2012年12月01日
●和文解釈入門 第561回
(250) 「女三人のシベリア鉄道」、森まゆみ、集英社、2009年
著者は2006年にシベリア鉄道でロシアを旅した。与謝野晶子が1912年に、中条百合子が、林芙美子が1931年にシベリア鉄道で旅したが、その3人の旅を点描に、自らの旅の印象を語っているが、著者自身の印象の方がはるかに面白い。
(251) 「縮み志向の日本人」、李御寧、講談社学術文庫、2007年
日本人論の陥りがちな、対西欧との日本だけではなく、もっと広い意味での韓国・中国の視点からの日本人論であり、ミクロという切り口から日本人論で視野が広く、よほど面白い。これなども、わずかに垣間見えるロシア人については、ステレオタイプのソ連型官僚主義だけのようで、世界的視野でものを見ることの難しさを教えてくれる。ミクロと言うなら、ノミに蹄鉄を打ちつけたロシアの職人の話であるレスコーフЛесковのЛевша(ぎっちょ)とか、仏壇に対するалтарьなど、ロシアにもミクロ的な世界観はある。この点からロシアの東洋性を見てみるのも面白いかもしれない。
設問)「彼女を起こしたが、起きなかった」をロシア語にせよ。
2012年12月02日
●和文解釈入門 第562回
前回の設問について少し説明する。「日本語の教科書」(畠山雄二編著、ベレ出版、2009年)は英語と日本語を比較するという観点も交え、日本語について分かりやすく説明しているというユニークな著書だが、それにによれば、日本語でも、状態変化動詞で結果の状態まで含意しないものがあり、「燃やしたけど、燃えなかった」、「沸かしたけど、沸かなかった」、「切っても切れない縁」などの例があるという。私の知る限り、ロシア語と一致するのは前回の設問と、「電話をかけたが、かからなかった」ぐらいだろう。他の動詞では接辞до-сяのもので似ているものがある。
Звонил, но не дозвонился.(電話をかけたが、かからなかった)
Стучал, но не досутчался.(ノックしたが、出てくれなかった)
Звал, но не дозвался.(呼んだが、応答はなかった)
Подумал, но не додумался.(考えたが、思いつかなかった)
Он ждал её, но не дождался.(彼女を待っていたが、待ちくたびれた)
設問)「磁界の計測にはどんな装置をお使いになりますか?」をロシア語にせよ。
2012年12月03日
●和文解釈入門 第563回
なぜ和文露訳なのに、しつこく日本語文法について書くかというと、私は日本語とロシア語は語族も違うが、同じ人間の言葉なのだから、人間の言語には普遍的特徴があると考えるからである。これはチョムスキーの生成文法の考え方に近い。日本語語用論の本を読んでいたら、遂行動詞というのがあって、主張、謝罪、感謝、誓約、宣言、命令、依頼、質問、警告、助言、提案などの発話行為を意味する動詞であり、英語に比べると日本語の使用頻度は少ないとされる。「二度とこのような事故を起こさないと誓います」とか、「被告を懲役5年の刑に処する」という例が挙げられており、これを遂行文という。これは正に私の考える伝達型動詞である。それで今後は用語を遂行動詞に改めさせてもらう。一番初めにつけた動作遂行の動詞というのに近いのはなぜかうれしい。用語については既存の専門用語を使いたいのだが、自分の不明のために知らないものも多い。それで一応勝手に名をつけて、今回のように訂正するというお恥ずかしい羽目になる。ご迷惑をおかけするがご寛恕のほどをお願いする。
その遂行動詞でよく使われるものは、上記の発話行為であり、複数も含めて、一人称で使われる会話やメール・手紙などの決まり文句でもある。次に挙げるものは全て遂行動詞である。
Благодарю. (Приносим благодарность)〔ありがとうございます。(感謝申し上げます)〕
Предлагаю тост за Ваше здоровье! (Пью за Ваше здоровье! Поднимаю бокал за Ваше здоровье!)〔ご健康を祈って乾杯〕
Желаю вам успехов!(ご幸運をお祈り申し上げます)
Выражаем глубокое соболезнование.(哀悼の意を表します)
Приносим извинения. (Прошу прощения. Прошу извинения.)〔申し訳ありません〕
Я приглашаю вас в театр.(劇場にご招待申しあげます)
Прошу зайти к нам.(お立ち寄りになるようお願いします)
Шлю вам поздравления. (Посылаю вам пожелания.)〔お祝い申し上げます〕
上の文の動詞は状態、過程、予定、反復を示していなことは明白である。これらがすべて遂行動詞だと言うのは、発話の瞬間から動作が始まり、発話の終了で動作が終わるからである。Приносим извинения.はИзвините.と同義であり、完了体命令形が来ているのは、動作(お詫びすること)の完遂を示しているからである。同様に、Шлю Ване привет.(ワーニャによろしく)を命令法にすると、Передай Ване привет.(Передавай Ване привет.は場に依存した表現で、よろしくと言われるのが期待されている場合に使う)と遂行の意味の完了体命令形が出てくる。上の文に意味の重なるЖелаю, Прошу以外の文に、хочу, хотим をつけても意味は変わらないが、動詞は全て完了体不定形になって、完遂の意味を示すことになる。動作が終了するというのは遂行動詞の特徴でもある。Я приглашаю вас в театр.はЯ хочу пригласить вас в театр.とほぼ同義だが、完了体不定形を使っていることで、動作(招待する)という動作が完遂していることが分かる。主語を三人称にしても、遂行型の意味になる場合もある。
Он пришлашает вас в театр.(彼がみなさんを劇場に招待します)
設問)「その武器はあなたのものですか?」をロシア語にせよ。
2012年12月04日
●和文解釈入門 第564回
動詞以外にも遂行型と言える用法がある。例えば、「同意します(賛成です、OKです)」と言うときの、Согласен. (Хорошо. О'кэй.)や、述語としての、За.(賛成)とかПротив.(反対)やБлагодарен.(感謝します)などもそうであろう。つまり動詞以外で述語用法があるものに、遂行型の用法があることになる。これらはすべて、発話して動作が始まり、発話の終了と共に動作が終わるという意味で遂行型である。
設問)「もっとも確実に幸せになれる道は、幸せになることを願うのではなく、他人を幸せにすることにある」をロシア語にせよ。
2012年12月05日
●和文解釈入門 第565回
ロシア語を上達するコツはロシア語で考える癖をつけることだと主張する人がいるが、自分の経験から見て、二十歳ぐらいでロシア語の勉強を始めた日本人が本当にロシア語で考えることができるとは思えない。短文とか切れ切れの語句ならロシア語が頭に浮かぶことはある。例えば、ロシア語の文章を読んでいて、正しい日本語は浮かばないが、その文の意味するもやもやとしたイメージは湧くということはよくある。これは日本語教育では中間言語と呼ばれるものである。しかし、通訳を目指すのなら、常に正しい日本語(和文露訳の場合は正しいロシア語)に置き換える練習をしていないと、いざ通訳というときに、イメージだけを先方に伝えようとして、何を言っているか分からないという事もありうる。日本人だから日本語ができるのは当然と考えるのではなく、日本語のニュアンスなど、文学書や外国人向けの日本語の参考書をできるだけ多く読んで、日本語にも磨きをかけることが必要である。
設問)駅の洗面所の張り紙「いつもきれいにお使いいただきありがとうございます」をロシア語にせよ。
2012年12月06日
●和文解釈入門 第566回
