2012年06月01日
●和文解釈入門 第378回
(石油とガスの生産は1924年からそこで行われている)という文を正しいロシア語にすれば、日本語の直訳のように、不完了体現在形を用いて、Добыча нефти и газа ведётся там с 1924 г. となる。日本人とすれば違和感がないのかもしれないが、ロシア語文法を勉強している身には何か変だなと思う。この文は過去のある一点から現在に至るわけだから、アオリストと結果の現存(存続)が一緒になったような用法である。いつの時点から動作が始まったかは、結果の現存でも示せるが、(彼は工場で3年働いている)Он работает на заводе три года.というような期間を示すことができない。和文露訳の観点から言えば、理屈は関係なく、こういうものだという用法だけ理解しておけばいいのかもしれないが、自分としては納得がいかなかった。
原求作先生は「ロシア文法の要点」(水声社)の中で、(この大学で私が働き出してから8年経つ〔経った〕)Прошло восемь лет с тех пор, как я начал работать в этом университете.のначалもしばしば脱落してработаюとなると書かれており、そうであればначатьの過去形という、一種の結果の現存(存続)の用法から発展したという風に考えられる。これなら説明がつく。ただ不完了体現在形の場合は現在までの期間やいつからその期間が始まったかを示す語句がないと、繰り返しや動作の一般化と区別ができなくなる可能性がある。
一方、同じように過去から現在までの継続を示すことができる被動形動詞過去短語尾や完了体過去形では、動作がいつから始まって現在に至るかを明示しようとする場合、с + 生格(例えば、с 1895 г.〔1895年から〕)と使うよりは(例外もあるが)、в + 前置格のように過去のある一点を示す語句(в 1895 г.〔1895年に〕とかдва дня назад〔2日前〕など)を使うことになり、期間そのものをすぐには明示できないという事になる。こういう文で完了体過去形の場合は、アオリストの用法であって、結果の現存の用法ではなくなる。それゆえ期間そのものを明示したい場合は、この不完了体現在形の用法を用いる事になったのだろう。この用法では過去から現在に至る反復も示すことができる。(1992年から5月1日は春と勤労の祝日として祝っている)С 1992 г. 1 мая отмечается как Праздник весны и труда.
設問)「夜中オシッコに起きますか?」をロシア語にせよ。
2012年06月02日
●和文解釈入門 第379回
意味が形式を決定する、つまり意味やニュアンスが体の用法を決めるわけだから、話し手(通訳、ガイド)に、新しい情報を提示するのだという意識があれば、完了体未来形を使うだろうし、動作が予定の行動であるという認識なら、使える動詞は限られているが予定の意味の不完了体現在形を使うだろう。また単に動作がこれから起こるかどうか知りたいという疑問文や、回りの雰囲気に合わせて、ということなら不完了体未来形を使うという事になる。
これらは簡単なようだが、ロシア語の学習者は露文解釈の勉強から入るのが普通だから、所与のものである露文に慣れてしまっていて、会話でも和露辞典などで語彙を選択するぐらいはするが、会話だから瞬時に体を選べと言われても、できないことが多い。ロシア語のプロというような人でも、長年の経験からくる確率の信奉者で、命令形なら一応、完了体にしておこうとかとなどということになる。怖いことにその確率はできる人ほど高い。90~95%というような人もいる。しかし、覚えているのはロシア人が使ったという、間違いのない表現ばかりだから、文脈によっては不適切なものも当然出てくるし、体の用法の本質が分かっていないのだから、いつになってもこの場合にはこの体をということが断言できないし、外人ロシア語の要素が残る。またロシア人を前にしてロシア語を話すことにはやや萎縮してしまう事にもなる。ロシア人と日頃接触がある人なら、ロシア人の話す表現も吸収できる機会が多いだろうが、そうはいかないロシア語学習者の方がはるかに多いはずだ。このコーナーの設問のポイントを理解し、例文を暗記すれば、徐々にでも自分でどの体を使うべきか、慣れれば瞬時に判断することができるようになる。用法に疑問が出れば、第300回なり、第345回なり、第370回の本文を読むとよい。少しは助けになるだろう。
しかし私自身が体の用法を間違えないという事ではない。会話では瞬時にどちらの体か決めなければならないので、間違う事も往々にしてある。ただ自分で体の用法の規範を持っているので、間違いはすぐ分かるし、ロシア人に聞くこともない。手遅れは手遅れだが、次回は間違えないようにとの反省の材料にはなる。
設問)「私ってあなたが思ってるようなそんな(軽薄な)女じゃなくてよ」をロシア語にせよ。
2012年06月03日
●和文解釈入門 第380回
ся-動詞の不完了体、例えばвериться, вспоминаться, думаться, житься, забываться, писаться(否定形で使う事が多い), работаться, сидеться(否定形で使うことが多い), спаться, терпеться(否定形でよく使う)などは、否定で不可能の意味が出て来るものがあるし、被動形動詞現在やその名詞形でも可能の意味が出てくるものもある。これは語義から来ているものと思われる。непредсказуемый = такой, который нельзя предсказать, предвидеть, предугадать(不可能)やвидимыйの名詞видимость = возможность видеть удаленные предметы(可能)である。日本語の「(ら)れる」は受け身と可能が同じ形で示すことができるが、ロシア語もそれに似ている。「(ら)れる」は自発(自然にそうなる)から尊敬へと発展したらしいと「敬語」(菊池康人、講談社学術文庫)にある。また、この「(ら)れる」の4つの用法はいずれも動作主の意志性を否定するという共通点がある。そういえばся動詞の中にも再帰動詞というのがあり、意味は自発である。ロシア語の場合は敬語が発達せず、自発から受け身と可能に発展したと考えてよいのだろうか?いずれにせよ受け身、自発、可能はロシア語においても互いに密接な関係があると言える。
(肉眼で見ることができる衛星)спутник, видимый невооружённым глазом
(コントロール不可能の物価上昇)неконтролируемый рост цен
(予想不可能の結果)непредсказуемые результаты
(それとすぐ分かる顔)узнаваемое лицо
(彼は若いし、学ぶことができる)Он молодой и обучаемый.
