2010年09月17日

●ロシア語珍問奇問 第1回

ロシア語独習者のための質問箱をやってみたが、ほとんど質問が来ないので、自分で珍問を考え、それに回答案を書いてみることにした。初回の今回は、彼のところにイワノフ氏が訪ねてきたと仮定して、イワノフ氏をどう言う代名詞で受ければいいのだろうかということである。彼とすれば前の彼とダブってしまう。通訳するときなどはイワノフ氏と繰り返すから問題はないが、文章にすればくどい。「チェーホフに関する同時代人の思い出」という本を読んでいたら、一つの解決策を見つけたので紹介する。
У меня он застал нашего общего учителя, Александра Богдановича Фохта. Благодаря последнему вечер прошёл с большим оживлением.(私のところで彼は共通の恩師であるアレクサーンドル・ボグダーノヴィチ・フォーフトに居合わせた〔出くわした〕。後者のおかげでその晩はとても賑やかに過ごした)
 訳の巧拙は別にして、後者последнийを使うというのが眼目である。彼を指したいならонだと誤解を招きかねないので、первый(前者)を使えばよいことになる。

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2010年09月20日

●ロシア語珍問奇問 第2回

次の文は露文解釈ということではなく和文露訳をする場合という事を念頭において読んでほしい。油やオイルはロシア語では二つに分かれ燃料油はтопливоといい、それ以外の潤滑油、冷却油、洗浄用のオイル、食用油などはмаслоという。それゆえ軽油は正式にはдизельное топливо (縮めてдизтопливо)といい、ディーゼル用によく使われるからディーゼル燃料と訳しても正しい。それゆえдизельные маслаというのはディーゼルエンジンオイル(ディーゼル機関潤滑油)のことで燃料ではない。しかし口語では軽油のことをдизельное топливо とは言わない。普通はсоляркаやсолярという。これはсоляровое маслоの略称から来たものである。燃料なのにどうしてмаслоと使うのだとさっそく疑問を持たれた方は将来有望である。このように常にпочемуということを頭に浮かぶ人はロシア語に限らずうまくなるのは請け合いである。соляровое маслоは初め灯火油として開発された。太陽のように明るくというのが原意のようである。ところがこれが後に農業用(特にトラクター)の燃料、船舶用燃料、機械用潤滑冷却用に使われるようになった。日本語の灯油керосинも文字通り灯火用だったのが、今や石油ストーブの燃料などに使われているのと同じである。黒沢明の七人の侍の脚本の参考となったというファジェーエフФадеевの壊滅Разгромの中に、В лампе догорал керосин.(ランプでは灯油が燃え尽きようとしていた)という文もある。ただсоляровое маслоを岩波の露和辞典ではソーラー油と訳しているが、調べてみたがこういう用語はないようだ。意味が判然としないものを直訳として書いておくというのは、インターネットにもこのソーラー油という訳が散見されるから、誤解を招かないように軽油と訳し直したほうがよい。研究社のは「ソーラー油(ディーゼル機関用軽油)」としているからまだましだが、それにしてもソーラー油は余計だ。もしソーラーオイルとかソーラー油という用語があるなら、無論訂正してお詫びする。
 軽油が出たから重油の話をすると、日本では重油は税制の関係でA, B, Cの3種に分けているが、A重油は成分的には軽油とほぼ同じで、使用を農業用と漁業用に限定することを条件に無税にしたものである。B重油は残渣油(石油精製後の)と軽油を50%ずつ配合したものだが、最近は生産されないので無視してよい。C重油というのは残渣油が90%のものである。残渣油はロシア語でмазутといい、普通通訳するときはそれゆえC重油として差し支えない。鋼材とか燃料油などはJISやGOSTという日露の工業規格により細かく具体的に規定されており、国柄が違うので当然定義は似ているものがあっても一致しない。それゆえ日常にはできるだけ内容が近いものを用語として使わざるを得ないことが多々あるのである。ちなみにмазут にはфлотский мазутバンカー重油(C重油)と топочный мазут(ボイラー燃料油)があるが、ボイラー燃料油はおおざっぱにいえばA重油とC重油を混合したものである。

