2008年02月11日

●新帯研 第1回

しばらく帯研を休んでいたが、その間に書き溜めたものも少しはできたので再開してみようと思う。今回のテーマは露露辞典である。なぜ露露辞典を引けというかというと、例えばкладоваяという単語を見つけて、露和を引けば「倉庫、貯蔵庫、物置、納屋、埋蔵地」とある。似た単語でскладの和訳は「倉庫、置き場」とある。同義語だろうか?そうかもしれないが、単語がまったく同じなら二つは要らないはずで、ニュアンスに違いがあるのではなかろうかと考えて、行き着く先は露露辞典ということになる。кладовая – помещеине для хранения продуктов питания, а также для товаров, сырья, различных материаловとあり、склад – специальное помещение для хранения товара, материалов, сырья, оборудования и т.п.とある。ここから分かるのは、露天の置き場には双方の単語とも使えないようだということと、кладоваяは食料品の倉庫、складは商品の倉庫で、機械設備の倉庫という事が分かる。一通り文法を終えた初級者はどうかというと、露露辞典の単語の定義は簡潔で分かりやすいので、単語の意味をロシア語即座に理解する訓練に最適である。今回の課題は、
На официальном приёме жена замечает, что муж то и дело подходит к стойке со спиртными напитками.
- Послушай, - говорит она, - ты уже девятый раз подходишь к стойке. Что о тебе люди подумают?
- Не беспокойся, дорогая, а каждый раз говорю, что беру бокал для тебя.
課題1)замечает, подходитを過去形にできるか。
課題2)和訳せよ。

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●新帯研 第2回

ロシアの民話を読んでいると、悪魔も結構ユーモラスである。キリスト教が10世紀に国教となったためにそれまでの土俗の神が悪魔となったからかもしれない。しかし悪魔は人に害をなすというのを生きがいあるいは信条としているのだろうか。神の教える事の反対をするのが悪魔なのだろうか?ことはそれほど簡単ではないと思う。神の教えも絶対的なものであり、こういうものに逆らうというのが原点ではあろうが、やはり自分勝手とかアナーキーというものが悪魔の本質にあるのではないだろうか。つまり人にとって善であろうが、悪であろうが、それは悪魔には関係なく、自分の気ままに行動するというのが悪魔の本質で、そういうのを神に代表される秩序ある社会は嫌うのであろう。また常に気ままに振舞うというのも、一つの固定した信条であり、予想もつかないように、あるときは気ままに、あるときは予想通りに振舞うのが悪魔の本質ということになれば、なんのことはないそれは我々凡人の日々していることではないか?我々日本人は社会のルールを守って生活しているとはいうものの、善をなすとか悪を行うなどと特に考えて生活しているわけではないのだから。今回の課題は、
На морским пляже загорают двое мужчин, глядя как по волнам на водных лыжах несётся красавица-женщина.
- Вот бы такую поцеловать, - мечтательно говорит один.
- Да хоть бы её ноги погладить! – вторит другой.
Неожиданно девушка падает и начинает тонуть. Оба бросаются в воду, несколько раз ныряют, наконец – девушка у них на руках. Положили её на песок, один поцеловал, другой погладил ноги.
- Тьфу, какая она холодная, а изо рта гнилой запах!
- Да и кожа какая-тодряблая, противная!
- Постой, а ведь она на лыжах была, правильно?
- А почему уже эта на коньках?
設問1)5行目падает и начинаетを完了体にする事は可能か?
設問2)和訳せよ。

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●新帯研 第3回

15年前に買ったマヤコフスキー集全2巻の1巻目を読んだ。個人的にはロシア詩はБатушков, Пушкин, Лермонтов, Баратынский, Некрасов, Тютчев, Фет, Блок, Ахматоваなどの抒情詩のほうが好きである。マヤコフスキーの詩はあまりにも独創性があふれているし、イデオロギー臭もある。ただサイトの題名などには彼の詩をもじったものもあるし、小話のオチに出てくることもあるので、一通り読むことにした次第。彼の詩は嫌いだが、Мое открытие Америки, Я самなどの散文のほうは、文章が簡潔できびきびしていて好ましい。詩についても詩集は100冊ぐらい持っているので、のんびり読んでいこうと思う。後5年か10年したら、ロシア詩についてもピント外れでないような感想が言えるかもしれない。今の段階では好き嫌いぐらいである。最近「ロシア詩鑑賞ハンドブック」(中沢敦夫、群像社、2005年)を買った。詩を勉強しようと思ってよい参考書がないかこの5年ほど探していたので、見つかって本当によかった。一読したが、時間をかけて再読、三読するつもり。非常によい参考書だが、あえて重箱の隅を突っつくとすれば(крохоборничать)、ロシア詩では力点が重要な要素であるにもかかわらず、人名の日本語表記が力点を示していないものが多いのが不満である。プーシュキンやレールモントフは力点通りなら(表記法が定まっているからというのかもしれないが)、フレブニコフ、デリヴィグ、イリヤもフレーブニコフ、ジェーリヴィク、イリヤーと書くべきではないか。ロシア語の地名や人名表記はできるだけ原音に忠実にあるべきだと思う。それとレールモントフの詩の鑑賞でТучиを「雲」と訳しているが、雲はоблако/облакаだとか野暮なことをいっているわけではなく、Парус という詩に対比させているというなら、Белеет парус однокийという白のイメージに対して「雨雲」か「黒雲」と訳すべきではないか?雲なら普通は白雲をイメージするように思えるので一言書いた次第。この文を書いてから3ヶ月経った。今はФетを読了してКольцовを読んでいる。この後はМандельштамの予定。意味はすぐ分かるものの、雰囲気や語感は読んですぐという味読している感じはない。ただ何となく読み流している感じである。5年ぐらいすれば味わえるようになるのだろうか?
Один спросил на улице другого:
- Вы где колбасу брали?
- Да вон в том магазине.
- А народу много?
- Да никого. Даже продавца.
設問1)2行目бралиをвзялиに代える事は出来るか?
設問2)和訳せよ。

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●新帯研 第4回

今の若いサラリーマンは時間がないため、ニュースもネットでキャプションだけ流し読みして世の中の動きを調べるぐらいで済ませることが多いようだ。情報の質よりはその伝達スピードを重視しているように見える。多くはそれでよいのだろうが、世の中白黒はっきり分かれることはあまりないわけで、マスコミのキャプションに乗せられないためにも、ある問題について深く突っ込んだ記事を読む癖をつける必要がある。ロシア語の専門家だから、ロシアとせいぜい日本の新聞やテレビを見ればよいというのはおかしい。英語が国際語であり、タイムなど読めるように、またCNNなどを毎日見るようにしておけば、ロシアや日本に対してもより世界的視野から、政治、経済、社会、文化、歴史、科学技術などあらゆる分野の物事を客観的に見ることができるというものだ。私は30歳からタイムをcovet to coverで読み始め、この10年間CNNやBBCもニュースを毎日30分は見るようにしている。ロシアのマスコミも偏見があり、日本の新聞やテレビもそうだということがよく分かる。タイムとCNNは私にとってよい導きの書である。
一般の日本人はロシアのことについてもニュースの1行程度の情報ぐらいしか知らない。我々ロシアの素人専門家は、プロの専門家のやらないような、例えばロシアの大衆文化を研究し、日本の庶民に紹介してゆくためにプロの読み手となったらどうだろう?そうであれば、そのためにこそロシア語の俗語や隠語を極める必要があるのだと思う。今回の課題は、
На пустынном морском пляже одинокий мужчина встречает девушку:
- Скажите, здесь по близости есть милиции? – спрашивает он.
- Да нет здесь никакой милиции – отвечает девушка.
- Тогда раздевайся!
設問1)最終行のраздевайсяを完了体命令形に代える事ができるか?
設問2)訳せ。

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●新帯研 第5回

学校の英語の先生で英語が話せない先生が相当数いるというが、ロシア語ではどうだろう?会話さえできればよいとは思わないが、ロシア人とまともに会話が出来ない先生は、生徒の信頼や信用を得られまい。少なくとも自分の専門(ロシア語教育論、チェーホフ論など)でロシア人の専門家と丁々発止とロシア語でやりあえないような先生方は生徒の尊敬を得られないだろう。自分ができないものをどうして生徒に教えることができるのだと普通生徒が考えるのではないだろうか。またそのために日々ロシア語を切磋琢磨するような人でないと生徒がついてこないと思う。
Штирлиц выглянул в окно и увидел, что немцы ставят танк на попа. «Бедный пастор Шлаг», - подумал Штирлиц.
設問1)和訳せよ。
設問2)オチを解説せよ。

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2008年02月13日

●新帯研 第6回

ロシアについてはいろいろ欠点もあるのは周知の事実だが、欠点をあげつらうだけでは意味がない。我々外国人としては過去・現在のロシアについてわが国にはないよいものについて学べばいいのである。私が考えるには、その一つは、多民族国家としての経験である。日本は単民族国家であるが、国際協調の時代他国の人とのあらゆる面での付き合いなしには国が成り立たない。二つ目は、日本でも広がりつつある所得格差である。三つ目は貧乏であるという現実との折り合い(よく言えば精神的ゆとり)ではないかと思う。たんに長生きできればいいということではなく、人間らしく生きがいを持てるかということであろう。ロシア人がこれらに優れているというのではなく、我々と対処の仕方が違うのであり、それがこれからの日本にとって参考になるかもしれないと私は考えているのである。言い訳がましいがロシア人の酒についてだが、回教徒は酒を飲んではいけないので、憂さを晴らすものがない(麻薬はあるが)。そのため過激な行動に走る。だがロシア人には酒があるという話を最近読んだ。今回の課題は、
В магазин заходит мужчина и говорит:
- Дайте мне бутылочку минеральной.
Продавщица:
- С собой?
Покупатель:
- Нет, без вас.
設問1)和訳せよ。オチを別に解説してもよい。

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2008年02月19日

●新帯研 第7回

どんな簡単に見える参考書でも使い道はある。ロシア語の文例には和訳が施してあるのが普通だから、露文を見ずにその和訳から露訳してみる。全ての文例で同じような訳になればその参考書はその学習者にとって不要だということが分かる。学習者は参考書を露文解釈の面だけから判断していないだろうか?参考書として出版されるものは露文も吟味されているはずだ。一見簡単に見えるからといって、それで参考書を馬鹿にして放置しておくというのはまったくもったいない話だ。今回の課題は、
В кабину пилота врывается террорист:
- Летим в Швецию!
- Нет, в Кушку!
- Почему?!
- Спроси у той бабки с гранатомётом!
設問)和訳せよ。

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2008年02月24日

●新帯研 第8回

本を一生に1冊ぐらい書くのはだれでもできるということを読んだことがある。その通りであろう。ただ2冊目からが難しい。机につけば自然に筆が(あるいはコンピューターのキーボードが)動き出すというわけにはなかなかいかない。筆者は自転車での散歩中、起きぬけ、床についてから、翻訳中、電車の中でなど、とにかく何か思いついたら語句だけでもよいから書き留めておく。それをその日のうちか翌日、あるいは1週間後でも時間のあるときに文章にしておく。経験から一つの語句から3~5行ぐらいにはなる。こうして書き留めておいたものを書き溜めるわけだ。週に3回ぐらいは自然にそういう風に書くようにしている。1週間ぐらい何もアイデアが出ないことも多いが、万が一のために常住坐臥ボールペンとメモ用紙は手放さないようにしている。
На конкурсе красоты победительницу спрашивают журналисты:
- Что нужно сделать, чтобы победить в таком сложном конкурсе?
- Забыть обо всём и отдаться главным.
設問1)オチが分かるように訳せ。オチを別に説明してもよい。

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2008年02月27日

●新帯研 第9回

まえに96度のウオッカを騙されて生のまま飲まされた話を書いたが、実は20年ほど前に会社の近くのアキハバラデパートでポーランド産の96度のウオッカを見かけたことがあった。値段は2000円だったと思う。そのときはこんなウオッカを買うような酔狂な人がいるのかなぐらいだったが、そのうちアキハバラデパートもなくなってしまい、ポーランドに行かなければ買えないのかなと寂しく感じていた。飲むためではなく、記念に写真にでも撮っておこうと思ったからだ。ところが最近近くの酒屋さんで日本製ウオッカ2種とともに売っていたのを見つけ懐かしさでつい買ってしまった。ついでに買った日本製ウオッカとともに念願の写真撮影を果たした。Spirytus Rektyfikovany, 96%, 0.5ℓとある。裏の日本語の説明には蒸留を繰り返すこと70数回、純度を極めたポーランド産ウオッカの雄ですと書いてある。さらに太字で、アルコール度数が高いので、火気に注意してくださいとあり、下線も引いてある。ご参考までに一緒に買った日本製ウオッカはニッカのWilkinson VodkaとキリンディスティラリーのNikolai Vodkaである。ウオッカは嫌いなのでロシア人への土産にしようと思う。96度のウオッカは、会社勤めをしていたときなら嫌いな上司へのプレゼントでもよかったが、今は気楽な稼業だし。どうしたものだろう?泥棒が入ったらビンごとお見舞いしようかしらん?今回の課題は、
Самолёт стоит на взлётной полосе. Все в сборе, кроме командира. За полминуты до времени вылета он, запыхавшись, вваливается в кабину и плюхается на своё место:
- Налива... Ой, раздева...! Э-ээ, от винта!
設問1)オチが分かるように和訳せよ。
設問2)読んでいておかしいと思うところがあれば指摘せよ。

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2008年03月03日

●新帯研 第10回

革命前のロシア商人はいかに顧客をだまして利益を上げるか競いあった。金儲けが目的ではあるが、仲間内での自慢、つまり「奴はやり手だ」という評判を得たいという気持ちが強かった。これは現代でも若い女性の化粧やおしゃれが必ずしも男の子の気を引く為ではなく、仲間内での評判を高めるためだというのと似ている。仲間の批評が一番きつく、それゆえにやりがいがあるからであろう。日本でも第一次世界大戦中には缶詰に入れるものが足りないからか、あるいはサギ目的で中に石を入れて輸出したこともあったという。
- Бабушка, что с тобой?
- Ох, милый, болею.
- За кого? За «Спартак»? За «Динамо»?
設問1) オチが分かるように和訳せよ。

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2008年03月07日

●新帯研 第11回

司馬遼太郎は好きな作家の一人だが、その文体はいただけない。内容が面白いからいいようなものだが、その文章を暗記する気にはなれない。音読するとバランスが悪く、非常に耳障りだからだ。ただ一つよいと思った文章は、川路初代警視総監がフランス旅行中に、大を催し、我慢できず車内でして、日本の新聞紙に包んで捨てて問題となったことがある。そのとき、確か、「発した」という表現だったが、これはすごいなと思った。
Сын пьяному отцу:
- Папа, а ты в рай не попадёшь?
- Это почему же?
- А когда ты подойдёшь к воротам рая и дыхнешь на апостол Петра, он тебя просто не впустит.
- Когда я отправлюсь в рай, сынок, дышать я уже не буду.
設問1)オチが分かるように和訳せよ。

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2008年03月09日

●新帯研 第12回

ロシアとビジネスしている商社に勤めていると収入と勉強の一挙両得のように思えるが、やはり腰を落ち着けてロシア語だけを勉強する時間が3年ぐらいは必要ではないかと思う。その期間にこれまでの自分の勉強の成果を整理して、次のステップへどのように勉強を進めるか考えるとよい。今回の課題は、
Уезжает Василий Иванович в штаб. Вызывает Анку:
- Я тебе тут «пояс верности» смастерил. Весь секрет в том, что если в отверстие, которое спереди на «поясе», что-нибудь всунуть, срабатывает механизм и встроенные ножницы автоматически откусывает проникающий предмет. Одевай и носи, пока я не вернусь!
Через неделю врозвращается Василий Иванович. Постороил дивизию, приказал всем оглиться ниже пояса. У всех – обрубки членов, у одного Петьки «красавец» во всю длину.
- Ну, а ты, что-ж, Петька Анку не захотел попробовать?
- А-а-а-а...
設問)オチが分かるように訳せ。

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2008年03月16日

●新帯研 第13回

20年ほど前モスクワに駐在していたときの事、オフィスにロシア人の若いビジネスマンがやってきた。書類を持ってきてくれたらしく、会社のロシア人秘書が対応した。どうもその若い男の態度が生意気だったらしく、別の女子社員にコソコソ話している。別に立ち聞きしていたわけではないが、最後のところだけ聞こえた。それはОн ещё мальчик!というものだった。Мальчикというのは5歳から12歳頃までの少年だとばっかり思いこんでいたので少々びっくりした。強いて訳せば、「まだボウヤじゃないの」とか、「まだガキのくせいして」となろうか。ちなみにこのお姉さん方は年の頃は30前後だったと思う。
Идет по тротуару девушка, красивая – ужас, ноги от зубов, талия – оса, юбка – мини, балкон, как у Софи Лорен в молодости.
設問1)訳せ。
設問2)идётをходитに代える事は可能か?

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2008年03月18日

●新帯研 第14回

1年前(2007年3月7日)近所の文房具店で買い物をしていたら、消防署の人が入ってきてトイレを貸してほしいという。どうも町内消防団の設備のチェックで回っているらしい。女の店主は、店にはトイレはないとけんもほろろ。消防士が出てゆこうとすると、彼女は呼び止めて、消防車から葉書が来て、それについて電話したいが電話番号を教えてくれという。書けば1行だが、それを葉書の内容から、なぜそんな葉書が来たのかクドクド5分も話している。自分もトイレは若いときから近いほうだから、このような切羽詰った状況はよくわかる。それなのにこの女は知らん振り。人事ながら腹が立った。きっと自宅を兼ねた店での仕事だから、外でトイレをすることがないのだろう。この消防士は冷静に受け答えをしていたが、頭の中は「ここでだめなら、向かいのコンビニはどうだろう?」などと考えているのでは考えるととおかしくもあり、また気の毒でもあった。何か言ってやろうと口を開きかけた瞬間、電話番号を聞いてこの女も納得したらしく、ようやく消防士を解放した。人に使われたことがない人なのか、とにかく無神経な人は年配の女性にでもいるということに驚いた次第。今回の課題は、
В деревенской школе учитель:
- Ну вот, я объяснил вам, что такое вычитание, теперь слушайте задачу. Я дал сторожу на чай четвертачок, он купил закуски на две копейки, а на пятак выпил. Сколько у него осталось? Петров!
- Восемнадцать копеек, господин учитель.
- Хорошо! А как это действие называется?
- Выпивкой, господин учитель!
設問1)和訳せよ。
設問2) 上から3行目оставалосьとできるか?
設問3)最後の行 Выпивкаとしたら誤りか?

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2008年03月24日

●新帯研 第15回

高炉(俗に言う溶鉱炉)доменная печьを口語でдомнаというが、エレンブルグの自伝を読んでいたら、彼が1932年Кузнецкий комбинатで働いていたときに、労働者たちが少しでも動かない機械を牛馬のように鞭打ったりしたと書いていた反面(取って代わられるかもしれないという機械に対する本能的恐怖か、大したことはないという侮蔑の表現か?)、Домна Ивановнаやдядя Мартын(мартеновская печь平炉、これは日本にはもうない)と呼んで慈しんでいたという。今回の課題は、
Жена чукчи:
- Почему такие анекдоты ходят про нас?
Чукча: Да потому, что мы вот (стучит по столу).
Жена: Кто там?
Чукча: Сиди, я сам открою.

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2008年03月29日

●新帯研 第16回

和文露訳をする場合ロシア語としてスムーズかどうかというよりは、内容が原文に忠実かどうかが重要であるのに、日本語を知らないロシア人(知っているといっても程度問題で日常会話はともかく日本語を日本人並みに理解しているロシア人は少ないだろう)に、和文露訳したロシア語をチェックしてもらうと、たしかにロシア語らしくはなるだろうが、原文の意図通りかは大いに心もとない。この点を考慮して、ロシア人のいうことを鵜呑みにするのではなく、再度見直すくらいの気持ちが必要である。今回の課題は、
Штирлиц вышел из подъезда и натолкнулся на сук.
- Шли бы вы домой, девочки, - сказал он им, - война всё-таки.
設問)オチが分かるように和訳せよ。

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2008年04月06日

●新帯研 第17回

メーカーで依頼される製品のパンフレットпроспектや取扱説明書инструкция по эксплуатацииの和文露訳を、宣伝用のコピーライトと勘違いしている人がいる。翻訳はあくまで正確かどうかであり、日本にいるロシア人にチェックさせると宣伝用のカタログやパンフレットに近いものに書き直させられる事がある。目を引くという観点から、例えば無騒音などと書いているのが、実際はかなりうるさい機械もある。怖いのはこういうロシア人は素人ゆえにクレームという考えがまったくないことである。翻訳を頼むときはクレームということを頭において、少しゴツゴツした訳でもまず正確なものに仕上げるのが大事だというのはいうまでもない。
Совместное советскоамериканское предприятие издаёт на базе «Коммуниста» и «Плейбоя» новый журнал «Член КПСС».
設問1)オチがわかるように和訳せよ。

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2008年04月11日

●新帯研 第18回

ロシア語を学ぶ目的をロシア人のように自然とロシア語が口をついて出てくるような境地を目指すという風にしてはいけない。赤ん坊のころからロシア人が周りにいてロシア語と日本語がバイリンガルであるというような特殊な環境の人は別にして、早くても20歳前後からロシア語の勉強を始めた人が大半だと思うが、目指すべきは理詰めに文法で、このような場合はこのような表現を使うのが自然であろうと悟得することにある。そうすれば、後進にも感覚ではなく、理詰めで(こういう徴候があればこういうロシア語表現を使うのだとか)、技能の伝承ができるということになる。時間を見つけて、取りあえずは、文法で一番難しいと筆者が思っている体の用法など、どちらの体を使うのか理詰めで考える癖をつけるとよい。つまり露文和訳は単語の意味が分かれば、想像力を働かして和文を作る事はそれほど難しくない。問題は逆の場合である。和文から露文を作るときに、完了体を使うのか、不完了体なのか、複数なのか単数なのかなど、文法がよく分かっていても難しいと思うことが多い。
Третья мировая война. Командир ракетного дивизиона докладывает по рации генералу:
- Товарищ генерал! Как вы и приказали, от города осталось ничего, передаю по буквам: николай, иван, харитон, ульяна, яков! Повторяю: ничего.
設問)オチが分かるように訳せ。

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2008年04月19日

●新帯研 第19回

Гюгоとその孫Жан Юго(画家)(Эренбург-9-715)でどうしてロシア語表記が違うのかというと、19世紀に発音しない 'h' で始まるフランス人の姓は、Гюго, Гудон(彫刻家), Гавр(都市名)のようにгをつけた。ところが、後により発音に忠実に表記されるようになった。Эредиа(詩人)、Оннегер(作曲家)、Эрриоなどである。今回の課題は、
- Обязательно купите это платье – это же последний крик моды!
- Боюсь, это будет последний крик моего мужа!
設問)オチが分かるように訳せ。

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2008年04月27日

●新帯研 第20回

人が何を考えているかは誰にも分からない。パラノイアでない限り一つのことに固執する人はあまりいないが、その人を理解しようとして単純なレッテルを貼りたがる傾向がどの人間にもある。ただ逆に、政治家など、あるイメージを抱かせるために、人に自分がどんなタイプの人間かを、故意かそうでないかは別にして、他人に分かりやすい行動をとることはありうる。今回の課題は、
Фоторепортёр показывает другу альбом с фотографиями.
- Вот землетрясение в Японии... Вот ураган на Флориде..Страшный пожар в Чикаго... Моя свадьба...
設問)オチが分かるように訳せ。

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2008年05月10日

●新帯研 第21回

最近綾小路公麿の本を4冊図書館から借りてきて読んだ。ジョーク関係の本は面白くないのが普通だが、これは語呂合わせの妙もあって、また自分も中高年だからかとても面白かった。彼も自分の才能を信じて長く努力を続けてついに売れっ子になったわけだが、ロシア語についても同様で、ロシア語に対して向き不向きというよりは、物事を続けるというのも才能だから、長く続けられるというのであれば必ず成果は出る。ただ凡人である我々は20年から30年はやらないとものにはならないだろうけど。
У писателя, произведение которого пошло на отзыв Фурцевой, спросили, не боится ли он её.
- Нет, я не боюсь министра культуры, - ответил писатель, - я боюсь культуры министра.
設問)オチが分かるように訳せ。

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2008年05月22日

●新帯研 第22回

地方での仕事のときに一枚歯の下駄を見つけたので買った。5000円だった。こういう天狗がはくような下駄のあることは古武道で有名な甲野善紀先生の著書で知ってはいたが、なかなか売っていなかった。店主に聞いたら特注品の売れ残りらしい。結構学生でも体の鍛錬(バランスを鍛えるために)買う人がいるとのことである。さっそくはいてみた。立ち上がったときはバランスがとりにくいが、一旦歩き出したら結構スイスイと歩ける。ただ歩幅が小さくなるせいか遅い。婆さんにも抜かれる。もっともトボトボ歩くのが性に合っているのでそれはそれでいい。仕事がないときは毎日30分ぐらいこの下駄で散歩している。最近浅草の仲見世でも見かけた。ちなみに花魁用の下駄は3枚歯のもので25万円で浅草の仲見世で売っていた。興味ある方は一度覗いてみたら?
На устном экзамене в комакадемии Чапаева спрашивают, какие документы выдаются делегатам. Василий Иванович смущённо молчит. Котовский, прикрываясь ладонью, подсказывает:
- Манда-ты!
- А ты, Григорий Иваныч, - вскипает Чапай, - если тебе уши отрезать, и вовсе на хуй будешь похож!
設問)訳せ。オチの訳が難しいようであれば別に解説をつけてもよい。