設問)「最近何か変わったことで、説明が難しいようなことがありませんでした?」をロシア語にせよ。
2012年06月04日
●和文解釈入門 第381回
このコーナーに類語をいろいろ書いているが、自分の備忘録というか知識の整理のためである。それと、ひょっとしたら間違いがあれば指摘してくれる奇特な人もいるかもしれないと考えているからでもある。
コイルも訳しにくい言葉で、катушкаは電気関係でいうコイルである。ただコイル管はзмеевикという。змеевикというのはウオッカの密造で使われる冷却(凝縮)管というほうがロシアの庶民には通りがいい。鉄鋼用語で薄板の巻いたものもコイルというが、これはрулонで、トイレットペーパーのロールもこれである。しかも線材(線状に細長く圧延された鋼材、分かりやすく言えば針金)катанка = катаная проволока(針金の専門用語)のコイルはмотокとかбунтやбухтаという。乾燥は技術用語ではосушка, высушиваниеだが、お肌の乾燥(度)はсухость кожиという。日本語の手荷物には機内持ち込み手荷物とチェックイン手荷物がある。前者はручная кладьといい、後者はзарегистрированный багажという。名誉棄損はклеветаで、文書や印刷物によるものはдиффамацияという。
設問)「多くの人が波にのまれて死んだ」をロシア語にせよ。
2012年06月05日
●和文解釈入門 第382回
技術用語のシールseal、ガスケットgasket、パッキンpackingというのは、ガスや液体の漏れ防止、密閉などに使う部品で技術関係では基本用語だが、使い分けを知らない人も多いと思うので書いておく。シールは全体を示す総称で、ロシア語ではуплотнение, уплотнительное устройствоでよい。ガスケットは固定用シール材であり、静止部分の密閉用に使い、прокладкаがそれに相当する。パッキンは回転部分に使い、сальникと訳す。この一種であるオイルシールはманжетаである。またノンコンタクシールはбесконтактные уплотненияであり、лабиринтные уплотненияラビリンスシールなどという。コンテナなどのシール(封印)はпломбаという。
「鋳造する」はлитьだが、貨幣についてはчеканитьを用いる。技術者は総称的にはИТР (инженерно-технические работники)とし、単数ならтехникとする。技師はинженерで、生産工程技術者はтехнолог、メカニック、機械工、機械担当技術者はмеханикである。英語では鋳造も鋳物(製)品もcastingと同じだが、ロシア語ではそれぞれлитьёとотливка (複数はотливки)である。英露辞典ばかりに頼り過ぎるとこう言う間違いも犯す。鍛造と鍛造品もそれぞれковкаもпоковка (поковки)と違う。
設問)「入学希望者(志望者)は入学試験を受ける」をロシア語にせよ。
2012年06月06日
●和文解釈入門 第383回
何度か外務省とロシア大使館の両方の通訳の現場に陪席させてもらったことがある。経済関係の事案でそれほど重要性の高くない案件だったと思う。なるほどうまく訳すものだと感心した覚えがある。向こうは単に訳すのではなく、国家の威信がかかっているわけで、我々民間の通訳とは緊張感も全然違うなと思った次第。ところがロシア大使館の同じ通訳が、ロシアのトップクラスの会社の社長に付き添って来て、ある工場で通訳することになった。その頃私も技術通訳をしていたから、席に呼ばれた。別に通訳はしなくてよいが、工場見学のときに通訳になるかもしれないし、それがいつから始まるか分からないので待機せよというようなことだったと思う。ところが話が急に契約に関わることに話がそれて、あまり技術用語に関係しないところで、ロシア人通訳が何度もつまるし、何を言っているのか分からなくなることがいくつか出てくる。それで、日本側はフンフンとうなずきながら、私に聞いてくるので、その都度こういうことでしょうと通訳というよりは解説する羽目になったことがある。この契約については私も全く知らないし、その工場に来て、翌日のことだから事情が分からないのは、その通訳の人と同じである。ただビジネスの経験があるというだけのことである。通訳といっても、一つのことばかりやっていれば、その分野はうまくなるのは当たり前だが、世の中の人はそれで全体を測ろうとする。ロシア語も広くて深い。やればきりがないという事がよくわかる。
設問)「その病気の潜伏期間は10日だ」をロシア語にせよ。
2012年06月07日
●和文解釈入門 第384回
レシートはレジのはчекだが、タクシーやレストラン、店などのはсчёт (за такси)などと言う。「終える」という動詞には、кончить, закончить, окончитьがあるが、基本的な使い方はどう違うのだろう?кончитьは完全に終了する場合でも、一時的に止める時でも使えるが、закончитьは完全に終えるという意味であり、окончитьは期限が設定されていて、その期限が来たので終えるという感じで、卒業などと結び付きやすい。
震源は正確にはгипоцентрであり、その真上の地点を震央эпицентрというが、比ゆ的にАвтомобилестроение находится в эпицентре процессов глобализации.(自動車業界はグローバル化のプロセスの中心にいる)と言う。接触はконтактとсоприкосновениеは電気的、機械的接触については同義語だが、比ゆ的な意味の接触はконтактで、соприкосновениеは関わり、とか、関わり合いという意味になる。また船舶同士、ないしは船と岸壁の操船ミスによる接触はнавалという。ノイズは騒音と言う意味ならшумだが、電波障害(電気信号の乱れ)ならпомехиと複数にする。建物はзданиеが普通だが、строениеは建物を一般化した言い方で、具体的なものには使いづらい。文章語のニュアンスがある。постройкаはやや小さい建物で、動物と関係がある場合が多い。застройка は敷地を念頭に置いた建物である。
設問)「使用済みの包帯は焼却してください」をロシア語にせよ。
2012年06月08日
●和文解釈入門 第385回
「スイス領事の見た幕末日本」、ルドルフ・リンダウ、森本英夫訳、新人物往来社、1986年
1859年、1861~62年の日本滞在記。リンダウ(1829~1910)はプロイセン人。外国人の日本印象記としては非常に良い。
