2009年07月11日
●新帯研 第60回
ほとんどの文の意味の中心が動詞にあるという事実は誰も否定できないだろう。そうであれば、運動の動詞(定動詞・不定動詞)と体の用法の十分な理解なくしては、ロシア語の文が作れない、和文露訳(会話におけるものも含めて)ができないというのは道理である。不完了体だけでは「一般に~である」とか「いつも~である」という文しか作れないことになる。そのため初級用の和文露訳の練習問題は不完了体のみ扱っているものがほとんどである。運動の動詞や体の用法を極めずして、和文露訳ができるようになるためには、ロシア人のいる環境で、無限の状況(シチュエーション)に身を置く幸運に恵まれ、しかもその状況における表現を暗記してゆくという気の遠くなるような作業が必要であり、10年では無理で、20年から30年はかかるであろう。だれもがそのような幸運に恵まれるわけではないし、ある程度ロシア語がうまくないとそういう幸運は降って来ない。つまりロシア語がうまい人はもっとうまくなる機会が与えられ、そうでない人はいつまでも初級かせいぜい中級の域をでないということになる。そういう意味で自分はいろいろなロシア人と付き合う環境に30年以上身を置き、現在もそのような環境にあるわけで、ただそういう中でもロシア語の勉強は一生続けなければならないとはいえ、そういう環境になり学習者に対して和文露訳ができるようになる期間を縮めることはできないのかと考え、それが運動の動詞と体の用法のマスターだということに気がついたわけである。骨格ができれば、あとは語彙を増やすだけだし、語彙が不十分でも言い換えによって、より自然なロシア語に近づくことになると思う。
自分の経験から言うとロシア語がうまくなるようにとロシア人との会話にそれほど力を入れたことはない。無論慣れのためにロシア人と会話することは必要であるが、それにこだわることはない。ロシア人との会話に固執していると語彙が増えない。ア・ウンというわけではないが、長くつきあって話をするうちに、片言隻句で相手の言うことが分かるようになる。人間的には悪いことではないが、語学では会話する意味がなくなる。それと表面的な会話の達者さではなく、内容的な理解を重視するには、そして語彙を増やすにはできるだけ広い分野の本を昧読することであると感じてきた。
話は変わるが、革命前のロシアではа капелла = пить не закусывая(つまみなしで飲む)とアクーニンのファンドーリンシリーズ最新作(第11巻「軟玉の数珠」)を読んでいたら、そう書いてあった。アカペラというのは無伴奏の楽曲だからなるほど人の考える事は同じだ。今回の課題は、
Грузин рвет волосы у себя на груди и складывает их в мешок, плачет и смеется.
- В чем дело? – спрашивает мать.
- Грузия провалила план по шерсти, и нам, коммунистам, сказали: собственной шкурой расплачиваться будем. Как тут не плакать? Но как вспомню, что Армения по яйцам план сорвала, хохот душит!
設問1)和訳せよ。
(訳)グルジア人が、自分の胸毛を抜いてはそれを袋に入れ、泣いたり笑ったりしています。
「一体、何事なの?」-母親が聞きました。
「グルジアでは毛織物の計画がおじゃんになっただろ。それで、おれたち共産主義者は、自前の毛で支払いをしようっていうんだ。これが泣かずにいられるかい?だけど、アルメニアでは卵の計画がだめになったってことを、ふと思い出してさ。もう笑いすぎでむせ返っちゃって!
*ドイツ語通訳の友人から、ドイツのジョークは、スイス人をこきおろしたものが多いと聞いたことがあります。どこの国にも天敵はいるのでしょうね。
*30年の勉強・・・・長いブランク明けの再スタート組としては、非常にきついアドバイスですが、心しておきたいと思います。
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おちの訳はそうなのですが、ロシア語を知らない日本人(大部分の日本人はそうでしょう)がこれを読んでオチがわかるかというとわからないでしょう。わかるようにおちを説明するのも一つの手です。яйцаに睾丸の意味の俗語をかけているわけです。私の訳は、
グルジア人が自分の胸毛をかきむしって、それを袋に入れ、泣き笑いしています。
「どうしたの?」とお母さんがたずねます。
「グルジアは羊毛の(生産)計画が達成できなかった。だから我々共産党員は自分の体で償うんだ。これが泣かずにおらりょうか。でもな、アルメニアじゃタマタマの計画がポシャったってことを思い出したら、おかしくてもう死にそう」
オチがわかっていませんでした。яйца(卵)を自前で何とかするといっても、人間だから卵は産めない→ざまあみろ
という解釈でした。
下ネタは難しい!