2012年06月23日
●和文解釈入門 第400回
приходить в себяについて第173回に書いたが、Он начал приходить в себя.(彼は意識が戻り始めた)という文を見つけた。приходитьは過程を示せないが、抽象的な意味の時(意識が戻る、気がつく)では、過程の意味で使えると原求作先生は書かれている。しかし、意識が戻るというのは、一直線で戻るのだろうか?つまり過程として捉えられるのだろうか?気がつくというのは、意識が戻ったり、戻らなかったり、そういう意味で意識と無意識の境を往復しながらという風に理解して、ロシア語ではприходитьが用いられているのではなかろうか?
設問)「アレクセイ・イワノーフは1720年ごろ父を亡くした」をロシア語にせよ。
Posted by SATOH at 2012年06月23日 06:44
コメント
Алексей Иванов
потерял отца где-то
в 1720 году.
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正解です。私の答えは、Алексей Иванов остался без отца около 1720 года.
Posted by ブーチャン at 2012年06月23日 07:15
質問に答えて下さりありがとうございました。
У Алексея Иванова умер отец около 1720 года.
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発想の転換ですね。正解です。この設問のポイントはアオリストが使えるかどうかです。
Posted by Ml at 2012年06月24日 00:13
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