「フランス士官の下関海戦記」、アルフレッド・ルサン、樋口裕一訳、新日本往来社、1987年
1863~64年の下関海峡における長州攻撃に参加したフランス士官ルサン(1839~1919)の実見記。下関戦争の実見記としては一番詳しいと思われる。日本人の住居の際立った特徴は極度の清潔さにあるとしているとか、日本人は地上で最も形式的な民族であろうという感想を述べている。
「絵で見る幕末日本」、エメェ・アンベール、茂森唯士訳、講談社学術文庫、2004年
1863~64年スイス使節首席全権エメェ・アンベール(1819~1900)の日本滞在記。露訳からの重訳。図版が多い。アンベールは岩倉具視米欧使節が1874年スイスに来た時応対した。本書の間違いが指摘されたときにも丁寧に教えを乞うたという。
「続・絵で見る幕末日本」、エメェ・アンベール、高橋邦太郎訳、講談社学術文庫、2006年
オリジナル(フランス語)からの訳で、「絵で見る幕末日本」に収録されていない部分の和訳。図版も多く、外交関係には触れず日本および日本人観察に徹した点は好感が持てる。当時の日本を示す観光ガイドとしては本書がベストではないかと思う。
「シュリーマン旅行記清国・日本」、ハインリッヒ・シュリーマン、石井和子訳、講談社学術文庫、1998年
シュリーマンはかのトロイ発掘で有名である。彼が訪日した1865年でも役人の馬は蹄鉄をつけていたが、それ以外は藁のサンダルを馬に履かせていたとある。それでもシドモアが訪れた日光ではまだ駄馬が草鞋を履いていたとあるから、蹄鉄は大都市だけのものだったことが分かる。筆者も今から50年前の函館で駄馬をよく見かけた。無論蹄鉄は履いていたが、よく馬糞が落ちていて、間違って踏むと、背が伸びるとか頭が良くなるといわれたのは、今にして思えば踏んだ人の不運をあざ笑わないということなのだろう。冬は馬糞が雪と交じってザラメのようになったのも思い出した。シュリーマンは家定が長州征伐に出かけたその行列で馬上の家定を見たと書いている。
設問)「断食すると楽になりますか?」をロシア語にせよ。
2012年06月09日
●和文解釈入門 第386回
(153) 「江戸幕末滞在記」、エドゥアルト・スウェンソン、長島要一訳、講談社学術文庫、2003年
フランス海兵隊に所属したデンマーク人士官スウェンソン(1842~1921)の1866~67年の日本滞在記。フランス公使ロッシュ(1809~1901)の徳川慶喜との会談にも陪席した。彼は後にデンマークの大北電信会社の社長として長崎・ウラジオ間の国際電信敷設に功があった。
(154) 「松本順自伝・長与専斎自伝」、小川鼎三・酒井シヅ校注、東洋文庫、平凡社、1980年
松本順(時に良順)(1832~1907)の「蘭疇自伝」と長与専斎(1838~1902)の「松香私志」を収録してある。松本順の弟は林董。松本順はポンぺに師事し、日本最初の病院設立にも尽くした。また稲佐でロシア人の依頼を受けて娼妓のために日本最初の梅毒検査(検黴ともいい、当時は陰門開観と言ったと後述の大宅壮一が書いている)を行った。大宅壮一は1959年に書いた「日本新おんな系図」(大宅壮一全集第12巻所載、1982年)に、ロシア軍医が始め、松本良順も長崎で開業してこれを教わったと書いているが、嘘である。それ以外にもロシア人が稲佐で金をばらまくので、ロシア人さまさまで「おろしあ」となったとか、稲佐に関してはほらが過ぎる。「おろしあ」は日本語ではら行が語頭に立たないという原則から発音しやすいようにおをつけたものである。話がそれたが松本の近藤勇との交遊も有名で、新撰組に病院を作ったりした。家茂に可愛がられ、将軍は心臓内膜炎だったが最後まで看病した。最初の私立病院も早稲田に作った。大磯に海水浴場を造ったり、獣医制度を始めたりしたが、コレラについては精神的流行腸胃カタルとして伝染病ではないとした。今から20年前インドのボンベイに行ったとき、医者は下痢をすると何でもコレラだと言ったが、これに類したものか。コレラだった弱いのも強いのもあるのだろう。長与専斎は適塾で6年学び、福沢諭吉が塾頭のときもいた。後長崎でポンぺや松本順に学び、岩倉一行の遣欧使節に参加し、将来の日本の医学教育のために調査した。衛生という言葉を発明したのは長与であり、一生を日本の衛生のために尽くした。
(155) *「雨夜譚」(あまよがたり)、渋沢栄一述、長幸雄校注、岩波文庫、1984年
渋沢栄一(1840~1931)は富農の家に生まれ、一橋家に仕えた。徳川昭武(1853~1910)に随行して欧州をめぐった。後に明治の大蔵官僚、大実業家となった。株式会社、製紙、保険、株式取引所、紡績、海運、陸運と彼が関与しないものはなかったという。幕府崩壊の裏面を知る上で非常に参考になる。
(156) *「田中正造昔話」、日本人の自伝第2巻所載、平凡社、1982年
田中正造(1841~1913)の半生を描く自伝。足尾鉱山の鉱毒事件以前を扱っている。田中正造は六角家領地の名主の子と生まれ、一本気な性格と義侠心の富、若くして六角騒動に関係し11カ月の入牢(牢は3尺牢で、毒殺を恐れほとんどの期間食事をせず鰹節2つで飢えをしのいだという)、維新後南部で役所に勤めたが、上司殺害の嫌疑を受け3年入牢(算盤責めなどの拷問を受けた)、無罪放免となり、栃木で三島通庸県令(県庁所在地を栃木から宇都宮へ移した)の暴政を暴き、3年入牢する。この自伝は15歳で妓楼に上がりたった1回で梅毒に罹ったなど、自己の欠点を隠すことなく書いているのはなかなかできないことである。次から次へと大義名分のために事件に巻き込まれる展開は本書を非常に面白いものにしている。本書は文語体で書かれているが、話の内容が面白いので気にならない。田中正造は栃木改進党の重鎮でもある。
この日本人の自伝には「植木枝盛自叙伝」と「馬場辰猪自叙伝」(西田長寿訳)が収められているが、ともに夜郎自大の類であり、田中正造と比べればはるかに人間が小さい。ともに3人称で自分のことを恰も客観的に書いているようだが、俺が、俺がという我執(臭)があからさまだ。馬場辰猪(1850~1888)のは英文で、~した最初の人であるというのが10箇条書きになっている。短文からなっているのは英文があまりできなかったからかもしれないが、優美さはないし、性格もあるのだろうが説明がくどい。ただ福沢諭吉の塾にいたところのところは若干面白い。日本よりも外国に自分をアピールしたかったようだ。頭が切れすぎて他人が馬鹿に見えて仕方がないというタイプで、早死にしなくても森有礼のように早晩殺される運命にあったのかもしれない。植木枝盛(1857~1892)の自伝は語るに値しない。
設問)「お約束を明日に延ばすしかありません」をロシア語にせよ。