日本語教育の参考書に、高コンテキスト(高文脈)文化と低コンテキスト(低文脈)文化というものがあり、日本人は前後の状況や文脈に依存して、言葉にはっきり出さずに意図を伝える傾向にあるが、これを高コンテキスト文化と呼んでいる。この代表が、日本人やアラブ人、ギリシャ人で、この逆が低コンテキスト文化であり、状況や文脈に依存せず、はっきりと言葉に出し、言語メッセージそのものを重視するもので、ドイツ系スイス人がその程度が最も高く、ドイツ人、北欧人、アメリカ人などがその代表とされる。多民族国家であれば、低コンテキスト文化となる傾向があると考えられるから、ロシア人も低テキスト文化圏にあると考えてよいと思う。第502回の雪国の露訳や、そのほかのいろいろなロシア語の文を見ても、かなり論理的だなと感じるときも多いのでなおさらそう考える次第である。
日本のトイレはロシアの有料トイレに比べてもきれいだと思うが、それでもトイレは汚いと考える人は多いようで、男子トイレの朝顔(小便器)に黒丸(弓道の図星)を描き、そばに「一歩前進」と書いてある例も見る。前回の設問の、駅の洗面所の張り紙でよく見かける「いつもきれいにお使いいただきありがとうございます」という文言は、トイレが汚いという現実があって、それを改善するために、駅員自身も清掃業者に委託してトイレを掃除するが、乗客にも暗に協力を求めているわけである。ただ、「トイレはきれいに使って下さい」と書けば、当然のことながら切符代に駅のトイレ掃除代も含まれていると考える人もいるだろう。そこで、義侠心というか、道義心やエチケットに訴えて、トイレがきれいであれば乗客自身も気持ちがいいだろうし、角が立つようなことは避け、露骨に書くのは野暮という事からこういう書き方になったのだろうと推測する。このように直接分かるようにお願いするのではなく、さりげなく書いても、高テキスト文化の(単一民族国家に住む)我々日本人は理解する(と思う)。これをこのまま直訳して、ロシア人に伝えても、日本人は変だ、トイレがきれいだと、鉄道会社がお礼を言う変な国だとでも考えて、日本では赤信号になれば車が通っていなくても横断しないというのと同様、笑い話の種になるだけであろう。
設問)「どこに行ってたの?」をロシア語にせよ。
2012年12月07日
●和文解釈入門 第567回
ロシア語もそうだが、ロシア語が使えるようになるために、初級の文法だけはやって、後の文法については、説明がつかないとばかり、丸暗記に徹してしまうという人も多いだろう。暗記一本に絞ることによって、暗記の効率も上がるが、語学を学ぶ上で一番大切なことを失うということでもある。それはロシア語に関して、疑問を抱くことや、考えることを止めてしまうことである。何故こうなるのか考えても、簡単には答えが出ないし、周りに教えてくれる人もいない。中級より上のロシア語の参考書も数も少なく、内容的にも隔靴掻痒の感じである。そこで思考ストップしてしまう。そうではないのだ。何でも疑問を抱き、その疑問をメモしておくことが大切である。よく突き詰めて考えることにより、時間はかかるが、いつかは正しい答えに行きつくのだ。村上春樹のベストセラー「1Q84」に、「豊かな智恵を育むのに必要とされる健全な疑念」という言葉があるが、まさにこの健全な疑念がなければ、人生はつまらないものになると思う。人は生まれながらないして、この健全な疑念を持っているのだが、歳を経るに従い、持たなくなる人が多くなるように思う。
設問)「この件をこのままにはしておかない」をロシア語にせよ。
2012年12月08日
●和文解釈入門 第568回
設問の短文は露訳するときに不完了体にも、完了体にも解釈できる場合があるが、どちらでもよいというわけではない。もっというと、どちらでもよいのだが、実際に通訳するときには、文脈や前後の発言に応じて、どちらにするかが分かるのが普通だ。ただ通訳していて、どちらかが分からないときは、「今回だけの話ですか?」(これなら具体的1回行為ということで完了体)とか、「一般的な話ですか?」(これなら、繰り返しということで不完了体)と聞くことはある。だから、設問の短文が二通りに解釈できる時は、反復と理解したので不完了体を使ったが、具体的1回行為なら完了体を使ってこうなると答えるのが正しい回答の仕方である。実際の通訳の現場では、特に商談では、曖昧に聞こえることがあったら、通訳するときに確認しないと、誤訳して相手に損害を与えてしまう事がありうる。だから、常にこの場合は完了体、この場合は不完了体というように体の使い分けを理解しておかないで、聞く方に解釈をお任せというのは、それはプロではなく、素人である。
設問)「彼は1年前にここに来ている」をロシア語にせよ。
2012年12月09日
●和文解釈入門 第569回
〔ご健康を祈って乾杯〕に遂行動詞を使おうとして、Предлагаю тост за Ваше здоровье!やПоднимаю бокал за Ваше здоровье!とするのはよいが、Пью за Ваше здоровье!だと、発話が終えるまでに、ウオッカを飲まなければならないような気がする。これでは一気飲みを勧めているようなもので、まずい。それならПью を不完了体現在形の直近の予定の用法と考えればよいか?いずれにせよ、飲むことに変わりがない。ロシア人と飲む時は一気飲みなので、乾杯の時以外は絶対に酒を口にしないという鉄則を忘れないようにしたい。日本人は乾杯の時以外にも、勝手にチビチビ飲むので、そういう事のしないロシア人より先に酔う。ましてや、相手は二日酔いの元であるアセトアルデヒドの分解能力がある酵素をほぼ全員がもっているロシア人(白人)であり、我々モンゴロイドは半数の人しか持っていないということを肝に銘じるべきだ。
設問)「私があなただったらはっきりさせますがね」をロシア語にせよ。
2012年12月10日
●和文解釈入門 第570回
電話における一人称の決まり文句でも遂行動詞の例がある。次の文でも発話と同時に動作が始まり、発話の終了と共に動作が終わる。
Алло, говорит Сато.(もしもし、佐藤ですが)やВас беспокоит Сато.(佐藤と申しますが)でも、見かけは三人称だが、名を名乗っているだけで、実際は一人称であり、人称の転用と呼んでもよい。
Слушаю.(私ですが)も遂行動詞である。
設問)「警備員は各階に散った」をロシア語にせよ。
2012年12月11日
●和文解釈入門 第571回
先日近くの川のほとりを散歩していたら、おじいさんが何羽かの鳩に餌をやっていた。この辺は鳩に餌をやらないでくださいという立て看板があるのだが、鳩は最近見かけず、カモメが我が物顔にのさばっているから鳩自体が珍しい。案の定カモメが何羽も寄って来るのだが、そのおじいさんがしつこく追い払う。餌はやりたいが、鳩にであって、カモメではないことがわかる。最近は日本では市中でもイノシシやシカが徘徊し、餌をやる人もいるというのをテレビで見た。これは禁止行為なのだが、やっている人は、動物がねだる姿が可愛いのか、いいことをしているのだという意識があるのだろうから簡単にはなくならないだろう。
それで思うのは、乞食への施しである。1990年代の初めには、ロシアでも路上の物乞いの他に、地下鉄の電車にもいた。当時のロシアにも情け深い人は多く、苦しい生活の中でもなにがしかの小銭を渡していた。あるとき、二十歳ぐらいの娘さんが車中で中年の物乞いに施しをしたのだが、こんなわずかっぱかしの金なんかいらんとこれ見よがしに大声で叫び、小銭を放り投げた。娘さんは真っ赤になって下を向き、他の乗客も何かいたたまれないような気持ちで無言だった。その物乞いは堂々と隣の車両にのっしのっしと行ってしまった。こういう事があっても、娘さんは施しをやめないだろうし、あの物乞いも小銭だったら、同じように銭を放り投げるのだろう。人生で目に焼きつく場面という場面がいくつかあるが、ナホトカで、公園に店を出していた男を、ショバ代の関係だと思うが、当時流行りのヤクザがいちゃもんをつけ、その男が立ちあがった瞬間、上段回し蹴りで、それこそ一撃で倒したのを見たのぐらいだ。倒れた人はピクっととも動かない。こういう実物は映画より刺激的だ。
