題)「エックス線を受けるよう(医者に)指示された」をロシア語にせよ。

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2013年07月27日

●続和文解釈入門第165回

どこに文に焦点が来るかという場合には、主語、述語、補語と大まかに分けて考えてのことである。つまりнужноのような叙想語だけで考えるのではなく、例えばнужно + 不定形を一体の述語と考え、そこに来るかどうか、つまり、個々の単語に分けて考えるのではないということである。

出題)「何か変わったことは?」をロシア語にせよ。

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2013年07月28日

●続和文解釈入門第166回

ウクライナ大飢饉を扱った小説にВасилй Гроссманワシーリー・グロスマンのВсё течёт...『万物は流転する…』(原稿の出来上がりは1963年)があると知ったが、未読だった。家の中を捜したら、幸いなことに20年前に買ってあった1994年版を見つけたので、それを読んでみた。収容所、ウクライナの飢餓テロ、密告者など当時のソ連社会の縮図を描いた名品と言える。本書ではロシア人の隷属性についておよび自由の尊さについて述べている。この中で農業集団化や収容所などについてグロスマンは直接指示した下手人はスターリンであることは明白だが、これら諸悪の根源はレーニンにあり、レーニンにとっては権力奪取が目的であり、そのためには自由という概念には一顧だにしなかったと述べている。当時としては非常に斬新な勇気ある主張だと言える。和訳もあると思うので是非一読を勧める。この他にグロスマンで有名なのは、『正義を求めてЗа правое дело』と『人生と運命Жизнь и судьба』の二部作であり、合わせて1300ページを超える大作である。1960年代共産党のイデオロギーを担当していた政治局員のス-スロフが、この2作がソ連で出版されるとしたら、それは250年後だと言ったので有名であり、ソ連はその後30年を経ずして滅んでしまったのは歴史の皮肉である。この2冊は15年前くらいに読んだ。日本で出ている『人生と運命』はページ数が900ページとあるので、第2部だけの訳ではなかろうかという疑問もあるが、いまさら日本語で読む気もないのでご興味ある方にお伝えしておく。

出題)「彼女は二十歳に見える」をロシア語にせよ。

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2013年07月29日

●続和文解釈入門第167回

戦後イスラエルのキブツを除けば、ユダヤ人と農業というのは結びつかない。ロシアでも職業の制限があったのは事実だが、ユダヤ人といえば、金貸し、酒屋などしか浮かばない。『ユダヤ人の歴史』(レイモンド・P・シェインドリン、入江規夫訳、河出文庫、2012年)の原書は1998年初出だが、その中にビザンチン帝国においてユダヤ人による奴隷所有を禁止したとある。当時は奴隷が大規模農業をする上での不可欠な手段であったため、そのためユダヤ人は農業を捨てざるを得なかった。また15世紀後半にポーランド・リトアニア王国ではユダヤ人を商業活動のために大量に招へいし、19世紀のポーランド分割によって、ユダヤ人が大量にロシアに流入するきっかけとなったなど非常に興味深い記述が多い。ユダヤ人の言葉というとイディッシュ語(ヘブライ語、ドイツ語、スラブ語の混交)が有名だが、その他にラディノ語(ヘブライ語とスペイン語の混交)もあるということを初めて知った。ユダヤ人には4つの潮流があり、アシュケナジム(中部東部ヨーロッパのユダヤ人で、ヘブライ語でプロバンス・ライン地方をアシュケンジと呼んだだからとある)、セファルディム(スペイン・ポルトガル系ユダヤ人で、セファルディはヘブライ語でスペインのこと)、レバント地方のユダヤ人、イタリア系があったとされ、他にマラノという隠れユダヤ教徒(表向きはキリスト教徒)という存在も教えられた。本書はオックスフォード大学学生用の基本読書文献とのこと。

出題)「このような方法の主なメリットは何だと思いますか?」をロシア語にせよ。

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2013年07月30日

●続和文解釈入門第168回

- Ты собираешься на рыбалку именно сегодня, в понедельник, тринадцатого числа?
- Конечно! Может быть сегодня рыбам не повезёт.
「よりにもよって、今日釣りに出かけるのかい?13日の月曜だぜ」
「もちろんだよ。ひょっとして、魚の方が今日は絶不調かもしれないしな」

 この小話(ロシア語ではアネクドート)は13日はともかく、別に月曜が休みの後だから、仕事を始めるのが憂鬱というわけではない。ロシアでは月曜は週の第1日目で、週末に飲んだ酒の二日酔いからまだ完全に回復していないため、月曜は何もしない方がよいとされ、これは魚をロシア人に見立てた小話なのである。ソ連時代月曜に作った製品は買ってはいけないというのをロシア人からよく聞かされた。月曜悪者説はソ連時代から始まったというわけではなく、革命前の時代からである。19世紀中ごろ編纂のダーリの辞典(日本で言えば大槻文彦が編纂した言海のようなもの)を見ても月曜の項に15ぐらい諺が載っているが、月曜は二日酔いの日、日曜の追悼の日とか、月曜は何もしない日(二日酔いで)とある。

 2013年7月21日付読売新聞朝刊のコラム「編集手帳」に、デトロイト市の財政破綻に関連して、アーサー・ヘイリーの小説『自動車』(新潮社)に、「会社の重役は、月曜と金曜に製造した車を決して買わなかった。日曜と給料のもらえる木曜は、工場の労働者たちが深酒をする。二日酔いで作った車は不良品が多く、とても乗れたものではない」とあり、米露が共通の問題を抱えていたことが分かって興味深い。

出題)「どうして硫酸なんかに目をつけたのですか?」をロシア語にせよ。

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2013年07月31日

●続和文解釈入門第169回

マンデリシュタームМандельштамという詩人はスターリンの怒りをかって、弾圧され、収容所で亡くなったが、そのきっかけとなった彼の1933年の詩がある。この詩は内輪で読み上げられたが、当局に密告するものがいたということだろう。

Мы живём, под собою не чуя страны,  我らは足下にお国を感じず、暮らしている
Наши речи за десять шагов не слышны, 我らが言葉は十歩過ぎれば、(もう)聞こえない
А где хватит на полразговорца, クレムリンの山男を思うところでは、
Там помянут кремлевского горца. 一言あれば十分だ
Его толстые пальцы, как черви, жирны, アイツの指はミミズのように丸々と
А слова, как пудовые гири, верны, 言葉は鉄亜鈴のように確実に
Тараканьи смеются усища, 笑うはゴキブリのようなでかいヒゲ
И сияют его голенища. 輝くはアイツの長靴(の胴)
А вокруг него сброд тонкошеих вождей, アイツの回りに群れ集う細頸のお偉いさん
Он играет услугами полулюдей. 半人前の奴らの御奉仕をもてあそぶアイツ
Кто мяучет, кто плачет, кто хнычет, 猫なで声を出す奴人、泣く奴、哀れっぽい声をかける奴
Он один лишь бабачит и тычет.  バーンと机をたたき、指を指すのはアイツだけ
Как подкову кует за указом указ  蹄鉄を打つように、政令に次ぐ政令を(たたき出し)、
Кому в пах, кому в лоб, кому в бровь, кому в глаз.  股間を打たれる者、額を殴られる者、眉を叩かれる者、目をぶんなぐられる者
Что ни казнь у него - то малина どんな処刑もアイツには、極楽至極
И широкая грудь осетина. そのオセット人の広い胸

 最初の行のгорецは山の民だが、カフカス(コーカサス)の民を示すのが普通で、この場合はグルジア人を指している。最後の行は第160回で書いたように、スターリンがオセット系ではないかという噂があることを示している。

出題)「紅茶1杯が1カペイカだったということを決して忘れない」をロシア語にせよ。

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2013年08月01日

●続和文解釈入門第170回

2013年7月29日付のタイム誌に、子供の頃からの多言語学習(母国語以外の外国語の学習であり、一つ以上の外国語だが、多くは母国語と一つの外国語の二つの言語)が、痴呆、特にアルツハイマー病の発症を5年ほど遅らせるとあるし、単言語使用者より多言語(実質的には2カ国語)使用者のほうが認識力が高いという調査結果も出ている。多言語使用者は不断に2カ国語から適切な語彙を選択しているわけで、それが実社会での学習や仕事に活かされるという。生まれる3か月前くらいからバイリンガルの母親の胎児は二つの言語の音の差を聞き分けているということから、いろいろな音を胎児のうちに聴かせるというのは有効らしい。アメリカ人は英語が母国語なので、これは世界で一番通じる言語であるから、外国語を勉強しようという気にならないというのはよく分かる。一方中国語は世界で一番話されている言語(世界人口の12.5%)だが、使われている地域に偏りがあるために、若者や知識人の間で世界共通語の英語を学ばなければならないという意識が強い。

 2009年からアメリカのユタ州がバイリンガル教育を推進し、小学校の20%にあたる25の学校で1400人の生徒にバイリンガル教育を実施している。ユタ州はモルモン教徒の多いところであり、社会に出る前に何年かは世界でモルモン教を布教する若者が多く、布教前に1年か2年布教先の外国を集中的に勉強してきた実績があるからだと言える。一言語主義のアメリカも変わりつつあるということか。

 年を取ってからバイリンガルの学習をすることは、やっても害はないということしかタイムには書いていないが、若いころ英語でもロシア語でも一生懸命やった人が、再度挑戦して語学を究めるなら、効果は現れるだろうと個人的には考える。それはタイムにも高齢者になればなるほど、ボケないために脳の活性を高めるようにすべきだとあるからであるからである。英語でもロシア語でも、途中で挫折した経験のある人も多いであろう。そういう人たちも語彙の暗記だけではなく、今から文法を含めた理詰めの学習法をすることにより、ボケないで一生を過ごせるという可能性が高まるということになる。語彙の暗記というのは、ある意味思考停止だから、続かないと思うし、暗記は年寄りが最も不得意なところでもある。

出題)「その際どのような副産物が形成されますか?」をロシア語にせよ。

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2013年08月02日

●続和文解釈入門第171回

現在の時制における不完了体の用法で、文の焦点が動詞に来ない例というのはあまりないが、アクショーノフАксёновの『星の切符Звёздный билет』という作品の中で、実験をするかどうかについてコイントスをして決める場面が出てくる。その中の表現で、

(〔コインが〕表なら僕は実験をする。裏ならしない)Орёл – я ставлю опыт! Решка – нет!

 というのがある。ここでставлюと不完了体現在形なのは、すでに1ページ前に、(僕は今この忌々しいやつらの実験をするんだ)Сейчас я поставлю этот чертов опыт.という文が出てくるからで、「実験する」という動詞は、新規の動作ではないし、文の焦点でもないからである。

出題)「私の正体がばれ、彼らは私を逮捕しに来た」をロシア語にせよ。

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2013年08月03日

●続和文解釈入門第172回

このコーナーの出題の狙いは、体、単数複数、その他の文法事項の使い分けが主であり、語彙であることは稀である。すべての語彙を網羅することはできないし、通訳各人によっても日常会話などのようにベースとして必要な語彙というものはあるが、技術(鉄鋼、機械、漁業、林業、コンピューターなど)、医療(これも内科、外科、小児科などいろいろな分野がある)、観光(都内、京都・奈良、大阪)、政治経済のロシア語があり、通訳は一つではないにせよ、いずれかに特化していくものだから、そのような特殊な語彙を覚えても、他の分野では役に立たないということがままある。それより体の用法など文法事項の使い分けを先に覚えたほうが汎用的であるし、利便性も高いと思う。

出題)「最初からうまくいくなんてありえない」をロシア語にせよ。

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2013年08月04日

●続和文解釈入門第173回

вокзалをターミナル駅と訳しても間違いではないが、大きい駅と理解していると間違うことがある。露露辞典を引くと、вокзал = здание (или комплекс зданий) для обслуживания пассажиров и равмещения служб на железнодорожной станции, пристани и т.п.(鉄道の駅や船着き場(空港)などで乗客に便宜や〔各種の〕役務を供与するための建物〔ないしは複合施設〕)とあり、駅や波止場(空港)の建物を指す事が分かる。ターミナル駅そのものであれば、узловая станцияの方がよいかもしれない。ロシア語にはполустанокというのがあり、小さい鉄道駅のことだが、アクショーノフАксёновの『同僚Коллеги』という中編の中に、プラットホームのない駅だとある。日本語では無人駅に近いのではないかと思う。このように基本語については露露辞典を引き直すと、思わぬ発見がある。

出題)「お時間を取らせてしまって申し訳ありません」をロシア語にせよ。

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2013年08月05日

●続和文解釈入門第174回

時制から見て日本語の動詞を状態動詞と動態動詞に分けると、状態動詞は、「~ている」の方を取らずに現在の状態を表す動詞で、「いる、見える、思う」などであり、「今家にいる」、「明日もここにいる」のように、ル形で現在と未来を示す。動態動詞というのは、「話す、行く、歌う」などの動きを表す動詞で、ル形が未来だけを示し、現在はテイル形を用いて示す。

 一方アスペクト(出来事が進行中か、継続中か、終了したかなど動きの局面に注目する文法形式)で、日本語の動詞を分類すると、動態動詞、状態動詞に分かれる。動態動詞は「電話で話している」のように、テイル形が進行の状態を示している動詞で、状態動詞は、「イスに座っている」のように、テイル形で結果の状態(結果の存続)を表す動詞である。テイル形には、このほかに「学校に通っている」などの反復・習慣を示す用法や、「棒の先がとがっている」というような形容詞的用法、「その話は一度聞いている」というような経験・経歴(ロシア語にするときは歴史的現在か、アスペクト的用法で訳すことになる。3-1-7項参照)を示す用法があり、「~した」も「歩いた」や「歩いて来た」のように、日本語では過去と現在完了の意味がある。
достигать(達する)、замечать(気づく)、касаться(触れる)、клевать(餌にかかる)、лишать(奪う)、мигать(またたく)、радоваться(喜ぶ)、разыгрывать(イタズラをしかける)、спрашивать(尋ねる)などはロシア語では遂行動詞だが、和訳すれば形式上はテイル形である。つまり日本語のテイル形にも遂行動詞としての用法があるとするか、結果の存続の用法を援用しているということになる。和文露訳する際に、日本語のテイル形でもロシア語では遂行動詞になりうるということを理解しておいてほしい。

〔お前にも分かるように尋ねているんだ(尋ねている意味は分かるだろ、聞いてやるのはこれで最後だぞ)〕Я тебя русским языком (по-хорошему, последний раз) спрашиваю.

 しかし、テイル形でも「間違っている」などは結果存続兼評価型動詞である。露訳する際に、テイル形は状態の動詞、遂行動詞、結果存続兼評価型動詞に分ける必要があり、不完了体を使う場合が多いが、被動形動詞過去短語尾(アオリスト的用法および結果の存続)となる場合もあるので要注意である。『新訂和文露訳入門』の遂行動詞、状態の動詞、結果存続兼評価型動詞の種類をチェックし、どのような動詞がそれに当てはまるのか研究するのが肝要である。

出題)「一度見た顔は死ぬまで忘れない」をロシア語にせよ。

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2013年08月06日

●続和文解釈入門第175回

ロシアの犯罪史に興味があるということは前に書いた。それゆえ、資本主義の本場であるアメリカ、特にニューヨークのギャングはどうなんだろうとずっと気にはしていたのだが、ちょうど『ギャング・オブ・ニューヨーク』(ハーバード・アズベリー、富永和子訳、早川書房、2001年)を見つけたので読んでみた。これは1928年出版の、1820年から1920年ころまでのニューヨークのギャングについて書かれたものである。ギャングもアイルランド移民が主で、アイルランド移民は白人の中でも宗教の関係や遅れてきた移民ということで差別され、そのため差別されたその怒りの矛先を黒人に向け、リンチの先頭に立ったと言われている。最初にできたフォーティ・シーブズからチャイナタウンのギャングまで扱っている。面白いのは最初のギャングの大物は大男が多いのに、20世紀初めの有名なギャングは5フィート3インチ(156センチ)、120~135パウンド(55~61キロ)ぐらいと小柄な者が多かったということである。これは彼らが栄養状態の悪いスラムから這い上がってきたことを示すという。数人で強盗などをするのをモブと言い、ギャングは同じ犯罪者でも縄張りをもっていて、多ければ数千人を動員できるグループを言うとある。ただ面白いことにこの本の白眉はギャングそのものではなく、1863年7月11日から1週間の徴兵暴動である。300ドル払えば徴兵を逃れることができ、金持ちは戦争に取られないということが暴動の引き金になったとされている。ちょうど南北戦争で北軍がゲティスバーグで南軍のリー将軍に勝った直後であり、この暴動のために南北戦争の終結が遅れたと言われており、2000人の死者、8000人の負傷者を出し、私有財産だけで五百万ドルの損害とある。黒人へのリンチの実態や、女性も進んでリンチに加わったことなど生々しい。最悪の暴動がどういうものなのか本書を読むとよく分かる。

出題)「彼女は電話に出ないままだった」をロシア語にせよ。

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2013年08月07日

●続和文解釈入門第176回

『パンツの面目ふんどしの沽券』(米原万里、ちくま文庫、2008年)は、2000年11月7日~2001年2月末までサンクトペテルブルグで開催された「身体の記憶 – ソビエト時代の下着」という展示会のカタログに着想を得て書かれたとあり、ソ連時代には下着としてのパンツは製造されていなかったとか、ソ連時代(末期を除けばということなのであろう)にはトイレで紙を使わなかったとか、ソ連時代であれば本書はソ連では発禁になったのではないかと思われるほど、ソ連通でも知らないことが、女性らしい筆致でユーモアに彩られて語られている。一読の価値はあると思う。

出題)「彼は私が浴室で両足に絆創膏を貼るまで待っていた」をロシア語にせよ。

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2013年08月08日

●続和文解釈入門第177回

前回取り上げた『パンツの面目ふんどしの沽券』(米原万里、ちくま文庫、2008年)の第13章「複数形の謎」の中に、<「リンゴが食べたい」と言うときは、いくつ食べられるか不明なので、単数で言っても、複数で言っても許される」>とある。文法的に言えばその通りなのだが、通訳の現場では必ずしもそうではないと言える。自分でロシア語を話す時は自分が話そうとする文脈を完璧に理解しているからいいのだが、通訳の場合はそうとは言えない。通訳する相手の日本語が雑談や趣味の話に及べば、その文脈まで100%理解できることはありえないからである。そうなると一般的にこうだとういうように、確率で通訳せざるを得ないことになる。拙著『新訂和文露訳入門』10-3で「可算名詞を使って漠然と有無を表現する文(不定性を示す文)には複数を用いる」と書いた。リンゴの場合も当てはまるのだろうか?リンゴについては、「リンゴの木になっているリンゴ」と、「リンゴが食べたい」とは分けて考える必要がある。前者では複数で考えるの一般的であろうし、後者では単数であろう。リンゴのような具象名詞は、文脈とより深く結びついていることが多いので、文脈におけるイメージに沿った選択をする必要があるのである。

出題)「来ればすべて分かる」をロシア語にせよ。

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2013年08月09日

●続和文解釈入門第178回

主文と従属文の動作の同時性を示す「~する間に」はпока + 不完了体であり、「~まで(に)(ずっと~する)」「~しないうちに」はпока не + 完了体と教わる。上から3つの例文はザルービンの露和からのものである。

(暗くならないうちに帰りましょう)Вернёмся, пока не стемнело.
(彼が来るまで待った)Ждал, пока он не пришёл. <この例文にはнеがついている>
(起こされるまで寝ている)Спит, пока не разбудят.
(完全に暗くなるまで彼は窓辺によく座っていた)Часто он сидел у окна, пока совсем не темнело. <「~まで」構文は反復でも使えるが、その時は当然不完了体となる>

 研究社露和にждать, подождать, ожидатьの後のпока + 完了体未来形の従属節ではнеを省くことができるとあるが、『ロシア文法の要点』(原求作、水声社、1996年)の280ページの例文には、(彼女が倒れるまで私は待った…)Я подождал, пока она упала...とあり、とくに完了体未来形とはなっておらず、従属節のнеを省略するのが普通なのは、「待つ」という意味の動詞と、次のような構文のпройтиぐらいだろうと書かれている。これまで700冊以上ロシア文学を精読した経験から言えば、個人的にも「待つ」という動詞が主文で使われていて、従属文にпокаが来ればнеを使うのは例外的だという原先生の説に賛成である。

(我々の時代が来るまで何年経ったのか?)Сколько лет прошло, пока наступила наша эра?
(当直をしている間に3年経った)Прошло три года, пока я был на вахте.

出題)「貴社の技術の特徴は何ですか?」をロシア語にせよ。

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2013年08月10日

●続和文解釈入門第179回

ロシア語でソ連ロシア文学を読んでいると、相性の悪い作家というのが何人か出てくる。私にとってはフェーヂン、マクシーモフ、プラトーノフなどである。10ページかそこら読むと、他に面白い本が出てきたり、仕事が入ったりして、それ以上先には進まないか、あるいは全く読まないかである。読まない作家の本をなぜ持っているかというと、90年代初めはソ連崩壊前後で古本が100円前後で変えたので、将来読むかもしれないものは念のために買っておいたものを1500冊ほど買った。そのうち半分以上は読んだが、700冊ぐらいは読んでいないし、死ぬまでに読めないかもしれない。
 
出題)「モスクワに行かれたことはありますか?」
「モスクワに行くことはありますか?」をロシア語にせよ。

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2013年08月11日

●続和文解釈入門第180回

前回の出題は経験という用法からであり、動作の有無の確認(動作があったかどうかが不定)である。このような場合には多回体ないしは、不完了体が用いられる。経験は反復と同じ用法と考えてよい。特に疑問文の場合は、多回体を使えば、1度ないしはそれ以上というニュアンスが出せ、より不定の意味が明確になるし、否定文では否定の強調となる。

(モスクワに行かれたことはありますか?)Вы раньше бывали в Москве?  <ロシア語での過去の時制の経験(『新訂和文露訳入門』では現在の時制に記載)>
(モスクワに行くことはありますか?)Вы бываете в Москве? <現在の時制の経験・反復Вы летаете в Москву? Вы ездите в Москву?というのも同義である>
(戸外に出るようになればなるほど、〔それは〕結構なことです)Чем больше вы будете бывать на свежем воздухе, тем лучше. <未来の時制の経験・反復>
(この都市にはよき時代というものがあったのか?)Этот город знавал лучшие времена? <多回体>
(輸血をしたことがありますか?)Вам когда-нибудь делали переливание крови?
(負傷したり、挫傷したことがありますか?)Вы были ранены или контужены?

「通う」という意味では、語結合的に都市でなければходитьが使える。必ずしも歩いて行くということではない。

(その劇場に行くことはありますか?)Вы ходите в театр?  <一つの劇場だけに>
(芝居に行くことはありますか?)Вы ходите по театрам? <複数の劇場に>

 これに対して、下記の文は全て1回の動作に関してである。

(モスクワに〔一度〕いましたか? → モスクワに行って帰って来ましたか?)Вы были в Москве?  <(モスクワに一度行ったことはありますか?)という意味にも取れないことはない>
(〔今〕モスクワですか?)Вы в Москве?
(モスクワに行きますか?)Вы будете в Москве? 
(血便が出たことがありますか?)У вас был когда-нибудь стул с кровью? <一度でも経験があるかという事で、былが来ている>
(前に大けがをしたりしたことがありますか?)Раньше у вас были серьёзные травмы? <同上>

出題)「カタログをもって行きますか?」をロシア語にせよ。

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2013年08月12日

●続和文解釈入門第181回

前回の出題は不定法の動作の有無の確認の用法だが、不定法でこの用法は珍しい。完了体不定形を使う「~しましょうか?」という構文は、主観的ニュアンスがある、いわば善意の表現である。これを不完了体にすると、してもしなくともどちらでもいいというような、ぶっきらぼうな表現になり、日常生活でこのような失礼な表現を取るよりは黙っているだろうから、あまり使わないと思われる。不定法に不完了体が来るのは動詞にもよるが、そういう意味で非常に珍しいというのである。そうはいっても、するのかしないのかという動作の有無だけが問題であれば不完了体が来る。

(紅茶をお注ぎしましょうか?)Чай налить? 
(キャンセルすべきか、せざるべきか?)Отменять или не отменять?

出題)「パイプが詰まったら、どうしたらいいですか?」をロシア語にせよ。

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2013年08月13日

●続和文解釈入門第182回

女性としてコルィマー収容所を生き抜いたギンズブルグ(1906~1977)の「明るい夜 暗い昼」(中田甫訳、集英社文庫、1990年、3巻)という自伝を読んだ後で、彼女の息子で、作家でもあるアクショーノフのことが気になった。彼の本は8冊持っているが、これまで読む気にならないでいたが、そういうことで最近読みだした。5巻本の第1巻からなので、初期の作品のためソ連時代の検閲もあり、作家にとっては必ずしも満足のいくものではなかろうし、プロットも五木寛之の『さらばモスクワ愚連隊』のように嘘っぽいが、50年代の若者の会話が生き生きと描かれている。ロシア語の会話に興味がある身としては読んでよかったと思っている。Коллеги(同僚)、Звёздный билет(星の切符)を読んだが、もう少し読んでみるつもりである。並行して、ベラルーシの作家ブィコーフБыковの『死者に口なしМёртвым больно』も読んでいる。実際の戦争というものがどうだったのかを描いた、ベラルーシ語からの露訳である。これはアクショーノフの二つの作品とは段違いにレベルが高い。

出題)「渋滞にはまらなかったら、すぐに行くよ」をロシア語にせよ。

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2013年08月14日

●続和文解釈入門第183回

疑問詞 + 不定形の体の用法については、『新訂和文露訳入門』6-2-8項(この他に2-2-6項や4-2-1-2項参照)に書いたが、что делатьにおいてделать(~する)という不完了体不定形をなぜ取るのчто(何)の具体的な意味は空白であるが、чтоとделатьでは文の成分としての重要性や強弱が違う。Что?はこれだけでも立派に文として通用するが、делатьだけでは一般的に文として成立しない。делатьだけで文として成り立つためには、すでに何をするのかが分かっているというのが前提としてなければならない。そうであって初めて動作の有無の確認の用法となる。そういう意味でделатьの方が文の成分として弱いために、文の焦点とはなりにくいと言える。

(何?)Что?
(すべきだ)Делать.
(すべきか?〔すべきかすべきでないか?〕)Делать? (= Делать или не делать?)
かについて補足説明する。この場合делать自体は「動作をする」という機能面のみを担当し、具体的な動作の内容は空白である。内容が空白である以上文の焦点になれないために、чтоに文の焦点が来ることになり、不完了体が出てくるのである。これは『新訂和文露訳入門』8-3項の複合動詞にも言えることであり、複合動詞が不完了体未来形でよく使われるのもこの理由からだと思われる。
 
出題)「彼は行列の先頭にいた」をロシア語にせよ。

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2013年08月15日

●続和文解釈入門第184回

電子書籍『新訂和文露訳入門』で誤植が見つかりました。お買い上げの皆様にはお詫びすると同時に、次のように訂正願います。

目次
6-2-8 疑問詞 + 不完了体動詞不定形(完了体不定形)→ 6-2-8 疑問詞 + 完了体動詞不定形(不完了体不定形)

5-1-1項の221ページ上から9行目「今すぐといった発話時点における動作への促しや促しのときは、不完了体命令形を使うと考えてもよい。」を「今すぐといった発話時点における動作への促しや着手のときは、切迫という用法という事で、不完了体命令形を使うと考えてもよい。」に訂正願います。

「促し(着手)という用法と切迫という用法には深いつながりがある」という事を言いたかったのですが、言葉足らずだったと思います。

6-1-1項239ページ上から7行目、二つ目のдолженを削除。

出題)「死んでも降伏しない」をロシア語にせよ。

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2013年08月16日

●続和文解釈入門第185回

切迫の用法というのはASAP (as soon as possible 出来るだけ早く)ということだが、だからと言って動作が起こるのかどうか、起こるとしたらいつなのかは分からない。促し(着手)の用法も、動作を促してはいるが、同様に、動作が起こるのかどうか、いつ起こるのかは分からない。また勧誘という用法では、動作が起こるのがいつもでいいし、起こらなくてもいいということである。これらの用法は、動作の起こる時間軸の一点が不定(有無さえ未定)であるということと、動作が起こるのが主観的意志ではなく、回りの状況に依存することが明確であり、それゆえ不完了体を使うということが分かる。一方、完了体は時間軸の特定かつ不動の一点での動作をイメージするという用法だからである。

(もう6時だ。そろそろおいとましないと)Уже шесть часов. Я должен уходить. <切迫の用法>
(有害な音楽を止めろ。我が国のをかけろ!「ナナカマド」を!)Кончай тлетворную музыку. Гони нашу! «Рябинушку»! <促し(着手)の用法。「いい加減にしろ」という切迫感も出ている>
(始めてください)Начинайте! <促し(着手)>
(我が家にいらして下さい)Приходите к нам. <不完了体命令形の勧誘の用法で、いつでもということで動作の始まる時間が指定されていない>
(私のところに1時に来て下さい)Придите ко мне в час. <時間指示が明確であるので完了体命令形が来ている>

出題)「私はあの世を信じない」をロシア語にせよ。

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2013年08月17日

●続和文解釈入門第186回

今流行りの「今でしょ!」をロシア語で何と言うか考えてみた。「今しかない」ということだろうから、Сейчас или никогда! Теперь или никогда! Именно сейчас и время!などはどうだろう。

出題)「どうして自分の経歴に泥を塗るようなことをするのだ」をロシア語にせよ。

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2013年08月18日

●続和文解釈入門第187回

「~はどうですか?」で会話でよく使う表現は、Как насчёт + 生格であり、次の例などよく使うものである
Как насчёт чашечки кофе?(コーヒー1杯どうですか?)
また俗語的用法では不定法を使う場合もある。
Он у тебя как насчёт выпить?(おたくのそのお方は飲む方はどうですか?
この他にкак с + 造格という用法も会話ではよく耳にする。с + 造格は「~に関して」という意味である。
Как у тебя со здоровьем?(体の具合はどう?)

出題)「どちらの方面のお仕事をなさっていらっしゃいますか?」をロシア語にせよ。

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2013年08月19日

●続和文解釈入門第188回

不完了体現在形の予定の用法は、人に関わる動作を扱い、偶発性(事故、渋滞、事件)に関わる動作や主観的に行う具体的動作とは相容れないと考えてよい。забыть忘れる、потерять失う、разбить割る、сломать壊す、убить殺す、ударить殴る、уронитьなくす、などの瞬間動作動詞(瞬時の移行・変化を示す動詞)は、スローモーションなどの特殊な文脈を除いては、過程を示す事はなく、偶発性に関係する動詞群であり、完了体は主観的な動作を扱うが、これらの動詞の不完了体は主として反復か動作の有無の確認に用いられると考えてよい。

(死ぬのか?)Погибать, что ли? <動作の有無の確認>
(死ぬべきか)Умереть, что ли? <主観的ニュアンス>


出題)犯人探しなどで使う「得をするのは誰だ」をロシア語にせよ。

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2013年08月20日

●続和文解釈入門第189回

完了体未来形には例示的用法「(~であれば)~する」がつきものだが、完遂的用法「(これから)~する」にもそのニュアンスが出る場合もある。未来というものは未定のものであり、ある意味、条件法と表裏一体であると言える。つまり、不完了体現在形の予定の用法や不完了体未来形には例示的ニュアンスがないことになる。また完了体未来形は未来の時制の反復には使えない。

(警察がいなくなれば、奴らは戻って来る)Они вернутся, когда полиция уедет.

出題)母が離れて暮らす息子に言う「ちゃんとしたものを食べなさいよ」をロシア語にせよ。

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2013年08月21日

●続和文解釈入門第190回

原求作先生の『ロシア語動詞の体の用法』(水声社)の29ページにотвечатьは完了体という見出しで、「現代ロシア語では不完了体であるが、少し古い本を読むと、完了体のような使い方も多いという動詞もあります」とあり、отвечатьを取り上げている。

Француз поклонился и отвечал. что он надеется заслужить уважение, даже если откажут ему в благосклонности.(そのフランス人はお辞儀をして、彼に好意を抱くのは無理にしても、敬意を払ってくれればいいのですがと答えた)

поклонилсяは完了体過去形で、二つ動詞が続いているのだから、通常は順次的用法という事で完了体過去形が続けば文法的には一番すっきりするのに、отвечалと不完了体過去形が来ている。そこで原先生は、このотвечалは完了体であり、отвечать – отвечиватьという体のペアがあったのではないかと想定されている。
 アカデミー露露の最新版第14巻(2010年)には、отвечатьは不完了体だが、完了体の意味もあるとして、次のような例文を挙げている。例文にあるговоритは歴史的現在であり、このотвечалは完了体ということになり、ответилとしても同義で、その場合もアオリスト的用法である。отвечаетとすれば歴史的現在であり、これもアオリスト的用法となる。残念ながら、アカデミー版にはотвечиватьという単語は載っていない。

- Так значит, Валентин, завтра к девяти на работу, - говорит Виктор.(「じゃ、ワレンチーン、明日9時までに会社に来いよな」とヴィクトルは言った)
- Мы привыкшие к девяти, - отвечал Валька.(「9時には慣れていますから我々は」とワーリカ(ワレンチーン)は答えた)

出題)「血液型はB型だった」をロシア語にせよ。

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2013年08月22日

●続和文解釈入門第191回

нельзя + 不完了体不定形は禁止を、нельзя + 完了体不定形は不可能を示すと、『新訂和文露訳入門』に書いたが、対応する完了体がない動詞では、不完了体不定形でも不可能を示す場合がある。これはある一定の期間の動作を示す動詞ということになる。

(人は祖国なしに生きる事は出来ない、生きていけない)Человеку нельзя жить без родины.

出題)「非共産主義的短編は才能がないかもしれないし、天才的であるかもしれないという事を言うべき時である」をロシア語にせよ。

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2013年08月23日

●続和文解釈入門第192回

『るいごプラス!』を出版して1年ほど経つ。その間新しく80近くの類語を集めた。本にするには少なすぎるし、死蔵しても意味がない。そこで、みなさんのご参考のために、このコーナーで少しずつ発表することにした。

麻はконопля のことで大麻とも言う。日本語の麻は大麻、カラムシкитайская крапива (рами)、亜麻лён、マニラ麻манильская пенька、黄麻(ジュート)джутの総称である。

出題)「彼女のことを思い出さないのはよくないことだった」をロシア語にせよ。

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2013年08月24日

●続和文解釈入門第193回

「~したものだった(である)」を露訳するときに、まず頭に浮かぶのは過去の不規則な反復である、完了体未来形を使った例示的用法である(『新訂和文露訳入門』の2-2-5項参照)。しかも例示的用法であっても、過去の時制では動作が起こらなかったという可能性はない。また動作が頻繁であれば(規則的反復も含まれる)、不完了体過去形が用いられるが、過去形でのみ使われる多回体を使うという手もある。この動詞に含まれるのは、видывать(しばしば見る)、говаривать(しばしば話す)、едать(頻繁に食べる)、знавать(しばしば知る)、пивать(よく飲む)、сиживать(頻繁に座る)、слыхивать(よく聞く)、хаживать(よく歩き回る)、читывать(よく読む)である。
видать(よく見る)、слыхать(よく聞く)も多回体だが、видатьには現在形もあるし、不定形でも使われ、слыхатьは不定形でも使われる。

(彼は昔もよく飲んだものだったが、今や2週間酔いつぶれていた)Он и прежде пивал, но теперь пьянствовал без просыпу две недели.

出題)「水の硬度が高いということを踏まえての湯垢対策はどうですか?」をロシア語にせよ。

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2013年08月25日

●続和文解釈入門第194回

ある方から体の参考書として、A grammer of Aspect, J. Forsyth, Cambridge Universty Press, 1970を紹介された。うまい具合にアマゾンにあったので、入手し、今読んでいる最中である。この本の評価は全部精読してから本コーナーに書くつもりだが、これまで読んだ感じでは、ロシア語を母語としない外国人向けには非常に系統的に書かれている非常に良い体の教科書である。ロシアやソ連でも体の参考書はいくつかあるが、ロシア人にとって常識的なことは省略されていることが多い。そういう意味で、もし大学の時に、この本があれば、すぐには理解できなかったかもしれないが、体の用法について非常に短期間で会得できたような気がする。個々の項目、例えば動詞の接辞であれば、Изучение глагольных приставок, Барыкина-Добровольская-Мерзон, Русский язык, 1981の方が詳しく、用例も豊富だというようなことは言えるが、これらは参考書であって、本書のような系統的な教科書があるのなら、会話の和文露訳だけということなら、このような参考書は特に必要とは思えないと思う。お店で言えばone-stop shopのようなものである。ただ1970年出版の本なので、遂行動詞や結果存続兼評価型動詞の記述はないような気がするし、会話における英文露訳に不可欠と思われる現在の時制の被動形動詞過去短語尾の用法も書いてあるかどうか楽しみである。系統的に体の用法を勉強としたい人向けには是非お勧めする。

出題)「でも私は調べるよう命令されたのです」をロシア語にせよ。

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2013年08月26日

●続和文解釈入門第195回

完了体だけの動詞、不完了体だけの動詞については、いくつか和文解釈入門第220回に挙げたが、前回紹介したA grammer of Aspectを読んでいたら、フォーサイス先生も完了体しかない動詞としてопомнится(我に返る)、очнуться(我に返る)、очутиться(気がつく)、понадобиться(必要である)、поскользнуться(すべる)、рухнуться(崩壊する)、скончаться(逝去する)、улизнуть(ずらかる)、хлынуть(あふれる)を挙げておられる。そのためопомнитьсяの不完了体にはприходить в себя, приходить в чувствоという別の動詞句を使う必要があると述べられている。ところが、この中の二つの動詞опоминатьсяとпоскальзыватьсяに関しては、アカデミー版露露辞典第13巻(2009年)と第19巻(2011年)において、対応の不完了体であると指摘し、次のような例文が挙げられている。

(今、老人は横になっていて、徐々に意識が戻りつつあるところである。明日には爆発した機器の修理が始まる)Сейчас старик лежит и постепенно опоминается, а завтра начнётся ремонт взорвавшейся установки. <過程>
(パパは新しい短靴を履いて、道中ずっと秋の濡れた木の葉の上ですべってばかりいた)Папа надел новые ботинки и на осенних мокрых листьях всю дорогу поскальзывался. <反復>

 フォーサイス先生も4つの露露辞典オージェゴフ、アカデミー版、ウシャコーフ、スミルニーツキーが完了体・不完了体の区別については概ね一致するものの、いくつかの動詞については必ずしもそうではないことを挙げておられ、ご自身はオージェゴフと同様、マースロフМасло Ю. С.先生の提唱された、体のペアかどうかを決める際に、一つの文で完了体過去形が歴史的現在の不完了体現在形と置き換えられれば、体のペアであるという説を標榜している。和文解釈入門第300回ii)で「歴史的現在が完了体過去形と体のペアを成しているといえないこともない」と書いたが、これも上記のような観点からである。体のペアについては体の研究家の間でも、概ね一致はしてはいるようだが、個々の動詞においては曖昧な点もあるとフォーサイス先生も指摘されておられる通りである。

(母はビーツを買って、ボルシチを作ってくれた)Мать купила свёкла и сварила борщ. = Мать покупает свёкла и варит борщ. <このためкупитьとпокупатьは体のペアとして認められる>

 拙著『新訂和文露訳入門』2-1-8-9項に書いたように、опоминатьсяは歴史的現在では使えないとボンダルコ先生が述べている。つまり歴史的現在に則せば、опоминатьсяとопомнитьсяは体のペアではないことになる。これはマースロフ先生の説に従って、動作の終了(完遂)を不完了体が動詞の語義の中に持っているかどうかだけを見て、体のペアの基準としていることになる。しかし、アカデミー版の露露は必ずしもそのような説にくみしておらず、同じ語義で、不完了体に過程や反復などの動作の名指し(動作の有無の確認)の要素があれば、体のペアは成立すると考えているようである。過程や反復は動作の名指しであることは、『新訂和文露訳入門』3-1-1-1項および3-1-2項で説明済みである。

出題)「私たちは彼を捕まえようとしたが、だめだった」をロシア語にせよ。

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2013年08月27日

●続和文解釈入門第196回

拙著『新訂和文露訳入門』7-1項に挙げた動詞群は不完了体のほうは、試み、努力、つまり一定の結果を得ようとした動作(志向)を示す。用法的には過程や反復の用法であろうが、умиратьのように過程で使えるが、反復では使えず、даватьのように反復では使えるが、過程では使えないという動詞もあるので注意が必要である。一方、完了体動詞では結果達成の実現を意味する。第195回の出題のこともあり、ご参考のために7-1で挙げなかった動詞を追記する。

брать/взять(取る)、бросать/бросить(投げる)、возвращаться/вернуться(帰る)、вспоминать/вспомнить(思い出す)、вставать/встать(起きる)、встречать/встретить(見かける)、входить/войти(入る)、выполнять/выполнить(達成する)、давать/дать(与える)、делать/сделать(する)、догонять/догнать(追いつく)、доставать/достать(届く)、доставлять/доставить(届ける)、достигать/достигнуть(達する)、забывать/забыть(忘れる)、эажигать/зажечь(燃やす)、заканчивать/закончить(終える)、закрывать/закрыть(閉める)、запирать/запереть(閉じる)、засыпать/заснуть(寝入る)、исчезать/исчезнуть(消える)、класть/положить(置く)、кончать/кончить(終える)、лишать/лишить(奪う)、ловить/поймить(捕まえる)、ложиться/лечь(寝る)、ломать/сломать(壊す)、надевать/надеть(着る)、начинать/начать(始める)、опазыдывать/опаздать(遅れる)、опускать/опустить(落とす)、останавливаться/остановиться(止る)、отговаривать/отговорить(しないように説得する)、открывать/открыть(開ける)、отправляться/отправиться(出発する)、падать/упасть(ころぶ)、переставать/перестать(止める)、подавать/подать(出す)、поднимать/поднять(上げる)、покупать/купить(買う)、получать/получить(受け取る)、портить/испортить(だめにする)、посылать/послать(送る)、привыкать/привыкнуть(慣らす)、придумывать/придумать(考えつく)、принимать/принять(受け入れる)、продавть/продать(売る)、происходить/произойти(起こる)、просыпаться/проснуться(目覚める)、проходить/пройти(過ぎる)、пускать/пустить(放す)、садиться/сесть(すわる)、сдавать/сдать(渡す)、снимать/снять(取り去る)、спасать/спасти(救う)、ставить/поставить(置く)、становиться/стать(立つ)、убеждать/убедить(確信させる)、убивать/убить(殺す)、уговаривать/уговорить(説得する)、уезжать/уехать(去る)、умирать/умереть(死ぬ)、успокаивать/успокоить(落ちつかせる)、утешать/утешить(慰める)、хватать/схватить(つかむ)など。

出題)「彼女は店が閉まっていると考えた(思った)」をロシア語にせよ。

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2013年08月28日

●続和文解釈入門第197回

ロシア語には日本語同様、英語のような時制の一致がないと考えられている。

(彼は彼女を愛していると言った)Он сказал, что любит её. <He said that he loved her.>
(彼は彼女を愛していたと言った)Он сказал, что любил её. <He said that he had loved her.>

 ところが、第196回の出題のように、思考や感覚を扱う動詞群видеть/увидеть(見える)、думать/подумать(考える)、забывать/забыть(忘れる)、знать(知っている)、казаться/показаться(思われる)、наблюдать(観察する)、понимать/понять(理解する)、решать/решить(決めつける)、слышать/послышать(聞こえる)、смотреть/посмотреть(見る)を主文の動詞が過去形となる複文では、従属節が現在の時制でも過去の時制でも意味は変わらないとされる。

(彼が私を待っていることを私は知っている)Я знал, что он ждёт (ждал) меня.
(彼女は店が閉まっていると考えた)Она думала, что магазин (был) закрыт.
(彼女には彼が手紙を読んでいるのが見えた)Она видела, как он читает (читал) письмо.

 このような動詞でも考えや主観的態度を示す動詞が主文の場合は、従属節が現在の時制であるのが普通であるが、従属節が繋辞(~は~である)、存在や場所を示す場合にはбытьの過去形を使った過去の時制が使われるという。

(最初の会話やトンネルを検査した後で、オルロフは熟練の技師だということが分かった)После первого же разговора и остмотра туннеля я понял, что Орлов был знающим инженером.

「見る」や「聞く」という動詞については、こういう場合過去の時制が出やすいとされる。なぜこうなるのかを確実に説明はできないが、これは過去の時制が確述(確言)という具体的な現実を示すものであり、現在が歴史的現在の用法のように、ビビッドな主観的ニュアンスを示す事から説明できると考える研究者もいる。19世紀の作家はフランス語が堪能であり、フランス語の間接話法の用法からロシア語に入ったのだという説もある。

出題)「建設資材のテストのときに耐水性の程度がどのくらいかを決めて下さい」をロシア語にせよ。

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2013年08月29日

●続和文解釈入門第198回

отвечатьに完了体の用法があることは第190回で述べたが、フォーサイス先生のA grammer of aspectの中に、この件について興味深い説明があったのでお知らせする。
ответитьがотвечатьの完了体として現れるのは、18世紀から19世紀初めにかけてであり、それまではотвечатьは完了体・不完了体同形の動詞であり、ペアの完了体はなかった。そのため、(アオリスト的用法や順次的用法で)、カラムジーン、プーシュキン、レールモントフはотвечалのみを使い、トゥルゲーネフ、ドストエフスキー、レフ・トルストイにしてもотвечалの使用の方がはるかに多い。現代作家では作家の好みの問題もあり、ゴーリキーやパウストーフスキーはответилを主に使い、レオーノフやファジェーエフではотвечалの使用が多いとある。

出題)その時代に合わない人に対して、「彼は生まれてくるのが少し遅かった」をロシア語にせよ。

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2013年08月30日

●続和文解釈入門第199回

мочь/смочьについては本コーナーの第131回にて説明したが、補足しておく。「~できる」という可能の意味ではмочьの使用が、смочьより圧倒的に多い。これは「~できる状態にある、~できる能力がある」という意味を、現在の時制でмочьが持っているからである。смочьは具体的な状況において、動作を完遂することができるという事を示す。ところが否定文では過去の時制や現在の時制(広い意味での)もне смочьもよく使われる。не смочьは具体的な1回の行為ということで用いるし、не мочьは「一般的には不可能である」というような文脈で使われる。не суметьはあまり使われないが、не смочьと同義である。

(彼は隣人だったし、ドシュコーフの顔をよく知っていたから、だいたい間違えるはずがなかった)Он оказался соседом и хорошо знал Досюкова в лицо, вообще ошибиться не мог.
(ドシュコーフはどのようにしてそれらがそこにあったのかちゃんと説明できなかった)Досюков не смог внятно объяснить, как они там оказались.

出題)「表面腐食の発生条件をラボで再現することができますか?」をロシア語にせよ。

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2013年08月31日

●続和文解釈入門第200回

体の用法の奥義を極めた人というのは、体の用法についての論文や参考書を読み漁った人や、そのような論文を書いた人を指すのではない。露文解釈における体の用法をいくら解釈できても、実際にロシア語の会話で使って見せなければ、体の用法の奥義を極めたとは言えない。ここでいうロシア語の会話というのは、日常会話のことであって、語彙が問題となる技術や政治経済、医療、観光などの通訳やガイドの使うような会話ではない。

 会話ができるだけでもいけない。体の用法について分かりやすく説明できなければ、体の用法を会得したとは言えない。後進の学習者の役に立たないからだ。一つの和文を正確な露文に訳せるとしても、それは露文だけをみてネイティブが正しいかどうかチェックするのと同じである。それはインフォーマントの役割にすぎない。和文を意識して、それを体のニュアンスを含めて正確に露文に訳す事ができれば、体の奥義を会得しているということになる。

出題)「私、リョーシカ(レオニードの愛称)と知り合って20年になるけど、私たち結婚したのは今年よ。あなた、リャーリカ(エレーナ、オーリガなどの愛称)と知合ってどのくらいで彼女と結婚したの?」をロシア語にせよ。

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2013年09月01日

●続和文解釈入門第201回

『新訂和文露訳入門』7-1項に下記追記する。

Он сдавал (держал) экзамен.(彼は試験を受けた)
Он сдал (выдержал) экзамен.は「彼は合格した(受かった)」の意味の他に、アオリスト的用法として彼は受験したという意味にもなりうる。そこで、合格したという意味に確実にするためには、благополучно, отличноなどの副詞をつけた方が間違いがない。

出題)「静電気の放電を防ぐために、機器のアース(接地)をチェックしなければならない」をロシア語にせよ。

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2013年09月02日

●続和文解釈入門第202回

остатьсяの過去形の結果の存続の用法と、оставатьсяの現在形の状態の用法は、意味の上で非常に似ている。その使い分けの差は、完了体はその本質として具体的な1回の動作を示すことから、具体的な事柄と共に用いられ、оставатьсяの現在形は抽象的なものと共に用いられるという点にある。

(お前、どのくらい金が残っている?)Сколько денег осталось у тебя?
(出て行くこともできない。残るのは一つ、作り変えることだ)Уйти нельзя. Остаётся одно – переделывать.
(矯正も、償いも、忘れることもできない。残っているのは死だ)Не исправить, не искупить, не забыть... Остаётся смерть.

出題)「この記事は読まないことにしよう」
「この記事は読まないことにしましょう」をロシア語にせよ。

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2013年09月03日

●続和文解釈入門第203回

完了体と不完了体については、ヤコプソーンЯкобсон先生の完了体有標性説(体の用法では完了体が明示的な機能をもっており、不完了体は従であるという考え方)から出発して、完了体の機能として、フォーサイス先生も変化、新規の出来事、完遂(動作の達成)、順次的用法を挙げておられる。体の用法は多面的な面もあり、個別の動詞毎とは言わないまでも、動詞群によって時制や法(命令法や不定法)により、その機能が整理できることも事実である。
 しかしオッカムのカミソリの意味する「必要がないなら多くのものを定立してはならない」とか、「少数の論理でよい場合には、多数の論理を定立してはならない」、つまり、「必要以上に多面化するな。事実に則した最も単純な説こそ最善の説である」という事を踏まえると、体の本質というのはもっと単純化できるのではないかと考えたわけである。それが「完了体は時間軸の特定かつ不動の一点での動作をイメージする」ということであり、ここから完了体には主観的(叙想的、意識的)ニュアンスが出て来るわけで、これが懸念、期待、動作の完了、新しい情報や事態の出現、新規の動作の可能性とか、否定文では不可能、否定の強調などという話し手の考える主観的なものを指し、具体的な1回の行為なども含まれるわけである。

出題)「摺動面の注油は部品の寿命を延ばす」をロシア語にせよ。摺動(しゅうどう)sliding, rubbingというのは物が滑って動くことで技術用語。

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2013年09月04日

●続和文解釈入門第204回

これまで和文露訳の短文として出題したのは、和文解釈入門で600問、このコーナーで200問だから合わせて800問ということになる。できるだけいろいろな分野、文法事項から出題したいのだが、一人の人間がやっているのでどうしても偏りが出ることもあるかもしれない。しかし一人の人間が出題しているので、回答やコメントにはそれなりに一貫性があるという自信もある。これまで投稿者一人で全部回答した人はいないが、300問や400問程度なら2~3人はいるはずだ。投稿者には最近は投稿されないが、体の用法の奥義も究めたと私が判断した人も過去に3人はいる。その中でほんの少し私がお手伝いしたかもしれないと思う人もいるし、全く独力でそうなったという人もいるから世の中は広い。現在の常連投稿者の方々3名も、レベルは上級であり、ほぼ体の用法の奥義に達したと考えてよい。後200問出せば、千問となるが、そのくらいは行きそうだ。それまでに後何人そのような人が出てくるか楽しみである。

出題)「毎日スケート場に通うことにしましょう」をロシア語にせよ。

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2013年09月05日

●続和文解釈入門第205回

(今日起きたが、後で具合が悪くなり、また寝た)Я вставал сегодня, но потом почувствовал себя плохо и снова лёг.

 上の文を見ると、完了体過去形почувтвовалの後に完了体過去形лёгが続いており、不完了体過去形вставалは何か浮いた感じがするなと思えば、体の用法に関してかなり語感ができてきたことになる。それは完了体の順次的用法から外れるからである。つまりвсталとした方が、文の上では自然なものになるとはいえ、上の文も文法的に正しいと言える。これはвстать/вставатьがоткрыть/открыватьのような対義語のある動詞群の過去形では、ニ方向の動作をもっているからである。『新訂和文露訳入門』2-1-3項参照。つまりвсталは「起きた(発話の時点でも起きているという結果の存続の可能性が高い)」だが、вставалは「起きていた(発話の時点では起きていない可能性が高い)」というニュアンスがあるからである。この文の最後にлёгがあるので、なおさら不完了体過去形が適切であることが分かる。

 文の意味だけではなく、ニュアンスを探るようにすることが露文解釈の解釈たる所以であり、通訳というのは露文和訳と和文露訳をするという意味でニ方向である以上、和文露訳のみならず、露文解釈においても体の用法を究めることが必要であることはお分かりになるだろう。

出題)「今さら謝ってもらっても遅い」をロシア語にせよ。

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2013年09月06日

●続和文解釈入門第206回

私のブーチャンさんへの第204回の回答に誤りがありましたので、お詫びすると共に訂正したことをお伝えします。それに基づき、「~しましょうLet's」について次のような例を追記します。

(そう願いたいものです)Будем надеяться.
(プーシキンを読むことにしましょう)Давайте будем читать Пушкина.
(ライトはつけないようにしよう。いいね)Не будем зажигать света, ладно?
(誇張はしないことにしましょう)Не будем преувеличивать.
(論争はしないことにしましょう)Давайте не будем спорить.

出題)「彼は現役で、何のコネもなしに大学に入った」をロシア語にせよ。

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2013年09月07日

●続和文解釈入門第207回

A grammer of aspect, Forsyth, Cambridge University Press, 1970を読了したので、読後感を書いておく。これまで読んだ体の用法の教科書としては系統的で最も優れていると思う。ただロシア語会話において必要だと私が思っている遂行動詞や被動形動詞過去短語尾についての説明がないのが残念である。本書が1970年の出版で、初めてオースティンが英語の語用論で遂行動詞を提唱したのが1960年代だから、遂行動詞の研究を深めている時期だったという時期的な問題があったのだろう。そのためロシア語会話(和文露訳)の参考書にするには若干もの足りない感じもある。しかし、体の用法における否定の用法にも十分説明を尽くしており、また歴史的現在にも触れているし、体のペアを選定する際に歴史的現在を用いるなど分かりやすく説明していることには好感が持てる。また露文解釈に必要な事項である副動詞や形動詞の説明は詳しい。この他に、完了体を用いる不規則な反復(本書で言うsporadic偶発的な反復の方が訳語としては適切だと思うので、今後は私もこの偶発的反復を用語として使いたい)と、不完了体を用いる反復についての使い分けが示されていないように思う。偶発的な反復は例示的用法の一つだがその旨の説明もない。本書で指摘している体の本質は完了体のもつ動作や出来事の全一性にあるというのは正しいが、体の用法のそれぞれの多面性について用法ごとに細かく説明するだけでは、会話における和文露訳での体の使い分けができないと考える。以下コメントする。84ページでは、次の例文は動作の有無の確認の用法と説明されている。<>内は私の解釈である。

(『戦争と平和』を書いたのは誰ですか?)Кто писал «Войну и мир»? <話し手が名作かどうか知らないか関心がない場合>
(『戦争と平和』を書いたのはトルストイです)Толстой писал «Войну и мир». <同上>

 この説明について間違っているとは言わないが、これはラスードヴァ先生の言われる創作者としての資格として、完了体過去形を使うのが一般的であろう。この他に、英語の遂行動詞を露訳するときに下記のように、完了体過去形で示す例があり、ロシア語の不完了体現在形(結果存続兼評価型動詞など)で表現することも可能であると思うが、著者はそれには触れていない。

(彼がどこに住んでいるのか忘れた)Я забыл, где он живёт. <I forget where he lives.>〔забыватьは結果存続兼評価型動詞〕
(私が申し上げたことを理解していただけましたか?)Вы поняли то, что я вам сказал? <Do you understand what I’ve told you?>〔пониматьは遂行動詞〕
(この絵が気に入りましたか?)Вам понравилась эта картина? <Do you like this picture?>〔нравитьсяは状態の動詞である〕

 この他に294ページに不完了体不定形が多用されているという例文で、запрягать(交通手段の準備のための切迫した命令exigend commandなので不完了体を使うとある)を除いて、その理由が示されていないが、掲載されている例文を見る限り、私が考えるに、不完了体が使われている理由は、切迫感だということが例文から読み取れるはずだ。

 本書は2010年に復刻版が出た。私はアマゾンで手に入れた。4000円前後と高い本だが、体の用法に関心があるのなら、その価値以上のことはある。今すぐ読まずとも、いつか読むかもしれないと言うなら、買っておくことを強く勧める。若干文法用語があるが、すぐ慣れるし、研究者用の論文ではないから、分かりやすい英語である。

出題)「このことは絶対許さないから」をロシア語にせよ。

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2013年09月08日

●続和文解釈入門第208回

『新訂和文露訳入門』2-2-1-1項のアオリスト的用法はとっつきにくい。そこで使う目安を挙げておく。アオリスト的用法である特徴の一つに、状況の変化、出来事の場面転換があり、この用法の完了体過去形は「突然、すぐに、ついに」というような副詞や副詞句вдруг(突如)、неожиданно(不意に)、внезапно(突然)、сразу(すぐ)、сразу же(すぐに)、мгновенно(瞬間的に)、вмиг(一瞬)、немедленно(ただちに)、и вот(その結果ほら)、и тогда(そのときに)、и тут(その瞬間)、наконец(ついに)と共起しやすい。しかし、「すぐに」という副詞や副詞句は命令法では、新規の動作ではない、回りの状況に合わせると言った場合、切迫感という用法で不完了体命令法と共に使われることに注意する必要がある。

(突然ドアが開いた。ドアのところに立っていたのはヂーマ・モーエフだった)Вдруг открылась дверь: в дверях стоял Дима Моев.
(大聴衆の1回生の中で私は一人の娘に気がついた。それはスヴェトラーナで、私の未来の妻だった)В большой аудитории среди перевокурсников я сразу же заметил девушку. Это была Светлана, моя будущая жена.

 この他にも「完全に」などという動作の遂行を示す副詞вконец(まったく)、вполне(まったく)、вовсе(まったく)、окончательно(最終的に)、полностью(完全に)、почти(ほとんど)、слишком(あまりに)、совершенно(完全に)、совсем(完全に)とは、アオリスト的用法として完了体過去形が来ることが多い。

(コンサートは完全に成功した)Концерт вполне удался.

出題)「どなたかほかに発言なさる方はいらっしゃいますか?」をロシア語にせよ。

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2013年09月09日

●続和文解釈入門第209回

未来の時制で不完了体未来形を使う時は、動作の有無の確認であると『新訂和文露訳入門』4-1-1-1に書いた。これは疑問文の例が非常に分かりやすい。

(何を御注文なさいますか?)- Что вы будете заказывать?

 平叙文の場合は、動作の有無の(するかしないかの)選択が終わり、するということを述べているにすぎない。これは不定法での動作の有無の確認で不完了体不定形が用いられるが、これと発想は同じである。否定文であれば、その逆で「しない」という選択をしたことになる。

(キャンセルすべきか、せざるべきか?)Отменять или не отменять?

(いいですか、もし30分以内にこの隊列を出発させないのなら、上に報告します)Слушайте! Если вы в течение получаса не отправите этого эшелона – я буду докладывать выше.

 上の文のбуду докладыватьは話し手に主観的ニュアンスはないが、回りの状況によって、хотеть, собиратьсяというような意向のニュアンスが出てくる場合もある。

出題)「朝車庫のカギをかけたかい?」をロシア語にせよ。

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2013年09月10日

●続和文解釈入門第210回

「去年おばあちゃんに年賀状を出したかい?」- Ты посылал в прошлом году новогоднее поздравление бабушке?
「うん出した。今年も出したよ」- Да, посылал. И в этом году тоже послал.