2012年06月10日
●和文解釈入門 第387回
「~するつもりである」という意向の提示は、完了体未来形、不完了体現在形の予定の用法、бытьの未来形 + 不完了体不定形でも示される。だから、そういう場合このような意志の用法を使うときには、この3つの用法のうちのどれかということになる。可能性として高いのは、予定の意識がないときは完了体未来形だろうが、体の選択と言う観点で見れば、「~するつもりである」だけでは自動的には体の選択が出来ないことが分かる。出張だって自分の意志で決められる出張もあるし、それに不完了体現在形が使えないという事はない。だから回りの雰囲気に対してどうかということを考えた方が体の選択を間違わないと思う。回りに振り回されないというのなら、完了体未来形が来るだろうし、場の雰囲気を読むという観点なら、不完了体が来るということになる。
普通は、回りの雰囲気に合わせるというのではなく、そういうことを頓着せずにというニュアンスだから、完了体を用いることが多いだろう。この意味の動詞がсобиратьсяと不完了体なのは、動作遂行動詞だからであろう。だから、意向を示す時は完了体未来形が来るべきで、不完了体未来形が来るのは、意向といっても、回りの雰囲気に合わせての、例えば、行きたくはないが、仕事での出張の予定であるとか、時間の長さのニュアンスがある、そういう類であろう。
設問)「冗談を言う気持ちではなかった」をロシア語にせよ。
2012年06月11日
●和文解釈入門 第388回
露文解釈で一番簡単なのは時事ロシア語や論文である。これは使われる用語が常識や、専門用語の範囲内だからである。使われる語彙が限定されているなら、その理解はより簡単であるのは言うまでもない。使われる語彙がより自由な、つまり小説のようなものの方がはるかに難しいが、会話が多く、口語や隠語が頻出すればさらに分かりにくい。だからといって、露文解釈ばかりやっていても、会話はうまくならない。会話には実践が、つまり恥をかくのを恐れない気持ちがないとうまくならない。ある程度歳がいってからでは、それも難しかろうと思う。露文解釈の年季を積むだけでは、会話は絶対にうまくならない。せいぜいのところホテルのチェックインぐらいだろう。それだって、予約が入っていませんと言われた瞬間、オタオタしてしまうのではなかろうか、そういうような場合には使い物にはならないだろうから、せいぜい挨拶程度のロシア語会話と言える。
設問)「キエフへの朝のフライトを教えてください」
「2便あります。メモのご用意を」をロシア語にせよ。
2012年06月12日
●和文解釈入門 第389回
技術通訳のときに資料をもらえるときもあるし、事前の資料もなしで、何の通訳か分からないときもある。観光ガイドのつもりで行ったら、工場見学と商談の通訳だったという事も稀にある。これまでの経験で思うのは、技術通訳の場合は、できれば何の通訳をするのか、表題だけでも教えてほしいし、できれば、機械や設備の日本語か英語の取扱説明書(取説)があれば言う事はない。通訳エージェントの方で気を利かして、ロシア語に訳した取説を事前に貰えることがあるが、他の通訳は知らず、私には不要なことが多い。ロシア語に訳されているからと言って、その訳語が100%正しいかどうかは分からないし、こちらが知りたい訳語の訳がおかしい場合が多々あるからだ。だから日本語か英語の取説を見て、不明な語彙は自分で調べる主義である。そのための辞書も手持ちで300ぐらいはあるから、ほぼこれで間に合う。
同時通訳だと、事前にもらう資料が多くなるだろうと思う。同時通訳者だって超能力者ではないのだから、事前に通訳の内容がどのようなものか、用語の範囲を知らないと、同時通訳できないのは当然である。シンポジウムの通訳するときも、講師の原稿がすでに翻訳されていて、そのまま読めばいいのか、それとも講師が必ずしも原稿通り話すのか話さないのかを知ることは非常に重要である。絶対に原稿通り話を進めるということを確認しない限り、その原稿を読んで頭には入れるが、通訳の時は見ないようにする。そうしないと、脱線した時の収拾がつかない。挙句に笑い話でもされた日にはお手上げである。私にとっては生真面目な講師か、そうでないかだけの見分けがつけばいいのである。
シンポジウムで難しいのは講演自体ではなく、その後の質疑応答である。これがこなせれば一人前だし、技術関係の通訳が出来ると言える。資料も貰うのは当然と考える通訳もいるようだが、なくても通訳できるように日頃から技術関係の本を読んでおかないと、ただでさえ少ない仕事が来なくなる。贅沢は言ってられないのである。
設問)「送付を御依頼した論文を受け取りました」をロシア語にせよ。
2012年06月13日
●和文解釈入門 第390回
一つの文でロシア語の動詞の体が正しく使われているかどうかを判断するのは、ロシア人や長年(10年ないしは20年)ガイドや通訳を経験している人にとっては難しいことではないだろう。ただこう言わないとかこういう体の使い方ではなくこうだという答えでは、体の区別についての質問をする方も困るだろう。その文やその文脈ではその体だというにすぎないからだ。しかし、教わる方にとっては、違う体は使えないのか、それとも使えるがニュアンスが変わるのか、あるいはどういう文脈ならどういう体が使えるのか、できるだけ多く用例と共に示してもらわないと納得がいかないと思う。もっというと質問者の側から、こういう場合はどういう体を使うのか、またそれはなぜかという質問に、「そうは言わないから」ではお話にならないし、勉強にも、体の用法をマスターする上での助けにもならないないことになる。つまりは10年も20年も、あるいはそれ以上の期間ひたすらロシア語の文例を暗記し、なんとなく体の用法が分かるのを待つしかないことになる。コンピューターだってなんだって、語彙もかなりの量集めれば知性をもつというからそれと同じような感じがする。しかし、人間はコンピューターではないから、20年もそれ以上もひたすら丸暗記というのもおかしな話だと思う。その打開策が文法であり、多数の文例を系統づけたものであり、それらを通しての体の用法を理解することだと私は考えている。理屈だけ理解しても、多数の文例がないと、どこまでなら使えるかの範囲が分からないからである。
設問)「アンナのところには学生時代から彼の電話番号が残されている」をロシア語にせよ。
2012年06月14日
●和文解釈入門 第391回