モスクワの駐在員が日本からの出張者に対して、まず注意するのは人前で財布を出さないということである。必ずどこかでだれかが見ていて、目をつけられてスリに遭う事になる。だから乞食には絶対に金をやらない。どうしてもやりたければ、小銭を用意しておく。乞食のほとんどはプロであり、ショバ代をヤクザや乞食の親分に渡しているのが普通だ。教会近くなどの一等地はショバ代も高い。それに一人に金をやれば、カモだと思い、他のも続々来るから、万引きの被害に遭いやすいからやらない方がよいと言っておく。日本人は我々世代でも、サザエさんの初期の巻に載っているような、おこもに空き缶ですわっている乞食というのは見たことがないはずだ。小さい頃傷痍軍人が物乞いをしたのは覚えているが、本当の乞食を見たことはない。ただ最近皇居の近くで、着物を着た女性が茣蓙に座って、本か何かを置いて座っていたのは見たことがあるが、気が触れていたのかもしれない。
乞食を知らないから、施しのやり方も知らない。それでやらないということになる。私も施しをしないが、一度だけしたことがある。1996年8月にウランバートルに出張したときに、当時野火のせいで、孤児が増えていた。着いてすぐ街を散歩していたら、9歳ぐらいの丸刈りの子がまとわりついて、身ぶりで恵んでくれという。何とか振り切ったが、次の日もホテルの前で待っている。その後地方に行って、ウランバートルに戻って、明日はアルマトゥイ(当時はカザフスタンに駐在おり、アルマトゥイは首都だった)に帰る日というときも、見かけた。そのときはさすがに諦めたのか寄ってこなかったが、何となく気になって、ポケットに持っていたモンゴル紙幣とコイン合わせて20ドル分くらいを押し付けるように渡した。もう使わないということもあったのだが、何となくという感じで、憐みを感じたわけではない。後で、モンゴルの孤児は冬零下の寒さなので、下水管で暮らし、ネズミを獲って生き延びているというニュースを知った。あの子はどうしているだろう。感傷というわけではないが、なんとなく鳩と老人を見て思い出した。それ以降も、モスクワでもどこででも、施しをしたことはないし、これからすることもないだろう。
設問)「木造建築は火災にきわめて弱い」をロシア語にせよ。
2012年12月12日
●和文解釈入門 第572回
時間を示す語句が動作の過去の一点を示すならば、動詞には完了体過去形を用いると述べたが、そのような語句がなくても、動作が過去の一点に行われたという意識があれば、完了体過去形が来る。自転車に乗れたり、スケートが滑れるということは、過去のある一点において初めて乗れるようになったり、滑れるようになったときがあるということである。はっきり小学二年生のいつと覚えている人もいるかもしれないが、覚えていない人も多いだろう。しかし、いつかは知らないが動作が過去の一点で行われたということが、明らかであれば完了体過去形が来る。このように明示するどうかは別にして、「初めて」という意識があれば、過去の一点を示しているという意味から完了体過去形との結びつきが多くなるのはこのためである。動作が過去の一点で起こったというのは、一度(1回)だけ起こったということなので、「一度~した)」、「一度も~しなかった」〔否定の強調〕という動詞句にも完了体が出やすいという事になる。現在の時制での「一度も~しない」という場合は、例示的用法の派生で、潜在的可能性をも否定するわけだから完全な否定、つまり否定の強調になる。
(その小説は1862年最初に出版された)Роман впервые появился в печати в 1862 г.
(私は初めてこの公園でスケートを滑った)Я впервые покатался на коньках в этом парке.
設問)「凡人はそれを侮辱と取る」をロシア語にせよ。
2012年12月13日
●和文解釈入門 第573回
語用論прагматикаというのは会話の含意の解明であり、ジョークのオチや比喩の本質の解明の手段でもあり、文脈に依存する。これが文脈に依存しない意味論との違いである。語用論では、話し手こそが言葉の宇宙の中心をなし、人称体系の中心は「私」であり、空間体系の中心は「ここ」であり、時間体系の中心は「今」であると教える。語用論の入門書を読む限り、英文和訳において、文学作品のニュアンスを正確に理解するために語用論を活用しているように見える。つまり日本語とロシア語の語用論を研究すれば、露文和訳、つまりロシア文学の翻訳のニュアンスをより正確につかめるということになる。私自身は、露文解釈にも興味はあるが、語用論を和文露訳に活かし、多くのロシア語学習者がロシア人に聞かなくても正しいロシア語が話せるようになればよいと考えている。正しいロシア語かどうかはロシア人に聞けば教えてくれるだろうが、元の日本語からの正しい露訳なのかとか、見てもらうロシア語がロシア人に直された場合、間違いの理由は何かということに文法的に日本語で答えられるロシア人はほとんどいないだろうし、それでは学習上の進歩が望めないと思う。
設問)「このサインペンはよく書けない」をロシア語にせよ。
2012年12月14日
●和文解釈入門 第574回
例示的用法に完了体未来形が使われるという事がよく分からない人もいると思うので、私なりの解釈を書いて見る。完了体未来形というのは未来において具体的な1回の動作が完遂することを示すわけで、いつかということは動詞だけでは分からない。直近であれば、こらからすぐということで、和文露訳入門の4-2-1の用法である。それ以外では、いつ動作が起こるかは不明なわけだが、動作が起これば完遂するという事で、それが潜在的な可能性を生むことになる。そのため過去の時制で例示的用法が使われるときも、この潜在的可能性を形式として示すために、完了体過去形ではなく、完了体未来形が使われるのだと思われる。完了体過去形を使えば動作が完遂したというイメージががあるからだ。
この用法は「何かあれば~する」という潜在的可能性の提示、不規則な繰り返し・習慣を示す。不規則な繰り返しというのは、「起こるかもしれないし、起こらないかもしれないが、起こったら~する」という意味であり、定期的であるとか、何度も起こるという事を前提とした不完了体現在形の不規則な繰り返しとは異なる。そういう意味で、例示的用法には具体的な文脈が必要ということになり、そういう意味でも完了体未来形を用いることになる。そのためこの用法を使えは、平板な不完了体の反復・習慣と違い、完了体の持つ主観的ニュアンスが出るので、生き生きとした表現になる。不規則な繰り返しといっても、とりあえず、最初の具体的な動作がイメージとしてあるわけで、初めから動作が繰り返されるということをイメージしているわけではないのが不完了体との違いである。
Если что, я всегда вам помогу.(何かあったらいつでもお助けしますよ)
Я всегда помогаю родителям.(私はいつも両親の手伝いをします)
設問)「電動歯ブラシは電池で動く」をロシア語にせよ。
2012年12月15日
●和文解釈入門 第575回
(253) 「敗北を抱きしめて」(2巻)、ジョン・ダワー、三浦陽一・高杉忠明訳、岩波書店、2004年
日本の庶民の視点で、日本の戦後のアメリカ軍占領時代についてあらゆる事項から、日本とは、日本人とは何かを追求した良書。日本人の大勢順応主義、悔恨共同体、被害者意識により他国にかけた損害について考える余裕はなかったなどの、今に続く鋭い指摘がなされている。特に天皇の戦争責任が追及されなかったのは、マッカーサー司令部による日本支配を円滑に進めたいという駐留軍側の意向の賜物であったことが分かる。しかし、著者が理解していないと思われるのは、日本においては幕末の頃から、トップは敗戦の責任を取らないという事が常態化していたということである。徳川慶喜が腹を切ったということもなかったし、京都守護職であった会津藩の藩主なども、結局は華族に列せられて命を全うしている。詰め腹を切らされるのはせいぜいのところその家老ぐらいのものだ。天皇が退位しないことで、当時の日本人で遺憾に思った人がいたかもしれないが、庶民にとってはどうでもよいことであり、ましてや、近衛公が戦犯に指定されて毒を仰いだというのも、基本的に彼は家老クラスで、トップではなかったからという事で説明がつく。近衛は戦争責任を東条英機に押し付けて、自分はその責任から逃れようとしたが、そうは問屋がおろさなかったわけだ。東条と違って自殺できただけでも後世の受けはよい。