 最初の文には「去年」と時を示す副詞句があるのに、不完了体過去形が来ているのに違和感を感じる人もいるだろう。それは体の勉強が進んできている証拠でもある。最初の文は動作の有無の確認であり、動作が行われたかどうか分からない(動作がなかったかもしれない)ことを意味する。このような不定の動作では時間軸の不動の一点が決められないので完了体は使えないということになる。また動作が1回とは限らないし、昨年1年間のいつかにという風にも理解できるから不完了体が来ると考えてもよい。二つ目の文の完了体過去形は1回特定の時期に発送したという意味であり、アオリスト的用法か、文脈によって結果の存続ということになる。

出題)「ゆっくりと、苦しげに彼はベッドから起きた」をロシア語にせよ。

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2013年09月11日

●続和文解釈入門第211回

видеть(会う)、слышать(知る)という意味では、未来の時制ではこれらの動詞は不完了体未来形を作れないので、完了体未来形を使うことになる。

(私は昨日彼に会った)Я видел его вчера.
(私は彼を昨日見かけた)Я увидел его вчера.
(彼が入って来ればすぐ私には彼が目に入る)Я увижу его, как только он войдёт.
(明日お会いします)Увижу вас завтра. <会うという意味の不定形はвидеть, увидетьを使う。Я рад видеть.(お会いしてうれしい)という挨拶表現ではвидетьのみ。>
(10日後ここに鉄道が通るという事を耳になさいますよ)Через десять дней вы услышите, что здесь пройдёт железная дорога.

 なぜかというと、これらの不完了体には語義に始発の意味がないからであり、идтиとпойтиの関係にも似ている。видетьとслышатьの基本的な意味は「見える」と「聞こえる」であり、「見るсмотреть」や「聴くслушать」ではない。語義上、不完了体未来形は反復を除いて作れないと思われる。共に命令形はなく、смотри(те)やслушай(те)で代用する。この違いについては『新訂和文露訳入門』10-8項参照のこと。

出題)「彼はまずい時にまずい場所に居合わせた」をロシア語にせよ。

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2013年09月12日

●続和文解釈入門第212回

不完了体未来形には「~するつもりである」という予定や計画の用法もあると、『現代ロシア語文法(中・上級編)』(城田俊、東洋書店)や『ロシア語の体の用法』(原求作、水声社)に書かれている。собираться, намерен, намереваться(これらの使い分けについては拙著『新訂和文露訳入門』)4-1-3-2項に書いた)と全く同じように自由に使えるのだろうか?それについては何も書かれていない。露文解釈の参考書だからであろう。全くの同義表現なら、いいのだが、使用上違いがあるがあるなら会話における和文露訳(ロシア語会話)では困ってしまう。不完了体未来形は不完了体である以上、そう気軽には使えないのである。用法が重なる場合もあるし、使えない場合もあるのだ。それについて少し書いて見る。不完了体未来形で分かりやすいのは、反復(『新訂和文露訳入門』の4-1-4項参照)である。それ以外の「~するつもりである」という用法も、不完了体未来形は、不完了体である以上、新規の動作を示せないから、何らかの文脈が先にあるか(下の例文では「明日のご予定は?」の部分)、それを想定して、それに対する返事ということで現れてくるのが自然であるということになる。「~するつもりである」という意味で不完了体未来形を使うためには、その動詞の語義に経過の意味がなければならない。不完了体は動作の開始や終了を示す事ができないからである。

(明日のご予定は?)- Какие у вас планы на завтра?
(部屋の掃除でもするつもりです)- Будем (Собираемся) убирать комнату?
(前からこの件について君と話しをするつもりでした)Я давно собирался поговорить с тобой об этом.

 ところが、собираться, намерен, намереватьсяなどは、上のような不完了体不定形も取れるが、叙想語だから、後に完了体不定形を取って、具体的な1回の動作も示す事ができる(完了体不定形を取るのがより一般的)。ところが不完了体未来形はそれができない。『ロシア語の体の用法』に挙げられている用例は、一見1回の具体的動作だが、

(今日イワンのところにお立ち寄りになるおつもりですか)Вы будете заходить сегодня к Ивану? <заходитьはちょっとの期間ненадолго立ち寄るといういう意味で、動作の経過のニュアンスがある>
(今日奨学金をもらうつもりかい?)Сегодня ты будешь получать стипендию? <奨学金をもらうためには窓口などで手続きが要るので、それに時間がかかる。これは私のこじつけではなく、『ロシア語動詞 体の用法』(ラスードヴァ、磯谷孝訳編、吾妻書房)の119ページにполучать стипендию〔奨学金を受け取る〕には動作の経過の観念を表せるが、получать выговор(叱責を食らう)には表せないとある>

出題)「僕は戯曲を書いた。シェークスピアも顔負けさ」をロシア語にせよ。

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2013年09月13日

●続和文解釈入門第213回

(彼女は彼が来るのを待っていた)Она ждала, пока он не придёт. <彼はまだ来ていない>
(彼は来たが、それまで彼女は待っていた)Она ждала, пока он не пришёл.

 上の二つの文はこのように意味が違うはずだが、口語では同じ意味で使われる。完了体過去形の方は時制の転用だが、確述の用法と考えられる。

(彼が来ないうちに立ち去ろう)Давайте уйдём, пока он не придёт (пришёл).

出題)「ヂーマが来てたよ」
「どうして彼、僕を待ってくれなかったんだ?」をロシア語にせよ。

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2013年09月14日

●続和文解釈入門第214回

(行ってきます)Я пошёл.
(えんやこりゃ)Раз-два, взяли.

 上の二つの文は完了体過去形を未来の完遂の意味に使っており、時制の転用である。この時制の転用の起源は、ロシア語の昔の過去分詞からだとか、быの脱落だと言われているが、素人にはбыの脱落と考えた方が分かりやすい。

(取ったら)Ты бы взял.

出題)「審判が彼にイエローカードを提示するはずがない」をロシア語にせよ。

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2013年09月15日

●続和文解釈入門第215回

ロシア語で書かれた外国人向けのロシア語の参考書というのは、よく考えてみると、外国語というのを抽象化して考えているようでちょっとおかしい。ロシア語を学ぶ外国人の母語は英語、中国語、日本語などの外国語の一つであって、抽象的な一つの外国語というものはあるはずもなく、具体的な外国語があるだけである。会話では無意識に母国語の英語や中国語、日本語からロシア語に訳しているわけだから、その母国語の特性を無視してよいはずがない。しかし、このような参考書の編者が主だった外国語すべてに通じているとは考えにくいので、便宜的にロシア語参考書の編者は母国語がロシア語であるから、ロシア語の文をできるだけ客観的に、無意識に、意識下に戻すという作業をして、外国人に説明しているわけである。
外国人が体を習得するように編纂された参考書である、Виды глагола в русской речи, К. А. Соколовская, Русский язык медиа/Дрофа, 2008(ロシア語会話における動詞の体)も非常によい参考書だが、これもロシア人が無意識に選択している体を、意識下に戻して説明したという感じである。最初にそれぞれの体の特徴を挙げている。
「完了体は動作の発生と終了を全一的にとらえたり、時には動作の発生や状況の転換の時点を強調したり、動作の結果に注意を向けたり、普通は1回の動作(繰り返しのない動作)を示す)」
「不完了体は制限のない動作、進展の過程、結果への動き、しばしば長期の動作、反復を示す」
 これらは体の特徴を多面的に列挙しており、無論正しいが、会話で和文露訳をする際に、これでわれわれ日本人が体の使い分けができるようになるのだろうか?これら多面性についての各用法の説明の理解と、各体の目印になる副詞などの語句(никогда неなら不完了体過去形が来るとか、вдругなら完了体過去形か、反復の意味の不完了体過去形を使うなど)を暗記させることを主眼とし、ロシア語会話会話における体の実践に徹しており、練習問題によって機械的に、反射的に体の使い分けができるようにさせるということのようである。そういう意味では中級レベルの人の通訳やガイドの研修に大いに役立つと思うが、学習の本質である学習者に考えさせることからは遠いし、何よりも日本語とロシア語の違いが全く考慮されていない。そのためか遂行動詞の説明もない。しかも、個々の用法に合わせた設問が多いので答えに意外性がなく、学習者にとって答えを類推しやすいという欠点がある。この本の長所は、動作の否定や不定法についても、分かりやすくまとめている点にあるのが類書との違いである。

出題)「タバコをお吸いになりますか?」
「いえ、結構です」
「止めたんですか、それとも元々ですか?」をロシア語にせよ。

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2013年09月16日

●続和文解釈入門第216回

A Comprehensive Russian Grammar, Terence Wade, Wiley-Blackwell, 2011をある方から勧められ、第2版の体の用法だけコピーをもらった。それを読んでよかったので、これもアマゾンで第3版を注文して全部読んでみた。アカデミー版のロシア語文法はロシア人向けで、ロシア人には当然と思うようなことについてはほとんど説明がなされていないために、外国人には使いにくいが、この本はロシア語が母国語ではない学習者が抱く疑問について、痒いところに手が届くような作りになっているのが非常に好ましい。中級向けのロシア語文法の教科書であり、ロシア語会話ですぐ実戦で使えるようになっている。ページ数は『現代ロシア語文法』(城田俊、東洋書店)や『ロシア語文法便覧』(宇多文雄、東洋書店)とほぼ同じ500ページぐらいだが、体に関する文法的説明も50ページほど取っており、上記2書が15~20ページ(『現代ロシア語文法 中・上級編』(城田俊、東洋書店)では30ページぐらいある)なのに比べるとはるかに詳しく、例文も簡にして要を得た、会話には使い勝手が良いものが多い。これはロシア語文法を総花的に解説するのではなく、会話(この場合は英文露訳)で学習者の理解しにくいものを徹底的に解説するという著者の執筆態度にあると思われる。また句読点の基本的な用法の説明があり、語順(日本語ではテーマやレーマに相当するはずである)の解説もあり、これらは類書にはない特長である。前置詞も詳しく、使い分けが分かりやすいし、会話用として非常に実戦的な説明である。無論、体の用法に関しては初級か中級向けの説明であり、若干もの足りない感じはするが、フォーサイス先生のA grammer of aspectの入門書と思えばよい。日本語と英語の違いを考えると、遂行動詞や結果存続兼評価型動詞についての説明がなかったり、被動形動詞過去短語尾についても通り一遍の説明に終わっているのは残念だが、やむを得ない。しかしガイドや通訳を目指す人には座右の書と言ってよいので、購入を勧める。
いくつか重箱の隅をつついて見よう。第2版にあった誤植が第3版で直っていないものもあるので参考のために書いておく。例えば35ページのдилеттантはдилетантのスペルミスだし、71ページшоколодкаはшоколадкаだし、116ページのкдубахはклубахだし、157や420ページではorがогになっている。306ページКак быはКак выの誤りだろう。487ページのиоはноで、hoはноであろう。

 このようなタイプミスは別にして、145ページに疑問代名詞のчтоはものか動物を示すとあるが、動物についてはктоが一般的で、чтоも使えると言うにすぎないのではないか。ビアンキБианкиの作品に、Кто летел? Лебедь.(何が飛んだ?白鳥です)とある。319ページにне хотетьсяの後は、実質的に不完了体不定形しかこないとあるが、ラスードヴァ先生の『ロシア語動詞 体の用法』(磯谷孝編訳、吾妻書房)115ページには、「хотеть, хотетьсяのあとで、しばしば完了体不定法に出会う」とあり、不本意や遺憾の意を表すとして、Мне не хотелось вас обидеть.(あなたを怒らせるつもりはなかった)という例文を挙げておられる。хотетьсяが無人称動詞なので、不本意や遺憾というような主体性を示す行為には使いにくいということかもしれない。364ページに不定動詞の往復の動作は過去の時制だけだとあるが、アプレシャンАпресян先生の編集されたНовый объяснительный словарь синонимов русского языкаに(タクシーの金がないなら、バスで行って来よう)Раз нет денег на такси, будем ездить на автобусе.という例文がある。

出題)「1960年代にここではロシアの本が売られていた」をロシア語にせよ。

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2013年09月17日

●続和文解釈入門第217回

不完了体が時間軸の特定かつ不動の一点での動作をイメージしないために、不完了体は時間を示す語句との相性が悪い。それゆえ不完了体現在形の予定の用法を示す次の文は例外のように思える。

(彼は来月外国に行くことになっている)Он уезжает за границу в следующем месяце.

 しかし、『新訂和文露訳入門』2-2-1-2項で示したように不完了体過去形でも、踏み台のように予め場を設定しておけば、時間を示す語句との共存も可能であることを考えると、予定の用法というのは、あたかも予定表に書き込まれたように、既知の動作をなぞるとか、確認するという代動詞(反復の意味合いがある)のような用法であり、新規の動作ではない。もともとの予定表に時間を示す語句があるとイメージされているがゆえに、このような文は可能であることになる。この仮想の予定表が踏み台に相当するのである。この文の示すのは、外国へは徒歩や飛行機ではなく、何らかの移動手段で行くということと、それが予定にあるように来月だということである。

出題)「南方から小包が届いた。明日取りに行か(受け取ら)なくては」

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2013年09月18日

●続和文解釈入門第218回

 次の文でсейчас жеとあたかも時間を示す語句があるのに、不完了体命令形が続くのは、私の唱える説「不完了体は時間軸の特定かつ不動の一点での動作をイメージしない」と矛盾すると思われるかもしれない。特定かつ不動の一点をイメージしないというのは、不動の一点の有無を問題にしない(あってもなくても気にしない)ということであり、しかもсейчас жеは「今すぐ」という意味であって、今というこの瞬間を示していない。今というこの瞬間は常に動いているわけで、不動の一点ではないし、今を広く解釈して、一瞬後のいつかとすれば、1分後か、2分後か、はたまた10分後か知らないが、特定できない以上不動の一点ではないことは明らかである。そのため不完了体が用いられても問題は生じない。この用法は命令法の切迫感(促し、着手)か動作の様態の強調、ないしは両方合わさったものであろう。

(昼食を取ったら、すぐにもどれ)Пообедай и сейчас же возвращайся. <『新訂和文露訳入門』5-1-3項の動作の様態の強調でもあり、切迫感の用法でもある>
(起きろ、今すぐ起きろ)Вставайте! Сейчас же встаньте! <最初のвставайтеが促しの用法であり、встаньтеは「今すぐ」という新規の事柄を伝えているため完了体命令形が用いられている>

出題)「残念だけと、今晩は行けない」をロシア語にせよ。

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2013年09月19日

●続和文解釈入門第219回

拙著『新訂和文露訳入門』9-10-1項の「はが構文」で、新規の事柄は文末に来ると説明したが、文における基本的な状況語の語順も書いておく。状況語は動詞の前が基本である。ただし状況語が新規の情報であれば語末に来るし、少数ながら、造格から派生した副詞はходить пешком(歩く)のように動詞のすぐ後につくし、副詞句もпить маленьким глотками(少しずつ飲む)も同様である。状況語にはいろいろな種類があるが、来る順番の基本は、最初に時に関するもの (Time)、その後に場所に関するもの (Place)、そして理由・目的 (Occasion) などの状況語である。TPOと覚えればよい。時間や場所を示す状況語が文頭に来るのは、これらが文全体にかかることが多いからである。様態、程度の状況語を強調する場合は、これらは文頭に来る。ロシア文学やマスコミの文を見ると、必ずしもこのような語順になっていないのは、何らかの強調やニュアンスが加わっているわけで、基本的な語順というのは平板なニュアンスを意味する。

(2012年モスクワでアルコール中毒により3000人以上が死亡)В 2012 году в Москве от отравления алкоголем умерли более трёх тысяч. <TPOで、新規の情報(レーマ)が語末に来ている>
(朝の9月の太陽がかったるく照らしている)Нежарко светит утреннее сентябрьское солнце. <様態の強調>

出題)「彼のいつもの十八番が出た」をロシア語にせよ。

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2013年09月20日

●続和文解釈入門第220回

нельзяについて、第191回にて、「нельзя + 不完了体不定形は禁止を、нельзя + 完了体不定形は不可能を示すと、『新訂和文露訳入門』に書いたが、対応する完了体がない動詞では、不完了体不定形でも不可能を示す場合がある。これはある一定の期間の動作を示す動詞ということになる」と書いたが、フォーサイス先生のA grammer of aspectには、これに関して「不可能ということでは後に続く不定形は完了体が一般的だが、動作の遂行が主体の権限や能力を超える場合は不完了体不定形が来る」という説明があったので、ここに訂正しておく。フォーサイス先生は理由を書いていないが、これは不完了体の嫌気、不適切というニュアンスが出てくるからだろう。

(断れないよ。ビビったって後で人に言われるよ)Не могу же отказаться: струсил, скажут. <不可能>
(彼女とは暮らせない)Жить с ней я не могу.
(これ以上我慢できない)Больше терпеть не могу.
(1時間もそこに残ることはできなかった。その日に師団へ戻ったからだ)И часу оставаться там не мог, в этот день уехал обратно в дивизию.

出題)「無料奉仕をした」をロシア語にせよ。

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2013年09月21日

●続和文解釈入門第221回

不完了体命令家の促しや着手の用法である「もうそろそろ」は切迫感に通じ、「すぐに~せよ」というニュアンスをもつことになる。

(奴をつかまえろ!)Держи его! <カッパライやスリに対して>

(おい、クソ野郎、だれに雇われたのかしゃべるんだ!)Говори, гадина, кто тебя завербовал? <文の尋問などで不完了体命令形が来るのも、相手が自白するのは当然という意識が話し手にあるからである。そこから促しや着手の用法となり、すぐに話せという切迫感が出てくる>
(かかれ)Действуй! <〔(すぐに)行動せよ〕とか〔(すぐに)やれ〕ということだが、警察や軍隊などの作戦行動の際、任務〔すべき内容〕が伝達されていれば、後は号令だけとなり、そういう意味で不完了体命令形が来る。8-13項にあるДавай(те)!、Валяй(те)!〔俗語〕としても同義>

切迫感が強まれば焦燥感となり、苛立ちを示すということにもなる。

(失せろ)Убирайся вон. = Убирайся к чёрту. = Ступай ко всм чертям. = Проваливай.
(有害な音楽を止めろ。我が国のをかけろ!「ナナカマド」を!)Кончай тлетворную музыку. Гони нашу! «Рябинушку»! <「いい加減にしろ」という焦燥感も出ている>

出題)「母は息子が病気になりはしないかと心配した」

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2013年09月22日

●続和文解釈入門第222回

 危惧の表現として、боятьсяと共に使われるкак бы не (чтобы не) + 完了体(過去形・不定形)があり、主文の動詞の内容をより詳しく解説するという役割がある。

(病みつきはしないかと心配だった)Я боялся, как бы не заболеть.
(彼女がいなくなりはしないかと心配だ)Боюсь, чтобы она не исчезла. 

(残念だけと、今晩は行けない)Боюсь, что я не смогу прийти сегодня вечером.
(僕には彼が来る自信がない)Боюсь, что он не придёт. <直訳は「来ないことを心配している」>

出題)「どのくらいの量オイルに酸化防止剤を添加しますか?」をロシア語にせよ。

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2013年09月23日

●続和文解釈入門第223回

6-2-5-2 не мочь/не смочь, нельзяの用法(この項目番号は三訂和文露訳入門用の仮のものです)

мочьは現在の時制で、現在形では、現在における一般的な可能性、能力を示し、смочьの完了体未来形は一瞬後およびそれ以降の未来の具体的な1回の動作の可能性を示す。смочь (суметь)は肯定文よりも否定文で使われることが多い。これに否定が関わると、次のような使い分けが出てくる。不許可や禁止については『新訂和文露訳入門』6-1-5項参照のこと。

(彼は来られない)Он не может прийти. <+ 完了体不定形の場合は、一回の具体的動作のときで、現在の時点において来るのが不可能な状態にあるということ>
(彼は来られない)Он не сможет прийти. <+ 完了体不定形の場合は、一回の具体的動作のときで、しかも未来の副詞や副詞句がない時は、一瞬後の現在、ないしはそれ以降の未来の時制において来るという動作が不可能だという事になり、完了体なので主観的なニュアンスがある>
(毎日学校に辞書をもって来ることはできない。とても重いんだ)Я не могу каждый день брать в школу словарь. Он очень тяжёлый. <現在の時制での反復が不可能であること>
(〔これからは〕毎日お前と図書館に通うことはできない)Я не смогу каждый день ходить с тобой в библиотеку. <смогуという完了体未来形で一見反復を示せるように見えるが、実際は否定文であり、反復を否定していることが分かる。また完了体未来形の否定なので、否定の強調という主観的ニュアンスが出てくる>
(彼はどんなバスケットボールの練習にも参加することはできなくなる)Он не будет в состоянии принимать участие в любых баскетбольных тренировках. <бытьの未来形 + 不完了体不定形で未来の時制の反復や状態の否定を示す>
「計画を立てるのを手伝ってくれ」「今手伝うことはできない」Помоги мне составить план. Сейчас я не могу тебе помогать. (Сейчас я не могу помочь: я должен срочно уходить.). <経過の意味のある動詞の時は、どちらの体の不定形も可能である。完了体不定形だと「今手伝うことはできない。すぐ出かけないといけないんだ」と新規の事項を伝えるという完了体の用法であることが分かる。しかもこの場合その後に切迫性の不完了体不定形が来ている>
(彼は来ないかもしれない)Он может не прийти. <否定の可能性>
(彼は来なくてよい、彼は来る必要がない)Он может не приходить. <不必要>

нельзя + 不完了体不定形は禁止を示すが、нельзя (невозможно) + 完了体不定形は不可能を示す。

(ここは通り抜けられない。工事中だ)Здесь нельзя пройти: идёт стройка.

 не мочь/не смочь, нельзяは不可能という意味では後に続く不定形は完了体が一般的だが、動作の遂行が主体の権限や能力を超える場合は、共に不完了体不定形が来る。これは不完了体の嫌気、不本意、不適切というニュアンスが出るからだろう。

(断れないよ。ビビったって後で人に言われるよ)Не могу же отказаться: струсил, скажут. <不可能>
(彼女とは暮らせない)Жить с ней я не могу.
(これ以上我慢できない)Больше терпеть не могу.
(暗いから読めない)Темно, нельзя читать.
(俺はドイツ人を人間とは思うことがもうできなくなった)Я уже не мог думать о немцах как о людях.

出題)「冬は見るべきものが全くない」をロシア語にせよ。

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2013年09月24日

●続和文解釈入門第224回

フォーサイス先生のA grammer of aspectには、不完了体不定形が多用されるケースが多い動詞としてзапрягать(馬に鞍をつける)、ложиться(横になる)、обедать(昼食を摂る)、стрелять(撃つ)、уезжать(車などで去る)、уходить(歩いて去る)を挙げ、下記のような例文が添えられている。その中でзапрягатьだけが、交通手段はすでに準備されているのだから、切迫した命令exigend commandということで不完了体が来るという説明があるくらいで、他の動詞には特に理由は示されていない。

(ママが私に寝るように言った)Мама сказала, чтобы я ложился спать. <чтобыの後は完了体が一般的だが、間接話法の命令文 Мама сказала мне, «Ложись спать».からであろう。そうなると促し・切迫感の不完了体の用法となる>
(父は私に直ちに寝るよう命令した)Отец приказал мне немеделнно ложиться спать.
(レニングラードをすぐに離れなければならなくなる)Скоро придётся уезжать из Ленинграда.
(今昼ごはんを食べたい)Сейчас хочу обедать.

 上の文を見て気がつくのは、немедленно(ただちに)とかскоро(早く)、сейчас(今)といった切迫感を示す副詞があることである。仮にこういう副詞がなくとも、急ぐという文脈なら切迫感という用法で不完了体が使われるのは自然のことである。不完了体は動作そのものでそれ自体にニュアンスはないから、副詞や文脈次第で、感情的なニュアンスや、促し、切迫感、焦燥感を示す事になるのである。動詞によってはそのような文脈で使われやすい動詞というのがあり、запрягатьも現代ではあまり使われないが、19世紀末までは、外出するときには、馬の用意をすることが当然という状況があり、その準備のスタートの合図をするという意味(促し・着手の用法)で、不完了体が使われやすいのだということは言える。これらの文例で使われる動詞は不完了体が多用される傾向があるというよりは、切迫感の用法だから不完了体を使わざるをえないということになる。

出題)「彼らは土曜半日をお店めぐりに費やした」をロシア語にせよ。

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2013年09月25日

●続和文解釈入門第225回

前に紹介したA comprehensive Russian grammer, Terence Wade, Wiley-Blackwell, 2011, 3rd editionの中に、「彼は手紙を書いたОн написал письмо.」の英訳は二つあるとして次のような例が挙げられている。なぜそうなるのかの説明がないので、私なりに解釈すると下記のようになる。

He has written a letter. <英語の現在完了であり、結果の存続の用法>
He had written a letter. <英語の過去完了であり、アオリスト的用法>

この例文については英語では訳し分けられるのでうらやましい限りだが、冠詞や時制の一致などは日本語にはないから、その点日本語もロシア語に似ているところがある。
Он писал письмо.と不完了体過去形にすると、「彼は手紙を書いていた」<過程>、「(しばしば)彼は手紙を書いた」<反復>か、あまり用例は多くないが、文脈によっては動作の有無の確認という理解が可能である。

出題)「彼女は料理の支度をし、夕食の後片付けをする」をロシア語にせよ。

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2013年09月26日

●続和文解釈入門第226回

差し迫った、ないしは動作の促しの意味を持つ不定法文で過去を示す用法では、下記のように不完了体不定形の使用が必須である。これは6-1-4項の始発の動詞стал/началが省略されたために不完了体不定形が来ていると考える研究者も多い。完了体不定形のみを使う用法は「~しましょう」で『和文露訳入門』6-2-2項参照。

(彼は帽子を取り、毛皮の外套に手を伸ばそうとした。ふと気がつくと、門番の娘が、10歳ぐらいの女の子だったが、不意に大きな声を上げた。彼はやにわに走り出した。女の子は彼を追いかける。結局(よってたかって)捕まえられてしまった)Он шапку взял и хотел за шубой идти – глядь, дочка швейцара, девочка лет десяти и – закричи! Он бежать, она за ним. Его и схватили. <Он бежатьという主語の後の動詞の不定形で、不完了体動詞の不定形は強い始動のニュアンス持つ過去の時制を示す>

бежатьは不完了体だが、「逃亡する、隠れる」という意味では、完了体・不完了体同形であるが、上記の文は始発の意味がある以上、明らかに不完了体である。

出題)「選挙戦でやれなかったことがいかに多かったことか」をロシア語にせよ。

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2013年09月27日

●続和文解釈入門第227回

(私たちは彼を捕まえようとしたが、だめだった)Мы ловили его, но не поймали.
という文を第195回で出題したわけだが、この不完了体の用法は志向と言って、動作の遂行を目指すのだが、動作は終了していない。ところが、

(彼はよく釣りをした)Он часто ловил рыбу.

 上の文では動作は終了していることが分かる。このように不完了体というのは動作の名指し(動作の有無の確認)なので、動作が終了したかどうかは文脈による。反復や継続の用法も不完了体が本来もっている用法ではなく、副詞句や補語などによってそう理解される場合があるということである。ここから得られる結論は、不完了体は曖昧な、抽象的なニュアンスがあり、完了体は具体的な1回の動作を扱うことから、より明確な感じがする。これをよく示す例文を挙げる。

(彼女はどうしたらいいか分からないのだ。癇癪を起こすべきか、全てを冗談にしてしまうか、はたまた泣きだすか)Она не знает, что делать – вспылить, или обратить всё в шутку, или заплакать. <動作の曖昧な「何をすべきか」から、「癇癪を起こす、冗談にしてしまう、泣きだす」と動作が具体的になっているのが分かる>

ロシア文学を読むときに、このようなニュアンスもありうるという事を知ってほしい。

出題)「他の能力は必要ないので退化した」をロシア語にせよ。

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2013年09月28日

●続和文解釈入門第228回

『新訂露文解釈入門』2-2-3項のбылоの用法と異なる用法を見つけたのでお知らせする。これは露和辞典には記載されていないが、最新版のアカデミー版露露には載っている。会話では使わないかもしれないが、ロシア文学を読む時など、露文解釈では役に立つ時もあろう。
この場合のбылоは一旦開始された行為の中止ではなく、被動形動詞過去ないしは能動形動詞過去との組み合わせで、動作や状態が一定の時間続いたという意味を示す。

(一旦止んだ雨が突如また降り出した)Прекратившийся было дождь вдруг снова полил.

出題)「何かあったら、俺のことは知らないということにしてくれ。いいな?」をロシア語にせよ。

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2013年09月29日

●続和文解釈入門第229回

ロシア語には時制の一致がないと書いたが、誤解の元なので、訂正しておく。時制の一致がないのは間接話法(伝達話法)に関してである。第197回の本文も合わせて参照願う。
 говорить/сказать(話す), объявлять/объявить(宣言する), отвечать/ответить(答える), сообщать/сообщить(伝える), спрашивать/спросить(尋ねる)などの動詞が間接話法で用いられる場合には、英語のような時制の一致がないと考えられている。

発話時を基準にする時制を絶対時制と呼ぶ。これまで挙げてきた文例で単文であれば、ほとんどは絶対時制である。ただ間接話法における従属節の述語動詞の時制は、英語のように主節の動詞の時制にはこだわらず、その点では日本語に似ている。

a) 従属節の述語が現在のときは、主節と従属節の二つの行為が同時に起こっている事を示す。従属節の和訳が「仕事がうまくいっていることを」のとき、主節の訳は下記の通りである。

(手紙で彼は伝える)В своём письме он сообщает, что дела идут хорошо.
(手紙で彼は知らせた)В своём письме он сообщил что дела идут хорошо.
(手紙で知らせる事になる)В своём письме он сообщит, что дела идут хорошо.

b) 従属節の述語が過去のときは、従属節の行為が主節の行為に先駆けて行われる事を示す。従属節の和訳が「彼はもう仕事を終えた」のとき主節の訳は下記の通りである。

(手紙で彼は伝える)В своём письме он сообщает, что работа уже закончена.
(手紙で彼は知らせた)В своём письме он сообщил чторабота уже закончена.
(手紙で知らせる事になる)В своём письме он сообщит, чторабота уже закончена.

c) 従属節の述語が未来のときは、従属節の行為が主節の行為の後に起こる事を示す。従属節の和訳が「彼はすぐに仕事を終える」のとき主節の訳は下記の通りである。

(手紙で彼は伝える)В своём письме он сообщает, что он скоро закончит свою работу.
(手紙で彼は知らせた)В своём письме он сообщил что он скоро закончит свою работу.
(手紙で知らせる事になる)В своём письме он сообщит, что он скоро закончит свою работу.

 一方日本語には間接話法以外にも、従属複文で時制の一致がないように感じられるものもある。日本語の、
「他の能力は必要がないので退化した」は結果の現存であり、ヴィヴィッドに感じさせる用法なのかもしれない。
「他の能力は必要がなかったので退化した」はアオリスト的用法、ないしは確言(確述)の用法とも解釈できる。

 ロシア語では実際の発話の時制に従う。つまりこの短文においては「必要がない」が時間的に先行し、その後「退化した」わけであり、その逆ではない。

 日本語で書かれているロシア語文法書にはこの間接話法で時制の一致がないということに関する記述はないように思う。これは露文解釈を前提としているからとしか思えない。こういうのは盲点であり、英語で書かれたロシア語の参考書を読むと、このような点を克服できると思う。和文露訳をする上では、実際の発話の時制、相対時制も含めて考えないと、正しい訳ができないと考える。

出題)「皆と同じに試験を受けなければいけない」をロシア語にせよ。

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2013年09月30日

●続和文解釈入門第230回

идтиというのは、文脈によって「行く」とも「来る」とも訳せる。Иди отсюда.(あっちに行け)だが、「こっちに来いCome here.」はИди сюда.と訳す。ところで、この後の文を使って命令法での体の違いをよく表すと思う例を挙げて見る。これは「今すぐという切迫性」を示すので不完了体命令形が来るが、これに日時を限定して、例えば、「明日ここに来い」とすれば、Приди сюда завтра.と完了体命令形となり、これは私が主張する「完了体は時間軸の特定かつ不動の一点での動作をイメージする」という説と一致するし、Приходи сюда завтра.と不完了体命令形にすれば、明日中に来てという勧誘の用法となる。

 приходиが切迫感の用法で使いにくいのは、この動詞が基本的に到着する動作の反復しか表せないということにある。勧誘で使う分には、回数も、またいつなのか特定しなくてよいということになり、придиだと、時間軸の不動の一点ということになり、会議や商談などを除いて、日常会話で使うには時間的なゆとりがなさすぎるということになる。

出題)「人にも笑われ、後ろ指を指されることになりますよ」をロシア語にせよ。

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2013年10月01日

●続和文解釈入門第231回

(「調べようか?」と俺はヴィーチカに尋ねた)Проверим? – спросил я у Витьки.
(「俺がもう調べた」とサーシカが言った)Я уже проверял – сказал Сашка.

 二番目の文は既知の動作(動作の有無)の確認であり、動詞の語義については最初の文で明示されている以上、二つ目の文では動作がなされたことだけを述べているため、強めに発音したり、イントネーションを変えるなどして強調のニュアンスを出す場合が多い。

(「その時に申請すべきだった」と彼は言った)Надо было заявить тогда же, – сказал он.
(「申請したさ」)Я заявлял.

 フォーサイス先生は不完了体が上の文において非常に強い論理的強調性を帯びていると述べておられるが、語義そのものではなく、動作があったことを強調しているということになる。

出題)「一度彼は溺れて死にかけた」をロシア語にせよ。

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2013年10月02日

●続和文解釈入門第232回

体の用法における完了体未来形の完遂の用法について突きつめて考えた結果、完了体の定義に若干手を入れることにした。
「完了体は話し手が動作の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点をイメージする」に変更する。ゆえに、完了体未来形の完遂の用法においても、動作の達成(完遂)をイメージするということ自体が、意識しても、しなくても自動的に時間軸の特定かつ不動の一点を特定することにつながることになる。始発の動詞について言えば動作の開始イコール動作の達成(完遂)ということである。

出題)「私が裁判費用すべてを負担する」をロシア語にせよ。

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2013年10月03日

●続和文解釈入門第233回

『新訂和文露訳入門』に下記追記したい。
7-1-1 志向

 7-1項の不完了体動詞群は目的や対象に対する志向(~しようとしている)を示し、動作の完遂を示さない用法であり、умиратьのように完遂を目指す過程だけの用法、過程と反復を組み合わせたもの、даватьのように反復では使えるが、過程では使えないという動詞がある。過程(2-1-4項参照)や継続の用法(2-1-7項や3-1-3項参照)に似ているが、志向の用法には終着点があるか、暗示されているが、それらにはない。また予定の用法(4-1-2項参照)には反復の意味がないのが志向の用法との違いである。未来の時制では不完了体未来形が文脈によるのでなければ具体的な1回の行為を扱いにくいため、反復の用法と区別しにくい。

(私たちは通りを〔車で〕走っている)Мы едем по улице. <過程>
(私たちは浅草に〔車で〕行く)Мы едем в Асакса. <予定、ないしは志向>

 上記の文では同じедем(車で行く)という過程の動詞が、в Асакса(浅草に)という状況語がつくことで、浅草が終着点となり、志向のニュアンスをもつことになるが、ехать自体の語義に志向の意味はない。本項で問題にしている志向の動詞というのは、語義自体に終着点を目指す志向が含まれているものである。умирать(死ぬ)という不完了体動詞は、どの生物もいつかは死ぬわけであり、Он умирает.という文は、単に死の過程を示しているというよりは、死へ向かっていることを意味している。7-1項の不完了体動詞群はこのような志向の意味を担っており、умиратьは1度の過程だが、この動詞群の他の動詞は、動作を反復して、目的に到達しようという動作を示すものも多い。

(私たちは彼を捕まえようとしたが、だめだった)Мы ловили его, но не поймали. <反復も含まれる>
(長いこと追いつこうとして、ついに追いついた)Долго догонял и наконец догнал. <反復も含まれる>
(一度彼は溺れて死にかけたことがある)Раз он тонул, погибал.
(もう1時間も彼女をつかまえようとしているが、ずっと話し中だ)Я уже час её добиваюсь, но всё время занято. <反復も含まれる>
(彼は苦しみはしまいが、死ぬのに長い時間がかかる。)Он будет умирать долго, но без мучений.

出題)「彼が忘れるのはもう3度目だ」をロシア語にせよ。

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2013年10月04日

●続和文解釈入門第234回

『新訂和文露訳入門』の2-2-1-3項にある創作者としての資格に関連して、もう少し説明しておきたい。下記はすべて正しい露文だが、ニュアンスが違う。完了体過去形の方は、アオリスト的用法で、過去の明確なある時点で動作がなされたという事を示し、作品が現在に残れば結果の存続という解釈も可能である。これは文の焦点が動詞にあるということを意味する。一方不完了体は疑問詞に文の焦点があり、動作の有無の確認ということで不完了体過去形が来ている。『カラマーゾフの兄弟』にしろ、『戦争と平和』にしろ、有名な文学作品と知っている人は、何らかの思い入れがあり、主観的ニュアンスを帯びて完了体過去形を用いるが、そういう人は少数派であろう。いい悪いは別にして、ロシア文学なんかよりもファッションやコンピューターの方に関心がある人の方がはるかに多いはずだ。そのような人たちにとっては、『戦争と平和』など聞いたこともなく、これらが書名であるかどうかすら怪しい人にとっては、これらは名作ではなく、単なる「もの(ないしは、記号)」に過ぎない。そうであれば、「昼ごはん食べましたか?Вы обедали?」と同じレベルで、主観的ニュアンスがない不完了体過去形の動作の有無の確認を選ぶことになる。つまりこのように話し手の文の見方によって体の用法が決まる場合も多々ある。一般的に言えば、自分が書いたメールも含めて、文学作品のような話し手が主観的に思い入れのある作品に関しては、創作者の資格(アオリスト的用法であり、結果の存続の用法でもある)として、完了体過去形が使われると言える。

(長編小説『カラマーゾフの兄弟』を書いたのはだれですか?)Кто написал роман «Братья Карамазовы»? <話し手が名作と理解している場合>
(『戦争と平和』を書いたのは誰ですか?)Кто писал «Войну и мир»? <話し手が名作かどうか知らないか、関心がない場合>
(『戦争と平和』を書いたのはトルストイです)Толстой писал «Войну и мир». <同上>
(この映画の監督は誰ですか?)Кто снимал этот фильм? <同上>

出題)「彼はどの位置からでも(バスケット)リングにボールを放った」をロシア語にせよ。

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2013年10月05日

●続和文解釈入門第235回

『新訂和文露訳入門』6-1-4項の動作の開始(促し)・継続・終了に下記追記する。
運動の動詞(接頭辞のつく運動の動詞も含む)の後に続くのも、不完了体不定形が多い。これも始発のニュアンスがあるからだと考えれば分かりやすい。

(服を着に行くよ)Пойду одеваться.
(彼は別れのあいさつのために車に近寄った)Он подошёл к машине прощаться.

 上記の不定形も目的であるが、чтобыの後では、運動の動詞の動きと目的を別々に強調するという点から完了体不定形が来る。これに似た用法として、8-2-5項が参考となる。

(この忌まわしい牝馬を売るために出かける)Я еду, чтобы продать эту проклятую кобылу.

出題)「もう一度お邪魔しなければならなくなっても、悪く思わないでください」をロシア語にせよ。

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2013年10月06日

●続和文解釈入門第236回

前回の「悪く思うな、悪く思わないでください」の露訳については、きまり文句のようなもので、次のように、完了体と不完了体の両方があるが、違いはあるのだろうか?
<完了体の例>
Прошу не взыскать.(*= не взыщите = только без обиды = не осудите)
Нас не обессудьте, в этом не обессудьте.
Виноват, не попомните.(ごめん、悪く思わないで)
Я возьму, чтобы не раздражать вас.(あなたが悪く思わないよう私が取りましょう)

<不完了体の例>
Не поминайте меня лихом.(私のことを悪く思わないで)
Не держи зла на этих.(奴らのことを悪く思わないで)
Не думайте про меня плохо.(私の事を悪く思わないで)

完了体のНе обессудь(те) はアカデミー版露露の説明では、просьба проявить снисхождение, не отнеситесь слишком строгоであり、不完了体のНе поминай(те) лихомはВспоминая, не думай(те) плохо о ком, чём-либоということであり、このことから完了体は体の本質を踏まえて具体的な1回の行為に用いられるということが分かる。一方、不完了体の方は動作の否定の命令だから、いつも、一般的に、動作がなかったことにしてほしいという意味である。そのため前回のように、具体的な文脈では完了体の方を使わざるを得ないということになる。

出題)「どうして私を殺そうとするのですか?」をロシア語にせよ。

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2013年10月07日

●続和文解釈入門第237回

 マリーニナМарининаのミステリー『他人の仮面Чужая маска』の中に、歴史的現在を用いて、偶発的反復(完了体未来形)と規則的反復(不完了体現在形)が一つの文脈で出てくる例文があるので紹介する。

(本当のところ古書保管部での仕事は多くないし、給料もこれっぽっちよ。でも私いつもアルバイトしていたの。出社するときは、すべての書類を整理したり、ファイルにとじたりしたり、勝手に座って編物をしていたわ)В архиве работы немного, правда, и зарплата крошечная, но я всегда подрабатывала. Приду, все бумажки в порядок приведу, журналы заполню, папки подшью – и сижу себе, вяжу. <座って編物をするというのは常にしていた動作だが、それ以外の動作は偶発的(例示的用法)であることが分かる。それ以外のПриду以下が偶発的動作だというのは毎日の出勤ではなく、出社した時はというニュアンス>

出題)「約束したことは守る」をロシア語にせよ。

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2013年10月08日

●続和文解釈入門第238回

不本意と嫌気・不適切を混同していたようなので訂正する。不本意というのは『新訂和文露訳入門』6-2-6-3項のように完了体不定形を用いるもので、「~するにしても、それは本意ではない」という意味で例示的用法であり、嫌気・不適切は「したくない、するべきではない」という意味で、不完了体不定形が来る。第205回の出題も嫌気・不適切の例である。
леньには述語的用法があり、意味はне хочется, нет желанияで、まさしく嫌気そのものだが、不完了体不定形のみならず、例示的用法として完了体不定形を取ることもある。

(彼は話すのも、聞くのも、見るのも嫌だった)Говорить ему было лень, слушать лень, смотреть лень.
(その場所から動くのも嫌だ)Лень с места сдвинуться. <仮に動くとしてもという例示的ニュアンスがあるので完了体不定形が来ている>

出題)「ポンプステーション内でガス漏れが検知された」をロシア語にせよ。

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2013年10月09日

●続和文解釈入門第239回

〔выполнять/выполнитьの後にчто以下の節が来ないとロンさんやゴさんへの第237回の回答に書きましたが、Russian verbs in speech, Merzon/Pyatetskaya, Russky Yazyk, 1983を読み直しましたら、Я выполнил всё, что наметил на эту неделю.(今週やろうとしていたことはすべてやった)という例文が挙げてあり、то, что(тоは省略不可)やвсё, чтоという節は可能であるとあるのを見つけました。間違ったコメントをお詫びすると同時に、コメントは訂正しましたので、ご一読ください〕

(昼食を取ったら、すぐにもどれ)Пообедай и сейчас же возвращайся. <切迫感>

上の文でその前の文と同じсейчас жеという、あたかも時間を示す語句があるのに、不完了体命令形が続くのは、私の唱える説「不完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点をイメージしない」と矛盾すると思われるかもしれない。сейчас жеは「今すぐ」という意味であって、今というこの瞬間を示していない。仮に示しているとしたら、今というこの瞬間は常に動いているわけで、不動の一点ではないから問題ないし、今を広く解釈して、一瞬後のいつかとすれば、1分後か、2分後か、はたまた10分後か知らないが、特定できない以上不動の一点ではないことは明らかである。そのため不完了体が用いられても問題は生じない。この用法は命令法の切迫感か動作の様態の強調、ないしは両方合わさったものであろう。次の完了体命令形の例文と比較してほしい。

(この通知はメールで届いた。すぐ返事を用意しなさい)Это сообщение получили по электронной почте. Срочно подготовьте ответ! <Срочноが来ているのに完了体命令形が来ているのは、新規の情報だからである。切迫感の用法は動作が行われるのが周囲の状況において自然であるという前提が必要>

出題)「前菜は何がありますか?」をロシア語にせよ。

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2013年10月10日

●続和文解釈入門第240回

拙著『新訂和文露訳入門』を訂正したので、ご紹介する。
6-2-6-3 遺憾・不本意 → не + 完了体不定形

 「~したい」というのは主観的動作であり、完了体不定形がつくのが一般的である。その否定形не захотеть、не хотетьやне хотетьсяは「~することを欲しない」ということで、主観的ニュアンスの否定であり、嫌気(6-1-8項)のように不完了体不定形が来るのが普通である。ところが、同じ「~したくない」でも、動作が終了してしまえば、過去の時制では遺憾の意や不本意というニュアンスになる。これは「~するにしても、それは本意ではなかった」というように例示的であり、またそれが主観的ニュアンスであるため、完了体不定形が用いられる。

(騙すつもりはなかったんだ)Я не хотел обмануть вас.
(あなたを怒らせるつもりはなかった)Мне не хотелось вас обидеть.

 条件法でも使われる。

(遅れたくなければ、急げ)Если ты не хочешь опоздать, поторопись.
(寝坊したくなければ、目覚ましをかけなさい)Если вы не хотите проспать, заведите будильник.

 ここから発展して非難の意味にもなる。

(私と口を聞くのも、話を聞こうとするのも嫌なんですね)Вы не хотите даже поговорить со мной, даже выслушать меня.

 стремиться(目指す)、стараться(~に努める)、думать(思う)、предполагать(予定する)+ не + 完了体不定形も、不本意や遺憾という主観的ニュアンスがある。しかし、не + 不完了体不定形ならそういうニュアンスはないということになる。

(うっかりして〔他〕人の感情に障らないように努めている)Стараюсь не задеть чувств другого.
(空き巣の多くは警察が「お宮(迷宮)入り」を避けるために受け付けない。それらは警察の統計を大いに損ねるからである)Большинство квартирных краж милиция старается не регистрировать во избежание "висяков" - они изрядно подмачивают милицейскую статистику. <不完了体不定形の否定>

 不定形の動詞の語義によって、遺憾のニュアンスとなるのか、切迫のニュアンスとなるのかが決まっているように思われる。

(それを思い出さないのはよくないことだった)Грешно было о ней не вспомнить. <遺憾>
(捨てるのは惜しい)Жаль выбросить. <遺憾>
(彼と別れるのは残念だ)Жаль с ним расставаться. <切迫>
(立ち去るのは残念だ)Жалко уезжать. <切迫>

出題)「彼は古い小説から抜け出たよう(な人)である」をロシア語にせよ。

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2013年10月11日

●続和文解釈入門第241回

「行って来る」は不定動詞や接頭辞のついた運動の動詞でも表現できるが、過去の時制が一般的で、未来の時制の例は少ない。

不定動詞の未来形も使えるが、これだと「すぐに行く」というようなニュアンスはない。

(タクシーの金がないなら、バスで行って来よう)Раз нет денег на такси, будем ездить на автобусе. <文の焦点は行くという動作ではなく、交通手段にある>

 しかし、時間が限定されると、不完了体は使えない。

(彼は10分で新聞を取りに行って来た)Он сходил за газетой за 10 минут.

出題)「お客様は神様です」をロシア語にせよ。

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2013年10月12日

●続和文解釈入門第242回

ウェード先生のA comprehensive Russian grammer読んでいたら、部分生格のところで、次のような例文を見つけた。

(彼はちょっと水を飲んだ)Он выпил молока. <He drank some milk.>
(彼はその水を飲み干した)Он выпил молоко. <He drank the milk.>
(彼は水を飲んだ)Он пил воду.
(彼は〔何度も〕水を飲んだ)Он выпивал воду.
(彼は水をコップ1杯飲んだ)Он выпил стакан воды.

 上から二つ目の文については原求作先生が『ロシア文法の要点』(水声社)の42ページで、〔Он выпил воды. この場合водаを生格にするのはвыпитьという動作がводаという「物質」の「一部」に及んだからです。たとえば、コップの中にある水を全て飲み干したとしても、やはり、водаはという名詞は、「コップの中に入っている水」を表しているのではなくて、「水一般」という抽象的な物質をさしている、という意識があるからです。だからОн выпил воды.というときには、「コップの中に入っている水の一部を飲み干した」という意味ではなく、「水という抽象的な物質の一部を飲み干した」という意識が働いています〕と述べておられ、45ページに〔выпитьやиспитьとか接頭辞をもっていれば部分生格を使いますが、接頭辞のない場合は対格になります〕とある。個人的には原先生の説明の方が納得がいくが、語結合辞典ではвыпить что: (о жидкости液体に関して) ~ воду, чай, молоко, квас, пиво, вино, водку, коктейль, пуншとあり、部分生格の例としてвыпить (только сов完了体のみ) чего: ~воды, чая, молока, пива, винаという例が挙げられている。現実的には部分生格で使う方が多いのだろうが、対象全部を飲む場合には対格を使えということのようだ。
「食べる」の場合は、不完了体はесть что: (о пище食べ物に関して) ~ суп, мясоと、対格がそのまま補語になり、完了体の方もсъесть что: яблоко; целое яблоко, всё яблоко, тарелку чего-либо (щей), порцию чего-либоと対格であるが、поесть は語義からしてпоесть супа/супуのように部分生格しか来ないようである。

出題)「彼女には虫唾が走る」をロシア語にせよ。

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2013年10月13日

●続和文解釈入門第243回

 不完了体過去形の否定は動作が起こらなかったことを示し、完了体過去形の否定は、動作が始まったが完遂していないか、結果が出ていないことを示す。これは『新訂露文和訳入門』2-1-2-2項の追加であり、3-1-8項の動作の否定や4-2-1項を参照のこと。

(どうしてスイカを売らなかったのですか?)Почему вы не продавали арбузы? <スイカをもって来ていなかったから>
(どうしてスイカを売り切らなかったのですか?)Почему вы не продали арбузы? <熟れていないスイカが売れ残ったから>
(この本が見つからなかった)Я не нашёл эту книгу.

出題)「彼とは関わりにならない方がよい」をロシア語にせよ。

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2013年10月14日

●続和文解釈入門第244回

一般的にアオリスト的用法で完了体過去形と共に用いられるвдруг(突如)、неожиданно(不意に)、внезапно(突然)、сразу(すぐ)、сразу же(すぐに)、мгновенно(瞬間的に)、вмиг(一瞬)、немедленно(ただちに)、и вот(その結果ほら)、и тогда(そのときに)、и тут(その瞬間)、наконец(ついに)も、下記のように動作の反復の意味の不完了体と共に用いられることがあるので注意が必要である。

(ユーモラスな短編用に題辞が必要になった時は、すぐにクルィローフの小冊子からすぐに見つけたものだ)Когда мне нужен был эпиграф для юмористического рассказа, я сразу же находил его в томике И. А. Крылова.

出題)「彼は(いつも)人の一歩先を行っていた(比ゆ的に)」をロシア語にせよ。

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2013年10月15日

●続和文解釈入門第245回

 和文解釈入門の最初の頃に出題した、次のような会話における不完了体過去形は、英語の代動詞の用法に似ている。語義は最初の文で分かっているのだから、語義よりも動作をというものである。代動詞というのは、Do you have a pen? – Yes, I do.におけるI doのdoである。

「このバッグ買ったの」- Я купила эту сумочку.
「どこで買ったの?」- Где ты её покупала?

 ロシア語のделатьは複合動詞としても使われるが、代動詞としての用法はない。下記の例は「任された(意図する)ことを遂行する」という意味であり、新規の情報が含まれているので完了体動詞過去形になっている。организоватьの過去形は完了体のみであり、順次的用法ととらえることができる。

(私たちはプーシュキンゆかりの地の観光をアレンジした。これは外国人学生の要望で行った)Мы организовали экскурсию по пушкинстким местам. Мы это сделали по поросьбе студентов-иностранцев.

出題)「これについては僕は彼にかなわない」をロシア語にせよ。

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2013年10月16日

●続和文解釈入門第246回

どの宗教でも善悪はあり、人を殺す事は悪いことである。人は善をなさなければならず、悪を為すのは悪人か悪魔のはずである。そこで思うのだが、悪魔は悪だけを為さねばならないのだろうか?そうであれば、悪魔という生業も大変である。まず善とは何かという事を理解して、不善の中の悪を規定し、その枠内で悪事をしなければならないことになるからだ。しかし、世に言う悪魔、悪人というのはそうではあるまい。私は悪魔は何をしてもいいと感じているから悪魔なのではないかと思う。つまり善とか悪とかの区別をしないのである。だから気分次第では善事もするというのが悪魔であるはずだ。考え方としてはアナーキズムに近いが、無政府主義は私の理解では、まずすべてを破壊して後、一切の権力や強制を否定し、個人の自由を拘束することのない社会を実現しようというのだから、これとも違う。悪魔は世界の破滅を望んでいるとか、究極的に世界をよくするとか、悪くするとかには全く関心がないのである。悪魔は結果を全く顧みずに行動するのだと思う。神は秩序そのものだと考えると、悪魔は無秩序ということになり、どの宗教宗派でも無秩序を嫌うというのは理解できる。

 殺人はどの宗教でも禁じられているはずなのに、世界中で宗教がらみで殺人が絶えないのは、善を為すのはその宗教、その宗派内だけに限られているからである。他の宗教の人を助けることはあるが、幸福になるため、あるいは人が救われるためのの唯一の道である自派に取りこむ、つまり正しい教えを伝えるためだからである。ここに一神教には異教徒は悪魔と同じという極端な考え方が発生する素地がある。善を為そうとすることが、必ずしも善につながらないのは、ロシア語でも地獄への道は善意で敷き詰められているБлагими (добрыми) намерениями ад вымощен.という言葉でも分かる。日本の神道は神仏習合ということもあるように、廃仏毀釈ということは何度かあったかもしれないが、基本的に他の宗教を受け入れるという考え方だから、このような考え方は欧米の人には理解しにくいと思われる。明治時代に日本に来た旅行家バード女史も敬虔なキリスト教徒であり、日本もキリスト教を受容しなければならないと考えていたが、ロンドンなどに比べ、日本人は邪教で暮らしている割には、秩序があり、犯罪が少ないと驚いている節がある。神道も仏教も多神教というとらえ方ができるが、一神教であるはずのキリスト教でも特にマリアを尊崇する人たちや、聖ニコラスを拝む人などがあるように、庶民のレベルではあまり変わらないように思われる。

出題)「どこに何があるか、そもそもあるのかをいつも精確に知っているとは限らない」をロシア語にせよ。

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2013年10月17日

●続和文解釈入門第247回

2013年の6月末に『新訂和文露訳入門』を上梓したが、このコーナでの投稿をチェックするうちに、反復の命令、動作の否定、志向や切迫感、不定法の項目の説明に不備や不満があったのと、通訳やガイドをする上でより実践的に、どの状況語ならこの用法の体を使うというような、体の使い分けの目安を付け加えたり、もっと分かりやすい例文に差し替えたりした方がよいのではと考えるようになった。また新訂版以降今日までこのコーナーの本文に書いた文法に関する雑文を次の版に反映させたいという気持ちもあり、変更したり、削除したり、書き加えていったら、463ページになってしまった。3ヵ月半で70ページくらい増えた勘定になる。今のところ本質的に訂正しなければならないようなところはないので、三訂版を出すかどうかは分からないが、体もやればやるほど、きりがないなという気はする。

 最近インターネットで1部(1冊)からでも製本してくれるところを見つけたので、三訂版463ページを20部くらい製本で出すとして、その見積もりを頼んだら、1部(1冊)3千円くらいかかる上、送料を考えると、3,500円ぐらいになってしまうという。初版ではないので、買ってくれそうな人を10人や20人見つけられる可能性もなく、現状では無理のようなのであきらめた。それに新訂版を出して以降の新しい知見については、まとまりがないとはいえ、その都度このコーナーの本文で発表していることもあり、電子書籍で三訂版を出す意義があるのかもよく分からないので検討中である。

出題)「そのときもそれが分からなかったし、今に至るも理解できないわ」をロシア語にせよ。

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2013年10月18日

●続和文解釈入門第248回

和文露訳の参考書に求められるものは、総花的なものではない。中級や上級の文法書は初級の文法書の記述をそのまま繰り返す必要はない。著者が学習者の理解が難しいと思うところに焦点を当てて解説すればよいのである。そういう意味では、『現代ロシア語文法』(城田俊、東洋書店)や『ロシア語文法便覧』(宇多文雄、東洋書店)は初級・中級混淆の文法書であり、『ロシア文学観賞ハンドブック』(中沢敦夫、群像社)は露文解釈用に徹しているとはいえ、上級用の文法書である。たとえて言えば、会話での和文露訳では、被動形動詞過去短語尾について完璧に理解することは重要だが、他の形動詞や副動詞については露文解釈ほどで重要ではない。必要に応じて文法の本を読めばよい。しかし、体の用法については、上記の参考書では記述が不十分である。少なくともA Comprehensive Russian Grammar, Terence Wade, Wiley-Blackwell, 2011やA grammer of aspect, Forsyth, Cambridge University Press, 1970は読みこむ必要があると思われる。余裕があれば、『ロシア語動詞 体の用法』(ラスードヴァРассудова、磯谷孝訳編、吾妻書房)に進めばよいのである。

出題)「家中忘れないよう紙をぶら下げておくよ」をロシア語にせよ。

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2013年10月19日

●続和文解釈入門第249回

日本語の手には腕、手首、手のひら、手の指という意味があり、ロシア語のрукаは腕の関節から指の先までという意味がある。しかし、腕と手の区別が前置詞で分かることがある。

(彼らを腕を組んで散歩した)Они прогливаются под руку.
(彼を両脇で支えた)Его поддерживали под руки.
(私はイーンカの手を取った)Я взял Инку за руку.

 他にも、в руке, в рукахなら「手(のひら)に」だし、на руке, на рукахなら「腕に」という意味になる。
с карандашом в руках(手には鉛筆をもって)、В правой руке держит скипетр.(右手に笏杖を持っている)
На руках она держит котёнка.(彼女は腕に子猫を抱えている)
щупая пульс на руке(手〔腕<実際は手首>〕の脈をとりながら)

出題)「誰が走るのが早いの?」をロシア語にせよ。

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2013年10月20日

●続和文解釈入門第250回

(何という苦しみ!)Что за мука!というように、что за + 主格だとばかり思っていたが、ウェード先生のロシア語文法にはこの句は格の影響を受けないとある。Век живи, век учись! である。原求作先生はчто за = какойということで、これはドイツ語からの借用表現であると『ロシア文法の要点』(原求作、水声社)で述べておられ、что за + 主格であり、次のように対格が来るのは文法的には誤りで、口語体であるとしている。что за の後には主格以外に、せいぜい対格しか例を見ないことを踏まえると、個人的には原先生の説の方が納得がいく。

(どんな本を彼女は買ったのですか?)Что за книгу она купила?

出題「家を出る時は、戸締りをしたか、窓を閉めたか、ガスを切ったかがいつも気になる」をロシア語にせよ。

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2013年10月21日

●続和文解釈入門第251回

命令法では二人称の主語をつけないが、тыやвыをつけると、命令、助言、鼓舞などに断固たる調子を加味することになる。

(いっそドアを開けたほうがいいですよ)А вы лучше открывайте дверь.

出題)「お宅の息子さん、どこの大学に行くかもう決めましたか?」をロシア語にせよ。

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2013年10月22日

●続和文解釈入門第252回

ロシア語での犬への命令の言葉を見てみると、体の用法に例外がないことが分かる。

Ап!(跳べ)、Апорт!(= Принеси, Подай持ってこい)、Дай лапу.(お手)、Ищи.(探せ)、Ко мне!(来い)、Лежать!(伏せ)、Назад!(戻れ)、На место!(居場所に戻れ)、Подай!(取ってこい)、Пиль!(〔猟犬に対し野鳥に〕飛びかかれ)、Рядом!(ヒール、飼い主の左側に、ツイテは右側に陣取ること)、Стоять!(待て)、Сидеть!(お座り)、Фас!(= Схвати! 捕まえろ)

不定形は断固たる命令を示す。不完了体不定形は、その状況下ではどの動作をするのが当然と話し手が考えていることを示す。完了体不定形は新規な動作であるから、話し手にとって恣意的な動作(聞き手にとって恣意的な動作なら不完了体)であることが、「お手」などから分かる。

出題)「ターニャが地下鉄の方へ歩いてゆくのを違うクラスの男の子が見た」をロシア語にせよ。

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2013年10月23日

●続和文解釈入門第253回

犬への命令で気になることがある。Лежать!(伏せ)、Сидеть!(お座り)は状態の動詞であるのに、動作の指示に使われている。トロエポーリスキーТроепольскийの『片耳の黒い白犬ビームБелый Бим Чёрное ухо』には、Лежать!と言われて、Бим лёг.(ビームは伏せた)とあり、Сидеть, - попросил Толик. (Бим сел)〔「お座り」とトーリクが頼んだ。(ビームはお座りした)〕とあるので、動作の意味の命令法として使われているのは間違いない。これは動作だけではなく、その動作をした後、その状態を維持せよという意味で状態の動詞が使われているのかもしれない。人間対して伏せろはЛожись.と言うが、強調すればЛежать!である。同様に、(止れ〔動くな〕)Стоять!<= прекратить движение>ということであり、警察官が犯人に対してなどのように、話し手がその場で当然取るべき動作と考えている場合には、このように不完了体が使われ、促し、または切迫感を示す。このように状態の動詞が使われると、現時点の前からこの動作が行われることが当然という意識が出て、強調の意味合いを持つ。

出題)「彼はたくさん働いた(準備に頑張った)。なぜなら日曜に大観衆の前で演説することになっていたからだ」をロシア語にせよ。

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2013年10月24日

●続和文解釈入門第254回

結果の存続という用法に、結果の現存という言葉を使いたくないのは、文字通り、この用法が必ずしも現在ということではなく、発話の時点に関係するからである。次の文は過去の時制の文であるが、発話の時点が過去であり、結果の存続の用法である。

(雨が降り出したので、我々は散歩に行くことができなった)Пошёл дождь, и мы не могли идти гулять.