私はロシア語を学び始めて40年になるが、このレベルになるまでかなり遠回りの勉強をしてきたなと今になって思う。文法を一通りやってから、和露辞典を片手に和文を露訳しても、作った文がロシア人から意味が分からないとか、意味はともかくロシア語ではこうは言わないとよく言われた。これは高校時代に英語でも同じ目に遭ってきたので、それではいけないと思い、句動詞や前置詞句の丸暗記をし、慣用句、諺、その上仕事柄、技術ロシア語(船舶用語、鉄鋼用語、プラント用語、工具関係、原料用語)などを勉強した。後悔はしていないが、勉強の1/3はひたすら暗記に明け暮れたと言ってよい。少しでも和文露訳に使える短文(由緒の正しい、つまりロシア語の著作から抜き出した短文)を理屈抜きで丸暗記するのである。これは狭い分野なら効果があるが、概して効率が悪い。それに丸暗記といういうのはまともな大人がすることではないと常々考えていた。その中でもっと文法を中心に据えて、暗記する量の軽減化を図れないかと考えたのが、体の用法をマスターすることだったわけである。これは間違っていないと今でも思っている。私の経験と系統的に集めた例文によってできたのが、和文露訳における体の用法の目安である第300回の表である。第300回、第345回、370回の本文に書かれたものをまとめたものが完成したが、A4で130ページ近くになってしまった。これを読むと、確かに第300回の本文は分かりにくいなという感じはする。まあそうは言っても、ポイントは変わらない。例文をいくつか入れ替えたし、その説明を具体的に詳しくしたと言うだけである。
類義語の使い分けについては第14回に書いた本を読むのがベストだが、基本的には露露辞典の熟読に尽きる。それ以外の参考書については私のホームページの「ロシア語ガイド・通訳・翻訳で使える辞書・参考書」の最初の方に書いておいたので参照願う。それと自分なりの和露の語彙集(できるだけロシア語の例文を入れ、それにきちんとした和訳をする癖をつければそれが露文和訳の練習になる)をエクセルで作ることである。歳をとれば頭で覚えていることには限りがあるし、その語彙集があれば、いつも見直せるので安心である。私の語彙集は8万9千項目に近い。これが今や私の宝である。
設問)「もし他に何か問題が起これば、お電話下さい」をロシア語にせよ。
2012年06月15日
●和文解釈入門 第392回
ただただ熱心な投稿者のおかげでこのコーナーもまだ保っている。開始当初の目標である100回もとうに過ぎた。しかも自分のロシア語にとっても思っていた以上の成果があったと思う。毎回というか毎日回答のコメントを書くのだが、投稿者の回答には自分が見逃していた事柄へのヒントがたくさんある。だから投稿者の皆様には感謝しても感謝しきれない。だから一人でも投稿者がある以上は、あるいは手持ちの短文がなくなるまでは続けたい。投稿がなくなればそれでお役目御免ということになる。手持ちの短文もまだ少しはある。このコーナーのために集めたわけではないが、手元においても自分のためにしか使えないが、このコーナーで紹介すれば、ロシア語の力を向上させたいと考える少数でも熱心な学習者の方々に、少しは役に立つかもしれないと考えている次第である。
設問)「今日(二人で)劇に行かない?」をロシア語にせよ。
2012年06月16日
●和文解釈入門 第393回
体は話し手の意図によって使い分けることができる場合と、社会通念上、一方の体の使用が決まっている場合がある。後者の場合にそれと異なる体を使えば、礼を失するとか、突拍子もないというようなニュアンスが付加される可能性がある。これは日本語の敬語に似ている点もある。敬語の使用も上下、親疎、立場、場面、内/外、好悪によってある程度決まってくる場合と、話し手の意図によって、敬語の使い方が変わる場合があるからである。
設問)遺失物センターでよく使われる「今のところ何も届いていません」をロシア語にせよ。
2012年06月17日
●和文解釈入門 第394回
文法と聞くとアレルギーを起こす人も多いらしい。ただ文法が先ずありきではないというのは自明のことである。文法というのはその言語を体系づけようとする一つの試みに過ぎず、外国人がその体系を利用してその語学を習得するのに、役に立つはずのものである。そういう意味で、体の用法を突き詰めて考えるというのは、自分の意思を正しく、ニュアンスも含めて、相手のロシア人に伝えるための道具をマスターするという事に過ぎない。
設問)「裁判をなめちゃいけない」をロシア語にせよ。
2012年06月18日
●和文解釈入門 第395回
病院で「この問診票に書いてもらっていいですか?」と看護婦さんから聞かれた。何か依頼するときに、若いお嬢さん方が「~してもらっていいですか?」という構文を使うのを最近よく耳にする。テレビの影響なのだろう。年寄りの僻目か、聞き苦しくてしょうがない。「敬語」(菊池康人、講談社学術文庫)では、敬語の間違った例として、「~させていただく」は敬語の過剰使用であると批判している。その例に上がっているのが、
「お陰様で、今の職場にもう十年勤めさせていただいています」
「私ども○○社は、○○関係の商品の開発をさせていただいておりまして、お客様の快適な生活のために日々努力させていただいております」
これらは許可を得る必要がないのに、あたかも許可をいただいたかのような書き方だからであるという。「~してもらっていいですか?」も、依頼なのだから、
「この問診票にお書き下さい」
「この問診票にお書き願います」
「この問診票にお書きいただきたいのですが」
とすべきだが、「お書きください」と命令形にしたり、「~願います」と断定するのを避けるために、あたかも許可を必要であるかのように装って、相手を立てているのかもしれない。3つ目が一番丁寧だと思うが、敬語は使う側の感じ方次第なのだろう。いずれこのようなサービス敬語が早晩、規範になるのかもしれない。
設問)別れの際の「お話しできてうれしく思います」をロシア語にせよ。
2012年06月19日
●和文解釈入門 第396回
短文で体のニュアンスを、しかも日本語で示すのは難しい。普通、短文なら、前後の文脈がないという事で、新しい事態の生起という叙想的ニュアンスから、完了体が出やすいと感じるために、間違いが生じる可能性も高いと思う。言葉と言うのは生き物であり、前後の文脈を離れては、体の用法の規範である「意味が形式を選択する」もあったものではない。逆に言えば、体の用法の本質と規範さえ、ものにしていれば、現場で通訳したりガイドしたりする方が、このコーナーの設問に比べて、体の選択を誤ることはないとも言える。つまり、このコーナーで正解を出せるなら、実戦でもっと楽に体が使えるという事になる。
設問)本屋に「あの、トルストイの第8巻はまだ入荷して(売り出されて)いませんか?」をロシア語にせよ。
2012年06月20日
●和文解釈入門 第397回