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2008年06月09日

●新帯研 第23回

今評判の「カラマゾ-フ兄弟の翻訳をめぐって」(大島一矩、光陽出版社、2008年)を読んだ。基本的にロシア語ができる以上ロシア文学はロシア語読むことにしているので、和訳では読んだことがない。例外はソルジェニーツィンの「収容所列島」で、40年前学生の時に、隠語辞典が手に入らなかったこともあり、これは和訳で読み、後に原語で読んだ。そういう意味で大学者たちの和訳の比較ができる機会を与えてくれた著者には深く感謝したい。5か所ほど自分でもっと調べてみたいなという個所はあるものの、それ以外はなるほどと感心するのみである。これまで大学者たちが「カラマーゾフ兄弟」の和訳をしてきたわけだが、中には同じようなミスをしており、訳を参考にしたのが裏目に出た(124ページ)ように思えるのもある。その中のある翻訳者などは自分の訳に絶対間違いがあるはずがないと豪語していたのだから失笑するばかりである。訳している日本語の文章に引きずられて、語義を正確に露露辞典で確認するのを怠ったのだとしか思えない。完了体の訳がおかしいと著者が指摘したところが2か所(131ページ、337ページ)ある。別にむずかしい用法でもないからどうなっているのだろうと首をかしげざるをえない。著者が誤訳を指摘した箇所は100ほどだが、これは目についたものを挙げただけで、本気で最初から著者がチェックしたらこの何倍も、何十倍も見つかった可能性が高い(もっともそんなチェックに金を出す人はいまいが)。村上春樹氏が新聞に書いていたが、自分の小説はあとで直そうと思ったことはないが、翻訳は何度でも機会があるなら手を入れたい、間違いというのは誰にでもあるからだと書いているのは当然のことだと思うが、立派な見識と思う。ロシア語の大家ですらこうなのだから、自分などはまだまだ精進する必要があるなと心した次第。著者のこつこつとした努力には頭が下がる。大学でなくとも、市井にこういう大ロシア語専門家がいるというだけで心強い限りである。
ドストエーフスキーやチェーホフは日本でもファンが多いが、語学を覚えるのは日常の決まり文句から覚えていくわけで、語学の授業にチェーホフなどの大作家の文章を講読としてやるのはいかがなものか。偉大な作家になればなるほど、独自の表現が多く、ありきたりの語句は使わない。無論語彙がкрылатые слова(名言)になったものは別だが、語彙を多く覚えるためには、露文解釈の教科書には、かえって二流作家の本のテキストを使うほうが分かりやすい。つまり映画化やテレビ化されるような探偵小説などがよいと思う。美しいロシア語が分かるには、あるいは勉強するには、一般的なロシア語が自分の中にできあがってからでよいと思う。今回の課題は、
Двое приятелей разговаривают:
- Моя жена – просто ангел.
- Везёт тебе! Моя ещё жива.
設問)和訳せよ。

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2008年06月12日

●新帯研 第24回

日本人でロシア語が一番できるのはだれかと問われれば、30年前なら躊躇なく上智大の染谷茂教授を挙げただろう。文法から隠語の知識に至るまでかなう人は今でもいないだろうし、誰からも異存は出ないであろう。ところが現在はとなると、そう簡単ではない。ロシア語ができる人というと、それは大学の先生だと考える人がいるかもしれない。確かに大学の先生や語学学校の先生方は教えるのはプロだが、自分で使うロシア語の能力となると、学校の英語の先生の例でも分かるように会話などでは心もとないという人が多いようだ。ロシア語の能力を仮に4つ、露文和訳、露話通訳、和文露訳、和話露訳に分けて考えてみると、露文和訳についてはロシアソ連文学の翻訳者の諸氏が一番であろう。露話通訳ならプロの通訳の諸氏、和文露訳はあまりいないが、例えば2001年ロシア大使館の河東公使が熊野アキラのペンネームでЗа даль земли. Повесть об Ильеという1993~1994年のロシアを舞台にした小説をロシア語でВагриус社より出版されたという。私は残念ながら読んでいないが、この方などは和文露訳では一番であろう。和話露訳となると、現役のロシア語ガイド、通訳ということになる。これで分かるようにお金をもらうプロでないとその道の一番にはなれないと思う。真剣さが違うし、恥をどれだけかいてきたかというのも実力向上には必須だと思うからだ。ロシア語が一番できるというのを、上記の四つの分野のいずれかと考えるか、あるいは筆者のように4つの総合的な力を評価したいと考えるかは好みによる。別に4つではなく、技術関係、ロシア史とか、文法、ロシア哲学とかなどと細分化して考えればなおのことである。ただロシア語を読む、聴く、話す、書くという能力は基本であり、この一つにでもロシア人と普通にコミュニケーションが取れなければ、プロとしては問題だろうと思う。自分の好きな分野で流暢に話したり読んだりということは5年もロシア語を一生懸命勉強すれば不可能ではない。通訳、翻訳者、語学の先生などのプロは自分の好き嫌いにかかわらず仕事をせねばならないわけで、それに対応できるだけの語学力をつけるには10年では不足だろう。
- Какая страна самая целомудренная?
- Советская Россия, так как она ни с кем не имеет никаких сношений.
設問)オチが分かるように訳せ。

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2008年06月16日

●新帯研 第25回

詩が現代の歌謡曲にとって代われないのは、歌謡曲には歌詞のほかにメロディーがついており、歌詞の内容が具体的にイメージしやすい(感情的な面で)ということもあるだろう。これは文学が映画やアニメ(漫画)に取って代われたのと軌を同じくする。分かりやすいものへと移行するのは水が低きにつくのと同じである。万葉の歌垣や万葉の歌は庶民のものだが、それとて即興のメロディーがついていたと思う。エセーニンの詩は好きだが、その中でも好きなのは歌になっているКлёнやПисьмо материなどである。メロディーがつくとイメージが固定するというような危惧もあるが、よいメロディーならそれはそれでよいのではないかという気がする。文学や詩を味わうには、想像力が必要ということで、歌にもいい歌、悪い歌というよりは、自分の好みの歌というのがあるのだから、詩はメロディーがないだけ、自由に自分のイメージを膨らませる事ができるはずだ。もっとも常人にはそういう鍛錬が必要だとは思うが。
Из мемуаров старого большевика, изданных в 1970-е годы.
- Помню, идут Ленин с товарищами по Петрограду в октябре 1917 года и обсуждают, когда поднять восстание. Вдруг сзади появляется бровастый мальчуган:
- Двадцать пятого, дяденьки, только двадцать пятого.
- Погоди, - спрашивает Ленин, - а как тебя зовут-то?
- Лёнькой.
設問)オチが分かるように訳せ。

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2008年06月20日

●新帯研 第26回

20年ほど前モスクワに駐在していたときの事、オフィスにロシア人の若いビジネスマンがやってきた。書類を持ってきてくれたらしく、会社の秘書が対応した。どうもその若い男の態度が生意気だったらしく、別の女子社員にコソコソ話している。別に立ち聞きしていたわけではないが、最後のところだけ聞こえた。それはОн ещё мальчик!というものだった。Мальчикというのは5歳から12歳頃までの少年だとばっかり思いこんでいたので少々びっくりした。強いて訳せば、「まだボウヤじゃないの」とか、「まだガキのくせいして」となろうか。ちなみにこのお姉さん方は年の頃は30前後だったと思う。
«Армянское радио» справшивают:
- В какой геологической период вступил Советский Союз?
- В юрский, но андропогенез уже начался.
設問)オチが分かるように訳せ。

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2008年06月22日

●新帯研 第27回

1996年か97年カザフスタンのアルマトゥイに駐在していたとき、オフィスの近くに住んでいたマンションに休みの日の朝から電話が鳴った。当社の下の住人からわりに穏やかな声で、天井から水漏れするので急いで来てくれとの事だった。現場までは歩いて5分。水漏れというよりは滝のように水が降ってきている。えらいことになった、トイレから水が漏っているのかと思い、2階のオフィスのドアを開くと天井からこれもまた滝のように水が降ってきている。私の机の上にはノートパソコンが置いてあり、その1メートルぐらい離れた上から水が降ってきているのだ。結局3階の朝鮮系の夫婦(カザフにはスターリンの政策で極東に住んでいた朝鮮系の人たちを第二次世界大戦直前にカザフなどに強制移住させ、今でも50万人ぐらい住んでいるとのことだ)が洗濯機に水を入れたまま外出したせいだと分かった。それにしても考えられないことである。モスクワに住んでいたとき(2002年)も、元旦に天井から水が漏ってきたことがある。これは上の階のポンプの故障らしく、元旦からではついてないと思ったが家主に始末書を書かせたが、その始末書をどうしてもこちらには渡さないという。責任問題になるのがいやだからであろう。もっとも80年代にモスクワのある日本の駐在員の家ではトイレから水が吹き出し、家中水浸しということがあったというから筆者などはましなほうであろう。
Вопрос армянскому радио:
- Хорошо ли в Армении с мясом?
- С мясом хорошо, а вот без мяса совсем плохо.
設問)オチが分かるように和訳せよ。

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2008年07月02日

●新帯研 第28回

「カラシニコフ自伝」(エレナ・ジョリー聞き書き、朝日新書、2008年)を非常に興味深く読んだ。訳がちょっとおかしいところが若干あり、姓名の力点が無視されていて実際の発音とかなり違うが、フランス語からの和訳なのでそれはそれでやむを得ないと思う。それと「共力作用」という日本語はないと思う。これは「相乗効果」ではないか?そういう細かいことを別にすれば、ロシア関係に興味のある人なら読むことを勧める。カラーシュニコフのライバルのジェクチャリョーフが「鎌と槌」2等記章を受けるくだりで、1等はだれがもらったんだという話になったときに重い沈黙に包まれたという。ナンバーワンは常にスターリンだからだったらしい。カラーシュニコフも最優秀企業家2等勲章をゴルバチョフ時代に授けられた時に果たして1等はだれなのか分からなかったという。同じことが1939年第1回全ソ芸能人コンクールに1位なしの2位でトップになったライキンにもいえる。ずっとユダヤ人だったからだと思っていたが、やはりスターリンのことを考えて審査委員会が遠慮したのだろう。また1964年レーニン賞を受賞するくだりで、「レーニン賞はソ連におけるもっとも栄えある賞の一つで、科学技術や文学、芸術などさまざまな分野の偉大な功績に対して授けられていた。この賞はレーニンの死後、1925年に創設されたものだが、1935年から1957年にかけては誰一人受賞していない。スターリン賞がレーニン賞に代替しためであり、その後、1966年にこのスターリン賞はソビエト連邦国家賞に取って代わられた」とある。まず、医者関係のбайка(馬鹿話)を一つ。
Все ясно, как в морге.          明々白々、霊安室の如し。
Тяжело в лечении, легко в гробу.  治療はつらいが、棺の中では気も軽く。
Нет кремации без реанимации.   集中治療なくして火葬なし。
Врач ошибается однажды, но каждый день. 医者の間違い一度きり、でも日々のこと。
На леченом коне далеко не уедешь.   病気の馬じゃ遠くは行けぬ。
今回の課題は、
Анекдоты про Горбачёва пока в основном идут из среды недовольных алкоголиков.
Пустыня. Зной. В песке зарытый по шею Горбачёв.
- Пить! Пить! – просит он.
Мимо идёт человек. Он поднимает руку, смотрит на часы.
- Рано! Ещё двух часов нет.
設問)訳せ。オチを別に解説してもよい。

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2008年07月14日

●新帯研 第29回

技術関係のシンポジウムの通訳では当然ながら技術用語が頻出する。これが同じ日本語かと思われるものもある。例えば「サワー環境における応力腐食割れ」сероводородное коррозионное растрескивание под напряжениемというのが、石油掘削関係のパイプ(鉄鋼分野)の技術交渉で使われるが、この日本語を一度聞いただけで意味が分かってすぐ露訳できる人はまずいないだろう。これは硫化水素(今流行りの猛毒のガス)がある環境でパイプに応力がかかって腐食が起き、それによるひび(割れ)のことである。応力というのは物体に力が加えられるとそれに抵抗する力が起こる。これを応力といい、応力より物体にかかる力大きければ物体は破壊される。応力はнапряжениеで、ロシア語では電気用語の「電圧」と同じ形なので、使われる文脈によって和訳を変える必要がある。このようにビジネスロシア語とはいってもその分野の専門用語が分からないとお話にならないわけである。今回の課題は、
Кто может – превышает свои права. Кто не может - качает.
設問)訳せ。

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2008年07月21日

●新帯研 第30回

通訳をしているとロシア人から「それはこういう意味ですかな」などと、婉曲的に間違いを指摘されることがよくある。ビジネス関係のロシア人はジェントルマンが多いからか、「そんなロシア語は初めて聞いた」とか、「ロシア語ではそうは言わない」などと第三者のいる前で通訳に対して言う事はない。そういう意味で通訳やビジネスでロシア語を使っていると正しいロシア語に触れる機会は多い。前にも書いたが私が恥をかくのは黒帯どころか赤帯だというのはそういう意味である。実戦で恥を多くかいて、それを基に修行を続けていけばロシア語はきっと上達する。書いたものばかりでロシア語を勉強しても、頭の中ではすべて分かったような気になっても実戦で和文露訳が即座には出ない。一方通訳やビジネスなどで和文露訳だけやっても、ロシア語の本を読んでいかないと語彙が増えない。どちらも大切である。今回の課題は、
Одноглазый ведёт за собой группу слепых. Неожиданно он натыкается единственным глазом на сучок дерева и восклицает:
- А чёрт, всё, приехали!
- Здравствуйте, бабушка, здравствуйте, дедушка! – хором говорят слепые.
- Да нет, это я на сук напоролся, - объясняет им первый.
Слепые снова хором:
- Здравстувуйте, девушки!
設問)和訳せよ。オチを別に説明してもよい。

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2008年07月28日

●新帯研 第31回

ロシア語と日本語の通訳・翻訳には露文和訳と和文露訳がある。露文和訳の例では文脈によっては勘のいい人なら文法を極めなくても、ほぼ一見同じように正しい訳が出てくる場合が多い。ニュアンスを含めての解説をつければ別だろうが、普通はいちいちそういうことをするような閑はない。一通り訳が出来ればそれでよしとしている人も多い。一方和文露訳となると、繰り返しや一般的にこうだというような不完了体を使う文では楽に露訳できても、例示的であるとか順次的用法の完了体を使うような口語的用法の文ではロシア人から直されることが多い。現代ロシア語文法の中上級編をマスターしたつもりぐらいでは不十分なのだ。ロシア語では体の用法(不完了体と完了体の使い分け)が一番難しいと実感する今日この頃である。いろいろなタイプのロシア語を読んで、研究し、それを和文露訳に応用できないか試行錯誤の毎日である。
 ロシア語の単語だけではなく、ことわざ、慣用句、句動詞を覚えようと初めて思ったのはロシア語勉強し出してから2年目ぐらいのときである。初めは政治用語が中心だった。これは辞書でも訳にぶれがない。つまりおかしな日本語だなと思うことはなかったし、当時社会主義ソ連ということもあって政治用語が分からないでは新聞も読めないという時代だった。しかしロシア人と会話することが増えるにつれて、より日常会話的表現を覚える必要に迫られてきて、現在に至っているわけである。今でもテレビのニュースなどで「人の渦」、「村八分にする」、「肩を寄せ合って」などという日本語を聞くとロシア語では何と言うのだろうと気になってくる。людской водоворот, создать вокруг кого зону отчуждения (подвергнуть кого общественному остракизмуではややかたいか?), сомкнув плечиなどではないかと考えたりする。今回の課題は、
- Что такое миниюбка?
- Это маленькая юбка.
- А миникомпьютер?
- Это карманный компьютер.
- Тогда почему самый бардак называется министерство?
設問)和訳せよ。オチを別に解説してもよい。

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2008年08月11日

●新帯研 第32回

去年の2007年10月1日午後4時ごろいつものように中川の土手を1枚歯の高下駄で散歩していたら、魚が2度3度空中に飛んだ。魚が空中にはねるのには、体についた寄生虫を水面に落ちるときのショックで叩き落すのだとか、空中に浮かんでいる間寄生虫が息が苦しくなって(普段水中で生活しているので)、自然と虫が魚の体から離れるのだとか(1秒ぐらいで息苦しくなるほど虫はやわなのだろうか?)、いろいろ説を聞いたことがあるが、ひょっとしたら、魚も楽しんでいるのかもしれない。魚にとって空中にはねるというのは、我々人間が水に潜ると同じことではないか。お互い長くはできないが、普段と違うスリルを体験してそれが病みつきになってしまったのかもしれない。一番のスリルは臨死体験だというから。そんなことを考えた。今回の課題は、
Решение о выделении юридической консультации с преобразованием ее в коллегию адвокатов принимается простым большинством адвокатов.
課題)和訳せよ。(これは小話ではない。単なる露文和訳であるが上級者でないと無理かもしれない)

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2008年08月28日

●新帯研 第33回

会議通訳やシンポジウムでも同時通訳で対応するより、アナウンサーを使ってスピーチやプレゼンを読ませるという傾向が出てきたとのこと。これはシンポジウムやプレゼンテーションで原稿を棒読みし、質疑応答だけ通訳をさせるというのは80年代のメーカー通訳でもあった。新米の通訳はシンポジウムの報告者に必ず原稿通り読んでくださいと必死のお願いをし、ベテランは原稿通り読むか、原稿から外れるか前以て聞いておき、外れる可能性があるなら、原稿は無視して通訳に徹するといった具合。たちの悪いのは原稿通り読むと言っておきながら、興がのると勝手に脱線するタイプ。ベテランとて原稿をずっと見ているから、どこで脱線するか分からない。こういのははなから原稿なしで通訳したほうがらくだ。ただこの後のシンポジウムやプレゼンテーションの質疑応答の通訳が非常に難しい。素人は原稿は原稿、質疑応答は質疑応答と思うかもしれないが、シンポ(シンポジウムを略してこういう)の演題に通じていないと質疑応答の通訳などできはしない。このような傾向が同時通訳でも起きてきているのなら、これから職業としてのロシア語の通訳で有望なのは観光ガイドだけとなりそうである。今回の課題は、
- Можно ли писать «сталь»?
- Можно. Но лучше «хру-сталь».
設問)オチを説明せよ。訳せるなら訳せ。

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2008年10月11日

●新帯研 第34回

(ロシア正教古儀式派と日本)
 初期の正教の文書には書写の際の間違いなどもあり、ギリシャ正教とは異なった儀式が15世紀頃までに確立した。これを正そう(このほかにも総主教を世俗の権威であるツァーリより上に置くべきだという野心もあって)と総主教ニコンが1654年にСлужебник(奉事経)により、二本指での十字をきること、2度のハレルヤを唱えることなどを禁止し、ギリシャ正教のやり方(3本指での十字の切り方や3度のハレルヤを唱えることなど)に従わせるというお触れを出したことで、古儀式派старообрядстваが離脱した。古儀式派は大別して、機密(洗令、結婚、聖体、痛悔(懺悔)など)を行うには、主教職が必要であると見なす一派поповщинаと、不要だとみなすбеспоповщинаに大別される。この他に、去勢派とかボゴモールなどあるが、これは正教自体を認めない(宗派の指導者がキリストの生まれ変わりと信じるとか)、いわゆる異端(新興宗教といってもよい)なのでここでは論じない。поповщинаでは、主教が必要だが、1654年以降、主教職は迫害や加齢もあって、死に絶え、新たに主教職を探す必要に迫られた。その頃漠然と東に、古き伝統を持つ国があって、そこにニコン以前の正教を信じる人々が住んでいるという噂が古儀式派の間に流れた。18世紀後半беспоповщинаの修道士マルコが、オポニ王国Опоньское царствоにモスクワ、カザン、エカチェリンブルグ、クラスノヤールスク、グバニ(ゴビ?)を経由してオポニ王国に行ってきたと述べた。そこは白水境Беловодьеという海の向こうにあり、70の島々に住民は住み、島々の距離は500キロも離れているところもある。アシール語асирский языкを話し、179の古き正教の戒律を重んずる教会があり、総主教(アンチオキア系)、4人の府主教、主教もいる。冬は甚だしい寒さで、地震と雷がよくあり、ブドウやコメが実る。金銀が豊富で、外国人を国に入れず、どことも戦はしない。遠い遠い国であるという。ちなみに、アンチオキアというのは現アンタキアで、トルコにある町であり、アンチオキア総主教マカリーは2度モスクワを訪れ、ボルガも旅した。マカーリエフ修道院にも滞在したが、その近くは古儀式派の活動が盛んなところでもある。そのためアンチオキアという名が出てくるのかもしれない。
 1807年トムスク州の村人ボブリョーフがペテルブルグに来て、白水境にロシア人の古儀式派が住んでいるという情報を伝えた。国が許せば、ボブリョーフ自身がそこに出向いて古儀式派のロシア人を連れ戻すという。国は彼に150ルーブルを与え、出発させたが、その後杳として行方知れずとなった。1839年12月にポロームスキー森で捕らえられた浮浪者が尋問に答えて言うには、自分は日本国の住人で、古儀式派である。日本にはたくさんの古儀式派のロシア人が住んでいて、古儀式派の教会もあり、総主教も主教職もいると断言した。人口は50万人ほどで、だれもが租税を国家に納めなくてもよいという楽園だった。無論、これはたわごととして、この浮浪者はシベリア送りとなったという。これらはメーリニコフ(В лесах「森の中で」やНа горах「山で」の作者)の「古儀式派ルポ」に記されている。古儀式派が迫害を逃れて、一部は東に、シベリアや極東に移り住んでいったのは間違いないとされる。そういう人たちの話と極東にある日本が結びつき、さらに話者の願望が結びついてのおとぎ話になったのだろう。しかし、日本とは驚きだが、偶然かもしれないが、海の上に浮かぶ島、地震など似ているところもあるのは興味深い。今回の課題は、
Японец уезжает из СССР:
- Я осен полюбил Советский Союз. Это очен болсой страна, осен красивый язык. В первый год жизни в СССР я выусил 200 слов. На второй год зизни я выусил есе 400 слов; на третий год я выусил есе 500 слов и все они у меня вот здесь (стучит себя по голову) в ... зопе.
設問)和訳せよ。

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2008年10月30日

●新帯研 第35回

最近発売された「時事ロシア語」(加藤栄一、東洋書店)は非常によい企画であり、よい参考書である。時事ロシア語は世界共通語としてのロシア語という意味から、ロシアらしさを最小限に抑えているため初心者には理解しやすい。辞書に載っていない語彙でも、インターネットで似たような日本語の記事を探すだけで、ある程度正しい意味が分かる。そういう意味で、初心者向けにはチェーホフやトルストイなどロシア文学を教材とするよりも、時事ロシア語の方がよいし、通訳やガイドを目指す人にとっては将来に向けての基本的な語彙をつける意味もあるので、この参考書を使った勉強を勧める。ただ、強いて難を言えば、著者は本書を時事ロシア語の入門編と述べているが、この本は初級と中級の中間のような気がする。入門編あるいは初級向けということなら、収録数を2/3にぐらいにして、構文としての説明をつけた方が初心者には親切だろうと思うし、今後和文露訳をする参考にもなろう。多分筆者は中級者向けに第2弾を考えていて、次作はそのようなものにしようとしているのかもしれない。時事ロシア語全般ということで語彙が広く取られているのには感心するが、やはり宗教関係をいくつか削っても環境関係をもう少し増やした方が時節柄よいと思う次第。
学習者の方もロシア語の参考書を用いる場合に、ただ露文解釈の語彙を覚えるだけではなく、構文として使えないかを考えるべきである。参考書を作る側からも、参考書にある例文の和訳は、和訳から同じような同じようなロシア語が作れるような意訳でもない、かといって日本語としておかしくないものというのが理想的である。つまり露文解釈から和文露訳への道筋が十分に立つようなものを載せるべきである。
その他にロシア語をマスターするには理論面だけでは不十分で、実践面でもロシア人と堂々と渡り合ってゆけるようでなくてはいけない。つまり露文解釈を深く勉強することは必須ではあるが、それで止まっていてはいけない。露文で使えると思った表現を暗記して、それを会話などの和文露訳で使い、そういうことを続けて初めてロシア語が使えるということになるのである。繰り返すが露文解釈から和文露訳へという道筋で勉強をすることを考えないといけない。それとプロになるつもりなら、実践面(例えば日常会話ができるとか)だけでも駄目で理論(文法)の裏づけがなければ、後進にその技を伝承することはできないということになる。
勉強する上で実務者にとっては頻出する文法事項、語彙が重要であって、必ずしもあまり使わない文法事項や語彙の説明まで当座は詳しく勉強する必要はない。つまり重要なところとそうでないところに、自分なりに優先順序приоритет (priority)をおいた参考書が必要になる。文法事項でも全体を過不足なく網羅したものも初心者には必要だが、実務者にはわかりにくい体の用法などを詳述したものが必要とされるゆえんである。浅く広くではなく、ポイントを抑えた(ピンポイントの)深く狭くということである。今回の課題は、
Бракоразводный процесс. Разводятся волк и лиса. Спрашивают волка: «В чём причина развода?»
- «Хитрая, рыжая и пробу негде ставить».
Лиса:
- «Не хитрая, а умная. Не рыжая, а золотая, а какое же золото без пробы».
設問)和訳せよ。オチを別に解説してもよい。

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2008年11月10日

●新帯研 第36回

ロシア語語学教師の資格ということを考えると、まずバイリンガルであることである。日本語とロシア語のバイリンガルというのは、日常会話ができるくらいではなく、日ロ語で無論読み書き、聞く話すが十分できるという意味である。その上で文法についてもよく理解しておく必要がある。さらに日本人にロシア語を教えるなら、日本人の方がよい。ロシア人に日本語を教えるのならロシア人がよい。これは、ロシア語を勉強するのは20歳前後からそれ以降の人が一般的に対象になるわけで、幼いころにロシアや日本に暮らして、自然とロシア語や日本語を覚えた人に、インフォーマントとしての才能は別にして、自分がどうしてその語学をマスターしたか説明できない以上、教わる意味はない。せいぜい発音やイントネーションを学ぶのはいいが、語学で質問してもロシア語(日本語)ではそうは言わない(なぜかは説明できない)ぐらいだろう。そういう人に教わるのは時間の無駄である。語学は文法と語彙、それと発音やイントネーションを組み合わせて勉強するもので、その中でも初級者や中級者には特に文法が大切である。
ついでに、なぜオチのことをロシア語でсоль(塩)というのか長いこと考えていた。最近аттическая соль(アッティカの塩)からきているのではないかという気がしてきた。аттическая сольというのは名言крылатые словаの一つで、утончённая остроумие(凝った機知), изящная шутка(シャレた言い回し)を指す。古代ギリシャのアッティカの住人は雄弁で有名だった。キケロの「アッティカの住人は機知の塩でまみれているのみならず・・・」という手紙が由来である。どうであろう?
- Дайте мне подписку о невыезде, - потребовал Мюллер у Штирлица.
Получив под писку, Мюллер охнул от боли и присел.
設問)和訳せよ。オチを別に解説してもよい。