出題)「彼はモスクワ国立大学を受験したが、不合格だった」をロシア語にせよ。

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2013年10月25日

●続和文解釈入門第255回

 不完了体過去形の否定は動作が全くなかったということから、思いがけない行為の断固たる否定を示す場合がある。その場合никакойのような否定の強調する語句か、否定の動詞を強いイントネーションで発話すことになる。

(あなたのものを取ってなんかいませんよ)Я не брал ваших вещей.
(私たちはいかなる電報も受け取ってなんかいません)Мы никакой телеграммы не получали.

出題)「無理に今決めても欲しいということではないのです」をロシア語にせよ。

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2013年10月26日

●続和文解釈入門第256回

頭はロシア語でголоваだが、ロシア語の方は厳密に言えば、顔と頭蓋の上部を指し、後頭部затылокは含まない。首は日本語では頸部だが、他に頭(首を切るなど)という意味もある。шеяというのはголоваとтуловище(胴体)の間で、正に首(頸部)を指すが、斬首というときには、отсечение головыとなる。загривокは首の後部で、首筋(襟首)を指す。

出題)「株は暴落している」をロシア語にせよ。

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2013年10月27日

●続和文解釈入門第257回

一人称単数形のない動詞というのがあり、そうは言っても使わなければならない状況というのが数少ないながらあるかもしれず、その時はどうするのかなと思っていたら、ウェード先生の A comprehensive Russian grammerに、その場合は言い換えればよいということで次のような例が載っていたので、ご参考までにお知らせする。

дерзить (говорю дерзости生意気な口を利く〔держатьの一人称単数形と同形になる可能性があるからだろう〕)、очутиться (могу очутиться 気がつくといるかもしれない)、победить (я смогу победить勝つことができる)、убедить (Мне удаётся его убедить. 彼を説得するのに成功する)、чудить (я не думаю чудить変な真似は考えていない)
さらに、次のような一人称やニ人称単数形が使えない動詞についても同様な発想だとのことである。течь(звучать「立て板に水のように話す」を使う)、значить (хочу сказать, хочешь сказать, означать「意味する」)

出題)「地下鉄から展示ホールへの行き方はすぐ分かりましたか?」をロシア語にせよ。

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2013年10月28日

●続和文解釈入門第258回

『新訂和文露訳入門』第1章の最初の方に若干手を入れたので、お知らせする。

 体の本質とは何かを追求していくうちに、ロシア人が無意識とは言え、どのように体の使い分けをしているのかに興味をもち、自分なりにいくつかの作業仮説を立てた。それを著者自らが収集した9万4千項目に及ぶ語彙集の例文に基づき、時制、法により体の本質について検証してきた。動作の一瞬をイメージするのであれば、イメージした瞬間の動作のイメージが固着する。動作がその一瞬に止まるのなら、その一瞬を時間軸の不動の一点でイメージすることになるが、過程のようにその一瞬にイメージが止まらないのであれば、時間軸の不動の一点にはなり得ないことになる。その動作のイメージをするのが誰かと言えば、それは話し手である。

 動作の遂行は完了体でも不完了体でも表現できるが、遂行という動作は動作の終了であるから、厳密に言えば、過去か未来であり、その時点での動作の一瞬や過程(経過)を示す事はない。過程というのは常に動作が一瞬一瞬動いているわけで、完了体が過程を示せないという事実は、

完了体は話し手が
動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点をイメージする

 ということを意味する。同様に継続を示す完了体(про-という接頭辞のついた動詞群)はあっても、継続中の動作を完了体は示せない。反復も、偶発的反復を除いて完了体は表現できない。完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点をイメージすることから、完了体には具体的、主観的(叙想的、意識的)ニュアンスが出て来る。これは、懸念、期待、動作の完了、新しい情報や事態の出現、新規の(追加的、より詳細な)動作の可能性とか、否定文では不可能、否定の強調などという、話し手の考える主観的なものを指し、具体的な1回の行為などもそうである。現在の時制では、完了体は結果の存続(現在完了)や広い意味での今(一瞬後の未来)という形でしか現在と関係を持てない。回りの状況に左右されないために、感情的には超然とした感じを受けることもある。

出題)「アガニョーク誌を取り寄せるのと買うのとどちらがいい?」をロシア語にせよ。

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2013年10月29日

●続和文解釈入門第259回

動詞の体についてはロシア語の文法書で必ず取り上げられているし、体専門の参考書まである。しかし、体の本質に関して触れているものでも、完了体と不完了体別々に特徴を挙げるのがせいぜいで、体全体の本質について扱っているものはなく、ラスードヴァРассудова О. П.先生ですら、体全体の特質について完了体と不完了体を別個に述べているにすぎない。和文露訳でも、英文露訳でもよいが、露文を作る際に体の選択をどうするかという観点で、体の本質を述べたものは皆無と言える。オッカムのカミソリの意味する「必要がないなら多くのものを定立してはならない」とか、「少数の論理でよい場合には、多数の論理を定立してはならない」、つまり、「必要以上に多面化するな。事実に則した最も単純な説こそ最善の説である」という点を踏まえて、体の本質というのはもっと単純化できるのではないかと私は考え、不完了体に共通する特質を持たないものが完了体であり、あるいはその逆であるというふうに体を全一的なものとしてとらえることができるはずだと考えた。

 ラスードヴァ先生は著書『ロシア語動詞 体の用法』(磯谷孝訳編、吾妻書房)の結論において、「完了体の主要機能は情報伝達的機能であり、不完了体の主要機能は、信号報知的機能と呼ぶことができよう。不完了体命令法によって名指される動作は、シチュエーションによって示唆される場合が一番多い」と書かれている。そのあと「実質的な情報をもたらす完了体と異なり、(不完了体)は独特な信号の役割を果たしているということができる」と一種の不完了体信号説を唱えている。それゆえ、不完了体の根源的意味は過去の時制の動作の名指し(動作の有無の確認)にあると示唆されていることはよく理解できる。『演習ロシア語動詞の体』(磯谷孝編著、吾妻書房)にスパーギスСпагис А. А.先生が「不完了動詞の主要な本質は、動作の名指しという非体的意味(体とは無関係の意味)の伝達であり、延長、未完、反復といった体の意味は不完了体の動詞そのものの中には与えられていないので、不完了体は文脈によってそれらの意味を表す」にあるのと同じである。それゆえ、『和文露訳入門』を出版するまでは、ラスードヴァ先生などの著作から「不完了体の本質が動作の名指し(動作の有無の確認)である」としたかったのであるが、動作の名指しは過去の時制が分かりやすく、現在の時制(動作の様態)、未来の時制、不定法、命令法(動作の様態)では分かりにくい。また動作の名指しには動作の遂行も含まれており、完了体の動作の完遂と紛らわしく、和文露訳の際にどう区別をつければいいか学習者には理解しにくいだろうということであきらめた。

 そこで『和文露訳入門』の初版を出した時に、体の本質を「不完了体は客観的な動作や状態を、完了体は主観的なそれを示す」とした。よく考えると、初版にある客観的、主観的というのも不適切な言葉遣いであり、新訂版を出す時に、完了体を中心に体の本質を説明できるのではないかと考えた。それが「完了体の本質は話し手が時間軸の特定かつ不動の一点での動作をイメージする」である。ラスードヴァ先生の『ロシア語動詞 体の用法』(磯谷孝訳編、吾妻書房、1975年)の過去の時制における体の用法という章の中に、「話し手の注意が、場所、時間、動作の主体に向けられている時には不完了体が必須となる」とあり、これは不完了体が文の焦点にならないことを意味している。これと完了体は過程を示さない(示せない)ということを出発点に、過去の時制におけるアオリスト的用法の時間のとらえ方を現在や未来の時制にあてはめ、体の本質の説明に時間軸という概念を導入したわけである。また個々の用法からこの体の本質の定義が検証できるようその項目に体に関する解説を加えた。

 しかし、新訂版を出してから、この定義では完了体未来形の完遂の用法での説明が心もとない事に気がついた。それと検証にあたる各章の解説部分もより分かりやすい納得がいくものにして、三訂版を出す事とし、「完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点をイメージする」と変えた。これまで時間軸の面から体の本質を説明した本はないと思う。本書では和文露訳において一番分かりにくい動詞の体を中心に説明しており、本書で動詞の体の用法が占める割合は全体の2/3あり、体の参考書と言えなくもない。

出題)「俺も今日は金に困っている」をロシア語にせよ。

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2013年10月30日

●続和文解釈入門第260回

『新訂和文露訳入門』への追加。

6-1-3-1 пробовать, пытаться, стремиться, стараться

 пробоватьとпытатьсяは「ためす」という意味での類義語だが、特に目標の設定を意味したりはしない。пробоватьはあまり深く考えずにトライしてみるという感じであり、пытатьсяは結果は分からないがやってみるということで、こちらの方が粘り強さ、熱心さが感じられる。「一生懸命やる」という意味ではочень старатьсяということになり、старатьсяよりは強意である。стремитьсяは書き言葉で「目指す」という意味であり、一般的・抽象的なニュアンスを持ち、そのためスローガンを除き命令形にはならず、対応の完了体はない。старатьсяは口語的であり、目標を設定して目標実現に努力するが、結果は分からないという意味であり、具体的、日常的動作に用い、否定の不定形がつきやすい。これらの不完了体は文脈によって、完了体動詞不定形も不完了体動詞不定形も取るが、これらの完了体попробовать、попытаться、постаратьсяには完了体動詞不定形が来ることが多い。

(時々彼はちょっと走ってみようとしたりした)Иногда он пробовал делать небольшие пробежки.
(私たちは彼を説得しようとした)Мы пытались уговорить его.
(諸民族は平和を守ろうと努めている)Народы стремятся отстоять мир.
(辞書を使わないでこのテキストを訳すようにしています)Я стараюсь перевести (переводить) этот текст без словаря. <完了体動詞不定形は具体的な一回の動作遂行を、不完了体動詞不定形は動作の継続を示す>
(細かいことにこだわらないようにしないと)Надо стараться не обращать внимания на мелочи.
(残念ながら不快な出来事が起きた。でも早く忘れるようにしなさい)К сожалению, случилась нерпиятность. Но постарайся её поскорее забыть.
(努力はしますが、保証の限りではありません)Постараемся, но не гарантируем.

出題)「僕は新聞を取っている」をロシア語にせよ。

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2013年10月31日

●続和文解釈入門第261回

『るいごプラス!』のサービスの項にも書いたが、услугаとобуслуживаниеの違いについて、より分かりやすく書いて見る。услуга他人や困った人への援助、便宜であり、医療や福祉を含み、медицинские и социальные услуги(医療及び社会的サービス)などと言う。обслуживаниеは日常的な便宜、機内、ホテルなどの接客、メンテナンスなどを指す。

Я остался доволен обслуживанием.(サービスには満足しております)

出題)「彼は猿のように木登りをする」をロシア語にせよ。

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2013年11月01日

●続和文解釈入門第262回

 ソコローフスカヤСоколовская К. А.先生によると、ロシア語で過去の時制が使われる確率は45%であり、未来の時制は8%にすぎないという。しかも未来の時制における完了体は不完了体の7倍もよく使われるというから、統計の数字だけ見れば不完了体未来形は重要でないように思われるが、その用法を究めれば、なかなか奥深い用法であることが分かるはずである。

出題)「彼(その赤ん坊)は10ヶ月のときからアンヨをしている」

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2013年11月02日

●続和文解釈入門第263回

例文というのは、出来るだけ簡にして要を得るもので、かつ当該の用法がどこまで使えるのかその限界を示すことが出来るものが最良であり、そういう例文が多ければ多いほどよい。第261回の出題も不定動詞が能力を示せるということだが、ходитьばかりでは、それしか覚えないことになる。そういう意味でこれなども限界の用法と言える。A Comprehensive Russian Grammar, Terence Wade, Wiley-Blackwell, 2011やA grammer of aspect, Forsyth, Cambridge University Pressは日本語のロシア語文法書に比べて、和文露訳に使える、そのような例文が非常に多いように思われる。拙著の『新訂和文露訳入門』もそれを目指したつもりである。

出題)授業で先生が言う「答えの分かる人?」をロシア語にせよ。

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2013年11月03日

●続和文解釈入門第264回

В чём разница?を直訳すれば、「違いはどこにあるのか?」であって、「違いは何か?」でも、「何が違いか?」でもない。日本語とロシア語で偶然発想が似た例であろう。

出題)「帰るからお勘定お願いします」をロシア語にせよ。私のコメントと回答が1日、2日遅れるかもしれませんがご容赦願います。

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●続和文解釈入門第265回

знатьを結果存続兼評価型動詞にしたが、結果存続はともかく評価の意味はないという結論に達したので、знатьを結果存続評価型動詞から外す事にした。знатьに対応の完了体がないというのも大きな理由である。それゆえ『新訂和文露訳入門』に下記を追加する。
3-1-6-2 状態の動詞と結果の存続

 この用法は被動形動詞過去の現在の時制における結果の存続の用法に意味的に非常に近い。それは次の二つの文のзапрещеноとзапрещаетсяが同義であることからも分かる。

(禁止されているもの以外はすべて許可される)Всё разрешено, за исключением того , что запрещено.
(室内のたき火厳禁)Разведение открытого огня в помещении строго запрещается.

この二つの違いは、被動形動詞過去の現在の時制の用法が動作の終了したのが、過去、ないしはたった今ということだが、不完了体動詞現在形には状態の意味であり、たった今終了したという意味はない。この動詞には遂行動詞の意味もある。
 状態の動詞がуже(すでに)との組み合わせで結果の存続を意味することがある。

(このような装置が何台御社ではすでに運転しているのですか?)Сколько таких установок вами уже эксплуатируется?
(「ママ、もう起きてるよ、起きてるってば、ママ」と言って、また寝入ってしまった)И говорил "Мам, я уже встаю, встаю, мам!" и засыпал опять.
(息子はもう独り立ちしている)Сын уже на ногах. <「息子はすでに歩けるようになっている」とも訳せる>

ужеがなくとも、それが含意されていれば、знатьのような状態や反復の動詞にも、быть осведомлённым(知らされている)という、次のような動作の起点が明確な結果存続の用法がある。

(当直の報告からどうなったかは聞いている)Из донесения дежурного я знаю, как обернулось дело.

出題)「仕事が終わったと思いこんだ」をロシア語にせよ。

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2013年11月05日

●続和文解釈入門第266回

動作を示す「なくなる」にはсойти на нет, вывестись, прекратить своё существованиеなどいろいろの言い回しがあるが、нетを使っても次のように言える。これなども状態の動詞が結果の存続にも使える例であろう。

(チョキン、チョキン、すると茎や葉っぱはなくなった)Чик-чик! - нет ботвы.

出題)「それを見た人は忘れない」をロシア語にせよ。コメントや私の回答が1日、2日遅れる可能性がありますが、悪しからず。

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2013年11月06日

●続和文解釈入門第267回

Я слушаю вас.(〔電話の応対で〕私ですが)は遂行動詞だが、Вы слышите?(〔よく〕聞こえますか?)は様態の意味の状態の動詞である。語義のみならず、動作が完遂するのかどうかにも着目して動詞を選択する必要がある。

出題)「この薬を服用すべきか、それとも飲まなくてもよいのか?」をロシア語にせよ。

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2013年11月07日

●続和文解釈入門第268回

体の用法で難しいのは、不完了体不定形、不完了体未来形、不完了体命令形である。これが完璧に分かれば、体の奥義を極めたと言ってよい。会話がうまくなりたいのであれば、露文解釈用の勉強(副動詞とか形動詞)は後回しにして、不完了体の勉強や、被動形動詞過去短語尾を優先するなど、メリハリをつけた勉強をした方が効果的である。

出題)「ミーシャが来てるよ」
「彼、私をずっと待ってくれているの?」をロシア語にせよ。

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●続和文解釈入門第269回

完了体は時間軸における不動の一点のみをイメージするため、経過を示すことができない。そのため不完了体がその役割を担わざるを得なくなったと考えられる。つまり反復も継続も不完了体が本質的に持っている用法ではなく、文脈によるのだということが言える。

出題)「うちの課ではいつもだれかが長電話をしていた」をロシア語にせよ。

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2013年11月09日

●続和文解釈入門第270回

「完了体の本質は、話し手が動作の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点をイメージする」ということから、否定文においても完了体は具体的で現実的な、直近の事柄を表現することになる。一方、不完了体は不動の一点にとらわれないわけで、そこから抽象的な、非現実的な、ある意味一般的なニュアンスを帯びることになる。

(私はその手紙を受け取っていない)Я не получил письмо.
(私はいかなる手紙を受け取らなかった)Я никакого письма не получал.

出題)「彼らはお互いの話から雪男について知った」をロシア語にせよ。

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2013年11月10日

●続和文解釈入門第271回

最近『ミレニアム』3巻(6冊)(スティーグ・ラーソン、ヘレンハルメ美穂・岩澤政利訳、早川書房)を読んだ。本書が2005年に出版されたときもタイム誌で絶賛されており、是非読みたいものだ思っていたがようやく機会ができた。作家はスウェーデンの人で、惜しくも2004年に亡くなった。本書は犯罪小説であり、謎ときは玉ねぎの皮のように重層的で、皮をむくというよりは、ざっくり切って、反対側の皮に至ってようやく作者の意図が分かるという込み入ったものである。男女二人の主人公ミカエル・ブルムクヴィストとリスペット・サランデル、特に女性の方のリスベットの性格描写が傑出しており、アスぺルガー症候群で、かつサヴァン症候群であり、そのため写真のような記憶力をもち、コンピューターに秀でている、ここまでは、テレビで放映され、映画にもなったATARUの主人公に似ているが、リスベットはいじめられても、泣き寝入りしたりすることはなく、いわゆる倍返しをする。

 私は犯罪小説が好きで、日本で今野敏の隠蔽捜査シリーズとか、ロシアではマリーニナのカーメンスカヤ捜査官シリーズも読むが、いまいちのような感じで、まだまだレベル的には欧米の作家にかなわないように思える。ロシアの犯罪小説における女性心理描写ではТ. Устиноваの方がマリーニナより明らかに上手である。最近はジェフリー・ディーヴァー、ジャック・カーリー、マイクル・コナリー、ミネット・ウオルターズ、ジェームズ・ロリンズの諸作、『尋問請負人』(マーク・アレン・スミス)など楽しみに読んでいるのだが、犯人が残虐な行為をする割には、あっけなく殺されたり、逮捕されたりで、読者としてフラストレーションがたまる。しかし『ミレニアム』は倍返しどころか、10倍返しにより犯人たちも痛い目を見るわけで、その点読後スカッとするのは請け合いである。作者が亡くなったのは本当に残念なことである。

出題)「しばらくお客様のお相手をしててね。私たちはテーブルに食事の用意をするから」をロシア語にせよ。

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●続和文解釈入門第272回

前にトロエポーリスキーТроепольскийについて書いたが、Белый Бим Чёрное ухо(片耳黒の白犬ビーム)は犬を主人公にした小説でも傑作であろう。1971年書き上げられた本だが、ソ連時代の様子を検閲に触れないよう、賄賂なども含めてそれとなく描いている。トロエポーリスキーは『ロシアのオリエンタリズム』(カルパナ・サーヘニー、袴田茂樹監修、松井秀和訳、柏書房、2000年)によれば、オリエンタリスト(東洋蔑視主義者)である作家のアスターフィエフАстафьевが、グルジア人に対し誹謗的な作品『グルジアでのタイリクアナモグリ釣り』を発表した時に、グルジア人作家代表団が抗議して退場したが、ロシア作家同盟を代表してあやまったとある。東洋蔑視はプーシキンからソルジェニーツィンまで脈々と流れているとサーへ二ーは述べており、この本も一読の価値がある。話がそれたが、犬を主人公にしたものにはウラヂーモフВладимовの『忠犬ルスラン』Верный Русланがあるが、これは収容所勤務の警察犬の末路を描いたもので、これも捨てがたい。

出題)「通りで人に文句を言われるのには我慢できない」をロシア語にせよ。

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2013年11月12日

●続和文解釈入門第273回

フォーサイス先生やボンダルコ先生は体のペア(二項対立)ではなく、体のトロイカ(トリオ)тройка (trio)<三項対立>という考え方をされている。体のトロイカ(トリオ)というのは、不完了体である本源動詞(単純動詞であるため語義が多く、口語的)、その完了体、その完了体から派生した不完了体(語義が狭く、書き言葉的で、基本的に反復の用法である)の組み合わせであり、бить - разбить - разбиватьなどが典型である。

出題)「彼はタバコを1日10本に抑えると約束した」をロシア語にせよ。

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2013年11月13日

●続和文解釈入門第274回

自分が最初にロシア語を大学で習った頃の学習法を考えると、あのときに、動作の否定や体の使い分けをちゃんと勉強できていたら、語彙を別にすれば、今のレベルには勉強を始めて10年以内に到達できたと思うととても残念である。しかし、そのころはそのような参考書はなかったし、そのような参考書全部がそろうのは90年代初めだったということを考えても、知る機会がなかったのは非常に悔しい思いがする。ラスードヴァ先生やその解説書である磯谷孝先生の参考書の本だけを頼りに体の勉強し、後は自分で例文を集めていたぐらいで、丸暗記したその例文を今見てみると、長いことどうしてこのような体を使うのだろうと思っていた疑問(だから丸暗記したのだが)が全て氷解した今思うのは、Лучше поздно, чем ничего.(遅くともないよりはまし)ということである。

出題)「電話を待っているのです。オムスクから電話があるはずなのです」をロシア語にせよ。

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2013年11月14日

●続和文解釈入門第275回

убеждатьは主語が現在の時制の一人称のとき、補語が二人称では使えないが、継続を意味するときは使える。そのためубеждатьは遂行動詞ではないことが分かる。

×Я убеждаю тебя лечь в больницу.
(入院するよう彼を説得している)Я убеждаю его лечь в больницу.
(丸1時間真剣に治療する必要性をあなたに訴えているが、説得できない)Я целый час убеждаю вас в необходимости серьёзно полечиться и никак не могу убедить. <過去から現在に至る継続兼反復>

出題)「ここから5キロのところで今日結婚式がある」をロシア語にせよ。

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2013年11月15日

●続和文解釈入門第276回

完了体の本質は動作や出来事の全一性を示すということであり、不完了体は動作の名指し(動作の有無の確認)であり、無標性немаркированностьであるということは、ヤコプソーン先生、フォーサイス先生などが多くの体の研究者が説くところである。これは特徴がないことが特徴であるとか、目立たないことで目立つというのと同じである。露文解釈をする場合はこれでよいのだろうが、会話で和文露訳をする場合の、特徴がないことが特徴であるでは体の使い分けの目印がないことになり、どうすればよいのだろうか?完了体かどうか、つまり動作の全一性だけで、完了体か不完了体かどちらを使えばよいか分かるのだろうか?Садитесь.(おかけ下さい)やВы уже обедали?(もう昼ごはんはお済みですか?)は不完了体だが、動作の全一性を示していることに変わりはない。これを例外と片づけるには、このような用法の不完了体の使用例が非常に多いので無理であろう。そこで、ロシア語会話で体の使い分けをするときには、時間軸の不動の一点をイメージすれば完了体、そうでなければ不完了体ということを考えたわけである。

出題)「2軒先に彼の娘が住んでいる」をロシア語にせよ。

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2013年11月16日

●続和文解釈入門第277回

電話をして自分の名を名乗る時に、Говорит Сато. やВас беспокоит Сато.と不完了体の現在形が来る。Сато = яだから三人称の一人称への人称転用である。名乗るという動作は発話の終了と共に終わり、相手に伝わる、だから遂行動詞なのだが、その他にも、「もしもし」と電話をした後の、あるいはそれを想定したり、省略したりしての発話なので、代動詞ということで不完了体が来ているとも言える。

出題)「トラックが道をふさいで交通の邪魔をしていた」をロシア語にせよ。

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2013年11月17日

●続和文解釈入門第278回

英語の達人松本道弘さんの著書は若いころ何冊も読んだ。氏の求道的なところに魅かれたのかもしれない。松本さんにとって英語を学ぶ上での最高の境地とは夢想の境地であり、英語か日本語か意識しないで話せるような境地のことらしい。しかし、これは子供の頃からのバイリンガルは別にして、また挨拶程度の簡単な言い回しはともかく、大人になってから外国語を始めた人には不可能であろうし、頭を使わないで、ロボットのように反射神経を鍛えるような、そのような、いわゆる無の境地を求めて、何万もの例文をただひたすら暗記するのは時間の無駄のように思える。これは無に徹せよということかもしれないが、語学は生きている人間が相手のであることを忘れてはならない。そのような暗記で20年、30年後にはほぼロシア人と同じようになれるかもしれないが、終わりの見えない勉強法であり、99%まで精度を上げることは可能だろうが、100%ロシア人と同じように話せるのかと問われたら、返事ができないだろう。何をもって100%とするのか勉強している本人にも分からないからである。

 回答がすぐ出るかどうかは別にして、どんなものにも理由があるはずだというのが私の信念であり、体の用法も例外ではないと考えている。40年以上ロシア語を勉強して、体の使い分けに関してはようやくトンネルの先の明かりが見えかけてきたように思える。我々はコンピューターではないのだから、暗記の勉強法がいつまでも続くわけもなく、理詰めに勉強した方が、勉強に飽きないし、効果の上がるのも早いと思う。

出題)「レーニンは多くの点でロシアの預言者たちとは逆である」をロシア語にせよ。

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2013年11月18日

●続和文解釈入門第279回

ある程度の歳になれば自分の仕事関係とか、自分の好きなテーマの本ばかり読むようになる。現代は忙しい人が多いので、週刊誌や漫画しか読まないとか、ニュースはネットの見出しや短い概報だけという人も多かろう。客観的に自己啓発するにはこれではいけないと思い、人がやるようなこと、NHKの朝のニュースを見たり、入社した時からずっと読売新聞を読んでいる。商社に勤めていたので上司から日経を読めとしつこく言われたが、会社のみんなが読んでいるものを金太郎飴じゃあるまいし、読んでも意味はないと思ったことと、情報を広く取るという観点から見るとと、読売はソ連時代からロシア関係に詳しいようだったのと、全国紙を2紙読むのは時間の無駄だと思っているので、上司の言うことは無視した。日本の社会では金太郎飴のような(少なくとも建前は)でないと異分子扱いされるが、出世にも興味なかったし、変人だと自覚していたから気にしなかった。ロシア語がうまくなりたかっただけで、一つの会社に一生いようとも思っていなかったから、自分を磨く方が大事だと考えていたわけである。少なくともその方が私の上司になる人はともかく、自分のほうのストレスは少ない。長い人生ストレスは少ない方がいいというのが私の考えである。また日本やロシアだけではなく、欧米やアジアの事情も客観的に知るために30歳からタイム誌を読みだして、もう30年以上になる。世界の芸能関係など興味のない分野も含めて、広告以外は全て読むことにしている。幸せとは何かを特集したりして、たまに教えられることも多い。本も読売新聞(月に1回新刊書の紹介特集がある)やタイムの書評欄が参考になる。読むかどうかは別にして、書評家の勧めるものは基本的にいいものだろうと思っている。これは自分は変人ではあると自覚しているけれど、少しでもバランスがとれるように心がけているつもりだからである。

出題)「泣けば楽になるってよ」をロシア語にせよ。

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2013年11月19日

●続和文解釈入門第280回

いつもついていない人のことを、オレーシャという作家はホフマンの小説からЕсли он ронял хлеб с маслом, то бутерброд падал у него всегда намазанной стороной на землю.(バター付パンを落とせば、いつもバターを塗った方が地面に落ちた)と比喩した。ロシアではこれをオープンサンドの法則Закон бутербродаと言い、Бутерброд падает маслом вниз.(オープンサンドはバターを下にして落ちる)ことから冗談めかして、Ситуации, когда из двух возможностей выпадает худшая.(二つの可能性のうち悪い方が起こる可能性)を指す。日本で有名なのはThe bread never falls but on its butteredside."「食パンを落とすと必ずバターが付いているほうが下」はマーフィーの法則の中の「選択的重力の法則」のであり、これはイギリス北西部ランカシャー地方の諺であるともいう。これを実験で確かめたのがロバート・マシューズで1996年イグノーベル物理学賞を受賞した。「バター・トースト」を床に落とした場合、バター面が下になる可能性は50%ではなく62%であるとのことである。さらに2013年9月3日付のイギリスのデイリーメール誌によると、英国マンチェスター・メトロポリタン大学教授のクリス・スミス博士とそのチームは、100枚のトーストをテーブルから落下させる実験を行い、トーストがバター面を下に向けて着地する確率が81%であることを突きとめた。よく考えてみると、バターを塗ればその分重くなるのだから、重い方が下になるのは理屈通りといえないこともないが、それをそのままに放置せず、実験で実証したのは科学者らしい。

出題)「彼女の年でコーヒーに慣れ親しむのは好ましくない」をロシア語にせよ。

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2013年11月20日

●続和文解釈入門第281回

投稿するかどうかにかかわらず、出題に対し回答する場合は、1~2秒で答を出すようにして、そのあと拙著『新訂和文露訳入門』なども参考にして、じっくりあらゆる方向から時間をかけて検証するとよい。その検証によって和文露訳の力がつくし、翌日(ないしは後々)その回答がもし、私の回答と違っても、納得がいけば、勉強になるだろうし、納得がいかなければ、その理由を添えて再投稿いただけば必ずコメントする。こういう2段階で和文露訳をすることが実戦で使える実力を養うことになる。

出題)「汽船はここに1回おきに停泊する」をロシア語にせよ。

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2013年11月21日

●続和文解釈入門第282回

出題)「その機械はいろいろな作業をする」をロシア語にせよ。

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2013年11月22日

●続和文解釈入門第283回

出題)「雨が降るといけないので彼女は傘をもってきた」をロシア語にせよ。

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2013年11月23日

●続和文解釈入門第284回

和文露訳をするのに最低必要な辞書や参考書を選ぶとしたら、私なら露和辞典(研究社又は岩波書店)、ロシア語文法(A comprehensive Russian grammer, Terence Wade, Wiley-Blackwell, 2011, 3rd edition)、拙著『三訂和文露訳入門』があればよいと思う。英語が不得意な人には文法書なら他に、現代ロシア語文法、城田俊、東洋書店、1993年やロシア語文法便覧、宇多文雄、東洋書店、2009年から選べばよい。和露辞典がないと言われるかもしれないが、既存の和露辞典は類義語の使い分けが書いていないし、内容的にも語数的にもプロが使えるようなものはないと思う。私のように自分で和露の語彙集(9万4千項目ある)を作るか、もっと簡便に、アルク社のサイトwww.alc.co.jpで、必要な日本語の単語を英訳して、それをヤンデックスなどの検索欄に入れ、最後にэтоなどの露語を入れておく。そうすると露訳されたサイトが表示される可能性が高い。その中から文脈を勘案して選べばよい。

 この他にあった方が便利と個人的に思う参考書は、構文に関しては拙著の『ビジネスロシア語実戦会話・応用編』(東洋書店、2007年)のⅠビジネス会話表現法や『実戦ロシア語文法』(東洋書店、2008年)を、慣用句は、『ロシア語慣用句辞典』(キム・ミネ、浅沼寛司編、東洋書店、2001年)を、諺はСловарь русских пословиц и поговорок, В. П. Жуков, Русский язык, 1991がベストだが、『諺で読み解くロシア人の人と社会』(栗原成朗、ユーラシアブックレット、東洋書店、2007年)が手に入りやすいだろう。会話集は『そのまま使える!ロシア語会話』(東洋書店、2009年)を、類義語に関しては『るいごプラス!』(DLmarket、2012年)を、熟語については、『ロシア語基本熟語500』(東洋書店、2009年)を、科学技術関係では『女性のための技術ロシア語』(電子書籍 DLmarket、2012年9月刊)を、観光案内では『観光ロシア語』(電子書籍 DLmarket、2012年9月刊)を、ビジネス関係なら『ビジネスロシア語』(東洋書店、2007年)、『ビジネスロシア語実戦会話応用編』(東洋書店、2007年)を勧める。

出題)「ガリーナ・イリイーニシナとはどういうご関係ですか?御親戚の方ですか?」をロシア語にせよ。

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2013年11月24日

●続和文解釈入門第285回

 日本語では単数と複数を特に区別はしないが、ロシア語の複数を露文和訳で強調しなければならない場合もあるだろう。その時は下記の例なども参考になろう。

(複数の事故現場で専門家たちが作業をしている)На местах катастроф работают специалисты.

出題)「被害女性の身元が割れた」をロシア語にせよ。

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2013年11月25日

●続和文解釈入門第286回

体を選択する上で、確率に頼ろうとするのは体の本質が分かっていない証拠である。フォーサイス先生でさえ、第224回に書いたように不完了体不定形の使用が多いと述べられているのは、体の使い分けでご自分が説明できないことを確率で処理しようとなさったからかもしれない。しかし、これも切迫感という不完了体の用法であり、体の本質が分かれば、ニュアンスも含めて特定の文脈に用いられる体は厳密に言えば一つしかないわけで、安易に確率に頼ろうとせず、体の本質を理解するようにした方が、結局のところ正しい和文露訳への早道である。しかし、現実の通訳では考える時間がないというのも事実であり、そういうときには確率を使わざるを得ない場面も生じるが、これとて『三訂和文露訳入門』の各用法をマスターすれば、その確率を高めることができる。

出題)「何かあったら、俺はいつでも連絡が取れるようになっているから」をロシア語にせよ。

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2013年11月26日

●続和文解釈入門第287回

「黙想する、熟考する」という意味でのдуматьには、性質を示す抽象名詞о красоте(美)、о мужестве(勇気)、о добре(善)、о зле(悪)や叙想・評価を示す抽象名詞о важности(重要性)、о необходимости(必要性)、о серьёзности(重大さ)や具象名詞о машине(車)など前置格に広範囲の具象名詞や抽象名詞が可能である。しかしながら、このような性質や評価を示す抽象名詞はЧто вы думаете о +(前置格)?という構文では共には使えない。この構文におけるдуматьは「意見をもっている」という意味である。この他に(この件についてどうお考えになりますか?)Что вы думаете по этому поводу?という表現もよく聞く。

出題)「お前のせいでみんなが苦しむことになるんだ」をロシア語にせよ。

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2013年11月27日

●続和文解釈入門第288回

выполнять, исполнять, осуществлятьは共通する意味として、「実現する」と「実行する」という意味があるが、ニュアンスの違いもあるので、説明しておく。「実行する」という意味でよく使われるのはосуществлятьであり、исполнятьは書き言葉であり、あまり使わない。

(君の願いをかなえた)Я осуществил (выполнил) твою просьбу. <要望、約束、命令を実行するという意味ではисполнятьは使えないが、夢や希望をかなえるなら3つの動詞とも使える>
(機械はいろいろな作業をする)Машина осуществляет (выполняет) различные операции. <機械が主語の時исполнятьは使えない>
(政府が各省を改組した)Правительство осуществило реорганизацию министерств. <выполнять, исполнятьは人が主語で動作を実行するという意味の述語の時には使えない>
「制御(コントロール)する」はосуществлять управление (контроль, руководство)という語結合になり、他の二つの動詞とは結びつかない。
「計画を実行する」は、выполнять (осуществлять) план (проект, программу)という語結合となり、「計算する、計測する」もвыполнять (осуществлять) расчёты, вычисления, измеренияとなる。
「実現する」という意味では、осуществлятьをよく使い、исполнятьやвыполнятьはそれほど使わないが、特にвыполнятьはあまり使われない。реализоватьはこの意味では書き言葉である。

出題)「その都市を殺人鬼が徘徊している」をロシア語にせよ。

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2013年11月28日

●続和文解釈入門第289回

経験の用法は動作の有無の確認の用法から派生したと『三訂和文露訳入門』3-1-7項に書いたが、人事考課(人物考課、人物評価характеристика)の決まり文句で分かりやすい例文があったので、それを紹介しよう。

(不名誉な〔彼の名誉を棄損するような〕係累なし)Связей, порочивший его, не имел.

 不完了体過去形を使っているのは、経験の用法であり、現在の時点でどうかというのが分からない、つまり知る限り過去においてそのようなことはなかったということだけを論理的に述べているからである。これを同じ意味で被動形動詞過去短語尾を使っても同義であり、被動形動詞過去短語尾でも経験の用法が可能であるが、もっというと動作の有無の確認にも使えることが分かる。同義で、В связях, порочащих его, замечен не был.としてもよいし、В порочащих связях не замечен.でも可だが、結果の存続の用法となり、今のところというニュアンスが出る。

出題)「どなたか御屋敷で私の正体を知っている人はいらっしゃいますか?」

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2013年11月29日

●続和文解釈入門第290回

出題者が怠惰なせいで出題が短文になっているが、投稿者は自分で前後の文脈を組み立て、作り出し、解釈して、その場合はこの体を、そうでない場合にはこの体をという体の使い分けができていなければならない。与えられる設問に受け身で答えるのではなく、主体的に考えて対応しないと、いつまでたっても実戦で体が使えるようにはならない。

出題)「みなさん準備オーケーですか?みなさんチーズしてますか?(それでは)撮ってよろしいですか?」をロシア語にせよ。

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2013年11月30日

●続和文解釈入門第291回

『七カ国語をモノにした人の勉強法』(橋本洋介、祥伝社新書、2013年)を本屋で立ち読みしていたら、7カ国語にはロシア語も入っていることが分かった。どのくらいのレベルをモノにしたというのかは定かではないが、会話のみならず原書も読めるとある。著者はペテルブルグに短期留学し、後はロシア語を聞いて覚えたとあり、30歳ぐらいで、中国語の講師をなさっているというが、世の中にはすごい人もいるものだとほとほと感心した。ロシア語に関して言えば、自分の言いたいことをロシア語で伝えることができ、必要な情報をインターネットなどロシア語で知ることができるというレベルだとご自分で書いていいるから、ロシア語をマスターするという観点ではこれで良しとするレベルであろう。ただロシア語だけでいいのなら、このレベルならば勉強の方向さえ間違わず、真剣に適切な参考書を使って勉強すれば、日本にいても1~2年で到達できるレベルである。しかし、これはアマのレベルであって、プロのレベルではない。プロは自分ではなく、他人の言いたいことを通訳するというのが大きな違いであり、そのためには体の使い分けも含めて、アマになる勉強量の10倍ぐらいはしないと無理だ。この本はロシア語に関しては5ページくらいの分量だったので結局買わなかった。

出題)「彼氏募集中」をロシア語にせよ。

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2013年12月01日

●続和文解釈入門第292回

説明は別にして、和露辞典ではまずお目にかかれない単語というものがあり、孫の手などもそうである。説明は簡単でロシア人もすぐに理解してくれるが、1語でというならけっこう難しい。試しにザルービンの和露辞典で引いて見たら、палка с наконечником в виде руки для чесания спиныとあった。先日観光案内の仕事のときに鎌倉のお土産屋で、ある年配のロシア人のご婦人(会社の重役らしかった)に目の前の孫の手を示して用途の説明をしていたら、спиночёсでしょうと言われた。それまでは別のロシア人(これは男性)から聞いたчесалка一本やりだったから、少しはバリエーションが増えたことになる。孫の手に関しては一般人であるこのご婦人や別の男の人の方が、学者のザルービンより語の選択が適切だということになる。

出題)「はたから見れば、いつも同じことが起こっているかのよう見えるのかもしれなかった」をロシア語にせよ。

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2013年12月02日

●続和文解釈入門第293回

ロシア人観光客から、歩いて銀座や皇居に行きたいのだが、どのくらいかかるかと聞かれることがある。無論歩いて5分や10分程度なら詳しく教えるが、どうみても1時間以上はかかるようなときでもしつこく聞いてくる。そこで、方向はこの方向で、方向さえ間違わなければ1時間で着くが、道が真っすぐとは限らないと答えるとたいていはあきらめる。考えてみるとロシア語の勉強も同じで、勉強の方向さえ間違わなければ、読み書きや聞いたり話したりと一人で用の足せる程度のロシア語なら、1年か2年でマスターできる。問題はこの後である。プロを目指すとか、ロシア語を極めようと思うならば、露文の独りよがりの解釈はいけない。語彙でも体の使い分けでも必ず例文で裏付けを取るような心構えが必要である。

出題)「温度の低下をその溶液の使用に結びつけて考えていますか?」をロシア語にせよ。

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2013年12月03日

●続和文解釈入門第294回

ロシア語における体の使い分けというのも初めからできたわけではあるまい。徐々に今のような形になったのではあろうが、そのうちに法則性ができ、完了体、不完了体の本質というのが完成されたと思われる。ロシア人は無意識のうちに体の使い分けをしているはずで、40年かけて私が集めた多くの例文から判断して、その基準が動作の完了か、そうではないというような単純なものではなく、完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点をイメージするというものだと結論付けたわけである。

出題)「彼女はその作文を一番初めに読んだ」をロシア語にせよ。

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2013年12月04日

●続和文解釈入門第295回

拙著『ロシア奇譚』でロシアの犯罪エリートであるヴォールвор в законеについて、その成り立ちを含めての小史(稗史)を書いた。ヴォールは1930年代初めに多分ウラジーミル中央監獄で監獄内の犯罪者の親分格のと当時の収容所トップ(フレンケリН. Френкель, 1883~1960)の合意のもとに、収容所の秩序維持、およびその見返りとして、親分たちの待遇改善のために誕生したものと思われる。強制収容所は公式には1934年から1960年まで存続したが、その前身は1930年にできており、1930年から34年の間にヴォール襲名の儀式も含めて、ヴォールが制度として確立したと私は考えている。
 『サイコパス 秘められた能力』(ケヴィン・ダットン、小林由香里訳、NHK出版、2013)によると、アメリカにもロックという集団があり、1964年カリフォルニア州のサン・クエンティン州立刑務所内で白人至上主義者によって創設されたとあり、Blood in, blood out.(入会するためには組織の示す人を殺し、死んで初めて脱会できる)であり、「何事も何者も恐れるな」という主張をもち、アメリカの刑務所で最も恐れられている集団だとのことである。長生きはできず、40前に死ぬものがほとんどだというのは40年代のヴォールの生き様と重なる。

出題)「岸の数百メートル手前で複数の小道は一本の素晴らしい道と合流した」をロシア語にせよ。

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2013年12月05日

●続和文解釈入門第296回

「~して~した」というように二つの動作が続く場合、順次的用法として、最初の動作が終わらないと、次の動作が始まらないので、そのため最初の動作には完了体過去形が来る。二つ目の動作が完遂しているなら完了体過去形を使えばいいが、ある程度時間がかかるような場合は、начатьの過去形を使うことでうまく行く場合もある。

Разом овладели туловищем дорогого гостя и начали его раскачивать.(親愛なる客人の体を奪い取り、胴上げをし始めた)
出題)「1カ月の猶予を差し上げます」をロシア語にせよ。

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2013年12月06日

●続和文解釈入門第297回

先日近くのホームセンターに靴墨を買いに行った。売り場が広いので店員に場所を聞いたら、靴墨ってなんですかと聞かれた。靴墨も若い人には廃語なのだろうかと思ったが、靴のクリームのようなもので、光沢を出したり、靴の色に合わせて、黒なら黒くしたりするものだと説明したら、一発で売り場に連れて行ってくれた。これで思うのは、通訳やガイドも同じだなということである。適切な単語が頭に思い浮かばないことはしょっちゅうだが、そういう時は適切な説明でロシア人も分かってくれる。問題なのは単語を知っていても、ロシア人の行きたい店をこちらが知らないときで、それだとガイドとして頼りないと思われるだろう。

出題)「その瞬間ぼくは(中に)入って、私たちの目は合った」をロシア語にせよ。

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2013年12月07日

●続和文解釈入門第298回

若い時から歴史が好きで、大学受験には日本史を選んだ。高校3年の時に一流大学の過去問をやってみたがまるで歯が立たない。教科書に書いてあるものとはレベルが全く違う事を痛感させられた。そこで当時出ていた1000題シリーズの『日本史1000題』という問題集を徹底的にやり、回答も暗記するように努めた。おかげで受験した大学の日本史はほぼ満点だったろうと思っている。もちろん東大は受験できるレベルではなかったので、受験しなかった。その後も歴史は大好きで、日本史や歴史に関する著作は読んできたつもりである。それゆえ『東大のディープな日本史』(相澤理、中経出版、2012年)、『東大のディープな日本史2』(相澤理、中経出版、2012年)は非常に面白かった。関白は律令に規定がなく飾り物であり、実力は左大臣が握っていたとか、秀吉は家康を完全に従えることができなかったので武家の棟梁である征夷大将軍になれなかったとかは、本書で初めて知った。しかし、高校の教科書を理解したとして、頭を使って考えれば東大の受験問題は解けるのであろうか?まず解けないだろう。本書でもさらっと書いてあるが、東大に日本史で受かるための前提条件は、東大の先生が中心になって執筆された本『詳説日本史』(山川出版社)を熟読し、マスターするということに他ならない。これ以外で受かろうと思ったら、そういう類の参考書の裏の裏まで知っている一流予備校に行くしかないということになる。本書は東大に受かりたければ、東大の教授陣が書かれた参考書を読めという、コロンブスの卵みたいなことを言っているにすぎないように思われる。

出題)「何の権利があって私にそんな口のきき方をするの?」をロシア語にせよ。

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2013年12月08日

●続和文解釈入門第299回

『三訂和文露訳入門』を上梓したばかりだが、すでに出版以降に気がついた点を『四訂和文露訳入門』として手直ししている。ただ『四訂和文露訳入門』は、よほど三訂版に間違いがあったとか、役に立つような、本質的に新たな用法が見つかったというのでなければ、今のところ出版するつもりはない。あくまでも自分の備忘録代わりである。このコーナーの第300回以降の本文に、新たな文法関係のものがあれば発表することにするので『三訂和文露訳入門』を買った人はそれを参考願う。ちなみに『新訂和文露訳入門』と『三訂和文露訳入門』の違いは、このコーナーの第138回から第289回の間に本文に書いた文法関係のものが概ね反映されている。ただ量も多いので10-18項は書き下ろしである。いくつか項目の順番が変わっていたり、内容も分かりやすいようにかなり手を入れたり、例文を追加したり、削除したりしている。

出題)「投票にかけます。反対の人?」をロシア語にせよ。

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2013年12月09日

●続和文解釈入門第300回

次の内容を『三訂和文露訳入門』3-1-4-1項の末尾に追加願う。

完了体未来形の完遂の用法で時の状況語がついているものは動作がいつか分かるが、ついていないものは一瞬後かそれ以降のどのくらい先の未来なのかが分からない。時の状況語がなければ文脈にもよるが、一瞬後と考えるのが普通である。時の状況語のない完了体未来形の完遂の用法と遂行動詞を、会話における和文露訳においてはどのように使い分けたらよいのだろう?遂行動詞は発話と共に動作が始まり、発話の終了と共に動作が終わるが、完遂の用法では動作が始まるのは早くて一瞬後である。だから、下記の(投票にかけます。反対の人?)の場合は、「投票にかけます」の後に「反対の人?」と続いているので、投票にかけるという動作は、「反対の人?」という文の前には終わっている(聞き手に伝わっている)ことになり、そのため完了体未来形の完遂の用法は使えず、次のように「投票にかけます」と言い終った瞬間に動作の終わる遂行動詞を使うことになる。完遂の用法では、「反対の人?」の前で動作が終わっていないことになる。

Ставлю на голосование! Кто против?  <会話でПоставлюと完了体未来形にするためには、голосованиеとКто против!の間をやや長めにとるか、такなどを入れる必要があると思われる>

(1カ月の猶予を与えます。その間に万事を軌道に乗せるようにしなければなりません)Мы даём вам сроку месяц.За это время вы обязаны наладить все дела. <срокуは部分生格。二つの文が続いており、二つ目の文の前では動作は終了していなければならないために、完了体未来形の完遂の用法は使えないことになる>

出題)「私たちは引っ越ししてたった3ヶ月だ」をロシア語にせよ。

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2013年12月10日

●続和文解釈入門第301回

今と言っても、「今電話があったよ」とか、「今行く」というように、日本語同様ロシア語でも、今この瞬間から時間的にある程度前後するということは何回か述べた。不完了体現在形の予定の用法は概ね近接未来の時制で使われるのだが、このような一瞬後というような近接未来では今現在から未来へと切れ目なくつながっている過程の用法と紛らわしく使いにくい。それは一瞬後の未来というのは、今この瞬間が常に未来に向かって動いているため、一瞬後には厳密な意味での現在になり、すぐに過去になってしまうということと関係がある。一方、不完了体未来形は、反復の用法はともかく、そうでなければすぐ過ぎ去るような不安定な未来ではなく、ある程度の時間の余裕が必要ということになる。一旦動作が切れて、それから別の動作を行うという意味での一瞬後の動作やそれ以降の未来の動作の完遂は完了体未来形が担う。

出題)「仕事ぶりが評価されてそのエンジニアグループは表彰された」をロシア語にせよ。

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2013年12月11日

●続和文解釈入門第302回

『三訂和文露訳入門』3-1-3-5項で現在から未来への動作(継続)について書いたが、次の文中のнемойなどもそれに相当する。これは状態(の動詞)が今現在も含めて、現在の時制で過去から現在のみならず、現在から未来への継続も示す事ができるということを意味する。つまり状態の動詞は3-1-3-3項や3-1-3-5項から分かるように、過去から現在へと動作の状態が続いており、それがさらに未来へも続いていることを暗示ないしは明示する。

(取れよ。誰も分かりはしない。俺は死人のように黙っているから。一言だって洩らすものか)Бери, никто и не узнает, я, как могила, немой, я слово не пророню.
(何かあったら、俺はいつでも連絡が取れるようになっているから)Если что - я на связи.
(チョキンでハイサヨウナラ)Чик – и нету. <нетуはнетの口語的用法>

出題)「僕はもう彼女と口をきいているよ。仲直りしたんだ」をロシア語にせよ。

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2013年12月12日

●続和文解釈入門第303回

書きたい本も書いてしまったし、閑だし、特にすることもないのでミステリー小説などを読んでいる。ノルウェーのカリン・フォッスムの『湖のほとりで』など英米以外の作家が最近面白いように思う。『六人目の少女』(ドナート・カーリッジ、早川書房、2012年)もイタリアの作家だが、舞台を特定の国にしないというのもプロット同様面白い。ただプロットが非常に入り組んでおり、犯人がスーパーマンのように捕まらないというのは気に入らない。探偵がホームズのようなものや、あまりに現実離れしているものにもついていけない。いやしくも小説を目指すなら人物の特徴の描写やユーモアやウイットのある会話というのが欠かせないと思うのだが、今流行りのミステリー小説にはプロットを残酷にすればするほど読者に受けると勘違いしているものが多い。残酷といっても結局は現実に起こっているものではないのだから慣れてしまうのだ。その点レジナルド・ヒルのダルジール警視シリーズは面白い。プロットもそれなりに読ませるが、イギリスのヨークシャーを舞台に部下のパスコー主任警部、その妻で人権活動家のエリー、ブ男でホモのウィールド部長刑事なども含めて人物設定がいい意味でリアリティーがあり、ユーモラスで楽しい。『闇の淵』を勧める。同じ作家の腕っ節や強いとか特に頭がいいわけではないが、人情もろく運にだけ恵まれたイギリスの黒人独身中年私立探偵ジョーシックススミスシリーズもユーモラスで面白い。アクションものやミステリーの主人公は基本的に皆運がいいのだから(そうでなくてはどうして結末まで生き残れよう)、それを逆手にとったようである。これらシリーズ外にも『ソ連には幽霊はいない』、『異人館』などの佳品がある。似たようなユーモア感覚が味わえるのはデンマークの作家特捜部Qシリーズぐらいだろう。作者のコッシ・エーブラ・オールスンはデンマーク人のカール・マーク警部補とその助手でシリア人アサド、秘書で多重人格者のローセというユーモアあふれた異色の組み合わせで、4作読んだが今後期待が持てる。

出題)「彼にさんづけしているのかい、それとも呼び捨てかい?」をロシア語にせよ。

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2013年12月13日

●続和文解釈入門第304回

ロシアの瓦版とか鯰絵と言えるルボークлубокを分かりやすく解説したもので代表的な本といえば、『ロシアの民衆版画Русские народные картинки』Ровинский, Тропа Троянова, 2002がある。これは1900年版の復刻で、ルボークを歴史から概観したものではベストであろう。ロシアの英雄叙事詩の主人公であるイリヤー・ムーロメツはБова-королевич(ボヴァー王子)という17~18世紀にイタリアから入ったものからプロットを取ったものだが、ルボークとしてはあまり売れず(再版数が少ないので分かる)、ボヴァー王子の方がはるかに売れたとある。この他に『ルボーク』坂内徳明、東洋書店、2006年があるが選書であり、カラー版でないために、原画について分かりにくい。またThe lubok, Aurora, 1984が17~19世紀のルボークについて原画およびその解説をしているのでこれも併せて読むとよい。

出題)「この都市には歴史博物館があると思う」をロシア語にせよ。

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2013年12月14日

●続和文解釈入門第305回

スマホというのは便利なものらしいが、私が持っているのはガラケー(ガラパゴス携帯の略で、電話やメールだけの機能の携帯、従来型とも言う)だけである。この前ガイドの時にロシア人の客からなぜスマホを持っていないのかしつこく聞かれた。ガイドを執事代わりと思っている客も多いから当然なのかもしれない。客の要望に応えるためにはスマホが必要だろうという論理である。客の喜びそうなある程度のレストランや店ならある程度は知っているし、知らなければ、ハイヤーなら運転手に、そうでなければ妻に電話してパソコンで調べてもらうと答えておいた。ガイドであれば、行くところはある程度事前に決まっているわけで、スマホで調べたとしても、その情報が新しいという保証はない。

 NHKのニュースによると主婦や働き盛りのサラリーマンにガラケーの人気が出ているという。これは料金が安いのと、スマホは機能が多すぎて間違いやすく、仕事なら電話とメールだけに絞った方が使いやすい、電池の持ちがいいということかららしい。2013年12月11日付の読売新聞朝刊によると2013年ではガラケーの市場占有率は4割であり、今後も2割から3割らしいので、個人的には一安心である。

 外出でネットサーフィンもしないし、ゲームもしないのでますますスマホを買う意味がない。将棋やチェス、チェッカーのルールは知っているし、若い時はしたこともあるが、宝くじも買わないし、競輪競馬もしない。宝くじを買わないのは、自分には当たり運がないと確信しているからである。これまでの一生を考えると、私は宝くじを買っていないのだから、その期間平均的な日本人が勝った宝くじの金額が、私の儲けと理解している。日本で1億円当たる人は毎年何人か出ることは理解できるが、それが私になるとは絶対に思えないと確信を持って言える。賭けてもいい。競馬はモスクワで見聞を広げるため、1度だけ行って予想紙を買い、馬券を買ったが外れた。なぜゲームをしないかというと、凝り症なので始めると徹底的にやらないと気が済まないたちだからだ。それと若い時から和露の語彙集を作っていて、これもある意味原始的なゲームである。語彙は増えて行くのみならず、似ているもの、訳がおかいしいと思ったものは削る。この作業に(ロシア語の本を読んで面白そうな語彙を収集する時間も入れると)今でも5~6時間かかる。だからゲームをする閑がない。このゲームは原始的ではあるが、世の中に一つしかないし、ユーザーも私一人である。そこがいい。スマホでも私の語彙集は(15.7メガバイトある)入れられそうなので、通訳するときに必要性が出てきたら買うのに吝かではない。

出題)「でも、たしかこの件について申し上げませんでしたっけ?」をロシア語にせよ。

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2013年12月15日

●続和文解釈入門第306回

和文露訳をするときに、候補の語彙(単語や語結合)をヤンデックスなどで引用符である"…"で検索してみることを勧める。"…"とすることで、"…"の中が確定し、格変化や活用が排除される。語彙数が万以上ならよく使われ、千単位ならグレーゾーン、百の単位ならあまり使われないと個人的に判断している。これはロシア人でも変なロシア語をサイトで使うのは日本人と同じだし、新語も同様だからである。それと"…"なしで検索してみることである。そうすれば頻繁に使われる語結合が出てくるはずだ。こういうテクニックを使うことで、頼りにならない和露辞典がなくとも、ある程度根気があれば、より正しい語彙にたどりつける可能性が出てくる。

出題)「寝坊したくなければ、目覚ましをかけなさい」をロシア語にせよ。

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2013年12月16日

●続和文解釈入門第307回

井本沙織の『ロシア人しか知らない本当のロシア』(日経プレミアいシリーズ、2008年)を読んだ。著者はロシア人なので、我々が知らない生のロシアを垣間見せてくれる好著である。ロシアの出生率は日本や欧州並みなのに、アルコール飲用による死亡率が高いため、平均寿命を下げているなど具体的な数字を挙げて説明している。2月23日は祖国防衛の日で、これが最近国民の祝日になったのは知っていたが、1918年2月23日ドイツに勝利した日(第一次世界大戦で)ということまでは知らなかった。著者はこの日は男性がプレゼントを受ける日ということしか書いていないが、最近のことはいざ知らず、1980年代はただの記念日であって祝日ではなかったが、この日は飲酒運転をしても捕まらないし、街には酔っ払いが多いので出歩くなとモスクワ事務所のロシア人から言われたことを思い出す。酔っ払い天国の日だったのだ。

出題)「人は二つに分かれる。一方はまず考えて、それから話したり行動したりする。もう一方はまず話したり、行動し、それから考える」をロシア語にせよ。

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2013年12月17日

●続和文解釈入門第308回

ロシアの民話は大概Жил-был в некотор государстве(昔々あるところに)で始まるが、
この終わり方が蛙姫Царевна-лягушкаのように、
Сладким потчуя вином, 甘露(酒)を口に
Много счастия желали, 幸多かれと
А они друг друга стали 二人は
Пуще прежнего любить 前にもまして慈しみ合って
И в большом согласии жить. 和合のうちに暮らすようになったとさ
というような、めでたし、めでたしならともかく、На пиру был, мёд-пиво пил, по усам текло, а в рот не попало.(その宴会に自分も出たし、蜜酒も飲み、口髭を伝ったが、口には入らなかった)と終わるのが多く、何か不自然だなと思っていた。これについては、「物語は終わった。物語の酔いを覚ませよ、皆の衆。自分もあなた方も本当のところは酔っていないのだろうけど」ということで、作者は読者に対して物語について(この喩え話に関して)よく考えて、まじめに対処しなさいという作者のメッセージであると『ロシアの民衆版画Русские народные картинки』Ровинский, Тропа Троянова, 2002にある。

出題)「国内各地の気候条件の差を考慮しなければならない」をロシア語にせよ。

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2013年12月18日

●続和文解釈入門第309回

ロシアの民衆版画であるルボークлубокの権威であるロヴィンスキーРовинскийの『ロシアの民衆版画Русские народные картинки』を読んだが、その中に、結婚相手の男と仲人のおばさんのやり取りがあって、Хочу иметь покой.(〔家には〕やすらぎ欲っす)と結婚相手の男が言うと、Так не бери никакой.(かくなる人には嫁は来ず<直訳はそんな風ではどんな嫁も取るな>)と仲人のおばさんが韻を踏んで返すところがある。このルボークは18世紀ぐらいのものらしい。

 この他にも猫の埋葬Погребение котаなど風刺的なものは古儀式派の人が作者であり、猫は古儀式派から反キリストантихристと言われたピョートル1世を指すというのは知っていたけれど、ルボークでバーバヤガー(山姥とか魔女の類)とワニとの喧嘩Драка Бабы Яги с крокодиломのワニも反キリストを指すというのは初めて知ったわけで非常に興味深い。Аника-воин(戦士アニカ)は220歳(390歳という説もある)まで生きて、多くの王や勇士を殺し、エルサレム征伐をする時に死神と出会い、ついには殺されてしまう。無敵の兵士であっても、死の前では無力であり、悲喜劇的な象徴でもある。アニカはピョートル1世時代に処刑されたヴォーログダの盗賊がもとだとも言われている。本書には最後の第14章にロシアにおける拷問の歴史があるのも一興である。

出題)「彼は来ないような気が私にはする」をロシア語にせよ。

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2013年12月19日

●続和文解釈入門第310回

このコーナーの出題に対して投稿者が正解を出そうとするのは当然だと思うが、資格試験でも、入学試験でも、学校の期末試験でもないのだから、正解だけを目指すというやり方が正しいとは思えない。ロシア語の語彙のニュアンスや体の用法をマスターし、自分のロシア語を向上させるのだということをしっかり認識する必要がある。前回кажетсяのニュアンスについては説明したが、он не придётであって、он не будет приходитьではだめなのか、その肯否や、OKであればニュアンスの差の有無、出題のニュアンスの範囲内なのかなどかを投稿者自身が検討してみることが、次につなげる自分のロシア語力を高めることになる。それをしないで、正答だけを目指しても、実戦でのロシア語を高めることにはならないし、頭を全く使わずにロシア文をただひたすら暗記するのと大差ない。別に投稿文に自分なりのニュアンスを添えよといっているのではないが、なぜその語彙や体を選択したのか、あるいはなぜ選択しなかったのかという点を理詰めに検討しないで、正答だけを目指しても、体についてなら極端に言えば丁か半かという博打をやるのと変わらない。

出題)「なんだか非常にうまく私を尋ねる側から答える側に変えようとしていますね」をロシア語にせよ。

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2013年12月20日

●続和文解釈入門第311回

『三訂和文露訳入門』2-2-1-2項で「一見その動詞が初めて出てくるのにもかかわらず、不完了体が使われることがあるが、よく文脈を見ると、すでにその動詞に関する状況設定がなされている、つまり踏み台のように、場がすでにこしらえられていることが分かる」と書いた。これは第290回の出題のように不完了体不定形を用いる場合も同様である。

(みなさん準備オーケーですか?みなさんチーズしてますか?(それでは)撮ってよろしいですか?)Все подготовились? Все улыбаются? Можно снимать?