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2010年09月22日

●ロシア語珍問奇問 第3回

これも和文露訳に関したことだが、ペンチという単語をロシア語にしようと思うと、私の持っている和露辞典 (Лаврентьев, Русский язык, 1984)ではщипцыとかкусачкиと書いてある。ペンチはどなたも御存じのように、ものをつかむとか、つぶすとか、針金の切断などが出来る工具(日本工業用語辞典では、つかみとたて刃のニッパ兼用とある)である。ちなみにニッパは針金などを切断する工具である。щипцыというのはつかむ工具であり、кусачки (острогубцыともいう)というのは針金などを切断する工具で、厳密に言えばエンドニッパのことである。何を言いたいかというと、このようにどこの家庭でもあるような工具一つでも露訳するのが難しいという事である。それではペンチにあたるロシア語はないのだろうか?私のこれまでの経験ではпассатижиが一番近い。これはплоскогубцы(プライヤーまたは角口プライヤーと訳し、先の平べったい工具でペンチからニッパの機能を除いたもの), кусачки, отвёртка(ドライバー)などを組み合わせたщипцыと技術辞典 (Политехнический словарь, Ишлинский, Советская энциклопедия, 1980)にある。ドライバーといってもпассатижиの握りの片方の端がマイナスドライバーになっており、もう片方がプラスになっているというすぐれものである。ただこれまでの経験からロシア人にペンチという意味でпассатижиといっても、技術者なら意味は分かるが、よほど工具の専門の話でない限り、針金などを切断しないならплоскогубцыとか、круглогубцы(丸口プライヤー、先が丸くなったペンチからニッパ機能を除いたもの)とか、切断するならкусачкиという風に言いかえるのが普通で、пассатижиとはまず言わない。だから和露辞典の編者も書きようがなかったのだと思う。これで場面場面で要求される単語の正確さというのは違うということがお分かりになると思う。
 ロシア語でもпрогулкаというのは散策という意味だが、徒歩の場合にも、車や船を使う場合(その場合はドライブとか舟遊びとかという訳語になるのだろう)にも使う。チェーホフの夫人クニッぺルの回想録を読んでいたら、с пешеходной прогулки(散策から〔戻って〕)という表現があり、著者が舞台女優だからか厳密な表現だなと感じた次第である。

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2010年09月24日

●ロシア語珍問奇問 第4回

建物への出入り(出たり入ったり)をいう場合、из дома в домとすれば「(ある)家から(別の)家へ」で、一方向への動きと思われやすい。露文解釈だけやっているなら、このような疑問が起こることはないだろう。しかし和文露訳する場合どうするのかと考えていたところ、最近カザケーヴィチКазакевичの「オーデル河の春Весна на Одере」を読んでいたら、次のような表現を見つけたので参考までに書いておく。
В дом и из дома то и дело пробегали штабные офицеры с папками....(その建物にファイルを抱えた本部付将校が足早に絶えず出入りしていた)
 コロンブスの卵Колумбово яйцоみたいなもので逆にすればよいのである。

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2010年09月27日

●ロシア語珍問奇問 第5回

オストローフスキーの有名な戯曲にГроза(雷雨)がある。クロポトキンの「ロシア文学の理想と現実」(2巻、高杉一郎訳、岩波文庫、1985年)には、この「雷雨」の主人公カテリーナは雷雨嫌いで、この雷雨というのはヴォルガ上流の小さな田舎町に特有な現象であると書いている。грозаというのは露露辞典によれば、雲と雲の間、雲と地面の間に発生する稲光で、雷鳴と雨を伴うというのだから、まさしく雷雨だが、アクセントはあくまで稲光молнияである。似たような言葉にгромがあり、これは雷雨のときの稲光を伴う雷鳴であり、主体は雷鳴である。同じ現象の別の面(光と音)を表現しているにすぎない。日本語の雷は雲と雲の間、雲と地面の間に発生する稲光で雷鳴を伴うとあり、雨は関係ないが、これもアクセントは稲光である。ロシア語ではгрозаだからといって、これを嫌うのを雷雨嫌いとするのは日本語としておかしい。雷が嫌いというのではないだろうか?日本で雷が嫌いという人は、ゴロゴロと鳴れば、雨が降ろうが降るまいが家の中の布団にもぐりこむ。грозаをいちいち雷雨と訳すと、日本語としてくどくなるという場合もあると思う。「雷が落ちた」とか「落雷した」というのはロシア語ではВ автомобиль ударит молния.(車に雷が落ちた)とか、Удар молнии поразил трёх человек.(3人に雷が落ちた)とか、Собор повреждён громовым ударом.(大聖堂は雷で破損した)といい、先の2文を直訳すれば稲光(稲妻)が直撃したということである。ちなみに雷鳴の伴わない稲光(稲妻)をзарницаという。また一般に忌まわしいことを避けるときにクワバラクワバラというのは、桑原のことであり、もともとは桑原には落雷しないと考えられたことによる落雷よけの呪文である。起源は雷神が桑の木を嫌うとか、死して雷となった菅公の領地桑原には古来落雷がないとかという説がある。落雷やその他の忌まわしいことを避けるためのお祈りという意味では、ロシア語でこれに相当するのは、キリスト教国だからかСвят-свят-свят.というのを覚えておくとよい。