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2008年11月13日

●新帯研 第37回

私はカザフに2年ほど駐在していたので、カザフについてしばらく書いてみたい。カザフ人はチュルク系であり、13世紀にモンゴルに征服され、14~15世紀にウズベク族から分かれ、15世紀後半にカザフ・ハン国が生まれた。言語的にはウズベク語に近いが、ソ連時代にウズベク標準語とされたのは政治的観点からフェルガナ方言であり、これはタジク語(イラン語族)の影響があり、カザフ語にはある母音調和がないと言う。この母音調和はおよそ千年前頃の日本語にもあったらしい。ウズベク語はカザフ語に比べて聞いていて非常に軟らかい感じがする。カザフ語はウズベク語と違いほとんど方言はないし、チュルク祖語により近いとカザフ国立大学の教授から聞いた。つまりカザフスタンから西に向かうに従って(カザフスタン、キルギスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、アゼルバイジャン、トルコの順)チュルク祖語から離れているというのである。カザフ人・ウズベク人にはキプチャク族の血が、キルギス人にはオグズ系の、トルクメン人にはセルジュクトルコ人の血が入っているとされる。9世紀古代ロシア人を悩ませた遊牧民ペチェネーグ族(チュルク系)は一部バシュキール人となったといわれ、トルコ人はオスマントルコの末裔である。ウズベク人は定住を好み宗教的にも回教の教義を守る。しかしカザフ人は遊牧志向で一応回教徒(スンニ派)とはいうものの宗教をそれほど厳守しない。市場には豚の頭も売っている。遊牧民であるカザフ人には農耕民族であるウズベク人に対して今でも軽蔑感を持っているようだ。カザフ人はジギットджигитを尊ぶ。これはもともと乗馬の名手という意味であるが、騎士的なニュアンスがあり、カフカースなどでも用いられる言葉である。今回の課題は、
- Что нового, коллега? – спрашивает один врач у другого.
- О, уникальнаый случай! Соломенная вдова, больная сенной лихорадкой.
設問)和訳せよ。オチを別に解説してもよい。

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2008年12月02日

●新帯研 第38回

原求作先生は「ロシア語の体の用法」、「ロシア文法の要点」、「ロシア語の運動の動詞」(いずれも水声社)を執筆され、ロシア語の中級文法について我々学習者の蒙を開いてくれているわけだが、最近、先生がロシア歴史小説の執筆もなさっていることを知った。「プーシキンの決闘」(水声社、1998年)、「大帝の椅子」(講談社、2000年)、「セルギイ・ラドネシスキイ年代記」(水声社、2005年)である。「プーシキンの決闘」は、ロシアの国民的詩人プーシュキンの芸術家として複雑な性格がよく描かれていると思う。「大帝の椅子」はピョートル大帝亡きあと実権を握ったメンシコフの没落を日本(?)の漂流民ボリースが黒幕として操ったとして描いている。個人的にはこのボリース(色白でアルビノか先祖返りか)の存在という設定自体が、プロットに無理を強いているような気がする。メンシコフを没落に追いやったのはオステルマンだけで十分だったのではないだろうか。このボリースを除けば18世紀初めのロシアについてよく描かれていると思う。ロシア史に興味を持っている人には非常に興味深い小説であり、登場するロシア人についても説得力がある。日本人作家の小説でロシア人が登場するものの中にはほとんど、西洋人には違いないにしろ、ロシア(人)らしさが描かれているものはほとんどない。五木寛之の「さらば モスクワ愚連隊」や、プロット的にはより面白い「蒼ざめた馬を見よ」、それに「朱鷺の墓」なども登場人物のロシア人は実際のロシア人とは、たんなる外人であって、ロシア人とは別物という感じがする。これまで読んだ日本人作家でロシアらしさやロシア人というものを感じさせたのは、長谷川四朗の「シベリア物語」のみである。長谷川はソ連で収容所も体験し、自身ロシア語も非常に堪能であったことが作品からうかがわれる。やはり、ロシア人を作品で描こうとするなら、ロシアやロシア人、ロシア語に対する深い理解というものが不可欠であろう。ロシアに興味のない一般の日本人にとっても、先生の作品で傑作と言えるのは「セルギイ・ラドネシスキイ年代記」である。14世紀のロシアの置かれた困難な状況について、あらゆる史料を駆使して生き生きとその時代を蘇させる手腕にはただただ驚くほかはない。文体は平明簡潔であり、美しい日本語である。本書はセルギイ・ラドネシスキイの一代記ではあるが、緊迫したプロットがクライマックスのクリコーヴォの戦いまで読者を引っ張っていくのみならず、アレクシイを始め登場人物にしても考え抜かれた性格描写が飽きさせない。当時の大公が神仏を特には信じないものの、祟りを恐れるということが本書で触れられていたが、これは日本でも菅原道真や祟徳上皇、平将門など祟りを恐れる日本的風土と同じであり、先生の炯眼に驚いた次第。本書を一読されることを強く勧める。原先生には中上級のロシア語関係の参考書を引き続き執筆願いたいという希望はあるものの、このような小説もそれ以上に期待するものである。
この他に日本語のロシア関係の本で最近読んだもので面白かったのは、現代ロシアの詩人カザケービチの「落日礼讃」(太田正一訳、群像社、2004年)である。ロシア的なものについてのエッセーと言うことで読みだした。確かに夕日に対するロシア的感覚など興味深いが、それよりも、短編「乳母」には感心した。作者の子供時代に世話をしてくれた乳母のことを書いているわけだが、私の母と同年代(1920年代後半の生まれか?)で、文盲かつ迷信を信じ、おしゃべり好きで、ロシア人のインテリに多いとされる鬱とは対照的な女性で、思いやりと残酷さが共存している。今まで600冊以上のロシアソ連文学を読んだが、短編では一番面白いと思う。本来ロシア語で書かれたものはロシア語で読む主義だが、これはロシア語版では出版されていないということで、邦訳で読んだが、訳文も素晴らしい。チェーホフの短編もよいけれど、やはり100年前の本であり、現代ロシアにもこういう人たちが生きていたのだという驚きのほうが強かった。同じく収録されている「兄弟」も見るべき作品である。「乳母」は清潔整頓好きな村上春樹の主人公と対蹠的な人物であり、「兄弟(実の弟のことを書いている)」では、村上龍の主人公のように作り物めいていて現実的なキレやすい人たちではなく、同じアナーキーでも地に足のついたアナーキーというロシアではどこにでもいそうな庶民が描かれている。ロシアでは村上春樹や村上龍が大人気だが、これは多分にロシアでは珍しいタイプが小説に描かれているからではないだろうか?村上龍は筒井康隆に似ているが筒井康隆の方がをもう少しハチャメチャな感じである。筒井康隆が短編が主だからだろうか?今回の課題は、
- Василий Иванович! Белые нас сзади обошли!
- Впер-р-рёд!
設問)和訳せよ。

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2008年12月13日

●新帯研 第39回

カザフ民族は16世紀シニア・ジュズUlu Juz、ミドル・ジュズ Orta Juz、ジュニア・ジュズ Kishi Juzという3つの大きな部族集団に分かれて遊牧するようになった。ちなみにジュズとはカザフ語で百を意味する。18世紀にはミドルおよびジュニア・ジュズがロシアに服し、シニア・ジュズも19世紀末にはロシアの帰属となった。スターリン時代ミドル・ジュズの一部の支族が中国やモンゴルへ逃れたことから、特に現在モンゴルからカザフスタンへの帰還者がある。1990年代の中国の核実験や隣国で人口が多いことなどから、中国に対しては恐怖感をもっており、アルマトゥイからアスタナーへ遷都したのもこの点をある程度考慮したものとされる。無論遷都の主たる理由は東部に多く住むロシア人対策であろう。このような歴史を学校で教えられているわけではないので、一般にロシア人に対してはウズベク人などに比べ寛容であり、兄と頼るところがある。例外としてはペレストロイカで最初の騒擾事件である1986年12月のアルマアタ(現アルマトゥイ)事件(1名死亡、8000人逮捕)でこれは当時のクナーエフが第一書記の座をロシア人のコルビンに替えられたことに起因する。ソ連崩壊時もそれほど積極的にカザフスタンは独立したがっていたわけではない。因みにナザルバーエフ大統領はシニア・ジュズに属し、その中でも最も由緒あるとされる中国起源の支族出身とされる。シニア・ジュズは南部(アルマトゥイなど)、ミドル・ジュズは北部に、ジュニア・ジュズは西部つまり石油関係に強い。国内政治を行う上で現在でもこの3つのジュズや新興企業家の利権のバランスが不可欠である。今回の課題は、
Отец привёл сына в одесский зоопарк. Подошли к одной клетке.
- Папа, это тигр или лев? – спрашивает сын.
- Это леоперд, - отвечает отец.
- Не морочьте в голове вашему ребёнку, - вмешался пожилой одессит, - это гигиена!
設問)和訳せよ。オチを別に解説してもよい。

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2008年12月17日

●新帯研 第40回

カザフスタンは「ッカザックスタン」という発音がカザフ語の発音に近く、語頭には英語でいうck(クロックclockのckで英語では語頭には来ない)である。出張でモンゴルに行ったとき、招待してくれたメーカーの事務所の世界地図には、カザフスタンのことをQazaqstanと書いていた。確かにこの方がKazakhstanより原音表記と言う観点からは近いかもしれない。
カザフ語のアルファベットはロシア語のそれを基にして作られたが、必ずしも同じではない。1940年のカザフ語の正書法では「偉大な」улыはуの上にお盆のような記号をつけ、発音は「オーラ」に近く発音する。字が似ている「毒々しい」улыはその記号なしで、発音は「ウーラ」と発音する。しかし印刷の校正の過程で、よくこのお盆の記号が消えることが多々あった。つまり、「我父であり師でもある毒々しい首領同志スターリン」という風になることがあったということである。ちょっとしたいい加減さや偶然から植字工や新聞記者が塀の中にぶち込まれることもあり得たわけで、彼らはこの文字のことを「殺し屋」と呼び恐れた。言語学者たちがこの窮境を救うために立ち上がり、уの下の部分に横に線を加える事で(¥の横棒が一本足りない感じ)、この混乱に終止符を打ったのである。今回の課題は、
Доктор слушает пациента и приговаривает:
- Хорошо, хорошо...
- Доктор, а что хорошего-то?
- Хорошо, что у меня такого нет!
設問)和訳せよ。

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2008年12月18日

●新帯研 第41回

なぜスターリンがロシア人に好かれるか長年考えてきた。その理由として考えられるのは、例えば、長男ヤーコフがドイツ軍に捕虜になったときにドイツ側からパウリュス元帥との捕虜交換を提案されたが、スターリンは兵士と元帥を交換しないし、自分の息子だけ特別扱いにするわけにはいかないと拒否した。ヤーコフは1943年収容所から脱走を企て射殺された。またスターリンの次男ワシーリーも1943年カリーニングラード州で、ロケット弾を使った漁を企てたが、途中で暴発し、ロケット弾を持っていた技師が即死、一緒にいた飛行士が負傷、彼も足に負傷した。スターリンの命令により即飛行連隊隊長から解任された。スターリンが自分や家族のために蓄財したということはない。青史に名を残すということを考えていたのかもしれない。そういう考え方はロシアでは非常に珍しい。プーチンに私利私欲がないのかどうかは今の時点では不明だが、プーチンもこのような考え方をしているとロシア人庶民は考えているように思われる。あるいは単に肉親の情が薄いせいからかもしれない。2番目の妻が自殺した時も、モロトフは墓でスターリンの目に光るものを見たと述べているくらいである。スターリンの父は飲んだくれで、母については手紙を書いたりしたが、父については何もない。イングーシュ人はスターリンにより第二次世界大戦中中央アジアに強制移住させられたたが、彼らの間では、スターリンはグルジア人ではない。グルジア人は陽気だし、このようなひどいことをする民族ではないという風評がたった。スターリンの母はオセット人で、粗野で傲慢なのはそのせいであるという。弾圧された詩人マンデリシュタームの詩にも「幅広の胸を持つオセット人」という表現がある。今回の課題は、
В приёмной посетитель ведёт разговор с секретаршей.
«Простите, сколько вы получаете? – спрашивает он.
«Сто двадцать».
«Переходите работать ко мне, я судовольствием буду платить вам сто пятьдесят!»
«Спасибо, - отвечает секретарша, - но с удовольствием я получаю здесь двести».
設問1)オチが分かるように和訳せよ。
設問2)Профессор попросил ассистент прочитать свой реферат.を意味が曖昧にならないよう訳せ。

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2008年12月30日

●新帯研 第42回

カザフスタンのナザルバーエフ大統領は1989年より政権を担当し、2005年12月の選挙でさらに7年の任期を圧倒的多数(投票者の91%)で認められた。国家的に政治的にも経済的にも安定しているとはいえ、石油がらみの汚職事件が頻発し、2003年3月には「カザフゲート」事件が起こった。米国ビジネスマン(Games Giffen)が石油企業からカザフ政府トップへ7800万ドル渡したとして、米国の海外汚職行為防止法違反で起訴され、2007年1月に決定が下されるとある。無論このビジネスマンもカザフ関係者も事件に対し否認している。この他にも、2001年には自由経済改革で辣腕を振るった元首相のカジェゲルジンが亡命し、金融関係の濫用により欠席裁判で10年の刑を宣告されて財産没収となり、元エネルギー相のアブリャーゾフが公金拐帯および国家基金の不正使用で2002年投獄された。2005年11月元知事で非常事態相のヌルカヂーロフが野党のリーダーとして、ナザルバーエフに対し強い批判をしていたが、2005年11月多数の銃創で死亡した(公式には自殺と発表)。2006年2月元情報相で元国家安全会議長官、元駐ロシア大使のサルセンバーエフが国家保安委員会の職員の一団に暗殺されたなどきなくさい匂いも漂い始めている。今回の課題は、
Встречаются трое новых русских и выпендриваются:
Первый:
- Был я тут в Японии, и мне встроили телефон в руку! (где-то звенит, он подносит руку и проводит деловой разговор).
Второй:
- Это что, у меня сотовый телефон с пейджером! (ситуация повторяется).
Третий (неожиданно крякнув и присев) извиняется:
- О, факс пошёл.
設問)和訳せよ。

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2009年02月03日

●新帯研 第43回

原求作先生の「ロシア語の体の用法」の読者の書評に「誰にでも分かるような用法なら、「整理して、まとめて書く」ことも簡単ですが、いわば、用法の端っこの方になればなるほど、「まとめて書く」なんてことは難しくなります。この本は、そんな、ちょっと向こうの方の用法を、分かりやすく解説した本で、体の基本的な使い方をマスターした人には大いに役に立ちます」とあった。体の基本的な用法というのは、完了体は完了を示し、不完了体は、過程、習慣、一般的なできごとを示すということなのだろうか?ロシア語で道を尋ねたり、ホテルのチェックイン程度できればよしとする、いわゆる趣味や余技のロシア語程度なら、その通りかもしれないが、プロを目指すなら、少なくとも本書に書かれているようなことは体の基本的用法であり、最低限マスターすべきである。本書は、「ロシア語の運動の動詞」とともに必読書である。この体の基本的用法を理解しないと、ロシア人の使う簡単な言葉のニュアンスすら分からず、しかも、会話や作文でもほぼ不完了体の現在形(「いつも~である」とか、「一般的に~である」)しか使えず、いつまでも外国人のロシア語から離れることができずに、一方通行の子供の会話のままで終わることになりかねない。今回の課題は、
Мать со взрослой дочерью входят в кабинет к врачу.
- Попрошу раздеться, - говорит врач девушке.
- Но больна не дочка, а я, - поясняет мать.
- Ах, Вы! В таком случае покажите язык.
設問)和訳せよ。

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2009年02月10日

●新帯研 第44回

パオロ・トゥルベツコーイПаоло Трубецкой (1866 – 1938)は、公爵とはいえロシアの貧乏外交官だった父とイタリア人の母の間に生まれたイタリアの彫刻家・画家である。ロシア語は話せなかったが、召使はみなロシア人であり、ロシア的なものを好んだ。ベジタリアンであり、客(多くは女性)を自宅に招待しても、客には肉料理を出すのだが、その牛や豚がどのような悲惨な思いで死んでいったかを長々と話し、そのため肉料理は手つかずであることが多かった。シベリア犬(ジャーナリストのドロシェーヴィチによれば飼い馴らした狼ではないかという)をペットとして飼っていたが、丸丸と太ったそのペットもベジタリアンであると吹聴し、「肉というのは犬にとっても悪い習慣にすぎない」と言ってのけた。ところが、ある朝、隣の工場の料理女がかわいそうに思ってか、その犬に骨や余った肉をやっているのを見つけたパオロは、ひとこと、「えい、獣めが」と言ったきり絶句し、この料理女を誘惑者イブであるかのように憎悪したという。
 パオロは読書をしたことがなく、あるとき有名なトルストイの彫刻をすることになり、イタリアに来たトルストイが、その頃フランスで出版された「芸術について」というトルストイの書いた本を読んだかと問うたところ、否とのことだった。トルストイはこの本はパオロにとっても興味深いのではないか、読んでみたらと述べ、次の日に読んだかどうか聞いてみたところ、
「2ページ読みました」
「気に入らなかったのかね?」
「眠ちゃったんです」
 これにはさすがのトルストイも大笑いだった。自分は理論家ではなく、芸術家なのだという矜持を持っていたのだろう。今回の課題は、
Стук в кабину туалета:
- Товарищ...
Ещё более нетерпеливо:
- Товарищ...
Можно сказать отчаянно:
- Товарищ, у меня понос.
Из кабины скрипучий, кряхтящий голос:
- Счастливчик.
設問1)オチが分かるように訳せ。
設問2)поносは医療用語だが、日常では普通何というか?

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2009年02月12日

●新帯研 第45回

1990年代初め、ハバロフスクに出張した時にそこのイントゥーリストホテルにお客さんと一緒に泊まった。当時日本のラーメンが合弁会社で進出し、なかなかおいしいと評判だった。カニも安く、博物館に飾るようなでかいカニが二人で1杯2,000円くらいだったと思う。いつもは食事のときにいろいろ話をするのだが、このカニのときは二人とも無言で、しかも手を血だらけにして食べた。食べるのに夢中でカニのトゲの痛みに気がつかなかったのである。宿泊していたホテルで夕食を食べようと思っていると、スウドンとロシア語で書いてある。ラーメンの次はうどんかと思い、二人で頼んだ。見た目は月見うどんのようである。食べてみて驚いた。酸っぱいのである。酢うどんだったのである。嘘のようなホントの話。今回の課題は、
О происхождении языка.
Сидят папуасы. Один: «Ба-ба-ба-ба». Другой: «Бу-бу-бу-бу». Третий: «Ба-бу бы»
設問1)オチが分かるように和訳せよ。
設問2)высотаとуровеньの違いを分かりやすく説明せよ。

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2009年04月20日

●新帯研 第46回

今回はこのブログの閲覧者のために3冊本を紹介したい。
(1) Московские легенды, Баранов, 1993(モスクワの「都市」伝説)
 ガイドをしているとロシア人観光客の口語や俗語に触れることが多く、その学習の重要性を身にしみて感じる。そのために一番よいのはこのブログで紹介しているアネクドートを読むことだが、アネクドート自体は形式上短いということで、それが長所とも短所ともなっている。そこでアネクドート以外にロシア人庶民の俗語に親しむ本として本書を紹介したい。著者が1920年代のモスクワの酒場、茶屋、食堂などで採取した都市伝説で、これまでのフォークロアでは広く知られていなかったものである。拙著「ロシア式ビジネス狂想曲」(東洋書店、2006年、168ページに記載)で紹介したブリュースБрюсもそうである。ただСедая старина Москвы(大昔のモスクワ), Кондратьев, 1893には魔法使いブリュースについて何行か書かれているから、学者の間で全く知られていなかったということではない。伝説自体(奇想天外なプーシュキン物語もある)はいうまでもなく、その伝説を話してくれた庶民との知り合った経緯が簡単に触れられているが、それによって当時の庶民の生きざまなど分かってなかなか面白い。現在は電子書籍になっているのでタダで手に入る。俗語の独特のリズム感や語彙が使われているので大いに勉強になるはず。アファナーシエフの民話よりはこちらを読んだ方が、庶民の考え方(どうしてスターリンは庶民に人気があるのか)などが分かりやすいと思う。Барановバラーノフと彼の「モスクワの伝説」については、齊藤君子先生の「モスクワを歩く」(東洋書店、2008年)に詳しい。ちなみに魔法使いブリュースが登場する小説がある。ロシアのホフマンと言われたチャヤーノフЧаянов(1888~1937)の「家伝によりモスクワの植物学者Khにより描かれ、植物病理学者Uにより挿絵が描かれたフョードル・ミハーリヴィチ・ブトゥルリーン伯爵の不思議だが本当の冒険Необычайный, но истинный приключение графа Фёдора Михайловича Бутурлина, описанные по семейным преданиям московским ботаником Х и иллюстрированные фитопатологом У.という幻想小説の中である。チャヤーノフは1930年12月ソ連で資本主義復活を策しているとして逮捕され、1937年銃殺された。彼にはПутешествие моего брата Алексея в страну крестьянской утопии(我が兄弟アレクセーイの農民ユートピア国への旅)という作品があり、その中で主人公は1924年のソ連から60年後の1984年の世界にタイムトリップする。そこでは世界はドイツ、英仏、米豪、日中、ロシアの5つに分かれ、互いに孤立した世界であり、ロシアでは1932年以降ボリシェビキーではなく農民が政権と握っていたという設定である。文学的にはこういう作品よりも、История парикмахерской куклы, или Последняя любовь московского архитектора(理髪店の人形の逸話、つまりモスクワの建築家の最後の恋)が傑作である。Современникという出版社から1989年に出版されている。
(2) 「ロシア文学鑑賞ハンドブック」中沢敦夫、群像社、2008年
初級文法の復習には「ロシア語ハンドブック」(藤沼貴、東洋書店、2008年)が使えるが、中級文法の復習用にはというと帯に短しの類ばかりだった。本書は、ロシア文学の露文解釈用参考書としてはベストであるのみならず、中級文法の復習や整理用に最適である。若干誤訳や勘違いがある。ご興味のある方は私のサイト「ランポポー」の「ガイド・通訳・翻訳に使える参考書」のところを参照願いたい。ただロシア語の言語運用能力(和文露訳)をつけたい向きには、当然ながら現代ロシア語の口語の解説がないために自分なりに咀嚼しないと使えない。露文解釈がロシア語の参考書の主流であるが、そういう参考書で露文解釈の勉強を続けていて、ロシア人と会話ができないのは、リスニング不足という問題だけではない。なぜなら露文解釈中心の参考書を言語運用能力養成のために使おうとすると、本に載せられているいくつかある表現のうち、どの表現が現代ロシア語の口語でよりよく使われるか、またその違いについての説明がないことが多い。「時事ロシア語」(加藤栄一、東洋書店、2008年)にしてもそうで、露文解釈にはよいが、これを会話用に使うには、自分なりに語彙収集(特に句動詞について)をしないと使えない。
(3) モスクワ・グラフィティ、ブシュネル、群像社、1992年
落書きを通じて1970年代や80年代のソ連のアンダーグラウンド文化(サブカルチャー)について解説した本。当時のサッカーファンについての説明については類書がない。ソ連のロックについては、Повседневная жизнь российского рок-музыканта, Марочкин, Малодая гвардия, 2003などがある。今回の課題は、
Из воды вытащили утопавшую.
- Пульс бьётся...она жива. Отлично, сударня, произнесите хоть слово.
- Нет ли зеркальца?
設問1)2行目をона живётに代える事が出来るか?
設問2)和訳せよ。

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2009年05月28日

●新帯研 第47回

「イスラム社会のヤクザ」(佐藤次高、清水宏裕、八尾師誠、三浦徹共著、第三書館、1994年)という本を読むと、イスラム社会にもバグダッドでは9世紀ごろからヤクザмолодцы(若いの、若い衆)のいたことが分かる。彼らはアイヤール、フトゥッワ、ムルッワと呼ばれ、任侠道(男気、義理を重んじる、約束を守る、正義)の徒だったという。一部君主から治安を任されていた時代やそうせざるを得ない時代もあった。互いを仇名で呼び合うのも、ロシアのヤクザに似ている。シリアのダマスカスでは10~20世紀初めまでそういうヤクザが生きていたという。千夜一夜物語にも、「女狐ダリーラとカイロのアリ・ザイバークの物語Рассказ о Далиле-Хитрице и Али Зейбаке Каирском」など、バクダッドのヤクザに関する物語などが収められている。
 慣用句についてはキムミネ著の「ロシア語慣用句辞典」(東洋書店)という名著があるが、諺については日本語で書かれたものがなく(絶版になったものはあるが)、学習者に勧めるにはどうしたものかと考えていたが、ついに見つけた。「諺で読み解くロシア人の人と社会(ユーラシアブックレット No. 104)」(栗原成朗、東洋書店、2007年)である。スラブ民俗学の泰斗である栗原先生のロシアの諺を中心にしたロシア人気質についての解説書と言った感じである。ロシア語を学ぶ人には必読書である。ユーラシアブックレットでは一、二を争う名著だが、売れ行きが芳しくないのは宣伝不足に違いないと考えここに紹介しておく。諺も500ぐらい収められていて、自分がこれはと思ったものは暗記すべきである。ただ本書の性質上、西洋から翻訳された諺(「健全な身体には健全な精神が宿るВ здоровом теле – здоровый дух」といった類)は扱っていないので、それを知りたい人はСловарь русских пословиц и поговорок(ロシア諺辞典), В. П. Жуков, Русский язык, 1991 (収録の諺1200)などがある。今回の課題は、
Какое самое лучшее противозачаточное средство?
- «Спиодин».
設問)オチが分かるように和訳せよ。

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2009年05月29日

●新帯研 第48回

ヴィッテの長兄は軍人だが、その実見談としてグルジアのチェフチェヴァーゼというトルコ戦争で名を挙げた軍人の頭に弾丸がぶつかって跳ね返ったというのがある。失速した弾なのだろうか。筆者が大学生のとき川口のメッキ工場で夜警のアルバイトをしていたが、そのときの夜警に下重さんという人がいた。この人は陸軍士官学校出で、太平洋戦争のとき南方で中尉として部隊を率いた。このときヘルメットのまん前に弾があたって弾は一周したという。その跡も見たといっていた。単なる与太話なのか実話なのかは知らない。失速して勢いのなくなった弾がヘルメットにあたってカーン、カーンと音を立てることもよくあったといっていた。今回の課題は、
- Чем закончилась электрификация всей страны?
- Советским людям всё стало до лампочки.
設問)オチが分かるように訳せ。

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2009年06月01日

●新帯研 第49回

1994年ウラルの世界最大のチタン工場に出張した時に、当時は不景気でその工場でも民需転換が叫ばれていた。工場付属の展示室でチタンの板が何個か入った防弾チョッキのほかに、チタンの雪かきがあった。あまりしげしげと見ていたらお土産にくれるという。結局軽井沢に別荘があるという重役が一人で何個かもらってホクホクして帰って行った。軽くていいとのことだった。
工場と言えば、1985年ごろ工具の買い付けで何度かモスクワの工具工場で商談をした。工場長室に案内されるのだが、何度か、奥の部屋で接待を受けたことがある。工場長の部屋となると、会議ができるような設備はともかく、いくつかの電話(中には共産党幹部と直結している電話もある)、トイレ、ベッド、バス完備で、接待用の部屋にはウオッカ、キャビアなんでもそろっていた。少しずれるが、その頃のことを思い出すと、1970年代初めはテレックスの全盛だった。リボンに最高6つ穴があくのだが、その空き具合でエムだとか分かる。右に3つ穴があくとエムかピリオドというのを今でも覚えている。このテープは1回でモスクワとつながればよいのだが、午後6時ごろ(モスクワは昼12時)は回線が混む。そのためなかなかつながらない。つながっても途中で切れるとまた初めからやり直しである。船のスペックは送信時間だけで1時間というのがざらにあり、途中で切れてもいいように番号を振って5つぐらいに分けて送信していた。このくらい長いとテープを巻いておくと途中でこんがらがって切れるもととなる。それで先輩から教わったのだが8の字にまくと途中でこんがらがらずに切れない。こういうテクニックが伝承されないと思うとちょっと淋しい。今回の課題は、
- Слышь, тёлка! Как насчёт рублёвого покрытия?
設問)和訳せよ。オチを別に解説してもよい。