 最初の二つの文で話し手が写真撮影をしようとしていることが分かる。これが「踏み台」であり、そのために、最後の文で切迫感(もうそろそろ)や促し(着手)の不完了体不定形が来ることになる。

出題)「沈没した船の乗組員の安否が気がかりだ」をロシア語にせよ。

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2013年12月21日

●続和文解釈入門第312回

革命前のロシアで庶民に非常に人気のあった気晴らしに殴り合いкулачные боиがある。これは昔からあったものだが、ロヴィンスキーРовинскийの『ロシアの民衆版画』によれば、1726年に7月21日付の政令に、ペテルブルグでナイフや石、メリケンサックкистениや砲丸などを使って殴り合いが起き、挙句の果てに死者まで出た。それゆえ今後は警察署長の許可のもと行うものとし、倒れたものは殴らないものとするとある。殴り合いの方法だが、モスクワ流というのがあって、これは相手を右側にくずし、同時に右足のつま先で相手の左足を何度か蹴るというもので、これにより相手は瞬時に地面に倒されるとある。これはローキックそのものではなかろうか?空手の蹴りは上足底を使うが、キックは足の甲で蹴る。空手にもつま先で蹴る方法がないではないが、突き指する可能性が高いのであまり用いられない。モスクワ流も靴を履いての技だろう。空手を喧嘩に使う際には、素足ではなく、運動靴を履いて、脱げないようにガムテープでぐるぐる巻きにするとか、拳には手ぬぐいを巻くという事を聞いたことがある。これは相手のことを思ってではなく、拳が相手の歯に当たると、口の中は雑菌が多いので、拳が膿むのを防ぐためである。コモドドラゴンには毒があるというよりは、口の中の雑菌に毒があるものが多く、かまれるとその菌にやられるのと同じで、人間もそれなりに危険であるということの証である。

出題)「尾行がないことよく確認しましたか?」をロシア語にせよ。

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2013年12月22日

●続和文解釈入門第313回

『三訂和文露訳入門』の4-1-4項で未来の反復を扱っているが、時制の転用を利用して現在の時制で、未来の反復を示す事ができる。

(必要なら、一声かけてください。すぐ参ります)Что надо - кликните, я мигом.

出題)「彼はターミナル駅の100メートル手前で自分の車から離れた」をロシア語にせよ。

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2013年12月23日

●続和文解釈入門第314回

『三訂和文露訳入門』に10-15-2として下記追加願う。
「~の地点で」と位置を示す場合には、в + 前置格(基数詞)を使うが、на + 前置格(順序数詞とともに)も使える。

(ここから5キロのところで今日結婚式がある)В пяти километрах (За пять километров) отсюда сегодня свадьба.
(死体は後にマドリードから21キロメートルのところで発見された)Труп потом обнаружили на двадцать первом километре от Мадрида.

時間に関係した「~の~前за + 生格до + 生格」や「~の~後через + 対格после + 生格」という構文は、次のように使われる。

(その出来事の1週間前我々は大いに心配した)За неделю до этого события мы очень волновались.
(日本における地震の1年後普通の日本人はどのように暮らしているのですか)Как живут обычные люди через год после землетрясения в Японии?

 これらの構文は位置を示すのにも使える。

(岸の数百メートル手前で複数の小道は一本の素晴らしい道と合流した)За несколько сот метров до берега тропинки соединились в одну прекрасную дорогу.
(スタートから200メートルほどで僕はころんだ)Примерно через 200 метров после старта я упал.

 動作を示す場合には、не доезжая до + 生格(車などの場合)やне доходя до + 生格(歩く場合)を用いる方が一般的である。не доходя + 生格は古い用法である。

(その一軒屋の三軒手前で彼は車を止めた)Он остановил машину, не доезжая трёх домов до особняка.

出題)「細かいことにこだわらないようにしないと」をロシア語にせよ。

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2013年12月24日

●続和文解釈入門第315回

ロヴィンスキーの『ロシア民衆版画』の中に、ロシア正教における聖人やイコンが何除けになるのか書いてあるのを見つけた。これなどは一神教にも、我が国のお寺や神社のお守りのような多神教的要素があることを示している。

奇跡を起こす人ニコライНиколай Чудотворец(水難)、聖殉難者アンチーピーСвященномученик Антипий(歯痛)、カザンの聖母Казанская Богородица(眼病)、先駆者ヨハネИоанн Предтеча(頭痛)、大殉難者ワルワーラВеликомученица Варвара(突然死)、大殉難者エカチェリーナВеликомученица Екатерина(難産)、チフヴィンの聖母Тихвинская Богородица(病気、癇の虫)、大殉難者ニキータВеликомцченик Никита(病気、癇の虫)、預言者イリヤーИлья Пророк(干ばつ)、燃えているのに燃え尽きない柴Неопалимая Купина(火事)、大殉難者エゴーリーВеликомученик Егорий(家畜の害獣よけ)、フロールとラーヴルФлор и Лавр(馬の斃死)、聖シクシーニー、聖フォチーニーと大天使ミカエルが描かれたスーズダリのイコンСуздальские иконы с избражением св. Сиксиния, св. Фотинии и архангела Михаила(歯痛と熱病)

出題)「お前にはずいぶん貸しができた」をロシア語にせよ。

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2013年12月25日

●続和文解釈入門第316回

『三訂和文露訳入門』3-1-6-2に下記追記願う。
完了体は完了体過去形や被動形動詞過去短語尾の結果の存続の用法を除き、状態を示す事はない。そのため状態の動詞は3-1-6-2項や4-1-2-5項に示すように、現在の時制で近接未来を示す事ができるが、状態の動詞が不完了体未来形を取る時は、新規の事柄も示す事ができる。これは対応の完了体がないことに起因すると思われる。

(無線交信はどの周波数を使えるようにしますか?)На каких частотах будет поддерживаться радиосвязь?
(老後は何をして働くつもりですか?)Кем вы будете работать в старости?

出題)「彼のロシア語はちょっと訛りがあった」をロシア語にせよ。

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2013年12月26日

●続和文解釈入門第317回

最近マンガはほとんど読まないが、例外は読売新聞日曜版に連載中の『猫ピッチャー』(そのしけんじ)である。ニャイアンツの投手である猫のミー太郎が主人公で、私は動物好きではないが、しいてどの動物がいいかと問われれば、人に愛想良くするわけではないし、ある意味自分勝手に行動するという猫が好ましいということもある。この他に読売新聞夕刊水曜連載の『水よう日の花子さん』も絵は下手だが、今風の独身女性のほのぼのとした感じが出ていてよい。

 マンガがいけないとは決して思わないが、マンガしか読まないとか、マンガは読まないということが問題だと思う。常識的に考えればマンガでも面白いものはあるし、小説やノンフィクションでもそれは同様である。主人公のみならず脇役も美男美女ばかりだと、悪い意味で現実性を帯びにくくなり、主人公も内面のない見た目だけの平板的なものになる。つまりマンガもデフォルメが少ないと、つまり写真により近くなるような単純なパターン化が絵や内容において進めば、想像力を削ぐということはマンガでも小説でも変わらない。そうすると、想像力(つまり頭)を使わなくなるということは言える。想像力に働きかけないようなものはマンガでも、小説でも凡作ということになるのではなかろうか。それと本好きな自分としては、テレビ番組で素人の家庭訪問などを見るときに、家は立派でも本が全くないとか、マンガしかないというのはどうかなという気はする。もっともヲタクというならそれは一芸に秀でるという意味でそれはそれで立派であると思う。

出題)「人前で化粧を直すのが恥ずかしいことだとは思っていなかった」をロシア語にせよ。

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2013年12月27日

●続和文解釈入門第318回

次の文のПомогは完了体過去形の確述の用法であり、「仮に助けたとしても」という意味だが、仮定法過去ではなく、条件法である。つまり、動作の順番は助けるというのが先に来て、その後殺されるというのだが、殺される(ぐさりと肩甲骨のところを、心臓を一刺しといったところだろう)が、получитьなどの動作の動詞の省略で示されている。

(助けたのに、背中をグサリじゃな)Помог – и нож в лопатку.

出題)「結末がどうなるか気になる」をロシア語にせよ。

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2013年12月28日

●続和文解釈入門第319回

 状態の動詞で結果の存続を示すことができる。

(突然ですみません)Простите, что я так внезапно. <пришёлの省略と考えてもよい>

この他にも状態の動詞で近接未来を示すこのができる事はすでに紹介した。

(すぐに戻ります)Я мигом.

мигомは副詞であり、口語で「すぐにочень быстро, сразу」という意味だが、普通に考えて、вернусьやбудуが省略されていると考えることもできるが、あるがままに考えて、бытьという状態の動詞の近接未来の予定の用法とも考えられる。これはбытьの未来形については8-1-1項にて、「いる」という意味だけではなく、「行く」と意味になると説明したが、それが関係している。

(私は明日モスクワに行く)Я буду в Москве завтра.

 これはその状態に至るためにはその前に動作が不可欠だという簡単な理屈による。未来の時制、特に近接未来では、状態に至る動作とその動作の結果の存続(状態)が、一体のものとしてとらえがちだからである。日本語の「いる」は未来の時制では、「戻る」という意味である。例えば、「夜は家にいる」とか、「来週はモスクワにいる」(モスクワ在住者は使えるが、東京からの出張者が「行く」という意味では用いない)

出題)「今どんな夢を見ていたの?」をロシア語にせよ。

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2013年12月29日

●続和文解釈入門第320回

交渉ごとの通訳をする際に、仮に語彙もニュアンスも全て正確に通訳できるとして、完全に正確に通訳すべきだろうか?通訳する際に占領軍のプレスコードとか、放送禁止用語の類とは別に、守らなければならないのは、通訳する会話が感情的にならないようにすべきであるということである。極端に言えば、馬鹿野郎を通訳しなけれならないときに、そうは通訳せずに、「何か誤解があるようです」とする類である。クレームの通訳でも、交渉ごとは論理的に進めるべきで、一時の感情にまかせた発言を、その通りに通訳をして、それが交渉の趣旨にかなうとは思えないからである。感情が激している時は、通訳を介さなくても分かる。それを言葉にして言えば、感情を煽るだけということになりかねない。

出題)「何か誤解があるようです」をロシア語にせよ。

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2013年12月30日

●続和文解釈入門第321回

遂行動詞は本来動作を示す動詞が多い。中にはвидеть, говорить, думать, желать запрещать(ся), испытывать, оценивать, понимать, чувствовать, хотетьのように状態の動詞を兼ねているものもあるが、ほとんどは判定宣告型であり、一部言明解説(告知)型もある。
 過程(予定)の動詞と遂行動詞は重ならないが、говорить, рассказыватьなどは例外であろう。открывать, пить, слушать, сниматьはそれぞれ、開ける、飲む、聞こえる、取り外すという意味では過程の意味で使うが、開会する、乾杯する、もしもし、写真を撮るという意味では遂行動詞である。

出題)「彼は時間にはしばられなかった」をロシア語にせよ。

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2013年12月31日

●続和文解釈入門第322回

結果の存続と遂行動詞の用法の違いについては、『三訂和文露訳入門』3-1-4-4項で説明したが、念のため、再度書いておく。
 結果の存続には、「たった今~した」という意味と、動作はとっくの昔に終わっていて、その結果である状態が現在まで続いているという二つの解釈が可能である。ところが遂行動詞は、動作は発話で始まり、その発話と共に終わるわけだから、とっくの昔にというニュアンスはないという違いがある。ザルービンの露和でпониматьを引くと、Понимаю!とПонял!とが並べてあり、訳は「分かった、了解!」となっている。つまりこの辞典の編者はこの二つの文を体の違いにもかかわらず、少なくとも実用上は日本語で同義と理解していることになる。しいて違いがあるとしたら次のようなものである。

(分かりました)Понял. <完了体過去形の結果の存続>
(分かります)Понимаю. <遂行動詞>

 英語のI see.やI understand.も遂行動詞ということになる。I got it.も同じ意味だが、過去形に結果の存続を担わせているのだろう。
出題)看護師に関して「彼女には夜9時と11時の2回の呼び出しがあることが分かった」をロシア語にせよ。

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2014年01月01日

●続和文解釈入門第323回

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。『三訂和文露訳入門』を上梓した後も、和文露訳をする際に、より分かりやすい体の使い分けという観点から、まだしつこく体の本質について考えております。

 磯谷孝先生は『演習ロシア語動詞の体』(吾妻書房、1977年)で、「完了体は完成(全一性、一体性)をはっきり打ち出すのに対し、不完了体は、この完成という特徴があるともないともいわない、ということによって完了体、不完了体は対立する、というのが、現在、最も有力な体の理論となっている」と述べている。この通りだとは思うが、これでは文字通り漠然としていて、和文露訳における実戦的な体の使い分けには使えないことが分かる。そこで、「和文露訳から考えた体の本質は、完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点をイメージする」と私は提唱したわけだが、これと磯谷先生の説との整合性について、より突きつめて考えてみたい。

 前にオッカムのカミソリの意味する「必要がないなら多くのものを定立してはならない」とか、「少数の論理でよい場合には、多数の論理を定立してはならない」、つまり、「必要以上に多面化するな。事実に則した最も単純な説こそ最善の説である」という点を踏まえて、私は体の本質というのはもっと単純化できるのではないかと書いた。2013年12月にNHKBS1で4夜連続放送していた番組「神の公式」に、物理学で美しいというのは対称性があることを意味するというのが記憶に残った。対称性というのは、ある変換に対して不変である性質であり、よく知られている線対称の他に、ある図形をある回転角で回転したときに、もとの図形に重なる場合、その図形は回転対称性を持っているという。他に、ゲージ対称性、非可換ゲージ対称性、カイラル対称性がある。ロシア語の体も自然に出来上がったものである以上、当然美しいはずである。そうであれば、これをロシア語の体に当てはめて検証することが可能ではないかと考えた。マースロフМасло Ю. С.先生が提唱されたように、完了体と不完了体が体のペアかどうかを決める際に、一つの文で完了体動詞過去形が歴史的現在の不完了体動詞現在形と置き換えられれば、体のペアであるという考え方が一般的である。体のペアであるということは、意味が完全に重なる(同義である)ということに他ならない。つまり不完了体現在形の歴史的現在と完了体過去形のアオリスト的用法において、完了体と不完了体は時間軸の対称性があると言うことができる。

 和文露訳から考えた体の本質は、「完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点をイメージする」と私は考えるが、不完了体は不動の一点をイメージしない、つまり不動の一点を意識しないのだから、意識せずとも動作が時間軸の特定かつ不動の一点を通過する(関係する)場合がある。例えば、「本を今日読みます」という文は、ニュアンスの差はあるとはいえ、次のように両方の体を使って露訳可能である。

Сегодня я прочитаю книгу. <本を全部読む>
Сегодня я буду читать книгу. <本を全部読むかどうかは不明>

 これを両体の同義的使用というが、このように二つの体が時間軸において交差する場合には時間軸の対称性が成立するということになる。この場合の同義性というのは、意味が完全に重なるということではない。もしそうであれば二つの体が存在する意味がない。この場合は不完了体の動詞が持つ語義自体(動作)の意味を完了体は包括しているが、完了体にはその他に文脈(状況)に依存しない、つまり新規の何か(プラスアルファ)というニュアンスが付加されているということに他ならない。図式で示せば、下記のようになる。

完了体 = 動作の有無の確認(不完了体) + α(文脈に依存しない)

 磯谷先生の説を私なりに噛み砕いて言うと、「完了体は動作の曖昧さの排除、つまり今ここでの具体的な1回の動作を表現するものであり、なじみの動作を表現する不完了体と対立する」となる。これは完了体のもつ具象化(意識化)と不完了体のもつ抽象化(一般化、自動的処理、機械的処理、無意識化)の対立と言い換えてもよい。ここで言う意識化というのは時間軸の特定かつ不動の一点をイメージすることに他ならず、そのような動作に完了体が用いられるのである。こうすれば私の提唱する考えと、磯谷先生の説につながりを見いだせることになる。

出題)「説得したが、だめだった」をロシア語にせよ。

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2014年01月02日

●続和文解釈入門第324回

『三訂和文露訳入門』3-1-8項に下記追記願う。

過去から現在に至る動作の否定には、不完了体過去形の動作の無の確認を用いるべきである。動作の無の確認においては大過去(過去完了)、つまりある過去の一点から別の過去の一点まで動作がなかったことを示す他に、過去から現在に至るまでの動作がなかったことを示す事ができるからである。つまり過去から現在に至る動作の否定は、3-1-7-2項の経験の否定と同じである。

(彼は火曜から電話して来ないのかい?)Он не звонил со вторника? <現在に至るまで動作がない、なかったことを示す>
(家賃をもう2カ月溜めている。そこに行くのが怖い)А за квартиру я уже два месяца не платил. Боюсь туда идти.

 забыть忘れる、потерять失う、разбить割る、сломать壊す、убить殺す、ударить殴る、уронитьなくす、などの瞬間動作動詞(瞬時の移行・変化を示す動詞)の不完了体は過程を示す事ができないが、このような動詞を除き、過程や状態を示す不完了体動詞現在形の否定で、過去から現在に至るまでの動作の否定を示す事ができる。この場合今現在その動作がないことに話し手の関心が向いている。

(コンピューターが昨日から動かない)Компьютер не работает со вчерашнего дня.

出題)「(私は)もう寝ていましたが、それはお気になさらないように」をロシア語にせよ。

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2014年01月03日

●続和文解釈入門第325回

時事用語を露訳するのは簡単だという例として、今流行りの防空識別圏を挙げてみようか。今はまだ話題になったままなので、ロシア語で中国と日本でニュース関係のサイトを見てもいいし、同様に英語を調べて、Air defense identification zne (ADIZ)から、этоを最後につけて、ヤンデックスなどで検索すれば、зона идентификации противовоздушной обороныというのに行きあたるだろう。ところが、露訳するので難しいのは日本の文化関係である。例えば、最近ユネスコの無形文化遺産нематериальное культурное наследие Юнескоに登録された和食の中に出てくる、「うまみ」と「こく(酷)」である。うまみは日本人が見つけた第5の味ゆえか、英語でもumamiとなっており、ここからумамиと最近ロシア語でも見かける。だからといって、これで一般のロシア人が分かるとは思えない。知日派のロシア人では後にмясной вкусと付け足す人もいる。私も以前はвкус, похожий на отварと訳したこともある。こくについては、日本語よりも意味が広いとはいえ、現段階ではбукетが一番近いのではないかと思っている。букет = совокупность ароматических вкусовых свойств чего-либоであり、風味(上品な味わい)と芳香を合わせたような意味であり、букет сыра(チーズの風味)、букет табака(タバコの風味)、букет водки(ウオッカのこく、body)、вино с букетом(こく(酷)のあるワイン)、букет чая(茶の風味)などという語結合がある。

 コクで思い出したが、たまに酒蔵ツアーのお供をしていて、麹の訳について考えたことがある。日本で麹といえば米麹であり、日本独自のもので和食の基本である。一応рисовый солодと訳したが、солодは麦芽や麦麹であり、語結合も大麦が基本で、ячменный солодであり、ржаной солод, пшеничный солодと麦関係である。こういうのは適訳がなければ、できるだけ類似したもので訳し分ける必要があると思う次第。

出題)「住民の大多数は洪水の被害を受けた」をロシア語にせよ。

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2014年01月04日

●続和文解釈入門第326回

最近テレビや雑誌で「神の手」という言葉をよく聞く。天才的な医療テクニックをもった医師を指すようだが、直訳しても面白くないなと思っていた。マリーニナの「他人の仮面Чужая маска」というミステリーを読んでいたら、非常に高い技術を持つ医師のことをврач от бога と書いているのを見つけた。これなども神の手という意味で使えるかもしれない。

出題)「二つのことをいっぺんにはできない」をロシア語にせよ。

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2014年01月05日

●続和文解釈入門第327回

否定文というのは動作自体を否定するのだから不完了体が使われるのが普通である。つまり動作の有無の確認に不完了体が使われるということから、否定文こそ動作の無の確認に他ならない。そのため否定文に完了体を用いるというのは、具体的な1回の動作が否定される場合であり、何らかの主観的なニュアンスを付加することになる。

 完了体未来形の否定というのは、未来の時制における具体的な1回(この1回)の動作を否定するということであり、現在の時制(一瞬後とはいえ)の否定の強調なのか、不可能なのか、未来の時制の完遂の用法(具体的な1回の動作)の否定なのかを文脈によって区別することになる。それに対して、不完了体未来形の否定は未来において動作が今後一切ないことを示すわけで、それが否定の意図につながる。приходитьは過程を示せず、反復のみを示す動詞ゆえ、下記の二つ目の文では未来の時制における反復動作を否定しており、そこから否定の強調、否定の意思を示している。

Он не придёт. <彼は今回は来ない>
Он не будет приходить. <彼は今後来ない>

出題)「写真は5年前のものだった」をロシア語にせよ。

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2014年01月06日

●続和文解釈入門第328回

遂行動詞というのは目的達成の過程や反復を示す。そのため不完了体だが、даватьのように反復だけを示して過程を示せない動詞もある。стремитьсяは遂行動詞だが、対応の完了体がない。старатьсяやпробовать、пытатьсяは動作を志向するが、必ずしも目的達成というニュアンスはないので遂行動詞ではない。それは対応の完了体の語義にある志向自体が目的となり、志向の具体的な動作が完遂されたかどうかとは関係ないということでも分かる。つまり動作も含めて達成の意味がある完了体動詞のペアの不完了体には、志向の用法があり得るということになる。

出題)「おかげで思い出しました」をロシア語にせよ。

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2014年01月07日

●続和文解釈入門第329回

死というのは誰にとっても普通は青天の霹靂だが、ある程度の歳になると、自分の人生を振り返って、自分の死を受け入れる心の準備をする必要があるとこの頃考えるようになった。別に死に際にじたばたしてもいいわけだが、自分の人生を振り返ってみてやり残したことがないか、あるなら、そしてやり遂げる可能性があるならトライしても悪くないと思うからである。その人生を振り返る年齢が60なのか、70なのか、それ以上なのかは本人次第であるのは言うまでもない。自分の人生を振り返って、やりたいことはやったかと思うと、それほど欲のある方ではないと思うので、個人的にはいい人生だったと思う。若い時にロシア語という生きがいを見つけたのがラッキーだったとも言える。ロシア語やそれを通じてロシアに興味をもったわけだが、ロシア語を学ぶ上で3つ突きつめてやってみようと思ったことがある。一つはヴォールвор в законеの起源で、これはこの40年調べてだいたい分かったと思うし、それを本に書いたりもした。二つ目は露文をニュアンスも含めて100%日本語に翻訳できるのかということである。これもロシア語の文法を極め、ロシア文学をできるだけ多く精読し、日本語の文章を多く書いて、自分なりに磨きあげるということで可能であろうと考えるようになった。文学作品を完璧に翻訳するにはこのような努力すれば可能だと思うが、卑近な例ではアネクドートのようなロシア語の地口や洒落は和訳可能かということだが、これは100%は無理でも、限りなく近くは訳せるというのが私の考えである。三つめは日本人が和文をニュアンスも含めて100%ロシア語にできるかということであり、これも日本語やロシア語の文法、特に体の用法を極めることで、日本語とのニュアンスを理解すれば可能であるというのがこの1年ぐらいで得た私の結論である。この3つを40年かけてコツコツやってきたわけで、自分なりの大体の結論は得たわけだから、これで良しとすべきだろう。細かい点ではいろいろ疑問も浮かぶこともあるが、それについての回答を考えるのも楽しい。

出題)「戦争はドイツの負けだ」をロシア語にせよ。

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2014年01月08日

●続和文解釈入門第330回

生まれてから土地を持ったことがないので、地主の気持ちはあまりよく分からない。父が小さな区画を持っていたが、私が上京するときにその費用に充てるために手放したという。今なら一財産らしい。しかし、全く分からないかというとそうでもない。子供の頃石蹴り遊びをしたが、私のところ(北海道の函館)では、6 x 2、つまり12の区画を線で引く。それに月から土と書き入れてゆき、土の隣が日である。日で方向的には戻るわけだが、日の次は川なので、けんけんするか飛ばなければならない。川には縦に線が入っていたように思う。月に石けりの石を入れ、その石を拾ってけんけんして日まで行き、日で両足がつける。そこで月の隣の区画に石を投げ入れ、石が飛びださなければ、月は自分の区画になる。自分の区画になると他の子は踏んではいけないという決まりである。つまり区画を所有できるわけである。他の子が入ってはいけない、入れるのが自分だけだというのが土地の所有ということなのだろうと何となく感じていたが、本当の意味での地主の気持ちは結局分からずじまいで終わりそうだ。

出題)「我々は後ずさりしながら未来に進んでいる」をロシア語にせよ。

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2014年01月09日

●続和文解釈入門第331回

DLmarketで扱う電子書籍は10回までダウンロードできるが、『和文露訳入門』(初版)を購入したお客様より、『三訂和文露訳入門』も初版のダウンロードの回数内でダウンロードできるかという問い合わせをいただいた。DLmarketで回答済みだが、別の視点から書いてみたい。一般書籍であれば、初版を買った人に改訂版や増補版をタダでくれることはないからこういう疑問は起きないと思うが、電子書籍は販売形態がダウンロード形式なので、こういう質問をなさったのだろう。『和文露訳入門』(初版)(276ページ)に比べて『三訂和文露訳入門』(467ページ)は、ページ数も200ページほど増えており、内容的に、初版の誤植訂正は当然のことながら、動作の否定、遂行動詞、志向、切迫感、動作の無効など追加したり、内容を大幅に充実させたものである。しかも、類書と異なる点は、このコーナーに毎日出題する和文露訳の短文問題に投稿者から回答をいただき、それにコメントすることで学習者が和文露訳で何がよく理解できないかを著者が知ることができることである。そのフィードバックをできるだけ早く反映させたいと考え、初版発売から1年4カ月という短期間の間に三訂版を出さざるを得なかったわけである。和文露訳する上で一番重要なのは語彙そのものではなく、体の使い分けであるとした参考書は他になく、そのため試行錯誤をせざるを得ない状況であるとも言える。これも和文露訳をする上でのスタンダードとなる参考書を出したいという著者の強い願いからである。ちなみに、私の手元にある四訂版の原稿も477ページと2カ月ほどで10ページほど三訂版より増えているが、これは私の備忘録であり、今のところ出版の予定はない。

 初版を買った方が三訂版を買うのが馬鹿らしいという気持ちも分かる。そのために発売後も本コーナーで和文露訳に役立つと思われる新たな知見を発表してきた。2012年7月半ばから第288回までの本コーナーをチェックされれば、概ね紹介されている。ただそれをいちいち見るのも面倒な方には三訂版を新たにご購入いただいた方がよいと思う。電子書籍ということもあり、内容はともかく、ページ数に比べれば価格も1,050円と低く設定されているということもご考慮願いたい。本来本コーナーの定期閲覧者や投稿者(せいぜい数人だろう)向けなので、タダでお渡しすべきだとは思うが、ファイルが勝手に手直しされたり、出会い系のサイトに誘導されたり、ということで閲覧者や投稿者に迷惑をかけたくないし、自分も厄介な目に遭うのは避けたいということもあるというのは前に書いた。また投稿者の匿名性や閲覧者の秘密を守るにはDLmarket経由での販売の方が、それなりに暗号も取り入れられているようでイタズラされる可能性はほとんどゼロに等しいだろうから、今のところ最善であると考えているわけである。またしおり機能代もご購入者にご負担いただくということもあり、このように有料販売となったということを御理解いただきたい。

出題)「奴はいつも反応がとろかった」をロシア語にせよ。

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2014年01月10日

●続和文解釈入門第332回

世界中どこでも子供は野菜が嫌いである。自分も会社に勤めるようになって、一人暮らしだったせいもあるが、栄養に気を配るようになった。食べ物は味を楽しむ以上に、日々のエネルギー補給だけでなく、薬でもあると考えて、嫌々食べているうちに、好きになってきた野菜もある。ロシア人一家のガイドをすることもあるが、これまで出会ったロシア人の子供は明るくて、親子との対話もうまくいっているようで感じがいい子が多い。一つだけ気になるのは、野菜に関しては親が甘やかしているような感じを受けることである。肉を頼んでも、子供は食べないから、野菜を入れないでくれとか、ステーキの上にかかっている野菜ソースみたいなものもつけないでくれと親の方がうるさい。自分の子供の頃は、特に母親の方が嫌いな野菜を子供に食べさせるために、脅したり、すかしたり、騙したりといろいろなテクニックを使ったのを覚えている。私は今でもナスビが嫌い(今は食べようと思えば食べられるが、あの歯ごたえがなさが嫌いだ)だが、母親が私の好物の大根の味噌汁に、大根の代わりにナスビを千切りに切って、出したことがあるが、泣きわめこうが、結局は無理やり食べさせられた。

 私の知っている多くの大人のロシア人は食べ物に好き嫌いがなく、食べ物への好奇心も旺盛で、野菜の好きな人が多く、サラダは必ず注文するという人が多いのに、不思議な現象である。もっとも私がガイドしたロシア人一家というのも、数の上でたかが知れているので、例外なのかもしれない。しかし、国立がん研究センターが2013年12月9日に発表した研究では、野菜や果物を多く摂る人に自殺をする割合が半分以下とか、生活習慣病(これが今のところアルツハイマー病の主たる原因と考えられているらしい)を克服するためにも野菜を摂れとのことである。平均寿命の少ないロシア人などはこの点に留意して、子供に野菜を摂らせるように少なくとも親が努力するようにすべきだと思う。

出題)「彼の願いはまず逃げることだった」をロシア語にせよ。

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2014年01月11日

●続和文解釈入門第333回

『三訂和文露訳入門』8-1-1項に下記補足願う。これは第318回の本文にも関係する。

(彼はモスクワにいる)Он в Москве.
(彼はモスクワに〔明日〕行く、〔明日〕モスクワにいる)Он будет в Москве (завтра).
(今行くよ)Я сейчас буду.

しかし、上記のように現在形だけが一見「行く」というニュアンスがないように思われる。ところが、下記のように必ずしもそうは言い切れない例にぶつかることがある。

(私は家にいる)Я дома.
(今すぐ行きます)Я сейчас.

上記の最初の文はという文は文脈によっては、「ただいま」、「故郷に戻った」というようにも訳せる。これは3-1-6-2項に挙げたように、状態の動詞が結果の存続の意味を出せることから「来た」という意味を示す事ができるからである。二つ目の文もбудуなどが省略されているとも理解されるが、素直に、現在の時制でも「行く」という意味になるという例ととらえることもできる。

出題)「彼女は夫の喪に服している」をロシア語にせよ。

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2014年01月12日

●続和文解釈入門第334回

『三訂和文露訳入門』9-9-2項に下記追記願う。

 этоもчтоのように前の文全体を受けるときには主語や述語となるという関係代名詞的な役割を果たす時があり、「このこと、そのこと」という意味で主格として主語に立つときは動詞または形容詞であらわされた述語はэтоに対応し、中性単数形を取る。

(前線へ、弾丸の下へ(行け)!これで高慢ちきがちゃんと直るというものだ)На фронт! Под пули! Это хорошо лечит от зазнайства.
(春が来る。我々にはそれが嬉しい)Начинается весна. Мы радуемся этому.

これから派生した用法だと思われるものに、関係代名詞から同格(イコールという記号を思い浮かべるとよい)へと移行したと思われる9-7項の強調構文がある。

(朕は国家なり)Государство – это мы. <9-6項の人称の転用の例でもある>

 ここから先行詞を取ると、あたかもэтоが主語のように見えるが、上の例から分かるように同格由来の述語だが主格であり、不変化の指示代名詞となったと考えることもできる。ゆえに文法上の主語は下に示すような文で示されることになる。

(これが私の子供たちだ)Это мои дети. <文法的には「私の子供たち」が主語である>
(これは教科書だった)Это были учебники. <文法的には「教科書」が主語である)>

これは〔私は医者です〕Я врач.のような合成名辞述語は、過去や未来の時制において造格を取るのが普通だが、過去の時制ではЯ был врачом.と造格を取る場合もあるし、Я был врач.と同格を意識して主格を取る場合もあるが、口語では造格を取る場合が多い。永続的な状態を示す名詞では主格が、一時的・暫定的状態を示す名詞の場合は造格が来るのが一般的である。未来の時制では未来自体が不確定ということもあってか、造格を使う場合がほとんどであり、主格を使えば古めかしい感じがする。造格は格自体、主格と形が違うということから、一時的な変化のニュアンスを担っているということかもしれない。ちなみに述語が形容詞なら永続的な状態を示す場合は形容詞の長語尾となり、主格でも造格でもよい。一時的・暫定的な状態は一般的に形容詞短語尾を使う。

(好天だった)Погода была хорошая (хорошей). <口語では主格、書き言葉では造格を用いるのが普通である>

出題)「お時間の方はどうですか?」をロシア語にせよ。

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2014年01月13日

●続和文解釈入門第335回

前回の本文に関連してだが、『ロシア語文法便覧』(宇多文雄、東洋書店)の169ページに、「名辞部分が抽象的なことがらを示す名詞の場合には造格も使われる。その場合、бытьの形は主語のэтоと一致する(すなわち単数中性)」とあり、「それは大きな喜びだった」の例を挙げている。

Это была большая радость. <主語はбольшая радость>
Это было большой радостью. <主語はЭто>

 しかし、これは形式だけを見て比べているのではないか?二つ目の文は、この文単独で存在できるのではなく、次のような先行する文が不可欠だと思う。つまり、二つ目の文のЭтоは文全体を受けており、単に主語としての役割を果たしているに過ぎないことと思われる。

(彼は何週間も後に来るはずだったが、彼は母をびっくりさせたかった。それは大きな喜びだったから)Он должен был приехать недель позже, но ему хотелось сделать матери сюрприз. Это было большой радостью.

出題)「はっきりしたことは軽々には言えない」をロシア語にせよ。

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2014年01月14日

●続和文解釈入門第336回

再度前回の続き。前々回の本文に関連してだが、『ロシア語文法便覧』(宇多文雄、東洋書店)の169ページに、「名辞部分が抽象的なことがらを示す名詞の場合には造格も使われる。その場合、бытьの形は主語のэтоと一致する(すなわち単数中性)」とあるが、文全体を受けるэтоなら、「(文全体を示して)そのこと、このこと」という意味なので、それが主語になれば、名辞部分である述語も抽象的な内容にならざるを得ないということにすぎないのではないか。

出題)「その上彼の血圧は150から180へと急上昇した」をロシア語にせよ。

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2014年01月15日

●続和文解釈入門第337回

ロシア語は初級の段階から暗記を強要されることが多いというのは事実だが、どの言語で学習の困難はさまざまである。ロシア語には格が6つもあり、数字の1にも男性、女性、中性があり、しかも複数まであるというのは一見驚くような事実だが、数字の1が24変化するというわけではなく、同形のものを除けば、その半分の14であり、日常会話でよく使うのは3~5ぐらいであろう。確かに名詞には男性、女性、中性、複数があるが、男性と中性は主格が違うくらいで、後はほとんど同じだから、それほど丸暗記の量が多いということにはならない。格の変化にせよ、日本語のハ格(ガ格)はロシア語の主格であり、ノ格は生格で、ニ格は与格で、ヲ格は対格で、「~によって」は造格で示し、~については前置格で示すと考えればよい。文字だってローマ字に似ているものも結構あるから、アラビア文字や漢字を覚える手間を考えたら、文句は言えまい。

出題)「その記念碑はソ連館の屋根の上に、たった11日間という記録的な短い期間で組み立てられた」をロシア語にせよ。

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2014年01月16日

●続和文解釈入門第338回

『現代ロシア語における時の関係の表現法Способы выражения временных отношений в современном русском языке, М. В. Всеволодова, Издательство Московского универститета, 1975』を書かれた、時の状況語の泰斗フセヴォーロドヴァ先生も、срокの単数と複数の使い分けについては特に述べておらず、同じ意味で使えるものもあるとして、次の例を挙げているのみである。単複両方使えるものはв короткий срок (в короткие сроки)〔短期間で〕, в сжатый срок (в сжатые сроки)〔短期間で〕, в кратчайший срок (в кратчайшие сроки)〔最短で〕であり、複数形のみのはв жёсткие сроки〔ぎりぎりの期間で〕, в обозримые сроки〔先の見通しがつく期間で(多分1年以内)〕、一方заは単数対格のみで、за короткий срок〔短期間で〕, за такой долгий срок〔そのような長期間で〕とある。

 このсрокの単複の使い分けについて長いこと考えてきたが、私なりの考えを述べてみたい。срокというのは期日(期限)という意味で、その他に、ある期日から別の期日までの間、つまり期間という意味がある。期間という意味では、служить два срока(2期勤める)というように、明らかに複数の期間という場合を除いて、普通は複数にはならない。一方、期日もдата(日付)という意味で、普通はполедний (крайний) срокというように、締め切り(最終期限)を示すので、単数形が普通である。ところが、よく考えると期間というのは二つの期日、開始の時期と終わりの時期から成っていることが分かる。初めと終わりの期日が分かりやすいのは、終始が見通せるような、それを意識できるような短い期間である。だから、短期間には複数が出やすいということが言えると思う。また短期間の方がより具体的である(漠然としていない)ことから、в установленные сроки(所定の期間内で)のようなものにも複数形が使われるということになるのではなかろうか。

出題「その雪上車は1回の給油で120キロの距離を人間二人と500キロの荷物を積んだトレーラーを運ぶことができる」をロシア語にせよ。

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2014年01月17日

●続和文解釈入門第339回

合気道の創始者植芝盛平の師である大東流合気柔術の祖武田惣角は礫(つぶて)の名人だったという。鳥や獣を小石で倒して、食料としたとある。そうでないと当時貧乏人は武者修行を続けられなかった。勝海舟の剣術の師である島田虎之助は街中でも、散歩しながら、芋虫や蝶などをそのままむしゃむしゃと食べて回りを辟易させたという。変わり者だったかもしれないが、武者修行するには文字通り食べ物に好き嫌いは言っていられないという例である。ところが、『剣術修行の旅日記』(永井義男、朝日新聞出版、2013年)を読むと、これは佐賀藩の牟田文之助(1830~1890)が藩から正式の許可をもらっての武者修行ゆえ、宿は基本的にタダで、家からの送金を受け、珍しい流派(鉄人流という二刀流)や人柄も、また腕も立ったということもあろうが、かなりの接待を受け、酒の切れる間もなかったようだ。現代も官費留学、私費留学(親が金持ちか、現地でアルバイトするか)で違いがあるのと同じだろう。牟田も米食修行人という剣術修行というよりは旅を楽しむだけの修行者もいることを書いているから、現代も同じである。武田惣角や島田虎之助などは野性そのもので、それこそ生きるか死ぬか(飢えるか死ぬか)の修行をしてきたから、修行を無事終えた時点ならその技の凄みも違っただろう。これはロシア語にも言える。楽してうまくはならないが、それでもその環境をうまく利用できるなら利用した方がよいということは言える。

出題)天気予報の「場合によっては夜までに雪」をロシア語にせよ。

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2014年01月18日

●続和文解釈入門第340回

正しい方向で勉強すれば1~2年で自分の言いたいことを話したり、よほど通訳やガイドが使うような特殊な語彙でなければ聞いたり、書いたりできると述べたが、語学にも向き不向きはある。別に内向的な人は向かないということではない。向かないのは語学に限らないが、一つのことに集中できない人である。正しい方向でというのも特に難しいことを言っているのではない。半年間NHKのラジオ講座のテキストを1週間ごとに丸暗記し、発音もラジオやテレビをできるだけまねるようにするということだけである。これができれば基礎ができたことになり、あとはロシア語の文法書(Wade先生のがよいが、城田先生のでも宇多先生のでもかまわない)をやり、さらに半年ラジオ講座のテキストを1週間ごとに丸暗記する。これで自分の言いたいことはほぼ言えるようになるはずである。

出題)「ご自身をご自身の手にかけるということに関しては、そうはさせないよう努めます」をロシア語にせよ。

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2014年01月19日

●続和文解釈入門第341回

可能の意味のときに完了体を使うか、不完了体を使うのか迷うときがある。具体的な1回の動作の時は完了体でよいが、繰り返しの場合はどうだろう?不完了体と考えるのが普通だろうが、そうでない場合もある。『三訂和文露訳入門』8-9項に下記のことを書いたが参考になるかもしれない。

 動詞の語義に能力という意味が含まれていれば、他の動詞や助動詞を使わずにそれを表現できる。「彼は全部で500 kg持ち上げられる」はОн поднимает в сумме 500 кг.も、完了体動詞未来形の、Он поднимет в сумме 500 кг.も可能である。二つの体のニュアンスの違いは、不完了体の方は彼が500 kg挙げた事があるという知識に裏付けされているのに対し、完了体の方はその日の彼の姿を見た印象で大丈夫挙げられるなという感じであり、これは完了体動詞未来形の例示的用法の一つである。

 第338回の回答にもあるが、同様に不定法での可能の用法の時に、「いつも」とか「毎回」というニュアンスがあれば不完了体を使うのだが、最大の能力というニュアンスがあれば、最大の場合はとなり、それが例示的用法である。体の使い分けは話し手のとらえ方次第というのはそういう意味である。

出題)「幸せといってもいろいろであり、同じものがあるはずがない」をロシア語にせよ。

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2014年01月20日

●続和文解釈入門第342回

前回の二つの投稿に対するコメントの内容が表示できなくなっています。ろしあんピロシキ側に問合わせ中ですが、このコラム全体で見ると1,000回以上となり、メモリーに問題が出てきたのかもしれません。私のコンピューターだけの問題なら、それでいいのですが。これまでのエントリーの保存が1回ではできず、2回しなければならないとか、コメントも1回では保存できないという不具合はありましたが、今回のようなのは初めてです。後二カ月ちょっと、つまり68回やれば通算千回目前にしての不具合であり、和文露訳短文問題集千問ができたのですが、これもやめろという天の声か、あるいは何かの巡り合わせかもしれません。一応次回の出題だけはしておきます。投稿者の答えは私には届き、私もコメントしているのですが、それがこの場で発表できないというのは困ったものです。それゆえ便法として、この本文に回答を書いておきます。

ブーチャンさんの投稿
Во слове "счастье"
есть разные нюансы и
не должно быть
одинакового.
--------------------------
В словеでしょうね。ただ後ろの文を考えると、特にсловоとする必要はないように思います。счастьеは出題では複数の意味ですが、この単語が複数で使われる例を知りません。それでブーチャンさんはсловоという可算名詞を使ったのだと推定できます。私の答えはКаждое счастье - разное, одинаковых не бывает.


ゴさんの投稿
Когда речь идёт о счастье, оно бывает по-разному, и не должно быть одинаковое счастье.
------------------------------------
意味は分かると思いますが、счастьеが二度続きますので、その処理をどうするかということと、複数回の否定はбыватьを使ったほうが強意で使えます。

ソ連時代の日用品について書かれた『ソ連製 ソ連時代のシンボルСделано в СССР Символы советкой эпохи』(Мир энециклопедий Аванта+, 2012)を読んだが、その中に下着の話が出てくる。これについては第176回で『パンツの面目ふんどしの沽券』(米原万里、ちくま文庫、2008年)に書かれてあるエピソードを紹介したが、これを裏付けるように、トロツキーの『日常生活の諸問題Вопросы быта』(1923年刊)に「農民と労働者には下着を履きたくないという気持ちがある」と述べていると本書にはあり、下着は衛生のため2セット持つべきで、1セットは今穿いている分で、もう1セットは洗濯用とすべきだと力説しているが、これは当時のソ連の農民や労働者には下着を履く習慣がなかったということを意味している。

出題)「文学者の義務とは何だと思いますか?」をロシア語にせよ。

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2014年01月21日

●続和文解釈入門番外

投稿できないという不具合については、現在ロシアンぴろしきの主催者の方で調査中です。本コーナーの和文露訳の短文出題について回答し、コメントをもらいたいという方は、私のサイト「ランポポー」にメールというのがあり、ここから私宛にメール可能です。匿名でよいのですが、そうなると投稿者のメール番号が私に分かってしまうということになるます。プライバシーについては慎重に取り扱うつもりではありますが、メール番号が私に分かってもよいという方はこのメールで、私に出題に対する回答願います。コメントについては、当分このコーナー本文で発表します。

 できるだけ早く不具合が直ってくれるといいのですが、投稿者も2~3人ですし、定期閲覧者もそのくらいでしょうから、匿名ですが、メール番号が私に知られてもいいという人たちだけで、和文露訳の出題を続けてもよいかなとは思います。無料の会員制のようなものですが、定期的に閲覧する人はごく少ないと思いますので、そういう形でも実質的には変わらないような気がしますし、それとて希望者がいればの話です。出題回数も千題に迫っており、かなりの分野やバリエーションで出題しているので、この辺でやめにしてもいいかなという気はしないでもありません。おかげで『三訂和文露訳入門』も出版できたことですから、投稿者の皆さんのおかげで、私にとっては所期の目的以上のものが達せられたと思います。

Posted by SATOH at 07:35 | Comments [2]

2014年01月22日

●続和文解釈入門第343回

前回の番外編のコメントは正常に表示できるので、342回だけがコメント表示の不具合があったのかもしれないし、今後あることなのかもしれない。342回について投稿したい人は番外編のコメントを利用ください。2、3回はメールと併用されてもよい。コメント表示できるなら、メールは後で破棄するのでご安心を!
ゴさんからメールで第342回の回答がメールで来たので、コメントする。

Как вы считаете, какие обязанности у литераторов?
いつもありがとうございます。HP運営、凄いですね。私にはとてもできません。ゴ
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義務にはобязанность, долг, повинностьが考えられますが、その違いはобязанностьは振る舞いや、何かの要求に基づいてなさなければならないことであり、долгは確信や内なる声によってなされるобязанностьであり、повинностьは重いか、不愉快か、退屈なобязынностьで口語ないしは俗語です。обязанностиと複数にすると、その人の仕事や肩書に関係した任務の総称ととらえられるので、この場合は単数がよいと思います。このように二つの文に分けるというやり方もあります。私の答えは、В чём вы видите долг литератора?
第287回で性質や評価を示す抽象名詞はЧто вы думаете о +(前置格)?という構文では共には使えないと書いたが、その場合どうすればよいかの一つの解決策выход。この場合видеть = находитьである。

未来の時制における動作の否定は、完了体未来形の否定、不完了体未来形の否定、予定の用法の否定(『三訂和文露訳入門』では予定の用法の否定の例を挙げている』)がある。定動詞の不完了体未来形は使いにくいということは、4-1-1-5項で述べてある通りであり、それゆえ否定文でも予定の用法を使うのだというのは理解できる。

(ニコラーエフには明日誰も行かないの?)В Николаев никто не едет завтра?
(明日我々と行かないならそうすればいい)Пусть не едет завтра с нами.
(彼は明日釣りには行かない)Он не пойдёт завтра на рыбалку.

ちなみに遂行動詞は否定の意味では使えないことは『三訂和文露訳入門』で触れておいた。

出題)「彼はアルバムのしおりを入れたページを開いた」をロシア語にせよ。

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2014年01月23日

●続和文解釈入門第344回

コメントが表示できない、コメントが受け取れないという今回のトラブルは、ロシアンピロシキの主宰者の説明では特定の回にサーバーの不具合が発生したということで、原因がまだよく分からない。だから再発の可能性もある。よかったのはトラックバックのところも含めてコメントのところに大量に最近押し寄せたスパムが来なくなったことだが、今日は早速7つものスパムを削除した。ゴキブリと同じでしぶとい。このコラムも全体では千回以上になる。そこで『和文解釈入門』は600回を超えているので、まだ不具合が続くようならこれを全面削除して具合を試してみるというのも一つの手であろう。どのみち昔のものを読むような酔狂な人はもういないだろうし、和文露訳の問題集が欲しいというなら、『和文露訳問題集千』とでも銘打って、前編に和文の短文だけを千並べ、後篇に和文とのその回答を解説付きで『三訂和文露訳入門』の参考の項目番号をつけて電子書籍にするという手もある。順番はシャッフルするとか、これまで気に入らなかったものは新しいものに差し替えるというのいい。ただこれには手間もかかるので、希望者が最低10人くらいはいないとやる張り合いがない。投稿部分やそのコメントは解説に反映させるが、匿名とはいえ著作権のからみもあり、載せないことになろう。このようなことを今考えている。

 全く自分が知らない分野というのがあって、例えば『美しすぎるロシア人コスプレイヤー』(西田祐稀、ユーラシアブックレットNo. 190、東洋書店、2013年)は最新のロシアのコスプレについて解説した良書である。ロシア人の若者をたまにガイドすることがあるが、彼らが日本のアニメ(ナルト、セーラームーンなど)に詳しいことは知っていたが、2012年9月1日に発効した法律により日本のアニメも規制対象になったというのは知らなかった。ロシア人は十代の子でも島国の日本人よりある意味、精神的に大人の人が多いのに、政府は上から愚民を統制する(物事のいい悪いは当局が判断する)というのは、このインターネットの時代に時代錯誤そのものである。この他にも『住宅貧乏都市モスクワ』(道上真有、ユーラシアブックレットNo. 185、東洋書店2012年)など、ロシア関係で最近のものにも読むべきものはある。

出題)「今日は収容所全体が食事抜きだ」をロシア語にせよ。

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2014年01月24日

●続和文解釈入門第345回

『ソ連製 ソ連時代のシンボルСделано в СССР Символы советкой эпохи』(Мир энециклопедий Аванта+, 2012)の中に、結婚式などでガラスや陶器の食器をなぜ割るのかその由来が書かれていたので紹介する。ピョートル1世に初めてロシアで作ったガラスのコップを、ウラジーミルのガラス職人エフィーム・スモーリンЕфим Смолинが割れないコップだという触れ込みで献上した。ピョートル1世は中に入っていたお酒を賞味した後、そのコップを床にたたきつけた。もちろんコップは粉々になったが、帝はガラス職人を罰せず、»Стакану – быть.»(コップは〔かく〕あるべし)と述べたが、それを»Стаканы бить.»(コップは〔かく〕割るべし)と聞き間違えたというものである。それともコップが割れても帝が職人を罰しなかったので、それは吉ととらえてのことかもしれない。

出題)「福音書にのみ彼は救いを見出そうとした」をロシア語にせよ。

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2014年01月25日

●続和文解釈入門第346回

体のペアではないが志向に似て非なるものとして、искать(探す)とнайти(見つける)がある。искать にはстараться найти, обнаружить〔探す〕、добиваться чего-либо, стремиться к чему-либо, хотеть чего-либо, стараться получить что-либо〔得ようとする〕、стремиться к чему-либо новому, совершенному (о науке, искусстве и т. д.)〔目指す〕と3つの意味があり、このうち、〔探す〕の意味では志向の動詞ではない。これは動作の到達点が含意されていないからである。『三訂和文露訳入門』6-1-3-1項で示したようにстремитьсяは志向の動詞だが、стараться = очень пытатьсяであり、志向の動詞ではない。しかし、находить/найтиのнаходитьは志向の動詞である。定動詞とпри-のついた運動の動詞、例えばидтиとприйтиの関係もそうであるが、идти в школу(学校に行く)のように目的地が示されれば、志向の動詞となる。

(福音書にのみ彼は救いを見出そうとした)Только в Евангелии он находил спасение.

出題)「他にどんな案がありますか?」をロシア語にせよ。

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2014年01月26日

●続和文解釈入門第347回

和文露訳もロシア語のテスト形式としてはよく出題されるが、出題する側にとって一番楽な出題方法は露文の中で適当と思える短文を和訳し、それを出題するというものである。もっと楽なのは、知り合いのロシア人に頼んでの和文露訳の分業をするのである。つまり和文を日本人でロシア語のできる人が訳し、それをロシア人にチェックしてもらうというやりかたである。その時に、その日本人、ないしはロシア人が日本語とロシア語両方にかなり深く精通していないと、日本語だけ、ロシア語だけを見て適否を判断しがちである。ただ両方に深く精通しているのなら、分業する必要はないから、そこに問題の根が生じる。

 いずれにせよ、一般の和露の問題集同様、後ろにポツンと模範解答があるだけのものが多いようで、学習者に模範解答を丸暗記せよと言っているようで感心しない。自分の経験に照らしてみると、こういう模範解答だけでは学習者はフラストレーションがたまるだろうと思う。だいたい和文露訳に一つの回答しかないということはあまりないはずだし、文法的なミス、タイプミス(書き間違い)ついて指摘するのは、出題するぐらいのロシア語のレベルの人にとっては難しいことではない。しかし、そういうミスの類がないような回答が出てきたときに、その適否を判断し、語結合が適切かどうかも含めて、学習者が納得のゆく説明ができるかどうかということが大事であり、それが学習者のやる気や語学力を高めるのに役立つものだと思う。そのためにはこの種の和文露訳問題集には、できるだけ多くの考えられる回答のバリエーションを載せるのが理想だが、紙幅の関係から無理だろうから、メールでするのかブログでするのかは別にして、読者向けの無料の添削サービスが欠かせない。この添削は出題者にとっても見返りが非常に大きいことは自分の経験からも言える。そういうサービスがないと思われる現在、模範解答だけの和文露訳の問題集を前にすれば、学習者は自ら自分の回答の適否について調べなければならなくなる。そういう意味では、インターネットの発達した時代とはいえ、やはり手近のロシア人に聞くのが一番近道なのかもしれない。そうなると、その時に、そのロシア人が日本語に精通していないと、ロシア語だけを見て正否(適否ではなく)を判断しがちであるというような問題が起こる。どういうことか説明しよう。

 例えば、「被疑者はここに来ている」という文を、和文の末尾が現在形だから被疑者が今現在そこにいると解釈した場合、Подозреваемый здесь.と訳しても、日本語をあまり知らないロシア人ならOKというだろう。しかし、これは主語が被疑者だから、被疑者がその辺にうろうろしているのかという素朴な疑問もあり、文脈によっては正解の可能性が低い。この他の露訳として考えられるのは、次の通りである。

Подозреваемый приехал сюда.(〔1回だけ〕被疑者はここに来たことがある) <これはアオリスト的用法での解釈だが、無論文脈によっては結果の存続(意味的にはПодозреваемый здесь.と同じ)ということで「被疑者は〔今〕ここに来ている」という解釈も可能である>
Подозреваемый приезжал сюда.(〔何度も〕被疑者はここに来たことがある) <経験の用法である。ただこの露文は= Подозреваемый приехал сюда и уехал.(被疑者はここに来ていた〔が、今はいない〕とも解される)

 和文露訳の場合もニュアンスも含めて正しく、日本語をロシア語に表現できるかということであり、日本語やロシア語の文単独で正しいかどうかではないということを、訳す人がどれだけ肝に銘じているかということのほうが大事である。

出題)「どうしたの?どうして学校に行かなかったんだい?」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 06:09 | Comments [2]

2014年01月27日

●続和文解釈入門第348回

 『三訂和文露訳入門』にて「不完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点をイメージしない」と定義したが、これをいろいろな例文で証明するためには、一見例外的に見えるものでも、この定義が正しいのであれば、その定義に沿ったその説明をしなければならない。つまりこの定義はそのような一点を示す時の状況語と不完了体は相性が悪いと言っているわけで、そういう場合なぜそういうことが起こるかその理由を明確に説明する必要がある。それは不完了体の文で一見時間軸の特定かつ不動の一点をイメージしているかのように見えるものもあるからである。

(10時までに来て下さい)Приходите к десяти.
(明日遅くとも10時には来て下さい。お願いしますよ)Я попрошу вас: придите завтра не позже 10 часов. <『三訂和文露訳入門』3-1-4-6項に書いたように、попроситьには強制的ニュアンスがある。>

 初めの文では動作は10時までにある時間軸の任意の一点で行われ、二つ目の文では動作は10時までの時間軸の特定かつ不動の一点で行われる。つまり不完了体は任意性を示し、完了体は具体性を示すという体の本質を表していることになる。

出題)「俺が犯罪者になるところまで奴らは俺を追い込んだ」をロシア語にせよ。

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2014年01月28日

●続和文解釈入門第349回

時間軸の不動の一点を示す時の状況語と不完了体の相性が悪いというテーマの続き。『三訂和文露訳入門』にて「不完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点をイメージしない」としたが、そうすると不完了体現在形の予定の用法でも、一見奇妙に見える例文がある。

(彼は明日来る)Он приходит завтра. <予定の用法>
(汽車は9時に到着する)Поезд придёт в 9 часов. <完遂の用法>

最初の文は明日を時間軸の特定かつ不動の一点というよりは、期間とみて、明日は明日でも、「明日中」という意味ということになる。特定かつ不動の一点を数学的に大きさのないものととらえれば、完了体的アプローチであり、その点に大きさがあると感じれば、不完了体的アプローチということになる。二つ目の文のように明日завтраという時の状況語を点ととらえるか、明日中という期間ととらえるかということであり、体の用法は話し手の伝えようとする事柄への意識に関わってくるというのはそういう意味である。

 しかしムラヴィヨーヴァЛ. Муравьёва先生はприходит, уходит, выходит, переходит, переезжает = собирается прийти, уйти, выйти, перейти, переехатьであるとしているので、予定の意味の場合完了体不定形の代用(精確に言えば完了体が要素として組み込まれている)ということであれば、特定かつ不動の一点を示す時の状況と共に用いられても問題ないことになる。この不完了体による完了体の代用というのが目下の研究課題でもある。その他にも時の状況語と不完了体の組み合わせでは次のようなものがある。

(オーリガは2年前は母のところに遊びに来たものだったが)Ольга приезжала два года тому назад гостить к матери... <2年前のある期間における反復>
(私たちは土曜お宅にお邪魔して、ご本を持っていきます)Мы придём к вам в субботу и принесём ваши книги. <未来の時制における順次的用法>

出題)「昨日僕のところに友人たちが来ていた」をロシア語にせよ。

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2014年01月29日

●続和文解釈入門第350回

『三訂和文露訳入門』の5-2-1項に下記追記願う。
 接頭辞в-, вы-, за-, пере-, при-, про-のついた運動の動詞では、完了体命令形は要請から派生した命令などのような強制的なニュアンスを帯び、それが不完了体命令形の任意のニュアンスと対照を示す場合もある。

(来週来て下さい。ご注文をお受けますから。でも水曜は来ないでください。水曜には工房は〔注文〕受理はしないので)Придите на следующей неделе, мы примем ваш заказ. Но не приходите в среду: в среду в мастерской приёма нет. <行かざるを得ないわけで、強制的ニュアンスがある。また動作の否定には不完了体命令形を使うことが分かる>
(可能なら明日来て下さい。10時でもいいですし、御希望なら11時でもいいです)Приходите завтра, когда сможете. Можете - в 10, если хотите - в 11 часов. <5-1-2項の勧誘なども考え方は同じである>
(日曜にうちに来て下さい)Приходите к нам в воскресенье. <どちらでもいいという任意のニュアンスであって、強制のニュアンスはなく、また日曜に文の焦点がない>

出題)「人の顔を覚えるのが苦手です」をロシア語にせよ。

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2014年01月30日

●続和文解釈入門第351回

シュチールリッツМакс Отто фон Штирлицというのはアネクドートでもよく耳にするが、本来は『Семнадцать мгновений весны(春の17の瞬間)』という1969年に出たЮлиан Семёновのスパイ小説(シリーズ第2作)の主人公で、映画化され有名になった。最近シュチールリッツもの14冊のうち4冊を読んでみて、シュチールリッツに関して、拙著『ロシア小話アネクドート』(ブックレット、東洋書店、2004年)に少し書いたが、新事実もあるので補足しておく。小説のシュチールリッツはドイツ系ロシア人で1920年代からジェルジンスキー(ЧК)の下で働いていた虚構の人物。本名はВсеволод Александрович Владимировで、後にМаксим Максимович Исаевに改名した。父はロシア文学の教授であり、レーニンを知っているが、メンシェヴィキーだったという設定であり、1922年ごろ極東でゲリラに赤軍人民委員と共に処刑される。シュチールリッツは1945年のとき45歳という年齢設定である。ナチの対外諜報部の長であるワルター・シェーレンベルグの部下であり、階級は大佐。息子はАлександр максимович Исаевで1923年生まれ、1940年モスクワ大学物理学部入学。1941年前線へ志願。1944年ドイツ占領下のポーランドのクラコフに潜入。シリーズ第1作で作戦中にシュチールリッツと出会うことになる。妻はАлександра Николаевна Гаврилинаでシュチールリッツがウラジオを離れてから23年会っておらず、文通もなく、息子があることを彼は知らなかった。『Семнадцать мгновений весны(春の17の瞬間)』はマリーナ・リョッカというハンガリー系のドイツの女優兼歌手の歌に由来する。1945年の戦争の17日間を指しているという。

出題)「私はこれについて考えないようにした」をロシア語にせよ。

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2014年01月31日

●続和文解釈入門第352回

ある機縁で1996年初出の『弟』(石原慎太郎、幻冬舎文庫、1999年)を読んだ。弟の石原裕次郎(1934~1987)との思い出について、二人の交わりを淡々と、弟を思う心温まる筆致で描いており、裕次郎の演技や歌について覚めた目で見ているのには共感が持てる。歌手の石原弘(初対面から裕次郎といきなり言われ、礼儀のうるさい裕次郎は生涯口を利かなかったという)、俳優の三船敏郎(性格的には見かけと違い線の細い)、渡哲也との関わりに、より裕次郎とは何かを鮮明に浮き上がらせている。天才横山やすしのように我がままなので、裕次郎に惚れん込んだ人には良いのだろうが、そうでなければそばにいて疲れる人のようである。渡哲也のように惚れ込んだゆえに、大動脈解離で死にかけた裕次郎がぼけてまで生きのびて名を汚してほしくないと実力行為をほのめかしたエピソードなど興味深い。子供ができなかったので、著者の4人の子息のうち3人とのエピソードも面白い。いずれにせよ太く短くという人生の裕次郎に対するオマージュとも言える。新しい時代を切り開いた二人の交情がせつない。石原慎太郎の小説は読んだことがないし、これからも読むことはないだろうが、本書を読んでプロの小説家の文章はこういうもので、自分にはとても書けないと感じたことも確かである。
 著者が都知事選に出ることになった時に、当選を危ぶんだ裕次郎が現金2億円をカバンに詰め込んで持ってくる場面がある。慎太郎は好意だけを受け取って、裕次郎には帰ってもらったとあるが、その時に裕次郎は小佐野賢治と会えと勧めたという。裕次郎の持ってきた2億の金の出処については書いていないが、想像はできる。小佐野とは会ったがそれだけだという。慎太郎はそれまでに代議士を務めており、金にはもらっていい金とそうでないものがあるということも含めて、政治家と金についてはよく知っていたろう。猪瀬元知事もベストセラーだったこの本を読んでいたと思うが、このくだりは失念したのだろうか?政治家としての修業を積まないで、いきなり政治の中枢に入る危うさを感じる。青島幸男は議員も経験していたが、そういう意味での政治家としてのキャリアはゼロに等しかったように思え、都知事としても何の業績も残していない。石原慎太郎は東京のディーゼル車排ガス規制などのプラス評価もあり、新銀行東京などのマイナス面もあるが、知事としての存在感を示したということは言える。

出題)「私は問題を具体的に提起します。彼を信じていらっしゃいますか?」をロシア語にせよ。

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2014年02月01日

●続和文解釈入門第353回

『三訂和文露訳入門』2-2-1-2項の中ほどにある段落を下記のように訂正しました。

一見その動詞が初めて出てくるのにもかかわらず、不完了体が使われることがあるが、よく文脈を見ると、すでにその動詞に関する状況設定がなされている、つまり踏み台のように、場がすでにこしらえられていることが分かる。つまり意識下において、使われる動詞は新規に使われるのではなく、反復であるという認識から不完了体が用いられることになる。

(だって彼はもうここに来ていたよ。私と一緒に地震の後に来たんだよ)Он ведь уже был здесь – приезжал со мной после землетрясения.