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2010年09月30日

●ロシア語珍問奇問 第6回

日本語は論理的でないというが、例外もある。前に書いたカザケーヴィチの「オーデル河の春」に В комнате было холодно от беспрестанно открывающихся дверей.(部屋の中はひっきりなしに開け閉めされるドアのため寒かった)というように、「開閉する(開けたり閉めたりする)」という意味をоткрывающийся(開く)という能動形現在だけで示していて、「閉まる」に相当する単語ない。бесперестанноは「ひっきりなしに」ということであり、открыватьは不完了体で、この場合は何度も開けるからには、当然同時に閉めるという動作があるという論理なのだろう。日本語では「ひっきりなしに開くドア」にすると、勝手に(自動的に)ドアが閉まるようで文のすわりが悪いような気がする。

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2010年10月11日

●ロシア語珍問奇問 第7回

泥棒が捕縛される場面で、Он шапку взял и хотел за шубой идти – глядь, дочка швейцара, девочка лет десяти и – закричи! Он бежать, она за ним. Его и схватили.という文を最近読んだ。ここで面白いと思うのはзакричиという完了体の命令形やОн бежатьという主語の後の動詞の不定形である。露文解釈だけなら文脈で何とか意味は分かるので、読み過ごすかもしれないが、露文和訳するときや和文露訳に活用しようと考えると、なぜそうなるかを文法書で調べることになる。自分勝手に文法体系が違う日本語と比較をしても意味はない。Русский язык, В.В. Виноградов, Высшая школа, 1972によれば、命令形の方は、действие, навязанное субъкту против его воли, предписанное ему как его обязанность(主体〔主語〕の意思に反し課された行為で、義務として予定された行為)で、негодование и протест(憤激と反抗)のニュアンスを持つとある。不定形の方は、Инфинитив несовершенного вида употребляется в значении прошедшего времени с интенсивно-начинательынм оттенком.(不完了体動詞の不定形は強い始動のニュアンス持つ過去の意味で使われる)とある。日本語で出ているいろいろなロシア語の文法書をざっとあたってみたが、満足な説明をしていたのは「ロシア文法の要点」(原求作著、水声社、1996年)と「ロシア文学観賞ハンドブック」(中沢敦夫著、群像社、2008年)である。もっともより徹底的に調べれば他に書いたのがあるかもしれない。「ロシア文法の要点」の218~219ページに動作の突発性、意外性を表現する方法という事で載っている。「ロシア文学観賞ハンドブック」のほうは259ページに「過去の不意の災難を現す命令法(1)」というのがあって、「過去の出来事を語るときに、不意に起こったり、望ましくない行為に、完了体動詞の命令法の形がつかわれることがあります。動詞の過去形を使う表現よりも、話し言葉的、俗語的な表現になります」とある。不定法については、265ページに「不完了体動詞の不定形が、主格の主語の述語動詞として文中に用いられると、動詞の行為・動作が急に始まることをあらわします。テンポの速い文章になります。話し言葉的・フォークロア的表現で、「やにわに」「たちどころに」と訳すことが出来ます」とある。この二つの文法事項にも十分な文例があるのがありがたい。さらにглядьについては意外性という説明をつけて261ページに「ふと気がつくと」という訳を添えてある。ロシア語を究めようと考える人であれば、両書は必携であると思う。一応訳してみると、「彼は帽子を取り、毛皮の外套に手を伸ばそうとした。ふと気がつくと、門番の娘が、10歳ぐらいの女の子だったが、不意に大きな声を上げた。彼はやにわに走り出した。女の子は彼を追いかける。結局(よってたかって)捕まえられてしまった」。ここで(よってたかって)を入れないと、女の子に捕縛されたことになり誤訳となるから、このような何かの工夫が必要だと考えた次第である。