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2009年06月02日

●新帯研 第50回

ソ連に初めて出張した時に驚いたのは、ウクライナホテルのエレベーターおばさんである。エレベーターの降りる階を客が勝手に押させない仕組みになっているのだ。パンストでもプレゼントすると、言われないでも優先的に他の客を尻目に押してくれる。失業対策なのだろう。このエレベーターの遅いのには頭にくる。自分が36階で、アテンドする客が26階だとすると、朝食で待ち合わせて朝食の階まで行くのに30分はかかった。その代りウクライナホテルのトイレは広大で、非常に気持ちがよかった。ただ紙はメモ用紙のようで痔主にはつらかろう。私は何時もアテンド客のためにロシアへの出張時トレペを2個は持参していた。この他にソ連時代の無駄の最たるものは、女中などは暖房を取るのにガスレンジの火を出しぱなしにするのである。今回の課題は、
- За что уволили редактора страницы юмора «Литературной газеты»?
- В преддверии ⅩⅩⅤ съезда партии он предложил ввести новую рубрику: «Опять двадцать пять!»
設問)訳せ。オチを別に解説してもよい。

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2009年06月04日

●新帯研 第51回

ロシアの呪や迷信などに関する本を読むと、килаという言葉が出てくる。これはразличного происхождения опухоли, в том числе грыжи и абсцессы(ヘルニアや膿瘍を含むいろいろなところにできる腫れ)で、手、足、顔、のど、肛門、性器にでき、耐え難い痛みや原因不明の憂鬱感を伴うとある。なにか帯状疱疹(ヘルペス)の症状に似ているような気がする。帯状疱疹というのは子供の時になった水痘と同じウイルス(水痘帯状疱疹ウイルス)が、神経の付け根に残っていて体調が悪いと活性化されて1本の神経支配領域に添って出来る。3~5日位で皮膚の表面に現れて初期は赤い皮疹を作り1~2日位すると水膨も出来る。皮膚に出来る前から痛みが出現することが多く、痛みの強さは非常に耐えられない強い痛みの人と我慢できる程度の人と稀に全く痛みを伴わないこともあるというからこれではないか。килаはロシアではこれは魔女がかける呪の一種であるとされた。
革命前のロシアの農村では病気というのは、呪によるか、体の中に虫が侵入することによって引き起こされると考えられた。虫歯もその一つで、歯虫зубной червякが歯の間に住みつき、食い荒らすことによって起こるとされた。この虫は白っぽくて頭部が黒いという。ちなみに現代のロシア語ではкариес зубаという。日本語では虫歯と逆になっているのも面白い。
ロシア人と挨拶するときにドアの敷居越しにはするなと言われ、悪魔が来るからという説明を受けたことがある。最近Будурの本を読んでいて、ロシアの人々の考えではдверной проём представлялся границей между своим и чужим миром. Выходя из двери во двор, человек встречается лицом к лицу с враждебными силами, поэтому при выходе из дома необходимо было защитить себя молитбой.(ドア口は自分の属する世界と異世界との境界であるとされた。ドアから中庭に出ると、人は敵対する勢力と面と向かって向き合うことになる。それで家から出るときには自分を祈りで守らなければならなかったのである)
犬が穢れたものであり、教会に入れてはならないとされているのは、ロシアの民衆が信ずるところによると、犬はもともと裸で創造された。悪魔が犬を誘惑し、冬の寒さで脅して暖かい毛皮を約束した。それにつられて犬は最初の創造された人間に悪魔が近づくことを許し、悪魔は人間をつばと痰で穢した。それゆえ犬の毛皮は穢れており、教会に犬を入れることはできないのであると。ただ猫を協会に入れるのはよいとされている。今回の課題は、
- Какая разница между уткой обыкновенной и журналистской? – спросили поляка.
- Первую позывают «тась-тась-тась», а вторую – «ТАСС – ТАСС – ТАСС»
設問)訳せ。オチを別に解説してもよい。

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2009年06月08日

●新帯研 第52回

年鑑のЯпонияで使われている日本語をロシア語で表記する方法にПоливановкая транскрипция (Е. Д. Поливанов 1891~1938)というのがある。コンラッドの和露辞典でも採用されており、非常に理にかなっている面も多いと思う。主な特徴を挙げると、
オ(ヲ)о、シси、チти、ツцу、ハха、フфу、ヨё (йо)、ザдза、ジ(ヂ)дзи、ズ(ヅ)дзу、チャтя、チュтю、ジャ(ヂャ)дзя、ワ(ヴァ)ва、チェтеである。強いてコメントすれば、ジとヂ、ズとヅ、ジャとヂャが同じ表記だが、現代標準日本語(高知弁では使い分けるというが)においては発音で区別しないが、活用などでは別表記(例えばджа, джиとかдя, диなど)にしたほうがよいと思われる。「つづ(続)ける」、「ずつ」などという例もある。それとは別に、日本語の文字もすべての日本語の発音を表記できるわけではない。たとえば、「未曾有の出来事」は、「ミゾーウ」であって、「ミゾー」ではない。今回の課題は、
После просмотра фильма мужик жалуется другому:
- Как жаль, что мне не 15 лет.
- Почему?
- Меня бы на этот фильм не пустили.
設問1) 和訳せよ。
設問2)「時計6個」を露訳せよ。
設問3)22 сутокはロシア語として正しいか?
設問4)次の文はロシア語として正しいか?
Вопрос обсуждался на специальном совещании, где было принято развёрнутое решение.

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2009年06月25日

●新帯研 第53回

最近ロシア語中級向けのよい参考書が出版されてきたので、それに基づいてどう初級以降の勉強を独学で続けていくか書いておく。ロシア語の発話能力(和文露訳)をつけるには、一般的に、アルファベットの書き方をマスターし(できれば筆記体。アルファベットが書けないと文や語彙の暗記ができない)、初級文法やロシア語入門のような参考書を終えた後、次のような勉強をすることになる。

1) 入門書や会話集などで挨拶などの決まり文句を覚える。
2) 熟語や慣用句、ことわざを覚える。(ここでいう熟語はустойчивые словосочетания「安定的語結合」のことで、нарушать график + 生格の類)
3) 動詞の体の用法を十分理解する。これが理解できていないと決まり文句や、習慣的にとか一般的にこうだという不完了体の動詞しか使えず、それ以外の和文露訳ができないことになる。
4) 文章のロシア語をそのまま理解する練習をする(頭ごなし和訳の練習)
5) 壁に向かってロシア語を話すわけではないので1)や2)だけではだめで、聞き取りができるようにCDやDVDなどでロシア語を聞き、リスニングの力を高める。
だれにでも人生の時間は限られているから、プロ(ガイド、通訳、会社でロシア語を使う営業職)を目指すなら、3年間だけでも集中的に(毎日1~2時間ぐらい)ロシア語を勉強してみてはどうか。市販の参考書を使って、プロとして働けるレベルの発話能力をつけるためにどう勉強すべきかの一つの案を書いてみる。このようにして勉強すれば、ガイド(通訳案内士)試験を受験できるレベル(中級クラス)の実力はつくはずである。ロシア語の勉強に終わりはない。要はロシア語の勉強を毎日するという癖をつけることが大事である。そうすれば必ずプロとして活躍できる力がつく日が近い将来必ずやって来る。

(1年目)
会話用に特別な勉強法があるわけではなく、文法を理解し、語彙を増やすしかない。最初の勉強は露文解釈の勉強である。露文解釈の勉強を先にやるのは、ロシア語を日本語に訳すほうが、日本語をロシア語に訳すよりも一般的に簡単であるということが一つある。それと露文解釈の勉強がなぜ必要かというと、無論ロシア語→日本語への通訳の勉強のためだが、プロの通訳やガイドにとって一番重要なのは、相手の言うロシア語を100%聞き取る力である。聞き取る力というとリスニングが思い浮かぶが、単語が聞き取れても意味が分からないということは多々あるわけで、リスニング以前に内容を理解するための勉強が必要なわけである。聞き取れれば、あとは極端に言えば手振り身振りでも意思を伝えることができる場合がある。しかしほんの少しでも聞き取れないと(無論聞き返すのは一度ぐらいなら許される)、プロとしてアウトである。そのため露文読解を中心に、聞き取る力をつけることが必要である。露文解釈を通じてロシア語の論理を身につけなければならない。文章のロシア語は一般的に会話より論理的である。会話のロシア語では相手が会話の内容を理解しにくそうあれば言い換え、繰り返しが多用される(中には回りくどい話し方が癖の人もいるが)ため、それが意味の理解を助けることになるのが普通である。ところが文章では、くどくなることを避けるために繰り返しや言い換えが少ない傾向にある。つまり文章のロシア語を頭ごなし訳で理解できれば、聞きとりの一歩は踏み出せたことになる。そうなれば後はロシア語の音に慣れるだけとなる。

1) 「NHKのラジオロシア語講座テキスト」、または各社で出ているCD付きのロシア語入門書で会話がついているもの。
 その日のテキストを3回ノートに書き、その後丸暗記する。その暗記がどのくらいできたかを調べるために週末にはテキストの和訳からロシア語にする練習をする。これを半年から1年続ける。
2) 「現代ロシア語文法(城田俊、東洋書店、1993年)」、または「ロシア語文法便覧(宇多文雄、東洋書店、2009年)」
 ロシア語の勉強をしていると様々な疑問がわいてくる。この疑問がわいてこない人は語学の上達が見込めないと考えてロシア語は趣味程度にとどめておいた方がよい。その疑問の答えを知るには、こういう文法書と辞書(岩波書店か研究社の露和辞典でよい。収録語彙数は実質的に変わらない)をそろえる必要がある。これらの文法書を1日最低2ページ、できれば10ページ読む。文法書はロシア語で疑問が出てきたときにまず頼りにするものなので、一通り読んでおき、あとはその都度必要と思われるところを読み返せばよい。

(2年目)
次に挙げる参考書を1回で覚えようとはせずに、こういうことが書いてあったと頭の隅に残るぐらいで読み進めればよい。

3) 「ロシア文学鑑賞ハンドブック(中沢敦夫、群像社、2008年)」毎日10ページ読破。
4) 「ロシア語慣用句辞典(キムミネ、東洋書店、2001年)」
毎日2ページ暗記。
5) 「諺で読み解くロシア人の人と社会、ユーラシアブックレット
No. 104」(栗原成朗、東洋書店、2007年)
 小冊子ではあるが、ロシア人についての考察は深い。ことわざも500ぐらいあり、自分で必要だと感じたものは暗記する。
6) 「ロシア語の運動の動詞(原求作、水声社、2008年)」
 毎日2ページ読破。
7) 「ロシア語の体の用法(原求作、水声社、1996年)」
毎日2ページ読破。
8) 「ロシア文法の要点(原求作、水声社、1996年)」
毎日2ページ読破。

(3年目)
9) 「時事ロシア語(加藤栄一、東洋書店、2008年)」
毎日1~2ページ分の単語を暗記。
10) ロシア語の1000時間マラソン
毎日3時間ロシア語のテープ、映画、ニュースを通勤通学の合間に、意味が分からなくてもBGM感覚で聴き流す練習)を1年間する。
11) ガイド試験の準備
法学書院の過去問をやってみるなど。
 今回の課題は、
Амеpиканские пpогpаммисты очень долго не могли понять, почемy их pyсские коллеги пpи зависании Windows всё вpемя повтоpяют фpазy "твой кpолик написал" (Your Bunny Wrote) (пpим.: английский ваpиант следyет пpочитать быстpо).
設問)訳せ。オチは別に解説してもよい。

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2009年06月28日

●新帯研 第54回

最近、日本人とロシア人の交流史というのに興味を持ち、いろいろ文献を読んでいる。クルゼンシュテルンКрузенштерн、ゴロヴニーンГоловнинなど200年前の探検家の世界一周航海記などだが、ロシアの近代文章語を確立したとされるプーシュキンの少し前で、оный, будучи, кои, говореноなど現在では使われない言葉も散見されるが、それを除けば読みやすい。著者の頭脳が明晰で、見聞したことを分かりやすく後世に残そうという意欲が感じられる。日本とは関係ないが、探検家のプルジェバーリスキーПржевальскийの探検記(1300ページ近くある)も150年前ので、それらよりは読みやすい。ただ、ロシア語の本を読むのは文献として読んでいる他に、語彙の収集をして、コーパス(コンピューターで編集できる語彙集)を増やそうとしているわけで、そのときにこの言い回しは現代でも使えるのだろうかと気になるものも若干ある。сарачинское пшено (= рис), французская водка (= коньяк)などは、コーパスに入れないが、поправить немного свои силы(やや元気を回復する)とかпотеряв позыв на еду(食欲をなくして、現代ではаппетитを使うのだろうと思う)入れるか入れまいか考えてしまう。こう言う表現は外国人が露訳するときにしそうな気がする。そういう意味で昔のロシア語には分かりやすいものもある。ザベーリンЗабелинは100年前の歴史学者で、彼の作品で革命前の本をそのままリプリントしたものは、昔の仮名遣いのものがある。ザベーリンのは600ページくらいの本が多いから、読んでいるうちに気にならなくなる。昔の仮名遣いで書けというのは、大変だが、逆は(読むのは)簡単である。ゴロヴニーンの世界周航記の中には「日本幽囚記」が収められていて、これだけ和訳されている。その中でчеремшаを函館や松前で食べたと書いているが、北海道に自生するのはギョウジャニンニク(アイヌネギ、アララギ)であり、черемша (= лук медвежий) をギョウジャニンニクとするのは間違いである。前者の学名はAllium ursinum であり後者はAllium victorialis L var. platyphullum Hultenであり、似ているとはいえ別種である。черемшаはラムソンramsonと訳した方がよい。Крузенштернも北海道や千島列島にчеремша (дикий чеснок) があると世界周航記に書いてあるが、似ているので間違えたのであろう。今回の課題は、
Разговор между русскими в июне 2009 г.
- Говорят, что в Японии император царствует, но не правит.
- У нас тоже.
設問)和訳し、オチを説明せよ。

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2009年06月29日

●新帯研 第55回

鳥に乳はない。それゆえ何でもあることはロシアでは「鳥の乳以外ならなんでもある」という言い回しがある。しかもないはずの「鳥の乳」птичье молокоというケーキまである。そうはいってもハトは例外で、ハトは年中種を食べ、しかもかまずに飲み込んでも消化してしまい、その種から自らミルク状のものを作ってしまう。オスメスに関わらず消化器官(そのう)内壁の脂肪やたんぱく質を含んだ細胞を剥離させて、脂肪分30%以上というミルク状の液体にして雛に与えるのだと、「スズメの少子化、カラスのいじめ」(安西英明著、ソフトバンク新書、2006年)にある。これがPidgeon's milkである。
一度「さとう」というひらがなの苗字は珍しいですねと本気で聞かれて困ったことがある。無論、私の姓は佐藤だ。佐藤というのはあまりにありふれて、名前の識別の機能を果たしていない。佐藤好明をインターネットで見てみると、海洋大の元教授に同姓同名の人を見つけた。佐藤好明で本を出さなくてよかった。その人は気分を害したかもしれない。ロシアでもСатовскийという姓はある。それでこれをペンネームに使おうか考えたこともあるが、佐藤をひらがなに変えるだけにした。少しは目立つと思っている。モスクワでSATOと書いてあるトラックを何度か見かけた。日本の中古車にしては漢字ではないのが不思議だった。2年前ヘルシンキでSATOと書いてあるビルを見つけた。それでフィンランドのトラック会社の名前だということが分かった。幕末のアーネスト・サトウで有名なSatowという姓は、無論佐藤とは何の関係もなく、お父さんがスウェーデン生まれのソルブ系ドイツ人であり、スラブ系の希少姓とある。フィンランドではスウェーデン語も国語の一つだから、サトウと関係があるのだろうか。ロシアではСатовский という姓はまれに聞くし、インターネットで調べたらСатовといいうのもあった。今後これを使ってみようかしらん。佐藤は普遍で不滅だ。今回の課題は、
Последние русские цари: Владимир Самозванец, Иосиф Грозный, Никита Блаженный и Леонид Летописец.
設問)訳せ。オチを別に解説してもよい。

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2009年07月01日

●新帯研 第56回

初級者で一生懸命単語を多く(2,200とか)覚えようと頑張っている人も多いと思うが、露文解釈の段階で終わるつもりならそれでもよい。ただロシア語でロシア人と話したいという希望を持つならば、単語を別々に覚えるよりは、もっと有機的な語結合として覚えた方が文章を作る上で効率的である。ここで語結合というのは安定的語結合устойчивые словосочетанияのことである。たとえばпринять мерыなどの類である。ただこの種の参考書はソ連時代に出たものばかりで、例文といえばソ連共産党のプロパガンダ的なものが多い。そこで今回8月に出す本では和露の形で500ぐらい紹介しようと考えたわけである。耳で聞き取る練習は語彙が少ない段階でやっても意味はない。論理的に言えば、単語のスペルが聞き取れても意味は分からないというので無意味だ。話す力だが文法をマスターするのに注力すべきである。文にはたいてい動詞が来るが、完了体を使うのか不完了体を使うのか、これを使いこなせるだろうか?大学や語学学校では時間があるのだからこういう基礎を徹底的にやって、句動詞を中心にпассивный запас слов(聞けば読めば分かる語彙)とактивный запас слов(使える語彙)の両方を出来るだけ多くするようにすればよい。例えばпамять(記憶、メモリー)という名詞だけを覚えるよりは、文で、Память у нее прекрасная, особенно на молодых людей.(彼女の記憶は素晴らしいものであり、とりわけ若い人に対してのは)と覚えれば、память на + 対格で「~についての記憶」という表現を覚えることができ、より効率的である。また Мне повезло.(僕はラッキーだ)と覚えるのもよいが、もう一歩踏み込んで、Везёт мне сегодня на новые знакомства.(今日は新しい知り合いができてラッキーだ)という文を覚えれば、具体的に何に対してラッキー(幸運である)なのかという場合、どういう前置詞がどういう格を取るのか覚えることができる。そのためにロシア語で書かれた本(文学など)を精読せよというのである。聞き取りの練習などはサラリーマンになって、通勤のときに1年ぐらいロシア語を聞き流すようにすればよい。語彙があればそれをロシア人の実際の発音との違いに頭のほうで自然に気がつくようになる。今回の課題は、
- Маэстро, ваша последняя кинокартина прекрасна. Я вчера был на просмотре.
- Ах, это вы были в зале?
設問1)訳し、かつオチを説明せよ。
設問1)лицо у девушкиとлицо девушкиは同義か?
設問2)работать вечерамиとработать по вечерамは同義か?

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2009年07月04日

●新帯研 第57回

ロシアのプルジェヴァーリスキーПржевальскийという探検家(1839~1888)は、プルジェヴァーリスキー馬を発見したことで有名である。彼の探検記「ロブノールとチベットへの旅行」は1256ページと大部だが、時々面白い記述が見つかる。たとえばチベット旅行の途中、ハミの砂漠を横断していて、常に酷暑にさらされていると頭の毛やひげ異様に早く生え、同行していた若いコサック兵には突然口ひげとあごひげが生え出した。このときの日陰の温度は38.1℃で、日向では62.5℃に達したという。時には日陰ですら45℃を記録したことがあったとも書いている。暑さから身を守るため体毛は生えるが、寿命は間違いなく縮む。でも毛生え薬を使う代わりにゴビの砂漠でも行くのも一つの手か。砂漠は何もないというが、何もないところに何か生やしてくれるという可能性もあるらしい。こういうのを養毛剤のメーカーに教えるのもいいかもしれない。
 話は変わるが、どの世界にも業界用語というのがあり、ロシアの鉄道ではподсказатьをразъяснить, сообщить, направитьの意味で使うという。日本の鉄鋼関係のメーカーでも、「ご安全に」といえば、здравствуйтеということで、いつでも使える万能の挨拶である。これは北海道炭鉱汽船株式会社から入った表現だというのを聞いたことがある。今回の課題は、
Андровопу дали нобелевскую премию по физике – он доказал, что стук распространяется быстрее, чем звук.
設問)訳せ。オチを別に解説してもよい。

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2009年07月07日

●新帯研 第58回

1年前長女から「お父さんは毎日2時間ぐらいママチャリで荒川のほとりを走っているのに、どうしてお腹は出っ放しなの」と言われた。なぜだろう。こっちが聞きたい。適正体脂肪率がどうのこうのと文句を言っているわけではない。その範囲にすることに否やはない。ただ体脂肪率が4%とか5%という人がもてはやされているようだが、それに対しては異論がある。かのブルースリーだって、体脂肪率5%を誇ったものだ。こうなるとナルシストである。ブルースリーの死因は一時麻薬だとか言われたが、どうやら普通の風邪薬が原因のようである。普通の体脂肪の人だったら大丈夫な薬が、体脂肪が少なすぎたためにアレルギー反応を起こしたらしい。まあプロの運動選手で健康によい程度の運動をしていたらプロとしてはとてもやっていけないだろうけど。体脂肪5%など誇る人は、腹筋もすごいし、そういうのを鏡で見ていたら、運動中毒になるのは分かる。ただ17~18世紀の中国拳法の達人の絵を見ているとけっこうでっぷりとした人が多い。昔は庶民はみなやせていて、太っている人イコール金持ちだから、太っているというのはステータスシンボルだったからかもしれないが、腹に皮下脂肪(内臓脂肪ではなく)を貯めておくというのは、いざ飢餓というときに役立ったかもしれないし、腹部への攻撃のときにクッションになったからかもしれない。去年の健康診断でBMIが29だった。個人的には26~27くらいが病気にかからないだろうと考えている。今年は何とかこのレベルまで下げた。コレステロールだって細胞の原料だし、自分が健康だと思うのは毎日食欲があり、便通が普通で、体のどこにも痛い所がなく、ぐっすり眠れるからである。私にこれ以上何を望めというのだろう。ただ体重が昨年83キロで、少し皮膚がかゆくなってきた。つまり糖尿病の前駆症状かもしれないと考えて、10キロ減量することにした。半年たって76キロになった。腹はまだ出ている。あと半年でもう5キロ減ったらブログにダイエット方法を公開するつもり。ただそれにしても、腹が出てたっていいじゃないか。娘から何を言われようといいじゃないかというのが今回の結論。今回の課題は、
Некий строгий блюститель госинтересов в лице военного цензора встретил на газетной полосе заголовок «Слово о полку Игореве». Внизу он поставил резолюцию: «Заменить на «Рассказ о части, где служил коммунист Игорь».
設問)オチが分かるように訳せ。

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2009年07月08日

●新帯研 第59回

ガイドや通訳のプロでも体の用法などあまり気にしない人は多い。確かに「いつも~である」というような場合は不完了体現在を、「~をした」という場合には完了体過去形を使えば問題ない場合が多いが、ロシア人からは意味は分かるもののなんとなく人工的なロシア語のような気がするという声も聞く。同じ繰り返しでも「~だったら~する」ような場合は完了体未来形を使うが、これを使いこなせるかどうかが自然なロシア語への第一歩であり、難しいのは意志も含めて未来形をどう訳すかで実力が分かる。そういう意味でアネクドートを使ってこのような体の用法を勉強するというのも一つの手ではある。起承転結が短く文脈がとらえやすいし、一般のロシア人観光客が多用する口語や俗語の勉強にもなるからである。
 アネクドートは面白くないものが多い。理由はもともとオチが工夫されていないようなレベルの低いものが多いというほかに、オチを何かで読んだりしてすでに知っているからである。しかしロシア語のアネクドートはオチが分かっているが故に、文脈がわかりやすいという事で、理解しにくい文法事項の解説に使えるのではないかと思い、集めてみることにした次第。それからはや20年。読者諸氏も集めてはどうか?頭の中でイメージしやすいのではないかと思う。結果如何?今回の課題は、
День. Муж неожиданно возвращается домой из командировки. Жена лежит в постели. Чувствуя, что здесь что-то не так, он резко открывает дверцу шкафа. Там, держалась за перекладину, стоит голый мужик. Муж опешил:
- Ты что здесь делаешь?
- Трамвай жду.
- Ну, ты сказал!
- Ну, ты спросил!
設問)和訳せよ。

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2009年07月11日

●新帯研 第60回

ほとんどの文の意味の中心が動詞にあるという事実は誰も否定できないだろう。そうであれば、運動の動詞(定動詞・不定動詞)と体の用法の十分な理解なくしては、ロシア語の文が作れない、和文露訳(会話におけるものも含めて)ができないというのは道理である。不完了体だけでは「一般に~である」とか「いつも~である」という文しか作れないことになる。そのため初級用の和文露訳の練習問題は不完了体のみ扱っているものがほとんどである。運動の動詞や体の用法を極めずして、和文露訳ができるようになるためには、ロシア人のいる環境で、無限の状況(シチュエーション)に身を置く幸運に恵まれ、しかもその状況における表現を暗記してゆくという気の遠くなるような作業が必要であり、10年では無理で、20年から30年はかかるであろう。だれもがそのような幸運に恵まれるわけではないし、ある程度ロシア語がうまくないとそういう幸運は降って来ない。つまりロシア語がうまい人はもっとうまくなる機会が与えられ、そうでない人はいつまでも初級かせいぜい中級の域をでないということになる。そういう意味で自分はいろいろなロシア人と付き合う環境に30年以上身を置き、現在もそのような環境にあるわけで、ただそういう中でもロシア語の勉強は一生続けなければならないとはいえ、そういう環境になり学習者に対して和文露訳ができるようになる期間を縮めることはできないのかと考え、それが運動の動詞と体の用法のマスターだということに気がついたわけである。骨格ができれば、あとは語彙を増やすだけだし、語彙が不十分でも言い換えによって、より自然なロシア語に近づくことになると思う。
自分の経験から言うとロシア語がうまくなるようにとロシア人との会話にそれほど力を入れたことはない。無論慣れのためにロシア人と会話することは必要であるが、それにこだわることはない。ロシア人との会話に固執していると語彙が増えない。ア・ウンというわけではないが、長くつきあって話をするうちに、片言隻句で相手の言うことが分かるようになる。人間的には悪いことではないが、語学では会話する意味がなくなる。それと表面的な会話の達者さではなく、内容的な理解を重視するには、そして語彙を増やすにはできるだけ広い分野の本を昧読することであると感じてきた。
話は変わるが、革命前のロシアではа капелла = пить не закусывая(つまみなしで飲む)とアクーニンのファンドーリンシリーズ最新作(第11巻「軟玉の数珠」)を読んでいたら、そう書いてあった。アカペラというのは無伴奏の楽曲だからなるほど人の考える事は同じだ。今回の課題は、
Грузин рвет волосы у себя на груди и складывает их в мешок, плачет и смеется.
- В чем дело? – спрашивает мать.
- Грузия провалила план по шерсти, и нам, коммунистам, сказали: собственной шкурой расплачиваться будем. Как тут не плакать? Но как вспомню, что Армения по яйцам план сорвала, хохот душит!
設問1)和訳せよ。