戦陣訓で「生きて虜囚の辱めを受けず」と軍人に訓諭した東条英機も、たぶん(?)自殺しようと4発ピストルで撃ったが、死に切れず、回りにいた米兵の医者の輸血(血はもちろん米兵の)が成功して命を取り留めた。しかし、4発も撃って、死なない(死ねない)というのは不死身の体(?)というしかない。作家の高見順は、「なぜ東条大将は、〔自決した〕阿南陸将のごとく日本刀を用いなかったのか」と言い、フランス文学者の渡辺一雄は日記にこのドタバタ劇を愉快がり、「この不運な大将が今や混血児となる」と記している。海軍は陸軍に戦争責任を押し付け、天皇を有罪にしないためという大義名分に隠れて、嶋田繁太郎大将などはA級戦犯だったが、1948年終身禁固刑を受け、1955年釈放、1976年92歳の長寿を全うした。頭がよくて、偉いのは腹など切らないのである。戦争責任は軍部であって、天皇にはないと占領軍に働きかけたのは、田中隆吉少将、天皇の側近である木戸幸一であり、これは天皇に戦争責任を取らせたくないGHQの意向とマッチしていた。特にA級戦犯27名のうち15名が木戸によって名指しされたのである。密告者というべきか、天皇の御楯なのか、自分の助命のためなのかは知らないが、釈放されてから、腹を切ったということもなく、87歳で天寿を全うした。A級戦犯の遺族にも軍人恩給が出ているのに、千島列島でソ連軍の捕虜になった父には、当時国内ということで軍人恩給がつかず、ちっちゃな銀杯でおしまいだった。まあ世の中こんなものだろう。それでも父は生きて帰ってきたが、満州、南方、沖縄で死んだ軍人・女子供の御霊のことを考えると、こんな奴らのために無駄死にしてと、今でも胸が詰まる。
話がそれたが、天皇が腹を切るなど日本史の上ではなかったことなのである。最近、野村ホールディングのCEOが不祥事の責任を取って退任したが、これなどのも最近のことで、西洋に真似たものであろう。もう少し前なら、もっと下っ端の首を差し出して終わりだったのにと、さぞや悔しい思いをしているに違いない。戦争責任についても、臣下の責任であって、軍国主義や侵略を起こしたことではなく、聖戦に勝てなかったことに対する責任であるから、天皇自身が責任を負うという事にはならないという論理である。これでは侵略された国はたまったものではあるまい。本書に「国家の最高位にある政治的・精神的指導者がつい最近の事態に何の責任も負わないのなら、どうして普通の臣民たちが我が身を省みることを期待できるだろう」とある。その通りである。戦争責任について評論家の阿部慎之介が「日本人の大多数は、自分が愚かであったことに対し、責任を負わなければならないのだ」と指摘している。踊らされた国民も責任があるということになる。
日本人の行動様式として、マッカーサーの股肱の臣であったフェラーズ准将が、戦前にすでに挙げていた15の特徴は、劣等感、軽信、型にはまった思考、物事を歪み伝える傾向、自己演出、強い責任感、常軌を逸した攻撃性、野蛮、頑固、自滅に走る伝統、迷信、体面の重視、感情過多、家庭・家族への愛着、天皇崇拝である。敗戦後半世紀を経て、21世紀の日本人はどのような行動様式を持つようになったのだろうか。
設問)「誰が誰に気があるか教えて」をロシア語にせよ。
2012年12月16日
●和文解釈入門 第576回
(254) 「日本人も知らなかったニッポン」(増補版)、桐谷エリザベス、吉野美耶子訳、中公文庫、2009年
著者が日本では外で夫婦が並んで歩かないのはおかしいとある新聞に書いていた。歩きながら話をするときに相手の顔を見れないのは不安という事もあるし、無視されているようだと思っているのかもしれない。まあ日本は道が狭いのと、男尊女卑のならいということもあるのだが、それよりも奥さまがたが自分の安全のために、何が飛び出してくるかもしれない世の中だから、旦那を先に歩かせているのだというほうがありうる話だ。保険もかけてあることだし。
(255) *「美しき日本の残像」、アレックス・カー、新潮社、1993年
達意の日本語で日本人の忘れた日本、日本文化の素晴らしさを客観的な目で教えてくれる名著。今の日本人の頭の固さや、電線を地下に埋めていないのは先進国で日本だけとか、瞬間に集中するのは日本文化の特徴だとか、現代の日本人は(書が)読めないということにコンプレックスをもっているのではないかなどの指摘は面白い。坂東玉三郎との交遊や歌舞伎の見方についても独自のものがある。感覚的というよりは分析的な日本文化の捉え方であり、捨て身にならなければ日本文化の習得は困難であるということがよく分かる。また通好みの大阪・京都・奈良案内も紹介されている。ただ残心については単に終了だと思っているようである。それは違う。通訳だけで実際にやっていないからそういう理解になるのだろう。残心というのは常に攻撃でも防御でも次の動きに移れるような心持で動作を終了するということである。これが日本の芸道に取りいれられたものである。
設問)「余はその者をつかまえた者に3000ルーブルの褒賞を出すと発表するよう命じる」をロシア語にせよ。
2012年12月17日
●和文解釈入門 第577回
前回の回答にピリオドの代わりに疑問符をつけた方がよいというのを朝のコメントで入れ忘れた。今後のこともあろうと思うので、1、2日してもう一度私のコメントをチェックしてほしい。朝の1回だけでは私の勘違いという事も大いにありうる。間違いはその都度訂正しているので、その点ご理解願う。
12月15日の教育テレビの地球ドラマチックという番組で、「ピダハン 謎の言語を探る アマゾンの民」というの見た。ピダハン語には数、色、左右の概念がなく、時制も現在だけであり、口笛で文が作れるという。一番問題なのは、チョムスキーが唱えた普遍文法の根幹を成す再帰構造recursionがないということである。再帰構造というのは、文を無限に拡張してゆく方法で、「~ということは~であるとAが言っているのをBが聞いたとCが述べている」という類で、ピダハン語にはandやorもないという。ピダハンを紹介したダニエル・エヴェレットは元宣教師で家族と共に30年以上ピダハンと暮らし、外国人でピダハン語を話せるのは彼の元妻を入れて3人だけであるという。ピダハン族は400人余りで、ダニエルは彼らと暮らすうちに、宣教というのは押しつけであり、ピダハンは今のままで十分幸福であるということから、逆に感化を受け、無神論者となり、そのため家族とも別れざるを得なくなったという。チョムスキーはインタビューの中で普遍文法は人間の遺伝子に刻まれているのだとまで言い切っているので、ダニエルの説には非常に不愉快に思っているようだった。マサチューセッツ工科大学では既存のピダハン語の会話の音声テープから、既存のテープをコンピューターで解析した限り、ピダハン語には再帰構造はないと結論付けている。
人類はアフリカの大地溝帯で生まれ、そこから世界に拡散していった。言葉の話せない人類が各地でそれぞれの言語を形成してゆき、人類の各部族が戦争や交易などで接触するに従い、数や色などの有利な要素を取り入れていき、ピダハン語のように、そうでない言語は消滅して行ったと考える方が自然ではなかろうか。4人の言語学者がダニエルのピダハン入りをさせないようにブラジル政府に手紙を書いた結果、ダニエルとピダハン語を研究しようとするマサチューセッツ工科大学のメンバーが現地入りできなくなったというのは、現代における魔女狩りのようなものである。結果がどうであれ、研究の機会は何人といえど奪われるべきではない。ブラジル政府は世界的な言語学論争に巻き込まれるのを嫌ったという事らしい。ピダハンにはブラジル政府の援助で、電気やテレビも入り、学校もでき、子供達にはポルトガル語が教えられている。これは結構なことだが、言語という観点から見ると、子供達には数や色の概念が入って来るわけで、ピダハン語の将来は暗いと言わざるを得ない。ダニエルには「ピダハン 言語本能を越える文化と世界観」(みずず書房、2012年)があるというので、いずれ読んでみようと思う。
設問)「このような犯罪者とどう向き合えばよいのか?」をロシア語にせよ。
2012年12月18日
●和文解釈入門 第578回
(258) 「ジャポニズムのロシア」、ワシーリー・モロジャコフ、村野克明訳、藤原書店、2011年
