2010年09月27日

●ロシア語珍問奇問 第5回

オストローフスキーの有名な戯曲にГроза(雷雨)がある。クロポトキンの「ロシア文学の理想と現実」(2巻、高杉一郎訳、岩波文庫、1985年)には、この「雷雨」の主人公カテリーナは雷雨嫌いで、この雷雨というのはヴォルガ上流の小さな田舎町に特有な現象であると書いている。грозаというのは露露辞典によれば、雲と雲の間、雲と地面の間に発生する稲光で、雷鳴と雨を伴うというのだから、まさしく雷雨だが、アクセントはあくまで稲光молнияである。似たような言葉にгромがあり、これは雷雨のときの稲光を伴う雷鳴であり、主体は雷鳴である。同じ現象の別の面(光と音)を表現しているにすぎない。日本語の雷は雲と雲の間、雲と地面の間に発生する稲光で雷鳴を伴うとあり、雨は関係ないが、これもアクセントは稲光である。ロシア語ではгрозаだからといって、これを嫌うのを雷雨嫌いとするのは日本語としておかしい。雷が嫌いというのではないだろうか?日本で雷が嫌いという人は、ゴロゴロと鳴れば、雨が降ろうが降るまいが家の中の布団にもぐりこむ。грозаをいちいち雷雨と訳すと、日本語としてくどくなるという場合もあると思う。「雷が落ちた」とか「落雷した」というのはロシア語ではВ автомобиль ударит молния.(車に雷が落ちた)とか、Удар молнии поразил трёх человек.(3人に雷が落ちた)とか、Собор повреждён громовым ударом.(大聖堂は雷で破損した)といい、先の2文を直訳すれば稲光(稲妻)が直撃したということである。ちなみに雷鳴の伴わない稲光(稲妻)をзарницаという。また一般に忌まわしいことを避けるときにクワバラクワバラというのは、桑原のことであり、もともとは桑原には落雷しないと考えられたことによる落雷よけの呪文である。起源は雷神が桑の木を嫌うとか、死して雷となった菅公の領地桑原には古来落雷がないとかという説がある。落雷やその他の忌まわしいことを避けるためのお祈りという意味では、ロシア語でこれに相当するのは、キリスト教国だからかСвят-свят-свят.というのを覚えておくとよい。

Posted by SATOH at 2010年09月27日 12:46
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