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2009年07月14日

●新帯研 第61回

中級クラスになってある程度ロシア人との意思疎通ができるようになると、今度は自分のロシア語とロシア人のロシア語の乖離に気がつくようになる。つまり自分の話すロシア語をロシア人のほうは理解してくれるが、自分はロシア人同士の会話が聞き取れない、つまりロシア人が二つの言葉を使い分けているのではないか思い、いらだってくるようになる。これはロシア人同士が口語と俗語(人によっては隠語)を使っているわけで、標準語しか使いこなせない(それも不十分にしか)ので、欲求不満が募るわけである。そのときに、口語、俗語、隠語について語彙を増やそうと勉強するのは正しいが、その前に理解しておかなければならないことがある。つまり、プロの通訳やガイドになるなら、口語と標準語で聞き取り、話ができるのは当然であり、俗語と隠語についても聞き取れるような勉強が不可欠である。そういう前提で、何をしなければというと、語彙の増やす前に、運動の動詞、体の用法などを徹底的にマスターすることである。これを根幹に据えないで、口語や俗語の語彙を増やしても、外国人の使うロシア語から脱却できない。庶民の使うロシア語(口語や俗語)の語彙はそれほど多くないが、基本的動詞идти, ехатьなどの運動の動詞の使い方が教科書とは重点の置き方が違うのであるということを理解してほしい。それと、ロシア人はユーモアを好み、日本人のように小話は専門家(落語家や漫才師)だけがするという風ではなく、自分たちでアネクドートを使いこなしているわけで、アネクドートの理解も必要である。アネクドート自体が口語や俗語(隠語)主体なので、アネクドートを研究すればそれが口語や俗語の理解につながるわけである。それと口語に関して言えば、慣用句の暗記は欠かせない。「ロシア語慣用句辞典、キムミネ、東洋書店、2001年」をただ眺めるだけではなく、丸暗記する必要がある。
黒帯(プロ)を目指す人のためにロシア語で書かれた本の精読を勧める。精読は時間の許す限り毎日行うようにする。たとえば休日など50~60ページ精読するとして、1冊10ページずつで5冊とするなら、それに読む優先順序をつける。日によっては、まったく読む時間もないときもあろうし、10ページぐらいという日もあろう。その日に時間のある範囲内で必ず優先順序から読むようにする。そうすると優先順序1番の本は最初に読み切ることができることになる。この完読するということが読書を続ける原動力になるのである。好きな分野があればその関係の本を読むようにするのが長続きのコツである。鉄道が好きなら、Гарин-Михайловскийの小説とか、船乗りの話が好きなら、Станюковичの小説があるし、戦争ものなら、第二次世界大戦はСимонов、日露戦争ならСтепеновのПорт Артур(旅順)とかНовиков-ПрибойのЦусимаがある。今回の課題は、
- Чем феминистки отличаются от лесбиянок?
- Первые борются за то, чтобы женщина была сверху, а вторые – чтобы снизу была тоже женщина.
設問1)和訳せよ。
設問2)「旅についての話」という語句を6つの前置詞を使って和訳せよ。違いがあれば述べよ。
設問3)「雷が(落ちて)木を引き裂いた」という文をロシア語で能動文、被動文、無人称文の3通りに書け。

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2009年07月17日

●新帯研 第62回

ロシア人と一緒にいると自然にロシア語会話ができると信じている人は多い。特に会社の総務部などで社員の外国語研修を担当する人に多いのは困ったものだ。ロシア人が教えるというだけで、短期研修ならそのほうがいいだろうと短絡的に考えてしまう。自分がどうやって日本語をマスターしたか考えてみればよい。日本人の日本語同様ロシア人はロシア語を赤ちゃんのときからロシア語の環境で育って自然にマスターしたのである。母国語を覚えるときに、幼児期の脳が特殊な働きをするということはよく知られた事実である。会社でロシア語を学習しようという人はすでに成人であり、日本語という母国語が出来上がっている人たちである。しかも赤ちゃんと違うのは、成人というのは働かねばならず(あるいは他の学業をせざるをえず)、ロシア語漬けになるような環境は許されない。そういう人たちが外国語であるロシア語を学習するには、成人のときからロシア語を勉強し、会話も体系的な文法もマスターした経験者から習うのがよい。ちゃんとした文法書と、自習できるレベルまでの学習指導こそが必要なのである。文法事項など一回で覚えるのが難しければ、漆塗りの要領で何度でも学習するという覚悟が必要である。今回の課題は、
Ночь в Москве. Тишина. И только слышно, как растут цены на недвижимость.
設問1)和訳せよ。
設問2)次の語句のうち間違いがあれば述べよ。
a) пробираться сквозь кусты
b) пробираться через кусты
c) покатиться со смеху
d) покатиться от хохота

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2009年07月22日

●新帯研 第63回

大学のロシア語の講座に「通訳」とか、ましてや「同時通訳」というのがあるのは驚きである。2年くらいでロシア語を読んだり書いたり、聞き取りや話すほうもできるとはとても思えない。善意に解釈して、通訳の技法を学ぶ事でロシア語の話す力や聞き取る力を高めようというのだろうか?ロシア人の言うことが聞き取れ、自分の言いたい事をロシア語で話せないかぎり通訳なぞできないというのは理の当然であろう。大学では通訳などの勉強をする前にロシア語での聞き取りと、話す力の勉強をすればよい。聞き取りはできるだけ多くの分野のロシア語を読むしかない。ロシア語で本を読むときに、通読を目指すというのはもちろんだが、通訳やガイドで使える表現を収集し、エクセルで和露の語彙集という形でまとめておくと今後役立つ。単語のみならず文章の場合は和訳するようにすれば、日本語の作文の練習にもなる。今回の課題は、
Иа встречает Пятачка с двумя воздушными шариками, трубой и двумя коровами на поводке:
- Ты куда это так собрался?
- Мне Винни-Пух сказал: бери пару пузырей, двух тёлок и всю ночь гудеть будем!
設問)オチが分かるように訳せ。

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2009年07月28日

●新帯研 第64回

私は喉が弱いので、風邪を引くとすれば喉をやられる事が多かった。それで少しでも変だなと思うとうがい薬でうがいして事なきを得てきた。最近はそのおかげか風邪を引くのは年に1回もない。ロシアに出張するときに、風邪薬、下痢止め、傷薬は持つが、うがい薬までは、さすがに面倒だと思うが、体調の悪いときに風邪でも引いてはと思い、うがい薬を持っていたときもあった。お茶にはカテキンが含まれており、これに殺菌作用があるという事を聞き、ロシアでのどが変なときに、出がらしの紅茶でうがいしてみた。これを2日続けただけで、のどのイガイガはなくなった。偶然だったかもしれないが、それ以降、ロシアに出張するときはティーバッグを3袋ぐらい持ってゆく。軽いし、お茶も飲める。もともとケチなので、1回目はちゃんと飲んで、それから2回目の出がらしでうがいする。
Слонёнок увидел в джунглях совершенно голого туземца, присомтрелся к нему внимательно и задумался: «Как же он верхние-то ветки обламывает себе на еду?»
設問)和訳せよ。オチを別に解説してもよい。

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2009年08月02日

●新帯研 第65回

パンフレットの和文露訳を頼まれることがあるが、依頼主には、こう言う事にしている。文法的に正しく、その場面にできるだけ合ったロシア語表現をするように努力するが、翻訳家であって、コピーライターや作家ではないし、クレームにならないよう正確さを重視するので、一般のロシア人が読んでモタモタした感じのロシア語になることもありますと。日本語で本を書いたり、広告の文案を練るというのは、だれでも日本人ならできるというものでもあるまい。修行してプロになるのである。そこのところを依頼主はよく理解しておらず、ロシア人に見せて訳がどうのこうのと批判するのはやめてほしいものだ。文法がおかしいとか、スペルミスがあるとか、こういう場面では俗語過ぎるとか文語過ぎるとかという建設的批判はよいけれど。今回の課題は、
Встретились русский и американец, завели разговор о том, у кого и как скот убивают.
- У нас электричеством, - говорит американец.
- А у нас, наверное, взрывают, - говорит русский. – Потому как зайдёшь в магазин, а там все рога да копыта, рога да копыта!
設問) 和訳せよ。

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2009年08月07日

●新帯研 第66回

1985年頃取引先に頼んでマホルカタバコを手に入れてもらった。残念ながらその時にはすでに禁煙していたので、日本にいる恩師である飯田教授に送った。飯田先生も禁煙したばかりで、同僚の新田先生(これまた恩師である)に喫ってもらったら、やはりまずいとのことだった。パッケージにマホルカと書いており、当時モスクワ市内では手に入らずモスクワの大環状線のところで手に入れたとそのロシア人は言っていた。今ではまったく手に入らないだろう。マホルカは日本語ではマルハタバコといい、いわゆるタバコとは違う種類である。2003年頃アルマトゥイに行った時に、そこの市場でマホルカを売っていたが、マホルカかどうか疑わしかった。売り子のおばさんはほんまもののマホルカだと胸をたたいてはいたが、自家製栽培のタバコсамосадかもしれなかったからだ。いずれにせよタバコをやめて30年近くになるのでこればかりは確かめようがない。
Между Великобританией и СССР произошёл обмен опытом. Великобритания встала на путь разукрупнения и завела двух королев: одну по промышленности, другую по сельскому хозяйству. В СССР решили на британский манер перейти на левостороннее движение и пустили для начала сто машин по левой стороне.
設問)訳せ。オチを別に解説してもよい。

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2009年08月13日

●新帯研 第67回

石鹸といえば、サッカーなどで審判に不満があるときに、観客が審判をやじってсудью на мыло「石鹸にでもしちゃえ(直訳は石鹸用」と言うが、なぜそういうのか長いこと分からなかった。アンドレーエフスキーの著書によると、ソ連でも第二次世界大戦中は石鹸も不足していて、石鹸1個で2か月もたせなければならなかったぐらいだったという。戦後ナチが人の皮下脂肪で石鹸を作ったという残虐行為が知られるようになり、ナチドイツが作った人間の脂肪製の石鹸が闇市で出回っているという噂が流れたことがあった。そこからサッカーファンが試合で、おかしな裁定をした審判に対して、そんな審判は、「石鹸にでもしちゃえ」という意味で使い始めたという。モスクワにある国防博物館に行ったときに、ナチが人間の皮膚で作った革製品とか人間の脂肪で作った石鹸というのが展示されていた。日本ならまず展示されないだろうと思った次第。日本語でも審判に対し、「死ね」とか「首だ、首にしろ」と言うので、それだって斬首から来ているのだろうから、同じようなものか。同じホッケーやサッカーの試合でファンが絶叫するШайбу! は「ゴールを決めろ」という意味である。
- Какой основной пороков капитализма – перепроизводство.
設問)訳せ。オチを別に解説してもよい。

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●新帯研 第68回

「ロシア語黒帯研究会」とは何か知らない方のために、会の趣旨について再度書いておく。ロシアへ興味を持つ人はそれなりにいるようだが、NHKのラジオ講座の扱いを見ていると、ロシア語学習者の人口が減っているようだ。初級を終えてから次の段階に進もうと思っても、教材自体があまりなかったのだが最近充実してきているのはありがたいことである。しかし英語と比べるとやはり少ない。その状況を打開する一つとして、露露辞典を使えるか、ほぼ使えるロシア語学習者を対象として、小話という短くて文脈の取りやすいテキストを使って、主にロシア語会話力向上のためにこのブログを活用させていただいているわけである。ロシア語の初心者や初級者にも参考になるとは思うが、基本的な文法を知らない人(生格、完了体などという用語を聞いたこともないという人)向けではない。そういう人は、NHKのラジオ講座テキストや現代ロシア語文法(城田俊、東洋書店)を勉強するか、手元において読むのから始めるとよい。ロシアの小話はオチが分かっても面白いものは少ない。それは日本人がロシアの大衆文化に対する理解が少ないことと、笑い(面白いかどうかと思うこと)というものはあくまでも個人的なものだからである。出題する小話自体は学習という観点から選んだものなのでオチも面白くないものが多いということを頭に入れて欲しい。名前は黒帯研究会だが、師範科や master classといった一方的に教えるものではなく、あくまでも私も含めてロシア語力を高めるためなので、正しい答えがない場合もありうるということと、文意は会話では身振り手振り、イントネーション、文脈(コンテキスト)による場合が多いという言うことを申し上げておく。それと黒帯研究会についてだが、まず黒帯とは何ぞやということになるが、私は実戦で使えるロシア語を使えるレベルと考えている。少なくとも電話で(身振り手振りなしで顔の表情などを見ないで)ロシア人とロシア語で用が足りるレベル以上ということでもよい。ただこういう定義を人に押し付けるつもりもない。定義が決めたからといって実力が上がるものでもない。黒帯研究会も黒帯同士の研究会という解釈でもよいし、黒帯を目指す人の研究会というのでもよい。人それぞれである。それにロシア語の勉強というのは一生精進しなければならないことに変わりはない。そういうつもりで帯研を始めたのだが、やっているうちに徐々に変わってきたように思う。そこで新帯研について最近考えたことを書いておく。
一応新帯研は初級から中級までの間の学習者を対象としている。ロシア語学習者で中級というのは、どの程度をいうのかは異論も多いと思うが、私はガイド試験に受かるか受からない程度、つまりガイド試験受験を目指せるレベルであり、プロ(黒帯)の一歩手前と考えている。それではプロ(黒帯)である上級(ガイドや通訳、語学教師、ロシア語を使う商社・メーカーなどの営業職)というのはどうかというと、時制や人称の転用、法(接続法や仮定法などの)、動詞の体をよく理解し、文語、標準語、口語、俗語、隠語、詩語などの文体の違いが、文章でも会話でも、露文解釈でも和文露訳でも意識できるレベルにあることであると思う。プロがみなこの上級のレベルにあるということではない。そういうレベルになくとも大抵の仕事自体はこなしていけるのも事実だからだ。ただそのままのレベルでよしというような甘えた考えを持っていると、難しい仕事にぶつかったときに対応できないというだけの話なのである。今回の課題は、
Человек, посетивший мастерскую художника, обратился к нему с просьбой:
- Не можете ли вы мне что-нибудь предложить – недорого и в масле.
- Банку сардин.
設問1)和訳せよ。
設問2)次の文のうち正しいものを述べ、和訳せよ。
a) Туман поднимался от земли.
b) Туман поднимался с земли.

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2009年08月26日

●新帯研 第69回

1990年代の初め、休日モスクワを散歩していたら、キオスクで張形を売っていた。日本では大奥などで牛の角製のものをお湯で温め使用されたというものだが、彼の地のはプラスチック製で色は肌色、今なら安手のポルノショップでしかお目にかからないものだ。よくもまあ、子供も買いに来るであろう、地下鉄の駅の近くのキオスクでとは驚いた。しかも名前がпалочка-выручалочка(子供の遊びの一種が原意だが、「とんだ救いの神」ненадёжное средство, сомнительный способという意味で使われる)というのには2度驚いた。
この話題はこれくらいにして、ロシア人と飲んだことのない人も多いと思うので、典型的な乾杯の辞というのを書いておく。Ну, ребята, поздравляю вас с вашим праздником от души и до дна пью за ваше здоровье! 今回の課題は、
- Для решения какой комплексной проблемы создаётся группа из следующих специалистов: математик, физик, биолог, инженер, врач, архитектор, экономист, юрист, философ?
- Для уборки картофеля в колхозе.
設問)オチが分かるように訳せ。

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2009年09月02日

●新帯研 第70回

英語の技術用語はロシア語の技術用語と同じように対応すると無意識に考えている人は多い。カッターcutterのような簡単そうな用語でも、фреза(フライス), резак, нож, резец, режущий инструмент(日本語のバイトで、バイトはドイツ語由来で英語由来ではない), отрезной круг(circular sawの類)といろいろあり、具体的にどのようなものか分からなければ訳が決まらない。テーブルはстолだが、上にローラーがついていて、その上をパイプなどが移動するようなものはрольганг(roller table. roller conveyor)というし、ロールでも、ガイドロールはнаправляюшие роликиでよいが、圧延ロールはвалокという。ローラーはроликだが、道路工事で使うものはкатокというなどである。商社やメーカーでも英語ができて当たり前で、技術スペックや資料は英語が多いが、すぐロシア語になると考えている素人は多い。無論ロシアの翻訳会社でも技術をよく知っているところでも、図面を見ないと基本的な訳が決まらないはずなのに質問一つせず、やっつけ仕事でやり、それに対してロシア語が分からないからかそれで通っている。翻訳の資料とロシア人技術者が使う用語が全然違うということはよくあることである。ロシア語の資料がありますからと言われても、あまり役に立たないことが多い。
 日本語も現場の専門用語では特に分からないことが多い。耐火煉瓦関係で、「いもにならないように羊羹を入れる」と言われて、これをすらすら訳せる人はまずいないだろう。「いも」といのは、レンガを積む時に目地шовが通る(何段かレンガを積む時に縦方向の煉瓦と煉瓦の継ぎ目が一直線になることで、こうなると圧力や熱(1200度)が目地を通るため耐久性に問題が出てくる。つまりレンガは各段が目地が互い違いになるように積むことになっているが炉の中は通常円形なのでこれが簡単ではない)」ことをいい、羊羹はレンガを縦方向に半分に割ることをいう。強いて訳せば、Посадить половинку кирпича, чтобы не было сплошных (прямых) швов.レンガを積むというのはукладывать кирпичだが、ロシア人の専門家はсажать (посадить) кирпичを使う。単語が分かっても、その基本的用途を理解していないと、通訳が自分の訳をチェックできず、次第に全体の訳が辻褄が合わなくなってくる。今回の課題は、
- Какой урожай будет в этом году?
- Средний: хуже, чем в прошлом году, но лучше, чем в будущем.
設問)訳せ。

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2009年09月03日

●新帯研 第71回

1996年か97年カザフスタンのアルマトゥイに駐在していたとき、オフィスの近くに住んでいたマンションに休みの日の朝から電話が鳴った。当社の下の住人からわりに穏やかな声で、天井から水漏れするので急いで来てくれとの事だった。現場までは歩いて5分。水漏れというよりは滝のように水が降ってきている。えらいことになった、トイレから水が漏っているのかと思い、2階のオフィスのドアを開くと天井からこれもまた滝のように水が降ってきている。私の机の上にはノートパソコンが置いてあり、その1メートルぐらい離れた上から水が降ってきているのだ。結局3階の朝鮮系の夫婦(カザフにはスターリンの政策で極東に住んでいた朝鮮系の人たちを第二次世界大戦直前にカザフなどに強制移住させ、今でも50万人ぐらい住んでいるとのことだ)が洗濯機に水を入れたまま外出したせいだと分かった。それにしても考えられないことである。モスクワに住んでいたとき(2002年)も、元旦に天井から水が漏ってきたことがある。これは上の階のポンプの故障らしく、元旦からでは着いてないと思ったが家主に始末書を書かせたが、その始末書をどうしてもこちらには渡さないという。もっとも80年代にある日本の駐在員の家ではトイレから水が吹き出し、家中水浸しということがあったというから筆者などはましなほうであろう。今回の課題は、
- Что собирают, если нет урожая?
- Пленум.
設問)訳せ。

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2009年09月07日

●新帯研 第72回

詩が人気の上で現代の歌謡曲にとって代われないのは、歌謡曲には歌詞のほかにメロディーがついており、歌詞の内容が具体的にイメージしやすい(感情的な面で)ということおもあるだろう。これは文学が映画やアニメ(漫画)に取って代われたと軌を同じくする。分かりやすいものへと移行するのは水が低きにつくのと同じである。万葉の歌垣や万葉の歌は庶民のものだが、それとて即興のメロディーがついていたと思う。エセーニンの詩は好きだが、その中でも好きなのは、歌になっているКлёнやПисьмо материなどである。メロディーがつくとイメージが固定されるような危惧もあるが、よいメロディーならそれはそれでよいのではないかという気がする。文学や詩を味わうには、想像力が必要ということで、歌にもいい歌、悪い歌というよりは、自分の好みの歌というのがあるのだから、詩はメロディーがないだけ、自由に自分のイメージを膨らませる事ができるはずだ。もっとも常人にはそこに至るまでの鍛錬が必要なことはいうまでもない。今回の課題は、
Не многие еще до конца осознали то прескорбное обстоятельство, что если слово: ПОТЕНЦИЯ читать наоборот - получается "ЯИЦ НЕТ, ОП!"
設問)訳せ。

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2009年09月13日

●新帯研 第73回

ロシア語を学習する初心者は一通り初級の学習を終えたら、露露辞典を読めるようなレベルまで語彙を増やすことを目標にするとよい。露露辞典を読むというのは、ロシア語の単語のロシア語の説明がほぼ分かる程度という意味である。露露辞典の単語の説明は最小限必要な語彙で書かれているわけで、これが分かるということは基本的な単語を理解していることになる。また単語の説明を読むことで、同義語や同義表現も体得できる。よく初級者でロシア人に自分が思ったことをロシア語で伝えられるレベルを目標とする人も多いと思うが、これはかなり高い目標である。どんな内容でもロシア人に伝えることができるようになるまでは、まじめに毎日ロシア語を勉強しても10年くらいかかるのではないだろうか。無論、プロはその程度ではだめで、自分が言いたくないこと(自分がよくわからないことがら)も通訳することを要求され、それに何とかかんとか誤魔化しながらも応じられるレベルである。息抜きにロシア式Bloody Maryの作り方を教えよう。
Кровавая (красная) мэри = смесь водки с томатным соком
Водка вливается в стакан с небольшим количеством сока по лезвию ножа, чтобы эидкости не смешивались, а в коктейле было два слоя: нижний – красный и верхний – прозрачный.
今回の課題は、
- Алло! Это гостиница? Соедините меня с женой.
- Какой номер?
- Что я дурак, чтобы их нумеровать?
設問1)和訳せよ。
設問2)次の文はロシア語として正しいか?
c) Картины развешаны на стенах.
d) Картины развешаны по стенам.

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2009年10月07日

●新帯研 第74回

トルストイは笑い話の話し手を三つに分けた。Самый низший тот, когда во время рассказа исполнитель сам смеётся, а слушатель нет, средний – когда все смеются, высший – когда смеются только слушатели.(最も下がるのは、話しているときに自身だけが笑い、聞いている人たちは笑わないというもの。中くらいなのは、(話しても含めて)みんなが笑う時。一番よいのは笑うのは聞き手だけというもの)当たり前のようだが、改めてなるほどと思う。チャットなどでも自分の書いた文章の後に(笑)と入れるのも、照れ笑いのようにお茶目な感じを出そうとしているのだろうが、嫌味にとれば笑いを強制されているようで(あるいはここで笑うところです頼みもしないのにお節介にも)と言われたような気がしてあまりいい感じはしないと私は思う。今回の課題は、
Едет наркоман в трамвае, контролер подходит:
- Ваш билет.
Наркоман поднимает два пальца вверх (типа Victory).
Контролер:
- Что это?
Наркоман:
- Заяц.
設問1)訳せ。オチを別に訳してもよい。
設問2)次の文にカンマを入れて意味が正反対になる文を二つ作れ。
Казнить нельзя помиловать.

