2012年06月24日
●和文解釈入門 第401回
(158) 「戊辰物語」、東京日日新聞社会部編、世界ノンフィクション全集50、筑摩書房
1964所載。戊辰戦争後60年を経ての聞き書き。聞き手には落語家の小さん、彫刻家の高山光雲などがいる。戊辰戦争およびその前後の庶民の暮らしぶりなどがよく分かる。かつて東京日日新聞(後の毎日新聞)の記者だった子母澤寛は本書を作品によく用いている。
(159) 「幕末おろしあ留学生」、宮永孝、ちくまライブラリー、1991年
ロシア領事ゴシュケーヴィチなどの勧めにより1866年ペテルブルグに幕府より派遣された6名の留学生について。ゴシュケーヴィチが留学生の生活費をピンはねしたのではないかとか、ゴンチャローフが教師としてこれら留学生を教えたなど興味深い。彼らは結局高等教育をペテルブルグで受けることはできず、一人は1867年、残りも一人を除いて1868年帰国した。橘耕斎についても記載ある。
(160) *「高橋是清自伝」(2巻)、高橋是清、上塚司編、中公文庫、1976年
高橋是清(1854~1936)は1867年アメリカに赴き、苦学して(知らずして3年の奴隷の身に落とされたり)1868年末帰国。森有礼やフルベッキの世話になる。日本銀行に入社、後蔵相。二・二六事件で凶弾に倒れた。酒豪であり、豪胆な人柄のようである。若い時には横浜でボーイとして住み込みで働いていたときに、ネズミ取りでネズミをとらえ焼いてビフテキにして食べたとか、1871年ごろ吉原の金瓶大黒という妓楼で小少将という花魁に、八犬伝の仁義礼智信をもって若い人の来るところではないと諭されたりした。ちなみに彼女の部屋には客が読むかもしれぬとてウェブスターの大辞典やガノーの究理書が置かれてあったという。モーレー博士の通訳として勝海舟を訪れたときに、勝はモーレーに高等数学について問い合わせ、高橋がこの通訳ができなかったので、勝はオランダ語と紙に書いて質問した由。モーレーは勝のことを非常にほめたと言うが、勝流のはったりのような気がする。以降是清は通訳するのが嫌で勝のもとを訪ねなかった。このとき最初に出迎えたのは勝の三女逸だった。植物学者の矢田部良吉に森有礼と随行しての米国行きを譲った。このとき森は矢田部のことを狡猾なような風があると評し、矢田部自身もその慧眼に驚いたという。牧野富太郎(1862~1957、牧野富太郎自叙伝、講談社学術文庫、2004年)やクララ(後述)との経緯を見ればなるほどと思われる。ペルー銀山の失敗など浮き沈みの多い人生だが、率直で、誰の前でも無遠慮にものを言うのが疎まれた場合もあるが、私心はなく、常に国や公のことを考えていたという事がよく分かる。なんでも一から勉強し、人間関係も含め細かいところに注意を払い、疑問を疑問のままにしておかなかったことに高橋是清の成功の秘訣があることが本書を読めばよく分かる。高橋是清が暗殺されたときに夫人が暗殺者に対して卑怯者と言ったと言うが、全くその通りで、本当に惜しい人を亡くしたと思う。
(161) 「イタリア使節の幕末見聞記」、V・F・アルミニヨン、大久保昭男訳、講談社学術文庫、2000年
1866年訪日したイタリア使節の日本見聞録。蚕卵紙の買い付けへの道をつけることが使節の狙いだったというのは知らなかった。
設問)「甲板のどのくらいの高さでホバリングするつもりですか?」をロシア語にせよ。
На какой высоте над
палубой вы
намереваетесь
зависать ?
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惜しいですね。何か思考の息切れという感じです。不定法では、何か新しい具体的な1回の動作には、完了体不定形が用いられ、繰り返しには不完了体が用いられるというのが原則です。もし設問が「ホバリングしている」であれば、状態ですから、висетьを使うことになります。зависатьには動作の意味の繰り返しか、総称時(一般的にはというような意味です)で用いるので、この場合は不適です。私の答えは、На какой высоте думаете зависнуть над палубой? この設問に対する答えはнадの繰り返しを避けて、
В 20 м от палубы.(甲板から20メートルのところです)というふうにもできます。
На какой высоте над палубой вы планируете зависнуть в воздухе?
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正解ですが、планироватьは~するつもりというよりは、長期的な計画する(予定する)という意味なので、この場合はどうかなという気はします。
На какой высоте над палубой вы будете выполнять висение ?
今日からまた復活させていただきます。ご教示よろしくお願いいたします。
今回は、動詞に文の中心的意味がないので不完了体未来形を使っています。
「~するつもり(意向の提示)」の意味でも不完了体が使えると思いますし、
またホバリングという動作は一定時間空中にとどまっているという意味でも
不完了体ではないかと思いました。
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выполнять висениеという語結合は聞いたことも見たこともありません。будет + 不完了体で「~するつもりである」という意味になるには、雰囲気的にそのような動作をするのが自然であるという、不完了体の場依存型の用法が当てはまるかか(この場合は短文ですから何とも言えません)、ないしは、疑問詞の方に文のアクセントがあると考えるかですが、後者の方が納得いくと思います。その場合はзависатьとすべきです。いずれにせよбудетеを使って意向の意味を示すには、上記のような制限がありますから、собираться + 完了体不定形などを使うほうが、誤解が少ないと思います。
動作の名指し(動作の有無の確認)には、過去時制では大概の不完了体(多回体は繰り返しの意味がないと使えないでしょうが)が使えます。ところが、瞬間動詞は完了体未来形を使うということもあり、我々にはどの動詞が、ある程度の期間を示せるのかどうか、瞬間動詞なのか、そうでなにのかを、通訳の時に瞬間的に判断するのかが、かなり語彙のある人にとっても非常に難しいと思います。それで具体的1回の動作ならсобираться + 完了体不定形としたほうが、通訳の時には楽だと思います。
このごろ思うのですが、不完了体未来形というのは、1回の具体的動作では、動作の名指し(動作の有無の確認)に使われるのであって、意向という意味は付随的に(ニュアンスとして)分かる場合もあるというふうに理解しています。ですから、不完了体未来形を積極的に意向の意味で使うというのは、неを伴う否定の意志の場合を除いて、不完了体そのものの本質的な意味である場依存性と矛盾すると考えています。それは私の回答に不定法で完了体不定形を用いていますが、これこそ完了体の用法である場独立型の典型的用法だと考えるわけです。
По какой высоте палубы будете
зависать в воздухе?
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体の用法の方はよいと思いますが、お答えだと、「甲板の高さについて」という感じです。На какой высоте над палубой (от палубы)とすべきです。いずれにせよ、いつも書いているように、語彙の問題は大したことではありません。体の用法の感覚がつかめるかどうかです。こちらの方は間違いなく進歩しています。
ただ「~するつもりです」というのにбытьの未来形 + 不完了体は使い方が難しいものです。未来における繰り返し、未来におけるある程度時間のかかる動作、否定の意志 (неとともに)、交渉などのやや硬い文脈で機能動詞、疑問文における未来における動作の有無の確認などは出やすいと言えますが、平叙文で意向を示したいのなら、собираться + 完了体不定形(1回の具体的動作であって、繰り返しやある程度の時間にわたる動作なら不完了体不定形)を勧めます。