出題)「専門家派遣の件はどうなりましたか?」をロシア語にせよ。

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2014年02月02日

●続和文解釈入門第354回

『三訂和文露訳入門』2-2-1-2項に、「しかし、「昨日来て、去った」というように、過去を特定する状況語があれば、1度特定の時期に起こったということだから、Вчера он приехал и уехал.となり、приезжалは使えないことになる。つまり、昨日とか1年前とか明らかに過去を特定する状況語が明示されない場合、またいつかは忘れたが、1度あったということをイメージしない場合に、不完了体動詞過去形が出てくる」と書いたが、第349回の回答のコメントに書いたように、これは間違いなので削除し、2-1-3項を次のように訂正するようお願いする。

2-1-3 動作の往復

不完了体過去形の用法には反復と、過程(при-という接頭辞のついた運動の動詞以外)の用法があるが、本項で取り上げる動作の往復の用法というのは、完了体過去形に見られる結果の存続(3-2-1項)の用法のアンチテーゼとして生じた動作の無効(2-1-8-10項)のことである。この用法には、運動の動詞の不定動詞ходить, ездитьの過去形、および接頭辞のついた運動の動詞の不完了体動詞過去形、および対義語のある動詞群の不完了体過去形を用いる。例を挙げると、приходил = пришёл и ушёл; отходил = отошёл и подошёлは、<来たが帰ってしまって、今はそこにいない>を意味し、完了体過去形の順次的用法を意味する。本来不完了体は時間軸の具体的な不動の一点を示す時の状況語と共には用いられないが、完了体過去形の順次的用法の代用であるためにそれが可能になる。また動作が往と復の二つあり、復の動作は往の動作と同じ内容だが、方向のみが逆、つまり同価で符号のみ(+)が(-)に変わっただけの反復動作と考えられるので、不完了体が使われると考えてもよい。これは2-2-1-2項の踏み台(みなし反復)の考え方と同じである。

(昨日僕のところに友人たちが来た)Вчера ко мне приходили друзья. <時の状況語であるВчераにも期間としての要素はあるが、時間軸の特定の不動の一点と考えても問題ない。動作の有無の確認であり、今は友人たちはいないということに文の焦点があるので不完了体過去形が使われている>

 往復で使える完了体には4-2-4項で挙げるс-という接頭辞のついた動詞群があるが、これらを過去の時制で用いると往復は往復でも、動作が二つの動作ではなく、一挙動になる。意味的にはアオリスト的用法もあり得るが、結果の存続の可能性が高い。

(ボリショイ劇場へ行ってきました)Я сходил в Большой театр.

2-1-3-1 動作の往復の動詞群

出題)家庭教師の広告案内「数学の家庭教師を月額2万円でいたします」をロシア語にせよ。

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2014年02月03日

●続和文解釈入門第355回

『三訂和文露訳入門』を下記のように訂正願う。
3-1-2 反復・習慣・普遍性 → 不完了体動詞現在形

反復にも動作の一括化(連続する反復、2-2-1-5項)や偶発的反復(2-2-5項)、規則的(定期的)反復、多くの回数の繰り返しがある。「完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点をイメージする」ことから派生して、反復という用法の中の、動作の一括化(連続する反復、2-2-1-5項)や偶発的反復(2-2-5項)は完了体の受け持ちとなり、「不完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点をイメージしない」、つまり規則的反復や多くの回数の繰り返しは動作の特定かつ不動の一点にないことは明らかなので、不完了体で表現することになったのだと考えられる。継続や反復という用法は不完了体の本質ではなく、文脈や状況語によるとフォーサイス先生も述べておられるが、これは後者の方の反復であろう。つまり不完了体は動作や状態の素材そのものであり、多回体のように語義に反復が含まれるものは除いて、動作が1回で終わるという限定もないゆえに、文脈やその他の状況語によって反復(後者の)、習慣、普遍性などに色づけされることになると言える。

出題)「一番長い上り坂は何キロメートル地点から始まりますか?」をロシア語にせよ。

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2014年02月04日

●続和文解釈入門第356回

『三訂和文露訳入門』5-1-2 勧誘の項に下記追記願う。第349回の続きでもある。
この用法は「~するとしたら」が前提となっているために、踏み台(みなし反復)ということで、動作自体が任意であり、動作遂行の結果をイメージしないので、不完了体命令形が用いられ、時間軸の特定の不動の一点を示す状況語(例えば次の文のсегодняやзавтра)と共にも用いられる。

(時間があったら今日家に寄ってくださいね)Заходите к нам сегодня, если у вас будет время.
(今日は羊の肉は入ってこないよ、明日来て下さい)Сегодня баранины не будет, приходите завтра.
(今、羊の肉がないから、もう少し後で来てください)Придите попозже, сейчас баранины нет. <完了体動詞命令形Придитеは、「必ず来てね」という相手を拘束するような強い命令であり、不完了体命令приходитеは、来ても来なくてどちらでもいいけどという感じである>

出題)「規則的に食事を取り、ゆっくり食べ、食べ物をよくかむようにしなさい」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 07:45 | Comments [2]

2014年02月05日

●続和文解釈入門第357回

不完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点をイメージしない、つまりそのような一点を示すような時の状況語と不完了体は相性が悪いと言っているわけである。しかし、動作遂行の結果をイメージしないのなら、『三訂和文露訳入門』の4-1-2項の予定の用法(動作の有無の確認)や、5-1-2項の勧誘の用法(動作が任意である)のように時間軸の特定かつ不動の一点を示す状況語と共に用いてもよいということになる。

出題)「この話は終わりだ」をロシア語にせよ。

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2014年02月06日

●続和文解釈入門第358回

完了体命令形は強調の意味があると間違って思いこみ、それが不完了体命令形との使い分けの違いだと考えている人がいるようだ。多分研究社の露和のсестьのところの説明に、「完了体сядьтеは命令、不完了体садитесьは促し・勧めを表す。садитесьの多用から、具体的・特定的な一回動作でもсадитьсяを使うことがある。同様な傾向はлечь, ложитьсяにも認められる」とあり、岩波の方には、「Сядь(те)!座れ/Сади(те)сь!おかけなさい(完了体が命令を表すのに対して、不完了体は勧誘を示し、より丁寧な、やわらかい表現となる)とあるからかもしれない。命令とあるが、命令文は全て命令であり、その強弱があるだけなのでこの命令は誤解を招きやすい。この命令は命令の強調だと理解する。完了体命令形が強調を示すというなら、Скажите, где туалет?(トイレはどこか教えてください)は強調であり、強調したくなければГоворитеを使うということにもなりかねない。いやいやそうではなくて、сестьみたいのだけが例外だという説明になるのだろうか?これでは完了体と不完了体の用法が動詞や動詞群によって使い分けが行われるということになってしまう。Скажитеは新規の動作だから使うのであって、強調だからということではない。

 「おかけなさい」はСадитесь.と習い、なぜ完了体命令形Сядьте.を使えないのかの説明を大学の時に先生やロシア人にも尋ねたが、納得のいく回答は得られなかったので、このまま覚えてしまった。それから15年ぐらい経って、モスクワ駐在員の時にザゴールスク(現セールギエフ・ポサード)にある大修道院(1993年世界遺産認定)で神父さんに中の説明を受けていたときのことである。その神父さんが何かの用事で席を外さなければならなくなり、そのときソファーを指して、Сядьте.と我々に言ったのを覚えている。後でなぜСадитесь.と言わなかったのだろうと気になり、そこから真面目に体の使い分けや用法に取り組んだわけである。今にして思えば、ソファーのことは我々は気にも留めていなかったし、それまで立って説明を聞いていたわけだから、座ることは考えていなかったので、話し手にとっても、聞き手にとっても座るという動作は新規の出来事であり、だからСядьте!と完了体命令形を使ったのだということが分かる。

(おかけください。テーブルの近くにどうぞ)Садитесь. Сядьте ближе к столу.

上の文のСядьтеは強調ではなく、机のそばという新しい状況を提示しているから完了体命令形が来ており、Садитесьと同じ単語を二度繰り返して使わないというロシア語の文体的な美的感覚ということも少しはあるだろう。

 ロシア語の小説を読んでСадитесь!を使うべきところに、Сядьте!を使う場合が稀にあるが、これは使う人が野卑な感じを出そうとして、つまり不完了体を使うところに完了体を、完了体を使うべきところに不完了体を使うと場違いという感じで、文体上、非礼な感じを出すための作者の意図だと考えている。これは日本語の二重敬語などにも言えることである。

 完了体と不完了体の用法の違いの本質にあるものは何かということに、これまでの参考書は触れて来たが、それはあくまで露文解釈の観点からであり、正しいロシア文があり、そこから体の用法を解釈していたわけである。ところが会話において和文露訳をする場合に、どういう基準において体を使い分けるかについての明確な指針を示すような参考書はなかったわけである。フォーサイス先生の本でも、原求作先生の本でも、露文を念頭に置いた参考書だから当然と言えば当然なのだが、露文解釈の観点からしか書いておらず、細かい完了体と不完了体の時制や法における用法の細かい違いばかりを扱っている。体の用法は動詞ごと、あるいは動詞群ごとで用法が変わるというのであれば、それは『三訂和文露訳入門』の第1章(完了体と不完了体の違いの本質が書かれてある)を読まないで、第2章以降の完了体と不完了体の細かい使い分けのみ勉強するということであり、これまでの体の用法についてのこれまでの参考書の考えと同じである。体の使い分けをマスターするには、大本の完了体と不完了体の違いの本質を理解するのが不可欠である。その現れ方が、動詞群によって強弱があり、それを個別に学び、かつ常に頭には体の用法の大本は何かということ置いておかないと、体の用法の奥義はつかめないし、会話でも活かせないことになる。なぜ現れ方に強弱があるのかというと、動詞の語義自体にそれぞれ完了体の出やすいもの、不完了体が出やすいものという本質的な差があるからである。『三訂和文露訳入門』で一番重要なのは第1章であり、ここを再読、再々読して理解すれば、体の奥義は会得したことになる。その理解のために第2章以下があるわけである。

出題)「子供の頃から喉が弱かった」をロシア語にせよ。

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2014年02月07日

●続和文解釈入門第359回

『三訂和文露訳入門』6-2-1-1項に下記追加願う。
体の使い分けをする上で、不必要と禁止は不完了体の領域であるが、それ以外は完了体か不完了体のどちらかを使うべきだとは決められない。強制や義務というのも、回りの雰囲気や世の中のしきたりによってせざるを得ないというのなら不完了体であろうし、話し手が回りの雰囲気には頓着せず、具体的な1回の、新規の動作を行うということで、聞き手の事情を考慮しないという意味の強制であれば、完了体が使われることになる。図式的に説明すると、

〔義務・強制〕
 回りの雰囲気・状況によるもの → 不完了体

(もう6時だ。そろそろおいとましないと)Уже шесть часов. Я должен уходить. <切迫感>

 話し手自身の都合によるもの    → 完了体

(今日アレクセイに手紙を書かねばならない)Сегодня я должен написать письмо Алексею.

 しかし次の文で完了体が出てきているのは、不完了体が使われるような一般的な慣習や儀礼上、常識としてというような回りの空気を読んでということではなく、特定の状況であり、かつ例示的用法ということで完了体未来形が来ている。

Насколько позволят обстоятельства(状況が許す限り)
Если позволят обстоятельства(状況が許せば)
Когда позволят обстоятельства(状況が許せば)
Как только мне позволят обстоятельства(状況が許せばすぐ)

このように『三訂和文露訳入門』第1章に書いた体の本質に思いを致せば、文脈によってどちらの体を使うべきかは自然と見えてくるはずである。

出題)「今すぐ自分のための戦いを始めないならば、僕はおしまいだ」をロシア語にせよ。

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2014年02月08日

●続和文解釈入門第360回

『三訂和文露訳入門』9-2-2項に下記追記願う。
с + 造格(動名詞ないしは時に関係する名詞)で「~してすぐ」という意味を出せる。

(状況は父の死の直後変わった)Положение изменилось со смертью отца. <после смерти отца だと父の死の直後というニュアンスはないが、сразу послеとすると直後という意味になる>
(ヒットラーが政権に就いてから2カ月後にベルリンで会議が行われた)Через два месяца после прихода к власти Гитлера, в Берлине состоялось совещание. <直後ではないためс + 造格は使えない>

同じс + 造格でも、後に続く動作をс последующим (-ей, -ими) + 動名詞の造格という形で、動作の順序を逆転させて示すこともできる。これは9-8-3項のчтобыのように、結果の意味への転用と考えることもできる。

(車検はモスクワ公共事業部が実施した後、ナンバーが交付された)Технический осмотр автомобилей с последующей выдачей номеров производили Технический отдел Московского коммунального хозяйства.

出題)「彼がつけ上がるようなら、たしなめなさい」をロシア語にせよ。

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2014年02月09日

●続和文解釈入門第361回

世界初の有人宇宙飛行をしたガガーリンの前に、ソ連では犬が宇宙を飛んだわけだが、大気圏まで飛んで無事戻ってきたジェージクДезикとツィガーンЦыганは成功だったが、その後は失敗例も多く18匹が事故死した。1957年11月3日二度目の人工衛星に搭乗したライカЛайкаが最初の宇宙犬なのだが、軌道周回4週目で船室の過熱のため死亡した(公式発表では苦しむことなく死亡したとある)という。ライカの後は宇宙犬として野良犬の中からメスを選び、これは宇宙服の開発に楽だ(出っ張りがないからか?)ということらしい。毛色も観察しやすいように白っぽい色の犬とされた。このようにして1960年7月28日に飛んだリシーチカЛисичкаとチャーイカЧайкаは不成功に終わり、その1カ月後補欠であったベールカБелкаとストレールカСтрелкаがスプートニク5で成功し、無事地球に戻った。その後子供たちの人気者となり、犬としては長命だったという。ストレールカは2度元気な子供を生み、1匹はケネディ大統領にプレゼントされた。二匹ははくせいとなってモスクワの宇宙航行記念博物館にある。

出題)比喩的な表現で「みんな互い(の間)に壁をめぐらしている」をロシア語にせよ。

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2014年02月10日

●続和文解釈入門第362回

『三訂和文露訳入門』に9-2-3 確述として、下記のように追記することにした。
近接未来の条件法において、「もう終わりだ」という意味を完了体過去形で示す動詞群がある。

(今すぐ自分のための戦いを始めないならば、僕はおしまいだ)Если я не начну борьбу за себя сейчас, не медля, я погиб. <пропалなども使える。погибнуть, пропастьの完了体過去形で未来を示す時制の転用>
(もしこの協定が成立したら、全ては終わりだ、自由主義的な思想はおしまいだと僕には思われた)Если это соглашение состоится, думалось мне, то всё кончено – либеральным идеям капут. <被動形動詞過去短語尾конченоの現在の時制を使った確述の用法。同義であるкапутの代わりにбастаでもよい。共に意味上の主語は与格に置く>
Мне конец пришёл. <пришёлは確述の用法なので、取っても意味は変わらない>

出題)「私の考えでは、私の行動は正しい」をロシア語にせよ。

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2014年02月11日

●続和文解釈入門第363回

『三訂和文露訳入門』10-19 疑問詞 として下記追加願う。

 入門の段階で習う疑問代名詞のчтоやктоもよく考えれば、けっこうややこしい。文法書にもさしたる説明がなく、普通は丸暗記するのだろうが、一応考えてみた。

 「~とは何か?」と物事の定義を尋ねるときには、
(金銭とは一体何か?)Что такое деньги? <такоеは強調の意>
(日本とは何ぞや?)Что такое Япония? <同上>

 しかしザルービンの露和辞典によれば、名称を尋ねている用例も併記されている。実際会話ではこの用法が多いと思われる。

(これは何ですか?)Что это? <= Как это называется?>

 つまりчто + 主格?という構文は意味的に曖昧であるということになる。このことからもの性質をより明確に尋ねるには、次のような表現を使う。

(どんな騒音だ?)Что за шум? <что за + 主格 = какой、第250回本文参照。この構文はものの性質を尋ねている>
(どんな人間だ?)Что это за человек? <этоは強勢助詞で主語ではない。この構文はものの性質を尋ねている>

 しかし、ものの一般的(抽象的)な定義でもなく、また名称でもなく、具体的に「~とは何か?」と尋ねたい場合は、в чём + 主格を使う。これは『三訂和文露訳入門』8-4項に〔ロシア語における「意見」は具体的な人の意志の力により形成されるものであり、一方「知識」は、自然にわいてくるものではなく、どこからか得るものだという考え方があり〕と書いたように「知識」はどこかにあるという考え方からであろう。意味的にはв чём = гдеであるのは明らかだからだ。つまりв чёмにзаключается, состоитが省略されていると考えられ、知りたいこと(知識)はどこにあるのかを尋ねていることになる。それは、(実は〔というのは〕~である)Дело в том, что = главное (суть) в том, чтоという構文のдело = суть дела(事の本質)からも分かる。

(どういうこと?)В чём дело? <= Что случилось?>〔直訳すれば「事の本質はどこにあるのか?」〕
(モデルのOVERとOVESとの違いは何ですか?)В чём разница между моделями ОВЕР и ОВЕС?
(我々の任務とは何か?)В чём наша задача?

(どちらさま)Кто такой?<= Кто таков?(どちらさん?)は口語的であり、どちらも名前ないしは職業、正体を尋ねているが、やや軽蔑のニュアンスがある。日本語でもいきなりこういう風に聞くのは失礼なのと同様>
(どちらさまですか?)Кто там (здесь, тут)? <ドア越しなど姿の見えない相手に対して>
(どちらさま何ですか?)Кто вы такие? <такиеは強調の意味だが、この場合は主語が複数ならтакиеとなり、単数ならтакойとなり、主語の数を示していることになる>

出題)「機械が人に完全にとって代わるかもしれないとは思わない」をロシア語にせよ。

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2014年02月12日

●続和文解釈入門第364回

2004年にカザフスタン東部のウスチカメノゴールスクに出張したことがある。中国に売るのだろうか、ロシアやカザフスタンの他の地域で見たことのない、「髪買いますПокупаю волосы.(看板などで使う遂行動詞)」という看板を街で見つけたり、химический каландаш(濡らすと紫色のインクのようになる、つまり濡らさなければ消しゴムで消せる鉛筆で、直訳すると化学鉛筆だが、日本で売られているのかは不明)を買ったりした。よく見たらドイツ製だった。その頃ロシアではもう作っていなかったのだろう。後にカザフの知人からちびたロシア製の化学鉛筆をもらった。

 乗せてもらった車に先客のご婦人が二人おり、日本から来たと言うと、この街にも最近カジノができて、自分たちもほぼ毎日通っている。世の中であんなにワクワクするものはないと言う。根が小心だし、博才もないと思うのでカジノに行ったことはあるが、遊んだことはない。カジノは胴元が得をするようになっているという理屈は分かるが、このスリル感を楽しみたいと言う人もいるだろう。東京にもオリンピックまでにカジノのをと説く人もいるし、東京にカジノができればマカオに行く中国人の何%かはカジノ目当てに日本にやってくるかもしれない。カジノも酒やたばこのようなものと考えれば、こういうスリルに酔いたいという人たちが現にいるわけで、そういう人たちも気持ちを一考だにしないというのもどんなものだろう?

出題)「つい先日ここで知り合いを見かけた」

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2014年02月13日

●続和文解釈入門第365回

『異端の統計学ベイズ』(シャロン・バーチェ・マグレイン、富永量訳、草思社、2013年)を非常に興味深く読んだ。偏差値などで使われる、いわゆる釣鐘型の統計理論(頻度主義)ではなく、1740年代末にトーマス・ベイズにより考え出された確率に関する理論で、ラプラスがより精緻なものにした。この250年間に5度はほぼ致命的な打撃を受けながら生き延びた統計学の理論の歴史についてである。これは「何かに関する最初の考えを、新たに得られた客観的情報に基づいて更新すると、それまでとは異なった、より質の高い意見が得られる」という理論で、これまで起こっていないが、起こるかもしれない事例の確率についても用いることができ、コンピューターの性能の向上に従って、暗号の解読、グーグル検索、機械翻訳などに威力を発している。コンピューターは何も理解しないが、パターンを認識するので、これを機械翻訳に利用していると著者は述べている。パターン認識というより、例文のパターン暗記というのは、語学学習の上で必須の学習法だが、コンピューターはともかく、生身の人間で耐えられる人は少なかろう。そういう意味で、挨拶表現をではなく、意思を表現できるレベルまで語学が上達するのは至難の業だと思う。それゆえ、機械的な語彙の暗記ではなく、体の用法を極めることを主眼とする文法を活用した和文露訳の考える学習法を私は提唱しているわけであり、そのほうが例文のパターン暗記より勉強のやる気や興味が湧くように思うが、皆さんはどうか?

出題)「僕は強い茶は大丈夫です」をロシア語にせよ。

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2014年02月14日

●続和文解釈入門第366回

私の母は57歳でガンが転移して亡くなったが、亡くなる3日ほど前、私が夜そばについていたときに、眠っていたのが急に起き出し、病棟の天井近くを指さして、白いものが浮かんでいる、呼びに来たんだと言いだした。父がなだめて、落ちつかせ、静かになったのだが、その時にあの世はあるかもしれないなと感じたのを覚えている。それ以前にもスウェンデンボリ『霊界日記』などを読んだりして、あの世に関してそれなりの興味を持っていたからなおさらである。ところが、その後、人は死ぬ前にも脳の腐敗が始まるが、そのときに二酸化炭素が発生して、それが幻覚を引き起こすのだとという説を聞いたり、最近では脳が低酸素状態になると幻覚を生じるというのを聞いて、やはりあの世はないのだろうと思っている。

 最近有名なアメリカの脳神経外科医エヴェン・アレクサンダー氏が臨死体験околосмертный опытをして、自分の死んだ妹に会い、あの世はあると説いている。自分が経験すれば別だが、ただあの世がこの世の続きで、嬉しく思う人もいるかもしれないが、そうであれば退屈なような気もする。それよりも全ての意識は宇宙全体に共有されていると考えた方が分かりやすい。

出題)「没収したダイヤの値段をどのくらいにつけますか?」をロシア語にせよ。

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2014年02月15日

●続和文解釈入門第367回

NHKで2014年1月に2週にわたって放送されたプレミアム超常現象паранормальные явленияという番組で、超常現象を科学的に解明しようという取り組みについて紹介していたが、その中で心霊現象спирические явленияや生まれ変わりреинкарнацияは宇宙全体の意識とのつながり、テレパシーтелепатияは量子もつれквантовая запутанность, quantum entanglementに関係しているという。量子もつれというのは複数の物理系の間の距離に依存しない非局所的な相関現象のことで、極微の世界では粒子が波の性質を持ったり、波が粒子の性質を持つという、日常ではなかなか実感することのできないという大きな特徴があり、距離に関係なく(非局所的に)相手の状態を決定することができる(相関がある)ということらしい。予知能力ясновидениеは人間の生存能力выживаемостьに関係あると考える科学者がいることが紹介されたいた。これは危機察知能力のことで、私はこれに時間も関係する四次元空間も関係があるのではないかと思っている。
 またこの番組では幽霊が近づくと感じると言われる寒気холодокは恐怖が人の体温を下げ、それによって敵に見つかりにくくすることからかもしれないという説を紹介していた。幽霊привидениеについてもコリン・ウィルソンは写真のように何かの念が磁気などの影響で、その場に強い思いが残って、写真のように念写されたものではないかと言っているが、個人的にはそういう見解を支持したい。だから、幽霊は同じ動作をするのだというのがウィルソンの説である。

出題)「ボタンを押したが、爆発は起こらなかった」をロシア語にせよ。

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2014年02月16日

●続和文解釈入門第368回

『クマムシ博士の「最強生物」学講座』(堀川大樹、新潮社、2013年)を楽しく読んだ。著者はNASAでも働いたことがあるクマムシwater bearの権威である。クマムシは科学技術未来館にガイドの仕事で行った時にぬいぐるみが可愛かったので気にはなっていた。クマムシは、マイナス273度の低温、プラス100度の高温、人の致死量の約千倍に相当する線量の放射線を浴びても弱るかもしれないが、生き残る。さらにアルコールなどの有機溶媒、紫外線、水深一万メートルの75倍に相当する圧力や真空など様々な種類の極限のストレスに耐えられる最強の生物であり、体長0.1 – 1.0 mmで4対の肢を持ち、寿命は1~2カ月であり、水生生物で、乾眠ангидробиоз, высушивание(体の水分を0~3%にしても、水を加えると蘇生する)という能力で生き延びるらしい。千種以上いるらしいが、中でもヨコヅナクマムシはメスしかいないという。昆虫ではなく、緩歩動物тихоходки(クマムシというロシア語がなく、この単語で代用せざるを得ないと思う)である。ぬいぐるみも研究費を集めるためというので、ぜひご興味ある方はネットで見てほしい。かわいいことはかわいい。

出題)「行って下さい、追いつきますから」をロシア語にせよ。

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2014年02月17日

●続和文解釈入門第369回

電車の広告で分からない単語をロシア語で何と言うのかを考えることがある。和露辞典を使えば簡単だと思うのは素人である。まず載っていない。時事ロシア語という以前の問題である。単語がすぐロシア語にならなければ説明すればよいのだが、その説明が簡単には行かないようなものを、テレビや新聞、電車の広告などで集めて、それをロシア語にするというのが日課になったりする。宮部みゆきの小説は現代ものはそうでもないが、時代ものの本所深川同心井筒平四朗が活躍する『ぼんくら』、『日暮らし』、『おまえさん』の三部作は、文章も雰囲気も気に入っているし、他にも日照り神を扱った、『あんじゅう』(三島屋変調百物語事続)に収められている『逃げ水』は特に気に入っている。ストーリーだけでなく、この作家の遣う、日本語として心にしみるような日本語の語彙が気になって、気になる語彙はロシア語にしようとしたりすることもある。そういうときには露和辞典や3巻本の英露辞典Новый большой англо-русский словарь(新大英露辞典、3巻), Ю.Д. Апресян, Русский Язык, 1994(語数25万語)を使うことがあるし、たまに和露辞典としてはまあまあ気にいっているРусско-японский словарь, Русский Язык、Б. П. Лаврентьев、1984(語数約7万語)を使うこともある。和露辞典にはその時点で必要とする語彙が載っていないので使いたくないのだが、この和露辞典には正解はないかもしれないが、ヒントはある。和露辞典の悪口を書いているようだが、和露辞典は一般的な語彙を扱い、しかも露訳しやすい語彙を選んでいるような感もある。その上類語の区別がないから使えないし、我々プロが探す語彙というのは普通の文脈では使わないものが多いので、結局自分で調べざるを得ないのだ。

出題)「スタートから200メートルほどで僕はころんだ」をロシア語にせよ。

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2014年02月18日

●続和文解釈入門第370回

テレビ東京の「Youは何しに日本へ?」はガイドという仕事柄毎週欠かさず見ている。非常に面白い番組だが、英訳はWhy did you come to Japan?であって、Why have you come to Japan?とかWhy are you come to Japan?ではないのに気がついた。これはある大企業で法務部に勤めているというアメリカ人女性もそう発音していたから、英語では結果の存続というのをうるさくは言わないのかもしれない。成田空港に着いたばかりのロシア人には、ロシア語ならПочему вы приехали в Японию?とかПочему вы в Японии?というのが自然だろうと思ったので、中学高校で習った英語のhaveを使った現在完了というのも、ロシア語とはずいぶん違うなと思った次第である。

出題)「無からは何も生まれない」をロシア語にせよ。

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2014年02月19日

●続和文解釈入門第371回

ロシア人のガイドをしていると、日本人には信仰を持っている人が多いのかとよく尋ねられる。これは我が国が科学技術の先進国であり、いわば未来の国としての信仰というのをロシア人が知りたがっているからかもしれない。2014年1月23日付の読売新聞朝刊には「無神論 徐々に広がり」という記事があり、無神論者атеистыと自覚する人の割合が多い国として、ウィン・ギャラップ・インターナショナル画世界57カ国、計約5万人を対象にした2012年の公式調査の結果によれば、中国が47%(宗教心がある人は14%)でトップ、2位が何と日本で31%(16%)、以下チェコ30%(16%)、フランス29%(37%)、韓国15%(52%)、ドイツ15%(51%)、オランダ14%(43%)と続き、米国は5%(60%)である。中国はお国柄当然とはいえ、我が国が2位というのには驚いた。ロシアの結果が載っていないのは残念だが、上位を占めそうな気はする。

 無神論атеизмというのは、神の存在も、神の意志もないとする立場だと同紙に書いてあったが、回りを見て、日本人に無神論者が多いとは思えない。私自身は不可知論者агностик(事物の究極の実在,絶対者,無限者,神は知られえぬと説く立場であると平凡社世界百科にある)、神が存在するかしないかは、少なくとも現時点では証明不可能であり、仮に存在したとしても、そのような究極の存在が私ごときにかまう理由はないだろうし、お賽銭をあげたり、拝んだりすると神仏がお喜びになるという発想にはついていけない。神仏が存在するにしてもいくらなんでもそんなに安っぽいものではなかろうと思う。私と同じ考えかどうかは別にして、白黒決めるのを嫌がり、灰色が好きな日本人が、神がいないと断定する無神論者であるとはとても思えない。初詣に明治神宮だけでも3千万人の人出だというのは、神がいるかどうか分からないが、念のため拝んでおこうぐらいという気持ちと、先祖や自然のもろもろの気を大切にと考える日本人の気質からではないかと思う。多分アンケートを取るときに、無神論(神は存在しない)と信仰の有無の区別を明確にしなかったのではないかという気がする。

出題)「ダニーラが勝手な真似をしようと決めたのかと一瞬思ったぜ」をロシア語にせよ。

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2014年02月20日

●続和文解釈入門第372回

日本は世界一の長寿国だが、長生きすると、退職後に何をしていいか分からないという人が増えているように思われる。暇つぶしвремяпрепровождениеはだれにでもできるが、生き甲斐смысл жизниを見つけるのは容易ではない。私は大学でロシア語を専攻し、その中から3つほど難問を抱き、その解を求めるのが生き甲斐となり、有難いことに何とかその解を得たのではないかと思い(錯覚かもしれないが)、現在に至っている。趣味も生きがいになりうるが、その趣味すらない人もいるし、趣味によっては年を取ると体力的に無理というのもあろう。鬱にならないとか、ボケない秘訣はヲタクになることなのだが、とっかかりは人によって千差万別で、これという決め手がない。生きがい探しを若いうちからするようにというのを私の最近娘たちに書いたメールである。

出題)「彼にはユーモアのセンスがなくはない」をロシア語にせよ。

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2014年02月21日

●続和文解釈入門第373回

『三訂和文露訳入門』に下記追記乞う。

10-20 二重否定

二重否定というのは「なくはない」というように否定に否定を重ねることで肯定的な意味を持たせることである。しかし、日本語では「なくはない」と「ある」は同義ではない。「なくはない」には、あることはあるが、量が少ないとか、見せたくないとか消極的なニュアンスが感じられる。ロシア語にも二重否定はあり、2008年版アカデミー露露辞典のнеにも同意の意味утвердительное (= выражющее согласие с чем-либо; подтверждающее что-либо) значениеを挙げているが、語義から判断して消極的な同意と理解される。二重否定にはнельзя (невозможно) не + 不定形の他に、не могу (смею) не + 不定形があり、その例で説明すると、Я не могу не согласиться.(直訳すれば「同意しないことはできない」)はЯ могу согласиться.(同意することができる)と同じ意味ではない。ザルービンの露和辞典にはне могу не = вынужденとあり、Русский язык Экнциклопедия, Филин Ф. П., Советская энциклопедия, 1979では否定の否定は肯定的意味となり、не могу не = долженとなっているが、いずれにせよ「賛成せざるを得ない」か「賛成しなければならない」と訳すべきであって、「賛成してもよい、賛成できる」という意味にはならないことが分かる。ロシア語でも二重否定は修辞的婉曲的言い回しゆえに、暗示的な、消極的なニュアンスが出るのだと思われる。не без того (этого)も口語で確認を示す同意(まあそうだ)を示し、これも消極的なニュアンスがあるのは次の例文を見ても分かる。

「疲れたようだね?」- Ты, кажется, устали?
「まあね」- Не без этого.

 この他に二重否定の例文を挙げる。

(憲法に関する仮定は確固たる基盤を欠いた噂以上のものではなかった)Предположение о конституциях представляло не более как слух, лишённый твёрдого основания.
(それは嘘に他ならない、嘘に違いない)Это не что иное, как ложь. <не что иной, как = именно, как раз>
(彼こそラープチェフだ)Это был не кто иной, как Лаптев. <не кто иной, как = именно, как раз>
(彼にはユーモアのセンスがなくはない)Он не лишён чувства юмора.

 次に二重否定の要素が含まれている形容詞(副詞をその形容詞から作るのは可能である)を挙げる。

небезвыгодный(悪い話ではない)、небезграничный(無限ではない)небезгрешно(罪がなくはない)、небезоблачный(心に曇り一つないというわけではない)、небезосновательный(いい加減というわけでもない)、небезопасный(危なくなくもない)、небезразличный(まんざらでもない)、небезынтересный(興味がなくもない)、небезывестный(心当たりがないでもない)、небесполезный(役に立たないわけではない)

出題)「馬肉で命をつなぐのを気にしなかったのは文学者さえもだった」をロシア語にせよ。

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2014年02月22日

●続和文解釈入門第374回

危惧の念というのは主観的要素が強く、命令法では完了体の否定形を用いる。これを援用して、危惧を表す動詞が結びつく不定法にも、例示的用法から完了体が使われる。このように体の本質が分かれば、体の使い分けというのは応用できるものである。

(意見を変えたことがばれるのが怖い)Люди боятся обнаружить перемену во мнениях.
(言いにくいのですが、名前を挙げにくいのですが)Боюсь сказать. (назвать).
(おそらく彼は来ない)Боюсь, что он не придёт.
(できるかどうか自信がない)Боюсь я не смогу.
(彼は金を貸すのが不安だ)Он боится дать деньги взаимы.

 否定文では、危惧の念が消えるから、経過や反復の意味で不完了体が出てくる場合もある。

(彼は話をするのを恐れない)Он не боиться беседовать.

出題)「数では我が方に分がある」をロシア語にせよ。

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2014年02月23日

●続和文解釈入門第375回

完了体未来形の完遂の意味を強調すると「必ず~する」という意味なるが、その場合でもне преминуть + 完了体不定形と完了体不定形が来る。

(必ず報告する)Я не премину сообщить.

出題)「初耳です」をロシア語にせよ。この出題に対するコメントは都合により4、5日後になりますので悪しからず。

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2014年03月02日

●続和文解釈入門第376回

『三訂和文露訳入門』3-1-7-4項に下記差し替え願う。
初めてというのは良否、好悪に関わる評価という一面もあり、そのため結果存続兼評価型動詞と共に用いる事もできる。またбыть動詞は現在の時制では普通は明示されないが、初めてを示す時の状況語と共に状態動詞の結果の存続を示す事もある。動作が終わっていれば2-2-1-1項のアオリスト的用法である。

(初耳です)Первый раз слышу.
(気でも違ったのですか。お会いするのは初めてです)Вы с ума сошли! Я вас вижу первый раз.
(彼らが一緒のところを我々が見るのはこれが初めてだ)Это первый раз, когда мы видим их вместе.
(寿司を食べるのは初めてですか?)Вы впервые едите суши?
(ここは初めてです)Я здесь впервые.
(飛行機〔で乗るのは〕は初めてですか?)Вы в первый раз летите самолётом?

出題)「天気はよくなる模様」をロシア語にせよ。

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2014年03月03日

●続和文解釈入門第377回

和露辞典に不信感を持っているのは、類語の説明がないからだと何度か書いた。コブを例に取ると、шишкаは打撲や炎症でできたコブであり、生まれつきのコブはнаростとなり、スポーツのモーグルなどのはбугорである。単語を正列挙するのではなく、このような用例による違いを分かりやすく記載する必要があるという意味である。ただそれよりも、本質的に問題だ思うのは、和文の訳として挙げられているロシア語の語彙が、ロシアで普通に使われているものなのか、それとも説明として編纂者が自ら作ったものかが不明だという点である。実際にプロの通訳をやったことがない人には分からないかもしれないが、例えば、「経験や実践において獲得した、巧みに素早く処理する術」というよりは、「コツсноровка」と言ってくれた方がピンとくるという類である。和露辞典のロシア語についてロシア人に聞いても、ロシア人の教養のレベルによって答えが違ってくる。例えば、「生殺与奪の権利」をラヴレンチエフの和露辞典で引くと、власть над жизнью и смертьюとあり、ロシア人の作ったものゆえ、これで通じるとは思うが、作った(説明的な、作為的な)語彙なのか、ロシア語では一般にこういうのかは分からない。そこで語結合辞典のвластьを見てみると、власть над жизнью, власть над судьбойとあり、その結びつく動詞はиметь, получитьなどがある。そこで初めて、生殺与奪の権利はвласть над жизньюか власть над судьбойが使えると判断するし、ラヴレンチエフの方は日本語の直訳であることが分かる。通訳の観点から言うと、辞書の編纂者が解説のために作った語彙は載せるべきではない。混乱の元だからである。

 鬼火はблуждающие огни (огоньки)と和露辞典にもあるし、研究社の露和にもあるからだ大丈夫だとは思うが、念のためアカデミー版の最新の露露を見てみると、沼の上で見る腐敗から生じるメタンガスが燃えて見える青白い炎と現代的な解釈である。確かに鬼火とも訳せるが、幽霊屋敷などで使えるかどうかは分からない。この点は通訳や翻訳者の判断次第ということだろう。

 私はロシア語を学んで40年経つが、それでもどんな日本語でもロシア語にはできない。比較的訳しやすいのは自分の専門分野(技術関係、特に鉄鋼や船舶など)や日常会話ぐらいである。意味が分かる、あるいは時間をくれればロシア語で説明できるというのと、ロシア語がすぐに出てくるというのは別である。宮部みゆきの時代ものにはまっているが、出てくる言葉(生殺与奪の権利も鬼火など)ですぐにはロシア語に訳せないものが多い。そういう言葉をピックアップして、和英辞典 + ヤンデックスや和露辞典で調べてみるが、露訳をうのみにはしない。裏付けが取れて初めて、自分の和露語彙集に入れることにしている。こういうことがあるので、和文露訳の編纂者にも、ロシアで一般的に使われている語彙なのか、説明するために作った語彙なのかを標示してほしいということと、ロシア語と日本語は全く別な言語であり、どういう文脈で使われる語彙なのか説明が欲しいということである。日露の単語が同じ意味になるのは第325回の防空識別圏などのような時事用語くらいだろう。日本語らしい、よく使われる語は多義語が多く、文脈によっては対応するロシア語が違うということも大いにありうる。そういう場合の区別や、類義語の使い分けの充実など和露辞典の課題は多いというのが、技術通訳やガイドのプロである私見である。

出題)「車は給油済みです」をロシア語にせよ。

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2014年03月04日

●続和文解釈入門第378回

原求作先生がこのたび『キリール文字の誕生』(上智大学出版、2014年)を上梓された。題名から先生お得意の小説かとも思ったが、ロシア文化入門という長年の授業をまとめたものだと前書きにある。キリール文字については、『羊皮紙に眠る文字たち スラブ言語文化入門』(黒田龍之助、現代書館、1998年)、『ロシアの文字の話』(小林潔、ユーラシアブックレット No. 57、東洋書店、2004年)、Жизнь языка: От вятичей до москвичей , Костомаров, Педагогика-Пресс, 1994、『ロシア語音声概説』(神山孝夫、研究社、2012年)という良書がすでにあるが、原先生のご著書はこれらの本とは違い、キリール文字の生まれた歴史背景を中心に地政学的側面から一般向けに分かりやすくキリール文字創出について述べたものである。スラブ族最初の国であるサモ王国が7世紀半ばに存在したというのは不明にして知らなかったし、キリールやメフォージー兄弟の生涯のみならず、その弟子からどのようにキリール文字が後世に伝わったのかも述べている点が特に興味深い。一読を勧める。

出題)「最初の結婚では公爵の娘と結婚した」をロシア語にせよ。

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2014年03月05日

●続和文解釈入門第379回

ロシア語の会話ができるようになるためには、どのくらいのレベルで満足するのかによって上達法も、かかる時間も違う。一番楽なレベルでは初級の会話テキストや一般向け会話集の丸暗記により、会話での聞き取りで若干構文が増える可能性もあるとはいえ、その少ない構文で今後全てのコミュニケーションをまかなうというものである。商社マンやメーカーの営業のビジネスロシア語はこれで十分こと足りる。後は取扱品目に関する語彙を覚える程度である。いわゆるロシア語会話のできる人の圧倒的多数がこのレベルで推移しており、ロシア人と仕事上の付き合いがあれば、これ以上特にうまくもならないが下手にもならない。聞き取りがやや良くなる程度である。ロシア人とのつきあいがなくなると、あっという間にロシア語がしゃべれなくなるし、必要なカタログはともかく、ロシア文学などは読めるレベルではない。この程度でよいなら、初級文法を一通り終え、例文の丸暗記を主体として、よい教科書やよい先生について一生懸命やれば1年程度で到達できる。

 その次のレベルは、初級文法を終え、語彙のみをやたらに増やそうとし、覚えている語彙数を自慢したいというレベルである。通訳案内業(ガイド)試験の合格者やガイド、通訳でもこういう人は多い。単語はそこそこ知っているが、構文数が少ないので、時制は現在や過去の反復や過程、つまり不完了体の使用が多く、完了体は完了を、不完了体は反復や過程をぐらいにしか理解しておらず、体の用法がよく分かっていないため、ロシア人からは単語をつなぎ合わせたような、なんとなく意味は分かるにせよ、外人ロシア語と見なされるレベルである。会話集や構文集を丸暗記しているので、例文通りならロシア語として問題はないが、ちょっと外れると分からなくなってロシア人に頼ろうとし、ロシア人との密接な交友関係が欠かせないタイプである。ロシア文学はほとんど読まないか、読めないレベルで、頼るのは研究社や岩波の露露、和露辞典である。このレベルなら普通にロシア語をやって3~4年で到達可能である。

 この上のレベルはロシア語を極めようと考えている人たちで、多義語である基本的な動詞や名詞の用法を徹底的にマスターしており、体の用法の奥義も会得している人たちである。ロシア文学も含め、ロシア語で書かれた文献から会話に役立つ語彙を絶えず収集し、それを露露辞典で確認してから使う。和露には基本的に頼らない。このレベルに到達するには年数というよりは、ロシア語をマスターしようという強い意思と、適切な勉強法の選択が肝要である。私のホームページで書いたような勉強を死ぬ気ですれば、語彙の量を別にして2~3年で到達可能だが、勉強法を誤れば私のように30年以上もかかってしまうことになる。

 ロシア語のできない人たちから見れば、この3つのタイプの人のロシア語会話は同じに聞こえるし、実用上はロシア側から文句の来ない限り、ほとんどの場合差異はない。また仕事の依頼者はロシア語の素人だから、通訳料やガイド料も差はない。その差はロシア語を生きがいにするか、身過ぎ世過ぎの一つの手段と考えるかだけである。

出題)「日本は国益を踏まえて、守るべきものは守り、攻めるべきは攻めるべきだ」をロシア語にせよ。

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2014年03月06日

●続和文解釈入門第380回

少し前まで「立ち上がれ日本」という政党があった。英語名はSunrise party of Japanである。純粋に体の用法の観点から考えて、この党名を露訳するとどうなるのかというと、Партия «Вставай, Япония!»と不完了体命令形を用いた形になると思う。話し手にとっては、立ち上がるのは回りの雰囲気から見て当然であり、そのきっかけの合図、つまり促しとか着手の用法から不完了体命令形が使われるからである。

出題)「キャベツを漬け汁の中に重石をかけておいておく」をロシア語にせよ。

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2014年03月07日

●続和文解釈入門第381回

『三訂和文露訳入門』10-3-1項に下記追記願う。

 集合名詞の中で特定の語彙の数量を示す名詞があるので紹介する。

багаж(知識や経験の蘊蓄、военный軍事知識、знаний学殖、научный学識、умственный知識量)

парк(電車、自動車、飛行機、工作機械、エスカレーターの総保有台数)

подготовка(学んだ知識、経験、技能の量、базовая素養、боевая戦闘技能、лётная飛行経験、научная学識、образовательная教育的知見、педагогическая教育学的知見、предварительная予備知識、политическая政治的知見、физическая肉体的鍛錬)

портфель(手持ち原稿の数、有価証券などの保有高、акций持ち株数、вексельный小切手保有高、журнальный雑誌の手持ち原稿数、заказов受注高、редакционный出版予定の原稿数、сценарный手持ちのシナリオ数)

фонд(библиотечный蔵書数、жилищный住宅総面積、замельный土地総面積、семенной種子総量、товарный фонд на складе在庫数)

出題)「そのマスカラはほかのどれよりもまつ毛へののりがいい」をロシア語にせよ。

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2014年03月08日

●続和文解釈入門第382回

『三訂和文露訳入門』に下記追記願う。
10-3-5 否定における単数と複数

 可算名詞の場合は、一つも存在しないという意味で否定詞に複数生格をつけるが、単数生格にすると具体的何かが存在しないという意味になる。2-1-2-2項や3-1-8項にあるように、動詞の直接補語を否定する場合も原則は同じである。

(むくみは〔まったく〕ない)Отёков нет.
(こんなことはまだ一度もなかった)Такого ещё ни разу не было.
(僕は預言者というものを好きではない)Не люблю пророков. <補語が単数なら特定の預言者が嫌いとなる>

出題)「釣りに行ってたのか?」をロシア語にせよ。

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2014年03月09日

●続和文解釈入門第383回

『三訂和文露訳入門』を次のように変更した。

8-1-1 「到着する」という意味の用法

Он был в Москве.という文は、<彼はモスクワに到着した、到着したことがある〔経験〕、モスクワにいた>という3つの意味にとれ、「到着した」という意味ではОн приходил (приезжал) в Москву. (= Он посещал Москву.)と同義である。つまりбытьの過去形には不完了体過去形の動作の有無の確認という用法があることになる。現代ロシア語では廃用となった〔お客として遊びに行く〕быть в гости к кому-либо(現代ロシア語ではприходить〔приезжать〕 в гостиやбыть в гостях у кого-либоとなる)や、廃用に近い表現として、次のような表現があり、бытьが当初動作動詞も兼ねていたのが、後に状態の動詞に用法的に統一されたのではないかと思われる。

(明日うちにいらっしゃいますか?)Вы будете к нам завтра? <現代語ではВы будете у нас завтра?であろう>

出題)「揺れのせいでものが落ちるのは稀ではなかった」をロシア語にせよ。

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2014年03月10日

●続和文解釈入門第384回

『三訂和文露訳入門』を次のように変更した。

3-1-4-6 проситьとпопроситьの一人称での使い分け

電話で「レーナをお願いします」は、Попросите, пожалуйста, Лену.と命令形で言うのが普通だが、Я прошу вас позвать к телефону Лену.と不完了体現在形一人称でも言える。ただこの場合、прошу(お願いする)と、попросить = позвать, пригласить(呼ぶ、招く)とは意味が異なる。
一人称のЯ прошу (Мы просим)は遂行動詞だが、不完了体ゆえに回りの雰囲気に合わせての動作という意味合い(任意性)がある。ところが同じ一人称のЯ попрошу (Мы попросим) は完了体未来形(完遂の用法)であり、回りの雰囲気には頓着せず、具体的な新規の動作を行うということから、聞き手の事情を考慮しないという強制のニュアンスが出てくる。

(試験の準備をするので助けて下さい)Я прошу вас помочь мне подготовиться к экзаменам.
(指示通りきちんと行動するようお願いします)Я попрошу вас действовать строго по инструкции.

出題)「このウオッカの度数はどのくらいですか?」をロシア語にせよ。

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2014年03月11日

●続和文解釈入門第385回

遂行動詞は発話が開始して終了する動作に時間軸の現在のその瞬間が含まれるので、現在の時制でのみ使われる。そのため過去や未来の時制では、遂行動詞の用法ではなく、動作の有無の確認か反復の用法となる。また文脈によっては現在の時制でも反復の意味のときもある。結果存続兼評価型動詞は、時間軸における現在の一点が動作に含まれているために現在の時制でのみ用いられる。そのためこの動詞は過去や未来の時制で用いられた場合、結果存続兼評価型動詞ではなく、動作の有無の確認か反復の用法である。

出題)「判断をふらふら変えるのが一番悪いことだということを、親は子供たちの頭に叩き込んだ」をロシア語にせよ。

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2014年03月12日

●続和文解釈入門第386回

бытьについて第383回本文にて動作動詞(不完了体)としての意味もあると書いた。「いる。ある」という意味なら状態の動詞であるから不完了体のはずだが、不定形で完了体的要素も出てくる場合がある。最新版のアカデミー露露には(どうしたらいいか?)Как быть? = Как поступить? (Как предпринять?)と書いてある。つまり不定法においては完了体としての機能があり得ることになる。次の不定法も不可避の意味での完遂の用法であるから、完了体の機能をбыть動詞が持っている場合があるとも言えるが、『三訂和文露訳入門』6-2-7項にも書いたように、不可避・必然という用法は、切迫感や期間が含意されていれば不完了体を使うので、бытьには完了体と不完了体の両方の側面を持っていると言える。

(きっと雨になる)Быть дождю.  <意味的にはДождь обязательно будет.と同じだが、不可避の中に切迫感が感じられるとすれば不完了体の用法である>

 不定形と同様、未来形のбудет (будут)にもстать(~になる)という完了体の用法がある。

(彼女は看護師になりたい)Она хочет быть медсестрой.
(彼は先生になる)Он будет учителем.

出題)「私は彼女をお義理で愛している。なぜなら彼女は私の母だから」をロシア語にせよ。

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2014年03月13日

●続和文解釈入門第387回

仮定法過去というのはあり得ないことがあると仮に想定したものであり、私は男だが、その私が、「私が女だったら」とか、「子供に戻れたら」という類であるが、可能性に関して言えば、仮定法過去を使わなくても過去の時制では可能な場合もある。

(昔ならこんなことでも彼らを処刑しなければならなかった)По прежним временам их должны были казнить за такое.

出題)酒を注ぐ時にちょっとと言われて、「ちょっとと言っても量はいろいろだ。目でどのくらいか教えてください」をロシア語にせよ。

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2014年03月14日

●続和文解釈入門第388回

『三訂和文露訳入門』に下記追記願う。

9-13 繋辞(連辞)

 繋辞(連辞)связкаというのは主語と述語をつなぐもので、動詞ではбыть(~である), бывать(しばしば~である), казаться(~のように見える), называться(~と呼ばれる), оказаться (оказываться)(~である), делаться(~となる), остаться (оставаться)(~のままである), стать (становиться)(~となる), считаться(~と見なされる), являться(~である)があり、вот(ほら), значит(つまり), это(それは), это значит(それはつまり)も、как будто(~のような), словно(~のような), точно(まさしく)にも繋辞としての機能がある。

(学ぶことは、すなわち成長することである)Учиться – значит расти.
(会うと毎回お祭り騒ぎである)Каждая встреча словно праздник.
(夜毎に冷えてくる)Вечера становятся холодными.
(共産主義、それは若さである)Коммунизм – это молодость.
(大聴衆の1回生の中で私は一人の娘に気がついた。それはスヴェトラーナで、私の未来の妻だった)В большой аудитории среди перевокурсников я сразу же заметил девушку. Это была Светлана, моя будущая жена. <это значитからзначитが取れたと思われるもので、Этоは繋辞。>

 「それは大きな喜びだった」という文を訳すと、

Это была большая радость. <Этоは繋辞で、主語はбольшая радость>
Это было большой радостью. <主語はЭто>

 となるが、二つ目の文は、この文単独で存在できるのではなく、次のような先行する文が不可欠だと思う。つまり、二つ目の文のЭтоは文全体を受けており、単に主語としての役割を果たしているに過ぎないと思われる。

(彼は何週間も後に来るはずだったが、彼は母をびっくりさせたかった。それは大きな喜びだったから)Он должен был приехать недель позже, но ему хотелось сделать матери сюрприз. Это было большой радостью.

 бытьは繋辞としては現在の時制ではестьとなり、複数の場合はсутьだが、естьは科学実務関係や評論で使われるとはいえ、сутьの使用は稀である。普通はестьは省略されるが、主語と述語が全く同一の場合は、他に普遍性を示すような副詞が入らないければ省略しない。

(兄弟は医者である)Врат – врач.
(農業はまさに仏教の実践である)Земледелие и есть буддийская практика.
(母は母だ)Мать есть мать.
(子供はいつまでも〔どこでも〕子供だ)Дети всегда (везде) дети.
(キリスト教史における異端の全ては反乱である)Все ереси в истории христианства - суть бунты. <естьやэтоを使うのが今や一般的。>

出題)「読後焼却のこと」をロシア語にせよ。

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2014年03月15日

●続和文解釈入門第389回

「会議を開会いたします」Я открываю заседание. (Я объявляю собрание открытым.)は、ロシア語でも日本語同様(多分英語でも)遂行動詞で不完了体現在形が用いられる。ところが、
英語でYou win.(あなたの勝ちだ〔俺の負けだ〕)は遂行動詞だが、ロシア語にするとТы победила.とか、(俺の勝ちだ)Я выиграл, а ты проиграл.と、いずれにせよ完了体過去形の結果の存続を使うことになる。ちなみにпобедитьの一人称単数形は存在せず、одержу победу, добьюсь победы, сумею (постараюсь) победитьで代用する。これは勝つという未来時制で完遂の用法が、予言ならともかく論理的におかしいと感じられるからかもしれない。日本語では訳語を見ても分かるように名詞を使っている。遂行動詞は日英露にあるが、必ずしも同じように使われるわけではないので、注意が必要である。つまり日本語で「~を連絡します」をロシア語にする時には、「~します」は文脈によって遂行動詞(現在の時制)かもしれないし、未来の時制(完了体未来形)かもしれないので、それを使い分けなければならないということになる。

出題)「奴がゆすろうなんて気を起こしたら、俺は警察に届ける」をロシア語にせよ。

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2014年03月16日

●続和文解釈入門第390回

『三訂和文露訳入門』9-8-3項に下記追記願う。
サイズを示す形容詞の短語尾には「~すぎる」という程度を越えたニュアンスが出る場合があるが、それも利用することができる。下記のчтобыは研究社の露露辞典にある結果の意味への転用だと考えられる。

(最大の罪を理解するには彼は小さすぎるし、弱すぎる)Он мал и слаб, чтобы понять высшую вину. <彼は小さすぎて、弱すぎるので、最大の罪が理解できない>

出題)「欠点のない人はいない」をロシア語にせよ。

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2014年03月17日

●続和文解釈入門第391回

二重否定についての第373回の本文を下記に差し替えてほしい。
10-20 二重否定

二重否定というと、否定を否定して修辞的に肯定を示すものと考えがちである。

(それはあり得る)Это не исключено. <не исключено = вполне возможно, вероятно>
(欠点のない人はいない)Нет людей без недостатков. <みんな欠点を持っている>
(それは嘘に他ならない、嘘に違いない)Это не что иное, как ложь. <не что иной, как = именно, как раз>
(彼こそラープチェフだ)Это был не кто иной, как Лаптев. <не кто иной, как = именно, как раз>
(彼は飲むのが嫌いではない)Он не не любит выпить. <неが二度続く稀な用法>
(自分の利益をユダヤ人が逃さないわけではなかった)Не не упускали своей выгоды евреи. <неが二度続く稀な用法>

ところが、それ以外にも「なくはない」というように、「ある」と同義ではないものがある。「なくはない」には、部分否定のように、あることはあるが、量が少ないとか、見せたくないとか消極的なニュアンスが感じられる。ロシア語にもこのような部分的な二重否定はあり、2008年版アカデミー露露辞典のнеにも同意の意味утвердительное (= выражющее согласие с чем-либо; подтверждающее что-либо) значениеを挙げているが、語義から判断して消極的な同意と理解される。このような部分的な二重否定にはнельзя (невозможно) не + 不定形の他に、не могу (смею) не + 不定形があり、その例で説明すると、Я не могу не согласиться.(直訳すれば「同意しないことはできない」)はЯ могу согласиться.(同意することができる)と同じ意味ではない。ザルービンの露和辞典にはне могу не = вынужденとあり、Русский язык Экнциклопедия, Филин Ф. П., Советская энциклопедия, 1979では否定の否定は肯定的意味となり、не могу не = долженとなっているが、いずれにせよ「賛成せざるを得ない」か「賛成しなければならない」と訳すべきであって、「賛成してもよい、賛成できる」という意味にはならないことが分かる。ロシア語でもこのような部分的な二重否定は婉曲的な言い回しゆえに、暗示的な、消極的なニュアンスが出るのだと思われる。не без того (этого)も口語で確認を示す同意(まあそうだ)を示し、これも消極的なニュアンスがあるのは次の例文を見ても分かる。

「疲れたようだね?」- Ты, кажется, устали?
「まあね」- Не без этого.