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2009年10月09日

●新帯研 第75回 (1日30グラムダイエット)

1年前の夏のメタボ検診で腹囲と中性脂肪の値にレッドカードが出て、しかも身長が168センチで体重が83キロだった。それでダイエットを始めた。炭水化物を減らせばよいと単純に考えてご飯をほんの少し(1/8膳)にした。しかしそれでも年末には元通りである。原因は好きな吹雪まん、チョコとナッツがやめられなかったからである。これではまずいと2009年1月1日を期して本格的ダイエットをすることにした。健康によくてリバウンドの可能性が少ないのはせいぜい1ヵ月1キロ減であろうと考え、年間で12キロ減量することにした。また一つの食品だけを食べるという体に悪いダイエットではなく、ナスなど嫌いなものは別にして、一応まんべんなく食べるということである。塩味は結婚した時から家内は私が将来太るということを見込んで徐々に減塩料理になったので、今では糖尿病食や腎臓病の食事でもおいしく食べられるので問題ない。運動も2時間ぐらいママチャリで荒川沿いをのんびり散歩しているから問題ないと考えていた。ノルマを達成すればお菓子を食べようが自由である。ノルマが達成できなければ、できるまでお菓子は食べないし、他の食物の種類はそのままに量を減らす。後で書くように毎日30グラムだけノルマは確実にきつくなるので、お菓子もそれほど食べようとは思わなくなる。目標は1年で12キロ減だが、単純に365日で割ると、切りのいい1日30グラムずつ減らせば、1年で11キロ減となる。分かりやすい方が成功の確率が高い。そこで50グラムまで量れる体重計(体脂肪も)を用意し、半年やってみた。意志の強い方なので7月4日の段階で77キロと6キロの減量に成功した。成功の秘訣は、まず何を止めれば減量できるかチェックすることである。私の場合は簡単で1日おやつを止めると間違いなく300グラムは減る。基本は食事の種類は減らさず(増やすことを心がけるのだが)量を減らすに尽きる。後は健康のための運動である。7月か8月のタイム誌にも書いてあったように運動では体重は減らない。逆に若干増える可能性があるが、運動は健康のためにやるのであり、体重を減らすのも健康のためという目的は同じだが、二兎は追えないということだ。ところが、自信満々で臨んだ今年の検診で体重が落ちているのに、血圧は上が150~95である。そこで酒を減らし、スロージョギングを始めた。それまでは芋焼酎ストレートでコップ半分、老酒をコップ1/3、梅酒を330 ccと毎日飲んでいたが、梅酒だけにした。これで翌日から起床時血圧は140 - 95位になった。しかしこの後国内の地方都市で3ヶ月の技術通訳の仕事が入り、そのメーカーの寮住まいとなった。二食は寮で出、昼食は弁当である。しかも若い人が多い寮なのでご飯の盛方が丼山盛である。これはなんとか頼んで1/3にしてもらった。これでも1膳半ぐらいある。おかずは嫌いなもの以外は全部食べ、おやつは止めた。炭水化物を減らせばお菓子が増えるということがよく分かる。ある程度(ご飯一膳程度)食べないと空腹になりダイエットが続かないと思う。考えたら梅酒も甘いリキュールなので(本当の酒飲みではないことがよく分かる)、1ヵ月半して、酒は付き合い(月に1回ぐらい)以外は止め、代わりに好きな牛乳と100%果汁ジュースに切り替えた。寮では体重計がなくて量れなかったので、10月5日に帰京し計量。8日現在73.25キロで、体脂肪率は21.4%で体力年齢は34歳になっていた(この年齢はあまりあてにならない。半年で25歳から58歳まで毎日ランダムに変化する)。なんとかこれを維持したいものだ。血圧も起床時132 – 96(翌日140 – 105だった)で下がやや高いのが気になるが、様子を見ることにした。出張中は昼にのんびり30分の散歩、夕方スロージョギングや速歩を30分毎日していたのに血圧にはそれほど効果がなかったようだ。最後の1ヵ月半は土日も休みなしというハードなもので、仕事も56メートルのプラントの高さ32メートルのところまで上り下りを毎日3~4回繰り返すという健康に非常に良い環境だったので、それが血圧に影響しているのかもしれない。というわけで血圧以外はまあまあといったところである。ずっとお菓子を我慢するのも精神的に悪いので、適量食べようかと思案中。タバコは17歳のときから28歳まで喫煙し、止めたときは1日60本で、変な咳が夜中に1時間以上続き、禁煙した。3ヶ月後に復活したが、すぐに止め現在に至る。今でもエックス線で肺を写すと肺の炎症の跡があり、医者にどうしたのかと言われる。止められて本当によかった。この1日30グラムダイエットでは目標に達成しても、毎日体重計に乗ることで、目標重量より重くなったら、お菓子を止めるとか、食事の量を減らすなど目標値に達するまでやればよいのでリバウンドがないということにある。無論意志が強ければというのが前提である。私の現在の食生活は次の通り。
(朝食)納豆、ご飯一膳、牛乳、100%フルーツジュース、すりごま、味噌汁、ブルーベリージャム、プレーンヨーグルト。
(昼食)ご飯一膳、卵1個、心太、バナナ1本。
(夕食)卯の花、魚または肉(普通の夕食)
(食間)紅茶(ブラック)、コーヒー(ブラック)、野菜ジュース、フルーツ
朝はスロー腹筋20回、スロー腕立て20回、ストレッチ、仕事のない時は速歩30分、サイクリング2時間。午前中は間食しない。毎朝血圧の計測、毎夕体重計量および記録。その日のノルマ体重 = 83 kg - 1月1日から経過した日数 x 0.03
私のように10キロ以上ダイエットしなければならない人は少ないだろう。せいぜい2~3キロであろう。そうならこのダイエットなら2~3ヶ月で達成できることになる。ご興味のある方はトライされたい。
 閑なときは荒川の河川敷をママチャリで散歩するのだが、河川敷は野球グランドとしても使われており、その注意看板が面白かったので紹介する。「注意、天候が急変し、雷等が発生したときは非常に危険ですので、速やかに安全な場所へ避難してください。××区体育施設指導管理者」。一見なんでもないようだが、周りには少し離れて小さな木と簡易トイレがある。雷が鳴ったらどこに避難すればよいのだろうか?具体的な指示は何もない。ようは落雷でけが人や死人が出ても、一応注意したので責任はないよということらしい。そういうことなら「クワバラ、クワバラ」とでも書いておけばよいのに。雷は桑原には落ちないというから。荒川にはほかにマムシ注意の看板(可愛いマムシの図柄の入った)があったりしてなかなかスリリングである。
Царица Екатерина выходит на крыльцо дворца, случайно роняет носовой платок. Наклоняется, чтобы поднять его – и тут чувствует, что сзади в неё кто-то вошёл, да так хорошо, что шеи не повернуть.
- Кто это? – спрашивает Екатерина через плечо.
- Дворник Мефодий.
- Продолжайте, граф Мефодий..
設問1)和訳して、オチを説明せよ。

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2009年10月15日

●新帯研 第76回

イーフチェンコИвченкоの「1812年時代のロシア将校の日常生活」にはなかなか面白いことが書いてある。そのいくつかを紹介する。一つ目は、До свидания とпрощайは今と逆の意味で使われていたという。До свидаияは「あの世でまた会おう」ということで、もう再会できないかもしれないと考えたときに使われたという。二つ目は、ナポレオンを皮肉った詩である。
О! Как велика На-поле-он, 荒野の彼は難と偉大か?
И хитёр, и быстр, твёрд во брани, 戦では狡猾、俊敏、堅固。
Но дрогнул, как простёр лишь длани だが、掌を広げるだけで震え慄く、
Нему с штыком Бог-рати-он. その彼に銃剣いただく神助の彼が。
三つ目は、1812年ごろフランス軍はサーカスの芸人(曲芸の芸人)を使い、暗夜にロシア軍の猟兵連隊を襲撃し、連隊長であったコルフ少将を誘拐し、虜とした。まるで忍者物語である。
小学6年生のときに結構分厚い小学生向けの学科別百科事典というものをもらった。今でいう雑学的な知識の宝庫だった。数の単位も京以降最後の無量大数まできちんと説明してあった。高校3年生のときも郵便局のアルバイトの金で買ったのは新左翼名鑑(というような名の新左翼の各派閥について詳しく書かれた本)を買い、仲間内では革マルと中核派の違いなど得々と説明していた。そもそも体系的にまとめたものが好きなのだろう。今でも和露語彙集など自分用に作っている。もう6万語彙を超えた。この語彙集が著作のバックボーンになっている。長くやっておいて無駄なことはないとつくづく思う。今回の課題は、
Один мужик продаёт дом и говорит:
- Смотри, какой хороший дом. Река рядом. Знаешь, сколько он стоит!
Покупатель:
- Да-а! Дом хороший, река рядом...А если наводнение?
- Ну так, где дом, а где река...
設問)オチが分かるように訳せ。

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2009年10月21日

●新帯研 第77回

プルジェヴァーリスキーの「キャフタから黄河源流へ」という中央アジア探検記の中に、タイムィル・モンゴル族では、ロシア人の起源についてこのような言い伝えがある。この場合ロシア人と言っているのは、タイムィル・モンゴル人(回教徒)が主として接触したのは、ロシア人なので、ロシア人はヨーロッパ人一般のことであろうとプルジェヴァーリスキーは述べている。中央アジアのどこかの洞窟に徳の高いラマ僧が隠遁して、一心に神に祈りを捧げていたが、病気を患ってしまった。そこを偶然通りかかったのは老母と娘の二人である。同情した娘はラマ僧に酸乳を毎日持って行き看病した。ラマ僧としてはそのようなものはいただいてはいけなかったのだが、情にほだされて、看病を受け、健康を回復した。そしてそのお礼に娘と結婚することになった。これを聞いたその国の王はラマ僧が結婚するなどラマ教にとって最大の罪であると、激怒して軍勢を差し向けた。ところがそのラマ僧は蘆の穂でユルタ(パオ)の周りを囲った。そしてその穂を兵士に変えたのである。その兵士たちは王の軍勢を大いに破った。自軍の敗走を知った王は二度三度とラマ僧に差し向けたが、そのたびに蘆の穂を兵士に大量に変え、軍勢を敗った。世の中に愛想を尽かしたラマ僧はユルタの上から昇天した。残された妻には葦の穂から作られた兵士を民としてその国を統治するようになった。その民がロシア人の起こりだという。蘆の穂の色は黄色がかった色なので、ロシア人の髪もそこからきているとさ。
トルストイはスポーツが得意で67歳の時に(1895年)当時珍しかった自転車を習い、2度目の講習で乗れたという。体操も得意で、Иван Михайловичというおはこの体操がある。これは、повиснуть на руках на перекладине, просунув между ними ноги, и, приподнявшись кверху, сесть на перекладину.(両手で鉄棒にぶら下がり、両手の間に両足を入れ、上に体を持ち上げて鉄棒の上にすわる)これを当時50歳のトルストイが若い体操選手のようにたくみに演じたという。今回の課題は、
- Что будет, если Советский Союз присоеднит Болгарию?
- Ничего не будет, даже помидоров.
設問1)オチが分かるように訳せ。
設問2)次の文は正しいか?理由を述べて回答せよ。
а) Фирменный магазин стоит на ремонте август, сентябрь, октябрь, ноябрь.
б) На похороны матери я шел по нему пешком день, ночь и ещё полдня.
в) Видел ее только субботу и воскресенье.
г) Волновались так, что не спали ночь, и ночью потихоньку вышли в коридор.

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2009年10月27日

●新帯研 第78回

ロシアの小話のジャンルについては概略拙著「ロシア小話アネクドート」に書いたが、それ以外のを書いてみる。英語のジョークからの影響も強いことが分かる。
1) Новость хорошие и плохие (новость приятная и неприятная)(いいニュース悪いニュース)
2) Шотландец(けちなスコットランド人)
3) Нарочно не продумаешь(嘘のようなホントの話)
4) Кашпировский(超能力者カシュピローフスキー)
5) Генерал(将軍)
6) Пачтальон Печкин(郵便配達人ペーチキン)
7) Трамвая жду(電車を待つ)
8) утюг(アイロン)
9) Гиви(グルジアのギヴィ)
10) водопроводчик(水道屋)
11) Глаза хитрые – хитрые(目がずるがしこそうに)
12) Говорит рязанское радио(リャザンラジオ放送中)
13) Техасец(大ぼら吹きのテキサス人)
14) Ирландец(馬鹿のアイルランド人)
15) ковбойский анекдот(カウボーイの小話)
16) блондинка(スタイルは良いがおつむが足りない金髪美女の小話)
今回の課題は、
Очень юный франтик, с едва пробивающимися усиками, спрашивает у молоденькой девушки на балу:
- Не правла ли, что ко мне идут усы?
- Может быть, идут, но только пока ещё не пришли... – отвечала девушка.
設問1)おかしなところがあれば直せ。
設問2)訳せ。

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2009年11月05日

●新帯研 第79回

ザべーリンの「16世紀~17世紀のロシア皇后の家庭習俗」に毒消しの妙薬безуй (безоар)というのが出てくる。現代風にいえば、ある種の動物(シカの心臓、蛇の胆嚢という説もある)の体内にできる結石や化石である。東インド特産で、色は灰色、黒で細かくなっている。最大の毒消し効果を持つとされ、服用するときは挽いて、麦粒の大きさにし、量は12粒をラインワインやフランス産の白ワインとともに服用し、その後ベッドに横になって発汗させるために体を服でくるむ。1616年や1626年にカザンからロシア宮廷が購入したという記録がある。当時は毒殺が非常にポピュラーな手段だったので、これを防ぐために需要はあったわけである。ルイス・フロイスの「日本史」にもベゾアル石の粉末を日本に持ってきて治療に使ったという記載がある。ペルシャのヤギ属胃の中から出た石で薬用とある。こういう本を読んだ後、いつものようにママチャリで荒川沿いを散歩していたら、ラジコントラックを操縦している人を見かけた。ラジコンのヘリや4WDなどはよく見るが、ラジコンのトラックというのも珍しい。それも操縦している人は自転車に乗って、その前をトラックがチョコチョコ走っているわけで、後ろから見ていると子犬がご主人と散歩しているようで微笑ましい。上り坂になると、トラックは元気に坂を登って行くが、ご主人さまはそうはいかない。自転車を降りて、よちよち歩いて行く。坂の上でトラックは立ち止まり、ご主人さまを待っている。そのあと銀行に行った。いくつか銀行に口座があったので、一つにまとめようと思い、銀行の残高を聞いたら4円だという。口座解約には目黒まで行かざるを得ず、結局そのままとなった。御縁(5円)なしといったところか。取りとめのない話。今回の課題は、
- Гражданин, пройдите.
- В чём дело?
- Пройдите, говорю.
- Нет, вы мне скажите, в чём, собственно, дело.
- Да говорят же вам, пройдите. Скорее!
- Хорошо, я пройду. Но вы объясните мне сначала зачем.
И тогда ему на голову вдруг падает огромная глыба снега и сбивает его с ног.
- Я же вам русским языком говорил: «Проходите».
設問1)訳せ。
設問2)1行目は不完了体の命令形にすると間違いか?

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2009年11月12日

●新帯研 第80回

ロシアで働く日本人コックから愚痴を聞かされてことがある。それはкотёл(鍋)というシステムでロシアではボーイそれぞれがもらったチップを各自取るのではなくプールして、あとでみんなで分けることになっているという伝統が革命前からである。日本人はロシアでも日本料理屋なら、ましてや日本人の料理人にはチップを出さないのが普通だが、ロシア人の店員はその日本人がチップをたんまりもらっているのに隠して渡さないと思っているらしい。たまには自腹を切って出すこともあるという。котёлはやくざの上納金のもととなったと思われる。
Василий Иванович и Петька парятся в бане.
- Василий Иванович, поддать?
- На хуй, Петька! А-а-а!
設問1)和訳して、オチを説明せよ。
設問2)次の文は正しいか?正否について理由を述べよ。
а) На ивах второй раз в году появились молодые листочки.
б) Специально изданный указ гласил: всех организаторов диспута выслать в 24 часа из города.

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2009年11月16日

●新帯研 第81回

現代では競馬が有名だが、この他にも犬の競争、闘鶏、闘ガチョウが1860年代末ごろまでロシアでは行われた。それほど人気があったわけではないがクレムリンの壁のすぐ近くスターラヤ広場で子豚の競争が行われていた。これはそこで家畜の取引が行われていたためである。歴史的には16世紀イワン雷帝はクレムリンのソボールヌィ広場で子豚の競争を行い、そのあと子豚を丸焼きにし、勝者(無論持ち主)の食卓に供したという記述があるという。1898年トル-ブナヤ広場(現在のサドーヴァヤ環状線の近くにあり、当時ペット市場があった)をニコライ2世の長女オーリガ(4歳)が供をつれて馬車で通りかかった。競豚поросячьи бегаが行われていると聞き、たまらず馬車を止めさせ、気に入った1頭の子豚に賭けた。しかしこの子豚は途中(豚だけに)遁走。皇女は200ルーブルの損害を被った。それ以来この広場での競豚は行われなくなったという。無論競豚が廃止されたわけではなく、家畜の市場があった別の場所で行われた。賭け事というのは何もなくなっても好きな人はするわけで、1812年のモスクワ大火の時にもゴキブリ走тараканьи бегаが行われ、長髭のイェゴールдлинноусый Егорというゴキブリのチャンピオンの名が今でも残っているし、18世紀や19世紀のロシアの牢屋は不潔で、虫が多く、ノミやゴキブリの競争が行われたぐらいだという。
1985年ごろモスクワの競馬場に行ったことがある。一緒に行った人がいくらか儲け、競馬場のレストランでごちそうになった。出てきたスープにスズメバチの死骸が入っていたが、スズメバチはハエではないのでぽいと捨てて、もったいないのでスープは食べてしまった。スズメバチосаは夏から秋に多く出てくる。メロンやハチミツなどに多くたかっている風物詩である。ちなみにбегаはチャリオット(映画のベンハーに出てくるような)、つまり繋駕式で、モスクワでは20年前は日本で言う競馬скачкиと交互に行われていたが、今は基本的にбегаのみのようである。次の小話は90年代初めにモスクワの地下鉄で買った小話集にあったもの。大して面白くないが、大学で教えている人には分かるかもしれない。
К защите диссертации:
20 минут позора и 30 лет обеспеченной жизни.
学位論文の審査に対して、
20分の恥辱と30年間の保証された暮らし。
今回の小話は、
- Почему в хлеб стали добавлять горох?
- Чтобы войти в коммунизм с треском.
設問1)和訳し、オチを説明せよ。
設問2)次の二つの表現は同義か?
а) с 8 до 12 часов
б) от 8 до 12 часов

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2009年11月18日

●新帯研 第82回

「ナイフで人を刺す」というのは、ロシア語でударить кого ножомという。日本語にも「ナイフで切る、切りつける」という表現があるが、ナイフのような短刀ではなんとなくおかしい。「自分の指をナイフで切る」というなら分かるし、「切りつける」ではし損じた感じがする。ロシア語のはナイフ(ドス)で体当たりしたような感じか。
トルストイに関する本を読んでいたら、ロシア語では狩猟用語では尻尾хвосты の呼び名が動物によって違うとあり、具体的な名称が挙げられていたので参考のため書いておく。(у лисицы - труба, у волка - полено, у зайца - цветок, у борзой - правило, у гончей - гон, у сеттера - перо, у пойнтера - прут, у дворняжки - хвост)。今回の課題は、
- Что делать, если муж возвращается домой пьяный и материт правительство?
- Попробуйте победить его Марксом, вторым томом по голове.
設問)和訳せよ。

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2009年11月26日

●新帯研 第83回

ни пуха ни пера!という慣用句は「(相手に対して)幸運を祈る」という意味の熟語だが、文字通りは「1本の柔毛も1本の羽根も取れない」という意味で、猟に行って、悪魔がイタズラ心を起こさないようにということでできたものであり、これに対する答えは、「к чёрту(悪魔のところへ行きやがれ」と言うか、隅につばをはく (сплюнуть в угол) である。しかし、日常会話でつばを吐いたり、悪魔を口に出すのもどうかと考える人もいるわけで、例えば、次のような会話を聞いたことがある。
- Ну, всего хорошего, ни пуха ни пера!
- Принято отвечать «к чёрту» Но я тебе, не хотел бы так ответить.
- Ну что ты, я не обижусь. Ведь это просто обычай!
そのため、それを避けるためかオフィスなどでは、(Желаю) удачи!という表現をよく耳にする。今回の課題は、
Фабула-34
- Рабинович, что вы всё ходите и ходите – вы же всё равно сидите!
設問1)和訳せよ。オチを別に解説してもよい。
設問2)次の表現で正しいものはどれか?
a) 5 часов ночи, 4 часа вечера, 12 часов вечера, 3 часа утра, 11 часов ночи, 5 часов дня, шесть утра, шесть вечера, три дня, двенадцать ночи
b) Было уже половина одиннадцатого.

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2009年12月07日

●新帯研 第84回

交通手段での移動を示すには交通手段を造格にするかна + 前置格にすると習う。ほぼ同じ意味だが強いて違いを言えば造格では使えない名詞もあるということである。「自動車で行く」をехать на машинеとは言うがехать машинойとは言わない。しかし絶対にそうだろうか?革命前の本を読むと поехать машинойという表現も見かけるが、これは意味が違うことに気づいた。この場合は当時の口語で、поехать по чугунке = поехать по машине となり、現代風に言えばпоехать поездом (=паровозом = по железке = на паровозе)ということで「汽車で行く」という意味だと最近読んだ。ただ革命前の本ではв автомобилеがよく使われている。今回の課題は、
Покупатель продавщице парфюмерного отдела:
- Почемув у вас одеколон «Русский лес» без этикетки?
- А вам не всё равно?
- Это вам всё равно, а мне на стол ставить.
設問)オチが分かるように訳せ。

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2009年12月11日

●新帯研 第85回

日本語の名詞がロシア語と完全に一致するものではないということは、少しロシア語をやればわかることではあるが、基本的な語彙となると思いこみというのが語の完全な理解を邪魔する場合もある。例えば水はロシア語ではводаというが、「水中にある」という意味でпод водойという表現を見つけたとしよう。英米人ならunder waterという表現もあるので何とも思わないかもしれないが、日本語だと直訳すれば「水の下に」となり、どうしてв водеではいけないのだろうと疑問が起こるはずである。しかし、ここで辞書を引けばいいものを、こういう慣用表現であろうと考えてそれ以上追及するのを止める人がほとんどであろう。この場合вода = поверхность рек, озер, морей и т. п. 、つまり「水面」という意味なのである。それゆえ、держаться на воде, поплыть по воде, падать на воду, скрыться под в одой, уходить под воду, спусть судно на воду(力点はна)というのである。しかし、水面ではなく水の塊を意識するときはвを使う。погружаться в воду, броситься в воду(身投げをする), поставить цветы в водуなどがある。この他にも「水位」という意味もある。пока не спадёт вода日本語でもこれを訳す時に「水が引くまでは」となるから似ている。露和辞典も使いようだし、露露辞典があれば別の用例も出ていてより理解しやすいので、できるだけ大きい露露辞典も手元に置くことを勧める。今回の課題は、
- Когда загорелся дом, я влетел в соседнюю комнату и вынес на руках тёщу!
- Да, Ваня, в таких обстоятельствах легко потерять голову.
設問1)和訳せよ。オチを説明せよ。

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2009年12月15日

●新帯研 第86回

剣豪小説を読んだり、空手をテーマにした映画を見ていると、秘技というのが出てくる。こういうのは大半絵空事なのだろうが、一度だけ秘技を見たことがある。和道流の空手を大学時代やっていたが、夏の合宿で、大塚師範(和道流開祖大塚博紀師範の御子息で当時は次郎師範)が空手の受け身を教えてくださっていた。師範は見た感じ空手の師範というよりは英国紳士のように見えた。空手の受け身というのは珍しいが、合宿の後半ということもあり、またハエがしつこくブンブンと飛び回っていて今一つ師範の話に身が入らなかった。師範は特にハエに気がつかないようだったが、受身の説明のときに軽く足刀(足のかかとに近い側面で蹴る技)をふわっと繰り出された。非常にゆっくりに見えたが、なんとハエが板の間に転がり落ちた。まるでハエが足に吸い込まれたように見えた。全体に師範の組み手はゆっくりとされていたが、先輩の2段クラスでも子供扱いだった。結局私の空手はものにならなかったが、このことだけは30年以上も前だったが鮮明に覚えている。
- Гражданин, за вами рубль!
- Где?
- Я говорю, что вы должны мне рубль!
- Ах, да! Так возьмите то, что за мной.
設問)和訳して、オチを説明せよ。

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2009年12月28日

●新帯研 第87回

ロシア人も鰻を食べる。ロシアではウナギの缶詰まで売っている。買って食べてみた。ウナギを丸ごとぶつ切りにしてゆでてある。あのおいしいウナギがどうしてこんなにまずいのか本当にびっくりした。缶詰にも好みがあろうが、ロシアの缶詰にはどうしても好きになれないものがある。ナマズのトマト煮とかワカメ(昆布)のサラダなどである。逆にとてもおいしいのはシュプロートゥイшпроты в масле でニシンやイワシの小魚の油漬け。これは前菜によく出てくるがあっさりしていて非常においしい。安いのでお土産によいのはタラ肝печень трескиで見た目は悪いが、20年程前日本へのお土産としてアンキモに似ているとして評判だった。アンキモを1度しか食べたことのない身としては批評できない。食べるときは、まな板において、まな板を30度ぐらい傾けて油をぬく。日本の缶詰だってまずいものはある。それは小さい時に食べたメロンの缶詰でタバコのピースの匂いがしたのを覚えている。
1988年ごろだからペレストロイカ全盛のころであろう。モスクワで初めてロシアのストリップстриптиз(ストリッパーはстриптизерша)を見た。ロシア人のお客さんの招待だったと思う。20代後半の女性で、音楽もなく胸を出しただけだったので拍子抜けをした記憶がある。それが最近ではアメリカ流のポールを使ったストリップが主体で、ストリップの学校まであり、男性ストリップも人気があるという。なにもアメリカの真似をせずともロシアらしいストリップを考案すればよいのにと思う。エカチェリンブルグなどでは2003年ごろだが、上品なストリップでストリップ嬢がお酌してくれたりしていた。ただ話題が貧弱でどっちがお客か分からない感じだったが、連れの接待相手(日本の大企業の課長さん)は大満足の様子であった。今回の課題は少し長いがこのぐらい和訳する練習もたまにはよいかもしれない。
Дочка Нового русского собирается выйти замуж. Новый русский ее спрашивает:
- А кто твой жених-то?
- Да Вася из соседнего района, слесарь.
- Мдаа, ну зови своего жениха, потолкуем.
Приходит в гости к Новому русскому Вася. Тот его спрашивает:
- Слушай, я слышал, вы с Ленкой пожениться собрались. Ну так вот, она у меня девочка особенная. Привыкла жить от души - ну там шмотки всяческие, Карден-марден, понимаешь. Ну где-то штук 50 зелени в год выходит. Ты как, потянешь?
- Думаю, Бог мне поможет.
- Ну ладно. Но вот у нее там Мерс стоит, ну не то чтобы сильно навороченный. Думаю, через полгодика ей надо будет Ягуар подобрать такой чтоб нехилый. Как ты, сможешь?
- Думаю, Бог поможет.
- Мдаа. Ну а еще Ленка брюлики-шмулики любит, жуть. Там где-то штук 150 в год вылезет. Потянешь такое?
- Бог мне поможет.
Вася уходит, а Новый русский зовет дочь и говорит:
- Ну, что тебе сказать? Женишок твой, конечно, лох лохом. Но меня так прет, КАК он меня называет.
設問)和訳せよ。

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2009年12月30日

●新帯研 第88回

モスクワのソコーリニキ公園Сокольникиにバラ園розарийがある。家族連れでよく行った。ここに限らずモスクワには日本で言う森林公園лесопаркが市内にいくつかある。ロシア人は北国ゆえか花が大好きである。プレゼントをどうするか選ぶのがいやならバラを買えばよい。冬でも花屋は盛況であるし、3月8日の国際婦人デー、取引先の(特に担当の女性秘書の)誕生日には花とチョコ菓子がつきものである。チョコの包装紙も昔からのものも多いので、一時コレクションをしていたことがある。おかげで太った。食べなくてもいいはずだが、元来のケチゆえもったいないと思うからかそういうことになる。おかげさまで、ダイエットが成功して今日(2009年12月30日)現在で71.95kgと2009年元旦の83kgより予定通り11キロ減った。後はこれを何とか維持するのみ。
- Что такое «реактивный муж»?
- Ту – 104, а жену 1 раз.
設問)和訳して、オチを説明せよ。

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2010年01月05日

●新帯研 第89回

明けましておめでとうございます。一応100回で新帯研はやめるつもりでしたが、少し材料もあるので110回程度まで続けたいと考えています。
カザフには高麗人(戦前沿海州に住んでいた朝鮮系の人たちでスターリンによりカザフスタンなどに強制移住させられた人々やその子孫)が50万人ぐらい住んでいる。そのためバザールなどではキムチкимчаや豆腐も売っている。最近韓国レストランも増えた。アクチュービンスクに出張した時に韓国レストランに入ったら、連れの若いのが是非犬の肉を食べてみたいという。4人連れ(全員日本人)だったが、二人は犬を飼っているので犬の肉собачатинаを食べるなどもってのほかと言う。私は偏見はないので、食べきれなかったらつきあうよと言っておいた。注文した犬の肉が運ばれてきた。その若い人は一口食べるなり、まずいといってそれ以上は食べない。仕方がないので食べてみた。なにかゴムをたべているような感じである。ソ連に抑留された父の話でも、朝鮮人のいる収容所の近くには犬はいないとかで、父もいろいろ食べたが、猫は煮るとあぶくが出てまずく、犬はまあまあ(朝鮮人は赤犬が一番と言っていたという)、蛇がとてもうまくご飯にのせると飯がテラテラ光って、これこそ銀シャリだと思ったとのことである。カザフで食べた犬の肉は多分老犬だったか、犬の料理の仕方を知らない現地の高麗人コックだったからかもしれない。それ以来犬の肉は食べていないが、機会があれば韓国で挑戦したいと思っている。犬には小さい頃咬まれた(というよりは愛咬であろうが、根が臆病なので)覚えはあれど義理はないのでなんとも思わないのである。今回の課題は、
- Какая разница между женскими и мужскими ногами?
- Никакой, разница между ногами.
設問1)和訳せよ。