画家レーリヒとジャポニズムについては日本年鑑の論文で読んだことがあるが、詩人ブリューソフБрюсовが浮世絵の愛好家でロシア語の短歌の創始者とは知らなかった。この後ヴャチェスラーフ・イワーノフВячеслав Иванов, アンドレイ・ベールィАндрей Белый, グミリョーフГумилёв, フリェーブニコフХлебниковが続くという。ジャポニズムとベールィの「ペテルブルグ」の関係なども興味深い。詩人バーリモントБальмонтの1916年の来日の意義についてもよく書かれている。この後1960年から70年代にかけて新しいジャポニズムの時代が来るがそれは日本の技術に対してのあこがれからであり、ゲイシャとサムライの国からアクタガワとパナソニックの国へというのは言い得て妙である。ソ連崩壊後本当の趣味のジャポニズムが空手、生け花、折り紙、和食を通じて起こり、2000年代初めがピークであり、日本趣味が日常生活を構成することになって日本ブームの終焉を迎えたとのいうのは鋭い指摘である。ただジャポニズムのほかにロシアにおける仏教、などテーマが興味深いとはいえ散漫な気もする。
設問)「ご提案は検討中です」をロシア語にせよ。
2012年12月19日
●和文解釈入門 第579回
「~したまえ」は上司語で、「よくてよ、~だわ」若い女性かおかま、「~あるよ」はアメリカインディアンや中国人を連想させる。実際に上司や、若い女性がこういう言葉を使うかどうか疑問だが、小説などでこういう言葉づかいを見れば、ある特定のイメージが湧くという言葉があり、それを『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』(金水敏、岩波書店、2003年)で金水敏先生が役割語と名付けた。殿さまが自分のことを余というかというと、「旧事諮問録」(旧事諮問会編、進士慶幹校注、岩波文庫、1986年、2巻)という将軍家の日常、お庭番、幕末の外交の様子を江戸幕府の役人が証言した本があって、内容は問答の形になっており、現代の話し言葉に近いが、1891年から1892年の第11回までの記録で、将軍は自分の事を「余」ではなく、「こちら、自分」と言い、御台所は「わたくし」と言っていたとある。ロシア語にも、皇帝のмыなど役割語のようなものはあるし、もっと有名なのではкартавить(ラ行の発音が不正確である)というのがある。これはイディシュ語(東欧系のユダヤ人が用いるドイツ語の方言)由来と思われる口蓋垂ふるえ音картавый (грассирующий) звукで、рがгのように発音されるとされる。革命前は日本語でフランスをおフランスというような、似非上流語のような感じだったが、ソ連時代はユダヤ人の役割語のような感じだった。実際のユダヤ人が皆картавитьするとは思えないが、アネクドートでこういう会話を話すのはユダヤ人ということになっている。これまで30年以上ロシアやソ連と付き合いがあるが、картавитьをする、はっきりユダヤ人と分かった人は二人ぐらいだ。現実というのはそんなものであろう。キッシンジャーもкартавитьをすると言われるが、彼もユダヤ系である。
この口蓋垂ふるえ音を使ったアネクドートがあるので紹介する。
- Надя, откгой, пожалуйста... Надя, это я, Володя, почему ты не откгываешь!.. Надюша, это я, Вовка-могковка!.. Всё, Феликс Эдмундович, она там с Тгоцким, ломайте!..
訳)「ナージャ、開けろってば、お願い。ナージャ、僕だよヴォロージャだよ。どおしてあけねーの。ナージャちゃん、僕だってば、もろ出しヴォロージャだよ。もういい、ジェル人スキー君、あの娘はトドイツキーと一緒だ。ドアを壊せぇ」
解説)レーニンがЧК(後のKGB)長官ジェル人スキーと картавитьして話している。中にいるのはクループスカヤとトロツキー。何万人もの人を盲目から救ったので有名なオデッサの眼科医で、レーニン勲章4度受賞したフィラートフФилатов Владимир Петрович (1875 – 1956)はレーニンやケーレンスキーが通ったシンビールスクの高校を卒業し、高校生ヴォーフカとサーシカгимназисты Вовка и Сашка を憶えていた。レーニンがヴォーフカ、ケーレンスキーがサーシカと呼ばれていたことが分かる。これからヴォーヴォチカの小話が派生したのであろうと推測する。 Вовка-морковка のморковка = мужской половой органで、子供の使う仇名をはやし立てる言葉である。ご参考までに、откгой = открой; откгываешь = открываешь; Вовка-могковка = Вовка-морковка; Тгоцким = Троцкимである。
レーニンの家系はカルムィク人、モルドヴィン人、カルムイク人、ユダヤ人、バルト・ドイツ人、スウェーデン人による混血であることは広く知られるようになっており、レーニンが少しкартавитьして話したことは、実際に革命前にレーニンとパリで会ったことのある作家のエレンブルグが自伝『人・歳月・人生』Люди, годы, жизньに書いている。
体の用法から言えば、どうしてоткрывайではなく、откройなのか、和訳する際に訳出できるかどうかは別にして、訳者はその違いを当然理解していなければならないはずである。
設問)「今回の滞在費は貴社負担です」をロシア語にせよ。
2012年12月20日
●和文解釈入門 第580回
前回の小話の体の用法について、お分かりにならない方もいると思うので、解説しておく。夫が普通に帰宅して、奥さんや家の人に「ドアを開けてくれ」というのは、予想される自然の行為なので、着手の意味の不完了体命令形открывайを使う。9時開店の店が未だ開いていないときに、店を開けろというのは、開けて当然という意識が客の方にあるわけだから、着手の意味で、Открывай!と不完了体の命令形が使われることはお分かりだろう。ところがアネクドートでは、レーニンの妻(クループスカヤ)が愛人(トロツキー)と家の中にいると、話し手であるレーニンは思っているわけで、素直にドアを開けるとは思っていない。浮気している妻が愛人とベッドにいるときに、夫が現場を押さえようとした場合、素直にドアを開けるはずがないと夫の方として思うのが自然であろう。こういうときに、新規の動作である完了体命令形が出てくるわけである。
設問)「行かなくてすみません」をロシア語にせよ。
2012年12月21日
●和文解釈入門 第581回
40年以上もロシア語を勉強しているので、短文であれば、1分か2分いただければ、ほぼ正確に体の使い分けを示せるという自信はあるが、実際の通訳では、体の使い分けに使える時間というのは、1秒にも満たないであろう。しかも短文だけの通訳というのはほとんどありえない。和文露訳入門に完了体と不完了体を時制や法に分けて書いた参考書などを読めば、どんな動詞も完了体と不完了体を使うチャンスが同じ50%ずつあると勘違いする人もいるだろう。そんなことはないのだ。参考書なので、例外も含めて、できるだけ広く用例を書いているだけである。10万語収録の露和辞典にある単語(動詞も含めて)を40年間で全て出会ったかというと、そういうことはない。1回だけ読んだというのを入れても8割ぐらいだし、通訳や翻訳で使う単語というのは、1万もないと思う。しかもその中でも使う頻度にかなり差が出る。
通訳するときには時間がないので、確率ということに頼らざるを得ない。この2、3回命令法では完了体不定形を使う事が多いと書いたのはそのためである。不定法を使うなら、まず完了体ということにして、繰り返しや否定なら、例外だから、不完了体に代える訓練をする。他にも切迫とか動作の名指しとかあるが、それを考えている余裕はない。ただ動作の名指しというのは、不完了体が出やすい動詞идти, ехать, делатьなので、これはこれで優先的に使うようにする。時制においても過去と分かった瞬間、完了体を考える。アオリスト的用法が多いからだ。プロの通訳で、体の使い分けを説明できない人でも(する必要もないが)、その通訳が正しいのは、この訓練が自動的にほぼ完ぺきに出来ているからである。これは勘というよりは、長期にわたる体に覚え込ませるような非常に大変な、忍耐の要る学習法であり、誰でもできるわけではない。そこで、何度も言うが、和文露訳入門を手元において、そのたびごとに気になった用法を理解し、例文を暗記する方が大人の学習法だと思うわけである。別に和文露訳入門を買えと勧めているわけではない。自分で文法を究める方法はいくらでもあるし、いい参考書も探せばある。私のホームページにも参考書紹介のコーナーがあるから、それを一部参考にされてもよい。