 この他にこのような部分的な二重否定の例文を挙げる。

(憲法に関する仮定は確固たる基盤を欠いた噂以上のものではなかった)Предположение о конституциях представляло не более как слух, лишённый твёрдого основания.
(彼にはユーモアのセンスがなくはない)Он не лишён чувства юмора.

 次にこのような部分的な二重否定の要素が含まれている形容詞(副詞をその形容詞から作るのは可能である)を挙げる。

небезвыгодный(悪い話ではない)、небезграничный(無限ではない)небезгрешно(罪がなくはない)、небезоблачный(心に曇り一つないというわけではない)、небезосновательный(いい加減というわけでもない)、небезопасный(危なくなくもない)、небезразличный(まんざらでもない)、небезынтересный(興味がなくもない)、небезывестный(心当たりがないでもない)、небесполезный(役に立たないわけではない)

 このような部分的な二重否定に近い用法として次のようなものもある。

(詐欺のない日はほとんどなかった)Редкий день обходился без мошенничества.
(テロの脅威を過小評価してはならないが、過大評価もすべきではない)Угрозу террористических актов нельзя недооценивать, но и переоценивать не следует!

出題)「やがて有線放送は過去のものとなる」をロシア語にせよ。

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2014年03月18日

●続和文解釈入門第392回

『三訂和文露訳入門』ではアオリスト的用法のところにあったみなし反復を新項目とし、いくつか加筆した。

2-1-6-1 みなし反復

 一見その動詞が初めて出てくるのにもかかわらず、不完了体が使われることがあるが、よく文脈を見ると、すでにその動詞に関する状況設定がなされている、つまり踏み台(踏み段)のように、場がすでにこしらえられていることが分かる。つまり意識下において、使われる動詞は新規に使われるのではなく、反復であるという認識(みなし反復)から不完了体が用いられることになる。

(だって彼はもうここに来ていたよ。私と一緒に地震の後に来たんだよ)Он ведь уже был здесь – приезжал со мной после землетрясения.

「この前はいつサラートフに来たのですか?」- Когда в последний раз были в Саратове?
「昨年の選手権の決勝戦のときです〔のときに来ました〕」- Приезжал в прошлом году на финал чемпионата.

上の文は来たというのは分かっているわけで、いわば、刺身のつまのような用法であり、приезжалがなくても意味が通じると言える。быть動詞の反復を避けて、運動の動詞を使うという意味もあり、そのような動詞に焦点が来ない場合には、不完了体動詞過去形が来ると言える。来たことはあるが、それがいつなのか、あるいは何回なのかも分からないというのが、一番自然な不完了体動詞過去形の使い方である。

 不完了体は本質的に回りの状況に沿って行われる動作を示すが、これは予め状況が設定されている、つまりすでに心理的な踏み台が存在しているということでみなし反復を意味する。それゆえ不定法の切迫感や命令法の促し(着手)もこれと同じ発想にあると言える。

(みなさん準備オーケーですか?みなさんチーズしてますか?(それでは)撮ってよろしいですか?)Все подготовились? Все улыбаются? Можно снимать? <最初の二つの文で話し手が写真撮影をしようとしていることが分かる。これが「踏み台」であり、そのために、
最後の文で切迫感(もうそろそろ)や促し(着手)の不完了体不定形が来ることになる>

(ちょっとといっても量はいろいろだ。目でどのくらいか教えてください)Чуть-чуть имеет разные объёмы. Показывайте глазами – сколько. <酒を注ぐときなど>

 前の文は状況設定という意味合いがあり、「だから~しなさい」ということで、動作をしてもらうことが話し手にとっては当然ということになり、着手とか促しという意味での不完了体命令形を使うことになる。

出題)「(ラジオの)裏ぶたを取ると電源は自動的に落ちる」をロシア語にせよ。

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2014年03月19日

●続和文解釈入門第393回

『農奴解放から革命前のインテリの日常生活Повседневная жизнь русской интеллигенции от эпохи великих реформ до серебрянного века』Экштут, Молодая гвардия, 2012という本を読んだが、その中でギムナジウムではラテン語やギリシャ語が必須科目であり、ギムナジウムを卒業さえすれば無試験で大学に入学できたとある。こういう古典語学重視のため、自然科学やフランス語、ドイツ語など外国語は実業学校で教えられるだけで、実業学校の卒業生が大学入学を目指すとしたら、ラテン語の試験を受ける必要があったという。その頃の古典語学は暗記ばかりで、いわば死語を学ぶわけで、体を壊したりや精神的に参った学生も多かったという。青春時代の一番頭の柔らかい時期に暗記を強要させられることほど、学びに対して嫌悪感を抱かせるものはない。現代では英語についても、暗記が中心になってはいないだろうか?英語の文法などもそれなりに面白いと思うし、それが和文英訳に大いに役立つと思うのだが。

 翻ってロシア語はというと、格変化や動詞の活用を暗記しなければならないのはやむを得ないとして、うまくなるには文章の丸暗記ばかりのようで、それが勉強のやる気を削ぐような気がしてならない。そうではなくて、文法こそが会話の上達する王道であり、早道であるということを教える方がよく理解する必要がある。文法を覚えるための例文としての暗記と、例文の機械的な丸暗記ではずいぶん違う。会話には体の使い分けができないと動詞が使いこなせないはずなのに、教える側でそれをよく理解していない人ばかりのように思われるのはおかしい話だ。つまりは教える側も通り一遍の会話の例文の丸暗記のみに終始しているように思われる。

出題)「彼はこのサッカークラブに所属している」をロシア語にせよ。

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2014年03月20日

●続和文解釈入門第394回

『三訂和文露訳入門』の3-1-4-1項に『デパートのアナウンスで、「ただ今8階ではバーゲンセールを開催中であることを、御来場のお客様にご案内申し上げます」とはならずに、聞き手に理解しやすいよう、「御来場のお客様にご案内申し上げます。ただ今8階でバーゲンセールを開催中でございます」と二つの文に分けるのが普通である。だからこのような和文を露訳するときには、直訳して二つの文にすると、最初の文は完了体動詞未来形を使うことになり、また接続詞もなく、ロシア語として非常におかしな文となる。そのため、Дорогие покупатели! Мы сообщаем Вам, что сейчас идёт распродажа на восьмом этаже. のように元の遂行動詞を含む文に復元して訳さないと、ロシア語としては正しい文とは言えなくなる』と書いたが、よく考えてみると、同時通訳やウィスパリング通訳で応用できるものである。Я думаю, чтоを「考えますに(思いますに)」とするような頭ごなし訳の他に、このようなテクニックも覚えておくとよい。

 この頃のNHKアナウンサーも、その日のニュースの紹介をする時に、例えば出だしでいきなり、「強盗傷害として捜査中です」、「車が立ち往生」、「舛添氏が当選しました」いうように、いつどこでを言わずに、次の文で詳細を述べるというのは、日本語としておかしいいように聞こえるが、重要性の高い内容を先に伝え視聴者の関心をとどめておく(チャンネルを多局に切り替えさせない)という点は、日本語の今後を占うというか、日本語の未来を暗示する一つの流れであるように感じられる。

出題)「釣り糸を硬貨につけてする自販機のイタズラが流行っていた」をロシア語にせよ。

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2014年03月21日

●続和文解釈入門第395回

『三訂和文露訳入門』9-4項に下記追記乞う。

 людиにも日本語の世間 (= все другие, окружающие) に近い意味があり、不定人称文の主語に相当する働きが可能である。

(人がなんて言うだろう)Что люди скажут. <熟語的表現>

またчеловекにも「だれか」он, кто-то, нектоという意味があるが、上記の「人」の用法とは違い、三人称単数を意味する。особаは人を指し、名前が分からないか、言いたくない場合、あるいは「お方」というように女性を示す時に用いられる。

(突然私は、だれががお尋ねですよと言われた)Вдруг говорят мне: человек вас спрашивает. <歴史的現在の用法>

出題)「ある程度コツをつかめば、さらに電気湯沸かしで玉子を茹でることもできた」をロシア語にせよ。

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2014年03月22日

●続和文解釈入門第396回

ロシア語上達のコツは、どんなことでもいいので、ロシア語に関する疑問を見つけ、それの回答を得ようと努力することである。答えを見つけるのはインターネットの発達した現在比較的簡単だし、私に聞いて下さればお手伝いする。難しいのは常に何事にも疑問を抱き、何が分からないかを知ること、つまり「どんな問いを立てるか」である。почемучка(常に何事にも疑問を抱く人)になることを恐れる人は何事も上達しない。

出題)「問題となったのはセット部品だった」をロシア語にせよ。

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2014年03月23日

●続和文解釈入門第397回

今まで何冊か本を出版したが、誤植は別にして、出した本について何かを追加したいとか訂正したいというのはあまりなかった。あっても1行や2行程度である。ところが『和文露訳入門』の場合はすでに『三訂和文露訳入門』を上梓しているのにもかかわらず、まだ追加作業を続けている。なぜかというと、それ以外の私の本は著者である私から読者への一方通行だったが、『和文露訳入門』はこのコーナーの本文で書いたことが元になっているとは言うものの、和文露訳の出題(短文)に関する投稿者からの回答へのコメントに触発されたことがフィードバックになっている。つまりなぜこういう説明では理解しにくいかということを、何人か優秀なロシア語の使い手からヒントをただでいただけるわけである。ロシア語の授業で大勢の生徒や学生を相手に授業をしている何人かの先生の話では、ロシア語の授業そのものよりも、ロシア語をやる気が全然ない生徒たちから、いかにやる気を引き出すかに腐心されているかのような印象を受けた。体の用法など中級文法に関しては、当然のことながらロシア語入門者や初級者からの回答を期待できないといってよい。やはり上級者でロシア語がもっと上手になりたいというやる気のある人でないと、こちらの勉強にもならないし、ここに投稿していただいている学習者はすべてそういう投稿者ばかりだから私は幸せである。

出題)「彼の手からカバンを取り、鍵を開けて、中味を机にぶちまけた」をロシア語にせよ。

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2014年03月24日

●続和文解釈入門第398回

『三訂和文露訳入門』に下記追加補正した。

9-4 受動態と不定人称文

9-4-1 受動態

日本語ではどの動詞でも受動態(受け身)を使うのは文体上好ましくないとされるが、それでも主語をぼかしたいときなど受動態を使わざるを得ないときもある。ся-動詞の完了体はотклеиться(はがれる)など自動詞が多いが、ся-動詞の不完了体や被動形動詞過去形短語尾で受動態が作れるものがあり、それらは表示するかどうかは別にして動作主がある。行為者を造格で示すのは事務的な文体であり、口語体の文では少ないと言える。ただ他動詞であれば、ся-動詞で受動態を作れるというものではない。3-1-1-4項の非情の受け身にあるように、ся動詞(受け身)の主語には生物など意志をもったものはなれないのが普通だからだ。完了体の用法で動作主を考慮に入れた受動態を作るには、被動形動詞過去形短語尾を使えば、動作主は生物でも無生物でもよいが、意味が動作の遂行を表すことになってしまう。
そのため動作主が不定の人であることが含意されている場合、完了体や不完了体という制約を考えずに主語をぼかしたいのであれば不定人称文を、動作主が事物を含意しているのならся動詞(受け身)か被動形動詞過去形短語尾を使うのがよい。特に、反復や動作の一般化ということなら、不定人称文を勧める。不定人称文は完了体も不完了体も過去の時制でも、現在の時制でも、未来の時制でも用いられる。こうすれば「ひとりでに~した」というような自発的な要素は排除できる。自発的なニュアンスを出すためにはся-動詞の完了体を使えばよい。これは過去の時制、現在の時制、未来の時制、不定法にすべて当てはまるわけで、受動態を作る時にも体による使い分けが必要となる。反復や過程の用法であれば、ся動詞の不完了体を、具体的な1回の動作を意識するのであれば被動形動詞過去短語尾を、9-4-2項の不定人称文はどちらにも使えることになる。ся動詞の完了体は原則として受動態として用いられないが、окунуться(包まれる), осветиться(照らされる), покрыться(おおわれる), смениться(取って替えられる)などは、例外的に人間の意思に関わりない行為又は現象を指す場合に用いられることがある。

(犯人は捕まえて、棒打ちにしなければならない)Преступник должен быть схвачен и побит палками. <具体的な1回の行為>
Дом строится.
(筆記試験問題が先生によって採点されている)Письменные работы проверяются преподавателем. <能動文ではПреподаватель проверяет письменные работы. となり、文脈により反復、過程いずれもありうる>
(野原は雪で覆われた)Поля покрылись снегом. <ся動詞の完了体で受動体になる稀な例で、結果の存続かアオリスト的用法である>

9-4-2 不定人称文

出題)「彼は今どこにいるはずなのかを地図で確認した」をロシア語にせよ。

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2014年03月25日

●続和文解釈入門第399回

『タイム』誌の2014年2月2日号にmindfullnessの特集をしていた。これは心の充足感とか満たされた心とでも訳すのだろうか、瞑想を中心にしたもののようである。創始者は禅のコースに通って、自ら瞑想法を編み出したという。思うに、アメリカはキリスト教の国であり、禅は仏教の一派だから、禅の座禅などの瞑想法から宗教的なものを取り去ったもののようである。宗教を伴わずに、瞑想だけで心のトレーニング法として成り立つのかどうかという疑問もわくが、瞑想を瞑想だけで体系づけたというのは、目からうろこと言うべきものかもしれず、忙しい欧米人には斬新に映ったのかも知れない。確かに、宗教というのに無理にとらわれずとも、それに禅だって宗教ではあるが、つきつめればとらわれない心を目指しているのだろうと思うから、要は瞑想というものを自分なりに取り入れるというのも悪いことではないと思う。

出題)「彼のどこがいいの?」をロシア語にせよ。

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2014年03月26日

●続和文解釈入門第400回

多分この回をもって通算で和文露訳短文千題を達成ということになると思う。投稿者の皆様のおかげで3年ほどの間にここまで来れたことに深く感謝するとともに、感慨深いものがある。和文露訳の問題集は単独というのはあまりないのかもしれないが、出題数の上では自負しているし、『三訂和文露訳入門』を出版したので、投稿者の寄せる回答について体系的なコメントや解説ができるのが強みだと思っている。後どのくらい続くのかは分からないが、できるだけ続けたい。

 工場で使う用語で改善(かいぜんKaizen)というのがあるが、日本の製造業で生まれた工場の作業者が中心となって行う活動・戦略のことであり、これはулучшениеではなく、постоянное совершенствованиеとビジネスロシア語では訳される。意識しているわけではないが、まさにライフワークである『四訂和文露訳入門』(原稿)を日々改善しているところではあるが、いつ四訂版が出せるのか目処が経たない。今のところ500ページを越えた。

出題)「ご親族でガンにかかられた方はいらっしゃいますか?」をロシア語にせよ。

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2014年03月27日

●続和文解釈入門第401回

海外の日本人妻という番組でサンクトペテルブルグに嫁いだ女性の話を見た。旦那さんが見栄っ張りで、日本からのテレビ取材なのでベンツを借りたり、家も父親の別荘(ダーチャではなく、別荘である)を借りたり(毎週末行っているのならこれ自体はおかしいとは思わないが、要はパパがお金持ちということが分かる)ということからロシア人は見栄っ張りであり、これはソ連時代、みな貧乏だったからその反動だという説明を若いロシア人たちがしていた。これ自体は間違いだとは思わないが、革命前の近衛兵や軽騎兵は貴族でもよほど金がないと、衣服や付き合いに金がかかり、つきあいを断ろうものならケチというあだ名がつくのをロシア人貴族は病的に恐れた。これはフランスやドイツなどに対する文化や技術面での遅れをロシア人が自覚しており、その劣等感の裏返しであろう。ソ連時代にもアメリカに対する劣等感はあり、その裏返しである見栄張りが表面に出てきただけであろう。しかし、世界の文学を数多生みだしてきたロシアのこと、そのコンプレックスを跳ね返すのもごく近い将来であろうと私は見ている。

 同じ番組でロシア人がサプライズ好きであり、これには金も時間もかけるわけで、こういう人は回りも含めてボケないと思う。しかし、回りにこういう人がいると疲れるなという気はする。

出題)「その日から彼は大酒のみではなくなった」をロシア語にせよ。

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2014年03月28日

●続和文解釈入門第402回

「~によって」と手段を示す語句には、путём + 生格やпосредством + 生格が用いられるが、ともに一般的に動詞派生型の名詞(動名詞)が接続する。物や人が対象であればпри помощи (с помощью) + 生格だが、『ロシア文学鑑賞ハンドブック』(中沢敦夫、群像社、2008年)の298ページにс помощьюとпри помощиの例が挙げており、後者は人間の場合にのみ用いられる表現とある。しかし、難語辞典Словарь трудностей русского языка, Русский язык, 1981には、両者の意味は一致するとあり、Дверь открывается и закрывается при помощи сжатого газа.(ドアは圧縮ガスにより開閉する)という例が挙げられているし、最新のアカデミー版露露辞典にも並べて載っていて、意味の違いには触れられていない。現代語では用例に特に違いはないと思われる。

 同じようなことはпринадлежать + 与格やпринадлежать к + 与格にも言える。私が学生の頃は前者は所有を示し、後者は「~の一つである」という意味の違いがあると教えられたが、最新のアカデミー版露露辞典を見る限り、特に違いはないようである。

出題)「先のとがった屋根が何キロも先から見えた」をロシア語にせよ。

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2014年03月29日

●続和文解釈入門第403回

ロシア語は厳密だなと感じると気がある。例えば「冬」がいつの冬かというときには、日本語では2013年冬季限定のチョコとか、2014年冬のドラマと、話題の冬がどちらの年に当たるのかによって年が変わるが、ロシア語ではзимой 1941/42 года(1941年から1942年にかけての冬)という。夜中も同じで、в ночь с 31 декабря на 1 января(12月31日から1月1日にかけての夜中に)と言う。

出題)「自分に尾行がないかどうか見た」をロシア語にせよ。

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2014年03月30日

●続和文解釈入門第404回

日本語では「あなた」は目下に使うというニュアンスがあるので、それを使わずに、省くか、相手の名字を用いて二人称代わりにすることが相手への敬意を示す事になる。例えば、相手の名字が田中なら、敬語だけを動詞に用いて、「どうなさいますか?」と言うか、「田中さんはどうなさいますか?」という類である。このような人称の転用はロシア語にはほとんどないが、セミョーノフЮлиан Семёновの『Майор Вихрь(ウィーフリ〔旋風〕少佐)』を読んでいたら、次のような文を見つけた。ポーランド人の老婆がコーリャに話かける場面である。

(背広の背中のところが破れているのを御存じですか?)Пан знает, что у него порван пиджак на спине? <панはポーランド語でMrの意味だが、ポーランド語ではこのような人称転用が普通なのかもしれないし、それを作家がただ利用しただけなのかもしれない>

出題)「森で通信機の電源が切れた」をロシア語にせよ。

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●続和文解釈入門第405回

前回のコメントが1日ほど遅れるかもしれないので、先に出題だけしておく。

多くの語彙を覚えて、ロシア語の文法の奥義を極めたとしても、それでロシア語が分かるようになるわけではない。ロシア語を使うロシア人の文化や歴史、特に庶民の歴史と日常生活をできるだけ多く知る必要がある。そのために大いに役に立つのはМолодая гвардия(若き親衛隊)社でこの15年ほど出している、日常生活Повседневная жизниシリーズである。ロシアやソ連に関するものはほとんど買って読んだ。買えなかったのは潜水艦乗りと中性修道院の日常生活ぐらいだろう。今も未読のが手元に3冊ある。最近読了した『レニングラード包囲下の庶民の日常生活Повседневная жизнь блокадного Ленинграда, Яров, 2013』には、ショッキングな人肉食いканнибализмの話もあるが、それよりも淡々とした記述だからか栄養失調の実態の方が凄惨な感じを受ける。トイレの問題が非常に切実だったことが具体的例を挙げて、当時の庶民の日記を引用して生々しく語られており、このとき豆乳соевое молокоも供されていたことも分かる。バレリーナのКшесинскаяはニコライ2世の愛人だったことは知っていたが、今読んでいる『ロシア帝室劇場のバレリーナの日常生活Повседневная жизнь балерин русского императорского театра, Ковалик, 2011』にも、1905年の第一次ロシア革命の時にバレエ学校の乗った馬車に、「皇室の妾たちが乗ってるぞ」と民衆からゴミが投げつけられたとあり、バレエ学校が皇室や高官のハレムみたくなっていたことを示しているという興味深い挿話が載っており、ロシアの帝政が打倒されるのももっともだという気がしてくる。ロシアバレエのファンにとっては必読の文献のように思われる。昨年話題のボリショイ劇場の硫酸事件の淵源もこの辺にあるということか。このシリーズの本も初めはモスクワで買ったので1冊300円くらいだったのが、今や5000円ぐらいする。高いが自分の興味のあるテーマについて一読されることを勧める。

出題)「ドアは中から鍵がかかっていた」をロシア語にせよ。

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2014年04月01日

●続和文露訳入門第406回

和文露訳をするときに露和辞典も頼りになるとはいえ、岩波も研究社のも出版されてから20年以上経っているし、編纂時に利用したソ連時代の辞書はさらに古いだろう。そうなるとこれらの辞典の用例が会話で使えるのかいささか心もとない気がする。今一番私が頼りにしているのは2001年から出版開始のアカデミー版の露露だが、これはРの初めまで(第22巻まで)しか手元に届いていない。残りは1980年版の4巻本のアカデミー版が頼りであるから不安は不安である。

出題)「緊張しているときには、見たり聞いたりするはずだと思っているものを、実際見たり聞いたりするより一瞬早く見たり聞いたりする」をロシア語にせよ。

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2014年04月02日

●続和文解釈入門第407回

ロシアでは賄賂が昔から大いに問題になっているが、これは記録(17世紀ごろ)で分かる限りにおいて、役人の給与が低すぎて、それでは食べていけないので、賄賂を取らざるを得なくなったということらしい。それと西欧に対しての抜きがたいコンプレックスと、そこから生じるロシア人特有の見栄がある。貧乏というコンプレックスを持つと、見返してやれとばかりに派手にふるまうというものである。そのためには金が要る。そうなると賄賂を取るしかないという悪循環になる。

出題)「こんなに成功するとは彼は夢にも思わなかったろう」をロシア語にせよ。

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2014年04月03日

●続和文解釈入門第408回

『三訂和文露訳入門』の2-1-8-10項結果存続の無効(動作の無効改め)の意味が、不完了体過去形を使う事で100%出せると思っている方が多いようなので一言書いておく。2-1-3項の動作の往復において対義語のある動詞群の不完了体過去形には、結果存続の無効の意味が出る場合が多いが、全ての文脈においてというわけではない。不完了体には文脈によって反復、過程という意味の場合もあるからである。反義語がない不完了体過去形の動詞群も同様に、反復や過程の意味ではない時に結果存続の無効という意味が出る可能性がないわけではないが、その可能性はあまりないし、誤解を招かないように、明確に結果存続の無効であること示す手立てを講じるべきである。

出題)「その薬は万病に効く」をロシア語にせよ。

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2014年04月04日

●続和文解釈入門第409回

趣味や生きがいを持ったりするのは社会と接点を持つということであり、それが正気を保つ(精神的なバランスを保つ)上で重要である。会社に行くというのも、好きで行く人は仕事や職場が生きがいなのだから、別にして、会社がなくなると社会と接点もなくなるわけである。定年が近い人は、定年後どうするのかを早めに考えておいた方がよいということであろう。

出題)「もし我々の方から何か質問が出てくれば、ご説明なさることになりますよ」をロシア語にせよ。

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2014年04月05日

●続和文解釈入門第410回

自分に作家としての才能があるとは全く思わないが、私のような素人でも、書いておかなければ忘れるというような言い回しや語句が何気なくぱっと頭に浮かび、それをメモしておくというのがこの何年来強迫観念になっていることである。プロの作家との違いは、私のは文字通り片言隻句だが、プロはすぐ何枚も何十枚もの原稿になるくらい一気呵成に書けるのだろう。誰にでも作家になれる素質はあるが、ごく例外を除いて、素質だけに終わるということだろう。何が足りないかというと、それはたっぷりの努力とほんの少しの運であると思う。

出題)「足は凍えて、ほとんど感覚がなくなった」をロシア語にせよ。

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2014年04月06日

●続和文解釈入門第411回

モルフォ蝶の翅は表面に金属光沢をもつのが特徴である。この光沢はほとんどの種類で青に発色する。これは翅の表面にある櫛形の鱗紛で光の干渉が起きるため、光沢のある青みが現れる。このような現象を構造色structural color (структурный цвет)という。これは主観的な主張をせずに、回りに合わせて動作を行うという不完了体の用法に似ているのではなかろうか。

出題)「隣の花は赤い」をロシア語にせよ。

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2014年04月07日

●続和文解釈入門第412回

災害と言っても、天災というのはприродная катастрофаとかстихийные бедствияと訳せばそれでよいが、災害には人災もある。年鑑『日本Япония』2013年版を今読んでいるが、その中の出だしの論文である、日本研究家ストリツォーフСтрельцов Д. В. 氏の『2013年の参院選Выборы в палату советникв 2013 года』の中に、福島第一原子力発電所の事故について触れているところがある。そこにはこの大災害の防止を人為的災害、自然災害の防止、предотвращение техногенных и природных катастрофと訳してあった。なるほどこれは人災でもあり、このロシア語訳は精確だなと思った次第である。

出題)「私を誰かとお間違えですよ」をロシア語にせよ。

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2014年04月08日

●続和文解釈入門第413回

体のペアがない動詞(単体動詞одновидовые глаголы)は動詞の語義自体に、なじみの動作だけで新規の動作を許容しない(不完了体のみ)か、新規の動作だけで、文脈(状況)のみに依存する動作を許容しない(完了体のみ)があり、これが対称性の偶発的な乱れспонтанное нарушение симметрии(物理学の和訳では「対称性の自発的な破れ」となっているが、その訳自体疑問に思うので、自分が適訳と思うものに変えた)となって現れるからだと思われる。

出題)「1990年代の初めにはもう家具を手に入れるのは問題ではなくなった」をロシア語にせよ。

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2014年04月09日

●続和文解釈入門第414回

ロシアでも抽象的に全体の中の一部を歯車(比喩的な意味ではзубчатое колесо(歯車), маховик(はずみ車), винтик(小さいネジ)が使われる)に例える。これはチャップリンの映画モダンタイムズを思い浮かべるのかもしれない。ところが、日本では神道の影響があるのか、全体の中の小部分малая часть единого, неделимого мираとし、全体のために個人の利益を優先させるという考え方が工場などでも非常に強いようである。QCサークルкружок контроля качестваも下からの提案を取り入れ、日本の企業自体が上意下達процесс принятия решений сверху-внизではない。つまり現場意識がロシアに比べれば徹底していると言える。

出題)「占領地域では犯罪者に対してこれまでとは違った措置が取られた」をロシア語にせよ。

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2014年04月10日

●続和文解釈入門第415回

前にスウェーデンのミステリー作家の『ミレニアム』3巻(6冊)(スティーグ・ラーソン、ヘレンハルメ美穂・岩澤政利訳、早川書房)を紹介した。ミステリーでは日本もロシアもいまいちのような感じがするが、スウェーデンではこれ以前にも、マイ・シューヴァル、ペール・ヴァールー夫妻のマルティン・ベック主任警視もの(10巻)があり、特に第4作『笑う警官』が有名である。職場の人間関係、仲間の協力関係で事件を解決するのだが、描かれる仲間たちの性格描写がスーパーマン並の記憶力、マッチョなどの他にも、普通の人間の弱点を描いており共感が持てる。同じ題名の警察小説で佐々木譲の北海道警察物も読ませるし、べックものを意識したという。プロットは佐々木譲の方が込み入っているし、質も上だ。ところがべックものに登場する一癖も二癖もある同僚、上司、部下の存在感、人物像の面白さ、ユーモアには太刀打ちできないように思う。しかもこのシリーズを読み進むにつれて1960年代から70年代のスウェーデンの社会情勢、庶民の暮らしが垣間見えてくる。年金などが充実して福祉国家と言われ、理想的な国と見えるスウェーデンも実態は年金の実態、フリーセックス、自殺の多さなど必ずしもそうではないようである。これに対して佐々木譲の登場人物の描写が、日本の他の警察小説に比べて落ちるということではないが、プロットの展開に頼り過ぎているということは言える。

 べックもの第2作の『蒸発した男』は1960年代のハンガリーだが、スウェーデン帰国後べックが同僚からザリガニрак料理に誘われる場面がある。ハンガリーにはザリガニ料理はないが、スウェーデンでは一般的だと文中にある。ロシアでもザリガニはよく食べるようだ。一度モスクワで接待してもらった時にザリガニ料理を食べたいと言ったら、そのロシア人はマガダンの人で、そんなまずいものはよせと言ってくれたが、敢えて無理を言って頼んでみた。泥臭くて、身も少なくまずい。沿海州のマガダンは収容所でも有名だが、出張で行ったことがあり、街中で1980年代でも茹でたカニを売っていたのを覚えていたので、その話をしたら、カニやエビを食べたことがあるまともな人間は、ザリガニなんか食わないよと一蹴された。スウェーデンもロシアもカニやエビのおいしさは当時知らなかったのかもしれないし、輸出向けで高価だったのだろう。

出題)「鋸の作業の時にうっかりして怪我をした」をロシア語にせよ。

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2014年04月11日

●続和文解釈入門第416回

на пользуとв пользуの違いについて書いておく。

на пользу (в чью-либо пользу)は動詞идти, служить, бытьと共に、「良い結果になる」という意味である。

(彼らにとってこれはいいことだらけだ)Им это будет только на пользу.

一方в пользуは前置詞句であり、「良い結果に、得をするために、支持して、確認のため」という意味となる。

(自分の医師に役立つよう応分の寄付をする)Он делает посильный взнос в пользу своего врача.

出題)「危険というよりはむしろ滑稽だ」をロシア語にせよ。

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2014年04月12日

●続和文解釈入門第417回

ロシア語会話の上達のためにはロシア語の本を精読し、その中から会話で使えるような表現をピックアップして、自分の語彙集を作る努力が大切である。ただ気をつけないといけないのは、露文解釈というのは、ある意味受け身の作業であり、書かれているロシア文は文法的に正しいものがほとんどであろう。ところが会話と言うのは、自分でロシア語の文を組み立てて行くわけで、意味やニュアンスにより体を自分自身で主体的に使い分ける必要が出てくる。一般的な場合なのか、反復なのか、具体的な1回の行為なのか、動作の結果は残るのかなどを瞬時に判断する必要があるわけである。これは体のみならず、-тоと-нибудь、単数と複数の使い分けなどについても同様で、ロシア語会話では、語彙は当然のことながら、どういう文脈で使うのか話し手に主体性が求められるという点を強調したい。

出題)「大きくなったら分かる」をロシア語にせよ。

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2014年04月13日

●続和文解釈入門第418回

結果存続兼評価型動詞と完了体過去形の結果の存続は同義で使えるように見えるが、細かいニュアンスでいうと違う。

(電話番号をお間違えです)Вы не туда попали.
(私を誰かとお間違えですよ)Вы меня путаете с кем-то.

 最初の文はпопастьは電話がつながって相手が電話に出たという動作が、この発話以前に起こっていて、その動作の結果が残っており、動詞自体にいい悪いの評価のニュアンスはない。ところが、二つ目の文ではいい悪いのニュアンスが動詞自体にあるということになる。結果存続兼評価型動詞というのは、直前になされた行為に対し、その動作の評価を伝えるため、つまり所与の状況や文脈に沿った動作ということで不完了体現在形が現在の時制でのみ用いられる。
 結果現存兼評価型動詞はペアの完了体過去形でも似たニュアンスで使うが、ペアの方の完了体動詞過去形の方は、完了体自体が話し手にとって場独立型ということで、本質的に具体的な1回行為に使われる面を持っているという事から、行為の説明というよりは、何かより具体的な事柄に対して、しかも唐突な感じ(新規の事柄として)で使われ、不完了体は場依存型であり、文脈や状況に合わせての、応答であることを意識した補語がないような文脈などで使われる。

出題)「よかれと思ってしたことが裏目に出た」をロシア語にせよ。

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2014年04月14日

●続和文解釈入門第419回

「ロシア語を正しく聞き取れて、正しいロシア語を話せる」というがロシア語を学ぶ上での一つの目標である。特にガイドや通訳を目指す人はそうであろう。これは日常会話のことであって、ロシア語の政治経済、技術、観光の専門用語を使う以前の話である。特に「正しいロシア語が話せる」という点だが、単数と複数の使い分け、体の使い分けができていて、少なくとも日常会話ではロシア人から変なロシア語だと言われない程度のロシア語のことを言っているのであって、特別なロシア語のことではない。自分の学生時代や今現在巷で見るロシア語教材や参考書では、これらが分かるのかというと非常に心もとない気がする。

出題)「レニングラードへの爆弾投下は5千から7千メートルの高度から行われた」をロシア語にせよ。

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2014年04月15日

●続和文解釈入門第420回

このたびロシア語通訳協会関西支部より『関西案内』(大阪・神戸・伊勢編、9分冊、3800円送料別)が出た。厳密に言うと姫路や鳥羽、高野山も含まれている。要所要所説明が日本語で書いてあり、通訳が難しいであろうと思われる語彙についてのみ露訳を入れるという方式で、非常に内容が見やすく、ガイドが現場で度忘れしたり、その場でロシア人に聞かれて答えられない項目をチェックするのにはもってこいであろうし、ガイド志望者にとっても大いに役に立つと思う。前作の『大阪案内』は売れ切れで買いそびれたので、早速買った。今回は大阪だけでなく、伊勢や高野山も含まれており、お買い得の感じである。

 関西支部のガイドブック『京都案内』(売りきれらしい)や『奈良案内』も、関西の経験豊富なガイドがそれぞれ実際に現場でいかにガイドするかということを真剣に考えた良心的な作りであり、分冊なので持ち運びやすいし、テーマや場所ごとに分かれていて使い勝手が非常に良い。大阪には優秀なガイドも多いので関西のガイドをすることは技術通訳のついででもない限りはないが、京都には年に1度くらい日帰りのガイドをすることがある。日帰りなので行くところは、金閣寺、竜安寺の石庭、清水寺ぐらいだが、『京都案内』のおかげで何とか務まっている。銀閣寺は案内したことはないが、この本があれば多分大丈夫だろう。

出題)「そうでなければ出ておゆき。お前なんか知らないよ」をロシア語にせよ。

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2014年04月16日

●続和文解釈入門第421回

日本語とロシア語は全く系統が異なる言語であり、時制についても内容の本質については同じでも、外に現れる表現上の時制の形式が同じとは限らない。これを勘違いして、すべからくロシア語が過去の時制だから、日本語も過去の時制で字面通り訳すというのは、思考停止であり、機械的翻訳ということになる。前回の出題については見かけが偶然一致した例だが、それに誤魔化されずに、その文の時制の面での本質をよく把握することが肝要である。

『三訂和文露訳入門』3-1-3-1項末尾に下記追加願う。

 現在から未来へ続く反復や継続の動作の否定でも、仮定であれば動詞によっては不完了体現在形で示す事が可能な場合がある。これはбытьの未来形の否定は4-1-1-6項にあるように否定的意図を示すため、それと誤解されるのを防ぐためかもしれない。

Иначе ступай от меня: я не знаю тебя! <знать = считать кого-либо родным, близким, знакомым; признавать(身内と認める)であり、「知らない」は状態の動詞ではない。その条件に反対であれば、面倒を見ない、その条件に同意するなら面倒をみるという具体的な1回の仮定の動作を言っている。>

出題)「彼は彼女との間に5人の子供があった」をロシア語にせよ。

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2014年04月17日

●続和文解釈入門第422回

1939年から1945年の赤軍兵士からの聞き書きから成る『イワンの戦争』(キャサリン・メリデール、松島芳彦訳、白水社、2012年)を読んだ。2005年初出。こういう本がロシア人ではなく、英国の女性によって書かれたというのも、ロシア人が第二次世界大戦について客観的には自己を見つめることがまだ完全にはできないということの表れなのかもしれない。それというのも第二次世界大戦ではソ連は2700万人の死者を出し、ドイツは520万人、日本は310万人であり、そのうち赤軍の戦死者は860万人で、ドイツ軍がその1/3、英国や米国はそれぞれ25万人ずつというから桁違いに多い。その原因は、軍部によるクーデターを恐れたスターリンがトゥハチェーフスキー、ブリューヘル将軍などを粛清したりして、幹部将校の量と質の低下を招き、それに伴って軍が旧に復する時間稼ぎのためのやむを得ないと考えたスターリンによるヒトラーとの和解、戦争は当分ないとのスターリンの自己欺瞞的な希望的観測による兵力展開の遅れ、政治将校による政治学習優先のために引き起こされた肝心の戦闘訓練量や戦闘能力の低下がある。第二次世界大戦初期の敗戦続きに目を覚まし、1942年10月になってようやく政治将校の指揮命令系統への容喙は消滅し、その頃からソ連軍の反撃が始まる。フィンランド戦で無能をさらしたヴォロシーロフやブジョンヌイ将軍らもその頃までには更迭された。
ルーマニア、ハンガリー、ポーランド、ドイツにおけるソ連軍の蛮行(強姦、略奪、酒癖の悪さ)はつとに有名だが、これはドイツに対する復讐の念に燃えたからとも言える。これには当時の人気作家エレンブルグの「ドイツ人を殺せ。一人殺したら、次を殺せ。ドイツ人の屍ほど喜ばしいものはない」というアピールがが世論形成に一役買ったと言える。彼はユダヤ人だからドイツに対する憎しみもひとしおだったろう。このプロパガンダはソ連共産党のプロパガンダ担当アレクサンドロフが1945年春に止めさせるまで続いたという。

 帝国主義時代の戦争とは違って、ヒトラーの起こした第二次世界大戦は単なる陣取り合戦では終わらず、ドイツ人以外は殲滅するか奴隷にするかという思想に基づいたものなので、これではいくらスターリンが残忍だと言っても、Из двух зол избрать меньшее. (Избрать меньшее зло. lesser evil.)〔二つの災いのうちましな方を選ぶ〕というか、ソ連の住民としてはドイツに立ち向かわざるを得ないわけで、このような敵を人と思わないというやり方が、ドイツ敗戦の原因でもあり、近代戦の大きな特徴のように思える。

出題)「お乗り過ごしのないように願います。停車駅はこれこれです」をロシア語にせよ。

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2014年04月18日

●続和文解釈入門第423回

以心伝心をラヴレンチエフの和露辞典ではテレパシーтелепатияと訳していたので笑ってしまった。以心伝心するためには超能力者にならなければならいとは。ロシア語にもСердце сердце чует.という言い方もあるから、これなど使ったらいいのにと思う。これは辞典の編纂者が国語辞典の説明から訳語をこしらえた感じで、以心伝心を会話で使ったこともなかろうし、用例もあたってみたこともなかったのだろう。このような例は和露辞典で散見される。同じことは日本人の編纂になる和露辞典にも言えることである。

出題)「彼が貴職の下であり、貴職が彼の下ではない」をロシア語にせよ。

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2014年04月19日

●続和文解釈入門第424回

東日本大震災で当分ロシア語関係の仕事もないだろうと思い、これまでロシア語の文法で長年にわたって疑問に思っていたことを徹底的に調べてみようと思いたった。ロシア語文法には、格変化や動詞の活用など丸暗記しなければならないもの、名詞の格の用法など日本語の理屈で理解しやすいもの、体の用法と単数・複数の使いわけなど理解が難しいものの三つがある。40年以上ロシア語をやっているのだから、最初の二つはとっくにクリアしているが、体の用法や単数・複数については例文の丸暗記によって、使えることは使えるが、根本的な理屈がよく分からない。そこで類語についてのいい参考書も手に入ったことでもあり、シノニム辞典や類語や諺関係の本を精読、再読することにしてもう一度やり直す事にした。それから3年、今ようやく何となく靄が晴れたような気持である。巷のロシア語の参考書は先に挙げた3つすべてを総花的に説明しようとしているものが多く、隔靴掻痒の感がある。最初の二つ、つまり基本的なロシア語文法については城田先生や宇多先生の御著書があり、それを参考にするとよいが、私の『三訂和文露訳入門』は自分がかつて疑問に思っていたことへの答えを書いたものであり、またロシア語学習で日本人が理解しがたいと思われる点を解説したものであり、それが他の参考書との違いである。

出題)「もし私が見つからないようなら、真夜中ホテルを探してみてください」をロシア語にせよ。

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2014年04月20日

●続和文露訳入門第425回

『三訂和文露訳入門』10-10項を下記のように訂正願う。

「~のために」にはдля + 生格が一般的によく使われるが、意識的行動、直接的結果、肯定文における客観的・一般的なものに用いられ、否定の文脈では使われないと考えてよい。

×Для этого я не высказываю своё мнение.

出題)「妥協は彼らにとって弱さと同義語だった」をロシア語にせよ。

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2014年04月21日

●続和文解釈入門第426回

コヴァーリクの『ロシア皇室劇場バレリーナの日常生活』を読むと、バレーは女の園で足の引っ張り合いも相当なものであることが分かる。1903年末にユーリア・セド-ヴァという当時有名なコール・ド・バレエのプリマ兼ソリストが、バケリーナやワシーリエヴァと組んで、当時の皇室劇場支配人付特命担当官であるクルペンスキーを追いだそうとして、脇毛事件というものをでっち上げた。1904年には当時の大新聞『新時代』社主であるスヴォーリンが、「クルペンスキーが衛生と美のためバレエダンサー脇毛を剃れという命令を下した」というニセの手紙を受け取り、これを公表したからたまらない。バケリーナは当時の宮内省大臣ドゥルノヴォーの愛人だったこともあって、時の皇后の介入でクルペンスキーは事なきを得たという。調べてみると女性の脇毛の剃毛は20世紀初めアメリカから始まり、日本では1950年代ノースリーブが流行った頃からであり、東ヨーロッパでも1990年のソ連崩壊以降であるとのこと。昔は中国や東ドイツの水泳選手がオリンピックなどで脇毛が見えるというので評判になった時期もあったが、20世紀初めのロシアのバレエのダンサーも剃っていなかったことが分かる。

出題)「8つのたき火が半円となり、真中に三角形がある」をロシア語にせよ。

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2014年04月22日

●続和文解釈入門第427回

日本語の「結構」は文脈によって正反対の意味になるというのは日本人なら誰でも知っている。「いや結構」と言えば、ロシア語ではНет, спасибо.(No, thank you)となるし、「結構ですね」と言えば、Отлично!とでも訳すだろう。Благодарю (Благодарим) покорно!(稀にПокорно благодарю (благодарим)!ということもあるが)は、皮肉や冗談交じりで、「まっぴらごめん」というように拒否や不同意を示すが、Покорно благодарю (благодарим)!は一般的に、「ありがとうございます」というような丁寧な感謝を示す。

出題)「リヴォフから至急電が来ました」
「それで」をロシア語にせよ。

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2014年04月23日

●続和文露訳入門第428回

学生の頃神田の古本屋で『老子』Лао-си Тао-те-кинг(トルストイ・小西増太郎共訳、1913年初出)の復刻版を見つけたので買った。限定400部で市販は300部、そのうちの97番目とある。これは1968年に木村毅が小西増太郎の長男小西得朗(野球解説者として有名)の了解を得て復刻したものである。小西増太郎はニコライ神父の下でロシア語を学び、キエフの大学を経て、モスクワ大学に進み、都合7年ロシアに留学した。グロート教授の紹介で当時老子の翻訳に携わっていたトルストイに引き合わされ、老子道徳経を共訳することになったわけである。ニコライ神父の日記には、神父にさせるために小西をロシアに送ったのに、正教会から後に小西が離れたことに関して不満の表現があるが、これは小西が当時正教会から破門されていたトルストイと親しくなったからだということもあろう。邦訳には『トルストイ版老子』(加藤智恵子・有宗昌子共訳、新風書房、2012年)があるが、小西も古代中国語の専門家でもなく、老子道徳経の露訳が正しいかどうかは分からないし、ましてやそれを重訳しているわけなので、なおさら老師道徳経本来のものとは違っている可能性はある。正にトルストイ版老子であり、そういう風に理解して読むべきだろう。私はロシア語原文は読んだが、邦訳は読んでいないし、読む気もないので何とも言えない。

出題)「お宅らの秘密なんて私には要らない。自分のでうんざりだ」をロシア語にせよ。

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2014年04月24日

●続和文解釈入門第429回

トルストイ版老子道徳経に、「賢者は右より左を好む、なんとなれば兵を用いるものは左より右を好むからである」とよく分からない説明がある。左袒という漢語や、日本でも左大臣が右大臣より上というのは中国由来らしい。神社での拍手のときも、両手を合わせるときに左手をやや上にして、それから合わせ、手を打つというのもそういうことらしい。何故左が右より貴いのかは今でも確たることは分からない。多分右が左より上だというのは世の中に右利きが多いことだと思われるが、賢者は右より左を好むというのは、小は結局のところ大であるという老荘思想のあらわれなのだろうか?

 チョールナヤの『17世紀モスクワの帝の日常生活』には、17世紀、特にロマノフ朝第2代のアレクセイ・ミハーイロヴィチの御代に、外国の大使を迎えるときに、双方の皇帝や王の名誉を守るために、互いに大いにしのぎを削り合ったことが分かる。大使もその国の王や皇帝の代表だから、その意識が強かったし、アレクセイ帝17世紀初めのロシアの大乱のあとで他国になめられてはいけないという意識から、儀式や名誉には必要以上にこだわったので、その家臣のほうも引かなかった。国境から大使一行に付き添うロシアの帝の家臣も、国境で出迎えのとき馬車に乗り変えるために、どちらが先に下馬するか(後から下りるのが偉いという)で、ずいぶんもめ、馬車やそりに乗れば乗ったで、どちらが先に下りるか、下りたふりをして実際は下りないなどのテクニックを双方とも弄したりして、かなり時間がかかったものだという。その中に「馬車で大使と高き側(右側)に(座って)行った」という表現があり、右が左よりも上だったことが分かる。現代でも日本では後部座席の左側が一番偉い人が座るが、ロシアでは運転手の隣、つまり右に座るというのもこれに関係するのだろうか?

出題)「『命と自由は保証する』と彼は約束した」をロシア語にせよ。

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2014年04月25日

●続和文解釈入門第430回

拙著『ロシア人と日本観光案内』(東洋書店、2008年)に紹介した年鑑『日本』で、その後に出版された年鑑『日本』についてコメントする。2007年度版所載の論文『靖国神社問題の多面性』Многоаспектность проблемы святилища Ясукуни, Молодяковаが靖国神社参拝問題をまとめていて興味深かった。ただ著者は靖国神社に墓がないということに驚いているようだが、靖国神社も含めて神社に墓がないのは当然であって、神道や神社に関する基本的な知識がないのかなと気になった。このほかに日露の民族の類似性と違いについての論文『日露民族文化の原型のいくつかの特徴О некоторых осебенностях русского и японского этнокультурного архетипа』でプラソールПрасолが書いているのだが、この種の試みとしてはほぼ最初ではないかと思われるので大いに評価したい。今後この種の論文が増えてくると思われるので、ガイド志望者にとっても今後この年鑑に目を通すようにすべきだと思う。

 2008年度版で見るべきものは、アルトゥニャンАртюнянの『石油危機』、マルキヤンМаркьянの『持続性のある発展』、ヴォロビヨーヴァВоробьеваの『日ロステレオタイプ』、カタソーノヴァКатасоноваの『若者サブカルチャーの顔』がガイドや通訳をする際に役に立つと思われる。終わりの方にロシアで活躍するバレーダンサー岩田守弘のインタビュー記事が載っている。

出題)「明日(車で)お迎えにあがります」をロシア語にせよ。

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2014年04月26日

●続和文解釈入門第431回

日本年鑑の2009年度版は見るべきものがあまりないが、ドーブリンスカヤДобринскаяのエネルギー問題、バルィシェフБарышевの本野一郎の論文は参考になった。

 2010年度版はノーズドレフНоздревの『国際資本市場における競争激化状況での東京金融センター』が、上場や上場廃止など金融関係のロシア語を覚える上で参考になった。またゴニャーリンГонялинの『日本の工作機械の多難なる時代』は量的には少ないとはいえ、ロシアと日本の工作機械貿易の関係にも触れていて、今後の同年鑑の方向を指し示す上で貴重である。モロジャコーヴァМолодяковаの『日本の学校教育』は若干勘違い(修学旅行を生徒の金の価値を分からせるためとか、二部授業を日本では行ったことがないとするなど)もあるが、このテーマでは年鑑『日本』に発表された最も優れた論文と言える。戦後から最近の愛子さまの不登校問題に至るまでよく勉強している。カタソーノヴァКатасоноваの『歌謡曲の世界』はこれまで扱われたことのほとんどないテーマで、若干勘違いはあるものの(流行り歌と壮士節とを取り違えている)日本の歌謡曲の歴史を展望していて非常に興味深い。パーヴロフПавловの『長崎におけるロシア海軍診療所(1856~1906年)』も興味深いがこのテーマについてはヒサムトヂーノフХисамутдиновの『ロシアの長崎』が先鞭をつけているし、内容もより豊富である。

出題)「彼女は夫の嫉妬に悩んでいる」をロシア語にせよ。

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2014年04月27日

●続和文解釈入門第432回

2011年版の年鑑『日本』はモロジャコーフМолодяковの『2011年3月11日後の日本』が出色の出来。地震や災害の用語の収集にもよい。これとクラーノフКулановの『都内のロシア神学校生徒たち』もよい。ロシアにおける空手の祖とも言えるオシシェプコーフОщепковについても触れていたのが大いに参考になった。2012年版ではアルパートフАлпатовの『対日本観 神話と現実』では対日本観の推移を述べており、これもよい。2013年版ではシシェルバコーフЩербаковの『ロシアに対する日本の投資』がこれまでにない題材であり、日ロの関係を経済面で俯瞰するためには必読の論文と言える。ジーリンЖилинの『日露世論形成』も意欲的な論文である。特に日露の若い世代がお互いをどう見ているかは興味深い。メシシャリャコーフМещаряковの『ヴェレシシャーギンの日本素描』には、日露戦争でマカーロフ提督と共に戦死した画家のヴェレシシャーギンВерещагинの1903年から1904年までの日本滞在記が付録としてついているのが有難い。日光まで足をのばしている。横浜からの車中で男がもろ肌脱ぎで体をこするのに回りは何の反応も示さないとか、日本人の永遠の頬笑みは理解しがたいとか、日本女性は可愛いが、歩き方が内またで、これは見苦しいとある。日本女性は30を過ぎると老けるのも早いというのは、今のロシアと比べると反対といえよう。

出題)「弱みを見せた奴がやられる」をロシア語にせよ。

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2014年04月28日

●続和文解釈入門第433回

『三訂和文露訳入門』4-1-1-6項を下記のように変更願う。

不完了体動詞未来形の肯定文では、回りの雰囲気や状況から、文脈によっては、「~するつもりである」という意味になることもあるが、そういう風にも理解されることもありうるというのであって、状態の動詞や無接頭辞単純動詞(本源動詞)を除いて、場独立型の、自らの意図を示す動作ということには必ずしもならない。否定文の場合も、不完了体が持つ文脈依存性であることから、今後一切~しないという、これから起こる未来のいつの時点の動作をも全て否定するゆえに、「~するつもりはない」という強い否定の意図が明確に現れるということは言える。またне стоит + 不完了体動詞不定形(意味がない、値しない)の意味に取れる場合もある。一方、否定詞と完了体動詞未来形の組み合わせは、不可能の意味か、ないしは特定かつ不動の一点をイメージしての否定の強調の意味となる。Не буду говорить とНе скажуの違いは、前者が「言うつもりはない」という意志を示すが、後者は「言わない」という未来の動作の否定の強調であると同時に、「言えない」という不可能をも表せる。そのどちらかは文脈による。

(許して下さい、二度としませんから)Простите (Извините) меня, я никогда больше не буду так делать.