会話でロシア語を話す場合、我々は原始人ではないのだから、動詞なしでは会話は済まされない。またバイリンガルでもないから、頭の中で母国語の日本語からロシア語に訳すことになる。そうかといって、語彙さえ知っていれば、右から左へと簡単に露訳できるかというとそうではない。日本語とロシア語は全く系統の違う言葉なのだから、日本語を外国語として客観的に見つめ直す必要があると考える。「外国語としての日本語」(佐々木瑞枝、講談社現代新書、1994年)を基に、和文露訳という面からその内容をアレンジして考えてみた。
「カレーを食べます」は、毎日か、これからかでは、動詞の体が違うし、「カレーを食べています」、「学校に通っています」、「車は止まっています」、「座っています」、「一度見ています」でも、同じ「~しています」ではあるが、ロシア語にするときには動詞の体や時制を変えなければならない。これは日本語の「~しています」が、過程、繰り返し、現在完了、状態、経験の意味を担っているからである。「~した」も「歩いた」や「歩いて来た」のように、日本語では過去と現在完了の意味がある。つまり日本語の動詞を分析的に理解して、それに対応するロシア語構文を知らないと簡単な文も作れないという事になる。これは語彙だけの問題ではない。我々は日本人だから、日本語の具体的な文の意味もニュアンスも分かるし、分析的に考えることができる。だから、このような和露の分析的な対応する構文表があれば、後は、話し手が日本語で何を、どのようなニュアンスで伝えたいのかを分かりさえすればよいことになる。つまり、体の本質を理解することにより、対応の体を日本語の構文分析表に当てはめていけば、ロシア語にすることは難しいことではない。
しかし、ロシア語の会話をマスターしようとする人は、できるだけ語彙と文例を覚え、その文例から応用して自分なりに会話をひねり出そうとしてきたし、今もそうである。そのまま文例が使えればなお結構という具合である。落ちこぼれる人がほとんどだが、中には運と根性に恵まれ、上達する人も少ないながらいる。しかし、これが、二十歳を超えた、あるいは越えなんとする人の勉強法だろうか?こういう迂遠な、場当たり的な学習法ではなく、より根源的な、体の本質に迫る学習法の方が、落ちこぼれのない学習法なのではないかと確信している。そこで、先学の業績を基に、自分なりに40年以上かけて集めた文例を、動詞という観点から和文露訳用に、三つの時制(未来、現在、過去)と二つの法(不定法、命令法)を中心にして、系統的に整理した構文表が本コーナー(第300回、第345回、第370回)に試みとして載せてある。体の本質の理解に少しでも役立つとよいと心から願っている。
設問)「明日お閑でしたら、市内観光に連れて行っていただけませんか?」をロシア語にせよ。
2012年06月21日
●和文解釈入門 第398回
「外国語としての日本語」(佐々木瑞枝、講談社現代新書、1994年)によれば、日本語を学ぶ外国人の理解しにくい構文として、迷惑(被害)の受け身というのがあるという。「木が倒された」というのは、能動態として「(だれかが)木を倒した」とできるから、これは通常の受け身(直接受け身)である。ところが、「雨に降られた」は能動態に直せない。このようなものを迷惑(被害)の受け身(間接受け身)というのだとある。これをロシア語にしてみよう。Я попал под дождь.などどうであろう?попастьはоказаться(その場にいる〔ある〕ことになる)という意味だが、通常は偶然とか、予期に反してというニュアンスである。完全にうまく訳せるとは思わないが、これなども候補の一つになりうると思う。この他にподвергаться/подвергнутьсяもиспытать на себе действие(自分に何かの作用を受ける)という意味だが、その作用というのは好ましくないことが普通である。Мой дом больше всех подвергался ветру.(私の家はどこよりも風にやられた)というような文も可能である。
市販の和露辞典には、類義語の使い方について記載がないとかという問題の他に、語彙の露訳がほとんどで、日本語の構文自体には目を向けて来なかったということも欠点としていえる。あたかも、それは文法書の管掌範囲であるといわんばかりである。ところが、文法書は文法書で、露文解釈ばかりに目が行くものだから、日本語とロシア語の時制や法(命令法や不定法)の用法の違いについて、和文露訳の観点からはほとんど説明していないように思われる。ロシア人と意思を交わす上で、露文解釈も和文露訳も両方必要なわけで、これまでほとんどなされているとは思えない和文露訳の視点に立った学習法の確立が必要だと考える次第である。そのためには日本人だから日本語は当然理解しているという観点ではなく、日本語とロシア語の構造的な差異に注目した指導法を確立しないと、いつまでたっても挨拶程度のロシア語だけで、ロシア人に自分の考えを伝えるという、コミュニケーションという道具としてのロシア語が使えないままであると思う。日本語自体を客観的に見つめるには、外国人に教える日本語というのが大いに参考になる。自分なりに思うのだが、その根幹となるのが、時制であり、命令法や不定法であろう。
設問)「彼らにどう対処すべきか明日決めなければなりません」をロシア語にせよ。
2012年06月22日
●和文解釈入門 第399回
日光の三猿というのは有名だが、パロディーとして三猿にさらにもう一匹加えることがあると聞いた。その猿は「し猿」と呼ばれ、股間を両手でおさえている。「し猿」は、「しざる」(汝、姦淫するなかれ Не прелюбодей.)と「四猿」をかけたものである。エイズСПИДが世界的に問題視された際には、お尻をおさえた「五猿」も現れたという。さすがにこういうのはどうかとは思うが、御縁がないようにとか、そうで誤猿かなどとすぐ漢字が浮かぶのは我ながら困ったものだ。ただ漢字はロシア語のアネクドートのкаламбур(語呂合わせ、ダジャレ)の訳に部分的には使えるはずというのが私の持論でもある。
設問)「タバコを喫ってもかまいませんか?」をロシア語にせよ。
2012年06月23日
●和文解釈入門 第400回
приходить в себяについて第173回に書いたが、Он начал приходить в себя.(彼は意識が戻り始めた)という文を見つけた。приходитьは過程を示せないが、抽象的な意味の時(意識が戻る、気がつく)では、過程の意味で使えると原求作先生は書かれている。しかし、意識が戻るというのは、一直線で戻るのだろうか?つまり過程として捉えられるのだろうか?気がつくというのは、意識が戻ったり、戻らなかったり、そういう意味で意識と無意識の境を往復しながらという風に理解して、ロシア語ではприходитьが用いられているのではなかろうか?
