2013年10月29日

●続和文解釈入門第259回

動詞の体についてはロシア語の文法書で必ず取り上げられているし、体専門の参考書まである。しかし、体の本質に関して触れているものでも、完了体と不完了体別々に特徴を挙げるのがせいぜいで、体全体の本質について扱っているものはなく、ラスードヴァРассудова О. П.先生ですら、体全体の特質について完了体と不完了体を別個に述べているにすぎない。和文露訳でも、英文露訳でもよいが、露文を作る際に体の選択をどうするかという観点で、体の本質を述べたものは皆無と言える。オッカムのカミソリの意味する「必要がないなら多くのものを定立してはならない」とか、「少数の論理でよい場合には、多数の論理を定立してはならない」、つまり、「必要以上に多面化するな。事実に則した最も単純な説こそ最善の説である」という点を踏まえて、体の本質というのはもっと単純化できるのではないかと私は考え、不完了体に共通する特質を持たないものが完了体であり、あるいはその逆であるというふうに体を全一的なものとしてとらえることができるはずだと考えた。

 ラスードヴァ先生は著書『ロシア語動詞 体の用法』(磯谷孝訳編、吾妻書房)の結論において、「完了体の主要機能は情報伝達的機能であり、不完了体の主要機能は、信号報知的機能と呼ぶことができよう。不完了体命令法によって名指される動作は、シチュエーションによって示唆される場合が一番多い」と書かれている。そのあと「実質的な情報をもたらす完了体と異なり、(不完了体)は独特な信号の役割を果たしているということができる」と一種の不完了体信号説を唱えている。それゆえ、不完了体の根源的意味は過去の時制の動作の名指し(動作の有無の確認)にあると示唆されていることはよく理解できる。『演習ロシア語動詞の体』(磯谷孝編著、吾妻書房)にスパーギスСпагис А. А.先生が「不完了動詞の主要な本質は、動作の名指しという非体的意味(体とは無関係の意味)の伝達であり、延長、未完、反復といった体の意味は不完了体の動詞そのものの中には与えられていないので、不完了体は文脈によってそれらの意味を表す」にあるのと同じである。それゆえ、『和文露訳入門』を出版するまでは、ラスードヴァ先生などの著作から「不完了体の本質が動作の名指し(動作の有無の確認)である」としたかったのであるが、動作の名指しは過去の時制が分かりやすく、現在の時制(動作の様態)、未来の時制、不定法、命令法(動作の様態)では分かりにくい。また動作の名指しには動作の遂行も含まれており、完了体の動作の完遂と紛らわしく、和文露訳の際にどう区別をつければいいか学習者には理解しにくいだろうということであきらめた。

 そこで『和文露訳入門』の初版を出した時に、体の本質を「不完了体は客観的な動作や状態を、完了体は主観的なそれを示す」とした。よく考えると、初版にある客観的、主観的というのも不適切な言葉遣いであり、新訂版を出す時に、完了体を中心に体の本質を説明できるのではないかと考えた。それが「完了体の本質は話し手が時間軸の特定かつ不動の一点での動作をイメージする」である。ラスードヴァ先生の『ロシア語動詞 体の用法』(磯谷孝訳編、吾妻書房、1975年)の過去の時制における体の用法という章の中に、「話し手の注意が、場所、時間、動作の主体に向けられている時には不完了体が必須となる」とあり、これは不完了体が文の焦点にならないことを意味している。これと完了体は過程を示さない(示せない)ということを出発点に、過去の時制におけるアオリスト的用法の時間のとらえ方を現在や未来の時制にあてはめ、体の本質の説明に時間軸という概念を導入したわけである。また個々の用法からこの体の本質の定義が検証できるようその項目に体に関する解説を加えた。

 しかし、新訂版を出してから、この定義では完了体未来形の完遂の用法での説明が心もとない事に気がついた。それと検証にあたる各章の解説部分もより分かりやすい納得がいくものにして、三訂版を出す事とし、「完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点をイメージする」と変えた。これまで時間軸の面から体の本質を説明した本はないと思う。本書では和文露訳において一番分かりにくい動詞の体を中心に説明しており、本書で動詞の体の用法が占める割合は全体の2/3あり、体の参考書と言えなくもない。

出題)「俺も今日は金に困っている」をロシア語にせよ。

Posted by SATOH at 2013年10月29日 06:49
コメント

И мне трудно с деньгами.
Я тоже нуждаюсь в деньгах.
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正解です。私の答えは、Я тоже сегодня стеснён в средтсвах.
「金に不自由している」という意味。напряжён с деньгамиなども使える。

Posted by ゴ at 2013年10月29日 08:46

(1) Я тоже сегодня
нуждаюсь в деньгах.

(2) И я сегодня в
стесненных
обстоятельствах.
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(1)は正解です。(2)は必ずしも金にということにはならないと思います。

Posted by ブーチャン at 2013年10月29日 15:10

(お題)
俺も今日は金に困っている
(コーシカ訳)
1) А сегодня я тоже не при деньгах.
2) Но сегодня мне тоже не хватает денег.

ЗиРで見つけたпри系とне хватаетの2本立てで失礼します。
「今日は」とあるので対比の意味を出そうとаとноを頭に添えております。
今現在もお金がないので2) は不完了体現在です。
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(1)はпри деньгах = иметь необходимых , достаточные для чего-либо средстваですから正解です。2)は不足しているが困っているということにはならないと思います。
ザルービンとロジェツキーの露和を和文露訳に使うのはよい考えだと思います。岩波と研究社は例文がアカデミー版の旧版(4巻本)から取ったような硬いものが多いのですが、これはより日常的によく使うものが多いし、収録語も5万と基本的な語彙ばかりのようでよい辞書です。欠点はとても重いことです。

Posted by コーシカ at 2013年10月29日 22:57
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