 上の文は交通違反などをして、警察官に注意されてという文脈(回りの雰囲気や状況によって)で、不完了体動詞未来形の否定が使われている場合である。больше(これ以上)という副詞があるのも、すでに言及された事に対してのという含みがあり、動作に焦点が来ていないことになる。以下の文も同様である。

(もうしませんから)Больше не буду.
(二度は繰り返して言わないからな)Дважды повторять не буду.
(奴を背負う〔だっこして運ぶ〕のはごめんこうむる)Я его нести не буду.
(お前を騙すつもりなんかない)Я тебя обманывать не буду.
(お手間〔お時間〕は取らせません)Я не буду отнимать ваше время.
(俺にかまうな。俺もお前には手をださないから)Ты меня не трогай, и я тебя не буду трогать.
(その家族と娘について一言も話すつもりはありません)Я не буду говорить ни слова об этой семье и девушке. <話さないように頼まれての返事>

出題)「そうでなければ、この件は他のものにやらせて下さい」をロシア語にせよ。

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2014年04月29日

●続和文解釈入門第434回

19世紀にはペテルブルグとモスクワではバレエの好みも違い、ペテルブルグではバレエファンは役人に多く、あまり跳ね回るのではなく、手の動きとか、平面的な動作が好まれ、モスクワではバレエ好きには商人が多く激しい動きが好まれた。そのためペテルブルグのプリマだったアンドレヤーノヴァ(ペテルブルグ皇室劇場バレエ監督ゲジェオーノフの愛人でもあった)はモスクワ公演では、人気の面でモスクワのプリマであるサンコーフスカヤの足元にも及ばなかった。このような対立は1848年12月5日モスクワでアンドレヤーノヴァが踊った「パヒータ」という出し物の時に、死んだ疥癬病みの黒猫を舞台にピョートル・ブルガーコフというバレエファンが投げ込んだことで頂点に達した。踊っていたアンドレヤーノヴァはその場で気絶。さすがのモスクワのファンもこれはあんまりだということで、アンドレヤーノヴァに対する同情が高まり、彼女の人気を不動のものとしたのは皮肉である。死んだ黒猫はアンドレヤーノヴァがやせぎすだったからとも言われている。彼女は美人でもスタイルがよいわけではなかったが、テクニックだけでプリマの頂点に上りつめたと言われている。

出題)「明日センターで人を待たせておきますから」をロシア語にせよ。当方の都合によりこのコメントは1日ほど遅れる。悪しからず。

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2014年05月01日

●続和文解釈入門第435回

(『命と自由は保証する』と彼は約束した)Мы гарантируем вам жизнь и свободу - пообещал он.
これは第429回の出題に対する私の回答だが、次のような投稿者の答えも出題の和文から考えると(特に耳で聞いた場合には)正解である。ただ言わんとする内容はずいぶん違う。

Я обещал гарантировать жизнь и свободу. <обещатьとгарантироватьは共に完了体・不完了体同形の動詞だが、この場合は共に完了体としての用法である>

 これでは命と自由を保証するのは未来の動作ということになる。つまり、間接話法や不定形を使った文、つまり従属文や動詞の不定形では遂行動詞の意味を出せないので、そのニュアンスを出すためには最初の文のように直接話法を使う必要がある。

出題)「二つの異なる工場製の茶は天と地ほどにも違うことがあり得た」をロシア語にせよ。

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2014年05月02日

●続和文解釈入門第436回

直訳は意味が通じないなら誤訳であるし、多くの場合通じない。諺は通訳でもガイドでもあまり使うことはないし、よく使うのでもせいぜい20ぐらいだろう。その中でもПопытка не пытка.は通訳でもガイドでもよく使うが、それを「試みは拷問ではない」と通訳しても、聞いている人にまず意味は通じない。「ものは試し」とか「だめもと(だめでもともと)」と訳して、ロシア人の言わんとするのが、聞いている日本人に分かるのである。しかし似て非なる諺や熟語というのもあるので、使う上では用法や用例を十分調べておく必要がある。Шила (Шило) в мешке не утаишь.は「隠れたるより現るるはなし」という意味であり、悪い意味で使うが、日本語の「嚢中の錐」は才能のある人はたちまち外に現れるということだから意味が違う。また熟語のЧёрным по белому написано следующее.(次のことがはっきりと書かれている)に対して、日本語の「白黒をつける、黒白」というのは、勝敗・優劣・正邪をつけるということであり、これも意味が違う

出題)「女中は私がもう寝ていると言った」をロシア語にせよ。

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2014年05月03日

●続和文解釈入門第437回

心霊スポットなどをテレビでも紹介しているが、その中で丑の刻参りについて紹介している番組を見たことがある。藁人形に五寸釘が刺さっているのがいくつか紹介されていた。丑の刻参りというのは、午前1時から3時ごろ毎夜、白装束を身にまとい、顔に白粉を塗り、頭に五徳をかぶってそこに蝋燭を立て、一本歯の下駄を履き、胸には鏡、腰には護り刀、口に櫛を咥えて神社のご神木に憎い相手に見立てた藁人形を五寸釘で打ち込むというもので、丑の刻参りをしている者の姿を他の人に見られると、参っていた人物に呪いが跳ね返って来ると言われ、目撃者も殺してしまわないとならないと伝えられる。

 マキノ雅弘(1908~93年)は映画の草創期に子役として出て、俳優、助監督を経て、監督として生涯に261本の作品を取った。マキノ雅弘自伝『映画渡世』(上下2巻、ちくま文庫、1995年)はトーキーを経て現代までの70年間を網羅した波乱万丈の自伝である。その中に丑の刻参りの実見談が出てくる。マキノの小学校の頃(1910年代か?)、北野天満宮で友達の泥政(後に2代目の説教強盗になったという)とそれを見に行ったという。「女が一本の杉の大木に近寄り藁人形を出して、あたりを見回しながら。人形に釘をコーンと打ち付ける。めらめらとローソクが切れる」とある、マキノは女に見つかり、殺さんと追いかける女から大急ぎで何とか逃げた。その後女は泥政が連れてきた警官につかまったという。

出題)「彼らの本は本屋の棚で何十年も埃をかぶっていた」をロシア語にせよ。

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2014年05月04日

●続和文解釈入門第438回

トルストイと小西増太郎共訳の老子道徳経を読んだが、至高の存在はあるのだろうかとか、宗教が不幸の元とか、万物は混沌から成るなど、興味深い。その中で、大学の中の一文「見れども見えず、聞けども聞こえず」に似ている文を見つけた。老子道徳経原典の邦訳は読んだことも読む気もないので、どうなっているのかは知らないが、露訳はПредмет, на котором мы смотрим, но не видим, называется бесцветным. (Звук, который) мы слушаем, но не слышим – беззвучным.(見れども見えぬものを無色と言い、聞けども聞こえぬ〔音を〕無音と言う)とある。訳についてはともかく、видетьとсмотреть、слушатьとслышатьの違いがよく分かる文ではある。

出題)「5分後に開始だ」をロシア語にせよ。

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2014年05月05日

●続和文解釈入門第439回

前回の設問の私の回答のように、быть動詞の現在形(通常は省略される)を使って、予定の意味を示すことが出来る。状態の動詞は現在の時制で予定の意味(近接未来)では使えないが、8-1-1項で示すようにбыть動詞の場合、「いる、ある」という意味の他に、4-1-2-5項のように「到着する」、また主語が3人称のみで「起こる、現れる」という動作を示す意味があり、それらは3-1-6-1項で示すように、現在の時制で予定の用法で使える。また4-1-2-6項の予想を意味する動詞群(ждатьも語義に動作への期待のニュアンスがあるときには、предстоять, ожидатьсяのように、も未来の時を示す状況語と共に用いることができる。

出題)「遅れた人はどうしましょうか?」をロシア語にせよ。

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2014年05月06日

●続和文解釈入門第440回

ニーコン総主教はギリシャ正教とロシア正教を統合しようとして、ロシア正教の礼拝の儀式や儀典書の食い違いをギリシャ正教の正典に則して正そうとした。そのためその反発として古儀式派が生まれることになったわけだが、このときロマノフ朝2代目のアレクセイ・ミハーイロヴィチ帝はニーコンの肩を持ったわけである。なぜそうなのか長いこと疑問に思っていたが、チョールナヤの『17世紀モスクワの帝の日常生活』を読むと、その中に、帝の即位式で、ニーコンが、「ロシアの王権は全宇宙より上である」という祈りの言葉を述べたことに帝が感動したことによるとある。ニーコンはその後教権が王権より上であることを示そうとして、追放に処せられるが、ロシア正教はニーコンによって改革された方向へ進み、帝もこれを正そうとはしなかった。ニーコンは教権が王権より上だという事を示そうとした唯一の総主教だが、実質的に教権が王権と並んだ時代がある。それは総主教フィラレートである。彼はロマノフ朝初代のミハイル・フョードロヴィチの父であり、政敵からツァーリになれないように無理やり出家させられて総主教になった。しかしミハイル・フョードロヴィチが父を敬う念が篤かったことと、フィラレート自身が英名だったこともあり、ツァーリと並んで統治した。

出題)スポーツ選手に「ベストはどのくらいですか?」をロシア語にせよ。

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2014年05月07日

●続和文解釈入門第441回

最近偶然『トルストイを語る』(小西増太郎、万葉舎、2010年)を読んだ。1936年初出。文字通り小西増太郎(1861~1939)がトルストイとの交流について書いている。トルストイがなぜ家出せざるを得なかった理由としては、ルソー主義を全うしたいと考えたこと、ソフィア夫人が重いノイローゼに罹っていたこと(原因はトルストイの生活観であろう)があると書いてあるのは興味深い。唯一日本人で参列した葬儀の模様など、トルストイに興味のある人には必読であろう。トルストイには歯がなく、歯茎で肉も噛み切ったなどと書いている本もあるが、小西もトルストイは歯が弱く35、36歳で歯はすべて失くし、入れ歯も嫌ったとある。日本でトルストイが評判になりだしたのは1891年~92年の頃で、同時代人としての小西の叙述には説得力がある。徳富兄弟もトルストイとヤースナヤ・ポリャーナで会っているが、徳富蘇峰の方は小西の紹介状を携えて行ったとあり、蘇峰はトルストイから小西宛に託された聖書(トルストイの引いた下線が入った)を持ちかえっている。Круг чтенияやПуть жизниを小西に読めと勧めていたようであり、前者は死の直前まで読み返していたという。この二つの書は未読だが、いずれ機会を見て手に入れ、読もうと思う。後年宗教臭が強くなったのはどうかなと思うが、トルストイの作品は好きである。

出題)「その会社はブラックリストに載るという危機に瀕している」をロシア語にせよ。

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2014年05月08日

●続和文解釈入門第442回

小西増太郎と共訳で老子道徳経の露訳を進めていた時に、トルストイは「兵は凶器ゆえに賢者の道具とはなりえない」という文言で狂喜したが、次に続く「ここから兵は避けられない場合のみ用いられる」という文言で、老子がかようなことを言うはずがないと気分を害したという。しかし、自然に帰れの老荘思想というのは、現実を無視してということではなかろう。老子の文の方が常識的であるように思われる。無抵抗主義が通じるのは、多少とも理性の通じる相手、例えば帝国主義ぐらいであろうし、ナチズムやスターリン主義などの気違いの前ではまったく無力のように思える。

出題)「それらが似ているのはそこまでである」をロシア語にせよ。

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2014年05月09日

●続和文解釈入門第443回

『三訂和文露訳入門』の2-1-6項の出だしを下記のように変更願う。

1回ないしはそれ以上の、ないしは回数を特定しない反復を意味する場合は、不完了体が用いられる。完了体の反復の用法(偶発的反復、散発的反復)では動作が起こるか起こらないかが分からない、動作の有無が不明だが、不完了体の反復は動作が起こる(否定では起こらない)という、動作の有か無であることを前提にしているという違いがある。動作が起こらなければ(動作が無である以上)、反復ではないという見方もできようが、ここでは有と無の二つの対立におけるゼロ(無)の反復と考えておく。

出題)「彼は何十年も時代の先を行き、同時代の人たちには理解されなかった」をロシア語にせよ。

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2014年05月10日

●続和文解釈入門第444回

物忘れというのは、年を取れば誰にでも出てくるもので、ボケの症状である場合もあろうが、多くは年を重ねるにつき覚えていることが増え、検索に時間がかかるだけということだろう。引き出しに品物が5、6個ならすぐ見つけ出せるが、引き出しいっぱいにものが詰まっていたら、あまり使わないものなら探し出すのは一苦労だということと同じである。ロシア語上級者に対しても同じことは言える。覚えている文例や語彙が多すぎて、頭にいくつも浮かぶ。語彙なら類語によっては使い分けが必要だし、動詞の体にしても例文が瞬時にいくつも浮かぶから、どちらの体を使うのか迷ってしまう。つまり検索を早くするためには頭の引き出しの整理が必要なわけである。そういう頭の中のロシア語の語彙の整理のために『三訂和文露訳入門』を書いたのだが、購入された方に少しでもお役に立てたらと願っている。

間違って回答も書いたのを出題してしまったの、別のを出します。
出題)「香りづけにはローレル、何かの青物、あればひき割りを加えるとよい」をロシア語にせよ。

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2014年05月11日

●続和文解釈入門第445回

アオリスト的用法と経験の用法の違いについて書いて見よう。

В прошлом году я перенёс воспаление лёгких(昨年肺炎に罹った)
Я переносил воспаление лёгких.(肺炎に罹ったことがある)

最初の文は過去の時制において特定かつ不動の一点において動作が起こったことを示しているゆえに、完了体過去形が用いられる。これをアオリスト的用法という。二つ目の文は動作が過去に起こったのだが、回数も、いつかも特定できない。これが不完了体過去形の経験の用法であり、経験の用法は動作の有無の確認の用法の派生形である。二つ目の文にв прошлом годуを入れることは可能だが、そうなると昨年の間にという期間になってしまい、昨年1年間に最低1回は肺炎に罹ったという意味になる。

出題)「今後日本はどんな道を歩むのか?」をロシア語にせよ。

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2014年05月12日

●続和文解釈入門第446回

『オオカミ少女はいなかった』(鈴木光太郎、新曜社、2008年)は副題に心理学の神話をめぐる冒険とあり、我々が当然と思っていた事柄、例えばオオカミ少年や少女はほとんど何の裏付けもない話であるとか、サブリミナル広告(1秒の何分の一かの間にで広告品を買わせるような無意識下での意識操作)は、広告を意識しても買おうと思わないものが無意識下で思うはずがないとか、心理学の胡散臭い部分を我々素人にも分かりやすく書いている良書である。チンパンジーやゴリラとのコミュニケーションで手話を持ちいても実験者効果という予断(先に結論ありき)が影響するというのには驚いた。ただ著者はカードを用いたコミュニュケーションは否定していないわけで、そのコミュニケーションにおいて、叙述よりも命令が用いられるというのは、言語の発生を考える上で面白い。言語はもともと人への説明というよりは、命令の必要性があって生まれたものであろう。

出題)「彼ははっきりとした人生の目標がないことに悩んだ」をロシア語にせよ。

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2014年05月13日

●続和文解釈入門第447回

『数学受験術指南』(森毅、中公文庫、2012年)は、実際の受験における採点者側からの数学の受験術を書いたものである。採点基準も含めて、採点というのはいろいろな人が客観的に関わるわけで、思った以上に公平なものだなと感心した次第。答案添削のアルバイトを予備校でして、初めて答案のコツをつかんだ学生の話が載っていたが、私も本コーナーで出題して初めて、和文露訳のコツというものをつかんだような気がする。練習問題は分野ごとでは受験の役に立たず、ランダムに問題を解くことを本書では勧めているが、本コーナーの出題がいろいろな分野、いろいろな体の用法を出すという意味でランダムであり、意を強くした次第である。ただ本コーナーにおいては問題をランダムに出しっぱなしではなく、『三訂和文露訳入門』という系統的に学べるような柱を提供してあるし、できるだけどの項目を参照すべきかはコメントで書くようにしているので、ランダムな出題は勉強のために障害とはならず、実戦向けの最適な出題だと考えている。出題するに際しては、ある程度どのような間違いを投稿者がするのかを予測するのだが、思いもかけない回答というものも結構あるもので、それが出題者の醍醐味でもある。そういう回答に対して、間違いだと私の勘が教えてくれるものもあるが、まさかコメントにそう書くわけにもいかない。そこで投稿者が納得してくれるのように、語結合や文法などの観点から理屈を書く必要が出てくるわけである。既に千題以上さまざまな分野(体の用法などの文法関係から政治経済、技術、スポーツ、医学、社会に至るまで)出してきたおかげで、ずいぶんロシア語が上達したような気がする。これも投稿者の皆様のおかげである。

出題)「日本は中国に2位を譲って3位となった」をロシア語にせよ。

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2014年05月14日

●続和文解釈入門第448回

『数学受験術指南』(森毅、中公文庫、2012年)には「自分がよく分からないとき、他人に教えると、よく分かるようになる」とか、「人間は、他人に説明しようと思うと、自分の方でも、よく分かってくるものである」とか、「人に教えてやれば、じぶんが賢くなれるのだ」とある。これはこのコーナーにおける私のことでもある。誤解をしてもらいたくないが、このコーナーを始めたのは、あくまでも自分のロシア語をよくしたいということであり、投稿者や閲覧者のロシア語が上達するとかどうかというのは埒外のことである。上達してもらうのに越したことことはないが、上達するかどうかは個人の努力次第であろう。私の経験が役に立てば結構というぐらいである。投稿者の回答に対するコメントもあくまでも自分のためであり、人に分かるように説明できないければ、真に自分が理解したとは言えないと考えているからである。同書に「文章表現を試みると、自分の分かっているところも、分かっていないところもはっきりとしてくる」とあるのも、同感である。投稿者によっては、回答になぜ不完了体(あるいは完了体)を用いたのか、細かく書いてくる人がいるが、こういう人は伸びると思う。基本的にこのコーナーで人にロシア語を教えているつもりはないので、投稿者の回答の正否はともかく、回答のしかたについてどうのこうの言ったことはないが、ただ回答の露文を書くよりは、どういうつもりで設問を解釈し、その結果、このような体、あるいは単数(複数)を用いたのかを書けば、それば私への説明というよりも、自分のロシア語の文法に対する理解が整理され、それが次のステップに進む大きなきっかけになると思う。

 ロシア語会話の上達をロシア人のように感覚的に使えるようにすることであると考える人が多いと思うが、それは5歳や6歳の子供ならともかく、いい大人がする勉強法としては間違いだと思う。なぜなら子どもと違い、大人は脳が出来上がってしまっているからである。大人になってからの語学の上達法は、理詰めに考え、丸暗記することは最小限にすべきである。丸暗記というのは機械的作業であり、面白くもないから、勉強が続かない。世の中に丸暗記を屁とも思わない人がおり、プロの語学の達人の条件かもしれないが、それは学問ではない。数や体の使い分けなど理屈(文法)を母国語の日本語で考えることで上達し、それが大人の(まともな人間としての)学問である。そうでないと体の用法の真髄を理解した時の心の震えというか、おののきを体験できないことになり、ロシア語を勉強してきた甲斐がないと思う。

出題)「しばしば納品待ちが何カ月にも及んだ」をロシア語にせよ。

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2014年05月15日

●続和文解釈入門第449回

『三訂和文露訳入門』5-1-1項に下記追記乞う。

この切迫という用法にしても、暗黙かそうでないかは別にして、切迫しなければならないような前提条件があるわけで、その前提があるということ自体がみなし反復となり、不完了体が用いられるということにもなる。

出題)「2007年中国は工業生産量で日本を抜いた」をロシア語にせよ。これの回答に対するコメントは1日ほど遅れるので悪しからず。

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2014年05月17日

●続和文解釈入門第450回

調べるというよりは漫然と犬死という単語をラヴレーンチエフの和露で見ていたら、собачья смертьとある。これでは犬の死か、Собаке собачья (и) смерть.(悪党にふさわしい死にざま)であろう。和露辞典の編集者が、犬死(無駄死に)という言葉を知らなかったか、国語辞典を引かなかったとしか思えないミスである。第436回本文で私が言っている直訳というのはこういうものである。日本で出ている和露辞典にもこの種の間違いがないといいのだが。研究社や岩波の露和辞典にもこのようなミスはけっこうある。興味のある方は私のホームページ「ランポポー」のロシア語ガイド・通訳で使える辞書・参考書のページを参照願う。

出題)「長いこと掃除機はいたるところでぜいたく品のままだった」をロシア語にせよ。

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2014年05月18日

●続和文解釈入門第451回

『日ロ現場史』(本田良一、北海道新聞社、2013)を読んだ。北方4島の領土問題に関連して、レポ船、特攻船(小型の高速密漁船)、ロシア密漁船、北洋漁業など歴史的背景から分かりやすく説明しており、北方領土問題を論ずる上での必読の書である。115ページに「牧草の上でほえる犬」とあるのは、多分собака на сене(a dog in the manger)だと思うが、それなら「(自分には不要なのに他人には使わせない)意地悪な奴」ぐらいの意味であろう。

出題)「もし私をそそのかすのであれば、我々の話は堂々めぐりになりますよ」をロシア語にせよ。

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2014年05月19日

●続和文解釈入門第452回

昔の中国武術の形の図解を見ていると、モデルの師夫のお腹がけっこう出ていて、現代のブルースリーような体脂肪率が5%ぐらいのとはずいぶん違う。昔は飢餓が常態だったので、男も女もふっくらしているのが理想だったということもあるのだろう。これまでBMI(体格指数 = 体重(kg)÷身長(m)÷身長(m)が18.5 – 25までを正常値とし、22が最も健康的で病気になりにくいされていたが、最近日本人間ドック学会と健保診が示した基準範囲案とメタボ検診の基準(2014年4月27日付読売新聞朝刊)によると、BMIが男18.5 – 27.7、女16.8 – 26.1とある。コレステロールだって細胞を作る原料なのだから、これが少ないのが体にいいわけがない。活性酸素も細胞を傷つけると言われているが、体内のバイ菌を殺すという作用もある。世の中ほどほどであり、過ぎたるは及ばざるがごとしである。それよりもこれまでは肥満の危険ばかり宣伝しているが、やせて体重の少ない人の方が、健康を過信しているような気がするし、風邪に罹りやすいとか、体の不調ということも多いような気がするのもひがみか。

出題)「追跡は成果が上がらなかった」をロシア語にせよ。

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2014年05月20日

●続和文解釈入門第453回

黒澤明の映画作品は『椿三十郎』以外は、モスクワでの駐在の時(2000年ごろ)に海賊版で『七人の侍』、『生きる』、『酔いどれ天使』などだいたい見たと思う。その頃は海賊版が全盛で、正規版というのはなかったように思う。ロシア語の字幕でかすかに日本語が聞こえるのでロシア語の勉強にはうってつけのようなものであり、1本100円か200円くらいだったと思う。話はそれるが、カザフのアルマトゥイ駐在のとき(1995~97年)も閑なので海賊版を買って、よく見た。旧ソ連圏なのにそのころは検閲もいい加減になっていたのか、大島渚の『愛のコリーダ』やフェリー二の『サチュリコン』もノーカット版だった。

  『もう一度天気待ち』(野上照代、草思社、2014年)は黒澤明の映画の撮影の現場をよく伝えている。三船敏郎は周囲に気を配ってばかりいる人で、そのため酒を飲むと鬱屈が出ての酒乱の気味があるとか、黒澤監督は麻雀は好きだが金は賭けないとかなど面白く読んだ。特に『デルス・ウザーラ』の撮影秘話が面白い。ロシア語で、Приготовились!(用意)Мотор!(キャメラ回せ)Начали!(スタート)というと書いてある。最初のは結果の存続であり、最後のは時制の転用でLet's start!の意味である。

出題)「その薬は母には効かなかったし、ちっとも効かなかったんだよ」をロシア語にせよ。

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2014年05月21日

●続和文解釈入門第454回

前回の続き。『デルス・ウザーラ』撮影でも場所が極東だからダ二には悩まされたと野上は書いている。最近日本でも問題になっているが脳炎のもとだからである。私も何度かナホトカとウラジオを車で往復したことがあるが、道中3時間ほど現地の人から出来ればトイレはしないでくれと言われた。どうしてもというなら木のそばは止めてくれという。木の上からダニが降ってくるか、しげみから入り込む可能性があるからである。しかしトイレの時は塀でも、壁でもよいから何かにすがりたい(犬のように何かに小便をひっかけたい)、こそこそやりたいという気持ちになる。堂々と道の真ん中でするものでもあるまい。

出題)「硬貨を入れて、ボタンを押して下さい」をロシア語にせよ。

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2014年05月22日

●続和文解釈入門第455回

「はるか彼方に去る」というのをロシアの民話ではуехать за тридевять земельと言うのはずいぶん前から知っていたが、チョールナヤによるとтридевять (27)という数が儀式に関わる意味、つまり無限の多数 бесконечное множествоということであり、ロマノフ朝初代ミハイール・フョードロヴィチの結婚式の引き出物として、27枚のクロテンの毛皮、27枚の黄金の布、27枚のリスの毛皮、18枚の金貨が出てくるのでも分かるという。

出題)「多くの人が病気で死んだ」をロシア語にせよ。

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2014年05月23日

●続和文解釈入門第456回

日本でも男尊女卑は戦前まであり、貝原益軒の著作を基にした18世紀初めの女大学という教訓書や礼記の「家にあっては父兄に従い、嫁しては夫に従い、夫の死後は子に従う」と三従の道というのが女子教育の基本であった。ロシアでも17世紀ごろまでは、貴人の女性は表に立たず、顔すら見せてはならない(邪視を避けるためчтобы не сглазили)とされていたが、チョールナヤによれば18世紀ごろから、聖母マリアがアダムを誘惑したイブの罪を償ったという考え方が現れ、女性の位置づけが徐々に変わって行ったという。女性は国家の長にはなれなくとも、王を産むのは母であり、ロマノフ朝初代ミハイール・フョードロヴィチの母や皇后はかなり権力を発揮したし、ピョートル大帝の姉のソフィアが7年間政治の実権を握ったのは有名な話である。

出題)「その学校は食事や着るものでは誉められたものではなかった」をロシア語にせよ。

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2014年05月24日

●続和文解釈入門第457回

男尊女卑についてだが、ロシアでは男のあごひげが女性に対して優位に立つ証拠とされた。しかし、17世紀中ごろには、あごひげが女性にないのはその美しさのためとか、赤ん坊に乳をやるためとかという説が現れた。

出題)「彼は女生徒たちの健康に気をつけていた」をロシア語にせよ。

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2014年05月25日

●続和文解釈入門第458回

この頃は私家版和露の整理をしていて、9万4千項目あったのを3千項目ほど減らした。後さらに1万ぐらい減らせるかもしれない。この私家版和露に関わることによって、どのようにしたらロシア語で日本語のニュアンスを伝えられるかのコツをつかんだような気がするし、3年か4年経てばある程度の成果を出せるかもしれない。それが最後の著作になるのかもしれないが、需要があるとは思えず、そういうのを出す意味があるのか、自己満足だけという気がしないでもない。それはともかく、ただ和文露訳といっても、語彙だけ覚えても意味はない。重要なのは動詞であり、ロシア語の場合、体の使い分けができないと完全にニュアンスが伝えられないことになるということは何度も申し上げている通りである。

出題)「原子力発電所の操業はある程度の危険をはらんでいる」をロシア語にせよ。

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2014年05月26日

●続和文解釈入門第459回

『三訂和文露訳入門』2-1-2-2項を下記のように変更願う。

2-1-2-2 動作の否定(否定文一般)

否定文を時制で考えると、過去の時制では動作の無の確認(不完了体過去形<本項>)、否定の強調(完了体過去形<2-2-1-6項>)、期待外れ(完了体過去形<2-2-2項>)はあるが、動作がすでに起こっているため仮定法過去を除けば、可能性(不可能)ということはない。時間軸の今現在という厳密な意味での現在の時制では動作の無の確認(不完了体現在形<3-1-8項>)や経験の否定(不完了体過去形<3-1-7-2項>)、結果の存続の否定(完了体過去形<3-2-1-2項>)がある。拡大解釈における現在の時制や未来の時制では不可能(完了体未来形<3-2-3項>)や否定の強調(完了体未来形<3-2-2項>)がある。未来の時制ではさらに文脈依存型の否定的意図(不完了体未来形<4-1-1-6項>)もある。禁止は5-1-4項(不完了体命令形)や6-1-5項(不完了体不定形)があり、不可能は6-2-5項(完了体不定形)で、警告・危惧は5-2-4項(完了体命令形)扱う。

 否定文というのは動作自体を否定するのだから不完了体が使われるのが普通である。つまり動作の有無の確認に不完了体が使われるということから、一般的に否定文こそ動作の無の確認(ゼロの反復)に他ならない。そのため否定文に完了体を用いるというのは、具体的な1回の動作が否定される場合であり、何らかの主観的なニュアンスを付加することになる。本項では過去の時制における否定を主に扱う。

 不完了体過去形が扱う過去の時制における動作の無の確認の他に、動作が始まったが遂行していないか、成果の未達成(結果存続の無効)、否定の強調(一度も~ない)や不可能は完了体過去形で示す。つまり過去のある一点において動作が行われなかったという事をイメージすることにより、期待外れ、失望、予想が外れたことの驚き、不可能などの主観的ニュアンスが生まれる。そのため動作の主体を強調する(主体的意味を担う)場合、完了体動詞過去形が来る。これは否定文におけるアオリスト的用法で、文脈によっては否定文の結果の存続(結果存続の無効)ということになる。多回体の動作の否定については3-1-9項参照願う。また完了体動詞過去形の否定については2-2-2項を参照願う。

出題)「それは私に向かっておっしゃっているの?」をロシア語にせよ。

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2014年05月27日

●続和文解釈入門第460回

『三訂和文露訳入門』にて体の使い分けの定義は「完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点をイメージする」と書いた。これは「不完了体は動作の有無の確認に用いられる」が不完了体の本質を示すのは間違いないとは理解しているものの、和文露訳をする上で、これでは使いものにならないと感じたからに他ならない。「完了体の本質は具体性であるように、不完了体の本質は任意性である」というのも、本当のことを言えば、そこから「完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点をイメージする」という定義を導くために利用したものである。

 これまでのフォーサイス先生や原求作先生の体の用法関係の著作において、各々の時制(過去、現在、未来)や法(命令法や不定法)での、使い分けについては具体的に説明されている。その中で分かりやすいのは結果の存続(完了体過去形)や経験(不完了体過去形)などである。しかし、完了体と不完了体は各々の時制や法で使われており、使い分けの際に共通の目印がないというのはおかしいと考え、30年以上かけて(集中したのはこの3年間だが)、時制や法に共通する体の使い分けに関する自分なりの定義を発表したわけである。

 この定義に納得していただければそれはそれで結構だが、究極的な目標は和文露訳における体の使い分けであり、その使い分けが分かり易ければ分かりやすいほどよいのは当然である。学習者の方で、私の定義から出発されて、より分かりやすい使い分けを見出してもらえれば結構である。和文露訳するときにはほとんどの場合動詞を使うわけで、そうなると体の使い分けを意識せざるを得ないという点ご理解いただけると思う。私の定義は評価しないまでも、体の使い分けの重要性に啓発されて、自分なりの発想で分かりやすい体の使い分けを見つけ出して、学習者自身の会話における和文露訳に役立つ糸口にでもなればと思っている。

出題)「違いは以下の通りだった」をロシア語にせよ。

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2014年05月28日

●続和文解釈入門第461回

要は和文露訳をする時に正しい体の使い分けができれば、それでいいわけなのだが、後進の学習者のために自分の経験を少しでも伝えられたらと思う。私自身もロシア語を話せるようになるには、直接的にも間接的にもいろいろな人にお世話になった。そういう人たちにロシア語で恩返しをするわけにはいかない。このコーナーは自分のロシア語が少しでも向上すればよいと思い開設したのだが、自分が受けた恩は後進の学習者に返し、少しでも役に立てばよいとほんの少しは考えたということもある。他の分野でも技術の伝承というのが言われているが、ロシア語でもそれは同じである。いまどき流行らない外国語であるロシア語を、初級会話のレベルを越えて、中級あるいは上級会話を目指す人は助けるに値するし、そのような参考書もほとんどないのが現実である。巷ではロシア人講師が会話で教えているようだが、そうなると文法無視(日本語で体の使い分けを説明できるロシア人がいれば別だが)の、例文の丸暗記となってしまう。もちろん日本人講師でも会話で体の使い分けを説明しているかというとこころもとないし、多分していないだろうから基本的に丸暗記であれば、初級段階では正しい発音という事を考えるとロシア人講師の方がましかもしれない。ただ発音は聞くのも話すのも重要であはるが、中級以上であれば文法が完璧に理解できないと、外人ロシア語のままである。ロシア語関係の大学や学校でも会話はロシア人に任せて終わりというのであれば、なぜそうなるのかの説明ができない以上、解説してもらえず、学習者のフラストレーションは高まるばかりである。もう一段階レベルアップするためには、日本語で日本人の理解しにくい文法事項(特に日本人の苦手な体や単数・複数の使い分け)をきめ細かく説明してもらうことが重要だと思うのだが、そう思う人はロシア語関係の大学や語学校ではほとんどいないようである。その証拠にそういう、いわゆる専門家(在野の研究家からは一度あるが)からこのコーナーについて何らかのコメントを受けたことは一度もない。体の使い分けをロシア語専門の大学でどう教えているのか聞いても、せいぜいのところそれなりにというだけである。もうすでに和文露訳の短文での設問も千を越えた。そろそろ種切れなりつつある。あと1カ月ぐらいだろうが、あるだけは続けるつもりである。多分これまで10人前後の人が、定期的に投稿者として参加いただいたわけだが、私が見る限り定期的投稿者は上級クラスである。こういう人たちが私の指摘した問題点をつきつめて、自分なりの回答を後進の学習者に伝えていただければ私の役目も十分果たしたことになる。

出題)「娘たちは親の言う事を聞かなくなっている」をロシア語ににせよ。この回答へのコメントは1日遅れます。

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2014年05月29日

●続和文解釈入門第462回

時間に余裕が出たので、1日待たずに前回の出題についてコメントできた。

『三訂和文露訳入門』5-1-1項の促し(不完了体命令形)という用法は、動作の有無が不明であり、一見6-2-1-1項の義務(完了体不定形)の用法に似ているし、6-1-1項の切迫という用法は義務(不完了体不定形)と同じようにも見える。だいたい完了体の例示的用法というのは、動作が起こるかもしれないし、起こらないかもしれないという事で動作の有無が不明である。それでは同じく動作の有無が不明なのにもかかわらず、完了体と不完了体の使い分けがあるのはどうしてだろう?これは完了体の義務は話し手の観点からみた主観的義務であり、不完了体の促し、義務や切迫というのは、聞き手の気持ちを忖度した(ある意味客観的というか、状況や文脈に則した)動作だからである。

出題)「女生徒達には頭の下に教科書を置くと暗記できるという縁起かつぎがあった」をロシア語にせよ。

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2014年05月30日

●続和文解釈入門第463回

17世紀中ごろロシア宮廷に仕えた英国人医師コリンズの手記によると、当時のロシアではやせは不健康、しいては不妊につながるということで、太目が美人とされた。そのためやせぎすな貴族の女性は、日がなベッドにいて、Russian Brandy(太るにはよいとされたというが、具体的に何なのかは分からない)を飲み、寝ては、又飲むということをしていたという。そのため着るものの十二単ではないが、やせぎすの人はやせた体を隠すように重ね着やふくよかなものを着たとある。

 現代ではやせが美人とされ、私の目から見ても病的にやせた若い女性が多いように感じる。これは同じ世代の異性の目を気にするというよりは、同性の目を気にするからだろう。だから要求がエスカレートしてダイエットに励み、それに失敗するか、栄養不良になって体の具合が悪くなってしまう。

出題)「選ぶの任せるわ」をロシア語にせよ。

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2014年05月31日

●続和文解釈入門第464回

『三訂和文露訳入門』の内容を文法的にできるだけ正確に、しかも分かりやすく書こうとするとくどくなり、一層わけが分からなくなるのではという危惧が自分にはある。簡にして要というというのは言うは易くである。これをを読んで理解できるというのは、読む側でもそれなりの素養があるという事を意味する。一番いいのは、対面して、その学習者に合わせて説明すればよいのだが、そういう機会もないというのが現実であり、残念にも思う。

出題)「公私混同をするのは不可能だと思う」をロシア語にせよ。

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2014年06月01日

●続和文解釈入門第465回

私の出題の回答はある程度具体的な状況を考えて作っているが、投稿者は回答の際、自分なりに出題から受ける感じで回答すればよい。ただその回答を聞き手(コメントする側も含めて)の解釈に任すということではいけないし、回答に特定の語彙と体を選んだ段階で解釈は決まって来るという事を頭に入れてほしい。出題は短文なのでいくつかの解釈が可能な場合もあるが、解釈が二つあれば二つ回答すればよいし、三つなら三つ回答すればよいことになる。あるいはこういう解釈で投稿したという事を聞かれたら答えられるというぐらいでもよい。しかし通常は万に一つの解釈については回答せずに、自分が自然に思える解釈に基づいて投稿なさるのだろうと思う。私の回答はできるだけどのような解釈で回答したかを書いているつもりだし、私の回答のみが正しいとしたことはない。その証拠に投稿者の答えが私のと違う場合でも、私の納得がいけば正答としている。もっというと私が正答としたものでも、説明に納得がいけば参考にすればよいし、納得がいかなければ、なぜ納得がいかないかを具体的に書いていただければ非常にありがたいが、そこまでする気持ちがないのであれば無視すればよいのである。日本人は和と乱す事を嫌う傾向にある。私は本名だが、投稿者はハンドルネームなので、ここは非礼にならない限り、理詰めで疑問や不明点があればその疑問を提示いただければ双方の勉強になると思う。今までこのコーナーで非礼なコメントをいただいたことはないし、これまでいただいた数少ない投稿者からの疑問やコメントは私にとって非常に貴重なものである。遠慮なさらずに疑問や不明点があればどしどしお寄せいただければ幸いである。

 私は私の答えに自信はあるが、状況によっては違う語彙を用いた方がよい場合もあろう。具体的にどういう状況かを明示していただければ、それなりの回答をするように努める。どのような場面においても一つの文が万能ということはあり得ない。ただそれを判断するのは聞き手(である学習者)自身である。投稿した時点でその投稿の解釈について私を含む聞き手が投稿者と同じ解釈をしないのであれば、その投稿がおかしい、つまり露訳の意図が伝わらなかったことになる。残念なことにコメントするのは私一人なので、私のコメントが絶対的であるかのように思われるかもしれないが、決してそのようなことはない。正否の判断するのは提示された論拠に基づき、最終的に聞き手(である学習者)個人個人であることを忘れてはならない。つまりロシア人がこう言っているというだけでは、(少なくとも私にとっては)、その状況を細かく提示してもらえない限りは、論拠とは言えず、感覚的ではなく、論理的に訳の正否を判断すべきだと私は考える。

出題)「彼女は昔のままだった」をロシア語にせよ。

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2014年06月02日

●続和文解釈入門第466回

通訳をしているときには瞬間的に動詞をどちらかの体にするかを決めなければならないことがよくある。そのときに、指し示す動作がこれまでの会話の全体の流れに乗るか(不完了体)、それ以外、つまり流れに棹をさすか(完了体)、流れを無視するか(完了体)で判断してもよい。

出題)「遠く日本国外でも彼は知られている」をロシア語にせよ。

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2014年06月03日

●続和文解釈入門第467回

投稿者の答えにコメントをする際に、文法的ないしは語彙の選択で間違っている場合はその旨指摘するが、このコーナーの投稿者は上級者だから普通はこうは言わないのではないかという程度のものが多い。そういう場合でも語結合的に不自然だとか理由を書くようにしている。このコーナーの正否の基準は和文のニュアンスも含めての出題に対する露訳は、こうするのが自然であろうというのを基準している。そのため投稿者の露文が独立した露文としては文法的に正しくとも、出題とニュアンスや意味が異なれば正答とはしていない。正答としても、個人的な違和感について感想を書くようにしている。また万が一とは言わないまでも、文法的には間違いとは言えないという回答例も多々目にする。そういう回答についてもできるだけ説明するようにして入るものの、漏れがあるだろうことは否めない。自分の回答以外にも他の人の回答でも不審な点があれば、その都度、ないしは後からでも結構なので問い合わせいただければ、回答するようにしているし、そういう問い合わせは私の勉強にもなるので、どしどしお寄せいただきたい。

出題)「彼らの母親については何も情報が残されていない」をロシア語にせよ。

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2014年06月04日

●続和文解釈入門第468回

私の回答と違っているものでも、正答にしているものがあり、中には私の回答より良いものもある。そういうものは遠慮なく通訳の時に使わせていただくことにしているが、そうでないものもある。それは私がコメントの時点でいちゃもんというか、間違いの指摘ができなかったもので、そういうものを私個人が通訳の時に使うかどうかは別問題である。

出題)「想像なさるのはご自由です」をロシア語にせよ。

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2014年06月05日

●続和文解釈入門第469回

出題を露訳するときには完全にそれだけで成り立つ独立した文と考えるべきではない。つまり壁に向かっての独り言という設定ではないので、自分でこういう文がよく使われるだろう場合を想定して回答すべきである。前回の出題「想像なさるのはご自由です」は、想像する内容についても、回数についても何も言っていないし、相手が勝手に何かを想像するという前提で話している。また内容が不定であり、回数もゼロではなく反復である。また想像するという動作もある程度時間的経過を示すということから不完了体の使用が自然である。この出題を露訳するときにその前の状況を自分なりに補ってみるとよい。例えば、マスコミがある企業家に「プロジェクトAに出資されるのですか?」と問うて、出題のような回答がなされたとして、その企業家にそのプロジェクトの覚えがあるとすれば、そのプロジェクトは具体的なものではあるが公表したくないということで、ノーコメントに近い回答をしたことになる。そうであれば、具体的なプロジェクトが頭にあっても、口では漠然としたものいいをしたことになる。つまり政治家のように、腹に思うことと口に出す事が違うということもあり、そういう前提で露訳をしなければならないこともあるわけである。完了体の本質は具体性であるように、不完了体の本質は任意性であるが、それは心中どう思うかではなく、あくまでも発話に関するものと言える。

出題)「我々は晴れ着を脱ぎ、より簡素な普段着に着替えた」をロシア語にせよ。

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2014年06月06日

●続和文解釈入門第470回

書くネタもなくなったし、『るいごプラス!』の続きとして集めた類語が200を超えたのでそのいくつかを、死蔵していても仕方がないので紹介する。「渡す」

手から手へと渡すという意味ではдаватьが一般的。подаватьは要請、指示、必要に迫られて、何らかの意図を持って渡すということを強調する。передаватьは手から手へ、人から人へ渡すということを強調する。отдаватьは、返却する、一時的に何かの作業のために渡す、プレゼントする、ものを渡す事で、解放されるという事を意味し、даватьのように貸すという意味はない。вручитьは渡す行為が特別であるか、渡すものが重要であることを意味し、сдатьは任されたもの、義務を引き渡すという意味である。

出題)「学者の意見は1186年と1190年に分かれている」をロシア語にせよ。

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2014年06月07日

●続和文解釈入門第471回

和文露訳の勉強するときに必要なのは、語彙量であるのはいうまでもない。しかし全ての語彙を覚えるのは不可能であり、プロの通訳でもガイドでも、日常会話の語彙は別にして、仕事のたびにその内容に従い語彙を新たに覚えるか、ブラッシュアップすることになる。

 このコーナーにおいて和文露訳には語彙ではなく、体の使い分けがより重要であることを指摘してきた。日常会話の語彙はマスターする必要があるが、それ以外については自分の興味ある分野や仕事の関係で必要な分野の語彙を覚えるようにすればよい。語彙については人それぞれなのでここでは述べないが、語彙の暗記のほかに、体の使い分けの訓練もすべきである。『三訂和文露訳入門』の第1章に基づき、新聞、テレビ、映画、ビデオなどから1段落ほど抜き書きしてみて、語彙を無視して、その中にある動詞の時制や法(命令法や不定法)を瞬間的に言えるようにする練習を1日1回5分でもしてみるとよい。特に思い浮かばなければ、このコーナーの1段落でもよい。例えば前回の本文にある「そのいくつかを、死蔵していても仕方がないので紹介する」という文頭の文で、「紹介する」という動詞がロシア語で何に当たるかはとりあえずおいといて、どの体を、どの時制や法で使うかを考える練習をしてみてはどうかということである。このときになぜその体のその時制や法を選んだのか明確に意識することが必要である。このようにして体の使い分けの練習をすることにより、多くの文脈において正しい体を選択できるようになる。語彙量だけ増えても体の使い分けができないのであれば、外人ロシア語のままであるということは何度か述べたし、正しい通訳のためには、語彙のみならず時制のニュアンスも必要であることは言うまでもないと思う。ちなみにこの場合の「紹介する」は遂行動詞である。

出題)「彼らの声は聞き届けられなかった」をロシア語にせよ。

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2014年06月08日

●続和文解釈入門第472回

『三訂和文露訳入門』3-1-9項に次のように追記する。

3-1-9 多回動詞の用法 → 不完了体動詞

 多回動詞は不完了体動詞から派生した不完了体動詞であり、完了する動作の規則的反復や多くの回数行われる動作の表現に特化し、主に過去の時制で使われ、多くは-ыватьや-иватьの接尾辞を持つ。この動詞を使った例を過去と現在の時制をまとめて紹介する。完了体動詞から派生した不完了体動詞で-ыватьや-иватьの接尾辞を持つものもあるが、多回動詞と違い、動詞により、反復のみならず、過程、動作の有無の確認(過去の時制)の意味をもつが、反復の用法が多い。

出題)「ダンサーという仕事には病気やけががついて回った」をロシア語にせよ。

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2014年06月09日

●続和文解釈入門第473回

料理の類語でкухняはフランス料理や日本料理など、全体的な料理や料理法を指し、個別の料理という意味はない。блюдоは朝食、昼食、夕食を構成する個々の料理(皿)や、野菜料理、魚料理、肉料理などの個別の料理を指し、個別の料理はкушаньеとも言う。

出題)「授業のたびにびくびくものだったわ。いつ指されるかと思って」をロシア語にせよ。

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2014年06月10日

●続和文解釈入門第474回

『三訂和文露訳入門』2-1-6項に下記追記願う。

過去のある時点から反復が始まり、それが過去のある時点まで反復動作があった、ないしは現在まで反復動作があるということも示す事ができる。

(1459年からウスペンスキー大寺院で府主教叙任の儀式が行われた)С 1459 года в Успенском соборе совершался обряд поставления в сан митрополита. <過去のある時点からある時点までの反復>
(1703年から現在までその川は300回以上氾濫した)С 1703 г. по настоящее время река выходила из берегов более 300 раз. <過去のある時点から現在までの反復であり、また現在までであっても、過去の出来事の有無について述べており、いわば3-1-7項の経験の用法である>

出題)「しかし1960年以来党員だったソ連共産党から彼は間もなく除名された」をロシア語にせよ。

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2014年06月11日

●続和文解釈入門第475回

 前回の出題のように状態の動詞(『三訂和文露訳入門』3-1-7項)も、過去の時制における過去のある点からの過去のある点までの継続を示す事ができる。

(しかし1960年以来党員だったソ連共産党から彼は間もなく除名された)Однако его вскоре исключили из КПСС, членом которой он был с 1960 года.

出題)「自分の実力を見せる時が来た」をロシア語にせよ。

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2014年06月12日

●続和文解釈入門第476回

『三訂和文露訳入門』を下記のように訂正願う。

4-2-3 例示的用法 → 完了体動詞未来形

 完了体動詞未来形というのは未来において具体的な1回の動作が遂行することを示すわけで、いつかということは動詞だけでは分からない。直近であれば、こらからすぐということで、4-2-1の用法である。それ以外では、動作が起こるかどうかは不明なわけだが、動作が起これば遂行するという事で、それが潜在的(仮想的)な可能性を生むことになる。そのため過去の時制で例示的用法が使われるときも、この潜在的(仮想的)可能性を形式として示すために、完了体動詞過去形ではなく、完了体動詞未来形が使われるのだと思われる。完了体動詞過去形を使えば動作が既に遂行された(確述、確言)というイメージになってしまうからだ。完了体過去形の時制の転用(9-1-1項)にも確述のニュアンスがある。

 例示的用法が過去の時制で用いられても、過去のその時点では動作が起こるかどうかは分からない、つまり偶発的な動作の出現を意味することになる。不定法(6-2-6項)にもこの用法がある。

出題)「彼らは見かけはパッとしなかった」をロシア語にせよ。

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2014年06月13日

●続和文解釈入門第477回

ソ連映画「戦艦ポチョムキン」で水兵の暴動のきっかけとなるのは、ウジの湧いた塩漬け肉червивая солонинаだが、ベロヴィンスキーБеловинскийの『宮殿から牢屋までОт двора до осторога』という革命前の庶民の日常生活について書いた本(3巻本の最終巻)によると、当時軍艦では兵士の食事については、艦長、一等航海士、当直士官、ボースン長の順で、ひと匙(さじは変えない)ずつ味見してから兵士に出すわけで、当時の習慣から見ると非常に奇異に感じると書いている。陸軍でも指揮官(連隊長、演習で皇帝臨席の際は皇帝が)兵士の食事の味見をし、OKが出てから、兵士に出されるとある。当時の軍隊食はうまくはないが、パンは結構の量があり、兵士によってはシャバに売りに出すくらいだったという。また海軍の方が陸軍よりも質量ともに良かったとある。

出題)「最新の社会現象をイの一番にとらえる技では、彼の右に出るものはいなかった」をロシア語にせよ。

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2014年06月14日

●続和文解釈入門第478回

『三訂和文露訳入門』6-2-6-1項を下記のように追記する。

6-2-6-1 完了体動詞不定形を好む動詞・名詞などとの組み合わせ

完了体動詞不定形を取る動詞にはзабыть(忘れる)、остаться(残っている)、решить(決める)、удаться(成功する)、успеть(間に合う)があり、これは不定形が具体的な内容を示すからだと考えられる。これらの動詞の不完了体забывать, оставаться, удаваться, успеватьの後には両方の体の不定形が来るが、完了体不定形の来る可能性が多い。これは完了体不定形のほうが主観的なニュアンスをもっているので、何か具体的で生き生きとしたイメージを呼び起こすからである。
 また例示的な意味を含有する語готов(用意ができている)、желание(願い)、лень(おっくう)、любитель(愛好家)、любить(愛する)、манера(やりかた)、можно(~してよい)、мочь(~できる)、нравиться(~が好きである)、право(権利)、рад(~が嬉しい)、случаться(起こる)、способен(~しかねない、~できる)、способность(能力)、умение(できること)、уметь(~ができる)などと共に用いられる不定形も完了体が用いられることが多い。不完了体動詞不定形が用いられる場合は、動作に反復、頻度の高さやある程度の期間が想定される場合である。

出題)「パスポートの落とし主は至急最寄りの警察署に届けること」をロシア語にせよ。

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2014年06月15日

●新和文露訳入門第479回

入門者や初級者は自習できる段階の中級を目指すとよい。私の言う中級というのは、ガイド試験が受かるか受からないくらいのレベルで、露露辞典が引ける程度である。つまり和露辞典やネットで語彙を拾って、なんとか文が作れるレベルと言える。無論和露の語彙は貧弱すぎて実戦では使えないが、そんなに特別な分野でなければ、基本的な語彙はあるだろう。ただ初級文法を覚えただけで、語彙だけ並べてもまともな露文にはならない。動詞の体のや単数・複数の使い分けの知識が不可欠である。体の使い分けは上級者が習うものではない。初級者のうちに勉強を始めてこれをマスターすれば、後は語彙だけなので、和露辞典があれば一応は会話ができることになる。

出題)「マーシャは美人になりそうだ」をロシア語にせよ。

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2014年06月16日

●続和文解釈入門第480回

ロシア語で会話するときに、つまり会話で和文露訳をするときに必要なのは語彙であることは確かだが、全ての語彙を頭に入れておくのは無理である。覚えているのはせいぜい日常会話の語彙と、自分に関係のある(仕事で使う)か、興味がある語彙であろう。それに語彙だけ並べてもまともなロシア語の文ができるはずもない。文を作るに際して重要なのは文法を除けば、動詞である。動詞の活用は覚えられるが、動詞の体(アスペクト)の使い分けが難しい。それは日本語とロシア語では言語系統が全然別だということと、それに伴って両言語において時制や法(命令法や不定法)が必ずしも一致しないからだとも考えられる。つまり動詞が文の骨格で、その動詞の体が筋肉に相当すると言える。動詞の体がないと動詞を使いこなせないわけだ。そこでロシア語会話上達のため、この35年間ロシア語の動詞の体について研究してきたわけである。

出題)「ご注文はお決まりですか?」をロシア語にせよ。

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2014年06月17日

●続和文解釈入門第481回

ロシア語の否定文については、全否定・部分否定、否定生格、否定文における体の使い分けに着目して長いこと自分なりに調べてきたが、総括的な記述のある参考書がなく、大いに不満に思っていた。しかしこのほどРусское отрицательное предложение, Е. В. Падучева, Языки славянской культуры, 2013を入手することができた。目次を見る限り全否定・部分否定、否定生格、否定文における体の使い分けの項目もあり、大いに満足している。全部読んでいないので結論めいたことは言えないが、説明が素人向けではないとはいえ、多くの例文がついており、その例文が分かりやすいので内容は理解しやすいと言える。私の理解していた部分否定(всеなどの数量詞のつく否定文)は語にかかる全否定の扱いであり、全否定の定義も明確である。私のように否定文に興味をお持ちの方もいるかもしれないのでご紹介しておく。

出題)時計などの裏に書かれた「記念に贈る(贈呈)」をロシア語にせよ。

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2014年06月18日

●続和文解釈入門第482回

未来の時制における完了体と不完了体が否定文で使われると、その使い分けがよく分からない文も多い。前回紹介したパードゥチェヴァ先生の『ロシア語の否定文』の中に、使い分けの例が挙げられていたので紹介する。

(お願いすることで私は彼をわずらわすつもりはない)Я не буду обременять его своей просьбой. <依頼することはない>
Я не обременю (↘)его своей просьбой. <降下型イントネーションの位置が動詞の後ならお願いはするが、それは負担になるようなお願いではない。通常の平叙文のように語末でイントネーションが降下すれば、不完了体未来形と意味的には同じであり、ただ文脈により主観的ニュアンスで、否定の強調か不可能のニュアンスがある>

 ただなぜこのような体の使い分けが起こるのかについては説明がないので、自分なりに考えてみると、不完了体未来形の否定は動作の無の確認だから、未来において動作は起こらないということがはっきりしている。ところが完了体未来形の否定では、イントネーションの置き方により意味の解釈が異なる場合がある。動詞のすぐ後でイントネーションを下げた場合↘は、完了体の特徴として主観的ニュアンスから動詞に文の焦点が来る。そのため動詞の直後に降下型イントネーションがあれば、ここでいったん意味が切れ、この後のフレーズには否定詞неは関与せず、「お願いはするが、それで彼をわずらわす事はない」となる。一方文末で下げれば、否定詞неは文全体にかかる、つまりお願いはしないという、不完了体未来形に近い意味になる。ただ完了体未来形の否定は、文脈により否定の強調か不可能のニュアンスがあることを忘れてはならない。次の文例も同様である。

(話をして疲れさせるつもりはない)Он не будет утомлять тебя разговором. <話をすることはない>
(疲れさせるような話はしない)Он не утомит (↘)тебя разговором. <降下型イントネーションの位置が動詞の後なら話はするが、それは疲れさせるような話ではない。通常の平叙文のように語末でイントネーションが降下すれば、不完了体未来形と意味的には同じである>

出題)「手紙は来ていないよ」をロシア語にせよ

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2014年06月19日

●続和文解釈入門第483回

『三訂和文露訳入門』に下記のように追記願う。

10-20 否定生格(二重否定は20-21に訂正)

否定生格というのは、人やものが存在しない場合は、存在しないものが生格になるというもので、主語にも適用される。否定文で主語に否定生格が来るのは、動詞の語義に無の状態が含まれるものや、状態の動詞、知覚の対象(出現)を示す動詞、主語が不定の意味の複数の場合などである。しかし、動詞すべてに適用されるわけではなく、そのような動詞(仮に否定生格動詞としようか)はパードゥチェヴァ先生によると300超あるという。ただ「一般的なものの無」→「具体的なものの無」→「特定のものの無」の順に否定生格の使用が制限されているように見える。具体性が高まるにつれて、完全な意味での存在の無から離れていると考えられるからだろう。場所も具体性を暗示する。そのため具体性を強くイメージするような動詞(иметь место, исчезнуть, находиться, начаться, присутствовать, потерпеть аварию, размещаться, располагаться, участововатьなど)は否定生格動詞ではなく、主語は否定文でも主格である。また文が計画性、動作を示すもの、動作の様態を示す状況語と共起する場合も具体性が強まるという観点から、主語が否定生格にならないと言える。また主語が活動体や単数(全体を示す単数を除く)を示す場合も、具体性を示す事が多くなるという事で、主語が否定生格にならない場合が多い。
否定文の主語に主格と否定生格の二つが来る可能性がある動詞もある。「手紙は来ていない」を露訳すると、二つの文が考えられるが、そのニュアンスはだいぶ違う。主語を否定生格に置くと、主語そのものはこの世に、ないしは知覚の上で存在しないということになり、主格に置くと、ものは存在するが、動作を否定するということになる。どの動詞にもこのような用法があるわけではない。次の二つの文はいずれも結果の存続の意味で完了体過去形を使っているので、手紙一般ではなく、具体的な(特定の)その手紙を示していることになる。

Письма не пришло. <その手紙自体が存在しない>
Письмо не пришло. <その手紙自体は存在するが、他の場所へ配達された可能性がある>

それゆえ、Ответа не пришло. という文では、その答え自体が存在しないと考えてよい。

 不完了体現在形を用いると、不完了体は普遍性を示すから次のようになる。

(我々の駅にはこのような電車は来ていない〔運行していない〕)Не приходит на нашу станцию таких поездов.

 「マーシャの姿が見えない」の露訳も同様である。

Маши не видно. <マーシャはここにはいない>
Маша не видна. <マーシャはここのどこかにいるが、隠れていて姿が見えない>

出題)「頼まれれば行くよ」をロシア語にせよ。

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2014年06月20日

●続和文解釈入門第484回

未来の時制の順次的用法で使われるеслиには、если нет, то нет.(なければない)というニュアンスがある。次の文では、「頼まれなければ行かない」ということが含意されている。

(頼まれれば行くよ)Если попросишь, приду.

出題)「新規採用はない」をロシア語にせよ。

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2014年06月21日

●続和文解釈入門第485回

ゴさんへ(第482回出題のコメントについて)

(情報が入ってこない)Не поступило (поступает) сведений.

のように、поступает/поступилоは否定生格動詞であることは間違いないのですが、「部隊の前進に関する情報が入ってこなかった」という文について、主語が主格でも否定生格でも、どちらの文も意味上の差はないという確証を得ましたので、お詫びの上、お知らせします。

Сведений о продвижении войск не поступало.
Сведения о продвижении войск не поступали.

 否定文で否定生格が主語になる場合と主格が主語になる場合、動詞によっては両方の格が使える場合が稀にある。その場合全くの同義ではなく、ニュアンスの差がある場合が多い。

「ホテルは建設されていなかった」をロシア語にすると、次の二つの解釈が可能であるが、ニュアンスは違う。

Гостиницы не было посторено.
Гостиница не была построена. <建設計画はあった>

同様に「本が見つからなかった」もロシア語にすると、二つの解釈が可能である。

Книги (подходящей) не нашлось. <そのような本は存在しない>
Книга (потерянная) не нашлась. <元々存在した本が>

前回出題の「新規採用はない」をロシア語にすると、下記のようになる。
Новых сотрудников не принято.
×Нового струдника не принято. <存在していないので生格であるのはよいが、採用されるのは具体的な一人がとなり、論理的におかしい>
×Новый сотрудник не принят. <主格というのは既に存在しているわけだから、採用されないと新入社員になれないので、これも論理的におかしい>

出題)次の文および会話をロシア語にせよ。
天国での出来事。
「主よ、無神論者たちがやって来ました!」
「私はいないと言ってくれたまえ」

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2014年06月22日

●続和文解釈入門第486回

動詞бытьが否定文で用いられた時に主語の格は生格と主格の二つが可能であるが、その意味上の違いはどうなのかを、パードゥチェヴァ先生の『ロシア語の否定文』に沿って説明してみたい。ペーチャが同級生のワーニャのママに会ったときに、次のような会話がなされたとしよう。

Петя: Почему Вани не было в школе?
Мама: Ваня не был в школе, потому что мы ходили к врачу.

ペーチャ「どうしてワーニャは学校にいなかったのですか?」
ママ「私たちお医者さんのところに行っていたので、ワーニャは学校にいなかったの」

 私はママのВаня не былのбылはбыть = побывать、つまり「いる・ある」ではなく、完了体的用法の「行く」ではないかと考えた。ところがパードゥチェヴァ先生は、「行く」という動作動詞的解釈を否定しているわけではないが、観察不在наблюдаемое отсутствиеという考え方を提示している。つまり、ペーチャは学校にいたので、ワーニャが学校に来ていない、つまり観察者(ペーチャ)の視点からは当時学校にワーニャは存在しなかったと証言(裏付け)できる。一方ママの視点に立てば、ママは学校にいなかったので、ペーチャが学校に存在しなかったとは言えないということになる。主格は観察者が意識の上でその場所にいなかったことを示し、否定生格は意識の上ではいたことを示している。これは第488回本文で述べる証言性にもつながる考え方である。

(父は海辺にいた、行った)Отец был на море.
(父は海辺にいなかった)Отца не было на море. <だれかが「いなかった」ことを裏付けていることを示している>
(父は一度も海辺に行ったことはない)Отец никогда не был на море. <Отца никогда не было на море.はすべての過去にわたって父がいなかったことを証明する人がいるはずがないので非文>

 第483回本文に書き追記願う。

 「マーシャの姿が見えない」の露訳も同様である。

Маши не видно. <マーシャはおそらくここにはいない>
Маша не видна. <マーシャはここのどこかにいるが、隠れていて姿が見えない>
Машу не видно. <マーシャはここのどこかにいるが、隠れていて姿が見えない>

出題)「香水はどれをつけていますか?」をロシア語にせよ。

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2014年06月23日

●続和文解釈入門第487回

 私のような素人でも、動詞бытьは連辞(繋辞)という意味で助動詞や状態の動詞としては不完了体であるが、その他にも動作動詞としての完了体の用法があると第386回で指摘しておいたが、専門の研究家であるパードゥチェヴァ先生は、動作の往復(『三訂和文露訳入門』2-1-3項参照)の観点から、同形の完了体бытьの存在を示唆しておられる。

(私は友人のところにいた)Я был у приятеля. <был = приходил = пришёл и ушёлで、動作動詞としての不完了体の用法>
(医師はきっかり6時に来た〔来る〕)Врач был (будет) ровно в шесть.<был = прибыл, будет = прибудетで、これが動作動詞としての完了体の用法(過去はアオリスト的用法で、未来は完遂の用法。ただ過去における結果の存続としての解釈は、былと明らかに過去を示す助動詞としての用法もあるので難しいと考える)>

出題)「これに対する文献による裏付けは見つかっていない」をロシア語にせよ。

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2014年06月24日

●続和文解釈入門第488回

動詞бытьには動作動詞としての完了体・不完了体の用法があることは前回述べた。動作動詞は動作に関わるのだから、主語は擬人法でない限り活動体である。そうなると、次のような文はどう解釈をすればいいのだろう?

(このスーツはドライクリーニングに出したことがない)Этот костюм не был в химчистке.