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2010年10月13日

●ロシア語珍問奇問 第8回

カザケーヴィチのКазакевичの「オーデル河の春」Весна на Одереの一節に敵情について尋問のため捕まえたドイツ軍の捕虜языкを見て、ドイツ語の通訳が、Ну, этот расскажет всё! Успевай записывать!と言うのだが、このУспевайという命令形であって、通常の命令形の用法とは違う事は一目瞭然である。前述の「ロシア文学観賞ハンドブック」の260ページに「命令法を反語的に用いて、〔そんな~はできるはずがない、絶対無理だ〕と、行為・動作の不可能である、あるべきではないことを、強い感情をこめて表現することができます」とあるので、この用法であろう。訳せば、「まあな、こいつは全部しゃべるさ。書き留めるのが間に合わないくらいだろうよ」。若者言葉の「~しろってか」を使って、「… 全部書留めろってか」と訳してみるのも面白いかもしれない。успетьは不定形として完了体を取るのが普通だが、この場合は尋問が一度ではなく、あるいは一度であっても長期にわたるというニュアンスがあるから不完了体успевать. записыватьが用いられていると考える。

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2010年10月19日

●ロシア語珍問奇問 第9回

ロシア語の初心者はロシア語の文字が読め、初歩の文法がある程度わかり、和露辞典を引きさえすれば、ロシア語の文章というのはロシア人にある程度意味が通じるぐらいの文は作れると考えている人もいるかもしれない。和露辞典で柿や水素を引くと、それぞれхурмаやводородで、1語対1語で対応するからいいが、そういう単語ばかりでもない。ゴムを引くとкаучук, резинаが載っている。これだけでは同義語なのか類義語なのか説明がない。同義語ならそれでよいが、類義語なら使用上の差を説明してもらわないと役に立たない。каучукはゴムの原料である生ゴムであり、резинаは生ゴムを加硫した後のいわゆるゴムだから、この違いが分からないと使えないことになる。しかも合成ゴムはсинтетический каучукというから厄介である。動詞や名詞にしろポツンと挙げられても、動詞なら次にどのような名詞の格がくるのかとか、どういう前置詞を要求するのか、例文付きで書いてもらわないと使えないと思う。もっと日常よく使われるとなると、братьという動詞は語義が16あるし、これを基本的な意味は「取る」と理解してもこれだけでは、和文露訳は作れない。水はводаだが、водаには水面、水の塊、水位という意味がある。日本語の水にもこの意味があるから1対1で対応しているように見えるが、ロシア語では前置詞の使い方が違う。普通は水面という場合にはна воде, на воду、つまりдержаться на воде水に浮いている、падать на воду水に落ちる、などとし、水の塊を意識するときは、в воде, в водуで、погружаться в воду水に沈む、броситься в воду水に身を投げる、などと言う。ただ「木は水に浮くが、人は沈む」という文は、Дерево плавает в воде, а человек в воде тонет.となる。これは丸太が水に浮いているのを見ても分かるように、幾分かは水に沈んでいるからだろう。最近はдерево плавает на воде.という文もインターネットでは見るようになってきた。Дерево плавает на поверхности воды.(これはより理詰め、科学的という感じがする) Дерево плавает по воде.(これは「木は水の上を漂い流れる」という意味であろう)というのもある。