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2010年01月07日

●新帯研 第90回

1985年ごろペレストロイカの始まったばかりの頃、ソ連漁業省にレセプションに招待された。ペレストロイカのおかげでこれからは無理やりウオッカを飲まされることもないし、ペレストロイカさまさまだと気楽に臨んだ。行くと、すぐフォトタイムと言われ、写真を撮ってくれという。テーブルにはさまざまな前菜のほかにジュースと水だけである。写真を撮り終わると、フォトタイムは終わりと宣言され、カメラを本当にしまったよねと確認しにくる。カメラがないことが確認した後、テーブルの下からおもむろにウオッカが何本か出てきた。これはしたり、ペレストロイカは?と聞くと、ウィンクしてくる。我が国はウオッカなしでは開けない国であるとのこと。結局いつものдо днаの連続だった。まあ以前よりは量が心なしか少ないようだったけれど。
- Что такое акселерация?
- То, что комсомольцам 20-х было по плечу, а комсомольцам 80-х – по хую.
設問1)和訳し、オチを説明せよ。

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2010年01月24日

●新帯研 第91回

カザフのアルマトゥイに駐在していたときのことで1995年のことである。朝、うちの近くの国会の前を散歩していたら、車が交差点でガクンといって止まった。心なしか前輪の片方が沈んでいる。パンクかと思い近づいて見ると、どうも様子が変である。よく見ると、前輪の片方のタイヤがマンホールに落ちている。マンホールの蓋を盗んだやつがいて、そこにタイヤが落ち込んだという次第。このころカザフやロシアの沿海州でも電線盗というのが多く、金属はどうも中国に売り飛ばしていたらしい。ここでチェコのВинкельхоферヴィンケリホーフェル夫妻の書いた「日本百見Сто взглядов на Японию」の中に、似たような話のあったことを思い出した。夫妻は日本語が堪能で1960年代の日本全国を旅して、その印象を本にまとめている。ちなみに、この本は1968年にチェコ語からの露訳で出ている。橋の上で水道や電線管で道路工事をしているときに、夜中は道路に開いている穴の周りに何も注意標識をおかなかったらしい。それで自転車に乗った人が落ちて、一人溺れ、もう一人は泳げたので助かったとある。日本もそういう時代があったから強くは言えない。今回の課題はあるペテルブルグの人から聞いた小話。こういうのが好きだという。当方は落ちは分かるがあまりピンとこない。人それぞれである。
По раскалённой зноем пустыне катится нолик и под одним из кактусов замечает восьмёрку:
- Ну надо же! Такая жара, а они любовью занимаются.
設問)和訳せよ。

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2010年01月27日

●新帯研 第92回

革命前のロシアの貴族の称号(爵位)дворянские титулыを戦前の日本や西欧のように公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵と考えている人がいるようだが、それは違う。ロシアでは公爵、伯爵、男爵のみである。公(侯)爵、伯爵、男爵のみである。公爵свелейший князь(侯爵の中で特に功績のあったものに与えられた)や侯爵 (простой) князьはРюриковичи (Вяземскиеなど), Гедиминовичи (Голицыныなど), Чингисхан系統 (Юсуповыなど), グルジア貴族系統 (Багратионы, Грузинские, Имеретинские), князь Римской империи (Меншиковы, Орловы, Суворовы), Голенищевы-Кутузовыの家系)であり、伯爵графはБенкердорфы, Палены, Киселевы, Васильевы, Толстые, Панины, Игнатьевы, Шуваловыの家系である。男爵бароныはバルト海の沿岸のドイツ系かスウェーデン系の貴族предствители остзейской (прибалтийской, немецкой) или шведской родовой аристократииであり、(Дельвиги, Корфы, Врангели, Розеныの家系である。これらは世襲貴族だが、功績によって政治家なら伯爵とか、大貴族の庶子や大商人に男爵を授与される場合もあった。。一代貴族 личные дворянеから世襲貴族потомственные дворянеになる例もあった。この場合のдворянеは日本語の士族に近い。爵位をもったдворянеは華族といったところだろう。
 日本の植物学の父と呼ばれた牧野富太郎先生の「植物記」に、「植物の学問は口舌や文字の学問でなく、徹頭徹尾実地の学問である。実地につき、実物について研究するところに植物学研究の真髄が存在する。地理を教える人の中にはロンドンを知らずしてロンドンを授け、鹿児島の地を踏まないで鹿児島の地理を説くものがある。そんなことではどうして生きた地理教授、力のある地理教育が行われるものぞ。教育は教師の実力が根本であって、教授術の如きは末の末である。…」とある。牧野先生は、77歳まで東大講師として教えていたが、ついぞ教授にはならなかった。もっともなっていれば定年でとっくに大学を去らねばならなかっただろうが。この文章を読んで思うには、ロシア語も露文解釈を教えるだけを教えるならともかく、せいぜい自分の考えや言いたいことをロシア語で言える程度でロシア語会話を教えるのは無理があろうということである。このレベルはロシア語を一生懸命やれば2~3年で到達できる。もっともプロのロシア語ガイドや通訳が、いくら会話ができると言ってもロシア語会話を教えることができるかというとそれも疑問である。会話の実務能力とともに、生徒に対して平易で納得のいく文法的な説明ができなければ無理だろう。今回の課題は、
Ночь. Стук в дверь.
- Кто там?
- КГБ
- Чего надо?
- Открывайте, нужно поговорить.
- Сколько вас?
- Двое.
- Так в чем дело? Вот между собой и поговорите.

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2010年01月29日

●新帯研 第93回

カザフ国内を出張していたときのこと、深夜にアクチュービンスク(カザフ西部)からアルマトゥイ行きの便に搭乗した。座席の前方が騒がしい。若い人がスチュワーデスと口論になっている。その若い人は酔っ払っていて、中年のがっしりしたスチュワーデスが「Молодой человек(直訳すれば「若い人」)、周りの迷惑になるから降りるように言ったとたん、いきなり胸のボタンを外して胸を出そうとする。男じゃないぞということらしい。うら若き女性だったのである。頭がショートカットだから分からなかったわけで、結局たくましいスチュワーデス二人に腕を取られて飛行機を下りて行った。カザフでもロシアでもスチュワーデスは毅然として(態度がでかいということでもあるが)、頼もしい。
ロシアにもモグサというものあったというのを最近知った。мокса といって、日本のヨモギと違い、木綿クズで皮膚の上に載せる。革命前のギリシャ起源の民間療法らしい。今回の課題は、
Демократия - это когда народ открыто проявляет недовольство своим правительством. А диктатура – когда народ также открыто выражает недовольство чужим правительством.
設問)和訳せよ。

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2010年01月30日

●新帯研 第94回

1990年代初め、ロシアではまだ本が(というよりは古本が)とても安かった。1冊100円か200円でハードカバーを売っていた。ここぞとばかりに買い込み、1回のロシア出張で60~70冊買っていた。郵便局から送ればいいようなものだが、当時は外貨ショップ(ベリョースカ)で買ったものでないと(そのレシートを提示する必要があった)受け付けてくれない。1950年以前の本だと文化省の許可を取れとかうるさかった。最初はアエロフロートのチックインカウンターでカレンダー3本でエクセス(超過重量分の支払い)を勘弁してくれた。一度だけその前の税関でひっかかったことがある。ゲルツェンとストルガツキーの全集だったが、端本(全集のうちで揃いとなっていないもの)はいいが、全集は国外持ち出し禁止だという。見送りのわが社の運転手も帰った後で結局税関の前の廊下に20冊ほどおいておく羽目になった。2冊ぐらい読んで、なるほどと思ったところに印をつけていたので、手放しがたく、いろいろ粘ったが駄目だった。ロシアで誇れるほぼ唯一の文化を日本に広めてやろうとしているのにその態度は何だとかいったが、先方は馬耳東風。全集から2冊ずつ抜いて、これなら端本だなといって通してもらった。結局その後端本では売っていないので全集をモスクワで買い直し、置いてきた分を次回の出張で持ち帰った。今回の課題は、
К концу пятилетки у нас будет по 10 кг мяса на человека, - говорит лектор.Его перебивают из заднего ряда:
- Тут плохо слышно, вы сказали «ка» или «ке»?
- Не понимаю вопроса.
- На человеКа или на человеКе?
設問1)和訳し、オチを説明せよ。

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2010年02月01日

●新帯研 第95回

旧ソ連では1階や2階は泥棒に入られやすい。ガイダールという最近亡くなったロシアの元首相も1階にマンションに住んでいて、危険だからといってエリツィンに新しい住まいを提供するように頼んでいる。カザフにいるときある日本の商社の所長の家が2回連続泥棒にやられた。マンションの2階である。ただこの所長単身赴任で、地方に出張した時に入られたらしいが、どうして2回も留守だとわかったのか日本人会で不思議がられた。どうもこの所長、部下には厳しい人で、会議中こっくりしようものならボールペンを居眠りしている部下にぶつけるという人だったらしい。前の駐在は東南アジアで現地人の部下を下に見るという癖がついていたようだ。旧ソ連ではそうはいかない。現地の人をなめるとえらい目にある。多分、それとなく出張の日が漏れていたのかもしれない。今回の課題は、
Детям дали задание узнать, какого роста был Владимир Ильич. Если не найдут в книжках, спросить у родителей. На следующий день на уроке.
Маша: У него был рост 168 см.
Петя: У него рост был 169 см.
Вовочка: Он был карлик. Я у папы спросил, а он ответил: «А мне – по хую».

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2010年02月03日

●新帯研 第96回

ロストフ・ナ・ダヌーРостов-на-Донуは20世紀初めからロストフ・パパと言われ、オデッサに並ぶ犯罪都市だった。カフカスからのロシアへの出口に位置しており、グルジア人、アルメニア人、ユダヤ人も多かったことによる。残念ながらロストフ・ナ・ダヌーには行ったことはないが、現在もロストフの公園にはブジョンヌィ将軍(第一騎兵軍1-я Конная армияの指揮官)の乗馬像が立っており、「6時にタマの下で会おうぜ」といった表現も現地では聞かれるとのこと。是非どなたか行くチャンスがあれば確かめてほしい。
Памятник С.М. Буденному в центре города
Говорят, что великий скульптор Вучетич изначально изобразил Буденного на кобыле, но затем, по указанию «сверху» срочно переделал кобылу в жеребца, приляпав к статуе исполинские яйца. Теперь монумент (а точнее его незначительная часть) - одна из достопримечательностей города. Дом Советов, находящийся за монументом, часто называют «домом под яйцами». «Встретимся под яйцами» - означает свидание возле этого памятника. Еще говорят, что иногда шутники красят эти яйца в яркие, веселые цвета.
(市の中心に立つブジョンヌィの銅像
大彫刻家のヴチェーチチは最初牝馬にまたがったブジョンヌィを作った。しかしながら、後になって上からの指令により、銅像に巨大なタマをくっつけて、早急に牝馬を雄馬に作り変えた。いまや記念碑(より正確にいえば、その微々たる部分)は市の名所の一つである。記念碑の後ろにあるソビエト会館はしばしば「タマの下の家」と呼ばれる。「タマの下で会おうぜ」というのは、この記念碑のそばでのデートを意味する。さらに、ときどきイタズラ者がこのタマを明るい、楽しい色に塗ることもあるという)
ロシアにはтаксофонというのがあるが、長いことタクシー呼び出し電話だと思い込んでいた。ソ連はさすがに進んでいると思ったのものだったが、最近になって何のことはないтелефон-автомат公衆電話のことで、таксо-というのは時間単位で課金されるという意味だということが分かった。今回の課題は、
На призывной комиссии:
- Ваша фамилия?
- Ба... Бабах...Бабахин
- В пулеметную роту!
設問1)和訳せよ。
設問2)次の語句のうちどれが正しいか?
a) спускаться с лестницы
b) спускаться по лестнице
c) во дворе
d) на дворе

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2010年02月04日

●新帯研 第97回

カザフに駐在していた頃カザフスタン東部の都市アクチュービンスクの近くのクロム鉱山に出張することがよくあった。1996年の冬でカザフの経済もあまり芳しくなく、ホテルも鉱山経営のが一つあるきりで、客も少なかった。あるときカザフ人の部下と一緒に昼食食べていた。客は他にはロシア人女性の技師が二人。私の座っているところから料理が出てくる廊下が見える。廊下には黒っぽい影が見え、猫がいるのかなと思った。料理を食べていたら、部下が肘でつく。「佐藤さん、佐藤さん、ドブネズミкрысаだ」。女性もいるのだから大きい声は出すなと言った瞬間、魂消るような悲鳴のあとに、なんとそのロシア人の女性は二人ともぴょんとイスの上に飛び乗り、ナイフとフォークを振り回していた。猫と思ったのはドブネズミだったのである。人間というのは必死になると神業みたいな真似ができるなと感心した次第。
1985年頃Бородино「ボロヂノー」というボロヂノーの戦いに関する本を「軍事図書」という本屋で買った。当時2万円ぐらいした豪華本で挿絵が豊富だった。買う時に売り子がわざわざ上司のところに行って外国人にこのような本を売っていいのかとお伺いを立てていたのを思い出す。軍事図書は紫色の建物でサドーヴァヤ環状道路沿いにあったが、7、8年前につぶれてしまった。今回の課題は、
Чукча идёт по улице: на шее у него полотенце намотано, на плече висит огромная бас-труба, а за собой он тянет на верёвке двух коров.
- Чукча, ты куда это собрался?
- Чукча в баня звали.
- А труба и коровы тебе зачем?
- Мне сказали, что в баня пойдём с тёлками гудеть.
設問)和訳せよ。

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2010年02月09日

●新帯研 第98回

モスクワの冬は寒い。そのため寒暖計に必需品である。ただどこにかけるかが問題である。あるときの昼間、外に出ようとして、寒暖計を見るとプラス15度ある。雪が積もっていたが、さんさんと日光が降り注いでいる。オーバーも着ないで外に出た瞬間、間違いに気づいた。マイナス15度だったのである。寒暖計がこわれていたわけではなく、寒暖計のかける場所に日光があたって、寒暖計を温めていたわけである。寒暖計は日陰におかないといけない。
男装で戦った女性は何人かいるが、旅順攻防戦の女性英雄ハルチーナ(?~1904) Хартина Евстафьевна Короткевичはほとんど知られていない。ハルチーナは第13東シベリア連隊第7中隊兵卒として勤務。トボーリスクの農民の子として生まれ、6歳で母をなくす。すぐに女中や乳母を経て、1902年ヤーコフ・コロトケーヴィチに嫁ぐ。夫が1904年2月に召集されると、夫の後を追って前線へ向かう。男装して夫の任地にたどり着く。場所は日露戦争の旅順。1904年4月4日連隊勤務許され、同年10月3日日本軍の砲弾の爆発により戦死。旅順攻防戦の英雄としてスチェパーノフの「旅順」にも描かれている。今回の課題は、
Перекличка:
- Петров!
- Я!
- Иванов!
- Я!
- Череззаборногузадирищенко!
- Я!
- Ни фига себе фамилия!
- Я!
設問)和訳せよ。

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2010年02月11日

●新帯研 第99回

アネクドートもさまざまで人により好みも違う。私の好きなのはロシア語のダジャレкаламбурで、しかもその和訳が日本語でもダジャレになるもの、もっというとそこから派生して、まったく別の日本語のダジャレになるものである。つまりロシア人には結果的にそのオチが分からなくなるというのが好きだ。そうなるとオリジナルのロシア語の小話がまったく別の小話に変身するということになる。第98回の課題も、成功しているとはいえないまでもこれに近いと思う。第100回のものなどトライされるとよい。
ロシアでは春か夏にボイラーの予防点検をする。そのため3週間ぐらい風呂が使えない。真冬に暖房が壊れてはこまるのでやむを得ないが、この3週間は真夏でもない限り困る。ロシア人の出張の必需品に電気ヒーターがある。これは金属の電熱コイルがむき出しで、これを水が入ったカップに入れて温めて紅茶などを作る。この大型のも売っていて、我が家ではこれをバスに入れ、お湯を沸かしていた。ただ漏電しないのだろうかといつも気になっていたが特にそういうこともなかったが、暖かくなるのに1時間以上かかるのにはまいった。今回の課題は、
設問)和訳せよ。
Килька и тюлька вышли замуж за рыб еврейской национальности и стали мойвой и сайрой.

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2010年02月15日

●新帯研 第100回

例えば、Это проблематично в свете решений, принятых на собрании.という文があったとして、в светеの意味が分からないとしよう。岩波の露和辞典を引くと、в свете чегоで「~にかんがみて、~の見地から見て」という訳が載っている。これで終わりにしてもいいのだが、言語運用(発話)能力向上用の語彙(通訳をするための和文露訳用の語彙)を増やそうと考えるなら、さらに露露辞典を引いてみるべきだ。露露には、с учётом чего-л., в соответствии с чем происходит что-л., с точки зрения чего-л.と説明してある。辞書の説明は普通分かりやすい語句を使うのが当然で、説明にある語句を知らなかったのならこれも暗記してしまうとよい。с точки зренияは「~の見地から見て」ということだし、с учётомは「~を考慮して」(上の例文では意味が取りにくいが)であり、в соответствии сは、「~に基づいて、~に一致して」ということである。例文の前置詞句の中にсвет(光)が入っているので、これをもとに訳がずれないように和訳すれば、「会議で採択された決定に照らして、これは問題だ」というのも可能である。
外国人には風呂敷が珍しいらしいということはいろいろ書かれている。アーネスト・サトウの「一外交官の見た明治維新」(岩波文庫、1960年)にもそのようなことが書かれている。確かに一升瓶を風呂敷で包むとかいろいろな包み方があるというのは外国人にとって驚きであろう。19世紀のロシアの役人に関する本を読んでいたら、その頃の小役人は勤務時間が午前9時から午後3時で、家族持ちは в узелке из платка(プラトークを包みにして)残業の書類を持ち帰ったとあるから風呂敷ではないかと考えた次第。この時代取っ手のついたハンドバッグはまだない。今回の課題は、
設問1)和訳せよ。
-Скажите, пожалуйста, здесь живёт Эдита Пьеха?
- Нет, здесь живёт Иди Ты на Хуй.
設問2)次の語句は正しいか?
в отсутствии отца

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2010年02月23日

●新帯研 第101回

ドイツの外交官ゲルベルシュテインГерберштейн(1486~1566)はヴァシーリー3世治下のモスクワを2度(1517年と1526年)訪問した。そのときに大公(ツァーリを名乗るのは息子のイワン4世以降)であるワシーリー3世に謁見したわけだが、呼びかけのときにワシーリー3世の全肩書きを読み上げられるわけで、それにかなり時間がかかり、外国の使節は閉口したようである。16世紀末になると、最初の呼びかけのときだけ帝の全部の肩書が読み上げられ、二回目からは「帝と大公がおつかわしになるцарь и великий князь подаёт」と短くなった。大公がパンを外国の使節や臣下に下げ渡すときも同様で、このときの白パンは形状からカラーチのようである。パンを下げ渡すのは大公からの恩顧を示し、特に塩は最高の名誉とされた。宗教上肉の許される日には、一番目に出てくるのは焼き白鳥だった。あまりうまいものではなかったらしい。これを酢、塩、コショウ、酸乳(液状ヨーグルト)をつけて手で食べた。ナイフを出されたのは特別な貴賓のみで、後の人には手で食べれるようあらかじめいくつかに切って出された。西洋のようにソースとかサラダオイルのようなものは知られていなかったとゲルベルシュテインは書いている。この食事は長く、終わるのが午前1時ということもあった。政務はこの昼食前に終わらせる決まりなので、終わるまでは食事ができなかった。この食事のあとは政務はしなかったとある。
 ちなみにイワン雷帝の書簡から肩書を抜き書きしてみる。
Великий государь, царь и великий князь Иван Васильевич всея Руси, Владимирский, Московский, Новгородский, царь Казанский и царь Астраханский, государь Псковский и великий князь Смоленский, Тверский, Югорский, Пермский, Вятский, Болгарский и иных, государь и великий князь Нижнего Новкорода, Черниговский, Рязанский, Полоцкий, Ростовский, Ярославский, Белозерский и отчинный государь и обладатель земли Лифляндской Немецкого чина, Удорский, Обдорский, Кондинский и всей Сибирской земли и Северной страны повелитель(全ルーシ、ウラジーミル、モスクワ、ノーヴゴロド大君主、帝にして大公イワン・ワシーリエヴィチは、カザン帝にしてアストラハン帝、プスコフ君主、スモレンスク、トヴェーリ、ユゴール、ペルミ、ヴャーツク、ボルガール他の大公にして、ニージュニー・ノーヴゴロドの君主にして大公、チェルニゴーフ、リャザン、ポーロツク、ロストフ、ヤロスラーヴリ、ベロゼール世襲領地の君主にして、リフリャンジアドイツ位の所有者にして、ウドール、オブドール、コンヂン、全シベリア領土および北方の統治者)今回の課題は、
В Шотлландии разводят лохнесских чудовищ в пропорции: два лоха на одну Нессии.
設問)訳せ。

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2010年02月28日

●新帯研 第102回

間宮海峡のことをロシア語でТатарский проливというが、ただ漠然とサハリン近辺にタタール人が住んでいたのだろうと思っていて深くは考えなかった。クルゼンシュテルンの「最初のロシアによる世界周航記」によると、レザーノフ使節とともに日本を離れた後、蝦夷、千島列島、サハリンを経てカムチャッカ半島に戻ったわけだが、そのときサハリン南部に住むクリール人(アイヌ人のこと)とは明らかに種族が違うサハリン・タタール(またはアムール・タタール)人について記している。つまり18世紀末から19世紀前半まではニヴヒ人(旧ギリヤーク人)をタタールと呼んでいたことが分かる。間宮海峡をタタール海峡とロシア語で呼ぶのはそのためである。今回の課題は、
Парфюмерные товары к ленинскому юбилею: одеколон «Ленинский дух», пудра «Прах Ильича», мыло «По лениским местам».
設問)訳せ。オチを別に解説してもよい。

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2010年03月05日

●新帯研 第103回

ロシアの街でшиномонтажという看板を見かけることがある。ロシアのガソリンスタンドは給油専門でそれ以外のサービスをすることがない。タイヤがパンクして交換する場合にはшиномонтаж、故障ならремонтный заводと分業化が進んでいる。ユーザーには不便な限りと思うが、基本的にロシア人は日常の車の点検は自分でするのが普通なのであまり気にしないのかもしれない。ロシア人観光客でガソリンスタンドのピストル型給油装置が珍しいと言って写真を撮っていた人もいた。
江戸時代の奇譚や噂話、薬の処方などを記した耳嚢(根岸鎮衛)の巻之八に「チンカという病名の事」という記事があって、「歯茎など黒く成りて…其病ヲロシヤの地などは多く…」とあり、ツィンガーцинга(壊血病)のように思われる。治療法は「股の黒く成し所は針して血を取て吉し」とあるが、ビタミンCの不足からおこる病気ゆえ、これでは治らないだろう。それにしても著者の根岸鎮衛(1737~1815)は鎖国していた江戸時代の人だからその好奇心と知識欲には驚くほかはない。
(文学志望の君に贈るトルストイの言葉)
Пишите, когда приспичит.Когда чувствуете потребность писать, - пишите. Человек как чайник. Закройте чайник, - пар пойдёт носиком. Раз чай горячий!
書かねばと思ったら書きなさい。書く必要があると感じるときには書きなさい。人は急須のようなものです。急須の蓋を閉じると蒸気が口から出てきます。お茶が熱ければ。
今回の課題は、
- За что сняли Подгорного?
- За небрежность вместо «дублёнка» он сказал «дублёнька»
設問)訳せ。オチを別に解説してもよい。

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2010年03月07日

●新帯研 第104回

今回の話題は散漫。ロシア語の隠語ではшестёрка(標準語では6番)というと三下のことだが、これはカードゲームで価値の低い取札ということから来ている。別の説では革命前のтрактир(食事処、ロシア料理のレストラン)のボーイполовойの月給が1カ月6ルーブルであり、このボーイのことをそう呼んだという説もある。половойはチップで生計を立てるのが普通で店から給与をもらわない場合も多かった。日本語では陸(ろく)というのは、「平らなこと」から「まじめなこと、きちんとしていること、十分なこと」という意味になり、「ろくでなし」は「のらくらもの、役立たず」という意味なのはなぜかおかしい。
60年代末現在のトヴェルスカーヤ通りは、若者の間でそれまでブロドウェイБродвейと呼ばれていたのがストリートСтритと変わった。厳密にはゴーリキー通りの左側でプーシュキン広場からホテル「モスクワ」までを指した。
ロシアでは第1次世界大戦が始まったころから禁酒令が敷かれ、それを革命政府も踏襲してきたが、密造酒にからむ犯罪が増えたため、酒を飲まないように1918年5月1日工業用アルコールに毒を混ぜるという政令を発布した。Постановление о добавлении яда к техническому спирту, дабы неповадно было пить.しかし、それでも酒はなくならなかった。
今回の課題は、
Жена наставила мужу рога. Узнав об этом, он откинул копыта.
設問1)和訳せよ。
設問2)イギリスのことを英国、大英帝国と日本語では言いかえるが、ロシア語ではどうか?