(私のパスポートはバッグになかった)Моего паспорта не было в сумке. <Мой паспорт не был в сумке.という文は非文である>

 これについてパードゥチェヴァ先生は、証言性эвиденциальноть (засвидетельствованность)という概念を提示している。否定生格が意味上の主語になるときは、ないことを証言してくれる第三者がいるが、主格が来る場合はそれがない。最初の文では世界中のドライクリーニング店に当たらない限り、第三者に確認を取ることはできないが、二つ目の文は近くの第三者にバッグの中味を見てもらえば分かる(実際に見てもらうかどうかは別にして)ことになる。

出題)「彼は殉職した」をロシア語にせよ。

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2014年06月25日

●続和文解釈入門第489回

否定生格は主語(普通は主格)にも直接補語(普通は対格)にも来る可能性があるが、その簡単な使い分けをパードゥチェヴァ先生が書いているのでお知らせする。それはне существует存在しない/не вижу見えない/не знаю知らない、であり、話し手の側から見て、これらが成り立てば否定生格を使うということになる。

出題)「1812年の火事のため壁画は現存しない」をロシア語にせよ。

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2014年06月26日

●続和文解釈入門第490回

否定生格動詞は存在動詞бытийные (экзистенцильные) глаголыと知覚動詞глаголы воспрятияに分けられる。存在動詞は人や物が存在するかどうかということに関係し、知覚動詞は実際にものが存在かどうかというよりは、目や耳、鼻など知覚において感じられるかどうかに関係する。分かりやすく言えば、その場で見えないものが必ずしも存在する・しないとは言えないということである。否定文において、存在動詞の主語は否定生格を取るが、知覚動詞の場合は無の意味が強く出れば否定生格が、位置のニュアンスが強く出れば主格が出ることになる。これはиметь место起こる, исчезнуть消える, находиться(位置に)ある, начаться始まる, присутствовать出席する, потерпеть аварию事故に遭う, размещаться配置される, располагаться配置される, участововать参加する、のような所在動詞(存在というよりは位置を示す動詞)は、否定文でも主格しか来ないということからも分かる。

(特段の問題は起きていない〔起きない〕)Не возникло (возинкает) особых проблем. <存在動詞なので否定文で主格は来ない>

Я пошёл в киоск за газетами.(私はキオスクに新聞を買いに行った)という文章の後に、「新聞は来ていない」という意味の否定文としては、поступать/поступитьが知覚動詞のため二つの文が考えられる。

Газеты не поступили. <その新聞はどこかにあるのだが、届いていない>
Газет не поступило. <1部も届いていない、どこかにあるかというよりは、とにかくない>

出題)「フリーメーソンであることが流行りになったと言ってよい」をロシア語にせよ。

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2014年06月27日

●続和文解釈入門第491回

動詞бытьは現在の時制では省略されるが、強調の場合はестьが出てくると教わった記憶があるが、パードゥチェヴァ先生によると、違うらしい。естьがなければ所在動詞であり、естьがあれば存在動詞ということになる。

(部屋には本棚と机はある)В комнате книжный шкаф и письменный стол. <他には何もない>
(部屋には本棚と机がある)В комнате есть книжный шкаф и письменный стол. <本棚と机の存在の提示>
(ペテン師だらけだ)Всюду жулики. (= всюду одни жулики) <位置を示す>
(いたるところにペテン師がいる)Всюду есть жулики. (есть среди прочего) <存在を示す>

出題)「終日熱いサモワールが食堂からなくなることはなかった」をロシア語にせよ。

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2014年06月28日

●続和文解釈入門第492回

一般の人はロシア語を学ぼうとすると、語学学校に入ってロシア人の先生につくのが多いようだ。本当のロシア人と話ができるというのは刺激的であり、大いに学習のモチベーションも高まるだろう。しかし、入門の段階で仮に初級文法を教えるにせよ、それは丸暗記とならざるを得ない。挨拶言葉の類もそうである。ここで無事入門の段階を終えたとして、次の段階に進んでも、基本的には丸暗記が待っている。大人になってから外国語を学ぶ人に、暗記の連続はきつい。かといって、いきなり文法書を読んでも頭に入らないだろう。どうせなら入門の段階から日本語で、発音の説明も、文法の説明も日本語でしてもらった方が楽だ。ロシア人の先生に質問しても、そうは言わない、こういうのだと正しい例文が示され、どう違うのか、なぜ違うのかの説明もなく(日本人の先生でもこういう説明がきちんとできる人は少ないだろう)、丸暗記しかないことになる。ロシア語と日本語は全く異なる言語ではあるが、同じ人間が話す言葉であり、共通点もある。ただ、一般的な語彙で微妙に違うところもある。夕方や夜のとらえ方などもそうである。そういう点も含めて苦労してロシア語をマスターした日本人こそ、日本語とロシア語を対比させて教えることができる。このごろロシア語学習者の底辺を広げるために何かしたいと考えるようになってきた。入門段階を終えて、次になかなか進めないという人が入るのなら、有料で教えてもいいし、入門の段階から教わりたいというのであれば、そういう方はご一報願う。個人レッスンであり、希望に沿って、日常会話、ビジネスロシア語、観光ロシア語、医療ロシア語、体の使い分け、技術ロシア語、あるいはその人の仕事関係など、その人個人に合わせて、私の著書を利用してレッスン内容やレベルを変えることができるのが特徴である。大学院生などロシア語の文献を読むのは得意だが、会話は苦手という人など大歓迎である。ロシア人の先生の利点は発音やイントネーションが正しいことだが、基本的に母語であり、我々の日本語同様生まれつきのものであり、苦労してロシア語を身に付けたわけではない。大人のロシア語学習法には、丸暗記一本やりではない、理詰めのもっと大人の勉強法があるはずである。

出題)「彼はまったく人が変わった」をロシア語にせよ。

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2014年06月29日

●続和文解釈入門第493回

否定生格が必ず使われるのは、それが世の中のどこにもにないという完全な無の文脈である。その次は「見えない(聞こえない、知らない)」などで、意識の上でも無であれば否定生格が来るが、ここでは見えないが、どこかにあるという意識があれば主格が来る。

(疑いは起こらなかった)Сомнений не возникло. <возникнутьが存在の動詞のため否定文において主語は否定生格となる>
(疑いは消えていない)Сомнения не исчезли. <消えていないのだから、疑いは存在する。ゆえに主語に主格が来ている。語義上この動詞の否定文で主語が否定生格を取ることはない>

出題)「現実をありのままに見なければならない」をロシア語にせよ。

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2014年06月30日

●続和文解釈入門第494回

(今すぐ行きます)Я сейчас.
(すぐに戻りますから)Я мигом. = Я ненадолго.

上の文もбуду(= прибуду完了体未来形の完遂の用法)などが省略されているとも理解されるが、素直に、動詞бытьが現在の時制でも「到着する」という完了体未来形の完遂の用法に匹敵する意味になる例だととらえるべきだろう。

出題)「平均的な人間はその理想的な基準のどこか中間にいた」をロシア語にせよ。

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2014年07月01日

●続和文解釈入門第495回

主語に否定生格が来る動詞や述語的表現は300超あると言われているが、その中の代表的なものを参考のために下記に挙げる。(неизвестно)以外はнеと共に用いられる。主語として存在の無の意味では否定生格のみが来るが、知覚の動詞では両方可能であり、その使い分けについては前に述べた。

белеет白くなる, блистает輝く, бываетよくある, былоあった, введено導入された, вводится導入される, ведётся行われる, взято取った, виднеется見える, видно見える, внесено入った, вносится含まれる, водится行われる, возвуждается興奮する, возбуждено興奮した, возникает起こる, возникло起こった, всплыло浮きあがった, вспыхиваетかっとなる, встретилось見かけた, выдалось現れた, выделено分離する, выкопано掘り出す, вынесено取りだした, выпало当たった, выписано注文した, выписывается注文する, выпускается生産する, выпущено, выработалось, вырабатывается, выражалось, высказывалось, выступает, выступило出た, вышло出た, выявилось現れた, выяснилось明らかとなった, выясняется明らかとなる, говорится言われる, даётся与えられる, дано与えられた, делаетсяなる, держится保持する, доносится届く, допускается許容される, допущено許容された, достаётся入手する, досталось入手した, достигается達する, достигнуто達した, дошло届いた, доходит届く, живёт生きている, заведено作る, заводится作る, завелось, задаётся課せられる, задано課せられた, затевается企む, заметно目立つ, замечается指摘される, замечено指摘された, запечатлелось刻み込まれた, запланировано予定された, зарегистрировано記録された, зафиксированоフィックスされた, звучит響く, значится載る, идёт行われる, издаётся出版される, имеетсяある, исходит由来する, кроется隠れている, куплено買った, лежитある, мелькаетちらちらする, мелькнулоちらっとする, наблюдается見られる, набирается増す, набиралось増した, набрано集めた, названо呼ばれた, называется呼ばれる, найдено見つかった, накапливаетсяたまる, накладывается重なる, накоплено重なった, наладилосьうまく行った, налаживаетсяうまくいく, наложено重なった, намечается予定される, намечено予定した, написано書かれた, наступило到来した, начато始まった, начинается始まる, находитсяいる, нашлось見つかった, (неизвестно分からない), нетない, нужно必要だ, обеспечивается保証されている, обнаружено見つかった, обнаруживается見つかる, обнаружилось見つかった, обозначилось意味した, образовалось形成された, образуется形成する, обращается向けられる, обращено向けられた, объявилось宣言された, объявляется宣言する, ожидается期待される, оказалосьいた, оказаноいた, оказываетсяいる, опубликовано公刊された, остаётся残っている, осталось残った, открывается開かれる, открылось開いた, открыто開いている, отметилось指摘された, отмечается指摘する, отпечаталось印字した, отпечатывается印字される, ощущается感じられる, передалось伝わった, передано伝えられた, пишется書かれる, планируется予定される, повторится繰り返される, подворачивается居合わせる. подвернулось居合わせた, подведено下に敷く, подводится下に持って来る, поддерживается維持される, поднимается上がる, поднято上がった, пойманоつかまった, показалось見えた, показывалось見えた, покупается買われる, полагаетсяということになる, положеноすべきだ, получаетсяということになる, получено得られた, получилосьということになった, понадобится必要である, попадается当たる, попало当たった, попалось当たった, последовалоついてきた, послышалось聞こえた, поставлено納入された), построено建設された, поступает入る, поступило入った, потрачено費用が使われた, почувствовалось感じられた, появилось現れた, появляется現れる, предвидится予見する, предоставлено委ねられた, предоставляется委ねられる, предополагается想定する, предпринимается処置を取る, предпринято処置を取った, представлено提出された, представилось提出した, представляется提出される, предстоитすることになる, предусматривается織り込まれている, предусмотрено謳われた, прибавилось増えた. прибавляется増える, прибыло増えた, приведено引用された, приводится引用される, привязывалось結びつけられる, придаётся付加される, прикладывается添付される, приложено添付された, применяется用いられる, принимается採用される, принято採用された, приснилось夢を見た, приходит来る, пришло来た, пробивается貫く, пробито貫いた, проведено行われた, проводится行う, проектируется投射される, производится行われる, произведено行われた, произошло起こった, происходит起こる, прокладывается敷設される, пролилосьこぼれた, пролитоこぼれた, проложено敷設された, проникает侵入する, проникло侵入した, проходит行われる, прошло過ぎた, прячется隠れる, публикуется公刊される, растёт伸びる, регистрировалось記録された, родилось生まれた, рождается生まれる, рождено生まれた, сдаётся渡される, сдано渡された, сделаноできた, сидитすわっている, сказано言われた, сквозит風が入る, скитаетсяさまよう, скрывается隠れる, скрывалось隠れた, случалось起こった, случилось起こった, слышится聞こえる, слышно聞こえる, собирается, соблюдается, соблюдено, собрано, содержится, создаётся. создано, состоит, сохранилось保った, сохраняется保つ, спрашивается尋ねられる, стоит立っている, существует存在する, сформировалось形成された, сшито縫われた, таится隠れている, требуется要求される, уделяется分与される, улавливаетсяとらえられる, упало倒れた, упоминается指摘される, усматривается見てとる, устанавливается固定される, установилось確固となった, уцелело生きのびた, фиксируется固定される, формируется形成される, числится載る, чувствуется感じられる, шьётся縫われる

出題)「この間ずっと僕は十以上の職を変えた」をロシア語にせよ。

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2014年07月02日

●続和文解釈入門第496回

最近バジャーノフ(1900~82)の『僕はスターリンの秘書だったЯ был сектерарём Сталина, Борис Бажанов, Алгоритм, 2014』を読んだ。彼は1923年から27年までスターリンの秘書であり、1928年1月1日ペルシャの国境を越えて亡命した。本書は1930年にフランス語で初版が出たが、当時情報提供者もソ連で生存していることもあり、ぼかして書いたところもあったという。それを1977年の第2版では訂正し、本書はこの第2版の復刻版である。革命以降スターリンがどのようにして権力を奪取したのか、著者の見たスターリン像と共に理性的な筆致で描かれている。バジャーノフはカガノーヴィチにより書記として見出され、1904年のままであった党規約の改定を提言し、意識したかどうかは別にして、それが組織ビューローоргбюро(内閣官房のようなもの)の権限強化につながり、書記長としてスターリンが権力を握ってゆくさまが分かりやすく描かれている。

 内戦はレーニンが実質的に指揮下に見かかわらず、赤軍の長としてのトロツキー脚光を浴び、それがレーニンには面白くなく、そのためトロツキーの仇敵であるジノービエフやスターリンを引き立てることになったとある。レーニンもスターリンも共にаморальный(モラルに欠けた、節操のない)人間であり、誠実、正直、忍耐、武士の一言などの人間として最も重要な価値観をブルジョア的として軽蔑していたとある。スターリンの家庭生活も含めて個人的な側面にも触れており、スターリンや革命直後からネップにかけてのソ連に興味のある人には必読の書と言える。

出題)「読者の皆様にご紹介申し上げるのは歴史小説集です」をロシア語にせよ。

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2014年07月03日

●続和文解釈入門第497回

体の使い分けの理屈を体得できれば、感覚として体の使いわけができることになる。通訳の現場では理屈を考えている時間はなく、与えられる日本語と文脈で体を決めなければならないと思うので、理屈を極めて得られる、そのような感覚は通訳にとって非常に大事だと思うし、それは結局のところ、体の用法を体感して会得したロシア語が母国語のロシア人が体を運用している使い分けと共通するものがあると思われる。我々は母国語が日本語であり、幼いころからロシア語に触れる環境にあったひとはそうざらにはいない。大人になってからロシア語に触れた人がほとんどであろう。そうであれば、幼児が言葉を覚えるような方法は取れないことがお分かりになるであろう。つまり何年も語彙や例文の丸暗記を続けることをモノともしない、特殊なコンピューターのような人を除けば、理屈から入る方法しかないことになる。

出題)「危うくこの世とおさらばするところだった」をロシア語にせよ。

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2014年07月04日

●続和文解釈入門第498回

『三訂和文露訳入門』を下記のように変更願う。

9-1-2 抽象的現在

 現在の時制の意味でбудетを使う用法であり、動詞бытьの動作動詞としての完了体の用法(完遂〔なる〕の否定)ということで、例示的用法(4-2-3項参照)からの派生の用法の一つとも考えられ、仮定、確信、必然というニュアンスがある。意味は仮定法を用いても変わらないので、仮定法未来から発展した用法であることが分かる。仮定法は過去や現在の事実に反する仮定を示すが、未来においては条件法と意味はほとんど変わらない。未来は未確定の事柄に属するからだろう。仮定法の方が話し手の動作の実現に対する疑いのニュアンスがある。それと現在の時制のбытьは状態の動詞であり、到着というニュアンスは可能だが、始発というニュアンスがないので、未来の時制を持って動作動詞としての機能を明確化したとも考えられる。

(我々の暮らしは、今日何らかの形でインターネットとつながっていると言っても過言ではない)Не будет преувеличением сказать, что наша жизнь сегодня так или иначе связана с Интернетом.
<= Было бы преувеличением сказать, что наша жизнь сегодня так или иначе связана с Интернетом.>
(それが『戦争と平和』の有名な戦いのシーンのレベルに近く書かれていると言う勇気はない)Не будет смелостью сказать, что это написано близко к уровню знаменитых военных сцен "Войны и Мира".

出題)「変な事ことを言ってしまったことに気づいた」をロシア語にせよ。

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2014年07月05日

●続和文解釈入門第499回

『三訂和文露訳入門』を下記のように訂正願う。

8-1-4 будетの特殊用法

 アカデミー版『ロシア語文法』(Наука, 1980)では、бытьの未来形を現在の時制で用いる時制の転用として、二つの用法を挙げている。一つは口語・俗語的用法として、疑問文で用いるもので、「まだ識別していない事実というニュアンス(つまり未来において確定するというニュアンスがあるので未来の時制が用いられているということらしい)оттенок ещё не распознанного факта」がある用法である。

(どちらさまですか?)Вы кто будете?

もう一つは、概数приблизительное количествоを示す用法であり、現在ではおよその数量(数字)しか分からないが、その確定は未来に先延ばしされるので未来の時制が使われているのだという示唆がある。しかし、これにも「識別распознавание」のニュアンスがあるが、これは概数ではないことは明らかである。例えばДва и два будет четыре.(2 + 2 = 4)という文で、2と2を足せば、答えは4になるが、4は概数ではない。動詞бытьの動作動詞完了体未来形(なる)を用いていることになる。2 + 2 = 4がすでに頭の中にあるということなら、Два и два – четыре.と現在の時制の状態の動詞としての用法も使える。このときにбудетが使われるのは、Два и два – четыре.は発音すれば分かるが、述語が形式上存在しない。それで述語を明確にして動詞がないという不安定感をなくすと同時に、語調を整える意味からではないかと思われる。
またアカデミー版ロシア語大辞典第2巻(Наука, 2005)296ページに口語表現として挙げられている次の例文も、「およそ」という意味を担っているのは、С месяц(1カ月ほど)や数詞を含む語順の倒置(およそ百歳)лет стоであり、будетが来ているのは、上記の例の問いの省略であり、敢えて答えるとすれば、という意識が働き、そのためその答えが一瞬とは言え、未来になっているからではないか。このようなбудетは推測というよりは、問いの後の答え、ないしはそれを想定した答えだから現れるのであり、また答える側が、問いを出す人の立場に立って(その立場を想定して)、未来の時制を用いるのだと考える方が無理がない。

「ここは長いのかね?」- Давно ли ты здесь?
「1か月ほどになります」- С месяц будет.
(相変わらず婆さんは達者だ。もう100歳ぐらいだ)Всё жива старуха. А уже лет сто будет.

出題)「輸血用血液が使えるかどうか調べてください」をロシア語にせよ。

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2014年07月06日

●続和文解釈入門第500回

完了体未来形というのは一瞬後か、かなり後かは別にして未来に動作が起こる。それを否定するとなると、現在の状態を明確に示すことはできないことになる。そのため現在の状態を示すのであれば、被動形動詞過去短語尾の否定を現在の時制で使わざるを得ない。これなら完了体だから具体性を示すことができるわけである。状態であれば、状態の動詞の否定も可能性としてはあり得るが、その動作を否定しても、不完了体だから、慣用(一般性、普遍性)という概念が邪魔をして、個別の具体的な事柄は表現できないと思われる。

出題)「我々はよいところはよいところとして認めている」をロシア語にせよ。

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2014年07月07日

●続和文解釈入門第501回

パードゥチェヴァ先生は「否定生格は主語と補語が否定されるときは使えない」と述べているが、これは否定自体が世の中にないという絶対的(抽象的)無から、「ここでは見えない」というような、より具体的なものの否定になっていくと、主格や対格補語が出てくる可能性があることを示唆していると思われる。

(どのロシアの飛行機もグルジアの空域を侵犯したことはない)Никакие российские самолёты воздушного пространства Грузии не нарушали.

(事故は起こらなかった)Аварии не произошло.

 上の文でАварии не имело места.とすると、иметь местоが所在動詞なので非文となるのだが、語義上は同じなのに、ダブルスタンダードではないかと思ってしまう。これも主語と補語を同時に否定することになると考えて、否定生格が出て来られないからだろう。いずれにせよ、外国人である私には所在動詞と存在動詞の区別が難しい。существовать(存在する)は存在動詞なので、否定文では否定生格が来ることが多いが、所在動詞としての一面もあり、文脈によっては否定文でも主語に主格が来る。появитьсяも同様である。これも主語と補語が両方否定されることと関係あるのかもしれない。

(純粋な意味では絶対的道徳価値はまだ一度としてどこにも世の中に存在したことはない)В чистом виде абсолютные нравственные ценности ещё никогда и нигде не существовали в мире. <所在動詞としてのニュアンスから主格が来ている>
(新しい乗客はそのコンパートメントには現れなかった)Новых пассажиров в купе не появилось. <否定生格>
(市長は出仕しなかった)Мэр на работе не появился. <所在動詞としてのニュアンスから主格が来ている>

出題)「彼らにはそのポストにトロツキーの宿敵が必要だった。スターリンこそその宿敵だった」をロシア語にせよ。

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2014年07月08日

●続和文解釈入門第502回

自分の本を通しで読み返すという機会はあまりない。『三訂和文露訳入門』を出してから、変更や追加をこのコーナーで発表してきており、自分なりに4訂版の原稿が530ページを超えた。60ページほど増えたことになる。これを機会に通しで読んでみることにした。少しずつ読んでいる。読んで思うのだが、自分ではロシア語初級の人にも分かるように書いたつもりだが、内容が分かりにくいというか、くどい感じがする。文章力の問題なのは確かだが、説明を一刀両断にすると正確さが失われるということもある。いずれにせよ参考書は参考書であって、やはり学習者のレベルに合わせて、その希望も聞き、マンツーマンで教えるに如かずということであろう。本はあくまでも学習の補助であり、この本だけで動詞の体の用法をマスターできるとしたら、その人のレベルは上級ということになる。個人レッスンの希望者は大歓迎だが、皆が皆そうもいくまい。そうなるとこのコーナーで実際に投稿するかどうかは別にして、実際に問題を解いて、回答の説明を理解しないと会話の和文露訳の上達の道はないと思う。匿名で構わないのだし、しかも無料である。遠慮しないでどしどし投稿されたら良いと思う。仕事や学校で忙しいなら、毎日投稿する必要もない。休みの日に合わせて、週1回でも2回でも構わないと思う。投稿さえしてくれれば、それに必ずコメントするので、遠慮しないでほしい。この頃気力の衰えも感じられるから、続けているうちが華で、このコーナーが終わってしまったら、和文露訳の練習するようなそういう機会を探すのも大変だろう。あるうちに利用したらよいと思う。ただ投稿したつもりが、載っていないというのは、私が嫌がらせをしているわけではない。数少ない投稿者、神様同然の投稿者ににそういう事をするはずがない。投稿者のフィードバックによって、『和文露訳指南』もより実践的にいい意味で変わってきて、より応用のきくものになってきており、大いに感謝している次第である。コメントがないとしたら、毎日千通ぐらいは来るスパムのせいだろうと思う。毎日更新しているのでスパムも多い。投稿が載っていなければ面倒でも再投稿してほしい。必ずコメントする。逆に同じ投稿が3通ぐらい入ることもあるのだから、投稿したつもりが投稿されていないということもあるのだろうと思う。自分の投稿が載っていないと、私のホームページ『ランポポー』のメールを利用して、メールで送ってくれる熱心な投稿者の方もいる。有難いことである。

出題)「われらがボクサーは強いパンチを食らった」をロシア語にせよ。

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2014年07月09日

●続和文解釈入門第503回

これまで何人かにロシア語を教えたことはあるが、いずれも商社やメーカーの駐在予定者であり、そのメーカーや商社のカタログなども利用してクレーム処理も含めたビジネスレターも含む実戦的なものだった。この頃一般的なロシア語を教えてもいいなと考えるのは、実際に教えてほしいという人たちが現れたことだが、もっと言うと、それまであまり自信のなかった否定の用法についてパードゥチェヴァ先生の本により目処が立ったからである。この本を読んで、自分の考えは間違っていなかったことが分かり、また否定以外に疑問に思っていた点(動詞бытьの完了体的用法など)がよりクリアになったことである。100%ではないかもしれないが、動詞の体の使い分けなどについても、このコーナーのおかげで人に分かりやすく説明できる自信がついたからとも言える。

 正しいロシア語を話す事は暗記の得意な人ならそれほど難しいことではない。暗記する例文を増やせばいいからである。ところが、なぜ使えないのか、使い分けなければならないかを分かりやすく説明するのは難しい。ロシア人の先生は正しいロシア語を話すし、間違いは瞬間的に直してくれるだろうが、なぜそうなるかについて尋ねても、こういうのだから、正しい言い回しを覚えなさいと言われるだけであろう。その場はそれでいいが、それでは次回に応用ができないことになり、ほぼ全く同一の例文でなければ、少し語彙が入れ替わるだけでも正否の判断をロシア人にいちいち聞くことになり、それがほぼ永久に続きかねないということになる。プロの通訳でも、私よりロシア語のうまい人は何人も、何十人もいると思うが、語彙や体の使い分けが説明できない以上、最終的な正否の判断はロシア人にあおぐというふうになってしまう。私にはロシアソ連文学の例文を蓄積した和露の語彙集(9万項目)と、アカデミー版露露辞典など400種を超える辞書、それに何冊もの著名なプロのロシア語学者の参考書があり、それらを体系化したもの(『四訂和文露訳入門』〔原稿〕)も持っているので、これらを網羅して説明できる自信はあり、それが生徒に対して応用力をつけさせることにつながると確信する。これらの参考書や辞書は普通のロシア人の説明よりもはるかに権威のあるものである。ロシア人にとって私たちの日本語同様、ロシア語は母語であり、正しくは話せるが、分かりやすく日本人生徒に説明するのはロシア語学者でないと無理であろうし、仮に日本にロシア人のロシア語学者がいたとして、達意の日本語で分かりやすく説明できるとも思えない。Скажите.とГоворите.の違いは何かなどもそうである。一を聞いて十を知るというのは、学習の要諦であり、いたずらに語彙を暗記し続けるのは大人の勉強法ではない。理詰めに基本を押さえて、短期間(1、2年)でロシア語の真髄をマスターするためには、動詞の体をマスターすることに尽きると考えている。

出題)「もし人体に何らかの黴菌が侵入したら、体は免疫系全体を防御態勢に置く」をロシア語にせよ。

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2014年07月10日

●続和文露訳入門第504回

これまでの30年以上にわたるロシア語やロシア人との関わりを基に、人にロシア語を教えたいという気持ちは10年ぐらい前からあったが、その程度のロシア語の経歴の人はざらにいる。ロシア語を話せるというのと、分かりやすく教えるというのは別問題である。ましてやロシア語会話となれば、ロシア人について学びたいという人がほとんどだろう。その中で何か売りというか、特色を出す必要があると考えた。10年前のことである。教えるには参考書が要るが、他の著者の本は、アカデミックであり、実際のロシア人とのやりとりやビジネスなどから離れているようで教えづらい。もっと現代社会、ビジネスに則したものが自分にはぴったりだと思ったが、そのようなロシア語の参考書はない。そこで、自分の得意分野(ビジネスロシア語、技術、観光)から始めて、日常会話、語彙集、構文集、ついには動詞の体の使い分けについて本を書いた。前回も書いたが、否定の用法だけはまとまった参考書がなく、どうかなと思っていたところ、パードゥチェヴァ先生の本に巡り合え、自信が持てた次第である。これで、学習者が希望するなら他の著者の参考書に合わせても、分野ごとでも、日常会話からでも、体の使い分けでも個人でもグループでも教えられる用意ができたことになる。若い時にロシア語をかじって、挫折した人も多いだろう。年配の方でも、暗記主体ではなく、理詰めにロシア語を学びたいという人は大歓迎である。趣味から生きがいになるやもしれず、そのお手伝いができれば幸いである。またロシア語の読解はできるが、会話が今一つという方も、丸暗記にながれない、理詰めの学習法で対処できると考える。体の用法だけ教えてほしいというのでもよい。とにかく丸暗記だけではない、理詰めのロシア語学習法を広げたいと考えているので、趣旨にご理解を示される方々にはご協力のほどよろしくお願いする次第である。

出題)「普通はすぐ血が止る方ですか?」をロシア語にせよ。

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2014年07月11日

●続和文解釈入門第505回

『三訂和文露訳入門』に下記追加願う。

3-1-6-2 状態の動詞と結果の存続

 (分かった)Понял. は完了体過去形の結果の存続用法であり、これは(分かります)Понимаю.という遂行動詞に意味的に非常に近いことが分かる。これを否定文にしても意味は変わらない。ちなみにне понимаюは動作の否定であって、遂行動詞ではない。

(私はこれが分からない)Я этого не понял. = Я этого не понимаю.

出題)「彼は王子の刀と帽子を手にとって、いろいろな方向に回しながら長いこと眺めていた」をロシア語にせよ。

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2014年07月12日

●続和文解釈入門第506回

日常会話では、否定文において結果の存続も動作の無の確認も意味が接近する。

(お前が取ったのか?)Ты взял?
(いや、ぼく取らなかったよ)Нет, я не брал. <動作の無の確認の用法で、я не взял.とすると否定の結果の存続であり、日常会話では意味の違いはほとんどない>
(この人たちは切符代を払わず、前の試合から居残った)Эти люди не платили денег за билет, а остались здесь с предыдущего матча. <заплатилиに代えても意味は変わらず、順次的用法となる>

出題)「時と共に状況はがらっと変わった」をロシア語にせよ。

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2014年07月13日

●続和文解釈入門第507回

『三訂和文露訳入門』6-2-1-1項を次のように訂正願う。

 должен(~すべきである)はмочьなどのように叙想語(モダリティー)であり、話し手の主観を示す言葉だから、完了体動詞不定形が後につくのが原則である。

(今日アレクセイに手紙を書かねばならない)Сегодня я должен написать письмо Алексею.

不完了体動詞不定形がつくとすれば、切迫感(6-1-1項の例文参照)や、否定(不必要)、反復、経過・継続の用法であろう。また義務の意味の他に、完了体動詞不定形を伴って予定(~するはずだ)の意味となる。これは未来の時制におけるある出来事の到来について確信と未知が合わさったニュアンスをもつ用法で、叙想的ニュアンスがあるため例示的用法として完了体動詞不定形が結びつき、否定文でも完了体動詞不定形を取る。

(いつママは来ることになってるの?)Когда мама должна прийти?

не должен + 完了体動詞不定形では「~するはずがない、~しそうもない」という意味になり、不完体不定形や動詞бытьとなら「~するべきではない」という意味となる。не обязан(~する義務はない)、не обязательно(~する義務はない)、не полагается(~すべきではない)、не приказано(命令されているわけではない)も、不完了体動詞不定形と共に義務の不履行を示す。「~するはずがない」は完了体の例示的用法からの否定の強調である。この用法以外では、не должен + 不完了体不定形を取る。

(彼が遅れてくるはずがない)Он не должен опоздать.
(申請書をお出しになるべきではありません)Вы не должны подавать заявление.
(計画には間違いがあってはならない)В проекте не должно быть ошибок.
(遅れた生徒たちを通せという命令は受けていない)Мне не приказано пропускать опоздавших учеников.

出題)「オーリャ、いいかげん目を覚ましなさいってば」をロシア語にせよ。

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2014年07月14日

●続和文解釈入門第508回

否定文において完了体(完遂)と不完了体(動作の欠如)ではっきりと意味の違いが出る例があるので紹介する。「スポーツ選手はまだ休憩を取っていなかった」は二通りに露訳できる。

Спортсмен ещё не отдохнул. <休憩を始めたが、休憩は終了していない>
Спортсмен ещё не отдыхал. <休憩の動作が始まっていない>

出題)「24時間後にここに戻ると誓う」をロシア語にせよ。

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2014年07月15日

●続和文露訳入門第509回

「ついに、とうとう」はнаконецやв конце концовと訳すのだということを知っている人は多いと思うが、用法も同じだと勘違いしている人がほとんどではないだろうか。その違いを参考のために紹介する。наконецは感情的な表現で、否定文とは使われず、内容的に肯定的な文章で使われ、完了体と共に使う。в конце концов感情表現の面で特に制約はなく、肯定文・否定文とも使われるし、完了体・不完了体とも使われる。ただошибиться(間違う), заболеть(病気になる、病みつく), умереть(死ぬ), отчаять(絶望する), погибнуть(死ぬ), застрелиться(銃で自殺する), проиграть(負ける), проспать(寝過ごす), вынужден(~せざるを得ない), должен(~ねばならない), нужно(必要である), приходится(~ねばならない)という否定的ニュアンスが感じられる語彙はв конце концовと共に使われるということが言える。

Ура! Наконец наша команда победила.(万歳、ついに我が国のチームが勝った)
В конце концов он так и не напечатал свой роман.(結局彼は自分の小説を出版しなかった)

出題)「彼は村まで後2キロのところまで来た」をロシア語にせよ。

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2014年07月16日

●続和文解釈入門第510回

ロシア語でвынести сор из избыというのは、内輪のもめ事を明るみにしないということだが、これは革命前のロシアの農村で文字通り、Сор из избы выносить запрещалось.(農家のゴミを外に出すのは禁じられていた)ということで、ゴミには髪の毛、切った後の爪などがあり、それらは人に呪いをかけるのに使われる可能性があると考えられたからであるという。

出題)「彼は彼女に気があるのじゃないかい?」をロシア語にせよ。

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2014年07月17日

●続和文解釈入門第511回

プロの露文和訳にはそれなりの苦労があると思うが、我々素人の露文解釈は和文露訳(会話も含む)よりははるかに簡単である。初級文法を抑えておけば、後は語彙を調べるだけで済むからだ。体の用法云々といっても、見かけでほぼどちらの体かは分かる。無論重箱の隅を突っつくようなことを言えば、時制の転用とか、歴史的現在というのもあるが、前後の文脈でだいたい分かる。ところが和文露訳は語彙を調べてから、それからどちらの体を使うべき(選ぶ)か考えねばならない。
 いったいロシア語の会話ができる人というのは、体の使い分けという問題をどう解決しているのだろう?自分の経験から言えば、丸暗記した例文に近いものが頭に浮かべば、それを活用する。そういう例文が頭に浮かばなければ、動作の完了なら完了体を、反復、過程なら不完了体を、よく分からない文脈では、一か八かでどちらかの体を使ってみるというところだろう。100%正しく体の用法を使えるという人は寡聞にして知らない。無論幼いころからロシアに住んでいたというようなバイリンガルの人は例外だろうが、大人(大学生だって大人である)になってからロシア語をやった人に、体の用法がだいたい正しく使いこなせるというレベルの人はかなりの上級者だと思う。基本的にできるだけ多く例文を暗記して、それを自分の脳に覚え込ませ、そしてコンピューターのように処理してもらおうと考えているのかも知れない。そうすればロシア人と同じように感覚的にロシア語を使えるようになると考えるのは錯覚としか思えない。そういうことが仮にできるようになるとしても何十年もかかるような気がする。もう少し理詰めに体の使い分けを、初級の入門の段階で始めれば、語彙の量を別にすれば、より早く(1、2年で)ロシア語が習得できると思う。その時に体の使い分けの例文を暗記すれば一石二鳥だ。覚える語彙も日常会話やせいぜいのところ新聞の見出しに載る程度のもの、自分の興味のある分野のものでよい。

出題)「二重否定は肯定である」をロシア語にせよ。

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2014年07月18日

●続和文解釈入門第512回

『三訂和文露訳入門』に下記追記願う。
3-1-4-8 遂行動詞と否定

遂行動詞の否定(専門的に言えば発語内的否定)は、元の発語内行為の否定ではなくて、保留であり、「ない」は遂行動詞ではないということが入江幸雄先生の『発語内的否定と質問』という論文に書かれている。つまり遂行動詞を否定すると、否定された動詞は遂行動詞とは言えず、遂行する動作自体が存在しなくなるのだから、「~しないことになっている」というような、動作自体を否定し、一般的にこうだという意味にしかならない。またパードゥチェヴァ先生も遂行動詞は否定を許容しないと述べておられる。遂行動詞の用法を否定文で用いたければ、否定の強調(3-2-2項)を参照願う。

(戻ると僕は約束する)Я обещаю вернуться. <遂行動詞>
(戻るとは約束しない)Я не обещаю вернуться. <パードゥチェヴァ先生は保留というよりは拒否のニュアンスがあると述べている>
(万事順調)Я не жалуюсь. <= Всё в норме.ということで、Как дела?〔調子はどう?〕の答え。文字通りでは「文句はない」だが、そこから派生して、形式は否定文だが、意味的には肯定であり、遂行動詞的用法となったもの>
(弊社は他の方々にお客様の個人データを知らせることは一切ありません)Мы никогда не сообщаем ваши личные данные другим сторонам.

出題)「最低1カ月はリハビリに必要だ」をロシア語にせよ。

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2014年07月19日

●続和文解釈入門第513回

モスクワの中心、赤の広場の近くにキターイ・ゴーロトКитай-городというところがあって、1980年代にモスクワに駐在していたころ、観光バスに乗った時に、その若い女性のガイドがこの場所は英語で言えば、〔キターイ(契丹が由来らしい)は中国のことだからと言いたかったのだろう〕チャイナタウンであり、大昔中国人が住んでいたからだという駄法螺を吹いていたのを思い出す。いくらなんでも言っていいことと悪いことがある。現在のところは、キターというのは古代、城壁を作るための編籠(中に石を詰める)、編垣から来ているとされていたが、ショーカレフШокаревの『中世モスクワの日常生活』(Молодая гвардия, 2012)によれが、チュルク語系のкытайクィタイ、要塞から来たのだという説もあり、定説はないとのことである。2002年ごろキターイ・ゴーロトに行ったら、チャイナタウンというレストランがあったから、案外一般のロシア人も地名の由来を知らないかもしれないのか、大して気にしないという事なのだろうなと思った次第。

出題)「顔の整形をした」をロシア語にせよ。

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2014年07月20日

●続和文解釈入門第514回

否定生格における証言性の例をもう少し挙げておこう。「冷蔵庫に瓶はなかった」という文は二つに訳し分けられる。

Бутылки не было в холодильнике. <状態の否定>
Бутылка не была в холодильнике. <動作の否定>

 最初の文は冷蔵庫の中味を改めたが瓶は入っていなかった(証言性の否定生格)であり、二つ目は実際冷蔵庫の中を確かめたわけではないが、例えば瓶が生温かかったので、冷蔵庫には入っていなかったと判断したということになる。

出題)「保存血液は涼しい場所で保管の事」をロシア語にせよ。

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2014年07月21日

●続和文解釈入門第515回

日本では外国語のうちで特にロシア語の人気がないのは周知の事実である。それはNHKの語学番組の扱いを見てみればよく分かる。時の政治情勢などにも影響されるだろうし、今回のマレーシア機墜落事件を見る限り、ロシア語を学んでロシアを知ろうという気は起こらないかもしれない。しかし、一方日本人はドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』や、トルストイ、チェーホフなどをよく読み、ロシア文学好きでもある。『カラマーゾフの兄弟』を読了したら、思考力の面で一人前だと考える若い人もいるやに聞く。欧米と異なる対応をするロシア、ロシア人について逆に知りたいと考える人もいるだろうし、私のようにロシア政府と一般のロシア人の考え方は違うのではないかと思う人もいるだろう。こういうときに普通のロシア人とメールなどでやりとりして生の声を聞いてもらいたいと思うのである。

 いざロシア語をやろうと思っても、挨拶言葉の丸暗記に続いて、名詞の格変化(6つある)、動詞の活用(人称と単数・複数ごとに)を丸暗記(これはある程度やむを得ない)があり、他にも動詞の体の用法や単数・複数の使い分けがある。これでははなからやる気も失せようというものである。短所ばかりあげつらっても仕方がない。楽な面もある。それは文字である。ロシア文字はたった33文字しかないし、ローマ字と似ているものが大半だから、三日もあれば覚えられるだろう。アラビア文字や漢字を勉強することに比べたら屁でもないはずだ。

 問題はここからである。とりあえず学習の目標をロシア語を話せるようにするから、生のロシア人とメールでやりとりできるようするにして、学習法を工夫してあげればよいと思う。ロシア文字を覚えた学習者に、初歩的な言い回しや文法を教えると同時に、学習者からロシア人にメールするとして、それに学習者が必要だと思う短文を日本語で書いてもらう。それを露訳して、レッスンの半分はこの露訳の詳しい解説に当て、この露文を暗記してもらう。例えば、「調子はどうですか?」という文があったら、指導する側は、いろいろ訳せるだろうが、Как дела? と教え、какやделаについて細かく説明し、この返事はどうなるのかまで教える。毎回一文と決めて、やって行くうち、「私は東京に住んでいます」とか、「ウクライナ情勢についてどう思いますか?」、「ロシアのコスプレ人気はどうですか?」というように、学習者の興味ある分野で和文露訳できるようにしてあげる。学習者一人一人に合わせた、オーダーメードの語彙や分野で勉強した方がやる気も出るし、そうすれば勉強も自分の興味ある分野だから勉強も続くはずだ。それを既存の教科書のような、ある意味の押し付けで、学校とか友達とかというきまりきった万人向けのテーマで書かれた会話内容を発音させ、暗記するというのでは実際の会話がいつまでたってもできないままだろうし、学習意欲が湧くとも思えない。自分の言葉でロシア人に自分の話したいこと、聞きたいことを伝えるというのが、まず一番最初にすべきことだと思う。名詞の格変化だって、自分の関心のある分野、例えば車、ファッション関係を使えばいいし、会社関係なら、会社のカタログを使うということも可能である。動詞の活用についても会話でよく使う動詞を優先的に覚えるようにしてもらえばよいわけである。こういう指導のできる講師が少ないのか、あるいは学校の体制によってそれができないのかは知らないが、私なら個人向けにこのようなレッスンはできると自負している。こういうようなレッスンを受けてみたいという方はご連絡を。料金は応相談だが、とりあえずは東京近辺の方ということになる。慣れてきたらそのうちSkypeでのレッスンも視野に入れたいと思っている。

出題)「そんなことは言っていない」をロシア語にせよ。

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2014年07月22日

●続和文解釈入門第516回

место(場所)の前につく前置詞はвかнаか迷う人も多いと思う。『女性のための技術ロシア語』にも書いたが、タイプミスもあり、それを訂正するとともに、Wade先生のA comprehensive Russian grammerに従って書いて見る。наを使うのが基本であり、вは例外として、その例外になる事例を覚えた方が効率的だと思う。

на местеは不動、所有、元の場所、平坦な場所(二次元)、置換、位(1位、2位などの)、на местах(地方で)などと使う。

в месте
1) 全体の一部
Книга порвана в одном месте.(その本は1か所破れている)
2) 三次元の場所
В тёмном месте(暗い所で)
3) 一つに(まとまる)
Всё собрать в одном месте.(全てを一か所にまとめる)
4) 同じ場所
Мы всегда встречались в одном месте.(僕らはいつも同じ場所で会った)
5) 特定の場所
в чудесном месте(素晴らしい場所で)
6) 特定な形容詞との結びつき
в разных местах(いろいろな場所で)、в другом месте(別の場所で)

『女性のための技術ロシア語』の「6. 場所」にはタイプミスがあったので下記のように訂正します。お買い上げの方々には深くお詫びいたします。

技術でも多用される「場所で」という意味のместоの前に来る前置詞наとвの使い分けだが、普通は наが来ると思えておけばよい。вが来るのはкрай(行政単位の地方)、округ(管区)、местность(地域・地方)を意味するときであり、複数で用いられる。地方の機関や役所では Придётся ехать на места.(地方回りをせねばならなくなる)とか、наはделегаты с мест(地方出身の議員)とна – сの組合わせとなる。何か他とは異なった個所(箇所)にはв месте перелома(骨折個所)、文学作品や音楽作品などの不明箇所、в публичном (общественном) месте(公共の場所)というようにвが来ることが多い。<上記のように上っから3行目に「複数で用いられる」を追加し、同4行目の原文にあった「на делегации с мест」を「Придётся ехать на места.(地方回りをせねばならなくなる)とか、на はделегаты с местに訂正し、本コーナー最後の行に「前置格と共に」を追加しました>

расставить метальщиков в двух местах 爆弾の投擲者を2か所に配置する
принести в указанное место и в указанное время 指定の場所、指定の時間に持ってくる

место работы(作業場、仕事場), место назначения, место службы(任地)については、方向を示す場合、кが来るのが普通である。

Обед доставлялся к месту работы. 昼食は仕事場に届けた。
К месту назначения не прибудет. 任地には(彼は)行かない。
Подорожные деньги выдавались лицам, выезжающим к месту службы 旅費は任地に赴く人に支給された。

上の文については、多くはないがвやнаも来る。位置を示す(~では)は前置格と共にвやнаが来る。

出題)「1865年秋、劇場理事会が彼女が舞台を去るとアナウンスした時に、大衆は初め信じようとしなかった」をロシア語にせよ。

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2014年07月23日

●続和文解釈入門第517回

(そうは言っていない)という第515回の出題についてコーリャさんから、第80回出題のコメントや第81回本文の説明と第515回の出題の回答およびその説明に食い違いがあるとの御指摘がありました。すっかり出題したことを失念しており、第80回出題のコメントと第81回本文の(そうは言わなかった)という部分の解説は誤りと認め、深くお詫び申し上げます。特にコーシカさんは正解にもかかわらず、間違いとしたことに対して慙愧の思いに堪えません。ご寛恕のほどよろしくお願い申し上げます。どうも結果の非存続という考え方にはまり込んでいたみたいです。

 第515回出題のコメントが正しいと認識した理由は、最近マリーニナМарининаの『他人の仮面Чужая маска』というミステリーと、バジャーノフБажановの『私はスターリンの秘書だったЯ был секретарём Сталина』を読んで、その中の出てきた文章とその文脈から判断したわけです。まずマリーニナの警察小説の主人公女性捜査官カーメンスカヤと夫の会話から見てみます。

- Ты прав, Юрик, я непозволительно распустилась со своими переживаниями. Со мной стало неприятно иметь дело, да?(その通りよ、ユーリク(夫の愛称)。私、許しがたいほど自分の苦しみのことでいい気になってしまったの。私が嫌になったのね、そうでしょ。)
- Я этого не сказал.(そんなことは言っていないよ)<具体的な1回のカーメンスカヤの発言に対して否定の結果の存続>

 バジャーノフのは、

Когда он (Розенберг) наконец кончили, я говорю: «Из всего, что здесь говорилось, совершенно ясно, что в самом непродолжительном будущем вы начинаете войну против Советов». Розенберг спешит сказать: «Я этого не говорил».(彼〔ローゼンベルグ、ドイツの高官〕がついに話を終えると、私はこう言った。「ここで述べられたことすべてから、ごく近い将来あなたたち(貴国)はソ連と戦争を始めることは全く明らかだ」。ローゼンベルグは「そんなことを言ったこと〔覚え〕はない」と急いで言った) <говорилосьとある以上、何度か話をした、つまり1回の動作ではないので、動作の無の確認のみである>

 誤りについてはないようにしたいとは常々思っておりますが、学未だ至らぬところも多々あり、今後ともこのような誤りはあるかと思いますが、遠慮なくご指摘いただければ、その都度説明なり、訂正なり、お詫びなりをしたいと思います。それが会話における和文露訳においての体の用法の解明に資するところ大だと考えるからです。

出題)「彼女は彼女のところに一晩泊ってはどうかと言った」をロシア語にせよ。

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2014年07月24日

●続和文解釈入門第518回

私は大学でロシア語を専攻して3年生のときに、あるロシア人の女性のもとで仲間三人と共に週1回ロシア語会話を習うことになった。その会話のレッスンのときに初めて会話での動詞の体の使い分けをどうすればいいのかという疑問が浮んだと言える。正しいロシア語はそのロシア人に聞けば、ある程度状況を日本語や片言のロシア語で説明すると、教えてもらえるので不自由はしなかったが、過程を無視して答えだけとか、なぜ片方の体がだめなのかが教えてもらえないという不満は当時もおぼろげながら感じていた。大学のロシア語会話の授業では、先生は野村タチヤーナ先生やタマーラ原先生だったが、十数人の生徒たちに対して、既に教材も決まっており、その対話体の教材の発音と構文の暗記に終始し、体を気にするようなことはなかったと記憶する。

 体の用法をマスターしようと思ったのはこの10年くらいだろう。これまでいろいろな例文をかなり暗記したおかげで、仕事上のいろいろなシチュエーションでもロシア語は口からついて出てきたし、ロシア語はそれなりに通じたから、体の用法をマスターする必要は特には感じなかったが、会社を辞めてプロの通訳やガイドをするようになって、プロとしてこれではいけないと思うようになったからである。回りのプロの通訳やガイドに動詞の体のことをきいても怪訝な顔をされるばかりで、それなりに正しいロシア語が話せるというのは、体を理解しているということであり、どの状況でどの体を使うかその説明ができなくても、正しい(通じる?)体が出てくるのなら問題ないだろうということらしかった。ところが、何年か前、あるプロの通訳でロシアソ連文学の翻訳家の方から話をうかがった時に、その方は時々体の使い方でロシア人から直されると笑いながら教えてくれた。謙遜の意味もあったのかもしれないが、体の用法が確実でないのに、文のニュアンスを訳すのが難しい文学の翻訳ができるのだろうかと疑問に感じたのを覚えている。自分の場合でも、今でも体の用法を間違うことはよくあるが、間違えた瞬間なぜ間違ったかはすぐ分かる。それは次に間違えないようにと、そういう勉強をしてきたからだ。何故この体でなければならないのかを理解しなければ、何万と丸暗記した例文に頼らざるを得ず、困ったことに完了体・不完了体が同じような場面で使われる場合もあるし、明確に使い分けをしなければならない場合も多々ある。仮に実用上は問題がなくとも、体を十分に理解していないと、文学などの翻訳では誤訳の元になりはしないかと危惧する次第である。しかしそう考える人は聞いたこともないし、プロの中でもいないようだ。あまり文法、文法というと香り高い文学の邦訳が台無しになると考える先達もいる。

 動詞の体というのは、これまでに磯谷孝先生、原求作先生、林田理恵先生の参考書が日本語で出ているが、それなりによい本だとはいえ、会話での和文露訳用とは思えない。ロシア語で会話をしようと思えば、一つ一つの文でまず動詞のどちらの体を選ぶか決めなければいけないのに、ロシア語の会話の授業では例文や構文(これらはロシア人が作ったロシア語で体の使い方ももちろん正しい)の暗記ばかりのように思われる。正しいロシア語文の暗記ばかりで、なぜこの体をこの文で使うと間違いなのかを生徒に教えないと、いつまでもまともな文は作れないのではないかと思う。入門の段階で、ロシア文字を覚えた時点から、会話の授業を始め、それに体の使い分けを入れるべきだと思う。そうすれば、ロシア人と会話をするとかメールをするなどという具体的な目標ができて、やる気が生まれると思う。入門や初級の段階で会話や、ましてや動詞の体は無理だということで、名詞の格変化や動詞の活用の暗記に特化した授業や例文や構文の丸暗記ばかりで、会話と体を組み合わせたような授業をしていないのが問題だと思う。生徒は馬鹿ではないし、小学生でもない。立派な大人ばかりである。このような人を馬鹿にした授業法がまかり通っていて、それに対して生徒の方から不満が出て来ないというのもおかしい話である。もっともそういう人はロシア語が難しいという一言のもとにロシア語の勉強を止めてしまうのだろう。こういう現実になんとか歯止めをかけ、語学はどの語学もそれなりに難しいが、語学の勉強は全く未知の世界を知ることにつながるわけで、丸暗記と言う機械的な勉強ではなく、動詞の体と会話を通じて、知的で、人間らしい勉強をしようと言うのが私の提案である。このコーナーの投稿者の皆さんは、そういう中で体に関心を持つ非常に奇特な方々ではあるが、私の考えでは、会話や動詞の体に重きを置く常識的な人ばかりだと思う。こういう方々が少ないのがおかしいと思うわけである。それもこれまで会話や体の重要さを初級の段階で指摘して来なかったからであろう。現実に私にロシア語をマンツーマンで習いたいという人も出てきた。この流れがより大きな流れになることを祈っている。学習者の知的関心、レベルは皆違う。入門時や初級レベルでその学習者に合ったオーダーメイドの勉強法でロシア語を学べば、中級や上級へと自学自習の道も開ける。最初が肝心であり、最初に自分で考える方法の手助けを講師がお手伝いできるかどうかがそのカギとなると確信している。

出題)「彼女は隠しごとには向いていない。感情が全て表に出る」をロシア語にせよ。

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2014年07月25日

●続和文解釈入門第519回

『三訂和文露訳入門』に下記追加願う。

7-1-2 志向の動詞と否定

「(ワーニャはその問題を解いた)Ваня решил задачу.」を否定文にすると、次の二つの文が考えられる。

(ワーニャはその問題を解けなかった)Ваня не решил задачу. <= Ваня пытался решить не решил.>
(ワーニャはその問題を解かなかった)Ваша не решал задачу. <= Ваня не пытался решить.>

 最初の文は解こうとしたが、解けなかったとなり、二つ目の文は解こうとさえしなかったという、志向の否定となっている。

出題)「彼は知らん顔」をロシア語にせよ。

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2014年07月26日

●続和文解釈入門第520回

動詞бытьには動作動詞として不完了体・完了体の機能があることは前に述べた。不完了体の機能において反復の意味はなく、その機能はбыватьが担う。完了体過去形についても第487回本文においてアオリスト用法はあるが、былが助動詞として過去の時制を示すため結果の存続の用法はないのではないかと述べた。それでは動詞бытьには結果の存続の用法はないのだろうか?『三訂和文露訳入門』8-1-1項において、Я дома.が「私は家にいる」という意味の他に、動作動詞として「ただいま(戻りました)」という意味の時は、3-1-6-2項に挙げたように、状態の動詞がуже(すでに)というニュアンスがある文脈では、結果の存続の意味を出せることから「到着した」という意味を示す事ができると考えてもよい。つまり動詞бытьは現在の時制で結果の存続の意味をもつと言える。

出題)「モスクワでコーヒーを飲む習慣はギリシャ人から始まった」をロシア語にせよ。

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2014年07月27日

●続和文解釈入門第521回

ロシア語をマスターしたいのであれば、露訳しようとする会話文の時制を自分の頭で突き詰めて考えることである。私の書いた『三訂和文露訳入門』も無条件に信じるのではなく、本当にそうなのかという疑いを抱き、その中から自分で納得できるものを増やしてゆけばよいのであり、教条化する必要はない。ただ私の言う体の本質に納得がいかなくとも、個々の用法の説明で納得がいけば、実際に会話の場面で使えばよい。掲載されている例文で私が勝手に作ったものはないので、正しい文脈であれば安心して使えることは私が保証する。

 何千もの模範的な例文を丸暗記することは勉強ではない。物事には何かしら理屈が通っているわけで、時間をかけて考えれば説明がつくはずである。語彙という枝葉は日常語彙を除けば、必要な分野や関心のある分野を覚えればよいし、もっというと自分の和露の語彙集に入れておくだけでよい。そういう語彙集が手元にあれば暗記はいつでもできる。それよりも文の根幹である動詞の時制について日ロの違いを明確に理解し、マスターすることに心血を注ぐべきである。丸暗記というのは思考停止であり、そういうことに無駄に精力を注ぐべきではいけない。丸暗記は勉強の名に値しない。

出題)「農業は主な収入源だった」をロシア語にせよ。

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2014年07月28日

●続和文解釈入門第522回

『三訂和文露訳入門』8-4項に下記変更の上、追記願う。

ロシア語における「意見」は具体的な人の意志の力により形成されるものであり、一方「知識」は、自然にわいてくるものではなく、どこからか得るものだという考え方があり、これが二つの状況語の語結合に大きな影響を及ぼしている。学校などでもそうだが、どこからか知識は学ぶものであり、創意工夫して新しい発見や知見を生みだすのはごく少数の例外的な人たちであるというのと似ている。そこから「意見」は程度ではなく、正否を判断するという考えかたになり、逆に「知識」は、すごいかどうか(程度)であって、正しいか否かという考え方はしないということになる。使用例でみると、отчего = почемуである。

下記の文のв чём = гдеも同様に、ロシア語では知識(問題などの)の所在をきいていることになる。

(生きるか死ぬか、それが問題だ)Быть или не быть, в чём вопрос. <英語ではTo be or not to be, that is a question.となり、ロシア語との差が明確である>
(どういうことだ)В чём дело? <= Что случилось?>
(サムソンの力(の源)は彼の髪の毛にある)Сила Самсона заключалась в волосах его.

出題)「生徒たちから答案が受け取られ、教授たちが添削し、コメントをつけて生徒たちに返す事になる」をロシア語にせよ。この答案はレポートや作文と考えてください。

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2014年07月29日

●続和文解釈入門第523回

ボルゾイとかライカとかロシアの犬についても広く知られるようになったが、これらは猟犬охотничьи собакиである。猟犬にもいろいろあるが、ロシアの猟犬でもっとも有名なのはライカлайкаで、鹿、猪、熊、ビーバー、鴨猟で使われ、獲物を追いたて、吠えて(лайは吠えることを指す)、獲物の注意を引きつけ、猟師に仕留めさせるために使う。ボルゾイборзаяはウサギやキツネ猟に使い、猟銃を使用せずにボルゾイ犬が獲物を仕留める。ポインターлегавые собакиは小獲物猟において狩猟対象を探索し、発見した獲物をハンターに指し示す(ポイントする)犬。ハウンドгончие собакиは狩り立て用の犬で、追跡や回収(リトリバー犬)などを行う。セッターсеттерはハンターの指示でハンターが射撃するのに最適な位置に鳥を追いだす(セットする)犬。

出題)「彼は短刀で斬りつけられ、それがもとで死んだ」をロシア語にせよ

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2014年07月30日

●続和文解釈入門第524回

『三訂和文露訳入門』3-1-1-4項を下記訂正願う。

3-1-1-4 ся動詞による非情の受け身と過程の用法

 不完了体ся動詞で受動態(受け身)を示すことができるものがあるが、主語に立つのは不活動体であり、人は一般的に主語にはならず、動作の主体は造格となる。このような受け身を日本語の文法では非情の受け身と呼ぶ。ただ動作の主体が明確であれば活動体が主語でも反復や過程の意味で用いられることがある。受け身の意味で使われる不定人称文は動作主が明確な場合には使えないからである。そのため非情の受け身は使い勝手が悪いが、被動形動詞過去短語尾の用法と違い、過程を示すことができる。

(家が建てられている、家は建設中である)Дом строится.
(英雄たちは国家により表彰される)Герои награждаются государством. <主語は活動体だが、動作の主体が明確であるために不定人称文が使えない例である>
(郡の医者は医療自治会によって追加料金で呼ばれた)Уездный врач приглашался земством медицины за дополнительную плату. <これも主語は活動体だが、動作の主体が明確であるために不定人称文が使えない例である>

出題)「長く歩いたり座ったりすると靴がきついと感じたことがありますか?」をロシア語にせよ。

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2014年07月31日

●続和文露訳入門第525回

このところ年のせいか、暑さのせいか知らないが、自分の訳を投稿者に示すのを第517回と第522回、第523回と忘れてしまった。答えはすでに書きいれた。こういうことは前にも何回かあったと思う。お詫びするとともに、今後もあり得ると思うので、その都度ご指摘いただければ、すぐ提示する。

 ロシア語のニュースをロシア語で読んだり聞いたりする人もいるだろう。そのときに意味だけ取ればいいやとするのではなく、体の用法を極めておけば、正確にそのニュースのニュアンスをとらえることができる。体の用法の使い分けは会話のみならず、このようなニュースを読んだり、ロシア語の文学作品を昧読するのにも非常に強力な武器として使えるのである。

出題)「これら手づくり品すべての以前のようなばかげた安さはもう昔話となった」をロシア語にせよ。

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2014年08月01日

●続和文解釈入門第526回

革命前のロシアの日常生活の大家であるベロヴィンスキーБеловинскийによると、革命前は貴族には家僕や召使いがいるのが普通だった。名前で呼ばずに、человек(そこの)、мальчик(お前)、девушка(娘や50歳を超えた女性に対しても)とするのが普通で、稀にイワン、ピョートルとかスチェパンと呼んだ。ただ長くいる年老いた家僕にはСтепанычスチェパーヌィチ、Евсеичイェヴセイイチなどと父称で呼んだという。現在でも工場などで年配の熟練工に対して父称のみで呼びかけるのはこの伝統からかもしれない。貴族では妻が夫に対して、子が親に対してはна выで呼びかけるのが普通であったという。

出題)「昔のペテルブルグというものはなくなってゆく一方だ」をロシア語にせよ。

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2014年08月02日

●続和文解釈入門第527回

前回の本文を画面に出すのに小一時間かかってしまった。第526回の本文の画面は編集画面には一応出るのだが、エラーメッセージが何度も出て、肝心のサイトの画面には出ない。こういうことが前にも何度かあった。そこで過去の教訓を活かして、この画面を消さずに、追加して別に第526a回として保存してみたら大丈夫だった。スパムも一日千通ぐらい来るし、このコーナーも潮時なのかもしれない。次回もこういう方法でうまくいくかは分からない。急に画面に次回の本文が出ないとしても、歳のせいで私が倒れたということよりも(ガイドや通訳を続けるため炎天下1時間はヨロヨロ、トボトボと走っているので体力には自信がある)、多分それはシステム上の不具合と考えてほしい。ただそうなるとお手上げである。そういうことなので、ひょっとして前回の投稿が載っていない方は再投稿願う。

出題)「不要不急の件は後回しにする」をロシア語にせよ。

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2014年08月03日

●続和文解釈入門第528回

もしこのコーナーの更新に関するトラブルが発生したときは、ロシアンぴろしきの「ロシア何でも掲示板」で連絡することにします。

 слезницаはслёзная просьбаということで、涙ながらにお願いすることだが、これを嘆願(書)と訳すのはどうだろう?嘆願というのは元の意味はともかく、現在では「事情を詳しく述べて熱心に頼むこと。懇願」ということなので、訳としては不適切なことが分かる。同様に前回の出題の不要不急の最初の不要を、文字通り不必要と訳すと、ロシア人は非常に奇妙に感じる。論理的でないからだ。例えば不要不急の出張は避けるという場合、不必要な出張ということはあり得ないはずであり、出張に重要度の差があるだけであろう。つまり最重要な出張からそれほど必要性のない(重要でない)出張ということである。我々日本人の母国語は日本語ではあるが、ロシア人という非日本人を相手に意思疎通を図ろうとしているわけで、そのためには論理というものが大きな柱であるということは言うを俟たない。

出題)「インフルエンザで今多くが学校を休んでいる」をロシア語にせよ。

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2014年08月04日

●続和文解釈入門第529回

ロシア語をやり始めたら、動詞の体の使い分けをどうするのか疑問を持つのが当たり前だと私は思うのだが、入門の段階で、文字を覚え、挨拶言葉なども含めて丸暗記の連続では頭がマヒしてしまってしまい、それがずっと続いて、ロシア語に関しては自分で考えるのを止めてしまうからかもしれない。何かというとロシア人にこのロシア語の文は正しいのかお墨付きをもらうことばかり頭にあって、自分で考えることをしないから、自分のロシア語に自信が持てず、いつまでたっても外人ロシア語のままなのである。

出題)「彼は数多の学校を転々とした」をロシア語にせよ。

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2014年08月05日

●続和文解釈入門第530回

今日も画面が出ず、しかも投稿も出ない始末。それでも一度コンピューターをオフにしたら、うまく行った。根気よく続けるしかない。
出題)「ホームチームがラフプレーをしている。今にペナルティーキックを課されるぞ」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 06:25 | Comments [7]