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2010年10月22日

●ロシア語珍問奇問 第10回

技術通訳をしていて、いざロシア語にしようとして一見何でもない単語で詰まることがある。ピンなどもそうである。日常会話なら安全ピンбезопасная булавкаもタイピンもбулавка для галстука というからбулавкаあたりでまあいいやと思う(それでもヘアピンはзаколкаとかшпилькаというけれど)。ところが技術用語のピンだと具体的に何のピンかが分からないと訳が決まらない。テーパーピンならконический штифт、ピストンピンならпоршневой палец、割りピンならшплинт、コッター(ピン)ならчека、ノックピン(位置決めのピン)ならштырь, штифт, установочный палец, установочный штифтという。日本の商社やメーカーでは英語ができて当たり前で、技術スペックや資料は英語が多いが、すぐロシア語になると考えている素人は多い。英語の技術用語はロシア語の技術用語と同じように対応する(日本語のポンプ〔ロシア語はнасос〕のように少し発音を変えればよい)と無意識に考えている人も多い。英語のスペック(仕様書)にあるcutter(カッター)というと、ножを思い浮かべるかもしれないが、技術用語では、фреза(フライス)、резак(ガス切断用の切断トーチ、ガスバーナー)、резец (= режущий инструмент彫刻刀や工作機械のバイトで、バイトはドイツ語由来の言葉)、отрезной круг(丸のこ)といろいろあり、具体的にどのようなものか分からなければ訳も決まらない。テーブルはстолだが、上にローラーがついていて、その上をパイプなどが移動するようなものはрольганг(ローラーテーブル、ローラーコンベア)というし、ロールでも、ガイドロールはнаправляюший роликでよいが、圧延ロールはвалокという。ローラーも普通はроликでよいが、道路工事で使うものはкатокというなどである。翻訳会社で技術をよく知っているところでも、図面を見ないと基本的な訳が決まらないはずなのに質問一つせず、やっつけ仕事でやり、それに対してメーカーの人はロシア語が分からないからかそれで通っているということもある。翻訳の資料とロシア人技術者が使う用語が全然違うということはよくあることである。技術通訳するときにロシア語の資料がありますからと言われても、あまり役に立たないことが多い。

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2010年10月25日

●ロシア語珍問奇問 第11回

和文露訳をするときに、和露辞典で引くときに水素というのはводородで、1語対1語で対応するからいいということを前に述べた。しかしレンズを引くとлинза, объективが載っている。これだけでは同義語なのか類義語なのか説明がない。同義語ならそれでよいが、類義語なら使用上の差を説明してもらわないと和文露訳の際に役に立たない。линзаはレンズそのものであり、объкетивは光学器械(カメラや顕微鏡)の一部としてのレンズだから、カメラのレンズはфотообъектив (объектив фотоаппарата)であって、линзаとはいわない。だから望遠レンズはтелелбъективという。メガネのレンズはочковые линзыとかлинзы очковという。この両者の違いが分からないと和文露訳では使えないことになる。基本語で訳語が1対1で対応するものはあまりないし、そういうものは覚えるのが簡単だから問題にもならない。和露辞典においては動詞や名詞にしろポツンと挙げられても、動詞なら次にどのような名詞の格がくるのかとか、どういう前置詞を要求するのか、例文付きで書いてもらわないと使えないということである。こういう事が起こるのは辞典の編集者が実際のプロ(通訳がガイド)の仕事の現場をよくご存じないからではないか。これは専門用語のことばかり言っているのではなく、イカ、イチゴ、イモ、ウサギ、オイル、ガラス、機械、雲、コイル、工場、ゴム、坂、サクランボ、絞り、大学、ダイヤ、ドリル、ネギ、ネズミ、箱、バネ、ブルーベリー、ピン、マス、虫、レンズなど日常で使われる言葉でもあてはまることである。つまり一般的な事柄や雑談などにおいても和露辞典が使えるのかということである。単語だけ並べるならともかく、まず使えないだろう。だから分からないときは逆説的だが、勘で露和辞典でキーとなる単語を引いた方が和文露訳では役に立つ場合が多いのは皮肉である。第2回で軽油はдизельное топливоであると書いたが、面白いことに和露辞典では、コンラッドのであれ、ラブレンチェフのであれ、コンサイスであれ、лёгкие масла, бензин と書いてある。前者は「軽い潤滑油」であり、後者は、「ガソリン、ないしはベンジン(これとて工業用ガソリンの一種だけれど)」である。嘘かほんとか、試しに露和辞典で、дизельное топливо, бензин を引いて見るとよい。лёгкие масла というのはмаслоのところでも見つけられないと思う。軽油というものが何かを知ろうとせず(百科事典を引く手間を惜しんだか)、既存の和露辞典の引き写しをしていることがよく分かる。これだから技術用語では危なくて和露辞典はまったく使えない。それ以外でも仕事関係では英露の技術辞典や露和辞典はよく使うが和露は全く使わない理由である。和英辞典も同様英作文には使えないと思う。だからロシア語でも和露辞典よりも新編英和活用大辞典(市川繁治朗、研究社、1995年、38万文例収載)のような語結合の辞典を出版してくれるとロシア語作文にははるかに役に立つと思う。