ガイドや通訳の仕事が減っている中、新規参入は難しくなっているのが現状である。昔なら先輩の通訳と一緒にという仕事も多かったが、今はいきなり一人前の仕事をこなすことを求められる。しかし、仕事の少ないときだから勉強できるわけで、私の勧める勉強法は、テレビやネット、本などで、気になった短文の述語部分だけを、特に動詞であれば、どのような体になるのかを中心に訳してみる練習をしてみることである。これなら前後の文脈がはっきりしているわけで、このコーナーの短文の露訳よりよっぽど簡単であろう。拙著の和文露訳入門を参考にしていただいてもよい。こういう練習の積み重ねによって、瞬間的に動詞が浮かぶようになってくる。通訳を頼まれた時点でどの分野かはあらかじめ分かる。それから語彙をチェックしても遅くはないが、基本動詞はそう簡単には行かないので、こういう勉強法を勧める次第である。ガイドにせよ、都内か京都観光かは事前に分かるわけで、いきなり日本全国の1か所の観光ガイドをお願いしますという事はまずないだろう。動詞の体の使い分けがある程度分かれば、後は語彙だけ覚えればよいという意味もお分かりだろう。プロの通訳やガイドになりたければ、使う頻度の高い、そして急ごしらえには理解できない動詞の体の用法をまずマスターすべきなのだ。動詞に限らず、基本語彙については、露露辞典を引く癖をつけることをお勧めする。オージェゴフの露露は評判が高いし、手頃なのだろうが、私は使ったことがない。これは用例が極端に少ないためである。しかし、そういう欠点があっても、他に選択肢がなければ、買わざるを得ないと思う。私は例文重視なので、アカデミー露露の最新版を使っているが、第19巻прессまでしか出ていないので、それ以外の単語はアカデミーの古い4巻本を使っている。4巻本の例文は岩波や研究社でよく見かけるので、ザルービンの露和の方が新鮮な例文に出会える可能性が多い。
設問)「3ヶ月に1回以上点検しなければなりません」をロシア語にせよ。
2012年12月22日
●和文解釈入門 第582回
2012年12月20日放送の、アメリカ女子サッカーのゴールキーパー、ホープ・ソロ選手についてのバラエティー番組を見ていたら、終わりの方で彼女の自伝の一節She said she forgame me.に和訳がついていて、「彼女は許していると言った」とあったように思うが、これは、「彼女は許すと言った」の間違いではないか。時制の一致で過去になっているが、日本語の「許している」というのは現在完了であり、ずっと前から許すという行為は終わっており、それが今に至っているというのだから、訳者は遂行動詞ということを理解していないと思われる。英語の専門家でもないのに、こういう事を書くのは、英語にも遂行動詞があり、forgiveにもそのような用法があると思うからである。ロシア語でも、Извините.と言われて、冗談で、На этот раз я тебя извиняю.(今回は許す)という場合もあるし、Тебя прощаю.(許してあげる)と使う。ちなみにизвинить/извинятьは軽い過失に対して使うとシノニム辞典にはある。許すでも、許可するという意味なら、Ладно иди, я тебя разрешаю.(分かった、行けよ。許可するよ〕)という。これも遂行動詞の例である。
設問)「当直の報告からどうなったかは聞いている」をロシア語にせよ。
2012年12月23日
●和文解釈入門 第583回
смочь はмочьの完了体だが、смочь独自の意味として、露露辞典に載っているのは、оказаться в состоянии сделать что-либо(~できるようになる); получить возможность сделать что-либо(~する機会を得る)と状態ではなく、動作としてである。過去時制のмогとсмогの違いについては、岩波の露和にも載っているが、Он смог (мог) перепечатать свой доклад.においてсмогが「彼は自分報告をタイプできた」だが、могは「タイプで打つこともできたはずだ(が打たなかった)」という違いがあると指摘している。не могとне смогの違いについては、私見だが、не могが単に動作(可能であるという語義)の否定という不完了体の用法であり、не смогは完了体過去形なので、予想外れというような主観的な、モダリティー(叙想的)な用法であると思う。мочь = быть в состоянии; иметь возможностьという風に、мочьは可能であるという状態(ないしは能力)を示していることが分かる。смочьは未来における(これからの)動作なので、これを意識すればよい。未来の時制で可能という用法を使う場合、мочь の未来形はбудет в состоянииで、可能性の繰り返しか、ある程度の期間を見込んだ動作に使われることが多いので、1回の具体的な可能性にはсмочь + 完了体不定形を使えばよいことになる。
Банк будет в состоянии погасить задолженность через год.(その銀行は1年後に負債を返済することが出来るとしている)
設問)「そんな彼を前にも後にも見たことはない」をロシア語にせよ。
2012年12月24日
●和文解釈入門 第584回
ある語学校のロシア語通訳コースの案内を見ていたら、ロシア語の文法は難しいので、通訳を目指すのに文法にこだわる必要はない。当学校には優秀なロシア人をそろえ云々とある。どの外国語でも文法は難しいと言えば、難しい。文法を覚えなくていいのは、母国語を覚えるときの幼児だけである。要するに、文法を最小限にするということは、丸暗記を勧めていることになる。特に体の用法は難しそうに見えるが、二十歳前後からそれ以上の年配の学習者に、丸暗記だけでは続かない。続く人もいるがそれは例外で、そういう人は、そういう語学校に入らなくても、一人でこつこつ例文を収集し、それを暗記してものになるのである。文法や、特に体の用法が難しいというなら、それは教える方にも問題があるのである。文法や体の用法をよく理解していないから、教えられないという事になる。教わる方も、語学は暗記だと文法を軽視するという心構えだから、勉強に身が入らない。だから分からないという悪循環である。二十歳を超えた人に理屈が通らない理由がない。そういう文法は不要だという学習者の思い込みをなくすような、もっと実生活に即した、ロシア人との触れ合いに役立つ例文を教える側が用意する必要があるし、何よりも教える側が文法をよく理解し、それを教えるテクニックを身につけるよう日々研鑽するしかないと思う。
体の用法は基本である。これが分からないと会話での和文露訳は、暗記した文例だけの、応用の利かないものになる。それを語彙だけ暗記すればよいと、語彙集だけ暗記しようとする人は、骨格のない体に粘土を貼り付けるようなもので、全く意味はない。体の用法をマスターしてようやく次のステップ、語彙の習得、発声や聞き取りに進むべきなのだが、その辺を理解していないから、日本語でいえば、いつまでたっても外国人の話すテニヲハがよく分からない、時制もおかしいロシア語のままなのだ。
上級ロシア語は一部の翻訳者や通訳、ガイドの独占ではない。そういう自称ロシア語のトップにいると思っている人でも、ロシア語の会話などで体が使いこなせないのであれば、ロシア語から日本語、日本語からロシア語への理解が不十分であろうと思うし、それにかかわらず、日本語を外国として見るというアプローチも必要であろう。体の用法を究めることで、普通の学習者にとっても、プロの独占と思われていたロシア語の文や会話の深い味わい方を知っていただけたらと願っている。
設問)「彼女はもう彼らとは二度と会えないという事を知っていた」をロシア語にせよ。
2012年12月25日
●和文解釈入門 第585回