設問)「アレクセイ・イワノーフは1720年ごろ父を亡くした」をロシア語にせよ。
2012年06月24日
●和文解釈入門 第401回
(158) 「戊辰物語」、東京日日新聞社会部編、世界ノンフィクション全集50、筑摩書房
1964所載。戊辰戦争後60年を経ての聞き書き。聞き手には落語家の小さん、彫刻家の高山光雲などがいる。戊辰戦争およびその前後の庶民の暮らしぶりなどがよく分かる。かつて東京日日新聞(後の毎日新聞)の記者だった子母澤寛は本書を作品によく用いている。
(159) 「幕末おろしあ留学生」、宮永孝、ちくまライブラリー、1991年
ロシア領事ゴシュケーヴィチなどの勧めにより1866年ペテルブルグに幕府より派遣された6名の留学生について。ゴシュケーヴィチが留学生の生活費をピンはねしたのではないかとか、ゴンチャローフが教師としてこれら留学生を教えたなど興味深い。彼らは結局高等教育をペテルブルグで受けることはできず、一人は1867年、残りも一人を除いて1868年帰国した。橘耕斎についても記載ある。
(160) *「高橋是清自伝」(2巻)、高橋是清、上塚司編、中公文庫、1976年
高橋是清(1854~1936)は1867年アメリカに赴き、苦学して(知らずして3年の奴隷の身に落とされたり)1868年末帰国。森有礼やフルベッキの世話になる。日本銀行に入社、後蔵相。二・二六事件で凶弾に倒れた。酒豪であり、豪胆な人柄のようである。若い時には横浜でボーイとして住み込みで働いていたときに、ネズミ取りでネズミをとらえ焼いてビフテキにして食べたとか、1871年ごろ吉原の金瓶大黒という妓楼で小少将という花魁に、八犬伝の仁義礼智信をもって若い人の来るところではないと諭されたりした。ちなみに彼女の部屋には客が読むかもしれぬとてウェブスターの大辞典やガノーの究理書が置かれてあったという。モーレー博士の通訳として勝海舟を訪れたときに、勝はモーレーに高等数学について問い合わせ、高橋がこの通訳ができなかったので、勝はオランダ語と紙に書いて質問した由。モーレーは勝のことを非常にほめたと言うが、勝流のはったりのような気がする。以降是清は通訳するのが嫌で勝のもとを訪ねなかった。このとき最初に出迎えたのは勝の三女逸だった。植物学者の矢田部良吉に森有礼と随行しての米国行きを譲った。このとき森は矢田部のことを狡猾なような風があると評し、矢田部自身もその慧眼に驚いたという。牧野富太郎(1862~1957、牧野富太郎自叙伝、講談社学術文庫、2004年)やクララ(後述)との経緯を見ればなるほどと思われる。ペルー銀山の失敗など浮き沈みの多い人生だが、率直で、誰の前でも無遠慮にものを言うのが疎まれた場合もあるが、私心はなく、常に国や公のことを考えていたという事がよく分かる。なんでも一から勉強し、人間関係も含め細かいところに注意を払い、疑問を疑問のままにしておかなかったことに高橋是清の成功の秘訣があることが本書を読めばよく分かる。高橋是清が暗殺されたときに夫人が暗殺者に対して卑怯者と言ったと言うが、全くその通りで、本当に惜しい人を亡くしたと思う。
(161) 「イタリア使節の幕末見聞記」、V・F・アルミニヨン、大久保昭男訳、講談社学術文庫、2000年
1866年訪日したイタリア使節の日本見聞録。蚕卵紙の買い付けへの道をつけることが使節の狙いだったというのは知らなかった。
設問)「甲板のどのくらいの高さでホバリングするつもりですか?」をロシア語にせよ。
2012年06月25日
●和文解釈入門 第402回
приходитьが抽象的な意味でも過程の意味を示せないということについて、たまたまШаг за шагом работа на месте крушения стала приходить к концу.(徐々に転覆現場での仕事は終わりに近づき始めた)という文を見つけた。これは一つの段階ごとに、その段階に達していることが繰り返されているように思われる。つまり、これも過程を意味していないように思われるのでприходитьの用法とは矛盾しないと思う。
設問)「奴があんたに雷を落としても、俺は警告したからな」をロシア語にせよ。
2012年06月26日
●和文解釈入門 第403回
「日本語」(金田一春彦、岩波新書、1988年、2巻)の中に、英語で表せない日本語の表現というのが出てきた。二つあって、一つは、「レーガンは何代目のアメリカの大統領ですか?」である。これは、「リンカーンは15代目の大統領である。レーガンはいかが?」となるとある。ロシア語では表現できないのだろうか?何代目かというのは何番目かということであり、これは第300回で出題してある。これを使って、Который Рэйган по счёту президент США?となるはずだ。
もう一つは「今日はどこどこへ行きましたか?」である。英語では「どこに?Where?」としか、つまり単数でしか表現できないということらしい。これもロシア語では、По каким местам вы ходили?でよさそうに思うがどうだろうか?ただсегодняという時間を示す副詞と不完了体過去形をつけるのはどうかなという気もする。かといって対応する完了体はないし、この文脈で完了体過去形が使えるとも思えない。
一方日本語には関係代名詞がないので不便なこともあり、その例として、I have nothing with which I eat the meal.を挙げている。これなどは、「ご飯を食べたいが箸もない」とでも言い換えるしかないのだろう。ロシア語なら、У меня нет ничего, которым я ем пищу.とでもなるのかもしれないが、何か人工的な気がする。
「私がルーヴルで見ていたく感激した記憶がまだなまなましいあの名画が、今度はるばる海を越えて上野へやってくる」というような関係代名詞が二重に使われる文は、英語に訳そうとするとうまくいかないということも書いている。関係代名詞も万能ではないらしい。和文自体がくどい感じなので、好きな文章ではないし、通訳するとしたら、二つぐらいに文を分けるとは思うが、一応直訳すればこうなる。Из-за далёкой границы идёт на выставку в Уэно шедевр живописи, который в Лувре на меня произвела ещё неизгладимое впечатление.