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2010年11月11日

●ロシア語珍問奇問第12回

同語反復というのをロシア語は嫌う。できるだけ一つの段落では同義語で言いかえるか、人称代名詞、指示代名詞を使うように言われる。ましてや一つの文中ではなおさらである。文語では同じ名詞の反復を避けて3人称の人称代名詞の意味で指示代名詞のтаковойを使うことがある。例えば、Все замечания и предложения читателей будут, несомненно, с
благодарностью учтены при переиздании, если таковому когда-либо суждено осуществиться.(読者のご意見、ご感想は必ず再版の機会があれば、そのときに御厚意を謝して反映させます)。しかし、本当に同語反復はないのだろうかと長いこと疑問に思っていたが、セルゲイ・マクシーモフСергей Максимовの名著「シベリアと流刑」Сибирь и каторгаを読んでいたら、Количество женщин немного уступает количеству мужчин.(女性の数は若干男性の数に劣る)という文を見つけた。本書は19世紀中ごろのもので、ジョージ・ケナンも誉めている本である。ロシア語でも同語反復は絶対にダメというわけではないようである。количествоをоноに置き換えると、уступает ему мужчинと非文法的な文になるからだろう。まあ Женщины по количеству уступают мужчинам.とするのが普通だとは思うが。

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2010年11月14日

●ロシア語珍問奇問第13回

鎌はロシア語ではсерпとкосаがあり、日本語では区別しないが、ロシア語では英語同様区別し、серпは片手で使うような比較的小さな鎌であり、косаは両手で使うような大鎌であって、動詞もжать серпами やкоситьと分けて使う。ライ麦の刈り取りでも、ライ麦の生育がよくて密生して生えている場合はсерпを使い、そうでない場合はкосаを使うとか、穀類を刈るとき朝方湿っている時はсерпのみ使用するなど「ロシアの農村の世界」Мир русской деревни (М.М. Громыко, Молодая гвардия, 1991)という革命前の農村を扱った本に出ている。税もподоходный налог(所得税)などのようにналогで済みそうだが、関税はтаможенная пошлинаという。пошлина за прописку паспорта(パスポート居住登録料)とかпошлиев за регистрацию брака(婚姻登録料)というような使い方もある。強盗(行為)についても同義語辞典ではграбёж (= грабительство)はпохищение чужого имущество, совершаемое с насилием или без него(暴力の有無にかかわらず他人の財産を盗む事)であり、一方разбойは同義語辞典ではнападение с целью грабежа, соправождаемое насилием, а также – насилие, нанесение кому-л. физического и материального ущерба и т. п.(強奪を目的にした攻撃で、暴力を伴い、同様にだれかに加えられた肉体的暴力や金銭的損害などのこともいう)であり、これだけでははっきり分からないので、現行のロシアの刑法を見ると、разбой предполагает применение насилия, опасного для жизни и здоровья или угрозу его применения (см. 1. 1 ст. 161 УК РФ: "...нападение в целях хищения чужого имущества, совершенное с применением насилия, опасного для жизни или здоровья, либо с угрозой применения такого насилия..." ), тогда как грабеж либо не предполагает применения насилия (см. ч. 1 ст. 161 УК РФ : "Грабёж, то есть открытое хищение чужого имущества..."), либо насилие, не опасное для жизни и здоровья (либо угрозу таким насилием)(см. п. "г" ч. 2 ст. 161 - "с применением насилия, не опасного для жизни или здоровья, либо с угрозой применения такого насилия";).となり、同じ強盗(行為)でもразбойは生命、健康に危害を加える暴力あるいは脅迫の行使を想定しており、грабёжは暴力の行使を想定していないか、行使しても生命や健康には別条がないか、ないしはこのような暴力の行使の脅迫を指すということになる。似た言葉にограблениеがあるが、この元になった動詞ограбитьの同義語обворовать, обобрать, обокрасть, ободрать, обчистить, облупитьはすべてобманом, нечестным путём отнять у кого-л. все имущества, деньги и т. п.ということで「身ぐるみをはぐ」という意味である。そのためограбление банка(銀行強盗)は銀行の有り金、有価証券などすべてを強奪するというニュアンスがある。