このコーナーは和文露訳に興味がある方はどなたでも投稿されてよいのだが、個人的には、投稿してくれたらなと私が思っている人たちというのがいる。それは露文解釈を中心に勉強してきた学習者である。こういう人たちは文法をきちんと学び、それなりのロシア語の実力があるはずなのに、ロシア語の会話ができないために実力を発揮できないか、ペラペラとロシア語を話す人たちに引け目を感じている人たちである。ペラペラとロシア語が話せるから、ロシア語ができるというものではない。会話している以上、全く意思疎通ができないという事はないが、7割ぐらい通じているとか、挨拶程度とか、という人が多いように思う。世間はロシア語をペラペラ話せば、ロシア語ができると勘違いするので、ロシア文学の読解が日本文学の読解並にできるような人が、ロシア語の評価という面で割を食っているような気がする。会話も読解も聴解も作文も全て必要である。会話だけの人よりは、コツコツロシア語の読解に精を出してきた人の方が上達の可能性は高い。確かに語彙は読解用の語彙(読んで、聴いて分かる語彙пассивный запас слов)がほとんどだろうが、会話で使われる頻度の高いを中心に優先的に覚えるよう、発話用の語彙(言語運用上の語彙активный запас слов)に変換することは容易である。ただ、単語中心から句動詞、述語動詞が中心となるよう勉強方法を替えることが必要である。その土台となるのが体の用法のマスターである。こういう人たちは、1カ月もしないで完壁に理解するので、あとは和文露訳の練習と、それ用の語彙の暗記だけやれば会話も上達するはずである。聴き取り用に1年間の千時間マラソン(1日3時間ぐらいロシア語のCDを通勤・通学電車でBGM代わりに聞くだけ)もやればよい。
そういう人たちに対して、読解の中心になるのは露文だけでなく、和文も中心になり得るのだという事を言いたくて、このコーナーを始めたようなものである。日本人だから日本語が分かるのは当然だが、それが異なる言語とどう通じ合えるのか、ロシア語の辞書や文法書のみならず、日本語の文法に対する理解が必要であるという事を訴えたかったわけである。そういう点を理解される人が少ないながらも出てくることを望んでいる。
文法をきちんとやらなければ、語彙を覚えても挨拶程度以上には進まないのは理の当然である。初級文法を終えて、後はロボットのように例文の丸暗記にひた走るという道しかないと考えている人も多い。そういうのは、まともな大人のすることではないと何度もこのコーナーで申し上げてきた。丸暗記以外にも、文法を通じてロシア語を習得する方法があることをこれまでアピールしてきたつもりである。和文露訳の勉強に例文の丸暗記だけで、なぜこのような体を使うかなど文法について考えないような人は伸びない。
設問)「一番遅いスピードで何ノット出ますか?」をロシア語にせよ。
2012年12月26日
●和文解釈入門 第586回
『ロシア音声概説』(神山孝夫、研究社、2012年)を読んだ。発音やイントネーションの型の勉強用として音声学関係では一般向けで手に入る唯一の参考書と言える。本書はプロの通訳やガイドを目指すなら必読の書であり、発音面で非常に参考になるので、プロを目指すなら手元に置いておくとよい。всё-такиはвсё-ткиとаを発音しないのが普通だが、これも母音の脱落という事で説明してあるのは初めて見た。こういうところがこのような専門家による一般向け参考書の強みでもある。口蓋垂ふるえ音はドイツなまりで、革命前まで上流階級でおフランス風の気取った言い方で、アメリカのキッシンジャーの話し方がそうであると29ページにあるが、これはкартавый (грассирующий) звукでрやлに関わる音であろう。рがгのように聞こえる。そうであれば、ソ連時代はユダヤ人の役割語みたいなものである。これについて著者が書かなかったのは人種差別的な記述を嫌ったためなのかもしれない。
若干タイプミスがあるので指摘しておく。72ページбуфはбуффの間違い。99ページТам сидят журналисты.を「あそこに座っているのはブンヤさんたちです」とくだけた訳にしてあるが、журналистはマスコミ、新聞、雑誌の記者であり、ジャーナリストであって、ブンヤというような俗語のニュアンスはない。どうしてここだけこういう訳になるのか理解できない。しかも129ページ、130では記者たちと正確に訳しているのは訳語の不統一と指摘されても仕方がない。102ページквартираをflat, condominiumと英語だけにしているが、アパートないしはマンションのことで、日本語と違い、建物全部を含めないとすればよいのではないか。166ページкуполаの円屋根はともかく、キューポラとあるが、キューポラは溶銑炉のことで、вагранкаと言い、куполаとは言わない。170ページколбасаをサラミソーセージとしているが、有名なдокторскаяという銘柄は脂身のない高級ソーセージでサラミではないし、サラミはсалями、ないしは高級燻製ソーセージならсервелатなので、単にソーセージと訳しておくのが無難だろうと思う。
設問)「きっと朝彼がいないの気がついて、捜索になるよ」をロシア語にせよ。
2012年12月27日
●和文解釈入門 第587回
露文を読むときに露文解釈のつもりで読むのと、和文露訳に活かそうという意識で読むのとは全く違う。会話の和文露訳で活かそうと思う時は、文体に注意を払い、使える語彙をエクセルで和露の形にまとめておく。そのときにできるだけ例文を収録するとよい。書き言葉でも、スピーチやビジネスなどの公的な交渉ごとで使える場合が多い。俗語や隠語は聞いて分かることは必要だが、自分で使う事はない。しかし、一応語彙集には入れておく。
設問)「分割納入と一括納入ではどちらがよろしいですか?」をロシア語にせよ。
2012年12月28日
●和文解釈入門 第588回
日本語を勉強しているロシア人が露文和訳をしたとする。その和訳をロシア語を知らないか、日常会話はできるが、ロシア語は読めない日本人がチェックして直したとする。その日本文は正しいだろうか?そのロシア人はロシア語をハイレベルで勉強した日本人に見てもらわないと、正確な訳かどうかは判断できないし、直された日本文と比べて自分の作った元の文のどこがいけないのかが分からないから、次も同じような誤りをするかもしれない。同じことはロシア語を学ぶ日本人学習者にも言える。他に選択肢がないという場合も多いと思うが、ロシア人にチェックしてもらう時は、このことを念頭にいつも置いておいた方がよい。
若いころ和文露訳をするときに、周りにロシア人が多かったので自分の訳文をよく見てもらった。そのとき、ロシア人が見るのは私の訳文のロシア語である。そのロシア人は日本語が全くできないか、できても日本語が読めないのが普通だからだ。そのロシア語が見てもらうロシア人の考えるロシア語とどう違うかであって、原文の和文との比較ではない。つまり私が日本語から曲がりなりにも訳した露文は、時制や体の用法は基本的に正しいという前提がある。ロシア人にロシア文を見てもらうときに、その前提が問題だという事は、きれいさっぱり無視されているようだ。日本語の時制やテンスはそう簡単なものではないことは、このコーナーの設問の短文でお分かりだろう。日本人だから日本語の時制やアスペクトは分かるだろうが、それをロシア語の時制や体に置き換えるのは、日本語とロシア語の時制が微妙に違っている以上、非常に無理があると思う。そういう意味もあって、ロシア人に頼らずとも、和文露訳のチェックができるような参考書を、体の使い分けを中心に書いて見たかったわけで、その願いが熱心な常連投稿者のおかげもあって叶ったことは非常にうれしく思っている。この参考書『和文露訳入門』はあくまでも私自身用であるが、幾分かでも私の考える体の使い分けに実践で使えると考える人にはそれなりに役に立つと思うし、学習者自身がさらによりものを自分自身のために編み出すことは可能だと思う。私はロシア人を無視しているのではない。私が心の中で師事し、準拠しているのはラスードヴァ先生、ボンダルコ先生、ロゼンターリ先生、ムラヴィヨーヴァ先生、ヴィノグラードヴァ先生、アプレシャン先生、フセヴォロードヴァ先生、パードゥチェヴァ先生、磯谷孝先生、城田俊先生、宇多文雄先生、中沢敦夫先生、原求作先生などのロシア語の権威であって、一般のロシア人ではないといいうことを言いたいのだ。
設問「光と音ではどちらが速いですか?」をロシア語にせよ。
2012年12月29日