設問)「おはきの靴のメーカーはどこのですか?」をロシア語にせよ。
2012年06月27日
●和文解釈入門 第404回
「生きた日本語を教えるくふう」(佐々木瑞枝、小学館、2003年)の中に、日本語の動詞には、止まるや終えるなどの瞬間動詞と、走るや食べるなどの継続動詞の2種類があって、「~している」という助動詞をつけてみると、前者は現在完了であり、後者は過程を示しているというようなことが書いてあった。日本語を外国人に教えるときには、このように分析的に考える必要があるということのようである。振り返って、会話における和文露訳を考えてみると、我々はバイリンガルではないから、頭の中で日本語からロシア語へ翻訳していることになる。そうなると、名詞、代名詞、形容詞などは格変化を別にすれば、基本的にそのまま覚えればいいのだが、動詞については、日本語を分析的にとらえないと、露訳できないということになる。これまではよく使う動詞をできるだけ例文ごと丸暗記してきたが、かなりの数の例文を覚えないと、いろいろな状況には対応できないことになる。
「~します」というのは、繰り返しか、意志かの判断だけすればよいか思われる。「いつも」なら不完了体現在形であり、これからの動作なら、完了体か不完了体かは別にして未来時制とすればよさそうだ。「私はカレーを食べます」という文で、毎日というニュアンスなら不完了体現在形のестを、個からの動作ならсъемかбуду естьを体の用法に合わせて選べばよい。ところが、同じ「~します」でも、「(毎日)~を私はお知らせします」や「~を私はお知らせします」なら、соощаю不完了体現在形であり、「(後ほど)~を私はお知らせします」сообщимなら完了体未来形を使う。こういうのも本コーナーで体の用法の本質をマスターすれば簡単に理解できるようになる。
設問)「父称は名の後に、名字の前に来る」をロシア語にせよ。
2012年06月28日
●和文解釈入門 第405回
日本語の動詞にはには辞書形(終止形)とます形があるが、二人称であれば、「明日来る?Ты придёшь завтра?」と「明日来ますか?Вы придёте завтра?」のようにтыとвыに対応した訳が可能だと思う。同じことは敬語を使うか、使わないかでも同じである。日本語では人称による動詞の活用はないが、敬語による人称暗示機能というものはある。「お買い物ですか?」と言えば、対応する主語はвыということになる。このような点を、これまで和文露訳では日本人であれば当然分かるとでも考えたのか、教えて来なかったように思う。
露文和訳において、выがあれば、「あなた」と訳すのが定番だが、「あなた」は日本語では目上には使えないと考えた方がよい。目下や同輩への丁寧表現である。同輩の人に使うにしても、切口上的な、冷たい感じを受ける。未来時制の文に対しても、「~だろう」と、現在時制ではないと、訳している本人は正しく理解しているつもりだよということを示すだけのために、日本語の語法を無視した、国語学者や日本語学者が聞いたら憤慨するようなことを学校でも教えるのはいかがなものか。日本語では「~だろう」は推測であって、未来時制を示すものではない。「明日買い物に行く」と「明日買い物行くだろう」は意味が違う。日本語では辞書形(終止形)で、現在の繰り返しと未来の意志を示すというのは素人でも分かることだ。若い人に変な日本語を教えて、日本語を勝手に崩すのは許されることではない。語学をやるのであれば、母国語に鈍感であってはならないはずだ。
和文露訳と言えばロシア人の先生に任せきりで、そういう先生は日本語が堪能とはいえ、敬語を教えるほどではないし、教わる方の生徒にせよ、敬語の知識がそのロシア人の先生とどっこいどっこいだからということもある。和文露訳はロシア語が話せるだけでも、日本語が話せるだけでもいけない。両方の言語を分析的にとらえ、生徒のあらゆる質問に答えるだけの覚悟が要ると思う。これは覚悟であって、全部の質問に答えられるということではない。生徒の質問に答えられるよう先生の方も必死の努力が必要だということである。だから授業では生徒にロシア語に対していかに疑問を持たせるかというように、授業を持っていくかかが大切である。疑問は成長の素である。
設問)「この回のジャンプでベスト(の記録)を出したのはだれですか?」をロシア語にせよ。
2012年06月29日
●和文解釈入門 第406回
遊ぶはигратьだが、設備などの遊休の場合にはОборудование простаивает (играет).(設備が遊んでいる)と言う。人が行方不明になるはпропасть без вестиだが、手紙が行方不明になったはПисьмо затерялось.という言い方をする。計画はпланだが、проектも同義である。ただпроектには設計、建築計画という意味と、原案(ドラフト)という意味もある。計画という意味ではпрожектは廃語で、現在では実現不可能な計画の事を指す。輸送関係で使うロットというのは荷口のことで1回の積荷ということであり、ロシア語ではпартияである。個口というのは荷物における箱やスーツケースなどの数で、ロシア語ではместоという。こういうのは日本語の助数辞に近い。助数辞については300回の表のffff) や第45回本文参照。
設問)「それは1893年11月9日火曜の晩のことだった」をロシア語にせよ。
2012年06月30日
●和文解釈入門 第407回
「おかけください」を露訳するときに、必ず、Садитесь. Присаживайтесь.(少しの間座れというニュアンス) Подсаживайтесь.(回りにとか、近くに座れというニュアンス)と不完了体命令形で言わなければならないのだろうか?子供向けの本に、「ヴルンゲリ船長の冒険Приключения капитана Вругнеля, А. Некрасов」というのがあり、邦訳もあるそうだから、ご存知の方もいるかもしれない。児童書というのは、会話文も多く、会話の和文露訳をマスターしたい人には精読して、いろいろな表現を収集するには絶好である。ヴルンゲリ船長はヨットで世界一周をしたという豪のものだが、今や航海学校で教えている身の上。生徒からは航海などしたことがないのではないかと疑いの声も聞かれる始末。あるとき風邪をひいて学校を休んだ時に、成績簿を取りに級長が船長の家を訪ねる。部屋の中に色々ある航海の記念品を見て、その生徒が、А вы разве плавали?(本当に航海をなさったことがあるのですか?〔典型的な動作の有無の確認、名指しの用法の経験〕)と言うと、憤慨した船長は長話をしようとして、生徒が立ったままであるのに気付き、Да вы присядьте ...と声をかける。この訳は「まあまあ座ってください」とか、「おやおや〔気がつきませんで〕、座ってください」でもよいが、要するに、船長としては、急に相手が立ちっぱなしだという事に気がついて、それまでとは違う動作である、場独立型の完了多命令形を用いたというわけである。このように相手も座るのが当然とは思っていないだろうと話し手が見なす(相手が本当のところどう思っているかは分からないし、それを考慮しない)ときに、完了体命令形は使われる。
課長が部下を席に呼んで話を聞くときは、部下は立ったまま話をするのが普通である。ところが、課長の方で話が長くとなる思えば、Сядь.(まあ座れよ)と完了体命令形が出てくる。部下が座ることを予想していないということを課長は知っているからである。
同様に、混んだ電車で取引先のお客さんと立っているときに、空いた席を見つけたらその人に、上記同様Сядьте.というはずだ。このように、「お座りなさい」はСадитесь.と馬鹿の一つ覚えのようにしていると、生きたロシア語が永久に分からないことになる。それに対処するには、場面転換と状況把握が分かりやすい、また会話の文も多い児童文学の精読というのも一つの方法だと思う。
設問)「(いくつかの)問題の話し合いの方に移りましょうか。そのためにお見えになったのでしょうから」をロシア語にせよ。