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2010年03月11日

●新帯研 第105回

英語や中国語なら自動翻訳機が近い将来実用化することは間違いない。ロシア語に関しては技術的に可能でも、需要が少ないので、実用化する資金を誰も出そうとはしないし、多国語会話で若干使われる程度だろう。こういう自動翻訳機ができても外国語を勉強しようという人は減らないと思う。武道だって、幕末の一部の人を除けば、江戸時代ですら、武士のたしなみ程度でしかなく、現在は、武器としてなら銃器があるので、理詰めに考えれば不要なはずだ。ところが肉体を鍛錬することのほかに、精神性、特に哲学的なことをふまえて学ぶ人が多い。武道にも、柔道、空手、剣道、合気道などメジャーなものから、杖道、古武道などマイナーなものまでいろいろである。ロシア語もマイナーではあるが、ロシア文学の人気から見て精神的、哲学的観点から勉強しようとする人はなくならないと思う。語学をやればぼけない、特にロシア語はぼけに効くということが証明されれば、末長い人気が確実なものになるのだが。
 この頃江戸時代から幕末、明治に来日した外国人(ロシア人、イギリス人、アメリカ人、スイス人、イタリア人など)の著作(日本滞在記とか日本紀行の類)を読んでいる。日本の心とか日本らしさというものを知るためには、外国の影響の少なかった時代の日本を知るのがいいと考えた次第。同時代の日本人の日本に関する著述よりも、外国人の著作の方が現代のわれわれにとってわかりやすく説明されていると思う。馬も草鞋を履いていたとか、日本の猫は尾が短いとか、150年前の浅草にはコウノトリがいたなどどうでもいいことだが、それなりに面白い。そこで思うのだが、こういう記録(小説ではなく)をすべてコンピューターに入れ、CDグラフィックで再現できるようにすれば、いながらにして過去にタイムスリップできるようになるはずだ。今はまだ難しいかもしれないが、スーパーコンピューターの性能を考えれば、近い将来夢ではなかろう。日本のみならず、外国の文献もいれれば、世界史でタイムトラベルができるようになる。
今回の課題は、
Брежнев зачитывает приветствие делегатам съезда.
- Позвольте от имени Политбюро ЦК КПСС и от себя лично приветствовать делегатов, прибывших на...(пауза) Не может быть! (Начинает читать сначала.) - Позвольте от имени Политбюро ЦК КПСС и от себя лично приветствовать делегатов, прибывших на...(длительная пауза) Не может быть!!!
(Референт шепчет сзади.)
- Римскими, римскими читай!
(Брежнев заканчивает с облегчением.)
...на ⅩⅦсъезд ВЛКСМ!
設問)訳せ。

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2010年03月15日

●新帯研 第106回

私の著作も12冊となった。5年で11冊というのはまあまあハイペースだが、これも和露のコーパス(コンピューターで編集可能な語彙集)のために語彙収集を40年近く毎日続けているおかげである。露文和訳と和文露訳では、母国語が日本語なので私は個人的には和文露訳の方が難しいと思う。それでその修練用に和露のコーパスを作っているわけである。通訳やガイドのプロは自分なりの語彙集を持っていると思うが、私はできるだけ例文を入れるようにしている。初めは造船、鉄鋼と技術用語中心だったが、この20年はビジネスの交渉用ということで一般の語彙や表現が中心となって、今や6万2千項目に達した。コーパスには基本語彙は入れず、翻訳や通訳用にすぐには頭に浮かばないような表現が中心である。収録項目の90%には引用した個所が分かるようにしてある。たとえばГончаров 3-295であれば、ゴンチャローフ選集第3巻の295ページで、その個所には赤く線を引いてあるので、自分で書き写しのミスなどあればあとでチェックできるようにしてある。10年前モスクワに観光で来られた恩師の故飯田規和前東京外国語大学教授にコーパス(その頃2万ぐらいだったと思う)を作っていると話したところ、先生は岩波露和辞典を故新田実東京大学名誉教授と中心になって編集された方だけあって、ある時点で量が質に転化するよとおっしゃった。どのくらいでですかと聞いたところ、コーパスの中味が分からないから何とも言えないが、一般的に5万項目以上であろうとおっしゃったのを覚えている。通訳や翻訳の仕事のないときは毎日いろいろな分野(ちなみに今読んでいる本は革命前のモスクワ、ピョートル大帝の時代、ラスプーチン史料集、年鑑「日本」2009年度版、ポルノチャストゥーシュカ、革命前の民間療法など)のロシア語の本を5~6冊(各10ページ)を精読し、これはという表現があれば、エクセルでコーパスに入れている。ロシア語の表現を文でその場で和訳するので、露文和訳のいい練習にもなる。瞬間的にロシア語から日本語へ翻訳する練習になるし、長く続けると自分の日本語表現をも磨くことができる。そのためいい加減な和訳ではなく、自分にとってその時点で最高のレベルの和訳とするよう心がけている。
ほぼ露文解釈だけでロシア語を勉強する場合、文脈だけに頼る比重が大きく、文のイントネーション(抑楊)のフィードバックが想像を除けばない。露文解釈では通常考える時間は十分あるが、考える時間を十分に取りすぎるか、時間に制限を持たせないと逆に瞬間的に日本語やロシア語が出てこない。そのため、露文を見たら瞬間的に頭の中ででも日本語に直す訓練が必要である。こう書くと、自分はもっとレベルが上で、ロシア語そのまま理解できるから問題ないという人もいるが、それは違う。ロシア語の文献を利用するだけでならそれでいいかもしれないが、プロの通訳になるなら、頭の中でロシア語が分かったような気になっても、日本語が出なければ通訳ではない。そのための練習である。この他にも実戦会話での訓練が必要であることは言うまでもない。露文を読んで、まず力点をチェックし、徹底的な文法的解析の後、和訳して、訳の意味が分かっても日本語としておかしい場合は、露和に限らず、露露を総動員してよい日本語の訳になるようにする。そうすることによって、日本語の文章のブラッシュアップにもなる。今回の課題は、
Шагая по аллее, Штирлиц увидел огромную лужу.
- А по хую! – подумал он и смело шагнул. Лужа оказалась по уши.
設問)訳せ。

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2010年03月23日

●新帯研 第107回

ピョートル大帝は国内の工業振興にも熱心であった。しかしロシアの商品は品質面で輸入品にかなり落ちるため、関税を大幅に上げた。しかし、密輸や税関の汚職が増え、エカチェリーナ1世時代には関税を大幅に下げざるを得なくなった。このときに流行った言い回しとして、Таможня – там можно.(是彼地、直訳は「税関とはThere they can.(あそこではOK、つまり〔賄賂を出せば〕なんでもありだ)」というのがある。語呂合わせで思い出したが、19世紀のモスクワでは結婚式は5月と9月は避けたようである。理由は5月に結婚式を挙げると、 Всю жизнь будешь маяться.(生涯御(五)苦労に苦しむことになる)であり、9月ならВсю жинь будешь сентябрём смотреть = иметь хмурый, угрюмый вид)(生涯苦(九)汁を呑んだ顔をすることになる)ということからであるという。
革命前のロシアの商人は儲け第一主義で、顧客をだますことなぞ何とも思っていなかった。この発端はピョートル大帝時代にさかのぼる。膨大な軍費を補てんするために、税金を上げたということのほかに、役人に給料が払えず、1726年の政令では賄賂を公認せざるを得なかったのである。そのほかに商品はキャラバン(荷駄)で運ばれ、市場に集められる。そこで商売が行われるわけだが、商人は商品を残して別の場所に移動し、商人が市場に戻るのは1年後である。そのため取引は最初で最後という感じで行われるため、あらゆる手管を使い、安いものや粗悪なものをできるだけ高く売るという風潮が根付いたとされる。一方ソ連時代はといえば、クレームには誠実に対応してくれた。
それで思い出したが、金属の穴あけをする工具があって、英語では metal borer と言う。これを металлическая граница とロシア人の翻訳者が訳した。Век живи, век учись.でひょっとして新語か、知らない技術用語かと一瞬思った。すぐに間違いとは分かったが、どうしてそんな誤訳になるのか、4ヶ月ほど頭をひねった。あるとき若いロシア人から聞いたのは、borer に何らかの拍子にdが入ったborderと読み違えたのではないかと言う。それなら граница となるのも分かる。こういう謎解きのできる若い人もいるからロシア人も捨てたものではない。その人はさらに、Железная занавес(鉄のカーテン)という言葉があるくらいだから、金属の国境があってもおかしくはないなと笑っていた。まったく小話の世界である。今回の課題は、1992年に出版されたアルメニアラジオから。
- Может ли женщина забеременить от валериановых капель?
- Может, если Валериану не более 60-ти лет.
設問)訳せ。

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2010年03月31日

●新帯研 第108回

(всегда) стрелочник виноват(なんでも下〔の人〕が悪い)とか、делать/сделать стрелочником + 対格〔人〕(下〔の人を〕を悪者にする)という表現が口語ではあるが、この由来は、20世紀初頭のモスクワで路面電車にはстрелочник(転轍手)というのがポイント(線路の分岐するところで車両を別の線路に導くようにする機械、転轍機)を切り替える仕事をしていたわけだが、たまに忘れたり、タイミングが合わないことがあった。そうすると上司から叱責されるわけで、この叱責が3回目になると首になった。転轍手の給料は1カ月20ルーブルで、これにボーナスが3カ月、住宅手当が5カ月分つく。仕事は6~12時間で、そう頻繁には電車も来ないので、忘れることもあったろう。ガイドや通訳をしていると自分が悪くなくとも、なんとなくガイドや通訳のせいにされていると感じることもある。被害妄想気味だがВсегда гид-переводчик виноват.とならないことを祈る。
ロシア人をロシア語のインフォーマントとしてお願いするという場合があるが、原稿のチェッカーとなると、バイリンガルでないと無理だ。日本語の日常会話が流暢でもそれはバイリンガルとはいわない。ロシア人で日本語とロシア語のバイリンガルとは、日本語でも新聞やテレビはよく理解し、コンピューターを用いて正しく漢字変換もでき、日本語も書ける人を言う。ロシア語だけ読んで、そのロシア語らしさだけ問題にして、肝心の日本語の意味がよく理解できていないと、結局チェッカーとしての役目を果たせないことになる。そういう場合は、スペルミスや力点のチェックだけをしてもらえばよい。インフォーマントとしても、教育程度、出身地域、年齢、性別(一般的に女性に技術関係、男性に着物や化粧品を尋ねるという意味で)によって信頼度が違うということも忘れてはならない。
 人力車рикшаについては幕末の英国外交官アーネスト・サトウが1867年関と桑名を旅行したときに、人間が引く小型の無蓋の乗合馬車に大人が6人ほど乗っており、同行した医師のワーグマンが富田から桑名まで5マイル乗ったのが最初のころの人力車ではないかと述べている。1869年から日本で人力車が流行りだしたという。ロシアには人力車はなかったが、19世紀のモスクワの学生の間で贔屓の女優に対しては、馬車から馬を外して、自分が馬となって馬車を引きその女優(あるいは俳優)をモスクワ中引張りまわし、彼女あるいは彼の自宅まで送り届けたという。これをездить на студентах「学生に引かせて(馬にして)行く」と言った。1929年から31年コムソモールの中央委員会ビューロー委員だったチェモダーノフ(1903~37)の経歴に、13歳から働きだし、電信技手になる勉強をしていたときに革命を迎え、その後2年間消費協会モスクワ連合のエージェント・車夫агент-рикшаとして働いていたとある。お抱え運転手みたいなものか?これ以外ロシアやソ連に人力車があったかどうか筆者は知らない。没年から分かるように彼は銃殺された。
最近見つけた喫煙者への掛け口。Кури, кури, скотина – умрёшь от никотина.(喫えよ、煙せよ、ニコニコと、さすれば、くたばるニコチンで)。他の掛け言葉でЧасть речи , которая упала с печи и ударилась об пол, называется глагол(暖炉から落ちて床にぶつかった品詞は動詞という)のを見つけた。今回の課題は、
Поручик Ржевский и Наташа Ростова гуляют в парке.
- Поручик, вы любите романы? – спрашивает Наташа.
- Очень люблю, особенно, с введением.

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2010年04月30日

●新帯研 第109回

UFOはロシア語でНЛО (неопознанный летающий объект)だが、その実在はというとかなり疑問ではあるが、奇談異聞辞典(柴田宵曲が107の江戸時代の随筆集から奇談異聞の記事を抜粋したもの、ちくま学芸文庫、2008年)の中に、梅の塵という書物から「空船(うつぼぶね)」とあり、享和3年(1803年)3月24日常陸国原舎浜(はらとのはま)というところに異船漂着せりとあり、その船の形うつろにして釜のごとく、また半ばに釜の刃の如きものあり。これより上は黒塗りにして四方に窓あり。高さ1丈2尺、径は1丈8尺。中に婦人あり、年齢およそ20歳。身の丈5尺、色白きこと雪の如く、黒髪鮮やかに長く垂れ、その美しき顔なるこというばかりなし。身につけたるは異なる織物にて名は知れず。言語は一向に通ぜず、また小さなる箱を持ちて、いかなるものか人を寄せ付けずと。船中敷物と見ゆるもの2枚あり、柔らかにしてなんというものか知れず。食物は菓子とおぼしきもの、ならびに練りたるもの、そのほか肉類あり。釜のような船と女性の絵が載っている。この船がどの後どうなったのか記されていない。異星人かそれともタイムマシンで未来から漂着したのだろうか?同書にはこのほかに「空飛ぶ異人(最も空を飛んだのは甲冑を着た武士とある)」、「空飛ぶ物」という記事がある。今のUFO騒ぎは99%眉つばのような気がするが、現代と違ってUFOに対する認識も当時の人はなかったのだから、これらの記事を読むとUFOはいるのかなという気がしないでもない。
現代はインターネットの時代であり、図書館にある百科事典でも調べやすくなっていることから、調べごとに対するそれなりの答えは得られやすくなっている。重要なのは如何に疑問を抱くかということである。何にでも疑問が頭に浮かぶような訓練をする(それは思ったよりたやすいことではないが)、つまり問題意識をもつとか疑問を抱く癖をつけることは非常に重要である。日常坐臥意識していないとなかなか難しい。疑問がわけばそれに対する回答はいずれ出てくる。今回の課題は、
- Что общего между свободой слова и оральным сексом?
- Одно неверное движение языка – и ты в жопе.
設問1)訳せ。
設問2)謎々。 От чего плывёт рыба?

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2010年07月04日

●新帯研究 第110回

革命前の1914年に出たОчерки из истории Петра Великого и его времени(ピョートル大帝とその時代の歴史ルポ)を読んだが、リプリントのため旧字体だった。すぐに慣れたので読むのに問題はなかったが、逆に現代用法を旧字体にしろと言われたらどうだろう。まずそういうことはないし、役には立たないだろうが、念のため分かる範囲で旧字体の規則をいくつか書いておく。
1) и とiの書き分け
iは原則的に母音や半母音の前で用いる。мир は平和、調停という意味で、мiрは世界や宇宙という意味である。iの廃止はロシア正教で最も重要な言葉の一つであるИисусに関係するため廃止には多大なる抵抗があった。
2) ятьの使い分け
ж, ч,ш, щ. г, к, хの後ではятьは用いられず、еを用いる。例えばдаже。
次の4つの単語ではятьは用いられない。некто, нечто, некоторый, несколько。
上記に関連して、接頭辞не-でятьを使えば不定の意味になり、еでは否定である。
ятьを使うのはгнёзда, звёзды, сёдла, цвёл, приобрёлである。人名では、Алексей, Сергей, Матвей, Елисейがそうであり、月名ではапрельがそうである。
3) 諺で文盲の人に対して、
Он (Она) корову через ять пишет.という言い方がある。
4) ъは子音で終わる単語の語末に置く。
トルストイの「戦争と平和」全部のъを集めると70ページ以上になるという。
5) 呼格(божеなど)の存在
6) фитаやижица
фита はфимиамや мефимон(= вечерняя церковная служба в Великий пост) などロシア正教用語でよく使われたので廃止するのに大きな抵抗があった。
しかし革命のおかげで1918年旧字体は廃止されて現在に至り、そのおかげを我々も被っている。
ロシアでは革命前は誕生日を今と違ってそれほど祝わなかったが、名の日(自分の名前にちなんだ聖人の日)の祝いは盛大に行われた。ロシア人は名の種類が非常に少なく、10もあればほぼ多くの人がその中に入るほどである。最も人気があった聖人は、ニコライ、イワン、アンナなどである。9月30日(旧暦では9月17日)は、ヴェーラ、ナジェージュダ、リュボーフィやソーフィアの名の日で、モスクワ全体の名の日と呼んでもいいくらい盛大に行われ、レストランも予約で埋まり、花屋、ケーキ店なども大賑わいだった。一方4月1日の名の日はエジプトのマリヤにちなんだ名の日で、革命前にもエープリールフールは知られていたので、名の日にイタズラされるということもよくあったという。
ロシア語には罵詈雑言が多いが、その理由がよくわからなかったが、幕末から明治にかけて日本を訪れた外国人の旅行記や手記を読むと、その頃の日本人は子供を非常に大切にし、父親も仕事から帰ってからよく子供の相手をしていた。子供を殴るというのは非常にまれだったと書いている。当時の日本はプライバシーゼロといってもいいくらいで、通りから家の様子が丸見えだったと外国人の多くが書いている。庭での水浴び、駕籠かきや別当(馬の先導をする人、馬丁)は褌姿であり、混浴も普通だった。日本山岳会の大恩人と言われたイギリスの宣教師ウェストンは明治時代に3度駐在しているが、「裸体を見てもよいが、見つめてはいけない」ということだと述べている。一方革命前のロシアについての本を読むと子供を殴るのは当たり前という描写が多い。しかも子供を罰するのはズボンのベルトやロシアでは木の枝などで、相当痛かっただろうし、子供によっては痛みに慣れて、かえって反抗的になったと思われる。当時の日本でも丁稚や職人の徒弟は日本でも殴られたようだが、その頻度が桁違いに違うようである。商人も親方も殴られて技術を覚えたわけで、その鬱憤を子供に晴らしたということのようである。拳固が得意でないものは、口ということになり、それで英米やロシアでは罵詈雑言が発達したのではないかと考えた次第。フランソア・カロンは鎖国直後の長崎出島の8代目商館長だが、彼が1643年に書いた「日本大王国志」にも日本人は子供を殴らないが、子供はそれに甘えて増長することはなく、親を敬うとある。当時の日本には仏教の殺生戒と儒教の孝が行きわたっていたのだろう。今回の課題は、
Над входом в одно советкое учреждение повесили лозунг: ЛЮБИТЕ РОДИНУ, ВАШУ МАТЬ! Городское начальство увидело, возмутилось, объявило выговор директору и указало сменить лозунг. На следующий день над входом висел новый лозунг: ЛЮБИТЕ РОДИНУ, МАТЬ ВАШУ!
設問)訳せ。

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2010年07月08日

●新帯研 第111回

同格連続нанизывание падежейというのは、同じ格が連続することで、文体的には避けるべきとされる。英語の... of ... ofや日本語の「~の~の」というのと同様であろう。生格が多いが、造格や同じ前置詞を用いての前置格の場合もある。生格の場合は、主語を表しているのなら造格に変えるなどするか、動名詞や不定形を用いるなどの工夫することを考えるべきである。
оценка Добролюбова «тёмного царства»
оценка Доюролюбовым «тёмного царства»
露文解釈のときには完了体や不完了体、単数・複数を特に意識しなくても済むが、和文露訳ではそうはいかない。会話を上達したいと思っている学習者は、ロシア語の参考書を読むときにはこの点を意識するようにする必要がある。ロシア語で分からないところがあると、周りにロシア人がいればそのロシア人に聞くというのはだれにでも経験のあることである。ただ、同じことを何人かのロシア人に聞くと、必ずしも答えが同じになるとは限らない。ロシア語についてはどんなロシア人も一家言もっているわけで、外国人がどの答えが正しいのか判断に迷うことも多い。日本人の日本語と同様、ロシア人だって100%ロシア語やロシアについて知っている人はいない。Виноградов, Рассудова, Розенталь, Бондаркоクラスのロシア語文法学者が言えば別だが、やはりロシア語は文章になったものの方が信用できる。文章でそういう表現があるならまず大丈夫だと考えるからだ。これは本なら編集者というロシア語のプロが目を通しているからである。しかしブログやサイトの場合そういうプロのフィルターがないので、非常におかしいロシア語を目にすることがある。ブログやサイトは玉石混交なので注意が必要となる。今回の課題は、
Барыня спрашивает горничную: «Маша, ты поменяла рыбкам воду в аквариум?»
- а та отвечает: «Нет, барыня,они эту ещё не выпили».
設問1)文中におかしい所があれば直し、和訳せよ。
設問2)次の文を和訳せよ。
Это слабительное слабит легко и нежно и не прерывая сна.

Posted by SATOH at 12:19 | Comments [1]

2010年07月11日

●新帯研 第112回

会社の同僚で同じ時期ではないが、大野さんと小野さんという人がいた。二人同時にロシア人に紹介したとすれば、それはなかなかやっかいだったろう。大野と小野はロシア語ではともにОноとなり、力点をつけて区別したほうがよいのかもしれない。それにロシア語にはво время оноという表現もあることだし。
タイのバンコックにあるKlong Prem Central Prisonという刑務所について、麻薬の密売で捕まった欧米人が「バンコックの悪夢Nightmare in Bangkok (by Andy Botts)」という本を書いた。その中で3大恐怖というのが、ネズミ、ゴキブリ、そしてsquat toiletё(日本式のしゃがむトイレ)というから、ロシア人もそうなのかと気になった次第。90年代などちょっとモスクワの郊外でも木に丸穴のあいた便所が普通であり、ロシア人がしゃがむトイレにビビるとは考えられないけれど。最近ロシアの観光客と神社仏閣を巡って、彼曰く、ロシアの教会にはトイレがない(当然一般参拝客用のという意味だろう)のに日本の寺や神社にはあると驚いていた。個人的にはキエフで有名な大修道院に行った時に、トイレを貸してもらった記憶があるが、当時1980年代のソ連時代で外国人の頼みだから、特別に修道士用のトイレを貸してくれたのかもしれない。モスクワの修道院が経営するホテルの男子便所の朝顔には蓋がついているのには驚いて、すぐ写真を撮った記憶がある。今回の課題は、
Девочка спрашивает маму: «Мама, а у солнышка есть ножки?»
Та, естественно, отвечает: «Что ты, дитя моё, откуда же у солнышка могут быть ножки!».
А девочка на это: «А я слышала, как папа говорил нашей Даше: «Солнышко, раздвинь ножки».
設問1)和訳せよ。
設問2)Еврей продавал варёные яйца по той же цене, что и сырые, но зато был при деле и имел навар. 意味が分かるように和訳せよ。

Posted by SATOH at 21:22 | Comments [1]

2010年07月12日

●新帯研 第113回

あるとき近くの中川のほとりを夕方散歩していたら、おばさんが何か川の方を指差しているのを見かけた。鳥が川面でバシャバシャやっていて、ときどき銀色に光るヒモのようなものが見えた。ウミヘビかと思ったが、川にウミヘビというのもなと思った瞬間、その魚はひもを飲み込み始めた。ウナギだったのである。鳥はカワウで、散歩のとき水面に浮きながら時々潜っている。数えてみると10回に1回ぐらいしか、魚をくわえて戻ってこない。あのカワウはしばらくは魚取りしなくていいなと思った次第。カワウが水面の浮かんでいる姿は、小さなネッシーという感じがしないでもない。さてロシアに関係するもので最近知った二人の人物の短い挿話を紹介する。
日露戦争で1904年3月31日装甲艦ペトロパーヴロフスク号が日本軍の水雷に接触して沈没した際、マカーロフ提督とともに戦死した有名な画家のヴェレシシャーギン(1842~1904)Верещагинは、シベリア出身の家系のようで、名字の由来はシベリア方言のверещага = яичница с поджаренным хлебом(トースト付き玉子焼き)から来ているという。ヴェレシシャーギンは戦争画で有名だが、追求したのは写実性である。飽くなき好奇心も、実際はどうなのかを知るためであり、ある政治囚の絞首刑に立ち会った時にそれがどのように行われたかの彼の説明を読むだけで、彼の興味は命の貴重さがどうかといったようなセンチメンタルなことではないことがよく分かる。文字通り真実の追求が彼のテーマであり、戦争や死刑も含めてその悲惨さを訴えるというものではなかったのである。
チェルネンコ(1911~85)は病気がちのソ連共産党書記長だったと言われる。しかし1983年8月久しぶりに休暇を取るまでは、相応に健康だった。その休暇で奥さんと息子夫婦とともにクリミア半島に向かった。フェドルチューク内相が黒海で自分が釣って、燻製にしたお土産のアジを自分で持ってきた。それを家族全員で食べた夜中にチェルネンコだけが食中毒症状を起こした。一緒に食べた奥さんのアンナも別段異常がなかったことからアジが体に合わなかったのか、すでに体の抵抗力が落ちてきていたのかもしれない。今回の課題は、
Записная книжка за 1905 год. Японцы от бери-бери умирают, а русский чиновник живёт.

Posted by SATOH at 07:10 | Comments [1]

●新帯研 第114回(最終回)

中級の段階では実戦でよく使われる一般的な表現を覚えることを優先するが、上級の段階ではいくつかの類義表現のニュアンスの差を理解するように努めるべきである。上級文法を学ぶというのはある程度まとまった個別化した要素を、つまり例外を覚えていく作業であるとも言える。例を挙げればв войне、в войнуの違いだが、в войнуとво время войны+ 生格は同義である。во время воторой моровой войны(第二次世界大戦のときに)、В войну переел немало разной коры.(戦争のときは少なからぬさまざまな木の皮をいやと言うほど食べた)など。в войнеには戦争の結果というニュアンスが出て来る。 В войне и до и после того случая гибли десятки тысяч детей.(戦争ではその事例の前にも後にも何万という子供が亡くなった)などがそうである。そうはいっても無論難解な文法についての論文などは星の数ほどあろうが、いずれにせよ上記の例のように露文解釈用がほとんどであり、実戦の和文露訳で使えるという意味で使える上級用の参考書はほとんどない。先人がしたように自分で問題意識をもって、露文解釈から和文露訳に変換して勉強を続けていくしかない。問題提起(問いの立て方)が正確であれば、いつか答は見つかる。努めて止まざるものはついに救われるのである。
今回で新帯研は最終回とする。ろしぴろにより帯研や新帯研という機会を与えられたことにより「アネクドートに学ぶロシア語文法」という参考書も出せた。これも含めてこれまで出した参考書は自分が勉強する上でこういう本があったらよかったのにという思いで作ったものである。学習者にとって少しでも参考になれば幸いである。ただただろしぴろの主宰者と帯研参加者のおかげである。こういう参考書を書いたおかげで、自分なりにロシア語文法の知識を整理できたし、その結果自分のロシア語もかなり向上したような気がする。新帯研は終わるが、ロシア語に関して質問があれば、「ロシア語質問箱」にお寄せいただければわかる範囲で回答する。参加者の皆様には重ねて深く感謝申し上げる。最後の課題は、
Однажды родился мальчик, у которого вместо пупка была гайка. Когда он вырос, то спросил у матери, почему у него гайка.
- Иди за тридевять земель в тридесятое царство. Там найдёшь дуб, а на дубе сундук. Ответ в сундуке, - говорит ему мать.
Юноша попрощался и пошёл. Долго он шёл, пришёл тридесятое царство, нашёл тот дуб, снял с дерева сундук и открыл его. В сундуке лежал гаечный ключ. Юноша примерил его к своей гайке. Ключ подошёл. Тогда он отвинтил гайку. И у него отвалилась жопа. Так выпьем же за то, чтобы не искать на свою жопу приключений!
設問)和訳せよ。

Posted by SATOH at 22:27 | Comments [3]