●和文解釈入門 第589回
暮れも押し詰まって残り後わずかである。このコーナーも同様で、短文のネタ切れのためこのまま行くと600回を越えるか越えないかで終了となりそうである。しかし、常連投稿者の投稿を見る限り、正答も増えてきており、これ以上続ける意味もあまりないような気もする。ともあれ、ない袖は振れぬということで、決して出し惜しみするわけではない。7月末に『和文露訳入門』を電子書籍で出した時には、残りの短文は11月中旬で終わるぐらいの分量だったのだが、いくつか面白そうな短文も見つけて、それが12月半ばになり、12月末になり、年を越える気配である。そうはいっても、あと10もない。これまで出題候補としてエントリーした中で、30ぐらいの短文は、同じようなものがあるとか、応用性がないとか、特異すぎるというような理由で没にした。最近も5つ没にして、3つ追加したりしている。短文出題の趣旨は、含まれる文法要素や語彙が応用性があるか、その語句のままでも会話で広く使えるかどうかであって、難問を出して粋がるような、出題者の独りよがりは厳に慎みたいと考えているからである。単数・複数、アオリスト的用法、不完了体未来形などは最初の頃の出題に対する正答率があまりに低かったので、折を見て何度か似たような短文を出題しているが、これは復習として意識的に行ったものである。
どう出題していいか分からなくて没にしたものもあるので、ご参考のために紹介する。私自身は頭痛持ちではないが、仮に頭痛で、鎮痛薬を飲んだら、すぐに効き目が現れたとする。そのときに、「(この薬)効くね」はロシア語で何と言うかというものである。普通に考えれば、完了体子形の結果の現存の用法を使って、Лекарство подействовало немедленно.(薬はすぐ効いた)とする。無論、これはこれで正しいのだが、Действует.と言う。現在完了が含まれているので、相転移動詞(誤伝の動詞改め)の用法だと思う。栄養ドリンクの宣伝だと思うが、「効くぅー(この日本語は遂行動詞であろう)」というコマーシャルは、「効いた」と同じかというと、よく考えると、同じようなものだが少し違うように思う。結果の現存(現在完了)であるということがДействует.の方に強く感じられる。подействовалは完了体過去形だから、基本的な意味はアオリスト的なものであり、結果の現存というものは文脈に依存する。しかも、「薬がすぐ効いた」という例文は結果の評価とも考えられるので、ある意味で時制に関していえば、現在と関係があるのかどうかが分かりにくい。一方、Действует.の方は不完了体現在形で現在そのものであり、現在の時制と結びついていることを強くアピールできるから、ロシア語でも、日本語でもこちらの方が会話でよく使われるのではないかと思う。
こういうのは、どうやって見つけるかと言うと、三流の児童用SFやファンタジーの会話の文にこういう例がふんだんに出てくる。魔法の呪文を覚え、その呪文をかけて、呪文通りの効果が出て来たときにとか、光線銃を発射して、対象の物体が消えたときなどに、こう言うのである。三流で、しかも子供向けだから、荒唐無稽であっても文脈ははっきりしている。こういう会話文はドストエーフスキーやチェーホフでは、まずお目にかかれないだろう、和文露訳用の文例を収集するには、歴史や哲学の硬いもの、一流の文学ないしは自分の好きな分野の本(釣りが好きならアクサーコフの釣魚記など面白いと思う)、そして会話の文例収集用に、一流でも、二流でも、三流でもいいから児童向けの会話の多い本がよい。このように硬軟取り混ぜて、広い分野の本を読み、かつファイルするようにすれば、いつか自分だけの宝物ができることになる。人間は忘れるものだから、文例はエクセルに和露で、訳をつけてファイルしておけば、いつか役に立つだろう。私の方は和露形式で項目をつけ、今現在で9万2千項目になった。目指せ10万項目である。cover-to-coverで読んだ本はリストアップしていて、それも740冊になった。これも目標は千冊である。ロシア語の本は辞書も入れて1700冊ぐらいもっているから、半分以上は読んだことになるので、稼ぎの心配さえなければ余生を読書に費やすという手もあるのだが、世の中そう甘くない。
設問)「(本で)読むのと、そのような状況に自分自身が置かれるというのは別だ」をロシア語にせよ。
2012年12月30日
●和文解釈入門 第590回
(259) 「ビゴーが見た日本人」、清水勲、講談社学術文庫、2001年
1882年~99年まで日本に滞在したフランス人画家について。著者による日本人に出っ歯が多いのは栄養状態が悪いからだという指摘にはなるほどと思われる。ビゴーの作品が後にメガネ、カメラ、出っ歯の日本人というカリカチュアを世界に発信した先駆けとなったのだとのこと。明治の日本を絵で描いているのでイメージしやすい。他に、「ビゴーが見た明治ニッポン」清水勲、講談社学術文庫、2006年、「ビゴーが見た明治職業事情」清水勲、講談社学術文庫、2009年がある。またビゴー以外にも「ワーグマン日本素描集」(岩波文庫、1987年、1885年初出)も出している。ワーグマン(1832~91)は1861年来日し、1862年から87年までジャパンパンチに絵を載せ、1875年彼の絵が眼鏡と出っ歯という日本人像のルーツになったのではないかと著者は述べている。
(260) 「大昔のモスクワ」Седая старина Москвы, Кондратьев, 1893(リプリントは2003年Цитадель-трейд社より)
最も人気があったと言われるモスクワ案内。使われる表現がロシア正教と仏教・神道の違いはあるとはいえ、ロシア語での日本観光案内に使える表現の宝庫である。本書でも数多く利用した。郵便、警察、裁判、貴族、貨幣、本の印刷、舗道、アカデミーなどの由来について簡単に説明してあるのが特に良い。
設問)「その結果、お金はロシア貴族の日常生活になくてはならない、切っても切れないものになった」をロシア語にせよ。
2012年12月31日
●和文解釈入門 第591回
本を読んでいて会話やメール・レターに役に立つと思う表現や文があれば、できるだけ正しい和訳をつけてエクセルで和露の形にアイウエオ順でまとめておけば、将来役に立つと書いた。全部が全部ではないにしろ人間は忘れるものだからだ。このまとめた例文も大事だが、それよりもその過程で、エクセルの表にインプットする、その例文に和訳をつけるという行為自体が、暗記にも役立つし、和訳の練習にもなる。通訳は和文露訳だけでなく、露文和訳もあるわけで、まさに一石二鳥ということになる。こういう表の出だしの項目は、できるだけ短い単語が語句にしておく方がよい。Не угадала её лет.(彼女の歳は分からない)なら、項目は歳とか年齢にしておけば、年齢関係で他の表現もまとめて作ることができ、あとでチェックするのが楽だからだ。表には著者名とページを別項目で入れればよい。私の場合は、見出し、例文、著者名、ページの順であり、Достоевский の項目の隣は22-75で、全集第22巻の75ページに例文が載っていることが分かる。これはタイプミスのチェックや、ごくたまにどうしてこういう体が出てくるのか気になったときに、前後の文脈を調べるときに必要だからである。例文には赤線を入れてあるので、そのページを開けばすぐ分かる。恩師の故飯田規和先生は、本には書き込みをしてはいけないと何度も言われた。これは多分誰かに著書を譲るときにその相手のことを考えてのことだろう。気持ちの優しい先生だった。しかし、私は自分で買った本になら、自分のロシア語向上に役に立つのであれば、何をしてもよいというのが私の主義である。だから図書館で借りた本に書き込みがあるのは許せない。鉛筆の書き込みなら、私も借りている以上、消しゴムで消すことにしている。多分学生が高校か大学の課題図書かなんかで、書き込みをしたり、自分の納得したところを線を入れて強調したりしているのだろう。まったく目障りである。本は白紙の状態で読むものだから、その印象を他人に押し付けるものではないというが分からないのか、あるいは自然とうっかり書いてしまったのかもしれない。厳に慎みたいものである。
設問)「俺はあいつの妹と結婚してもう3年になる」、「1993年からイタリア人と結婚しているの」という二つの文をロシア語にせよ。