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2010年11月21日

●ロシア語珍問奇問第15回

2010年11月22日付タイム誌にプラトンの言葉として「必要は発明の母」(ロシア語ではГоль хитра на выдумки.)というのがあり、このほかにガリレオの言葉としてDoubt is the father of invention.というのがあった。「疑いは発明(創造)の父」とでも訳すのだろうが、現代では図書館やインターネットが手近にあり、質問や疑問さえより具体的であればある程、なんらかの答えは見つけ得る。いかに自分で疑問を見出すかというのが、学ぶ態度として重要だということが分かる。そういう意味もあって今回も引き続き、和文露訳をする上で簡単に答えが出ないものを考えてみたい。столも和訳がすぐにできない単語の一つである。机かテーブルのどっちかだがロシア人にとってはどっちでもよくても日本語では困る。確かに厳密には机はписьменный столで、食卓ならобеденный столというが日常ではいちいちこうは言わないだろう。同じようにбратやсестраも訳が困る。兄старший братか弟младший братか、姉старшая сестраか妹младшая сестраかどちらかのはずである。つい兄弟や姉妹と訳して逃げを打ったりもするが、何か違和感がある。ところで姉妹都市はгород-побратимといい、побратимは義兄弟ということで、革命前の農村などでは、お互いがもっている十字架を交換して義兄弟となった。義兄弟同士では婿取りや嫁取りはしないとされた。братья по крестам, крестовые братья, названые братьяともいう。日本では義姉妹とは言わないが、ロシアでは女性同士に対しても使い、посестрины (= посёстры、単数はそれぞれпосестрина, посёстра), сёстры по крестам, крестовые сёстры, названые сёстрыといった。動詞はпобрататься, посестритьсяを使う。男と女の義兄弟は稀とあるが、絶無ではなかったようである。

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2010年11月28日

●ロシア語珍問奇問第16回

ロシア語が自由に読めても会話に自信がないと言う人は、発話用(言語運用上)の語彙активный запас словが不足しているからである。修理をロシア語で何と言われるかと聞かれてремонтが頭に浮かんでも、それはクイズの回答のようなもので、実用にはならない。重要なのは語彙である。修理よりは修理する、あるいは「~の修理をする」という言い回しが浮かぶかどうかである。ちなみにこれは、проводить ремонт + 生格で、できれば文を暗記すべきである。しかし、ロシア文にするためには、完了体と不完了体の使い分けが出来ていないと、ロシア語らしい文にはならない。会話は使わなければうまくならないし、もっというと無理やりそのような立場に自分を追い込まない限り上達は望めない。そういう意味でプロ志望の通訳やガイドなどはそういう機会を自分から求めて行けばうまくなる。語彙は一見同じようでも、読んでわかる、あるいは聴いて分かるという語彙пассивный запас словと、自分で話すための語彙активный запас словの活用度は違うのである。
和文露訳で一見簡単な単語や言い回しが実は訳しにくいものがあるというのは何度か言ってきたが、意味上一致するものもある。油脂という語は常温で液体(油)と固体(脂)であるものを示している。ロシア語ではмаслоとжирがあるが、маслоは乳脂肪、植物の種由来の油、鉱物性の油を指し、жирは一般的に動物の体に蓄えられた脂肪分(живодтные жиры 動物性油、には乳脂肪も含まれる)だが、例外的にрастительные жиры (= растительные масла、種や実から採った油分)ともいう。必ずしも常温で固体という意味ではない。ヘット(牛脂)はговяжий жирで、ラードはлярд, смалецとかсвиной жирだが、ロシア人には塩漬けにしたшпик (шпек)のほうが分かりやすい。салоはжирと同義語だが、現代では動物の皮下脂肪層подкожный жировой слойを指すのが普通で、свиное сало(豚の脂身)などと使う。会話ではсалоは特にウクライナ人の好むもので、酒の肴である。皮脂はкожное салоという。рыбий жирは肝油(タラなどの肝臓から取れる)であって、魚油(イワシやニシンを煮て取った油)ではない。 魚油はロシアでは使わないようで、ぴったりする訳語が見つからない。ロシアの初代領事ゴシュケーヴィチГошкевичとともに医務官として箱館(後の函館)に赴任したアリブレヒトАльбрехтは箱館に1859年から1863年までいたが、そのときを回想した文章に、В апреле и мае производится здесь изобильная ловля сельдей, у которых вываривается масло, употребляемое в лампах.(4月と5月に豊富なニシン漁が行われる。そのニシンからランプに使われる油が煮詰めて得られる)とあるぐらいである。

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